はてなキーワード: 反動とは
彼らはヒエラルキーの頂点に立っている。
高校になると状況が変わってくる。
自分の場合は共学だが進学校だったので、そこまで男女交際は活発ではなかった。
ずっと補欠で一度も公式戦に出たことはなかったし、第一志望の大学には落ちた。
そして彼女を作ることすらできず、いや女の子とデートをすることすらできず高校を卒業した。
はじめて恋をした。アルバイトの同僚だった。福田沙紀に似た可愛い子だった。
慣れないながらも一緒にバイトから帰ったり、メールでやりとりをしたり。
ほんとに楽しかった。
めちゃくちゃ引いていた。
告白のタイミングも唐突だったし、自分のアプローチもウザかったのだろう。
「友だちとしてしか見てない」と言われ、あっさりフラれた。
死にたいと思った。
それが19歳の冬。
やがて20歳を迎えた。
「とにかくSEXをしたい。SEXをすれば変われるかもしれない。」
その一心だった。
ネットでいろいろと調べた。
ソープならSEXができ、デリヘル・ホテヘルはSEX禁止らしい。
いざ予約をしようとするが、ヘタレな自分はなかなか電話ができない。
そう、飛田新地だ。
20分1万6千円、顔を見て選べる、SEXあり、予約不要、モデル並みがゴロゴロ。
これだ。
そこはまさに楽園だった。
今まで縁のなかった、こんな可愛い女の子とたった1万6千円でSEXできるというのが、童貞には信じられなかった。
金を渡し、服を脱ぎ、フェラ。
そして、騎乗位での挿入。
一瞬だった。
こんなものか、と思った。
だが同時に、達成感を覚えた。ようやく男になれた気がした。
そして俺は風俗にハマった。
金さえ出せば、どんなタイプの女でも抱ける。
当時、サークルもしておらず、友だちも彼女もロクにいなかった俺はバイトばかりしていた。
趣味も特になかったので、バイト代が100万円近く貯まっていた。それを全部風俗に突っ込んだ。
飛田でモデル系やギャル系といったタイプを一通り抱くと、次は松島新地・信田山新地にも行った。
新地に飽きると、ピンサロ・ホテヘル・デリヘル・ソープ・M性感。
それにも飽きたらず、シンガポールのゲイランと香港の141に行った。
そんな豪遊の前に、100万の貯金なんぞあっという間に飛んだ。
だがいくら風俗で遊んでも、自分は素人童貞であるという事実からは逃れられなかった。
素人童貞を捨てたい。
実は風俗にハマりながらも恋はしていた。
何人かの素人の女の子とご飯にいき、セオリーにならって3回目のデートで付き合ってほしいと告げた。
だが全てフラれた。
たぶん自分には人として、男として、魅力がないのだと思う。
だから普通に女の子と付き合って、素人童貞を捨てるという考えは諦めた。
次に目をつけたのが出会い系だ。
ありとあらゆるナンパ本、ブログ、商材に目を通し、トークとエスコート術を学んだ。
なんかの商材に書いてあった通り、愚直にジムに行き、体を鍛えた。
はじめこそ不発だったものの、徐々に成果が出始めた。
当時俺は22歳だった。20歳で飛田新地で童貞を捨て、2年かけて素人童貞を捨てた。
1人だけ、合コンで知り合って彼女ができたが「つまんない」と言われ1.5ヶ月でフラれた。
やっぱり恋愛に向いていないのだと悟った。
今、俺はアラサーだが、たぶんこのまま彼女を作ることも、結婚をすることもなく、一生を終えるのだと思う。
多少の自信になったし、何なら飛田に行ってなかったらアラサーの今でも童貞だったかもしれない。
ウジウジと童貞であることに悩んでいるくらいなら、飛田なりソープなりで童貞を捨てた方がよいと思う。
だが、それと引き換えに、何か大事なものを失った気がするのだ。
高齢化社会において超高齢者が現役で頑張る姿というのは美しく見えるかもしれない。
ただ、果たしてそれを実現するためにどれだけの犠牲が必要になっているかは想像に難くないはずだ。
自分が働く会社は中小零細企業であるが、初代が頑なに社長の席を離そうとしなかった。
文字通り実印をしっかり握りしめ、どんな契約だろうと必ず社長が目を通して許可をもらうことが不可欠だったのだ。
自分が入社した頃ですでに70を過ぎていたのだが、当然価値観も古く、新しいものの導入にはとにかく首を縦に振らなかった。
そのために競合からかなりの遅れを取る羽目になったのだが、自社に関してはまさに運だけで、本当にたまたま生き延びることができていた。
しかし、とうとう認知症の兆候が現れ始め、二代目である息子たちが世代交代を申し出ようとすれば、人目をはばからずに大声を張り上げて拒否をするようになった。
その頃自分は本社の事務にいたのだが、それこそ毎日のように「泥棒!」「俺をそんなに殺したいのか!」などという怒号が響き、誰もが会社の未来に対してただただ不安を抱え続けていた。
世代交代にはそこから数年を要することになったのだが、最終的には本人の記憶も曖昧になり、現場の社員レベルではうかがい知れない間に専務である長男と世代交代の書類が交わされることとなった。
それからも先代の社長がふらりと会社にやってきては、社長室の椅子に腰掛ける新社長に対して「なぜお前がおれの椅子に座っているんだ!」などと叫ぶ姿がみられた。
そのためしばらくの間、社長室は決裁や業務に関わる機能を全てなくした状態で先代のために開けつづつけることになってしまうほどだった。
先代が老衰でこの世を去るまでその習慣は続けられたが、入院してから亡くなるまでの期間があまりにも短かったことや、先代の功績に対し葬儀があまりにも質素で、さらに葬儀会社と思われる外国人がちらほら出入りしている姿が見られたことは、社員たちの間で口に出してはいけない雰囲気に包まれていた。
それから程なくすると、2代目社長は突然の世代交代を発表した。社長になってからたったの5年。年齢で言えば60になったばかりの頃だ。
確かにその5年間は激動の5年だった。それまでの遅れを取り戻すように様々な設備を導入し、新事業部もできて(自分はそこに異動することになった)会社の規模は1.5~2倍近くになった。
先代が実権を握っていた期間が長すぎたことで、2代目はいわゆる道楽社長だったのは確かだ。この5年の急成長も、実を言えばその息子である3代目による功績が大きい。
だからその功績を讃えようという意思、さらに先代の轍を踏みたくないという意思による世代交代であると聞かされたが、正直、社長という肩書も持ったし、さっさとリタイアして遊んで暮らしたいというのが本音だろうというのがもっぱらの評判だ。
そんなわけで今の社長は35歳という若さでその立場に就くこととなった。
しかし、先述の通り初代に抑え続けられた鬱憤と2代目に対する不信感が功を奏してか、会社の業績は今も伸び続けている。
