はてなキーワード: MDとは
ルミネの広告が、朝から炎上気配でおもしろいのだが、「ルミネの広告今まではよかったのに」と言ってる人が、ブコメに少なからず存在するのが凄く面白い。
ルミネの、話題になった尾形真理子・蜷川実花の一連のポスター群って、ディレクションが当世風なだけで、中身は「男に媚びるためのファッション」の枠内ドストライクじゃん。
あのポスター群って、あまり人前で声高に叫びぶとバカだと思われそうな欲求を、広告的演出でソフィスティケートする、という点において広告として素晴らしい出来だと思うんだけど、
中身は全然、普通に旧態依然すぎる「男好きするファッション」だ。写真が蜷川さんだから一見は男ウケしないデザインになってるけど、
写ってる子が着てる服を見てみたら、さほど冒険的なファッションばかりじゃなかったし、コピーも同様。広告コピーとしては美しかったけど「男に振り向いてほしくて着飾る」という内容が多かったように思う。
私は、ファッションは「異性に好かれる」ためのものであっても全然かまわないと思うし(実際にそういう用途の方が多そうだし)
ルミネはたまに通りかかっても「モテたいOLさん系をターゲットにした駅上ファッションビル」というカテゴリーに入れていたけれど、
尾形蜷川のあの広告見て、ルミネが「自立した女のファッション」を提案してたと、勘違いしてた人が結構いたということ?
ルミネ的には、たぶん、MD見ても中身や軸は全然ぶれてないと思うけど。
元のブログの人は、田舎暮らしだと言ってるのでルミネ見たことないんじゃないか。あそこ、割とコンサバというか、モテ女子コーデ()系のショップばっかりよ。
元のブログの人がルミネ見たことないならまだ(炎上好きだし)しょうがないと思うけど、おそらくルミネで買い物でもしてそうな人が引っかかってとすると、やはり広告ディレクションの力ってすごいねって話なのかね。
尾形蜷川が制作現場にいたかは分からないけど、中身は一緒でディレクションの方向を変えた(親しみ系)にしただけで、こんだけ非難の嵐だもんなぁ。
近年音楽業界が潤わなくなったのはもちろん音楽そのものの質が落ちてるからだと思う。
原因の一つに音楽が評価される環境が少なくなったからというのを思いついた。
レコード、テープ、CD、MD、携帯プレーヤー。歴史的な順番はわからないけどもこれらのどこからか音楽を流し聴きすることが増えたのではないか。
当然これらがない時代は生演奏しか音楽を聞く機会はないだろう。もちろん生演奏をBGM的に聞いていた人間もいたと思う。
でも演奏を録音する機械が出て、近年では持ち運び可能であらゆる曲を簡単に手元に置いておけるようになった。
通勤通学途中でイヤホンをさしてる人は山ほどいる。でもそのうちの何割がしっかりと聞いているだろう。何割が家に帰ってからも聞いているだろう。
音楽に対して直に向き合わなくなったことで音楽の良さを正当に測れなくなっているのでは。
対して聞かないものを評価することは難しい。評価したとしても付け焼刃物である。
どんなに有能な政治も国民のレベルにまで引き下げられるというサミュエルスマイルズの言葉があるが、音楽もまた然りではないか。
演奏する側ばかりを叩くのも構わないが、自らの音楽への向き合い方も考えてみてはどうだろう。
聞く以外のことはなにもせず音楽に集中してみては。
父「MDウォークマンが壊れた。新しい"MDウォークマン"を買ってくれないか? ほら、今はインターネットで安い店が見つかるんだろ?」
と言われたことだ。ちなみに父はVHSレコーダーが壊れた時、新しいVHSレコーダーを買ってきた(@2005年)前科がある。
音楽好きな父がCD(物理)を買っているのは知っていたが、まさか当時(2012年)MDを使っているとは思わなかった。
父はTSUTAYAで借りてきたCDをせっせとMDに録音していたらしい。15年前なら分かる、うん。
私は『今はMP3で音楽を聴くのだ』という話をした。しかし父はMP3もiTunesも知らず、要領を得ない。
ふと、催眠商法で羽毛布団を買わされるお年寄りの姿が脳裏に浮かんだ。これは"チャンス"だ。
世間的にはiPodを買うのが安牌なのだろうが、私は当時局所的に話題をさらっていたNexus 7を選び、父のカネで買った。
理由は私が欲しかったからである。父にかこつけて物欲を満たそうとしたのだ。
Nexus 7と対面した父は「なんですの……これ?」という顔をしていたが、徐々に使い方を覚え、ついには一日中画面をつつくようになった。まぁ、年金生活者はニートみたいなもんだからね。
私としては面白くない。父が使っていない時に遊ぼうと思っていたのに、日がな一日占有されて手が出せないのだ。
2年、耐えた。
途中、iPhone 5s祭り時に投げ売りされていた無印5を『諭吉3人・オプションなし』で"買ったり"してなんとかガジェオタ魂を抑え込んできた。
しかし今月、Google先生がNexus 9というガジェオタ垂涎の上玉をぶっ込んできたではないか。
だが、聡明な私は再び妙案を思いついた。
新型iPad Air & mini 発表で値下がりしている旧式林檎タブを買い、父のNexus 7と交換するのだ。
iPad mini 初代16GBをヤフオクで買った。ほぼ新品が2万ちょい。初期不良ナシだからメーカー保証は要らん。ヤフオク万歳。
そして父には「泥ってマルウェアとかあって怖いよ。林檎は安全」と言い、私は成功裏のうちにNexus 7を奪取した。
Nexus 7の2012年モデルはモッサリしているが、カスROMをブチ込めば少しは使いものになる。
もしくは今度降ってくる炉裏に望みを託そう。ローエンドに優しいというから、ややもすると軽快になるかもしれない。
一番の懸案事項は泥ではなく父だ。
きっと拡張性ゼロの林檎にすぐ飽きるだろう。「返せ」と言ってくる可能性がある。
何か良い策はないだろうか。年金でNexus 9を買わせるとか。
うん、ない。
最初に言っておきますが、当然ながらSTAP細胞の存在には極めて否定的で、関係者を擁護する気持ちはありません。
