はてなキーワード: 反動とは
そういう人もいるだろうけど、やっぱり主要な原因は貧困だよ。好景気でハッピーならわざわざ信仰なんてしないし。不況のたびにキリスト教の勢力は増す。
俺はクリスチャンだからキリスト教が広まってほしいが、まぁ無理だろう。
確かカトリックの反動でプロテスタントそしてプロテスタントリベラルの反動でプロテスタント福音派が生まれたと認識してるがそういう背景か(違ったらゴメン)
あちらには再生産できる継続性を保ちながら丁度良い生き方の着地点を
カウンターを繰り返し分派しながら探し続ける文化があるのかなぁ
日本では一斉で増えて一斉に潮が引いてるっぽいけど此処で何か丁度良い哲学生まれないものか
どうも極端だったり一世代だけ如何に凌ぐかというある種ニヒリスティックなソフトランディング志向ばかり目につく
まぁそっちが目につくだけなんだろうけど丁度良い人達の方は丁度良いだけに溶け込んで見えづらい
キリスト教の教会なんかはそういう意味でも明確に存在してて見えて合理的なんかなぁ
うーむ
まあ、その通りでマジョリティもマイノリティも自分に都合が良いことを考えてるだけなんだけどさ
共通の理解とか妥協ラインを見つけ出していかないと、民主主義なんて存在しないと思うのよ
今のヨーロッパで極右が台頭してるのって、理性=エリートの独善で急激に動いてきた反動だと思うんだよね
エリートが暴走するから、かえってマジョリティとマイノリティの間に軋轢が生まれてしまう
エリートが「我々はコーラとメントスの融和を唱える! それが理想だ」とか言って
コーラの中にメントスをぶちこんだら爆発しちゃったみたいな・・・
あと、付随する問題で言えば、理性的結論を理性で指示するんじゃなくて、感情で支持してる層がいるのが問題をさらに厄介にしてると思う
今回は少年ジャンプ+
その後の言動で味方だってことは分かるんだけれども、ボスが出会い頭に味方だと確信した理由が分からない。
私が何か見落としているのか、以前に何かフラグとかあったんだっけ(トラバ指摘で心読の祝福者だからと言われて、ああ完全に失念してた。言葉が通じないから、心読んだところで意味ないと思ったけど他に理由もないし。ボスの心読がどのような処理を成されているか分からなかったけど、となるとボスの心読って予想以上に融通利くんだなあ)。
寒波のなか非常識なまでの薄着については、能力に関係しているかと思いきや「新陳代謝がすごく高い」って、ええ……そういうもんなの……。
ボスが銃弾をバットで弾くのといい、そこらへんは細かく気にしないスタンスってことなのか、今後ちゃんとしたリアリティのある設定で説明されるのか。
祝福者自体が普通の人間より身体面で高めに設定されているってことなのかな。
あと、今に始まったことではないけれども、アクション部分の盛り上がらなさが気になる。
槍が動いて敵に刺さっていることは最低限分かるんだけれども、躍動感がない。
漫画で躍動感を演出するエフェクトを使っていないせいなのか、コマ割のせいなのか。
お、これ連載始まった。
連載向けにリブートされてて、多少設定とかも変わっているようだ。
ファンタジーサスペンスという路線は変わらないっぽいが、ややアクション部分も前面に出ている印象。
1話は今後の作品の世界観だとか、前提として理解しておくべき設定を紹介したみたいな感じで、本作の方向性は打ち出しつつも、ストーリーとしての面白みはやや控えめに見えたかな。
まあ、これからだろうね。
同サイトの他漫画で1話の盛り上げ方が良すぎせいで、以降変な方向に行っちゃった反動がきて微妙な評価されがちという例もあるから、1話の時点でとやかく言っても仕方ない。
叔父と父の確執、揚太郎の海外行きの件も納まるところに納まって一件落着か。
両方やっているからこそ生み出せるクオリティがあり、そのどちらかだけでは成り立たないということは作中で何度も提示されてきた。
テーマに則った構成をこれまで何度も描いてきたから、消極的ではない、むしろ無理のない結論になっている。
数年前、クラブの規制とリンクしながら、東京や大阪の大学生が連続してマリファナで逮捕されるシリーズがあり、その後、大麻の代替物であった「合法ドラッグ」の規制が厳しくなった。
イタチごっこの末、合法ドラッグの中身がどんどんヤバいものになっていき、最終的にはほぼ駆逐された。
恐らくその反動で、マリファナに回帰する流れができて、今ここ。
それらは必ずマスコミのキャンペーンを伴っている。まず間違いなく政府の意向。
欧(南北)米では解禁の流れだし、この間のトランプショックの陰でいくつかの州でも追加で解禁された。
