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2021-06-26

閃光のハサウェイ」でハサウェイが戦う理由が分からない

閃光のハサウェイ」の評判が良いので見に行った。ガンダム映画劇場最後に見たのはF91。いったい何年ぶりだろう。
しかしそれは単に「綺麗な作画」と「しゃれた会話」と「派手なアクション」だけしか印象に残らないものだった。

気持ち悪いのは、なぜハサウェイやその仲間達は戦うのか、その理由がさっぱり分からないのだ。

汚染された地球を救う?はぁ?この美しい南国リゾートのどこを見れば「人類地球から去らねばならないの」となるの???

と思って33年ぶりに原作を読み直す。
ああ・・・懐かしい感覚をふと思い出す。
そう、この30年あまりの間に日本人の心的傾向は大きく変化した。
もう現代では「閃光のハサウェイ」は理解共感できないのではないか
まりにも遅い映画化だった。

振り返って1979年ファーストガンダムが出た頃は、日本はまさに高度成長の負債で苦しめられている時期だった。


40年足らずで1.5倍に増えた人口により、食料と住宅供給が追いつかず不動産は異常なまでに高騰し、自給率は落ち込んだ。
環境規制は未熟で、悪臭のドブ川やヘドロの海、大気汚染公害病は身近な恐怖だった。
オイルショック記憶は生々しく、「石油の輸入が途絶したら日本破滅」という恐怖が意識の奥底にあった。

一方、「人類月面着陸」は、科学進歩の到達点として強烈な印象を与えた。

「増え続ける人口破壊される環境、枯渇するエネルギー源」を解決するために「人類宇宙進出する」という考えはごく自然だった。

そしてファーストガンダムから42年。原作から33年が経過した。

今、日本人口減に苦しみ、厳しい環境規制公害病過去となり、山河は綺麗になり、エネルギー供給源は多様化した。

アポロ計画から50年、人類は月はおろか静止衛星軌道の外ですら誰一人として到達できていない。

原作の「序文」に描かれた「生活圏の宇宙への拡大による地球環境汚染の救済」はまったくピント外れなお題目になってるのだ。

マフティ理想現代日本人共感できない。
いや、映画監督ですら理解できているのだろうか心配になる。

逆襲のシャア」で描かれた香港は、エネルギー枯渇と公害により貧しくなった人々の精神が荒みテロ日常茶飯事の社会であった。(余談だが、クエス・パラヤのように裕福な親から反発した家出娘が向かう先はカトマンズゴアヒッピーのたまり場、という行動様式現代では理解されにくい文脈だろう。)

閃光のハサウェイ」で描かれたダバオは、現代東南アジアリゾートの姿そものであり、その綺麗な街並はとても人口過多・エネルギー不足・環境破壊連想させるものではない。

劇中でタクシーおっちゃんが「マフティ理想なんて理解できない」と言われても、映画見ている人みんなが同意するだろう。
汚染された環境の中で、貧困の中でも明日パンのために生きざるを得ない人々と、一旦「地球を休ませる」という理想対立軸がまったく上手く描けていないのだ。
背景描写が綺麗であればあるほど、物語の背景としてのディストピア地球社会がまったく見えてこなくなる。

しか・・・この30年の社会変化をどう脚本に織り込めば、この映画における「マフティ理想、ハサウェイの野望」に観客が共感できるようになるのだろうか。

宇宙世紀1mmも知らない私がハサウェイ雰囲気で見た

ガンダムアムロシャアが戦うくらいの知識閃光のハサウェイを見に行った。

ガンダムAGE鉄血のオルフェンズビルドシリーズを見たことがあります

行くにあたって知り合いのガンダム博士宇宙世紀知らんけどいけんのか?と聞いたけど、

ゆるふわに見に行っていいよ~」とか「逆シャアは抑えておいた方がいいよ」とか意見は色々。

知識0で見に行けるのは今だけなので、『ゾルタン様の3分でわかる宇宙世紀!』を見て時系列を把握して見に行った。

あと逆シャア片思いしてた子が死んでハサウェイがああなったとか聞いた。

ちなみに閃光のハサウェイ劇場予告は見たことあって、「ハサウェイってアムロアンチかな?」って思ってた。

ガンダムのこと全く知らない人が見たらそう思うCMだよ。たぶん。

感想

なんで宇宙ガンダムあったの?

金持ち特権階級しか乗れない船にハサウェイが乗ってたのも謎。

父親が偉い人だとしてハサウェイは軍属じゃなくて一般人なんでしょ?コネパワー使ったの???

ハサウェイとかマフティーとか名前が行ったり来たりしてわからにくいから話が破綻するけど名前統一して???

ハサウェイの父親アムロ殴った人らしいけどどういう教育したらお子さんああなっちゃった???

市街地戦は人間モビルスーツの襲撃に逃げ惑うシーンが戦争って感じがして怖かった。

知り合いのガンダム博士に最低限の答え合わせと解説をしてもらったけど

私は雰囲気でハサウェイを見てる…って感じだった。

マジで雰囲気だけで言うけどハサウェイってガンダムAGEフリットみたいだね。

今後印象変わりそうだけど。

2章でハサウェイがマフティーを名乗るようになる理由とかやるらしいので楽しみにしてようと思います

anond:20210626094925

でも、それを劇場アニメでやるとイノセンスなっちゃうんだよなあ。

やっぱエンタメはむずいぜ。

2021-06-24

小人症のがん患者自分を撮った映画自分セックスを撮りたいって言って風俗嬢との行為撮影したっぽいんだけど、撮影されて劇場で流されることに対して風俗嬢同意は取ったのかってことが気になって仕方ないんだけどどこにも書いてないしあらましを読んだだけで嫌いなタイプ人物そうだから映画本編を見る気にもなれない。

ただ撮影されて劇場で流されてしまった風俗嬢のことだけが気になる。

anond:20210624125645

・冒頭のCM映画泥棒云々や劇場内でのマナーとかを流す辺りで「スマートフォンの電源はお切りください」って言われてるのになぜスマホを見るのか

これについてだけ。

映画館ではさもこれから映画の上映が始まりますというように我々を騙してCMを見せる。

映画館側が(暗黙の)約束を守らないのであれば、こちらも映画館からお願いされる約束を守る義理は無い。

真面目に「映画館のシアター内でスマホ見る理由」が聞きたい

まず、

・冒頭のCM映画泥棒云々や劇場内でのマナーとかを流す辺りで「スマートフォンの電源はお切りください」って言われてるのになぜスマホを見るのか

ネットで叩かれたりしてる記事を読んだことがないのか、読んだことがあるなら、どう思ったのか

・どうしても出なければいけない連絡があるのなら、なぜ映画を観に行くのか

もし匿名ダイアリーにシアターでスマホ開く人がいるなら、リエントリなりブクマなりで教えてほしい

なお、あくまでこのエントリは「そんなことをする心理を聞きたい」という趣旨であって、「そんなことはする人を叩きたい」ものではないので該当者が現れても各人は叩いたりしないようにお願いしたい

2021-06-22

閃光のハサウェイ面白い

劇場で2回見た。ブルーレイも買って毎日2回は見てる

ガウマンかっこいい

ハサウェイまじこじらせ童貞アキバ総研やりやがったなwww

ギギかわいい

ネス日本によくいそうなクソ上司

おっさんホイホイすぎて久しぶりに気持ちよくホイホイされたわ

2021-06-21

エヴァオタクは嫌いだが落とす金は必要だった、のは過去の話

シンエヴァを見た。

クワクもドキドキもハラハラもしない、感動もない。ただ「綺麗に風呂敷畳んだね、見てる人に殴りかかるんじゃなくて、言葉説明できるだけの理性はついたんだね、監督おとなになって偉いね」という意味で「良かった」と思った。EOEでぐちゃぐちゃにされた子供の頃の恨みみたいなもの成仏していたのに気がついた。シンを見て成仏したのではない。自分はとっくにおとなになっていて成仏していたのだ。そういう映画だった。

