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はてなキーワード: 発展的解消とは

2024-11-01

国民民主党玉木代表の103万の壁178万への引き上げはおかし

引き上げ自体問題ないし理に叶う。95年から一度も変えていないのはおかしいと言う論理も正しい。

しかし、なぜ178万円なのか。

玉木によると、95年と比べて最賃が1.7倍になったから控除も1.7倍という論理。これは安直である

まず実質賃金物価が1.7倍になっていないし

玉木の理論通り「基礎控除給与所得控除は最低限度の生活保証するもの」という主張が是であるものならば、最賃だけを基準に考え1.7倍というのは失当と言わざるを得ない。

ではどうすればいいか

控除の130万円への引き上げと、住民税所得税社会保険の壁の1本化である

実はこれは対象者限定税金扶養から外れるという使い勝手の悪いものだがすでにある。

「27万円の勤労学生控除」と言う名前で。

基礎控除+給与所得控除+勤労学生控除=130万円で親の所得税住民税扶養から外れるが、社会保険扶養に入りなおかつ非課税となる控除だ。

この勤労学生控除給与所得控除あるいは基礎控除編入し、学生バイトにも、パート主婦も、3世代同居世代高齢者にも、国民全員に適用するよう発展的解消すれば、

玉木代表の支持者が求める103万円の壁引き上げ自体は達成して、自民党懸念する財源問題も軽減される。加えて社会保険財源への問題波及も防げる。

178万ではなく130万への統一勤労学生控除発展的解消。これでよいではないか

2023-03-07

俺が政治家ならマイナンバーカード10年くらい経ったら発展的解消して新たなカードを作る

何かすごい技術が出るかもなんでそれを盛り込む

仕事も生まれ

2021-06-22

今後の国政選挙に「報道の自由廃止」を掲げる政党を望む

狂ってるとかつまらない冗談だとか、頭の悪い主張だとはてな民は思うかもしれないが、以下の内容はすべて本気で自分は望んでいる。

こういう主張を掲げる政党があれば、自分は自ら進んでそこに投票するし、周りにも投票するように積極的に働きかける。

間違っているとは思うかもしれないが、今よりずっとマシになる。

このような主張をする政党思想家がいれば教えてほしい。

日本国憲法改正し『報道の自由』を削除、国家権力による検閲合法化する

コロナ以前もそうだったが、現在マスコミはもはや必要無い。

市民の怒りや分断を煽り、間違った情報によるミスリード毎日のように行っている。

ならば、このようなマスメディアはすべて禁止すべきで、国家権力による検閲合法化するほうが良い。

マスメディア権力監視という形骸化した仕組みはもはや不要で、マスメディア官公庁によるリリースを読み上げるだけ、そして科学的に正しい情報のみを伝える。そしてそれが正しく行われているか国民感情を逆なでしたり、怒りを煽ったり、分断を招くような報道に対しては規制を設ける。

