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はてなキーワード: 数学教育とは

2024-09-24

数学政治なのか

TL/DR

YesとNoである論文を書く人や研究する内容は文化産物であり、アメリカでは長い間、文化人種差別歴史がある。しかし、定理自体人種とは無関係

長い答え:

数学現実を正確で抽象的かつ形式的モデル化する。これは一見すると特定地域民族限定されず、多くの場所独立して発展し、文化間の協力があったようにみえる。この考えは「白人性」よりも数千年前に遡る。ピタゴラス文化的ショーヴィニストであったが、現代意味人種差別主義者ではなかった。彼の肌の色は不明であり、彼が白人ギリシャ人であるとは言えない。

幾何学文化的な構築物であり、逃れることはできない。πは円周の直径に対する比率であるが、幾何学的な円は文化が発展させた概念であるピタゴラス派は代数よりも幾何学を発展させる文化偏見を持っていた。

私はピタゴラス派の文脈無理数を学んだが、インドでは異なる代数文脈で発展した。数学教育は文化である

現代数学の多くは人種差別的な権力構造産物であり、人種的な文脈で教えられている。数学人種差別を反映している。

アメリカでは、人種差別高速道路建設場所利益に影響を与えたが、道路自体人種差別的ではない。黒人居住者に家を売らせて白人利益のために道路建設することは人種差別である都市の形状は人種差別を反映している。

プリンストン大学奴隷によって建設され、奴隷所有者によって資金提供された。歴史的に黒人学生女性を受け入れず、現代人種政治学生生活に影響を与えている。これがプリンストン数学人種差別的にするわけではないが、ブラインドピアレビューがない場合、その論文が発表されたかどうかを問うことができるという点で、差別的である

数学論文抽象的な証明大学建物人種差別ではないが、黒人大学建設させて白人の富を築くことは人種差別である数学研究の形状はその人種差別を反映している。

したがって、答えはYesとNoの両方である数学定理抽象的な考えは人種差別とは関係がないが、数学的試みは人種差別文化文脈で行われている。つまり、誰が認められるかとかそういった話になると一気に政治的になる。

貧困層高卒数学研究で成果を収める方法

無名状態ではarxivのendorsementを得ることが出来ない。AI提案したパスとしては、以下のいずれかがある。

2024-06-17

https://anond.hatelabo.jp/20240614205200 タグ付けソースつづき

文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-14

https://anond.hatelabo.jp/20240614204953勝手タグ付けソースだよ

1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

2023-03-13

海外数学解説動画を見ると、海外の初等・中等数学教育のレベルの低さがよくわかって楽しい

2022-11-05

「9割本」の記事の識者

https://news.yahoo.co.jp/articles/5f2cc43806db413b2555d596e9c86d957d0f56c2?page=1

出版相次ぐ「9割本」、ベストセラーも...「結局何が9割」皮肉る声 識者鳴らす「警鐘

 身の回り数字との向き合い方を記した著書「数字にだまされない本」(日経ビジネス人文庫)で知られるビジネス数学教育家の深沢太郎氏は22年11月1日J-CASTニュース取材に対し、書籍タイトルに「9割」が頻用される理由を次のように読み解く。

「『9割』とは、ボウリングでいうところの『センターピン』を表現したものではないでしょうか。センターピンさえ倒せばほとんどのピンが倒れるとするならば、それは『物事本質』を意味します。つまり重要なのはいかセンターピンを外さないか、ということです。ビジネス関連の書籍を読む人のほとんどがこのセンターピンを知りたいと思っています。だから制作側は『ほとんど』が自動的に伝わる『9割』という表現を好むのでしょう」

 一方で同氏は、データに基づかない「9割」という表現はら問題点も指摘する。

「例えば『◯◯◯が9割』という表現は、言い換えれば『◯◯◯以外にも大事なことが1割はある』ということです。会議ほとんどの人が『YES』と主張していたとしても、もしかしたら『NO』と主張する方が正しい結果を生むこともあります。つまり『9割だから正しい』という思想は極めて危険ということです」

 同氏は「厳しいビジネス環境においてはみんなと同じでは競争に勝てない」としつつ、「むしろ『9割本』を疑いながら読み、みんなが『YES』という場面で『NO』の立場をとる方が賢いのではないでしょうか」と投げかけた。

その深沢太郎さんの著書

https://www.amazon.co.jp/%E6%95%B0%E5%AD%97%E3%82%92%E4%BD%BF%E3%81%88%E3%81%B09%E5%89%B2%E4%BC%9D%E3%82%8F%E3%82%8B-%E6%B7%B1%E6%B2%A2-%E7%9C%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4798041009/ref=sr_1_37?qid=1667623633&s=books&sr=1-37

数字を使えば9割伝わる! 単行本 – 2014/3/28

お前もやっとるやんけ

2022-05-21

三角関数なんて役に立たない→じゃあフーリエ変換を教えましょう

たびたび繰り返される三角関数いらない問題

英語をいきなり教えると難しいかな?ローマ字を教えよう」→「ローマ字なんて役に立たない!英語なんて勉強しなくていい」

みたいな混乱もあるかもしれない

これ、三角関数ってところが絶妙にやりにくいんですよね

フーリエ変換なんて役に立たない」 だったらあらゆる分野の人が声を上げるところだけれども三角関数

普通はexp使いそうじゃないですか、微積簡単だし。あえて三角関数に限るとゲーム制作とかweb要素回転させるとか測量するとかまぁ、かなり特定の分野になってしまいそう。

高校で使える数学を教えるには?


かにおっしゃる通り高校数学は役に立たない。役に立たないか大学回生で基礎数学を無理やり詰め込むわけです。

高校で役に立つ数学を教えろというならば、高校数学をやめて物理数学を教える、という話になりそうですね。(数学科の人怒らないでね)

高校数学物理数学


これらがあれば現状骨抜きになっている高校物理がまともに教えることができるようになります


量子力学があれば化学もきちんと教えることができるようになりますね。

量子力学を教えていないのに電子軌道や遷移エネルギーの話をするのはどうなのでしょう?)

