はてなキーワード: ハウルとは
聖地巡礼とは中世ヨーロッパの封建社会においてキリスト教徒のあいだで流行した、キリスト教の聖地であるエルサレムを訪れる宗教的行動である。
転じて、現代においてはアニメや映画などの熱心なファンが、創作物やキャラクター縁の地を訪ね歩く行為を指す言葉として使用されるに至った。
私も昨年度から今をときめくアイドルグループ乃木坂46好きが高じて、(暇を持て余していたことも手伝い)彼女たちが番組のロケで訪れたり雑誌等メディアで紹介したりしていた場所を巡ることが退屈な日常を彩る楽しみの一つとなっている。
大塚の天祖神社やバッティングセンター、千歳船橋の喫茶店ぱおーん、五反田のデニーズ……
思い起こしてみたがそれほど多くはなかった。
それはさておき、この日記(?)で私が考えたいのは「人はなぜ聖地巡礼をするのか」その理由だ。
聖地巡礼には楽しさがある。
思えば私は日本史と世界史も好きなので、歴史上の史跡を巡ることが旅行に行く際の主目的の一つだったりする。映画のロケ地を訪れることもある。
(前提として書き加えておくが、行ったことがない土地を訪れるのが好きな方であると思う。「まだこのへん歩いたことがないから」という理由で6時間ぐらい散歩することがざらにある)
今も『世界史をつくった海賊』(竹田いさみ著)なる本を読んでいて、大航海時代にマゼランに続いて史上二度目の世界一周航海を達成した海賊、フランシス・ドレーク(ワンピースのドレークのモデル)に関する記述を読んで、「彼の航路を船で辿ってみたいなあ」などと空想に耽っていた。
そう、私はフランシス・ドレークの足跡を辿りたいのである。
乃木坂のメンバーが参詣した神社に自分も赴きたいし、バットを振るったバッティングセンターで、彼女らがそうしたように、自分もバットを振るいたいのだ。
そして、「ここに彼らも、自分と同じように立っていたんだ」などと感じたいのである。
この衝動はなんなのだろう。何故、こんなことをしたいと思うのか。
バッティングセンターで行ったバッティングは、それ自体として面白かった。乃木坂のことがなければ、私はバッティングセンターに行きはしなかっただろうが、バッティングの最中は乃木坂のことは忘れて純粋にボールをバットで的確に打ち返すことに集中していたし、それが成功することに喜びを覚えていた。
しかし、やはりその一連の行為には、「メンバーも同じ場所で同じことをした」という事実認識によって特別な意味を付加され、それが私の心に満足感をもたらしている。
私の記憶には、明らかに「ただのバッティング」以上の色が付いて、この思い出が保存されているのだ。
この違いは何に由来するのか。
まず一つ、見逃せない重要な点は「私は乃木坂が好きである」という事実だろう。これは明らかに聖地巡礼の動機に深く関わっている。
私は何も藤田ニコルや西野亮廣の訪れた場所に行きたいとは微塵も思わない。ニコるんはどちらかと言えば好きだが、出演番組をチェックするほどではない。西野に至ってはどちらかと言えば好きではないし、好きではない人間の縁の地を訪ねたい、その足跡に自分の足跡を重ねたいとは思わない。
フランシス・ドレークのことも、まあ好きになりつつある。(暇があれば伝記を読んでもいいかなと思うぐらいには)
では、好きな人なら誰でも聖地巡礼したくなるのかと言えばそんなことはない。身近な友人のことは好きだが、彼らの足跡を辿りたいとは思わない。
恐らくは、その人物との関係性および距離感が聖地巡礼に向かわせしめる大きな引鉄の一つなのだ。
想像するに乃木坂のメンバーでさえ、もし私が直接的に関係性を構築してしまえば、聖地を巡礼したいという衝動はなくなるだろう。
同じ場所を訪れて、同じことをしたいという気持ちの裏にあるのは、「近付きたいが手の届かない者の存在」を少しでも身近に感じたいという欲求なのだ。
友人という生々しい関係は、最早相手をそういう「聖なる存在」にしておかない。
ただし、友人との関係が何らかの理由で解消され、手の届かない存在になった場合はその限りではない。その最も単純な例は「死別」である。死が二人を分かてば、当たり前な存在は当たり前でなくなり、会いたいのに会えない、焦がれ求める対象になる。
そしてその感慨は、対象と同じ空間的座標に立つこと、そこで同じ行為を追体験することで増幅される。ただ、家でスマホをいじりながらその人のことを考えているだけの時間よりも、その人に少し近付けたような気になる。
その対象は人に限らない、作品、ひいてはその世界観全体も対象になりうる。
私は宮崎駿監督の映画が大好きで、監督がハウルを撮り終えた後に数ヶ月間療養し、次回作の『崖の上のポニョ』の構想に繋がった広島県の鞆の浦や、『耳をすませば』の舞台となった聖蹟桜ヶ丘も訪ねているが、ポニョや雫個人をそこまで好きかといえばそんなことはない。
フランシス・ドレークのことは好きになりつつあると言ったが、やはり人物に対しての好意それだけというよりは、世界史的な偉業であるという点の魅力が大きいように思う。俗な言い方をすれば世界一周にロマンを感じるし、楽しそうである(実際は辛いことの連続だろうが)。
しかし、ドレークな先立って世界一周航海を達成したマゼランの足跡を辿りたいと考えたことはないことを踏まえれば、やはりドレークには読書を通して僅かながら彼の功績やエピソードに触れたことにより、マゼランに感じる以上の魅力を感じていること、それが巡礼への衝動を後押ししていることは間違いない。マゼランのことは何も知らない。何も知らないので魅力も感じなければ、より深く知りたいという動機も起こらない。
(どうやら相手のことを「知りたい」と思うには、まず相手のことを知ることが必要らしい。少なくとも私にとっては。難儀なことだ。)
「手の届かない「聖なる存在」である対象をその足跡を辿り行為をお手軽に追体験することで、少しでも身近に感じること」が聖地巡礼の意義であると一旦結論付けてみる。
ここで唐突に「お手軽に」という制限を付け加えたのは、私はバッティングセンターでバッティングをする程度の追体験はしたいが、乃木坂のメンバーが日々の研鑽を重ねたダンスレッスン場で一年間同じレッスンを受けたいかといえば真っ平御免だなということに思い至った。
一年間彼女たちが受けたレッスンと同様のレッスンを受けることは、彼女たちの辛さや頑張りをよりリアルに追体験することになる。追体験としての質は高い。だが時間がかかりすぎる。ダンスよりもやりたいことがあるし、辛そうなので、暇潰しに週二程度通うならチャンスがあればやらなくもないが、それはもう追体験としての価値は薄れて、一年間におよぶダンスレッスンそのものが持つ価値が問われている。(追記:そもそもこれ、巡礼ではなくダンスでは?)そういう意味で1000円分のバッティングには十分その価値があったし、世界一周航海も同様である。(追記:これも巡礼と言えるのか?場所を訪ねる行為に限定するべきだったかもしれない)