日本でも、ネット上ではコアな人以外にも経済的側面から解禁もアリっていう論者も増えてきて、麻取の皆さんやJTやそこに天下っている人たち、仕事が減るかもしれないので焦ってるんじゃないのかな。
厚労省と財務省のせめぎあいっていう側面から見るがいいのかも。
だって日本はずっとアメリカ追随で来たし、「日本を取り戻す」とかいう人が権力を握ってる今でさえそうなのに、議論すらされないのはおかしいじゃん。
世間を騒がせていたアメリカ大統領のことである。たいして興味もなかったが、耳をふさいでいたわけでもない
というものがあった
やれ差別主義者だのなんだの、ニュースでも良くはいってなかった…というよりはやはり非難に近いコメントを貰っていた
それを見ながらなんとなく「トランプは酷いやつなんだなぁ」「差別とか気にしないタイプなんだなぁ」
なんてボケっと考えていた
果たして大統領選はトランプが勝ち、分断だのカナダに逃げるだの喧しかったわけだが
そんな時ふと気づいてしまった
だめじゃんそんなの。不法入国し放題じゃん
事実アメリカではメキシコからの不法入国が問題になっているようで、何をか言わんや…
それでトランプは不法入国者を国に送り返すと当たり前のことをいっているようだが、それもまた人種差別主義者と叩かれる一因になっているようだ
メディアに流されてしまったが、少なくともこの件については当たり前のことを言っているようにしか思えない
詳しくは知らないがオバマなんかは「不法入国者に滞在許可を与える」なんて言ったらしいが
不幸になると、3日ほど深く落ち込む。
そのあと、死にたくなるような衝動が襲う。
あの頃の悲しみを忘れ、新たな道を歩むときがくる。
不幸は感受性を鋭敏にさせ想像力を沸かせるが、それだけが効用ではない。
不幸が生む活力は莫大だ。
不幸時の衝動というものは、これを他の事に活力を転嫁していても
すっかり納得しない限りは不幸は永遠に訪れる。永遠にエネルギーが生まれる。
不幸を他のエネルギーに変換などしていたら納得のタイミングなどないのだ。
どんどんと不幸は現れ、エネルギーとなってくれる。まさに永久機関。
しかしながら不幸エネルギー変換装置はそのうち何らかの異常をきたす。
その原因はわかっていない。もしかしたらエネルギーが産生されていても
そうして、衝動が去っていく。
喜べばいいのだが、不幸エネルギー変換に慣れ切った体は
適切な生き方というものや標準的な楽しみ方というのを忘れてしまっているし
理解が出来ない。
そんな安心できる箱の中で布団をかぶって寝て、起きて、ご飯食べて、寝る、そういうのしかない
そんな気はするのだが時間もかかるしだいたい人生なんて有限だし、
走って走って走り抜けることへのあこがれはなかなか拭えるものではない
休まないといけないが休んだらこれまでやってきたことがなんなんだ
あいつらが正しかったのか失うだけ失って中途半端に終わってしまうのか、
そんなのいやだ、いやだけど、どうすればいいのかなあ、めんどくさい、寝よう、とはならない。
http://anond.hatelabo.jp/20161106195215
そうそう、基本的に人口問題といえば人口爆発問題だった。で、実際、世界的にはその問題は収束してなくて、日本だけなんね、いま人口減少を問題にしてるのは。
で、結局は総数の問題じゃなくて、バランスの問題。高齢者ばっかり増えるから問題なんで。それを、「人口減少」にすり替えてる連中の真の意図は別のとこにあるわけでね。
人口のバランスが崩れたのは、元をたどれば昭和の戦争でしょ。あれで特定の年代がごそっと減って、その反動で特定の年代がどっと増えて、それが若い頃には若くて使いやすい労働力がいくらでもあって、その年代が高齢化してるってだけの話。それを一般化されてもなあって感じ。
○朝食:ナポリタン
○昼食:フライドポテト
○夕食:天一
○調子
はややー。
一応洗濯はしたけど、掃除とか買い出しとか電気料金の振込とかいろいろしないといけない事はある。
ノー課金。
○ポケとる
なんか飽きて来たな。
(ハロウィン)みたいな要素が全くしっくりこない。
課金しない、そう誓った僕の心を動かしたのは、
「ゲッコウガ」
「ダーテング」
という悪ポケ二匹への愛でした。
それも、進化システムの導入に加えて、アップデートでダーテングは性能が上がってるらしいし……
よし、3000円だ、3000円だけ、課金しよう……
R:ボーマンダ、ボーマンダ、マニューラ、マニューラ、ニャース
なんや、この偏り。
しかも、ゲコガシラはログインボーナスで全員にプレゼントされてるやつだし、マニューラはもともと持ってたし……