一度カバン持ちで経営者同士の会合に参加した事があったが、高齢の経営者に囲まれながらも謙虚ながら対等に話をする社長の姿はなかなかに見応えがあるものだった。
初代が実権を離さなかった反動で、一気に3代目が就任できたことは会社にとってメリットでしかなかった。
もしこれで道楽者の2代目が未だに実権を握っていたら、本当に会社はどうにかなってしまったかもしれない。
この会社で起きたことを振り返るとこうだ。
・初代が一代で築き上げた会社であり、常に実権を持ち続けていたために2代目が育たなかった。
・古い価値観、商売人独特の頑固さによって、新しい技術の導入に対し致命的な遅れを取ることになった。
・しかしそれを危機と考えていた3代目が陰で人一倍の努力をしていた。
・それを感じたのか、それとも単なる道楽好きが幸いしただけか、2代目の就任期間が短かったことで、若手社長の誕生により会社は持ち直すどころか成長することができた
たまたま立地に守らてていたことで初代の行動が許されたということもあるかもしれないが、一歩間違えればいつ潰れていてもおかしくなかった状況だったといえるだろう。
ここまで長々と書いてしまったが、高齢者が現役であることの一番の問題は、後継者が圧倒的な経験不足に陥ることだ。
そのことは親族経営の会社で働く人間は痛いほど痛感しているのではないだろうか。
しかし、戦後の高度経済成長を経た今、その頃に成長を遂げた企業のほとんどは親族経営であるのも事実だろう。
自分にとって、天皇陛下による生前退位の意向は、そうした社会のあり方に対する警鐘であり、まさに自信の退位を手本として日本の象徴としての務めを全うしようとしているように見えて仕方がなかった。
昭和という激動の時代を動かし続けてきた先代の背中を見てきた上で、子供の著しい成長を感じるからこその、まさに平成天皇しか成し得ない判断ではなかろうか。
高齢者が働かざるをえないような社会保障が不安定な状況の中で、実権だけを手放せというのは都合のいいことに聞こえるかもしれない。
しかし、我が社において何をおいても悲しいことは、認知症が始まってしまったことで2代目との関係は悪化の一途を辿り、先代はせっかくの功績が讃えられることもなくこの世を去ることになってしまったことだろう。
自分が作り上げた会社だから自分が自由にしたいと思う初代の想いがわからないわけではない。しかし、個人のわがままで数百人の従業員が露頭に迷うことが許される世の中であってほしいわけでもない。
願わくば高齢でありながら自社の実権をしっかりと握ったままの経営者は、自分の思考や価値観が明晰であると自覚ができているうちに、後継者へと席を譲ってほしい。
テンポはとてもいいんだけど、細かいところが気になっちゃって、今一つ嵌れなかった。
まあそうはいっても、正直なところ「原子力(微)生物」ってどんな描写にしたらいいのか想像つかない…。
自分で考えようとすると、「原子力」抜きでエメリッヒ版みたいな「ありそう路線」になってしまう。
↓こんな感じ
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グリーンランドのバイキング居住地の遺跡。逆叉の骨が大量に散らばる中に、奇妙な足跡が発見される。
氷河期の巨獣たちが生き残っていたのか? バイキングは何のために逆叉を、危険を冒してまで捕っていたのか?
…訝る学者達。
(生き物としての逆叉の凄さが語られる)
そのころのカナダ。
逆叉の「聖地」で、鯨類の研究……特に、逆叉の「会話」を傍受・研究してきた海洋学者が、パニックを起こしていた。
「とにかく、様子が尋常じゃないんだ!」
…と、報道記者やDFO、さらにNOAAへ必死にアピールするが、禄にとりあってもらえない。
「減ってるって言うけど、ここから移動したのかもしれないでしょ」
「オルカに迫る危機…って線なら良いと思いますが、”人類への脅威”みたいな言い方は疑問ですね。恐れながら、入れ込みすぎでは?」
しかし、すぐに。「北大西洋では、逆叉の個体数は急速に減少している」との見解を、別の科学者も示す。
明らかに何らかの異変が起きている。学会やNGOなどに緊張が走るなか、さらに身近なところで事件が起きる。海洋娯楽施設「マリナーワールド」のスターである逆叉達が。一匹、また一匹と、痕跡も残さずに飼育プールから「消えて」いってるというではないか。
通報を受け、マリナーワールドに張り込むTV局や警察の目前で。10m以上に及ぶ“何か“が「突入」してきて、最後の逆叉が瞬時に両断される。その様子や、警察のライトに驚いて?凄まじいスピードで逃げる「何か」の不明瞭な映像が放映された。
こいつは一体何だ? いったいどうやって海水導入溝の多段鉄柵を越えているのか? 全世界の注目を集め、前後まっぷたつにされた逆叉や現場の遺留物から、様々な「正体予想」が氾濫する状況に。
そして、報道・学者・環境保護団体「シー・リカオン」などが州軍とともに詰めかけるのをあざ笑うかのように、100km以上南にある別のマリナーワールドが襲撃される。今度は一夜にして12尾の逆叉を全滅させ…たのみならず、施設の大規模な損壊・火災に行方不明者を出す事態。
「KWK、ヒトの味を覚えたか?」
騒動が大きくなって、最初の海洋学者に再びスポットがあたるが…。
「頭おかしくなっていたんだ、きっとそうだ…だって、ありえないんだ!」
「どういうことです、あなたは何を見たんです?」
「うぁあっ…勘弁してくれ!」
今度は、西南アフリカ…。とあるマグロ密漁船が、環境保護団体シー・リカオンのIUU監視阻止船「MYキャニー・ロデル」からの逃走中に突然、沈み始めたのである。余りに速く沈んでいき、誰も浮かび上がってこない。
マリナーワールドからは余りに遠く、KWKと結びつける材料もなかったので、現地国家「G国」海軍に対鑑武装を疑われるMYキャニー・ロデルの乗組員たち。調査で乗り込んできた軍人たちの目前で、軍艦のほうが襲われる。船尾の舵が壊されたのち、水中から飛び出して甲板に跳び乗ってきた”それ”は、あの特徴的な背鰭と禍々しい皮膚を備えていた。
「あれは?…あの、KWKじゃないのか?……しかも、脚があるぞ!」
軍人達は銃撃を浴びせるが殆ど利いてない。シー・リカオン側の船長は、とっさにMYキャニー・ロデルの封印装備…「爆発電気銛」を使い、KWKを追い払う。そうこの船は、嘗てノルウェーの捕鯨船だったのだ。シー・リカオンとして決して使ってはならない装備を……苦悩する船長。
そのころ、マリナーワールドの遺留品を調査していた学者達は驚くべき事実を突き止めていた。DNA解析によれば、KWKに最も近縁な生き物は、鯨類だというのである!
