はてなキーワード: 食虫植物とは
柔らかな日差しに誘われて、国道沿いのホームセンターにカチコチに乾燥した水苔を買いに園芸趣味者たちが群がる季節。
大小さまざまな植物の即売イベントがいたる場所で開催されて、奇妙な蘭に、雄々しいユーフォルビアに、グルメな食虫植物に、大いなる眠りから目覚めた塊根植物に、それから…なんだかよくわからない多肉植物にも、冬の間に貯めこんだ札束が飛び交う季節。
園芸趣味者のXを見れば氷漬けだった2月の頃が嘘のような狂乱騒ぎが繰り広げられている。
だがタイムラインの百花繚乱をよそに、ザコ園芸趣味者はボサッとしていた。ザコ園芸趣味者だからだ。
起きたらベランダの窓を開け、曇天の続く空をギラリと睨みつけ、空気の匂いを疑わし気に嗅いだあと「まだ寒い」と一言つぶやいて窓から顔を引っ込め、布団に再び潜り込む。
たしかに、背後ではいよいよ植え替えせねばならないアンスリウムが列をなしている。だが!まだ今日はその日ではない。
植え替えは根に負担が掛かる。そこにこの3月の花冷えが悪さをしたら…考えただけでも恐ろしい!春はともあれ、慎重が一番なのだ。
じっさい、ザコ園芸趣味者の「庭」はこのapple社製の数インチのスマホの中にあるといっていい。
立ち並ぶサムネイルは確かに春が到来していることを告げている。
同じころに園芸を始めたはずのあの人はいつの間にかマダガスカルから輸入されたベアルートの発根に取り組んでいるし、別の園芸素人を自称するあのひとは自宅で細胞培養するための無菌培地づくりに悪戦苦闘しているらしい。
多肉植物のために家の隣の空き地を買って温室を建てたり、熱帯植物のために加湿器を鉢の数ほど並べてフル稼働させていたり、YouTubeを始めたり、3Dプリンターでオリジナルの鉢を印刷していたり。
しかしザコ園芸者は焦らない。どうせまだ―何らかの不思議な力によって―私の家まで春は来ていないのだから。
そうは言ってもせっかくの休みなので何か園芸趣味者らしいことをしたい。
そうそう植え替えの準備をしなければ。赤玉土はまだあったはず…あれ、なんでパーライトが二袋もあるんだ?いやこりゃゼオライトじゃないか。鹿沼土は中粒はあるが、小粒が無いな。しまったまた買ってこなくては。
ザコ園芸趣味者は去年の今頃の記憶を掘り返して何を揃えなければならないかリストを作る。自分の頭はどれほど掘り返しても「水はけがよく、水持ちがよい用土」にはなってくれない。
コストコのレシートのように長いリストが出来たら、せっかくだから車で1時間くらいの大型園芸品店まで繰り出そう。
細君が椿を育てたいというから助手席に乗せて、行く途中でスタバによって、春限定のなんか良くわからない甘いやつをドライブスルーで買ってもいい。たいていピンク色をしている。
ところで、園芸趣味者はたいていのものが罹患している病気がある。うどん粉病と、この世のすべてのものが園芸用品に見える病である。
セリアのメッシュのキッチンツールスタンドを見ては「こういう鉢なら根腐れ防止にいいかもしれん」と唸り、アウトドアショップの合わせ焼き網を見ると「間に水苔を挟んだら立派な着生材だ!」と喜び、食器を見ると「味のある素晴らしい器だが…残念なことに底に穴が開いていないな」と心底悔しそうにする。
一切万事がそんな具合だから、ほんものの園芸店に入るとしばらくは感動で身震いが止まらない。
買わなければならない諸々のリストをほっぽり出して店内の隅から隅まで踏破しなければ気が済まない。
ついてきた細君は腕組みの位置がどんどん高くなる、が、あの高さならまだ大丈夫。先週はフランフランで同じように待たされたのだから、気にすることはない。
散々待たせた挙句、買ったのは近所のホームセンターでも買える用土の類ばかりだ。
あきれて無口になってる細君に向ってザコ園芸趣味者は満足げに言う「立派な亀甲竜があったね!うちのほどじゃないけど」
家に帰るとザコ園芸趣味者は買った椿に水をやる細君に講釈を垂れるのを忘れない。
「おやおや水をやるときはちょろっとじゃいけないよ。鉢底から水がしっかりあふれるまでじゃないと。そしてよく乾くまで水をやるのは辛抱すること。今日買ったのは花芽のついた枝差しだから今年は開花するだろうけど来年からは…」
すべての講釈を聞き流した妻が適当に世話をした椿がつぼみを綻ばせるころになっても、ザコ園芸趣味者が丹精込めて世話をするオペルクリカリア・パキプスは休眠からなかなか目覚めてくれない。
別に教えてもいいけど、この中から有用なチャンネルを掘り出すのは結構シンドいと思うよ
はてな的には、徳丸浩のウェブセキュリティ講座 を実は知らない人も多いかも