徹頭徹尾オタクが気にしてること、気にしそうなことを説明して潰しにかかっていたのは笑いそうになった。ミサトさん無責任で酷いって気にしてたんですかね? 昔のエヴァならあん違和感たっぷり説明的なセリフ垂れ流さなかったでしょうよ。アスカレイカヲルベルトコンベアで流れてくる商品を選り分けるように、事務的淡々と処理されていくのは本当に白けた。有名声優が何人も説明的なセリフを言うだけに参加してるのもシュールだ。

それでも終わっただけで「良かったよ」って言えたのは、多分今のエヴァに新鮮な楽しさや驚き、痛みや苦しみを描く力なんて無いとどこかでわかって、諦めていたからだと思う。ちゃんと終わらせること以外期待してなかった。

リアタイ世代で録画を何度も見て、映画もおこづかいをはたいて全部劇場で見た子供だった私も、大人になって見えてなかったものが見えるようになった。良質なエンタメにもたくさん出会った。少ない知識に狭い視野で、初めて見たショッキングエンタメだったからのめり込んで、特別に思った時期があったのだろう。そういう期限は切れていた。期待しないようになっていた。

余談だが子供だった自分アスカが生きたまま腸食い散らかされるのがあまりにも怖くて、ショックで眠れなくなったりうなされたりした。生きたまま食われるなんて考えたことも無かったので、本当に怖くて震えた。思えば初めて見たグロっぽい暴力的悲惨なシーンだったのかもしれない。EOEまでは本当にいろいろと心に傷を刻んだ作品だった。

とにかくエヴァは畳まれた。シンエヴァは畳むために作られたものだ。物語として楽しくする気なかったでしょう? 嫌いなエヴァオタクと、終わってないことに言及されること消すために時間セリフがあった。

監督ももエヴァは見えないところにしまって、自由になりたかったんだろう。だから面白くなくてもファンエヴァオタクがっかりしてもどうでもいいのだ。破まではエンタメとして良いものに作り変えようという気が見えたけれど、もうそなのはどこにもない。

監督エヴァオタクを嫌いっていうのは有名な話だ。インタで自分でも言っている。今も嫌いだろうと欠片も疑っていない。

でも彼の会社エヴァ版権使用料がないとスタッフが食っていけなかったんじゃないかと思う。彼を慕い、憧れ、優しいスタッフ理解ある嫁を食わすには、大嫌いでもエヴァオタクからキャラクターで金を搾り取るのが一番儲かる。

ところがゴジラが当たった。ウルトラマンも撮らせてもらえる。もうエヴァがなくても稼ぐあてが出来た。だからエヴァはとっとと畳んで開放されても良い。というわけで前は急げで完成に至ったのではないだろうか。モチベ上がったでしょう。キャラクターサクサクエヴァオタクが金を払う気がなくなるような処理しをして片付けた。もうこっちくるんじゃねえぞってなもんで。

シンゴジの時はじめて心から嬉しそうな監督を見たからね。監督はあっちに行くし、エヴァオタには付いてきてほしくないのだ。ちなみにオタクにいちいち「エヴァ」ってつけるのは、監督特撮オタに関しては嫌いではないし、彼自身オタクからアニメ特撮オタクエヴァに散りばめられたオマージュのおおさからして、けっこうディープオタクだと思う。

シンエヴァ感想をいくつか読んだら、それぞれのキャラクターの処理について不満を漏らすと、案の定卒業しろよとかキモいと叩かれていた。まとめサイト晒し上げられていた。流石にそれは酷いくないか?今までキャラ萌え的な商売しまくって、金を搾り取られた人たちが嘆いたって良いだろう。だって公式はそういう商売をしてたじゃん。中学生が脱衣する麻雀ヒロインといちゃつけるゲームシンジカヲルで落とせるゲーム。それを元にした漫画同人作家カヲルシンジBL描かせて監督が対談までしてる書籍もある。その他にも把握しきれないくらい色んなモノが出ている。エヴァくらい節操がなく金のためにキャラを売っていた作品も無いだろう。

キャラクター商品キャラクターが好きだから買うものだ。キャラクターが好きだから金を出す人たちからずっと搾り取ってきた。それで飯食ってたんだよ何年も。Qから8年も食いつないでるんだよ。ゴジラがあっても、大半はエヴァ収入があったから8年完成させずにすんだんでしょう。もういらないからポイしたわけだが。所詮オタク一方通行で金をつぎ込むだけで、優しくされるどころか捨てられたって文句は言えないものだ。でも悲鳴くらい上げても良いんじゃないの?25年前から根本的に変わらない作品にずっとついてきて、どんなにエグい商売でも金はらってきた猛者たちだぞ?流石に期待しなかったか文句もない私より愛があっただろう人たちが叩かれてるのは可哀想だ。好きじゃない人ほど簡単さよならできるもんなんだから

私は良かったと思ったから当初は否定的感想や、点数の低い映画レビューを見ていなかった。けれど絶賛よりもTLに流れてくる苦言に、全部なるほどと納得したので見てみた。そうしたら感情的おかしくなって叩いてるとかアンチとかじゃなく、理路整然と嘆いていて、反論もなくそのとおりだと思ったものが多かった。ただ私にはそれに怒ったり悲しんだりする好意がもうエヴァにはない。良かったねー、終わったねーって流して終わった。

良かったで流した層、怒って細かく説明してる層が多くて、ほとんどの人が一回見ればリピートしない映画ではないだろうか。それでも何度かリピートしていろいろ考えてる人たちが少数いるけど、お金あるなあという感想だ。考察小ネタ拾いは楽しくて好きだが、シンエヴァはそれをするには料金に見合わないと思ってしまう。そろそろ大抵の空白や説明のないところは、思わせぶりなだけでなんもない可能性が高い思いようになった。きちんと描けるなら描いてるだろうし、監督には無理だと思う。その上でエヴァは出来ないものはそれっぽく空白にしとけばファン勝手考察して想像して楽しんでくれるから、開き直って描いてないだけ。監督は25年かけても描けないものを描けるようにはならなかった。ピュアで傷つきやすく、作品成功したために人間的に成長しなくても生きていけるようになった子供のままの人。それが痛いほどわかるのがシンエヴァじゃないか? 意味があるのかわからない考察をするなら、円盤アマゾンで安く買えばいい。そもそも今回の映画考察合戦する相手も少ないのでは。

監督とは反対に、声優は成長をひしひしと感じる人が多かった。声優演技力にだいぶ助けられた映画だった。監督はそれに気がついただろうか。親子を多用するくせに父親母親も描けないところに、それっぽい色を付けたのは声優陣だ。パンフコメントは感慨深く読んだ。皆さんお疲れさまでした。緒方さん、宮村さん、山口さんは特にお疲れさまでした。シンジの声は最後まで緒方さんが良かったです。

貞本さんが参加されてなかったのは残念でした。彼の人間性とかは知らん。描く絵が好きだし、監督が投げ出したもの漫画版できちんと描ききったのを高く評価している。漫画版はキャラクターの心情もちゃんと丁寧に描いていたし、なによりきちんと完成させた。それが出来るか出来ないかが、本当のプロアマチュアの差だと思う。貞本さんだってエヴァオタのいろんなものさらされた人だったでしょうに、仕事を完遂した。傷ついたのは監督だけではない。エヴァ根本監督私小説だが、作品としてはたくさんの人の力で出来ているものなのだから、負の影響だって受けた人はたくさんいるでしょう。傷ついたからと膝を抱えて元気になるのを待ってても良いような環境にあった人は少なかっただけ。

興行収入はそれなりじゃないかな。リピートはしないけど、長く付き合ったんだ、香典くらいは払うって人は多いでしょう。

しかTV版のエンディングが一番良かった、なんて思う日が来るとは思わなかった。(二番目は漫画版)

2021-06-20

キングオブコント札幌予選を見た

19日にキングオブコント札幌予選を見てきた。会場はHTBと同じビルの中にある、札幌市民交流プラザクリエイティブスタジオという小劇場

MCモリマン。出場組数36組(公式サイトでは37組いるが、1組棄権したらしく出ていなかった)。

全員のネタは覚えていないが、覚えているところを書いてみる。ネタタイトルこちらで仮につけたもの

やすと横澤さん

プロ野球選手のお見舞い」

フリーYes!アキトと仲がいいことで知っている。最初ボケ、妙に間あったけどひょっとして飛ばしかけてた?

