はてなキーワード: インドアとは
もうすぐ26歳。
ばかにされたりからかわれるのが嫌で恥ずかしくて普通でいる事ができなかった。
高校に入ると男子に対して表面的には無になった。近寄らないことを選んだ。
いけてる男子は乱暴だし、バカだし、油断すると傷つけてくるのでとにかく怖かった。
でも、確かに憧れもあった。それに近づく権利のない自分が嫌だった。
そのときは恋への憧れと、男性ってこんなもんだろうと思っていた。
その後、何人かとなんだかんだで別れ、
25歳でダイエットした。
男性がやや引いてるのがわかった。
引いてるっていうか、私がつきあってきたインドアタイプの人に近づこうとしたら、
なんか最初気を使われるっていうか。それで、こういうのいいですよねーとか、いうと、ぱっと表情が明るくなる。
でなんだかんで年上の人とつきあって。似合うといわれるがままに美人百花系の服をきてみたら、
以外と似合う自分がいて。
ものすごくちやほやしてくれるので戸惑って。
面白いとおもって行ったジョークをそんな汚い言葉使いといやがられて。
ああ見た目がかわいくなるということは
いままで努力してなかった内面とのギャップがでる事でもあるのかと思い
綺麗になるぞ!ってやる気とか
いままでのがつがつした感じがなくなって
90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。
「お前の鬱ツイートうざいわ」と以前言われたけどやっぱりうっぷんがたまってるので
吐き出したくなる。まあわかるかもれないけど文章にすると冷静になるもので、
書こうと思いたった時点で悲しみは70%くらいに減っている。
夜中に眠れずに日々を振り返る。発端は自分が負けず嫌いだということに辟易したくらいかな。
ちょっとした練習でうまくいかず、イライラして、それでかなり不機嫌になって顔に出てた。
思考もまわらず、愛想笑いもできず、仏頂面になり、あまり話しかけられなくなっているんだと感じる。
でも治らずに感情的なままでいてしまう。そんなこんなで寝る前に考えてしまって昔のことを思い出し、
昔からおとなしく、照れ屋で、いい子だった。
怒られるのが嫌いで、混ぜてと言えず、一人でも遊んでいて、体を動かすのもインドアな趣味も好きだった。
小1の頃トイレに行きたいと言えず我慢する、上級生にネタっぽいことを言って笑われたのが予想よりもずっと恥ずかしかった
とくに親は普通だが、割と放任主義で口数もあまり多くないのかもしれない。
本当に子供のころには旅行に行ったりしたのだが中学のころには旅行などしなくなっていた。
親は自分の無口っぷりに理解があったのか、学校での出来事をあまり聞かなかったのかもしれない
そのせいか今でも自分の気持ちを聞いてほしいときに聞いてほしいということができない。
さびしいという気持ちは強かったのかもしれないが、他人に干渉はされたくなかった、
習い事も好きなアニメが見れないからと一度やめたが、さびしくなったのでまた入った。
無口だったのでとても仲いい友達はできなかったが、嫌われない程度には練習を頑張った。
モチベーションが少ないのでガチでやる人には話題が足りなかった。今でもその気はある。
小学校以来ずっと、夏休みに予定がないのが普通だ。いや、予定はあるが、遊ぼうという約束がない。
キャンプや合宿の予定はあっても人の家ではあまりあそばなかった。
いじめはあったのかもしれない。怨むほどのことではないが、プロレスゴッコをやったり、
給食のデザートはやんわりと取られることはあった。
しかし、泣いたりせずいやだと言えば案外それ以降変な絡まれ方はしないのかと思う。
もちろん相手側が「遊んでるだけ」ならばだが。
無口だったころなので、全然話さなかったが、手をつないで帰った。
いや、多分手首をつかまれて家まで送らされただけなんだがすごくうれしかった。
このころからきっと無邪気でぐいぐい来る女子に弱いんだと思う。
もうだいぶゲーム以外の会話ができなくなっていたかもしれない。
1年の頃はみんな積極的に仲良くしようとしてくれていたので、変には浮いたりはしなった。
小学校の頃の友達とは合わなくなった。まあこっちから連絡しなかっただけなのだが。
ああ、疎遠だな。でも特に会いたいと思う人もいない。
今は地元に友達と呼ぶ人はいないかもしれない。「かもしれない」のである。
多分呼べばあって遊んでくれる人もいるだろうけど、まあこれでいいかとか考えてしまう。
近年にも親にもある程度心配されたが苦笑いしたらそれ以上聞かれなくなった。
やっぱり2年生になったら1年生の知り合いにはあまり合わなくなった。
2年生の人たちが一番印象が少ない。昼休みには図書館に行ったり
自分はどのグループとかに入らないぼっちで、みんなただ優しかっただけだ。
遠足でぼっちになり、修学旅行で好きな人と組んでといわれるのがつらかった
今でもその言葉に苦しむ。人を選べない。
小学生ならプールに遊びに行ったら友達がいた。だが中学ではたまり場などない。
あの頃にはすごく学校に行きたくないということがあり、ときどき仮病を使った。
周りがとってもなかよくなっているのことにうらやましいと思っていたが、
スマブラの話をしていた。一緒に遊びたかった。ただ見つめていた。
今思うと、同じ趣味なら友達になる素養があるのだからもっと勇気を出すべきだった。
今でも思っているが、まだ仲好くないと思って躊躇してしまう。どうにかしたい。
中3の頃にはきっと学校外では1回遊んだきりだったと思う。さびしい奴だ。
このころは心が躍動していたと感じる。
仮病もあるが、学校に行ってから、すごくだるくなった時があった。きっと鬱だろうけど。
そんな時友達が音楽室行こう、と誘ってくれた。嬉しかった。気遣ってくれてうれしかった。
きっと聞かれたらいろいろ愚痴をはいていたと思う。つらかったんだよって聞いてほしかった。
でも彼はただ何も話すことなく一緒の部屋でいたと思う。
話したくないなら聞かない、そういうスタンスだったのかもしれない。
やさしさってわからないよね。自分ももっと気遣ってるアピールしなきゃな。
体育祭がすごく嫌いで厨二病ですれた自分がいたが、3年生で、もう終りか…と思うと熱くなった。
