はてなキーワード: アートとは
かっこよさとかオシャレとかを追求していくとある段階で反転して
Suchmosの音楽とかなカッコよくてオシャレなはずなのにある瞬間にいっきに反転するやろ?クッサってなるやろ?
でもな、そんななかに本当に普遍性のあるカッコよさがときおり生まれる。
カッコよさ、オシャレを追求していったものである閾値を超えた瞬間にいっきに格好悪くならない普遍性のあるものが生まれる時がある。
いや〜、最近ネットで絵師を叩く声が多くてびっくりしますよね。イラストレーターの皆さんって特別な才能を持った、ちょっとした神みたいな存在じゃないですか?それなのに、「ビジネスのことがわかってない」とか、「納期を守らない」とか、文句をつけて叩くのはさすがにお門違いじゃないですか?
そもそも絵師さんたちはビジネスマンじゃないんです。イラストを描いて表現しているわけで、ビジネスの知識とか交渉スキルがどうこうって、正直そんな必要あります?「個人事業主のくせに交渉スキルがない」なんて言われますが、絵師の仕事は作品を届けることで、そこに余計なビジネス感は不要ですよね。
「納期を守らない」って批判もよく見かけますけど、アートにそんなピシッとした締め切りを押し付けるのが無理ってものです。絵師さんたちが一枚のイラストに魂込めてるんですよ?ちょっとぐらい納期が遅れたとしても、むしろワクワクして待ってればいいんです!
そして、最大の問題。無断学習ですよ!AIが勝手に絵師の作品を学習しちゃうなんてあり得ません!イラストはただの画像じゃなくて、描いた人の感情や経験が詰まった「魂の結晶」なんです。イラストの権利だけは絶対に守られるべきです。
イラストって今はSNSで目にする機会も多いですし、心に響くものがありますよね。だからこそ、もっと絵師さんたちを特別な存在として敬ってほしいです。
理不尽な叩きや批判は、クリエイターにとっても応援してるファンにとっても悲しい話です。みんなで絵師さんたちを支えて、もっと応援しながら一緒に素敵な作品が見られるようにしていきましょうよ!
アトミックハート、ボレロのが好きなんだよね。名もなき詩、マシンガンをぶっとばせ、ありふれたラブストーリーは最高だけど。暗いのが悪いっつーより、手紙とか花は歌詞が陳腐すぎんだよね。桜井の野暮ったい歌詞は好きなんだけども。タガタメで言えば「ディカプリオの出世作ならさっき僕が録画しておいたから」って詞はなんも上手いこと言ってないけどすげぇ好き。でもそっから後はもう説教で面白くないんだよな。深海は説教つか言い訳部分が長すぎ
スピッツ「おるたな」
B面集とカバー曲。花鳥風月も色色衣も好きなんだけど、これは演ってる側が楽しみすぎつーか、趣味出しすぎじゃんって。三日月ロック以外微妙。でもA面曲は全部いいんだよな。
吉井はジャービスコッカーの生き別れの弟を自称してるし、カバーアートもピーターサヴィルのパロディだし、ジャムやバラ色の日々で曲のセンスがいいのも知ってるし、秀逸な和製ブリットポップが詰まってんだろうなぁ…で、期待して聞いたら微妙でした。
ガリレオガリレイ「Baby, It's Cold Outside」
ミニアルバムだけど。「ポータル」が良かった分、なんでそれよか微妙になってるねん…という。今調べたらワザと音数減らしてたらしく、そこが好みに合わなかっただけかも。(ベルベッツもあんまり良さわからんのだが、やっぱり音スカが苦手なんだろうな。メタルマシーンミュージックの方が好き)
ダサPVことバビロン天使の歌、毎回カラオケで歌うくらい好きでアルバムも楽しみに聞いたら…バビロン以外微妙で、シングルだけ良かったパターンだった。(星野源のアルバムもシングルだけパターンだけど、シングルは売れ線でヒットさせてアルバム曲で好きなことするってのはやり方として理解る)
コンセプトアルバム好きなんだけどなぁ。オペラだからダメなんかなぁ。アメリカンイディオットは好きなんだけどなぁ。たまにどこかで聞いたフレーズがあってそこは面白かった。なんかのBGMで引用されてたのを聴いてたんだと思う。歌詞がわかってたらまた違うのかも。
名盤と言われて聴いてみたら微妙だったパターン。カバーアートはサイケだけどなんか普通。曲はいいんだろうけど好みではなかった。
ザ・キュアー「Staring At the Sea - The Singles」
ボーイズドントクライは良かったけどあとは合わなかった。シングル集だけどシングルだけよかったパターン。
ヒプノシスは好きだけど、このアートも名作とは言われてるがそんなにいいとは思えん。演奏は上手いとは思うが好みじゃない。やっぱ音数が少ないと微妙なんだろうな
パルプ「WELOVELIFE」
ThisisHardcoreはまだわかるが、これはメンバー変わってないけどパルプじゃないじゃん
suedeのNewmorningは躁すぎてついていけなかったけど爽やかブレットアンダーソンって珍しいモノが見れたから無価値じゃないんだよ。でもこれはジャービスがやる意味なくね?って。
suedeは再結成の来日でNewmorningの曲やってた(気がする)が、パルプは1月の来日でwelovelife曲やるんだろうか。
朝晩寒く、冬めいてきましたね。
僕は季節の変わり目は体調を崩しやすく
例にもれず、連日鼻水垂らしています。
https://itest.5ch.net/subback/river
ですが、僕が少し意外だったのが
『悲観論』を論じている人の多さでした。
しているよ!という変化そのものであって
ので、少し意外でした。
変化の一つですが、
かなりびっくりしました。)
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狭まっていくというものではないと思う
大きな理由の一つに
みなさんは、どんな絵を『良い絵』と感じる
でしょうか。
『躍動感がある』
『色使いが綺麗』
『完璧な構図』
『その絵の向こうに自分を見ることが出来る』
だと思っています。
よくかけているという他に、その絵を
今思っていること。これからどうしようかなど
まるで写し鏡をみているように、絵を見て
ような感覚になる。
もちろんそれが良し悪しの全てではないですが
そんな絵が、僕は良い絵だと感じることが
多いです。
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見ていようと、その絵を媒介にして、
写し鏡にして自分自身を眺めようとするのです。
あっても、僕はまったくその側面がなく
その場その場で消費されるだけの絵なのか
というと、そんなことはないと思います。
その絵を眺めている時、
うちに、このカードを手に入れた経緯や
対戦の思い出。友達とのやり取りや、
あるでしょ??