いまさらですが、早稲田の学位論文問題について思うところがあったので書きます。
私が書く内容は部分的には全て他者の意見としてさんざん既出ですが、全体を通して私と同様の意見を見たことがありません。
結論からいうと、私が望む結論は、
1. 小保方の学位は取り消す
2. 博士課程に復学させたうえで再度の学位審査とそれにかかる指導を無料で行う(姿勢を示す)
3. それでも下書きだと見え透いたウソをつくのなら退学にする
(4. たぶん結果的に小保方だけ学位剥奪、他のコピペ博士は再審査で生き延びる)
当該学位論文が博士の学位に値しないことは明白です。したがって学位は剥奪すべきです。
学位は資格に準ずるものですから、過失の有無を問わず温情措置はあり得ません。
しかしながら、博士号取得時点でまともな英語論文を自力で執筆できる大学院生が、特に理系の実験系で、現実問題としてどのぐらいいるでしょうか。
私の大学は「出版された査読付英語原著論文に日本語要約を添えたもの」を学位論文と認める規定でしたので、学位論文自体には苦労しませんでした。
一方でその根拠となる査読付英語原著論文については、指導教官によって徹底的に修正されました。面積比で赤:黒=8:2ぐらいでしょうか(笑)。
それでも兄弟弟子よりは大まかな文章構造がはるかに残っていて、褒められたぐらいです。
私の大学は超一流大ではありませんが底辺でもないので、感覚としては博士号取得前後の一般的な研究者はせいぜいマテメソとFigure legendを自分で書けるぐらいでいーとこじゃないでしょうか。
したがってこの問題の本質は、大学側によるネグレクトであって、書いた小保方よりも、あの論文を通した教授会と、あの論文を提出させた指導教官の責任が重いと考えます。
もちろん、いくら下書きとはいえ序章をまるまるコピペするとか、試薬会社のカタログからとった図を流用するなんてもってのほかです。
ですが普通は指導教官が気付いて一喝すればいい話です。「おまえふざけんなよ。」で済むところでしょう。
だから単純に学位を剥奪して、「学位が欲しいなら入学し直してもう3年下積みしろ」というのは理不尽に感じます。授業料の対価としての指導を怠ったのは学位の発行側なわけですから。
学位の取り消し、留年扱いで復学、その間の授業料無料、というのが落としどころだと思います。
しかしながらその上で、製本された論文が下書きであるとか、タイムスタンプが直前のファイルを完成版と言い張り、しかもそれも不十分とか、その辺もろもろによって、「品行が悪いことを理由にして退学」にすればよいでしょう。
そうすれば早稲田ひいては日本の博士号の価値はほどほどに守られ、すでに研究職についている他のコピペ博士の立場も保全されます。
いかがでしょうか。
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_0611.html
十年前はこれが投資DVDではなく英会話教材のDVDセットだった。
懸賞に当選したというハガキが送られてきてホイホイ事務所まで出向いたら英会話教材とか旅行会員カードなんてものを勧誘されてた。
俺の相手をしたのはブスとおっさんだった。(原理研みたいな勧誘についてった時も勧誘相手は男だった。隣の席のイケメンは美女が相手してたのに)
「お金がない」という断り文句を続けていると、おっさんが「お金がない時は毎月のローンは私が払うから、それならいいでしょ?」なんて言ってきたので興味本位でそれを受けた。
おっさんはローンを肩代わりするという証明として名刺裏にサインと拇印して渡してきた。
というわけでマルチ御用達のローンを組み、おっさんと電話番号交換してDVDと懸賞商品をもらった。
ローンの初月、お金がないのでおっさんに「金を振り込め」と電話した。銀行にはちゃんと振り込まれ、ローンは引き落とされていた。
自慰が好きだ。
愛用の電マは使いすぎて白かったプラスチックが黄ばんできてしまった。
だいたい3年くらい使うと黄ばむ。
強弱があって、強のほうはめったに使わない。
使うときは、生理中どうしてもムラムラしてしまってナプキン越しに使うときだけだ。
弱で早いと1分たたずにイく。
イけないときは15分くらい当てていてもイけない。
私は膣ではイけないので、陰核を主に刺激する。
陰核を主に刺激するとき、下着と陰毛と皮があるので陰毛の処理(陰核周辺を短く刈りこんでおく)を怠ると感度が鈍る。
面倒になるとパイパンにするときもあるが、生えかけのチクチクが嫌いなので最近はやらない。
カミソリを使用したパイパンにすると、生えかけのときに下着にとても引っかかる。
下着が酷く痛むのも、最近やらない理由の一つだ。
短く刈りこんでおくと「舐めやすい」とか喜ぶ男がいるが、自慰のためである。
自慰がしたいので、毛の処理をする。
なかなかイけないときは「2回イったら挿れてあげるね」と言われた、と妄想する。
そうすると早くイける。
好きな人のシャツなどがあるとき、それの匂いを嗅ぎながらすることもあるが、なかなか集中出来なかった。
アダルトビデオを見ながら、というのも集中出来ず、私には合わなかった。
アダルトビデオを見たあとに、余韻に浸りつつ妄想する、というスタイルは比較的好きだ。
全身を見るのではなく、角度のつくメイク用の鏡(15cm×12cmくらいのもの)を足と足の間に立てる。
そのときはローターを使うが、200円のローターは非常に断線しやすいのでどうしても見ながらしたいときは電マをアルコール消毒してから使う。
黒ずんだ大陰唇を開くと、ピンク色のヌラヌラした内蔵が見える。
小陰唇を引っ張りあげて陰核を出してから、ローターを当てると体がビクッとする。
その拍子に足が動いて鏡が倒れて自分の顔が見えてしまったときはあっという間に気分が萎える。
陰核に直接当てると刺激が強すぎるので、陰核と小陰唇の付け根か陰核と尿道の間あたりを刺激する。
ここだけの話だが、女性で自分の尿道の位置をきちんと把握している人はどのくらい居るのだろうか?