このガチャシステム、外れると本当面白く無い、なんかもう自分のリアルな人生をただただ切りつけられるだけの不快感だけが残る。
つらい……
もう、ちまちまとログボを貯めることすらも辞めようかな……
もちろん化粧はマナー(という圧力)半面、その細工に於いては自己満足であると思っている。
時間がないとかブスだなんだで時間かかるという声も散見するけど、
その後の細工(チークやらマスカラやら紅やら)の完成度はあんたの按配次第でしょうよと思っているよ。
じゃあ有限の時間に於いてその按配を妥協したり調整するのが現状一番の解決策ではないの。
(もちろん電車の中で化粧をしない前提です)
私自身はその日によって時間や気分やら環境やらで化粧の完成度が全く違ってスッピンの日もある。
陰でなんだかんだ言われてるんだろうけどどうでもいい。
(それこそ素顔が失礼っていうような風潮に対してなんなのという感覚への反動です)
確かに化粧次第で態度変える人間がいるのは間違いないけど
タスクこなした上で日々それに影響されるほどのことか?
こういう時に「許されない」ってなんなんですかね。
(とは言え、異性より女性の方が化粧の甘い同性に厳しいのは感じているよ、下に見ているというか。
気にするかしないかだと思うのだけど)
公共空間で化粧をするなという風潮に対しての反論としては弱いよ。
もっというと男女関係なく、電車の中では化粧も髭剃りもどっちにも不快感はある。
それは何より今の自分が未完成のものであるということを表明した上で
完成を作っていく過程を全然知らない他人に見せてるって恥ずかしくないのかね、と。
マントヒヒみたいに鼻の下伸ばしてる姿もとっても素敵です。
そして、同時にああ他の乗客を路傍の石ころだとも思ってんのかとちょっと怒りもある。
感情論も愚痴も同情はされるけど解決にはなんないよ。と思ったのですが
乗っかって、自分語り。許して。
小さいころはピンクとかリボンとかスカートとか大好きだったのが、小学生になって自分がブスだと気づいてしまい、以来スカートワンピースリボンピンク等々は封印していた小中時代。小学校高学年でオタクを発症したのもそれに拍車をかけていた。高校の遠足や修学旅行の私服がいやだった。というより困った。高校の友人の中には、髪を染めてみたりピアスを開けてみたりマクドナルドでアルバイトしたり体育祭では男子と手を繋いでお姫様抱っこをしてもらうようなダンスをしたりするようないわゆる「フツウの女子高生」な子もいたので、遠足前にはそのような子と一緒に買い物に行くこともしたけれど、ブスダサオタクはそもそも服が似合わないのだから何の意味もないのだった。
ボーボーの眉毛、一重の厚ぼったいまぶた、たらこのような唇、ぱんぱんのほっぺた。
伸ばしっぱなしの真っ黒剛毛、所狭しとはびこる無駄毛、ニキビだらけの顔。
プリクラで盛られないレベルのブス。(当時のプリクラはおよそ今のそれほど盛り盛りではなかったし、ほぼ写真に近かったけれどそれでも多少は可愛く写るものだ)
下校途中、他校の男子高校生にすれ違いざまに「うわブス!」と言われるレベルのブス。驚かせてごめんよ。
私の場合、「ブスダサオタクだからおしゃれしちゃいけない」という強迫観念よりは「どーせブスダサオタクだしセンスもないし、つまりもし仮に多少は可愛くなれるとしても限度はあっという間に来る上に人並み以上に努力する必要があるわけでしょ、やってられっかめんどい」という、人になる努力<ブスでいる楽さを選んでいた節はある。-100を努力で0にしたところで0は0だし、そもそも普通の人は10の努力で10が手に入るんだからずるい。やだ。めんどくさい。というわけだ。
諦めというか、言い訳がましい。
それでも、そんな時間より漫画を描いたり読んだりする時間のほうが圧倒的に大事だった。平面に在る美しさが美だった。
転機がどこだったかは、はっきりとは覚えていない。多分、男性アイドルにはまって、コンサートに行くようになって、三次元の美しさ・可愛さを見るようになったせいだと思う。アイドルは総じて可愛いしかっこよかった。ちょっとおへちゃだったりぶさいくだったりするところも含めてだ。そこでおそらくは、私の中の美に対する概念が変わったのだ。
