はてなキーワード: トンネルとは
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 58 | 11798 | 203.4 | 79 |
01 | 60 | 9165 | 152.8 | 57.5 |
02 | 49 | 6318 | 128.9 | 74 |
03 | 18 | 3088 | 171.6 | 79 |
04 | 10 | 1754 | 175.4 | 48 |
05 | 32 | 7362 | 230.1 | 77.5 |
06 | 41 | 4210 | 102.7 | 48 |
07 | 60 | 8865 | 147.8 | 84 |
08 | 99 | 9755 | 98.5 | 47 |
09 | 81 | 12407 | 153.2 | 66 |
10 | 169 | 20409 | 120.8 | 53 |
11 | 158 | 16439 | 104.0 | 46.5 |
12 | 176 | 26817 | 152.4 | 75 |
13 | 210 | 13801 | 65.7 | 37 |
14 | 168 | 13516 | 80.5 | 41 |
15 | 173 | 13461 | 77.8 | 42 |
16 | 171 | 17688 | 103.4 | 38 |
17 | 215 | 19681 | 91.5 | 43 |
18 | 192 | 18368 | 95.7 | 35 |
19 | 150 | 15441 | 102.9 | 34 |
20 | 151 | 13474 | 89.2 | 35 |
21 | 148 | 16313 | 110.2 | 44 |
22 | 210 | 26125 | 124.4 | 39.5 |
23 | 129 | 13728 | 106.4 | 42 |
1日 | 2928 | 319983 | 109.3 | 44 |
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リニアの南アルプストンネルによる大井川渇水に就いてJR東海は「水量減少を最小限にする」と述べ、それを鵜呑みにして「なるべく水が出ない工事をするんだな」と考えている人がいるが、このJRの言い分は出鱈目な嘘である。以下その理由を述べる。
南アルプストンネルというと赤石山脈ばかりに注目が行くが、一番の問題点はフォッサマグナの西縁を通る事だ。しかも大深度で。
中学の地学で習ったフォッサマグナは大地溝で、本州を縦に切って断面を見ると西縁が静岡~糸魚川、東縁が千葉~柏崎のU字溝の形をしていて、U字溝の中には富士山、白根山、浅間山、八ヶ岳、箱根などの新しい活火山が入っている。
なんでこんなものが出来たかというとプレートテクニクスと日本海造盆運動に関係していて、太平洋プレートがユーラシア&北米プレートに巨大な力で押し付けられながら沈み込む際に日本列島になる部分が大陸から離れる方向、つまり太平洋プレートの方に動いて浮き上がってきた。
この一見おかしな運動は長い靴下を側面から押えながら履く時に似ている。上辺が内側に巻き込まれるので靴下はくちゃくちゃになり上部付近の繊維は上に動く場面があるはずだ。
この辺は面白いので背弧海盆などで調べてみて欲しい。紅海やカリフォルニア湾と日本列島が親類関係にある事が判るはずだ。サンフランシスコの東のサクラメントの平原は水に飲まれる前の日本海である。
この為に本州に当たる部分は北米プレート、ユーラシアプレートにそれぞれ乗る部分で引き裂かれた。ここにフィリピン海プレートが押してきて無理やり裂かれた部分は押し付けられ、大量の火山が発生した。
L字の鉄鋼を山の部分でぶった切ってからプレスで思い切り押してアーチ形になった様なもんだ。押し付けられて真っ赤に溶けて盛り上がったのがフォッサマグナの火山帯だ。
こういう経緯なのでフォッサマグナのU字溝内は活火山帯だがU字溝自体と周囲は断層と大破砕帯になっているのである。
一つは崩れやすいからであり、特にトンネルでは地圧が高いのに崩落しやすいという最悪な状態になる。
もう一つは出水で、岩がガラガラな状態というのはそこに水を溜めているか流れているという事だ。井戸は砂礫層に到達すると水が出るのである。今回静岡県とJRの争点になっているのはこっちである。
更に問題であるのは、普通の破砕帯は概ね水平に近い方向に伸びている事が多い。だがフォッサマグナでは垂直に伸びているのだ。
さてここで水圧を計算してみよう。
南アルプストンネルが通過する赤石山脈の標高は約3000m、東側坑口は550m、西坑口が800m。すると土被りは最大で2300mである。
この時破砕帯がある場合、その水圧はどれだけになるか?答えは230気圧である。土被り1000mの箇所でも100気圧。こんな圧力に耐えられる中空構造物なんてあるはずが無い。工事だって出来るはずがない。
だがこれは間違いなのだ。この気圧は静水圧だ。ここで水を流すと岩の隙間から噴出してくる動圧になり、制御不可能な数字では無くなるのである。
この為に、高土被りの破砕帯での工事ではまずは水抜きのトンネルを掘りまくる。掘りまくって水量が安定したら平衡状態である。出てきた水はどんどん流して捨てる。そうしないと圧力が高くなるからだ。これ以外に工事の方法は無い。「水抜きボーリング」で検索すると土木会社の解説が沢山出てくる。
更に中空のトンネル躯体が耐えられる圧力ではないのだからこの水抜きトンネルはずっと稼働させて水を流しっぱなしにしなきゃならない。もし封じてしまったら水圧は静水圧となり100気圧超という鋼鉄の球体以外に耐えられない圧力になる。
この辺を誤解してコンクリの本坑トンネルだけ作ってコンクリの壁で水をとめるというイメージの人が多いが全然違う。意図的に大量の水抜きをしなきゃ工事も出来ず躯体の維持も出来ない。
そしてこの抜かれる水というのは大井川の水源で湧き出すはずだったものなのだ。この水はそのままなら重力に従い低い方の東側坑口、早川か導水路を作って甲府盆地にに放流されることになる。そしてこの両方とも富士川水系なのである。
この辺について静岡新聞などは「大井川の地下を通るので地下水の分布が変わり」と説明しているがこれも違うんじゃないか?
そうじゃなくて大量の水抜きをするので周辺一帯の湧水は枯れるのである。それは工事の為に意図的にしなきゃならないものなのだ。それをJRはあたかも極力防止するよう努力するみたいな事を言っている。いい加減な騙しだ。
静岡県が大井川水源問題に拘る理由は地理院地図で大井川周囲を眺めれば一目瞭然だ。https://maps.gsi.go.jp/
ダムが多数あるが、ある程度拡大すると水色の点線が沢山出てくる。これらはダム用の水路トンネルである。山中を数十キロものとてつもない長大トンネルを掘り数段にも亘って水源利用をしているのが判るだろう。数もとんでもない数だ。
因みに農業用水や水道用暗渠は描かれていない。水道も農業用水もこれらのダムや水管路を元に組み立てているのだから水量が低下したら壊滅的なダメージがあるに決まっている。
因みに名産品のお茶の品質にも影響が~って話もあるがそれは尻馬の出鱈目です。お茶は丘陵地帯で水が引けず耕作ができない処で発展したのが特徴ですので。
フォッサマグナを高土被りで掘削なんて前例がないのにJRは湧水量の算定をしているが、それは過去の大清水トンネル、長崎トンネルなどの出水を参照している。この時点でインチキ臭いのだが、国民の方もその詭弁に気づいていない。
中学校の地学でフォッサマグナの事を勉強したのに暗記だけして忘れちゃってるのだな。そういう勉強もちゃんと役に立つ時があるんだよ。日本に住んでて土木をしようと思ったらフォッサマグナと中央構造線は避けて通れない。
以前、長野県が長野をパスしないリニアルートとして諏訪周りのルートを提唱した時、その平面図だけ見て平成の大八廻りとか言ってる人が沢山居たのだが、中央構造線とフォッサマグナ西縁の交差点が諏訪湖なのだ。諏訪湖が陥没地形になっているのはその為なのだよ。
だからトンネルに入る前に諏訪湖を地上で経由するかどうかは工事の難度どころか可否と水源問題の多寡に直結する。
鉄オタは電車が好きなだけでこういう問題を考える事が出来ない。
ネットメディアでは説明するより馬鹿を扇動した方がPVが上がるので「静岡県では”JRはのぞみを静岡に停めない”等の憤懣も聞かれ」などのどうでもいい所をクローズアップして書く。すると鉄オタは「はやいのぞみごうのていしゃえきをふやすのか!」と見事に釣られてSNSで吹きあがり争点がなんだか判らなくなるんである。あほか。
沢山インタビューしたりネットから意見拾えば尻馬に乗ってどうでもいい憤懣を言う人は出る。取材しないネットメディアはそこだけをクローズアップして書くので釣られて幼稚な吹きあがりしてるのが争点だと思い込むのであるな。なんの為に義務教育終えたんだい?
水源問題起こして難工事の末に開通させられるか?出来ないんじゃないかと思う。
ここは日本であって大地が安定したスイスなどとは違う。まだ動き続けてるプレートの境目にある若い火山帯であって、しかもフォッサマグナ西縁は北米プレートとユーラシアプレートの境目だ。更にフィリピン海プレートが角型の2分割列島を一本の弓型列島になるほどの力で押してる。
具体名挙げてしまって著者には申し訳ないのだが「未来からのホットライン」の核融合炉の施設内部の描写がてんで理解できない。説明が緻密なのがむしろネックになってる感じで、キャットウォークとかトンネルとか配線とかの位置関係が三次元的に脳内に構成されていかないんだよ。本当に上下左右という程度の確度でしか把握できない。
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小説は漫画とかと違ってイメージが押し付けられないのがいいという意見を聞くことがある。個人的にはこれはイメージという単語の前に「自分が気に食わない(特に人物の容姿)」という文言が省略されているように思える。
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想像することって、はっきりいえば単に手間でしょ。小説は想像することを楽しむものって手段と目的が逆転してる感じで、本来は「筋書きを楽しむもの」だと思う。筋書きさえ面白ければ、そして挿絵とかが適切なら、想像しなくて済むのならそれに越したことはない。
くだんの小説も建物の「構造」について図があるからといってイメージを押し付けられたと感じる人は例外的だと思うから、文章で全て言い尽くそうとしないで見取り図ぐらい添付してもよかったと思うんだよね。
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私と同じ考え方っぽい人を二つ挙げとく
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https://modernclothes24music.hatenablog.com/entry/2014/02/21/090746exit
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1514063554/exit
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そしてどうしてもこれだけは抜粋しときたい(5chのレスから)
文章だけで考えてると「この馬はどこから走って来てどこに行ったの?
