はてなキーワード: 権力とは
比べもんにならんだろ。
学生がナイフで同級生を刺す事件と、ヤクザがピストルでヤクザを弾く事件が発生したとして、
ピストルが出回るルートなんかごくごく限られているし、購入できる条件も値段も違う。
一般人が誰かを殺傷したいと考えたときによりカジュアルに手に入ってしまうもののほうが問題が大きい。
ナイフばっかり問題にするけどピストルのほうが危ないじゃないか!
って言われても、どんだけの学生がピストルを入手できるんだよ、アホがって話じゃん。
今まで言ってる中じゃ一番マトモな意見じゃん。
カカオ農場の子どもたちが権力勾配を利用して薄給重労働でパワハラセクハラ鞭打ちレイプなんでもありだろうと、俺たちが日本でチョコ食ってる分には関係ないよな。
https://childrenrightsnews.blogspot.com/2022/04/blog-post.html
性的コンテンツから性犯罪を誘発することは、警察庁の発表でも明らかになっています。
・痴漢
・3P、4Pなどの乱交
・口淫
・肛門挿入
・異物挿入
・輪姦
・レイプ
・女子高生
・ナンパ
・近親相姦
などを禁止して下さい。
根拠はさておき、これこそ女性の権利を守り、救う、本来のフェミニスト的な活動だと思う。
たわわなんてはっきり言ってどうでもいい。
「たわわ」がNGで、園子温が無罪になる、フェミニストの不都合な真実
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220506182417
lacucaracha
無罪なんて言ってるひと見たことないが、単に『100%有罪なので語るべきものがない』だけでは。
擁護する相手もいなければ戦う必要はないが、たわわは『触れてほしくない』と思う人がいることこそ戦う理由なんでしょ。
2022/05/07
なんじゃこれ?
直筆の謝罪文とされるものが公式サイトに掲示されているが内容はこんなんだ。
http://www.sionproduction.com/
この度の2022年4月5日発売号の週刊女性の記事におかれましては、関係者の皆様にご迷惑とお騒がせをしてしまいました事、
また作品を見てくださった視聴者の方を含め、皆様にお騒がせをしてしまっていることにつきまして、深くお詫びいたします。
映画監督としての自覚のなさ、周りの方々への配慮のなさを自覚し、今後のあり方を見直したいと思っております。
しかし、今回の週刊誌報道の記事については事実と異なる点が多く、
自分自身以外への関係者にも多くのご迷惑がかかっていることを考慮し、
この度は多大なるご心配とご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。
二〇二二年四月五日 園子温
わかるな?
・変な記事が出ちまって自分の関係者・作品視聴者をお騒がせした。
「報道」って言い方してるけど報道内容は声上げた女優達の告発なんだだから
要するにあの女たちが嘘ついてるって言ってんだ。
はあ~~~~あ?
未だ双方の主張が正面衝突してる状況だから、
園の主張が正しく告発側が嘘ついてましたって可能性も残ってるわけだが。
lacucaracha や☆入れた人達は何をもって「100%有罪」としてるの?魔女裁判かよ?
全然「100%有罪」なんて決まってないし、真相なんかまるで究明されてねーんだよ誰がどう見ても。
日本映画界を代表する大監督園子温がパワハラセクハラ性関係強要をずーっとやってて周りも黙認や加担してたのではないかという
事実なら超悪質で日本社会の古い宿痾にして非アップデートそのものみたいな事件が勇気出して声上げた女たちによって明るみに出て
さあ事実なのかどうなのかという余罪はねーのか協力者はどこまで広がるのかという局面だわな!
全てはこれから、超超注目していかなきゃいけない事案じゃあねえのか????
「もういいんだ、語る必要はないんだ、はい終わり終わり―」って言うお前等のその態度、どゆこと?
園については語らない、語りたくないって言う自分達の一貫性欠いた姿勢や感情を説明するために
「もうすべて解決済みだから語る必要ないんだもん!」って言い訳を思い付きで口走っただけだろ?
主張の恣意性や偏向性を突っ込まれたらその釈明の理屈もまた思い付きそのまま口から出す。
そうやって常に何のチェックもせずに喋ってるから
「告発が出た、被告側が徹底抗戦姿勢示した、って段階の疑惑が100%有罪確定で解決済み」だとか
「日本映画界の超大物監督によるまるで未解決の悪質なセクハラ・レイプ疑惑が語る必要もない些事」だとか
繰り返すが、
仮に告発が真実なら園もその周辺もそれを許してた映画界全体に至るまでとんでもねえ話だろうが。
セクハラやパワハラや枕営業を強要された女優やそれを断って冷や飯食わされた女優どんだけいるんだ?
そんなことするやつらは女優に限らずもっと弱い立場で頑張る女性スタッフにも何してるかわかんねえな?
しかも園は全然裁かれてないどころか謝罪すらしておらず居直りながら鎮火を待ってる(「謝罪文」の相手は”ご心配ご迷惑をかけた皆さま”だ)。
現実に枕強要されたりキャリア潰されたりしてる女の怒りや苦しみはどうでもいいわけか?
十代美少女描いて楽しむキモオタは許されざる社会のエネミーだが
立場を利用して女に嫌がらせや性行為を要求する強い男は問題ないわけだな?
こうやって聞いてやれば気まずそうに「いや問題ないとは思ってない…」ぐらいはゴニョゴニョと言うのは分かってる。
でもお前等がキモオタに向けてなら0秒で発火するいつもの怒りや嗜虐心が
園みたいな男には全然湧いて出てこないんだろ?