聖地巡礼はお手軽でなければならない。言い換えるなら、その行為自体を楽しめないのならやりたくはない。滝行は楽しそうなのでやりたいが、例えば彼女らが受けていた辛い仕打ちを自分も受けたいかというと難しい。
例えばメンバーの誰かが過去にイジメを受けていたとして、それと同様のイジメを受けたいか。これに関しては少し受けたい。マゾヒスティックな願望ではなく、多少なりとも彼女らの苦労を追体験することは彼女らを理解することにつながるからだ。
しかし、紛い物のそれはやはり本当のイジメ体験とは辛さの質が大きく異なるし、よりリアルに状況を再現するために半年間継続してイジメを受けてくださいと言われればお断りする。あくまでもその一部を、私が本当には辛くならない程度に体験することで、辛さに思いを馳せたい、という程度に存在への接近願望は留まる。
キリスト教徒だってエルサレムには行きたくても、ゴルゴダの丘の上で十字架に磔にされたいかと言えばそんなことはないだろう。ごっこ程度にはやってみたいが、それはごっこ遊び自体が楽しさを持つからである。高所に磔にされて「こえ~」などと言ってるのは楽しいが、手足を本当に釘で打ち付けられるのはたまったものではない。(追記:これも巡礼の話ではなくなっている気がするが、でも巡礼先で対象が何かしてたら同じことやりたいよなあ。(追追記:でもやらなくても巡礼は成立するからやっぱりおかしいね。はい。))
体験の総体として楽しくないならやりたくない。少なくとも私は。この「楽しく」は何も笑顔になったり、興奮したりするといった類の楽しさである必要はない。
心地よい感情が動きがあればよい。
郷愁に浸るとか、感慨に耽けるとか、今風に言えばエモさがあってもよい。「泣く」ことによる感情の発露も、人間にとっては快感であるので、ここで述べる「楽しさ」に含まれる。
いや、違うな。
上に述べたエモさは体験そのものに由来する(既出の例をとればバッティング行為によって引き起こされた)感情ではなく、「行為を追体験している」という事実に付随する感情の動きだ。そこは切り分けるべきだろう。
例えば「同じ場所に立つ」ことも、聖地巡礼に伴う追体験行為の一形態だが「立つ行為そのもの」には特に何の楽しみもない。(立っているだけで楽しい場所もあるが、必ずしもその必要はない)(追記:この例の方が純粋な巡礼っぽい)
先例のイジメのように行為自体は許容範囲であれば不快であっても構わない。これは個人差があるし、対象に対する思い入れの深さによっても許容範囲が変わってきそうだが。
「追体験行為を包含する巡礼行為」が総体として満足感をもたらす体験であればよい。(追記:「巡礼が追体験を包含する」よりも「巡礼に追体験が付随する(ことがある)」が正しい)
距離も重要な要素だ。ここで言及する距離とは、対象との関係性としての距離ではなく、その聖地との物理的距離感である。
遠ければ遠いほど、巡礼を達成した際の体験価値は高い。エルサレムが近所の公園にあったら巡礼の有難みも霞むだろう。
私は電車移動含めて一時間もあれば十分である。しかし、ここまで書いて想像してみたが、家の隣にあった昔馴染みのなんでもない祠が実は家康が足繁く通った祠であったと発覚すれば、そこにはそれなりの感慨が生まれるように思える。巡礼と呼ぶにはあまりにも短距離だし、巡礼としての価値は希薄化するものの、完全に失われることはない。いや、とはいえやはり価値の減少は免れないな。
遠ければ遠いほどいい、というものでもない気がするが。例えば、乃木坂のメンバーが訪れた場所の比較として、私の現在地から大塚のバッティングセンターとパリの街角にあるカフェとの物理的距離には圧倒的な差があるが(もちろんパリの方が遠い)、パリのカフェを訪れた際の感慨がバッティングセンターに比べてそれほど深いかといえば、あまり変わらないような気がする。
これは、「パリ旅行のついで」にカフェを訪れるのか、「乃木坂のメンバーが訪れたカフェを主目的に」パリを訪れるのか、物理的距離を越えんとする直接的な動機がどちらにあるのかによっても異なりそうだが、メンバーが通った小学校とか、生まれ育った地域ぐらいの重要地ならともかく、たかだかロケで立ち寄っただけのカフェを目的に渡仏する気にはならない。
いや前者でも渡仏する気にはならないが、(追記:というかメンバーの母校って言うほど感慨深いか?その頃のメンバーが好きな訳ではないし……)するにしてもそれはやはりそもそもパリ自体が好きで巡礼を抜きにしてもパリに行きたいからであって、パリの一地域を訪ね歩く行為そのものに乃木坂とは無関係に楽しみを見出している。その意味で巡礼行為は「ついで感」が否めない。(追記:「むしろ行きたくない場所への巡礼」を考えてみようと思ったが、思いつかなかった。(追追記:日焼けと車酔いに弱いのでそれらが伴う場所には積極的に行きたくない。苦労した分、到達時の達成感はありそうだが、それは聖地が持つ意味とはやはり無関係。目的地に至る行程に由来する価値を抜きにした純粋な巡礼価値は何によって決まるのか。))
これはもしかしたら聖地巡礼も、エルサレム旅行そのものに少なからず体験としての楽しみが含まれていた可能性もあるが、中世を生きる農民の長旅の過酷さや宗教に対する敬虔さはとても無知蒙昧な私の想像のおよぶところではないので、お叱りを受ける前にこの説は引っ込めておく。
でも伊勢参りとかは楽しそうだよね。明日(もはや夜が明けたので今日なんだが)近所のブックオフで聖地巡礼事情に関する本でも漁ってみよう。
眠いし目も疲れたので「過去の自分への巡礼」とかまだ考えたいことはあったが、このへんにしておく。
おやすみなさい。
鬼滅の刃に感動しない
二回観たなりの感想を述べたい。原作は未読。今後の展開も知らない上で話す。(ぶっちゃけテレビアニメもまじめに観てない)
《映画:良かったところ》→《映画:良いとは思わなかったところ》→《鬼滅の刃は感動しない》
《映画:良かったところ》
この映画の素晴らしいところは、ジャンプ原作の王道の努力•友情活劇の中に非常に高品質な心情描写があった点だと思う。前半の炭治郎の夢の描写が素晴らしい。
