はてなキーワード: 日中戦争とは
現実の日中戦争がどういう戦争だったかといえば、蒋介石率いる中国軍は装備、練度ともに日本軍に勝っており、しかし蒋介石は戦略的後退を続けることで日本軍の補給線切れを狙ったというものだった。そして蒋介石が重慶にまで逃げたとき、日本軍はついに地上戦力による攻撃を断念し、貧相極まる爆撃機での戦略爆撃に切り替えた。この攻撃は蒋介石を心理的には追い詰めたものの、中国軍の装備する高角砲は性能抜群であり、また中国歩兵の練度は高かったのでここで日本軍は爆撃機とその搭乗員に大損害を出し、この爆撃は 5 年間続いたものの得るところはほとんどなく最終的に日本軍は撃退された。
そのような情勢下で中国各所で歩兵戦が続いたが、ここでも装備、練度ともに優れる中国軍に対して日本軍は勝利を得ることはほとんどなかった。領土的な意味で勝利を得た局面でも逃走する中国軍を捕捉できたことはほとんどなかった。
ようするに日本軍は当初から優勢な中国軍に鼻面を捕まれて広大な中国をいいように引き回された末に徹底的に敗北に追い込まれたという話であったから、整然と指揮された日本兵による大虐殺などというものも重慶爆撃を除いて存在しなかった。むしろ中国軍こそが黄河に人口大洪水を起すなど組織だった民間人虐殺を含め焦土作戦を行なったといえる。
では南京戦をはじめとした各種戦闘において日本人による民間人に対する虐殺、強姦などが存在しなかったかといえばそうではない。それはソ連軍がそういうことをやっていたぐらいにはやっていた。古来軍隊とはそういうものだし、同性愛に対する規制が厳しかった日本軍では残虐行為は水準よりも多かったと評されている。
そうした、兵士個々人の残虐行為がなぜ南京大虐殺のような「デマ」にふくれあがったかといえば、軍部におもねるメディアがそういう嘘を垂れ流したからだったし、戦後中国がそうしたデマ報道を日本兵処断の証拠としたり、対日宣伝の道具としたからであった。
南京大虐殺など存在しなかった、それはそうだ。だからといってそれを日本人が中国人に対してマウンティングの道具にしてもどうにもならない。実際に日本軍が中国に侵略したのは事実だし、また南京大虐殺というデマを産んだのは日本の未熟な社会体制、報道体制、メディアリテラシーが原因だからだ。身から出た錆としか言いようがない。
というような話は 40 年ぐらい前に延々議論していたはずだが当時の議論が現代参照されてるようにはみえないし大丈夫ですかね。
http://anond.hatelabo.jp/20170116162327
リンク先『婆ちゃんに戦争の話聞いてきた』で語られている「婆ちゃんの工場を襲った」空襲はおそらく、1945年8月1日深夜から2日未明にかけて行われた富山大空襲のことだろう。
それ以前、7月にも市街地に対する比較的小規模な空襲は度々行われている(模擬原子爆弾、いわゆるパンプキン爆弾の投下も行われた)が、8月の空襲は市街地の実に99.5%を焼き尽くす大規模なもので、ブコメでも言われているように「空襲で全部なくなった」。燃え盛る炎が明々と夜空を照らしていたという証言はネットでも複数読める。
で、だ。問題は
ものすごく暑かったので、多くの人は川に逃げたらしい。そんな人でごった返した川めがけて、空襲は襲った。川に逃げた人はみんな死んだ。
というくだりである。この「川」というのはおそらく、富山市街地を貫流する神通川を指す。皮肉にも、上空から夜目にも目立つ神通川と広大な河川敷そのものが攻撃目標となって多くの犠牲者が出たといわれているが(富山大空襲 浅田 高明|戦争の記憶~寄せられた手記から~|NHK 戦争証言アーカイブス http://www.nhk.or.jp/shogenarchives/kioku/31/ )、そのいっぽうでこんなことも行われていた。
(あの戦争「富山大空襲」 : 勝手に言ってます http://yosirin.exblog.jp/21519632/ )
火たたき・バケツリレーなどによる「防火演習」がしばしば行われ、空襲の際には、避難する道路に、警防団・警察・憲兵などが立ち、「戻って火を消せ」、「非国民!」などと、避難を押し止めた
(イントロダクション | 「富山大空襲」のことを知って下さい! http://www.geocities.jp/toyamakushunokaii/introduction.html )
逃げたらアカンかったわけである。何故か? これは日中戦争が始まる前に公布された「防空法」という法律に拠っている。直接的には、真珠湾攻撃の直前に行われた防空法の第一回改正、およびそれに基づく内務大臣の通牒で、空襲時の退去の禁止(罰則を伴う)と応急消火義務が国民に課せられたことに由来する。この規定が、10万人の死者を出した東京大空襲のあともなお有効だったことは、まさに富山大空襲でのエピソードが物語っている。
富山空襲ではまず市街地の周縁部に焼夷弾を投下し、市民の逃げ道を断ったうえで存分に焼き払うという手法が用いられたが、地上でも軍や官憲によって逃げ道が断たれていたわけである。その結果が婆ちゃんの語った戦争の話、ということになろうか。
最後に、いち地方都市にこれほど大規模な空襲が行われた理由がふるっている。
「これ(=第13回の大挙出撃)は、陸軍航空部隊の第28回記念日にふさわしい祝賀であった。またカーチス・E・ルメイ少将に対するすばらしい餞別となった。同少将は米国戦略空軍の参謀長となるため、第20航空軍の司令官を辞任する前に、この攻撃を自ら計画し、かつ指揮したのであった。」 (1945年8月2日付ニューヨークタイムズ)
「陸軍航空軍記念日である8月1日の攻撃は、持てる空力を駆使し、あらゆる努力を払うよう指示する。(米本国陸軍戦略航空軍司令部から、第20航空軍「現地」司令官への指示文書)
(富山大空襲と母のこと: 壺中山紫庵 http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2010/08/post-78e5.html )
参考:防空法について
「空襲は怖くない。逃げずに火を消せ」――戦時中の「防空法」と情報統制 / 大前治 / 弁護士 | SYNODOS -シノドス- http://synodos.jp/politics/13238
この手の話になるといつも思うんだが、憲法9条を改正するだけで日本の軍事力がいきなり高まるくらいに思ってる人っているよな。
軍備拡大への正当性はある程度獲得できるかもしれないけど、実際にやろうと思ったら金も人も技術も全部足りてない訳じゃん。
歩兵一人にしたって、先進国の歩兵ともなれば十分な教育、最新鋭の装備、充実した訓練、命を賭けるに足るだけの給与と相当な金がかかる。