リベラルの良心たるハフィントンポストもこの件に触れる記事はゼロだ。
普段見せている女性差別に対する高い感度と見識は急に品切れになったみたいだ。
それまでなんども園を持ち上げる記事載せてたのに、疑惑自体を報じる程度の道義心すら湧かないらしい。
柔軟性に優れて恣意性豊か、
硬直した一貫性などに持たず天真爛漫
あくまでハッとして感じる瞬間のセンセーションで正邪が決まる取り組み
なわけ。
「私の素朴な気持ちと直感でいともたやすく社会を良くしたい」という憎悪と怒り。
データ出されるの大嫌い。データは私の直感や欲望に敬意を払ってくれないから。
発する言葉を最小限にし、威嚇と居直りで世間に出る情報を抑えて息を殺してる。
非常に賢いやりかただ。
これがうまく行くのは
「語るべきものがない」などと言いながら話題にすることを否定し牽制までしてくれる市井のリベラルの方々、
完全ダンマリ追加報道なしを決め込む報道機関の方々(普段なら女性差別に感度の強いリベラルメディア含む)、
皆さまのご理解協力があってこそだ。
こうして「語らない自由」「報道しない自由」によってまんまと疑惑の鎮火・風化が進めばどうなるか?
告発は無になり、白黒つかないまま全てが落ち着き、権力持ってる側の勝ちで確定するわけだ。
いやーこれでもし告発が本当で園が悪質な性行為強要常習犯だったら大変だな!
多重レイプ犯やその共犯者たちを逃げ切らせて、やっぱりあれぐらいやっても大丈夫なんだと思わせて、
勇気出して声をあげたレイプ被害者達を「お前等の声なんか無なんだよ?」って言いながら殺すわけだ。
『語るべきものがない』と抜かして口を拭ったお前ら一人一人がな!
でも全然気にならなーい
そこをつつかれたらイライラした被害者ヅラで「語るべきものがないだけ!」と逆切れまでするー
あくまで問題は女の子の絵や漫画を描いてるキモオタどもなんですう~~~
社会に悪影響があるに決まってるんです! エビデンス?そんなもの要求するな!
以上見てきた通り
もうわかってんだよなあ。
だってあいつらは我々が若い頃ならいくら攻撃してもいい被差別階級だったのに!
そういうあれだろ?
黒人にシビルライツが与えられたの見て震えてた南部の白人の正義の怒り
お前らを突き動かすモチベーションってそれだろ?
メチャクチャむきになってキモオタに執着して叩こうとするのが大概40代以上なのな。
彼等彼女等は若い頃に「オタクなら幾らでもイジメてもいい」という相場と快楽を刷り込まれててそれが忘れらんない。
影響が証明されないキモオタ漫画の100分の1ほども触れる気がない。
もちろん掲げてる「サベツハンタイ」のお題目からすりゃ矛盾だらけなので
突っ込まれると「もう有罪と決まったし(嘘)」「語るべきものがないだけ!(大嘘)」「それよりキモオタガー(絶叫)」
「ダンマリだ」論は結局森羅万象全てに言及せよという無茶振りになるからあまり好きではないが
自由戦士ってフェミに対してダンマリだ連呼しつつ「福井の高校生が演劇脚本を没収された」「宗教二世の漫画が圧力で打ち切りになった」あたりは完全スルーか言い訳程度に触れてても明らかにエロ批判とはテンションが全然違うんだよな
7万人の署名集めて宗教団体や出版社に提出とか、数千人対象のアンケート取って問題かどうか答えさせるとかそういう金かかることを普段エロ系では盛んにやってた奴らがやらなかった
「ガチの弾圧には臆して黙ってるくせにネットでエロ作品について批判的な感想を述べただけのなんの権力もない匿名の人間には群れをなして飛び掛かってる」
これじゃ馬鹿にされても仕方ない
何で園子温は弱火でたわわは強火で燃えるのかとか言われてるけど
そんなの察してよ
別に自分を引き上げてくれる強男なら権力振るおうが利用するだけだからいいの
ホストだって女をもの扱いしてくるようなやつもいるけど、ホストはイケメンなの
分かる?
分かるでしょ?