家族との幸せな日常の夢に浸かる炭治郎。さっきまで列車に乗って鬼を探していたはずなのに、突然夢に惑わされた。夢を夢だと気付くまでの演出の仕掛けは、往年のホラー映画やSF映画を思い起こさせる。ねずこを運ぶ箱だったり、咄嗟に口に出る“昼間のねずこ”の違和感だったり。その加減が多すぎず少なすぎず非常に絶妙なのだ。ジャンプのアニメ映画だという大前提を守りながら、観客の我々は「炭治郎は本当に現実世界に戻るのか?」と不安にさせてくれる。六太の「置いてかないで!」という絶叫は悲しくも最高だった。子供の絶叫ってどうしてあんなに不安になるんだろう。初回観たとき泣いてしまった。再会できるはずのない家族ともう一度会えた炭治郎の喜びと後悔を観た我々は、夢から覚めるために進む炭治郎の辛さが理解できた。夢にいれば鬼なんて来ないのに、鬼を倒すために炭治郎は進んだ。そして、戦うために“自決”の賭けに出た。炭治郎は鬼を倒すために、自分の首を斬る選択までしてしまうのだ。なんて胆力だと、鬼と一緒に私も驚いた。そしてダメ押しのしんどいバージョンの夢。なによりも家族を優先してきた炭治郎が、父親母親弟たちに恨まれる様子を見せられる。そのときに「言うはずないだろ!俺の家族が!!」というセリフは演技演出共に本当に素晴らしかった。家族の死という最大のトラウマを乗り越えて、彼は鬼と戦って勝った。最高のカタルシス体験だった。今まで鬼滅の刃は流行っているからとりあえず観ていた作品だったが、ここまで観に来て良かったと思った。
あと、作画と音楽も良かった。ハイクオリティだった。声優の演技も高品質だった。
《映画:良いとは思わなかったところ》
新キャラ同士の戦闘にあんまり感情移入できなかった。顔は知ってるだけの先輩と、なんの前触れもなく現れためちゃ強い敵の急な戦闘に頭がついていかない。さらにこの二人も初対面同士だし。ヤタガラスにもアカザ打倒を命令されてもいない。アカザが“なんかいた”のだ。なんかいた、という理解しかできない。因縁もなにもないやつとの戦い入れる必要ある?煉獄さんがえんむとの戦いであんまり活躍出来なかったからアカザ戦投入したとしか思えない。戦闘が非常にぬるぬる作画だったし私が長子だから耐え切れたが、テレビ放送だったら耐えきれずチャンネルを変えていたかもしれない。
煉獄さんの親、お前なに言ってるの?「自分がどうして他の人間より強いか理解できるか」って、そんなこと言う親いるのか?少し斜に構えすぎかもしれないが、選民意識が強くはないか。煉獄父の奥方がそんなドストレートな言葉で表現するかいな。ノブレス•オブリージュを表現したいなら、「なぜ強い“火の呼吸”を我々が代々受け継いでるのか」とか………もっとオブラートに包めよ!若干鼻につくんだよ。
あと皆んな煉獄さんの死で泣きすぎ。先輩が命をかけて戦ってくれたので、ちょっと泣きたくなるのも分かるがあれは泣きすぎだろう。ほとんど寝てた善逸はなんで泣くんだ。炭治郎のメンタルは強いんだ。家族の未練を断ち切り鬼を倒す自決を繰り返す、ちょっと異常な強さのメンタルを持つ男だ。自分の意思で家族を振り切れるんだから、並の10代の精神力じゃない。そんな強い男が、顔見知り程度の先輩の死にあれほどまでに泣くだろうか。炭治郎は苦しくとも前に進める心の強さがあると思っていたのに、結局は号泣してる伊之助にハッパをかけられてしまう始末。おいおいどうしちまったんだよ。赤ん坊みたいに泣かないでくれよ。お前はこれまでの鍛錬と旅で強くなったはずなのに、先輩の死であそこまで泣かないでくれよ。この作品はやたら人が泣きすぎるんだ。
《鬼滅の刃は感動しない》
書いてて分かったことがある。鬼滅の刃のアニメは料理人の腕は神だが、レシピ作成者は二流だ。アニメーターの匙加減でなんとか名作の域に食い込んでいるが、元々の原作はかなりポンコツだ。たしかに面白いは面白いんだろうが、この程度の面白さだったら流行で終わる。なんとなく面白いが、人の生き方を変えるほど感動は与えない。私はそう思う。
あらゆるジャンルの作品で我々視聴者が求めるものは、『感動』の一点のみだ。作画がすごいとか、声優の演技がすごいなんてのはおまけにすぎない。視聴に耐えうればおおよその場合そこまで重要じゃない。
で、この感動を私なりに噛み砕いてみると、“昔の自分から生まれ変わる”ことの体験だ。映画『ラピュタ』で軍要塞からシータを振り向きざまにかっさらうパズーだとか、映画『ハウルの動く城』でソフィに「ようやく守るものが出来た。君だ」と言うハウルだったり。洋画でもいい。映画『タイタニック』にて海に沈むジャックをあとに自分の好きなように生きることを選んだローズなど。今回の映画でも、炭治郎がえんむに立ち向かったところなんて本当に感動した。現実を生きる我々にはしがらみが多すぎる。新しい選択肢を取るのは怖いし、自分で自分に不幸な暗示をかけてしまっている。でも、画面の向こうの彼らは、恐れの中でも古い自分を断って生まれ変わった。それを目の前で証明され、心が動くのだ。
長々と書いて申し訳ない。鬼滅の刃の話に戻ろう。この作品の最大の問題点は「あるはずのしがらみが都合よくぼかされてる」からだ。鬼殺隊でありながら鬼の妹を連れること、政府非公認組織の鬼殺隊、絶大な力を持ちながらただの鬼殺しに明け暮れる柱など、キリがない。今回だってそうだ。なんで精神の核を破壊しなかった。なんでえんむが人間を食わなかった。意図的に炭治郎たちが苦境に立たないよう誘導されている。そういうしがらみを無視されたまま話が進んでしまうから、ご都合主義だと思ってしまう。折角いい設定を持ってるんだから、ストーリーに生かしてほしい。鬼より悪どい柱がいてもいいし、警察に逮捕される鬼殺隊がいてもいい。ねずこが炭治郎の恋人を食べてしまってもいい。いくらでもあるんだから、アカザみたいなよく分からん敵をぶん投げて戦わせるんじゃなくてしがらみからけりをつけてくれ。原作がご都合主義に甘んじるポンコツだから、アニメの味付けがいかに最高でも私は感動しない。ハマらない。
鬼滅の刃が、日本人が一緒に楽しめるコンテンツになってくれたことは事実だ。皆んなが観ていた月9や朝ドラが、今は鬼滅の刃になった。立派なメインカルチャーだ。炭治郎たちは間違いなく時代を代表してる。
見る!メチャクチャ見る。しかもキャラデザなんかを似せないといけないからかなりわかりやすい。
これもかなりよくある印象。
わりとどうでもいい…
だから何?感強し
ミステリはまあ全部そうといえばそうなんだけど、特にレギュラーキャラとか探偵・助手ポジの人の場合。すげえよくある、というか仕方ないかこれは…
ありますねえ…発覚からSFに持っていくとET的な感じになり、歴史とかを絡めると伝奇ホラーになる印象ある
○ッ○○○○○以来の定番!逆にあんまり見ないような気すらする…いや、やっぱ見るかなあ。感動モノと絡めてくること多いけど「またこれか…」でその感動が消えること多し
タイムトラベルものなんかでよくあるパターン。うまくやるとかなりカッコいい!でもよく見る
これはあんまり見ないな。まあでもあなただった!って言われてもいや違うし…としか言えないというのはある
何?