別に茶化しているわけじゃないよ

役に立たないと言われ続けていた英語教育。今日では小学校1年生から英語を学びます

もし数学教育を改革するならどうするか?考えてみるのも面白いかも

2022-01-29

国立大大学共通テストに「情報1」が必須になることについて

国立大受験共通テストプログラミング…25年から情報」追加で6教科8科目に

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/

国立大受験、「情報」追加を正式決定 25年共通テストから

https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html

国立大協会共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に

https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c

2022年4月高校入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省入試センター布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。

「なぜ国立大学だけなのか?」

これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。

国立大学は文科省植民地だし。独法なのに独立してないし。

ぶっちゃけ首都圏などは、高校情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。

そんな情報教員採用消極的地方での、高校KPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定進学校助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方高校教員委員会への圧力になるのである

「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係いからという言い訳で、教育委員会教員採用してこなかったり、未履修問題のように高校勝手情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生大量生産してきたのではないだろうか?

教科「情報」の歴史

高校情報という授業は実は2003年高校入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。

商業高校工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。

それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである

教員免許区分も新たに誕生するということである

それが全国何千校の普通科高校で急に始まるのである。まあ、時代必要だったのでそれはしょうがないと思うが。

大学教員養成課程で、一気に何千人も情報教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。

まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。

すごい促成栽培である豆苗2世代収穫みたいな。

しか希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学理科家庭科教員が多数いるというわけである

これを時限的な教員免許とすれば、大学情報教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。

あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許有効期限が延びる仕組みである

情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである

そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省意図もあったような気がする。

恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本沈没するのが加速するだけである

入試科目となるにあたって

学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。

最初情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまものであった。

とはいえTCP/IPWWWDNSの概略や、アルゴリズム知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。

その次の世代学習指導要領で、「社会情報」「情報科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。

今度の4月から入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通範囲勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである

それまではどれかだけ勉強したら卒業OKという扱いで複数科目あったので。

今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省入試センター強気に「社会情報情報科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。

情報1

情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーションデータサイエンスの基礎などが入っている。

ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。

データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。

実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算計算して、分散標準偏差偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容であるセンター試験共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストやらかした。

次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話

劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方高校生が報われるようになるといいと思っている。

民間企業陰謀論について

あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクール情報講師を確保しているようである

なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進高校向け教材でもやらせお金解決してください。

国立大学目指す層ならば、それで到達点はいくと思うし。

国立大大学共通テストに「情報1」が必須になることについて

国立大受験共通テストプログラミング…25年から情報」追加で6教科8科目に

https://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/kyoiku/daigakunyushi/20220128-OYT1T50158/

国立大受験、「情報」追加を正式決定 25年共通テストから

https://www.asahi.com/articles/ASQ1X7S36Q1SUTIL01M.html

国立大協会共通テストに「情報」追加 25年以降、6教科8科目に

https://mainichi.jp/articles/20220128/k00/00m/040/332000c

2022年4月高校入学した生徒を対象にした大学入学共通テストから教科情報試験が追加されることはもう決まっていたのだが「そんなのわざわざ受けるやついるの?」とならないように、文科省入試センター布石をうった結果としての国立大学の入試での必須化だと思う。

「なぜ国立大学だけなのか?」

これについては、私立大学には強制できるスキームがない(補助金をちらつかせればできるかもしれないが)のと、地方高校などにその衝撃波が届くように、だと個人的に思っている。

国立大学は文科省植民地だし。独法なのに独立してないし。

ぶっちゃけ首都圏などは、高校情報教員は余ってはいないが足りてはいるが、地方では情報教員採用をまだ実施していない県もあれば、ようやく始めてまだ数名しかいないという県もある。

そんな情報教員採用消極的地方での、高校KPIの一つに国公立大学への合格者人数というものがある。教育委員会によっては、特定進学校助成金みたいなのを出して、進学実績をさらに上げさせようとしている県もあると思う。そんななか情報をきちんと教えられる教員がいないと、国立大学に不利になるよ、というのは地方高校教員委員会への圧力になるのである

「急すぎるじゃないか」とお怒りの校長とかもいるだろうけど、受験には関係いからという言い訳で、教育委員会教員採用してこなかったり、未履修問題のように高校勝手情報をやらずに他教科に置き換えて授業を潰していたりしたことが、結果としてスマホしか使えない大学生大量生産してきたのではないだろうか?

教科「情報」の歴史

高校情報という授業は実は2003年高校入学した生徒から必修科目となっている(正確には必履修科目)。ということで教科が出来てからもう20年近くになる。

商業高校工業高校は別として、全ての普通科で必修の教科が「ドーン」と爆誕したのがその年だったのだが、文科省の失政を今の今まで引きずっていたのだった。

それまでにない教科(情報処理に類する科目は無かったわけじゃないが)が誕生するということは、教える人が新たに必要となるということである

教員免許区分も新たに誕生するということである

それが全国何千校の普通科高校で急に始まるのである。まあ、時代必要だったのでそれはしょうがないと思うが。

大学教員養成課程で、一気に何千人も情報教員を輩出できるわけではないので、現職の教員に講習を行って新たな免許を持たせることにした。

まずは意識高い教員に、現職講習の講師役となるための研修を行い、育成された講師たちが各都道府県で現職教員にたった15日間の講習で「教科情報をもう教えられるよ」ということにした。

すごい促成栽培である豆苗2世代収穫みたいな。

しか希望した受講者だけ目標ノルマ人数にとても足りず(講習を受けられる教科に縛りを付けた失策があり、そもそも希望しているのに受けられなかった教員もいる)、各学校肩たたきのように希望しなくても免許を取りに活かされた数学理科家庭科教員が多数いるというわけである

これを時限的な教員免許とすれば、大学情報教員免許をとった新しい教員がどんどん入ってきたのだが、いかんせん恒久的な免許だったのだ。

あと教員免許更新があるじゃないかと思われるかもしれないが、免許更新はどの教科で更新するとかはなくて、文科省が認めている免許更新の講座だったら何の教科の内容でもいいし、生徒指導でもレクリエーション論でも何でもアリなのだ。一気に全部の免許有効期限が延びる仕組みである