(昔は鯨にも脚や頸があった、現世の鯨類からン万年前に分岐した…などの蘊蓄が語られる)
「KWKの正体は鯨類と判明。即ち、キラー・ホエール・キラー・ホエール!」
「ゴンドウ・クジラ類にもっとも近いとされたことから、米NOAAは”ゴジラ”と命名。」
「遺留物の分析から、ゴジラの表皮や背鰭には鯨類が放つ声…音波を吸収ないし散乱させる性質があると判明した。つまり、逆叉はゴジラの待ち伏せを探知することができない。おそらくはソナーも…」
「ゴジラは待ち伏せ型の捕食者であり、ゼロダッシュの加速は凄まじいものがある。」
「頭部の唾液腺のような器官からは、着火性のある炭化水素類を噴出できると思われる…!」
「あのとき私が見たのは、陸へ打ち上げられるオルカ…を追って、このゴジラも上がってきて。オルカをあの後脚で押さえつけて、前足から飛び出したナイフで……おおぉお!」
さて当のG国では、EEZ内でも出没するゴジラに正規の漁船が入漁を見合わせるなど損失が拡大、洒落にならなくなってきた。他国の組織からの介入を強く牽制するが、ゴジラに対応できる改装を行うこともままならない。
一方、シー・リカオンに対しては、G海軍と密漁対策で連携していた経緯から、またKWKが野生動物と判明したことから、G国政府はさらなる協力を求めてくる。
しかし、結果的にせよ”鯨類”に銛を向けてしまったMYキャニー・ロデルは、船長も乗組員も動揺が激しく、身動きがとれない状態であった。
一方。
極東の「鯨類研究所」は、ゴジラを”害鯨”と認定、「調査捕鯨に乗り出す」と公表。インド洋上の目視採集船「シンユウマル」が、喜望峰を回って大西洋に入る。衛星の合成開口レーダーで同船の動きを追うシー・リカオン。シンユウマルは、かつて南氷洋で調査母船シンニチマルとともに、MYキャニー・ロデルを挟み撃ちにして、癒えない傷を追わせた仇敵である。
しかし。G国が箝口令を強いているため、シンユウマルは、ゴジラがどうやって軍艦を航行不能に陥れているか知らない。
そんな中でG国は、シー・リカオンの新造IUU阻止高速船「オーシャン・ハチェット」の派遣を正式に要請した。
「ゴジラはヒトを”密漁”しているのです。それで十分ではないでしょうか? それに、貴団体の新造鑑には色々”特殊な装備”があると伺います。殺処分なら時間をかければ私達でも、あるいはシンユウマルでもできるかもしれませんが…」
実は、G国は。ゴジラを公海などへ追い出してシンユウマルにしとめられるよりも、EEZ内で”確保”するのが望ましいと考えていた。
CBD名古屋議定書に基づき、ゴジラを”遺伝資源”として研究・収益化をもくろむであろうグローバル企業達を呼び寄せ「公正かつ衡平な利益配分」を受けられる、「ゴジラ遺伝資源ライセンサー」としての地位を確固たるものにするのだ。米国などで確保した断片程度の”遺伝資源”よりも、生きているほうが価値が高い。そのためにもシー・リカオンは利用できる、と。
そんなG国の本音を知らないまま。G国沖EEZへと急ぐオーシャン・ハチェットは、ゴジラ「捕獲」の任務を果たせるのか?
その少し後。
G国沖、公海上に停泊するシンユウマルを後目に、海軍のヘリに先導され、EEZへ入ることを許されたオーシャン・ハチェットであったが……そのあとを巨大な影が追ってきた。シー・リカオン側がそれに気づいたのは、G国の港湾に入った後であった。
もう、ゴジラに追われていた?…身構える乗組員。既に接岸していた同船が、回頭できなくなるほど近くまで、巨体が寄ってきている。
しかし、「ピヨオウアッ!」…という鳴き声で甲板の緊張が解け、興奮へと変わった。
「オルカだよ!本当に大きい…すごい…」
それは20mにもなるかという巨大な逆叉。シー・リカオン等では、通常の逆叉が子供サイズに見える望遠写真で有名な個体だ。頭頂部にも、目の後ろのアイパッチと似た白い紋様があるため、「三ツ目」というコードが与えられている。
「三ツ目が、一頭だけ?」
「南から、シンユウマルを追ってか?あいつら、オルカの群に何かしたのか?」
北から来たオーシャン・ハチェットについてきた筈はないから、ある意味当然の発想であったが。レーダーの履歴は、シンユウマルが脇目もふらずにやって来たことを示していた。
「やたらとアピールするな…」
「野生のオルカが一頭で港へ来て、こういうのって…とっても珍しいですよね」
「やっぱり、ゴジラのことじゃないですか?」
最後の質問をしたのは、同船に同乗していた記者である。既にG国のモバイル通信網を経由して、映像の送信を開始していた。
そのわずか5分後。記者のスマホに着信があった。例の海洋学者からである。
『三ツ目が来てますよね?』
『これ、見せられますか?』
海洋学者は、G国検閲済みゴジラ画像のプリントを抱えている。甲板に大型ディスプレイが引き出され、大写しにして、色を少しずつ調整していくと…
「パアアアアアアア!!!」と、すごい大声。
「ほんとかよ。」
「ほら、そうでしょう?」
『発音や解析の環境も一式用意していますので、画像を併用すればある程度通じるかと』
「え、ここでやるの?」
港へ出てきたG国政府の面々も、この状況に驚いたものの。三ツ目がゴジラと接触したがっていることを、すぐ納得した。
『”わたしが囮をやる”と言ってますね…戦闘態勢に入ったオルカには手出ししてこないから、と。』
「何だ、古馴染みなのか?」
『大昔からのつきあいで、協定のようなものがあるそうです。それを破ったのだと。』
「あれだけ狼藉働けば、そうだろう…というか異種間のコミュニケーション、初めてじゃないんだ?」
『北のオルカはエコロケーションに頼りすぎ、だそうです。』
こんな感じで。ディスプレイの中から、図版を沢山抱えた海洋学者が色々言うのに、誰もが半信半疑になりつつ。ともかく大逆叉の意向にそって「作戦」を組み立てることになった。
翌日。MYキャニー・ロデルが舷側に大布を吊し、そこに仮病の三ツ目を「収納」して、囮の役割を担う。かなり距離をとって、「ゴジラ対策」を施したオーシャン・ハチェットと海軍の巡視艇2隻が追っていく。誘いを掛けるために、三ツ目は自らの血液までも提供した。
ゴジラは巡視艇の後方から現れた。急拵えの「枠」に阻まれて舵を壊せなかったものの、舷側に前脚を掛けて甲板に飛び乗ってきて、自重でロールを抑える。もう一隻のほうの甲板に軍人達が現れ、速度を落として併走しながら銃撃を加え始める。ゴジラは音もなく跳躍するが、足場になった側の船は強烈にロールしてひっくり返った。
ゴジラは、もう一隻の舳先に「着地」したかと思うと、そのまま海へ走り抜ける。その反動で急激な回頭が生じ、底を見せた一隻目に激突。軍人達も海に落ち、海軍は脱落を余儀なくされた。
「あれ、助けなくていいのですか?」と記者。
「ある意味、予想通りだろう。後方から救助が来るので、こちらは海岸に沿って遠ざかった方がいい。」
『もう外してくれ、だそうです。』
三ツ目の鼻先、海上すれすれにあるディスプレイの中で海洋学者が「通訳」した。一旦リリースすれば、意志疎通は難しくなるだろう。
「き、来たぞ…?…来たぞォオ!!」
三ツ目の巨体が音もなく沈み、MYキャニー・ロデルの起こした波だけが広がっていく。
「どうなりましたか?」
「あれ…?」