・ユーバーレーベン

刑務所

アマチュア? 設定は面白かったけど半分くらい台詞が聞き取れなかった。

インターン

サプライズ

アマチュア? 男女コンビ。一発芸をコントに落とし込むフォーマットで、この日初めて明確にウケをとった。

・みこはち

札幌の名水」

札幌吉本。声がとても通っていた。

・まごのて

結婚式スピーチ

太田プロ札幌M-1グランプリ2020札幌予選3位通過コンビツッコミのキレがよかった。

海鮮プリンセス

「神頼み」

太田プロ札幌。男女コンビ。男女コンビって声量に差があるから、どっちかに耳の水準を合わせるとどっちかに合わなくなっちゃますね。

ミクロポエジ

合格発表

札幌吉本。1人コント師どうしのユニット劇場のせいなのか知らないけどなぜか下手寄りでネタをするコンビが多かった中、しっかり中央でやっていたのが印象的だった。なんか「プロだな」と感じさせた。

匿名絶望

北海道SM

アマチュア? ある意味今日の主役。最高にバカネタで大ウケしていた。しか相方が当日の朝まで決まっておらず、この日が初舞台という噂もきいてなおさら驚いた。最初は「何を見せられてるんだ」と思ってたけど、だんだん「この人たちに勝ってほしい、東京の人に見てもらいたい」と感じるようになってしまたか不思議。当日決まった相方さんが奇跡的に、役柄にぴったり合ったルックスだった。

・TOMATO

外国人助っ人

札幌吉本日本人アメリカ人コンビ。日米コンビには珍しく、アメリカ人ツッコミ

コブシハイウェイ

喧嘩

太田プロ札幌ピン芸人同士のユニット。男女コンビ。設定がとてもよかった。もっとウケててもよかったと思う。

・コロネケン

予告編

札幌吉本現在の若手エース格的なコンビ。この日唯一の拍手笑いを獲得。圧巻のイチウケ。

・オレマカ

強盗

ウェイビジョンというところに所属しているトリオトリオであることをちゃんと生かしているし、台本がとても綺麗なコントだった。

・アヴァンチュ~る

借金取り」

フリー。何年か前にも同じネタで1回戦を通っていた。

ポケットコロッケ

貧乏兄弟

アマチュアM-1グランプリ2020札幌予選のナイスアマチュアコンビ最初ボケの間が素晴らしかった。

リングリン

「実録菅野家の1日」

札幌吉本リアル親子コンビM-1グランプリ2020札幌予選のトップ通過コンビ。親子のリアルを徹底的に描いたショートコント集。

・つちふまズ

「当てる人」

札幌吉本ネタバレにならないタイトルが難しいネタ普段漫才をしているので、違う衣装を着ていると一瞬気づかなかった。漫才ときもこっちの風貌の方が面白いかも…。昨年も同じネタだったらしいが、ウケていた。

すずらん

コンビニ」

札幌吉本。芸歴20年の中堅コンビ。とても手堅いネタという感じでウケていた。

・しょーゆー

福男

アマチュア北海道ではあまり知られていない福男レースを題材にしたことが逆に印象に残った。

センチメンタル

書店

太田プロ札幌。本を探してるのにすでにその内容に詳しい矛盾が気になった。

スクランブル

医者

札幌吉本普段漫才なのでコントは初めて見たけど、結構様になってた。

エコマインド

教育番組

それぞれ札幌大阪NSC出身女性コンビ同級生らしい。北海道では珍しく「若手の女芸人!」という空気を発していて、良い佇まいの二人だった。

しろっぷ

身代金

トリプルワン(元札幌吉本)。STVラジオで冠を持つ札幌ラジオスターボケオチ以外声の出演だけというネタだった。

通過予想は、匿名絶望、コロネケン、つちふまズ、すずらん。明確に爆笑が起こっていた4組。

実際の通過はミクロポエジ、コロネケン、つちふまズ、すずらん。4分の3当たった。匿名絶望は通ってほしかったので残念。結果とすれば全員札幌吉本だけど、基礎のしっかりしたところが通ったという感じ。

2021-06-19

ゴールデンカムイ26巻感想

ヤンジャンの最新話を読んでいる人間感想ゆえネタバレ注意

本誌をリアタイで追っていた時から話に違和感を覚え始めた、サッポロビール工場編が本格始動する。

ビール工場編で一番特に何を成し遂げたわけでもやらかししまったわけでもないヴァシリが表紙。

2巻のレタラアシリパツーショット表紙を思い出させる、幻想的な雰囲気を漂わせる良い表紙に思う。

肝心の中身については、当時覚えた違和感と加筆修正部分と最新話までの物語との整合性について感じたことを書く。

ころころ視点が変わるビール工場にのっとり、自分感想しょっちゅう行ったり来たりする。

最新話まで読んでから改めて読むと、ビール洪水とかのギャグがとても懐かしくあの頃には戻れないのか…と思った。

菊田とアシリパの問答が、菊田が死んだ今読んでまた違った気持ちになった。

アシリパの使命感の強さと、身近な人の死を極力減らしてやりたい菊田の違いがよくわかる。

ここの問答の完全上位互換が、教会での鶴見アシリパソフィアだと思うとやはり菊田は価値観普通の人すぎる。

武器もなく縛られアチャを悪し様に言われまくり金塊はアイヌの持つものじゃないとルーツを持ち出して屁理屈を言われても折れなかったアシリパの心を、ソフィア殺害未遂でようやく少し折ることができたと思うと…

土方勢に追い詰められて「どうしヨう」と焦るジャックリッパーは、以前から本誌と単行本で全くキャラが異なる。

もうあまり覚えていないけれど、ヤンジャン連載のジャックアシリパと対面するまでは、娼婦に対するコンバンハと鼻歌くらいしか喋っていなくて何を考えてるのかわからず不気味だったのが、

単行本では、子どものような片言日本語独り言しょっちゅう言い冷や汗も垂らしまくる。

なんでジャックはここまで本誌と単行本キャラが違うんだろう。

この巻の宇佐美の屈強さは非常にいいと思う。パオパオ対決は引いたので、こういう暴力のやりあいを待っていた。

処女懐胎について一人盛り上がっているジャック

急に気づいたけど、だいぶ前の話で杉元と牛山ときめいた「植物を根っこからとろうと失敗したけど成功したら恋人が迎えに来てくれた(うろ覚え)」アイヌ言い伝えの男女のシルエットって、ウイルクとリラッテだったんだね。