戦闘機や戦車、艦艇となればさらにアホみたいな金額がかかるし、単純な頭数を揃えるだけでもこれから若者が減っていく日本にとっては大きな負担になる。
その点に対する議論はほとんどされてないように見える(軍オタの人とかはそういうのも気にしてるとは思うけど)
軍事力強化への道筋も定まってないのに憲法9条だけ改正しても無駄に仮想敵国を刺激したり、在日米軍が日本から撤退したり大幅に派遣規模を縮小したりする口実にされるだけなんじゃないのかなぁって思うんだけど。
それに少なくとも対外的には日本が日中戦争→太平洋戦争と泥沼に突っ込んでいったのは軍部の暴走にあるということしてる訳だから、その二の舞を踏まない為の仕組みをきっちり作って抜け穴もばっちり塞いで、そういうことはもうないですよって海外に向けて胸を張って言えるようにする必要もあると思う。
それ無しでは外交的にあまりにもリスクが大きすぎる(あったとしてもハンデにはなる)。
でもそこに対する改憲派の意見やら議論やらあんまり聞こえてこないというのも結構な不安要素だと思う。
現状の憲法のままで例えば中国との軍事衝突を回避しつつ国益を確保するというのは余程高い外交力が求められると思うんだけど、与野党、外務省などを見回してもとてもそんな力量があるとも思えない。
攻撃を受けた際への対処も護憲派内でも意見がまちまちだし、その中にはあまりにも非現実的な考えも多い(端から見ると念仏代わりに9条唱えれば敵が退散するくらいに思ってるんじゃないかって人もいる)
ただ9条を守れと叫ぶだけではなく、9条を維持した上でどう日本という国を守っていくのか? という点に対する議論を深める必要があると思う。
一般人の中で改憲派の人達の根底にあるのは仮想敵国(主に中国)に対する不安なんだからそこを解消しようとしない限り何を訴えても無駄でしょ。
というかこうやって書いてみて思ったけど、改憲派も護憲派もお互いが正しいと思う事を叫ぶだけで相手を説得しようしてる感じ全然ないよな。
俺が知らないだけかもしれないけど、そういう人をほとんど見ない。
政治ってこういう意見の衝突を摺り合わせて現実的な選択を探ることにあると思うんだけど、なんでそういう流れにはならんのだろうなぁ。
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。
結構前にどこかの図書館のレファレンス事例を紹介していたウェブサイトがホッテントリ入りしていた気がする。
ここでいうレファレンスというのは、図書館で資料を調べてくれたりするレファレンスサービスのこと。
このレファレンスについては、レファレンス協同データベースというものがあり、色々なところのレファレンスの事例が紹介されているんだけれど、これがなかなか面白い。
小・中学生の質問は、授業や自由研究のためであろうと思われるものと素朴な疑問・欲求に基づくものがあるが、面白いのは断然後者である。
いくつか目にとまったものを紹介したい。
今の私にぴったりな、おもしろくて、ぐっとくる本を紹介してください。(4年生児童)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000160218
回答する方も大変だろうなと思うけど、児童の好みを探ってオススメを紹介しつつ、自分で目利きができるようにもなってほしいという姿勢が素晴らしい。
父が言っていることと違う事実が書いてある
(4年生児童)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000167347
問題となった記述というのが、「日中戦争に関する説明文」というのがちょっと引っかかるかるが、「置いていて良い」という回答を出すまでに発達心理学や図書館の自由に関する宣言が出てくるところがプロらしい。
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000168077
妖怪らしい。
飼っているカマキリを戦いに強くしたいです。どうやったらできますか?
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000161836
できないらしい。
図鑑では分からなくて昆虫館にまで問い合わせており、もはや図書館のレベルを超えている感がある。
胸がキュンとするようなお話を教えてください。
(4年生児童)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000180085
良いエピソードすぎる
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000188753
きちんと魔法使いになるための本を紹介してあげている。
備考欄を見ると着実に修行をしていて微笑ましい。
神様というものはほんとうにいるのか?(3年生児童の記述そのままに)
http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000169298
授業の一環として一冊だけ参考図書を紹介した模様。
大人の質問では、けっこう専門的な質問にもできるだけ回答してあり、感銘を受けました。
また、上記の事例の大半は京都女子大学附属小学校図書館であり、良さそうな学校・図書館だと思いました。
(レファレンス協同データベースにどこまで積極的に協力しているかというだけの問題かも。)
おれの名前は愛新覚羅(FUGI!) 世界に名だたるラストエンペラー(FUGI!) 帝政おわる辛亥革命(FUGI!) 10日だけの清朝皇帝(FUGI!) ジョンストンさよならイギリスへ帰国(FUGI !) 国共内戦終わらないし離婚(FUGI!) - コーラス - NO 共産党 (NO 共産党) NO 毛沢東 (NO 毛沢東) みんな知ってる満州事変(FUGI!) 史上初の二度目の皇帝(FUGI!) 日中戦争第二次大戦(FUGI!) 国共まとめて俺と対戦(FUGI!) 約束違うよソビエト連邦(FUGI!) 日本は敗戦 満州解体(FUGI!) - コーラス - NO ボルシェビキ (NO ボルシェビキ) NO スターリン (NO スターリン) 連合が開いた東京裁判(FUGI!) 俺はとにかく日本を糾弾(FUGI!) 劉の特赦でやっと釈放(FUGI!) 気がつきゃ俺は一般市民(FUGI!) 伊中英が俺を映画化(FUGI!) 世界に名だたるラストエンペラー(FUGI!) - コーラス - I'm エンペラー(I'm エンペラー) You're エンペラー(You're エンペラー)
仔細な部分について聞かれれば、正直自分だって自信はない。突っ込みどころは多いでしょうな。