中学卒業する時、告白しようとしたが、ものすっごくどきどきした。あきらめた。
のちにデートすることになるのだが、その話は置いておこう。
携帯の連絡先を交換したのは同じ高校へ行く人数人とその仲間問う感じだった。
2人とも同じ部活だったのだが、「高校行ってもがんばれよ~」としか言われなかった。
高校へ行ったが同じ高校へ行った人以外へは連絡は何もなかった。
友人との距離感に戸惑う時期。ちょっと仲良くなり始めたころにグループ通話をしていた。
夜にどうでもいい話をするのに戸惑った。話のネタがない。このころはまだ話をしたいとは思っていなかった。
面倒くさかったのとともに、何の用もないのに通話をかけてくることに理解ができなかった。
夏休みになっても別の友人だが電話がかかってきた、「いや~なにしてるかな~と思って」
僕は特に何もと答えて、後はふんふんと相槌を打ち、質問を返すだけだった。
電話なんてそのときくらいで、友人との理由なき電話はその後6年ほどはしなかったかもしれない。
質問はすごく苦手だ。会話がはかどるには話題の数じゃなくて相手への興味とはよく言ったものだ。
彼のことはよくしてくれるし好きだが、別に興味があるとかではなかった。
でも結局疎遠になっている。Twitterではつながっているが。まあ地元では合うタイミングが0だからだ。
うっとうしくて時間をずらして、一緒に帰らないようにしたのに、ときどきは一緒にはいた。
その子に言われたことがある。とある映画を見に行った話を聞かされたとき
「いいなーボクも見たかったなー」と言ったら「え、行きたくないとおもってた」と言われた。
確かに行きたいと言ってなかった。このころやっと人にああしたいというようにするようになった。
ケンカもしなかったなあ。ただいっしょに遊んでいて楽しかった。
まあなんやかんやこのころまではすごい悩んだりせずに、
就職できればいいや、友達いらないからゲームして、アニメ見て生きられればいいやと思っていた。
勉強はいいから遊べ、コミュ力が大事、熱意があればいい、いろいろあるだろうが
何社か落ちて 、自分の存在価値を見失ってしまった。もうだめだ、人生経験がない、
そんなことをいろいろ考えてしまっていた。結果夢のキャンパスライフだ!ということになった。
当然勉強対策もあまりしていなかったので苦労した。もともとよく考えるタイプで勉強は嫌いだが、
そこそこできる人間だと思っていたので2流、3流大学にははいることができた。
地元を離れ、人も少ない地域の大学へ行った。同じ高校からは一人もいない。
大学デビューをしようと思いチャラい系サークルに入るがノリが違いすぎて2カ月ももたず
5月病で鬱がちょっとひどいことになった。あの頃は週5くらいで夜泣いていた気がする。
歓迎会でも仲良くできず、帰り道みんなから離れ、後ろでうつむきながら岐路についていた。
家で泣いた。
先輩に話を聞いてもらったこともあったが、何のためにもならなかった。
ふだんから自分の子と話す練習をしないとちょっと信頼できる人でも
30%も言いたいことを話せないと思う。
過去問は手に入る程度には浅い付き合いがある。
よく狭く深くのほうがいいというが、本当に強く感じる。
「5人いれば十分だよ」といわれるが一人でもいれば十分だろう!?
もしかしたら今の自分にも一人はいるかもしれないが信頼しきれていないのかもしれない。
もう先輩になる年齢だというのに、いい加減子供っぽくて困る。
一緒にご飯食べに行きたいと思っているが、だれかがあまり思いつかない。
好意がある人にこっそり誘ったりしても断られる。
誰かのついででは嫌だいう気持ちがあるが、君も行く?と言われて断れない
次に誘われないかもしれないからだ。ときどきおれなんかが一緒でいいのかな?と思って断る
なぜ行かないといっても「なんでだよ~いくぞ」といわれる人がいて、うらやましくて、
自分は誘ってほしそうにチラチラ見てるのに誘ってくれなんだろう。
先輩は先輩同士で仲良く飲みに行ったりしているのに、なぜ自分はぼっちなんだろう。
友達は友達でご飯よく食べに行ったり、休日遊んだりしている。自分はなんでないんだろう。
そういえば1対1で休日にあそんだことないな。みんなのついでにあるだけで。
家に帰ってからLINEしたりもないな。個人LINEどうのこうの言ってるけどうらやましい、おれもまぜて
なんでおれが飲みに行こうっていってもまた今度なの?
誰かに聞いてほしいけどいま話を途切れさせるひともいない中ずっと語ったわけで、
自分がこんなことを聞いてほしいって思っているって自覚する以上、
話を聞いてもらう人に負担が大きそうだなって思って遠慮してしまう。
普段は普通に楽しいし、へこんだ時もプライドとかいうものが邪魔をして、頼れない
かまってくれるという甘えなら無意識でずっとしてしまっている。
話せる状態では話したいと思えないし、話したいと思うようなときは精神が不安定でうまく話せない、逃げたい
そんなこんなでいまさら昔の友人や親にも話すのがおっくうです。正しいのは分かっているんだけど。
昔特に好かれないような性格してるね、っていい年をしたお兄さんに言われたことがある。
活動的な人で憧れる。学外活動で学生以外と遊びに行ったり飲みに行った経験で多少同年代の人と話が合わなかったりする。
くだらない話より、面白い話を聞きたいと思う。
好きな人もいるが、その子がよく自分の友達とすっごい長く話している、仲よくしているのでほほえましいのだが
あまりに見かけるたびに一緒に話しているので嫉妬する。客観的にみて話をよく遮られるので嫌いになってもおかしくないのだが、
自分と話が合う友達なのでしかたないなとおもう。最近好きなタイプに「自分を好きになってくれる人」とかいう人にも共感できる。
やっぱり自分を見てくれる人が好きなのである。もっと人を信頼して、もっと興味を持ちたいのです。
こんな自分をどうすればもっとまともな人間になれるかを日々考えている。
実行に移すのがいいっていうのがとっても分かっている。だけど・・・
本当どうするのがいいんでしょうか
結婚する前は同棲せず、休日昼間にデートする程度のお付き合い。
笑いのツボも合うし、仕事も同じような業界・職種だから、このまま続いて仲良し夫婦になると思っていた。