コンサートへ行くにはおしゃれをするのが通例らしいと知り、別のアイドル好きな大学の友人に連れられて好きなメンバーのカラーのワンピースを買ってみた。褒められたし、その色がとても似合うと言われた。基本的に単細胞なので、それに気を良くしてコンサートのたびにその色の服を新調した(これが紫だったので今思えば大変扱いにくい色の服ばかりよく集めたなそして着ていたな!と思うがそのあたりはアイドルオタクの性なので何も言えない。もっと扱いやすい色の人を好きになればよかったのに、なぜよりによって紫だったのだろう…)。その色を着慣れると、今度は「そうか君は濃い色が似合うんだね」と言われ、そうかと気をよくして赤だの青だのいきなりビビッドな色を取り入れ始めた。おしゃれし慣れていない人間のビビッドファッションなど、今思い出してもおぞましいけれど、とにかく「似合う(らしい)色」を言ってもらえて楽しくなって、せっかくならいい感じに着こなしたいと思ってファッション雑誌に手を出した。
With2007年2月号。なんとまだとってある。
ファッション誌には、服だけでなく、化粧品やメイク方法の特集も載っていたからそれに乗せられ、大学に入って2年ほどしたところでやっと毎日のお化粧もするようになった。派手色趣味と一重コンプレックスの反動が相まって、カラーシャドウと極太アイラインでギラギラだった(当時アイプチはそこまで流行していなかったように思う)。できあがったのは、勘違い派手派手オタクブスだった。それでも、楽しかった。今思い出しても、恐ろしいけどおぞましくはない。楽しかった。
それから紆余曲折を経て、一重コンプレックスは根強くいまだにアイメイクは濃いものの、気づけばダイエットもなしに高校時代からは10kgほど痩せ、メイクもファッションもビビッドカラーの使い方はある程度覚え、職場では一応人間の扱いを受けている。
新しいコスメ用品を買うのは楽しい。新しいお洋服を買うのも楽しい。お風呂上りにパックをするのが楽しい。すっぴんから化粧を施して、いまだに一番慣れなくて苦手でへたくそなヘアスタイリングをちょちょいとやって(でも頑張るとたまに褒められてまた嬉しくなる)、昨日買ってきたお洋服なんかに腕を通すのは、とても楽しい。
痩せた分容姿をほめられることは増えたけれど、心の中では「いや目が覚めるほどのブスなんで」と思っている。周囲にあんまりイタリアンな感じの人が男女問わず多いから、たまに勘違いして「私結構いけてるのかも??」なんて思っちゃいそうになるときもあるけれど、結局毎朝鏡を見ては「…おう、目が覚めるほどのブスとはこのことだな……」と思いながら顔を洗っているので勘違いしきれない。残念。
それでも、楽しい。
人生のどの時間を切り取っても総じてオタクなので、いわゆる世間の可愛くて綺麗でセンスもよくておしゃれなフツウの女性とはまったく別の生き物なのは分かっているのだけれど、自分が可愛いと思ったものを買って、身につけて、それを誰かが可愛いと言ってくれて(もちろんその「物」を)、言ってくれなくてもまあ別に私が可愛いと思って買ったんだしちょっと変でもまあいっかー劇的に変だったら誰か何か言ってくれるだろうで済ませて、それで働いてまた自分が可愛いと思ったものを買う。可愛いと思ったものを少しでも可愛く身につけるために、パックしたりマッサージしたりする。楽しいんだな、これが。JKがおばちゃんに次ぐ強キャラなのは認めるけれど、私は明らかにJKより今が楽しいです。よく「人になる努力<ブスでいる楽さ」な精神が首をもたげるけれど、
今はブスでいる楽さよりも、人になる努力のほうが楽しいので、必要最低限の、苦にならない程度の「人になる努力」はしていこうと思える。-100を0にする作業も悪くない。深海から水面に上がってくる感動は、きっと空を飛ぶより大きい。
嫁は容姿も良くて、社交性もあったから、まあこれなら結婚してもいいかなって思った。
最初はどっかの値段だけ高い化粧品とか良く調べもしない美容方法を試してた。
急に金持ったからまあそういう反動もあるだろうな程度に思ってた。
内心ではどっかのOEMでぼったくられてるだろうし、データもそんな集まってない美容方法大丈夫か?って思ってたけど、
水を差すようで悪かったから見守ってた。
月日が経って子供ができて、子供の健康に気を使うようになったんだけど、
うがいをミネラルウォーターでさせたり、医薬部外品じゃないわけのわからないサプリを与え出したり、
オーガニックと地元の農家が作ってる無農薬野菜の区別がつかない状態で盲信している態度に危機感を覚えた。
化学物質過敏症が云々言い出したけど、化学物質の定義すらわかってないし、お前が食ってるみかんも化学物質の塊だって言っても「でもしかだって」で理解しようとしない。
だからそろそろわかれよっかなって思う。
大人の男のバカについて痛さは言及するまでもないけど、女のバカも相当アレだなって実感した。
周りの金持ちがそんなに冴えない女と結婚してる理由が良く理解できた。
増田さん、逃げ延びることができて本当に本当によかった!