まとめるとこういうこと
利用できるなら強い男がやらかすのはあり
癒やしてくれるイケメンなら利用されるのもあり
雑魚男は目に入ってくるようなところに現れるな
以上
https://anond.hatelabo.jp/20220507073623
読み返して、ひどい文章だったので、書き直し。
秀岳館高校の問題を受けて、あらためて、「スポーツ推薦で通学圏外から優秀な生徒を集めて、学校の知名度を上げよう」とする私立高校(ここでは「国内スポーツ留学校」と呼ぶ)は、以下の問題を抱えていると思った。
自宅通学の一般生徒の場合、ひどいいじめを受けている場合でも、最後には家という逃げ場所がある。地元に小中学校時代の友達がいる可能性もある。しかし通学圏外から来た生徒は、部員と一緒に寮に住むので、ひどいしごきやいじめを受けていても、逃げることのできる場所や時間帯が全くない。たとえ部室や寮を脱出できたとしても、そこには友達も知り合いも一人もいない。
(2)辞めたくても辞められない
スポーツ推薦で入学・入部した生徒は、部内のしごきやいじめがひどくて耐えられず辞めたくなっても、学校も退学せざるを得ないので、辞めることができない。学歴が中卒になってしまい、人生そのものが詰んでしまうからである。たとえ学校に残れると言われても、寮に住んでいるため、加害者の部員と顔を合わせなければいけないので、事実上その選択肢はない。
そのように国内スポーツ留学校は、生徒の逃げ場をなくし、辞めたくても辞められない状況に囲い込んでいるので、指導者および先輩部員の権力が絶対的になりやすい。指導者も生徒部員も地元出身の人間ではないので、地域からの視線を遮断して閉鎖的になりやすい。もちろん全員が暴力やハラスメントを行うわけではないが、たまたま悪質な人物が指導者になった場合に、歯止めとなるものが全く存在しない。
以上のような環境でサバイバルした生徒は、確かにある意味でたくましい人間にはなるが、同時に高確率で暴力やハラスメントを他人に平気で振るうような人間になりやすい。さらに国内スポーツ留学校は、基本的に地元の地域からは浮いた存在であり、県内の予選でも声援は少ない。結果として、「地元のみんなの期待に応えたい」という素直な気持ちがなくなり、「とにかく勝てば正義なんだ」というマッチョで歪んだ考え方が強まりやすい。
この際、日本の私立高校で広く行われてる「スポーツ推薦で生徒を通学圏外から集め、全寮制で生活させる」方法について、この際大きく批判されるべきだと思う。問題点は以下の通り。
こうした高校の大きな問題は、入学・入部したけど合わなかったという生徒が、逃げ場所がないことにある。一般生徒の場合、ひどいいじめを受けている場合でも、最後には家という逃げ場所がある。地元に小中時代の友達がいる可能性もある。しかし通学圏外から来た寮生は、地元の知り合いも全くおらず、逃げ場所が全くない。ひどいしごきやいじめで辞めたくなっても、学歴が中卒になってしまうので、それもできない。この結果として、指導者や先輩の権力が過剰に強くなり、暴力やハラスメントが暴走しやすい構造がある。
昭和の野球部も確かにひどかった。名門校に100人が入部して、しごきに次ぐしごきでふるい落とし、数ヶ月で10数人に減らしてチームをつくっていた。ただ、それで人生が終わる生徒はほとんどいなかった。多くが地元の公立商業であったこともあり、普通にそのまま学校に通って卒業して普通に就職していった。指導者も地元の人間やOBの視線に囲まれているので、そこまで横暴な振る舞いができない構造があった。現在秀岳館のような高校は一学年部員30人が25人に減る程度だろうが、推薦の寮生なので、その5人は学校まで辞めざるを得ない。中卒の学歴のまま就職も進学もできず、確実に人生が詰んでしまう。
人格形成の面においても問題がある。こうした環境で育ってサバイバルすると、確かにある意味でたくましい人間にはなるが、高確率で暴力やハラスメントを他人に平気で振るう人間になっていく。あと、地元の人々から応援されてこなかったので、「みんなの期待に応えたい」という素直な考えがなくなり、「とにかく勝てば正義なんだ」という歪でマッチョな考え方が強まっていく。こうして、体育会系の悪い部分を凝縮したような人間になりがちである。
自分は高校野球ファンだけど、秀岳館のような「スポーツ推薦で通学圏外から生徒を集め、辞めたら人生詰むという状態に囲い込んで指導する」
という構造を抱えている私学強豪校が全国で一般化していることに、非常に危機感を抱いている。その点、佐々木朗希に応援したくなる要素の一つは、甲子園に行く可能性が限りなく低い、地元の公立高校に敢えて進学したこと。この事件を期に変わってほしい。
筒井康隆の短編集「くたばれPTA」には表題作「くたばれPTA(昭和41年)」と「女権国家の繫栄と崩壊(昭和45年)」がある。
女権国家の方はミサンドリーを拗らせた女性が革命を起こし、女性中心の社会を作る話だ。
一方くたばれPTAの方はSF作家が教育上不健全な漫画ということで出版を規制される話である。
どちらもフェミニストやPTAに否定的かつ攻撃的で、インターネットが当時あったら叩かれるだろうなぁといった内容だ。(当時もバッシング受けたのかな?)
さてさて、私が気になったのは現在のフェミニストの主戦場「不健全な表現を控えるべき」というのはPTAの役目じゃなかったっけ?ということ。
昔のフェミニストは女性の地位向上、社会進出あたりのことを主戦場にして戦っていたようである。
女権国家においても権力に見栄と権力に執着する女性という書き方でフェミニストを表現していた。