家事は折半だと思っていたけど、まあ女の方が多くなるよね。当たり前だけど。
でも、夫的には完全に折半だという自負があるらしい。
休日の過ごし方もバラバラで、夫は外に出かけないと気が済まないタイプ。
休日なんだから個人でしたいことをすればいいのにな、と私は言う。
結局私が折れて、週末は外出に付き合わされる。
本なんて通勤で読めと言われた。
休日になるたびに疲労感がある。
付き合うのが嫌すぎて、この3連休は2日間休日出勤しちゃったよ。
なんでだよ。
ゲームしてる時が一番楽しいと言うと「なんて寂しい人生wwww」みたいに言われるんだけど、スポーツを見たり音楽を聞いたり映画を見たりしてもゲーム以上の楽しみは得られない。
まあ旅行も好きだけど、ゲームの楽しみとはまた違う、ゲーム楽しい。
他人が作った仕掛けや謎を解くのがとにかく楽しい。なので今もう30代ですが未だに趣味はゲーム、そして死ぬまで趣味はゲームだと思う。
そのインドアの中でも「絵画」や「音楽鑑賞」は崇高な趣味になるし、「手芸」や「料理」は尊敬される。
高校時代はゲームよりパズルのほうが好きだった。が、「趣味パズル」と言うとドン引きされ、ゲーム以上にバカにされたのであまり話していない。
趣味に没頭している時間が一番楽しい。だと微笑ましく見て貰えるのに
その趣味は実はゲームでした。ゲームやパズルに没頭してるのが楽しいですと言うと途端に「寂しい人生」の烙印を押されるのは何故なのだろうか。
“恋愛の機微で感情を持ってやるべきだってのも分かるけど、それでは男は女と付き合えない。女なら股をひらけば男をゲットできるが、男は50人に声をかけて1人と付き合えるかどうか。”…あ、割りとわかる
そこまですべきかどうか、気持ちいいかどうかは別として、女の人には「男を足切りしちゃう人(きもちわるいと感じたら即切り。一切の検討もしない)」がけっこうな割合でいて、それさえなくせば形だけでも付き合える人はけっこういるのよね…。男の場合は値踏みと確率があんまり一致しないわけでして…
例えば、男の場合は「美人と付き合いたい」と値踏みする行為自体が女の子から減点(批判)されることはあれど、美人だったらいい恋愛ができるとは限らないわけじゃないっすか。快楽とは一致することこそあれど、美人ならいい恋愛ができる・いい関係になれるは違うし、美人だからハードル高いも違う
極端な話を言えば、美人かブスかは「連れ添ってた時とか、Hした時の興奮」と言う観点での加点はあっても、それが成功率とは絡まない(ブスだったり、トロそうだったり低く見られる女の子が安売りしてる、ハードル低いとも限らん訳ですよ)。そこが大きく違うのかな…と思う。
どうも恋愛工学を否定してる女性は「女性基準の恋愛とは違うから」だし、恋愛工学を肯定してる人の言い分は「いや、まともに恋愛したい・ヤりたい問わず、キモいと思って女子からATフィールド張られたら先はないし。しかも、それは愛とか誠意なんてものではなく、チェック項目の世界だし」が落とし所
もうちょい厳密に定義し直すと「モテ本を読んで女の子の基準をつかもうとする男」がキモいんじゃなくて「悪質なモテ本に書いてあるような中学生めいたエロトークで盛り上がる男、堂々とモテ本を読んでることを公言して【トモダチンコ決めたい】と言ってるのがキモい」なんだよなあ…青柳さん的になった
モテ本・ナンパ本には「その女性自身の個人差・個人の機微を見ようとしないからそれらを読んで実践してもキモいしダサい」のがどうも結論らしい。でも、そういうものに読んでしまうのは男は根本的にゲーム脳・仕組み脳の頭でっかちでゲームにできるとできると過信しとるし、実際成功率上がるから
(何度も言うけど、「必要かどうかは」ともかく)男の場合は「連れとして映えるか・ヤりがいがあるか」DQN肉食系と「好かれてるという実感があればそのままなついてしまう」自分を好きな人が好き(草食系・食虫植物系)の二種類がいて、女子が足切りしなかったらどっちかとは付き合える。理論上ね
ただ、付き合うこと・セックスすること・それによって承認されること自体を目的とする男だったら「女の子は妥協すれば付き合えるからいいよね」なんだけど、それだと愛も良好な関係性もないから「誰でもいいから彼氏ほしい」にならないんだよね
え?僕はかなり食虫植物系男子ですよ。僕自身の趣味や偏りを許してくれる、それでいて僕と話が合う子に認められたら(そもそもそれがムズいけど)割と誰でもいい人ですね…。だから「誰でもいい感覚」はわからなくないけど、すごく瓶を有難る傾向が正直、同性だけどわからないです
昨日も書いたけど、男の方がインドアなゲームは得意なんです。将棋でも囲碁でもプロゲーマーでもなんでもいいけど、あの手のプロのそれも実力者のたいていは男。逆にいうとゲームのように定量化・仕組み化・法則化できないくせに「キモいと思われたら有無も言わさず振られる恋愛」は存在自体が怖いわけ
囲碁をじっくり打ち合って楽しめばいいと思ってたのに、五目並んだ途端に急に「はい、俺の勝ち!お前の負け!俺強い」とゲームをウヤムヤにしながら煽り文句にしか聞こえない独りよがりを目の前で決め込まれる…そんな感じですかね
大学の同級生と付き合いだしてそろそろ3年。最後にデートしたのは半年ほど前。
いや、逢瀬は重ねているんだ。だいたい毎週彼氏の家に夕方から泊まりにいって、セックスして、翌日自宅に直帰。
セックスが嫌なわけじゃない。望んでやっていることだ。
2人ともインドア派だし、おうちデート(笑)ってやつも悪くはないよ。
でも、もっとこう人様に話しやすいような、太陽の下にいるようなデートもさ、月1くらいでしてもよくない?
数か月ずっと週末のセックスだけでデートが皆無だと、段々もやもやしてくるんです。
身体目当てじゃないのとかそんな面倒くさいことを言ってるんじゃねえよ!!高校生じゃねえんだそのくらいの判別はつくわ!!
愛してくれてるのは分かってるから行動で表現しろっつってんだ!
プラン丸投げしないでここ行きたいとか提案してるのに流すな!奢らせてる訳でもなし!!
大体お前そこまで忙しくはないだろ、ほとんどの週末に予定をほうり込んでから私の予定とすり合わせようとするから無理があるんだ事前に開けとけや!!