もしかして、逃げ切ったあとの高揚感が切れてしまった時に、罪悪感が湧いてくるかもしれないです。でも、それは変化への反動にすぎないから、どうかあっち側に戻らないでなんとか踏みとどまってほしいです。少しでも精神に不調を感じたら、聡明なお友達にアウトプットしたり、心療内科に行ってくださいね。
私も昔、同じ目に遭っていました。昔だったから今ほどDVが知られてなくて、どうしていいのかわからず、なかなか誰にも相談できず、お金が許す限り住居を変えたりしてなんとか逃げ回ってました。
(国外へ行こうって時に成田のカウンターの前で待ち伏せされてたときはさすがに命を危険を感じたな...)
DVに対して肯定的なことや心ないことを言う人は必ずいますが、それは増田さん個人や人格に攻撃しているのではなく、ただただ自分が正しいって顕示したいんだと思います。踏みとどまるよう言う人も同類ですね。まあ、引き続きそっと距離をおくのがベターですね...
もうこの1年以上
・離婚
・友人の裏切り
・転職失敗
・借金
と思いながらもどんどん状況は悪くなり
その反動でまた傷つき
昔いた会社の同年代は皆家族を築き、家を買い、仕事を逓増させ、半面ゴミクズのような自分を見て情けなくなり
任意整理して前に進もうとしても
また今日体と心がとことん苦しくなり
ただひたすら死にたくなり
休職しているときに家で寝るしかないあの生活は恐ろしすぎてつらすぎてもう絶対にいやだと
いま辞めたら土方やるしかなくなると
怖くて、死にたくて、つらくて、消えそうで、死にたくて、苦しくて
どうしたらいいか
そう思います
人間ってなんだろう
何を信じたらいいのかわからない
そう思います
楽になりたい
消えてしまいたい
誰も私なんて必要としていないんです
かつて自分を囲んでいた人たちも
好きでいてくれた人も
全部去った
なんで僕だけがここまで不幸にならないといけないんでしょうか。
例えば、ライトノベルの分野で言うと、今は売れるための絶対の方法があるんです。
ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。
――恋人や能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人と能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。
そうです。今は努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学の世界でもそうなってきていると思います。
http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html
散々話題になってるけど、ちょっと驚いたね。あまりに時代錯誤すぎて。
たしかに「主人公は努力しちゃダメ」論、聞いたことあるよ。2ちゃんねるとかまとめブログのコメント欄とかでよく見る。
けどその認識って、あまりに時代遅れっていうか、昨今のライトノベル情勢について、言い訳のしようがない勘違いがあってさ。
だって、今この時代――2016年のラノベ業界って、「努力しちゃダメ」どころかむしろその反動、カウンターの時代に突入してるんだから。
とりあえず、まずこの辺を見てほしい。
これはネットのラノベ読みがみんなで投票してその半期ごとのベストライトノベルを決めるっていう企画で、
参加サイト数はブログ・Twitter含めて296個とそこまで多くはないけど、積極的にライトノベルを読んでいるいわば「最先端の層」にいる人たちが作ってるランキングだ。
ちなみに俺は2016年上期にランクインしてるもののうち、まあ全部は読んでないんだけど、上位の4作品は全部読んでる。
そこでまず、言わせてもらう。
これは、川上さんにとって、とても残念な発表なんだけど、その上位4作品のうち、なんと、3作品が。3作品が、だよ。
「ちゃんと努力する」ってことを、大きなテーマとして掲げてる物語なんだ。
あーあ、やっちゃった、って感じだろ?