あと どうぶつ奇想天外 と さまーず は自力で検索してて発見したので、このあたりも知らない人多いと思う
人間がどんなふうにほかの動物や昆虫や植物と領地争いをして虐殺し撃退して寝る場所を確保してきたかを映画にでもすればいいかもね
人間は動植物の生命の循環の成果である酸素ただ一つ以外、ほかの生物一切の生産物を生活環境において取り入れないどころか排除を徹底してるわけで
家の中で落ち葉が発酵してたりキノコが生えてたり鳥が巣をつくってたり他の動物や昆虫と食料の備蓄をする空間を共有してたりしないよね
共生せずに他の動植物を排除して皆殺しにして一切を立ち入らせずそれどころか塵やほこりや風に舞ってくる動植物の破片さえ生活の空間から毎日排除してる
どうして入れないようにしてるの みんなの成育を阻害する密閉空間を地上にみっしりとはびこらせておいたそのうえで動物と共存とかいってるのおかしいよね
自分が手を下していないからいい 土地を切り開いた人間とか工事をした人間とか清掃をしている人間は残酷な人間だから他の生物を虐待しているし許せないけど
その人たちが働いて作った居住空間で他者を排除してのうのうと生活しているのは自然で美しいのかな
それでよく自分の体の内外でさえ多種の生物と生きていて活かされたり殺してもらったり食べさせてもらったり栄養に変換したりその人生で生み出される唯一の個人生産物である排泄物を処理してもらったりしてることを個別の事で一人でやってることだと思えちゃうよね
全部が連綿と繋がってるから利用して得たり奪われたり変化したあとに引き継いだり引き継がれたりするわけだし命が平等だから同じ地上で循環していってると思うんだけど
循環からぬけまーすってそれもう生命を超えた存在になりますくらいのこと言ってる気がするけどやっぱり生きてくためになにかしら食べるんだよね
食虫植物に落ちた昆虫を助けて回ったりナマコに共生してる魚に自立を促したり寄生して行動を制御する微生物とか昆虫とかに権利を説いたりしてるんだと思うけど他の動植物の成果を得るしか能がない人間は動植物になにをお返しできてるんだろうね
仮に動植物がありがとうとか一緒にいてくれて助かるとかいつもお世話になってますと言ってくれるなら、それは人間が何をしたときなんだろね
私は園芸が嫌いだった。
いや、おそらく……嫌いだったのは父で、園芸には興味がなかった。
父が大事そうに育てている花たちに興味が持てず、どの株も同じようにしか見えなかった。
だから最初から農園を継ぐつもりもなく勉強に打ち込み、そこそこいい大学に行って実家を離れた。
それから10年間の間に私は園芸に触れず、父の農場が今どうなっているかにも全く関心を示さなかった。
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ある春の日の仕事帰り、ふと100円ショップでミニサボテンが売られているのを見つけた。
連日の激務で疲れ果てていた私は売れ残っていたのであろう萎びたそれに同情し、自身の安アパートの部屋に連れて帰ることにした。
「生き延びろよ」と声をかけ、俺も頑張るからと心の中でつぶやく。
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しばらくたったある日、異変に気付く。
よくよく見てみると肌にツヤがあり(水を吸ったのだろう)、新しいトゲが頭のてっぺんから生えてきている。
なんだか嬉しくなってしまい、その日は滅多にしない晩酌をした。
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一人じゃ寂しかろうと思い、ホームセンターから別の種類のミニサボテンを連れ帰った。
サボテン入門の本を買い、よく育つよう黒のプラ鉢に用土、肥料も用意した。
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まずい事実に気付く。ベランダが北東向きで日照時間が足りない!
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職場からは少し遠くなったが、ベランダは広くなった!園芸用スチールラックも買った。
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また春がやってきた。
希少なサボテンの種を購入した。多肉植物、コーデックスの種にも手を出した。
種まき後の生存率は5割……初心者にしてはまあまあなのではないか?