で、半年ぶりに取り付けたデートの約束を昨日キャンセルされてキレた。
このループ、これで4回目くらいだ。
何回かキレた理由として上のようなことを懇切丁寧に説明して、その時は殊勝な反省してますって顔してるが、繰り返してるよね。
あーくだらない。
べつに別れたい訳ではない。
2. 暗い子ども時代を過ごした田舎生まれの根暗優秀はてな民の怨嗟
5. 横溝正史の読み過ぎ
9. 田舎=アウトドア、という短絡的なイメージを持つインドアもやしっこの勝手な恨み
11. 「田舎ぐらしっていいよね!」系エンタメの価値観に対するシニカルな視線
13. 田舎で何か嫌なことがあった
14. 肥溜めに落ちた
15. 被曝した
16. 大量殺人鬼に出くわした
17. 羆に殺されかけた
18. ある村に迷い込んだら不思議な力により出られなくなった
19. 田舎の家に泊めてもらえれば、その家の娘(処女)にサービスしてもらえるという雑な藤子不二雄A的期待感で行ったけどなんもなかった
21. 天狗が出る。
●会話が下手、弾まない、つまらない、
それは◯◯が出来てないから。ただそれだけだ。
これさえ出来れば激変するから、とりあえず読んでみてほしい。
「まず相手に興味を持て。」じゃないと始まらない。
…んなこと言われたって、興味の持ち方分かったら苦労しないよな。
そんなことでお茶を濁すことはしない。俺もこの手の啓発本は沢山読んできたからな。
ここで終止する本は、クソの役にも立たん。
●そうじゃない。
会話ベタに意識して欲しいのは、『会話の内容を相手に絡める/自分の気持ち・考えを織り交ぜる』これだけだ。
これが、会話が弾む奴と弾まない奴の決定的な違いだ。
「普段何してるんですか?インドア、アウトドア?→んーわりとインドアかな→家にいることが多い?→うん→家の中で何してるんですか?→映画見たり」
そもそもこんなインタビュー誰にでも出来るのであって、それでは、相手は「お前」と話してる意味が無い。
(この例示は相手も話下手)
そうじゃなくて、話題に対して、自分が相手に対してどういう印象を抱くか、話を聞いてどう思うか/考えるか、を中心に展開する。
「普段何してるですか?インドア?アウトドア?→んーわりとインドアかな→筋トレとか?笑→いや、筋トレはしないかなw 映画見たりしてる→うそ、鍛えてそうなのに笑→なんでw→映画だと何見るんですか?」
こんな感じで、自分が相手に対して抱く印象を適当でいいから冗談っぽく織り交ぜていく。
だから会話しつつ自分が相手に抱く印象伝えたり、逆に自分の気持ち/考えを伝える。
それがない質疑応答みたいな、インタビューみたいな会話が、盛り上がるはずない。
オウム返しとか5W1Hとか事務的に会話を広げるテクニックなんか会話で悩んでる人間には、糞の役にも立たん。
逆にこれさえ出来れば会話は弾む。もっと言えば、同時に自分のことも相手に伝えてほしい。
自分のイメージ、考えを伝えることを通して、相手の価値観を知り、同時に自分をアピールする。魅力ない人間とわざわざ関わろうとは思わんからね。
●逆に話題がない場合、自分が相手に抱く勝手なイメージを前提に話進める。
おしゃれですよね!表参道とか青山にいそう→いやいやw あんまり行かないかも、地元が多い→そうなんですかw→買い物とかどの辺でします?
基本相手をヨイショしつつ、楽しい雰囲気を出しつつ、多少小馬鹿にして立場を同等(あるいはこっち主導)にしつつ、話をする。
共通点を探すのも大事。ただ、それだと共通点がない相手とは会話が出来ない。でも、自分のイメージは自分固有のものだし、考え方もそう。
人は互いにバックグラウンドが違うがゆえに、今の思考/気持ちも違うし、会話を通してそれを知れば、あるいは知ってくれたと思えば、仲良くなれる。
●会話が下手な奴はこれが出来ない。
その背景には、トラウマ、自己否定、劣等感がある。こいつが厄介だ。
なので、アサーション(相手と自分の立場が同等であるということ)を感じる必要もある。この辺に関しては今は言及しない。
とりあえず上記のことを意識してみてほしい。
二次元美少女はブスやムダ毛などの外見上の欠点が無いし、老化しない。
現実の女は、当然外見的な欠点があるし、どんな美人でも老化から逃れることはできない。
あとはやっぱりメンタル面ですね。
フィクションの女性キャラクターはいつも明るく素直で優しくて元気、人によって態度を変える差別をしたりしないけど、
現実の女は「いつも」明るく居るのは難しいし、好きな人か嫌いな人かで態度が変わったりする。
「男性から見た性格の良さ」って意味では、どう頑張っても勝てないし、勝とうという気力も起こらない。
というよりXVIDEOSみたいな「無料エロ動画プラットフォーム」かな。
新しい裸がワンクリックで次々と観られるなんて、現実と比べて、コンテンツとしての力が強すぎる。
AV女優の容姿のレベルも上がっているし、私だったら絶対に応じないような不快なプレイにも、
私よりずっと若い美人さんが果敢に、けなげにチャレンジしている。
それにこれから、4K8Kの動画が出てくるんでしょう?撮影技術や女優さんの質も、まだまだ上がってくんでしょう?
エロ動画は男性にとって完璧に都合がいい。太刀打ちできるわけない。試合放棄。お手上げです。
元彼とはセックスする仲だったけど、全く気持ちよくなかった。
元彼は私と付き合う前から非童貞だったし、コミュ障でもないし、クンニまでしてくれるような人だったので、
それに男性でも、本音を言うとセックスよりオナニーの方が気持ちいいという人が多いようだし、
「リスクがある上に気持ちよくも無いので不要」という感覚の人は男女共に増えるんじゃないかと思ってる。
「なんで男って察してくれないの!女の気持ち分かってくれないの!」と怒っている若い子も居るけど、
脳が違うんだから、怒ったって無駄じゃないかなと思うし、ストレスが貯まるだけだと思う。
だいたい私も「男の夢をかなえろ」とか言って顔面射精を求められても絶対にお断りだし、
逆の立場でも、現実の男に自分の願望を押し付けるなんてしたくない。
「コンテンツ」と「生きた人間」は根本的に違うと思ってるし、他人の人格は出来る限り尊重したいよ。
人は家族をつくり子供を持たないと幸せになれないという考えが根強いけど、ピンと来ない。
育った環境の違う他人と同居して負担に感じるよりは、一定の距離感を保って広く浅く付き合ったほうが快適な気がする。
女性の先輩が、息子に熱心に幼児教育しているのを見ていても「こんな歳からグローバル教育とかしていないと、
この子たちが大人になる頃、自力で生活していくなんて無理なんだろうな」と思う。
そして凡庸な母親のDNAと手抜き教育を受けた子供は、大人になって苦労すると思う。
だったらもう、要らないやという感じ。子供に可哀想な思いをさせるくらいなら、私が孤独な方がましだし。
図書館に行ったり、DVDを借りたり、YouTubeで音楽を聴いたり、同僚とランイベントやリアル脱出ゲームに参加したり、
美術展に行ったり、旅行をしたり、娯楽の選択肢が本当にたくさんある。しかもお金もそんなにかからない。
シンプルライフ的なものにも憧れがあって、母親と一緒にインテリア雑誌を読んだりして。父親とスキーに行ったりもする。
(父親はバブル世代なのでスキーに行きたがる。同年代にウィンタースポーツはあまり人気がない)
男性向けにもゲームとかスポーツとか、インドアなものを含めても、いろんな娯楽があると思う。女性向けより幅広く、深いくらいなんじゃないかな。
そういったものに没頭していたら、異性に割く時間が無くなってしまっても仕方がないと思う。
