はてなキーワード: ジョン・ラセターとは
これは責任逃れをしたり報道をしていない以上、どういうことになっても仕方がないと思う。
まず関係者は10億円払うこと。日本円なんてはした金だ。これくらい払って当たり前でしょ。
大スターをここまで無職にさせた異常な連中。学者でも言うまでもない。コメントを出したら払うべき。
これが人間のやることか。
性的暴行疑惑の米俳優ケビン・スペイシーに無罪評決 キャリア復活を望む声あがる
東スポWEB7/27(木)15:57
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-271010
過去の性的暴行疑惑で罪に問われていたハリウッドの大物俳優ケビン・スペイシー(64)について、英ロンドンの裁判所の陪審は26日、無罪評決を言い渡した。これを受けてハリウッド幹部らからは、スペイシーのキャリア復活を望む声が上がっていると27日の英紙「デイリーメール」が報じている。
無罪評決のあと取材に応じたスペイシーは、「陪審がすべての証拠とすべての事実を慎重に検討するために時間を割いてくださったことに、非常に感謝している」とコメント。さらに無罪評決には「恐縮している」と話し、無罪を勝ち取るために協力した関係者への感謝を口にした。
https://digital.asahi.com/articles/ASLDT3F4CLDTUHBI00T.html
米マサチューセッツ州の地方検察官は24日、有名俳優のケビン・スペイシー被告が、18歳だった男性に対する強制わいせつや暴行などの罪で起訴されたと発表した。スペイシー被告はネットで「やっていないことへの代償は支払わない」などと語る動画を公開したものの、起訴には直接言及していない。
検察の発表によると、起訴されたのは2016年7月の事件に関してという。米メディアによると、スペイシー被告は同州の避暑地にあるレストランで当時18歳の男性に飲酒させた上でズボンに手を入れ、性器を握ったとされる。男性の母親の元アナウンサーが記者会見し、被害を訴えていた。
米国では17年、ハリウッドの大物プロデューサーの性的暴行疑惑告発を機に性被害に声を上げる#MeToo運動が高まり、スペイシー被告に対する告発も相次いでいた。スペイシー被告は告発内容を否定したが、人気ドラマ番組「ハウス・オブ・カード」の主役から降板させられた。
スペイシー被告が公開した動画はこの番組の役柄に扮したと見られ、ドラマの内容を語る体裁を取りながら「証拠もないのに言い分を信じないだろう。事実の裏付けなしに結論を出すのか。出さないだろう」などと指摘。「間もなく全ての真実を知ることになるとの確信を強めている」などと語っている。(ニューヨーク=鵜飼啓)
https://globe.asahi.com/article/11532159
触発されたかのように、俳優のケヴィン・スペイシー(58)にベン・アフレック(45)、ダスティン・ホフマン(80)、オリバー・ストーン監督(71)、ブレット・ラトナー監督(48)、アマゾン・スタジオのトップだったロイ・プライス(50)、『トイ・ストーリー』監督などで知られるピクサー・アニメーション・スタジオ共同創業者のジョン・ラセター(60)への告発も続く。ジャーナリストや著名アンカー、政治家と他の業界にも広がっている。
「#MeToo」失業したケビン・スペイシーに35億円支払命令。かつての人気スターが直面する過酷な状況
猿渡由紀
https://news.yahoo.co.jp/byline/saruwatariyuki/20211124-00269545
ここのところほとんど忘れ去られていたケビン・スペイシー(62)の名前が、再びメディアに浮上した。しかも、これまた悪いニュースだ。いや、最悪のニュースと言っていい。ハリウッドを追いやられ、収入が途絶えている彼は、損害賠償として約3,100万ドル(およそ35億円)の支払いを裁判所から命じられたのである。
スペイシーを訴えていたのは、Netflixオリジナルドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」を製作するプロダクション会社MRC。スペイシーが主演とエグゼクティブ・プロデューサーを兼任するこのドラマは、2017年秋の「#MeToo」勃発で大きなダメージを受けたのだ。
80年代にスペイシーからセクハラを受けた事実を俳優のアンソニー・ラップがメディアに語った時、ドラマは第6シーズン撮影の真っ最中。ほかにも過去の被害者が名乗り出る中、スペイシーを出し続けるわけにはいかないと、MRCは、主人公フランク・アンダーウッドが死んだことにして、ロビン・ライト演じる妻役で話を続けるという決断を下した(Netflixも、スペイシーを出し続けるなら配信はしないと、彼をクビにするよう要求したとされる)。