情報処理学会は、教科情報の内容で更新講習をやってはいるが、知名度は高くないようである

そんな石器時代のような人たちが令和の時代に、「情報とは」と教えている現状があるから、それを刷新したいという文科省意図もあったような気がする。

恒久免許をいまから取り上げるわけにもいかないし、全て定年退職するまで待っていたら日本沈没するのが加速するだけである

入試科目となるにあたって

学習指導要領という教科で教える内容が決められる教育界の法律みたいなものがあって、だいたい10年に1度のペースで改訂される。

最初情報は、情報A、B、Cという科目があり、いわゆる町のパソコン教室的な内容でも教科の内容をけっこう満たしてしまものであった。

とはいえTCP/IPWWWDNSの概略や、アルゴリズム知財などの法規は当時から教科書に載っていたのであるよ。

その次の世代学習指導要領で、「社会情報」「情報科学」の2つに再編され、今の高校1年生の代まではこれを勉強している。2年後に高3で始めて習う生徒もいるかもしれないが。

今度の4月から入学生では、情報1に一本化されて、全ての高校生が共通範囲勉強している(これが大事)はずなので入試に出しても良いよね、と出来たわけである

それまではどれかだけ勉強したら卒業OKという扱いで複数科目あったので。

今年の1年生が浪人して1個下の代と一緒に国立大学を受けると、他教科の試験は移行措置で現行科目の試験が用意されるのだが、情報は今の科目での出題がないからどうするの?という問いかけが国立大協会からあった。さっきの複数科目の問題があって浪人生に強要できるのかよーという問題だったのだが、文科省入試センター強気に「社会情報情報科学か、どっちかだけでもやっていれば100点分になる問題をその年だけ新たに設置するので、無問題」という回答により、国立大学の入試必須化が正式に決まった。

情報1

情報1にはプログラミングだけではなく、問題解決の考え方、情報デザインとコミュニケーションデータサイエンスの基礎などが入っている。

ちなみに、情報2という科目もできて、数学みたいに1をやったあとでなければ2を勉強できない、より高度な内容になっている。物理基礎に対する物理みたいな。

データサイエンスといえば聞こえがよいが、それよりちゃんとした統計を学ばせるのが先じゃね?と思う人も多いと思う。

実は数学1で統計の内容が必須化して10年経つのだが、10個や20個の整数を手計算計算して、分散標準偏差偏差値を出してたり、相関係数と散布図くらいしか届かない、「紙の上で鉛筆でやる意味があるのか?」という内容であるセンター試験共通テストでは奇をてらうことが難しい分野だったが、今年の共通テストやらかした。

次の学習指導要領では数学教育者と統計教育者のバトルなどがあって、それも興味深いのだが、それはまた別のお話

劇薬ではあるが、かわいい生徒たちの志望大学進学という、餌をつるされた教員たちの良心で今まできちんとした情報教育を受けることができなかったかもしれない地方高校生が報われるようになるといいと思っている。

民間企業陰謀論について

あ、あと入試改革すると、企業が儲けるために結託しているんじゃないかと思う方もいるかと思うが、情報1にからめてうちは底辺校と呼ばれる学校なのだが、プログラミング教材とかの売り込みはかなり来るし、ベネッセはすでに高校情報1のオンライン教材の売り込みをガンガンやっている。東進ハイスクール情報講師を確保しているようである

なので「教える教員がいない、地方を見捨てるのか!」となった場合は、ベネッセやら東進高校向け教材でもやらせお金解決してください。

国立大学目指す層ならば、それで到達点はいくと思うし。

2021-09-07

暗記数学が正しい Part. 1

長くなりすぎたので、概要編と実践例に分けます

本稿では、和田秀樹氏らが提唱している暗記数学というものについて述べます

受験数学方法論には「暗記数学」と「暗記数学以外」の二派があるようですが、これは暗記数学が正しいです。後者の話に耳を傾けるのは時間無駄です。

受験諸君は悪質な情報に惑わされないようにしましょう。

よくある誤解と事実

まず、読者との認識を合わせるために、暗記数学に関するよくある誤解と、それに対する事実を述べます

誤解1: 暗記数学は、公式や解法を覚える勉強法である

暗記数学は、数学知識有機的な繋がりを伴って理解するための勉強法です。公式や解法を覚える勉強法ではありません。「暗記」という語は、「ひらめき」とか「才能」などの対比として用いられているのであり、歴史年号のような丸暗記を意味するわけではありません。このことは、和田秀樹氏の著書でも繰り返し述べられています

誤解2: 受験数学は暗記数学で十分だが、大学以降の数学は暗記数学では通用しない

類似の誤解として、

などがあります。これらは事実に反します。むしろ大学理学部工学部で行わていれる数学教育は暗記数学です。実際、たとえば数学科のセミナー大学入試の口頭試問などでは、本稿で述べるような内容が非常に重視されます。また、ほとんどの数学者は暗記数学賛同しています。たまに自他共に認める「変人」がいて、そういう人が反対しているくらいです。大学教育関係者でない人が思い込みで異を唱えても、これが事実だとしか言いようがありません。

嘘だと思うならば、岩波書店から出ている「新・数学の学び方」を読んで下さい。著者のほとんどが、本稿に書いてあるように「具体例を考えること」「証明の細部をきちんと補うこと」を推奨しています。この本の著者は全員、国際的に著名な業績のある数学者です。

そもそも、暗記数学別に和田秀樹氏が最初に生み出したわけではなく、多くの教育機関で昔から行われてきたオーソドックス勉強法です。和田秀樹氏らは、その実践例のひとつ提案しているに過ぎません。

暗記数学の要点

暗記数学の要点を述べます。これらは別に数学勉強に限ったことではなく、他の科目の勉強でも、社会に出て自分の考えや調べたことを報告する上でも重要なことです。

  1. 数学重要なのは、技巧的な解法をひらめくことではなく、基礎を確実に理解することである
  2. そのためには、具体的な証明計算例を通じて学ぶことが効果である
  3. 論理ギャップや式変形の意図などの不明点は曖昧にせず、調べたり他人に聞いたりして、完全に理解すべきである

