はてなキーワード: GAINAXとは
ふしぎの海のナディア新世紀エヴァンゲリオンやグレンラガン等々多数のヒットアニメを作ったガイナックスが倒産した。
最近何かおかしかったみたいだもんなぁと調べてみたら昔からエグい事ばかりやっていたのが出てきてきつい。
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2000年にはコンプティークで女子社員達にあの手この手でエロエロハラスメント強要企画を連載、女子社員ミニスカパンチラボーリング大会でローアングルから激写ドベは罰ゲームでパン1。
ガイナックス創始者の岡田が権威を利用して声優コスプレイヤー多数に手を出し、彼女達を性奴隷扱いする下劣な品評リストをネットに上げて流出、自分が書いた正真正銘本物だと認め
イベントに連れて行った彼女や妻を略奪された男達や、被害女性達が続々声を上げ、カルト的な洗脳、土下座強要顔踏みつけ脅迫等色々明らかに。
竹熊健太郎も岡田に招かれた講演会で語った内容を彼の『オタク学入門』に丸々パクられる盗作被害と陰湿な営業妨害被害暴露。
ガイナックス社長巻智博容疑者が、自身のプロダクションと専属契約を結んでいる少女を家に連れ込み裸撮影わいせつ行為等で逮捕。
「ガイナックスインターナショナル(GAINAX International)」
https://gainax-international.com/
https://map.yahoo.co.jp/v2/place/uFcN0htKsEo
「GAINAX WEST」
映像コンテンツの倍速視聴に関する話題を目にして、ふと思い出したことがある。以下に記すのは、個人的な昭和の思い出話である。
歳の離れた兄が買っていた『SCREEN』と云う映画雑誌が、実家の本棚に何冊も置かれていることに気づいたのは、私が小学校の高学年になった頃だった。裕福な家庭ではなかったので、我々兄弟は一つの部屋を共有して過ごしていた。だから実際には、もっと以前から、その雑誌が本棚に置かれていたことを私も知っていた。したがって、正確に言えば気づいたではなく、興味を持つようになったと言うべきであろう。
それらは70年代に発売されたもので、ちょうどSF映画、オカルト映画、パニック映画が流行した時期に該当する。だから、これらのジャンル作品のスチール写真を載せたページを眺めるだけでも、子供には十分に楽しめたものだった。
やがて、そう云うビジュアル記事を眺めるだけでは飽き足らず、活字の部分にも目を通すようになった。最初は、やはりSF、オカルト、パニック作品に関係するところから読み始めたが、それらにも限りが有る。こうして、あまり子供向けではない記事にも、当時の私は目を通すようになっていった。現代とは異なり、地方の非富裕層の家に生まれた子供には、娯楽の選択肢が極めて少なかった。従って、ほとんど已むを得ずと云う形で、元々は興味対象外だったものにも手を出すことになったと云う次第である。私と似た境遇に在った地方の名も無き小中学生も、私と大同小異の経験をしたのではなかろうか。例えば、家に置きっぱなしにされた古いジャンプ/マガジン/サンデー/チャンピオンを、何度も何度も読み返し、その結果として、元々は興味が無かった作品の魅力に気付かされたといった、そう云う経験のことである。
話を戻すと、こうして結果的に活字記事も読むようになった私は、雑誌『SCREEN』に淀川長治の連載記事が掲載されていることに気づいた。当時の子供でも、淀川長治の顔と名前は知っていた。テレビに出て「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」のセリフを言うことでお馴染みの、有名なオジサンであった。その連載記事は、読者からの質問や相談に淀川長治が答えるコーナーであった。
読者から寄せられた「僕は映画監督になりたいのですが、どうすれば映画監督になれますか?」と云う質問に、淀川長治は次のような回答をしていたと私は記憶している。
「こうすれば映画監督になれると云うような、確実な方法や手段は無い。それは無いが、強いて言うならば、同じ映画を十回は観なさい」と。
馬鹿な小学生だった私は、これを読んでも何のこっちゃとしか思わなかったが、世の中には淀川長治が言わんとするところを正しく理解して、きちんと実行した人も存在したのだった。それを後に私が知ったのは、中学生になった頃、GAINAXが初の作品『オネアミスの翼』を製作・劇場公開した時のことである。