(筒井氏はフェミニストの当事者ではないため、認識が不適切という批判は受け付ける。ただ小説としてデフォルメした際に強調した点が権力の話だったというのは一考に値する)
対して今のフェミニストは表現規制が主な活動のように見受けられる。
最近の活動でも目立っているのは新聞広告に関する表現への批判や献血でのキャラクター利用などだ。
現フェミニストは昭和のフェミニストより、昭和のPTAの方が近いのではないか。
ここで「PTAは漫画やゲームといったものを全般に不健全としたが、フェミニストは女性を性的搾取した媒体のみを不健全と定義しているため異なる」といわれるかもしれない。
明治自体においては小説は不健全なコンテンツであったが、昭和、平成では高尚な芸術だ。
漫画やゲームの昭和には不健全だったが、受け入れられた令和では日本を代表するカルチャーになっている。
そして未だに不健全の枠にとどまっているコンテンツが「エロ」または拡大解釈によってエロと解釈された「萌え」ということになる。
フェミニストもPTAも両方女性だし、思想が似ていても当然じゃないかと言われると思うが、建前上はそうではない。
PTAは家族(主に子供)の健全な営みを行うための主張として表現規制を訴えている。
近い思想は青少年健全育成条例などで、こちらを支持している石原元都知事は右派の人間だ。
つまり、国家社会のために不適切なコンテンツを抑制するというのがPTA的な表現規制の建前である。
一方フェミニズムは女性を社会的な抑圧から解放するための左派的な側面が強い思想だ。
どちらかというと真逆であるという思想が、いつも間にかすり替わっている。
ややこしいので、以下では昔PTAで表現規制をしていた人と現在フェミニストとして表現規制をしている人を「表現規制派」と呼ぶことにする。
つまり何が言いたいのかというと、表現規制派の人たちは「健全育成」や「フェミニズム」という思想に基づいて表現規制をしているのではなく、
「表現規制」という思想を社会に実現するために「PTA」や「フェミニズム」といった建前を利用しているのではないだろうか。
こうすると現在の表現規制派の人たちが全くフェミニストらしい活動をしていないのに説明がつく。
ウクライナでの強姦を取り上げず温泉娘に憤り、映画監督の性的搾取に目を反らしつつ新聞広告を敵とする。
表現規制派にとっては表現規制が最も大切な主義であり、フェミニズムは建前を尤もらしくするための道具なのだ。
というわけでフェミニズムを叩いても、論理的矛盾をついても、ゴールポストは動かされる。
表現規制派は女性のためでも社会のためでもなく、表現規制のために表現規制を行っている。
なぜ表現規制をしているのかというところまでは個人の問題なので分からないが、
自分が好ましくないと思う表現があったときに、多かれ少なかれ人は不愉快になる。
その不愉快に社会的正義を見出してバッシングするかしないかの違いである。
ではなぜ表現規制派がPTAからフェミニストにかわっていったのだろうか。
これに関しては全く不明だが、おそらく「PTAになれなかった層を取り込むため」ではないだろうか。
未婚率が上昇している。昔は誰でも結婚出来た時代だが、今はそうではなくなった。
このハードルを越えられなかった表現規制派の女性に親和性が高かったのがフェミニズムだ。
フェミニズムはもとより結婚をしない女性を救うような思想だった。
地位向上で女性が一人でも生きていければ、結婚も出産もしなくても幸福になれると考えられるからだ。
そこでPTAになれなかった女性たちが表現規制を行うためにフェミニズムと結び付けた。
フェミニズムは誰でも参加可能なのでPTAよりも参加しやすい。
よって現在の思想がちぐはぐのフェミニズムが生まれてしまったと考えられる。
こうして表現規制派が無理筋な批判をした際、フェミニズムが叩かれるようになった。
昔は悪の権化だったPTAは、今では面倒な無賃労働としてママさんからしか文句を言われていない。
このままフェミニズムの印象が悪くなって社会的な発言力を失った場合、
表現規制派がフェミニズムから出ていって、また新たな宿主を乗っ取って批判を繰り返すようになる。
これ自体「今の時代にたまたま流行ってる権力を持った宗教的価値観」に過ぎないよなぁって、
25歳と17歳を並べたところでそれが別人であればどちらが生殖に適しているかはそら個人によりけりで、
どちらに性的魅力を感じるかなんてLGBTがそうであるように当然人それぞれでしょう、そんなデータになんの意味があるのやら
実社会は理由つけられるとしても、創作物の中で殺人や強盗やテロリズムと並べた際にこちらがダメになる理由はなんだ?って言われても、自分にはやっぱりよくわからんわ
最近の海外のゲーム業界だと造形として男が望む形の美女のキャラクターを登場させること自体が政治的に正しくないとされる風潮があるようで、
例えば人気シリーズのヒロインの胸が新作になってからあからさまに小さくなったり、実在の美人モデルが存在するキャラでも3Dモデルは実物よりもずっと見た目が悪くされてたり、
日本人ゲーマーとしてはあまり好きな風潮ではないのだが、ただこれを回避する唯一の方法があって、それは「キャラクリエイト機能」をつけること
おっぱいの大きい童顔美少女を使いたいならそうすればいいし、筋骨隆々の大男を使いたいならそうすればいいし、アジア人が自分の分身として小さく細身のイケメンアジア人が巨大な剣を振るうようにしたいならそれも自由。
「政治的に正しいから」という理由でプレイヤーも作り手も属性を強制されることもないし、よくある主人公像が苦手ならそうしたい人はそうすればいい、「なんでもできる」はポリコレ回避策として有効なんだと思う。