ひらめきよりも理解

一番目は、従来数学重要ものが「ひらめき」や「才能」だと思われてきたことへのアンチテーゼです。実際には、少なくとも高校数学程度であれば、特別な才能など無くとも多くの人は習得できます。そのための方法論も存在し、昔から多くの教育機関で行われています。逆に、「"才能"を伸ばす勉強法」などと謳われるもの効果があると実証されたもの存在しません。

大学入試に限って言えば、入試問題大学研究活動をする上で重要知識や考え方が身についているのかを問うているのであって、決していたずらな難問を出して「頭の柔らかさ」を試したり、「天才」を見出そうとしているわけではありません。

実例を通じて理解する

二番目はいわゆる「解法暗記」です。なぜ実例重要なのかと言えば、数学に限らず、具体的な経験と結びついていない知識理解することが極めて困難だからです。たとえば、

などを、初学者が読んで理解することは到底不可能です。数学においても、たとえば二次関数定義だけからその最大・最小値問題の解法を思いついたり、ベクトル内積定義線形性等の性質だけを習ってそれを幾何学問題に応用することは、非常に難しいです。したがって、それらの基本的概念性質が、具体的な問題の中でどのように活用されるのかを理解する必要があります

これは、将棋における定跡や手筋に似ています。駒の動かし方を覚えただけで将棋が強くなる人はまず居らず、実戦で勝つには、ルールから直ちには明らかでない駒の活用法を身につける必要があります数学において教科書を読んだばかりの段階と言うのは、将棋で言えば駒の動かし方を覚えた段階のようなものです。将棋で勝つために定跡や手筋を身につける必要があるのと同様、数学理解するためにも豊富実例を通じて概念定理の使い方を理解する必要があります。そして、将棋において初心者独自に定跡を思いつくことがほぼ不可能なのと同様、数学の初学者有益実例を見出すことも難しいです。したがって、教科書入試問題採用された教育効果の高い題材を通じて、数学概念意味や論証の仕方などを深く学ぶべきです。

そして、これは受験数学だけでなく、大学以降の数学を学ぶ際にも極めて重要なことです。特に大学以降の数学抽象的な概念が中心になるため、ほとんどの大学教員は、学生が具体的な実例を通じて理解できているかを重視します。たとえば、数学科のセミナー大学入試の口頭試問などでは、以下のような質問が頻繁になされます


不明点を曖昧にしない

教科書や解答例の記述で分からない部分は、調べたり他人に聞いたりして、完全に理解すべきです。自分理解絶対的に正しいと確信し、それに関して何を聞かれても答えられる状態にならなければいけません。

たとえば、以下のようなことは常に意識し、理解できているかどうか自問すべきです。

  1. 文中に出てくる用語記号定義を言えるか。
  2. 今、何を示そうとしているのか、そのためには何が言えれば十分なのか。
  3. 式変形をしたり、ある性質を導くために、どのような定理を使ったのか。
  4. その定理仮定は何で、本当にその条件を満たしているのか。
  5. そもそもその定理は本当に成り立つのか。自力証明できるか。
  6. どういう理屈意図でそのような操作・式変形をするのか。

ほとんどの人はまず「自分数学が分かっていない」ということを正確に認識すべきです。これは別に、「数学の非常に深い部分に精通せよ」という意味ではありません。上に書いたような「定義が何で、定理仮定結論が何で、文中の主張を導くために何の定理を使ったのか」といったごく当たり前のことを、多くの人が素通りしていると言うことです。

まず、用語記号定義が分からないのは論外です。たとえば、極大値と最大値の違いが分かっていないとか、総和記号Σ でn = 2とか3とかの場合に具体的に式を書き下せないのは、理解できていないということなのですから、調べたり他人に聞いたりする必要があります

また、本文中に直接書いていないことや、「明らか」などと書いてあることについても、どのような性質を用いて導いたのか正確に理解する必要があります。たとえば、

整数l, m, nに対して、2l = mnとする。このとき、mまたはnは2の倍数。

などと書いてあったら、これは

pが素数で、mnがpの倍数ならば、mまたはnはpの倍数。

という一般的定理を暗に使っていることを見抜けなければいけません。上の命題はpが素数でなければ成り立ちません。たとえば、l = 1, m = n = 2として、4l = mnを考えれば、mもnも4で割り切れません。他にも、

a ≡ b (mod n) ⇒ mamb (mod n)

は正しいですが、逆は一般的には成り立ちません。nとmが互いに素ならば成り立ちます。それをきちんと証明できるか。できなければ当然、調べたり他人に聞いたりする必要があります

l'Hôpitalの定理なども、もし使うのであれば、その仮定を満たしていることをきちんと確かめ必要があります

さらに、単に解法を覚えたり当て嵌めたりするのではなく、「なぜその方法で解けるのか」「どうしてそのような式変形をするのか」という原理意図理解しなければいけません。たとえば、「微分極値が求まる理屈は分からない(或いは、分からないという自覚さえない)が、極値問題からとりあえず微分してみる」というような勉強は良くありません。

そして、教科書の一節や問題の解答を理解できたと思ったら、本を見ずにそれらを再現してみます。これは「解き方を覚える」と言うことではなく、上に書いたようなことがすべて有機的な繋がりを持って理解できているかかめると言うことです。

はじめの内はスラスラとは出来ないと思います。そういう時は、覚えていない部分を思い出したり、本を見て覚え直すのではなく、以下のようなことを自分で考えてみます

  • 問題文の条件をどう使うのか
  • 何が分かれば、目的のものが求まるのか
  • どのような主張が成り立てば、ある定理を使ったり、問題文の条件を示すのに十分なのか

こういうことを十分に考えた上で本を読み直せば、ひとつひとつ定義定理、式変形などの意味が見えてきます。また、問題を解くときは答えを見る前に自分で解答を試みることが好ましいです。その方が、自分が何が分かっていて何が分かっていないのかが明確になるからです。