中学生になった私は「何だか凄いアニメ映画が、若手クリエイターたちによって作られて、劇場で公開されるらしい」との情報を知った。知ったは良いが、そこはド田舎に暮らす非富裕層の哀しさである。公開する映画館は近隣に無かったし、そんな映画館が有る都市部まで行く手段も無かった。当時の私に出来ることといえば、劇場公開に合わせて発売されたムック本を、少ない小遣いで買って、それに掲載された場面の絵を見て、実際のスクリーンで動いているところを想像することぐらいであった。これもまた、同じような経験を持つ人がいることだろう。なお、そのムック本には物語の最後の場面までしっかり掲載されていたので、話そのものに関しては、当時の私も知ることができた。
さて、映画の場面を載せたビジュアル記事を読み終えた私は、もちろん活字記事の部分にも目を通した。そこには、本作品で監督を務めた山賀博之氏のインタビューも掲載されており、映画監督を目指そうとした山賀氏の若き日の思い出も語られていた。その思い出話こそが、淀川長治の「同じ映画を十回は観なさい」に関する話なのである。
雑誌『SCREEN』の淀川長治の当該記事を読んだ当時の山賀博之氏は、その教えどおり、同じ映画を十回観たと語っていた。ちなみに、実際に山賀氏が十回観た作品の例として挙げていたのは、少年野球チームの少年少女とコーチの奮戦を描いた、アメリカ映画『がんばれベアーズ!』である。テイタム・オニール、かわいい。山賀博之氏が語ったことは、概ね以下のようなことであった。
「最初の2〜3回目は、普通に観客として楽しんで観ているだけ。4〜6回目辺りは、もう観たところばかりだと思って、飽きて退屈する。それが7回目頃を過ぎると今度は、場面場面で作り手が何をしようとしているのか、ココで溜めてココで盛り上げようとしているんだなとか、画の見せ方とか、そう云う作り手の意図に気づき始める。同じ映画を十回観ると云うのは、こういうことかと理解した」やはり、何かを成し遂げる人は同じ文を読んでも、凡人とは違い有益な学びを得る能力が高いということなのだろう。
ここで紹介した淀川長治氏の教えと山賀博之氏の実践エピソードは、あくまでもプロを目指す人たちに向けた話なので、我々一般人とは関わりの無い話に思えるかもしれない。また、現代はコンテンツの数量が昔よりも多い時代なので、一つの作品を繰り返し読む/観るという時間的な余裕が無い現代人が大半だろう。しかしそれでも、一つの作品を繰り返し味わうこと、そして運が良ければ、そのリピート鑑賞を通じて何かを気付く/発見することは、貴重で豊かな経験であると私は思う。倍速視聴をしてまで観る作品の数を増やすことにも、一定の理由や合理性は有るのだろうとは思うが、何かしら自分のレーダーに引っ掛かるモノを持つ作品に出会った時には、少しだけ立ち止まって、それを繰り返し味わうことも試してみるのも一興ではないだろうか。
ここまで書いた上に蛇足だが、もう少し思い出を書き残す。昔、Blu-rayやDVD、レーザーディスクはおろか、家庭用ビデオすら普及していなかった時代の思い出話である。その頃は、アニメ映画作品の音声を収録した、LPレコードやカセットテープが販売されていた。(一部では家庭用映写機で上映出来るアニメ映画作品のフィルムテープのリールも販売していたが、これを買って楽しむことが出来るのは、本当の金持ちだけだった。)私は子供の頃、この手の音声収録レコード商品の一つ『ルパン三世/カリオストロの城』を所有する人物から、兄弟のツテでカセットテープにダビングしてもらい、それを何度も何度も繰り返し聞いて、頭の中では『水曜ロードショー』で観た『カリ城』の映像を想い起こして楽しんでいた。この体験のおかげで、私は今でも『カリ城』の全セリフを暗誦できる。何の自慢にもならないが。
そして、歳月が流れた。
後に社会人となって働き始めた兄が、VHSビデオデッキを買ってくれたので、我が家もビデオを利用できるようになった。金曜ロードショーで放映された『カリ城』を録画すると、当然それも繰り返し何度も視聴した。カーチェイス場面などはコマ送り再生で作画をチェックしていたので、倍速視聴とは正反対の行為である。
ほどなく小さなレンタルビデオ屋が我が町にも出来て、兄がスプラッター映画とかゾンビ映画とか借りてきてくれて、一緒に楽しんだりもできるようになった。古い『SCREEN』の記事を読んで、勝手に凄い作品だと思い込んでいた『巨大蟻の帝国』や『スクワーム』が、実際の映像を観るとショボい作品であることも思い知った。