ジャックの顎をヒットさせたアシリパコマは、単行本で読むとなんか味気なかった。

本誌の時はもっと勢いがあり面白かったような気がしたんだけどな。あおり文が無いから勢い不足に感じたのかもしれない。

毒矢で殺そうとする自分に恐怖するアシリパを庇うように登場した杉元。

26巻の加筆でおそらく最初の加筆盛シーン。

「誰からまれたかよりも 何のために生きるかだろうが」本誌の時から杉元ってこういうことを言うキャラだっけ?と思ったけど、ここからの加筆には驚いた。

杉元のバーサーカーシーンは今までたくさんあった(偽アイヌ村やら樺太逃走やら)けど

即死させる殺し方ではなく嬲り殺しにしてるシーンはなかったんじゃないだろうか。

辺見があの世でうらやま絶頂してそうなくらいの暴力の嵐だ。

これ見て冷や汗ひとつかかないアシリパ10代半ばにして強い。

尾形は流氷アシリパに右目を射られたからこそ生き残ったんだなと思った。

尾形があそこでアシリパに右目射られずにいたら、多分杉元からジャックに対する攻撃と同じくらいのものを喰らって殺されてたよな。

尾形の悪運の強さを感じる。

ジャック殺人鬼なので殺すなとは全く思わないけど、ここまで嬲り殺しにする必要はあったのだろうか。

単行本作業してるころの連載が動きが無い絵ばかりだったから、作者がここで発散したのだろうかというくらいの熱量だった。

外国人キャラなのに鼻歌以外ずっと日本語だし、作者がジャックリッパーというキャラに興味が無いのが丸出しでもったいなかった。

作者がロシア語アイヌ語には興味があるけど、イギリス英語には興味がないのか。

せっかく現実世界キャラモチーフなんだからただのサンドバッグ扱いでなく、面白くすればよかったのに非常に肩透かしだった。

宇佐美VS尾形のシーンも順序だてて丁寧な描写に加筆修正されていた。

うろ覚えだけど本誌の、衝動的に殴りまくりその勢いで「商売女の子もの分際で誰が一番安いコマ!?から一転「それだけは言いたかった」ウンのテンポが、小気味よくて好きだった。

「取れよ」のコマ宇佐美のチャック前が相手謎の白いものがチロリしてるけど、ここの宇佐美タってるのか…

前日はパオパオで次の日門倉の尻スパンキングで尾形の顔面殴打と、宇佐美性的守備範囲広すぎる。

宇佐美VS尾形といい、馬で逃げる宇佐美狙撃する尾形のシームレスコマといい死に際の鶴見との対話といい、

255話と256話の宇佐美出来事が、映画のように丁寧に仕立てられていると感じた。

宇佐美鶴見に対する想いが読者が思っていたより複雑だったことが前の単行本で判明してたので、どうなることかと思っていたけれど

恐らくはよりよい最期だったんじゃないかと思う。

宇佐美はこじらせているので、ここでも「またみんなの前だからって嘘ついちゃって」と思いながら死んだかもしれないが。

言うても鶴見と他の部下たちや右腕自負の月島との関係は、軍隊に入ってから上司と部下でしかないので、

からの知り合いか自分に対して異常な執着を抱いているのに、死に際になっても敬語を崩さず任務の成果を報告しようとする20歳の子どもを見て、贔屓してしまうのは情けだと思う。

にしても綺麗なシーンになった時だけまつ毛バシバシになる鶴見宇佐美が、まさに劇場舞台俳優たちが『お涙頂戴』な安いシーンを演じてるように見えるのは作者のわざとな魅せ方なのだろうか。

あと改めて読んでなんとなくキロランケの死のシーンと似ていると思った。

そんなに共通点もないんだけどコソコソ話に安堵して死んでいったシーンが被ってそう思った。

キロランケは死の間際に少数民族暮らし子どもや在りし日のウイルクとソフィアを回想し、宇佐美鶴見と見つめあう、

死の間際にそのキャラ人生がよくわかる漫画だと思う。

から問題の上エ地

上エ地もだいぶヤンジャン単行本性格が変わったので、どうなるんだろうかと思ったけど

上エ地の性格が変わっても周りの反応は何も変わらなかったので、上エ地はあの世界の人間にとっていてもいなくてもいい存在なんだなと思った。

犬の首子どもに見せつけ首絞めシーンの丸々差し替え煙突での癇癪と、人となりがわかる加筆は嬉しいけれど前後の繋がりが両方とも急だと思う。

しかし、周りの反応は変わらなくても自分気持ち言語化できる程度には意思があるようになっていて少し安心した。

ヤンジャンでの死にざまが哀れ過ぎたのでどうやってもアレよりはマシになるだろうけどね。

煙突で言ってることもまあ間違っちゃないしな。正直とか美しいとかはよくわからないけど(今後のほかキャラへの布石なのか)

誰もがっかりした顔を見せてくれないか自分がっかりした顔みて笑って死ぬという結末は変わらなかったけども、本人が満足ならヨシ。

でも上エ地頭破裂後のコマナレーションは全く意味が分からない。日本語おかしいと思う。

この物語で明らかにされた~仕掛けって作中のキャラじゃなくて読者のことを指してるのか?

上エ地のお披露目は杉元にも土方にも鶴見にも誰にとっても情報としては±0だよ、とついさっき話してるのにこのナレーション差しまれ意味が全く分からない。

これって結局鶴見と杉元&土方がほぼ同時に暗号解いたか五稜郭の攻防戦が速攻始まるよってことを言ってるだけなの?

にしても3話連続で名有りキャラが一人ずつ死んでるんだな。アニメ化したら下手したら1話で3人死にそうだ。

最新話で土方には「神」「光」「智」などカッコよさげ漢字が入ってるとわかった後で、門倉の刺青見ると漢字が平凡すぎて草。

太郎はここで抜け駆けしようとしたから死んだんだと思うと悲しいな。

徐々に負傷していくのがゆっくり描かれ始めるのがきつい。

というか今の負傷具合で泣き言一つ言わない房太郎が屈強すぎる。

ジャックと上エ地はキャラメイク微妙だったけど房太郎はいキャラだったのに残念だな。

ビール工場編での死人もあとは房太郎と菊田か。

ついにアシリパ鶴見陣営捕獲された。

ここからアシリパが哀れ過ぎて見てられないんだよな。

会話の成り立たない奴に殺されそうになり、火事の煙を吸いまくり、縛って袋詰め状態で馬車に揺られて、精神拷問を受け、房太郎と有古の死体(片方生きてる)を目の当たりにして、寝ずに暗号解読する…ってハードスケジュールすぎる。

読者としても非常にカロリーを消費する巻だった。

次巻は教会鶴見回想・キロランケ手紙が丸々入って終わりかな。

おそらくギャグ的なシーンがほぼなくなる。大阪太郎がそのままならそこだけか。

真面目な話ばかりになり、急激に話が進みつつ矛盾も多々あるので加筆修正が26巻並みかそれ以上になると思われる。

とても楽しみ。

27巻の表紙は久々に鶴見だろうか。

23からは表紙初登場連続だし、ウイルクの表紙を期待しておく。

2021-06-15

お気持ち殴り書き

ホス狂とV豚が似てるみたいなエントリちらっと見たけど両方通って今V豚の人間からするとホストVtuberそもそも形態が違うと思ってる

スクラって結局お店で楽しいだけにお金が発生してるわけじゃないんだよな

営業LINEとか店休会うとかアフターとかそういう境界線曖昧になったプライベートも売り物で、定価の10倍以上する酒の中に溶けて見えなくなってるだけ

ホストというコンテンツがあるとしたら、それはお店でお金を払うことで初めて消費されるものだと思う

一方でVってこちらがお金払わなくたってコンテンツとして消費できるんですよね

スパチャに狂ってる人は配信=金投げる場所みたいな感じだしわたしもそうだけど、そもそも無料いいわけいくら投げたってあれはオプション

って考えるとそもそもスパチャに見返りを求めてることに疑問を覚える

なぜ不安になるか、焦るか、それは自分の個であるという立ち位置が脅かされるように感じているか

スパチャを投げる時、広い劇場座席でひとりスポットライトを浴びているみたいな感情になるのかもしれないけど、実際はファンというレッテルを貼ったおおきな籠の中で光る蛍みたいなものなんだと思う そもそも

たくさんいるファンの中で個でありたい、特別になりたいというのは既に傲慢な願いであって、それを金を払うことでどうにか許してもらおうとしているんじゃないんですかね

好きな人の中で特別になりたいって感情否定する訳ではないけど読み上げ云々自体がVの好意であって、そこに縋ったり甘えすぎたり過度に期待したりしてはいけないと思うんだよな