なんでそんなとこから馬が走ってくるの?」
みたいな変な部分が必ず出てくる
読む側からしてもまさしくそういう感じで、結論としては始点と終点が一致したループだと言っていても、今までも風景の説明から本当にそのことが導けるのだろうかという感覚になることがある。
各部分の描写から全体を統合できない感じで、整合性を認められないことがある。
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前記の小説の施設を見学するシーンでも各区画を主人公たちの足取りに沿って説明していってるのだが、いつのまにか前いたところが主人公達の頭上にあることになっている。
確かにエレベーターで地下に降りる描写はあったけど、上下の関係で足取りが立体交差できるような文章だったか。
区画という各部分の風景だけは十二分に頭に浮かび上がってくるんだけれど、ジグゾーパズルでいうならそれはピースの凹部や凸部があやふやになっている状態にたとえられる。
なのでそのパズルを組み合わせる=建物全体の構造を把握することもできないとなる。これが読後感にもやもやを生む。
そもそも自然言語というものはねじれの位置とか含めた抽象的な位相関係を表現するのに不向きなのかもしれない。
そうでないにしてもせめてPISAとかは単純な論理パズルで読解力を測るんじゃなくて風景の説明文に対して、少なくともこれは与えられている文に矛盾しないという図を選択させる問題も導入してほしい。
ネックが読者側にあるかもしれないかもしれないのにその問題が十分には剔出すらされていないように思われるから。
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「船べりに足をぶらぶらさせていた」文学事典に載ってるような作家の手になる表現だ。しかし「船べりに」とは一体どういう状況なのか。
「船べりで~」であれば人がデッキの手すりでも背にして寄りかかって片足をぶらつかせる風景が想定される。
この話は作家自身の航海記であって大西洋を横断できるような鉄の船の話だから「船べりに」何かをするにはへりは高すぎると思われる。和船の小舟のように足をへりに置けるような状況じゃない。
たとえれば無理に腰よりも高い塀の上に片方の足を足の裏を外側に向けて乗せるイメージでただでさえ不安定な姿勢だから、せいぜいへりをかかとで擦るようなことはできても、重力に逆らってぶらつかせるとは描写として不自然と言わざるをえない。
思い込みで文章を書くとそういうことになると聞いたことがあるから、ちゃんと正確に書いてほしい。
正確に書けば書くほど想像の余地が少なくなるから小説としてつまらなくなる、というものではない。
想像する楽しみと小説の楽しみ方としては二次的なものだとは前にも書いた。限定的で端的な例だが、泥のように眠るという慣用句を小石のように眠るとアレンジすることで生まれるような詩的な妙味を味わうことも小説の楽しみ方の一つだ。
酒などを希釈しないで飲むことを生一本といっても、水で薄めずにといっても、神の創りたもうたままにといっても、どれも全く「希釈しない」という全く同一の事態を指しているうえでにその同一性こそがその描写が正確であることを示す必要条件でもあるわけだが、こうした同義のフレーズが畳みかけられている箇所にも、同じ事態の概念への落とし込み方の多様さに面白みが認められるだろう。
俳句は小説じゃないけれど、あれなどは兼題写真があるのが普通だ。写真というこれ以上なく正確な像を前提としているからといって、そこから派生される俳句の数々に「想像の余地がないからつまらない」と批判する人間がいるだろうか。
むしろ想像の喚起を重視する人のブログとか見ると「容姿の描写ほとんどされてないのを逆手にとってわざと金髪美少女のイメージで読んだ」とか言ってるような人もいて、想像するのを楽しむというやり方は小説をカップ麺の重しにするのと同じぐらいひねくれた本の使用法なのではないかとさえ思えてくるわけだ。筋書きを楽しむ、表現そのものを味わうというのが文句なく一義的な意義であるとすればなおさらだ。
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必要だと思ったとこだけ読み込んで不必要だと思ったところは読み飛ばせばいい、授業だって教師の言うこと全部覚えてない、それと同じだというような人もある。
しかし授業内容と違って小説は内容を問い合わせることができない点で致命的に異なる。
不十分だと思って読み込もうとした箇所も独力では一生かかっても理解できないかもしれない。
作者は思い描いた風景を必死に文に落とし込もうとしたかもしれない。作者は情景を読者と共有したがってる。なのに十分に伝わらない。こんな悲惨なことがあっていいのだろうか。
小説には攻略本もITの専門書にありがちなサポートダイヤルもないんだ。
二重回しとか大島紬みたいな名詞の指すものが単に想像できないとかだったら画像検索すれば済むことだけど、実際に読んでてつまづくことが多いのは文や文章という総体がどういう具象や抽象を指し示しているかとことで、でもこうなったときには打つ手がない。
人工知能は与えられた文章をイメージに接地させずに意味を理解できるが、人間としてはイメージに還元できないことには文章を味わうことはできない。
もちろん読者側の能力の問題かもしれないからそこは見極めなければならない。
先述のようなPISAなどの結果によりそういう能力が不十分と分かれば、出版業界に小説には抽象的な構造に関して図解を挿入するよう働きかけるか、さもなくば教育を刷新するか、そういう判断の指針が得られる。
教育を刷新するというのは単に文章を多読すれば読解力を身に着けさせられるはずだという今の態度が不十分という意味で、一つ文を読ませたらその文が一般的に指し示すことになる図を提示するといった訓練を導入するべきだと思うということ。
単文が示す風景(あえて情景とはいわないでおく)すらもまともにイメージできないようでは複文や文章の指し示す風景もまたイメージできるはずがない。
基礎(単文)を固めることでしか応用(文章)を扱えるようにはならないということではむしろ数学と同じだ。そういう心持で読解の養成には取り組むべきだ。
たとえば百聞は一見に如かずといっても社会生活のうえでいつも文章が指し示す現物を持ってこさせられるとは限らないから、文章をイメージに還元する力は実務的な能力でもあるわけさ。
LUNA SEAというバンドのボーカルにRYUICHIという人がいる。またの名を河村隆一という。
2018年の12月、例年通り22日・23日のさいたまスーパーアリーナと31日のカウントダウンライブまで彼は歌い続けた。
なんだか人生を見ているような、魂を懸けた歌声に私などはいたく胸を打たれたものだった。
本当に最後かもしれないと彼は思って歌っていただろうけれども、その時はまだ、観客は誰も知らなかったはずだ。
2019年の年始に肺腺がんであることを公表、1月11日に手術で肺の一部を切除した。そして2月19日たったの1ヶ月程度で彼はステージに復帰してしまった。
しかし同年の確か春頃には、喉にポリープができてしまったという。5月20日の誕生日を記念したライブでファルセットが上手く出ず、苦しんでいた姿が印象深く思い出される。
それでも彼はずっと歌い続けた。ずっとずっと。ライブやレコーディングの予定がひっきりなしに入っていたのだと思う。ようやくポリープの手術をしたのは確か10月だった。
そしてそのときも、彼はものの2週間程度でステージに復帰してしまったのである。
この人は本当に歌うことが好きで、なにせソロで120曲ライブをやったときなどは、本当に1人で8時間歌い続けていたくらいだ。
そんな波乱の2019年、レコーディングが進められていたLUNA SEAの「CROSS」というアルバムが12月に発売となった。僕が歌えなくなったらアルバムが出なかったと彼はどこかで言っていた。
そして2020年、アルバム「CROSS」を引っさげた全国ツアーが満を持してスタートする――はずだった。
コロナウイルス感染症が既に世界で猛威を奮いはじめていた中、2月1日の三郷公演からツアーは開幕したものの、2月27日の宇都宮公演を前にしてイベント等の自粛要請が本格化し、公演前日である2月26日にツアーの延期が発表された。
そうして長く暗いトンネルのようなものが私たちの前に立ちはだかったが、その時の彼らの気持ちを簡単に想像できるとは言えない。
LUNA SEAは早くから活動的だった。河村隆一としても配信ライブを定期的に行い、少なくとも我々ファンにとっては勇気を与えてくれるような活動を続けているように見えた。
だがどうやら、生のステージであるライブができないことに彼もかなり苦しんでいたようだ。最近の発言から、そのように感じるようになった。