大人になって、現在の宮崎駿のことは反吐が出るくらい大嫌いになり、ルパン三世作品としての個人的な評価も、軍配は『vs.複製人間』の方に上げるようになった。
子供の頃には観ることはおろか、存在を知ることも叶わなかった様々な作品の数々を、今では視聴して楽しむことが出来るのだから、明らかに子供の頃よりも、現在の私は恵まれている。
それでも、熱に浮かされたように古い映画雑誌を何度も読み耽って、観たことも無い映画の内容を勝手に想像したり、何度も何度も『カリ城』のカセットテープに耳を傾けて台詞を暗誦していた子供自体の思い出は、それらが経済的な制約から生じた行為だったにも関わらず、何だか私には宝物のように思えるのである。ただのガラス玉が宝石より愛しく思えるように。
「クレしん映画と昔のGAINAXはかなり昔からの兄弟なんですよ」
って話で説明する切り口か、
「成人向け作品のアレですよね?」
という方向になる。
他の深夜アニメよりもクレしんや、成人向けのほうがなぜか本格的にエヴァンゲリオンしてるように見えるんだよ
クレしん映画は全部見た上に、オトナ帝国と暗黒たまたまについては何十回みたかさえもう覚えてないほど見たし、成人向け作品についてはここ2年のものなら浴びるほど読んでる
エヴァ自体で話すと結局たどり着くのは「庵野秀明監督のし小説」論なのだが…もっとこう…純粋に「世界の見え方」を話すと…
「庵野監督の私小説論」としてエヴァの感想や考察を書くのが1つの正解なんだけども…エヴァが好きな人のための感想になりすぎて、同じ事やりたくないんだよなぁ…。
「作品を見て世界の見え方が変わる驚き」っていうのがどの作品にもあって、当然エヴァもそこで大きなインパクトを持ってるんだから
自分で言うのも何だけど、ぼくやっぱけっこう昔の人なんだわ。
今の人にしては素直じゃないし、真後ろの世代の人達ほど浅い意味でのデータ主義でもない。
ネットにいるけっこう昔の人はね…素直に実力を成果物に落とし込む能力は低いが、モノを見る時にデータやセオリーに囚われない個性がある
けっこう昔の人ってめんどくさいやつな反面で、一度勉強したら忘れないような体験をする感性・深く掘り下げる根気を持ってる人けっこう見るんですよ。
山田哲人の不振について、野球ファンの人と話す機会があったけど、ぼくに言わせると山田哲人って真面目で素直過ぎるからこそ知恵を手に入れると迷うんです…。
知恵が本当に知恵ならいいんだけど、浅いデータ主義・一般化されたセオリー止まりのものだと彼は退化するんですよね…。
素直ゆえに
イチローの凄さって、「データやセオリーを実体験で修正する能力」で、キャンプで体を大きくしすぎて春先に出遅れる経験を繰り返すうちに、【キャンプで体作り】みたいなセオリーを疑い、違う方向に走って正解を見つけてるんですよね。
昔のすごい人って優れた感覚を感じさせる話がある
今の50前後まで来るとデータを感覚で修正する能力やセオリーを疑う・自分の中での公式を作る能力が高い人がけっこういる。
最近になって新庄剛志が外野手について自分の考えで世の中ががたどり着いたセオリーを正してるのも、その1つ。
今の40過ぎぐらい、こういう「一時的に優秀なコーチと二人三脚で成功するぐらい素直なんだけど、真面目すぎて一度迷ってしまうと長い眠りについたり、最悪そのまま引退する選手」って増えた気がする。
現代野球に合った調整や登板間隔を見つけきれてないのもあったが…根っこにあるのは素直すぎたこと
今アラフォー生き残ってる人ってそもそもセオリーにハマらないタイプや癖が強く独特の偏屈さを持ち合わせてる選手が多いんだけども…そういう人ってセオリーにハマらないか、自分なりにセオリーを微調整する優秀な感覚を持ってたんだと思う。
どこの球団にも頭悪い人はいるけど、セ・リーグファンの頭悪い人は他球団への攻撃性がやたら高い人がいる。
結構前から蓄積したデータや、本人のインタビューをもとに発言したつもりでも、それがネガティブだとクソリプ飛ばす人がいる
パは根拠がある発言には素直なファン多いから文化の違いを感じる
ちなみに、阪神ファンのことじゃないです。
というか、西日本の球団のファンってセパ問わず、自分からネタにしていくファンが一定数いるせいで、他球団に「不敬だぞ!」「無礼だぞ!」みたいに突っかかる人の割合が少ないんですよね…。
シャフトの新作TVアニメ『アサルトリリィ Bouquet』が発表された。
【#アサルトリリィ交流会】
✨ビッグニュース!✨
シャフト制作による新作アニメーション『アサルトリリィ BOUQUET』制作決定!