少なくとも私は自分のマンコを誰よりもよく見ていると思うが、尿道の位置がいまいちわからない。
最も、よく見るときはヌラヌラしているから隠れているのかもしれない。
それと、いつも右手に電マを持って、右側から当てることがおおいので、大陰唇が肥大してしまっているのがわかる。
女性が自慰をするときは、左右両方からバランスよく刺激を加えた方がいいと思う。
鏡を見ていると、透明な液体に混ざって、卵のカラザのような白いものがドロっと奥からでてくる。
これがいわゆる本気汁というやつらしい。
これが出てくると、私はまた気分が少し萎える。
こんなものが出てくるマンコを、男性はよく舐める事が出来るな、と思ってしまうからだ。
イくときは、足の先が少し冷たくなって、膣口(というのかな?)がゆっくり開いたり開いたりしだす。
ほんの短い間に「あ、イきそう」「イく」「イった」が訪れるときは、急に開閉する。
最近まで、何かを挿入しているとイきにくかったのだが、自分の指を入れてみたら締め付けと緩みが交互に訪れて、指を奥から手前に撫でられているようだった。
ネコの舌がもう少しソフトになったような内側だったので、もしこれが「数の子天井」というものなら嬉しく思う。
しばらく(30秒ほど)横にはなっているが、すぐ起き上がって電マのプラグを引き抜き、電マの頭部分をアルコールティッシュで拭いて片付ける。
股間がビショビショに濡れている感じがあるときは、ティッシュで拭き取る。
男性が私の股間を拭いてくれるとき、こんなにやさしく拭かれても愛液が拭き取れないだろう、と懸念してしまう。
女性は自分の女性器男性が思うよりもずっと乱暴に扱っているのではないか、と思う。
股間が濡れている感覚のほかに、放尿したいような欲求がある。
これはトイレに行ってしばらく便座に座っているとチョロチョロとでてくる。
一度、この液体は潮ではないか、と思い観察したことがあるが、尿のように黄色ではなかったのできっと潮なのだと思う。
10代の終わり頃は膣口が開閉したあとも陰核を刺激し続けると勢い良く潮を噴いたものだが、加齢とともに噴き上げることがなくなった。
というよりは、片付けが大変なので(臭くはないが、ベッドがオネショをしたように広範囲に濡れてしまうので)潮を噴きそうになったら手を止めていたら自然と潮を噴けなくなってしまった。
訓練をすればまた潮を噴くことが出来るようになると思うが、後片付けが大変なので訓練するつもりはない。
自慰と性交渉の違いだが、男性が「彼女とのセックスと風俗は別」「セックスとオナニーは別」という気持ちを持つように、私も別物だと思っている。
同棲していたころ、求められても面倒で、乳に触れようとする手を払いのけていた。
彼が横で寝息を立て始めるとそっと起きだして、隣の部屋で電マで自慰をしていた。
電マは音が大きいので、ローターを布団の中に持ち込んで自慰をしたこともある。
彼に見つかったことはない。
申し訳ないと思う気持ちもあるが、性交渉ではイけないので仕方がないとも思う。
また、長年触れてきた自分の女性器なので、どのあたりが気持ちのよいポイントなのかすぐ分かることも大きい。
彼とのセックスは結局、彼の射精が終着点のため、布団の中で自慰をするに至った。
つらつらと書いてしまいましたが、ここまでお読みいただきありがとうございます。
追記
私が主体的に動くと、「イっていい?」「イきそう」と3分程度で言われてしまいます。
というより、挿入に至ると、今までの男性のほぼすべて(両手に欠ける程度です)がちょっと腰を振っただけで「イっていい?」と聞いてくるのです。
バカかと思います。
時間をかけてしてほしい、と希望を出すと、非常にゆっくり動きます。
私は激しく突かれるほうが好きなので、そのようにしてもらうと、こちらが20%も満足していないうちに「イっていい?」と言われます。
ならば、と前戯に時間を掛けてもらうと、こちらが乾いてしまったり、相手が勃たなかったりします。
前戯ですが、自分の女性器を鏡で見ているので「こんなにグロくて臭い(と、私は思いますが、薄い塩味だそうです)女性器を舐めてもらうのは忍びない」と思い拒絶してしまうのです。
だったら回数をこなしてもらおうと思うと、だいたいが3回で限度、1日じゅう14回ほどしたことがありますが、こちらの女性器が悲鳴をあげました。
自慰のほうが楽ですし、最近は挿入する、というよりも裸で抱き合って眠りたい欲のほうが強いです。
前述の彼とは性生活も含めてすれ違いが多くお別れしてしまいました。
私の愛用している電マは、アダルトビデオにもよく登場しているスライヴのハンディーマッサージャー MD-01です。
長くたくさんの人に愛されているだけあって、とても長持ちです。
私は使用後は除菌シートで頭部分を拭いて、分厚いバスタオルに包んで棚にしまっています。
こちらは購入からすでに6年近く経っていますが、本体の白い部分が黄ばんでしまった以外は威力が落ちることや頭部分が歪むこともなく元気に震えています。
本当は海外で評判の高いナショナル製のハンディーマッサージャーがほしいのですが、変電器を使用しなければいけないようなので諦めました。
で?
正しい反応だと思います。
私も今朝これを読み返して「で?」と思いました。
おっさんが書いたことにされたのがどうしても嫌だったのか、筆者(デブす)が自らブコメして1番スター集めている。なんと恥ずかしい。
自分で自分のエントリをわざわざブクマしなくてもIDの日記をクリックすればいつでも読めますのでそんな酔狂なことは致しません。
陰毛の処理をしないと感じないほど電マは微弱じゃねーぞオッサン
微弱でないからこそ、陰毛という硬いものが陰核とこすれると気持ちよさより痛みや不快感があります。
ゆえに、陰核周りの毛は除去しなければなりません。
下着越しの刺激なので、まず下着のザラザラ(これは濡れれば解消されてくる)、下着と陰毛の摩擦、陰毛と陰核上の皮の摩擦があります。
きちんと陰毛を処理しないで振動を与えるということは、激しい言い方をすると電気サンダーで自慰をしているようなものです。
ちなみに、男性ですと長すぎる陰毛が皮に巻き込まれて痛い、という事態があると思いますが、女性も同じように長過ぎる陰毛(特に陰核周りのもの)は巻き込まれる場合があります。
一点集中ですが、細かく角度を変えているため、下着・大陰唇・小陰唇・陰核周りのいずれかの皮に挟まって不快感がある場合もあります。