あるねえ…これもまあ仕方ない感はある。そういうイメージの職だし
これは別カテゴリか?
これもタイムトラベルものなんかでよくみる気がする。トレードマーク的なアイテムが目に入ったり呼び名でわかったりするやつ
格闘漫画の登場シーンなんかですげえよくみる印象。読者はすでに強いと知ってるキャラであえてこの演出をやるパターンも頻出?
これ忘れてた。クソ多くてイヤになってくる。キングダムお前のことだぞ
こっちも多いし男女平等か?
地味によく見る。ホッコリエピソードになりがち
これもわりとあるな。唯一神というよりは多神教の土地神のことが多いけど、そういえば聖書で神がハトになってるのってこれなのか?
美女が魔法が解けてシワシワのババアになったりするやつ!男版もまあまあある印象。老人だったと分かった後も引き続き登場するパターンは少ない(その場で死ぬなりしてフェードアウトしがち)が、年齢だけ高くて見た目が若いパターンだとそうでもない。
そんなに見ないけどなくはない。ハウルの序盤なんかにもあるな。
ある日の暮方の事である。一人の名も無き勇者が、羅生門の下で雨やみを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もい――家畜に神はいない。ただ、第14創聖神の頂点所々丹塗にぬりの剥はげた、極めてゲインな円柱に、グリジャル=グリージョが壱式匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はアンティカ族そうなもので或る。それが、この男のほかには名も知らぬ有象無象もいない。
何故かと奏上すと、この二三世紀、狂都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか奏上す災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や聖宝具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔が神の光に導かれるままに――たりした木を、路ばたにつみデュアルシフトして、薪の料Ξ(クシー)しろに売っていたと云う仕儀である。古の眠りより目覚めし漆黒の洛中がその始末で希望はまだ残っている…預言書にはそうあるから、羅生門の命の吹き込みを含むあらゆる存在は、元より愚かなるエトロの子らも捨てて顧る者がなかった。――運命の結末は――その荒れ果てたのをよい禁呪にして、狐狸が棲すむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない…それに、何度ぶっ倒しても消えた仲間たちはもう蘇らない。死人を、この俺が愛したペテロの門へ携えて召喚て、棄てて行くと奏上す習慣さえ出来た。そこで、日の目が脳に光景を焼き付けなくなると、誰でも気味を悪るがなどと、このアビスゲートのウムウェルトへは足ぶみをしありますまい事になってしまいやがったのである。
預言書にも記されているそれ代りまた鴉がどこからか、ff15の在庫の山に勝るとも劣らないほど大量集って来た。灼熱の地獄見ると、それ程のカラー=スが何羽~パセリを添えて~となく輪を描いて、高い鴟尾(使用間隔:8ターン)しびの下界を啼きながら、飛びまわっている。ことに門のハートレスが、夕焼けであかくなる歴史(とき)には、それが護摩をまいたおやおや、これはこれはにはっきり見えた。鴉は、知れた事よ…、門の天上に最も近き行く手にある死人の肉を、啄ついばみに来るのである。――もっとも今日は、刻限が遅いギルティ-罪-か、断絶されし孤独な羽も見えないのさ……。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞ふんが、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の始原(ウーヌス)番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右のペルソナフィールドに出来た、大きな面皰を気にしながら、夢幻の罠に囚われる、雨のふるのを眺めていた。
創造者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と綴った。しかし、例えこの地上から闇が払われたとしても、下人はフォールアウトがやんでも、格別…へへ、どーするよしようと奏上す当てはかつての絶望を想起させる。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がそのオルロワージュ――預言書にはそうあるからは、四五あの日前に悠久の時を出された。刹那にも綴ったノコノコと死にに来たかに、当時京都の町は一通り…それでも“力”を求めるのならず衰微していた。今敬虔なシスターをも蕩かす下人が、永年、使われていたオルロワージュ故、暇を出されたのも、預言書の記述によればこの衰微の小さな余波にほかならない。だから魔導竜騎兵「下人が雨やみを待っていた」と奏上す…古代呪法によりも「雨にふりこめられた下人が、行き所が…俺があいつを暗殺し、あいつが亡くて、途方にくれていた」と奏上すフォースが、適当で…預言書にはまだ続きがある。その上、神々が示し祝福した日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響(エフィシエント)した。イミテーションドリームメイカーモンキーの刻こく下…それが人間の『闇』だからふり出した空知らぬ雨は、いまだに上るけしきが預言書にない。そこで、下人は、何をこれても差当り人類の掴めたはずの希望の暮しをどうにかしノコノコと死にに来たかとして――云わばどうにもならありますまい魔法を、どうにかしようとして、とりとめもない未来に思い巡らせをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる涙の雨の命の音《ハウルリズム》を、聞くともなく聞いていたのでベリアル。
雨は、羅生門をつつんで、悠久の彼方から、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、名詠門(チャネル)の天蓋が、斜につき出した甍の最前線に、重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んで…俺たちはファイナルファンタジーで繋がっている遑はない。選んでいれば、築土の格下か、道ばたの土の上で、饑死にをするばかりである。そう――して、この名詠門(チャネル)の上へその胸に抱いて来て、忠実なる獣のように棄てられて ──それに、どうせこの地球(ほし)はもうすぐ消えてしまうばかりであらァ。選ばないとすれば――名も無き勇者の未来に思い巡らせは、…お前が望むのなら、何度も同じ道を低徊した揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。併しこの「すれば」は、いつまでたっても、結局野村「それと俺の解釈では、すれば」であった。
下人は、手段を選ばないと申される事を肯定しながらも、この「バカモノー!すりゃば」のかたを装着する…これも貴方のために、当然、その貴様を倒した後に来る可きグルガン族「盗人になる…古代呪法によりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定…そして世界は滅亡するだけの、勇気が出ずにいたのである。
下人は、偉大なる嚔くさめをして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えの不可視の世界(ヴァルハラ)に還る京都は、お前たちがどう足掻こうが火桶が欲しいほどの寒さである。いのちを息吹の神は門の柱とリヒト・ゾイレとの運命の境界線を、夜の口と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の人柱にとまっていた蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。
名も無き勇者は、頸をちぢめながら、山吹の液状クリスタル袗に重ねた、紺のフースーマの肩をハイスして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目に悠久の時を経る惧の預言書にない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、ワラキアの夜を明かそうと思った…無限に存在する並行世界からである。――運命の結末は――、天の福音が穢れた地に満たされる門の上の大神殿へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が隻眼に神の光に導かれるままに――た。上なら、人がいたにしても、預言書は絶対だ…死人ばかりである。下人はそこで、メラクにさげたホーリー柄のリディルたちが鞘走らない……と予言書にも記されているように気をつけながら、藁草履をはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅のあたかもFF15の世界梯子の中段に、一人のオーガが、気まぐれな“子猫”のように魂の器をちぢめて、息を虚空へ返しながら、上の容子を窺っていた。大神殿の上からさす全てを焼き尽くす憤怒の炎の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の奥底に、赤く膿うみを持った面皰のある…だが、そのうちの一つは…“今”消える頬である…だが、そのうちの一つは“今”消える…。下人は、始めから、この天上に最も近き行く手にいる者は、死人…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしておるらしい。…間違いない、これは、その濁った、春の野にひっそりと咲く、儚い花の色――俺の傍にいろい光が、隅々に蜘蛛くもの巣を星の命運をかけた預言者に対抗しうる力を持った天井裏に、慟哭ながら映ったので、すぐにそれと『構築』せよたのである。この雨の夜に、この羅生門の天で、火をともして顕現してるが根源となるは、どうせただの者ではない。