もちろん、これの弊害として国家に都合の良い情報のみが流れたり、恣意的運用がされるが、今よりは圧倒的にマシだ。

インターネットは優秀な国民のみが利用できるようにし、知性の足りない劣等国民インターネットから遮断する

インターネット一定の年齢以上で、一定以上の知能を持つ人間のみが発信できるようにする。

SNSへの書き込み一定以上の知性とリテラシーを持った人間のみが利用できるようにする。

一定下の人間はSNSに書き込むなどの発信はできないが、読むことはできるので国民生活の水準は担保される。

もちろん、間違った医療情報カルト宗教ヴィーガンミサンドリーミソジニー・反ワクチンなどの過激思想規制対象となる。

非常事態の際の私権制限合法化

沖縄県廃止し、鹿児島県編入沖縄県民は敵性分子として監視対象とする

日本米国の州への合流をすることで米国の1つの州として行動し、主権国家としての日本は将来的に解体発展的解消する

あるいは、中国への併合でも自分は歓迎する。

2020-01-20

anond:20200120213836

コンテンツつくるのにコンピューター使うなんて今や当たり前すぎだから

DTMって概念自体がとっくに発展的解消だろ

ネットデブリみたいな古い情報への注意喚起してる奴自身の頭が古いっていうね

2019-08-23

anond:20190823105410

全部発展的解消とげとるやん。概念ごと消滅したのなんかミリも無いだろ。

2018-03-01

anond:20180301132635

恒久とか暫定とか言っても満員電車の解消が現実的でない以上女性専用車両事実上永続的に運用するしかないよね

どうしても発展的解消とやらがしたいのなら行政鉄道会社利用者三方ニッコリの一撃必殺パーフェクトプラン提示してもらわないと

2018-02-27

anond:20180227001624

女性専用車両なるものの即時廃止を求めるのは明らかに主流でもなんでもないんだから

ああはいはい差別ですね暫定措置ですねいつか発展的解消されるといいですねで

「そのうち対応した方がいい項目リスト」に放り込んどいてやれば黙らせられるのにな

満員電車の解消とか理想ではあるけどまぁ遠大過ぎて無理やろ

認めてさえやればあとはリストに放り込んで塩漬けでほったらかしにできるのに

2018-02-25

anond:20180225141732

中途半端と捉えるか、譲り合い思いやりの「文化」と捉えるか。

譲り合い思いやりをもって満員電車に乗り込むのは不可能だと考えているので、とっとと全車両防犯カメラを設置すればいいと思ってる。

私は女性なのだが、時差通勤可能職場でかつ通勤電車に乗る時間は合計6分の職住近接なので、実は女性専用車両にはめったに乗らない。

仕事先の都合などで、たまに通勤時間中の女性専用車両に乗るはめになると、むしろ女だけの空間の非寛容さというか譲り合い精神のなさにびっくりする

混んでいるので仕方がないのだろうが、あと1歩ずつ詰めるくらいできるだろうに…という状況であっても、詰めてももらえないことが多い。

なので、女こえーなって思うし、女性専用じゃない車両の人たちの寛容さ(というか痴漢冤罪への恐怖?)を思ったりもする。

防犯カメラを全社搭載してくれる&時差通勤もっとまれば、女性専用車両発展的解消して全然かまわないし、上記エピソードもあるしで、

女だけど本来なら無くなってほしいものだとは思う。

はい痴漢が怖い人にとってはありがたいものだというのも、過去頻繁に痴漢被害に合ってきた身としてはよく分かるのでこの辺は大変むずかしい。

カメラ被害を映していたところで、触られた嫌悪感が無くなるわけじゃないからなぁ。やっぱり時差通勤もセットで必須だろう。

2017-06-05

続・山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

http://anond.hatelabo.jp/20170604204919

これの続き。(文字数制限にひっかかったので分割します)

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

1183(寿永2)年、義仲軍は京都に入り、食糧不足もあって狼藉を続けた。京都にとどまった後白河法皇後鳥羽天皇即位させ、寿永二年の宣旨頼朝東国での支配権を認めるとともに、義仲軍の乱暴ぶりを口実にして頼朝上京要請するなど、政治力の強化につとめた。しかし、頼朝東国支配を固めるために鎌倉を動かず、かわりに弟の範頼・義経上京し、1184(元暦元)年、二人は義仲を打ち破った。

義仲が京都乱暴狼藉を働いたという記述があるのは、意外にもこの教科書だけでした。

兵糧不足のまま進撃して首都占領しても、どうせ軍規が乱れて略奪しまくるぞというのは、日中戦争における南京事件南京大虐殺)のことを言いたいのかなと思いましたが、それは深読みのしすぎかもしれませんね。どうなんでしょう?

  

また、これは下記の引用部分になりますが、頼朝が初めて上京したタイミングがいつだったかを明記しているのは、この教科書だけだと思います

(この点はとりわけ山川の『詳説日本史』が最悪です。頼朝西国での平家追討の仕事をすべて弟の範頼・義経らにやらせ自分はその間ずっと鎌倉にひきこもって地盤を固めていたという基本的事項すらも把握できない書き方がされているんです。)