2020年後半~2021年にかけて、少しずつイベント等の制限が緩和され、十分な対策を行った上でのライブ開催が可能になってくる。LUNA SEAも2020年12月26日・27日にさいたまスーパーアリーナでライブを行う予定だったが、当日である12月26日にメンバーのコロナウイルス感染が判明し、開催延期となる。(後に元気な姿で復帰して本当によかったのだが、ここではその辺のあれこれについては割愛する)
2021年、RYUICHIであるところの河村隆一は何度かライブを行ったが、なんだかおかしい。喉の調子が悪そうに見える。ライブ中に声がかれてしまうことが増えている。
理由は私のような素人に分かる由もないが、ステージをコンスタントにこなすことができないというのはボーカリストにとって非常に不利な状況らしい。
延期後のさいたまスーパーアリーナ公演である3月27日・28日では、声がかれる中、最後まで気力で歌いきったかのようだった。
そのような中でも全国ツアーの再開が発表になり、プロローグでもある有明公演3daysが開催される。初日である5月28日はずいぶん自身をコントロールして歌っているように見えた。3日連続という時間のことをすごく考えたことだろうと思う。彼は3日間を見事に歌いきり、とても美しいステージだったと思う。
有明を終えた1週間後のビルボードライブ東京で歌われた「月はもちろん」は、LUNA SEAのツアーが再開されることへの意気込みを感じさせるようだった。
そしてついにLUNA SEAの全国ツアーが再開される。1年4ヶ月ぶりのことだ。初日は6月12日福岡サンパレス。
私が見たのは「最初から飛ばし過ぎではないか」と思うほど気合の入った歌だった。とにかく気持ちが溢れているように見える。
喜びなのか感謝なのか楽しさなのかは分からない。何かを伝えようとしていたし、それを観客も受け取り、返していたように思う。初日はまるで大団円みたいに終わった。
2日目である6月13日、順調に進んでいるように見えたライブ4曲目の「PHILIA」で突然RYUICHIの声がかすれて上手く出なくなる。ここで休憩を取ってもいいぐらいではないかと私は思ったが、ライブは続行された。
普通、声がかすれしまったらパワーを緩めるのではないかと思うのだが、彼はむしろ、むしろそれまでより全力で叫んだ。「宇宙の詩」を経て6曲目の「静寂」を歌ったとき、一度すべてを壊して作り直すかのように、彼は力の限りを尽くしているように見えた。
いつしかその中で、声が出るようになっていた。
それはとてつもないステージだったのだが……だがこれは、命を削っているのではないかと不安になる。
でも、こんなにも歌に魂を捧げている人が。
こんなにも歌うことに命を懸けている人が目の前にいたら、胸を打たれずにいられるだろうか。
誰が、止められるんだ。
LUNA SEAのRYUICHIであるところの河村隆一とはそういう人だと、今日までを見てきて私は思った。
悪魔が歌か命かの選択を迫ったら命を差し出すような気がするから、そんな日が来ないことを祈るしかない。
こんなに歌うことが好きな人がこの世にいるのか、と思う。
「F1マシンはトンネルの天井を走れる」という話を聞いたことがあります。
F1マシンには強力な空力パーツ(前後についてる羽根みたいなのとか)が装着されていて、この空力パーツは自重よりも大きいダウンフォース(車体を地面に押し付ける下向きの力)を発生させることができるらしいです。
もちろん、飛行機がじゅうぶんに加速しないと宙に浮かばないのと同様に、F1マシンの羽根も(飛行機とは正反対の働きだけど)じゅうぶんな速度で風を受けないと自重以上のダウンフォースを発生させることはできません。が、それはともかく、理屈の上ではF1は天井に張り付いて走ることができる。
そこでふと疑問に思ったんですが、空力的に天井に張り付くことが可能だとして、エンジンを始めとした自動車の様々な機構は、上下逆さまになったままでも動くんでしょうか? 重力に依存した仕組みがあった場合、逆さまにしたら正しく動かないのでは、と思うのです。
車体を逆さまに保つ方法や天井にくっつける方法は置いといて、自動車は逆さまでも動くのか考えてみたいと思います。
木下サーカスには、巨大な球形のケージの中を数台のバイクが縦横無尽に走り回るエキサイティングな演目がありますね。オートバイにできるなら自動車も同じことができるかな? と思ったのですが、よく考えたら、サーカスのオートバイはF1の天井走りとは条件がいささか異なることに気づきました。
サーカスのオートバイが球体の中を自由に走り回れるのは、遠心力を利用しているからです。高速で円運動をすることでオートバイを球体の内壁に押し付ける方向の遠心力が働きます。じゅうぶんな角速度を得て遠心力が1Gを超えたとき、オートバイは逆さまになることができます。
サーカスのオートバイにとって遠心力は常に「主観的に下向き」の力で、それはライダーにも車体にも、ねじの一本に至るまですべてに働きます。
どうやらサーカスのオートバイは(技術的にはきわめて高度なことをしているものの)物理的には平らな地面の上を正立して走っているのと同じようですね。私の疑問の参考にはなりません。
自動車の中で重力に依存する機構がないか考えてみます。エンジン関係や駆動系はそのほとんどが回転運動であり、重力はほとんど関係なさそうですが……。
エンジンのピストンは上下運動をしていますが、燃料が爆発する力に比べればピストンの重さはまったく問題にならないくらい小さいし、複数のピストンが対称的に動作しているので、ピストンじたいの質量の影響はどっちみち相殺されてしまいます。
そもそもシリンダーの向きが上下ではないエンジンもたくさんありますね。V型エンジンにはバンク角がありますし、水平対向エンジンはシリンダーが寝ています。そしてなんと(自動車ではありませんが)、飛行機のプロペラエンジンには、クランクシャフトをシリンダーが360度ぐるりと花びらのように取り巻いた星型エンジンがあるくらいです。これはもう上下関係ないですね。
しかし、ウィキペの星型エンジンの項目には興味深い記述がありました。
放射状にシリンダーが配置されるため、時計で言う処の3時と9時(水平)よりも下側に配置されるシリンダーはエンジンオイルが重力で燃焼室に垂れ落ちるオイル下がりが発生しやすくなる。
燃焼室とクランクケースの位置関係から「オイル下がり」と表現しているのでしょうが、クランクケースから燃焼室にオイルが入り込むことは一般に「オイル上がり」と言いますよね。星型エンジンではピストンの番手によって現象の呼び名が変わってしまうのでしょうか。なんだか違和感がありますね。
話がそれましたが、逆さまのエンジンでも星型エンジンの下部ピストンと同じでオイル上がりは起こりやすそうです。
ああ。待て。待てよ。
オイルパンってエンジンの一番下にありますよね。いや、エンジン内の循環はポンプで圧送しているはずなので、まさか重力でオイルパンに集めているわけではないと思いますが、ストレーナはオイルパンの一番底に口が開いていてオイルを吸い取っています。車が逆さまになるとストレーナは空気しか吸い込めなくなりますね。
つまり車が逆さまだとエンジンにオイルが回らなくなる。時々ひっくり返してやらないとエンジンがこげついちゃいますね。ハンバーグか。
ほかにもデフやミッションなどオイルがひたひたに溜まっているところはありますが、こういうところは密封されていて循環せずにいるので、車体がひっくり返っても影響はなさそうな気がします。
燃料にもエンジンオイルとまったく同じことが言えます。燃料ポンプはガソリンタンクの底に口を開けています。車が逆さまになると空気しか吸い込めなくなって、完全にガス欠したのと同じ状態になりますね。潤滑なんかを心配するまでもなく、燃料の供給がなくなってエンジンが止まってしまうほうが先ですね。
と、ここでまたふと疑問が。飛行機の背面飛行は燃料の問題をどう解決しているのでしょう。
調べました。吸入口がタンクの底にあるのは同じなのですが、吸入口を逆止弁のついた小さな小部屋が取り巻いていて、背面飛行したとたんに空気を吸い込むようなことはなく、この小部屋に燃料がある限りは背面飛行できるようです。勉強になった。
タンクの中を小部屋で区切るというアイデアは自動車でも採り入れられているようです。背面走行に耐えるような機構ではないにしても、傾斜路や急カーブで強い横Gがかかっても燃料供給が途切れないような工夫はされているようです。F1なんかは絶えず強烈なGがかかっているので何か特別な工夫がありそうですね(知らない)。
まあ逆さまでは動かないとわかったのでこれ以上考えてもしょうがないのですが、せっかく始めた考察なのでもう少し続けます。