日ごとに成長している姿を見せるサボテンの苗たちが愛おしい。
いつのまにかそれぞれのサボテンたちの顔色が少しわかるようになっている気がした。
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婚約した。
婚約者を父に紹介することになり、日程調整のため久々に電話で父と会話した。
インスタやってるよと言われ、写真を見てみる。
「父さん、このサボテンは?」
「え、初耳なんだけど……」
「昔は少しだけだったけど、今は農園の区画が余ってるから趣味のものを増やした」
さらにインスタをスクロールすると食虫植物やら蟻の巣玉やら……まあいい趣味だこと!
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私は園芸が好きだ。
初めて手に入れたサボテンはもう二回り以上大きくなった。
twitterでバズってるけど。
なんか勘違いしてるけど、アンタ、“おもしろ素人”として取材うけただけだよ。
取材依頼はしたけど、キャストとしての出演依頼なんて、誰もしてねえって。
つまり、「月曜から夜更かし」でインタビュー受けて喜んでる素人と一緒。
あんたも「Nくんのコーナーですか?」って、はしゃいでたじゃん。
うちら、謝礼目当てに面白おかしくあること無いこと盛っちゃうようなヤカラの話を載せる二流三流の週刊誌じゃないからさ。
あ、もしかして、食虫植物の専門家として、出演依頼されたとかんちがいしちゃった?
いやいや、専門家が必要だったら、「食虫植物愛好家」なんて名乗ってるライターじゃなくて、大学のセンセーとかさがすから。
あなた、食虫植物の専門家でも人気あるタレントでも腕のある芸人でもないのに、ただテレビに映っただけでなんで金寄越せなんて言えんの?
恥ずかしくない?
せめて、最初に言っといてくんないかな、「アタシは出演料なきゃテレビはでません」とかいう勘違い発言は。
…とかなんとか、誰かが言ってたとか言ってなかったとかいうウワサ。
そういえば、小学生の頃、食虫植物に捕食される妄想で自慰をしていました。
巨大な食虫植物に生きたまま飲み込まれ、まずは着ているものから徐々に溶かされていく。
そんな妄想をしてまだ毛も生えていない、精通前のちんちんを弄っていました。
妄想にはいくつかのパターンがあり、ときにはクラスの好きな女の子と一緒に飲み込まれ、二人で抱き合いながら溶かされ死んでいく妄想もよくしたものです。
初めて射精したときのオカズはたしか永井豪の漫画だったと記憶しています。
タイトルも内容も忘れましたが、女の子が手足を縛られ生きたまま火に焼かれるというシーンでした。
妄想の中で自分はその女の子同様に手足を縛られ、生きたまま火に焼かれてもがき苦しむ。
助けて。あぁ、助けて。
妄想をしながらちんちんをいじっていると、下腹部にむず痒い快感が走り、大量の白い液体がパンツを汚していました。
そんな想い出。
どうも祝辞に賛成する人たちにとってあれに反感を覚える人は知性がない人達らしい。
彼女達の意味する知性とは人間の脳内のネットワークプロトコルの事の様だ
彼女達はおそらく現実に実現にかかるリソースがどれくらいでどういう計画が必要でその為に誰がどう動けばいいのかという事には興味がない。
この世界の人間には自分の言葉が通じる筈、そして思いが通じる筈。誰もが自分と同じ無意識の脳内プロトコルを持っていて自分の所属するネットワークの一部になってくれる筈。
その為なら理屈は飾りで人間の頭がある程度騙されてくれさえすればいい。自分のネットワーク上で生まれた妄想で実現が可能かどうかはどうでもいい
とにかくそのネットワークプロトコルが世の中に伝搬していって中心付近に自分がいる事が分かれば安心する。この安心を守る為にはどんな洗脳だろうと侮辱だろうとしていいの。
そしてこの言葉にできない無意識のネットワークプロトコルに応答するプロトコルを持たない人達は知性がないの
自分の所属するネットワークの理想と妄想を叶える為に大変な事は自分の知らない誰かが苦しんだり汗水垂らして働いたり、事故にあって死んだり殉職したりして何とでもなる筈。
だからみんなでこの無意識のネットワークプロトコルを信じてさえいればいいの
と、自分で書いててもこういう理解不能な行動指針を持っているらしい。