男性もクンニをするとき、陰毛を避けますよね?陰核を陰毛ごと舐める人はあまり居ないと思います(少なくとも私はそういった方に出会ったことはありません。陰毛まとめてを美味しそうに吸ったりしている人は見ました)。
人をオッサン呼ばわりするのは勝手ですが、陰毛の処理は大事です。
26歳、都会育ち。ふとこの20年くらいのことを考えてみた。
たまごっち、ファービー、厚底ブーツ、ミニ四駆、ベイブレード、ビーダマン、ハイパーヨーヨー…
そうゆうものを懐かしむのも楽しいんだけど、この20年くらいで圧倒的に変わって普及したものっていくつかある。
パソコン、インターネット、携帯電話なんてのはもう言い古された話だろうし、
ブラウン管が消えて液晶テレビの普及、ビデオデッキも消えて今やDVDやBlueRayだっけ(あんまり使わないからよく知らない)。
ポケベルなんてあっという間に消えた。白熱灯も消えた、LEDが世の中に爆発的に増えた。信号機が薄くなった。
地面がアスファルトだらけになった。レンガできれいに整えてある歩道なんてのも増えた。
道路の白線が増えた。白線がなく、路肩のない道路なんていくらでもあった。うちの地元なんてわざわざ交差点の地面の色がかえてある。
信号機だって増えた。掠れて消えていた横断歩道もくっきりきれいになった。
金属製の風呂桶も消えた。深くて熱くて、あれに入るのが嫌いだった。でも今は
プラスチックの風呂桶ばかりだ。温度設定だって簡単。お湯と水で割らずに済むようになった。
プラスチックは全体的に生活の中で増えてきた。100円均一が増えたせいかな。
コンビニもすごく増えた。24時間営業になった。24時間営業って店もすごく増えた。20年前にそんな店、全然なかった。
CDは変わらない、レコードは見かけなくなった、MDは一気に増えて一気に姿を消した。MP3プレーヤーみたいなやつばっかりだ。
ボタンってものも減った気がする。キーボードのボタンの数は変わらないだろうけど、世の中の全体を見渡して減った気がするんだ。
小学校から高校まで石で出来た流しにいくつも水道が並んでいた。最近の学校はどうなのかな、ステンレス製の流しばかりなのかな。
あとタイルが減ったように思う。和式のトイレの床は青い丸い鱗みたいなタイルばっかりだったのに見かけなくなった。
台所の白いタイルも、風呂場のピンク色のタイルも見なくなった。どこの家を見たってつるっとしてる。フローリングばかりになった。
ゴム製みたいな床にいっぱいの模様がちりばめられてるなんて床は見なくなった。絨毯ばりの床も見なくなった。フローリングだらけだ。
レジのバーコードを通す赤い光の出ているところ、あそこは昔バッテンでガラスが見えてたのに見えなくなった。
電池で動くものが減ったと思ったら増えた。だからエネループなんてものが売れたんだろう。
上から吊るされたガソリンスタンドも見なくなった。皆地面に据え置きだ。
時代の過渡期に育ったなんて大それたこと言うつもりはないんだけど、なんか、日本人って頑張ってるんだなって思った。
幼少期、不便を感じたことはなかったし、今とあの頃は全く違ったなんてことは思わない。
あの頃だっていつだって最新のものを使ってた。家の洗濯機の上に乾燥機が乗せられた日だってきらきらしてた。
いつだって新しいものはきらきらだ。廃れたってあのきらきらした思いはそのまんまだ。
廃れたものが無くなってしまって悲しいとは思わない。どんどん時間は進んでいく。これからだっていろんなきらきらが待ち受けてるかと思うと楽しみなんだ。
私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
中学の頃好きだった男の子がくれたMDに、BoaのDuvetが入っていた。
そのことは5~6年近く忘れていたんだけど、最近アニメのLainを観る機会があって、ああこの曲だったんだ、ってことに気付いた。
当時は、ちょっとは中二病入ってたんだろう。でも、彼はアニメ第一話の冒頭と同じ死に方をしたので、あまりシャレにならない感じ。
彼が死んでからアニメを観たら、なんか納得した。なにが、とは言えないけど、なんか。
久々にDuvetを聞いたらふと思い出したので書いておく。
アニメ、面白かったから、あれに似たアニメがあったら教えてほしいです。
彼ほど好きだった人はいなかったから、あれほどの気持ちが持てないなら恋はしなくていいやと思っていたけど、
好きな人ができて、それなりに片思い期間も長く、今はその人と付き合ってる。
おかげで恋愛経験がないから、いろいろ面倒なこともあるけど、好きだから概ねオッケー。
それにしても、当時は彼のほうが大人だった。私は子供だったから、変なアプローチしかできなかった。馬鹿だったなぁ。
死んだ人のことは、もう忘れたいような気もするけど、まだ、たまに思い出してしまう。
とか書いてたら、いま付き合っている人から連絡がきた。返信しよう。
「iOS 7にすると防水になるよ!」――悪質なデマ&偽広告が海外で広がる: http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1309/26/news065.html
読んだ。
ほとんどの人はネタとして受け止められるけど、たぶんごく少数の人は真に受けると思う。
Googleアカウントにログイン→Gmail開く→添付ZIPファイル落とす→ZIP解凍っていう作業が1人でできない。
Wi-FiとBluetoothとインターネットの区別も分からない。
以前、講演会に参加したら、主催者のおじいちゃんがカセットテープで講演を録音してた。
コンビニにもTSUTAYAにも、未だにカセットテープやビデオテープやMDが置いてある。
今30だけど、少なくとも物心つく頃にはあった。別にウチが裕福なわけでもないし人から来るのにも当たり前にあった。
少くとも30年前の自分が生まれた頃には、皆カラーで写真をプリントして持ってるし(デジタルじゃないからフィルムは当然プリントする)
写真1枚がクソみたいに高いわけではなかったと思うけど。フィルムの中から自分で選ぶ、なんてサービスなかっただろうし、
写真なんて残ってる家ならものすごい量残ってるし。(勿論、今のデジタル時代に比べれば少ないと思うけど、1枚1枚が高価なら金持ちの家しかアルバムとか作るほど写真を印刷できないだろう)
年賀状の写真なんて小さいし、普通の写真よりは印刷代そのものが馬鹿高い、ってこともないわけだし、
言っても大したことなかったんじゃん?