じゃあ今後技術が進歩してGTAよりももっと何でもできるゲームが発展したらどうなるんだろうか。
ソートアートオンラインみたいな仮想現実で、NPCは精巧な疑似人格を持ってて、もしもボックスのように世界設定すら自由にインプットできるようなゲーム。
探偵事務所を開いて闇の組織の陰謀を暴くのも、美女と幸せな家庭を築くのも、相手が誰でも殺人だろうと強盗だろうと性犯罪だろうとなんでもできる。勿論しないのも自由。
所詮は仮想現実の中の物語だからNPCがどんなに精巧な悲鳴を上げても現実の被害者は誰もいない。
こういうゲームの存在って、道徳的にはどうなんだろうか。俺は別に何やってもいいじゃんって思うのだが、
結局はGTAや映画なんかと同じく殺人は良いけどレイプはダメ、銀行強盗は良いけど飲酒運転はダメ、ハーレムを作り上げてアブノーマルなセックスするのはいいけど17歳少女との愛のあるセックスはダメ、街中で銃乱射はいいけど飛行機特攻はでNG。
現在のゲーム業界でも自由に殺人できるゲームは許されて自由にレイプするゲームは正義のもとに許されない理由って何?って言われてもよくわからんなって思う。
ここでもよく職場の不満日記を目にするけど、たいてい仕事が増やされたとかそういうのが多い。
基本給10万、他は抱えてるタスク作業ごとに何万円、ってすればいいじゃん。
タスクが終わるなら何時間かけてもいいし、何時間休んでもいい。
これ究極じゃん。
あの人はあれだけもらってるのはタスク多いから当然だ、って納得するし不満もない。
あの人は家庭の事情でタスク少ないから給料も減るしみんな納得。
これでみんな納得で仲良しな職場になる。
今も使われてる「なんちゃら手当」だけにするイメージ。
ベースサラリー+顧客A見積作成手当+顧客Bアフターフォロー手当、みたいな。
<追記>
手当が大項目だけだと、
顧客A対応手当と顧客B対応手当は、規模が違うのに不公平じゃん!となる。
それさえしっかりできてれば、
まあこれができるのはせいぜい数百人規模の会社までかなあ。
<追記2>
https://youtu.be/iGZUJLjtGWo?t=213
<Q&Aコーナー>
世の中のサラリーマンってそんな同僚の給料とか仕事量とか把握して
5000円でも違ったりするとギスギスする。
中途で入ってきて、役職が高かったりすると、まず古参の平社員とトラブルになる。
「なぜあいつのほうが多いんだ!」というのは、判断基準がクリアじゃないからで、
もしそれをクリアにできれば、
究極の民主主義じゃん?ってことで書いた。
基本は同じ発想ですよ。
営業マンと開発・間接部門がギスギスするのはコミッション性と固定給制の違いも一因としてある。
少なくとも不公平感がなくなるかなと。
これは書いた直後に思った。
少人数だと談合とかが起きるのは明白で、だから全社で透明にするしかないですね。
あと、給与も全員オープンにすることが前提となるので、まずそこがイヤな人は入ってこないから、
そういう人材がキックバックとか談合を好むとは思えない、ってのはあるかも。
「自分は今月これだけのタスクをやったので給与アップを希望します」
って言える人が入ってくる。
これを公平に達成するには、一社だけだと厳しくて、絶対にブラックボックス化する。
タスク内容を国レベルでオープンソースにしないとだめかもしれない。
ああいうかんじ。
「A社ではこれこれタスクを〇〇円でやってました~」って実績で活動すれば、
「ウチでは〇〇円ですが大丈夫ですか?」みたいな。
それこそ資本主義じゃない?
「本日は良いお日柄で・・・」「趣味はなんですか?」「アハハハハ…(ちいかわ)」
そこでオープンソース化ですよ。
JDに書かれているタスクと募集職種でだいたい平均値に収れんしていくはず。
同業種で業務内容がめちゃくちゃ違うなんてことはないんだから。
まとめたら国が基準として発表する。
今までになかった新しいタスクの時にどうするか、は、
それをベースに毎月全社員で固定タスクの単金に落とし込んでいく、みたいな。
そのために、参考にできるオープンデータ(勘定項目)みたいなのがあればベスト。
50項目も抱えてれば、明らかに給料高くても誰も文句言えない、みたいな。
むしろ「この毎月発生してるトラブル解決タスクはなんですか?」と、
突っ込まれてやりづらくなりそう。
すべてガラス張りのタスクになるから、闇でやるのが好きな人はいろいろ不都合感じそう。
まあ実現性はともかく、
「スキルの希少性」は、その人の財産になるのでは?と思ってる。
今の正社員システムは、スキルの希少性がない人ほど、転職できなくなる。
他社で使いまわせないから。
逆に会社としては都合がいい。
とがった人材を作らせない。
これで飼いころしにできる。
成績表の英語数学美術体育でオール3の人材を作る。(忠誠度だけは5)
これがほとんどの会社員の、「月曜日に仕事にいきたくない病」の、
遠因なのではないかな?と思ってる。
今回は、どれかを5にしてほかは2とか1でいいという案ね。
タスク量を定量評価して、人事に反映させるのが上司の仕事なんだけど、日本の場合は給料払えば定額使い放題と思ってるから、優秀な人間の評価ができない。お金を稼ぐには残業。優秀かどうかは能力ではなく(時間)
ある意味、処女を開発して洗脳させるのが新卒採用だからなあ・・・。
経営者には都合がいいのだろうけど。
時間給だと、どうやって一つのタスクにかかる時間を延ばすか、にスキルポイントを振ってしまうのはあると思う。
結果として、その人の能力50%も使ってないってことになるのでは?