私は元彼に会うたびに仕事の愚痴を言われて、仕事が終わったあとの自由な時間が削られている…という感覚がすごくあった。
男友達からも、元カノには電話で八つ当たりされたり愚痴られたりして、面倒だったと聞いた。
恋愛体質の人って、とても愚痴っぽい傾向がある気がする。しかも恋人に負荷をかけてる自覚があんまりない。
「恋人なんだから、困っているとき支えるのは当然」みたいな意識というか。
上手く行っている「支えあい」の関係って、あまり見たことがなくて、たいていはどっちかが延々と聞き役になってる。
私は「支える」「救う」みたいな要素の無い、淡白な人間関係の方が合っていると感じるので、恋愛は向いていないんだと思う。
独身・子無しでオッケーって主張すると、両親や自分の介護が必要になった時どうするんだって言う人が居るけど、
私の場合は、両親は有料老人ホームに入れるくらいの貯蓄があるし、私も自分の分は賄えるようにと貯金してるよ。
それに、介護問題って結婚して解決するようなものなの?女の立場だと、結婚によって親が4人になって、負荷は増えるよ。
自分の介護を子供にしてもらうっていう考え方にも賛同できないな。そんな風に育てられる子供が可哀想。
行き詰らないねぇ。
大抵のスポーツは趣味レベルなら40半ばまでできるし、元気なご老人はマラソンも水泳もスキーもゴルフもやってるよね。
あるひとつの趣味で飽きたら次に移ればいいし、常に新しい物を追いかけていれば、時代の進歩にともなって新しい趣味が次々に出てくる。
これを隅々まで味わいつくすには、こまごまとしたメンテが必要な「女」という存在は、ぶっちゃけ邪魔なんだよね。
もちろん仕事は別にやるんだよ。仕事以外の貴重なプライベート時間をどう切り盛りするかって話。
女のお世話が趣味だって人はそれでいいと思うけど、女のお世話する暇があったら自分の趣味に時間を取りたい、
って人間にとって、女は要らないんだよ。
以下のように分けて話を進める。
■オタク…1つの趣味に深くハマった人を指す。趣味の内容は主にインドア系・文化的なものだが、幅広く多様なジャンルがある。
例えば海外ドラマオタク、洋楽オタク、韓流オタク、漫画オタク、アメコミオタク、ゲームオタク、アニメオタク、エロゲオタク、鉄道オタクなど様々。
■サブカル…オタクの中でも、いわゆるカウンターカルチャー(マイナーだったり前衛的だったりする作品)が好物の人を指す。
漫画だと有名になる前の松本大洋、つげ義春、ガロやCOMやアックス系
雑誌だとコンテニューやスタジオボイスやクイックジャパンやバーストなど
音楽だと渋谷系、テクノやニューウェーブやポストロック、有名になる前のレディオヘッド、ドラムンベースやクラブミュージック、じゃがらたなどの前衛音楽
映画だとタランティーノやB級映画、ニューシネマ系、売れる前のピータージャクソン、デビッドリンチやホドロフスキー監督などの前衛作品
アニメだと東京ゴッドファーザーズ、パプリカ、ナウシカ、ラピュタ、アキラ、マインドゲーム
その他、ドラッグ、SF、エロ、特撮、MOONやLSDやシルバー事件みたいなゲーム、レトロゲー好きなど
■キモオタ…オタクの中でもカーストが最下位の、狭い意味で言われるオタク。美少女が出るアニメ(深夜アニメに多い)が好き。エロゲが好きな場合も多く、美少女フィギュアを持ち壁紙にしてたり抱き枕を持ったりする。
以上の3つ。
狭い意味でのオタクは「キモオタ」で、広い意味でのオタクは、サブカルも内包する。
一般的に気持ち悪がられるのは狭い意味のオタク、つまり「キモオタ」だけである。
ではキモオタとサブカルとの差はいったい何によって隔てられているのかというと、
それは実は「アニメキャラが性欲の対象であるか」という点だと断言する。
アニメの女の子に程度の差こそあれ欲情しているのがキモオタで、一般人からすると物凄く気持ち悪い。
サブカルは「作品」として一歩離れた目で見ており、たとえ作品の中の女の子がかわいいと感じてもあくまで作品の評価のひとつであり、
あえてポスターを集めたりフィギュアを収集することは基本的には無い。
キモオタは作品の中のキャラに少なからず欲情しており、コンテンツの消費目的の殆どが作品の中の美少女である。
性欲がモニターの向こうの世界なので現実の自分の服装などを気にすることも少なく、現実の女性に対してアクションを起こすことは殆どない。
ジブリの宮崎駿カントクがクリエイターとして「オタク」を批判していたが、あれはいわゆる「キモオタ」を批判していたのだろう。
宮崎監督自身は「オタク(サブカル)」ではあるが「キモオタ」ではない。
エヴァの庵野監督も「オタク(サブカル)」ではあるが、「キモオタ」ではない。
キモオタだとその自己の性欲の対象としてコンテンツを消費しているので、なかなか作品自体の創り手として大成することは難しいのだろう(とパヤオ監督が言ってると理解した)
実際にコンテンツ業界にいると、オペレーターや作業員レベルではキモオタが居ることがあるが、ある一定の地位以上になるとキモオタは激減する。
作品をクリエイトするのは作品自体に興味を持つサブカル層の方が圧倒的に有利なのである。
(もちろんキモオタでありつつサブカルという変異種も存在するし単純に区切れない事もあるので、例外の話はここではしないでおく)。
最近「オタク」という言葉が市民権を得てきたのは色々な理由があるが、そのうちのひとつとして、「まどかマギカ」みたいな、
キモオタの好きそうなロリッ子少女たちが活躍するアニメのくせに、ストーリーや演出など作品としての完成度が非常に高いものが多数出てきたというものがある。
(当然ながら「エヴェンゲリオン」の影響が一番デカい)
http://www.health-net.or.jp/tobacco/product/pd100000.html
じゃあ超特別大サービスで、2人に1人は子供が要らないとして、タバコをすわない6人のうち3人が生き残る。
ここまでで7人が脱落。残り3人。
タバコを吸わない=健康に気を使ってる=体脂肪率低いに決まってるとして体脂肪率の選別はオマケしよう。
小遣いが2万円以下なのは
http://www2.fgn.jp/mpac/_data/8/?d=201009_19
約20%。20代のうち22.7%が不満であると答えている。どの小遣い額層で不満が多かったかは書いていないが、
推測としては金額が少ないほど不満率が高い可能性がある。が、ここは大負けに負けてどの金額層でも均等に不満分子がいるとして
小遣い2万円以下のうちそれで満足できるのは77.3%とする。20%の77.3%だから約15%の人が小遣い2万円でも問題ないとしているとする。
先ほど生き残った3人のうちの15%、つまり10人中0.45人が生き残るわけだが、これだとわかりづらいので、1000人中45人が生き残り、955人は脱落している。
そのうち「親と距離をおきたい」人が何人いるかというと、なかなか近い統計はないけど
http://www.alsok.co.jp/company/news/news_release_details.htm?alpc_news.news_detail%5Bid%5D=2642
↑「自分の親が老いた時、同居したいか」だと、男性のうち6割が同居したい、4割が同居したくないなので、
残り45人のうち6割の27人が脱落、のこり18人。
インドア派かどうか? これは小遣い2万以下で満足するようなのはきっとインドア派なんだろうとして割愛。
そして最大の難問
男性1000人のうち982人を振って、残り18人があなたを好きになってくれる確率だ!