頼朝挙兵以来、北条氏三浦氏などの東国武士たちと主従関係を結んで、彼らを御家人として組織した。そして1180(治承4)年、御家人の統率と軍事警察担当する侍所を設けて、有力御家人和田義盛別当長官)に据えた。さらに1184(元暦元)年、一般政務をつかさどる公文所(のち政所)と問注所を開設し、実務に優れた下級官人らを側近にして職務を分担させるなど、支配機構の整備を進めた。

頼朝後白河法皇要請を受け、範頼と義経平家追討を命じ、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏を滅亡させた。後白河法皇頼朝権力拡大を恐れて義経を重用し、頼朝の追討を命じたが失敗した。逆に頼朝は、親鎌倉派の公卿九条兼実藤原兼実)らを朝廷重要政務担当する議奏につかせ、反鎌倉派の貴族追放し、義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた。さらに1189(文治5)年、頼朝義経をかくまったことを口実に藤原秀衡の子の泰衡を攻め、奥州藤原氏を滅ぼした。こうして頼朝東国西国の多数の武士御家人として組織しながら、主に東国支配確立していった。

1190(建久元)年、頼朝挙兵後はじめて京都に入り、右近大将に任命され、後白河法皇没後の1192(建久3)年には、法皇の反対で就任できなかった征夷大将軍に任命され、名実ともに鎌倉幕府が成立した。」

当然ながら『詳説日本史』にも、侍所政所問注所地頭というキーワードは出てきますしかし、治承・寿永の乱とは別項に記述されているため、時系列が分かりづらくなっています

それに比べて、この教科書歴史の流れの中にキーワードを配置しています。だから時系列に即してこれらの言葉意味理解することができるはずです。

  

結びが「名実ともに鎌倉幕府が成立した」という記述になっているのも、味わい深いです。

鎌倉幕府の成立が何年かという論争を垣間見ることができます名目的には1192年に幕府が成立したと言えるが、実質的にはそれ以前から幕府政治機構ができあがっていたというニュアンスを含ませているのでしょう。

  

  

  

あとは、上記引用中の「義経の捜索を名目に国ごとに地頭を置くことを認めさせた」という記述が最高にクールです。

一般には1185年、義経の捜索を名目にして守護地頭が設置されたとされていますし、国ごとに置かれた役職地頭ではなく守護だと暗記している人が多いんじゃないでしょうか?

例えば山川の『詳説日本史』はそうなっています。それによると、頼朝は1185年に「諸国には守護を、荘園公領には地頭を任命する権利」を獲得したとされています守護は「おもに東国出身の有力御家人から選ばれて「原則として各国に一人ずつ」任命され、「大犯三箇条などの職務を任とし」て国内御家人を指揮統率し、とくに東国では在庁官人支配することで「地方行政官としての役割も果たし」ました。いっぽう、地頭は「御家人のなかから任命され、任務年貢徴収・納入と土地官吏および治安維持」です。「頼朝は主人として御家人に対し、おもに地頭に任命することによって先祖伝来の所領の支配保障したり(本領安堵)、新たな領地を与えたりした(新恩給与)」わけですが、このことが御恩と奉公関係となって封建制度の基礎となりました。

  

ところが、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)によると、ここの説明がこれとまったく異なります。私が先に引用した項では、1185年の出来事として守護の設置には言及せず、地頭の設置だけが記述されていますしかもその"地頭"は国ごとに置かれたものだとされているのです。

私は最初にこれを読んだとき、わけがからなくて混乱しました。それでがんばって自力で調べてみて(独学なので苦労したナァ)ようやく理解できたのですが、1185年の文治の勅許守護地頭が置かれたとする『吾妻鏡』の記述には疑いがあり、実はこれがかつて学者の間でも論争になったテーマだったらしいのです。

1960年石母田正が新説を発表したのですが、おおざっぱに言うと、新説では、この時点で置かれたもの守護地頭ではなく、地頭(国地頭)だったとしています。それはわれわれが普通一般に知っている地頭(荘郷地頭)とは異なり、一国を統括する強大な権限を持つ存在です。この国地頭はすぐに廃止され消滅しましたが、守護前身となりました。