自分の思想に同化しない人間を蔑視し始めるのは危険思想の走りなのだがこのあたりを多分自覚しつつもお花畑に彼女達は住んでいる。
そしてお花畑を拡張しようとし続ける。彼女達がお花だと思っているのは彼女達のプロトコルを理解できない人には食虫植物で命を奪う存在なのだが
別に異端者の命は彼女らはどうなろうと知ったこっちゃない様だ。
そういう思想体系に住んでらっしゃるので適度に自分のプロトコルが人々に信じられていると上手に騙して差し上げれば簡単にコントロールできる。
思えば男に騙される女性はそんな感じで騙されるのだろう。
“恋愛の機微で感情を持ってやるべきだってのも分かるけど、それでは男は女と付き合えない。女なら股をひらけば男をゲットできるが、男は50人に声をかけて1人と付き合えるかどうか。”…あ、割りとわかる
そこまですべきかどうか、気持ちいいかどうかは別として、女の人には「男を足切りしちゃう人(きもちわるいと感じたら即切り。一切の検討もしない)」がけっこうな割合でいて、それさえなくせば形だけでも付き合える人はけっこういるのよね…。男の場合は値踏みと確率があんまり一致しないわけでして…
例えば、男の場合は「美人と付き合いたい」と値踏みする行為自体が女の子から減点(批判)されることはあれど、美人だったらいい恋愛ができるとは限らないわけじゃないっすか。快楽とは一致することこそあれど、美人ならいい恋愛ができる・いい関係になれるは違うし、美人だからハードル高いも違う
極端な話を言えば、美人かブスかは「連れ添ってた時とか、Hした時の興奮」と言う観点での加点はあっても、それが成功率とは絡まない(ブスだったり、トロそうだったり低く見られる女の子が安売りしてる、ハードル低いとも限らん訳ですよ)。そこが大きく違うのかな…と思う。
どうも恋愛工学を否定してる女性は「女性基準の恋愛とは違うから」だし、恋愛工学を肯定してる人の言い分は「いや、まともに恋愛したい・ヤりたい問わず、キモいと思って女子からATフィールド張られたら先はないし。しかも、それは愛とか誠意なんてものではなく、チェック項目の世界だし」が落とし所
もうちょい厳密に定義し直すと「モテ本を読んで女の子の基準をつかもうとする男」がキモいんじゃなくて「悪質なモテ本に書いてあるような中学生めいたエロトークで盛り上がる男、堂々とモテ本を読んでることを公言して【トモダチンコ決めたい】と言ってるのがキモい」なんだよなあ…青柳さん的になった
モテ本・ナンパ本には「その女性自身の個人差・個人の機微を見ようとしないからそれらを読んで実践してもキモいしダサい」のがどうも結論らしい。でも、そういうものに読んでしまうのは男は根本的にゲーム脳・仕組み脳の頭でっかちでゲームにできるとできると過信しとるし、実際成功率上がるから
(何度も言うけど、「必要かどうかは」ともかく)男の場合は「連れとして映えるか・ヤりがいがあるか」DQN肉食系と「好かれてるという実感があればそのままなついてしまう」自分を好きな人が好き(草食系・食虫植物系)の二種類がいて、女子が足切りしなかったらどっちかとは付き合える。理論上ね
ただ、付き合うこと・セックスすること・それによって承認されること自体を目的とする男だったら「女の子は妥協すれば付き合えるからいいよね」なんだけど、それだと愛も良好な関係性もないから「誰でもいいから彼氏ほしい」にならないんだよね
え?僕はかなり食虫植物系男子ですよ。僕自身の趣味や偏りを許してくれる、それでいて僕と話が合う子に認められたら(そもそもそれがムズいけど)割と誰でもいい人ですね…。だから「誰でもいい感覚」はわからなくないけど、すごく瓶を有難る傾向が正直、同性だけどわからないです
昨日も書いたけど、男の方がインドアなゲームは得意なんです。将棋でも囲碁でもプロゲーマーでもなんでもいいけど、あの手のプロのそれも実力者のたいていは男。逆にいうとゲームのように定量化・仕組み化・法則化できないくせに「キモいと思われたら有無も言わさず振られる恋愛」は存在自体が怖いわけ
囲碁をじっくり打ち合って楽しめばいいと思ってたのに、五目並んだ途端に急に「はい、俺の勝ち!お前の負け!俺強い」とゲームをウヤムヤにしながら煽り文句にしか聞こえない独りよがりを目の前で決め込まれる…そんな感じですかね