金払ったんだから!みたいなのが1番最悪だし

たとえば読み上げ普段してる人がたまに忘れたりやらなかったりした時に病んだり文句言ったりする人とか

あとたぶん自分:推しっていう構図を見ながらもどちらかと言えば自分:自分以外のオタクっていう構図の方をめちゃくちゃ見ていて、(同担拒否だったら)嫌いなはずの同担たちの評価をめちゃくちゃに気にしてるからなんだよな

これはオタクに限らずホス狂でもそうだけど、本人の挙動より同担一言一句に気狂いがち

でもホストの客って多少痛い言動してても金出してる方が基本上に立つんですよね

札束で殴り合うという文そのものというか、自分立ち位置を金で捻出し、叶えられる場所ホストということ

まりホストの客とVのファンそもそも形態が違いすぎるんだよな

最終的に付き合うとかそういうことではなく特別であれるかという点で

ガチ恋推しの中で差別化を図れる点って実際見える数字か(ワンチャン)顔面かみたいなところあるからそこに縋るんだろうなと思う

普通に今の界隈で月のスパチャ額いちばんかつガチ恋でもなんでもないからめちゃくちゃ楽しいなって思ってるけどそういう感情が混ざってくるとしんどくなるんだろうね 監視もまあまあいるし

男女コラボとかですら嫌がるもんな オタク繊細すぎ

ホストが手を伸ばせば掴めそうな距離感にいるけどどこまでも遠いことがコンテンツとしての形だとしたら、Vtuberはその逆なんじゃないですかね

それだけです

推敲してないから文変だったらごめん

2021-06-14

anond:20210612222147

腐女子にかぎらず趣味も外仕事ももって輝いてる女性は魅力的だと自画自賛しておったしわりと早くに結婚して今悠々自適の専業腐女子だよ。

先週末は21時からディスコードエロ二次BLトークと翌朝9時から劇場映画鑑賞そのあと15時までお茶にて感想新刊交換会やるから家事はしないのだと家族に予告しておいた。ゴハン出せ?残りの家族には飯炊いて刺し身かっておいた(※ほかに常備菜冷蔵庫冷凍庫にいろいろある)から自分たちで切って食べろよな!っていってでかけていく優雅腐女子生活してます

2021-06-12

宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち」ヤマトまた作るのか

ちゃんキレイに作り直されていいのう。

ヤマトってアマプラに来ないか

劇場に見に行くしかないのかな。

前後編くらいのながさだとテレビ放送も期待できないっぽいし。

シンエヴァには、何度も観たくなる魅力が何もない。

ヴァイオレットエヴァーガーデンや、プリンセスプリンシパルですら何度も劇場に通った俺ですら、

シンエヴァは2回みてお腹いっぱいになっちゃった

表現技巧的な意味で、庵野監督のこだわりとか、製作に携わった人達が心血を注いで作りこんだ部分は

凄くよく分かるし、それ自体は素晴らしい絵作りだとは思ったけど、そこから先が無い。

脚本が心に響かない。

2021-06-10

倍速視聴とSCREENカセットテープ

 映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的昭和の思い出話である

 歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。

 それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画オカルト映画パニック映画流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。

 やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSFオカルトパニック作品関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれ子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである

 話を戻すと、こうして結果的活字記事も読むようになった私は、雑誌SCREEN』に淀川長治連載記事掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者から質問相談淀川長治が答えるコーナーであった。

 読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。

 「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。

 馬鹿小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品オネアミスの翼』を製作劇場公開した時のことである

 中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。

 さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品監督を務めた山賀博之氏のインタビュー掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである

 雑誌SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女コーチ奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』であるテイタム・オニールかわいい山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。

 「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。

 ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代コンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定理由合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分レーダーに引っ掛かるモノを持つ作品出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。

 ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayDVDレーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードカセットテープ販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品フィルムテープリール販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から兄弟のツテでカセットテープダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフ暗誦できる。何の自慢にもならないが。

 そして、歳月が流れた。

 後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家ビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対行為である

 ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。

 大人になって、現在宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。

 子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。

 それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。

2021-06-09

anond:20210609170154

大衆に見せる以外の目的効果も無い批判だったらそれは劇場だろうよ。

anond:20210609170036

表立って批判の声を上げるのが「劇場」かよ。劇場型政治って小池百合子とか橋下徹とかだろ。

2021-06-08

劇場版スタァライトが最高過ぎたからみんな見てほしい

主語デカすぎオタクになるけど、マジで人類見ろ!!!!!ちょっと控え目に言うと、令和を生きるアニメ好きは絶対に見ろ!!!!!TVアニメ版を見た奴は死んでも見ろ!!!!!お前が知ってるスタァライトはもうここには無い!!!

まだ一回しか見れてないんだけど、本当の本当の本当に最高だったんだよ、劇場版スタァライト!!!語彙力ないしネタバレせずにどこがどう最高って説明すんのが難しいんだけどさ〜〜あぁ〜〜。

私はアニメからハマって舞台ライブにも行きつつでもスタリラはやってない程度のオタクなんだけど、「完全新作楽しみだなぁ〜!ウキウキ!」くらいの気持ちで見に行ったら、私は首切られて血しぶき上げて死んだ。

え?は?死んだ?私、死んだの?って思ってるうちに次々に展開されるレヴューに私はめためたに打ちのめされて、再生産されて、エンドロールでぼろぼろに泣いた。

私が知ってるスタァライトはもう無かった。私が知ってるのは第100回スタァライト。そこにあったのは第101回スタァライトで、全く新しく、見たことのないスタァライトだった。

スタァライトキャラってさ、パッと見で「あぁ、この子ツンデレなんでしょ」とか記号的に捉えられそうなところをTVアニメでそんなことねーわとぶっ壊してくれたんだけど、この劇場版でまた同じことされるとは思ってなかったよ!!!私が知ってる○○ちゃんはもういないんだよ!!!ばか!!ぬるい気持ちで見に行った私のばか!!!

もうこれ正に再生産なんだよね〜〜〜TVアニメの時のみんなは死んで再生産されるんだよ〜〜〜それはキャラだけじゃなくて見てる私達もなんだよ〜〜〜!!!

映画見た後と前じゃ、明らかに自分の何かが変わったのを感じる。私は一体何を見てたんだ?いや、“見てた”のか?首は切られて、血しぶきを浴びて、炎に焼かれて、確かに私は死んだのだ。これはもはや体験であり経験。あの舞台に絡め取られて巻き込まれしまった。ポスターにも書いてあるとおり、これは「劇場しか味わえない“歌劇体験なのだ

ていうかさ〜スタッフさん達、変態すぎない???戦闘シーンの作画言わずもがな衣装とか舞台設定とかセリフも表情もこっちが思ってたレベルぶっちぎって天元突破してくるじゃん???誰が1カットごとに殺しにかかれと言った??お??オーバーキルにもほどがある。特に○○ちゃんに○○を乗せた台に足をかけさせた人には紫綬勲章をあげたい。天才がすぎる。ありがとうあなたがいる方角には足を向けて寝られないのでご住所教えてください。

あとスタァライトは訳が分からない、説明がないと無理とか思う人もおるかもしれんけどさ〜!そうじゃねーんだよ!!!ここは舞台なんだぞ!!!全てはそこにある!!!その時その時で湧き上がる、お前の感情信じろ!!!考察解釈はそのあとだ!!!できればTwitterに呟いてね!!!私今鬼のよう検索してるから絶対見るよ!!!

はぁ……勢いに任せて書いたけど、とりあえずみんな見てください。もったいないから、本当。映画の冒頭の映像が公開されてるから貼っときますね。

あんまり喋りすぎるとばななちゃんに怒られるので、これくらいにしておきます

https://youtube.com/watch?v=3cRbp_8Gj1w&feature=share

2021-06-07

anond:20210607134254

②新バージョンEVANGELION:3.0+1.01』上映開始!