いつの間にか誘ってくれるかどうか。
それが絵の役割として大きいと僕は
思っています。
役割を果たすことができるでしょうか?
僕はおそらく、なかなか難しいと思っています。
『ああこの人は、色々あってこういう作品を
描いたんだな。俺もこの人と同じような
ことが過去にあったなあ。』
『この人はこういう答えを出したのか、
すごいなあ。俺も負けずに頑張らない
とな...!』
など、自分に置き換えて考えることが
しやすいのではないでしょうか。
もしくは疑われる作品については
『無料で読めて嬉しいとは思うけど、何の苦労も知らない
すぎないんだよな....。すごい時代だ。』
心のどこかで覚めている部分が邪魔をして
やはり鑑賞者側の拒否感が強いのです。
ことなく、その場その場で消費される
しれません。
いく過程にすぎません。
という危惧は、そこまで持たなくても
良いように感じています。
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漫画村があるよ。という例を挙げたまでです。
日夜激しい論戦....というか、半ば喧嘩みたいな
感じで言い合いがされています。
0:100の議論をする段階はすでに過ぎて
いると思っています。
というか、仮にその段階だったとして
その流れを止める力にはなれなかったでしょうし、
そんな暇があるのだとしたら、僕は現役の
その辺は役割分担です。
何か大きな変革が起こったとして、
その変化をどうやったら面白く利用できるかを
考える人たちな気がするんですよね。
僕が漫画村について『警戒(Abemaに出た時に
今更無いかのごとく、もしくは無くせるかのごとく
ふるまえというのは、無理があるでしょう?
良い例えかどうかは分からないですが、
いるとしたら、水が迫ってくる前に住める場所に
移住することを考えるでしょうし、なんなら
水位が変わって海岸線が移動するなら、逆にその
死ぬだけです。
確かに今の漫画村は違法アップロードのURLだけを掲載することの法解釈の問題など、大きな問題を
ものが少ないのは確かですが、
無くなるのかといったら、それはないと
僕は思います。
無くすのではなく、みんなにとって利益のある
正直なところだと思います。
僕もできれば、そんな状況でこの問題について
言及して、あえて蜂の巣になりにいくようなことは
したく無いのが本音なのですが、
冒頭の動画では、
あるよ。』
『全部が沈むわけじゃないけど、こっちに来るなら
言うまでもないですが、
含まれていませんね🍀
絵師やその取り巻きの界隈がよくいうセリフに「絵柄パク」ってのがあるけど、あれマジで意味わからん概念だよね
AI関係の議論が活発化したのと比例して「絵柄をパクるなー!盗むなー!」みたいな主張も増えたようだけど、そもそも反AIが蔓延る前から絵師界隈ではよく絵柄パクについて学級会が行われていたように思う
本気で不思議なんだけど、絵師様って自分の絵柄は自分だけのものだと本気で思ってんの?
もっと言えば、自分の絵柄は過去のどの絵柄も模倣していない唯一無二のものだと本気で信仰しているの?
芸術全般に言えるけど、あらゆるアートはスタイルの模倣から始まっている
例えば文学なら自然主義とか新感覚派とか派閥の中で相互にスタイルを模倣し合ってそのジャンル内で色々な創作物を作り上げてきた
映画だってヌーベルバーグとかヒッチコック風とかスコセッシ風とか基本的には先人の作った映画のスタイルを模倣してそれを受け継ぐことで新しい芸術を生み出している
絵師様はダリはキリコのパクリ!とかヒプノシスはマグリットのパクリ!とか言っちゃうわけ?
今の絵師様の描いている絵なんて大概は大友克洋の丸パクリだよ?
