はてなキーワード: 石野卓球とは
anond:20220517213328を見て自分もやりたくなったので今更ですがやらせてください。
キリがないので1アーティスト1曲縛りで。
順位付けしようとしたけど結局好きなアーティスト順にしか並べてないことに気づいて発売順に並べることにしました。
以上、50曲。選曲とコメントで合計6時間ぐらいかかった気がする。でも楽しかった。
(1) 小山田圭吾が障害者に対する虐待を行っていたことは、2011年にE-テレへの小山田の起用が決まった時、NHKは視聴者から情報を寄せられて把握していた。
(2) 事務所に対して説明を求めたところ、事務所は事実と認めた上で「本人は反省している」と説明した。※本人による説明ではない。
(3) NHKは「小山田は反省している」と判断して、そのまま起用を続ける方針を固めた。
態々ここまでして起用したのは何故だろうか?
違法薬物の常習者のピエール瀧や、障害者虐待をしていた小山田圭吾がNHKに重用されていたのは、むしろ「そういう人間」だからなのだろう。
NHKは、90年代の思い上がりを引き摺ったままの、サブカル馬鹿たちに汚染されている。人非人的なことをするのがイケていると勘違いした、サブカル馬鹿たちに。
もっともらしく「高い才能が評価されて云々」と言うが、その高い評価も結局、サブカル村の内輪の人間たちが自分たちに都合のいいように拵えて流布したものに過ぎない。
顔がデカいだけで演技はシロウトの人間を「独特の存在感」(笑)と持て囃したり、親の財力と90年代前半の海外/日本、都市/地方、マスメディア/一般人の間に有った情報格差を利用しただけで中身はカラッポの人間が作った音楽を「オシャレな渋谷系」(笑)と持て囃していたが、いよいよ化けの皮が剥がれた。
都市部・富裕層出身者がメインとなって作られたサブカルなんて、無価値なハリボテでしかなかった。当のサブカル馬鹿たち自身は、いまだに「オレたちイケてる!」と勘違いしたままだから、2020年東京五輪の開会式にラーメンズ小林とかFPMとか小山田圭吾とか古臭い面子を持ち出してくる。石野卓球も、音楽は古臭くなっているのに、若い頃と同じような言動のままだから、見ていて痛々しい。
こういう90年代を引き摺ったサブカル馬鹿たちが、自分たちの内輪で仕事や評判をグルグル回している姿は、自民党のオトモダチ人事ソックリで笑える。
小山田圭吾がオリンピック作曲担当を辞任した。つくづく駄目なことでしか話題にならないオリンピックで、佐野研二郎の過去と盗作疑惑に始まり小山田圭吾の過去の悪事に終わるのかと思うとある意味現代日本を象徴する出来事だ。
多分「東京オリンピック(2020)の不祥事」という項目名でウィキペディアのページを作ったらそれなりの分量のものができるだろう。
それとは別に、そもそもほとんどの人はCorneliusとはどんなミュージシャンなのかほとんど知らないのではないか?
はてななんかにいると日本を代表する音楽家と思い込みがちだが、国際的な名声とは裏腹に彼の代表作が何なのかを知っている日本人はかなり少ない。少なくともワイドショーやスポーツ紙を見ているような層は知らない。
多分組織委員会や政府の偉い人たちも、小山田圭吾がどういう曲を作っているかは知らないだろうし、足を引っ張っているとしか思えないクソ擁護をしていた古市憲寿も知らないだろう。
小室哲哉みたいに誰でも知っている歌謡曲的なヒットソングがあるわけでもなく、坂本龍一みたいにサウンドトラックで国際的な賞を受賞しているわけでもない。
フリッパーズ・ギターなんて20代から下の若者は知らないし、ブルーハーツやサザン・オールスターズほどの国民的知名度があるわけでもない。同じようなジャンルのミュージシャンならば、東京は夜の七時つながりで小西康陽に依頼すればよかったのに
そんなわけで、彼がどういう音楽を作ってきたかをここで勝手に羅列する
https://www.youtube.com/watch?v=bJxajh5XOgE
フリッパーズ・ギター時代の名曲。小沢健二作詞。昔の小山田圭吾はこんなポップな曲を歌っていたのである。一方で歌力はなく、ソロになると次第にボーカル曲はなくなっていった
https://www.youtube.com/watch?v=jgxmgtJ2Lc8