JDを明らかにして、その人が意識的にスキルをチョイスしたほうが、長期的にはいいと思うけどなあ。
完全歩合制みたいなの考えたりもしてたけど、結局それやりだしたら無能が弾きだされるし、
効率最優先になって、どんどんいらない仕事が減っていく(失業者だらけになる
そろそろおかしいんじゃね?と気づいていいんじゃないかっていう。
まあ効率最優先になると、国レベルでどんな弊害が出るかもしれないし。
なので10万円っていうのは、ベーシックインカム・セーフティネットのつもりで書きました。
まあAIやRPAが発達すると、多かれ少なかれそっち(効率優先)の方向になっていくのかと。
そういうことができなくさせるための仕組みづくりが、今回のアイデアって感じですね。
民主主義を捨てると何が起きるかってことが。
ほかの社員への協力というのもタスク化されるから、それも成果として可視化される。
あと、このモデルが仮に実践されるなら、教育も必要なくなると思ってる。
最初からタスク内容が100%分かって入ってくるのでミスマッチがない。
風通しについては、
給与とスキルデータが全社員に可視化されるから、全員スケルトン状態。
誰もやりたがらないタスクは少しずつ対価が値上がりしていく仕組みとか試してみたくはある
これは思いつかなかった。
これができれば究極だよね。
明らかなブルシットジョブでも、誰もビッドしなければ値上がりして、最終的に誰かが食いつく。
MSはバルマー時代にこういう評価制度を導入したら皆が自分の短期的成果に繋がる仕事だけする状態になったので、ナデラCEOが「他メンバーの評価に貢献したら評価ポイントがつく」という制度に改革したという逸話がある
「マネージャが自分の仕事やキャリアを助けてくれる」のあたり。
https://www.publickey1.jp/blog/22/1_regional_scrum_gathering_tokyo_2022.html
そんな回りくどいことよりやっちまえよ、セックス
やっちゃえ日産
「プリキュア」「ワンピース」など、東映アニメーション4作品の通常放送再開が発表 「お待たせをして申し訳ございません」
https://animeanime.jp/article/2022/04/06/68680.html
約十年前、曇りだったあの日。新卒で入った会社で人材営業をする日々に疲弊していた頃、新宿駅構内で、あるエンタメ企業の求人ポスターを見かけた。
アニメを作る仕事をしたことはなかったが、興味を感じて応募したところ、あれよあれよという間に内定をいただいた。役員面接はパスだった。
それからの私は、『アニメを作る仕事』に邁進する日々を過ごすことになる。長い時間だった。毎日が修業だった。
数年前、無理がたたって病院送りになった。心も体も限界だったのだ。大したレベルではないが後遺症も残った。退院後も結局、心身の調子は回復しなかった。
それで、退職を申し出て、東京から遠く離れた田舎に帰った(のんのんびよりの聖地が近くにある)。今はお堅い仕事に就いている。
十分な時間が過ぎた。そろそろ、当時を振り返ってもよいのではないか。あの日々への整理を付けられるはずだ。今から、エンタメ企業のアニメ部門で○年の時を過ごした男の話をする。
この記事で述べたいのは、シンプルに2点(5/4 以前はシンプリーでした。ブクマでご指摘いただきありがとうございます)。エンターテイメント業界で働いて面白かったことと、つまらなかったことだ。直情的に言うと、『心と体の奥底から感動できたこと』と、『エンタメ業界のほの暗いところ(要するに、こいつらマジでクソだなと思ったこと)』だ。どちらもけっこうな数がある。
それでは、さっそく説明していく。
子どもの頃はアニメが好きだった。一番ハマったのは、『魔法陣グルグル』だった気がする。衛星放送では『白鯨伝説』やCLAMP作品を見ていた。
だが、小学校生活の終わり頃から学習塾に通うようになり、夕方以降にやっているアニメを見れなくなった。中学で勉強漬けの日々を過ごしていた私は、いつの間にやらアニメのことを一切忘れてしまった。
いや、違う。大学の時は、深夜にやっているアニメをたまに見ていた。「コードギアス」「DARKER THAN BLACK -黒の契約者-」「蟲師」「夏目友人帳」あたりは確実に見ていた。
人材営業の会社で働くようになってからは、金曜日の深夜に自宅に帰った時、疲れ切った頭でテレビを点けて「こんなアニメあったっけ」と、ボンヤリした気分で視聴することがあった。
私はたぶん、アニメが好きだったんだろう。なぜ見なくなったのかと言えば、十分楽しめるだけの精神的余裕がなかったからだ。ならばいっそ、見ない方がいい。中途半端に楽しむのは嫌だ。中学生になった時も、そんな動機でアニメを一切見なくなったのだ。きっと。
そんな私が、アニメーション作品などを作る会社(以下「弊社」という。)に入社した後は、これまたどっぷりと『世界』に浸かることになった。入社から退職まで人事異動はなく、ずっとアニメ製作部門だった。
最初の頃は、アニメ雑誌のインタビュー記事に出るようなプロデューサーその他の足もとで働いた。雑用はもちろんのこと、小さい企画を考案したり、経理その他の事務や、各関係者とのスケジュール調整などを担っていた。ホワイトカラーに毛が生えたような業務内容だ。
ところで、人生で一番最初に携わったアニメは、某少女コミックでそこそこ人気を博した作品だった。タイトルは言わないが、雰囲気は『隣の怪物くん』に似ている。私が入社する半年前から企画が始まっており、当初の担当者から引継ぎを受けた。携わったといっても、スタッフロールに名前が載るわけでもない端役としてだが。実際、大したことはしなかった。やはりホワイトカラーの枠内に納まる仕事だ。
しかし、これは実際に私の世界を拡げてくれた。方々の兵が集まる企画会議に、必要とあらば関係各所を訪問して説得交渉にあたり、お金の雲行きが怪しくなればどうにかやり繰りをする(ダメなら追加出資か企画削減)。ごく稀に、スタジオ等の収録現場では声優の本気と、半面その悲哀を目の当たりにし(ここらへんは後述)、成功した作品の打ち上げ会では、自分達が作った数字を眺めて溜飲を下げる。