まあ、20代が、もう30年くらい前に始まったサービスを超古典、と言っても別におかしくないでしょ。
デジカメが主流になった時点でカメラの概念自体も変わってるし、今なんて普通にフィルムカメラとか超古典でしょ、一部のマニアや仕事カメラマン除いて。
10年前、中学生だった僕はひとりの女の子に恋をした。それほど高くない僕の背丈よりもさらに低く、大きな瞳と笑うと大きくなる口角が魅力的な、あどけない女の子。それほど勉強熱心ではないようだったけれど、授業中、寝起きざまのぼんやりとした顔にカーテンで遮られていた日の光が当たるたび、白い肌が内側から光るように透き通っていて、とても綺麗だったことを思い出す。
高校に進学し、僕は進学校へ、彼女は公立の高校へ。交流は皆無となり、僕自身「高校からは新しい恋愛を始めよう」と思った。実際、3年の間、素敵だと思える女性に好意を抱いたりもした。けれど、あの頃の彼女の面影をふと思い出しては、彼女に勝るほどのひとではない、と半ば諦めのような気持ちが残っていた。そうして、気がつくと僕は卒業していた。
高校2年生のとき、一度だけ彼女に出会った。部活の帰り道、仲間と偶然寄った公園に彼女はいた。当時とほとんど変わらない面影のまま、彼女と同じ制服を着た女の子と楽しそうに話す姿を見つけた。彼女について時折話していた高校からの友人に促され、話しかける。今となってはその言葉のひとつひとつはまるで思い出せないけれど。恐らくはまるでスマートさのかけらもない、不器用な言葉だったろうと思う。けれど、相手に不快感を与えないよう、最低限配慮するような。
金属製の冷たいベンチの端に僕は腰掛けたけれど、彼女は斜め前に立ったまま僕と話した。ひとひとりぶんのスペースを隣に空けたまま、僕はやんわりと「今から起こることは僕の望むものとはならないだろう」と予想していた。予防線を張り巡らせ、必死に自分が傷つかないよう注意を払っていたにも関わらず、交際中の彼氏の話に話題が及ぶと、耐えきれなくなった僕は、まあ、そうだよねという言葉と苦笑いを残してその場を逃げるように立ち去った。帰り道、MDプレイヤーから流れる失恋ソングは今までとまるで別物のように聞こえた。僕のことを歌っていたわけではないのに、気づけば歌詞の中の「僕」は僕で、「君」は彼女になっていた。
それからというもの、地元を離れ地方の大学に進学し、就職した今なお、特定の女性と深く付き合うことは無い。ラブソングを口ずさむたび、「君」は存在しない。まるで空っぽのまま音程をずらさないようにして歌う僕を、上手だと褒める誰かに曖昧な笑顔を返すだけ。「いつか大切な誰かに巡り会う」ことをかつての友人が僕に説く。彼の結婚式の様子をふと思い出し、そうかもしれないね、と短く返答する。幸せに満ち足りた友人のいくつかの顔をぼんやりと思い出し、「彼女でない誰か」と微笑みながら式に臨む僕を想像してみる。そのとき、僕の初恋は完結してくれているだろうか、と。「彼女でない誰か」を大切にしているだろうか、と。
疑問に思ったので。意見を聞きたい。
文理はまとめて、必要ならば場合分け(例えばMD)はしててもらって構わない。ちなみにB4は学生、PDは社会人として欲しい。
あと社会人経験者はちょっと面倒なので「留年、浪人等はしていても就職経験はない大学院生」を仮定してもらえたら幸い。
まあ文理もわけたきゃわけてもらって構わんけど、意味あるかいね?
個人的には「みんなが就職を選んだときに進学を選んだだけ!」って言いたいけど、社会的には未熟な部分が有ると思ったので、Mの間は半々かなと。
ただ、タスクが降ってきてそれをこなすような研究室だったら学生:社会人が3:7とかかも?
逆に修論出せばなんでもいいから〜みたいな研究室だったら7:3に思える。
Dに入ったらもう社会人でしょ。一般にRAできるのはDからだけど、それって「仕事の対価としてお金をだす」のに値するからだよね?
(多少はナマポ的な部分があるだろうけど)
それに一般的な社会より狭くなるけど、研究者の社会をある程度知っているだろうから、その側面からは社会的にも成熟したといえるだろうし。
という妄言。
一般的な認識はどうなの?
そしたら研究室内のポジションがかわらなくても博論出してPDになったら学生→社会人なの?
追記
「中学をでたら」から「博士とるまで」まで幅広い意見が。感謝。
(「院生は使い分けられる美味しい立場」って言ってくれた人がいたけどどんな立場の人だろ?)
回答者の主観が含まれるのは分かるけど、「一般的な(院生に対する)認識」を訊いてるのに「てめーの主観だろ」みたいな意見はナンセンスだとおもう。
http://www.mynewsjapan.com/reports/1734
あー、俺です。
なんか最近UNIQLOって超ブラックなんだぜ?っていう記事を読んだので、元UNIQLO社員の俺がしゃべります。
まず俺のことなんですけど、UNIQLO辞めたのは2年以内のどっかです。在職期間は5年以上10年以内で、中途採用でした。
在籍部署はあんま言いたくないんですけど、商品系のどっかです。
生産部とか、R&D部(デザイナー、パタンナー等)とか、MD部とか、そういうモノ作り系です。
そいでまぁ、一言で言うと確かにUNIQLOはすっげーブラックだとは思います。
ネットで読んだ記事はIDが無いので最後まで読めなかったんですけど、だいたい書いてあることはわかります。
ただ本部と店舗だとまた違うとこもあると思うので、その辺のことを書けたらと思います。
できるだけグチっぽくならないように書くつもりですけど、どうしても主観的になっちゃうのは許してください。
まず俺が入社した当時はUNIQLOはこんなじゃなかったってのを先に。
けっこう和気藹々な雰囲気で、社内のムードも良くて、厳しい決まりごとなんてのもそんなに無かった。
9時出社だったし、一定階級以下は残業代も出るし、一定階級以上は逆に「裁量労働制」つって、一日一時間でも働けば出社扱いになった。
風邪ひいて欠勤しようが別に給料に影響することはない素敵システム。
休みが少ない!ってのも特に感じなかったし、総合的に考えて、給料は悪くなかった。
課題なんてなかったし、残業は確かにあったけど、いわゆるアパレルらしいルーズさというか、いい加減さみたいな空気が社内にもあった。
ただ柳井はそういうのがもともと嫌だったんだろうね。あの人は経営に関しては完璧主義で潔癖症だから、そういう「大企業病みたいなものを排除しないと」っていうパラノイアみたいなもんにとりつかれていった。会議でも度々そういうことを口にするようになっていたし、社内にもピリピリした空気が漂うようになってきてた。
社屋が六本木に移った頃から目に見えてちょっとずつ厳しくなっていった。
それでまぁ1年経ち、2年経ち、だんだんお風呂の温度があがっていって、俺はもう熱くて我慢できなくなったので先にあがった感じ。
だから今、新卒や中途採用で新しくきた人は、急に高温のお風呂にぶち込まれるわけで、「あちゃちゃちゃちゃちゃ!むりむりむりむり!!!」ってなるのもわかる。
①就業時間
前述にもあるけど「裁量労働制」。
おれは法律には明るくないからわからんのですけど、これってありなんですか?