ちょっと前にキャバクラでライトなネトウヨみたいな若い女の子が付いた。地方から出てきた高卒で二十歳間もない女だ。
ちょうど北条かや似でキャバにしてはめずらしいヲタに好まれそうな清楚風メイクの子だった。
俺は酒席で政治関係の話をするのは好きではないのだが、どうもオッサンは政治ネタに食いついてくると思い込んでいるのか、
自己紹介から早々に国際政治の話をふってきた。「お客さん最近の中国どう思いますか?」と。
ネトウヨっぽいと書いたとおり、近年の中国の政治動向について批判まじりにしきりと話し続ける。
俺は辟易としつつも話に付き合っていたが、しばらく会話を続けいてると、彼女がどうも奇妙な誤解に基いて話をしていることに気づいた。
彼女は第二次世界大戦で日本は中国と戦い(それ自体は事実だが)、米国と一緒に中国を打ち負かしたと思っていたのだ。
俺は少し意地悪な気持ちで歴史の事実を伝えた。日本は(統治下の朝鮮と共に)米中と戦い、そして負けたのだ、と。
この点に関しては左右を問わずに是とする事実だろう。太平洋戦争は、決して日米と中韓の戦いではない。
だが、彼女は食い下がった。日米は同盟国で中韓は反日だ。それに日本が米国と戦うはずがない。米中が仲がいい訳がない、と。
不思議と「日中戦争」や「上海事変」といった言葉だけは知っているらしい。また、思った通り南京事件は捏造だとも語った。
俺は更に突っ込んで、だったら広島と長崎に原爆を落としたのはどの国だ、と訊いた。すると、彼女は北朝鮮だという。
この答えにはさすがに閉口させられ、俺はそれ以上突っ込むことはやめた。議論する価値もない人物だと思ったからだ。
さきほどネトウヨと書いたが、これは実際のネトウヨ連中に失礼な物言いだったかもしれない。
ネトウヨを自認する連中が太平洋戦争の顛末と、原爆投下に関してそこまで誤った認識を持っているとは信じがたい。
彼らは歴史の事実というより、事実の解釈をめぐって闘争しているのだと思う。
他方、キャバクラ嬢はそうした珍妙な歴史観を家族や友人から教わったという。
(驚くべきことに)北朝鮮から原爆攻撃されながらも、辛くも勝利を収めた話として認識しているようだ。
(ちなみに、天皇はイエス・キリストとブッダの血を引いているとも主張していた。天照大神を知らないらしい)
なるほど、それならば北朝鮮に対して激烈な怒りを持つのも理解できるし、中韓を見下すのもよく分かる。
彼らにしてみれば、北朝鮮は国家の怨敵、中韓は敗戦国にも関わらず日米に楯突く負け犬といったところだろう。
最近のテレビで大流行の日本礼賛は、こうした層を狙い撃ちにしているのだろうか。
彼らが戦時中の主要敵国は米国であり、原爆は米国によるものだと知ったらどう思うだろうか。
そもそも、日本こそが敗戦国であり、天皇は(一時期を除いて)日本土着の宗教共同体の首長に過ぎない。
それとも、現状を鑑みてアナクロニズムから、それは中韓による捏造、宣伝工作の類だと思うのだろうか。
どちらにしろ、この国には予想を遥かに超える誤った歴史認識を持った層が存在することは確からしい。
この法案を覚えている人、いらっしゃるだろうか? 10年程前、日本で人権委員を設立し、ヘイトスピーチを取り締まろうとした法案だ。
この法案が出た当時、表現の自由の観点からさまざまな批判が行われた。選抜基準が不透明であり、実質的な言論弾圧になりうる。そうした批判が主だったように思える。
当然……と、言うか、なんというか、2ちゃんねるでも、当時山ほどあった個人サイトでも人権擁護法案に反対する運動が起こった。
人権擁護法案反対の同盟(あぁ、「同盟」って単語も懐かしい)も作られた。
そして、その反対運動は、最近の言葉で言えば「カジュアルな差別」とともに行われた。
「実質的な言論弾圧になりうる」という、その一点をきりとれば、至極尤もな主張は「在日や利権を持っているマイノリティだけが得をして、普通の日本人は損をすることになる。それどころか、実質的に、やつらに日本の言論を支配されることになる」という、明らかに間違った被害者意識、と言うか差別的な主張とセットで行われた。
当時、世界各地で、人権委員の設立が行われていた。具体的な事例は、当時は法務省のHPに掲載されていた。現在ならば、師岡康子「ヘイト・スピーチとは何か」(岩波新書)やエリック・ブライシュ「ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか」(明石書店)などで、当時の流れをつかむことができる。
だが、そうした観点から、実際の外国人での人権委員の活動や議論を調べ、紹介するような者はいなかった。
結局、振り返ってみれば、当時の人権擁護法案の反対運動とは、「『他人の自由や尊厳を侵害しない限りは』何を言ってもかまわない」と言う本来の表現の自由ではなく「カジュアルな差別をしたい」と言う欲望を守るための言論だったのだろう。
別段、驚くべきことでは無い。
YAHOOでホロコーストについて検索すると、悪名高き世界史コンテンツが真っ先に出てきた。
中国人は王朝の変わり目に数千万、あるいは億単位で人口が増減し、現在の漢民族は漢民族でもなんでもない得体の知れない雑種と言う、どこから突っ込めば良いのかわからない発言をすることが、「中国史通」の条件だった。
当然、教科書に書かれている、日中戦争ならびに太平洋戦争当時の日本軍の問題行為はすべて中国と朝鮮のでっちあげと主張する連中が、面白い人、そして、「一方の情報を鵜呑みにしない人」の条件だった。
保障された権利を行使する連中を冷笑し、「プロ市民」とあざけり、スイスの民間防衛を引用しながら中国のスパイ呼ばわりすることが、「良識的で政治に関心がある人」の条件だった。人権の保障などあきらめ、あるいは現状で満足し、お国の迷惑にならないことを第一に考え、軍事増強を唱える。それこそが、「知的」な人間と呼ばれるための条件だった。
現在、そうした妄言を垂れ流していた個人HPのほとんどは消滅している。
だが、うっかり信じてしまった連中は残った。おそらく、掲示板に書き込みをしていたヘビーユーザーは氷山の一角で、その何倍ものROM専の人間が、上記、カジュアルな差別で塗れたデマを信じ、「新しい知見」と考えたであろう事は想像に難くない。
やっかいな事に、そうした連中のほとんどは、当時自分が疑問に思った事について、情報の更新を行っていない。ヘイトスピーチ、そして、その規制法案について語るとき、上であげた該当問題の入門書を読むこともせずに、人権擁護法案反対のコピペを唱え続けている連中のなんと多いことか。
挙句、何の根拠も無く「日本は外国と違う。日本においてヘイトスピーチと呼ばれているものは、虐げられた日本人の正義の怒りであり、理由の無い差別ではない」などと恥ずかしげも無く言ってみせる。言っていることとやっている事はネオナチとほとんど変わらないのだが、彼らに言わせれば違うらしい。