冷却水も、循環にはウォーターポンプを使っているものの、重力に依存した設計が随所にありそうな気がしますね。ラジエーターは、上部のアッパーホースから戻ってきたクーラントがラジエーターコアの中を流れ落ちて行き、底部のロワホースから出ていく、という仕組みの車が多いです。
流れ落ちるのにポンプの負圧だけを使っているのか重力も援用しているのかは私にはわからないのですが、ともあれ、車が逆さまになった途端に冷却経路にエアを噛んでしまいそうです。いただけないですね。
影響なさそうな感じ。
足回りは、F1のように空力だけで天井に張り付くことができるならば通常のサスペンションと同じという気がします。
よく「バネ下荷重は小さいほうがいい」と言われます。背面走行車は小さいを通り越してマイナスという究極のバネ下荷重とも言えますが、足回りの性能に関係してくるのはおそらくバネ下の「慣性質量」だと思うので、やはり正立している車とあまり条件は変わらないですね。
フルードの出入り口がリザーバタンクの底にあるのでエア噛みが心配。
車の構造物は基本的に車体に固定されているので逆さまになってもほとんど問題はないと思います。フロアから吊り下げている排気管は荷重が逆になると何かにガチャガチャ当たりそうな気もしますが。
車内については、一番厄介なのはドライバーですね。通常の三点式シートベルトだと天井に落ちてしまうでしょう。四点式や五点式でもかなりつらいものがあると思います。ジェットコースターのように肩をがっちりホールドする仕組みがないと運転操作ができ文字数
はてなーの皆さんはボクのように繁華街に出てウィンドウショッピングするのもコロナ禍で躊躇われることに嫌気が差していて「暇すぎてたまらん」と感じないのかも知れないけど、ボクはマジで暇である。
休みの日に1日2日程度は出歩かないなんてのは丁度よい休みだななんて思うけれども、こうも毎週毎月のように出歩けないのはストレス発散の場が無いので精神が擦り切れる。
あー暇だなぁと日々考えていたら、ふと思い付いた。
「この辺りに住んで長いけどそう言えば行ったことのない路地とかあったよな」と。
しかし、近所の行ったことのないところへ行って「ハイ終わり」ってのも難だな、そうだアレだ「OpenStreetMapへ現地の情報を反映しよう」と思い立ったのだった。
暇を潰せる上に、密にならないし、コロナ禍で無駄に溜め込んだカロリーを消費しつつ、しかも社会貢献できる。これ以上無い暇つぶしなんじゃなかろうか。
ここまで当たり前のようにOpenStreetMapや略称のOSMと書いてきたけれどご存じない人々へ厳密な正確性を無視して小難しくなく説明するのであれば、地図という独占されがちな情報をフェアユースしようという試みでボランティアの協力によって維持されているオンライン地図サービスのことだ。
例えば有名なオンライン地図サービスには Google MapやYahoo!地図などがあるけれども、これは営利企業によって運営されているので特に経済的価値の高い情報は有料機能として提供されていたり、採算が取りにくい機能は省かれてしまっているし、いつサービスが終了してしまうかもわからない。
OpenStreetMapはそんな現状を良しとせずに地図情報は人類の共有財産だとしてボランティアが反映する情報を無償で公開している。
OSMの地図情報は無償であるが、もちろんOSMだって地図サービスを提供するサーバーを維持しなければならないので寄付を歓迎している。
OSMが配信してくれる地図情報は多岐にわたる。
まぁその情報の元はOSMが定めた仕様に則ってボランティアが情報を反映してくれているのだが、多くの人は「OpenStreetMapってGoogle Mapの代替なんでしょ?」程度にしか考えていないので「お店の名前とか公共交通機関の時刻表とか施設のフロアマップとかでしょ?」が想像できる限界だろう。
もちろんOSMはそれらの情報に対応しているけれども、Google Mapには実装されてない興味深い地図情報もあるので紹介しよう。
OSMにはその道には街灯が存在するか否かという情報がある。
これはおそらく夜間犯罪数や率の高い地域で需要がある機能なのだろうけれども、日本でも女性が夜道に危険を感じたりするらしいので有益な情報と言えるだろう。
OSMには道の材質に関する情報がある。
アスファルトなのかコンクリートなのかタイルなのか?や、未舗装であるのならば砂利なのか砂なのか土なのか?のように様々な材質を道路情報へ反映できる。
特にバイク乗りや自転車乗りに取っては非常に嬉しい情報だろう。
ついでに言えば自転車レーンに関しても明示的に歩行者と共有、明示的にバスと共有、明示的に自転車専用、明示的に自転車専用でかつ両進行、明示的に自転車専用でかつ一方通行などの情報も反映できる。
書いているボクもなぜこんな仕様が存在するか理解が出来ないけれど踏切遮断器の形状反映できる。
どういうことかと言えば、踏切遮断器が存在しない、踏切遮断器駆動装置が1つでかつ1つの遮断棒で両道遮断、踏切遮断器駆動装置が1つでかつ1つの遮断棒で片道遮断、踏切遮断器駆動装置が2つでかつ2つの遮断棒で片道ずつ遮断ということだ(ボク自身この書き方でわかりやすいとは思ってない)。
何に使うんだろうか?自動運転?
OSMはバス停に屋根や椅子があるかどうかの情報を反映できる。
これは地味に便利だ。ボクは社会人になってバス利用の頻度は減ったものの学生のときバス停でよくずぶ濡れになってバスを待ったものだ。
色々話題になった車いすのアクセシビリティだけどOSMには車いすアクセシビリティに関する情報を反映できる。
舐めちゃいけないのが町中には1段2段程度しか無い階段が存在することがあるのは皆さんご存知だろう。
OSMはその小さな階段にすらスロープがあるかないかの情報を反映できるのだ。
あの話題には色々皆さん意見はあるかと思うが、ちょっとした階段であれ詳細が分かれば車いすユーザーは助かるはずなのだ。
これも需要がよくわからんが建物の屋根が三角屋根なのか平坦なのか円弧なのかなどの情報を反映できる。
雪国あたりの需要だろうか?
言うまでもなく自動車ドライバーに助かる情報。
特に大型自動車ドライバーは物凄く助かるだろう。
ボク自身、OSMの地図情報の仕様をすべて知っているわけでないが「こんな細かな情報まであるの!?」と驚くほど詳細に充実している。
こういうのを近所を散策しながら反映していくのだ。
ここまで読んだ人の中で一部の人は「そんな細かな情報をいちいち反映なんかしてられないだろ!」と思うであろう。
実際にボクもそう思っていた。
StreetConpleteに出会うまでは。
StreetCompleteはスマートデバイス向けアプリで、OpenStreetMapへの情報反映を省力化してくれるアプリだ。
極力テキスト入力をさせないという設計になっており、地図上に表示されるアイコンをタップしていくだけでOSMへ情報を反映できる(住所や電話番号など一部ではテキスト入力が必要)。
アプリ自体の見た目デザインもモダンでオシャレ、ただ歩いているだけでココの情報が不足しているとアイコンで教えてくれて、ユーザーはただ指示通りに現地と比較しながらタップしていくだけ。
しかも、ゲームでは定番の進捗バッヂ機能もあり「車いすユーザーのための情報を〇〇件反映しました」的に確認できてしまうのだ!
更には自分が今まで反映した情報種別の比率を視覚的に示し、自身の得意分野を比率から知ることも出来る。もっとも編集している国は日本、得意分野は街灯などと自分の得意分野の判別ができる。そしてこの画面も面白い!
ただStreetConpleteには最大の欠点がある。
提供されているのはAndroidアプリのみでiOS/iPadOSアプリは存在しないんだなぁ・・・。
オープンソース系プロジェクトじゃAndroidアプリオンリーってありがちなのよね。
さていろいろ書いたけど、ボクがOpenStreetMapへの情報反映数は7,800件超。単なる暇つぶしがここまで膨れ上がった。
このエントリを読んだ皆さんもどうかな?
こんな夢をみた.友人と車でお祭りへ向かう途中,交通事故にあい幽体離脱.「あー死んじゃったかー」とか思ってグチャグチャになった車を俯瞰していると,僕の体は車から這いでて警察を呼び,友人と一緒に立ち去ってしまった.僕は取り残された.
こんな夢をみた。僕は中学校にいて、何人ものクラスメートと顔をあわせた。それも男女問わず、卒業から会わなくなった人達ばかり。最後に、初恋の人と食堂でてんぷら定食を食べた。そこで僕は、彼女は玉子が嫌いだったことを思い出した。あの中学校に食堂なんてなかったことも。目は覚めた。
こんな夢を見た.携帯が鳴り,研究室のソファから起き上がる.時刻は3時過ぎ.伸び上がって靴を履き,立ち上がる.と同時にソファで「目が覚める夢」から 目が覚めた.時刻は4時過ぎ.立ち上がる.と同時にまたソファで目覚める.時刻は5時過ぎ.6時,7時,8時.昼には諦めた.目は覚めていた.