この段階で、「主人公は努力しちゃダメ」なんて、少なくとも2016年には時代遅れだってことがわかるじゃんか。
ちなみにその3作品っていうのが、「りゅうおうのおしごと!」「最果てのパラディン」「弱キャラ友崎くん」の3つな。
1位の「りゅうおうのおしごと!」は別の記事(http://anond.hatelabo.jp/20160928053429)で語られてたからここで語るまでもなく。
じゃあ残りの「最果てのパラディン」「弱キャラ友崎くん」になるけど、まずは後者の方に、典型的なシーンがあるから抜粋する。
「負け犬の遠吠えって言ったのよ。リア充みたいな人生は嫌い? リア充の人生を送ったことがないのに? バカみたい。なんで嫌いだってわかるのよ? リア充の楽しさを味わった上で、でもそれは楽しくない、って言うなら筋は通ってるわ。けど、あなたは味わったことない。だったらそんなのただの酸っぱい葡萄、負け犬の遠吠えね」
(中略)
これは「弱キャラ友崎くん」の序盤のシーンで、ヒロインの日南葵が主人公に言い放つ言葉なんだけど、このセリフ以降、
この作品の根底には常にこの考え方が通底してる。この物語の主人公は、ここから「表情筋を鍛える」「人と話す話題を暗記する」みたいな
クソみたいに地味な努力を積み重ねていって、リア充を目指して人生を攻略していく。マスクを付けて、その下を常に笑顔でいることで、根暗っぽい表情を消したり、
単語カードに人と話す話題を書いて暗記して、雑談を得意にしたり。とにかくそんな感じの話で、総じて言えば「努力賛歌」だ。
そして重要なのはこれがきちんと、いま、注目されて、売れている、ということ。
さてさて、それだけじゃない。お次は「最果てのパラディン」だ。
この作品はいわゆる「なろう」から書籍化した「なろう小説」で、例に漏れず主人公のウィルは現実世界から異世界へ「転生」する。
しかし重要なのは、「転生」によって生まれた主人公のモチベーションだ。
どうしようもなく曖昧で、混濁した生を送り。その靄のなかで、そのまま死んだ。
なぜだか、じわりと涙が滲んだ。こらえようとして、唇を引き結ぶけれど、それでも涙はぽろぽろとこぼれてきた。
(中略)
失敗してもいい。無様でもいい。泥にまみれてもいい。
僕は、今度こそ。今度こそ、生きるんだ。この世界で、生きるんだ!
こんなふうに、今までニート(?)として曖昧に暮らしてきた自分を恥じ、「今度こそちゃんと生きる」ことを心に誓う。
そして、前世の知識、というアドバンテージはありながらも、地道な剣術の練習、魔術の練習を繰り返し、
大きなドラマを乗り越えながらも旅に出る、という物語を、なんとまるまる1巻を使って描く。
0歳から主人公が成人するまで、地道に筋肉を鍛えたり、座学を受けたり。もちろんそれが物語にはなってるんだけど、
1冊ほぼ半分が「特訓」の描写であると言っていい。特訓はキツイことだけど、「ちゃんと生きる」だめに、そこから逃げない。そんな話だ。
そしてこれももちろん売れてる。となると、おかしな話になってきましたね。
これも言うまでもなく、「主人公は努力しちゃダメ」論の真逆なのにな?
ちなみに、上記の抜粋シーンはいずれも、1巻の50P以内に出てくる。
こういう価値観が、そもそもの前提として物語られてるってことがそこからもわかるよな?