ホロコースト否定論は相変わらず上位に出てくるし、トンデモ中国史は倉山満によって、よりおぞましい物に進化を果たした。
そして現在、twitter、togetterには、それらトンデモを真に受けた馬鹿共が今日も元気に、それも大量に発言を投稿し続けている。
だが、忘れてはならない。
彼らを作り上げたのは、10年前のわれわれだ。中公文庫や講談社学術文庫の中国の歴史を読むこともせず、
あるいは、出版されている本を読み、自分が攻撃する相手が具体的にどんな主張をしているのか調べることもせず、
そのくせ、井沢元彦「逆説の日本史」や小林よしのり「戦争論」を読み、新たな知見に目覚めたとか大それた事を考え、検証の手間を惜しんで、自分のHPで全世界に発信してきた私たちだ。
入門書一冊読まないくせに、そのくせ上記の本を読んだだけで満足し、自分は知識欲旺盛な人間だとのぼせ上がり、そのうぬぼれをwebで全世界に公開した、厚顔無恥な私たちだ。
私たちの馬鹿を信じた結果、今の、肥溜めのようなweb界隈がある。それを作ったのは、間違いなく、私たちだ。
かつて、ネットは誰でもメディアと呼ばれた。その文句のとおり、私たちは多くの情報を発信した。
だが、振り返ってみて、10年前の私たちは、後世に胸を張れるような情報を発信してきただろうか。
「戦争反対」のムーブメントが起きているわけだが(もう下火?出遅れてすいません)、なんだか重大な矛盾があるように見えるし指摘もされてる。アメリカにくっついちゃうと戦争しちゃうよ(この70年でアメリカは何度か軍事同盟国を動員して戦争してる)、それはやだ、ってわけだけど、アメリカにくっつかないと中国に戦争しかけられちゃうかもよ(この70年で中国は自分より弱い国に何度か戦争しかけたり侵攻してる)、それいいの?ってとこがどうも無視されてる。
いや、無視してんじゃないと思う。そこ、本質じゃないと思うんだよね。
いろいろな考えを持ったいろいろな人が参加してる。それは当然だと思う。大きなムーブメントにおいてすべての人の意思が統一されてる、なんてのはフィクションであり北朝鮮だ。いろいろな考えを持ってるのは当然。戦争しちゃうかもを最重要視してる人もいれば、違憲性を最重要視してる人もいるだろう(個人的には後者の立場の人には共感する思いが強い)。
でも、そういう人たちを結びつける何かがないとムーブメントにはならない。それはなにか?このムーブメントの本質とは?なんだか戦争反対・平和主義っていうのは語感がいいからスローガン化してるように見えるが、冒頭に挙げたようにそれが本質であるように思えない。もちろん、単に騙されてる(あるいは暴走してる)人も多いだろうが、頭のいい人達もかなり動員されてるので、みんながみんなそうではない。
何が彼らを結びつけているのか?
結局、反米じゃね?
って思った。
証明手段はない。個人の感想。すまんね。しかし、過去の日本のムーブメントを観察し、それで今のムーブメントについても同じ特徴をもつ蓋然性が高いだろう議論は可能だと思う。ちょっと言葉を変えると、尤度ベースで考えてみよう、みたいな感じのことだ。専門家からバカにされるだろけどね。だから増田に書いてるわけさ。
さてどうだろうか。戦争については、起こしたかったり起こしたくなかったりいろいろだ。護憲主義かどうかについては、冒頭の明治維新がすでに国体をひっくり返してる。しかしどれも明確に同じであるのは、反欧米の姿勢じゃないですかね。過去の大きなムーブメントはどれも反欧米の姿勢であって、それが過去の3つの大ムーブメントのどれにおいても起こっていることから、ベイズの定理によって反欧米姿勢があるために大きなムーブメントが起こったのだとする仮説の事後確率が高いのだと思えますね。問題点:観察したイベントが3つしかねぇ。超事前分布を置こう。めんどくさいからやんない。
他に日露戦争後の三国干渉への強い反発・日比谷焼き討ちだとか、湾岸戦争・イラク戦争時のアメポチ批判とかは、強いか弱いかにかかわらずやはり反欧米的姿勢に見える。太平洋戦争の本とかよむと、国際連盟脱退して帰国した時、松岡洋右は非常な非難を覚悟したのに、大歓迎されて却ってとまどったとかいうのがあったが、それもこれかもだ。太平洋戦争時には他に、満州事変から日中戦争の時には日本国民はあきらかに戸惑っていたが、太平洋戦争開戦時にはだれもが意気揚々として喜んだというのも読んだ。
さて、まともな議論のような皮を被った確証バイアスだらけのようにも思われる話はここまでで終わり。みんな批判的思考を持ちましょう。
あとは完全に個人の感想。
逆に親欧米にはどういうのがあるかっていうと、
ってとこでしょうか。
さて単純にどう思うかって話なのだ。
私がどう思ったかは、もうわかっていただけたと思うけど、日本国民を感情的に動かしてムーブメントを作りやすいのは反欧米的姿勢だけど、日本国を繁栄させてるのは常にアングロサクソンにくっついてる時じゃないのってことです。明治維新なんて説明するまでもなく、ムーブメント自体は尊皇攘夷運動だったはずが、最終的に親欧米政権つくって西郷さんと大久保死んじゃったみたいな話なわけで。
さてこういう話をするとき、明治維新のときから続く歴史の長いレッテル貼りがあって、それは今で言う「アメポチ」ってやつだ。言ってみれば、アメポチ初号機は井伊直弼であったともいえよう。戦時中には、鬼畜米英とか言ってる人を非難するような人は「非国民」とか言われていた。もちろん逆方面に対してはチョンとかなんとか言ってたわけで、究極的には自分最高って思ってるだけだろうけど。
で、アメポチ。アメポチ悪いの?ってこと。ていうか犬バカにしてね?まあそれはいい。
「情けない」とか帝国軍人みたいなこという人もあろう。でもさ。国家がアメポチであってそれが情けないなら、個人でアメリカいって勝負すればいいだけじゃないか。本当にアメポチにならなくて済むような有能な人は、当然アメリカで全くやっていけるし、あの国は人種や国籍にかかわらず、能力だけで天下を取れる、そういう国だ。ヨーロッパ人だってそうしてるよ。われわれ極東の日本人が「あれはアメリカ人」と思ってる人たちの中の相当数に、元ヨーロッパ人が相当隠れてる。ドイツ・オーストリア系とか特にね。敗戦国ですし。日本もだよ。
それだけの能力がない人は?そうやって能力もないのにこの冷酷な世界の中で平和を望む・・・そんならアメポチになれってことなわけ。自分一人で世界の中でアメポチにならずに立ち回れる能力がないくせに、日本国家に守られてアメポチではない立場になりたい、でも日本国家は嫌いだ、とかそんな都合の良い話はあるめえよ。