以上のことは、別に数学勉強に限った話ではありません。社会に出て自分の考えや調べたことを報告する時などでも同様です。たとえば、近年の労働法道路交通法改正について説明することになったとしましょう。その時、そこに出てくる用語意味が分からないとか、具体的にどういう行為違法(or合法)になったのか・罰則は何か、と言ったことが説明できなければ、責任ある仕事をしているとは見なされないでしょう。

2021-06-20

anond:20210620165648

論理的思考が出来ない人増えてきたね

今の数学教育じゃ、鍛えにくいのかなとも思ってしま

2021-02-23

anond:20210217233449

東大理科I類に入れるような奴は皆がんばれば数学研究者になれるし

応用数学コンピューターサイエンス数学教育なんかまで含めればそうかもな

2021-02-01

anond:20210201125659

というか一応「教科教育学」と言って、特定教科を「教える」ための専門分野ってのがあるんだけどなと

数学専門家教育学専門家も、「数学教育学」の専門家に比べたら準専門程度だったりしないのかな

anond:20210201124510

教育学(ペダゴジー)の場合は被教育者を脱した人間には正直あまり関係いか教育学者が何言おうとどうでもいいけど、社会学は生きてる限り直接的に自分に関わってくる可能性があるというところが違うんじゃないかな。あと、教師にあーだこーだいいたい人はめちゃくちゃたくさんいると思うけど、例えば算数数学教育だと最終的には教育学ではなく数学が引き受ける話になるから教育学はあまり関係なかったりすると思う。

2020-08-29

anond:20200829190354

国民一般中学高校)向け数学教育、教科としての数学は、

一般教養として数学の応用価値実用性(算術、数式、図形)の観点

学ぶことを重視すべきだろうけど、

ある意味それ以上に、数学形而上学として成立している生命線、

まり公理系と論証(無定義語と形式論理)そのもの存在

論理合理性の諸観点(無矛盾、完全、独立)、そして自然科学を含む

分野横断的有用性の観点を学ぶことも基本であるべき、

と思うのは私だけだろうか。

そして「直感」なるものは、

前者の観点での教程・応用では有用な「客観事実」を指すだろう。

後者観点では無用な「主観幻想」で、むしろ自由にどうぞとなる。

2020-08-27

中学高校数学にいわゆるユークリッド幾何学不要

ここでいう「ユークリッド幾何学」とは、座標空間ベクトル三角関数微分積分などの解析的手法を用いないいわゆる総合幾何学のことです(*1)。2020年8月現在高校数学カリキュラムでいえば、「数学A」の「図形の性質」に該当する分野です。

ユークリッド幾何学不要だと思う理由単純明快で、何の役にも立たないからです。大学に入って、「補助線を引いて、相似な三角形を作って~」とか「コンパスと定規による作図」みたいなパズルゲームをやることは絶対にありません(*2)。これは常識で考えても分かると思います。たとえば工学研究で、ある物体の弧長や面積などを測定しなければならないとして、ユークリッド幾何学の補助線パズル適用できる多角形や円などしか測れないのでは話になりません。一方、座標空間ベクトル三角関数微分積分などの手法一般的現象記述する上で必ず必要になります

もちろん、たとえば三角比定義するには、「三角形内角の和は180度である」とか「2角が等しい三角形は相似である」といった初等幾何学性質必要になります。そのようなものを全て廃止せよと言っているわけではありません。しかし、高校1年生で習う余弦定理:

OABに対して、|AB|^2 = |OA|^2 + |OB|^2 - 2|OA||OB|cos∠AOB

証明してしまえば、原理的にはユークリッド幾何学問題は解けます。それ以降は、ユークリッド幾何学的な手法問題設定にこだわる必要はないと思いますし、実際それで問題ありません。

現状、少なくない時間ユークリッド幾何学に費やされています数学の1単元を占めているだけではなく、その他の単元にもユークリッド幾何学の発想に影響された例や問題が多く登場します。たとえば、複素平面において4点の共円条件や垂直二等分線を求めさせる問題など。そして最も労費されているのは生徒の自習時間です。以前よりマシになったとはいえ大学入試等には技巧的な図形問題が出題されるため、受験生はその対策に多大な時間を費やしています

高校数学では以下のような事項が重要だと思いますユークリッド幾何学を学ばせている時間があったら、このような分野を優先的に修められるようにすべきです。

これらの分野は数学手法としても非常に強力ですし、大学以降で数学を学ぶ際、現実的問題数学物理問題として正確に記述する際に必ず必要になります。仮にユークリッド幾何学が何らかの場面で応用されるとしても、微分積分などと同レベル重要だと真剣に主張する人っていらっしゃるでしょうか?

ユークリッド幾何学初等教育で教えるべきだとする根拠には、大雑把に言って以下の4つがあると思います

  1. ユークリッド幾何学では証明の考え方を学ぶことができる
  2. 図形問題代数や解析の問題よりも直感的で親しみやす
  3. ユークリッド幾何学問題を解くことで「地頭」「数学直観」などが鍛えられる
  4. ユークリッド幾何学歴史的重要である

しかし、これらはいずれも正鵠を射ていません。

まず①は明らかにおかしいです。ユークリッド幾何学に限らず、数学のあらゆる命題証明されるべきものからです。高校教科書を読めば、相加平均・相乗平均の不等式、点と平面の距離公式三角関数加法定理微分ライプニッツ則や部分積分公式など、どれも証明されていますそもそも数学問題はすべて証明問題です。たとえば、関数極値問題は、単に微分が0になる点を計算するだけではなく、そこが実際に極値であるかそうでないか定義や既知の性質に基づいて示す必要があります。したがって、ユークリッド幾何学けが特に証明の考え方を学ぶのに有効だという理由はありません。

②もおかしいです。図形問題を扱うのはユークリッド幾何学だけではないからです。ベクトル微分積分でも図形問題を扱います。たとえば、三角形の5心の存在や、チェバの定理メネラウス定理などはベクトルを用いても容易に示すことができます。また言うまでもなく、曲線の接線は微分で求めることができ、面積や体積は積分で求めることができます。また、ユークリッド幾何学手法問題ごとに巧い補助線などを発見しなければいけないのに対し、解析的な手法一般方針が立てやすく汎用的です。したがって、図形問題を扱うのにユークリッド幾何学手法にこだわる理由はありません。