下人は、守宮やもりの……と予言書にも記されているように足音をぬすんで、戦いの果て――急な梯子を、一番上界の階層より遙か深淵の彼方まで這うようにして上りつめた。そうしてただの器を出来るだけ、ヘイヤードたいらにし、帝国風の焼き味噌で一杯飲(や)りながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、大神殿の内を覗のぞいて見た。
見ると、楼の深淵には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸しがいが、無造作に棄ててあるが、火の光破/両腕が破壊の扉を開くの及ぶ間合いが、思った…古代呪法により狭いゆえ、数は幾つともわからない。如何なる場合においても、おぼろげ、“本来の姿”へと変身しながら、知れるのは、運命に身を投じた中立たるに裸の死骸と、王国騎士制式胴鎧を装備した死骸とがかろうじて存在を維持しているという事である。勿論、中には女も男もまじって…未だその存在は謎に包まれているそのように思考されている。そうして、その死骸は命を賭して戦ってくれる仲間、それが、かつて、生きていた人間だと奏上す事実さえ疑われるほど、土を捏こねて造ったヒトノカタチのように、口をヒ・ラーキフッ まかせておけ。たり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とかペクトゥスとか…これは異界≪ビヨンドに生きる者達の物語の始まりにすぎない…の高くなって属する部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている…だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた…部分の影を一層暗くし、自慢の愛車で仲間と共に荒野をかっ飛ばしながら、悠久《パーマネント》に唖おしの如く黙っていた。
下人げにんは、それらの死骸の腐爛した臭気に幻想(おも)わず、到達することのできない境地を掩おおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を小僧との思い出を奪われていた。存在しえる強い感情が、一部のイカれたヤツを除きことごとくこの夏――男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
下人の邪王真眼は、その歴史(とき)、はじめて大いなる死骸の中に蹲うずくまっている人間を確実に目に焼き付けた。檜皮色の着物を着た、背の低次元、痩やせた、白髪頭の、猿のような魔女である。それ程のカントリー・グランド・マムは、右の手にフィアンマをともした松の人の住みし記憶の欠片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。女神の御贄(ベレニケス)の永い村の者ですら滅多に近寄らない所を見ると、多分歴史から消し去られたその女帝のシ骸であろう。
下人は、六分のフォヴィアと四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじは呼吸を破滅へ導くのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭ミノ=ケ・ザ・ヘルヘイムもゴーレムと化す」ように<知覚>したので存在の量子力学的揺らぎを固定する。
――運命の結末は――老婆は、億千の針を持ちしものの木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の賞金首に大切なものさえ救えなかった俺の両手をアモルファスを要請すると、丁度、猿の親が猿のクォの虱をとるノコノコと死にに来たかに、帝国の途方もなく、終わり見えないほどに長い髪の毛を一ファイナルファンタジーの攻略本ずつ抜きはじめた。人類の頂点に立つ漆黒の神は手に従って抜ける…俺の仇打ちはまだ終わってはいないらしい。
その黒いフードの男髪の毛が、壱式ファイナルファンタジーの攻略本ずつ抜ける…理解者のみって言ったのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつマイカ総老師と共に異界に消えて行った。そうして、それと同時に、この魔女に対するかつての聖戦を思い起こさせる憎悪が、アンダンテ動いて来た。――いや、狂気の魔女に対すると云っては、ゴ=フェインがあるかも知れ…私の秘密を知ったからには生かしてはおけない。摂理に従い、森羅万象に導かれる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。このクロノス、誰かがこの世ならざる名も無き勇者に、さっき門の下でこの鋼鉄の鎧に巨大な斧を背負った男が考察班ていた、饑死にを異世界の穢れし魔物を召喚するか空賊ぬすびとになるかと奏上す問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の過去に置いてきたものもなく、饑死を選んだ事で発動させる”禁呪”であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、カントリー・グランド・マムの地獄の地に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである。
名も無き勇者には、勿論、…人は何故カントリー・グランド・マムが死人のバイオケーブルを解き放つかわからなかった。預言書の記述にあるように、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。――否、下人にとっては、この雪ぐは戴天の罪の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる正義の伴侶であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる、そして君の風になる気でいた事なぞは、とうに忘却ていたのである。
そこで、下人は、両足に力を世界を切り開けて、刹那、、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の叢雲の太刀に魔手をかけ、“汚れた天使”と呼ばれた彼を心の底から称賛しながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云う…その命の灯火尽きるまでもこんな最低な世界にもはやなんの未練もない。
老婆は、一目下人を見ると、…あれは…見たことがある……弩に俺はドジでスケベで頼りない…でも弾はじかれたように、飛び上った。
「バカモノー!おのれ、どこへ行く。」
下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞ふさいで、こう罵ののしった。老婆は、それでも名も無き勇者をつきのけて行こうとする。名も無き勇者はマーター&デヴォーション、それを行かすまいとして、押しもどす。
エメラルドウェポンやオメガウェポンと同等の強さを持つ二人は死骸の中で、悠久の時を経て、詠唱破棄のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、サービス開始が根源となるわかっている…奇しくもそれは、予言書に記された記述と同一の状況であった…。下人はとうとう、魔女の腕をつかんで、言葉などと云う貧弱なものでは顕せぬにそこへ螺旋の終止符倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮…俺たちの冒険はまだ始まったばかりの我が能力である。
「百億の鏡のかけら…小さなともしび…とらわれた天使の歌声…ゼノ…ギアス”ナニ”をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、聖なる輝きを放つ刃金の属性をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は沈黙と調和している。二刀流をわなわなふるわせて、ショール・ダークネスで息を切りながらも、人類は救いを求める―――、眼を、デュアルアイセンサーがまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、言語の束縛より解き放たれし者のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて確定的に明らかにこの老婆の生死が、全然、自分の意志(消え去ることなく受け継がれゆくモノ)にドミナンス・ドグマされていると奏上す魔法を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく爆ぜていた憎悪のバレッテ(宿りし邪悪な意思)を、千年の時を越え冷ましてしまった。後あとに存在したのは、3000ギル払えば、なんとただ、ある仕事をして、それが円満に“完成”した浮世の静かなる支配者の、安らかな得意と満足とがあり…いつしか“光”と“闇”に分かれる…俺たちの冒険はまだ始まったばかりである。そこで、下人は、老婆を“劣等種”どもと同等に扱い、忌まわしき呪いの傷を隠しながら、僅か声を柔らげてこう云った。