三ツ目の役割は疲れさせるだけ、の筈だが。水中で決着がついてしまったのか?…と全員が思い始めたとき、もつれあった巨大な塊が海面から飛び出したのは…
「あんな後ろで!」
「というか、さっきの軍のほうに向かってる?」
オーシャン・ハチェットは、搭載の無人デバイス類を離鑑させていたが、標的に「無視」されてしまったので回頭を始めていた。
「三ツ目に戻ってくるよう伝えられないか?」
「もう無理だろう」
「こっちに誘導してくれないと、まずいぞ?」
実際、流され続ける巡視艇は公海に近づいていた。ゴジラはその「障害物」を巧みに利用して、三ツ目と渡り合っている様子である。巡視艇の乗員は救命具でひとかたまりになって、二体の闘争から距離をとっていた。
そして、それを観測しているのはシー・リカオンだけではない。「調査」と書かれたブルーグレーの船体に白いブリッヂ……軍艦じみた奇妙な船の操舵室でも、どよめきが広がっていた。
「わざわざ足場を作ってあげてるとは…」
「何とやりあってるんだ、ゴジラさんは?」
「あれ、鯱じゃないか?」
「上を飛んでいるのは何だ?どうぶつ団の連中のか?」
既に公海上であり、シンユウマルが接近していた。乗員達があわただしく動き、捕鯨砲の準備を行っている。
その鑑影を見て、シー・リカオン側に殺気が走った。
「キャッチャーボート接近。シン……ユウ……マル……あれは"シンユウマル"だ!」
「こっちくんな、ポーチャー。」
「雷落としてやれ!」
オーシャン・ハチェットから操られる飛行ドローン「フリゲートバード」は上空で落雷装置を吊り下げたまま、ゴジラの疲れを待っている。同じく潜水ドローン「バスケットスター」も特殊装備「ハイドロメデューサ」を解放するチャンスを伺っていたが、目まぐるしく移り変わる二体の戦いに手を出す隙がない。
そこへ、速度を上げたシンユウマルが突進してきた。
「ああ、下がってくれ!」
「無理だ!手を出すなぁ!」
…と、若干芝居がかった嘆き声が響きわたるMYキャニー・ロデル船内。公海に出たので、例の記者がTV中継を開始したためだ。シンユウマルへの罵声は(なるべく)控えている。
「いやぁ、下がりませんとも。」
「情報戦だなあ。うちも南アに寄って記者でも乗せればよかったかな?」
「よしましょうよ。」
…と、余裕を見せるシンユウマル側では、少し前に”クーデター”が起きていた。
共倒れを狙い待機する方針を打ち出した砲手長が、大逆叉に畏敬の念を抱いていることを、若手の乗員達に見抜かれたのだ。
鯨研の「情報戦」に晒されて育った世代にとって、鯨類へ「食品」や「天然資源」以上の評価を与えようとするのは許し難い裏切りであった。
そして「鯱」はある意味、シー・リカオンの象徴であった。この状況は、シー・リカオンが逆叉を操っているようにも、逆叉がシー・リカオンを操っているようにも見える。
ゴジラと大逆叉。どちらに銛が刺さっても別に問題はなかろう?…この方針に反対する「年寄り」達は、船底の一室に軟禁されることとなった。
迷いの無くなったシンユウマルが急速に二体へ接近する。三ツ目は深度をとっているのか、ゴジラはひっくり返った巡視艇の側で小休止している。
絶好のチャンスに食らいつこうとするシンユウマルは、ゴジラを挑発しようと高度を下げていたフリゲートバードの直下に入ってしまい、軽く「落雷」を食らってしまう。落ちた先がライトニング・ロッドではなかったため、諸々のシステムが停止し行動不能になったところをゴジラに襲われ、舵を破壊されてしまうシンユウマル。
「いや、チャンスだ……シンユウマルの向こう側へ”手”を掛けようとする筈。急げ!」
これまでのゴジラの船舶襲撃パターンから、先を読んだ指示が乱れ飛ぶ。水中ドローンから無数の「浮き袋」が密集状態で放たれた。膨らみながら急速に浮上していく。ゴジラ側の選択肢を制限し、空中ドローンの「雷」を当てやすくするのだ。しかし…この状況では、またシンユウマルの側へ落ちるかもしれない。
しかも、ゴジラは先程の「落雷」をちゃんと見ていた。舷側から上がろうとせず、上方を警戒して、すぐ潜行しようとする。そこにハイドロメデューサが、相互に繋がった無数の「浮き袋」が浮き上がってきた。このまま押し上げられるとまずい…そう判断したのか、ゴジラはシンユウマルを蹴って距離をとろうとした。
「今だ。」「落雷機、投下ァ!!」
フリゲートバードは、ゴジラの進行方向をふさぐように落雷機を落下させる。着水間際に相当なショックが走る筈…しかしその所要時間を見切り、逆に加速するゴジラ。
「全速かけろ!ハチェット!」
「嗚呼これは…間に合わない…」
「光った!落ちたのか?」
「ゴジラ、頭を出したぞ!」
「畜生…」
MYキャニー・ロデルに広がる落胆の呻き声は、途中から歓喜の驚きに変わる。
「あそこ、三ツ目が!」
「痺れてるな…うまく泳げてない」
「ぶちあてろ…ハチェット!!」
三ツ目が発射した「超クリック音」を
初代ポケモンの思い出話
ポケモンもコロコロコミックもジャンプも小学○年生も買ってもらえなかった俺は、学校で友達が言ってるポケモンの名前がさっぱりわからなかった。
でも周りはみんなポケモンポケモン、ピカチュウカイリューヤドランピジョンって感じだったので、
「ノートがいっぱいになったら買ってもらえるに違いない」という哀しい自分ルールを作って「じゆう帳」に黙々とボクの考えたポケモンを量産してた。
どれもドギツい色のサインペンで着色していて極彩色にもほどがあるデザインで、
後年発掘したときには絵がヘタとか発想が怖いとか以上に、ものすごい怨念を感じるノートに仕上がっていた。
中学生の頃にあまりにも怖くて呪われそうな気がしたので捨ててしまったのが、大人になった今となっては悔やまれる。
自作クリーチャーのノートが2冊目に突入する頃、本屋で「文字が多いから」という理由で「ポケットモンスター赤を遊びつくす本」を買ってもらえた。
当然、ポケモンに飢えに飢えている俺はそれを隅々まで読んで読んで読みまくって、ポケモンの名前と姿をはじめとする各種データを頭に叩きこんだ。
翌週には、(まだプレイしたことないのに)同級生がポケモンの話をしているのを見かけては入っていって、
「○○なら何番道路でLvいくつが○%で出るよ」「その技は進化させずに覚えさせた方がいいよ」「その技よりこっちの方が威力高くて命中も一緒だよ」とか言ってたと思う。
時期的には既にクラス内でのポケモンブームはやや冷めつつあった(後発組もみんな四天王を倒した)頃で、
本ベースで山ほど知識を仕入れていたので、すぐにクラス、さらに学年で一番ポケモンに詳しい人というポジションに落ち着いて、
休み時間の度に「お兄ちゃんに勝ちたい」「○○の技マシンどこ?」「あのポケモンはどこ?」みたいな相談に乗ることが多くなった。(まだプレイしたことないのに)
「最近の増田くんは、ポケモンにとっても詳しくて、いつもお友達に頼りにされていますよ」
「絵をずっと描いていたもんね、(買ってもらえて)よかったね」
みたいなことを言われ「でもボクまだ持ってないよ」「えっ!?」という流れを経て、その日の帰りに遂にポケモン赤を買ってもらえた。
選挙は最善を選ぶのではなく最悪を避けるために行くのだ、というけれど今回の選挙で最悪となったならば次はその反動でその候補者やその支持政党に対して不支持が広がるのだから最悪を避ける必要すらない。長期的に見ればほっておいても常に最善が実施される。なので選挙に行く必要はない。