こんな夢を見た。温泉から上がり部屋で一息つくと、脱衣所での忘れ物に気がついた。取りにかえるも、その温泉に戻れない。あるのはロビーと地下への階段。 迷わず下る。1/3ほど照明の点いたバーで、3人が飲んでいた。女性は言う。「私が代わりに探してあげる」。忘れ物はついに思い出せなかった。
こんな夢を見た。私は知らない農家の宴席で、その男の話を聞いていた。男は次第に興奮し、暴れ、自らの腹をナイフで抉った。私は取り押さえられた男の腹から一筋の血が流れる様子を眺めていた。「俺はあの牛なんだ」そう言い残した男は車で連れていかれた。
私は外へ出た。庭には一匹の黒毛牛がいて、気が違っていた。腰のベルトを外して叩きつけると、牛は逃げていった。それを横目で追いながら、川を越え、古いバス停に腰掛けたところで、読んでいた小説を閉じた。タイトルは「牛の首」だった。私は街へ下りることにした。
大きな駅の向こう側へ行きたくなって、地下連絡通路を目指した。下って歩いて上った先で、一人のセールスマンが待っていた。私は家を探していたことを思い出した。マンションの一室へ向かう。「紹介するのはここと同じ造りのお部屋です
お客さんは運が良い。ここのご主人は昨日自殺したので、誰もいません。見るなら今日です」フローリングは酷く黒ずんでいた。部屋を検分していると、喪服の女が階段の上に現れた。木製で高さのある螺旋階段は、このマンションには不釣り合いに思えた。
女は言う。「見よ、あの牛を。涎を垂らし、目を泳がせる、あの醜い黒毛の牛を」それは「牛の首」の一節だった。「ご主人はどちらですか。あの男ですか。あの牛ですか」「牛よ」そう答えた喪服の女は声を上げて笑った。私は部屋を出た。目は覚めた。
こんな夢を見た。高速道路のトンネルに入ると何十もの真赤なランプが光っていて、渋滞のようだった。車が完全に停止するまでブレーキを踏み込み、サイドを引くと同時に、警官に声をかけられた。「車を降りてください。指示に従ってください。」私は他の運転手と同様に非常口へ向かった。
先には窓のない畳部屋があって、黒い長机と弁当が並んでいた。奥から二番目の空席に腰を下ろす。右隣の男性の貧乏揺すりが続く。弁当はやけにコントラストが低い。向かいの女性は口を開けて呆けている。どこかでパキという音。戻ろう、戻ろう、私はつぶやきながら独り部屋を出た。
トンネルに警官の姿は無く、ナトリウム灯がまばゆいばかり。私は車を捨てて歩いた。出口に辿り着いたが、無機質な車列は途切ず、青空の下とても静かだった。脇にはトンネル名が刻まれた石碑があって、それをなぞる。五文字目で指先に鋭い痛みが走った。目は覚めた。
こんな夢を見た。夜祭の喧騒を抜けると、人のまばらな屋外ステージの中央で、男が何やら呟いていた。それらは全て、この地の死者が今際の際に発した言葉だという。石段に腰を下ろし聴き入る。殆どが呻き声でよく聞き取れないが、どれもこれも懐かしい。それらは確か、私の最期だった。
こんな夢を見た。私は窓の無い病院に何年も入院していて、その日は定期検診だった。入院患者の列に混ざって待っていると、前の一人が脇の通路を指差した。「そこから外に出られるかもしれない」
患者達は一斉に走り出した。初めは様子を伺っていた私も、後に続くことにした。無機質な通路を抜け、いくつもの自動扉をくぐると、急に冷たい空気が鼻に触れた。外は夜だった。私は、電灯に照らされた公園と人工の川に患者達が散る様子を眺めていた。
胸許の携帯が鳴った。「早く戻りなさい。外は身体に悪い」それは心の底から私を案じる声だった。「しかし、みんな喜んでいます。こんなにも空気が美味しいのです。こんなにも自由なのです。」話し終えると同時に、別の電話が入った。「ボートを見つけた」
それは汚いスワンボートだったが、迷わず乗り込んだ。ボートは勢いを増す。川底の石を蹴り、橋を越え、カモメを追い抜いた。ついには岩に乗り上げてしまったが、川岸からボートを押していると、その人数は少しずつ増え、豪快な波しぶきとともにボートは川に戻った。歓声が上がった。
ボートに再び乗り込んだそのとき、朝の光が目に飛び込んできた。「もう戻らなければならない」そう思った瞬間、電話で使った『自由』という言葉に重さを感じた。その言葉の意味に初めて気が付いた。目は覚めた。
こんな夢を見た。私は講座「反境学」のガイダンスを受けるため、大教室の扉を開けた。百名以上が座っていたが、私だけ後ろ向きの席に案内された。私の背中で女性講師が言う。「反境学について質問はありますか。」前を向いた学生の一人が手を挙げた。
「環境学とは違うのですか」「環境学も反境学に含まれます」「社会科学ですか」「あらゆる概念が当然含まれます」境界を無くす学問なのか、そう考えた途端、周囲の学生は消え、私は前を向いていた。講師と目が合った。「違います。」目は覚めた。
こんな夢を見た。私は想い出の場所に向かうため、登山をしていた。久々の単独行。ペースは上がり、森林限界を抜け、雪渓に差し掛かった。酷く咳が出る。雪渓は雪と砂が細かく混ざっていて、古い雪崩跡だと思った。視界の端に何かが映る。黒ずんで、痩せた人間の手が転がっていた。
足を止めた。酷く咳が出る。後ろから声がかかる。「ありがとう。○○さんは手伝ってくれるんだね。」初老の女性だった。「なぜ、私の名前を知っているのですか」「あなたに会ったことがあるからです」やはり酷く咳が出る。足元の誰かを、背後の誰かと掘り起こすことにした。
女性は言う。「ごめんなさい。もう、そのシャツの臭いはとれないね」しかし腐臭は感じない。いよいよ咳は酷い。掘り起こした誰かは、結局腕しかなかった。それもぐずぐずに崩れてしまった。私は手を合わせ、先に進むことにした。咳は血を吐かんばかり。痰が喉でゴロゴロと騒がしい。
すれ違った何人かの怪訝な目に、染み付いた腐臭を初めて認識した。視界が狭まり、白黒する。歩く。歩く。そうして日が沈む直前に、山小屋に辿り着いた。咳をすることでしか呼吸ができない。硬い床に雑魚寝する。眠れない。だからきっと白昼夢だったのだろう。こんな夢を見た。
私はベッドに横たわっていた。寝返りをうつと、そのきしむ音と合わせて時計が目に入った。時刻は午前二時五十分。外に錆びた自転車が見える。跳ね起きて質素な窓枠に足をかけると、不意に声がかかった。「子供はどうする」ようやっと、家族3人で寝ていたことを想い出した。目は覚めた。
近年、俺が良く遊んだ、面白かったゲームを並べてみると見事にMade In Japanがない。
俺はストラテジーゲーム、シミュレーション好きなので、現在の他のジャンルの事は良く分からない。
それでもAPEXだとか、Ghost of Tsushimaだとか、 最近でも面白いと聞くゲームには海外ゲームが多い。任天堂のタイトルを除くと。
だけど、日本製のゲームにストラテジーゲームには、PC、PS4他のコンシューマ機を問わず、心惹かれたタイトルは全くない。ただ、日本のゲームを遊んでない訳でも買ってない訳でもない。
信長の野望や三国志の最新版は買ったし、スパロボも、ファイアーエムブレムも、かつて好きだったシリーズなら、新しいのが出ればやってみているし、買ってるからこそ不満がある。
しかし、かつては違ったと思う。
子供頃は、FFT、サカつく、ダービースタリオン、カルチョビット、ファイアーエムブレム、スパロボなんかは楽しめていたし、好きなゲームジャンルを決めたくらいには好きだった。
古いゲームも遅れて遊んだけれど、遥かに昔の作品ですらタクティクスオウガ、フロントミッション、風来のシレンとか、今でもいいゲームだったなぁと思える作品も沢山あった。
でも、今はどうだろう。面白かったはずのシリーズも、面白くなくなってるんじゃないかと思う。
スパロボなんか、今でもシステムには全く進化もないし、戦闘難易度はかつてのシリーズ作品と比べてすら話にならない程簡単になった。
かつてであれば、1ミスで全てが台無しになって絶望していた風来のシレンも、シリーズを重ねて風来のシレン5にもなると、やりなおし草なんて糞アイテムのおかげでノーリスクでリセット出来る始末。
かつて好きだった日本の作品が、シリーズを重ねるごとに簡単になり、面白くなくなってるって例は他にもある。というか、自分が好きだったほぼ全シリーズがそうなっている。
ゲーム好きの印象としても、日本のゲームは全体的に、難易度が大きく下がってしまっているのではないかと思うがどうだろう?
それが、日本のゲームがつまらない理由なのではないかと思うんだわ。
それって結局は、ゲームでも苦労して頭を使う事を嫌うようになったからなんだろうか?
いや、高難易度で知られたゲームは、今でも一部の日本人には根強い人気がある。RimWorldの5chの攻略スレッドは、発売後何年も経った今も盛況だ。
日本のゲーム会社が開発力を失って、システムのアップデートを怠ってるんだろうか?
いや、ダークソウルシリーズなど、今でも世界的にも人気のある高難易度のゲームは出ている。その気になればいくらだって作れるはずだ。
供給する力もある、需要もある、そのはずなのに日本の戦略ゲームの代表格と言えば、鬼の様につまらないし、低難易度だし、
システムに全く進化がない信長の野望や三国志、スパロボで、今や、高難易度で緻密なシステムを持った戦略ゲームを作るのは海外の開発会社だ。
まぁ、その高難易度ゲームを求める国内需要が小さくて、初めから海外をメインにということが考えられないってのが答えなのだとは思う。難しいゲームを作っても売れないのでは作るはずもない。
それってつまり、多くの日本人はゲームですら苦労するのは嫌だ、ヌルく生きたいって思ってるって事なのかもな。
なろう系小説が良く売れてるのも同根な気がするよ。
なろうで育ってきた様な人が、今後もゲームを作る訳だから、日本のゲームはどんどん面白くなくなるんだろうか?ヌルくて萌え要素満載のゲーム(ウマ娘みたいな)が喜ばれる様になるんだろうか?
だけど、一方では海外のストラテジーゲームは高難易度で面白いが、XCOMなんかはストーリーは驚くほど薄っぺらくて、感動の欠片もない。
だから、俺個人は今でもタクティクスオウガの様な世界観とストーリー、個性的で魅力的なキャラクターを持った、高難易度のゲームを期待してるし
アニメや漫画を見ても日本からは素晴らしい作品が出てくる土壌はあるはずと信じてもいるんだけどね
(追記)
ブコメ見ても、読んでコメントしてるとは思えないブコメも散見されるし、こんなところにも頭使うのを嫌う日本人が増えてる傾向が見えるように感じた。
(追記2)
susuharai そんなことよりGWにはOxygen Not IncludedかEndzoneやろうぜ、きっと気に入るよ。自分はRimWorldの最高難易度ランディをクリアが目標!