▶アサルトリリィプロジェクト公式サイトOPEN→ https://t.co/DCydMWQpBv#アサルトリリィ #シャフト pic.twitter.com/1TR1bg4cRC— アサルトリリィ公式 (@assaultlily_pj) 2019年10月13日
今後追加スタッフの発表でも名前がなければ、シャフト制作でメインスタッフに彼がクレジットされていないTVアニメは2006年の『REC』以来十数年ぶりということになる。(ソースはウィキペディアなので情報の正確性に疑義あり)
シャフトは2004年の『月詠 -MOON PHASE-』以降、新房昭之が中心となってテレビシリーズを制作してきた。
多くの新房昭之監督作品では副監督やシリーズディレクターを別に立てることが多く、近年では彼が総監督としてクレジットされ、別に監督が立てられるパターンが多い。
2007年以降に制作されたTVアニメの全てにおいて何らかの形で彼が関わっている。
そんなシャフトのTVアニメから新房昭之の名前が消えるというのは、ちょっとしたニュースなのでは?と思った。
まあ、実際のところは……
シャフトは2001年〜2005年の間にGAINAXと共同で制作を請け負っていた時期があり、『アサルトリリィ Bouquet』の佐伯昭志監督はその時期に『この醜くも美しい世界』『これが私の御主人様』で監督をしていた人物である。
つまり、今回の制作はその頃のGAINAX×シャフトの座組みのようなものと考えるのが妥当であろう。
佐伯昭志はGAINAX所属であるが、ガイナはご存知の通り現在は制作部門がほぼ機能していない状態なので、元請けとしてはシャフトが単体となった、というのが素人目で見て考えた真相かと思われる。
放送前からあのGAINAXの新作が!みたいにアニメ専門誌で取り上げてた。
自分はナディアを見てなかったので、いまいちピンと来てなかったし、たいして期待もせず、ただ新作アニメだから一応見ておくかくらいのテンションの低さで見始めて………あまりのすごさにブッとんだね。
演出からストーリーからなにから、当時の他のアニメ(スレイヤーズとかガンダムWとかありましたな)とは根本的に異なっていて、頭ひとつふたつどころじゃない、飛び抜けたものを感じた。
こう感じたのは当然自分だけではなかった。
キャラクター人気投票を行えば、女性部門では綾波レイが常に圧倒的1位、碇シンジが男性部門1位。
全26話放送終了後は、みんな放心状態みたいになってた。エヴァ関連書籍が雨後のタケノコのように出版された。
一番初めに作られたエヴァ初号機のフィギュアをわざわざアニメイトまで見に行ったのをよく覚えている。微妙に出来の悪いものだった。中3のときには箱根湯本駅まで聖地巡礼に行った。初めての劇場版は、事前に映画鑑賞券を購入すると特典としてオリジナルVHSビデオが付いてきた。特典目当てに映画館の周りに長蛇の列ができて、異様な光景だった。
初めてのセル画展は千葉で行われた。それももちろん見に行った。
とにかくみんなエヴァに夢中だった。
劇場版を見たら、ファンや観客を揶揄するようなシーンが多々あり、だんだんエヴァ熱が冷めていった。
そして劇場版Airで決定的に「ああ、これはもう無理だ、受け入れられない」と思って、私はエヴァから離脱した。
でも思春期の中であんな衝撃を受けてしまったからね、もはやエヴァは自分の中の一部になってしまっている。
いまでもテレビシリーズに限っては忘れられない(忘れようとしても忘れられない)。
何度繰り返し見たことか。何度絵コンテ集を眺めたことか。スキゾ・パラノという用語やレゾンデートルという用語も中学生にとってはとても深遠なものに感じられた。
今ではそれらの用語は時代遅れの精神分析用語だと分かるけど、当時はそういった用語になにか真理が隠されているように思えた。