さて、つまりだ。
積極的にライトノベルを読んでいるいわば「最先端の層」にいる人たちが作ってる2016年上期のランキングの、
上位4作品のうち「りゅうおうのおしごと!」「最果てのパラディン」「弱キャラ友崎くん」の3つが、
明らかに意図を持って「努力」のシーンを丁寧に描いているってことになる。しかも、どれもちゃんと売れてるんだ。
川上さんはそれでも、「売れるため」には「ライトノベルの主人公は努力しちゃダメ」なんて言えるのか? って話だよ。
「取材記事の文章の中身やニュアンスについて文句を言われても困る」なんて言い訳にすらなってない。
だって、これはもうニュアンスってレベルの話じゃない。むしろ逆、いま「売れるため」には「ライトノベルの主人公は努力しないとダメ」なんだから。
と、そういう話。
レイヤーにして法曹界の卵という訳がわからない存在になってることを
映画300みたい♡と記事中の写真から肉体美を十分くらい賛美したのだけど、
聞けば、見たことがないらしい。
単純に、友人は学校の旧い同期のことで盛り上がりたいのだと気づいた。
同期との繋がりが友人A一人だけになってしまったオレと違って
友人は定期的な交流があるようだった。先の記事も一週間前だった。
誰かが知らせてくれたんだろう。本人かも知れない。
そう分かって、雄っぱいではなくメイクを落とした顔の方を凝視したが、
200人程度の同期にこんなやつがいたかどうか、終電で別れる最後まで思い出せず、
ダルい気分で自宅に帰った。
その晩は学校の中の狭い付き合いでしか生まれない古い嫉妬を思い出して久々に胸が軋んだ。社会に出てから一方通行な関係は普通だと自明だと自分に言い聞かせてたんだが。
せっかく浮世絵というキーワードが出たので、少し浮世絵の見地からコメントを残す。
その前に、この文章のなかでいう浮世絵とは、江戸明治期の大衆画、木版画ということで話を進める。
本当は浮世絵の定義でそれこそ一冊の本が出来上がってしまいそうなので、たぶんみなが一番あたまに浮かぶ絵として、そういうことにする。
おそらく、浮世絵の美人で一番名前が売れたのは、歌麿のものだと思う。
https://data.ukiyo-e.org/tnm/images/C0027082.jpg
他方で、役者絵などは、二重が多い。
https://ja.ukiyo-e.org/image/mfa/sc147410
https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/kunimasa005/kunimasa005_main.jpg
役者=歌舞伎ということで自動的に男性になるわけで、女性と男性という違いが大きいので、これをもってどうとはいえないが、とりあえずそれを覚えておいていただき、次の話に移りたい。
(もう少し言えば、役者絵も理想化して描く場合と、写実的に描く場合と、個性をデフォルメを強くして描く場合とがあり、話が違ってくる)
四乃森蒼紫や流川楓を思い浮かべてほしい。
イケメンキャラというよりは、クール=糸目、熱血漢、優男=パッチリおめめでふと眉、という図式である。
藍染惣右介などわかりやすく、当初の優男の時から、敵役に回りクールな性格に変わると目が細くなった。
ここで、仮説を提案したい。
「二重、ぱっちり目は美人を示すアイコンではなく、快活な性格を示すアイコンである」
と。
そして、現代においては、快活で明るい女性が求められている(=二重、ぱっちり目)が求められている。
逆に、ぱっちり目でセクシー系も合わないように思う。
そりゃ、セクシー系の壇蜜だってキティちゃんグッズくらい買っててもおかしくないだろうし、ぱっちりおめめの橋本環奈だってアブノーマルハードコアセックスくらいしてかもしれんが、その容姿にふさわしいキャラというものを、われわれは求めている。
再び、浮世絵の話に戻ろう。
その仮説を検証しながら、浮世絵の世界での美人の変遷について語ろう。
まず、元号は明和の時代、浮世絵が単色や二色摺りから、多色摺りへ変化したときの絵師、鈴木春信である。
多色刷りという技術的な革新もさることながら、女性像も革新的だった。
江戸時代の女性像というのは、それ以前の髪を下したスタイルから、結ったアップスタイルに変化した時代だ。
アップスタイルは女性の社会進出の象徴であり、いなせで粋で大人な女性に萌えていた。
教科書的には、はかなげな女性を描いたことになってるらしいが、端的に言えば、ロリがハードコアに凌辱される絵である。
幼児ポルノは持ってるだけでお縄であるので、持っていないしURLを張り付けることも出来ないが、ハードコアロリ裏ビデオには、おめめパッチリの二重美少女よりも、糸目の薄幸少女がよく似合うと思いませんか!?