バニラのカサンドラの最高難易度を、コミットメントモードで、一人も死者を出さずに宇宙船飛ばせるけど、プレイは最適化の極致になるのでAIの行動パターンとか挙動を見極めて
各種の襲撃や生産活動込みで拠点を動線含めて完全に最適化しつくすくらい考えて行けばいけると思う。降下やトンネルをどうやってキルゾーンで受ける確率を上げるかとか
過剰な食料生産をしない様に在庫と資産管理を徹底するとか。Oxyはそのうちやりたいと思ってた。
(追記3)
主語がでかいだの、SLGは~なんていうが、アクションゲームでも同じだよ。
今よりもゲームへの慣れも早くて操作も上手かったはずの、もっと若いころにやった三国無双は、味方もバタバタ死ぬし呂布やら張遼やらに苦労してステージクリアしてたが
最近の三国無双なんて、呂布ですら弱くて微塵も苦労する要素なかったよ。バイオも最近のよりも2の方が大変だったし、シリーズものは全体的に易化してると思うわ。
JRPGなんて、そもそもかつても今も戦うコマンド連打で終わる脳死ゲーだろ。
ペルソナ4とか、古いファイナルファンタジーシリーズが、ストーリーとして良いとかBGMが素晴らしいとか、それは同意するし、ゲーム性以外の要素を好きな人がいることは分かる。
ペルソナやらクロノトリガーのサントラは、今でもよく聞いてる位好きだしな。
ただし、子供向けに子供が満足するレベルのトリックをふんだんに入れてるゼルダは別ってか、そもそも住んでる世界が違う。任天堂のゲームは、大人が遊んでも面白いが、大人の為には作られてない。
だがソシャゲなんかは極端な例だけど、課金する大人の為に作られているが、完全な脳死ゲーだ。日本人があれを有難がるのは、脳みそ死んでる証拠の一つだろ。
色々考えていて、やっぱりこの件は
という案件だと思うのです。
若干今更感はありますが、思うところを書きました。
例えばスーパーの出入り口から段差をなくすとか、日々の生活に密着した施策はどんどん推進していった方がいいと思います。
ただ、「一応お客さんの出入りもできるようになっている」程度の裏口にまでそれを要求するのは正当なのか?とは思ってしまうわけです。
翻って今回の件ですが、SNSやメディア等で色々議論はあるものの、個人的に腑に落ちないのは「なぜ熱海駅ではだめだったのか」ということです。
駅員に「熱海駅まででもいいですか?」と聞かれて断ったということは分かっていますが、その前段階、旅行の計画を立てている時に、伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」はずなのです。
旅行を計画する時、特に目的地がある場合は、普通そこのホームページを見たり周辺の観光案内を調べたりしますよね。
伊是名さんも当然調べたと思います。
調べるのはとても簡単で、来宮神社のホームページにもありますし、来宮神社を紹介する観光系サイトや個人ブログを見てもいいと思います。
そしてそのほとんどに来宮駅と熱海駅からのアクセスが書いてあるので、調べていて熱海駅からのルートに触れなかったとは考えられないのです。
つまり伊是名さんは「熱海駅ではなく来宮駅を選んだ」ということです。
もし熱海駅からのルートを知らなかったのであれば、来宮神社だから来宮駅だと思ったということなんでしょうか。
それは幕張メッセに行くのに調べないで幕張駅を使うような愚行なので、初めて行く場所でそんなことはしないと思います。
(初めだったのかは分かりませんが、そうでなかったら余計問題なのでおいておきます。)
来宮神社まで、来宮駅からは400m、熱海駅からは1.6kmです。
ではなぜ、伊是名さんは熱海駅ではなく来宮駅を選んだのでしょうか。
単純に近いから。
ただ、伊是名さんにとっては単純な距離よりも重要な要素がありますよね。
熱海駅は市の名前が付いているくらいですから利用客も多く、バリアフリー設備も充実しています。
駅の利用は問題ないでしょうし、車椅子でも利用可能なバス・タクシーの手配もしやすいはずです。
一方で来宮駅は、少なくとも伊是名さんにとっては「調べても分からなかった」レベルです。
そして、熱海駅から来宮神社に行くことを考えたら、熱海駅からの交通手段を調べますよね?
そうすれば今回のトラブルは起こらなかったんです。
(万一熱海駅が大きな駅だと知らなかったとしても、来宮駅を調べて熱海駅を調べないのは理屈に合いません。)
そのため、今回の件は「避けられたトラブル」と言うよりも、「ドラブルの起こりそうな方を選んだ」という印象が拭えないわけです。
ところで、来宮駅と来宮神社は徒歩5分程度と言われていますが、実は難所があります。
来宮駅の駅舎は線路の南側にあり、来宮神社は北側にあるんですね。
そのため最短ルートを通るには来宮暗渠という短いトンネルを通るのですが、そこの歩道が細く、ガードレールもあるため車椅子では通れないのではないかというほど狭いのです。
伊是名さんはブログで特に触れていませんでしたが、果たして歩道を通れたのでしょうか、それとも車に待ってもらって車道を通ったのでしょうか…。
最短ルートを通らない場合は、1.5kmほどアップダウンが激しく歩道が狭い道を歩くことになります。
時速2kmで45分かかるわけですから、結構な負担になるはずです。
伊是名さんは旅行先の条件として「移動距離が少ない」をあげていましたが、これは少ない範囲なのでしょうか。
来宮駅-来宮神社間のルートは知っていれば迷う道理がないのですが、トンネルにある小さい看板を見逃して通り過ぎてしまうと熱海駅に行ってしまいます(途中でおかしいと気付くかもしれませんが)。
一方、熱海駅からだとバス・タクシーで神社の目の前まで連れて行ってくれます。
数百円でも節約したいとか、迷うのも旅の醍醐味だという人であればともかく、そうでなければ健常者でも熱海駅から行った方が間違いがありません。
健常者であればスマホで地図を見ながら行けばいい、というのもあるんですが、車椅子利用者は「道はあるけど通れない」という事態に出くわした経験が少なからずあると思うんですよね。
電車なら駅員に相談すればいいですが、旅先の道路でそうなった場合のリスクは考慮するものではないのかなと思います。
「障がい者が気にせず外出できるのが理想だ」というのはその通りですが、現実のリスクを無視するのは違うと思うのです。
また真偽不明ですが、伊是名さんは来宮駅で降りた後、西にある熱海梅園に行ってから来宮神社に行ったと説明している人を見ました。
こちらの説であれば来宮暗渠を通っていないのは理解できるんですが、するとなおのこと、熱海駅から行かなかったのが不思議なんですよね。
対して熱海駅からバス・タクシーを使うと、熱海梅園の目の前まで連れて行ってくれます。
車椅子での移動を減らしたいのであればバス・タクシーを使うのが合理的です。
そもそも、最短ルートで直接来宮神社に行かないのであれば最寄り駅というメリットがなくなるため、来宮駅で降りる必要がないんですよね。
紛糾しているのは、結局これだと思います。
伊是名さんの言いたいことは「バリアフリーをもっと浸透させてほしい」で、それ自体は正当だと思います。
ただ、どう考えてもやり方はまずかった。
旅の計画段階で「合理的」な判断をしていれば起こらなかった問題なんですから、そこをフックにしてしまうと主張そのものが疑問視されてしまいます。
だから、今起こっている事は「誰が言おうが正しいことは正しいのだ」と「言ってることは正しいがお前が言うな」の戦いなんですよね。
熱海市の市議会では駅のエレベーター設置の議論が何年も続いており、その結果4つある無人駅のうち2つにエレベーターが設置されたそうですが、今回の論争、本当に必要でしたか?
要するに、熱海駅からバスを使えば来宮神社前ないし熱海梅園前まで行けるという「スロープ」があり、それは見えていたんです。
しかしバリアフリーの対応状況が分からない来宮駅という「階段」を伊是名さんは望んだ。
それがバリアフリー推進のためにあえてやったことなら、私は「言ってることは正しいがお前が言うな」と言います。
もし素で準備不足の旅行だったのなら、社会常識を身に付けて下さいと言います。
社会課題を世に問う目的であれは問題行動も有りだという考え方の先にあるのは、アメリカのBLM運動で起こった商店打ちこわしと略奪ですよ。
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら
僕は上海シャンハイだって何べんも知ってるよ。」みんなが丘へのぼったとき又三郎がいきなりマントをぎらっとさせてそこらの草へ橙だいだいや青の光を落しながら出て来てそれから指をひろげてみんなの前に突つき出して云いました。
「上海と東京は僕たちの仲間なら誰たれでもみんな通りたがるんだ。どうしてか知ってるかい。」
又三郎はまっ黒な眼を少し意地わるそうにくりくりさせながらみんなを見まわしました。けれども上海と東京ということは一郎も誰も何のことかわかりませんでしたからお互たがいしばらく顔を見合せてだまっていましたら又三郎がもう大得意でにやにや笑いながら言ったのです。
「僕たちの仲間はみんな上海と東京を通りたがるよ。どうしてって東京には日本の中央気象台があるし上海には支那の中華ちゅうか大気象台があるだろう。どっちだって偉えらい人がたくさん居るんだ。本当は気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしてって風力計がくるくるくるくる廻まわっていて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載のるんだろう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ。けれども僕たちの方のきめでは気象台や測候所の近くへ来たからって俄にわかに急いだりすることは大へん卑怯ひきょうなことにされてあるんだ。お前たちだってきっとそうだろう、試験の時ばかりむやみに勉強したりするのはいけないことになってるだろう。だから僕たちも急ぎたくたってわざと急がないんだ。そのかわりほんとうに一生けん命かけてる最中に気象台へ通りかかるときはうれしいねえ、風力計をまるでのぼせるくらいにまわしてピーッとかけぬけるだろう、胸もすっとなるんだ。面白おもしろかったねえ、一昨年だったけれど六月ころ僕丁度上海に居たんだ。昼の間には海から陸へ移って行き夜には陸から海へ行ってたねえ、大抵朝は十時頃ごろ海から陸の方へかけぬけるようになっていたんだがそのときはいつでも、うまい工合ぐあいに気象台を通るようになるんだ。すると気象台の風力計や風信器や置いてある屋根の上のやぐらにいつでも一人の支那人の理学博士と子供の助手とが立っているんだ。
