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2024-03-09

おひるごはんたべてねむねむになったからおふとんスヤスヤたらこんな時間になった

うえーんどうしよ

のどかわいた

2024-02-04

ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ

の上の句で「光の、どけき」って思っていた時期があって、「どけき」ってなんだろう?って考えてたこともあったけど

「光、のどけき」で「長閑(のどか)」のことなのか、ってある日唐突に納得したことがある

2024-02-02

ラジオ東アジア反日武装戦線とその時代を振り返り、見えてくるもの

2024/1/31(水) 20:10

TBSラジオ荻上チキ・ Session」#ss954

メインセッション

東アジア反日武装戦線」とその時代を振り返り、見えてくるもの

https://www.youtube.com/live/ouGKVPIWh9s?si=1pm7-RACXU1kcPQl&t=7782

初見(初聴)の固有名詞略語も多かったので振り返ってみる。

(約3600文字

青木理氏:

最近判決が出た大坂正明被告渋谷暴動事件)は中核派だった。

中核派はまだ組織があるが、東アジア反日武装戦線はもう組織がない。

島聡「さん」

田原牧氏:

(「戦線」ではないが過激派の?)裁判支援をしている友人がいた。

私は急に森田童子を思い出した。

荻上チキ氏:

「ぼくたちの失敗」('76リリース、'93「高校教師主題歌)の。

田:

もっと物議を醸しそうな曲もあったが、そういう時代を思い出した。

荻:

時代を振り返っていく。まず60年代

田:

戦線」は新左翼とは一線を画している。全共闘の一つのエッセンス

60年代学生運動日本戦争責任に触れていなかったが、70年代から問題提起が出てきて「戦線」は愚直に受け止めた。

(「戦線設立1972年1975年まで事件を繰り返す)

田:

60年代半ばから80年代半ばまでの運動では人の死が珍しくなかった。

運動竹竿ゲバ棒火炎瓶爆弾となり、'71には三里塚東峰十字路事件警官が3人、'72には連合赤軍事件もあり、最終的には100人以上死んでいる。

荻:

まず全共闘から

田:

60年安保の頃は大学生の数も少なくエリートだった。

大学に行くことと政治活動をやることが矛盾しない世代だった。

その後、大学入学率があがり、全共闘運動が起きてきた。

男子大学進学率 '60 13.7% → '65 20.7%。'66に18歳人口が+50万人)

田:

東大全共闘リーダー山本義隆氏が、闘っているに自分たち特権性に目をつぶって正義を説くことを批判した。(「邪宗門」の)高橋和巳は「自己否定」を唱えた。

田:

60年代半ばまでは日韓基本条約('65締結)反対闘争で、革新側も「韓国に払う金があるんだったら自分たちに回せ」などと平気で言っていた。大日本帝国責任は問われなかった。

田:

入管法の制定反対で結成された新左翼系の華僑青年闘争委員会(華青闘)が、集会で「抑圧民族である日本人は信用できない」旨の「華青闘告発」を行い、日本新左翼党派は頭を下げた。

田:

60年代は「黙っているのは加害」(ベトナム

70年代は「日本の安定自体アジアへの加害」

この自己否定の流れと「戦線自体アナキズム的な性格が合わさって、実力行使に繋がっていった。

荻:

今振り返った時代の前半、大学自治学費問題から階級闘争安保闘争反米などとリンクして新左翼が広がっていく経緯は割りと学ぶ機会もある。

その後「戦線」に行くまでの時代の流れは?

青:

戦後の一時期共産党武装闘争路線をとっていたが、1955年の「六全協」で武装闘争放棄した。同時期にソ連スターリン批判が起きた。

共産党指導ではだめだということで(既成左翼ではない新左翼として)「革共同」や「ブント」が設立され、これらが中核派革マル派赤軍派などの母体となる。

全共闘は当初セクト党派)ではなかったが最終的に合体していく。

青:

学生たちはベトナム日米安保三里塚など正義感や葛藤の中で行動していたが、69年の安田講堂事件鎮圧以降急速に沈静化「敗北」していく。

このあとよど号大菩薩峠連合赤軍などの事件がおき、さら爆弾事件と先鋭化してくる。「戦線活動もこのころ。

田:

戦線」は71年に興亜観音・殉国七士之碑爆破、72年に総持寺納骨堂爆破など、怪我人は出ないが爆破は始めていた。

青:

狼煙を見よ」や「腹腹時計から読み取れる「戦線」の特徴は、現在まで続く日本帝国主義の粉砕にある。

荻:

60年代学生運動は抗議主体だったが、その後日本の加害性を発見し、植民地支配反省中で農村コミュニティ市民と共に暮らす実践などもあったが、「戦線」のような組織反省攻撃を結びつけて行った(とまとめた)。

青:

戦線」の事件肯定はしないが、アイヌ在日コリアン沖縄などマイノリティに対する問題意識を持っていたというのは現代にも通ずる普遍性がある。

また、従来型の新左翼とは傾向が違い、ストイックに日々の暮らしをしながら爆弾闘争をやった。

荻:

戦線」はなぜ闘争攻撃を選んだのか。

田:

原罪性を持つ日本人への落とし前だと思う。

また時代の流れが、新左翼国家権力が「暴力」で鎮圧することへの対抗として、自分たち武装する、という意識が強かった。

昭和天皇暗殺未遂朴正煕暗殺未遂文世光事件、「命がけで闘った文世光への呼応としての」意識暴力時代を切り開く意識があったのではないか

青:

松下竜一狼煙を見よ」によれば、お召列車爆破未遂しょんぼりしていたときに同世代文世光(22歳)が事件を起こした、あんなに頑張っているのに俺たちは何をしているんだ、と、三菱重工爆破事件につながった。

お召列車爆破用の威力の高い爆弾を使ったので8人の死者を出す大被害となり、大道将司は痛切に反省をした。

荻:

今の若いからすると左翼マルクス主義だというイメージが強い。

新左翼マルクス主義距離、「旧左翼」とマルクス主義距離、「戦線」の立ち位置はどうか?

田:

新左翼の各党派マルクス主義に基づく綱領路線がある。一方「戦線」は党派ではない。マルクス時代的に当然読むが、全共闘学生たちと同様に倫理から直接行動を起こした。先鋭化する人たちのほかに水俣山谷に行った人、本格化する前の部落解放闘争に行った人もたくさんいる。

荻:

分かりやすイメージだと革命を成し遂げるための手段という印象があるが

田:

戦線」は革命ではなく落とし前国家権力の奪取にこだわらない。政治ではない。倫理であり生き方問題ある意味ものすごくピュアな人たち。

CMと前半の振り返り)

荻:

この半世紀どうか。

青:

ドイツ戦争責任によって東西に分断されたが、アジアでは朝鮮半島南北に武断された。沖縄はまだ(アメリカ基地である)。こういった日本の加害性をピュアに突き詰めたからこそ「反日」を冠した。

荻:

現代の「反日」は、歴史に向き合う人への罵倒語になった。

青:

皮肉。かつては東アジア人民連帯の「反日」だったのが全く反転してしまった。

青:

新左翼セクトは「戦線」に批判的だったが、鈴木邦男など右派陣営の一部が「戦線」のストイックさ、(「大地の牙」部隊リーダー男性の)齋藤和(のどか)の服毒自殺評価している。こういう流れが新右翼ムーブメントを生んだ。

リスナー

戦線」は何をしたかったの?