このまえ、AbemaTVで26話一気放送をやっていたので10数年ぶりにエヴァTV版を見たのだが、変わらぬ衝撃、変わらぬ面白さだった。ストーリーもさることながら演出やアニメーションの動きが素晴らしくて鳥肌が立つ。
そうそう、深夜の再放送といえば、たしかそれを見てナインティナインの岡村さんがエヴァにハマったんだよ。
当時、オールナイトニッポンでナインティナインの回はよく聴いていたからよく覚えている。
自分語りが多くなってしまって話が支離滅裂になってしまったけど、自分から見たエヴァンゲリオンは、深夜放送のずっと前から、放送途中から熱狂的に、狂信的にアニメファンからウケていた。こんなヘタな文章でごめんね。言いたいことが伝わっただろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20151013094416
これ青二才のことかな。彼のブログ、オタク関係と仕事関係には口出さなきゃそこそこまともなのにね。おとなしくフリーゲームと飯レポとココロの病気だけ書いてればいいのにいつまで経っても身の程知らないってのがな。そういうところが彼らしくて好きな人多いらしいけどね。
アニメだとかオタク関係の記事に関してはほんとにつまらないし的外れだしいつもだいたい一周遅れのことをあたかも自分だけが考えたことのように書くから読んでてつまんないんだよね。オタクを自称している割には、一般人がメイド喫茶冷やかしてきた感想程度の中身しか無いの。書いてる内容が部外者の意見なの。オタク作品を楽しめないオタクですアピールしてる。それで僕はオタクとしてすごいですって言われてもお前の書いてる内容、こじらせたり意識の高いオタクですらなくて「お客さん」でしかない。コミケに来てマナー守らないではしゃいでる空気よめない人たちと一緒なんだってことにいつ気づくのかな。違うって言うなら押井作品やGAINAX作品について語ればいいのにビビって語ろうとしないしオタクとしては何もかもが中途半端でつまらない。
結局、目利きとして評価されるためにはいくらダメな作品や気に入らない人間を貶しても無駄で、面白い作品をどうおもしろいかを説明する力が必要なんだろうと思うので俺も彼のことはどうでもいいから自分が面白いものをもっと上手に説明できるようになりたいわ
進撃の巨人もまおゆうも「ワナビ上がりが書いたんだけど、運良く世間に評価された」「過大評価」って言う軸でdisってんだよ。
てか、本人もdisの自覚はなくて「クレバーで分析力のあるオレからみると二つの作品はこういう弱点あるのよねぇ」みたいな話だと信じ込んでる。
本質は、成功した同類(だと青二才たちが信じている若手創作者)に対するルサンチマンでしかないのよ。
GAINAXも大阪芸大のアニメサークルが無謀にも集団上京して大乱戦の末自分たちの席を見つけたという経緯なわけで、dis対象としては同じ系列のハズなのだけど、自分たちからは世代が隔絶してるからコンプレックスが刺激されないで済むってだけ。
83 六神合体ゴッドマーズ(アニメ)J9シリーズ(アニメ)
89 鎧伝サムライトルーパー(アニメ、サンライズ) ・TM NETWORK(芸能)
90 天空戦記シュラト(アニメ)魔神英雄伝ワタル(サンライズ)・魔動王グランゾート(サンライズ)
91 新世紀GPXサイバーフォーミュラ(サンライズ)沈黙の艦隊(漫画、モーニング)
92 美少女戦士セーラームーン(漫画、なかよし)ドラゴンボール(ジャンプ)炎の蜃気楼(小説)B'z(芸能)
95 新世紀エヴァンゲリオン(アニメGAINAX)新機動戦記ガンダムW(サンライズ)るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-(ジャンプ)
96 ゲーム全般(アンジェリーク、ザ・キング・オブ・ファイターズ等)SMAP(芸能、ジャニーズ)新本格派ミステリー小説
97 ファイナルファンタジーVII(ゲーム)