三省堂教科書は、次項でそのことが説明されています頼朝がはじめは国ごとに"地頭"を派遣して荘園国衙領のいずれからも兵糧米を徴収させていたこと、そのやり方がひどすぎたから反発を招いて、以後は"地頭"に代わるものとして守護を置いた、という記述になっています。またこれに続いて、頼朝は「荘郷地頭と呼ばれる地頭を任命し」、平氏没官領や謀反人の所領跡で「年貢公事徴収治安維持に当たらせた」としています

このように、三省堂教科書では、「国地頭」と「荘郷地頭」をはっきりと区別しているのです。

  

実教出版もこの新説を採用していますこちらも合わせて読んでおくと、国地頭のことが大変よく分かります東京出版は本文の記述が旧説に拠っていますけど、欄外では国地頭が惣追捕使とならび、守護前身として存在していた話をちょこっと説明しています。これらの教科書は「国地頭」論争の成果を取り入れており、学問的に誠実だと思います

それに対して山川の『詳説日本史』は旧説を採用し、1185年に守護地頭の設置が認められたとする断定的な記述になっています。これが他の教科書とのあいだに無用矛盾を生じさせているのです。私と同じようにこの点につまづいて、困惑してしまった高校生が少なからずいるんじゃないでしょうか。

  

なお、山川参考書『詳説日本史研究』にもこの新説の紹介はありません。同社『日本史B用語集』には「国地頭」という用語掲載されていて、そこでは一応説明がされているんですが、あたかも国地頭が荘郷地頭前身だったと思わせるような記述です。

地頭(じとう)⑪:1185年、頼朝要請後白河法皇諸国公領荘園地頭を設置することを認めた。当初は1国単位荘園公領支配する国地頭を設置したが、まもなく平家一族の所領として没収された平家没官領と謀反人跡地に限定した荘郷地頭となった。しかし、公家寺社の強い反対で、一時縮小、承久の乱後に全国化した。任務土地管理年貢・兵糧米の徴収治安維持など。

地頭⑤ 荘郷地頭

  

山川出版日本史B用語集』より

ですが三省堂実教出版東京書籍の教科書によると、国地頭はむしろ守護へと発展的解消を遂げたという記述なんですから、『日本史B用語集』のこの説明とはやはり若干の矛盾が生じています

「国地頭」を教科書に載せている上記の主要3社の文脈に従うなら、この用語独立の項目として取り扱うか、せめて「地頭」の項目じゃなく「守護」の項目にいれて取り扱うべきじゃないでしょうか。

  

(追記 これはインターネット上の情報なので私は未確認ですが、現在は『詳説日本史』にも国地頭掲載されているそうです。近年改訂されたんでしょうか。

予防線を張っておくと、私は高校日本史Bを履修しなかったし、大学理系に進みました。教科書を読んだのは興味本位にすぎません。

はじめに書いたとおり、最新版教科書を持ってません。今回はてブでバズっていてびっくりしましたが、筆者は歴史学の専門家でも何でもないことをお断りしておきます

追記id:HRYKtbykさん、確認をしてくださり感謝です。)

  

  

  

追記

複数教科書を読み比べすることで、『詳説日本史』を読むだけでは見えないポイントが浮かび上がってきます

『詳説日本史』では、前九年合戦後三年合戦のところで、「これらの戦いを通じて源氏東国武士団との主従関係を強め、武家棟梁としての地位を固めていった」とあります。これが後の頼朝挙兵につながるわけですが、それは時代を経てからのことだから教科書のページが離れすぎていて、この関連が把握しづらくなっています

ここで例えば山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B 018)のような他の教科書と読み比べてみると、『詳説日本史』がこの簡潔な一文を通して伝えたかたことを理解することができるのです。(上述参照)

  

つぎは例えば、貫高制・石高制を見てみましょう。

『詳説日本史』によると、戦国大名性格は次のように説明されています戦国大名は「新たに征服した土地などで検地をしばしばおこなっ」て、それにより「農民に対する直接支配」を強化しました。そして国人地侍を取り込むため、貫高制を導入しました。これは戦国大名が彼らを「貫高という基準統一的に把握」して軍役を課す制度でした。それでここからすこし時代下り、別のページで豊臣秀吉太閤検地説明しています太閤検地により石高制が確立しました。それは「荘園制のもとで一つの土地に何人もの権利が重なりあっていた状態を整理」し、「一地一作人」を原則とするものです。農民は「自分田畑所有権を法的に認められることになった」わけです。