うまい汁吸わせてもらってる時はいいんですけど、風呂の温度が高すぎて人がいないんで、1人あたりの業務負担がすげー多くなっちゃった今、正直この制度のせいで、ほとんどの社員が残業代出ないまま毎日何時間も残業することになってる。くどいようだけど残業代無しで。社員からしたらまずもうこの時点でアウトだろ!って思うけど、どうなんですか?
そのくせ、半期に一度の業務評価で、残業無しとか、有給全消化とかを目標にさせられて、クリアできないと評価が下がってボーナスが目減りする。だけどこの目標は強制項目だから回避できない。これは詰んでる。
それと朝7時出社。これはけっこう精神にくる。思ってるよりずっとキツい。
そもそもなんでそんなことを始めたかというと、「早く帰って、プライベートな時間を勉学やリサーチ等の情報収集に使うのが良い人生だよね!」みたいな柳井の妄想からスタートしてるんですけど、そんなんほっといてくれよっていう。
そもそも、就業時間、拘束時間が変わらない限り、早く帰ろうが遅く帰ろうが、睡眠時間をキープしようとするとプライベートな時間は変わらないはずなんですけどねぇ。
そんで柳井曰く、じゃぁそのプライベートな時間にやる勉強をこっちで用意しといてやったから!おまえら早く帰れるようになってうれしいだろ?これやっとけよ!?っていうのが「英語」。
②英語
まず、TOEIC750点以上。これ無理。
俺みたいな超絶バイリンガルな天才はさておき、デザイナーとかパタンナーとかアホですもん。デザイナーとか200点とかがゴロゴロしてる。え?TOEICて4択ですよwwwwwwみたいな。
専門学校卒ですよ。学生時代にハマったのはボディピとスケボーですよ。レゲーが世界を変えると思ってるんですよ。無理でしょ。
あとMDとか生産部とかも基本アホですもん。そもそも店舗から引っ張ってきて本社勤務してるやつなんて、基本三流大学出てれば良い方。高卒レベルの脳みそ引っさげてアルバイトのUNIQLOの店員からはじめたような奴らですよ。そいつらが、それでも現場で類まれな能力を発揮して、店長になって、エリアマネージャーに昇格して、そんで、じゃぁ君いいね、来月から本社で一緒にモノ作りしようよっつって本社勤務してるんですよ、そんな叩き上げのおっさん捕まえて、「半年でTOEIC750点出してもらうから。できなきゃ給料から授業料天引きね★」って、いや無理ですって。詰んでるって。
当然、点数だけでは給料から天引きされないんですけど、条件がある。
まず勉強時間。これはBerlitzのEラーニングシステムを導入してるので、誰がどれくらい勉強してるかが全てわかるようになってる。いろいろやったけど基本ズルは難しい。
週に10時間以上勉強しないと、上司から指導が入る。それでも改善できなければ給料から授業料の半額が天引きされる。
それと、半年ごとのテストで50点アップ。これをクリアできないとさらに半額が天引きされる。コンボだと全額。
だけど①でも述べたように、ものすっごい残業して、家帰ったら寝るだけみたいな生活(しかも5時起き)の中で毎日1.5時間以上の勉強時間を捻出するのは本当に辛い。体力をどんどん疲弊する。ライフはゼロよ!ってまじで思う。
当然その勉強時間に給料は出ないので、UNIQLO社員はもれなく月30時間以上は家でサビ残してることになるとおもうのだけど。
これも始まったのはここ2年くらい前かな。
そもそも社員の時間を勝手に使って、勝手に給料から天引きするシステム、これがブラックじゃなくて何がブラックなん?
③課題
今週の課題は柳井正の「一生九敗」を読んだ読書感想文だし。まぁこの本の代金は柳井のポケットマネーでいいわそこまでせこくないし。売上部数1万は上乗せできるし。でも来月の課題図書ドラッカーの「経営の哲学」な。本の代金は給料から天引きしといたから。あと感想文提出できないと面談な。
④責任
えーと、俺がUNIQLOを辞めようって思ったのはこれです。個人的にはこれが一番堪えられなかった。
会社の経営方針として「全員経営」ってのがあって、これは柳井の口癖でもあるんですけど、要するに全員が経営者の自覚をもって、もっと利益や売上にコミットしましょうってことなんだけど、それがどう転じてか、「責任は個人がとる。」ってことになって、それがさらにこじれて、「担当者(末端社員)が責任をとる。」ってのがUNIQLOのやり方。
おれはアパレルしかわからんので、アパレルの話をしますけど、モノ作りってのは基本トップダウンで行われる。
ディレクターって呼ばれる人達が(UNIQLOの場合大勢)いて、その人達がじゃぁ今季のコンセプトはこれこれですよってのを決める。
それを元にカラーを組む人や、柄を組む人や、デザインを考えるデザイナーがいて、サンプルを作って、会議をするわけです。
でもすぐにサンプルを作れるわけじゃなくて、何度もそのエライ人達と打ち合わせして、パタンナーと打ち合わせして、じゃぁこれでいこうってなったら、生産部と協力してサンプルを作って、会議に挑むわけです。UNIQLOの商品は全て社長が目を通すので、商品系の会議と言えば社長会議なんですけど、そこまでに「会議のための会議」を何度も重ねて、会議に挑むわけです。
そんで会議でたまたま柳井の意にそぐわなくて、「誰ですか!こんな下らないもん作ったのは!」ってなったとするでしょ?
首根っこ掴まれて、社長の前に放り出されるのは、一番下っ端のデザイナーだったりパタンナーだったりMDだったり生産なんです。
んで、ボーナスの査定が目減りする。上司はうまくそれを処理して昇給する。
おれはこれがどうしても納得できなかった。
責任の取れない上司なんて必要ないし、そもそもみんなで話して決めたじゃん!っていう。
1つ例を出します。
今飛ぶように売れてるウルトラライトダウン。あれ、初年度とサイズ感が違うんです。
当初のコンセプトだと、あれは「ミドルレイヤーとしてのダウン」だったんです。mont-bellさんやPatagoniaさんがやってるようなシャツダウン。アウターの中に着るダウン。
そういうコンセプトですから当然サイズ感は、「シャツのよう」にミドルレイヤーとしてのフィット感を重視したサイズ感だった。
ところが、これが販売を開始してみると、店舗から「従来のものよりサイズが小さいのではないか」いう問い合わせが頻出したんです。
これ自体はよくある話です。誰が悪いというわけでもない。
きちんと商品説明が店舗まで行き渡っていなかったのも悪い。お客様に説明できていなかったのも悪い。そもそもそういうコンセプトが受け入れられる土壌がUNIQLOの客層にはできていなかった。いろいろ悪かったんです。
でも、これは責任をだれかがとらなくてはならない。何故なら!それが!UNIQLOの!やり方!ヒャッハー!魔女狩りだゼェ!