98 爆走兄弟レッツ&ゴー!!(漫画、コロコロ)封神演義(ジャンプ)KinKi Kids(ジャニーズ)
99 幻想水滸伝(ゲーム)ファイナルファンタジーVIII (ゲーム)V6(ジャニーズ)
03 機動戦士ガンダムSEED(サンライズ)
05 機動戦士ガンダムSEED DESTINY(サンライズ)おおきく振りかぶって(漫画、アフタヌーン)
06 家庭教師ヒットマンREBORN(ジャンプ)銀魂(ジャンプ)テイルズ オブ ジ アビス(ゲーム)
08 機動戦士ガンダム00(サンライズ)ヘタリア(漫画、ネットコミック)
09
備考:新谷かおる・犬夜叉・金田一少年・スプリガン・十二国記・ファイアーエムブレム
sp数不明で保留:高機動幻想ガンパレード・マーチ('01)
09はイナズマイレブン、忍たま乱太郎、10年はデュラララ!!など小粒な流行
年表入りの基準
97年以降:週刊少年ジャンプ・アニメ・アニメ化後のブレイク500sp以上
中でも大流行したのは
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を観に行った。2007/9/7金曜日歌舞伎町ミラノ1。仕事帰りだった。18:00に劇場に到着してチケットを購入し、そのままホワイエに通された。カウンターでパンフレットを購入してその後、モスでモスバーガーセットを購入。オレンジジュースを飲みながら時間を潰した。17:00の公演を逃して、次は19:15。公開時間まではあと1時間近くある。買ったパンフレットを眺めながら、まだ残暑の厳しい外に比べてエアコンディショニングされた劇場のホワイエで、ふと周りを見渡してみる。
そこに居たのは全く自分と同じ人々。年齢は20代後半から30代にかけて。それ程多くない。男女比率は同率程度。
10年前、僕は同じ劇場でエヴァ劇場版のAirを観た。それは高校時代後半の全てだったエヴァの最後を見届ける為、同時代のグルーヴ感を感じる為だったと思う。深夜、TV局が行列に並んでいる人に取材している姿を横目に見て僕は「お前らには絶対にわからねぇよ」なんて悪態をついていた。
あれから10年が経ち、僕はまた「ヱヴァ」を観に来ている。庵野秀明が全身全霊をかけて、僕達に叫んだ「お前ら、こんなもの観てるんじゃねぇ!」という叫びも虚しく僕は今、ここにいる。それは自分が選んだ道だけど、それでもスーツを着てここに並んでいる自分の姿は、傍から見て、とても滑稽だろう。
僕は携帯を取り出してさっき彼女から貰ったメールの返信を打つ。「大好きなのに・・・」と始まる彼女のメールを見て、お昼過ぎの痴話喧嘩を思い出す。二人はとても仲が良くてお互いがお互いの事を最も大切に思っているから、ちょっとした事で喧嘩をする。それは自分の気持ちが相手に上手く伝わらないジレンマのようなものだ。メールには友人と飲みに行くと書いてある。僕は「さっきはごめん。今日はゆっくり楽しんできてね」と携帯の単語予測から選択して手早くメールを作成し、彼女に送信した。
携帯の電源を落として改めてさっき並び始めた列の後ろを眺める。長蛇の列は劇場脇にある入口からホワイエまで続いている。優に40m近くはある。それが劇場両脇にあると思えば大した人数である事が予想される。
「何故僕は今、ヱヴァを観るのか。」
この問いはここに来る前からずっと僕の頭の中でループしている。その答えはきっと庵野秀明によってフィルムで示される筈である。でもそれ程多くは期待していない。何より僕は当時に比べて歳を取ったし人生経験も積んだ。離婚も経験した。それは僕の心に大きく影響して、僕の中から少しづつ童心の純粋さは失われていった。それを肌で感じていた。僕は十分に大人だ。それも随分腐った大人になっていた。当時とは違う。そんな事を考えながら立ち続ける。
凡そ40分後、劇場のドアは開けられた。中は比較的広く清潔だ。多分リニューアルしたのだろう。10年前とは違っていた。僕は中央付近の良い席を取る事ができた。席に荷物を置いてビールとポップコーンを買いに行く。ビールを飲む辺りに親父臭さを感じる。