このような記述だけでも表層的な理解はできると思いますが、実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)は、貫高制について「荘園の複雑な土地制度は貫高に組み込まれ大名統一的な国内政治を推進」するものとしています。『詳説日本史』ではせいぜい石高制と荘園制の関係しかからないでしょうが、本書はこのように貫高制と荘園制の関係を明示しているのです。

この視点を最もわかりやす記述しているのが、三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)です。本書は貫高制、石高制、荘園制の全部を一つの項目に入れて記述しています。それによると、秀吉太閤検地を行い、「戦国大名の貫高制にかわって、それを発展させて全国に広げた石高制」を導入、その結果「荘園制を完全に崩壊させ」ました。このポイントを把握しておけば、中世から近世への社会の変化を、土地一元的支配確立荘園制の衰退・消滅という視点で見ることができます。本書の特徴は、貫高制・石高制をともにこの視点から語っていることと、しかもそれが荘園制を「完全に崩壊させ」たと言い切っていることです。

ちなみに、東京書籍『日本史B』(日B 004)では、石高制を「近世封建制体制原理」と書いています。これがまったく新しい制度であることを強調しつつ、近世という言葉を使ってその射程を江戸時代にまで広げているのです。)

2017-04-19

mastodon未来

こういうことをmastodonでtootせずに増田で書くというのもmastodonに対する距離感が出てるようで何なのだけど。

mastodonがそのまんまTwitterに取って代わる未来というのは「ちょっとないなあ」と思う。

その一方で、これが3年後に「あれ、なんだったんだろ?」みたいに消えてしま未来も考えにくい。

じゃあどうなるのか。上記2つも含めて複数の予想。

 

A. Twitterの没落で、その後をmastodonが占める。

  Twitter自体落ち目なので。

 

B. Twitterとの棲み分け

  技術系とエロ系の人々がmastodonに流れる。両方兼ねてるひと?

 

C. 発展的解消

  同じ系統技術もっとスマートなのが出てそれが主流になる。

  「え、まだmastodon?」みたいに。

  ブラウザの変遷とか、そんな感じかな。システムアプリではだいぶ違うけど。

  この場合GNU socialのプロトコルが生き残るのかな。

 

D. 進化の途中形態

  Cに似てるけど、既存SNSを超えてもっと完全にちがったコミュニケーションツールが現れる。そのベース技術となって、mastodonのもの消滅

  個人的には、いちばんありそうかなと思っている。

 

E. 一時の流行

  セカンドライフみたいに一気に盛り上がって、そのまましぼむ。

  ま、そういう例は少なくないので。

 

さて、どうなるんだろ。

現実は、常に予想を超えるんだけど。

2015-03-17

任天堂DeNAと仲間たち

http://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2015/150317/index.html

興味深く読ませてもらった。

ゲハ方面では「弱者連合乙」「任天堂オワタ」という雑音しか聞こえてこないが、今回の業務・資本提携について少し書いてみたい(長文乱文お許しを)。

まずはっきりしていることはDeNA任天堂も、これが唯一の選択肢だったということだ。

DeNAは凄まじい利益率と成長率で一気に階段を駆け上がってきた。それはもちろん、ガチャを中心としたソーシャルゲームの稼ぎが凄まじかったからだ。そしてスマホシフトの波に乗れず低迷している。野球陸上チームを買ってきたのを含め、怪しげなIT企業から公器へと衣替えしたいという意欲が強く、ゲームの穴を埋める新事業も衣食住やDNA解析といった「なんか格好いい」ものが多かった(もちろんマンガボックスやSHOWROOM、ハッカドールなどもあったが)。結果、ソシャゲのような抜群の利益率を叩き出せるわけもなく、V字回復など夢のまた夢、という状況。