田:

将来構想はなかった。個々人の落とし前三菱重工等々の被害者にしてみれば雑談じゃないという話だが、彼らの論理日本国家転覆まで。

太田竜という、世界革命世界赤軍を唱えたイデオローグ理論指導者)は、第三世界革命勢力と手を結ぶ、その基盤は日本の最下層の人たちだと言っていたが、今の我々の建設的な視点とは違う位相にいた人たち。

荻:

今後の公安国家の語りは?

青:

反共左翼対策としての公安役割は終えた。

ただ、当時から90年代までの、爆弾闘争内ゲバに先鋭化していく中では、公安警察が肥大化してきたのは時代必然

今後は超法規的措置で釈放された大道寺あや子や佐々木規夫などの追跡は担っていくだろうが、徐々に任務縮小か。

荻:

テロ正当化はしないが歴史と向き合うことの課題

そして、マルクス主義はなくなっても、性教育性的マイノリティ権利保護選択夫婦別姓などをすすめる「文化的共産主義」と、その抵抗としての「反共」が繰り返し保守論壇で語られている。

青:

妄想だけれども、一方で、当時千差万別の人が新左翼運動に関わった、理論から夢想家まで。ただ結末が先鋭化した隘路、陰惨な結末になったことが「壮大な失敗」と捉えられて、日本左派というかリベラルへの大きなダメージマイナス面になっていると思う。共産党左翼へのアレルギーヨーロッパでは緑の党や旧共産党政治ムーブメントを作っているのに。

荻:

理想を掲げることは無駄なんだ」というカッコつきのリアリズム空気のようなものは残ったかもしれない。

田:

今は、世の中自分が何しても動かないという風潮が強いが、当時の若者には自分たちが世の中の主人公なんだという意識が強かった。「戦線」がやったことはともかく、戦争責任を唱えたことが認知されてその後90年代河野談話村山談話につながっていると思う。

荻:

振り返るというのは何を残したのかとつなげる行為でもある。

2023-12-26

唐突10年前のカンボジア旅行について記す(12/27追記修正済)

10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行カンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である

最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。

●経緯

なぜカンボジアに行くことになったのか。

当時、従兄弟カンボジアビジネスをしていて、その従兄弟夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである

しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。

入国

カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟ビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人スピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。

アンコールワット

次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺

この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどか雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?

で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね

一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教統治者になったり、ヒンドゥー教統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。

今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。

あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人アンコールワットインド勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。

アンコールワット欧米人観光客めっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。

で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったかアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ちいから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策ブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢祖母のことを拝んでいた。生き仏。

まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。

あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。

別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジア国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産登録されてるんだったはず。確か。

プロームとかバンテアスレイ?とかい遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。

いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。

トンレサップ湖

アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。

水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……

あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地ジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真トンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。

で、トンレサップ湖で生まれて初めて物乞いにあった。

日本普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?

まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子物乞いにあげていた。豆菓子物乞い普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子対応する人初めて見た」と言っていた。

当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?

食べ物レストラン

繁華街アンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザめっちゃ美味しかった。レッドピアノ雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。

私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。

まり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポト思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。

正直食べ物に関してはこのレッドピアノココナッツジュース飲んでお腹したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理あんまりきじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)

あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。

「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU

私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂ピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。

ショッピングセンター

私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本ちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームクマぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。

まず、プリクラ入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線映画ポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線ポスターはもちろん選んだ。

で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本プリクラみたいに自動撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃん確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。

ちなみに落書き制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真日本プリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラホログラム加工がしてあって笑った。

カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。

祖母

私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特にココナッツジュースお腹を壊した時は祖母神様のように見えた。祖母お腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干し差し出してきた。この梅干し祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである

ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら

暑い階段が多かったか疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。

●その他

2023年12月27日 追記ちょっとだけ修正しました。

思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。

私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソード引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。

最後に。

読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。

ありがとうございました。

2023-12-22

日本生産性低いというが、海外は何をして生産性高いのか

日本ニュースなので、色んなコメントが付くが、昔の日本みたいに何か待ち時間があるとか、そんなのどか時代は過ぎている。

デジタル化が遅れていると殊更言われるが、多くはパソコン仕事をしているか、使ってない所はそもそも1人一台いらないような職種だろう。

FAXやり玉に上がるが、米国だってFAXは使われているし、米国のように担当者が数日見忘れてそのままゴミ箱に捨てたなんてことは、日本ではそうそう聞かない。

スマホタブレット生産性上がるかというと、結局ビューワーなのでパソコンとそう変わらないだろう。


本当に疑問なのだが、海外生産性が高いのは何故なのか?


生産性を上げるためにDXというが、今でも何かしらかのデジタルシステムが入っていて、別のシステムに変えたりしただけで劇的に生産性上がるわけではない。

個人として使いやすいなどあるかもしれないが、人間慣れるものだろう。


全くデジタル化しておらず、連絡を取るのに凄い時間がかかっているとか、そういうのは日本ではもう無いはずだ。

あったとしても規模が小さすぎる所で入れても効果がない所くらいだろう。


日本でのデジタル化だと、既にある市場を別の方法で食っていっているだけにしか思えない。

電子マネークレジット投資下としても互いの市場を食っているとか、

AIで絵がかけるようになったとして絵描き市場を食っているとか、

そういった内需限界椅子の奪い合いにしかデジタル化出来てないだろう。

2023-12-10

から30年ほど前、ど田舎小学生だった頃、小学校から500メートルくらいのところにある公民館に人力餅つき見学しに行くという校外学習があった。

小学校は30段ほどの階段の上にあり、秋になると階段両脇の土手が彼岸花で真っ赤になった。小学校の隣(下)には農協、真向かい倉庫野菜直売所公民館農協の間は水田という具合で、通学の際にはいつも田んぼ道路の境目の50センチくらいの土手の上に駆け登って平均台の様にして通るのが好きだった。