春信の絵は、物語性が強く、その絵の場面に至るまでの物語や、続きの物語を想像させられる。
薄幸そうな少女に、極太のデカいものがぶち込まれてる絵を一度みてしまうと、エロくない絵をみても
「このあとされちゃうんだろうなぁ」
と思ってしまう。
http://okunoin.up.seesaa.net/image/IMG20no.189.jpg
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc149258.jpg
春信の時代のものは、春画でも相当お高くて(一般に、春画のほうが安い。芸術と自分を騙せば100万でも買えても、エロパロのために何十万もは出す人は少ないんだろう)、春信の浮世絵を買うなら春画がおすすめだ。
続いて、鳥居清長。
https://data.ukiyo-e.org/mfa/images/sc226102.jpg
たぶん8頭身、下手したら9頭身くらいある。
女性を一人だけ描くことはせず、かならず複数の女性が絵に並ぶ。
体型も、表情も、健康的な感じがする。
続く
今回は少年ジャンプ+
読切祭とかやっていたので、それに絞って感想書いてみた。
追記:漫画のタイトルが間違っているという指摘あったんで、修正しとく。
読切祭の一つ目。
ふむ、キャラクターや設定にリアリティや説得力が欠けるが、嫌いではない。
コマ割や構図がイマイチなのと、後半のアッサリ感はいかんともしがたいが。
あくまで謎ということで終わらせたいのだろうけれども、その上で描けることはあったと思うんだけどなあ。
時代劇で例えるなら殺陣シーンにあたるわけで、最も盛り上がる場面なわけだから。
読切祭の二つ目。
主人公である片山を、しっかり魅力的に描こうという意欲がみえるね。
主人公の信条が、言動の正当性を担保しているという構図はよろしいかと。
即物的ではあるが、これは実直かつ目に見えないものしか信じない主人公だからこそ言葉の重みが違うってことに、感想書いているときに気づいた。
ただ主人公のキャラをしっかり描きすぎた反動というか、幽霊キャラの設定はメタ的に見たときあまり必然性を感じなかったかな。
幽霊キャラのためにページ数割いているのがやや蛇足気味に思えた。
私の持論で「メインキャラは加算ではなく、乗算が理想」というのがあって、この幽霊はメインキャラとしては加算でしかないんだよね。
読切祭の三つ目。
「フリークス」とか知っている身からすれば、中々にセンセーショナルなテーマだ。
……の割に別段語りたいことが出てこないのは、テーマによって紡がれる話や構成、演出が大したことないからかな。
「フリークス」然り、同サイトの「ファイアパンチ」然り、それらの賞賛や批判が強くなるのは、作品やバックボーンにそれだけ影響力を持っているからだと思っていて、その点この作品は平易だ。
読切祭の四つ目。
設定、ストーリー、キャラクター、ギャグ、構成するネタの一つ一つが尊大ですらなくて、そのくせ唐突だから、ただただ首を傾げるんだよね。
コマ割をもう少し工夫してくれれば、印象も多少変わったかもしれないけどなあ。
まるで4コマ漫画として書いていたのを、無理やり繋げたみたいな構成だから、余計にそう思う。
奇抜というほどのアクもなく、正直なところ貶すほどのものでもないけれども、かといって褒める部分もほぼない。
「読切祭か、よし作品全部の感想を書いてやろう」という気持ちじゃなければ、感想を書こうとすら思えない内容だった。
読切祭の五つ目。
「マッチョ」という「グルメ」という組み合わせ、そして画力のインパクトはそれだけで面白いが、逆に言えば面白かったのは「それだけ」だったともいえる。
まあ、一発ネタですなあ。
読切祭の六つ目。
英雄の武具の扱いが難しいので、それを指導する仕事というコンセプトが面白いね。
ただ、面白そうな設定に対して、そこまで盛り上がらなかったかなあ。
結局、やらせてることがほとんど呪文の唱え方ってのがガッカリポイントというか。
あと、ちょっとノリで押し切って欲しくなかった部分があるのも残念。
読切祭の七つ目。
間違い電話から、それぞれの思惑が交錯し、誤解が生まれ、コメディになるっていうパターンはありふれているけれども、まあ面白かったかと。
ただ、終盤それら物語がしっかり集約されないのが不完全燃焼感あるなあ。
噛み合っていないものが噛み合っているように見えるから面白いのであって、それが噛み合わないままだと話としては中途半端。
例えば、誘拐犯は縁のない、あくまで身代金目的で動く人物として描いてみる。
更には父親も終始登場させる。
子供、誘拐犯、坊主、父親といった登場人物たちが、それぞれ違う目的で動く部分を掘り下げて描写する。
勘違いした坊主が、誘拐犯ではなく子供の父親に電話して~とかいう展開も挟み、誤解が更なる誤解を生むスパイラルを~、とかだったら面白くなると思うのだが、些か願望入りすぎだろうか。