でも当然商品化されるまでには、何十人もの人間が携わり、会議で議論し、社長自身が「それで行きましょう!」と判を押してる。
そういうの全部無視して、企画立案者に罪をなすりつけるような会社で、良いアイデアや、良い商品が産まれるわけがない。
みんな萎縮して、実績のあるものをこねくり回すだけの仕事になっちゃう。
おれは絶対間違ってると思う。ねぇお兄ちゃん、これが全員経営ってやつなん?これがドラッカーがめざした理想の経営学なん?
こういうことが日常的に起こる会社にいると社員はどうなると思いますか?社員は常に怯えて仕事するようになるんです。
自分が責任をとらないでいいようなやり方。共有のメール、共有のための会議。会議、会議、会議、メール、メール、メール、メール。。。
⑤鬱病
そして作り出されるのが鬱病。
これはほんとに多い。多分%に直したら日本の企業で一番多いと思います。いや世界一。
もうみんな感覚が麻痺してて、誰々が明日から暫く休みますなんて報告を聞いても、あーまたかー、仕事が増えるなぁ、くらいにしか思ってない。
感覚でしゃべりますけど、10%~20%くらいの確率で鬱病経験者です。
原因は、逃げ道の無いプレッシャーです。
けっこうわりと、仕事がクソでも、メンツが良ければ楽しくやってける、みたいなのあると思うんですけど、今のUNIQLOにそんなお花畑はない。
毎週朝礼で「プレッシャーを感じて仕事しろ」「もっと追い詰められろ」「緊張感をもて」って言われて仕事する。
社員はプライベートな時間も、仕事の時も、どんどんどんどん自分を追い詰めて仕事をしてる。そして死ぬ。
最後にこんだけクソミソに言っておいてなんすけど良いことも書きます。
UNIQLOのブラックさは、経営コストを削るために無理させてるってよりは、あいつら本気でそれが客のためになると思ってやがんですよ。
「プレッシャーを感じて仕事しろ」ってのは、売れてる時は、客が店に来てる時。客が店に来てる時は、何か期待して来てる時。その時につまんないもの、粗悪なものしか見せられなかったら、そのブランドは終わり。っていう理論。だから売れてる時ほど緊張感をもってなきゃダメだってこと。
英語にせよ、なんにせよ、まるで宗教みたいにすげー崇高な理念の為にやってる。
英語をしゃべれるようになれば、もっと世界のいろんな企業と「直接」取引できて、もっと安い原材料を仕入れられて、もっと工場とコミュニケーションがとれて、もっと良い商品がつくれるんじゃないかって、そんなことを考えてる。マジキチ。
7時出社にせよ、裁量労働制にせよ、元々は社員のため!みたいなお節介企画が始まりですし、なにも搾取してやろうって始めたわけではない。
その辺は某居酒屋とかコンビニとは違うかなーとは思いますけど、おれもまだUNIQLO脳に侵されてるので他人からみたら一緒かもですね。
あと商品につては、まじで今でもUNIQLOの商品はすげーと思います。中にいても、外に出ても思います。
縫製とか生地のクオリティが最近悪いとか言われてるけど、全然そんなことなくて、むしろどんどん良くなってると思います。値段は高くなってるかもですけど、それは原材料の高騰がどうしても響いてる。デザインはクソですけど。
あそこまで単品の完成度が高い服は無いと思う。
むかしTVで見たけどチョコボールは毎年アップデートしてるらしい。あの小さな一個の粒を、チョコの味をちょっと変えたり、ちょこの厚みを変えたり、硬さや大きさを少しずついじって、今でもベストを探り続けてる。
UNIQLOはまさに同じ事をやってて、靴下一足、ポロシャツ1枚が去年とは全部違う。シルエット、素材、縫製、必ず何かアップデートしてて、そんなことを毎年毎年やってる。
社員がみんな萎縮してるから良いアイデアが生まれなくなって、デザインはどんどんクソになっていくけど、反比例して、既存の商品がどんどん良くなっていく。
お客様が喜んでくれる為って本気で思ってて、良い物を適正な価格で出せば絶対売れるっていう理念は創業当時から変わってない。モノ作りで妥協は絶対しない。
下っ端の社員なんて基本バカで単純。柳井教をうぜぇうぜぇと言いながら、信じてる。
だけど、他の会社で、そんなところは絶対ない。妥協しないって、できることじゃない。
おれはそういうモチベーションの高い人間じゃないので無理でしたけど、本気で服で世界を変えてやる!くらいに思ってるような熱いやつならまぁ向いてるんじゃないですかね。給料はいいと思います。平均よりは。
ただ、おれは服ってのはそういう切り口もあるけど、やっぱ基本楽しいもんじゃなきゃヤダって思う人なんで、あーUNIQLOむりかもーって思い始めてた。
そんでまぁ風呂の温度も一向に下がる気配ないし、むしろどんどん熱くなってるし、のぼせる前にイチ抜けした。
今は楽しくやってます。
追記:「積んでる」→「詰んでる」に訂正しました。id:takeda25さん指摘ありがとうございます。
もしも(歴史にもしもはないけど、敢えて「もしも」の話をすれば)だけど、あなたの親が
一言も「勉強しろ」と言わなかったとしたら、あなたに全く干渉しなかったとしたら、どうだったんだろう?
私の親がそうだった。
ボンボンだった。
ポンっと60数万をもらったことがある。
で、私の人生はというと、遊びほうけたというわけでもなく、そこそこ勉強した。
大金をもらった時でさえ、セガサターンのソフトを1枚、音楽CDを2枚くらい、ポータブルMDプレーヤーを買ったくらい。
「友達の家に行ったら、なにかご馳走されたりしたら(あとでお礼を言わなければならないから)ちゃんと全て報告しなさい」
と言われていたからだった。
母が祖母(姑)に
「子供がよそ様のお世話になったら、ちゃんと親がお礼しなさい」
と言われたから、母は私にそう言っていることを私はわかってた。
私が友達の家に遊びに行くことが、親同士の外交問題になり、家同士の外交問題となると思うと、嫌だった。
「うちの子がお世話になりました」
「いえいえ、どうも」
みたいな会話をされることが、私には心底嫌だった。
そんなわけで小学生の頃から、友達との関係は学校の中だけで、放課後や休日は交わらなかった。
お金の使い方としては、たくさん使った日でも、半日ほどゲームセンターに入り浸って2000円くらい使う程度。
(本当にそのくらいしか使えなかった。一人でプリクラを撮るような性格じゃなかったし、UFOキャッチャーにも興味がなかった私は、100円2ゲームのビデオゲームばかりで、1ゲームあたり30分くらいは遊んでいられた)
報告の義務さえなければ、と親を恨んだ。
完全に逆恨みだ。
「どうして私の友人関係に干渉するの?」
と強く出たが、そこは親も折れなかった。当然だ。親が正しい。
むしろ干渉の度合いはめちゃくちゃ少ない方だったろう。
「どうして勉強しろだとか言わないの?私に興味がないの?」
と言ったこともある。
冷静に考えればどう考えたって理想の親だ。
ぶっちゃけた話、私には不満がなかった。
ちょっと違うかな、私は、どう接されても満たされない、心に欠陥をもってる。
勉強しろと干渉されたらやはり文句を言ってたと思う。
友達ができなかったのは、親のせいじゃなく、コミュ障だからだ。
そのことに気付いたのはつい最近。
20代も終わりに近づいた頃。
そこそこに、出世コースにも乗ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20110527203744
HTMLとかデジカメとかMacとか、いろいろ改変できそうなネタだけど、すでに成熟期に入っているデジタルオーディオプレイヤー(DAP)を同じように分けてみたい。
最初期の録音可能なデジタルオーディオはDATだが、当時の民生用としてはややオーバースペックだったためもっぱらプロユースだった。DATなんか趣味で持っていたような人は、たぶん今は逆にアナログレコードとピュアAUが趣味なんじゃないだろうか。ヱヴァでシンジ君が父親の形見(生きてるけど)として使ってたあれ。その後MDが発表され、ようやく一般家庭にデジタルなポータブルオーディオが普及する。ただこれらはあくまで「オーディオ機器でメディアに録音する」物であって、現代的なDAPとは違った。
現代的なDAPが発売されたのは1998年から。この当時はまだフラッシュメモリが高価で64MBとかが当たり前だった。この時代はソニー以外の国産メーカーは殆ど無く、iRiverやiAUDIOやMpioなどの韓国勢が主流だった。
この時期のDAPは、PCにつないで使うということで、家電量販店のオーディオコーナーではなくPC周辺機器のコーナーで売られていた。ちょうどWindows98がPCがマルチメディア化してったころ。ただMP3プレイヤーはまだまだマニアックなシロモノだった。この時期にMP3プレイヤーを使っていた人は、結構なギークではないだろうか。
その後ポータブルオーディオのシェアを大きく塗り替えるiPodが発売される。他のメーカーがプレイヤーのために変換転送ソフトを付属させたのに対して、iPodはまずiTunesが先にありそこからiPodを開発した。あと、HDDを採用しPC内のプレイリストを全部持ち歩けるようにしたのも画期的だった、
またアメリカでは2003年(日本では2005年)からiTunes Storeがサービス開始、他のサービスが苦戦する中でiPodの人気を背景に成功をおさめる。
このころ国産メーカーはどうだったかというと、2001年にPanasonicがSDオーディオを発売したり、ケンウッドがWMA対応のCDプレイヤーを発売していたが、いまいちぱっとせず、Apple VS 韓国勢という情況だった。特に「ウォークマン」のソニーがATRAC3やメモリースティックなどの独自規格にこだわったことや(SonicStageがものすごく使いにくかった)、日本の家電メーカーとレコード会社の関係から著作権がらみで消極的だったこともあり、海外勢に大きく水を開けられることとなる。
特にソニーのこの時期の迷走ぶりがひどく、Hi-MDとかVaio Pocketとかその後黒歴史化するシロモノを次々と出し、Appleにシェアを奪われていった。DAPに限らずDVDレコーダーや薄型テレビなどでも同じように迷走していた。その後のソニーの凋落ってじつはここから始まっていたんじゃないだろうか。
この時期に発売されたiPod miniは小型化と低価格化により爆発的に売れ、世界的に品薄の状態が長く続いた。はじめてのDAPがiPod miniという人も結構いるのではないだろうか。
シェアを奪われようやく危機感を覚えたソニーが、MP3やAAC、WMAなどマルチコーデック対応のプレイヤーを発売。家電メーカーらしい発想でHDD搭載のミニコンポを発売。これで「パソコンがなくてもDAPが使える」環境となる。
ソニー以外の国産勢は巻き返しを図るべく音質や付加機能を全面だす。東芝はワンセグ付きのプレイヤー、ケンウッドはデジタルアンプ付き、PanasonicはDIGAとの連携など。あと、日本メーカー品の多くはダイレクトエンコード対応で、PCなしで音楽を取り込めるという触れ込み(ただ決して使い勝手は良くない)。この辺はスマートフォンやPCと一緒で、よくも悪くも日本の家電メーカー的な商品開発。
一方のAppleはiPodを動画対応に。これはiTunesストアで映画やテレビ番組を配信・販売することを前提としたものだった。ただ日本ではこの時期はようやくiTunes Storeがサービス開始したばかりの頃で、動画を購入することは出来なかった。Apple以外のメーカーも、このころからオーディオプレイヤーからマルチメディアプレイヤーへの移行が始まる。更に低価格で簡素な機能のiPod shuffle、ミドルエンドのiPod nanoが発売される。iPod shuffleとnanoにより低価格化・小型化が進みより一般ユーザー向けに浸透する。
この時期はヘッドホンやスピーカー、FMトランスミッターや動画変換ソフトなど、サードパーティのアクセサリが拡充した時期だった。特にイヤホン/ヘッドホンなんか中価格・高価格帯が売れるようになった。ノイズキャンセリングヘッドホンとかDock接続スピーカーが出たのもこの時期。
DAPのデジタルデバイス化がより進む。iPod touchはマルチメディアプレイヤー機能に加え、ネットブラウズやメール、Youtube視聴、さらにApp Storeによりゲームやビジネスアプリなどを入れられる。iPod touchはiPhone替わりに購入した人も結構いた。
iPod shuffle 3GやiPod nano 6Gの滑りっぷりや見ると、「音楽プレイヤーとしてのiPod」の進化は今後大きくは見られないと思う。iPod classicもここ最近はあまり大きく変化してないし。国産メーカーは東芝・Panasonic・Victorが事実上の撤退状態。今後はスマートフォンやタブレット、電子書籍端末と競合がたくさんでるので、単なる音楽プレイヤーという市場は衰退するかも。