大友克洋が切り開いた漫画における写実表現の先に桂正和がいて、そして桂正和が切り開いた「顔はアニメ調で体はエロテックな写実表現」って画風の先に今の絵師様の絵柄があるわけで、そこらの絵師様の絵柄ってのは先人たちの模倣の域から全然脱していないわけじゃん
先人たちの積み重ねてきた画風を丸パクリしておきながらそのことを自覚せず「絵柄パクは犯罪!」ってのたまう絵師様は流石にいくらなんでも傲慢が過ぎると思うよ
じゃあ今すぐ自分がこれまで読んだ漫画の作者なり見てきた画集の作者なりに謝罪しなよ
自分の糧になっているはずの先人たちの芸術作品に敬意も持たず自分の絵柄を自分だけのものだと思い込むのは大げさに言えば芸術活動を貶める最低な振る舞いだよ
AIなんかよりもその振る舞いのほうがよっぽどイラストの価値を毀損しているし、何なら一般層に嫌悪される最大の要因だとすら思うわ
絵師様やその取り巻きが模倣という行為に対して発揮する敵愾心は本当に異常
あれって一体何なんだろう
まがりなりにも『絵師』を自称するなら絵柄をパクられたときには「俺の芸術のスタイルに追従者が現れた!やったー!」って喜ぶべきでしょう
俺自身、AIについては色々と議論すべき部分も多いだろうとは思ってる
でも、絵師様特有のこの内向きに閉じた教養のなさ、傲慢な思考ってのが垣間見えるたびにAI規制論は絶対に支持されないだろうなって暗澹たる気持ちになる
SNSってほんとクソだよなぁって思うんだよね。ゴミ情報の下水道でしかねぇ。
対面で会ったこともねぇ連中の私生活の開陳を見せられて何が面白いんだ?
お前がいくらネット上で俺と親しいようなフリをしようと、すげぇ浅ぇの。
画像とか動画のようなコンテンツだとしても、イラッとするようなのが多いんだよな。
誰かを非難するためだけに書かれた漫画とか、選挙動画とか、俺は興味ねぇの。
猫とかミームとか見てるとキレそうになるんだよね。
なんでこのゴミを俺に見せるんだろうなって。
numpyのアップデートを追う?githubをRSSフィードで追うとか、そういうのでいいわけで、Xのnumpyアカウントをフォローする必要はねぇよな?
最新の数学研究について知りたい?arxivをRSS購読すればいいよな?
なんで発信してるの?そんなゴミ情報を。男女論?弱者男性論?フェミニスト?ウゼェだけだろ。
Xの最もクソな点は、おすすめ、トレンド、リツイート。俺の興味のないことを表示するからイライラが勝る。
ぐらいのもんだな。
https://anond.hatelabo.jp/20241021004208
典型的な誤解に基づいて書かれた考察があるので叩き台にしてタイトルについて語っていく
その生成AI自体について有用性や仕組みへの誤解についての議論はしない(例えばこの考察は明らかに生成AIの「学習」や「再利用」についても誤解しているがここでは無視する)が、最低限押さえておいて欲しい事を書く
読むのが面倒な人向けに概略を書いておくが勝手に自分の妄想上の西洋とか欧米を使うなよ、という話である
例えばCELSYSのCLIP STUDIO PAINTに生成AIが導入されるという議論の際に強い反発を受けた事を日本の後進性に基づいて言説が展開していたが
しかし、IR情報などを参照すれば解る様にそもそもユーザーの半分以上は海外であり、去年の売上も8割が海外からである
当時のコメントやそれにまつわる言説を読めばグローバルな、特に欧米のユーザーからの反発が最も苛烈であった事が無視されており
最近の例としてProcreateのかなり強硬な反AI声明を見れば明らかな様に現在では海外においては一定の見解として定着している
イラストを扱うコミュニティについて比較すれば国内とアジア圏で筆頭のPixivはタグ付けによる仕分け程度であり、クローズドなSNSの割にかなり寛容な方で
使用者の米国人比率が非常に高いRedditの自作アートの話題を扱うr/Artはかなり初期の時点で生成AIを禁止しているし、DeviantArtでの生成AI周りの導入に纏わる訴訟騒ぎは言うまでもない
そしてその締め付けが進んでいる最も顕著なジャンルであるこの文章を書いたらしい人間が所属している「音楽分野」では演技分野における声の扱いとセットの流れで生成AIは最も警戒されている
これは生成AIがハイプな話題として持ち上がる前史として、2010年代後半から著名な政治家やミュージシャンの声を使ってラップや演説を行ういわば「音楽版のディープフェイク」が流行していた事が要因になっている
例えばオバマ元大統領辺りがかなり厳ついラップをしたりする動画等は簡単に見つかるだろう
そういった事を踏まえた上でハリウッドでは組合による生成AIの脚本利用や俳優組合によるストライキが起こっているし、今年はテネシー州でELVIS法が制定されている