博士はだまっていたが子供の助手はいつでも何か言っているんだ。そいつは頭をくりくりの芥子坊主けしぼうずにしてね、着物だって袖そでの広い支那服だろう、沓くつもはいてるねえ、大へんかあいらしいんだよ、一番はじめの日僕がそこを通ったら斯こう言っていた。
『これはきっと颶風ぐふうですね。ずぶんひどい風ですね。』
『家が飛ばないじゃないか。』
『だって向うの三角旗や何かぱたぱた云ってます。』というんだ。博士は笑って相手にしないで壇だんを下りて行くねえ、子供の助手は少し悄気しょげながら手を拱こまねいてあとから恭々しくついて行く。
僕はそのとき二・五米メートルというレコードを風力計にのこして笑って行ってしまったんだ。
次の日も九時頃僕は海の霧きりの中で眼がさめてそれから霧がだんだん融とけて空が青くなりお日さまが黄金きんのばらのようにかがやき出したころそろそろ陸の方へ向ったんだ。これは仕方ないんだよ、お日さんさえ出たらきっともう僕たちは陸の方へ行かなけぁならないようになるんだ、僕はだんだん岸へよって鴎かもめが白い蓮華れんげの花のように波に浮うかんでいるのも見たし、また沢山のジャンクの黄いろの帆ほや白く塗ぬられた蒸気船の舷げんを通ったりなんかして昨日の気象台に通りかかると僕はもう遠くからあの風力計のくるくるくるくる廻るのを見て胸が踊おどるんだ。すっとかけぬけただろう。レコードが一秒五米と出たねえ、そのとき下を見ると昨日の博士と子供の助手とが今日も出て居て子供の助手がやっぱり云っているんだ。
『この風はたしかに颶風ぐふうですね。』
『瓦かわらも石も舞まい上らんじゃないか。』と答えながらもう壇を下りかかるんだ。子供の助手はまるで一生けん命になって
『だって木の枝えだが動いてますよ。』と云うんだ。それでも博士はまるで相手にしないねえ、僕もその時はもう気象台をずうっとはなれてしまってあとどうなったか知らない。
そしてその日はずうっと西の方の瀬戸物の塔とうのあるあたりまで行ってぶらぶらし、その晩十七夜のお月さまの出るころ海へ戻もどって睡ったんだ。
ところがその次の日もなんだ。その次の日僕がまた海からやって来てほくほくしながらもう大分の早足で気象台を通りかかったらやっぱり博士と助手が二人出ていた。
『こいつはもう本とうの暴風ですね、』又またあの子供の助手が尤もっともらしい顔つきで腕うでを拱いてそう云っているだろう。博士はやっぱり鼻であしらうといった風で
『だって木が根こぎにならんじゃないか。』と云うんだ。子供はまるで顔をまっ赤にして
『それでもどの木もみんなぐらぐらしてますよ。』と云うんだ。その時僕はもうあとを見なかった。なぜってその日のレコードは八米だからね、そんなに気象台の所にばかり永くとまっているわけには行かなかったんだ。そしてその次の日だよ、やっぱり僕は海へ帰っていたんだ。そして丁度八時ころから雲も一ぱいにやって来て波も高かった。僕はこの時はもう両手をひろげ叫び声をあげて気象台を通った。やっぱり二人とも出ていたねえ、子供は高い処ところなもんだからもうぶるぶる顫ふるえて手すりにとりついているんだ。雨も幾いくつぶか落ちたよ。そんなにこわそうにしながらまた斯う云っているんだ。
『これは本当の暴風ですね、林ががあがあ云ってますよ、枝も折れてますよ。』
ところが博士は落ちついてからだを少しまげながら海の方へ手をかざして云ったねえ
『うん、けれどもまだ暴風というわけじゃないな。もう降りよう。』僕はその語ことばをきれぎれに聴ききながらそこをはなれたんだそれからもうかけてかけて林を通るときは木をみんな狂人きょうじんのようにゆすぶらせ丘を通るときは草も花もめっちゃめちゃにたたきつけたんだ、そしてその夕方までに上海シャンハイから八十里も南西の方の山の中に行ったんだ。そして少し疲つかれたのでみんなとわかれてやすんでいたらその晩また僕たちは上海から北の方の海へ抜ぬけて今度はもうまっすぐにこっちの方までやって来るということになったんだ。そいつは低気圧だよ、あいつに従ついて行くことになったんだ。さあ僕はその晩中あしたもう一ぺん上海の気象台を通りたいといくら考えたか知れやしない。ところがうまいこと通ったんだ。そして僕は遠くから風力計の椀わんがまるで眼にも見えない位速くまわっているのを見、又あの支那人の博士が黄いろなレーンコートを着子供の助手が黒い合羽かっぱを着てやぐらの上に立って一生けん命空を見あげているのを見た。さあ僕はもう笛ふえのように鳴りいなずまのように飛んで
『今日は暴風ですよ、そら、暴風ですよ。今日は。さよなら。』と叫びながら通ったんだ。もう子供の助手が何を云ったかただその小さな口がぴくっとまがったのを見ただけ少しも僕にはわからなかった。
そうだ、そのときは僕は海をぐんぐんわたってこっちへ来たけれども来る途中とちゅうでだんだんかけるのをやめてそれから丁度五日目にここも通ったよ。その前の日はあの水沢の臨時緯度いど観測所も通った。あすこは僕たちの日本では東京の次に通りたがる所なんだよ。なぜってあすこを通るとレコードでも何でもみな外国の方まで知れるようになることがあるからなんだ。あすこを通った日は丁度お天気だったけれど、そうそう、その時は丁度日本では入梅にゅうばいだったんだ、僕は観測所へ来てしばらくある建物の屋根の上にやすんでいたねえ、やすんで居たって本当は少しとろとろ睡ったんだ。すると俄かに下で
『大丈夫です、すっかり乾かわきましたから。』と云う声がするんだろう。見ると木村博士と気象の方の技手ぎてとがラケットをさげて出て来ていたんだ。木村博士は瘠やせて眼のキョロキョロした人だけれども僕はまあ好きだねえ、それに非常にテニスがうまいんだよ。僕はしばらく見てたねえ、どうしてもその技手の人はかなわない、まるっきり汗あせだらけになってよろよろしているんだ。あんまり僕も気の毒になったから屋根の上からじっとボールの往来をにらめてすきを見て置いてねえ、丁度博士がサーヴをつかったときふうっと飛び出して行って球を横の方へ外そらしてしまったんだ。博士はすぐもう一つの球を打ちこんだねえ。そいつは僕は途中に居て途方もなく遠くへけとばしてやった。
『こんな筈はずはないぞ。』と博士は云ったねえ、僕はもう博士にこれ位云わせれば沢山だと思って観測所をはなれて次の日丁度ここへ来たんだよ。ところでね、僕は少し向うへ行かなくちゃいけないから今日はこれでお別れしよう。さよなら。」
みんなは今日は又三郎ばかりあんまり勝手なことを云ってあんまり勝手に行ってしまったりするもんですから少し変な気もしましたが一所に丘を降りて帰りました。
九月六日
一昨日おとといからだんだん曇って来たそらはとうとうその朝は低い雨雲を下してまるで冬にでも降るようなまっすぐなしずかな雨がやっと穂ほを出した草や青い木の葉にそそぎました。
みんなは傘かさをさしたり小さな簑みのからすきとおるつめたい雫しずくをぽたぽた落したりして学校に来ました。
雨はたびたび霽はれて雲も白く光りましたけれども今日は誰たれもあんまり教室の窓からあの丘の栗くりの木の処を見ませんでした。又三郎などもはじめこそはほんとうにめずらしく奇体きたいだったのですがだんだんなれて見ると割合ありふれたことになってしまってまるで東京からふいに田舎いなかの学校へ移って来た友だちぐらいにしか思われなくなって来たのです。
おひるすぎ授業が済んでからはもう雨はすっかり晴れて小さな蝉せみなどもカンカン鳴きはじめたりしましたけれども誰も今日はあの栗の木の処へ行こうとも云わず一郎も耕一も学校の門の処で「あばえ。」と言ったきり別れてしまいました。
耕一の家は学校から川添かわぞいに十五町ばかり溯のぼった処にありました。耕一の方から来ている子供では一年生の生徒が二人ありましたけれどもそれはもう午前中に帰ってしまっていましたし耕一はかばんと傘を持ってひとりみちを川上の方へ帰って行きました。みちは岩の崖がけになった処の中ごろを通るのでずいぶん度々たびたび山の窪くぼみや谷に添ってまわらなければなりませんでした。ところどころには湧水わきみずもあり、又みちの砂だってまっ白で平らでしたから耕一は今日も足駄あしだをぬいで傘と一緒いっしょにもって歩いて行きました。
まがり角を二つまわってもう学校も見えなくなり前にもうしろにも人は一人も居ず谷の水だけ崖の下で少し濁にごってごうごう鳴るだけ大へんさびしくなりましたので耕一は口笛くちぶえを吹ふきながら少し早足に歩きました。
ところが路みちの一とこに崖からからだをつき出すようにした楢ならや樺かばの木が路に被かぶさったとこがありました。耕一が何気なくその下を通りましたら俄にわかに木がぐらっとゆれてつめたい雫が一ぺんにざっと落ちて来ました。耕一は肩かたからせなかから水へ入ったようになりました。それほどひどく落ちて来たのです。
耕一はその梢こずえをちょっと見あげて少し顔を赤くして笑いながら行き過ぎました。
ところが次の木のトンネルを通るとき又ざっとその雫が落ちて来たのです。今度はもうすっかりからだまで水がしみる位にぬれました。耕一はぎょっとしましたけれどもやっぱり口笛を吹いて歩いて行きました。