餅つきの話に戻るが、地元年寄が臼と杵で餅をつき、まとまったのを手で素早くちぎり取って丸め、餅とり粉を敷いた木の四角いお盆?箱?にぽんぽんと置いていくのを皆で見学していたのだが、臼の底にぺちょっと餅の塊が残っているのが食べれそうだなーと思って「その残ったのはどうするの?」と作業していたおばあちゃんに聞いたら、おばあちゃんニコッとして無言でその残りを掬い取り、私の手を取り掌を上にさせ、そこにぺとっ!と乗せてくれた。ありがとう!とおばあちゃんに言っていると、周囲の同級生達がちょうだい!ちょうだい!と、わっ!と手を伸ばして手の上にある餅を少しずつ摘んでぱくぱくと食べた。私も慌てて残りを口に運んだ。つきたての餅はあたたかくやわらかく、何も付けなくても餅米の風味がしてとてもおいしかったように思う。先生がいいよとか駄目だよとか言う暇もないくらいのあっという間のことで、叱られも咎められもしなかった。

いい思い出ばかりではない小学校だったが、その記憶は懐かしい良い思い出として今も覚えている。

これは30年前の話で、食品衛生管理等誰も気にしなかった頃の事なのでそのあたりは緩めに見て欲しい。人によっては不衛生で不潔で有り得ない、となるとは思うが。自分にとっては、のんきでおおらかでのどかないい時代だった。

2023-11-08

イスラエルパレスチナ非人道的行為批判するのは必要だけど。

ガザなど、他国人権の話をするときには、自国のことも省みないとならないよね。誰か遠くの人のやったことを文句言うのは簡単だけど、自分のことを省みて悪い点を正すっていうのは意外と大変。でも、そうしなければ不誠実でしょうよ。

沖縄普天間飛行場は元々はいくつも集落があって田畑があるのどか場所で、沖縄戦で接収されたという経緯だし、日本全国で基地住民の間の摩擦はあったわけだけれど、その後、基地が次第に沖縄に集中していく過程には差別的意識があったと思われて仕方ない。ガザに対するイスラエルと同じことを、私たち沖縄に対してしているんだわ。

2023-11-07

いち神戸市民の暮らし【下の方に更に追記

【ここから本文】

私は神戸で生まれて育ちました。昔は裏六甲北区で、今は海側の住宅街に住んでいます

他の街は分からないけど、神戸は海も山も都会も田舎もあるいいところだと思っています

子供のころはよく洋裁が得意な祖母が作ってくれたワンピースを着て、祖父に連れられて王子動物園須磨海浜水族園に連れて行ってもらいました。

この夏は本当に暑くて、灘湾にもくもく立っている入道雲が憎たらしかったです。

神戸都市部の排熱が、全部六甲山から吹く風に淡路島の方まで流されて、雨雲になります

淡路島の人には少し申し訳ない気がします。ごめんなさい。

こないだ、三宮コーヒー紅茶を買って、南京町で老祥記の豚まんを買いました。

育った街だけど、居留地ビルの合間はいつも迷子になります

山か海が見えると方角がわかるのですが、ビルに囲まれしまうとたいてい、南北逆になってしまっています。どこにいても山が見えたらなあ。

別の日。学生時代下町が恋しくなって湊川に行きました。

湊川商店街学生の頃と変わらずにぎやかで元気があります湊川公園の、ちょっと怖い通路も実は好きです。

ずーっと下って新開地まで歩くと、西方面に大開通という道があって、とても懐かしかったです。高校生の時の通学路でした。

別の日。山に行きたくなって北区に行きました。

といっても地下鉄一本抜けたとこ周辺です。六甲山と丹生山系に挟まれ地域です。大切な風景です。

空が高くて、藁葺の屋根田んぼ彼岸花を見ているとギューッとした気分になります水路には赤とんぼがいました。

電車を二本乗り継いで、三宮で買い物をして帰りました。

別の日。川に行きたいと思ったので住吉川を歩くことにしました。この川は地域人達の協力もあってとてもきれいな川です。カモとかサギとかがのんびりしています。夏は子供さんが水遊びしてます

上流から水域まで歩いて、それで家に帰りました。

別の日。山歩きがしたくなったので、少しだけ六甲山に入りました。新神戸駅の横から入ったけど、運動不足が祟って1つ目の滝をみてギブアップです。また、登りに来るねえ。

その日はフロインドリーブの焼き菓子を買ってバスで帰りました。

別の日。山に行ったら次は海!と思っていたので、海へ一目散。着いたのは六甲アイランドマリンパーク。久しぶりに動いているガントリークレーンを見ました。子供のころはこれをキリンと思っていました。

社会見学で見たMAERSKコンテナが積まれています

阪神淡路大震災で、港は随分元気をなくしてしまったけど、まったく機能しなかった時からすれば、よく動いてくれてるなあと思うんです。

この日は帰るのが少しめんどくさくて、石段に座ってボーっと夕日が落ちていくのを見てました。

その日の夕飯は、スーパーで買ってきたコロッケと、作りおきの切り干し大根、卵のお味噌汁しました。

風呂に入っていると、夜、ボーーーーッという大きな汽笛の音が聞こえます

祖父母の家に泊まった時も聞こえました。

別の日。買い物でハーバーランドへ行きました。神戸駅は東海道線の西終着駅です。大阪梅田終着駅だと思ってる人がいるんだとか。

神戸駅は山陽本線の東出発駅です。

それにしてもまた海です。ここはできた時からガラッと変わった部分が大きくて、まだ慣れません。

「かつてデートで来ていた二人がファミリーになってもう一度来る場所に」という感じのコンセプトでリニューアルしたそうですよ。

私、大きなモール西側入口にあるディンドンというからくりが子どもの頃から大好きで、うっかり立ち止まってしまうとずーっと眺めてます

ホールの東出入り口の近くに、モザイクに行くためのエスカレーターがあります。このエスカレーターは途中で平らになるんですよ。私のお気に入りです。

買い物を済ませて高浜岸壁に行くと、大きな船が入ってきていました。コンチェルトだったでしょうか。

夜は花火が上がるとのことだったので、混雑に巻き込まれないよう、早めに帰りました。

別の日。友達が来ることになったので、自分パウンドケーキを焼きましたが、いまいち地味に仕上がってしまったので、急遽ケーキを買いに出ました。

神戸はあちこちに美味しいケーキ屋さんがあるので助かります

この間買ったコーヒー紅茶を淹れました。

日が落ちると友達が「今から夜景見に行かへん?!」というので、車に乗せてもらって、六甲山から夜景を見ました。お車代は断られたから、作ったパウンドケーキの半分をお渡ししました。

別の日。旦那喧嘩しました。些細なことです。お箸たてにお箸をさすとき、どっちを上にするかで喧嘩しました。

現実逃避したくて、ずーっと部屋で犬を飼う構想を練っていました。朝起きるのが苦手な自分のことは棚に上げました。

犬がいたら、一緒に色んなところに行けそうなのになあ。

別の日。異国の寺院が見たくなって北野へ行きました。最初に頑張って北野神社に参りました。階段でいきなり足ガタガタです。

北野にはイスラム教寺院があります。とてもきれいな建物ですが、いまいちれいに撮れるポイントがないです。でもここのモスク日本で一番古いモスクなんですよ。

ジャイナ教寺院があるのは日本でここだけです。どうしたらいいのか分からない度がすごいです。

輸入食品店でハルヴァという中東おかしを買って、ちょっと西にそれながら坂を下って栄光教会を見上げました。この教会阪神淡路大震災で崩れた煉瓦をもう一度組み立てて再建したという根性エピソードがすきです。