無論これはテネシーの出世頭エルヴィス・プレスリーの名から取られた法で、俳優やミュージシャンの声を財産として保護し無断使用に対して罰則を与える法律である
おそらく音楽分野では早い段階でiZotopeがやっている様にAIを利用したマスタリングツールが早い段階で誕生しているし、サンプリング文化等の下地もあるので
アメリカの音楽界隈は先進的、寛容というイメージを持っているのかもしれないが、個人の創作性に関する部分ではむしろ日本とは比べ物にならない程生成AIに対して強硬な反発をしており大間違いである
総じて生成AIの創作による利用に関して強い反発を行った事でアンタッチャブルになりつつあるのはアメリカとEU(ここでは多くは語らないがAI規制法が今年発効されており、汎用生成AIシステムでは透明性義務が必須となる)を中心とした欧米圏であり
むしろ日本は最近になって声優業界がかなり折り合いをつけた内容の声明を出した程度で、政治的にもAI戦略会議の内容を見れば国家戦略として5Gの使い道として取り込む目的もありかなり推進側にあるのは明らかである
元の文章では何故かパルワールドについて語っているが、これは欧米圏のゲーム文化における「不寛容」な任天堂の問題による
反発が加味されたものなで生成AIやフェアユースの議論の範疇だけで語る事はできない
特にMOD文化や大会開催等においては海外メーカーでは考えられない締め付けや法的措置を取ってくるのでその側面では任天堂の評判は非常に悪く、常に揶揄の対象になっている
それに対して冷水を浴びせかけたパルワールド、という立ち位置からの支持である事は忘れてはならない
元考察では欧米圏で「寛容」な理由として神から与えられたものとして創作の才能を扱っており、使命故に公益的な要素が大きかったという趣旨が語られているが
その要素はむしろパトロネージュにおける文化的な見解を極端にしたものであり、宗教的な原義からすれば真逆の見解を語る事ができる
例えば、欧米圏で「不寛容」な理由としてそういった神から与えられたものが機械で代替できる事への反発が大きいといった様な語りだ
この程度の見解はアブラハムの宗教における人間中心主義の位置付けを考えれば簡単に想定できるし
そもそも上位存在から与えられたものとして芸術を扱うのは欧米圏だけでなくアジア圏でも一般的な事であって固有のものではない
加えて創作論にはあまり踏み込む気はないが、元記事で無警戒に当てはめられている様な現代人の創作に対しての概念は近代以降のものであり
当時の感覚は全く異なっていて個人というよりも職人的に作られており音楽や絵画は信仰を広げる為のメディアとしての役割が非常に大きく、そのまま現代に結びつけて語る事は非常に危うい
自称ではあるが「クリエイターのレベルが高い」筈の分野に所属している人間ですら何故こういった事実や経緯を知らないのか?
ほとんどの日本人は英語が読めないし読む気がないし経緯や文化を理解する気もないからだ、と言ってしまうと身も蓋もないのだが多分この辺りが原因なのかなと思われる
少なくとも前半部分に関しては多少掘り下げて見てるだけでも幾らでも出てくる話なので、英語読めない以外の理由が思いつかない
それでもこのツッコミどころ満載の言説がなんとなく受け入れられているのは伝統的に欧米から先進的な流れを受容してきた日本、というステレオタイプがあるからなのでは無いだろうか
とりあえず存在しない「西洋の先進性と寛容さ」をでっち上げて議論を行うのは、少なくとも生成AIに関しては大間違いなので今すぐにでも止めるべきである
どのへんなんだろう
イラストを描く人がこぞって対策をしていて、絵柄や表現技法など身につけたものを掠め取られるのは我慢ならん、というのはよく分かる
あれは結構許されてる感じがする
そこは問わない感じ?
自分としては生成AIの推進も反対も定まってないので、やっぱ熱くなる話題なんだなーと眺めた
権利関係の問題、として捉えている投稿がいくつかあって、なるほどと勉強になった
確かに「本来その人が作成し、正当な対価を得たはずのものを無関係の人間がAIに学習させて作って横取りする」てのは権利上よくないな
さらに「本人が意図しない主義主張をされる」「模倣の質が低く、それを見た部外者に自分の価値を貶められる」とか 権利を通り越して侮辱につながるような付随する問題もあるね
今燃え上がってる「アニメ・漫画などのオタクカルチャーにおけるイラスト」とは違う分野ではどうなんだろう、という所が気になった、というものだった
場外乱闘を見てるとやっぱりその分野に話の焦点が移っていくようなので、やっぱり増田たちの興味関心の軸はそっちなんだなーと感じました まる
身近だしね
「もしゴッホが○○を描いたら」とか
まあ許される? のか?