この世の中はローマ帝国と漢王朝の時代からまったく変わっていないと僕は思う。コーカソイドと東アジアに2つの帝国が出現するところまで変わらない(たぶん、20世紀のある一時期には日本がそれになりうる可能性を考えられていたかもしれないが、今は誰もそう思ってないっちゃ、ライジングサン)。
「戦争法案反対」論者の中には一定数、「すぐに中国が世界最強になるから敵にするのはまずい」と思ってる人がいるかもしれない。こういう人とは酒は飲める。まあわたしはそんなの数十年先以降なんじゃねーのって思うけど(だって科学力が違うからね〜)。
ていうか俺の言いたいことは年収1千万未満って普通の生活すら不可能なんだよね
子供は留学できない、大人数まともに養えない、勉強するための本買えない(普通千冊は買う)、車2台もてない(ふつーはスポーツカーとセダン持つ)
あと人間がまともに生活するには一人暮らしでも150平米は必要で、子供2人もいれば6LDKは最低限必要、3人なら7LDK
で、そういう最低限の生活をする経済力は年収1千どころか1500でも厳しい
将来自分のガキに奴隷アルバイトさせて高校で勉強させない気かよ?底辺どもは。普通は子供一人あたり毎月15万は小遣いやる。2人兄弟で年間360万円やる。
フリーザみたいに私の年収は853万ですドヤとかやってる底辺可哀想すぎ現実見ろよ
あと箱根火山が噴火したら郊外に即座に家引っ越さなきゃいけないし、第二次日中戦争になったら渡米する金もいるから
年収4、5千もない時点でライフライン崩壊してんだよねいまどき
ちなアメリカのエリートの平均収入がそれくらいなので、低次元な水準で競争してプライド満たそうと必死な底辺は現実をみましょう
現在の兵器は、パソコンやサーバーや高速通信機器の総合体なので、北関東のヤンキー風の体力派のあんちゃんよりも、SEとか運用の人とかプログラマとかが真っ先に軍に取られていくと考えられる。
兵器のオペレーション以外にもサイバー戦争要員としても利用価値が高い。
海を渡った戦地へ赴く必要がないとしたら、企業ごと徴用されるかもしれない。
運輸関係は、真っ先に徴用されるだろう。日通とかクロネコとか佐川とか日本郵政とか軍需輸送を受託するようになる。
次に建機メーカー。造船メーカー。自動車メーカーも準国策企業になるように法改正されるかもしれない。
この法改正というのがポイントで、日中戦争や日米戦争当時の日本も法律に基づいて国家が運営されており、あの「国家総動員法」ですら国会の議決によって施行されている。
戦前の日本は軍事国家ではなく、立憲君主制に基づく民主主義国家だった。なのに戦争を止めることはできなかった。
世界恐慌に端を発する不景気対策をどうするのか、食い扶持がない人々をどうするのか、エネルギー政策をどうするのか、欧米列強に植民地をとして屈するのかといろいろな要因が重なって、誰も責任を取らない体制ができてしまってあのようになってしまったのだろう。
戦争をしないという決意は、大切だろうけど、周りのいじめっ子が隙あらばけんかを仕掛けている状態で己を守るにはどうすればいいのかという問いに対しては常に考えを深めて、実力行使にならない道を探ってしかなくてはならない。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20141002-OYT1T50138.html
調べて見ましょう。
※中込秀樹
特に何も見つけられませんでした。
※岡本行夫
(田原総一朗と共著)『生きのびよ、日本!!』朝日新聞社、2003年/朝日文庫、2005年
(田原総一朗と共著)『「外交」とは何か、「国益」とは何か 増補版・生きのびよ、日本!!』朝日新聞社2005年10月出版
ただしhttp://www.yukio-okamoto.com/article/paper/index.htmlを見るとわかりますが産経新聞側の人と言った方がいいかもしれません
※北岡伸一
「私と司馬さん 歴史の道を走り回った高校時代 北岡伸一さん」『週刊朝日』2012年12月28日号、p.99
ほかは特に見つけられず
(たくさんあるので略)
※波多野澄雄
『「大東亜戦争」の時代――日中戦争から日米英戦争へ』朝日出版社, 1988年
『幕僚たちの真珠湾』朝日新聞社[朝日選書], 1991年/吉川弘文館, 2013年
(共著もの)『昭和史――その遺産と負債』朝日出版社、1989年
※林香里
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2014052800008.html
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2014060500008.html
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2014061300015.html
http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/special/2014062600006.html
※保阪正康
『敗戦前後・40年目の検証』 朝日新聞社 1985.8、のち増補し『敗戦前後の日本人』朝日文庫
『昭和陸軍の研究』(朝日新聞社)-1999(朝日文庫)-2006
『官僚亡国 軍部と霞が関エリート、失敗の本質』(朝日新聞出版)2009年
『高度成長―昭和が燃えたもう一つの戦争』(朝日新書)2013年
朝日ソノラマのや共著は略
戦争はしちゃいけないで思考停止しちゃうサヨクって奴が、ぼくは大嫌いです。
さて、日中戦争・太平洋戦争ですが、当時人口 7000 万に対して、
軍人・軍属の戦死・戦病死が 230 万、そして民間人犠牲者が 80 万くらいなので
概算で 5 % 弱が死んでますね。
ちなみに 3/11 の大地震は死者・行方不明者がだいたい 2 万 しか しない。
地震と違って、戦争時は日本全国からまんべんなく死者がでるし、
軍人・軍属は働き盛りの成人男性で構成されてると考えていいから
ちょっと同僚や同級生を思い出して、このなかの 1 割くらい死ぬし、自分がその中に含まれるかもって考えて全然 OK です。
私たちが本当に考えなきゃいけない、語り継がなきゃいけない戦争の怖さは
それこそが、負けた当事国たる日本人が語り継がなきゃいけないものであると、筆者は思います。
先の戦争において私たちは負け、結果として多大な資産を失いながら何も得られませんでした。
支払った代償は労働人口の1割弱。
著者が考える、語り継がなきゃいけないもの、それは次の2つに集約されます。
著者の受けてきた教育は主に2つ。
日本人は加害者であり、かつ軍事独裁の被害者であった。基本的にはこの2点だったと印象受けています。
著者は疑問を持ちます。
受動的、すぎませんか?