そのせいで、すでに撮り終えていた2話分は、ボツに。脚本を完全に書き直すことになり、納期に間に合わせるため、12話の予定だったこのシーズンは8話に縮小された。MRCがNetflixから得られるライセンスフィーは、その分、減ってしまっている。
スペイシーの被害者は「ハウス・オブ・カード〜」のクルーにもおり、2019年、MRCは、契約内容にある行動規範を守らなかったとして、スペイシーを「契約違反」で訴えた。これを受けてスペイシーは、契約違反をされたのは自分だと逆訴訟。しかし、先に述べたとおり、スペイシーは、損害賠償として2,950万ドル、弁護士代として140万ドル、合わせて3,090万ドルをMRCに支払うことを言い渡されたのである。納得がいかないスペイシーは上訴するも、今月はじめ、棄却された。これらの事実は関係者以外知らなかったのだが、MRC側の弁護士が判決の確認を裁判所にあらためてお願いしたことから、今になってメディアに情報をつかまれたのだ。
スペイシーが迷惑をかけた作品は、これだけではない。訴訟にこそならなかったものの、リドリー・スコット監督の映画「ゲティ家の身代金」も、スペイシーのせいで1,000万ドルの余分な製作費を使うことになっている。
「#MeToo」騒動が起きた時、この映画はすでに完成し、11月のAFIフェストでのプレミアも決まっていた。映画の北米公開予定日は、翌12月だ。だが、騒動を受け、スコットは、スペイシーのシーンを全部カットし、急遽クリストファー・プラマーを代役に立てて撮り直すと決めたのである。共演者のマーク・ウォルバーグやミシェル・ウィリアムズを感謝祭の休日中にもかかわらず再び現場に呼び出し、スコットは、たった8日間で必要な撮影を終わらせ、公開日をほとんど遅らせることなく、映画を完成させてみせた。
そのほんの数ヶ月前には、今作でスペイシーがまた候補入りするのではとささやかれていたのに、授賞式の日、候補者としてレッドカーペットを歩いたのはプラマー。スペイシーは、この授賞式からだけでなく、以後のすべての授賞式から、そして、映画、テレビからも、すっかり姿を消してしまった(日本で2019年に公開された『ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー』は、アメリカでは『#MeToo』前の公開。『ビリオネア・ボーイズ・クラブ』も、『#MeToo』前に撮り終えていたものだ)。業界から尊敬を集め、観客から愛された大スターは、突然にして、完全に昔の人になってしまったのである。
奇妙な動画で伝えるスペイシーの言い分
そんな中で、スペイシーは、自分なりのやり方で世間とコミュニケーションを取り始めた。毎年クリスマスイブの日にYouTubeを通じてメッセージを送ることにしたのだ。それらの動画は実に奇妙かつ意味深で、その都度、人々の好奇心を掻き立てている。
2018年に投稿した最初の動画に、スペイシーは「ハウス・オブ・カード〜」のフランク・アンダーウッドとして登場。「あなたたちは僕に戻ってきてほしいだろう?」「僕がすべてを認めればいい、僕は自業自得だと思っているのかもしれないが、現実はそうシンプルではないのだ」「やっていない罪の代償など払うものか」「まもなくみんなが真実を知るだろう」などと、自己弁護するようなことを語っている。2019 年の動画でも、彼はフランクになりきり、最後は「次に誰かに嫌なことをされたら、攻撃するのもいいけれど、それを抑えて予測できないことをするのもいい。優しさをもって殺すのだ」という言葉で締めくくった。最後に恐怖を煽るような音楽を流しているのもミステリアスだ。
一方で昨年の動画では、スペイシー本人として、「苦しんでいるのはあなただけではない」「これから良くなっていくから」と、自殺しようかと思っている人に考え直すよう話しかけている。最後の画面は、自殺防止ホットラインの電話番号だ。これを通じてスペイシーは「辛くても自分は自殺をしない」と言っているのではないかと解釈する声もある
これ訴えられて当然でしょう。
THIS WEEK「国際」
近藤 奈香
https://bunshun.jp/denshiban/articles/b3333
今回、スペイシーが訴追されたのは、2005〜13年に起こした性的暴行など5件だ。彼がロンドンの、オールド・ヴィック劇場の芸術監督を務めていた時期に起きたとされる。
「発端は17年の#MeToo運動。この時、スペイシーへの告発も続出し、これまで約30人の男性が声を上げた。俳優のアンソニー・ラップは、14歳の時に性的関係を迫られたと告発。スペイシーも『酔っていてあまり覚えていないが、不快な思いをさせたのなら陳謝する』と語っている。そして米英で当局による捜査も始まった」(英紙記者)
性的暴行疑惑の米俳優ケビン・スペイシーに無罪評決 キャリア復活を望む声あがる
東スポWEB7/27(木)15:57
だから作るなって言ったろうが!!!どうせ3は超えられねえんだから!あのクライマックスにケチが付くから!その通りになってんじゃねえか!!!!!!!!!!!!