生田さんにお参りして終わりです。日本神様は、他の神様にも参ったことを褒めてくれたらいいなあ。

この日は早めに帰って旦那と家で食事しました。鶏モモ照り焼きにしたやつと、スーパー高野豆腐と、トマトサラダと、卵の味噌汁です。

旦那出身神戸ではないので、こっそり、早く神戸好きにならんかなあと思っています。無理強いはできないけどね。

そんな神戸ぐらしをしています神戸が好きです。

嫌な事件も多いし、どないなっとんねん!と思うこともあるけど、まあまあのどか楽しいですよ。

ここまで読んでくれた人に、平和さが伝わってたら嬉しいです。

□□□【本文ここまで】□□□

12:25 追記

いろんな反応やコメントがあって嬉しいです。ありがとう。夜中に日記を読み返しながら書いたものなので、恥ずかしいはずかしい。

ちょっと誤字とか句点間違いとか修正させてくださいね

今日はいい天気なのもあって、嬉しかったし、なんとなくレスしたい気分なので、レスさせてください。

固有名詞全部わかる~の人

 →ありがとう摩耶埠頭は私も好きです。県美のりんごには一人ではたどり着けません。なぎさちゃんもです。

・住んでたから分かる~の人

 →ありがとう。住んでると身近なものばかり書いてしまいました。

・箸立て~の人のひとたち

 →お箸の先が底になったら底の汚れが先に付きますよね。でも上にしてたら空気中の汚れが付きますよね。

 そんな感じです。蓋付きのお箸立てを買えばいいことに気づきました。先端恐怖症ではないんですよ。

神戸山口組と~の人たち

 →怖い人とは関わりたくないなあと思いながら暮らしています中学校は遠い昔の話ですけど、全員坊主アカンかったなあと思います関西弁、ごめんねえ。他地域の人にわかやすく話したいとは思ってるんですよ。

センタープラザ~の人

 →カード屋も多いけど、最近ガチャガチャコーナーも増えてますね。うっかりすると小銭すぐなくなっちゃう。

 シャッター、寂しいです。昔はもっと中古CDとか古本とかの店が多かったですね。

イノシシの人

 →ありがとう。夜道で遭遇すると「あれ?犬?」ってなりますうりぼう可愛いけど近づきません。油断大敵です。

 たまに小さい川の方に降りてきててカモと一緒にいると、鍋コンビやなあと思ってます

長田に行って~の人たち

 →悲しい気持ちになるのは嫌だけど、切ない気持ちにはなりますシューズプラザの赤い大きなハイヒール高校生の時に見て、もっと子供だったらすべり台にしてそう、と思ってました。

 靴の青空市場で、一袋靴詰め放題1000円!というのがあって、さすがケミカルシューズの町!って思いました。

 歌は謎だけどそばめし美味しいよね。長田は美味しいお好み焼き屋さんも多いんですよ。

・良い街なんだけど~の人

 →ごめんなさい。そういう話し方をしたいわけではないんですけど、兵庫言葉は押しというか、圧が強いみたいです。

 敵意も悪意もないんです。私が話すのは神戸弁ですが、怖がらせてたら申し訳ないです。

・生まれ育った街が~の人

 →いろんな街に住んで、それぞれの魅力が知れるのは、嫌だなと思う経験があったからかもしれませんね。

 死ぬほど羨ましいと思ってくれるのはちょっと鼻が高いけど、でも死なないでください。いつか神戸に遊びに来てください。

移住者だけど~の人

 →住んでこそ楽しい街、本当にそうです。移住してきた方に言われると嬉しくなってしまます。嬉しいなあ。

 一緒に神戸に骨を埋めましょう。でも時々、生まれた街のことも思い出してくださいね

まりこういう日記を書かないので読みづらかったらごめんなさい。

エスカレーター、間違ってた!いやー!はずかしい!

【16:55 再追記

こんなつたない散文がホットエントリに入ってしまったようです。念のため身バレを防ぐためにいくつかの箇所をいじりました。

内容は若干虚実入り交じっているし、別の日なだけで、時系列過去未来様々です。

とはいえ神戸で暮らす内容そのもの矛盾はないはずです。

ブコメで懐かしいと思ってくださる方、良い文章だと言ってくださる方、本当にありがとうございます

まり他の都市のことは書かないようにしたいですが、神戸は近くに京都大阪という大きな都市がある分、そしてそれ以外にも周辺に魅力的なまちがたくさんある分、旅行神戸だけに長く滞在してもらうにはむつかしいのかなと思います

でも暮らしていると、まあまあ平凡でぼんやりできるとこですよ、ということが書きたくて日記を読み返しました。

書いてない区のこと(西、垂水須磨などなど)もちゃん神戸です。読み返した分の日記の中には偶々なかったり、書くと身バレ危険がある部分だったりしたので内容には入りませんでした。

名谷駅タイルの壁がなくなったの、ちょっとさみしいですよね。でも地下鉄駅前はどこもにぎやかになっててすごいですよ。

書いていたら本当にキリが無くなるのでこの辺で。

読んでくださった方の故郷が、それぞれに素敵なものと映りますように。ここだと思える場所が見つかりますように。

2023-10-27

ローソンCM見ると行きたくなる

うちの近くのローソンは5時近くになると割引になるんだよな。

から夕方になると母親の財布から金を抜き取って、のどか田舎道を歩きながらローソンに向かう。

そしてアイスコーヒーと半額のカツサンドor卵サンドタバコ買ってまた散歩しながら歩いて帰宅する。

この生活がいつまで続くかはわからない。父親県庁幹部職員を経て、定年退職後は外郭団体役員をしている。母親薬剤師で自宅併設の薬局を営んでいる。俺は一人息子。

経済的には恵まれており、俺の生き方ケチをつけてくる親戚や兄弟姉妹はいないのでまだまだ悠々自適生活をすることができる。

願わくば俺が標準的生活をしながら平均寿命を迎えられる程度の資産形成して欲しいものだ。

2023-10-12

ロケットニュース記事がキレられる理由底辺ライター解説する

[B! 鉄道] 【終点まで行ってみる】都営新宿線終点橋本に行ったら思ってたんと違いすぎた…

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/rocketnews24.com/2023/10/11/2050558/