私のご先祖様達は、時代に振り回されただけの人々だったのですか?
著者は思います。当時の日本人は十分に当事者だったのではないかと。
決して軍部だけが暴走したのではなく、政治家だけが無力だったのではなく、マスコミだけが煽っただけではないと。
では、どうすればその空気の再構築を防げるか? 筆者は、損益を冷徹につきつけることが抑止につながると考えています。
当時の日本人はどの程度の犠牲と利益を見込んで、実際はどの程度の犠牲と利益だったのか。
著者は、それこそ語り継ぐべきだと考えます。
ミッシングリンクがあり、著者は自分の祖父・祖母に直接聞けなかったことがあります。
「支持したのであれば、それはなぜですか?」
推測ですが、結局、大多数の日本人は、戦前、開戦を支持したのだろうと思います。
なぜでしょう?
著者は、明確な理由が想像つきません。
なんとなく、「まぁ、負けることはないだろう」と思っていたのかなぁ? と思います。
真実はわかりません。
私たちが本当に避けなければいけないことの一つとして、「次もまた、このような大敗を喫すること」というのがあります。
次の戦争、次の次の戦争、世界がある限り、おそらく次の戦争の機会はまた来るでしょう。
その時、負けることがないよう。大敗はしないよう、開戦前の空気と空気が醸造された理由をシビアに語り継ぐべきだと著者は考えています。
ネットウヨクと呼ばれてでも、反戦平和すぎる言説には反感を抱いてきました。
あまりにも楽観的すぎる。著者は率直に言ってそう思っています。
その昔聞いた、とある質問への答え「相手が殺しに来るなら殺されればいい」というのは、自分以外の他人には強制できません。それは無理です。
一報、最近の保守も劣化がひどいのではないかと感じるようになってきました。
今までは、幻想として楽しむ人が多かった。
にも関わらず、最近は真顔で唱える人が多くなっている気がする。
これは 劣化 でしょ。
で、いちばん最初の話に戻るんだけど、今回の集団的自衛権については、やはり中東における泥沼の紛争の解決に日本も協力しろという要請があったからだろう。
日中が本格的な武力衝突に至るまでのいくつもの段階を無視している。
「世界一強いアメリカ様に守ってもらうために領土を差し出します」
っていう部分だよ。
だから「もうちょっと身体張れや」って言われてるんだけど、それと日中戦争は関係ないよね、って話をしてるんだよ。
要するにそこの問題は「町内会のイベントに差し入れだけして顔を出さないからもうちょっと手伝えよ」レベルの問題なのであって、
いちばんは「日本も中東問題に積極的にコミットします」ということだろ。
欧米へのご機嫌とりだよ。
朝鮮戦争はトレードオフの負担というか「万が一起こるなら参戦もやむをえまい」というところだろう。
日中戦争?
今、アジアで戦争が起きるとすれば、可能性として一番高いのは、中国が日本に攻撃をしかけるということなんじゃないかと思う。
実際、昨年には、尖閣の問題で、いつ戦争になってもおかしくない状態まで行っていたし、中国自体も不安定な状態が続いているので、いつ不測の事態が起きてもおかしくない。
中国が日本に攻撃を仕掛けてきたら、もちろん日本は、個別的自衛権で反撃して戦争になります。
戦争になれば、日米安保によって、アメリカが助けてくれるはずです。
そうすると、アメリカが、日本の戦争に参加して血を流すことになるのですが、「それでいいのか?」という意見がアメリカで出てきているのも事実です。
もう冷戦の時代は終わったので、日本を守るのを手伝う意義は、以前と比べると、だいぶ薄れてきています。
また、経済的なパートナーとして、中国と事を荒げたくないというのもあるでしょう。
一方で、アメリカが攻撃されても集団的自衛権のない日本は、助けてくれない。
そんな国を、アメリカが血を流してまで助ける国民的な同意がとれるのか。
だから日本は、アメリカになにかあったときは、集団的自衛権は行使して自分たちも手伝う用意があることを示す必要があるのではないでしょうか。
日中戦争という、差し迫った危機への対策として、今回の集団的自衛権を使えるようにすることを急ぐのではないかと思っています。
まさか政府も中国と戦争になりそうだったとか、そうなる可能性があるとは表だっては言えませんから、それで、こんな、じれったい表現になってしまうのではないかと思うのですが。
田母神氏は都知事選を終えて会見を開いた。田母神氏は「保守運動をこれからも盛り上げていきたいと思っている」と締めくくっていた。それを承けて、記者から「それはどのような保守政党になるのですか」と問われて、次のように答えている。
「日本の政治家はね親中派、中国派の政治家がいっぱいいますよね。それに対して保守派と言われる政治家がいる。でも、この保守派の大半というのはアメリカ派なんですね。アメリカの言う通りにしなきゃいかん、と。だから日本の政治状況は中国派とアメリカ派が喧嘩しているような政治状況なんですよね。で、日本には日本派の政治家なんてほとんどいないんですよ。で、よその国を見ればね、アメリカの政治家ってみんなアメリカ派なんですよ。イギリスはイギリス派、フランスはフランス派です。つまり、日本だけ日本派の政治家が大変少ない、という状況だと私は思うんですね。だから、日本派のたくさん集まった政党が出来ないと、日本を取り戻すことは出来ないと私は思いますね。」(http://www.youtube.com/watch?v=LwEMM349-SQ 45:00付近の発言)