まずウッディはあんなポンコツじゃねえ!1,2を幼少期に見てた俺らからしたらウッディはヒーローなんだよ!女を格好良く描くのは一向に構わないけどそのために男を貶めるなよ!!!!!「シュガーラッシュ:オンライン」でも顕著だったけど単純に下手クソなんだよ!!!!!!!
ウッディの決断自体は分かるよ、あいつは気まぐれだから!!2でも帰りたいと美術館行くをコロコロ変えてたし!独善的なのも今までのシリーズ踏まえれば理解できる!そこはキャラが動いてた!!!!!
だけどボニーだよ問題は!!!!あんなにおもちゃを雑にする子じゃねえだろが!「大事にするって約束してくれるかな?」約束はいずこ!?なんでおもちゃがなくなっても気づかねえんだ!?!?物語のために性格改悪されてんじゃねえか!!!海外の感想見たらFワード使って叩かれてんぞ!脚本家は「bonnie fuck」で検索してコトの重大さを認識しろ!!!!
ポリコレを重視したいのは分かる!!!ただやるならとことんやれよ!ボニーが保安官バッジをジェシーに付け替えるシーン必要だったか!?「女の子は女のおもちゃで遊ぶ」って偏見助長してんじゃねえか!脇が甘いんだよ!!!!!
この前ピクサーのひみつ展行ったよ!一つのアニメーションに天才たちが知恵を振り絞ってるのを見て「はえ~すっごい」って思ったさ!!!でも脚本がクソじゃどうしようもねえな!!!!!!きれいな移動遊園地も残念に見えてくるわ!!!!!
予告編もクソの塊だ!!!!!あんだけウッディの決断とか推してたらだいたい結末読める!!!唐沢寿明と所ジョージの対談のやつなんてほぼネタバレじゃねえか!!!!!ドキドキさせてくれよもう少しよぉ!!!!!!
はぁ………期待した俺が悪かったのかもしれん
ジョン・ラセターは死んだんだ。いくら呼んでも帰ってこないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。
いや!!!!!!!!!それでも!!!!!!!!もう少し前作を慮るとかはできただろうが!!!!!!俺らはアンディとともに子供時代を過ごしてきたんだ!!!あの別れと自分を重ね合わせて涙したんだ!!!こんなんでウッディが離れていくなんて許せねえよ!!!!!!!
Twitter見たら「傑作だった」って声も挙がってる!多分そいつらは脚本の粗もウッディの決断も素直に飲み込めたんだ!!!人の評価に正しいも間違いもないが、そっちの意見の方が間違いなく「大人」なんだ!!!!
でもな!!!!!!そう簡単に割り切れるもんじゃねえんだよ!!!!俺たちにとっちゃトイストーリーはもういち映画じゃなくドキュメンタリーなんだよ!!!!!!トイストーリー4が許せねえってやつと心のアンディを持ち寄って飲み明かしたい気分だ!!!!!!