数年前ならM&Aで有望なデベロッパを囲い込むことだってできただろう。実際に海外を中心に複数の開発会社を手中に収めているしピーター・モリニューなんかとも一緒にやっている。しかモバゲーというプラットフォームビジネスが立ち行かなくなり、ガンホーが、コロプラが、mixiが、(gumiが、)DeNAが足元にも及ばないような大ヒットアプリを生み出し、ベンチャーでも100万DLや月数億円の収益が期待できる現状、DeNAが買えるデベロッパ出涸らしぐらいしか残されていないのだった。さらにいえば、ヒットを出した会社が次もヒットを出せるとは限らない(出せてないように見える、つまり技術力や企画・開発力ではないところでヒットが生み出されている、つまり運次第?という不透明さがある)のもM&Aが進まない理由だろう。

守安社長決算発表などで度々言及しているが、FFRKでようやく月ウン億規模のアプリを手に入れることができたのは明るい兆しと言えるのかも知れない。しか怪盗ロワイヤル以降、オリジナルタイトルの大ヒットを出せていないことからわかるように、DeNA企業体質的に「ゲーム単体の面白さ」で勝負できないのは明白だ。

じゃあ有力IP排他的に使えるとしたら・・・イコール任天堂と組む理由になる。

任天堂ネットワークスマホ戦略で完全に出遅れた。この差は単独では取り戻せないところまできている。いや、任天堂としては決してそうでは無い、深慮遠謀の果てがこのような状況なのかも知れないが、市場はそう受け取らない。

220億でDeNAの株10%を取得できるのは任天堂にとって大きなメリットだ。低迷してるとはいえ毎年巨額の黒字を計上し、任天堂決算にも大きく貢献するに違いない。少なくとも数年は時間稼ぎができるはずだ。今回の提携が「結果的に」うまくいかなかったとしても。

任天堂にとって問題は、やはりブランド力ブランドイメージだ。ゲハ的な煽りは意に介さなくても良いだろうが、ガチャ・廃課金・過激な露出表現といったダーティなイメージ任天堂としても避けたいところ。もちろんDeNAが開発する任天堂IPスマホゲームからそのような要素は排除されるに違いない。そして利益もそれなりに落ち着くに違いない。

実際どうするのだろう。合弁の開発子会社を作るのだろうか。BNDeNAという名前を出さずともわかるように、基本的にはうまくいかない形だ。秋葉原あたりに拠点を構えるのだろうか。DeNAからスター開発者が、任天堂からはそこそこの開発者が、宮本氏なんかは当然関わらず、東京制作部の著名スタッフインタビュー評価会にだけ顔を出す。クオリティに納得せず、ブランドイメージが毀損されることに過敏に反応し、いつまでたってもリリースできない、出たゲーム全然課金が捗らない。やがて子会社一定役割を果たしたので発展的解消。こんな風になりはしないか。

DeNA的にはFFRKよりも厳しめのレベニュー割合を甘んじて受け入れつつ、半端ないクオリティチェックをくぐり抜け、とにかく早く任天堂IPゲームリリースしたいところだ。会員制サービスプラットホームという話もある。これは月額課金制だろうか。安定した収益を上げたいという意味では良い施策だろう。しかし新たなゲームプラットホームになるとすれば、Yahoo!モバゲーmixiモバゲーの二の舞ではないか。もう従来のモバゲーはぶっ壊していいということだろうか。それぐらい収益寄与が衰えているのか(任天堂と組むことでバンダイナムコ他有力IPとの関係性が変わるのも不安要素だ)。

そして、これも大切なことだがDeNA創業メンバーにとってこれは歴史的出来事だ。もうこれでExitして良いのではないか。巨大企業を作り上げ、球団を買い、任天堂資本提携する。日本においてソフトバンク楽天ぐらいしか比較例が無いレベルの「成功体験」だ。あとは死ぬまで講演会と著書出版をしていればいい。さすがである

個人的には任天堂うまいように使われて最終的に捨てられる(吸収される)と思うんだがどうだろう。いやしかDeNAからゲームを除いた事業だけでベイスターズを支えられるとは思えないし、任天堂ベイスターズを支える義理はないだろうし、それだけが心配だ。今年はAクラスが狙えるんだから、あまり外野で騒ぎになってほしくないなあ、と思うのだ。憂鬱だ。

 
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