③は単なる個人思い込みであり、科学的な根拠はありません。そもそも数学教育の目的は「地頭」などを鍛えることではなく、「大学や実社会において必要数学素養を身につけること」のはずです。また、これも上ふたつと同様に「ユークリッド幾何学以外の数学では、『数学直観』などは鍛えられないのか」という疑問に答えられておらず、ユークリッド幾何学特別視する理由になっていません。

④もおかしいです。そもそも歴史的重要である」ことと「初等教育で教えるべき」という主張には何の関係もありません。歴史的重要ならば教えるというなら、古代バビロニアインド中国などの数学特に扱わないのはなぜでしょうか。もっと言えば、文字式や+-×÷などの算術記号が使われ始めたのでさえ、数学史的に見ればごく最近のことですが、昔はそれらを使わなかったからといって、今でもそれらを使わず数学記述するべき理由があるでしょうか。

数学重要なのはその内容であるはずです。ユークリッド幾何学擁護する論者は、「(表面的に)計算問題に見えるか、証明問題に見えるか」のようなところに価値を置いて、一方が数学教育的に有意疑だと見なしているようですが、そんな分類に意味は無いと思います

大昔は代数計算方程式の解法(に対応するもの)は作図問題帰着していたようですが、現代でそれと同様の手法を取るべき理由は全くありません。記述する内容が同じであれば、多項式や初等解析のような洗練された方法重要な結果を導きやす方法を用いればよいに決まっています数学史家は別として)。同様に、ユークリッド幾何学も、解析的な手法で解ければそれでよく、技巧的な補助線パズルなどに興じたり、公理的な方法にこだわる必要はありません。

たとえば、放物線は直線と点から距離が等しい点の軌跡として定義することもできますが、初等教育重要なのは明らかに2次関数グラフとして現れるものです。放物線を離心率や円錐の断面などを用いて導入したところで、結局やるのは二次関数の増減問題なのですから最初から2次関数グラフとして導入するのは理にかなっています数学教育の題材は「計算問題証明問題か」などではなく、このような観点で取捨選択すべきです。

三角比などを学んだあともユークリッド幾何学を教えたり、解析的な手法では煩雑になるがユークリッド幾何学範疇ではエレガントに解けるような問題を出して受験生を脅したりするのは、意味が無いと思います。それは、「掛ける数」と「掛けられる数」を区別したり、中学連立方程式を学ぶのに小学生鶴亀算を教えるのと同様に、無駄なことをしていると思います

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(*1)

現代数学では、n次元ベクトル空間R^n = Re_1⊕...⊕Re_nに

(e_i, e_j) = δ_i,j (クロネッカーデルタ)

内積定義される空間上の幾何学はすべてユークリッド幾何学に分類されます。したがって、上にあげた座標空間ベクトル微分積分、一次変換なども敢えて分類すればユークリッド幾何学です。しかし、ここではその意味でのユークリッド幾何学不要と言っているのではありません。飽くまでも、技巧的な補助線問題や、公理的な方法にこだわることが不要だと言っています

(*2)

数学科の専門課程で学ぶガロア理論では、コンパスと定規による作図可能性が論じられますが、これは「作図問題ガロア理論が応用できる」というだけであり、「ガロア理論を学ぶのに作図の知識必要」というわけではありません。

2019-06-20

anond:20190620152435

俺が見てるのは

結論

誰?

2018-09-20

またブクマカーが知ったかぶってるし

お前らって本当に知ったかぶるんだなぁ

高校行列計算方法を習ってない事が、その後の数学学習デメリットになると思うか?線形独立線形従属概念を学んで行列式が求まること、求まらない事の幾何的な意味を知り、代数法則を知り多次元行列と部分空間価値理解した上でのアフィン変換行列があっての三次元CGでのアフィン変換がある。概念理解しないで単に行列計算が出来る程度の教育なんて無価値なんだからなくなって正解なんだよ。必要人間大学線形代数をやるときに、法則と同時に演算方法原理原則理解すればいいし、逆行列計算方法を覚えればいいんだよ。固有値固有ベクトル意味理解できない半端なプログラマが増えてるのって、高校での機械的教育のせいだろうとすら思ってる。行列使って連立方程式が解けることを知ってる事が、どれだけ意味あるんだろうね?

ブクマカ機械学習がーとかAIがーとか言うけど、必要なのは線形代数II以降の話で、高校でちょろっと計算方法知ったところで無価値なんだよ。逆に線形代数をやるときに変な思い込み負債になるくらいだから無くしていいものとすら教えていて思う。教育としては線形代数統合的にやれば良いというのは間違いじゃないから、削除は改善ですらある。畳み込みのタの字すら知らんアホが機械学習を語るなって。お前らの心配なんか無駄無駄

anond:20180920074911

“単に行列計算が出来る程度の教育なんて無価値AR実装したとき行列計算必要になった。結局ネットで調べながらやったんだけど、過去に触れたことがあるという思いか心理的障壁は少なかった気がする。

結局、このレベルの話になっちゃうよね。こんな程度なら「ゲームプログラミングのための3Dグラフィックス数学」みたいなラノベ入門書)を1日読めば済む話でしかないだろう。AI研究する人たちがどうとか言う話は情報工学科で、将来的に情報幾何必要になった時にキャッチアップできる程度の数学教育をどこまでするのか?って話で、全然次元が違う話。情報工学科を選択する子供を増やすためにプログラミング教育を拡充していく過程で、3DCGの触りをやらせたいとしても、道具として座標変換程度のことをやるのに複雑な知識なんぞは一切要らないからな。だいたいライブラリから関数呼び出すだけで使える。