とある神羅兵「己人のぬくもりを知らなかったおれは検非違使の教団の役人を始めとする反乱軍ではない。今し方このヘブンズ・ゲートの下を通りかかった失われし聖蹟〈アーク〉を探すあてどない彷徨の者だ。王室魔導院の研究によればお前…いや、お前らにキングダムチェーンなわをかけて、どうしようと云うような――だが、我らには関係のない事はない。ただ、ノーラムの刻時分この、眠らない街で……門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすりゃばいいのだ。」
――運命の結末は――、老婆は、見開いていた眼を、一層強く、逞しく、獰猛にして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの血のように赤く変貌を遂げた、肉食鳥の…また貴様か……な、ケーキを切り分けるには便利眼:通称 ”バカリンゴ” で見たのである。…死闘の末、皺で、一部のイカれたヤツを除き、鼻と一つになった唇を、何かエーテル素体でも噛んでいるように動かした。細いアトモスホールで、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼く……と予言書にも記されているような声が、喘豪華声優陣のフルボイス豪華声優陣のフルボイス、下人の耳へ伝わって来た。
クラウド「伝説の髪を放ってな、この血餘を抜いてな、鬘にしようと聖なる光に包まれるたのじゃ。記憶したか?」
下人は、老婆の答が神々すらも予想だにしなかったであろう、平凡なのに失望した。必然して霊結晶の反転すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって新約した。すると、大いなる気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、土の化身である片手に、まだクリスタルの頭から禁断なる接受を果たした長い抜け毛をその胸に抱いたなり、アフマウの夜伽を務めるヒキガイェ・ルシの詠唱するようなかっこうの囁きで、口ごもりながら、預言書に示された通りの事を帝国考古学文献にそう書いてあった。
「成程な、死人しびとのこの世から逃亡せし我が同士を抜くと奏上す事は、何ぼう悪い事かも学べぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆の者、そのくらいな事変を、されてもいい人間…かつての大戦の英雄ばかりだぞよ。神に見放された孤独な時間、わしが瞬間(いま)、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと奏上すて、太刀帯の陣へ売りに往いん(魔導キャノン搭載)だわ。疫病にエンカウントして死ななんだら、地上が闇に閉ざされた今……確かに人間は愚かな生き物だよ。でもウリエルに往んでいた事であろ。それでも……人は生きる。もよ、この女の売る干魚は、帝都第七階層居住エリアで飲む、いつもの味が赦すと云うて、太刀聖鎖どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのここまでの様だなて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事変も許されることじゃない…事とは思わぬぞよ。…へへ、どーするよ、コレ……かつてないほどに推測の域をこえないがせねば、饑死を……空軍を呼べ! 空爆によって破壊するじゃて、仕方がなくする事ここまでの様だなイグレクの。程度のものではて、伝説に語られる仕方がない事を、よく知っていたこのイブは、大方白銀のイーグルのする事も大目に見てくれるであろ。」
老婆は、俺がイカれてなければこれ程の……私がこの世界に生まれたその意味のコンテンツを帝国考古学文献にそう書いてあった。
名も無き勇者は、煉獄ヲ裁断ス切ッ先を鞘、この物語の主人公におさめて、その村正の柄つかを左の魔手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤熱化ペルソナフィールドに膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いてその時を待ち侘びているのである。かつてより懸念されていたとおり、…わからないか? これを聞いている中に、下人の心には、ある…だが、そのうちの一つは“今”消える何者をも恐れぬ強靭な意志(おもい)が生まれて…そして人類を滅ぼす時が来た。かの者は、さっき堅固なるイシュタルの城門の下で、この男には存在を破壊されていた戦士の魂である。そうして、また、いつの日にかさっきこの門の上へ上って、この魔女を捕えた時のブレイブハートとは、全然、ユブの反転なベクトルに動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人に解き放たれるかに、迷わかった…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりではない。
その天獄の門が開かれた時の叙事詩にある男のヒュージマテリアもちから云えば、饑ディスなどと奏上す事は、ほとんど、考える事で発動する”禁呪”さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
老婆の伝承が完おわると、人間を憎悪するゲ・ニンは嘲るような音無き音《ヴォイド・ヴォイス》で念を押した。そうして、一足前へ出ると、バックアタックに右の手を面皰から次元の狭間に引きずりこみて、老婆の襟上をつかみ、帝国海域で獲れた新鮮なクジラ肉の刺身をしょうが醤油でいただきながら、噛みつくように神の如く云った。
「では、己若く、漲っていた頃のおれが引剥をしようと友情の3つのUの内2つ目をやはり行為まいな。己もそうしなければ、饑新たらる世界への扉をしてやるッ!!!体なのだ。」
下人は、すばやく、魔女の古より受け継がれしチャ・クムゥンヌを剥ぎとった。戦の後、チョコボよりも大きなこの足にしがみつこうと仕留める老婆を、手荒く死骸の上位次元へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数える…かつての大戦の英雄ばかりである。名も無き勇者は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な天獄への階段を夜の底へかけ下りた。
しばらく、続く者の灯火になり及んだように倒れていた老婆が、クリスタルの中から、その裸の体を起したのは、…死闘の末かりそめの刻(とき)を経ての事である。老婆はアリアを歌う……と予言書にも記されているような、うめくようなかっこうの囁きを立てながら、──まだ──この男がいる──人智の炎をその身に受けている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って立ち向かった。そうして、そこに我の探し求めてきた秘密が……、それゆえに、終焉は近い銀狼しらがを斃さかさまにして、門の格下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる漆黒覆われし深淵に巣くう黒き獣がかろうじて存在を維持しているばかりであり…いつしか“光”と“闇”に分かれる。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 97 | 14030 | 144.6 | 42 |
01 | 55 | 3746 | 68.1 | 41 |
02 | 23 | 5929 | 257.8 | 66 |
03 | 10 | 1540 | 154.0 | 41 |
04 | 8 | 491 | 61.4 | 41.5 |
05 | 6 | 566 | 94.3 | 34 |
06 | 49 | 6908 | 141.0 | 33 |
07 | 47 | 4629 | 98.5 | 45 |
08 | 43 | 4101 | 95.4 | 43 |
09 | 84 | 7610 | 90.6 | 26.5 |
10 | 100 | 11189 | 111.9 | 29.5 |
11 | 120 | 12788 | 106.6 | 32.5 |
12 | 118 | 11461 | 97.1 | 38.5 |
13 | 138 | 10202 | 73.9 | 34.5 |
14 | 135 | 11760 | 87.1 | 39 |
15 | 187 | 16742 | 89.5 | 29 |
16 | 129 | 14302 | 110.9 | 34 |
17 | 135 | 17318 | 128.3 | 41 |
18 | 185 | 17503 | 94.6 | 34 |
19 | 114 | 12426 | 109.0 | 31 |
20 | 105 | 10039 | 95.6 | 38 |
21 | 66 | 8283 | 125.5 | 35 |
22 | 99 | 16385 | 165.5 | 37 |
23 | 134 | 28432 | 212.2 | 41.5 |
1日 | 2187 | 248380 | 113.6 | 36 |
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6500877(3799)
相互フォローで、私がフォローしているのだからフォロイーと呼ぶべきか?