ちびまる子ちゃんって小山田圭吾提供の曲があったり、おどるポンポコリンのリミックスを石野卓球がやってたり、さくらももこってこの手のミュージシャン好きだよね。
もしかしたら今回のことで「ハミングがきこえるって小山田圭吾だったの?」なんていう人もいるかも知れない
アルバム69/96収録。残念ながらYoutubeにはなかった。小山田圭吾がヘヴィメタルに傾倒してた頃の楽曲。hideによるリミックスあり。
https://www.youtube.com/watch?v=C4EddUE80m0
アルバムFANTASMA収録。「STAR FRUITS」「SURF RIDE」の2枚のアナログ版をターンテーブルで同時に再生すると一つの曲になる。
この頃はまだ歌っていた。
https://www.youtube.com/watch?v=KZvgeMRGPcw
アルバム「Point」収録。この頃からアンビエントによりはじめボーカルらしいボーカルがなくなる。
https://www.youtube.com/watch?v=WNSde6BQiDM
アルバム「SENSUOUS」収録。ますますアンビエント色を強めていく。
https://www.youtube.com/watch?v=5YlkHinTpYI
https://www.youtube.com/watch?v=wtveG1aw_Qo
坂本真綾への曲提供、攻殻機動隊ARISEのテーマ。
映画版『宮本から君へ』のニュースで、ピエール瀧の名前を久しぶりに見たので、改めて疑問点を記しておく。
そもそも、演技の専門訓練を受けていないピエール瀧のような「素人」が、何故NHK大河ドラマや映画で大きな役を頻繁に貰っていたのか?という素朴な疑問である。
これについて一つの仮説を私は持つが、残念ながら、それが正しいか否かを確かめる手段は無い。
その仮説とは「ピエール瀧が、違法薬物を密売する組織や人間にとって『優良顧客』だったからこそ、NHKや映画会社も演技の素人であるピエール瀧に、優先的に仕事を回していた」というものである。
芸能人などがNHKで仕事をすると、その際のギャラが格別に高い訳ではないが、世間の信用や好感度がアップするので、結果的に、その後の仕事の依頼が増えて収入も増えるらしい。
だとするならば、違法薬物の密売組織がNHKに食い込んでキャスティング権限を持つ人間を操り、違法薬物を使用している芸能人にNHKの仕事を回すように工作すれば、その芸能人の収入を増やして薬物を買う大金を持たせることが可能になるのではないだろうか?
この仮説に従えば、違法薬物で検挙された芸能人を芸能界に復帰させようとする動きも、社会復帰というよりも、むしろ、再び違法薬物を買わせることが出来るように、デカい金を持たせることが目的ではないかと疑わねばならない。
勿論これは単なる仮説である。しかし、伊勢谷友介、沢尻エリカなど、NHKで大きな仕事をしていた複数の芸能人が違法薬物で検挙された事実を考えると、このような仮説を私は考えざるを得ないのである。
最近のピエール瀧は、再び石野卓球と仕事をしている様子で、YouTubeでも関連映像のサムネイルを見かけた。しかし、それを私は視聴していない。
何故かと言えば、それは、私が応援することでピエール瀧の仕事が増えたら、それによって再び違法薬物を買う資金になるのではないかという懸念を抱いているからである。もう今の私は、以前のようにはピエール瀧を応援することが出来ない。
違法薬物に手を出した人間の再犯を防ぐには、薬物を売りつけようとする人間および薬物の入手が可能な環境から、隔離するしか方法は無い。田代まさしを見れば分かるように、どれほど本人が「再犯しない」と誓おうと、そんなものは風の前の塵に等しい。田代まさしの場合、本人なりに更生しようと努力はしていたけれど、イベントで「誘惑に負けず、頑張って下さい!」と握手して励ますフリをしながらバイニンが違法薬物のパケを手渡してきたので、アッサリと陥落して再犯したという。一度違法薬物に手を染めると、本人の意志で再犯を防ぐことは、ほぼ不可能である。金を持たせず、行動も監視して、接触する人間を極力制限するしか、違法薬物使用者の再犯を防止する方法は無い。