もちろんこの記者会見の場は、「日本派」とは具体的にどのようなものであるのか、を打ち出す場所ではないので、こんな大雑把な説明になっているのは致し方ないとして、それでもなお「日本派」が一体何を指し示すのかサッパリ分からなかった。いや、感覚的に言わんとしていることは分かるんですよ。でもでもね、右翼にせよ左翼にせよ、「日本という国がよくなってほしい、日本国民が幸せになってほしい」という動機から行動しているんじゃないのか、って思うんですよ。そういう意味では政治家には基本的に日本派しかいないし、その日本派がどのようなものであるのかを解釈する点において異なっているんじゃないの、ってね。「あいつは親中派で日本のことを考えていない」なんて意見を聞くことは往々にしてあるけど「おまえが考える"日本"のことはかんがえてねーよ」っていう話に過ぎない。例えばですけど、アメリカと融和的である政治家はたしかにいますけど、それって段階論でしょ? つまり、究極的な理念においては肯定できなくとも、現時点においては仕方ない、と容認するような、ね。米軍基地を保守派が認めているのもそうじゃないか! もし田母神が親米じゃなくて「日本派」であるならば、米軍基地を日本から全て追い払わなければならない。「普天間基地移設問題」について石破がよくやるような偽善的態度、つまり「沖縄の皆様には本当に申し訳ないと思っているけれど…」なんていう、気色悪い芝居は一切やめて米軍基地を一掃してほしいね。三島由紀夫だって自決する際の檄文で「アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう」と言ってるよ。もし原理主義的な日本派が存在するならば、喫緊の課題である米軍基地問題を対処せよ、と私は声を大にして言いたい。(http://www.youtube.com/watch?v=ZgyRYLkGFVU こういう"親米派"と独善的人間がいる限りはね。この動画で話している人物は、「戦後レジームの脱却」をあらわすどころか、沖縄返還前への逆戻りを進んでいるぞ、と怒りを込めて言おう。 http://www.youtube.com/watch?v=7bi5ZZrG62g こっちの動画では「選挙に民意が反映されていない」等と言っている。投票率77%だよ、なに言ってんの、こいつ。沖縄を馬鹿にするんじゃない。 http://www.youtube.com/watch?v=4lwpRSMvL6Y ここでは水島氏が一人の漁師から話を聞いて、彼にあたかも名護市民の”ホンネ”を代表させようと、プロパガンダを企んでいるけれども、実際の選挙結果を見ると、いかに”偏向報道”であるのかがうかがえる。「日本派」はこういう不逞な輩を一掃するところから始めなければならない)
☆
それからもう一つ。「戦後レジーム」を脱却して、「真の日本」を取り戻そうという試みはじつによろしい。じゃあ、「真の日本」って何? そもそも「日本」が「真の日本」であった時代ってあるの? 具体的に何時代? あのね、そういったことを言うためにはやっぱり歴史を勉強しなければいけない。竹田ナントカみたいなトンデモはやめてくれよ。神武天皇が実在したかどうかなんていうバカみたいなハナシは聞きたくないんだよ。それは純粋に歴史的学問としては興味深いが(竹田が興味深いわけじゃないよ。念のため。)、今の日本を考える上では少なくとも参考になるものは少ないね。歴史を論じるならば、むしろ江戸時代とは何であったのか、明治と江戸の間にいかなる断絶/連続があったのか、っていうのを「日本派」の人びとには考えていただきたい。「日本派」の人びとは、日中戦争や第二次世界大戦を(陰謀論的に)語ることは大好きだ。で、それを説明するために、だいたい明治以降の歴史を考察するのはだいたい常道といってもよかろう(http://www.ganbare-nippon.net/official.html 例えば、この綱領を見ても明らかである)。でも、「明治」っていう時世自体そもそも薩長という田舎者にでっち上げられた「捏造品」だったことを忘れはいまいか? それに、江戸生まれの知識人達の身につけていた教養のたいていは、和文よりも、唐山仕立ての「漢籍」なわけですよ。ようは、きみたちの嫌いなシナこそが絶対的だったわけ。田母神氏がフランスの話を引き合いにだしていたから、ちょっとフランス語の事情から言ってみると、「歴史histoire」という言葉は同時に「物語histoire」でもある。お察しの通り、「ストーリーstory」という言葉も歴史historyからきている。「真の日本」っていう歴史的問題は、つまりストーリーの問題でもあるわけ。「天皇」だってストーリーの問題でしょ? で、ストーリーっていうのは、小説家や歴史家なら当然知っているように、始点と終点がすごく重要なんですよ。例えばフランス革命だってロベルピエール処刑を終点とした一定のストーリーをもとに語られることが多いけど、ナポレオンの時世までをフランス革命の物語として考えたら、少なくとも、ロベスピエールの立ち位置っていうのは少ならず変化する。「真のフランス革命」を探究しようとしたって、じつはそう簡単に出てくるものじゃないし、歴史をストーリー抜きに語ることの困難さっていうことは歴史家が身に染みて分かっていることだ。私は「真の日本」にも同じ問題を感じるよ。もしね、もしだよ? 「日本派」の人びとが、自分たちの語るストーリーだけが真実だって言い出したら? うん、それはカルトと呼ばれるもののはじまりです。だからね、私はカルトになんてなってほしくないわけですよ。「真の日本」なんてそう簡単に見つかるものではないんですよ。それは江戸時代の複雑な歴史をちょっと知っていれば分かるはずなんですよ。だから、戦後レジームとか、そういうカルト的言動は慎んで、とりあえず江戸時代に沈静して、マトモな日本人になってほしいな、と思うわけです。
☆
追記。ちなみに、「日本派」の原理性をここでは言いたかったのだけれども、そうした右派原理主義をおしすすめると結局左派原理主義ともつながってくる、ということを確認しておく必要がある。どっちも現実を見ずに理想に邁進してしまうから当然だよね。だから、アナーキズムとファシズムには融和性もあるのだし、石原莞爾みたいな人を一人考えてもそれは分かるでしょう。あるいは、三島だってそう。でもこの話は長くなるのでまた今度。