私は間もなく30歳を迎えるシングルマザーで、4歳の女児を育てている。その娘が今夜熱を出した。もともと体の弱い子で、熱を出すのは珍しくないのだけれど、今夜の彼女はうんともすんともつらさを口に出さず、寝かしつけようとして体に触れるまで、彼女が発熱していることに私は気づけなかった。
娘の体は本当に私によく似ている。体型や肌や顔も似ているし、周囲の感情に敏感なところ、音の刺激を嫌がるところ、その反動か、自分の想像の世界に静かに沈むのが好きなところ。彼女を見ていると、お世辞にも上手に渡れているとはいえない自分の人生を、同じように繰り返してしまうのではないかと怖くなることもある。
私は、「こういう親になりたい」という模範像を持っていない代わりに、「なるべく毒親になりたくない」というのを考える。血を分けた娘が一番の理解者であるように感じてしまうけれど、配偶者がいない心細さを娘にぶつけたくない。かといって必要以上に距離を置いたり突き放したいわけではない。自分は離婚の際に性嫌悪気味の感覚をもってしまったけれど、それを無意識に娘に継がせてしまいたくはない(ああ、でも、きっと彼女はもう知っているのだろう)。
生きていくのは怖くない、楽しみをもっていいと自己肯定感のある子に育って、いつか私が先に死んだ後も幸福に、自信をもって暮らしていってほしいといつも願っている。
今日、増田に書かせてもらおうと思ったのは、娘の体の痛みを同じ感覚で理解できる自分は、自分だけは、何があっても彼女の感覚を否定しないであげようという感じが、急に降りてきたからだった。どうしても感じてしまう痛みやつらさが今ここに紛れもなくあると、そこを撫でてやること、文字通り「手当て」をすること、きっとそれが私の仕事なんだと思った。どんなに忙しくても疲れていてもそれだけは必ずしようと思った。今夜の娘は夏風邪なのだけど、もしかしたら彼女が10代にさしかかる頃には、私がそうであったのと同じように、婦人科系の不調や自律神経の不調をきたすかもしれない。そのときの自分の仕事はまず手当てだと思った。
私の家は両親が共働きで忙しく、長子だった自分は小さい頃からきょうだいの世話役をすることが多くて、寂しい気持ちがなかったと言えば嘘になる。高熱の娘を撫でていると、なんだか寂しかった子どもの頃の自分にも手当てをしてやっている気持ちになる。これでいいかな、いいということにさせてほしい。仕事に家庭に、精一杯だった母も、あれでよかった。
書いていて思い出したけれど、自分も母も甘え下手というか、必要以上に苦労性の部分がある。娘には、遊んだりさぼったり誰かと助け合ったり、そういうことを自然としてほしい。きっと口で言うだけではなくて、母親の自分が自然にそういう姿を見せられないと、なんだかいけないことのように感じてしまうのだろう。子どもを産んでからずっと張りつめた気持ちで過ごしてきて、暮らすのに精一杯という感じだったけれど、もうちょっとやわらかに生きたっていいのかな、自分も。
1人の人間をこの世に送り出した責任、すさまじく重く感じてしまうのだけど、あんなにやわやわだった赤ちゃんを数年間生かしてこられて、本当によかった。「幸せにする」なんて傲慢かな〜と思いつつ、娘が幸せそうにしているのをこれからも見ていられるように、私自身も笑えるようにしよう。子どもの頃の自分は「ママ笑って」とよく思っていたから。
頭と心を整理するためにここに書こうと思います。
毒親と連絡を断って一年が過ぎたのだけど、最近になって、毒親から、わたしの旦那と旦那実家へのコンタクトが増えてきた。
着信拒否をしてくれ、と何度も話したのだけど、旦那としては「時間が解決してくれるだろう」という期待があるようで、わたしが実親と連絡を断っていること自体は責めないでいてくれるのだけど、一方でつながりを完全になくしてしまうことには抵抗があるらしい。
旦那がそうなので義母にも連絡を断ってくれなどと言えるはずもなく、遠方なのでお中元お歳暮のやり取りぐらいだが親どうしの交流は続いている。
そんで毒親がこないだ義母に切羽詰まった様子で泣きついてきたようで、義母はやはり同じ母親としておおいに共感するところがあったらしく、わたしに対して「なんとかほどほどの距離感で付き合えないものなのか」と説得をしてくるようになった。
これがなかなかにしんどく、まあ子持ちの友人とかから内容自体は言われ慣れていることなのだけど、義母から言われると動揺する。
今は旦那がわたしの側に立ってうまくかわしてくれるからまだ救われているのだけど、その「ほどほど」が通じない人達だから手の届かないところまで距離を置いているのだということをどうすれば理解してもらえるのか、理解は難しくてもまあうるさく言わず黙っといてやるかぐらいに思ってもらえるのか、しかしまあ要するにわたしに連絡がつかないのに周りに連絡がつくから連絡してくるのであって、それで周りが困惑するのも当然であって、周りからすれば、お前んちの親子喧嘩に巻き込まれても困るんだけど、ってなもんだろうし、でも着信拒否はしないということで、わたしはどうすればよいのか悩んでいる。毒親の過去の悪行などを訴えると、そのときは「なるほど」と言ってくれるのだが、それこそやはり時間が経てばそのときの印象も薄れるようで、そのたびに彼らがいかに付き合うのに難儀な人種なのか具体的なエピソードとともに訴えることもできるにはできるが、「でも、親子なんだから」論者にはそれもいずれ効かなくなるように感じている。
旦那と義母のやり取りをよくよく観察すると、お互い結構きつい口調で言いたいことを言い合っているのだけど、なんというか、ちょっとした言い方とかにイラッときてもお互いすぐ流せてる様子だし、ささいなことにこだわらないおおらかな愛情があるんだなあ、というのがしっかり感じられる。羨ましい。うちの毒親は、そのちょっとしたイラつきを毎回徹底的に掘り下げて相手の人格を否定するタイプなので、幼少期からいかんなくそれを浴びせられてきたわたしは自己肯定感駄々下がりな半生だったのである。
そういう圧倒的な環境の差異を見せつけられたのちに「あなたを産んでくれた親なんだから」などと言われると本当にダメージがでかい。
追記
その義母とも「ほどほどの距離感」で付き合えばいいんだろうけど、実はもうじき義母と同居を始める予定だ。義父が他界しており、一人暮らしの義母を我が家に迎え入れようという話をしている。わたしも毒親の親であるところの祖父母を介護し最期を看取った経験から老人介護のなんたるかはわかるし、時期が来たらプロに任せるべきであるという持論も旦那と共有している。普段あまり自己主張しない旦那が、義母を呼び寄せたい、と話してくれた気持ちを大切にしたいし、元気なうちに少しでも親子の時間を持ってほしい。それは本心だ。嫁としてはそりゃ面倒だけど、でもまあ、毒親の件さえなければ、嫁姑としてはそれこそ「ほどほど」でやっていけそうに思っている。中学生のころから実家を出るまでも三世代同居だったので、実際同居が始まってから、予想もしてなかったような悩みやトラブルがいろいろ噴出してくるのもわかってるんだけどね。やはり問題は毒親の件だ。旦那と義母が連絡を断つことに積極的でない以上、わたしがどうにか処理するしかない。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。でもどうすればいいのかわからない。わたしにとって彼らはストーカーと同じなので、ストーカー被害のように警察に訴えることができたらどんなにいいかと思う。でも、まだ警察に相談したことはないけど、まともに取り合ってくれるわけがないというのはさすがにわかる。毒親相談窓口とかないんですかね。あるいは、娘そっくりの人工皮膚をかぶせたペッパー君を送りつけるのでもいいと思う。数百万で済むなら喜んで依頼する。「なんだかんだ言っても、親なんだから」と言う人は頼むから、少しでいいから、世の中には一見普通に見えても実は裏で大変な思いをしている人もたくさんいるんですよということを考えてほしい。