それなのに、今まさにピエール瀧は、芸能界の仕事に復帰しつつある。芸能界への復帰は、再犯の確率を増やすだけである。もしも「石野卓球は、違法薬物の誘惑から、ピエール瀧を守れると思うか?」と訊かれたならば、私は思わないと答える。そんなことを石野卓球がする/出来るならば、最初からピエール瀧も違法薬物中毒にならなかっただろうと思う。再犯の心配が杞憂に終われば良いのだが、生憎この心配からは、ピエール瀧も我々も彼の一生が終わるまで決して逃げることが出来ない。それぐらい、違法薬物は恐ろしいものなのである。
話を映画『宮本から君へ』に移すと、本作のプロデューサーや監督がピエール瀧の違法薬物犯罪の事実を知っていたか否かは定かでないが、彼らが「演技の素人」をキャスティングするに至った経緯や理由については知りたいと思う。演技の素人であるピエール瀧を高く評価していたということは、プロデューサーや監督は、贋作を真作と見誤る美術鑑定人と同じく、目が節穴なのではないか?その程度の能力しか持たない人たちに映画を作る助成金を出すのは、端的に言えば金の無駄遣いであろう。どれぐらい無駄遣いかと言えば、他で稼いだ金を吉永小百合主演の駄作に注ぎ込んで溶かしてしまう何処かの映画会社と同じぐらい無駄遣いであると思う。
貴方は「そんなことはない。ピエール瀧は、実力で役者の仕事を勝ち取っていた」と、果たしてどれ程の自信を持って言えるだろうか?オトモダチだけを優遇するような悪しき行いが至る所で蔓延る、現在の日本を見て、例えば日本フェンシング協会の会長として、フェンシングに縁もゆかりも無いような陸上選手崩れの胡散臭いタレントが選出されるような、日本の現状を見て、貴方は自信を持って「ピエール瀧は実力で役者の仕事を貰っていた」と言えるだろうか?
たいしておもしろくもないのについふぁぼってしまうのはなんだろう?
絶対にやれるとかお近づきになることはないのはわかってるになぜかふぁぼる
まったくふぁぼるに値しない、石野卓球がちょっと前にバズったくそつまらないツイート「ねむい」「おきた」を丁寧にふぁぼる
なんだろうこれ
別のだれかだと絶対にふぁぼらない
なんとなればブロックしてる
話しかけてけんもほろろにされるのがいやでそれ以上のアクションはしないのでふぁぼるに留まる
この自分でもわけのわからない行動がなにかの秘密を解く鍵になってる気がする
オタサーの姫を作る土壌というか
そしてある日憑き物が落ちたみたいにどうでもよくなる
なんとなればリムーブしてる
この行動の差もよくわからない
前と同じでおもしろくないツイートに前と同じで同じ角度の同じ顔と同じ谷間の画像もまめにふぁぼる
だけどある日「もうええわ」と思ってリムーブ
は!
#ちがうかな
二重半ばになるまで、石野卓球を「Twitterおじさん」としか認識していなかった。
なんならTMネットワークと混合していた。
諸々があり、ああ一人で音楽作るおじさんか。とようやくグルーヴ魂を認識した。
踊らなそう(に見える)なのに、彼の新曲を聞いた人は「踊りたくなる~~」とキャッキャしてた。喪のワイには理解できなかった。
梅雨で鬱々としてるなか、聞き慣れた音楽に浸かりながら考え事をするのが嫌だった。
圧倒的「「音楽」」でワイを支配するか、圧倒的つまらなさへの嘲笑に全エネルギーを突っ込みたかった。
精神的に抑揚を付けさせる音楽に苦しいくらい鬱だった。考えるのが嫌だった。歌詞について考えたくなかったから洋楽も聞けなかった。
メロディで「多分ああやってこう下がってこう来る…」と予測するエネルギーさえ勿体なかった。
すげえ、なんだこれ。もう、言葉にする余力もないんだけどさあ。
かっこいいねえ、おじさん。
僕はとある2次元コンテンツのオタクだ。別に今まで龍が如くをやったこともないし、何ならPS4も持っていなかった。
ジャッジアイズが発表された日、Twitterを眺めていたら、キムタクが操作できるゲームのPVに出会った。キムタクで新宿の街を歩き、キムタクでチンピラやヤクザをぶっ飛ばし、キムタクでコンビニを荒らす。
今まで興味がありつつも触れてこなかった龍が如くというゲームが、主人公がキムタクになるだけでこんなにワクワクするものかと思った。
しかし、PS4を持っていなかった僕は、そのために買う気も起きず、そのままジャッジアイズは「いつかやれたらいいゲーム」になったまま、記憶の隅に消えていった。
時は過ぎて、バイトの休憩中に見ていたTwitterにとんでもないニュースが舞い込んだ。ピエール瀧の逮捕だ。