ところが間もなく又木のかぶさった処を通るようになりました。それは大へんに今までとはちがって長かったのです。耕一は通る前に一ぺんその青い枝を見あげました。雫は一ぱいにたまって全く今にも落ちそうには見えましたしおまけに二度あることは三度あるとも云うのでしたから少し立ちどまって考えて見ましたけれどもまさか三度が三度とも丁度下を通るときそれが落ちて来るということはないと思って少しびくびくしながらその下を急いで通って行きました。そしたらやっぱり、今度もざあっと雫が落ちて来たのです。耕一はもう少し口がまがって泣くようになって上を見あげました。けれども何とも仕方ありませんでしたから冷たさに一ぺんぶるっとしながらもう少し行きました。すると、又ざあと来たのです。
「誰たれだ。誰だ。」耕一はもうきっと誰かのいたずらだと思ってしばらく上をにらんでいましたがしんとして何の返事もなくただ下の方で川がごうごう鳴るばかりでした。そこで耕一は今度は傘をさして行こうと思って足駄を下におろして傘を開きました。そしたら俄にわかにどうっと風がやって来て傘はぱっと開きあぶなく吹き飛ばされそうになりました、耕一はよろよろしながらしっかり柄えをつかまえていましたらとうとう傘はがりがり風にこわされて開いた蕈きのこのような形になりました。
耕一はとうとう泣き出してしまいました。
すると丁度それと一緒に向うではあはあ笑う声がしたのです。びっくりしてそちらを見ましたらそいつは、そいつは風の又三郎でした。ガラスのマントも雫でいっぱい髪かみの毛もぬれて束たばになり赤い顔からは湯気さえ立てながらはあはあはあはあふいごのように笑っていました。
耕一はあたりがきぃんと鳴るように思ったくらい怒おこってしまいました。
「何なに為すぁ、ひとの傘ぶっかして。」
又三郎はいよいよひどく笑ってまるでそこら中ころげるようにしました。
耕一はもうこらえ切れなくなって持っていた傘をいきなり又三郎に投げつけてそれから泣きながら組み付いて行きました。
すると又三郎はすばやくガラスマントをひろげて飛びあがってしまいました。もうどこへ行ったか見えないのです。
耕一はまだ泣いてそらを見上げました。そしてしばらく口惜くやしさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊こわれた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側えんがわから入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっきはなれた処もすっかりくっつききれた糸も外ほかの糸でつないでありました。耕一は縁側に座りながらとうとう笑い出してしまったのです。
九月七日
次の日は雨もすっかり霽れました。日曜日でしたから誰たれも学校に出ませんでした。ただ耕一は昨日又三郎にあんなひどい悪戯いたずらをされましたのでどうしても今日は遭あってうんとひどくいじめてやらなければと思って自分一人でもこわかったもんですから一郎をさそって朝の八時頃ごろからあの草山の栗の木の下に行って待っていました。
すると又三郎の方でもどう云うつもりか大へんに早く丁度九時ころ、丘の横の方から何か非常に考え込んだような風をして鼠ねずみいろのマントをうしろへはねて腕組みをして二人の方へやって来たのでした。さあ、しっかり談判しなくちゃいけないと考えて耕一はどきっとしました。又三郎はたしかに二人の居たのも知っていたようでしたが、わざといかにも考え込んでいるという風で二人の前を知らないふりして通って行こうとしました。
「又三郎、うわぁい。」耕一はいきなりどなりました。又三郎はぎょっとしたようにふり向いて、
「おや、お早う。もう来ていたのかい。どうして今日はこんなに早いんだい。」とたずねました。
「日曜でさ。」一郎が云いました。
「ああ、今日は日曜だったんだね、僕ぼくすっかり忘れていた。そうだ八月三十一日が日曜だったからね、七日目で今日が又日曜なんだね。」
「うん。」一郎はこたえましたが耕一はぷりぷり怒っていました。又三郎が昨日のことなど一言も云わずあんまりそらぞらしいもんですからそれに耕一に何も云われないように又日曜のことなどばかり云うもんですからじっさいしゃくにさわったのです。そこでとうとういきなり叫さけびました。
「うわぁい、又三郎、汝うななどぁ、世界に無くてもいいな。うわぁぃ。」
すると又三郎はずるそうに笑いました。
「やあ、耕一君、お早う。昨日はずいぶん失敬したね。」
耕一は何かもっと別のことを言おうと思いましたがあんまり怒ってしまって考え出すことができませんでしたので又同じように叫びました。
「うわぁい、うわぁいだが、又三郎、うななどぁ世界中に無くてもいいな、うわぁい。」
「昨日は実際失敬したよ。僕雨が降ってあんまり気持ちが悪かったもんだからね。」
又三郎は少し眼めをパチパチさせて気の毒そうに云いましたけれども耕一の怒りは仲々解けませんでした。そして三度同じことを繰り返したのです。
「うわぁい、うななどぁ、無くてもいいな。うわぁい。」
すると又三郎は少し面白おもしろくなったようでした。いつもの通りずるそうに笑って斯こう訊たずねました。
「僕たちが世界中になくてもいいってどう云うんだい。箇条かじょうを立てて云ってごらん。そら。」
耕一は試験のようだしつまらないことになったと思って大へん口惜しかったのですが仕方なくしばらく考えてから答えました。
「それから? それから?」又三郎は面白そうに一足進んで云いました。
「それから? あとはどうだい。」
「家もぶっ壊かさな。」
「砂も飛ばさな。」
「それがら、塔とうも倒さな。」
「アアハハハ、塔は家のうちだい、どうだいまだあるかい。それから? それから?」
「それがら、うう、それがら、」耕一はつまってしまいました。大抵たいていもう云ってしまったのですからいくら考えてももう出ませんでした。
「それから? それから? ええ? それから。」と云うのでした。耕一は顔を赤くしてしばらく考えてからやっと答えました。
すると又三郎は今度こそはまるで飛びあがって笑ってしまいました。笑って笑って笑いました。マントも一緒にひらひら波を立てました。
「そうらごらん、とうとう風車などを云っちゃった。風車なら僕を悪く思っちゃいないんだよ。勿論もちろん時々壊すこともあるけれども廻まわしてやるときの方がずうっと多いんだ。風車ならちっとも僕を悪く思っちゃいないんだ。うそと思ったら聴きいてごらん。お前たちはまるで勝手だねえ、僕たちがちっとばっかしいたずらすることは大業おおぎょうに悪口を云っていいとこはちっとも見ないんだ。それに第一お前のさっきからの数えようがあんまりおかしいや。うう、ううてばかりいたんだろう。おしまいはとうとう風車なんか数えちゃった。ああおかしい。」
又三郎は又泪なみだの出るほど笑いました。
耕一もさっきからあんまり困ったために怒っていたのもだんだん忘れて来ました。そしてつい又三郎と一所にわらいだしてしまったのです。さあ又三郎のよろこんだこと俄かにしゃべりはじめました。
「ね、そら、僕たちのやるいたずらで一番ひどいことは日本ならば稲を倒すことだよ、二百十日から二百二十日ころまで、昔むかしはその頃ほんとうに僕たちはこわがられたよ。なぜってその頃は丁度稲に花のかかるときだろう。その時僕たちにかけられたら花がみんな散ってしまってまるで実にならないだろう、だから前は本当にこわがったんだ、僕たちだってわざとするんじゃない、どうしてもその頃かけなくちゃいかないからかけるんだ、もう三四日たてばきっと又そうなるよ。けれどもいまはもう農業が進んでお前たちの家の近くなどでは二百十日のころになど花の咲いている稲なんか一本もないだろう、大抵もう柔やわらかな実になってるんだ。早い稲はもうよほど硬かたくさえなってるよ、僕らがかけあるいて少し位倒れたってそんなにひどくとりいれが減りはしないんだ。だから結局何でもないさ。それからも一つは木を倒すことだよ。家を倒すなんてそんなことはほんの少しだからね、木を倒すことだよ、これだって悪戯いたずらじゃないんだよ。倒れないようにして置けぁいいんだ。葉の濶ひろい樹なら丈夫じょうぶだよ。僕たちが少しぐらいひどくぶっつかっても仲々倒れやしない。それに林の樹が倒れるなんかそれは林の持主が悪いんだよ。林を伐きるときはね、よく一年中の強い風向を考えてその風下の方からだんだん伐って行くんだよ。林の外側の木は強いけれども中の方の木はせいばかり高くて弱いからよくそんなことも気をつけなけぁいけないんだ。だからまず僕たちのこと悪く云う前によく自分の方に気をつけりゃいいんだよ。海岸ではね、僕たちが波のしぶきを運んで行くとすぐ枯かれるやつも枯れないやつもあるよ。苹果りんごや梨なしやまるめろや胡瓜きゅうりはだめだ、すぐ枯れる、稲や薄荷はっかやだいこんなどはなかなか強い、牧草なども強いねえ。」
又三郎はちょっと話をやめました。耕一もすっかり機嫌きげんを直して云いました。
すると又三郎はすっかり悦よろこびました。
「ああありがとう、お前はほんとうにさっぱりしていい子供だねえ、だから僕はおまえはすきだよ、すきだから昨日もいたずらしたんだ、僕だっていたずらはするけれど、いいことはもっと沢山たくさんするんだよ、そら数えてごらん、僕は松の花でも楊やなぎの花でも草棉くさわたの毛でも運んで行くだろう。稲の花粉かふんだってやっぱり僕らが運ぶんだよ。それから僕が通ると草木はみんな丈夫になるよ。悪い空気も持って行っていい空気も運んで来る。東京の浅草のまるで濁にごった寒天のような空気をうまく太平洋の方へさらって行って日本アルプスのいい空気だって代りに持って行ってやるんだ。もし僕がいなかったら病気も湿気しっけもいくらふえるか知れないんだ。ところで今日はお前たちは僕にあうためにばかりここへ来たのかい。けれども僕は今日は十時半から演習へ出なけぁいけないからもう別れなけぁならないんだ。あした又また来ておくれ。ね。じゃ、さよなら