怖いうちは生成AIを使わない方がいいな
GRISというゲームを知っているだろうか
傷ついた少女が自らの内面世界を彷徨うゲームで、モノクロ世界が少しずつ色を取り戻していく
先日発売されたNevaは、アート面はGRISのスタイルを継承しつつまた違う世界観
巨大な白いオオカミと暮らす黒人の少女が、植物を枯らすカオナシみたいな敵と戦って花々を取り戻していく内容
少女は雨の日に小さなオオカミと出会い、その親である巨大オオカミとも共にいたが、冒頭で巨大オオカミはカオナシ集団と戦って死んでしまう
以降は少女は小さなオオカミNevaと行動を共にし、最初は少女だけが戦っていたが、季節を経てNevaもヤンチャな仔犬から威厳ある巨獣に育ち戦闘力を発揮する
Nevaに愛着がわき、NevaかわいいよNevaと思えるようになっている
カオナシは動物を乗っ取る能力も持ち数多の動物が殺されて躯を操られる中で、灰色のオオカミは抗い無事でいた
旅に同行して助けてくれるようになった
ありがてえなと思っていたら、Nevaは灰色オオカミといちゃつきだし、しばらく二匹で行動するからじゃあの、と少女と袂を分かった
Nevaが小さな頃からずっとそばで見ていたのに、ぽっと出の灰色オオカミに寝取られたのだ
灰色オオカミの方が少し体が大きいのは年齢差かと思っていたが、雌雄差だったのだろう
ヒロインであるNevaが寝取られるこんな鬱展開があるとは思ってもみなかった
Nevaは灰色オオカミに手籠めにされたので、仕方なく少女は一人で旅の続きをする
やがて再会したNevaのそばには、かつてのNevaそっくりな小さなオオカミの姿が・・・・孕まされたのである
エロい漫画やイラストを描きたいけど、ぼくは断じてJS、JC、JKの裸を実際に見たことがないし、近年は資料となるものがすべて児童ポルノになってしまったため、
ぼくは断じて単純所持もしていないため、描いたら想像上の、ウソを描くことになります
例えば、アウトサイダーアートで有名なヘンリーダーガーはロリペドだと思いますが、彼は子供の裸を見たことがなかったのか、女児にもチンポがあります
いや、もしかしたら女児にもチンポあった方がいいよね、みたいな人だった可能性もありますが、やはりウソを描くのはいけない
ぼくは真実を描きたいのです
昔の人は言いました
Not even justice, I want to get truth.
今日も電車の中やエスカレーターや階段で、真実は見えるか?!を試みて私人逮捕系YouTuberにボコられれてる人たちがいるのかもしれませんが、
主人公が漫画家のエロ漫画みたいなのだと、アシスタントの女性とかがヌードのモデルになってくれたりしますが、自分にはそんな人いませんで🍣…
あー、エスパー真美の父親がうらやましい!しかも美人アナウンサーと結婚ですよ!娘のヌード描く画家がッ!
こんなんじゃ、こんなんじゃ、変わらず終わっちゃうな!
発想の転換だ、あたしはあたしなんだ!
ジャンプでやった増田(https://anond.hatelabo.jp/20241012181121)に触発されました。30年近く愛読…というよりはたまに頭を傾げながらずっと読んでいるビックコミックスピリッツ誌から独断と偏見で漫画史や社会への影響を考えて5作品をセレクト
同じくランキングではなくて連載開始順に並べました。
高橋留美子の最高傑作にして恋愛マンガにおける最重要作品。初期のスピリッツはスピリッツという雑誌名よりも『めぞん一刻』で一般的に知られていたという。
最初の頃の響子さん、可愛くも何ともなかったのにねえ。回を重ねていくうちにルックスはかわいくなって性格は反比例するように嫌らしくなるという。
こちらは料理漫画における最重要作品。料理人を主人公からあえて外すことで「料理以外の食べ物に対する多面的なアプローチ」に成功した。
山岡士郎と海原雄山という日本漫画イチ有名な親子で知られているが読んでみるとキャラクターより原作者の方がうるさいうるさい。しかも全く調べていないのがミエミエ。衝撃的だった現時点最終話は雁屋哲の限界が露呈してしまったんだろうなあと。
連載休止直後編集部の企画で花咲さんは『のぼうの城』のコミカライズを担当したが…。食べ物は上手い方ではあるが。
柔道さらに格闘マンガといえば各スポーツマンガの中でも特に汗と男臭さが強いという伝統があったがそれを江口寿史と大友克洋とのハイブリッドな画風で遥か彼方まで吹っ飛ばした。いきなり巴投げのパンチラというね。
社会的影響でいえばこの作品以上の作品はない。何せ谷亮子というモンスターがこの影響で出現してしまったのだ。あとこの後浦沢直樹はちゃんと物語をたたむことができなくなるのは余談として。
そりゃ相原コージ『コージ苑』も偉大な作品であるし中川いさみ『クマのプー太郎』も名作ではある。とはいえ実際2コマ目に「ねたみ」というプラカードを持ったカワウソくんを見たときの衝撃が忘れられない。下ネタもダジャレも少なくて笑いと恐怖の紙一重をずっと行き来する新しさ。
ファミ通の『はまり道』サンデーの『ちくちくウニウニ』ときはそこまで感じなかったしその後の『ぷりぷり県』もそこまでの凄さはなかったが『伝染るんです』はやばい。
今のサイバラを見ると悲しくなる。高須克弥の人となりが白日になった今、高須クリニックのCMの痛い姿とか気持ち悪いし娘さんの事とか鴨ちゃんのこととかいろいろ足蹴にして今を生きているのも胸糞悪い。そんなクソババなのに『ぼくんち』はやはり歴史に残る傑作なのだ。
時々一太のことを考える。連載が終わって25年ぐらい経ってもだ。そして誰もいなくなっても二太は笑ってくれた。この話は多分その事だけを描いた作品だけだったかもしれん。だけどこの頃のマンガの中で1番涙を流した作品だった。