席に戻ってポップコーンを摘みながらビールを飲む。果してどんな作品を観る事ができるのか。僕はとても楽しみに、少しの絶望を抱えながら、それでも楽しみにしていた。GAINAXの「トップをねらえ!2」に絶望し、「グレンラガン」に次世代性を読取った僕が、庵野秀明の最先端に触れられる瞬間である。時代を築いた映像作家の最新作。否が応にも期待が膨らむ。僕の前に「ヱヴァ」はどんな姿で現れるのか。ネット等で事前知識を何も仕込まずに観に来たのは、それが一番純粋に作品に触れられる方法と考えたからだ。僕はやっぱり何かが変わる事を期待していた。庵野秀明が何かを変えてくれることを期待していた。
映画は静かに始まって、劇的に幕を閉じた。
興奮する観客の中で一人僕はうっすらと涙を浮かべていた。それは感動の涙である。「ヱヴァ」は「エヴァ」ではなかった。それは全く同じキャラクターと世界観で描かれた純粋な二次創作物だった。「エヴァ」で面白かったと思われるエピソードを凝縮し、解像度を上げ、劇場作品として耐えられるクオリティにまでベースアップして新しく作られた「エヴァ」だった。「ヱヴァ」は「エヴァ」ではない。それは様々なガジェットで示されている。「エヴァ」が「ヱヴァ」としてリメイクされた理由、それは庵野秀明が「閉塞した時代」に風穴を空けようとした、という一点に収束する。「エヴァ」が批評的であり、文学的であり、映像芸術的であったことに比べて「ヱヴァ」は極めてアニメ的だった。それは「時をかける少女」が極めてアニメ的手法によってそれまでのアニメーション作品には無い全く新しい映像表現を目指した事とシンクロしつつも少しずれた感性である。
アニメ外の人間だった庵野秀明がアニメ内に入りエヴァで再びアニメ外に出て行ってしまった、しかし10年の時を経て再びアニメ内に戻ってきた。この波は彼が「ナディア」から「エヴァ」に到る際に経た道程と同じではないか?「ナディア」を撮って、もうアニメは撮れないと言っていた庵野が再びフィルムを撮ろうとした、あの「エヴァ」に到る道程と酷似してはいないか。
表現者・庵野秀明の本気は恐ろしい。彼の本気は時代を動かす。「ヱヴァ」は庵野秀明の憂さ晴らしでは終わらない。彼は再びアニメーションという表現を信じる事ができた。彼は再び物語が持つ強度を信じた。その事が僕にはとても嬉しかった。彼が10年前に三行半を突きつけたアニメーションを、どんなに蔑まれてもずっと追い駆けてきた僕は、そこに一筋の光明を見る事ができた。庵野秀明が再び信じたアニメーションという表現手法。それは日本が世界と鎖国し独自の文化として大切に育ててきた集団芸術、総合芸術である。宗教に並びうる文化的発明と言い切ってしまっても構わない。
アニメーションには未来がある。SFは子供たちに夢を届ける。ぼくらはそのファンクションを十分に生かして自らの人生を豊かにしなければならない。次世代へ繋ぐ夢を語り続けなければならない。素晴らしい芸術作品を創作し続けなければならない。素晴らしい芸術作品の下僕として作品に仕えなければならない。
ピラミッドが何故素晴らしいのか?万里の長城が何故人々に感動を与えるのか、東大寺の大仏や金剛力士像が何故現代でも価値を持ち続けているのか。その事について僕達は自覚的にならなければならない。ゴシックの大聖堂が持つ光と影が作り出すドレープの豊かさ、そういった表現が何故我々の心に届くのか。全てはたった一つの事に気づく事で理解できる。芸術とはそういうものだ。
「ヱヴァ」はその意味で十分に芸術作品足りうる。つまり「エヴァ」とは違った芸術的価値を持つ作品である。
「ヱヴァ」を観て涙を流した僕が思った事。それは「庵野秀明の帰還」と、「エヴァ」ではない全く素晴らしい作品の誕生の瞬間に立ち会えた事である。世界はまだまだ素晴らしい出来事で溢れている。