はてなキーワード: MDとは
以上の理由によりおっさん世代にAM+スピーカ垂れ流しという古典的スタイルが確立する素地はある。
小室ファミリー全盛のころにCDを買い漁った経験のあるやつが多いはずだ。
だからMDウォークマンもCDラジカセもネットもYoutubeもiTnuesも使いこなすことができる。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170208/k10010869281000.html
blueboyですらまともなことを書くほどひどい。
問題を混乱させるのが、「インフルエンザ脳症」という疾患定義だ。これ、アメリカの医学教科書(つまり世界最高レベルということになる)には書いてない。「インフルエンザの合併症としての脳炎」とか「中枢神経合併症」みたいな書き方。向こうで、日本におけるインフルエンザ脳症と同様の重症感を持って語られていると思われるのは「ライ症候群」。「ライ症候群」は致死的な脳炎+脂肪肝炎などを起こす。死亡率が非常に高い。そしてアメリカでは、ライ症候群発症とサリチル酸投与との関連が指摘されたため1980年頃にインフルエンザの時にサリチル酸(つまりアスピリンとか)を使用することについての重大な注意喚起をしたところ、撲滅された、とされている(Belay et al. NEJM 1999.)。
「インフルエンザ脳症」なのか脳炎なのかわからないが、インフルエンザの脳の合併症は、現在のアメリカではまれなのだそう。例えば、神経系の合併症を併発するインフルエンザの発症率(罹患率)は10万人年あたり4人程度とされ、そのうち脳症は10%程度、調べたデータの842人のインフルエンザによる入院患者(アメリカでインフルエンザで入院、って時点で相当重症ってこと)の中で死亡例ゼロ(Newland et al. J Pediatr 2007.)。あるいは2009年のH1A1パンデミックの際、中枢神経系の合併症は8.8%(これは多い!アメリカでインフルエンザを検査で同定した患者というわけで重症感のある患者群ではあろうがそれでも多い。さすがパンデミック)、しかし死亡例はゼロ(Wilking et al. Pediatr Neurol 2014.)。
たまに日本の医者で、「アメリカ人と日本人は違うのだ」みたいな話する奴がいるが、冷静に考えてアメリカには数十万人の日本人がいるわけ。そのアメリカの日本人も無事なのはなぜ??
基本的によく調べられていて悪いのはアスピリンとされるが、薬学的にそんなに変わらないので、アセトアミノフェンを除くその他のNSAIDsと呼ばれる鎮痛剤も全て欧米ではインフルエンザには禁忌。
そうだ。僕はこういうことを書いているくらいだからMDなのだけれど、これは冷静に考えて日本の医療界の犯罪的な状況だと思われる。インフルエンザにNSAIDsなんて絶対出しちゃいけない、出さなくてアメリカでは死亡するほどの脳症が撲滅されたとBelayらが報告している。別にアセトアミノフェンならいいって言ってんだからアセトアミノフェンにすればいい話なのだ。量的リスクが十分わかっている劇症肝炎(アセトアミノフェンの副作用)を恐れているのか?いや、そんなことすら知らないだろう。何も考えず「ブルフェン」とか出してんのだ。ありえん。
市民団体は、ワクチンとか放射能とかくだらないこと言ってる前に、発熱・風邪の時のNSAIDsの全面禁止を訴えるべきなんだ(インフルエンザかどうかなんて特に早期は必ずしもわからないので、季節性の感冒っぽい症状の時は全面禁止すべき)。
市民団体はイギリスのワクチン反対運動とかそういうの見てるだろう。でもね、欧米ではすでに市民団体がどうとかする前に策が講じられているようなことを日本では見過ごされていて、しかも死に至るものがある。忘れちゃいけないが、どっちだかわからない(多分関係ない)ワクチンなんかより、明らかに科学的に誤りであるインフルエンザ時のNSAIDs使用の方が大罪であり、それを見過ごす医師系の団体も大罪であるが、市民団体も何やってんだというところなのだ。
博士をとってから大学で博士研究員として1年ほど働いたが、先日、民間企業から内定をいただいて大学を去ることになった。転職の活動をする中で思ったことを書き残しておきたい。自分と同じ程度に何も考えず、ちゃらんぽらんに博士課程に進もうとしている人の参考になればよいと思う。
1.スペック
男29 バイオ系 医学研究科所属(non-MD) 特筆すべき業績は無い
いわゆるピペド的な分野だけど、医学系に所属していたことが就職にプラスとなった模様。
1日6時間勤務で時給1670円。つまり日給1万円。額面20万程度なので、手取りは16~17万ほど。残業手当や休日出勤手当についての規定はいろいろ事細かに書いてあるが、残業や休日出勤は存在しないことになっている。生物相手の仕事なので6時間の中で全ての仕事を収めることが不可能である。場合によっては夜中に始めなければいけない実験もある。また、生物には曜日も関係ない。大学院生の頃、研究室に行かない日は年10日ほどだった。卒業前、ポスドクになってもそのペースで仕事ができると思っていたのだが、お金をもらう身分になるとそれができなくなった。給料が発生しないのに研究室に行くことが馬鹿らしくなってしまった。こういうことを言うと、休みがほしいと言ってるようでは研究者に向かない、と言われたりするのだが、そういう問題ではないだろう。だって、こちらは契約書を交わして雇用されている身分なのである。そういう意味では民間企業で働く人と同じだ。上の言い分がまかり通るなら、サービス残業ができないような会社員だって、その会社の仕事に向いてないと言ってよいことになるのではないか。少なくともこれまではてブ等で言われてきた基準から考えれば、即退職すべき職場と言えるはずだ。
これはうちの大学だけの問題ではなく、どこの大学でも聞いてみると似たような人が居る。教授たちはポスドクの生活について特になんとも思っていないし、月20万も出してやれば逃げていかないと思っているらしい。「サイエンスにサティスファイ」していれば飲まず食わずでやっていけると思っているのだろう。
それでも、百歩譲って、自分の好きな研究をしているなら、お金をもらわずに働いてもまだ納得がいく。しかし、雑務に追われて研究ができない大学教員同様、ポスドクも上でオーバーフローした雑用をこなしているだけで時間が過ぎていく。毎週末出張に行かされたり、インターンの学部学生の面倒を見たり、他大学の学生やスタッフに技術指導をしたり、シンポジウムの運営を手伝ったり、種々の書類を書かされたり、というのが日々の業務である。それでいて、世間からは、研究者なんて劇団員とか芸人とかそういう類なのだから待遇が悪くても仕方が無いだろう、お金がもらえるだけいいでは無いか、というようなことを言われるので腹が立つ。
活動期間はトータル4ヶ月。ただそのうち一ヶ月半ほど忙しすぎて何も動けない期間があった。覚えている限り、13社応募した。うち、3社は転職エージェントと音信不通になった。2社は転職エージェントから応募を断られた。残りのうち、4社は書類で落ちて、4社で面接に呼ばれた。最終的に2社から内定をもらった。
専門知識が活かせそうな職であれば、研究職、非研究職に関わらず応募した。そのため、最初は何がやりたいのかもはっきり固まっておらず、書類審査に通りにくかった。後半は、希望の業界や職種が絞れてきたことと、求人票から書類審査に通りそうなものがある程度わかるようになってきたので、思ってたよりもあっさり終わった。
巷では博士まで行くと就職が無い、特にバイオ系は終わっているというような話が多かったので、活動を始める前は心配していたが、別にそんなことはなかった。ただ、研究職に絞っていたらそう早く決まらなかったかもしれない。自分の実験技術はニッチな職人芸で、企業の研究で活かせるかというと微妙だったし、業績も研究職を目指すには寂しいので書類選考がかなり厳しかった。それに、やっぱり分子生物学を直接活かせる分野はまだそんなに無いというのも思った。
博士課程で身につけるべき専門性やスキルは、研究以外にも活かせる道があると思うので、研究以外のことにも興味を持てる人だったら、博士まで出たからといって特に就職で不利になることはないと思う(能力的に博士として平凡な人でも)。
4.博士進学すべきか
私は博士進学したことを全く後悔していない。ポスドク期間は精神的につらかったが、大学院生の間は、研究を通じてエキサイティングな経験ができたと思う。
博士を取るのは、学士や修士に比べたらかなり大変ではあるが、その分、達成感がある。私は基礎研究分野なので、その視点に絞って言うが、博士というのは世界で初めて誰も到達してない場所まで登り、そこから新たな景色を見せることができた人に与えられる称号だと思っている。博士課程で行う研究なんて、そうたいしたものではないけれども、でもどんな小さなことであれ、世界で一番になる経験というのはなかなかできるもんじゃない。だから、もし学部や修士課程で研究を面白いと感じているなら、その先の山まで登ってみることは悪い経験にはならないと思う。
もちろん、リスクやデメリットはいろいろあるし、向いている向いていないもあるけど、条件が合えばリスクは限りなく小さくできる。博士課程に進学しようと思ったらお金が必要であるが、親から全く援助が受けられなくても、プラス収支で博士課程を卒業することは不可能ではない。最近、貧困の原因になっているとも言われている学生支援機構の奨学金だが、大学院で借りた奨学金は3分の1の確率で半額または全額が免除されることはあまり知られていないのではないか。免除されなかったら大きな借金を背負うことになるのでハイリスクな賭けではあるが、単純なギャンブルではないので勝率を上げることはできる。免除される枠は大学ごとに割り当てられているので、学内の相対評価で勝てれば良い。背伸びして良い大学院に入ると大変かもしれないが、小さな大学でアクティビティの高いラボに入れれば免除される可能性はかなり高くなる。私もこのパターンで、日本全体では平凡な大学院生だったと思うが、所属大学では上位に入れた。それから、最近はお金を出してでも学生を囲いたい大学院もあるから、この辺をうまく使えればお金がなくても進学は可能である。卒業後の就職のことに関しては上に書いたとおりである。実感として、そんなに不利だとは思わなかった。研究を続けるか別の道を歩むかの決断はあるかもしれないが、仕事を見つけること自体は難しいことではない。
優秀な人が将来の懸念から、博士過程を避けるようになっているという話をよく聞く。それがどの程度本当なのか私はよく知らないが、本当だとすれば残念なことである。真に優秀な人はおそらく研究者として残っていけるだろうし、別の道を探すことだって難しくはないだろう。重要なのは進学前の情報収集だ。良い指導者(色々な意味で)に出会うことは極めて重要である。
5.学術界に言いたいこと
それはそうと、博士課程を卒業した後、ポスドクの待遇は酷い。なんなら、学生のころよりも生活が苦しくなったりする。私の待遇でも、社会保険と厚生年金に入れるだけ全体としてはマシだと言われるようなレベルである。
博士まで取った人なら、仕事くらい自分で見つけてこられるだろう。だから、別に今いるポスドクをみんな救済しろと言いたいわけではない。ただ、せめてルールくらい守れと言いたいだけだ。大学や予算枠の規定で仕方がないのか知らないが、秘書や実験補助員と同じ枠でポスドクを雇用し、ポスドクにだけ特別な暗黙のルールを適用することはいい加減やめた方がいい(秘書や実験補助員は定時で帰るし、定時で帰れるように配慮される)。本来、研究者を時間給で雇うのが間違いなのだが、全員を正規雇用できないというのもわかる。だから、正規雇用されなくてもいいから、パートタイムで雇うならその規定をきっちりと適用してほしい。そんな中途半端な研究者は要らないと思うなら雇わなければいい。自分だって、ボスからポスドクとして残ってほしいと言われたから残ったのである。必要だと思うなら、必要性に応じてお金を出せばいいし、出せないなら逃げられても文句は言わないでほしい。
6.まとめ
大学院は超エキサイティングだったが、ポスドクの待遇が酷いため研究をやめることにした。
博士進学および研究は人生を賭けた博打であり、勝つためには運が多大に必要である。しかし、単に運だけで決まるわけではない。そこそこ得たいものを得て降りることは可能である。研究の過程を楽しく思えてかつ優秀な人には博士進学を勧める。
・超美少女ロボ・プリティ PiPi (FUJIMIコミックス) 富士美出版 (1995年4月20日)
・当たりが出たら (FUJIMIコミックス) 富士美出版 (1994年6月5日)
・おまかせロイド ツインクル 1 (カラフルコミック) ビブロス (1995年6月27日)
・おまかせロイド ツインクル 2 (カラフルコミック) ビブロス (1996年5月1日)
・Jewel Master リイナ (カラフルコミック) ビブロス (1997年7月25日)
・お姉さんといっしょ (MDコミックス) メディアックス (1999年6月20日)
・閉店後のヒミツ (MDコミックス) メディアックス (2000年8月20日)
http://adultcomic.dbsearch.net/author/%E5%AE%89%E4%B8%96%E5%A4%A2.html
ブスも痴漢にあう。
ブスに痴漢するわけねーだろ!自意識過剰!って言われるんじゃないかっていう心配で、痴漢されてる事実があるのに、まるで嘘ついてる気分で世界最悪の人間みたいになってくる。
美人なら美人で、痴漢されてるの自慢してるみたいな謎のイイ女判定の空気あるし、ほんと痴漢どうにかなんねえかな。
「おまえは絶対痴漢されないよ」と言われる程度のブス。フリース着てジーンズにリュック背負ってるひっつめ髪メガネでノーメイクの眉毛ぼうぼうのいかにもオタク女で65キロくらいあったし、地味とかダサいとかそういうの超越して女を捨ててる外見してたけど、電車通学中10回くらい股に指つっこまれてんのね。年に2~3回ペースで痴漢あいました。あからさまに言うと、ジーンズの縫い目触って膣と肛門ねらってくんの。そのたびに、MDのフタで思いっきり痴漢野郎の手を挟んでえぐる、シャーペンで刺すとかやってたわけ。MDに血ついてんの最悪。シャーペンは壊れるし。やりすぎじゃないよ、だって触るのやめないんだもん。触る気ないならビックリしてイタっとか言うでしょ普通。血が出るまで刺しても無言って普通じゃないよ。血が出た手をひっこめるだけの男=痴漢は、バレたらヤバいって思ってることわかってしてるんだよ。
私自己評価でブス判定なんで、声出して「痴漢やめてください」って一回も言えなかったの。こんなブス痴漢とか頭おかしいでしょ、え、さすがにないわ無理、とか開き直られてまるで私が嘘つきみたいにされたら、手に負えない事態で嫌過ぎじゃん。駅員さんも「ないわw男がかわいそう」って思ってそうだし。
ブスにも男の性欲向けられます!
痴漢にあった話すると、男性陣は居心地悪そうなのね。男って概ね、女よりも正義が大好きなんで、痴漢も社会秩序の敵認定して共感ほしいんだけど、なんでか「痴漢許せない!」って反応じゃなくて、痴漢といえば「痴漢冤罪!」って話になるんだよ。痴漢の話してる私、この私が痴漢されて嫌だった犯人はクズだ死ねみたいに怒ってんのに、なんで目の前にいる痴漢被害者の私じゃなくて、誰とも知れないどっかで読んだだけの痴漢冤罪の話するんですか???????私は痴漢冤罪を否定するものじゃなくて、すごく深刻な冤罪だってわかりますが、痴漢がこの世に存在するから痴漢冤罪があるんだよ。痴漢冤罪を信じることで、痴漢犯罪を免責する心理なんだろうか。その冤罪と私が痴漢されたこと関係ないっての。
女性に話すときにも、痴漢されたこと自慢してるっていう判定する空気あって話づらいの。いやこれ犯罪だからね。なんで、そんなときだけ男目線なんだよーもう。
痴漢防止ポスターで、女学生が怒った顔で「チカンダメゼッタイ」「コノヒトチカンデス」とか言ってても、女の子のプンスカなんてカワイイポーズの一種じゃん。
・痴漢男の過去の姿にして変わらぬ自己イメージの、アカ抜けないダサめの中高校生くらいの男子がイヤそうに見下してるかんじ
・赤ん坊じゃなくて就学未満くらいの男の子を抱いた母親がイヤそうに見下してるかんじ
・50~60歳くらいのおばちゃん=痴漢男の母親像が、イヤそうに見下してるかんじ
・60歳くらいのだらしないかんじのおじさんが、イヤそうに見下してるかんじ
「痴漢をする人間は、性犯罪者です」みたいな人間失格烙印するコピー。
「電車内の女性を触って性的興奮をする人間は、性犯罪者です」とかでもいい。
痴漢する男の世界観ヒエラルキー外の、不可触民の人間に嫌がられて、見下されるっていうのが性欲ファンタジーを直撃して効くと思います。罪を憎むよりも、ストレートに行為者本人を名指しで憎んで、貶めることが抑止力になる。イラストやマンガよりも、実写がいいだろうな。性欲たぎってるとき頭回らないから。
痴漢男と、一般男性世論が「痴漢冤罪」というワードで結ばれる正義ファンタジーの連帯を断ち切って、「ボクが痴漢の被害にあって嫌な思いをしたかもしれない」って女の被害者に共感の輪を広げてほしいです。
無理かな。
性犯罪加害者のほとんどは男で、性犯罪被害者はほとんどが女っていう性差あるから(若い男が夜に帰宅する途中に通りすがりの人間に後つけられてレイプされて殺されるって事件は無い。探せばあるかもしれませんが、逆は今も昔もありふれ過ぎてて、レイプされる危険があるのに夜道を帰ってくる女が悪いってなる。)、性犯罪の罪は軽いという時代があったわけで、幼児強姦を「女児にいたずら」なんて気楽な報道用語が昔は見られました。性犯罪ぐらいで罰するなんてヒドイ、男の生理なのに仕方がないじゃないかっていう、不満っぽい空気を感じること今でもたくさんあります。性犯罪被害者の女よりも、重過ぎる罪で罰せられる男ってかんじに男は同情しちゃうんだろうなあ。
痴漢ぐらいで…って思われてるだろうけど、すごい嫌だよ見ず知らずの赤の他人がゼロ距離に近づいてきて、触られたくないところを触られるって。しかも逆ギレしてお前が悪いとか言ってくるかもしんないって。
VHSビデオはカビやすいので保管が難しいですし、CDやDVD、BDも意外に内部がカビると聞いたことがあります。
また、その規格自体がなくなったり(ベータ、HD DVDなど)、一般的な規格になったのに会社の戦略のために新しい規格を作ったために古くなり抹殺されるとか(レコード、MDなど)。。。
パソコンのソフトでも古い拡張子のものは開けなくなることがよくあります。
そう考えると古い規格での電子媒体は適宜新しいものに入れ替える作業が必要になりますね。
面倒ですね。
また、最近は電子書籍が流行でこれもある程度便利ですが、やはり長期保存には向かないでしょうね。
ころころファイルフォーマットの規格が変わりそうで怖いです。
千数百年前の書物が今でも残っているのは紙のおかげですね。
そのため、私は文章や写真はパソコンの中だけにとどめず、できるだけプリントアウトするようにしています。
保存だけでなく、ぱっと見せられるという点でも便利ですので。
私はコミットログの書き方に悩む英語の苦手な人間である。実際、似たような人は世の中に結構いるようで、頻出単語を集計したりまとめたものは既にあって役に立つのだけれど、これらはあくまで単語の話であり、具体的な文を構成する過程でやっぱり困る部分がかなりあった。
要するに、どういう時にどういう文が使われているのか、ということを示した例文集が欲しいのである。ググると他にも「例文集があればいいのに」みたいな声はあるくせして、しかし誰も作ろうとしない。何なんだお前ら。それじゃ私が楽できないじゃないか。
ここで挙げているコミットログは全て実際のコミットログからの転載である。当然ながら各コミットログの著作権はそれぞれの書き手にある。いずれも各英文でググれば出てくるし、フェアユースの範囲なら許してくれるだろうと考え名前とプロジェクト名は割愛したが、ここにお詫びと感謝を述べておきたい。
抽出条件だが、参考にできそうなコミットログを多く含んでいそうなリポジトリをGitHubのSTARの多い方からざっと目で見て適当に選び、それぞれ最新コミットから5000件抽出した(あわせて前処理として、コミットログ冒頭のタグ情報は消去した)。
atomのみ5400件抽出していたため、計25400件のコミットログがベースである。このうち、以下の条件に合致するものは参考例にすべきでないとして一律排除した。
こうして残った8540件を眺めながら、適当に切り出したのがこの用例集である。個人的に「うーんこの」と思った表現も、散見される場合は載せた。
ということで、以下用例を羅列していく。
以上の用例をふまえ、今回の参考ログ8540件から先頭の単語を出現回数で並べると次のようになった。
Add | 1149 |
Fix | 1014 |
Update | 584 |
Remove | 566 |
Use | 382 |
Don't | 260 |
Make | 228 |
Move | 178 |
Change | 103 |
Rename | 85 |
Improve | 76 |
Avoid | 68 |
Allow | 65 |
Implement | 60 |
Handle | 58 |
コミットログの基本形はもちろん動詞 + 名詞である。名詞は固有名詞、複数形、不可算名詞が多いが、単数形の場合の冠詞は a が使われるか、あるいは省略される。the はまず使われない。
何かを追加した、という表現では非常に広く Add が使われる。メソッドからテスト、ドキュメントに至るまで大概これでまかなえる。
一方、何かを修正した、という表現では広く Fix が使われる。「何か」は typo や crash といった単語からメソッド名まで幅広い名詞を取るが、動名詞はあまり取らないのと、that節は取らないのでその点は注意が必要である。
Fix は「何かが正しく動くようにした」ことを示し、正しい動作内容が何かを説明しない。そこで正しい動作内容に言及したい場合は Make sure が使われる(こちらはthat節が取れる)。ただし Fix よりもニュアンス的に重い表現と思われ、Fix を使わず Make sure ばかり使うのはちょっとキモいのではないかと思う(Ensure はさらに重い表現っぽい)。
また、Fix は typo 以外でのドキュメント修正に対して使われることは稀である。対して Update はドキュメント、コメント、テストに使われ、本体のコードの修正に対しては使われない。本体コードの修正にあわせてテストも更新したなら Update が使われる。ただ、テスト機構それ自体のバグを修正したなら Fix である。
無駄な何かを単純に除去したなら Remove を使う。これまでのもの(A)から別のもの(B)に切り替えたのであれば Use B instead of A か Change A to B が使われる。新たに何かを利用するようにしたのであれば Use を、利用を取りやめた場合は Don't use を使うことが多い。
何かをしないようにしたなら Don't を、内部実装の効率化なら Make A + 比較級/形容詞 か Improve が使われる。
中身の変更を伴わない単なる名前の変更なら Rename A to B、コードや機能の論理上の場所を移動させたなら Move A to B である。
この辺はリファクタリングと呼ばれる行為と思うが、Refactor というぼんやりした動詞はあまり使われず、このように変更内容の種類に応じて動詞が使い分けられている。
コミットログにはWhyを書くべきだ、というのを何かで見かけたので because とか since を使ったログがどの程度あるかを調べたが、8540件のうち22件だった。基本的に短く、シンプルに、一目で意味が取れるログが好まれる傾向がある。例えば get rid of とか2件しか使われておらず、圧倒的に remove である。
一方で、シンプルな単語だけど開始単語としては使われないものもある。例えば次のような単語である。Expand(9)、Extend(8)、Print(5)、Optimize(5)、Publish(4)、Append(4)、Modify(3)、Manage(2)、Revise(2)、Dump(2)、Insert(2)、Migrate(2)、Enhance(1)、Edit(1) 。いずれもカッコ内は8540件に対する冒頭での登場回数である。結局、より一般的で平易な単語で表せたり、Refactor同様に抽象度が高すぎると使われないのだろう。
8000件もログを見たおかげで、迷いなくコミットメッセージが思いつくようになったのが個人的には今回書いてて最大の収穫だった。たぶんカンニングペーパーを作る行為それ自体が効率のいい学習になるという話と同じだと思う。
このまとめも100以上用例を転載してあるので、それを読むだけでも多少は効果があるんじゃないかと思う。同じようにコミットログ書きたくねぇなぁ英語わっかんねぇなぁと思っている人にとって、何か役に立つところがあれば幸いである。
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1年の間、プログラマとして働いていたが、続けていくことが無理だと思い、さようならする話。
プログラマになる前は、コーヒー屋で働いていた。しかし、色々とあり辞め、職業訓練校に通ってプログラミング(php)を学び、60人ほどのソフトウェア開発会社に就職した。
会社に入ると、まずC#の研修があった。研修と言っても、C#で内製ツールを独りで作るという研修だった。この研修中に「あれ、オレ、プログラム書けねー」と思ったりしたが、研修は終えることができたし、社内の人にも「なかなか良く出来ている」と言ってもらえ、大丈夫だろうと思っていた。
研修が終わり、C#の社内で実際に使われているツールに、機能をいくつか追加する仕事を振られた。前任者にどんな設計になっているのか大雑把に聞き、なんとなくイメージができ、コードを読み始めたのだが、これが全く意味不明で、何のために有るかがわからないクラスが大量にあった。名詞の王国だと思った。前任者に、何故このクラスは、この単位で分割されているのか聞くと、「単一責任の原則だよ」とか「hogeパターン使うと、後から機能追加しやすいじゃん」というような回答をもらった。納得は出来なかったが、プルリクも承認されて、このツールがデプロイされていたので、社内的にも、このコードは、クソコードと言われる物では無いはずだと思ったので、自分もプログラムを書き続けていれば、こんな感じの設計に慣れてくるんだろうと思った。モヤモヤは残っていたものの、仕事はしなければいけないので、前任者のコードに習うように、クラスを追加したりして、機能を追加した。プルリクを出すと、設計には何も言われずに、タイポや、テストコードを注意されただけだった。指摘された点を修正すると承認された。振られた仕事は完遂した。が、結局最後まで、モヤモヤは消えなかった。むしろ、モヤモヤモヤモヤになった。
次に振られた仕事は、内製ツールを設計から自分で行い作成する仕事だった。言語はGoだった。Goで書いてと言われた時は、以前からの自分のモヤモヤはオブジェクト指向のせいで、モヤモヤしているんじゃないかとも思っていたので、喜んで!という感じであった。が、Goを触ってみると、結局、Goも継承の無いオブジェクト指向言語やないかと思った。Goの標準ライブラリのinterface名もHogerみたいな感じに接尾辞に-erを持ってくることが慣習らしく、この命名だと、interfaceを満たす構造体自身が-erになるので、正にオブジェクトだなぁと思った。巷での「Goはオブジェクト指向ではない」というのに期待していたのだが、自分にとっては、とてもオブジェクトしていました。
Goに対する印象は良くなくなったが、ツールの設計をしないといけなかったので、Goの構造体をC#のクラスに見立て、前回の前任者のコードのように、単一責任も持つ構造体に(無駄に)分けて、プログラムを書いて、プルリクを出した。自分でクソなコードだと思いながら。だけれどもレビューでは、「errorのチェック忘れ」「標準ライブラリにこの機能ある」「こんな風に書ける」といった感じだった。こんなコードで良いんかよと思ったが、良いらしい。ワケワカメだった。
ここらで、プログラムを書く仕事は、無理だと悟った。現実世界は、自分が自然だと思う方法と違う方法で、プログラミングをすることを強要してくる。
ちなみに、仕事ではC#とGoを書いていましたが、オブジェクト指向と仲良くなるためにSqueak(Smalltalk)で、オレオレ言語を作ってみたりもしましたが、何が嬉しくて、オブジェクト同士のメッセージパッシングでプログラムを作るのかわかりませんでした。
Clojureは、気持ち良くプログラムを書いていても、Javaが顔を出すところでフラストレーションが溜まってしまって、つらくなりました。
Common Lispは、自分が触った言語の中でも、秀でて良いと思いました。プログラマを辞めても、プログラム書く必要に迫られたらCommon Lispで書こうと思うくらいにです。Land of Lispが楽しいです。あと、CLOSの総称関数の考え方が大好きです。
最後に、この投稿は、一種の決別の表明です。いつまでも、自分に向いていなかったことに、時間を掛けてしまっている自分との決別です。
完全に単一のHTMLファイルで動作するMarkdownエディタ作った
http://qiita.com/tatesuke/items/225b51b270faf8b10923
これ絶対単一HTMLじゃなくてAtomのプラグインで作るべきだって思ったんだよね
使ってみた感じやっぱ更新→保存周りが弱いんだよね、発想は良いんだけど
あとその他のMarkdownエディタに比べてデザインがあんまかっこよくない
エディタ部分とかほぼ単純なtextareaだし
例えばhogehoge.md.htmlみたいな名前のファイルをatomで読みこめば.mdファイルみたいな
感じ(実際はscriptとかCSSとかいろいろ書かれてるわけだけどMarkdown部分のみ)で読み込まれて、
で、それを編集した奴をそのままブラウザで開いたらJS側でレンダリングされたドキュメントとして表示される感じ
簡単にSassでスタイルを当てたりリアルタイムプレビューできればなお良い
実質完全に単一ファイルだしエディタ部分をAtomパワーに依存させることができるから
ええ感じのアイディアと思うんだけどどうやろか
■写真などのデータを保存しようと我が家のDVDの在庫を確認すると、残り僅かだった。
そのため、アマゾンに発注をかけようとしたが、おなじみの太陽誘電のDVD-Rが軒並み高騰、在庫切れを起こしていた。
半年ほど前、太陽誘電がDVDから撤退すると聞いていたものの、TDKなど代用品があるし楽観視していた。
在庫も当時はあったし、1年は太陽誘電の在庫が持つだろうと楽観視していた。
そのため、今の手持ちが切れたら買いだめする予定だったし、出来なくても他のメディアでなんとかなると思っていた。
だが、考えが甘かった。
TDKの超硬も、That'sも軒並み売り切れ始めていた。どうやら国産品は太陽誘電のOEMだったらしい。
慌てて高めの値段で少し買いだめをした(と言ってもプレ値は回避できた)
■DVDにデータを保存しているのは、10年を超えてデータを保持してる実績があるから。
SSDは即死経験あり、HDDはSSDよりは緩慢な死(カッコン予報)を迎えることが多いものの怖いのは同じ。SSD以下のUSBメディアやSDなんてもってのほかだ
BDはうちでの保存実績がない。また、不織布保存でダメになるなどの噂があり、不安は避けたい。
そしてデータ用BDドライブはDVDドライブのそれと比べると数が少なく、10年、20年後に可動品が適当な値段で入手できない可能性がある。
DVDドライブやBDドライブはPS4が生き残ってるうちはいいが、いまや音楽や映像はネット配信が当たり前。PCゲームはネット配信が普通だ。家庭用ゲームも後を追いかねない
ゲーム機やPCでの採用が減ればプロ用機器の高価な品だけになるだろう。
BD読めるのはDVDも読めるし、データ用DVDドライブの台数は圧倒的である。20年後でも中古品には困らないだろう。
BD普及中にディスクメディアそのものがデータ用としては死に始めたので、もうBDドライブはそう増えないだろうから、BDは怖い。
BDのほうが長期保存に向いてるだの、DVDのほうが向いてるだの議論はあるが、我が家での実績と
将来的な読み取り機器の残存台数の観点からDVDのほうが良しと判断している。
一度に25GBも保存することはないし、DVDの容量で必要十分。
…だったのだが。保存に適したメディアがなければこの(なんの確証もない経験論)俺理論も意味が無い
■M-DISCかクラウドかBDか、台湾製DVDか。結論は数年後に先送り
クラウド 心理的にやだ。いつサービス停止するかもわかんないし個人的な写真とかネットに流したくない。
M-DISC 最近出てきた1000年保存できる(自称)DVD、BD。記録層はそのくらい持つらしい(自称)がポリカ層寿命が先に来るだろとツッコミたい。
書き込みは対応ドライブ、読み込みは通常ドライブで可能とのこと。
以前検討した時は対応ドライブが高価で物自体もマイナーすぎたためやめたが、今は対応ドライブの値段も落ち着いた。
問題はアイ・オー・データ、三菱の出してるメディアがプリンタブル用しか無いこと。
プリンタブルって嫌い。滲んだりベタついたりするし見た目が悪いから。
わざわざプリントしてる人ってそんないるの?いないっしょ?
最大公約数とか機能を詰め込むこと考えてプリンタブルなんだろうが、プリンタブルが嫌な人が考慮に入れられてないような。
すでにThat'sの在庫死亡したのもプリンタブル非対応のもの。コダワリ多い人、買いだめする人がそこに集中してるのでは?
家庭用プリンターを持つ人も減ってるし、そうそういないだろプリントしたい人。
BD 先ほど言ったように保存実績が少なく不安。データ用のBDドライブは少ないから長期保存後の高騰も不安。
結論はいま手持ちのDVDが切れた時。太陽誘電の技術は台湾企業に移譲されたようだから、それで出てきた商品がどうなるか…
そもそも高コストな商品出してくれるのか。光学メディアの役割はもはや長期保存くらいだから品質いいのがほしいんだけどな。
M-DISCも自分の好みの商品が来るかもしれないし。とりあえず買いだめしたおかげで余裕がある。
まだ結論を出す必要はないが、おそらくM-DISCのDVDに決めるだろう。
M-DISCは情報が少ないので我が家の在庫切れまでにある程度情報が出揃って欲しい
追記:台湾から太陽誘電の技術を使ったものがさっそく輸入されるそう
人柱の結果と、DR-47WTY50BNT同等品が輸入されることを祈りたい。
プログラム書くようになってあるプロジェクトで実践でも投入されるようになってから数年。当時の上司にプログラマって名乗っていいんじゃない?とか言われてプログラマという自認もできた。
もともとはSE的な立場として仕様書を書いたりしてた。ゲーム業界だからSEとはいわずに企画とかプランナーとか呼ばれる職種。書類仕事がメインで、自分でツール作るかスクリプター的な役目でないかぎりコードみたいなものを書いたりはしなかった。コード書くの楽しい。VBなんかに戻れないし、もう書く事もできないだろうな。
だからってわけでもないけれど、できる企画とダメな企画ってのがわかるのよね。プログラマ側からみての意見になるから、ディレクターからみて、とかデザイナーから見て、とかはまたちょっと違うのだと思うのだけど。
自分、ちょっとコードの読み書きできるのでわかってます、な体で仕様書書いてくるのだけど、全然穴だらけ。要件が不明なままフローだけ書いてくる。実際にやりたいことは何なの?そこを説明して実装はプログラマに任せようよ、と。
ゲーム作るのにはバージョン管理システムを導入するのが常。subversionとかgitとかあるでしょ。すごく便利なんだけど基本的にテキスト形式のファイルを管理するためのものなので、エクセルみたいなバイナリ突っ込まれると差分じゃなくて全部のバージョンが入るから容量を圧迫するの。
画像データはまだいいよ。githubがpsdの差分さえ教えてくれるからね。
文字情報メインなのに差分を見る事もできない。検索もできない。
ただ、データ管理としてのエクセルは優秀なのよ。ちょっとしたツールもつくれちゃうし。仕様書をエクセル方眼で書いてくるやつはカスだ。
俺も若い頃はよく使ってたけどMarkdownを知ってからは断然こっちの方が書きやすい。そしてなにより読みやすい。検索もできるし成型もできる。強調表示や画像も貼れる。文法も簡単だし覚えやすい。
Markdownは文字列情報だ。文章だ。文章は一次元的に表現される。つまり書く側が完全に整理した思考でないと書ききれない。読む側に理解させるにはどういった順番で説明をすればいいか考えてからでないと表現できない。おのずと書類の内容、精度が上がる。ただの文章だからこそだ。
エクセルはタブやらなんやらで並列なまま多次元情報としたまま表現できる。思考が整理されてなくても表現できてしまうし、表現した気になる。書いてる側の思考がまとまってないまま表現できてしまうあたりはエクセルの自由度の高さでもあるのだけど、通して読む事ができない形式でもあるので、読む側のことを考えていないクソみたいな仕様書も提出されてきてしまうのが難点。
企画「XXファイルのYYタブに書いてありますよ。ちゃんと読んでるんですか?」
殺意が沸くわ。
Photoshopなり何なりで書いた絵図をGyazoにでもあげてリンクだけMDに貼れよ。エクセルでシェイプ駆使して作るより早いだろ。
パワポの方がマシですわ。あれはページにスペースの制限があるから1ページ内にまとめよう、伝えようっていう意思と能力がないとまとめられないから。
要件を伝えるのもいいけどバランス調整するための調整項目だしなよ。調整できるようにするし、こっちも使う変数を見出すきっかけになるから助かるんだよね。
3Dアーティストのあげてくるデータも仕様書書くでしょ?あれの要件とかもまとめられないでしょ。ノードとか意味わかる?揺れもの数とか制限あるのわかる?
なんでもいいからゲームエンジン触れよ。Unityとか簡単じゃん。プログラム書かなくてもいいじゃん。
俺があれだけMarkdown簡単だから覚えろって言ってもエクセルで上げてくるし、古い知識のままアップデートされない人って存在が迷惑ですわ。
プランナーで説明が下手って終わってるよね。俺も下手だわ。よく怒られてた。ごめんなさい。これは別にプランナーに限った話ではないけれど、プランナーて人に伝えてなんぼなので職能としてこれがないのは致命的だよなぁ。
書いてすっきりしたので寝る。星くれ星くれ
「○○してはいけない」と言われていないことは、
普通やらないようなことでも思いついたら躊躇なくやっちゃうノンブレーキな発達障害持ちが、
ルールや暗黙の了解がたくさんあるけど、「普通わかるよね?」って感じで、
あまり丁寧に説明されない環境に不意に放り込まれると問題行動がめっちゃ顕著になるという事例。
高校生の頃、扁桃腺肥大で毎年10日ぐらい高熱出して寝込んでたので、いい加減切除することになって入院した時の話。
・手術の直後、出てきた食事が当然水みたいなお粥で、絶食開けの空腹感を満足させられず、
「喉は痛いけど腹は減ったぜ!」と売店で買った固形物を痛みに耐えながら病室でモリモリ喰う。
何日かお粥を食べた後売店で買ってきたおにぎりをモシャモシャ食べたりしていたが、たまたま発見されず、
おいしいパンを見つけて母親におしえたら「えっアンタそんなん食べてたん?食べたらアカンで」と言われて食べるのがマズかったことに気付く。
最終的に傷口から出血して入院が延びて、喉の奥を電気ゴテで焼かれた。
・消灯後も月明かりで読書を続けて怒られる。電気はちゃんと消してるのになぜだ!?とパニックになる。
・点滴をしながら病室でMD聞きながら踊り出す。
見つかって「点滴中と病室では踊らない!」と注意されたので、以降踊りたいときは点滴中以外にロビーや休憩室まで行って踊っていた。
・外出や移動を特に制限された記憶がなかったので、点滴したままフラフラと出かけて頻繁に行方不明になる。
外で昼寝したり、小説読んだり、病院や周辺を探検したり、ネカフェや近隣の親戚の家に行って遊んだりしてた。
・点滴が終わった後、血が逆流していくのが面白くて、ベンチに座って1時間ぐらいひたすら眺めていて、
探しに来た看護師さんに「面白いっすねえコレ、見てくださいよ!めっちゃ血ィ逆流するんスよ!」
「いやー赤いなー!こうやって腕を高くするとスピードがね!」と喜んで説明しようとして怒られる。
「各フロアの自販機の下には落としたけど回収するのを諦めた小銭が落ちているに違いない!経済の輪に戻してあげないと!」と謎の使命感に駆られて
針金ハンガー片手に自販機狩りを実施、4千円近い小銭をかき集めてナースステーションに持って行って引かれる。
数日入院するだけでこんなだもんなあ。
看護師さん、疲れただろうなあ……ただでさえあの時は他の患者さんも、咽頭がんガン無視して
「余命短いんじゃ、好きにするわい!」と外に勝手にカツ丼食いに行って、病院の晩飯拒否するようなガッツのあるジイ様とかだったしなあ……。
追記:
10年経ってようやく「あの時のアレはもしかしてこういうことだったのか……?」って感じの事もあれば、
当時から周囲の反応を見てから「あ、やらかしたかな?」ってわかったこともあるけど、
自分の中では理屈にあってることになってたりするから、自分でいくら考えても周囲が自分の期待と違う反応を見せる理由がなかなかわからなくて混乱しがち。
考え方が全然わからなくて、「この人たち宇宙人かな?」って思ったりしちゃうけど、一般にそう思われてるのは基本的にこっちサイドなんだよなあ。
当時でも自分に発達障害傾向があること自体は知識として知ってたのにこのザマだったので、
普段からなにかと衝突があって、年を重ねるごとにトラブル回避の為に行動が消極方向に偏っていったけど、それはそれでやっぱりうまくいかないことも多い。
今はとりあえず何か行動を起こす前に気付いた場合は自分の感覚を信用しないでよーく考えてから行動するようにしているけれど、今度は何かと遅い、トロいって言われるし、
それで行動内容が問題ないかというとそうでもなくて、わざとか?ってくらいツボを外したことをやらかしがちなヤツだとみられているんだろうと思う。
社会に出てるとそれだけで他の人たちに迷惑ばかりかけるのでどんどんやる気失くすし、俺の上位互換にあたる『替え』なんかそれこそ腐るほどいるはずだと思うので自信も持てない。
でも何かしらやってお金稼がないとご飯食べられないし、支援を受けるほど重度でもないことになってるし、
世の中の邪魔にならないようにさっさと死にたいと思うのが正解なのかなー?と思うけど、残念なことにまだ死にたいとも思えてない。
それにしても「残念ながらまだ死にたくない」ってだいぶ不健全な感じがする。
この先もずっと、世の中に向かって「まだよくわかんないけど多分僕が悪かったんですねごめんなさい」って先制でやり続けながらコソコソっと生きていくしかないのかなあ……。
ブコメ読んでたら、部活である日突然「スポドリ禁止令」が出て、
翌日「スポドリがダメになったから今日は朝からこだわりのアイスティー入れて持ってきたゼ☆」ってウキウキして部活行って、
ちゃんとルール守ってるアピールのつもりで顧問にも「ちゃんとアイスティー入れてきたんすよ!」って言ったら、
一昔前はロックにもポップにもデュオにもソロにもダンスユニットにも、各ジャンルに色んなタイプの美しい男性がいたよね
美しいなんて言葉使うと人それぞれになっちゃうけど、とにかく明らかに一般人とは違う顔立ちをした人たちを見ながら「ほえ~」とため息をついていたよ
挙げればキリがないし、すぐに消えちゃう一発屋の中にもビビッとくる人がいたもんだよ
MDで曲を聴くときはいつだってその顔を思い浮かべながら聴いてたものだよ
でもいつからだろう
毎年「いま注目のアーティスト」みたいな人は出てくるけど(一発屋とかゴリ押しとかも含めて)
その話題になる人話題になる人みーんなふつーのあんちゃんみたいな人ばっかりになっちゃったよね
パッと思いつくだけあげてみるけどオレンジレンジ、森山直太朗、コブクロ、レミオロメン、セカオワ、ファンモン、サンボマスター、ワンオク、かまってちゃん、金爆、湘南乃風、デフテック、
はあ、まだまだいるけど疲れた
とにかく、なにこの美形は!っていう人は久しく目にしていない
それとも今の若いリスナーはレベルが上がって、見た目とかじゃなく音そのものを楽しむみたいな感じなのかね
でもね、転調がとかベースラインがとか言われてもチンプンカンプンなの
美しい男性が愛を囁いてくれればそれでいいの
これ読んでる可愛らしい顔したキミ。そこのキミ
一年前の私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。