追記その2。「中国派とアメリカ派」っていうのは、行動原理の奥底に、「中国に利するように」等の陰謀をその人が持っている、と田母神氏は考えている、ということだろう。いわゆる「田母神論文」もそうだったけれども、思考法が基本的に「陰謀」に帰着するという単細胞ぶりには、思想が右であれ左であれ、注意しなければいけないと思う。「陰謀」で全て片づけてしまうと事象の繊細なニュアンスを捉え損ねるからだ。「チャンネル桜」では、サヨクという言葉で全ての悪を表象しているわけだけれども、こういうマニ教的二元論によって自らが思考停止しているということに気がつかなくては、ネトウヨ=新右翼のコミュニティを脱して「民意」を掴むまでにはほど遠いと言わざるを得ない。これは戦術上そうなのだ。
最近、まわりの友人や知人から中国韓国に対する反感を聞いていて驚く。
そのときは、公に人にそんな事を言えるような状況ではなかった。
しかし、10年後の今、人々はどんどん反中、反韓になってきている。
専攻は法学ながらも、国際関係も曲がりなりにも学んだつもりだ。
その事からみて、やはり隣国の中国、韓国ともに今のような状態が続く事は望ましくはない。
そして、気になるのは、第二次大戦や日中戦争期を昨日のように語る人がこの三カ国に多い事だ。
もし、それを語れるならば、少なくとも75歳以上でなければならない。
しかし、戦争の経験もない我々戦後生まれの一般市民がなぜあの戦争を、東アジアを語るときに使うのだろうか。
アメリカを語るときに我々は太平洋戦争<あるいは大東亜戦争>をここまで強烈に持ちだすだろうか。
私は、東アジアの政治の共通の戦略として、内政運営のため、国民の目を他国に向ける、敵を作るというモノがあると思っている。
これは中国、韓国でよく話題に上がるが、ここ最近、日本もそのような傾向にあるのではないか。
少なくとも、私には、安倍首相が、自身の政治目標である憲法改正に向けてコレをテコにしようといているのではないか、と心配している。
つまり、政府が今まで解釈を積み重ねてきたものを、その時の政府の方針次第でいかようにも動かせるように私には見受けられるのだ。
肯定的に見よう。
もし、憲法が改正されたとして、今のような穏健保守派の自民党政権が未来永劫続けばよい。
そうすれば、自民党的解釈のつまり、穏健保守派的憲法解釈のまま、憲法が運用される期待が持てる。
しかし、そうはならない。
日中韓の緊張がこのまま維持されるとする。
そして、それが国際関係、また外交的文脈で正しかったとしよう。
しかし、国民は納得するだろうか<ワシントン海軍軍縮条約を想起せよ>。
このように、中韓に対する反感が根付きつつある日本で、自民党政権を維持し続ける事ができるだろうか。
企業も生き残りに必死になり、リストラも増えるかもしれない<もちろん大企業正社員はこの限りではないが、リーマンショックの時を思えばおのずとわかるだろう。また戦前の若手将校たちは大企業、財閥をも自身達の敵とした>。
懸念事項である社会保障費の維持も難しくなり、近い将来には薄くなるだろう<つまりは、若年層に負担が増加するという事である>。
この時、自民党より保守色の強い保守政権ができる可能性を我々はどれほど想像できるだろうか。
そして、その強硬派保守政党が改正憲法の下でどのようなことを行うだろうか。
愛国者であれば、日本が他国と戦火を交えこの美しい自然と伝統ある歴史や文化が破壊され、また日本国民が戦争によってその尊い命をなくしていくことに深い悲しみを持たざるを得ないだろう。
その意味から、私は、現在行う全ての事は、将来の国家百年の計と、及び自身の子孫の事を深く慎重に考えたうえで全て行動するべきだと強く確信するものであると確信する。
そもそもA級戦犯は何かって言うと
平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。
つまり日中戦争、大東亜戦争肯定論者、パールハーバに関係する人間および当時日本に住んでいて戦争協力をした民間人がこれに該当する。実際に中国が主張している南京大虐殺(があったとして)の犯罪者はジェノサイドにあたるので
(ハ)人道ニ対スル罪 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。
のB級またはC級戦犯にあたる。韓国が主張すべきもこっちかな。
これでいうと、第二次世界大戦に従軍した兵士・銃後を守った民間人、指揮をした軍部及び政治家、扇動したマスコミすべてがA級戦犯に該当する。そのうち特に責任が重いとされるものに関しては裁判の後死刑が執行された。死刑執行されたひとを現在ではA級戦犯というが、実際には当時生きていた日本人ほぼ全員がA級戦犯である、というむちゃくちゃな罪状である。
処刑されたA級戦犯の合祀が妥当だったかどうかはとりあえずおいておくとしても、平たく言えば第二次世界大戦の戦死者はすべてそうなので、1976年の合祀以降に中韓が反対するのはお門違い。するなら最初っからすべき。最初しなかったんだから今するのもおかしい。
なお処刑されたB級C級戦犯に関しては靖国に合祀されているが、これは騒ぎになるよりもずっと前からである。
今回の米国の批判は、靖国参拝自体を問題にしているわけではなく「中国を刺激するな」である。彼らは戦争したくないし、人を出したくない(南スーダンとかシリアとかがあってそれどころではないため。国内も問題が山積しているし金もない)。EUも同様で、論調としては「中韓がうるさいから変なことするな」と言っているだけである。彼らは下手につつくと19世紀の植民地支配のことが出てくる可能性があるため、下手なことは言えない。そしてEUも相変わらず経済的には厳しい状況なので、戦争が起こるとか言われたら困る。しかも日本は自力で戦争できないので、紛争がおこれば多国籍軍を派遣することになるかもしれず、すごくいやがっている、だけ。
日本としては、韓国が南スーダン弾薬譲渡の件で狂ってる(韓国内が崩壊しそうで、北朝鮮がそれに乗じて攻めてくる可能性はある)というのを念頭においているのかどうかはわからないが、
とりあえず中国は数日前に公船が尖閣周辺領海を侵犯しているので、それの抗議ではないか?まぁそんな事態なので余計に米はおいやめろといっているわけだが。
時期的にはちょっとまずかったと思う。