長い月日が経って、エンタメ業界に慣れてきた頃だと、新作の立ち上げに、利害関係者間の調整(交渉)に、プロジェクト全体の損益見通しの皮算用に、イベントの企画運営に、ホームページの管理に……とにかく、アニメを見ない日はなかった。
面白かったのは、いろんな業界の人に会えることだ。クリエイターには当然会えるし、経営者にも会えるし、事務屋とも話をするし、現場労働で身を焦がす人も間近で観られる。特に印象に残っているのは、漫画家と声優だ。アニメーターとは、あまり交流の機会がなかった……。
とあるアニメの原作者が一番印象に残っている。つまりは作品の神だ。例の人と呼ばせていただく。
例の人は、ほかの漫画家とは一線を画していた。私がいっぱしに携わったと公言できるアニメは計20本近くになるのだが、その半数は漫画原作である。私達は、最低でも一度は彼ら彼女ら(作品の神)の姿を拝むことになる。機会は少ないが。
原作とシナリオを変える時には事前に伺いを立てるし(ex.某鬼狩りアニメの敵役の台詞である「禍福は糾える縄の如しだろ~」は改変が検討されたらしい。彼が難しい言葉を知っている境遇ではないため)、重要な放送回だと制作現場に来てもらうし、打ち上げその他のパーティーがあれば楽しんでもらえるように最大限配慮する。
自作がアニメ化されるレベルの漫画家や小説家というのは、揃いも揃って個性派だ。めちゃくちゃに大騒ぎをする人もいれば、ひたすら黙って沈思黙考の人もいれば、なんかもう色々とはっちゃける人もいれば、欲望丸出しで悪い意味で子どもみたいな人もいれば、一般企業でも通用しそうな思考や行動の持ち主もいる。
例の人は、漫画家として優れているだけでなく、人格も見識も申し分なかった。落ち着いた性格で、人柄がよくて、教養もあった。話のやり取りすべてが学びに繋がり、励みになった。初めて会った時の吾峠呼世晴さんは、とにかく、これまで出会った数多の創造者の中で抜きん出ていた。
普通、ラスボスの人格の根底を太平洋戦争末期の日本の政治指導者(所謂ファシスト)に置くなど、誰が考えつくだろうか。私は、鬼舞辻無惨の例の粛清の場面を読んだ時、丸山真男の「現代政治の思想と行動」が真っ先に頭に浮かんだ。あの時、脳に痺れを感じたのを覚えている。
この類の書物を読んで、無惨様のキャラクターを作ったのは間違いないのだ。自らを善とするためであれば、どんな言辞をも取り入れ、どんな諫言も亡きものにする。
例として、あの粛清の時に魘夢が助かったのは、「無惨様を肯定したから」だ。「下弦の鬼を解体する」というトップが決めた戦略方針が、たったの一言で撤回された――常なる無謬性がファシズムの基本である。
あの時、「無惨様のキャラ付けは旧日本軍を意識したのですか」と聞いておけばよかった。残りの人生で聞くことができる機会は二度とない。無念だ。
しかも彼等はみな、何物か見えざる力に駆り立てられ、失敗の恐しさにわななきながら目をつぶって突き進んだのである。彼等は戦争を欲したかといえば然りであり、彼等は戦争を避けようとしたかといえばこれまた然りということになる。戦争を欲したにも拘らず戦争を避けようとし、戦争を避けようとしたにも拘らず戦争の道を敢て選んだのが事の実相であった。政治権力のあらゆる非計画性と非組織性にも拘らずそれはまぎれもなく戦争へと方向づけられていた。
この業界で働いていて、「この感じ、苦手だな」「マジでクソだな」と感じたことは当然ある。字数の関係もあるが、何点かに分けて述べていく。声優の悲哀とか、人間の嫉妬やねたみの話になる。
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まだ新人だった頃、先輩(兼上司)に連れられて現場を見ることがあった。現場というのは、アニメ制作会社とか、編集スタジオとか、音声の収録現場などだ。
そのためだけに現場に行くのではなく、何かの機会のついでに現場作業の見学を申し出るのだ。それで、不思議に思って聞いたことがある。
「(私達は)技術的なことはわからないのに、どうして現場に行くんですか?」
と。それに対して、彼はこう言っていたはずだ。
「確かに分からない。仮に、目の前で手抜きをされたとしても見抜けないだろう。でも、企画側である俺達が現場に行くことで、『あなたの仕事を見ている』というメッセージを伝えることができる。俺達はこの作品に熱をもっていて、いいコンテンツを作れる未来を目指してる。そういう想いを行動で伝えるんだ」
みたいな回答だった。
これは今の私が大事にしていることでもある。要は、発注側が受注側の実仕事をどこまで見るべきかという話だ。今現在の私は、受注側の失敗が社会的に許されない類の仕事をしている。転職後に大きな失敗をしでかさなかったのは、あの先輩のお陰だ。
さて。私が二十代後半の頃だ。例の先輩と一緒に、声優がいる収録現場に初めて音連れたのは。スタジオに入ってしばらく進むと、小ホールみたいな広い空間(座椅子が並んでいる待合スペース。十数人はいた。ほぼ声優+マネージャー)に出た。その奥に、マイクが並んでいる部屋が映った。木目調で温もりを感じる、しっとりとした空間なのだが、当時の私に予想できるはずもなく。カラオケみたいだなー、とテキトーに想念していた。
私と先輩が小ホールに入るなり、セミフォーマルな恰好の何人かが寄ってきて、隣にいる先輩に挨拶していた。私も混ぜてもらい、名刺を交換した。
雑談が終わって斜め後ろを振り向くと、女の子と淑女が1人ずつ、あとは男の子が1人、まごつくように並んで私を見ていた――人生で初めて見た声優だった。後で知ったが、攻めのある挨拶活動で知られる声優事務所だった。
ひとりずつ私達の前に出てきて、「~~と申します。(簡単な自己紹介)よろしくお願いいたします!」と、ハキハキした声でアピールをやってのけた。そのうちの淑女は、私の着ていた衣服(お気に入りのやつ)と指輪を褒めるとともに、香水をつけていることを見抜いた(やるな……と感じた)。男の子は謎の一発ギャグを仕掛けてきたのを覚えている。