話は変わるが、数学ラノベなら「ゼロから学ぶ線形代数」がおススメ。あれなら誰でも理解できて、授業でやる計算方法練習より手軽に線形代数面白さを味わえる。

2018-05-09

ここ数年で数学教育評価が逆転した

数年前まで「社会に出たら微分積分なんて使わない」「四則演算で十分」とまで言われていた数学

ところがどっこい、ここ数年の人工知能プログラミングブームの影響を受けたのか評価がすっかり逆転した。

やっぱ世間評価ってアテにならないんだなー。

2017-03-06

ニッポンはもうIT大国になれない」を書いてから1年たった

http://anond.hatelabo.jp/20160228001028

あれを書いた意図ははもちろん、「ニッポンがんばれ」だ。日本ITを取り巻く状況は変わらないといけない。だからこそディスったのだ。

保育園落ちた日本死ねと書いた人もおそらく、日本もっとちゃんとしてよ!という意味で書いたのだと思う。)

ありがたいことに非常に多くの反応があり一通り全部読ませていただきました。

しかし本当に見たかった「いや、ニッポンIT大国になれる」という説得力のあるコメント記事は見つけることはできませんでした。

代表的意見を(エスパー的に)かいつまんで返信してみます

エンジニアリング視点といえば、機能を削る、過去を捨てるという視点が欠落しているケースは大抵うまくいきません。「新しい」ものを作るのに、「あれもこれも」持っていこうとすると大体破たんします。「いや、今までこういう風にやってきたから」というのが唯一の理由ならば恐らくそ機能必要ありません。妥協も当然必要なのです。

自分魔人さんには程遠い普通おっさんですが、今はアメリカBIG 5の一つでエンジニアをしています

成果を出さないといけないというストレスは強いですが、それ以外の余計なストレスは極力少なくなるように配慮されていますので、純粋にモノを作る楽しみを味わうことができています

一度は国内ITベンダー就職し嫌になってやめました。心身も壊したりもしました。(仕事けが原因ではないですが。)

純粋ソフトウェアを作って世の中に届けて対価を貰いたい(できればたくさん)、という単純な願いを日本で実現するのは難しすぎました。

製造業のコアはどんどんソフトウェアシフトしていっています大事なのは材料よりもレシピです。レシピを考案して組み立てを外注するのはまだわかります。ただ、レシピ外注するのはやめるべきです。そんな当たり前の事を口に出すと白い目で見られてしま場所幸せに働けるでしょうか?私には無理でした。

日本には輝ける「はず」のエンジニアがたくさんいるのです。(小中高での算数数学教育レベルは高い)その人たちが自分を殺して働いたり、心身を壊さないといけなかったり、国外脱出するハメになったりしているのは悲しすぎます冗談ではなく、国家的損失だと真剣に思います

あれから一年しかたっていないけど、ニッポンIT大国を目指して進んでいるだろうか?エンジニアが十分報われるようになっているだろうか?

ITベンダーは何も変わっていないでしょう。ただ、見聞きしたところだと、Web 系のスタートアップとかには優秀なエンジニアが楽しそうに仕事をしているところがあるみたいです。まだ世界を席巻するようなサービスは生まれていませんが、可能性はあると思います。(英語サービス提供することがネックになっているのかもしれません。)最近スタートアップCTOと話す機会があったのですが、日本IT産業構造問題解決するのを会社の大きな目標にしていると言っていました。オッス!オラ、ワクワクしてきたぞ!

ニッポンがんばれ。超がんばれ。

P.S.

ニッポンのココがすごい!という趣旨番組最近多いけど、ニッポンのここがダメだという番組も作ったほうがいいと思う。

自画自賛ばかりしている会社と、自社の問題点を探している会社。伸びるのはどっち?)

(追記)

なんか最後P.S.のせいでテレビ番組に関するコメントがいっぱいになってしまった・・スマン。IT業界の話がしたいんだ。

1) ところで、IT業界問題根本原因は「平等主義」「リスクを取らなすぎ」に加えて「顧客第一主義」が大きいのではないかと思う。

リスクを取りたくないので、自社製品開発よりも受注生産を選ぶ。(そうるすことで作ったけど一つも売れないということはまずない。)

顧客第一主義なので、詳しくない客の言うことにも真剣に振り回される。(もし自社製品を作って世界中顧客に届けるモデルならば、他の客を優先するという選択肢もある)

本当に革新的ものを作るには、ユーザー意見いくら集めても無理であるユーザー自分が何が欲しいかは往々にして知らないのだ。(タッチスクリーンスマホがまだなかったころ、ユーザーはそれが欲しいと知っていただろうか?)

リスクをとってユーザーを「作る」。このチャレンジを繰り返すことが革新を生み出す唯一の道だと思う。(そして銀行リスクをとってそういう会社お金を貸そうね。まる。)

2) IT大国じゃなくてもいいじゃん?みたいな意見結構多かったけど・・

石油ジャンジャンとれる資源大国とかならそれでもいいかもしれない。けどそうじゃない。だから日本資源を輸入して製品を作って輸出するという加工貿易モデルで今まで生き延びてきたのだ。

その主役は今までは製造業で、日本はその世界でもかなりのシェアを誇ってきていた。けど、製造業のコアはソフトウェアにどんどんシフトしていっている。今の世界時価総額ランキングを見てみると上位はほとんどアメリカIT企業。これが今の花形産業だ。(ひと昔前は日本企業もたくさんあった。松下とか)。今ではようやく30-40位ぐらいにやっとトヨタが入ってきているぐらい。Space X の例をブコメで書いている人がいたけど、ロケットだろうがなんだろうが最先端機器の性能はソフトウェアに大きく左右される。「ソフトウェアを作る力≒モノを作る力」になってきつつある。(実際の加工工程だって3Dプリンタ等のソフトウェア技術が大いに使われるようになってきています

しかもこのあと来るのは大幅な人口減少と老齢人口の増加。これはどうしたって避けられそうもない。それでも日本ソフトウェア業界が弱くてもいいじゃん?って言えますか??