一応5作品に厳選したが意外と異論が少ないのではないかと思う。というかこの雑誌これらの作品から「ちょっと惜しい」作品がやたらと多すぎる気がする。
今回除外した作品
知名度や社会的影響は大きいだろうがこれはマンガ単体の評価じゃないし最近どんどん画面が汚く下手になってるのが気持ち悪い
唯一無二のアート漫画。とはいえ『猿飛』『ガンモ』ほどの知名度がない。村上隆に対する批判はマンガ界でもアレが許せない人は多数いるんだなという感想に。
『ナニワ金融道』は偉大だなと読んでて思う。多分真鍋先生と青木先生は合わないよなあ。
悩んだ作品その1。国民的アニメになり損ねたアニメも含めていろいろ惜しいし最終回も唐突に終わった記憶がある。お姉さんに似てたお母さんが年月を経るに従って今のお母さんになるというシーンに腹を抱えて笑った記憶。
悩んだ作品その2。とはいえここに書いておく事が中崎さんらしいと。定年迎えて連載辞めてもう絵の道具さえも捨てられていらっしゃると聞いて少し茫然としてた。
弘兼憲史より嫌いだし苦手。原作ドラマも含めてなんで受け入れられるのかが分からない。(『東京ラブストーリー』は坂元裕二が整えたので作品になった)それでもあすなろはまだ読める。しかし続編を最近描いたときはクソババアふざけんなという感想に至り。
レースを真正面から描いた黎明期の傑作。とはいえキャラクター造形の途中で削ってきたテーマを集めて煮込んだ『ICHIGO二都物語』の方が面白いのには…。
初回が見事すぎたし、連載開始のときわざとタイトル載せなかったのは反則だよなあ。あと実は『いいひと。』の方が好きでフジテレビふざけんな。
実は次点作を書いていた途中でUPしてしまったしトラバとブコメで記述もあったので次点の続きと言われた作品や言及があったものについて。
忘れてた(その1)ただし僕がなあばす派(学研派)だったことが主な原因かと。なあばすでの耕平ちゃんはすんごい丸くなっちゃったし。
こっちは次点として書く前にアップしてしまったので。しかしながら多分これがなければ実録系マンガもエッセイマンガもマンガ批評もなかったから歴史上重要な作品ではある。
入れ替わるなら『ぼくんち』なのは激しく同意。好みの問題というかボクの責任で
これは『伝染るんです』で言及した通り僕の思い入れの差で選ばなかったという。あと相原先生の最高傑作は『ムジナ』だと思ってます。
江口寿史アンド望月峯太郎ミーツ島本和彦という鬼才。絵がキレイな人ほどかっこいいブサイクが描けるという証明。ただ僕より上の人の方が思い入れが強い気がする。
不条理ギャグブームの最中にあってその中でも素直な笑いを提供していた印象が強いし、最近のマンガ製作マンガがすごい面白かった。歴史的ではないけどいいマンガです。
個人的な感情で言えば大好きなマンガ。いずみちゃんで性癖が壊れたしウチの妹は不破くん推しだった。あ、あと『結婚しようよ』もビターで好き。
『哭きの竜』と『昭和天皇物語』のちょうど中間点に位置する作品。中原誠のその後を予期したような描写や谷川さんからクレーム出ないかなと思ったキャラ造形が良かったがその後に羽生善治が出現し現実が超えていったのには閉口。
この人ここでも大きな足跡を残してた。『宮本』『ザワールド…』に比べると知名度は薄いがキャリアを決定づけた名作。ばあさん描かせるとエグいよなあこの人も。
忘れてた(その2)『あしたのジョー』の模写もすごいが『キャンディキャンディ』を完全模写したのには戦慄が。
長期連載化し始めて逆に評価が難しくなった気がするのは俺だけか?ダレないのがただただすごい。
近年のスピリッツを支えていたと言っても過言ではない極めて真っ当なスポーツ漫画。
ロードス島戦記と間違えて塩野七生の『ロードス島攻防記』を読んで、そのままズブズブとヨーロッパ史へと行った人向け。このあと阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』が待っておる。
いやだから例えば『まことちゃん』と『漂流教室』どっちがすごいか選べるか?というと。
アイアムアヒーローはその中でも抜け出すかなあと思ってたがなあ…。
土竜はちょっと続きすぎた気もするし他はそのままヤンサンで全うできたはずマンガだからスピリッツの評価に繋がる訳ではない。
ちなみにスピリッツが死に水を取ったマンガとしてはクロサギとイキガミ以外に『ブラックジャックによろしく/佐藤秀峰』がある。
『シャカリキ!』『め組の大吾』から読めばこの人が本当に描きたいものは天才なのは分かる。ただ同時連載には向いていない。他連載の犠牲になったような終わり方。
じっくり野球を描くというタイプではないことに気づくのが遅かったなあ。『冬物語』『部屋においでよ』の方が資質だったと今思えば。
大塚英志と長崎尚志ならどっちの方が害悪なんだろうか。Happy!だって話を途中で下方修正してたぞ。
着眼点は早く『恋に落ちたシェイクスピア』よりだいぶ前。結局話をまとめ切れずヤンマガに復帰。ただいまは休載
こういうテーマのときに真っ先にダシにされる作品。しかも終わり方が『代紋take2』と全く同じという。その後『坂の上の雲』のトレースに失敗する。
ぶくぶのファンアートが海外から批判を受けて謝辞した問題について一日色んな意見呼んで気づいたんだけどさ、
もしかしてオタクコンテンツっていうか日本式のアニメ・漫画風アートの肌色問題って
アメリカ国内に限定しても結構意見割てんじゃねえの?って感じなんだけどこの辺誰か詳しい人解説してくれないかな?