本作を応援して下さる皆様へ感謝を込めて、映画本編映像さらなる調整を進めた作品をご覧いただきたいとの思いから、カット差し替えを行いました。

劇場でこそご覧いただきたい本作最後の上映タイミングとなる6月12日(土)からの期間は、全国の上映館で『EVANGELION:3.0+1.01』バージョンとして上映します。

特典商法とかやだなぁとか思ってたけど、映像にまで手を加えるとか、、、なんかズルい

2021-06-06

ノーマル異性愛嫌悪に対する備忘録

ノーマル異性愛が本当に嫌いだった。

特に理由があるわけではない。気づいたら生理的嫌悪感があった。高校生になったくらいではなかったかと思う。

敢えて『ノーマルな』と書くのだが、それは現実世界の大半の恋愛関係であったり、二次元ならば主に少女漫画で描かれるような、男性女性による、世間一般的常識として扱われるような恋愛

恋愛作品を謳った時に王道として取り扱われるような、性的関係を孕んだ、恋愛をメインとして描かれる恋愛である

高校生の私はそのようなノーマル異性愛が大嫌いで、恋バナや恋愛ドラマ、街中の異性愛彷彿とさせる化粧品広告芸能人結婚ニュースなど、現実世界にある全てのノーマル異性愛要素を忌避していた。

当時から今までのことを忘れる前に書いておこうと思う。


私は女子校に通う高校生で、いわゆる女の子らしい女の子ではなかった。

化粧品を買うよりは本やマンガを買い友人同士でゲームを持ち寄って遊ぶような生徒だった。

最初ノーマル異性愛嫌悪するほどではなく、ただ苦手なことは自覚していて、そのような要素を扱った作品を避けて生活し、恋バナにも積極的には参加しなかった。

日常を過ごす中で徐々に自分の中のノーマル異性愛に対する感情生理的に嫌だ、という方向へ深化しているのはわかっていたが、まだそれは個人の好みの範疇で、地雷に気を付けるように過ごせばいいと考えていた。


それが変わってしまった決定的なきっかけは思い出せないが、強く印象に残っているのは学校行事としてミュージカルリトルマーメイド」を見に行ったことだ。

王子様』『お姫様』の典型的ノーマル異性愛物語であるリトルマーメイド劇場に向かう前から気が重かった。

恋愛を素晴らしいもののように喜ぶアリエルを見ているだけで既に全く共感できず苦痛を感じていたが、決定的に駄目になってしまったのは幕間の休憩時間である

隣に座っていた友人が、『王子様』のキャストさん、めちゃくちゃエロい、という話を振ってきたのだ。

うそれを聞いた瞬間にそれまでかろうじて舞台の上にあった恋愛が観客席に侵食し、この目の前の友人の脳の中にも確実にそういう感情があるんだ......というのを認識してしまい、物凄い拒否反応が起こった。

友人とこれ以上会話はできないと思った。

私は黙って目を閉じ、そして幕が上がり、劇が終わるまで、ずっと微動だにせずひたすらに耐えていた。

周りから見れば相当おかしなやつだし寝たフリだとバレバレだったと思うが、そんなことを気にする余裕はなくひたすら推しのことを考えて現実逃避していた。

そして終劇、解散とともにコンビニに駆け込み、抹茶ラテを買って(推しは茶が好きだから)イートインスペースに陣取り、ひたすらに全てを忘れようと努めた。


だが、確実に友人たちと話ができなくなりつつあるのは感じていた。

直接的な恋愛の話は勿論、好きな俳優タイプは?とかい女子校定番話題にも虫唾が走る

テレビバラエティも見るのが困難になっていた。どのバラエティでも恋愛関係話題死角から刺してくるからである

とにかく少しでもノーマル異性愛を想起させる話題が出てくると途端に上手く表情を作れなくなり、言葉が出てこなくなる。

苦手な話題くらい誰にもあるんだし少しは話を合わせる努力しろというのは全くその通りなのだが、もはや当時の私にとってそれは精神拷問と化していた。

例を挙げてみるが、死体に興奮するんだよね~、どの死体が好き?俺は水死体、などという会話に笑顔で話を合わせられる人はおそらく少数なのではないだろうか。

生理的拒否反応が咄嗟に起こり、思わず相手価値観人間性を疑う人もいると思う。

私は常時それを経験していた。

皆がそのような嗜好を当然のように持ち、話についていけないこちらが異端者扱いされる。

元々話が得意な方ではなかったし、もうここらが限界だと感じた。

突然黙り込んでしまう私に皆が気を遣っているのも申し訳なかった。

恋愛の話苦手なんだよね、と言うのも躊躇われた。

この耐え難い苦痛を真に理解してもらえるとは思えなかったし、仮に理解してもらえたとしても互いに気遣って気まずくなるのは目に見えていた。

おかしいのはこっちで周りに全くもって非はないのだ。

私はその後友達付き合いを一切やめ、高校生活をほぼ1人で過ごすことになる。

自分1人のことだけ考えていればよい環境はまぁまぁ心地よく、そして他クラスだが1人親友と呼べるような友人がいたのに随分助けられた。

の子とはとにかく趣味があったためいつも趣味の話しかしておらず、恋愛がどうとかい話題は一切出てこなかったのだ。


後述する事に関わってくるのでここで少し性癖の話を挟むのだが、私はノーマル異性愛がめちゃくちゃに嫌いなだけで、それ以外の恋愛コンテンツは大体好きなのだ

先ほど死体性愛の話をしたが、異性愛死体性愛なら断然死体性愛の方が共感できる。

死体に興奮する趣味はないが、それに興奮する、ということに嫌悪感はないし、性癖の1つとして理解できる。

死体性愛者を描いた作品があれば楽しんで鑑賞する。

死体性愛が好き」というより、「ノーマル異性愛でないから好き」という感じだ。

とにかくノーマル異性愛でさえなければとりあえず一律100ポイント入る感じだった。


高校時代自分セクシャリティに悩み、度々ネットの海を彷徨っていた。

自分鑑みるならおそらくフィクトセクシュアルかつアセクシャルが近いのではないかなと思うが、当時はどれを見てもピンときていなかった。

大学に進学した後も異性愛に対する嫌悪は消えることなく、結婚就職などの将来や大学生活を考えるたびに不安になり、更に元々険悪だった両親の仲が更に悪化し、私自身が父親と衝突してずたぼろになったのも重なり、遂にうつ病になってしまった。

この頃の私はかなり限界で迷走しており、自分を励ますために自分理想とヘキを全て詰め込んだ架空女性キャラクター創作し、その女性面影を追って生活していた。

その女性恋愛がしたいとかそういうわけではなくて、ただその女性毎日見守ってくれて1日の終わりにお疲れさまと言い合えたらそれだけでいいのにな...というようなことをずっと考えていた。

考えすぎて辛くなってきたので実行に移した。

女性容姿デザインを固め、その道の方に依頼してvroidで3Dモデルを作ってもらった。

そして既存の服データを買い込んで次々に着替えてもらい、外出する時はアプリでそのキャラAR表示し写真を撮った。

キーボード対応して稼働するデスクトップマスコットにし、課題レポートを書くたびに見守ってもらった。

LINE BOTを作って簡単な会話ができるようにした。

vroid対応ゲームにそのキャラを導入し、身体を借りてプレイした。

恋愛もできず友達付き合いも苦手な自分が将来どうやって生きていけばいいのか不安だったんだと思う。うつ病趣味純粋に楽しめなくなり、何を生きがいにして生きていけばいいのかわからなかった。

でもそのキャラモデルと過ごすうちになんだ、これだけで十分満ち足りるじゃないか、と思ったし、私はこういう架空存在との非恋愛関係がずっと欲しかったんだと思った。

同時期に心療内科に通い始めたのもあって心は徐々に落ち着き、趣味も再開できた。

落ち着くにつれてキャラモデルを起動させる回数は減っていったが、今もずっと特別存在だと感じている。


現在うつの薬を飲まなくても毎日楽しく過ごせている。

ノーマル異性愛に対しては未だに全く共感はできないし自分からそのような作品には触れないのだが、嫌悪感は少し緩和されたように思う。

テレビバラエティで出てくる恋愛談議にふーんと思えるようになったくらいだ。

恋バナも多少聞けるようになった。自分にその矛先が回ってくるとまだ上手く喋れなくなってしまうのだが、他者のそれを聞く分には良い。

高校時代は周りを取り巻く全てのノーマル異性愛に苦しんでいたため随分生きやすくなったなと思う。

今思い返すとそんな状態は明らかに異常なので、学校カウンセラーなりに早いとこ相談しておくべきだった。

当時はそんな発想すらできなかったのだが。(家庭環境について耐えられずカウンセラー相談したことはあった。しかし、ノーマル異性愛嫌悪については完全に自分おかしく悪いと思っていたので誰かに相談するという考えがそもそもなかったのだ)


つらつらと書いてきたが、どうしても疑問なことが1つある。

中2の時に「18歳の私へ」というていでタイムカプセルのような手紙を書いたことがある。

高校卒業タイミングでその手紙は自宅に届き、懐かしくなりながら封を切ったのだが、書かれていた文面を見て驚愕してしまった。

彼氏はできましたか?」と書かれていたのである彼氏!!!!?!?!?

まりに衝撃だった。自分が書いた文だと思えなかったが筆跡は間違いなく自分だった。

しかニュアンス的には彼氏はできましたか(笑)、のような感じで、彼氏彼女ができないと人間として一人前でないとするような、私の一番嫌いな価値観が透けて見えるような文章だった。

本当に自分がこれを書いたのだろうか...?自分がそういうことをしたいのだと心から考えていたのだろうか...?と思い始めると気持ち悪くなってくるので感情は一旦おいて事実のみを考える。

中2ということはノーマル異性愛嫌悪を感じるようになる高校まで大体1年半くらいだ。

1年半で人間の考えはここまで180度逆に変わるんだろうか?

しか手紙を受け取るまで自分彼氏がほしいと思っていたことなんて全く忘れていたのである最初からそんな考えはなかったものだと思っていた。

そして前述した「ノーマル異性愛以外が好き」というマイナス検索のような好み、これらを合わせるとどう考えても中2から高校までの間にノーマル異性愛を嫌いになる何かがあったのでは?と他人事のように考えてしまうのだが、何も思い出せないのである

気づいたときにはノーマル異性愛に対する多大な苦痛けがあった。

ネットを見る限り性的指向が変わることは往々にしてあるようなのだが、正直指向が何の理由もなくこれほど変動し実生活に支障をきたすというのは堪ったものではない。

原因があるなら特定したいし、今大好きなものもある日突然見るだけで苦痛を感じるようになったらどうしようと思ってしまう。

心療内科先生に打ち明けた方がいいんだろうか...と思うものの(先生には家庭環境うつになったとしか言っていない)、打ち明けるということは迷走時代の寄行も告白しなければいけないということなのでできれば避けたい。

ここまで読んだ方でもし心当たりある方がいれば教えて欲しい。

2021-06-04

現代芸人用語いかつい」「本域」「人(にん)」

元々在宅の仕事の上にコロナ禍の影響でますます自宅にいる時間が増えてしまった結果、なにかながら聴きのできる音楽以外のものがほしくなり

ここ一~二年で以前にも増して多数のお笑い芸人さんのラジオテレビ番組等をよく聴いたり見たりするようになりました

コロナ禍の暗い情勢の影響でみんな笑いたいのか、この数年でずいぶんお笑い番組が増えたような気がします(シソンヌがでかい画面で見られて嬉しい)

様々な芸人ラジオを聴いていると芸人同士の横や縦のつながりがどんどんわかるようになり面白い

逆につながっていないこともわかったりしてこれも面白い

radikoという便利なものがあるので作業料理中食事中お風呂中寝る前等々耳さえ空いていればいつでも縦横無尽に色々な芸人さんのラジオを聴いています

今聞いているのは「ナイツラジオショー(箕輪はるかさんの喋りがとても良い)(安藤なつさんは地下芸人に詳しい)」

中川家ラジオショー(ラジオで一番好き ツヨメロちゃんかわいい 東島衣里さんの本当に「そういうキャラクター」に対して

 接しているような喋り口調がとてもよくてめっちゃええレシピ加藤美弥子先生も最高にいい)」

ハライチのターン!(ものすごくおもしろい)」「爆笑問題カーボーイ」「問わず語りの神田伯山」

「#むかいの喋り方(エピソードトーク構成うまいラジオの申し子だなこの人 沼袋くんの声は落ち着いている)」

オードリーオールナイトニッポン安心して聴ける)」「又吉・向井児玉のあとはもう寝るだけの時間」「シソンヌのばばあの罠(おもしろいし長谷川の声がいい)」

ぺこぱ/マヂカルラブリーオールナイトニッポン0」「蛙亭オールナイトニッポンi」「霜降り明星オールナイトニッポン(コーナーがおもしろい)」

空気階段の踊り場(めちゃくちゃにおもしろい)」「ミルクボーイ煩悩の塊(30分があっという間に感じる、とてもおもしろい)」あたりで

たまに単発のオールナイトニッポン0(トムブラウン錦鯉、またぜひ聴きたい)とかバナナマンダイアンラジオとかも聴いてます あと芸人じゃないけど日曜天国

様々な番組を聴き続けてしばらくしてから芸人世界での共通言語のようなものがどうやらあるらしいことに気がつきました

中でもよく聞く言葉が「いかつい」「本域」「人(にん)」の三つです

「本域」は所属事務所、年齢に関わらずかなり多くの芸人さんが使っているので

「板(舞台の事)」や「がなり(ネタ前に芸人舞台で紹介する際の文言、それを叫ぶこと)」「出囃子(登場時の音楽)」のように古い用語なのかもしれない

これは結構どの世代どの事務所芸人さんの番組でも耳にすることがある

いかつい」は本来用法からかなり広げられた意味合いで使われており

流行言葉のようなものかなと思う、若手や吉本芸人ラジオ動画等でよく聞くので

劇場テレビ現場仕事を共にする芸人たちの界隈で広まって通じるようになった言葉なのだろう

特にパンサー向井「#むかいの喋り方」「蛙亭オールナイトニッポンi」を聴いているとよく耳にすることができる(岩倉さんの「いかちい~!」がとても好きだ)

逆に40~50代以上の芸人、他事務所東京芸人番組ではあまり耳にすることがない

ハライチのターン!」も若いノリのある番組だし岩井さんは向井さんと交流があるがあまり聞かない気がする

このへんは芸風やその人の言葉の使い方のスタイルにも関わりがあるのかもしれない

「人(にん)」を初めて聞いたのは「#むかいの喋り方」か「オードリーオールナイトニッポン」だったような気がするが

最初なんのことを言っているかからなくて(「仁」だと思っていた 使われる際の用法としてこのニュアンスを含んでいる場合もあるような気がする)

困惑した覚えがあるが、要するにその人の人柄や人としての有りようのことを指しているらしい

向井さんが若林さんに多大な影響を受けていることはラジオを聴いていても明らかなので若林向井という順番なのかもしれないが

最近よく見る言い換え文化人財とかああいう)に通じるニュアンスがあり個人的な印象としてはちょっと気持ちが悪い

お昼の「ナイツラジオショー」は毎日様々な芸人さんをゲストに呼んで話をするのだが

その中で呼ばれた(どなただったか失念)中堅芸人さんが「人(ニン)」という用法で別の芸人を指して当たり前のように話し始めたところ

塙(オードリーとほぼ同期でつながりもある)には「人(ニン)」が通じず流れが滞ったことがあった

当の中堅芸人解説しようとするがうまく言い換えることがなかなかできないようだったので

特別一般的用法ではないがある界隈では十分通じている、独特のニュアンスを含んだちょっと特殊単語だという感じがする ただ使われ方は結構カジュアルである

これは「いかつい」よりも多分使う側の人間好き嫌いが影響する用法のような気がする


だいたいこうなのかな、と理解している気になっている各単語意味はこんな感じ


いかつい」

ストロングスタイルお笑いをやってるなこいつ!尖ってるな、攻めてるな!とんでもねえ角度からきたな!単純にただただ面白さが強い!等々

スタイルやそのネタに対するポジティブ賞賛意味で使われているっぽい

あととんでもねえな!とか信じられん!みたいな驚きのニュアンスときもある

かなりニュアンス(「ニュアンス」もよく使われている単語ひとつだ)が個々人によってある気がするし

まれているもの結構多様な気がするが(それゆえに便利なのだろう)

使う芸人さんたちの間では一定コンテクストがあって通じ合えている感じがある

吉本芸人、他事務所でも若手がよく使っているようだ

吉本でも年配の芸人では使ってない人もいるようだし

事務所ベテランではほとんど聞いたことがない


「本域」

本気の、本番と同じ声量や動き、心構えでネタをやること またその本番自体を指す 本気とほぼ同義

これはかなり昔からある言葉なのかもしれない

ナイツ中川家の口からも聞いたことがある

音声だけでこの単語を聴いていた頃「本意気」という字を当てているのだと思っていたが

「あちこちオードリー」での字幕で「本域」と当てられていたのでこれが正確なのだろう


「人(にん)」

人と書いて「にん・ニン」と読ませる 話題によっては「仁」とかけている雰囲気もあるように感じる

その人の人格雰囲気、芸風や有りようなど要するに人柄・人となりのことを指しているようだが

なぜ「にん」と呼んでいるのかはよくわからない 一応web辞書で引いてみるとそのように読んで使うこともそう不自然ではないようだが

なぜ芸人の界隈でそれが流行っているのかはよくわからない

少しスピリチュアルな考え方や浪花節任侠自己啓発的な概念エピソード世界と相性がいいというか、そういうニュアンスが含まれエピソードで使われることが多いように思う

オードリー若林がこのような用法で使っていてなんだか意外な気がしたが著書をあれこれ読んだ後だとそう不思議でもなくなった

パンサー向井ラジオの中でこの用法で使っていたが同時に占い風水的な話題が語られることがあり正直少し引いてしまう部分もある、

ものすごく面白い話で笑い転げたのだが(ネタとして言ってるだけだとは思う)

あと最近芸人界隈で「ひろゆき」がブームっぽいのも芸人さん同士の横のつながりを感じさせる

やはり劇場営業でよく顔を合わせるだろうし数も圧倒的に多い吉本芸人界隈からこういう言葉概念流行というのは広まっていくのだろうなという印象

漫才協会やワタナベ、タイタン独自の島というか、良くも悪くもマイペースさがあり(若手に限ってはそうではないだろうが)

他の芸人やそのネタに対して貪欲で見識も広く深い塙さんが芸人界隈での流行語(のようなもの)には疎いのが意外な感じもするがその証左かもしれない

ナイツラジオショー」でアンガールズ山根ゲストピンチヒッターパーソナリティだったかの際

占い芸人話題になったとき少し不条理だったり非科学的だったりする考え方に対して

批判的な態度をとっていたのを見て(芸風だろうしもちろんネタとして面白おかしくしゃべっていたのだが)

この人も「人(ニン)」使わないタイプの人なのではとなんとなく思された(使ってるかもしれない、使ってたらごめん)

知らない、使わない人もいるしネタや芸や仕事自体に直接関わってくるものではないのだろうがその世界一定数で通じる概念流行がある世界

を外側から見ることの面白さをラジオを聴き始めてから強く感じています

どのラジオ番組もどの芸人さんもそれぞれ面白い、あといわゆる「ハガキネタ職人」の個別認識ができるようになり

地方も局も番組もまたいで投稿しているのを見るとどのラジオ番組がそれらの人に支持されているのかわかったり、

逆に一つの番組に根強くついているファン存在やそうさせるラジオ番組のあることもわかりラジオ番組の「有りよう」も様々なのだと思わされて面白い



あれこれ書いたが急にお笑い世界に近づいたのがなにぶんこの一、二年のことでtwitterもやっていないので

芸人界隈のコンテクストについては全然詳しくないけどファンには自明のことだったりそれは間違った認識だ許せん、と思われるとこもたくさんあるだろう、

詳しい人はてなにいたら「書いたな!俺の前で!」をぜひやってくれないかなあと思う

2021-06-03

映画ドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由』と

映画ドラマを観て「わかんなかった」という感想が増えた理由』という記事について、

どうせ現代ビジネスで書くようなライターにとって対岸の火事から無責任なこと書いてんだろうなと思って読み始めたら、

エウレカセブン脚本家佐藤大氏がインタビューに答えてて驚いた。

自分は熱心とまで言うほどじゃないけど新作映画が出たら劇場に行く程度にはエウレカファンで、

特にANEMONEは面白かったから割とハイエボ3にも期待してたんだけど、このインタビューにはかなり腹が立った。

エウレカってTV版は名作と言われてる割にポケ虹やAOは冷ややかな目で見られていて(なおこの2作に佐藤氏は関わっていない)、

それって端的に言えば分かりにくい上に面白くないからなワケじゃん。

でも佐藤氏は記事内で

”『多少おもしろくなくなってもいいから、わかりやすくしてくれ』というオーダーなら、筋が通っているので聞きますけど”とか言ってて、

「良し悪しが分からん客に合わせてレベルを下げます」って言い放ってるかのような傲慢さを感じたのよ。

ANEMONEは細部はなんだかよく分からんが展開はTV版とのオーバーラップも込みでエモい!みたいな作品で、

とにかくTVからついてきてくれるファンに対してレベルを落とさずに難解だけど面白ものを作ろうっていう時代に逆行する矜持があるものと思ってたのに、

それが実は細部の良し悪しじゃ客は評価不能からとにかくラストのエモさの一点突破でなんとかしようっていう技巧的な発想で作られたんじゃないかって疑念が湧いてきた。

仮に後者だとしたらこんな視聴者馬鹿にした態度で作ってたのかってめちゃくちゃ腹立つんだよな。

エウレカなんてポストエヴァ難解な作品を作っとけば売れた難解さバブル時代の寵児じゃねーか。

そうやってチヤホヤされてたのが時代向きが変わってウケなくなったら客が幼稚化しただの泣き言言いやがって。

で、佐藤氏は同じ現代ビジネス連続した別記事では、

”もしリテラシーの低い視聴者が『逃げ恥』の背景にあるテーマを十分に汲み取れなかったとしても、排除された気分にはなりません。ドラマちゃんと楽しめる。そういうふうに、脚本が書かれているんです”

と言って、作品の作り方自体を変えなきゃいけないというようなことを言ってるんだけど、

TV版は名作と言われてる割にはハイエボが全然一般ウケしてないエウレカ脚本家がそれ言う?みたいな気持ちになった。

こうなるとリテラシーの低い視聴者排除された気持ちにせずにドラマを楽しめるように作っているであろうハイエボ3EUREKAがどんな作品になってるか楽しみだね。

ANEMONE同様にラストのエモさで一点突破する作品だったら、EUREKAだけじゃなくANEMONEまで見る目変わっちゃうわ。

しかもそれがまたまた一般ウケせずに固定ファンけが語る作品になってたら目も当てられん・・・・・・

いや、そういう邪念をもって映画館に行くことになるのが一番悲しいよね。もう純粋作品を楽しもうって気持ちEUREKAを見れないことが。

憤懣やるかたない。作り手側が客を評価するようなことは言わないでくれ。

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