なんでこんなピキってるブコメ多いの?ほっこりブコメを期待してたのに…ピキってる本人か、その機序理解できる人は増田に書いて欲しい

要望があったから書くわ。

ざっと読んだだけでピキられる理由が3つくらいあると思う。

1個1個解説していくね。

タイトルそもそも間違っている

終点まで行ってみる】都営新宿線終点橋本に行ったら思ってたんと違いすぎた…

都営新宿線本八幡新宿駅までで、新宿から先は京王線に乗り継ぎをしてるだけです。橋本駅は京王相模原線終点なので、「都営新宿線終点橋本」は明確な間違い、もっと言えば「嘘」です。鉄道は鉄オタが多いジャンルなのでここでまず地雷が埋まってる。

ライターは「普段乗ってる都営新宿線から橋本まで行けるじゃん」って意味で「終点」って書いたんだろうけど、それなら「都営新宿線で行ける終点」とか「都営新宿線に乗ってたらたどり着ける終点」とか、ひと言補足を入れて「逃げ道」を作るべきだった。

②ほめるために偏見を垂れ流して対象を貶めている

これね、結構ライターでもやっちゃうのよ。「韓国人は怒りやすいと思ってたけど、全然しかった!」「近所のラーメン屋、見た目が不味そうだったけど、入ってみたら内装綺麗だしおいしかった!」「ジャニー喜多川って性犯罪者だと思ってたけど、意外と優しかった」でも、なんでもいい。いや最後のはホントか。まあいい。

こういった、対象を褒めるためにしばしば使われる「~~だと思っていたら、実はhogehogeだった」構文は基本的に使わない方がいい地雷である。こういった構文は「マイナスイメージプラスに変わりました」ということを言いたいことに使われやすいので、「~~」に当てはまる表現はほぼ100%褒め言葉ではない(まず「マイナスイメージを持っている」という表明自体が失礼にあたるということに無自覚なのがまずいのだが)。しかも、その「~~」は「書き手主観」になりやすい。嫌な言い方をすると、書き手偏見を露呈してしまやすい構文なのだ

私が想像する橋本駅は、のどか住宅街の中にある何の変哲もないさなである。素朴な駅名そのままに、駅の周辺にはコンビニスーパー、近くに大きな建物はなく、何もないような場所……。

一般論として、地元をばかにされるという経験は、怒りこそすれ喜ぶことはほとんどない。たとえば自分地元駅について、地元に住んでない人が「○○駅って、周辺にはコンビニスーパーしかなくて近くに大きな建物もない、何もない場所なんでしょ?」って言ってきたら、事実かどうかはともかくとして「ケンカ売ってんのか?」となりかねないのは想像にかたくないだろう。この記事は、「他人から自分地元をばかにされる」という、基本的には不快である可能性が高い経験を読者に思い出させてしまうのだ。

記事の流れを読めば、ライターが「心癒やされるのどか場所」というプラスイメージを抱いていたであろうことはわかる。わかるが、あまりにも表現が悪い。

③読者と書き手が持つ共有すべき前提知識がそろっていない

なぜこのような事態が発生するのか。実は、記事の中にヒントは散りばめられている。

地方から上京してきた田舎もんの私

見知らぬ終点駅への憧れを抱いていたものの、家から片道2時間かけて「隣の県のちょっと栄えた街」に行ったという、あまり夢のない結果になってしまった。まあ、自分勝手思い込み知識不足のせいなのだが。

これは推測にすぎないが、このライターはこう考えていたのではないか

もしそうなら、その主張には少なから説得力が出る。なぜかというと、主観的な感覚ツッコミが入りやすいが、主観的な経験否定できないという特性があるからだ。むしろ、その経験が「わかるわかる!」だったり「へー、そうなんだー」だったりの共感や興味を引くような内容であれば、読者の心をつかむことができる。

そういった感情に由来する前提条件が、この記事では読者とライターでそろっていない。少なくとも揃えようとする意図を感じづらい。本記事場合は、せめて冒頭で上記のような「自分地方出身者だ。地方出身者にとって、電車終点とは何もないが故に心洗われる場所である」みたいな文章を入れておくだけで随分違ったと思う。具体的な出身地と路線名を出すとよりいいかもしれない。「実家の最寄り駅は津軽線だが、その終点三厩駅なんか本当に何もない。駅前スーパーなんて存在しない、かろうじてファミマがあるけど駅から徒歩15分だ。しかしその分、景色が最高である」みたいなね。

余談

ここまで読んで、「正直、考えすぎじゃない?」「作者のひとそこまで考えてないと思うよ」ってツッコミを入れたくなる人は少なからずいるだろう。俺含めてみんな正直あら探ししすぎだと思う。この増田を書いてる人間は、あの記事はいものロケットニュースあるあるな「ライターの素朴な日常記事にすることの、素朴な楽しみ」をうまくやってるのでおもしろく読ませてもらった。俺も橋本駅行ったことないしね。

ただ、最後に意地悪なツッコミをしておこう。本記事執筆した御花畑マリコ氏の経歴は、ロケットニュース記載の内容を信じる限り以下の通りである

83年生まれ牡羊座AB型90年代呪縛から逃れられない系の元オリーブ少女だが、なぜか最近競馬サウナが好き。姉妹サイトPouchからロケットニュース24に移籍した。常に甘いものを食っている。

83年生まれって40歳じゃん、それなりにライターとしての年月重ねてると思うんだけど、「書いてることが間違ってる」「主観偏見をそのまま書く(ツッコミが入るの予想できそうなもんだろ)」「読者に共感してもらうための、主観的な経験情報共有を怠る」という割と初歩的なミス・手抜きをやっちゃうのは、「半分炎上狙いだったのかな?」みたいな邪推をされてしま可能性もあると思うんで気をつけた方がいいと思います

2023-10-03

anond:20231003234909

ふり幅のどかくん、すしすきーから泣かないで絵文字ともなくけっこうデカめのほうはペンケースに収まらないよ 17cmある もうちょい短ければ気軽に使えていいんだけどねえ…

2023-09-16

川を3つ超えた向こうにある大都会人間が、まさかこんな畑ばかりのところに住み始めるなんて

という作りをしているなあ、ここら辺は

密集した戸建ての家に大型の集合住宅、その間に昔ながらの農家の家と畑

片側1車線の道路に見合わない交通

大型車バンバン通るししょっちゅう渋滞する

歩道は1人やっとの幅で向こうから人が来た場合は通り抜けるために一旦待つ

こんなのどか田舎にこんなにベッドタウンとして人が流れ込んでくるなんて思わなかった、みたいな作り

2023-09-05

anond:20230905173627

のどから口までの間の食事に関与する器官だけをロボ化するのはわりと現実的になるかもしれない。

2023-08-04

お店の雰囲気に合っていない客について


関東田舎で働いてる。しがない機械工場勤めだ。話したいことがあって増田投稿する。

いま居るとこは、すげーのどかだ。ほぼ東京の隣であるにもかかわらず田んぼ結構並んでる。あと数か月で稲刈りだな。今週ぐらい、近くの神社夏祭りがある。嫁も子供もない自分は参加しずらいが、それでも毎年行ってフランクフルト焼きそばを買って帰る。のどか地域だと思う。地元なので思い入れはある。