少なくともX上での発言読めるところを出来るだけ両論読んでみたけど
その上でアメリカではぶくぶを批判した側の意見がスタンダードって感じがしないんだけどどうなんだろう
というのも普通にブラックルーツのオタクの中でも肌色に正解があるという見解自体は意見が割れてるし
さらに原神のファンダムでアジア系のファンがキャラクターを黒人化するのこそアジア人の透明化だ!
っていざこざがとっくにあるみたいなんだけど、
また日本人のアートをアメリカのポリコレ勢が燃やしに来てるけど、アメリカの黒人とかいう特権階級がマイノリティの文化を弾圧しようとするのやめてもらっていいですか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2448818
もちろん、ポリコレ派ではない黒人が黒人化イラスト描いてたり肌の白いキャラのコスプレしてたりしてもなーーーーーーんも不愉快には感じないけど、日本人の褐色コスプレやら色素薄めの褐色キャラのイラストやらがブラックフェイスだのホワイトウォッシュだのと散々叩かれている世界で、黒人がのびのびブラックウォッシュや文化の盗用してる光景は非常にグロテスクなので、アジア人差別をやめろ、アジアンライヴズマターだぞ、と言い続ける必要があると思う。
(そういえばあいつら、『水星の魔女』のときはどう見ても南アジア系のスレッタを黒人扱いしてたよな。第1話に出てきたスレッタの父親の名前や容貌を見た時点で、南アジア系って気づかないか? まあ世界が白と黒でしかできてない1bit脳だから仕方ないのかもしれないが、二度と同じ口で多様性とか言わないでほしい)
小さい頃はコミュニケーション下手で、ぜんぜん友達ができなかった。いつも一人だった。
大人になってから自分で精神科に行って診断を受けたんだが、俺はASD(自閉スペクトラム症)だった。その特徴である過集中のおかげで、定型的な分野では頑張れば結果を出せたらしい。
大学は某私学の雄に進み、大学でも競技を続けて、インカレにも出た。
だが社会人になると、ASD特有のコミュニケーション下手のため、ろくに仕事ができなかった。ちなみに営業職。
2年でうつ病になり、内勤に部署を異動してからは、それなりに頑張った。
しかし会社特有の、部族的なコミュニティやパワハラ上等の気質がどうしても合わず、会社を辞めた。
その後は自分で事業を作ったり、アート系を目指したりしてみたけど、どうしても結果が出せない。ちょっと話題になったアプリを作ったり、賞で上位に入ったりするけど、食っていけるところまでどうしてもいかない。
それでも、こんな糞みたいな人生でも、自分の人生より大切なものはない。
どれだけ頑張っても報われない奴は山ほどいて、日本では年間2万人が自殺している。
その2万人が努力しなかった、努力が足りなかったなどとは、俺は思わない。誰だって必死に生きて、それでも力尽きたんだ。
自分もそのうちの一人になるんじゃないか、と思うことは多々ある。
それでも耐えている。だって俺の人生以上に、俺にとって大切なものはないから。
お前も人生を大切にしてくれ。小さな喜びを日々の中に見つけ、生きる力に変えてくれ。
「正当な理由がなければ、道路に寝転んじゃダメ!」って法律だよ。
軽犯罪法第1条第13号によると、道路で寝てると罰せられる可能性があるんだ。
お祭りの後や、飲みすぎて路上で寝てしまう人もいるけど、これ実は法律で禁止されてるんだよ!ちょっと意外だよね。
鉄道営業法第34条では、酔っぱらいすぎて他の乗客に迷惑をかけると、鉄道会社がその人を車両から降ろす権利があるんだ。
酔ってもほどほどにしないと、降ろされても文句言えないんだね。
これは今ではほとんど使われないけど、昔は決闘っていうのが真剣勝負であったんだよね。
刑法第718条によると、決闘に応じたり、それを主催したりした人は罪に問われるんだよ。
時代劇の世界みたいだけど、今でも正式な法律として残っているってのが面白いね。
普通にダメなことだけど、ここがポイント。「正当な理由がなければ」という部分!
だから、もし塀の持ち主から「ここにアートを描いてくれ!」って頼まれたら、法律的にはOKなんだよ。
もちろん、勝手にやったらアウトだけどね!バンクシーならOKかもしれないけど。
公園でパンくずを鳩にあげる人は多いけど、鳥獣保護法では鳩を捕まえるのは違法なんだよ。
鳩は「鳥獣」に含まれていて、勝手に捕まえたり、飼おうとすると罰せられるんだ。
「え、鳩捕まえたくなる人なんている?」って思うかもしれないけど、昔は食べるために捕まえることがあったみたい。
これは要するに「のぞき見禁止」なんだけど、法律でしっかり明記されてる。
どんな理由でも「覗き見」は絶対ダメだけど、正当な理由があれば…例えば、家の外から何か異変に気づいて助けを呼ぶ場合などは別なんだ。
例えば、無許可でラジオ局を開設したり、自分のデバイスから強力な電波を発信すると、電波法に違反するんだよ。
つまり、街中で「ラジオ番組やるぞ!」って気軽にやったらダメ。地味に意外じゃない?