追記
毒親ネタ大好きなはてなで全然話題にならず寂しいので、小町なトラバへの返信でも書いて見ようと思う。
・友達の中で説教をかましてくるのは、既婚子持ちの、さらにごく一部の人たちです。
いずれも学生時代からの友人だが、当時はグレておかんを泣かせていた人達に限って今のわたしを非難してくる。
わたしは家を出るまでずっと親の期待通りに育ってきた、いわゆる「いい子」ですよ。
でもまあ、幼少期のわたしをそういう見せかけの「いい子」に仕立て上げたのは彼らだしな。
自業自得なんじゃね。
・ペッパー君を買うための数百万はわたしは自分で稼いだお金から出しますよ。
いや買わんけども。
なんかしらんけど、このトラバの人、偏見とか思い込みがすごいよね。
何がそんなにこの人の逆鱗に触れたのかわからんが、よほど現状に不満が溜まって心に余裕がない状態なのでしょう。
気の毒だと思う。
そんなふうにならないためにわたしは自分に害をなす人からは極力距離を置くことにしています。それがたまたま親だったというだけの話。
今回は少年ジャンプ+
会話含めて構成がわざとやってんのかってくらい間抜けすぎて気になったけれど、展開としてはやっとエンジンかかってきたかな。
というより、これまでが「本誌では絶対にやれないことをやってやろう」という意気込みだけで書いてる節があったからなあ。
この前のってた同じ作者の読み切りでも、「ヒネたことやればイコール面白いと思ってんだろうなあ」って感じで、私のこの作者に対する印象はお世辞にもよくなかったし。
「松井優征と吾峠呼世晴のダメなところだけ抽出して出来た」みたいな感じ。
サイトの紹介文ですら「漫画業界に衝撃走るクソ漫画、爆誕!!!!!!!!」というだけあって、本当にクソ漫画(ウンコが出てくるという意味ではなくて、出来という意味でクソってことね)。
面白いか面白くないかでいえば、贔屓目に見ても面白くないけれど、“そういう目線”で見れば面白いと思う人もいるかもしれない。
ただ、「もとからクソ漫画しか描けない作者に、わざとクソ漫画を描かせた」みたいな薄ら寒さがあって、どちらにしろ私の中では悪い意味でクソ漫画と評価せざるを得ない。
ファイアパンチの作者にもいえることだけれども、「ちゃんと」描ける地力があって初めてこういう斜に構えた漫画は面白さが増すと思うんだけどなあ。
それ以外は割と読めなかったが。
途中でドラマティックな展開が入って~とかいうのも、それはそれで白けるしこれでいいんじゃないかね。
まあ、ニセコイがもう終わりに向かっているから、スピンオフのこちらもそりゃあシメに入るか。
悪役の動機は、まあ元の方知ってたら妥当だとは思うけれども、大して面白みのある理由じゃないね。
恐らく決着ついたわけだけれども、まだもうひとハプニングくらいあるよな?
どうせ、なんか最後の足掻きで大ボス出てきて、メインキャラたちが協力してちゃんちゃんってところだろうな。
展開としては王道、悪く言えば見飽きたってところだが、サブキャラだけが最後にでしゃばって終わりじゃ締まらないんで。
Cブロックの東雲親子戦は、ちゃんと戦術的にも勝ちにきたのは当たり前なのだけれども、不覚にも感心してしまった。
ラストは変な引きだけれども、ジュエルのこれまでの言動的にどう考えても空気読まずに変に頑張るタイプだろ。
というか、もう主人公が勝つこと前提で「空気読めよ」って感じになっているのが不憫だな……。
裏切りがあるかもしれない状況で、全員に役割を与えるのは不安だが、そうもいってられない状況だし仕方ないか。
コップ一杯の水でも溺れる可能性があるとか、難儀だなあ。
せっかく消極的な子が頑張ろうとしているときに、出鼻挫かれた形はツライ。
そんでもって活躍はお預けか。
どこかできっと大きな見せ場があるんだろうけれど、勿体ぶるなあ。
さて、ウルガーがここにきて射撃のスキルを発揮することになりそうだが、彼の背景含めて次回で語られることになるのだろうか。
女性蔑視(ミソジニー)のことを色々と調べていたが、とある偶然からブラム・ダイクストラ(著)『倒錯の偶像』という本に行き着いた。
氏の主張を乱暴にまとめると「女性が(男性と同じように)俗的な欲望を持っている存在に過ぎないことを認めない」
という女性に対する極端な神聖視こそが、その反動としての極端な蔑視の背景にあるという。
ダイクストラの主張には非常に説得力があるし、現代にも続く女性差別の精神構造も基本的にもそのまま当てはめることができると思う。
ただ、同時にその性的立場を交換した考え方、すなわちミサンドリーも似たようなものではないのか、と感じた。
ミサンドリーとは、「男性が(女性と同じように)俗的な欲望を持っている存在であることを認めない」立場というわけだ。
ミサンドリーがそうした立場であるなら、なるほど、多くの女性が男性に「甲斐性」とか「器の大きさ」を期待していることも不思議なことではない。
つまり、男性が女性との関係で損害を被ることを当然視したり、(主に性的な)欲望をコントロールできないことが糾弾されるのも、
女性に対する搾取や暴力性が云々といったことよりも、単純な話、「男が俗的欲望を持つ」こと自体を拒否・否認しているからなのだ。
ちなみに、自分はフェミニズムを勉強する上で、実はフェミニズムが男性蔑視を*否定*する思想的立場であることも学んだが、それは自然なことだと思う。
極論かもしれないが、フェミニズムは男女の対等的関係を志向する以上、男性の欲望を拒否・否認する考え方を受け入れるわけがない。
(自分は最初フェミニズムは男性蔑視の思想なのだと勘違いしていた)
結論としては、ミサンドリーはミソジニーと背中合わせ、共犯関係にあり、どちらか一方だけを社会から消失させることは不可能なのだと思う。
男性の女性に対する期待(あるいは抑圧)を弱めたり、消し去ろうとするならば、必然的に女性の男性に対する期待をも弱めたり、消し去る必要がある。
ただ、誤解して欲しくないのは、日本の女性が男性に「器の大きさ」を求めるのは、それだけ女性が男性に期待(抑圧)されていることと密接な関係があり、
それ故、女性に対する抑圧が未だ強い日本社会においては、男性が女性との関係で一定の不利な立場に立たされるのは致し方ない部分もあるのだろう。
はじめに断るけど、楽はできない。簡単でもない。直ぐに効果はでない。
基本的な考え方として、体重を減らすという考え方は捨てて欲しい。
どうしてかというと、体重や体型というのは、日々の基本的な習慣の積み重ねによる産物だから。
日々の基本的な習慣を変えずに痩せようとしてもまず無理。