それで、何か事情のある家族もいないし、二週間に一度は飲みに出る。安い焼き鳥の店で千円ちょっとだけ飲み食い(ボーナスが出たばかりだとやや高い店)して、それでスナックラウンジに行く。田舎から、そりゃあ安いもんだ。飲み放題で三千円の店とかもある。

自分が好きな店は、スナックラウンジを足して2で割ったようなお店(以降は「お店」とする)だった。婚姻的な意味を表す英語が店名になっていた。最初はなんとなく寄ってみて、「料金高いな」と思ったけど、スタッフがみんないい子ばかりで気に入った。自分はあまりお金持ってないから、いちばん安いウイスキーボトル(ニッカor角)を入れて、一時間四千円ちょっとでしみじみと粘る。でも、ごく稀には同伴だってしてやるんだぜ。いつもカウンターに座ってる。テーブルには座らない。

さて、そんな具合でお店を楽しんでいたんだが、ある時だった。『町内会長』が店に来たのだ。60過ぎたくらいの。初来店だった。今から1年ほど前。

最近の爺さんって若作りな人が多い印象だけど、この人は年相応かなって感じだった。清潔感というのか、そういうのはあった。スーツ私服を足して2で割った感じの服装だったと思う(追記 調べたらセミフォーマルというらしい)。薄緑?~ダークグレーの装いがお店のうす暗い照明に照らされてた。

この人がタイトルの人だ。店の雰囲気にあまり合ってなかった。自分はこれまで、町内会長という役職の人と会話をしたことはなかった。なんか地域代表者みたいなイメージしかなかった。一般雑誌とかアニメとか寝取られものエロ漫画あらくれ氏が描くような...)に出てくる町内会しか知らなかった。のほほんとした感じの爺さんで、腹に一物もっている感じの。。。

続きだ。見慣れない人が来たなあ、と思っていたら、出入口からそう離れていないところで立ち止まっている。スタッフ女の子数人(平均年齢は30~40)も神妙な雰囲気だった。

「どこに座ったらいいですか」と、その人が言うと、チーママが「どこでもいいですよー」と言いつつ、俺とふたつ離れたカウンター席を案内した。それで、自分に付いていた子が2人いて、うち1人がその人のところに行って、あとはチーママが付いた。

そこで、その人が「すいません。料金の説明をしてもらっていいですか」とチーママに言った。で、説明を受けると、「ボトルは入れません。飲み放題します」だって。※飲み放題の方がセット料金が高いが、ボトル代払ってキープすると安くなる。どっち派かは人による。

なんか、明らかにほかの客と雰囲気が違う。気になって、会話を聞いてみようという気になった......それで、おおよそ以下のようなキャラクターが判明した。

・お店の隣町の町内会

・町内の飲み会の帰りに寄ってみようと思った(※徒歩)

都内商社で働いていて、定年退職した2年前に地元に帰ってきた

・珍しい店名だと思って寄ってみた

こんなところか。商社名前もどこかで聞いたことがあった。こんな田舎者でも知ってる会社だ。きっと金を持ってるんだろう。年寄りからな。

問題なのはこの後だ。会長飲み放題コース(1.5hで5,500円)にしていた。女の子ドリンクが1杯につき500円のはず。で、来店から10分くらい経った頃だった。会長に付いていた若手チーママ(34)の1人が、「私、一杯いただいてもいいですか」と言った。

すると、会長左手を前に突き出して、「どうぞ」と言った。問題はその数分後だ。もう1人付いていた別の女の子(31)が、「1杯いただきますね」と言って、焼酎水割りを作り始めた。

※上の括弧内の数字は年齢だ。オンラインゲームレベル表示とかではない。わかってるとは思うが……。

すると、会長が「ちょっと待って」と言った。俺がそっちの方を向くと、会長女の子(31)をちょっと睨んでいた。チーママ心配そうにしてる。

「その飲み物は、一杯につき料金がかかるんでしょう?」

はい。500円です」

「だったら、その前に私の了解を得ないといけないんじゃないの」

「あ。はい。ごめんなさい」

「お客さんの了解も得ないで飲み物を作るのは、それは泥棒と一緒じゃないか!?」

( ^ω^)・・・

女の子(31)は涙目になっていた。で、キッチンの方にすごすごと歩いて入っていった……。

こういうおっさんを見ると、本当にムカつく。わかってないのはあんたの方だろう。たかだか500円で、グチグチグチグチと。本当にケチ臭い人間だ。飲んでて気分が悪くなる。

あんた、金持ってるんだろ。俺と違って。別にいいじゃん。女の子に500円払うくらい。くれてやれよ。場の雰囲気壊してまでやることじゃないだろ。ああ、思い出し怒りがさく裂しそうだ。マジでイラついてきた。

その後は、チーママが謝ってたはずだ。会長が「ダメだよ。あんなことしていたら。ちゃんと教えてあげないと」みたいなことを言っていた。

何がちゃんと、だよ。気持ちが悪い。何様だ。金持ってんだろ。ケチ臭いこといってんじゃねーよ。みたいな思いがして、それから3、4杯だけ飲んで家に帰った(自転車を押して)。



何が問題かというと、この会長それからお店を利用するようになったことだ。けっこうな頻度でくるようになった。自分がお店に行く日と曜日が被っていた。

おそらく会長と3回目に鉢合わせた時だったか自分がお店に入った時は、さっきの女の子(32)とチーママがいて、カウンター席で話していると会長がやってきた。自分のふたつ隣りのカウンターに座って、「飲み放題焼酎(ウイスキーだったかも...)にします」と言ってたか。いや、確か焼酎だ。でかい梅干しをグラスに入れていた。その際、チーママに「(会長場合は)ボトル入れた方が明らかに安い~」と言われてたけど断っていた。

その時、会長女の子(32)に「この間は悪かった」と謝っていた。彼女は「いいです、いいです」みたいなことを言っていた。謝るくらいなら初めから怒ったりするなよと感じたけど、まあ世代が違うだけで、悪い人じゃない、いい人なのかもしれないと思っていた。

でも、やっぱり感覚が合わないんだよな。ほかの常連(一月に1回くらい会う)の人でさ、高齢のじいさんがいるんだよ。多分70くらいかな。細身だったと思う。で、その人がよくキレたりする。酒がまずいとか、今日はいい女がいないとか、カラオケがうるさいから黙らせろとか(※この爺さんも歌う人だから相手邪魔だったのかもしれない)、とにかくうるさい爺さんだ。ほかの客にもウザがられてる。

できれば、チーママにはこの人を出入り禁止にしてほしいと思っていたし、実際に「出入り禁止にした方がいいよ。お店のためになんないよ」と進言もしていた。しかし、返事ははぐらかされるばかりで、なしのつぶて状態だった。