もし自分の飼っている犬がずっと吠え続けて、近隣住民に迷惑をかけた場合、騒音として罰せられる可能性があるんだよ!
可愛いワンちゃんでも、鳴き声がうるさすぎると法律違反になるんだ。
他人の郵便物を開けたら罪になるのは分かるけど、この法律では、例え道に落ちている封筒を拾っても開けちゃダメなんだよ。
相対性理論(Soutaiseiriron)は、日本のバンドやねん。2006年に結成されて、独特な音楽スタイルと歌詞で人気を集めてるんやで。メンバーは、ボーカルのやくしまるえつこさんを中心に、ギター、ベース、ドラムの4人組やねん。
彼らの音楽は、ポップ、ロック、エレクトロニカなど、いろんなジャンルをミックスしてて、ちょっと不思議な感じがするんやけど、それがまた魅力的やねん。歌詞も独特で、日常の出来事や感情を詩的に表現してるんや。
例えば、「シフォン主義」っていうアルバムは、軽やかでふわっとした感じの曲が多くて、聴いてるとなんか心が軽くなるんや。やくしまるさんの声も、透明感があって、聴いてると癒されるんやで。
相対性理論の音楽は、ちょっと変わってるけど、聴けば聴くほどハマる魅力があるんや。ぜひ一度聴いてみてな!
(もう少し詳しく教えてください)
もちろんやで!相対性理論についてもう少し詳しく説明するわな。
やくしまるえつこ(ボーカル):バンドの顔であり、独特な声と歌詞で知られてるんや。彼女はソロでも活動してて、アートやデザインの分野でも才能を発揮してるんやで。
永井聖一(ギター):バンドのサウンドを支えるギタリストで、独特なギタープレイが特徴やねん。
真部脩一(ベース):リズムセクションを担当してて、バンドの音楽に深みを与えてるんや。
西浦謙助(ドラム):バンドのビートを刻むドラマーで、リズム感が抜群やねん。
相対性理論の音楽は、ジャンルの枠にとらわれへんのが特徴やねん。ポップ、ロック、エレクトロニカ、ジャズなど、いろんな要素を取り入れてて、聴くたびに新しい発見があるんや。例えば、「シフォン主義」や「ハイファイ新書」っていうアルバムは、どちらも違った雰囲気を持ってて、バンドの多様性が感じられるんや。
やくしまるえつこさんの歌詞は、日常の出来事や感情を詩的に表現してるんや。例えば、「LOVEずっきゅん」っていう曲は、恋愛のドキドキ感をユーモラスに描いてて、聴いてると楽しくなるんや。他にも、「ミス・パラレルワールド」っていう曲は、ちょっと不思議な世界観を持ってて、聴く人を引き込む力があるんやで。
相対性理論のライブは、視覚的にも楽しめるんや。やくしまるさんの独特な衣装やステージ演出が、音楽と相まって、観客を魅了するんや。ライブでしか味わえへん一体感があって、ファンにとってはたまらん体験やねん。
相対性理論の音楽は、聴けば聴くほど新しい発見があって、何度でも楽しめるんや。ぜひ、いろんな曲を聴いてみてな!
(では最後に、相対性理論と現代の音楽シーンへの影響を教えてください)
相対性理論は、現代の日本の音楽シーンに大きな影響を与えてるんやで。彼らの独特な音楽スタイルとアプローチは、多くのアーティストやバンドにインスピレーションを与えてるんや。
相対性理論は、ジャンルの枠にとらわれない音楽を作り出してるんや。ポップ、ロック、エレクトロニカ、ジャズなど、さまざまな要素をミックスして、新しいサウンドを生み出してるんや。これが、他のアーティストにも影響を与えて、ジャンルを超えた音楽の可能性を広げてるんやで。
やくしまるえつこさんの詩的でユニークな歌詞は、多くのリスナーに共感を呼んでるんや。日常の出来事や感情を独特な視点で描くことで、他のアーティストにも新しい表現の方法を示してるんや。特に、若い世代のアーティストにとって、やくしまるさんの歌詞は大きなインスピレーション源になってるんやで。
相対性理論は、インディーズシーンからスタートして、メジャーな成功を収めたバンドやねん。これが、他のインディーズアーティストにとっても希望となってるんや。自分たちの音楽を信じて続ければ、成功できるというメッセージを伝えてるんやで。
相対性理論は、他のアーティストとのコラボレーションも積極的に行ってるんや。これが、音楽シーン全体に新しい風を吹き込んでるんや。例えば、やくしまるえつこさんはソロ活動でも多くのアーティストと共演してて、その影響力は計り知れないんやで。
相対性理論の音楽は、聴く人に新しい視点や感覚を提供して、現代の音楽シーンに多大な影響を与えてるんや。これからも、彼らの音楽がどのように進化していくのか楽しみやねん。
他にも気になることがあったら、何でも聞いてや~。