食事を一食ダイエット食に変えても、残念ながら結果にはつながらない。
つまり、痩せたら別人になれるのではなく、別人にならないと痩せられないということ。
自分の人生の中で欠かせない習慣とか、楽しみとか趣味とか、もしそれが体重を減らせない原因になっているなら迷わず捨てないといけない。
例えば、毎週末ワインを飲むことが唯一の楽しみ、とか、月一の焼き肉が唯一生きている実感とか。
もしこれを一時的に我慢できたとしても、ダイエットが成功したらまた手を染めてしまうことになる。
そうなったら遅かれ早かれ、必ずリバウンドします。言い切ってもいいくらい絶対に。
体重はそんな簡単に増減するものでもないし、習慣もそんな簡単に変えられるものでもない。
でも、本当に体重を変えたいと心から願うなら、できることはたった一つ。
これは決して楽ではないし簡単ではない。
なぜなら、沢山の楽しみを捨てなくてはならないから。
今まで実践してきて確信したことは、人が人生に求める幸福の量は常にほぼ一定であるということ。
何かを我慢するということは、つまり幸福の量を減らす行動になる。
そうなれば減ってしまった幸福を何かで補おうとしたり、減っていることがストレスで長続きしなくなってしまったりする。
いっときなら我慢できるけど、その後に取り返そうとするから必ずリバウンドする。
だから、とくに体重の増加につながっているような幸福感を、別のもの、しかも体重が減っていくようなものに置き換えていく必要がある。
これは残念ながら人によって大きくことなるものだから簡単にリストアップできるものではないけど、例えば深夜番組の楽しみをを朝の読書に変えたり、週末の深酒を、休日早朝の散歩に変えたりする。
かといってやり過ぎるとそれも反動につながるので、絶対に楽しくないことはしない。
その代わりに、とりあえず始めたらわざと声に出して「楽しー!」とか言ってみることが大切。
その代わりに諦めずに続けること。
ダイエットみたく自分で期限を設けてしまうと、達成できなかった時にもとの生活に戻ろうとしてしまうので、絶対に目的を”変わること”に設定すること。
忘れないで。
痩せたら別人になれるのではなく、別人になれば痩せられるということを。
核融合エンジンの噴射は艦橋区画の重力を微妙に変化させつづけていた。
新米航宙士なら尻ではなく口から食べた物を出してしまいである。
しかし、宇宙空間の長距離輸送になれた乗組員たちの大腸はいたって快調。
「キャプテンは?」
「トイレでうんうん唸っていましたよ」
航法士の質問に、機関士が答えた。ちょうどトイレからキャプテンが出てくる。
「ふーっ、手強いうんこであった。さすがは我が輩のうんこ。ダイアモンド並だな」
「フフッ」
「いや、否定してくださいよ……」
ゴゴンッ
絶対零度の衝撃に、ひときわ大きく加速度が変化して、機関士は顔色を変えた。
「本当に不調だ」
宇宙船の核融合エンジンは反動推進のために、核融合反応でうまれたヘリウムや未反応の水素にくわえて、
徹底的に脱水したうんこや廃グリスなども合わせて後方に「蹴っ飛ばして」いた。
通常なら超高温を浴びてバラバラになるところだが、幸運うんこはエンジンの不調によって
艦長のダイアモンドうんこに含まれる微生物たちは真空と極低温によってフリーズドライにされ、
やがてある惑星の引力に運良く捕まったうんこはその地表に落ちていった。
おならのように臭い大気を横切って、おしっこみたいな水たまりに池ぽちゃした元うんこの中の微生物は永い休眠から目覚め、活動を再開した。
だが、すでに多くのうんこ仲間が息絶え、真空や低温、放射線に強いエリートうんこ細菌だけが生き残っていた。
殻となる物質を周囲に生成させた賢いエスカルゴなうんこ細菌もいた。
ネタバレ注意。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
とても面白いアニメだったと思う。自分の中では今期の中でもかなり上位に入る。
ただ、話の展開の仕方や突っ込みどころ多い設定など、非常にもったいない点が多かった。
中盤以降での艦長、しろちゃんの成長っぷりは見てて感動だったし、戦闘シーンも迫力あって良かった。
終わり方もなあなあに終わらせるのでなく、武蔵を助けてハッピーエンドで終わったのは非常に良い。
登場人物が一人ひとりかわいい。艦橋メンバー以外はそんなに描写されないかと思ったら、所々でちゃんとスポット当たっているのは良かった。麻侖ちゃんと美波さんが特に可愛い。万里小路さんは出てくるだけで面白い。
そして、回を重ねるに連れて艦長やしろちゃんが成長していくのが見えて良かった。5話6話の意見無視単独突撃から、7話で艦橋からしろちゃんを見守る立場になってようやく艦長が艦長らしくなったのは良かった。そこから比叡、シュペーとの連戦に繋がるし、艦長として成長してるのが見えたのは本当によかった。9話でスキッパーに乗る時にしろちゃんに帽子預けるシーンとか、まさにこれが見たかったんだよって感じ。
しろちゃんも艦長の良き相棒って感じで良かった。しろちゃん優秀だけどリーダーになると判断遅くて脆い、ってところがまた良いと思う(海難救助時にあたふたしていたり、シュペー戦で艦を任されたら判断遅くて被弾したり)。暴走しがちだけど即断できる艦長と相性いいじゃん。完璧だ
個人的にくろちゃんは離反するんじゃないかと途中思っていた。艦長の単独突撃にものすごい批判的だったり、「宗谷さんが艦長だったらよかったのに」とか言うし。結局は宗谷さんLOVEなだけだったけどね
1話2話で猿島やシュペーがなぜ攻撃してきたのか、その説明が遅い。ネズミの登場は4話だったけど、もっと早くにそれを匂わせた方が良かったと感じた。3話でミーちゃんが「シュペーの皆が命令を聞かなくなった」とは言ってたけど、船員全員が何者かに操られているとはこの時点では気付かないと思う。あと潜水艦は結局良くわからなかった
3話までの感想は「日常パートと戦闘パートがごっちゃになっていて話が進んでいない」だった。結局その後もシリアスシーンと日常シーンごちゃまぜにして緊張感あるのかないのか分からないように描写していたし、戦闘シーンとかに呑気なBGM流してたけど、脚本や監督はこのアニメで何を伝えたいんだ。どこをオススメしたいんだ。これじゃ分かりづらいよ
4話以降からネズミ云々の話が進むけど、ネズミの話ももう少しなんとかならなかったのかと。はいふりがバトル寄りのアニメだったらネズミを作ったような悪役がいてもおかしくないよなーと思う。実験艦が事故って海底に沈み、火山活動で浮き上がってきたら謎の生物兵器ネズミが誕生、というのはちょっと無理やりすぎるかと。
その反動か、中盤以降は展開がとても良かった。海難救助、比叡とシュペーとの連戦は熱い展開だった。艦長も立派に成長したし、万里小路さんとマッチが完全にネタキャラと化していて面白かった。突入はもう二人と美波さんだけでいいじゃん。竹の水鉄砲は何だったんだ。最終話かわいかったけどさぁ
艦長の成長物語なのでその辺目をつぶるべきなんだろうけど、1話から3話で晴風乗員を守るために戦ったのに5話でスキッパー単独突撃はどういうことなの。しろちゃんの言う通り晴風乗員よりもかちゃんが大事ってなる描写がちょっと弱い(もかちゃん優先になる理由を納得できるエピソードがない)。