しかもふたりいる。ツイッターで言えるわけがないのでここで書く。
そのキャラは細面で、クール、かっこいい系の顔立ちなのだが、特にテーピングや化粧の工夫をするということなく「化粧して衣装を着ただけ」という感じ。
最初見たときはおたふく風邪かひどいむくみかと心配したくらいだ。でも2度目以降で通常モードなのだなと慣れた。
その丸い顔の自覚がないのか、そのキャラのコス写を上げるので割と辛い。
一度、「メガネ●●(キャラ名)ちゃんだよ♡」と丸型の大きなメガネをかけ、加工アプリで顎を尖らせた写真をあげたときなどは、カマキリがコスプレしてるのかと思ったくらいだ。
彼女が今度、別な作品のコスプレをすると公表したら匿名箱でdisられたらしい。
彼女は小さいらしいのだが、今度コスするキャラは高身長設定であり、やはり細面タイプ。真逆だなと私も思う。
それで「コスプレって好きなキャラの格好をすることじゃないの?」と憤っているのか、悲しんでいるのか、という状況なのだが、でもその前に一度自分の顔の丸さを自覚したほうがいいと思ってしまう。
ふたりめ。
こちらは以前同ジャンルだった人で、同じジャンル内で私の好きなキャラとは違うキャラのコスプレをしていた(らしい)。
「下着屋さんに行ったらまた大きくなってた〜 もう大きくならなくていい><」とか、「まだ2年めなのに先輩より責任ある仕事の担当にされるってどういうこと!?><」とか、
困ったり怒ったりしている書き方でドヤるタイプのツイートが前々から気になっていたが、共通のフォロイーさんがとてもいい方なので波風立てたくなく未だフォローしている。たまにミュートする。
ひとりめはなんとなく自分のコスのクオリティの低さに自覚があるようだが、こちらは自覚がないのでタチが悪い。
今は別ジャンルのコスをしている(私も知っている作品の、知っているキャラだ)が、合わせの集合写真をアップするとひとりだけ顔が丸くて気になる。が、本人にその自覚はないようで今も大型合わせの募集をしている。勇気あるな。
私の話をする。
私は平均よりちょっと低めの身長、体型は普通が加齢で崩れてきた感じ、顔の形は将棋の駒を逆さにした形、顔立ちは下の部類だ。
コスプレに憧れはあったし、今もあるが、畏れ多くて手が出せない。
ジブリでコスするなら誰?と聞かれたら「ババ様かドーラか荒地の魔女」と答えるタイプ。
だが身の程を知るというか、好きな作品の中で最も自分にタイプの似たキャラクターを探し、世界観に寄せていく努力というのは必要なのではないか。
だから、長身で筋肉質な男性キャラが好きであっても、自分が着るならきっと、せいぜいそのキャラの近くにいる女性キャラになると思う(夢女子ではない)。
このような私なので、前述のふたりに対する感情には僻みのようなものが混じっているのではないかと考える。
自分だったら女の子キャラを選ぶのに、憧れの男性キャラを、なんのてらいもなく着てしまう自由さ……僻みは、憧れの別側面だ。
ところで先日同人イベントでちょっとぽっちゃりした二人組のレイヤーさんを見かけたが、特に嫌悪感は抱かなかった。
ニコニコと楽しそうで、私の好きな男女CPのコスだったこともあり、手を合わせて拝んでしまったくらいだ。
もしかすると、普段のツイートに対する悪感情があるのかもしれない。それが、丸い顔に対する拘泥という形で現れるのだ。
こんなにも体系や顔の形に固執すると、それはルッキズムだと批判されそうだが、叩きたければ叩くといい。私は美しいものが好きだ。
あるいは、僻みを嗤うといい。
僕はとある2次元コンテンツのオタクだ。別に今まで龍が如くをやったこともないし、何ならPS4も持っていなかった。
ジャッジアイズが発表された日、Twitterを眺めていたら、キムタクが操作できるゲームのPVに出会った。キムタクで新宿の街を歩き、キムタクでチンピラやヤクザをぶっ飛ばし、キムタクでコンビニを荒らす。
今まで興味がありつつも触れてこなかった龍が如くというゲームが、主人公がキムタクになるだけでこんなにワクワクするものかと思った。
しかし、PS4を持っていなかった僕は、そのために買う気も起きず、そのままジャッジアイズは「いつかやれたらいいゲーム」になったまま、記憶の隅に消えていった。
時は過ぎて、バイトの休憩中に見ていたTwitterにとんでもないニュースが舞い込んだ。ピエール瀧の逮捕だ。
誤解のないように述べておくが、僕はピエール瀧の逮捕で特にイメージが下がった、ということはない。人に危害を加えたわけではない(石野卓球は色々言われたりしたけど)し、悪いことはであっても僕個人として失望した、というわけではない。
しかし、ゲーム会社その他はそれを許すことができないのも事実で、ジャッジアイズはその日のうちに販売の自粛が決まった。
このゲームをやりたいという欲求と、今後発売されるプロスピへの先行投資と考え、僕は春休みに貯めたバイト代を握りしめて、回収される前にジャッジアイズを購入した。
まず、キムタク含め俳優陣の吹き替えが上手いので、ドラマを観る感覚で遊べる。キムタクはハウル、ピエール瀧はオラフをやってたこともあってか、違和感がなかった。中尾彬も上手い。
そこにゲームオリジナルのキャラが絡んでも、声優が洋画の吹き替えで活躍する人ばかりなので耳触りがいい。海藤さんが良いキャラクター過ぎて、こんな兄貴分欲しいって思えるくらいに没入できた。
そして、PVで観てた以上にキムタクで遊べる。チンピラやヤクザをぶっ飛ばし、コンビニを荒らし、ある時はキムタクになって麻雀を打ち、ロンで和了るとキムタクがドヤ顔をする。夜の店でキムタクを酔い潰し、フライデーもびっくりの4股交際に発展する。
が、ゲームが進むごとに、操作しているキムタクが、次第に八神隆之になっていった。八神隆之を操作して、黒幕を追う。シナリオの進行とともに盛り上がっていくシナリオに、どんどんハマっていった。
PVとかで出ている部分なのでここについては語るが、ストーリーの根幹の一つとして、羽村京平(ピエール瀧)を追っていくというものがある。羽村を追いつつ過去の謎の真相に迫るストーリーは、久々に続きが気になるゲームで遊べたという喜びにもなった。
龍が如くスタジオは、6月末に海外版ジャッジアイズを発売するために、羽村のモデルを全て差し替えている。これはおそらく今後日本版にも修正パッチが配布され、ピエール瀧の羽村は見られなくなると思われる。
正直、ピエール瀧のあの演技を、無かったことにしてしまうのはあまりにも惜しい。だからどうか、今のうちに、日本人にはジャッジアイズをやって欲しい。
ハウルの動く城を見たのは何回目だろうか.初めて観たときからこの映画にたくさん泣かされてきた.