まあでも5あるよね?さすがに
そっちを傑作にしてくれたら俺はもう何も言わん
面白い! 以上。
アナ雪の第一印象は、多くの女性が絶賛しているが、私が好きな一部 お笑い芸人さんの評価はイマイチ。っていうか、「特にストーリーは無い」というような評価だった事が強く残っている。
公開当時にネット上で大量に書かれた感想、評論、考察なども結構興味深く読んだ。宇多丸さんと荻上チキさんの評とかも聞いた。
それらを読んだり聞いたりした上で時間が経ってから本編を見たので、完全に真っ白な状態では見れていないのだが、
私の感想としては、少なくない超絶賛には付いて行けないものの、しかし一部 芸人さんの評価は低過ぎると思う。ストーリーはちゃんと有る! むしろ濃過ぎる! 丁寧に煮込まれたスープの上澄みだけを飲んでいるようなモノで パッと見の印象がシンプルに感じられるだけだ。
かなり好き。勿論、素晴らしい作品で、超絶賛される理由も分かる。
んで、ここからが本題なんだけど、
公開当時も沢山の評論や考察はあったんだけど、私が読んだ範囲では それらには書かれていない部分が気になっているんだ。
それをここで書こうと思う。
ザックリ書くと、
「アナ雪って、作中での『運が良い事』が重要な基盤になっているんじゃね?」って事。
まぁ、ディズニーアニメの例によって例のごとく アナ雪も『真実の愛』が重要なテーマになってるじゃん。そして、それが問題解決の鍵じゃん。 それは……、良い。
私が気になるのは、その焦点が「自発的な愛」なのか、他者から与えられる「受動的な愛」なのか、「両方」なのか って事なんだけど、
私は、その「先」も気になるのよ。
つまり、私は、
「エルサの『雪の呪い』は『自発的な真実の愛』でしか解呪出来ない。」という解釈の余地がある事が アナ雪のパワーの源じゃないのか?と思っているんだ。
いや、分からんよ。 旧来型通りクリストフから与えられたであろう「受動的な愛」でも解呪可能なのかもしれない。
でも、無視出来ない描写もある。エルサの良心+妹への贈り物であるオラフが愛が何であるかを知っている事だ。
これは少なくともエルサは愛が何であるかを知っている証拠だし、アナに対して「受動的な愛」を与えている。でも、アナの呪いは解けていない。
また最終盤、エルサが自身の愛を自覚することで氷の魔法を制御出来るようになることも重要だ。
では、仮に「エルサの『雪の呪い』は『自発的な真実の愛』でしか解呪出来ない。」という前提で本編の描写を見てみよう。
まず、最序盤、城の中で二人が雪遊びするシーン、この時点で雪の魔法がアナの心臓に当たっていればアナは為す術無く死んでいたよね。
だって、幼児に自発的自己犠牲的愛なんて期待出来る訳が無いんだから。
これはトロールの長がエルサの魔法を強く警戒する事とも整合性がとれる。子供に対しては致死性の呪いになるからだ。
両親がエルサを自室に閉じ込めるのも危険性を顧みれば已むを得なく、エルサからすれば妹を殺しかけた訳だから強い反省からくる自傷的な引き篭もり、恐怖も理解できる。
つまり、最初にエルサが「運良く」アナを殺さなかった事が最終的なハッピーエンドの結果を生んだのではないか?
日に日に強くなる自分では制御出来ない魔法。閉じ込めるという対処法。最初の被害者は自分より幼く弱い近親者。一度、開放されれば国中を巻き込む影響力。
エルサの雪の魔法は「感染症」のメタファーでもあるのではないか?……
これは”エグゼクティブ・プロデューサーのジョン・ラセターが、難病である1型糖尿病と10歳で診断された息子からエルサのキャラクター作りにインスピレーションを得たと語っている。”
事とも整合性がとれる。
つまり、アナ雪は 表層の魔法とファンタジー+家族再生の物語。中層のディズニープリンセスからの脱却といったジェンダー論。下層の人類の「感染症」との戦いの歴史。対処、献身、治療、回復。の三層構造のストーリーが極めて高い次元で昇華されているため大きな感動を産んでいるのではないか?
そして、ハッピーエンドの核を「運が良い」事に放り投げているので説得力が損なわれず説教臭くさえない。
ただし、無意識の不安は残る。が、アナ雪の場合、コレさえ長所にもなっている。
これを「正義の主人公(達)の努力と理性と決断による悪に対する『必然的勝利』」という構成に出来れば、物語としての強度も視聴者の快感も高まる。が、
同時に説教臭くもなってしまう。作中の「問題」解決の条件と能力に焦点が集まり、説得力が損なわれやすい。
ズートピアとベイマックスは両方とも素晴らしい作品だが、どこか説教臭く、アナ雪に比べ説得力が薄いのはこのためだ。
主人公(達)に「運」の影響が無い作劇は、安心で子供向けにもしやすいが、ややもすると『答え合わせ』になってしまう。
が、主人公(達)に「運」が有りすぎても御都合主義展開になってしまう。
アナ雪はこのバランスが絶妙で、ディズニーアニメとしてはギリギリまで「運」が良く、更にそれを最初の「室内雪遊び事故」一点に絞ってるのが凄い。
要は アナ雪 超良かったです。好き。
ズートピアは素晴らしいし良かったけど、完全には好きになれない。
なりません。
受賞はおそらくズートピアだろう。
あるいはファインディング・ドリー。
ディズニーがピクサーを買収するのは2006年。90年代末から2000年代初期、ディズニー作品はパッとしなかった。良作はあるが、大作かと言われると…という感じ。作品テーマが明らかにマンネリズムに陥ってみえたのもこの頃。過去作のオリジナル続編のOVAを乱発したりしてな…。ジョン・ラセターの介入によって今のディズニー作品が存在すると言える。ちなみに2002年でディズニー作品からのノミネート作はリロ・アンド・スティッチとトレジャープラネット。
モンスターズ・インクが2001年(ノミネート)。その次のファインディング・ニモが2003年(受賞)。2002年はピクサーの新作が公開されなかったのだ。アカデミー賞はその年にアメリカで公開された作品が審査対象になるので、この年にピクサー作品はなかった。なおピクサーは06年以降1年に1作は必ず新作を公開している。
それから15回のうち
03、04、07、08、09、10、12、13、14、15年の10作品
千と千尋の神隠しが洗練された表現形式と優れたエンターテインメント性を兼ね備えた映画だったことは疑わない。
しかし、アカデミー賞の受賞までいったのはタイミングの問題が小さくなかったのだろう。
長編アニメーション部門ができて二回目という時期もあっただろうか?