そして、スキッパー単独突撃をちゃんと反省していないことがもっと良くない。6話の機雷でも艦長が副長の意見無視するし、そりゃあ気まずくなるよ。乗員の意見聞かず自分の判断で単独行動しまくりなんだもの
あと11話で艦長が戦闘不能になった描写も気になった。8話9話あたりでは何故平然としてたんだろう。もっと早くに気付くべきでしょう。比叡だってシュペーだって一撃当たれば轟沈するのに。武蔵とは危険性そんなに変わらないだろうに。
ただ、11話で艦長が戦闘不能になるのは9話10話から伏線引っ張ってるので、突然戦闘不能にならないだけ良いとは思う。9話で晴風はボロボロになり、10話で皆と仲良くなって信頼関係築けて、そうしたら失うのも怖くなるよね。それ以前に皆を何度も危険に晒しているのはもう突っ込まないぞ
ネズミの扱いが最初から最後まで雑。最終話でも拾われなかった。もう少しなんとかならんかったのかな。設定自体は結構練られてたと思うんだけどなぁ
はいふりが第二のガルパンになりそこなった、みたいな意見をちらほら聞くけど目指すところが違うからなりそこなうも何もないと思う。比較対象として間違ってる。スタッフが一部同じとか似たようなミリタリーものってだけで比べてる人が多い印象。
ガルパンは「スポ根もの+ミリタリー」だし、戦車道はスポーツだから人は死なないし血も流れない。
はいふりは「成長ドラマ+ミリタリー」だし、砲撃されたら死んでもおかしくない設定だ(シュペー戦MVPはエアバッグ)。
ガルパンは最初から「戦車道の大会で優勝する」ことが目的として掲げられている。
はいふりは最初から明確な目的はない。攻撃されたから戦うし、近くで暴走している船が見つかったから戦闘不能にさせようと頑張るし、もかちゃんが助けを求めているのが分かったから武蔵相手に無茶する。
あと、はいふりは成長ドラマだ。正直、西住殿は最初から完璧すぎる指揮官だ。成長の要素がほとんどないレベル100の存在なんだよ。成長してレベル上がっていく艦長と比べるのは酷だよ
ということで再度結論。
・突っ込みどころ多いけど全体的には良かった。とても良かった
あれこれ突っ込みどころに触れたけど、もっと面白くなる余地があったのにもったいないなと思って書いた。
でも、最終回までの持って行き方と最後の展開は本当に良かった。しいて言うなら最終回でもっとミーちゃん出してほしかった。あんなに一緒にいた家族なのに……。
あと、最後に晴風が沈んで終わるのは良かった。乗員だけじゃなくて、晴風も一緒に戦っていたんだな、と
。本当にお疲れさま。
本当に良いアニメだった。OP、EDも良かったけど本編だって良かったよ。
追記:二期があるなら嬉しいし見たいと思うけれど、終わり方的に続かなさそうなのは少し残念。
でも、とても良い終わり方だったから、無理に続編作ってほしくはないなぁ……
追記その二:竹鉄砲について。海水がウイルスに効くのは覚えてました。「マッチは性能良さそうな水鉄砲使ってるのに、竹鉄砲でいいの?」という事を言いたかった。言葉が足りなかった
シリカ入りの水とか、植物性ケイ素(主にスギナの粉末)自体は腸内細菌のエサになって、
それが腸内細菌によるビオチンの生成を促すことで肌の調子が良くなったりすることは事実なんだけど、
最近の水素水からのケイ素エキス商法のおかげで、ケイ素(シリカ)=詐欺みたいな扱いになってしまった罠。
そもそも、食物繊維が腸内環境に良いのも、食物繊維に含まれるシリカを腸内細菌(主に善玉菌)が食べるから。
そういう菌が酪酸なり色々と有益な成分を産出してくれるから健康に良いんだけど、
もうそういう理屈を言っても「ああ、また詐欺ビジネスか」的な扱いしかしてくれなくなって悲しい。
英国のEU離脱が現実になるからには、トランプ大統領もありえないわけではないというね。20世紀を経ても、民心は賢く洗練されたわけではなかったわけだ。反動の世紀キタ!って感じ。
この人に限ったわけではないけれど、「賢い民衆」とはなんなんだろうね。
経済的に踏みにじられて深く絶望し、まるで自分たちがいないものとして扱われ、そんななかでせめて「移民ブロック」や「自分たちの国の主権」という幻想にすがりつくしかないような人々がどうしたら「賢い」振る舞いができるだろうか?
「愚かな」選択をしたらそりゃあ経済がどん底になるかもしれないが、彼等は既にどん底にいるんだ。
「賢い」選択をして富裕層をますます富ませてやる義理がどこにあるんだろう? そいつらが豊かになったとしても自分たちはどんどん苦しくなっていくだけなのに?
EU離脱を支持した70%(投票率)中の52パーセントの人々は、なにも全員がレイシストなわけでもない。
自分たちの選択が薔薇色の未来のもたらしてくれていると心底信じているわけでもない。
イギリスのEU離脱は高度に成熟した新自由主義経済がひきおこした絶望の発作だ。
今イギリスやアメリカで最良とされている資本主義の思想は、自国を破滅に追いやるほど民主主義との食合せが最悪だ。
どうして彼等は「賢く」「洗練」されていないんだ?
それは「賢く」「洗練」された教育を受けるだけのカネがなかったからだ。
グローバルエリート気取りがこうした人々を視野狭窄で教養もなければ判断力もないレイシストの貧乏白人と蔑みつづけるかぎり、この種の絶望はこれからも世界を分断しつづける。
子供が見つかったことから、急速に話が収束していったが取り残された話題がある。
当初父親の証言から、子供が人や車に石を投げたことから躾として山に置き去りにしたという情報があった
この情報から、主に子育てに悩む人やその共感者から「石を投げるようなたちの悪い子供を躾るにはどうしたらいいか」のような議論に発展した
ただここで忘れてはいけないのは、この父親は石投げ情報の前後に、山菜取りに行ってはぐれたなどと嘘を言ったり、最終的に置き去りにした場所を告げなかったり、事実と異なる発言を繰り返しているのだ
最初に嘘をついた理由について、父親は「虐待を責められるのが怖かった」などと発言している
おそらくここだけは真実なんだろう。世間体がとにかく気になる質なのだ
しかし、普通の精神の持ち主であれば7歳の子と山奥で離れて、なお世間体を優先することはしないだろう。世間から叩かれることを回避するためなら子供を危険に晒すのも厭わない性質だ。それも場当たり的に嘘をつく。
であれば、「子供が石を投げる」という証言も、完全に虚言ではないものの「これなら置き去りにされても仕方ない」と思えるまで大袈裟に言っているんではないか?その動機はやはり世間の目への恐れだ
こういった異常行動への注目が子供の生還で一気に解消してしまったのが気になる。
いや正確には一旦父親への行き過ぎた疑い(例えば実は父親が子供を殺したのではないかとか)が上がってからの反動で解消してしまったのだろう
今は「親叩き側の人間が悔しがって吹き上がってる」といえば何の話しても吹き飛ぶ状況だ
ただ推測で冤罪を被せるのは忌むべき行為だが、世間体を気にして捜査を遅らせたのは事実だろう。ここの病理に再度立ち返るべきだ
もちろん親に過大な責任が押し付けられているという現状は理解できる。この父親に必要なのは断罪ではなくケアなのかもしれない
ただ、普通の家庭では起こり得ない事故が起きているので、このままこの親子を忘れてあげるのが最良の結末だとはどうしても思えない