もし相手もあなたと同じように何か相手に対する条件を持っていたとして、それがあなたと同じように1000人のうち18人しか生き残れないようなものだとしたら、
http://b.hatena.ne.jp/entry/president.jp/articles/-/13600
恐らく階段を想定しているんだろうという前提で。
http://b.hatena.ne.jp/aureliano/20141006#bookmark-230985653
ぼくも絶対に助けませんね。助けようとして何度か断られたからです。逆に聞きたい、なぜ断るのか。断られるともう二度と助けようという気にはならないですね。ちなみに外国人の女の人は断らないです。
子供が居ない人にとっては意外かもしれないけど、子供を抱っこしながら畳んだベビーカーと荷物を持って階段上り下りってのは
妊娠中とかヘルニア持ちとかではない健康な(つまり、大多数の)母親にとっては簡単なこと。
勿論誰かに持って貰った方がより楽には違いないけど、そもそも自分の荷物を赤の他人に持たせるというのに抵抗があるのに
それを押してまで赤の他人に持って貰いたいと思うほどの事じゃない。
と言うと「お前みたいなのが断るから本当に困ってる母親への手助けが減るんだ!必要無いと思っていても断るな!」と言う人が出て来そうだけど、
それでもし壊されたり荷物持ち逃げされたりしたら困るのはこっちなのでそこまで強制されたくはない。
何故簡単かと言うと、大多数の母親は軽量型ベビーカーを使いつつエルゴを持っているから。
ベビーカーには軽量を売りにしたものが多数あり、日本メーカーだと主力商品となっている。
大体5kg以下・中には3kg以下というものもあり、この手の物は女性でも楽に運べる。
元々頻繁に持ち運ぶ事を前提として作られているので、片手で楽に畳めて畳むと高さも減りコンパクトになるのも特長。日本の技術凄いね。
上で「外国人は断らない」とあるけど、恐らく外国製のベビーカーはそういう機能を売りにしてない、重くて畳めず持ち運べない物が多いから。
(外国人でも日本製の軽量型を使っている人も見るけど。観光客ではない日本定住者ならそっちを選ぶ人もいるんだろう)
日本人でも外国製重量型を好む人もいて、階段で自力で運べず他人に頼むのはそういう人も多いだろうけど
「ベビーカー」は必需品だけど、「重くて畳めない持ち運べないベビーカー」は都心部じゃ別に必需品じゃないしね。
エルゴってのは今や街で見ない日はないくらい大人気の抱っこ紐で、登山用リュックの構造を応用し肩ベルトの他に腰ベルトが付いているのが特長。
子供の体重を肩と腰に分散するので見た目よりずっと負担が少ない。
私は運動なんぞ体育以降ろくにしていないインドアヲタBBAだけど、それでも10kgくらいなら余裕。
エルゴがあまりに売れすぎたため、今では別メーカーの抱っこ紐も似た構造のものが多く、腰ベルトの無い古い型の抱っこ紐は殆ど見かけない。
荷物だって重いものを持ち歩かなければならない場面は殆どない。
いくらでかいママバッグ持ち歩いているとはいえ、中身のうち重いのは調乳用の水筒(これも母乳だから持ってないと言う人も多い)くらいで
おむつや子供の衣類なんかは嵩張るだけで大して重くはないし、ママバッグ自体も(これもベビーカーと同じく)軽量を売りにしたものが多数出ている。
買い物にしても今時は殆どのものが通販やネットスーパーで買える。実物見て買いたい場合も実店舗で確かめた後にネットでポチりゃ済む。
かなり長くなる、長文失礼
日曜の夕方、自宅近くのタバコ屋で女性店長と他愛ない話をしていた。
暇な時はだいたいタバコ屋にいるのだ。
お茶とか出してくれるんだよね。
まぁ昨今タバコ屋も暇なんだろう。
大変そうな仕事だな、と思った。
可愛らしい、女子高生だろうか。
化粧もまだ知らないんだろうけど、スッピンでも十分美しいんだ。
そう、私はこの女の子を知っている。
ほぼ同時に「「あっ!!」」と叫んだ(携帯小説的な演出すまぬ)
JK「警備員さんじゃないですか!」
少し昔の私の話をしよう。これもまた長くて申し訳ない。
20代前半の頃
ひたすらモンスターを狩猟するのが主なライフワークだった。完全に社会のゴミである。
そんな私に、仕事の依頼があった。
で、JKが言っていた「警備員さん」という仕事をしていたのだ。
とは言えインドアで貧弱な私が「警備員」などという物々しい仕事をしていたわけではない。
要するに田舎すぎてバスもないような地域で、しかも高齢者が多いと
不便過ぎるこの地域をなんとかしたいって事で「便利屋」みたいな器用な人を
別にどこをという事ではなく、ワンボックスで町を走って何かトラブルないかとか
車出して欲しいって言われたら出したり、あとはPCのトラブルなんかも多かったな。
そんな感じで不便な所を無くすっていう仕事だ。よくわからないだろう。俺も今思い返してもよくわからないんだ。
で、事務所なんてオシャレなものはなくて基本的にやる事がない場合は交番にいたんだ。
田舎の交番なんで、駐在さんが一人いるだけで、駐在さんが外出してる時に
なんかあった時に誰か対応してくれる人がいると助かるって事で
それが今回の件の女の子
曰く、「学校に行けば同い年の人はいっぱいいるけど、地元に若い人がいなくて寂しい」という事だった。
町の警備員さんとしてそこそこ顔も広くて、場所が交番という事で
別に私としてもいかに若い女性がいない地域だからって女子中学生をどうこうしようなんて思わない。
その仕事は結局、採算が取れないという事で(まぁ基本的に全部無料でやって私に安いけど給料払っているのだから当然だ)
一年もたたずに無くなってしまったが、その時は町内の皆さんに随分と惜しまれたものだった。
正直悪くない経験だった。
その後、上京してベンチャーでWEB周りの仕事を色々とこなしているうちに
気づけばインターネット系の一部上場企業でWEBを主体としたコンサルタントをやっている。
まぁ当時のニートあがりの貧弱ボーイが
数年ぶりの再会という事である。
今は寮みたいな所に住んでいるらしい。
