2016-07-12

ミソジニーミサンドリー

女性蔑視ミソジニー)のことを色々と調べていたが、とある偶然からラムダイクストラ(著)『倒錯偶像』という本に行き着いた。

氏の主張を乱暴にまとめると「女性が(男性と同じように)俗的な欲望を持っている存在に過ぎないことを認めない」

という女性に対する極端な神聖視こそが、その反動としての極端な蔑視の背景にあるという。

まりミソジニーとは女性への偶像化と裏表の関係にある。

ダイクストラの主張には非常に説得力があるし、現代にも続く女性差別精神構造基本的にもそのまま当てはめることができると思う。

ただ、同時にその性的立場を交換した考え方、すなわちミサンドリーも似たようなものではないのか、と感じた。

ミサンドリーとは、「男性が(女性と同じように)俗的な欲望を持っている存在であることを認めない」立場というわけだ。

ミサンドリーがそうした立場であるなら、なるほど、多くの女性男性に「甲斐性」とか「器の大きさ」を期待していることも不思議なことではない。

まり男性女性との関係で損害を被ることを当然視したり、(主に性的な)欲望コントロールできないことが糾弾されるのも、

女性に対する搾取暴力性が云々といったことよりも、単純な話、「男が俗的欲望を持つ」こと自体拒否否認しているかなのだ


ちなみに、自分フェミニズム勉強する上で、実はフェミニズム男性蔑視を*否定*する思想立場であることも学んだが、それは自然なことだと思う。

極論かもしれないが、フェミニズムは男女の対等的関係志向する以上、男性欲望拒否否認する考え方を受け入れるわけがない。

自分最初フェミニズム男性蔑視思想なのだ勘違いしていた)

結論としては、ミサンドリーミソジニー背中合わせ、共犯関係にあり、どちらか一方だけを社会から消失させることは不可能なのだと思う。

男性女性に対する期待(あるいは抑圧)を弱めたり、消し去ろうとするならば、必然的女性男性に対する期待をも弱めたり、消し去る必要がある。

ただ、誤解して欲しくないのは、日本女性男性に「器の大きさ」を求めるのは、それだけ女性男性に期待(抑圧)されていることと密接な関係があり、

それ故、女性に対する抑圧が未だ強い日本社会においては、男性女性との関係一定の不利な立場に立たされるのは致し方ない部分もあるのだろう。

  • 貴方は男と女が互いに「抑圧(期待)」し合っていてどちらもギルティーだと認めてるのに、なぜ最後に男性側の不利を「致し方なし」と肯定すんの?意味わかんないんだけど。

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