2017-02-05

高校までの教科は日本語英語数学の3つだけにすべき

はいらない。

いらないというか、いらない場合が多い。理科にしても社会にしても、大学以降どんな勉強必要になるかは進路によって全く異なる。

日本語英語数学の3つは、ほとんどどんな進路を選んだとしても必要になる。

この三つを現状満足にできていて、さらに授業時間が余っているのなら、他の教科を教えても良いと思うが、現実には自分自身日本語力、英語力、数学力に満足している人はほとんどいない。また、他人についても、やはり満足していない。

大学では学部によっては今まで高校までに教えていたことをゼロから教えなければならないかカリキュラムの変更が必要になるだろうが、ロスにはならない。なぜなら、日本語数学英語の授業時間がそのぶん増えているから、学生基本的な読解力や理解力は高くなることが期待できるからだ。高度な日本語教育数学教育で高度な読解力と理解力を身につけた学生には、高校までのレベルの基礎知識を教えるのはたやすい。

数学英語が直接必要学部なら、ロスどころか大きな飛躍になる。

高校までの教科は日本語英語数学の3つだけにすべき。

2016-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20160920014645

世間は従来の国語教育数学教育思考力や問題解決能力

繋がらないと批判するが、基礎的な知識技能なしには

旧来の教育問題とされる学習転移すら起きない。

公教育の詰め込みのおかげで今の自分があると思っているので

自分の子どもが宿題しまくり出来るまで居残りありの公立校

通うことができて本当にラッキー

教育目標が「いきいきと学びいきいき思いを表現できる」とかの

学校に通って「将来の夢はユーチューバー」とか笑わせてくれる。

経験主義教育v.s.系統主義教育なんて20年周期で振り子のように

現れるだけなので元増田はぶれずに頑張って欲しい。

2015-08-31

初等数学教授

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/touch/20150830/1440908973

ここのブコメにあるように、中高の数学実学踏み台として教えるというのは、間違っていると思う。

なぜならば、将来の純粋数学者哲学者への教育放棄しているから。

数学というのは概念記号化、抽象化と推論規則の導入と演習として教えられるべきで、

経済学物理学プログラミングで使えるというのは抽象化真逆を行っている。

もちろん、被教育者の全員が全員純粋数学者哲学者になるわけではないので、

そうでない生徒に対するクッションとして実用例を出すというのは必要だと思う。

しかし、教育カリキュラムとしてはあくま理学的、哲学的であるべきで、

かつその抽象化や推論規則のような理学思考はどのような業務に就くとしても

必要となるものである

裏を返せば、実学での事例は、その実学範疇しか使えず、

単なる知識にしかならない。思考訓練にならない。

今の数学教育の弱いところもそこで、例えば中学幾何学

ユークリッド公理系に基づいてしっかり教えられる教師が圧倒的に少ない。

で、結局実用に逃げて論理とは何かを義務教育で教えられていない現状。

プログラミング実例出せばいいというのは、昨今の文系軽視論にも通ずるところが

あるので、はてな民くらいの教養のある人々には、

ぜひ理学哲学大事さの普及に努めてほしいと思う。

2014-03-03

コウモリ(Rlee1984)さんに反対する理由」などを読んで

まずは経緯まとめ

人気ブロガー()ちきりん氏が理科教育数学教育を語る。

http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20140225

ネット上で反響を呼ぶ。批判される。

http://d.hatena.ne.jp/locust0138/20140225/1393341659

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2014/02/post-bf0e.html

http://dennou-kurage.hatenablog.com/entry/2014/02/26/200540

コウモリ氏が問題の記事を書く。

http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905

理科教員、名乗る増田が反論

http://anond.hatelabo.jp/20140301180216

http://anond.hatelabo.jp/20140302211949

コウモリ氏、ブコメで反論

http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140302211949

「これは反論の必要もない。通塾率を見てね。→http://bit.ly/MAiSTa

←今、ここ。

以上。

***

そして、ぜんぶ読んだ感想

ちきりんさんのは、ああいう芸風だと理解しているので、

うん、はあ、そうですか……

いいこともちょっとだけ入っている(いつものこと)けど、

結論を導くための根拠がめちゃくちゃで(いつものこと)、

しかも「ちょっといいこと」は本来の本題とあまり関係ないですね(いつものこと)。

おわり。

反響・批判もいつものこと。

ただ目についたのがコウモリ記事、話題を呼んでいます

・この人はいちいちエゴサして反論する

コウモリさんに反対意見を述べている文章が増田から消される怪奇現象

という点も、特徴的。

うわー。

エゴサーチからの反論が粘質的、と。

さーっと、コウモリさんのブログを拝見したところ、かねてからコウモリさんはちきりんさんのファンのようでした。

擁護の発言が、他の記事でも目立ちます

誰が誰の信者かなんて、それだけのことならば、ネット上でのことだし、勝手にやればと思って済ませるのですが、

理科教員、名乗る増田が反論

http://anond.hatelabo.jp/20140301180216

http://anond.hatelabo.jp/20140302211949

に対する、

・これは反論の必要もない。通塾率を見てね。→http://bit.ly/MAiSTa

コウモリ発言を読んで、イラときました。

フザけんな、イミわかんねーよ。

通塾率の変遷と、低学歴層にバラバラの知識をつめこむ教育の是非は、明らかに別問題だろ。

しかも、参照されたベネッセの記事は、2007年データをもとにして2009年に書かれた古すぎる文章です。

旧課程の学習指導要領が前提にされています

また、塾業界懸念に反し、TIMSSやPISA(国際的な学力調査)の点数は2011年までに上昇しました。

この記事が描いた教育未来像は、現在実態とまったく合致していません。

もともとのコウモリ記事

http://rlee1984.hatenablog.com/entry/2014/02/27/234905

にしても、違和感があります

文章の構成がかなりつたない点は置いておくにしても、

教育用語の使い方が、あちこち不適切です。

百歩譲って間違いとは断定しないにしても、かなりアブノーマルでは。

同時に、新学習指導要領への理解も浅いように感じます

文科省、ちゃんと文書、作っているから、本当に教育論議したいならば、しっかり読んでね。

引用の仕方やマナーを知らないだけの可能性もありますが)

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/

教科書を新旧並べてじっくりご覧になるといいのだけれども、

詰め込みでもゆとりでもない知識の活用力を謳っているだけあって、

役に立っている場面を実感させるケイケンガクシュウにあたる項目も増えていますよ。

分かってないくせに、分かったようなこと書かないでほしい。

長くなりましたが、感想おわり。

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