正直、典型的な「田舎の女の子」がこんなに垢抜けるとは、女ってのはわからんもんだ。
JK「お仕事中ですか?」
突然お客さんから呼び出される事もあるというのと
私「いや、普段着がこんなもんだよ。服のセンスないからね(笑)今日はお休み」
ここまでで、数年ぶりの再会で色々と話していたわけで
JK「あ、ここの配達したらそのまま直帰なんです」
やはり都会というのはすごい。
話は延々と弾む
私「長々と話に付き合ってくれてありがとう」
連絡先とか聞いてもよいものか、アラサーのおっさんが女子高生に連絡先を聞くというのは、客観的に見てどうなんだ。
と、思考していたら、ふと気づいた
足に包帯を巻いている
私「その足はどうしたの?」
JK「練習中にやっちゃって・・・部活出れないからバイトしているんです」
おいおい・・・。怪我しているなら療養してないとダメじゃないかと思いつつ、そこはあくまで紳士的に
私「じゃぁその寮とやらまで送るよ、都会とは言えこんな時間に女の子一人じゃあれだし荷物持つよ」
JK「いえ、そんな悪いです!」
本当に悪いと思っているのか、嫌なのか・・・。悩む
店「送ってって貰いなよ。やっぱり女の子一人は不安だし、この人ちょっと変だけど不埒な事はしないから、ねっ?」
Jk「警備員さんは不埒な事なんてしません!ただ本当に申し訳なくて・・・」
私「申し訳ないと思うなら是非送らせて欲しいな。ここで君をそのまま放り出す方が私には負担になってしまうよ」
いや、下心がないかと問われれば、ないとは言い切れない。
礼儀正しい娘である。まぁ言っても彼女の両親の事も、なんなら両親のなれそめまで知っているわけで
幸い嫌悪感は本当にないようだった。
JK「こっちですよ?」
私「あぁ、いやタクシー探しているんだ」
JK「私タクシー代なんて払えませんよ!」
JK「ダメです!警備員さんにタクシー代払ってもらうわけにはいかないです!」
ううむ、まぁ言わんとしている事はわかるのだが、タクシー代なんて気になる額じゃないのだが・・・。
私「じゃぁ寮までお姫様抱っこする?」
JK「無理無理無理!なんですかそれ!」
私「いや冗談だけど、じゃあ荷物持つのと、私の肩を杖代わりにするぐらいで妥協して貰えないか?」
JK「そ、それなら・・・わかりました。」
という事で歩き始める
寮とやらは歩いて20分ぐらいだと言う
帰り道も色々な事を話した。
私は相槌を打ちながら、雑談を噛み締めていた。
ずっとこうしていたいな、と心底思ってしまうゲスな自分がいた。
金銭的に厳しいようだ。
そりゃ親元離れた学生なんて生活に余裕がないだろうなぁと思いつつ
なんとか自分が力になってあげれないかと提案を考える。
提案は仕事のうちだ。得意分野だ。
しかし、どんな提案しても援助交際みたいなトークになってしまうのは
どうしようもない。
そこは諦めよう・・・。
ついに寮に到着した。
意外な事に、そこそこ立派な一軒家だった。
この一軒家に部活仲間と暮らしているそうだ。ルームシェアみたいな事なのか、一応学校公認という話だが、どんな学校なんだ?
JK「よかったら上がってください」
私「え、いや、普通に考えて学校公認となると男子禁制だったりしないのかい?」
JK「基本はそうです。でも警備員さんならいいんです」
入ってみると、きちんと手入れがされている、普通の一軒家だ。
そんなに悪くないのかと思案した。
JK「ここが私の生活スペースです」
絶句した。
『ここが』と言われた、そこは
そこにベッドと狭い机がかなり無理な感じで並んでいるだけだ。
GTOかな?
バカな事を考える。
私の思っている事がモロに顔に出ていたらしく
JK「確かにちょっとあれですけど・・・こんなに高そうな物件で家賃2万なんです。住めば都ってもんですよ」
確かにこのあたりで一人暮らしをしようと思ったら
どんなに安いアパートでも6万はかかって、さらに光熱費がかかるから
2万を私に払って2DKとかに一緒に暮らさないか?と提案したくなる。
それはいくらなんでもNGな事ぐらいわかっているから思っただけ。
色々と思案していると男の声がした
「なんだこの怪しいおっさんは?おいJK、部外者は立ち入り禁止だろ」
JK「この人は私の恩人なの!あんたこそここは男子禁制なんだからね!」
DK「つってもMTGとかここでやるのに男子禁制も糞もないだろう」
運用上そうもいかないというのが実情といったところか
私「はじめまして、DKさん。私は○○○という会社でコンサルタントをやっている警備員と申します。名前だけでも覚えていただければ幸いです」
DKは明らかに動揺している。それはそうだ。ビジネスライクな物言いされたのなんて初めてだろう。
別に怪しいおっさんと言われた事に腹を立ててわざとやっているわけではない。恐らく。
彼はどうやら聞いた事のある会社名と、コンサルタントというよくわからないけど、普通のサラリーマン以上の何かである事は察したようだ
罰が悪そうに言う。
こいつ殴っていい?
って言うわけにはいかないので、JKにアイコンタクトしてみる。
JKは申し訳なさそうな顔をしながら胸の前で小さく指でバッテンをしている。
どうやら奇跡的にアイコンタクトが通じたようだ。あるもんだな、こういう事って。
JK「もう、いいから!私の個人的なお客さんに失礼な事言わないで!あんたこそMTG終わったんだから自分の寮に帰ってよ!」
DK「ちっ、わかったよ。」
と言って、私を睨む。可愛いもんだなぁ。嫉妬しているんだろう。
睨みながら階段を降りていく。器用だな。あ、こけた。
バーカ
JK「すいません。あいついつもあんな感じで・・・失礼しました」
私「まぁ彼の気持ちもわかるよ。意中の娘に変な虫がついたんじゃないかって危惧しているんだろう」
JK「いちゅうのこ?どういう意味です?」
気づいてないようだ。
好きな女の子に冷たい態度とっちゃう思春期特有のアレである事は一目瞭然だが・・・。
落ち着くわけがない。
私「晩ご飯とか、どうしているの?」
JK「誰かが作る事もありますけど・・・誰も作らないならパスタとか茹でで食べますよ」
出た!パスタ!