※かなり昔のことだが、内容は一応伏せる。当日記では、声優個人の名前を出すことはない。
私も「よろしくお願いします」と返したものの、微妙な気分になった。たとえ私がどれだけ昇進しようと、彼女たちのキャスティングに関わる可能性は皆無だからだ。まったくゼロではないが……。
例えば、アナウンサーになりたい女子大生は、いろんなイベントにコンパニオンとして参加することで武者修行をするわけだろう。それらのイベントでは、今後関わり合いになる人だろうと、これっきりの人だろうと、あの子達は全力で挨拶活動をしていた。熱意は感じるのだが、やはり私には引っかかるものがある。
こんなことを思っている時点で、私はそういう職業には縁がないのかもしれない。今、私は『効率』という観点で物を考えた。あの声優の子が私に挨拶をしても報われる可能性はないのに、と考えた。夢中になっている人間は効率のことは考えない。やれることをすべてやる。それだけだ。
何かに心をとらえられ、たちまち熱中してしまうのは、謎にみちた不思議なことだが、それは子どももおとなと変わらない。そういう情熱のとりこになってしまった者にはどうしてなのか説明することができないし、そういう経験をしたことのない者には理解することができない。山の頂を征服することに命を賭ける者がいるが、なぜそんなことをするのか、だれ一人、その当人さえもほんとうに説明することはできないものだ。
はてしない物語(1982) 上田 真而子 (翻訳), 佐藤 真理子 (翻訳), Michael Ende (原著) P.17
あの子達は本気だった。報われようが報われまいが、声優として活躍すると決めたからには、生き残るために何でもやる。上でURLを貼ったアマゾンのレビューにもあるが、声優は堅気の仕事ではない。勝った負けたで全部決まる。精一杯頑張っても生き残れる保証はない。選ばれた者だけが生き残る――余談だが、あの時の淑女と男の子は今でも活躍している。女の子はだめだった。
さて。淑女と男の子は、実力があるうえに、礼儀正しく、サービス精神も豊富だった。それが生き残った理由だ。しかし、声優全般が行う営業活動には後ろ暗いものも当然ある。5ちゃんねるとかで、たまにアニメ業界の出身者がスレッドを立てて降臨することがあるだろう。
それで、やり取りの中で、誰かが「枕営業ってあるの?」と質問をする。スレ主は「そんなのないよ」「聞いたことない」と応えるのが定番だ。
これは、私個人の日記だ。この際だからはっきり言う。枕営業をしている声優はいるし、やらさせている声優もいる。重要なフォローをさせてもらうが、芸能界の表舞台――ひとつの契約で何百万もの金が動く――に比べれば圧倒的に数は少ない。声優関係のギャラというのは、例えば女性タレントが出るCM撮影や、青年誌のグラビアや、全国各所での公演活動と比べても相当に廉価だ。1回の収録につき数万円以内で呼べてしまう。表舞台に比べると利権は少ない。
それでも、そういうことはある。パターンは簡単に分けて2つ。いっぱしの声優になりたい、もしくは声優であり続けたい者が、キャスティング権がありそうな人に近づいて配役を得ようとする。
スタジオでの雑談や、小さい贈り物や、二人きりでの食事くらいで留めておけばいいものを、一線を超えてしまう場合もある。私が30才を過ぎた頃、例の収録現場で、声優に「よかったらご飯行きましょう」などと声をかけられたことがある(最終的な内訳:男性が2人、女性が5人)。
その際、はっきりと「ごめんね。私にキャスティング権はないんだ」と答えた場合、彼ら彼女らを傷つけてしまう可能性が高い。いや、はっきりいって『侮辱』である。なので断り方が難しかった。「帰って社内会議があるので」みたいな返答をしていた。
これはまだいい。声優個人or事務所の意思の問題だ。「あの役がほしい」とどうしても思っていて、そのためなら何でもやるという覚悟と責任さえあれば、枕営業は罪ではないと私個人は感じる。「この業界は堅気じゃない」とはそういうことだ。
(追記)正直に言うと、私の妻が声優だった頃に食事に行ったことがある。私から誘ったので上の内訳には入れていない。
以上、「この感じ、苦手だな」と思ったことを述べた。以下に語るのは「マジでクソだな」と思ったことになる。すなわち、個人が望んでいる保証のない枕営業のことだ。アニメ業界に限ったことではなく、エンタメ業界には先日話題になった映画監督のような『畜生』が何人もいる。結果を出している人間の一部がやりたい放題やっているのだ。
まだエンタメ業界にいた頃、そんな人間に捕まったと思われる(主に女性)声優の話を聞くたびに胸が痛くなった。このような話題が、どうして私などの塵芥の耳に届いているのか……? そう考えると、さらに心が抉られる思いがした。
おそらくは、やった本人または関係者が面白がって吹聴している。私のところまで噂が届くということは、そういうことだ。いろんな声優の姿が脳裏をよぎった。「あの子は大丈夫だろうか」といらぬ心配をしてしまうほど、当時の私には『噂』がグッサリと刺さった。
さて。エンタメ業界に恩があるのも事実だ。下種な話題はこれくらいに留めておこう。気が付けば字数がない。前後に分けることにする。
【後編】
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
空にサンライズ でもマジ暗い
なら俺がぶったぎろう この先を切り裂き
とめどない自殺者 誰もみないや
助けてやろうや それが武士の心だ
俺は勇敢だ 悪に立ち向かう
金と権力その他諸々
お前ら何してンだ それが実力か
まずは一階 軽く蹴散らす
これで終わりかい?
スラッシュキル 俺はサムライこの先行く手に待ち受けるものはなんだ
話を現代に戻す
差別はまだ消えぬ
レイシストマジ消えろ
国も国だ マジなんなんだ
下への格差は埋まってねえ 俺は助けてえ貧民を
恐怖を断ち切る 悪は全てKILL
今俺はここにいる それが全てを物語る
ダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュダッシュ…