はてなキーワード: 観劇とは
【挨拶厨】受けを渡すわけでもなく、お疲れ様で~すといった声かけのみをするギャラリーのこと。
【歩き受け】出待ちなどにおいて俳優の横を一緒に歩きながら話す行為。
【受け/受け取り】手紙のこと。また手紙を俳優が受け取る行為を指す。ジャニオタ由来であり、主にジャニーズから流れてきた厨が使う。
【受け禁】手紙、プレゼントなどを出待ちで受け取れないこと。事務所や舞台によって禁止されている場合と俳優本人が拒否している場合がある。ジャニオタ由来の語。
【駅待ち】入りや出において駅で俳優を待つ行為。可とするかどうかは俳優による。
【オンリー】俳優1人に対して出待ちが1人しかいないこと。転じて、目当ての俳優の出待ちが自分だけであること。
【カット】俳優から厨を引きはがす行為。マネージャーがよくする。また、嫌いな厨をつかせないために身内などを使って厨を厨が妨害する場合、リアストを阻止するために厨が厨に行う場合など用法は多岐にわたる。ジャニオタ由来の語。
【空電】本当は電話をしていないのに電話をしているようなそぶりをしながら歩いてくること。出待ちが嫌いな俳優がよく行う。
【観劇待ち】俳優が他の俳優の舞台を見にきているときの出待ち。
【観劇連絡】身内などから推しが他の俳優の舞台を見に行っている旨の連絡を受けること。また、その連絡をすること。
【ガンダ】ガンダッシュの略。俳優厨用語ではないが、厨はやたらと使う。
【ギャラリー】町厨ではあるものの、俳優に凸らず眺めているだけの厨。俳優が町禁や凸禁であるが出ていく様子を眺めていたいという場合と、個人的に凸る勇気がない、また凸りたい気持ちはあるものの周りをとりまくさまざまな事情により凸れない場合のふたつに大別することができる。
【公開】舞台本番、イベントなど世間一般にスケジュールが公開されている現場のこと。ジャニオタ由来の語。
【サイン厨】誰彼構わず俳優にサインを求める厨を指すが、どちらかといえばミーハーや一般人に対して使われることが多い。映画現場、特撮現場などによく現れるとされる。
【〜時集】〜時集合の略であり、キャストの集合時間/入り時間を指す。ジャニオタ由来の語。
【~周辺】~の部分には中心人物の人名が入り、厨によって形成されたいわゆる身内の仲良しグループを表すことが多い。
【対応】出待ち対応の略。厨に話しかけられ、受け取りをしたり会話をしたりすること。
【大公開】出待ちの場所が道路などに面しており、出待ちでない厨や一般人に晒し者になる現場のこと。また、出待ちが多い現場のこと。ジャニオタ由来の語。
【ちゃっかり】遭遇、偶然を装って俳優との接触を試みようとする厨。またその行為。
【茶の間】もともとは出待ちではない厨全般を指したとされるが、用法の変化により現在では舞台を見に来ない、イベントに来ない、回数が少ないなどの厨を指して言うことが多い。定義は明確に決められておらず、しばしば厨のあいだで論争を引き起こす。
【手伝い】出口が複数あるなどの理由から人数を使って目当ての俳優の場所を捕捉したい場合、またその他の諸事情によって本来は関係のない身内を現場に駆り出したり、逆に駆り出されたりすること。及び、そうして連れてきた厨を指す。
【凸る】「突撃する」が省略された形。目当ての俳優に話しかけることを指す。
【はける】出待ちなどが終わり、帰ること。ジャニオタ由来の語。
【はまる】喫茶店などに行き、休憩したり時間をつぶしたりすること。なぜか一部の厨の間で頻繁に使われているが、語源は不明。
【張る】出待ちをすること全般。狭義では、非公開や観劇など目当ての俳優が本当に来るかわからないときに予想を基にして可能性にかけて待ってみること。
【非公開】稽古など世間一般にスケジュールが公開されていない現場のこと。ジャニオタ由来の語。
【暇電】狭義においては、諸事情で出待ちや入り待ちが長時間に及ぶとき身内などに電話をかけて暇をつぶす行為。
【プレ禁】プレゼントを贈ることが禁止されていること。一部のイベントや舞台、俳優によっては禁止になっていることがある。
【没る】出口が違った、自分より早く来ていたなど様々な理由により目当てにしている俳優に会えず、入り待ち/出待ちに失敗すること。
【町禁】出待ち禁止の略。舞台によっては稽古期間中、本番期間中にツイッターなどで繰り返し注意されることがある。「ーになった」「ーくらった」
【町厨】出待ちをしている厨のこと。「出待ち厨」が省略された形。
【マネージャー】出待ちに厳しく対応するマネージャーもいれば、歓迎モードのマネージャーもいる。町厨と仲が良い場合もあれば仲が悪い場合もある。
【ユダ】身内の中にいる裏切り者。鍵垢やLINEのスクショを晒し上げる、同厨や推しに秘密をぶっこむなどの行為に及ぶことが多い。友達だと思っていたが、そもそも最初からスパイとして近づかれていたという事例もある。
【リア】中高生の厨を指し、概ねの場合蔑称として使われる。リア中=リアル中学生、リア工=リアル高校生が語源。ジャニオタ由来の語。
【リアスト】出待ちの範疇を超え、ストーカーに発展している行為。また、それをしている厨。どこからがリアストになるのかについては俳優個人や厨個人の解釈に委ねられているので一概に言うことはできないが、同じ電車に乗る、最寄り駅に行くなどの行為を指して言うことが多い。
終戦間近の軍需化学工場に学徒動員されていた若者たちの話である。
SEALDsの代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードをカバンにつけた人もちらほら。
けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画や小説やアニメや漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。
ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。
イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすいお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。
演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。
ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。
役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。
役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。
違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手の自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由。
だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。
そんな芸術があるということも初めて知った。
T―nsSOWLの高校生が役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。
http://anond.hatelabo.jp/20160522010905
私は舞台刀剣乱舞については見ていないのでなんともいえないけど、2.5系の作品を見ていて、自分の好きだった原作のある部分が蔑ろにされているように感じられて、自分はめちゃくちゃ憤ってるのにその舞台を見た周りの人はまったく憤ったりせず楽しめていて、なんで!?って思うことはたまにあるよなあと思った。
このなんで!?には、なんで!?原作の○○な部分大事にされてないのになんで平気なの!?とかなんで!?どこがおもしろかったの!?とかなんで!?なんで私は楽しめなかったの!?とかなんで!?なんでこんな風につくっちゃったの!?とかだいたい本当に個人的な気持ちが付きまとうんだけど、でもあるよなあ。そんでもって楽しめなかったことの残念さも相まって、怒ってる人が自分だけなんじゃないかみたいな孤独さを感じたりもする。たのしいはずの趣味の話で。
なんで私は楽しめなかったの!?って思うなら楽しめるように見ればいいじゃんと思うんだけど、実際なるべく自分でもそうしているつもりなんだけど、2.5次元に関してはこれが上手くいかなかったりする。
なんでかというと私の場合は2.5次元作品には漫画なりアニメなりゲームなりで原作が存在するからで、原作が好きであればあるほど、こういうなんで!?のジレンマに直面しやすくなる。
自分の中では理由ははっきりしていて、自分が原作でいいと思っている要素が必ずしも舞台化に反映されないから。
原作にあたる作品を丸々愛しているつもりでも、その作品のどこを一番愛しているのかはその時々によって違うわけだけど、たとえばキャラクターの顔に一番魅力を感じていたら舞台のキャストの顔に解釈違いを感じることが多いし、ストーリーが好きだったら舞台化するために2時間前後にまとめるために端折られる物語になんでそこ削った!?って気持ちになったりするし、キャラ同士の関係性に魅力を感じていたら掘り下げの有無によってそこもっと掘り下げたほうがよくなかった!?と思ったりする。
キャラクターの設定的に金持ちの豪華な衣装のキャラの衣装が安っぽいペラペラの布で作られていると予算かけてくれよと思ったり、見せ場にあたる必殺技的なものが炸裂するシーンの演出がしょぼいとそこもっと熱く演出してください…って脱力したりもする。
なんかもっとほかにもなんで!?と思う瞬間はある気がするけどキリがない。
まあそんな感じのなんで!?って思う瞬間が、自分が原作で一番良い!と思ってる部分だったりすると一気に醒めてしまったり、この舞台微妙だったなあと自分の中での評価が決まってしまったりすることがある。
だからまあだいたい、同じような感じで原作を好きな友人相手だったりすると2.5次元舞台の評価も割と重なりやすく、あそこ微妙だったよね…というような会話がしやすい。それでも絶対許せない!となるかまあ微妙なとこもあったけど楽しかったよとなるかはもう個人差みたいなもので、そこで絶対許せない!となるタイプは今の2.5次元舞台を見に行く客層の中では少数派なんだろうという自覚をするのが、自分が一番楽になる方法じゃないかと思う。
なんといっても舞台を見に行くお客さんはみんな少なくないチケット代を払って劇場に行ってるわけで、それなら少しでも楽しかったと思いたいという気持ちで舞台を見にいっているはずなので、その分楽しむ方にバイアスがかかっているというのはあるんじゃないかと個人的には思っている。
なにが言いたいのか迷子になりかけたけど、だからぶっちゃけありえなかった!って思う人はたぶん限りなく少ないんだけど、2.5次元舞台見に行く中でそういう気持ちになること自体は個人的にはわりとよくあるし私はわりとその孤独に歯ぎしりしたりもするので全くそういう気持ちの人がほかにいないとは言い切れないし、あんまり孤独感に苛まれて好きなものを嫌いになったりすることがないといいなあと思った。
絶賛が多い中で感想をツイートするのがはばかられるなら、もういっそ新しいTwitterアカウントでも作ってどこが微妙だったっていう具体的な感想でもツイートしてみたら、案外同じ気持ちの人からいいねくらいつくかもしれない。
とりあえず次の観劇はなんにせよ楽しいものになるといいねという気持ち。
ちなみに私は去年ぷよぷよの舞台化したやつを見にいって作品の雑さとトークショーで出てきたセガのプロデューサーの態度に最高に胸糞悪い気分で劇場をあとにしたし見に行ったこと自体を黒歴史だと思っているけど、今後これよりも体感でクソだなって思う舞台にはそうそう出会えないなと思っていたりするしこの1年間あれ以上に腹の立つ舞台には出会っていないのでハートは強くなると思うよ。
舞台「刀剣乱舞」を観に行った。結論から言うと自分のせいで後半半分しか見られなかった。
12時開演なのに14時開演と勘違いし、1時間ほど見逃してしまった。会場に貼ってあるポスターの公演日程をぼーっと眺めている時に気付いた。頭が真っ白になって慌てて受付に行ったら、途中から通してくれた。
自分の勘違いでいろんな人に迷惑をかけてしまった。一緒に観に来た妹にはどんなに謝っても足りない。また、途中入場にあたって対応してくれたスタッフの人にも手間をかけさせてしまったし、何より演出の邪魔をしてしまったことと他の観劇者の邪魔をしてしまったことが申し訳ない。せっかく劇の世界に没頭していたのに、私が入ったことで一瞬でも気が逸れてしまった人がいるかもしれない。絶対いると思う。
やむを得ない事情があっての途中入場ならまだしも、自分の勝手な思い違いのせいで大勢の人に迷惑をかけてしまった。舞台上からも途中入場した人が見えるのか、と考えるといたたまれなくて情けない。同じ作品でもその場限りの、一期一会の劇になるのが舞台の醍醐味だと思う。それをほんの少しでも壊してしまったのが悔しい。自分が馬鹿すぎて泣けてくる。
今回の失敗が起こった要因は以下の3点だと思う。
1、スケジュール管理の怠り
…前日妹に公演時間を聞かれた時、チケットを確認もせず「14時からだよ」と答えていた。また、スケジュール帳を見返したら「14時」と一度書いた上から「12時」に修正されていた。4の字の上から無理やり2を書いていた。
2、雑な計画
…東京に出れば、電車もバスも5分刻みで来るから来たものに乗れば着くだろう。多分1時間前開場だからそれくらいに着けばいいだろう。荷物はどこかに預けられれば預ければいいだろう。全てをそんな風に雑に考えていた。
…今月は様々な舞台・イベントが立て込んでいて、特に忙しい時だった。その分他の予定と時間がごっちゃになり、勘違いが起こったのではないか。
言い訳がましく並べたが、一番思うのは「舞台に対する関心が低くなっていたのでは」ということだ。そんな事はないと言いたいが、「そんなに好きならどうして時間を勘違いするなど馬鹿なミスをやったのか」と言われると返す言葉がない。「そこまで好きじゃないから間違えたんじゃないの?」と言われても、私には反論する資格がないと思う。
いろんな予定が重なって、関心が分散していたことも否めない。あっちもこっちも考えているうちに、ひとつのイベントをちゃんと確認するのを怠っていたのではないか。
どうにか反論できるなら、「関心が低かった」のではなく「不誠実だった」という方が近いと言いたい。公演をとても楽しみにしていて、ちゃんと気を配っていたつもりだったのは本当だ。しかし気持ちだけでは意味がない。実際の行動を客観的に誠実・不誠実の観点から見たら、私は確実に不誠実だ。
言い訳を重ねて見苦しいと思うが、できない人も自分ではちゃんとやっているつもりなのだ。ただし「やってるつもり」の基準が他の人より低いのだと思う。だから気持ちだけで言えば、できる人と同じくらいできない人も人事を尽くしている。気持ちに見合う行動が何なのかを分かっていないから、不誠実になってしまうのだと思う
今回の失態を繰り返さないためには、
◯予定を立てる時でなく、確認する時もチケット等を見て行う。同伴者がいる場合は、一緒に見て確認する。
◯自分のことを信用しすぎない。特に自分の記憶力は信用しない。必ず調べて確認する。
ということを大事にしたい。
しかしこれらができる人なら、そもそもこんな間違いはしないはずだ。これができないから間違える。20数年生きててこんな基本的なことができない人間なのだから、おそらく私は数年後また同じようなミスをする気がする。今はこれほど悔しく思っていることでも、数年経ったらまた油断しそうだ。妙にプライドが高くてめんどくさがりだから、自分を疑うということをすぐに怠るだろう。なので忘れないように、ここに書き記しておくことにする。思っているだけよりは文字に起こした方が自分の馬鹿さと向き合えるだろう。
今回の失態で痛感したのは「注意してくれる人のありがたみ」だった。先に「できない人はできる人と気持ちは同じだが行動の基準が低い」と述べたが、これを治すには行動の基準そのものを是正しないとならない。しかし大人になると、ああしろこうしろと注意してくれる人がいなくなる。そのため自分の行動が正しくなくても、気付くことができなくなる。
私の場合は実家暮らしなので、まだ母が叱ってくれる。今回の件も説明したら大爆笑したのち具体的な改善点やこれから注意すべきことを教えてくれた。上記の反省点も母の言葉を倣った。ちゃんと叱って、教えてくれる人がいるというのはありがたいことだと思った。慰められたり笑い飛ばしてもらったりするのも良いが、注意をくれる相手を大事にしなければという当たり前のことに改めて気が付いた。綺麗事や道徳心ではなく、本当に身に沁みる。
最後に、わざわざ舞台「刀剣乱舞」の名前を出したのはこの舞台が最高の舞台だったからだ。私に感想を言う資格もないと思うが、途中からでもすぐ飲み込まれるほどの迫力と展開、役者さん達の演技や役作りの完成度に圧倒される。素晴らしい舞台だったからこそ、自分たちの思い出に水を差したことも会場の空気を少しでも乱してしまったことが腹立たしい。私ごときの途中入場に影響されるほど脆弱な作品では決してないのだが、それでもほんの少しだけでも穴を開けてしまったのは事実だと思う。自意識過剰かもしれないが、本当に悲しくて悔しい。
会場に着いたのは17時半頃。マルイ2階入口からエスカレーターで9階まで上がり、階段で11階まで登りました。
階段で登っている時は驚くほど静かでシンとしていて、本当に公演があるのか?と不安になってしまうほどでしたが、11階に着いた途端ざわざわとにぎやかな声が。
会場手前では入場を待っている人や、椅子に腰掛けてのんびり待っている人でいっぱいです。
奥に進むとトレーディング商品を購入した人達が交換をするスペースがあり、ごった返していました。
そこを通り抜けると物販フロア。ここではチケットを持っていなくても買えます。
まずは事前に買ったトレーディングブロマイドセットを引き換え。
次に物販コーナーに並びました。と言ってもまったく混んでおらず、すぐに会計へ。
在庫は売り切れなし。素晴らしいです。
パンフと個人ブロマイドをいくつか買い、持ってきたバッグにしまって開場を待ちました。
トレーディングブロマイドは何が来ても大事にしようと思っていたので交換はしませんでした。
18時になり入場開始。
ですが、18時30分までは椅子には行けず狭めなロビーで待つので、30分まで外で待機していた方が良さそうです。
今日の席は2階席3列目通路寄りです。シアター1010の2階席は初めてでした。
シアター1010の公式サイトをよく見ると分かりますが、転落防止の柵があります。
ここはなぜか上手とセンターブロックの間、センターブロックと下手の間の柵だけ高く延長されています。
2階席で通路寄りになるとこれがもれなく視界に入ります。
公演が始まるとまっっったく気になりませんでしたが。むしろ脳が柵だけ透過処理をしてくれました。
19時、公演開始です。
冒頭は本能寺炎上から。明智光秀と森蘭丸の対峙から始まります。
二人のやりとりを眺めるように宗三左文字が登場。
声にびっくり。ゲームで聞く声によく似ています。役者さんすごい。
オープニングはまさかの刀剣男士そろい踏みによる生歌でした。うわーかっこいい!!
あ、これはにやける…!と頬の内側を噛んでぷるぷる震えてしまいました。
声が!びっくりするほど声優さんに似ています。声帯コピーの技を持っています。確実に。
所作が美しく、優雅。役どころは山姥切国広のサポート兼保護者のような相方と言った感じ。
序盤で「だいに、第二部隊が…」と台詞を噛んだ三日月でしたが、初日ならではの緊張感ですね。お茶を飲み、酒を飲み、茶菓子を食べ、マイペースな三日月ですが、戦うシーンは流石の一言。とにかく麗しい。ひらひらと狩衣を捌き階段を飛び乗り、立ち回ります。
・山姥切国広
これで綺麗なんて言うななんて言う方が無理。美しい。
ボロ布を常に頭からすっぽり被ったままですが美しい。
殺陣も見事。鞘を盾のように使う戦い方に技を感じました。
初期刀で当初は近侍であったものの、過失から近侍を降りている経歴持ち。審神者からまた近侍の命を受け苦しみながら奮闘する役です。ゲームをよく勉強してこられたのか、話し方が声優さんにいました。
・宗三左文字
これまた麗しい!!佇まいが可憐で優雅。けれども殺陣は迫力満点。
2階席からでもたまに見える素足ががっしりといているのが分かります。
本能寺で悩み、苦しみながらも不動行光を支える役。
・江雪左文字
戦いは嫌いですと言いつつ敵をなぎ倒す姿は鬼神。
小夜を案じ、左文字長兄としての優しさを見せる江雪。
終始取り乱すことなく常に落ち着いた動作が印象的でしたが、仮に真剣必殺されたらみんな泣くしかないと思いました。
・小夜左文字
スーパーアクションスター小夜ちゃん。短刀を操り、足技を繰り出し、バク転します。
一番身のこなしが素早いです。観ていて楽しい小夜ちゃん。
・薬研藤四郎
宗三の相方的な立ち位置。へし切り長谷部に対し「その名前、俺は嫌いじゃないぜ」と言ったり、不動行光を気にかけたりとコミュ力高し。
・へし切長谷部
一番面白い人。馬当番をこなします。近侍に再任命された山姥切国広にジェラシーします。
紅白戦では燭台切光忠と対戦。大柄な光忠に対し、斬り合いを軽やかにこなします。
信長を守るために光秀を討とうとする不動を、背後から斬りかかろうとする姿が印象的でした。
・不動行光
本作のキーパーソン。演技の一つ一つが迫真に溢れていて素晴らしかったです。
再開した蘭丸を抱えあげてくるくる回転する不動くんは本当に本当に嬉しそう。
序盤はよたよたしていた不動くんが、終盤で強く成長した姿に感動。
・一期一振
物腰穏やかな話し方に加え、凛とした殺陣。立っても座ってもサマになる一期。
台詞はさほど多くないのですが、無言の演技が出来る方だとお見受けしました。
殺陣はダイナミックで鮮やか。ラスト、傘を持って挨拶をする仕草が紳士然としていて素敵でした。
・鯰尾藤四郎
唯一の脇差だから年少組に入るのかと思いきや、小夜と一緒にいる時は保護者らしく振る舞う鯰尾。
脇差と足を使い素早い身のこなしで演じる殺陣が印象的。背後から忍び寄る鶴丸に振り向かないシーンはアドリブかな?はきはきとした物言いがゲーム版とよく似ています。馬糞は投げません。5月7日が役者さんのお誕生日とのことだそうで行きたかったなあ。兄弟だからか一期と一緒に戦うシーンが多いです。
・燭台切光忠
食べ物担当。毎公演、彼が提供する食べ物は違うそうです。その場面は毎回アドリブですね。
殺陣はダイナミックそのもの。にもかかわらず格好良さを忘れない戦い方が燭台切らしいです。鶴丸とよく一緒にいます。仲がぎくしゃくしそうな本丸を見て二人で紅白戦を提案するなど年長刀としての役割を認識しているようです。
・鶴丸国永
重くなりがちな本丸の賑やか担当。落ち込む山姥切の肩を叩いて慰めたり、不動の甘酒を欲しがったり、細かい演技が光ります。
戦闘は、太刀を肩にかけて飄々とこなすかと思えば豹変して雄々しく闘います。
敵に放つ掛け声が一番荒々しく、男らしさを感じました。
◼︎個人的に印象的なシーン
迫真の演技は圧倒的。死んでいるはずなのに生きようとし、まだ尚信長を守る姿は
・光秀全般
光秀でないと刀剣乱舞としての本能寺の変を掘り下げられないからですね。
蘭丸と二人で登場したカーテンコールは一際拍手が大きかったです。
・三日月と山姥切
織田刀が織りなす本能寺のテーマと並行して進んでいたテーマだと思います。
三日月が月を見て「おぬしも月を照らす陽の光となれ」と山姥切に投げかけるシーン。
それで山姥切は近侍の決意を固めます。その後窮地に陥った三日月の助けに入り山姥切は
「月(=三日月宗近)を照らす陽の光となる!」と宣言します。三日月は「ずいぶんすすけた陽の光だな」と応えるわけですが、熱い。少年漫画のようです。
これ以前の場面の紅白戦で一騎打ちになった時もしつこく追いかけてくる三日月に山姥切が「このクソジジイ!」と叫んで立ち向かうシーンも熱いです。
ラストで三日月が自らの破壊を匂わせる台詞がありましたが、あれは現実にならないとほしいと思います。
刀ステの山姥切国広は仮に三日月が折れたら二度と立ち直れない気がします。
◼︎全体の感想
2.5次元は初めての鑑賞ですが、エンターテインメントに優れていて素晴らしい出来栄えでした。
初日は友人が当選してくれて入れました。6日に自力当選したのでもう一度観劇できます。
今回は二つのメインテーマを重点的に観たので、次回は別視点から楽しみたいと思います。また思うところがあったら感想を書きます。
5/1を以って充電期間に入るKAT-TUNのコンサートに4/30行ってきた。
終演後、最終日に入れない自分を心から恨んだのだけれど、最後の挨拶で中丸さんが泣いたと知って行かなくてよかった。
ベスアのときのこの世の悲劇を全て背負ったような表情はもう二度と見たくないと思ったけれどそれ以上に自担の涙は見たくなかった。
私にとってのラストを見たとき、モンペ心に火がついたのか「何でKAT-TUNばっかり辛い目に合わなきゃいけないんだ」って悲しくなった。
でもそれと同時に「ああ血まみれになってるのが似合う……美しい……」って心の底から感動した。よくわかんないけど傷ついてるのが絵になっていた。
グループとしての活動休止期間にそれぞれが力をつけてまたあの景色を見せてくれることを心から信じています。
でも中丸さんが発言したように何事もなかったように活動してほしかった。10周年の記念のツアーがあれで終わってしまうなんて悔しくてたまらない。
東京から帰ってきて観劇するはずだった舞台は観る気になれなくて手放してしまった。私の傷は全然癒えていない。
どうしてくれるんだ、KAT-TUN。
推しがカノバレをした。
私は若手俳優オタクをしている。大好きだった漫画の2.5次元舞台をやるという話を聞いて、最初は全然興味がなかったのだが私の推しキャラのビジュアルが公開されてからというもの、私は見事にその俳優に堕ち、その人のことを考えない日がなくなった。それほど私の推しキャラが実体として表現されていることに感動したのだ。
私は必死にチケットをとり、一公演だけ観劇した。サイドシートだったけれどすごく満足した。ライブビューイングも行こうかと思うほど魅力的な1日だった。もともとバンドの追っかけをやっていた私には舞台という形がすごく不思議で特別なものだった。バンドのライブは基本的にみんなそのバンドの音楽を聴きに行く。色んな思いを持ってライブに行くと思うが結局は音楽に帰着する人が多数だろう。舞台というものはまたライブとは違った何かがあった。生のエネルギーとか、1人のほんの少しの動きで観客の受け取り方が変わる。とても面白いと思った。
それから自分の推しが出ているDVDや雑誌を買い漁った。私は収集癖があって、特にインタビューを集めてしまう。家にはすでに好きなバンドの出ていた雑誌の山や、好きなスポーツ選手のインタビューが出ていた雑誌の山があったが、そこに山が1つ増えた。
それが3ヶ月前くらいのこと。この3ヶ月で知らないうちにお金をたくさん使っていた。お金はどんどんなくなっていったけれど心はとても満たされていたので特に後悔はしなかった。これから推しのために必死に働けるならそれでいいと思った。
舞台を見に行ったとき、プレゼントとファンレターを渡した。当時舞台のことがあまり分かっておらず、ツイッターでプレゼントや手紙の受け取り口があることをフォロワーさんに教えてもらった。その時、自分は気持ち悪いオタクだなあとは思ったけど、やっぱり幸せだった。存在している生の人を応援するのはこんなにも幸せな事なのか、と思った。
私の推しは2.5次元界では最近とても売れてきて、今はきっと5つくらい舞台を控えている。そのうちの二つは座長だ。まだ20代だがこれまでに4つ座長を務めた舞台があった。割と若手のホープだと思う。私の推しはブログやインタビューを読むかぎり、とても仕事に対して誠実な人だった。少し前まで大学生で大学の勉強と仕事を両立してまで頑張っていた。そして頭がよかった。大学はかなり名の知れた大学に通っていて、しかも中学高校はそこの大学の附属だった。偏差値を調べてみたら中学が68。恐ろしいと思った。偏差値62の高校でどんどん落ちぶれていった私には、想像できない世界だった。
だから正直言って油断していた。
私の推しは演技力もあって仕事に対する姿勢もすごく真剣で、私が行った舞台のレポを読み漁ったけれど推しを批判するものは一つもなかった。それだけ評判もよかった人だった。
私は暇さえあれば、検索欄に推しの名前を入れ、ツイッターで検索をかけて見ていた。色んな舞台のレポで自分の推しが褒められているのをみて嬉しくなる、という行為を繰り返していた。気持ち悪いオタクだ。ただそれがひたすら楽しく、自分の生きる糧になっていた。
今年の春は忙しく、地方住みの私は推しの出る舞台に行けなかった。どうしても諦めきれずに申し込んだ、私の見に行った舞台の再演のチケットが、なんと1枚だけ当たり、泣く泣くチケットを探していた友人に譲り、推しがでる色んな舞台の物販の代行を頼んだ。そんな矢先の事だった。
いつものように推しの名前を入れてツイッターで検索をかける。すると「カノバレとかクソだ」という文字が目に入ってきた。
彼女だと思われる女性は前に私の推しが座長を務めた乙女ゲームが原作の舞台のヒロイン役で、推しの演じるキャラのルートだと2人は結ばれ、もう一つのルートだと、その2人の仲は引き裂かれ、推しの演じるキャラは狂ってしまうというものだった。その舞台ではキスシーンのようなものもあった。その子はすごくかわいかったのでお似合いだと思い私はちょっとほっこりした。
それから色々調べて、2ちゃんを覗いたり、彼女だと思われる子のブログを読み漁り、ツーショットや推しのことについて書かれた記事を見つける度にスクショした。そんなことをしていると、すぐにカノバレのソースだと言われた画像にたどり着いた。推しが付けていたものと同じヘアバンド。これだけじゃ分からないでしょ、と思いブログを読み進めていたが、ある一つの記事を読んだ後、私は確信した。この2人は付き合っている。その記事は私の推しが出た舞台を観劇したという内容だった。推しは主演ではなく、ぎりぎりメインキャスト…?と言ったところだった。がいつもの推しやいつも演じている役とは全然違うタイプの役を演じた。それに感動した、という内容の記事だった。当然ツーショットも一緒に上げられていた。私は分かってしまった。その文章をみて、推しにリア恋している私たちオタクそのものだと思った。そうだよね、かっこよかったもん。私もその舞台のDVDを観たから分かる。いつもの推しとは違う表情、鋭い目線。かっこよかった。
その記事を読んだら何故か心にぽっかり穴が空いてしまったようになった。
もともと私は推しをかっこいいという目線であまり見たことがなかった。ずっとかわいいという目線で見ていた。だいたいの人はかっこいいと言って見ていたけれど、私はかわいいとしか思ったことがなかった。
しかも友達とことあるごとに、推しには結婚して欲しい、支えてくれる彼女がいてほしい、幸せになって欲しいと言っていたし、推しが左手の薬指に指輪を付けた写真を見る度に、彼女と幸せになってくれ、と祈っていた。
前の舞台(その彼女と共演した)舞台で、推しはとても悩んで、稽古場で泣きまくり気づくと何処か1点を見つめて考え事をしていて(他のキャスト談)家に帰ってきてからもひたすら泣き、悩みすぎて眠れずに夢遊病のようになったことがあったと自身のブログで言っていた。そんな時も彼女がいたらいいのに、辛い時に支えてくれる存在がいればいいのに、私はと言っていた。(その時は共演していた親友に助けられたと言っていた)
そんな思いで見ていたのにカノバレしたのにかなりショックを受けた。
彼女はいて欲しいと思っていたのになぜだかショックだった。リア恋なわけでもなかった。ただかわいい推しを見ていられればいいと思っていたのにショックだった。
やらなきゃいけない事がたくさんあったのに、それに手がつかないくらいに混乱した。
ずっと考えてみて、ショックだった理由はきっと、推しを信用していたからだとわかった。推しは前にも書いた通り、頭もよかったし仕事に対して真剣で、プロ意識もきちんとあったし、演技力もあった。私は推しを信じすぎていたのだ。その舞台の再演も、推しより他のキャストの意識が低くとても心配していたところだった。こんなタイミングでカノバレなんてすごくショックだった。今たくさん舞台を控えている。座長の舞台もたくさんある。今が売り出し時と言わんばかりにいくつも舞台を抱えている今、カノバレするなんて。これで推すことをやめようなんては思っていない。変わらず私は推し続けていくし、グッズを集めるしたくさん舞台にも通うし、手紙やプレゼントもたくさん送るのだろう。ただ、心にぽっかり穴があいたようだ。推しが好きな気持ちは変わらないけど何故か苦しい。
そりゃ、頭もよくて真面目でいい人ですごくかっこよくて、こんな人に彼女がいない方がおかしいと思う。でも「彼女がいること」と「カノバレすること」は違う。みんな信じていただけあって、私の周りのオタクの反応は大きかった。でも、炎上したわけではなくてこじんまりとカノバレしただけだったので、それを知らずに推しを追っかけている人もいる。私の知っている中でカノバレを知っているのは3人くらいだろうか。ただ私たちは同じようにショックを受けた。
http://megalodon.jp/2015-1019-2116-44/nemurenai-same.hatenadiary.jp/entry/2015/10/19/060000 (※魚拓)
この記事と、この記事に対する互助会メンバーのブコメが酷すぎた。
記事は「よみうりランドでのキャラクターショー観劇に際してのコツを紹介する」というテーマで書かれている。
…が、観劇の際に注意しなければならないルールやマナーなどを取り上げているかと思いきや、その逆だった。
(ここから引用)スタッフの方に『階段は走らないでゆっくりおすすみくださーい!』と声をかけられるかもしれませんが、そこは心を鬼にして聞こえないふりをします。
(中略)
このダッシュ次第で、前の人に、逆転も可能なんです!!(引用終わり)
子供が見ている目の前で注意を無視して爆走する親。見苦しいにも程がある。そしてそれ以上に危険だ。
会場には幼い子供たちが大勢いる。予測不能な行動パターンをとることで大変よく知られている幼児がそこかしこにいるわけだ。
この人は「子供たちのため」に爆走して場所取りをすることで「あー私って子供のために頑張るいい親だわあ」と悦に入っているのだろうが、実際はこうした行動で多くの幼児を危険に晒している。
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ブログ主のセルクマを除き、コメントがついているブックマークは9件。そのうち批判のコメントは1件だけで、批判のコメント以外の8件のコメントにはブログ主からのスターがなぜか2つずつ。
「これはプロや。」「永久保存版!」「行く人に教えたい!」といったいかにもな互助会コメント。
鴻上尚史作・演出の「ホーボーズソング」を観劇した。20年前と全く変わらない方法論しか感じられず、鴻上氏は今まで何をしてきたのだろうと不思議に思った。
俳優は、特に主要なキャストは魅力的な人々なのだろう。しかし一つの演劇を通した時に、全く何の感動も触発も発見もない、無意味な体験だった。
私は虚構の劇団の舞台を見ながら、青年団の女優がかつて平田オリザに対して言い放った言葉を思い出していた。曰く「こんな普通のセリフを客席に向かって喋るなんて恥ずかしくてできない」と。その文脈で言えば、虚構の劇団の皆さんは、恥ずかしげもなく客席に向かって喋り、踊る。そしてオープニングとエンディングと、劇中にも歌入りの音楽が流れる。セリフが説明的であってもお構いなしに、必要ならばプロジェクターで用語解説まで入れながら日本の社会や文化について作者の批判精神を観客に伝えようとする。
誰かが私にに何か伝えようとすればするほど、私はそれが伝わってくるのを避けようとする。どうせろくなものじゃないからだ。私は誰かが控えめに、ささやかに表現した行為から何かを読み取りたいと思う。現代とは表現者の節度と鑑賞者の教養が組み合わさった時に共犯的な芸術が成立する時代なのだ。
私は鴻上氏に馬鹿にされているように思った。「どうせ俺の芝居を見に来るような奴らはこういう表現を求めてて、これくらい親切にしてやらないと理解しないだろう」という侮りを感じた。あるいは彼は、理解されない事、伝わらない事を恐れているのかもしれない。しかし有史以来、常に演劇を作る人、演劇を観に行く人がいるのは、そもそも人間が孤独で、相互に理解し合えないからではなかったのか。劇場とは他者に出会う特別な場所ではなかったのか。
私の観た限り、今回の芝居には出会うべき他者は存在せず、若者が代弁した鴻上尚史の講演会でしかなかった。20年前には社会に対して説得力があったのかもしれないが、今は何もなかった。
2,5次元舞台、アイドル舞台、小劇場、演劇、歌舞伎、宝塚、ジャニーズ舞台、ミュージカル、海外ミュージカル、海外演劇、能、落語、狂言、文楽、その他古典芸能、劇団四季、ファミリーミュージカル、パフォーマンスショー、アイスショー、ダンス、朗読劇。
バレエやクラシックコンサート、オペラでは、もっとデリケートになってくるのではないでしょうか。
それぞれのジャンルのルールに従いながら、マナーを守って観劇しましょう。
バッグや持ち物は座席の下かひざの上におきましょう。バッグハンガーを前の座席にかけ荷物を吊るすようなことはおやめください。大荷物の場合は、コインロッカーやクロークを活用してくださいね。
ずっとジャニーズJr.を応援している私が、こともあろうに担降り後同担拒否になってしまった話をします。
ただつらつらと自分の感情を書くので、乱文です。書き捨てです。じゃあ日記に書いてろよって話だけど。すいません。
根底は同担と仲良くやっていきたいですよ。でも、やっぱり出来た人間じゃないわけで。
別に彼のこと「リアコ」とかじゃない。だけど人生の半分以上ジャニオタやってきたのに、今になってどす黒い感情が渦巻いてて、毎日もやもやしてる。
むしろ学生時代当時の担当にリアコだったときの方がみんなで仲良く楽しくみたいな感じだったとも思う。
っていうか二十代前半まで当時の担当にリアコだったよねww付き合いたかったよ結構年下のJr.だったのにさ。
私はちゃんとあなたを見てるよ!とばかりに毎日コンサート入って舞台観劇して同じ演出の同じ内容のものを毎日毎日毎日。
大好きだから飽きない。舞台班のJr.担だったときなんて毎日の殺陣の後の死体の姿勢とかに微妙な差を見出して
今日はここが違いましたね、なんて手紙に書いてた。でも、ファンが増えたらそれだけ感想レポも増える。
自分以外にも彼を見てる目があれば自分は見なくてもいいよねって思っちゃう。
でもそうやって担降りして、元担がセンターポジションついたりドラマとかCMとか出たり、果てにはデビューしたら嬉しいんですよ。
彼のうちわが私含めて数人しかいなかったときから好きだったんだぜ!みたいな感じで鼻高々になってる。
今年の初めに、こんな匿名ダイアリーがアップされた。http://anond.hatelabo.jp/20150209010459
これ、Jr.担ならあるあるだと思います。一部の超絶人気Jr.を除いて。
むしろ出待ちとか行かなくたって認知されるよ、今の私の担当がそうだもん。
アイドルの営業活動の一つに「手紙の返信を書く」ってことがあると思うんだけど
性格がでますよね。筆まめな子、全然書かない子、気まぐれに書く子、溜めに溜めたら年賀状で一斉送付する子…などなど。
個人名は出せないですけど某Jr.の返信見せてもらったらその子の営業能力があまりに高くてびっくりしたのと同時に
羨ましいって気持ちが生まれたを覚えてます。返信の内容がただの付き合いたてのカップルみたいだったからね。
そのときの自分の担当が全く返信を出さない子だったこともあって、新しい世界を見た。
今の担当に担降りしたとき、すぐに手紙を送ったんだけど、たぶんあんまり手紙をもらったことがなかった子だからか、
それとも元々の彼の性格なのかすぐに返信がきた。すごい丁寧だった。プロフィールまで丁寧に書いてくれた。
それがものすごく嬉しかった。次の仕事の時もまた手紙を出す。そして、すぐに返信が来た。
そしたら長丁場の仕事の時、なんと彼は何日かに1回のペースで返信を送ってくれました。私も毎日手紙を書いて劇場に送る。
それで公演中に私を見つけたら「いましたねー」なんて書いてくるんだ。羨ましかったあの頃の私よ、数年後に同じことやってもらえますからね!ww
ますます、好きになって、手紙を書くために公演を見に行ってたと思う。私って返信厨だったのか。
みるみるうちにうちわが増えて、ファンが増えていきました。
それまで彼の名前をいっても「え?誰?何の仕事出てます?」みたいな感じだったのに
SNSで彼の担当がどんどん増えていく。彼女たちが自担くんかっこいい!今日もファンサもらっちゃった!とか言ってるのを一歩引いて見てる私。
結局私は、ずっと同担拒否だったんだって一瞬思ったんだけど、たぶん違う。
たぶん私は新規がすごい苦手で(自分だって降りたての時は新規のくせに)
自分が失ってしまった感情で応援できる新規のファンをすごい遠くの上の方から
こんなことも知らないなんてって見下してたんだと思う。でもその新規のきゃぴきゃぴした感じが羨ましくてきゅんきゅんしたくて、
新しい子を見つけて担降りしてた。
でも今はその時の感情と同じではありません。
じゃあどんな気持ちかというと
それはたぶん、自分の年齢的なものだと思います。今までの担当にあった「リアコ」という感情が
今の担当には全くありません。そうなると、違う感情で彼の一番のファンでいたいと思うんでしょう。
昔だって担当の一番のファンになりたかたった。毎日舞台に通って、もしかしたら万が一にも
繋がるとか特別なファンになれるとか彼女じゃなくてもいいから…そう思ってたからこそ脳内がお花畑で楽しかったのかも。
妄想話とか、永久に出来たもん…自分と担当の星屑のスパンコールを何度妄想したことかw
アイドルを応援しながら、それでも脳内の何パーセントかが今までと違って必死に現実に引き戻そうとしてるからかな。
だから、妄想話とかできゃっきゃできる同担のことをたぶん羨ましいと思いながら恨めしいと思ってる。
年を重ねたことで、見た目の問題(それも大きな問題だけど)じゃなくて、精神的に大人になっちゃったんだなーって思いました。
みんなにズボラだった元担のときにこんな感情はおきませんでしたし…自分の精神も若かったと思うけど。
この話に終わりはありません。
だからオタクをやめるわけでもないし、今の担当から降りるつもりもありません。
書きたいことがやまほどあったけど、ここまで書いたら結構すっきりした。
アイドルと聞いて何を思い浮かべるだろうか。世の中には一定以上彼らを批判する声もあるだろう。それでも私には一人のアイドルが私の生きる意味だった時代がある。
ことがある、と表現したのは即ち今は違う、ということである。真っ当な生活をしているわけではないけれども、それでも毎日を彼らの後ろ姿を追いかけることだけに費やすことは無くなった。成長と言っていいのかは分からないけれど寄生虫と呼ばれたあの時代に比べればきっとマシになったと信じたい。
うん年前、一人のアイドルのファンになった。最初はただ見ているだけで十分だったのにいつのまにかわたしの欲求は認められたい、に変わってしまった。スポットライトを浴びて黄色い歓声の中心にいる彼にどんな形でもいいからわたしという存在を知ってほしい。最初は彼も私を1ファンとして扱っていたけれど、だんだんと彼の中の私という存在は害虫レベルになっていた。見かけるだけで気分が悪くなる、現場の入りで私を見つけると不機嫌になるまで噂しれるようになった頃には、綺麗な笑顔を振りまく彼の顔が歪むと心からゾクゾクした。私が、アイドルの彼から笑顔を奪ってるんだね。って。
公開収録はもちろんリハーサルまで追いかけた。ちなみにリハーサル場所・時間なんて数とお金を打てば当たるものだ。それでも、最初は仕事場での追っかけで満足できていた。それがだんだん崩れていったのは、彼が出演している舞台の敢えて端の席を選んで観劇しているとき、私の方をみて(実際は見えてないない席)笑顔を振りまく彼をみて、なんか違うって思ってしまったからだとおもう。私が見たいのは笑顔じゃない。私が見たいのはなんのきらめきもないそして私を写してすらいない、真っ黒な、それでいて綺麗な瞳なんだ。
それなら、とことん、嫌われよう。
彼が通う学校にもついていった、家も知っている、プライベートで遊ぶ場所さえ知っている。
ある夜、彼のプライベートの遊び場で彼の仕事仲間から言われた「お前は寄生虫かよ」という表現が的を得て過ぎていたと思う。寄生虫なんて呼ばれる人間って、どれくらい少数なんだろうか。予想はつかないけれど、それでもいいって思った。
いつの間にか学校も辞めた。お金だけは必要になるので水商売で生計を立てていた。食べて、寝て、彼の後ろ姿を追いかけて。会話する日もあれば彼に一方的に蹴られる日もあった。朝早いドラマ収録もあれば泊まり込みロケもあった。たぶん、あの時彼に一番近かったのは紛れもなく私だったとおもう。
うん年経った。彼とはもう数年会っていない。どうして会わなくなったのか、どうして追いかけなくなったのか、これといった出来事があったわけではないけれど、たぶん、疲れてしまったのだと思う。私のことを忘れているかもしれない。それでいい。私は水商売を辞めた。冴えないOLをしている。冒頭でも述べたとおり真っ当な生活をしているわけではない。ただなんとなく息をしているだけだ。
★みずほの預金額が1,000万円を超えているらしくて、「みずほプレミアムクラブ」の会報誌が年4回やってくる。
いろんな高級フレンチとか、高級料亭とかが何%か安くなるようだが、そんな肩が凝る所、行きたくないから。
★B級グルメで何か特典あるなら有り難いが。
例えば「もうやんカレー2割引」とか。
まあ、みずほプレミアムクラブの品格を落とすようなB級グルメ店とは、提携しないだろうなあ。
再開発ビルが、ビルの品格を落とすB級グルメ店をテナント入居させないのと一緒
★自分は金持ちの域には全く遠いが、リアル金持ちでも、結構B級グルメを愛好するらしい。
西荻窪のB級居酒屋「戎」には、善福寺とか松庵とかのリアル金持ちが出入りしてるらしい
★「みずほプレミアムクラブを使ったら、とある高級フレンチ店が10%引き」だとして、そういう金持ちが、その店を使うとは思えない。
そういう金持ちが、「たかだか10%」を「ケチる」とは思えない。
別にそういう割引がなくても、ちゃんと美味しい名店に足を運ぶ
こういう銀行やカード会社のプレミアムサービスが迷走してるのは、
「高級店を割引さえすれば、満足するんだろう?」な安直さが、見透かされてるからだろう
三井住友銀行や東京三菱の人や、野村證券のお得意さんや、アメックスのプラチナカードな人でも、使うことは出来ません」
「みずほプレミアムクラブ会員限定SNS」とか、「アメックスプラチナカード会員限定SNS」とかを作った方が、
会員サービスになるんじゃないか?
そういう人が真に欲してるサービスは、高級フレンチの割引サービスなんかじゃなくて、人脈やビジネス情報だろ?
★みずほプレミアムクラブに心惹かれない理由が分かった気がする。
ほとんど全てのメニューが「2人1組」或いは「ファミリー」が大前提で、「一人で楽しむ」メニューが皆無なんだな。
歌舞伎の観劇とか高級料亭とかフレンチレストランとか最上級旅館とか、「一人で行くと気後れする」、いや「そもそも一人客お断り」メニューばっかりなんだな。
★男性の独身オタクとかでも、小金が溜まって、気づいたらみずほプレミアム会員条件を突破している人もいるんじゃないかと思うのだが、
そういう男性は、みずほプレミアムのメニュー見たら疎外感を味わっちゃう
一応自分は結婚しているが、「スピリットはオタクマインド」らしい。だから、みずほプレミアムのメニューに全く心惹かれない訳だ。
「みずほプレミアム限定!大人の社会科見学!まずは立入禁止の工場に特別潜入、おひとりから」
なんてのがあれば、真っ先に申し込むのに
職場で現在プチ流行中の言葉にITC(意識高いカフェ)というものがある。個人経営のカフェであり入口にはメニューの黒板。おちついたボサノバっぽいBGM。ラテは豆乳もあるよ(ソイラてっていうんだよ)。670円で高い。ランチは白いプレートに乗ったもので野菜とか魚が少しずつ乗ってるよ。スマホでソシャゲやってるお客さんはいなくて、たいていは主婦2人組(お金持ってるっぽくて観劇や展覧会の帰途多し)か、外回りのクリエイティブ系サラリーマン(プレゼン帰りで議論していることが多し)か、Macbook開いてる自由人っぽい人間(大きなヘッドフォンでセルフレーム眼鏡)だよ。黙って座ってるとこちらを笑い殺しにするようなステキカイワが聞こえてくるので、職場では伝説の息抜きスポットになってるよ。「俺はカラーパンフみてRGB値を当てられるんだ」みたいな自慢を三十分してるとか。
このITCは特定のカフェを指す隠語なんだけど、そのほかにSITC(少し意識高いカフェ)ってのもあって、これはチェーンなんだけどイシキタカイっぽいカフェのこと。おまえのことだCAFFÈ SOLARE。得意技はメニューにアボカドとかフランクに投入すること。アボカドって言っておけば許されるあの雰囲気はまさにSITC。こっちは子どもずれのママ友(三人もしくは四人組)多し。オープンテラス席で「幸せな母親」を社会に見せつけるプレイに余念がない。
なお別種の存在としてDMCC(泥水コーヒーカフェ)ってのもあってうっすい香りのしないコーヒー一杯を、部下のリストラ数の勘定をしてる企業戦士や銀行に頭を下げるマシーンと化した古参兵や競馬新聞を聖書のように携えた壮年の信徒が、ひとっこともしゃべらずに世界の悲嘆を共有する無言の空間で摂取してる。こっちはこっちでカウンター席でラップトップ(傷だらけの古いLenovo)を広げ、青年時代の罪の告白のようにコードを書いてる中年もいるよ。クリエイティブってなんなんだろうね。
6月になった。
私は今月、30歳の誕生日を迎える。
私が中学生や高校生の頃に思い描いていた30歳は、幸せな恋愛を経て結婚して愛する旦那様も子供もいて、子育てのためにパートや時短勤務で働いている、幸せな家庭を築いている、そんな30歳だった。
今の自分はどうだろう。
結婚はおろか、男性とはほぼお付き合いしたことがなくいまだに処女のままだ。
高校3年生の時に向こうから告白してきて2か月弱付き合った男性がいたが、何度伝えても私の大学受験の邪魔をしてくるので申し訳なかったがこちらから別れを告げた。
大学生の頃は通学に往復3~4時間かかり、必死に勉強とバイトをしていたらいつの間にか周りにカップルができていて、女子の間でも仲良しグループが出来ていて、気づいたときにはぼっちだった。
就職したての頃は職場の先輩方に合コンに誘ってもらって、そこからいい感じになって何度かデートもした男性もいたが、それ以上進展がなく連絡が途絶えた。
職場の後輩と何度か2人きりで食事に行ったが、彼にはいつの間にか恋人ができていた。
合コンに誘ってくれていた先輩方が結婚してからは、お誘いそのものがなくなった。
3~4年前から中学・高校・大学時代の同級生の結婚ラッシュが始まり、1~2年前からは出産ラッシュが始まった。
Facebookは結婚式の写真と赤ちゃんの写真ばかりになった。
職場でもまず同期が結婚して、先輩だけでなく後輩たちも続々と結婚していった。
同僚たちが結婚して職場の人を招いてお披露目パーティーをするたびに出勤する人数が足りない状況で毎回働いたり、同期や先輩が産休・育休に入ると本来その人たちがやる予定だった新人指導や実習生の指導といった本来の仕事以外のプラスアルファの仕事の大部分が私に回ってきて帰宅時間が日付が変わるころになってしまったりもした。
そうしてがむしゃらに働きつつ、更に資格を取得したり上から指示されたとおりに学会発表したりして、限られた休日には1人でコンサートに行ったり観劇に行ったりしていたら、いつの間にか30歳がすぐそこにきていた。
結婚はできるならしたいと思っている。
でも、お見合いしてみたら、と言われることもあるが、そうではなく、まず恋愛をしてみたいのだ。
今まで生きてきて一度も、好きな人に好かれたことがなく片思いは片思いのままで終わった。
周りは当たり前のように出会って恋に落ちてお付き合いして結婚しているが、そのあたりまえが私には全くできない。
まず出会えない。
私は友人が少ないが、その数少ない友人たちに誰か紹介してほしいとお願いをしても一度も紹介されたことがない。
出会えないものは始められないから、始まらないまま現在に至っている。
私はずっとこのまま一人なのだろうか、と考えるだけでぞっとする。
ただ誰かにそばにいてほしい、愛してほしい、と思う。
自分の贔屓が素晴らしい演目に恵まれて良い役を貰った時も、そんなに面白くない舞台で出番が少ない時も。席を埋めることに使命感を感じているファンは多いと思うし、きっと贔屓に顔を覚えられている人も沢山いるだろう。健やかなるときも病めるときも支える、という意識が強いんだなぁと思う。
たしかに、どんなときも支えてくれるファンは心強い存在なんだと思うし、空席よりは誰かが座ってたほうがいい。そういうファンの人はきっと毎日お手紙を書いて贔屓を激励しているし、あたたかい笑顔で贔屓と接触しているだろう。出待ちとか、握手会とか。
でも、初演にしても再演にしても、情報解禁された時点で演目に対して文句ばかり言うのは、どうなんだろう。
舞台が開幕して観劇してから言う文句は、いくらでも言ったらいいと思う。しかしまだ始まっても居ないのに、こんな舞台は嫌だとか期待できないとか、マイナスな言葉ばかり。そりゃあ、贔屓により素晴らしい舞台に出てほしい気持ちは痛いほどわかる。それでも、彼らだって言われるがままにその舞台に出ているわけではなく、己の決断でそこに立っているのだ。決めたのは、彼らだ。
当然、ファンは情報の時点で散々文句を言ったその作品にも、贔屓が出演しているので通う。不安なら観てから増やせばいいチケットを、既に何枚も持っている。(まぁこれは、万が一面白かったときのチケット完売を恐れての保険かもしれないし、埋まらなかった席を自分が埋めている優越感かどっちかはわからないけど。)
嫌なら行かなきゃいい。でもそういうわけにもいかないのが舞台俳優のファンの複雑なファン心理だということもよくわかる。
「それでも私はチケットを買った」という顔をして、連日座席に座る。
それは、ちょっと濁っていて嫌だな、と思った。
2015年版の演出家はあまり好きじゃないのだが、メインビジュアルが好みだったのと、バンドメンバーも好みの布陣だったので観劇。
初演再演は未見。当時のキャストとスタッフ、PVのみ確認しており、その他は前知識ゼロの状態。
初演制作会社の傾向から、厨二病な物語だろうと予測はしていたが、想定した以上に20世紀の厨二病が炸裂していた。
古き良き時代の文化だとは思うんだが、いかんせん若くてお綺麗過ぎるキャストが演じているから、ダサさが魅力的に見えず残念臭ばかり残った。
いろいろ無理がある…観ていてキツイな、と思うシーンのオンパレードであった。
役者の実力が無い訳ではなく、戯曲が絶望的につまらないのでもなく、演出家らによる適切な調整が行われなかったためではないかと、この不完全燃焼感を分析する。
例えば、主人公が小柄でヒロインとの身長差があまり無いのに、主人公の衣装が薄く細身のシルエットで、ヒロインの衣装が厚く重心も重そうで髪もロングヘアだと、パワーバランスが悪過ぎやしないか?
ショートカットのサバサバしたヒロインにするとか、主人公と双子のようなビジュアルにするとかすれば、主人公のヒロインへの執着にもまた違った色合いが出て面白いかと思うのだ。
兄貴分と主人公が並ぶと、仲間・親友という印象よりもそこそこ年の離れた兄弟に見えてしまい、ラストのどんでん返しが不憫でならなかった。ここもパワーバランスが悪過ぎると思った。
少しでも、2人が対等に見えるシーンであるとか、思い出語り以外の・現在進行形で絆が見えるシーンがあれば、まだどんでん返しに感じるところもあっただろうに。
何より、主人公が世界を救うという流れが、全然ピンとこないのが台無しだった。
それは設定説明がファンタジー過ぎて問題と解決方法に実感が湧かなかったこともあるし、キャラクター・各陣営の目的がとっ散らかっていたことが原因だと思う。
特に、バンドの野外ライブへかける想いが全然伝わってこなかった。
ダブルブッキングは不味いことだと思うが、野外ライブはバンドにとってただの日常の出来事ではないのか? 特別な意味や価値があったのか?
いや、特別な意味を持たせて、仲間や日常を選ぶか、惚れた女と世界を救うという甘美な響きを取るか、葛藤するシーンを解りやすく描くべきだったと思うんだ。
だって他のシーンがあんなに昭和の厨二病炸裂してるんだぜ? トンマナ揃えろよ!
細身で薄着の男性陣と、肉感的でボリュームのある衣装な女性陣、というアンバランスさも、問題はトンマナ揃ってないってことだ。
こんにちは。通りすがりの宝塚ファン(オタと言うには歴が浅い)です。
最近、「見たことないけど一回見てみたい」と言う人が増えてるようなので、ざっとハードルの低い取り方をまとめてみます。
・本公演と呼ばれる、宝塚大劇場(兵庫県)、東京宝塚劇場での公演。兵庫→東京の順で行われる。兵庫の方が席数が多く、チケットは取りやすい。当日券でS席が出ているのも見かける。
前日になれば翌日の当日券情報が出る。 http://kageki.hankyu.co.jp/ticket/today_takarazuka.html
・本公演以外に、梅田芸術劇場や赤坂ACTシアターなどでの公演、また全国ツアーなどもある。いずれも舞台の形式に大きな違いはないが、宝塚劇場(宝塚大劇場、東京宝塚劇場)のステージには「銀橋」と呼ばれる張り出し部分があり、そこを使った演出も見所。また両劇場ともにオーケストラピットがあり、必ず生演奏。劇場の雰囲気もいかにも宝塚なので、世界観に入りやすく感じる。初めての人には宝塚劇場での観劇をおすすめしたい。
本公演、全国ツアーなど多くの公演で「プレオーダー」という先行抽選予約を受け付けている。当たれば行こうかな、ぐらいの感じなら、試しに申し込んでみるのもいいかも。お気に入りアーティストで「宝塚」と登録しておけば、プレオーダーが実施されるとき、前日にメールでお知らせが来る。ぴあやローチケにも同様のサービスがある。
http://ticket-search.pia.jp/pia/search_all.do?kw=%E5%AE%9D%E5%A1%9A
・ローチケ
こちらも先行抽選あり。
Vpassチケットで、VISAカード貸切公演のチケットの抽選申し込み、また先着順の申し込みができる。
https://www.smbc-card.com/mem/service/tic/index.jsp
少しややこしいのだが、このトップページから行ける「公演チケット一覧」(http://ticket.pia.jp/vpass/genre/index.jsp)と、ログインしなければ見れない「Vpassチケット」で、出てくる公演及び日程が違っている。両方申し込めるのだが、ログインして見るVpassチケットの抽選申し込みが個人的にはわりと当選しやすいと感じているのでおすすめ。
先着順の特別電話予約も、一般のプレイガイド発売よりは全然つながりやすい印象。
http://www.omc-card.co.jp/ticket/w/takara/index.html?aid=hpft
自分は使ったことがないけど、当選しやすいとよく聞くので、持っている方にはこれもおすすめ。すでに宝塚友の会に入会していて、もう一つ手段が欲しいという感じなら、自分だったらセディナカードを作るかも。
宝塚には公式ファンクラブが存在しない。「宝塚友の会」は公式の会だが、会報や友の会での活動というのが活発にあるわけではない(たまに会員限定のトークライブなどが開催される)。入会するには宝塚VISAカードを作るだけで、会費はカードの年会費のみ。これで本公演すべての先行抽選予約ができる。が、最近会員数が増えているのか、なかなか当選しづらい印象。ある程度継続的に宝塚を観劇したいと思っているなら、入っておくのもいい。
http://kageki.hankyu.co.jp/friends/
やりたいことなんてない、起業したりフリーランスで働くような才能もあると思えない、夢を語るほどの熱意もない。
普通に生活を営める程度のお金と、体と心を壊さない程度の職務と人間関係と、趣味をそこそこ楽しめる時間のある仕事に就きたいな。
そんなことを思いながら、なるべくマッタリできそうな、そして難しくなさそうな仕事を探しました。
他の学生よりは時間はかかりましたが、自分の思い描く条件(給与・休日・人員構成などなど)にピッタリの職場に就職できました。
…の、はずでした。
職務内容は確かに誰でもできそうなものでしたが、内容が簡単な分、大量の業務を素早くまわさねばなりませんでした。
学生時代の得意分野とは全く異なる内容でしたので、対策を考えても考えても歯が立ちませんでした。
特に何かキャリアアップの望める仕事ではない分、周りの人はあまり仕事にガツガツせず、テレビ・グルメ・旅行・結婚恋愛・人の噂の話ばかりしていて、
向上心がないように見えました。
私の趣味(読書と観劇)は「何をお高くとまってるのww」という反応をされました。
勉強が出来るということと、仕事が出来るということは別だ、という大人たちの言葉は正しかったのだと身に沁みてわかりました。
仕事としてお金を貰うということは、作業を高いクオリティーで完遂しなければいけないということです。
高学歴であるということはある程度の能力を持つことの証明になるかもしれませんが、オールマイティーであることは保証しません。
自分のことを掘り下げて、「できそうなこと・できないこと」を割り出し
「自己実現」や「夢を語る」のは、厚顔無恥なのではなく、自分と企業の相性を見極めているのです。それは自衛に似ています。
今はカウンセラーさんや主治医と話し合いながら、自分の考え方を見直し、出来ることを探しているところです。
「安定した条件」「マッタリ職場」は「ここでやっていけなければどこに行っても無理」と自分の自信を奪う要素になりました。
私の就職は失敗だったと思います。病気になり、たくさんの人に迷惑をかけました。
しかし、歯の立たない仕事にジタバタともがき力尽きていく途中で初めて、自分が好きなこと、人生の中心に置きたいことが見えてきました。
そのためになら、企業研究も、自己分析も、勉強も、心の底から「したい」と思えます。そして少しずつ実行に移しています。