だいたい水泳なんて体が資本じゃないか、そんな食生活でいいのか。
それは知っているが・・・。
奢るというとまた、あんな感じになるのは明らかである。
私「私は、君にとって親戚のおじさんのようなものなのかと思っているのだけど、親戚のおじさんにご飯奢られるのは嫌?」
JK「いえ、そんな事はないですけど、警備員さんは親戚のおじさんじゃないし・・・・」
私「例えばの話だよ。でも私がおじさんだろうが、おばさんであろうが、例え私でなくても大人の人とご飯行ったら素直に奢ってもらうのも子供の仕事じゃないかな?」
JK「もう子供じゃないですよ!!」
超カワイイ
私「これは失礼しました。ではレディーの嗜みとして私にご飯を奢らせていただけないでしょうか」
私「まま、久しぶりに会った、他人というほどお互いの事知らないわけじゃなしに、気軽な感じで行こうよ」
JK「わかりました・・・」
さて、どこでご飯食べようかな。
JK「あそこのサイゼリアとかどうです?」
私「ごめん、サイゼリアは親の敵だから行けないんだ。」
JK「は、はぁ?そうなんですか・・・。」
もちろん嘘だ。
サイゼリアとか勘弁してくれ。
不味いとは言わないが、男の品格を下げる。
JK「好きですー!時々贅沢して友達とくら寿司とか行きますよ~」
JK「でもお高いんでしょう・・・?」
意味をわかって使っているわけじゃないんだろうけど、クスリときた。
私「銀座の寿司とかだとさすがに二の足踏むけど、これぐらいは大丈夫だよ」
JK「そうなんですか・・・?」
やはりというか、値段を見て引いている。
私「何か食べれないネタとかある?」
JK「ありませんけど・・・・・?」
私「じゃ、大将~お任せで二人分握って貰えます?」
大将「あいよー」
JK「ちょちょちょ!お任せなんてしたら平気でいちまんえん超えちゃいますよ!」
いちまんえん・・・
私「あ、好きなものあったら別で頼んでもいいよ」
ここは無視してみる
私「今日は気分がいいから、大吟醸貰おうかな、辛めのやつあります?」
「ありますよー」
JK「聞いてください警備員さん!」
私「この大吟醸一杯で2000円するからいちまんえんなんて普通だよ」
JK「私、帰ってもいいですか?」
私「もう頼んじゃったし、私は小食だから二人分も食べれないよ?」
JK「でも・・・」
私「ここで帰っても支払う額は変わらないよ。お土産に包んでもらう事はできるだろうけど」
JK「本当にいいんですか・・・?」
ようやく納得したようだ。
気にしない事にした後は、さすがに回らない寿司のクオリティーに満足しているようだった。
JK「そういえばDKに渡していた名刺、私にも貰えませんか?」
JK「有名な会社ですよねー?コンサルタントってどんな事をするんですか?」
私「頑なに色々な事を断る女子高生を無理矢理に寿司屋に連れて行ったりするお仕事」
って言ったら『ぷくー』ってしてた。カワイイ。
私「でもね、本当にそういう事なんだよ。臭い言い回しだけど、お客さんに喜んで貰える為ならなんでもするって事なんだよ」
そう言って、彼女は何かに納得したようだ。
JK「あの、LINEとかでもいいので連絡先教えて貰えますか?」
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
会話しながら、お寿司を食べる。
彼女は大変満足したらしく、もう10時を回ろうかって時間になったのでお会計をした。
お会計の値段は伏せようと思ってたけどピッタリ張り付いて伏せさせないぞと目が語っている。
本当は失礼なんだよ、それは・・・。
まぁ彼女がそれで納得するならそれでいいかと思ってたが
予想以上の値段だったらしく、また平謝りした。
私「あのね、食べた量は半々かもだけど、私が飲んだ分があるからこれぐらいの値段なの、気にしないの、もうやめようよそういうの」
JK「ううう・・・・。頭ではわかっているのですけど、なんとも言えない気持ちが・・・」
まぁこれも社会勉強だとかなんとか言って、とりあえず納得させた。
店を出るともうすっかり夜もふけてほとんどの人は帰宅すべく歩を進めている。
私「寮まで送っていくよ」
JK「それは申し訳ないです」
何回このやり取りをさせる気だろう。
私「じゃぁ帰宅する君の後ろを寮までピッタリついていく」
JK「それはストーカーですよ!」
渋々と納得したらしい。
知られている事自体を嫌がられたわけじゃなくてよかった。
寮の前に着いた。
彼女は照れくさそうにこちらを見返した。
JK「今日は本当にありがとうございました。警備員さんとお話できて嬉しかったです。またご飯に行きましょう」
私「うん、また行こう」
私「そうか、サイゼリアは親の敵だけど、私はミラノ風ドリアが大好きなんだ」
二人とも、別れを惜しむかのように子供みたいなやり取りが続く
私「もう遅いから、私は帰るよ」
JK「あ、そうですよね・・・」
彼女は何かを考えているようだった。
私「答えられる事であれば、なんでもどうぞ」
ドキっとした。
まぁいないんだけど。
なんて答えたもんだろう。そしてこの質問の意図はなんだろうと考えると
JK「あ、そうなんですね」
私「私からもお願い聞いて貰えるかな」
JK「は、はい」
私「そう、だから、お願いしているの」
彼女はしばし思案した後に、私が遠回しに伝えた事を理解したらしく
赤面していた。
JK「私じゃ・・・」
私「そう、私にしてみれば君はまだ子供なんだよ。それは事実だから」
JK「???」
不思議そうな顔をしている。
私「君が、自分が子供じゃないと言っていたけど、そう言うのはまだ子供な事を自覚しているんだと思う」
JK「そうなんですか?よくわかりません・・・。」
私「そういう事にしておこう、で、もしも君が自分はもう子供じゃないって自覚したら、その時に私がさっき言った事を思い出して欲しいんだ」
JK「よくわかりません・・・」
私「そうだよね・・・。うん、はっきり言うと、今の君と私が付き合うのは私が犯罪者になっちゃうからそれまでは待とうと思うんだ、そして君が高校を卒業した時に改めて私は自分を売込みに行くよ。コンサルタントとして」
JK「わ、わかりました!」
サイゼリア好きなんだな。
私「じゃぁまた・・・。あ、そうだ」
JK「はい?」
私「私はもう警備員じゃないけど、あの頃のように君が困っていたらすぐ駆けつけるよ。困った事があったら相談してください」
JK「わかりました!警備員さんはいつまでも警備員さんなんですね!」
私「そういう事だね。じゃぁ名残惜しいけど、今日はこれで」
そして私は道路の前でしばし何かを探す。
それを見つけたので手を上げる。
彼女は複雑な顔をしている。
私「また怪我している君にあったらもう文句を言わせないよ」
そう言って、私はタクシーに載って帰路につく
JK「やっぱり警備員さんは意地悪だ」
彼女は満面の笑みでそういった
バックミラーを除くと