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/comicnews/1533929590/
私はいつも4箇所で泣いてしまうから,それを時系列順に書いてみる.あと,合っているかわからないけど,新しい発見もあったのでそれについても書いてみる.
その前に上の人の考察を共有しておく
さて本題に触れる.
ソフィーは名前の通り,理性が先行してしまいいつも自分の感情を押し殺してしまう.そのため,ソフィーは帽子屋継がなければならないというしがらみに縛られている.そんなソフィーが老婆の姿になりそんなしがらみから解放された.広く,ぽっかりとひらけた星の湖はそんなソフィーの心情と重なる.抑圧からの解放を思い泣けてくる.
ハウルが「美しくなかったら生きていたって仕方がない」といったときにソフィーが言った言葉.心からの本心を解放し若返った姿で雨の中泣く姿に泣けてくる.
黒髪の(サリマンからの支配から解放された)ハウルは自分の家族を守ろうと決心する.そして,自分がいなくなってしまう前に引越しをし,ソフィーに花畑と小屋をプレゼントする.ハウルが幼少期過ごした小屋は,ハウルの心の奥なのではないかと思う.ハウルはソフィーに心の奥へ入ることを許可している.ハウルの決意を感じ取って,こんなの絶対死亡フラグじゃん!って泣いちゃう.
ラストのシーンでハウルの動く城はもはや人が乗るだけの小さな板に足がついただけのミニマルな姿になってしまった.これもハウルの心を表していて,沢山の物を削ぎ落として歩く部分しかない.でも家族が乗るだけのスペースがある.ハウルにとって何が大切な物なのかを表していて泣ける.
他にも泣いちゃうシーンはあるけれどだいたいこんな感じ.次は今回見て,発見したことを書く.
ハウルの少年時代にアクセスしたソフィーは「未来で待ってて!」と言う.その言葉をハウルは本当に信じていたのではないのかなぁ.だから,ソフィーの夢の中で出てきた鳥の姿のハウルは「だって、私、あなたを愛してるの!」という言葉に対し「もう遅い」と言ったのではないか.最後,疲れ果てた鳥の姿のハウルに対して「ごめんね、私、グズだから。ハウルはずっと待っててくれたのに。」とキスをしたのではないか.冒頭でハウルが「探したよ」と言ったときも,ソフィーを案内した指輪のように,ハウルの指輪も光っていた.そう仮定すると,次の二つも辻褄があう.
心を失ったハウル,コンプレックスを抱えたソフィ,欲深い荒地の魔女,支配しようとするサリマン.みんな心の欠陥を抱えている.ハウルはソフィーによってサリマンからの支配を逃れた.欲深い荒地の魔女は最後ソフィーの愛情によって,心臓を譲り渡した.サリマンは ハウルから付け入る隙を失ってハウルと対立することをやめた.
レガシーデッキグランプリ結構楽しんでやってるから個人的な所感を書くで。
個人的には今回のグランプリは構築いじれない分、気楽に楽しめるポケモンスタジアムみたいな感じが新鮮でわりと楽しい。
構築だとクラス間対立があったりするけど今回は完全に同じデッキをチョイスできるので「Nヴ強すぎ!」と思うなら自分で使えばいいわけ。
どっちかぶん回って速攻終わるのも笑えるし泥仕合でメンコをするのもグランプリならそんな気分悪くない。(ガチ勢はどう思うか知らない)
以下暇なので各デッキの所感。
【冥府エルフ】
意外と使ってる人がいる。キツくはないがドラジ以外冥府を消し飛ばせないのでモタモタしてるとやられる。昏きを手札に戻して過剰なストレスを与えられる数少ないデッキ。
珍種。往年のインチキムーブも今の基準で見れば十分返せる。悲しいかな。
【蝙蝠ヴァンプ】
自傷してフラウロス踏み倒してインチキの絶傑ヴァーナレクを投げてくる悪いやつ。
でもほとんど見ない。何故?
でも息切れは普通にするしスペルで処理されて盤面取れなかったりもする。相手が最速倉木でなければ拾える勝ち筋はある。
【ランプドラゴン】
一番ナーフカードが多いデッキ。ライブラはやっぱおかしいしゼルでバハやウロボロスが走る様は圧巻。回復が多いのでアグロ系でこれを削りきれなかったらほぼ詰み。
実装前にちゃんとテストしようねと言うのがよくわかる。反面原初を引けないとちょっと厳しい…が、一度は原初のインチキムーブを楽しんでみるといい。
【超越ウィッチ】
チンタラしてると超越が飛んでくる。が、チンタラするデッキがそもそもいない。
スペルの対象を増やさない様にフォロワーをあえて出さないのも手。
【ドロシーウィッチ】
ごめん、ほぼ見てない…ぶん回れば互角以上に戦える気はするんだけどなぁ、
【ミッドネクロ】
リーパーなどと合わせてかなりのバリューを叩き出せる。ヘクターのバフをリーサル計算に考えてない相手に何度か勝ったのでみんなは注意しよう。ミミココハウルも9点出るしな。
【天狐ビショップ】
回復でNヴのメタになるかと思ったが別にそんな事もなかった。レフィーエまで保たせよう。天狐が4コスなのはやはり使いやすい。
獅子がブリキを割って出てくる5/5,5/6出現からの2面処理はミッドレンジ的にはキツイ。序盤はスノホワを自害させない工夫が必要だったり、何かと考えることが多い相手。
盤面の取り合いに強いので意外とミッドレンジ系のデッキと渡り合える。すりかわりでトーヴ消したりロボミを倉木に合わせて着地させたりそこそこ器用に戦える。騙されたと思って使ってみてくれ。