誤解のないように述べておくが、僕はピエール瀧の逮捕で特にイメージが下がった、ということはない。人に危害を加えたわけではない(石野卓球は色々言われたりしたけど)し、悪いことはであっても僕個人として失望した、というわけではない。
しかし、ゲーム会社その他はそれを許すことができないのも事実で、ジャッジアイズはその日のうちに販売の自粛が決まった。
このゲームをやりたいという欲求と、今後発売されるプロスピへの先行投資と考え、僕は春休みに貯めたバイト代を握りしめて、回収される前にジャッジアイズを購入した。
まず、キムタク含め俳優陣の吹き替えが上手いので、ドラマを観る感覚で遊べる。キムタクはハウル、ピエール瀧はオラフをやってたこともあってか、違和感がなかった。中尾彬も上手い。
そこにゲームオリジナルのキャラが絡んでも、声優が洋画の吹き替えで活躍する人ばかりなので耳触りがいい。海藤さんが良いキャラクター過ぎて、こんな兄貴分欲しいって思えるくらいに没入できた。
そして、PVで観てた以上にキムタクで遊べる。チンピラやヤクザをぶっ飛ばし、コンビニを荒らし、ある時はキムタクになって麻雀を打ち、ロンで和了るとキムタクがドヤ顔をする。夜の店でキムタクを酔い潰し、フライデーもびっくりの4股交際に発展する。
が、ゲームが進むごとに、操作しているキムタクが、次第に八神隆之になっていった。八神隆之を操作して、黒幕を追う。シナリオの進行とともに盛り上がっていくシナリオに、どんどんハマっていった。
PVとかで出ている部分なのでここについては語るが、ストーリーの根幹の一つとして、羽村京平(ピエール瀧)を追っていくというものがある。羽村を追いつつ過去の謎の真相に迫るストーリーは、久々に続きが気になるゲームで遊べたという喜びにもなった。
龍が如くスタジオは、6月末に海外版ジャッジアイズを発売するために、羽村のモデルを全て差し替えている。これはおそらく今後日本版にも修正パッチが配布され、ピエール瀧の羽村は見られなくなると思われる。
正直、ピエール瀧のあの演技を、無かったことにしてしまうのはあまりにも惜しい。だからどうか、今のうちに、日本人にはジャッジアイズをやって欲しい。
ゆるニャンと”おちんちん!おちんちん!” pic.twitter.com/Mjq8ut6rbg— Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) 2019年4月18日
凄いもんだよね。マスコミって何なんだろうね。
相方があんだけラブコール送ってんなら終わりも何もねえって感じ
もし、電気グルーヴや石野卓球やらテクノ音楽やらに理解が無いのだとしたら、音楽業界なんて清濁併せ持ったクソの掃き溜めでは多少トンだ事やってようが最高の曲を作れば一生どころか死んでも歴史的に評価され続けるもので
電気グルーヴとか人生だったかを好きな人って刹那的かつ恒久的に「あの時は楽しかったなぁ」を出来る人達だと思うので、ピエール瀧や石野卓球のどちらかが死なない限り彼等を愛し続けるんだと思う
もしかしたら、死んでしまっても、両方一緒に死んでしまっても悲しみに包まれはするけど何かしらのギャグを呟いて電気の曲を聴き続けるんだと
むしろ公共放送なんぞに出て活動が縛られてやりづらくねえかと思うところもしばしばある。
なんつーか、どこぞの誰かが思っているより、公の場で活躍し続けるってのは、ストレスフルで名誉よりも不名誉でその人のやりたい事と合わなければとことん合わずに精神が擦り減っていくものでしょうに。
享楽的な芸風の彼等にとってそうやってわざわざ歯車を合わせに行った業界がそんな自分達に今更ギャースカ言ってるのなんてアホらしくて仕方がないと思う。
正直、謝罪会見の時に「めげるなよ!」とも「にげるなよ!」とも「ウェげるなよ!」とも「ドラゲナイよ!」ともわからない声がかけられた事も彼等にとっては格好の音ネタであり、最高の声援だと思うし。
なにより、他者を傷つけてはいないが社会的には許されない犯罪を犯した人にとって帰ってきても「お前バカだなー!」と言って待っててくれる人が一人でも残っていることはとても心強い事だと感じる訳で
つまり、その時点で終わりでもなんでもなくて、瀧が今回の件て疲れてない限りはまだまだ活動してくれそうだなぁっていう感じ
まぁ、瀧が謝りに行くところは多いと思う。