それでまた、ある時だった。爺さんが、その会長に絡むんだよ。で、会長相手をする。「出身は?」とか「カラオケは何が好き」とか、あとは家族の話とか。ホステスよりも話してるんじゃないかという時もあった。

そういう時に限って爺さんがうるさい。でかい声で何かを叫んだりする。気が高ぶってるのかもしれんが、こっちはい迷惑だ。頼むからかにしてくれ。こっちはこっちで目の前の嬢と話したいんだよ。うるさくて聞こえん。

それからちょっとして、高齢の爺さんは店に来なくなったけど、それまでは本当にあの二人がうるさかったよ。不愉快時間だった。

で、ようやく静かにお店を楽しめる~と思ったら、今度は若者連中(といっても30代だが…)と会長が話をするようになった。これがまた輩っぽくてうるさい。こんなにうるさいのかと思った。会長は、調子に乗って若者連中におごっていた。ホステスにもな。こっちは端っこの方でちびちびとやるしかない。

やっぱり、調子こいてるんだよな。いい会社に勤めてたからって、インドネシアに行ってたとか、赴任先の国でクーデターが起きたとか、間違えて強盗徘徊してる列車で一夜を過ごすことになったとか、マジで自慢ばっかり。若者連中は一応は聞いていた様子だったけど、たぶん内心はつまらないに違いない。

なんで自分がこんなに会長のことを覚えてるかというと、それくらい嫌な奴だったからだ。一緒になったのは軽く10回は超えているだろうか。自分にも話しかけてきたことがあった。「男前だな」とか「無理にでも結婚した方がいい」とか「結婚したら人生変わる。大人になれる」とか「気分が暗そうだね。あなたカラオケ歌わないか」とか、こいつマジで○そうかと思ったくらい、それくらい失礼な奴だった。

こっちだってやりたくて未婚なんじゃない。したくても結婚できねーんだよ。いい人がどうしてもいない。こっちは工場勤めだぞ。出会いなんてねえよ。ゼロだ。あんたの会社だと、男社員に女をあてがってくれる部署があるんだろ。大卒でも専門卒でも、かわいい女の子いっぱい雇って、総合職の男社員とくっつけるんだろ。羨ましい。

ムカつくことが多くて、あの会長のことをよく覚えている。マイナス方向のインパクトが強すぎた。ポジティブな言い方をすると、俺には眩しかったのかもしれない。俺はずっと底辺近くをはいずり回ってきた。まともな親とか、家族とか、教師とか、上司とか、そういうのは知らん。友達には恵まれたかもしれない。今ではもうぜんぶ遅い。もうすぐ40になる。人生は取り返せないのだ...。



そろそろ終わりにする。

会長の初来店から半年が経った頃か。つい先日のように思える。ようやく最後にオサラバができた。

その日、ちょっと嫌なことがあって、イライラしていて、お店に入ってもあまり喋ることがなかった。※工場内の数少ない台車をどの部門が使うかでケンカをしたのだ。マジでレベルな争いだった。中学生かよってくらいに。

態度でわかるくらい気分が悪かった。チーママもほかのキャストも、ほかに3人いた常連さんも、遠慮のためか話を振ってくることはなかった。

そんな時に、会長が話しかけてきた。「増田さん、いつもより気分悪そうですね。大丈夫ですか」だったかな。

「まあまあですね」と答えたら、「いつもと顔が違いますよ。嫌なことあったんです?」って感じだった。

その時、キレそうになっていた。で、ただ一言、こんなことを俺は言った。「会長さんは、どうしてこのお店にくるんですか。ちょっと遠出すれば金持ってる人が入るような店ありますよ?」と聞いたら、「ここが好きなんだ」って返ってきた。

「この場末のお店のどういうところが好きなんですか?」と聞いたら、「若い人が多くて、スタッフみんなが仲いいところかな」と返答があった。

「でもここ、あんたが来る店じゃないよ!?」

頭に血が上っていた。いつもは言わないであろう言葉が出てきた。ぜんぶこのおっさんのせいだ。

「客層見てみろや。あんたは恥ずかしい!!」

会長は急に黙って、でかい梅干しが入った焼酎のグラスに手をやってた。

「すまない会長。でも、みんなそう思ってるよ……」

最後に言ったら、「すまんね」とだけ言って、会長トイレに行って、お会計を済ませてお店を出て行った。

周りを見ると、スタッフ常連さんも自分の方を見ていた。そうか、そうだったんだよ、みんなあのおっさんのことがウザかったんだな。でもお客さんだし、金払いもいいみたいだから何も言わなかったんだな、と合点がいった。

そう思うと気分が晴れて、イライラしてたのがすっとんでいった。目の前にあった安いニッカの水割りを一気に飲み干してグラスを置くと、チーママが俺の方をじっと見ていた。確か、こんなやり取りがあったかな。

・気分が悪そうなのに飲んだらだめ

・もうその一杯で帰った方がいい

健康のことを考えて、安い酒はやめた方がいい

それからもう、会長が来ることはなくなった。

で、俺もだんだんその店に行くことがなくなった。というのも、自分がお店に行くと、ボトルが切れる度に、スタッフひとつ壱万円以上のやつばかり勧めてくるようになったからだ。健康のためだという。

断ると、これがまた営業トークがしつこいんだ。高い酒飲めって。いや、もう嫌になってきたよ。あの安いウイスキーボトルが好きだったのに。

今ではふたつ隣の別のお店に行っている。やはり、安いニッカや角が置いてある店がいい。こういう店では、安い値段でゆっくりするのが好きだ。

老若男女問わず大はしゃぎの夏だというのに、嫌な話をしたな。申し訳ない。

でも、どうしても気になってるんだ。これは、関東にある一地方都市の話だ。東京都内など、真の都会暮らしの人には縁が薄い話だったろう。お目汚しを。

やっぱり、あの時、あんなことを言わない方がよかったんだろうな。町内会長さんには悪いことをしたな。後悔してる。もう謝る機会はないけど、胸の中にしまって生きていくわ。

ごめん。

2023-07-29

anond:20230729104114

私はこの何も起きない町の周囲よりは少しばかり裕福な米農家で生まれ育った。

父親は県立高校で教鞭を執りながら祖父とともに清酒用の米を作り、休日には手繰川印旛沼沿をぶらぶらしながら空気銃で鴨を撃つのどかな人間であった。

酒々井町酒々井中学校に在学中、私は坊主頭拒否し横分けを貫いていた。そんな私に対してある1人の教員は事あるごとに拳骨を浴びせてきたが、それほど大事にはならなかった。それほど酒々井のどかな町であったのだ。

千葉県佐倉高等学校に在学中、私はよく手繰川まで自転車を走らせ鰻を釣った。これを庭で焼き、甲子正宗とともに一杯やるのが最高なのである

当時、千葉県立成東高等学校に在学していた私の彼女は私がヘベレケになる様子を見ながら「高校生でお酒飲んで煙草なんか吸ってるとがんになって死んじゃうからね!」とよく叱った。

彼女とは大学卒業頃に疎遠になった。日本女子大学に進み栄養士となって病院で働いていた。私が一橋大学商学部卒業し、さら神戸大学医学部医学科に進み、そこを卒業する頃に他の男と結婚した。

「がんになって死んじゃうからね!」と言っていた彼女子供を産んですぐに子宮頚がんに襲われた。

私は彼女を救おうとしたが、その頃既に私は酒々井で「気狂い」の烙印を押されており彼女入院しているのが千葉県東金病院であるということを聞き出すのも一苦労であった。ようやくたどり着くもストックホルム貴族達の息の根のかかった千葉県警に拘束され、私がプロポフォール意識を奪われている間に彼女亥鼻医局員共にステロイドを過剰投与され殺された。

私はストックホルム貴族達への怒りを一瞬でも忘れた時はないのである

2023-07-28

神戸大学追放後、私はサナトリウムから抜け出し、新幹線タクシー千葉に帰った。

実家に帰ることも考えたが、既に私が帰る場所などなかったことを思い出し成田へ向かうことにした。

成田山の参道沿いを歩き、千葉県立成東高等学校に進学した彼女と共にここを歩きなごみ米屋の栗羊羹を食べたことを思い出した。日本女子大学卒業管理栄養士として働いていた彼女は他の男と結婚出産を経ていた。そしてその頃、子宮頸がんによりその命は風前の灯であった。

私は叔父から渡された手切金で当分生活には困らないことを確認すると、なごみ米屋羊羹を買い川豊で鰻を食べた。元町でもよく鰻を食べた。医学生時代一橋大学同級生神戸市役所勤務の女性同棲していたが、彼女の両親になぜか気に入られよく4人で青柳という店の鰻を食べたものだ。

しかし、やはり私にとって鰻は元町青柳ではなく、成田の川豊なのである

ストックホルム貴族たちの慇懃無礼な態度、そして私がチェコで仕留めた牡鹿を自分の手柄にしたリヒテンシュタイン家の侍従、彼らの醜悪計画

のどか千葉にいると、それら全てを一瞬だけ忘れることができた。

2023-07-05

のどか流行っている?

ここ数日やたら私と同じような咳の音が聞こえる

母もやられたらしいし、コロナでない喉の風邪流行ってないか?これ

2023-06-24

anond:20230623232159

一時期、生駒駅徒歩北側10分ぐらいのところに住んでいた事あるけど、確かに便利は便利かも?のどかでもある。

近鉄百貨店生駒店がある間はちょっとしたもの買うだけならそこで済むし、選択肢広げたいなら大阪に出て買い物すりゃいいし。

家賃相場もそんなに高くはない印象。平らな土地が少ないのと、地元産業が何かあるわけじゃないって所で人の集まりが悪いのかな。そう考えるとリモートには向いてるかも。

それにしてもフルリモート羨ましい。

anond:20230623200235

家賃めっちゃ安いってわけじゃないけど、大阪北摂(豊中吹田あたり)はどう?

東京から吹田に越してきたけど

のどかだけど必要ものは揃ってる、治安

ちょっと電車乗れば色々ある街にすぐ行ける、もうちょっと乗ればディープ大阪にも行けて最高

京都奈良にもすぐ行ける

みたいな感じでかなり良い

なんせ人が良い 田舎すぎず都会すぎず

2023-05-12

田舎の「よそ者」は被差別階級

なんか最初は邪険に扱われても長く住んで貢献すれば受け入れてくれると思ってる人多いけど、そんなこと無いよ被差別階級から

田舎代表格みたいな地元では祖父母世代引っ越してきた一家がいまだによそ者扱いされてる

孫なんかその町で生まれてその町ですくすく育ってるのによそ者だぜ?よそ者の孫じゃない、「よそ者」そのもの扱いだぜ?

 

あ、今もしかしたら「村でもないのに田舎を名乗るな」と思ったかもしれないけど

とうの昔に人口が"町"の認定条件を下回ってる過疎地域から

牛乳パックに描かれているような風景が広がってるよ のどかだよ 風景だけなら

 

とにかく単に外から来た人たちってことじゃないんだよ、田舎にとってのよそ者

異物だよ異物

仕事や買い物はできるから○○よりはマシかもしれんが、逆にいうと別の被差別階級を引き合いに出さないと慰められないくらナチュラルに酷い

その辺の認識が甘い人たちが夢を抱いてやってきて想像以上に差別されてズタボロになるの、もう見ていられない

めにも書いた通り結婚して子どもを産んだって同志とは認められない 一生どころか孫世代まで被差別階級のままだ

変に人を集めず滅びた方がいい集落ってのは確実にある

2023-05-09

同人日記

これは本当に愚痴なんだけどさ、新刊でねえなっていう

 

いやさ長いのやだからまとめていうと

娘が障害持ちで新卒無職でさ

父が危篤入院中で

自分も持病2つ、いや3つかかえてて

旦那はなぜかボランティア2件にいそしんでてさ

(まあこれは片方は増田が始めたことだからさ、持病2つめの時点で切ろうとしてたんだけど旦那はやりたくなっちゃっててひっぱりまわされてる)

これで新刊出たら奇跡だわな

 

あーーー自分がこんなにお人好しじゃないもっとわがまま人間だったらもっと芸術家として突貫できたのにな

なんかカクヨムの新連載みてると才能すげーわってのがたまにいるんだ

あいうのみたら発憤してたよな、今までだと

 

わたし家族や友人や読んでくれた人たちのこと全員好きすぎたわ

でもだからこそその人たちによんでほしい話がかけたんだよな

 

そりゃまぁ長いの無理だからこねただけでもまとめられないかなって

ちまちま細切れ睡眠とってるあいだに見た夢とかメモしようと思うんだけど

脳にも病気みつかってて(3つめのことだ)再来月も再検査予約入っててさ

起きてツイッターみてまだみんなそこにいて新刊だそうとしてるってことに安心してたらもうどうでもよくなったのか忘れちゃうゲームもしちゃう

自分自身の薬(2種類しかない)とご飯とお風呂も忘れがちだし

無職娘の分も薬風呂着替えご飯のどかわいた水ーをやらなきゃなのにこんなんで新刊でるわけがない

あーーーー入院か……

 

あと最近新刊がなんかもうリアイベで売る機会がなかったせいかとらでひっっっっっそりとしかうれてなくてさ

私にも感想とかはがきとかくれよ……

ふぅ、なんかたまになみだが出る

乞食しちゃってすまんね

タイムラインでやったら本当にみじめだからここでな

 

あれ、ボランティアあと3件もってた(存在のものを忘れてた)

来年は3つともやめとこ……なんで引き受けた

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