いや、なによりも、運良くディズニー・ピクサーの脅威がなかった年にノミネートできたのである。
そんな中で、様式の異なる海外アニメーションを出品して、ノミネートされるってだけでだいぶすげえことしたってレベルですよ。
いま、ディズニーやピクサーの勢いが衰えないうちに日本のアニメ映画が受賞までいくことはおそらくない。
ディズニー・ピクサーの表現技術が日夜進歩を遂げており、エンターテインメント性も損なっていないのであれば、会員たちにとってあえて海外の異なった様式のアニメーションに受賞させる必要がない。
なにか根底から価値観を覆されそうな、とてつもないものが提示されない限りは。
だからね、千と千尋の神隠しが受賞したからって、簡単に、受賞するか?! って言わない方がいいよ。
しないから。
だいたいね、映画批評家協会賞とかいうの、あれってアカデミー賞の前哨戦なんて報道されるけれど、それならLA映画批評家協会賞をとったかぐや姫の物語がアカデミー賞受賞にならないのはおかしい空気だったと思うんですよね。
ほかにもボストンとかサンフランシスコとか、各地の映画批評家協会賞とやらをとってたんですよ、かぐや姫は。
さらに、各地の映画批評家協会賞でかぐや姫と競い合っていたのは、ベイマックスじゃなかったし。
でもレゴ・ムービーに至ってはアカデミー賞ではノミネート漏れまでしてるし…。
ヒックとドラゴン2でも、ソング・オブ・ザ・シーでもなく、ベイマックスなのだ。
というわけで、まずはノミネートするか?! を期待するのが妥当だと思います。
主人公が少年発明家って設定だとTVアニメとかに多いんじゃないか。
あと主人公じゃなくて、「近所に住んでるおっさんが発明家」系。コナンの阿笠博士的なやつ。
既にコメントで上げられてるやつ以外で、ざっと思いつくかぎりの映画だと、
『バグズ・ライフ』(ジョン・ラセター&アンドリュー・スタントン):アリの青年だけど
『天才少年ジミー・ニュートロン』(ジョン・A・デイヴィス)
『ヒューゴの不思議な発明』(マーティン・スコセッシ):主人公自身が発明してるかというと微妙だけど
『トゥモローランド』(ブラッド・バード):メインはおっさん(ジョージ・クルーニー)になってからだけど
あと発明とまではいかなくてもやたら想像力と創造性に富んでいる子供の話としては『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』なんかがあるね。
http://twitter.com/hosodamamoru/status/16212042862]
見た次の日に、ディズニーが超ひさびさに作った2Dアニメ「The Princess and the Frog(邦題:プリンセスと魔法のキス)」について、ジョン・ラセターが話してるのをPodcastの英語教材で聞いた。
のでちょっと書き起こしに挑戦してみた。
When I was up at PIXER, when the studios down here(LA), all the studios decided that they were not going to do hand-drawn animation any more. It broke my heart. Because never in the history of cinema has a film been entertaining to an audiens because of its technology. It's why you do with the technology.
And I really felt like they were blaming for performance of the movies on that it with hand-drawn as a pose to computer animatnion.
So when a merger(merged) of Disny with PIXER happened, I returned to the Disny studio with a very first dicidion it may was we gonna bring back hand-drawn animation.
けどすいません、ちゃんとヒアリングできてない。いろいろ違ってると思います。。。でも多分最初のところはだいたい合ってる……と思うです。
私がピクサーにいた時、このへんのスタジオがみんなこれ以上手描きのアニメは作らないと決めていたのは悲しかったよ。だって、映画の歴史上、観客をそのテクノロジーによって楽しませた作品は決してなかった。だから(あくまで)テクノロジーは“共に”あるべきなんだ。
目的じゃないんだ、というふうに読みました。
ソースはこちら:
http://www.eslpod.com/website/show_podcast.php?issue_id=8700327]