はてなキーワード: 数学教育とは
文部科学省としてご質問に回答致しますと、全くその通りのご意見でありまして、従来の私どもの教育は場当たり的なパターン問題の処理能力の育成に偏重しており、これは高度経済成長期の工業数学重点主義が現在まで尾を引いているという背景があります。しかし時代が変わり、真の数学者を育成すべきという社会的要求も高まり、私どももそろそろ数学の英才教育および大学レベルの数学を考慮した根本的な数学カリキュラムを思案しているところであります。また、ご指摘のとおり、我が国の数学教育が北朝鮮や中国に後れをとっているのも事実であり、今後は中国の英才教育や特殊訓練などを参考にし、我が国の初等教育におきましても、従来のような欺瞞的な英才教育を廃止し、中国や北朝鮮に匹敵する英才教育を忌憚なく取り入れていく所存であります。貴重なご意見有難うございました。
まずはじめに断っておくと、私は大学の教員ではないので、こうやって愚痴を垂れることはできても、
「そうやって切り捨てないでください。やり方はあるんじゃないですか?」
に答えることは出来ないですし、答えられてもいい加減な素人考えの域を出ないですよ。
なのでもう興味ないかもしれませんが、思いがけず誠実なレスが帰ってきたので、問い掛けられた事柄に返答します。
小学生の喩えは意図を汲んでくれたようなのでそれでいいです。どう答えるべきか?ってのは簡単に結論の出る問題じゃないし、仰る通り算数教本をあたるのが最適でしょう。
例としてあげた2人の教員については、気持ちだけ解って欲しかっただけで。
常微分方程式(ODE)は大学2年次くらいで勉強するんじゃないかと思うんですけど、線形代数で習ったことが大活躍して面白いんですよ。ですから1年の線形代数の授業でもちょっと触れられたら授業面白くなるんじゃないかな、とは誰でも考えると思うんですけど、でもやっぱりそれは本来教えるべき内容を圧迫してまで詰め込むことではないんですよ。線形写像の例に微分がありますよ、ってのはどんな本でも出てくるんじゃないかと思いますが、その時にちょこっと微分方程式の雑談をするとか、それくらいが関の山でしょう、となる。でも、やっちゃった教員が居るんですよ。授業の半分か三分の一か知りませんが、とにかく授業のある程度の割合を使って、線形代数の授業でODEの授業した人が。それが一人目。(もう一つのジョルダン標準形というのは線形代数のやや発展的な内容です。)二人目はもっと過激派だと思ってください。
そういう例を知っているから、まぁやっぱり定められたカリキュラムを逸脱して「進んだ応用例」とか扱うのは難しいよね、って思っちゃうんですわ。
「大学数学教育は、不均一で落ちこぼれを量産するような体制にあって、
そのような中で、ちゃんとわかるように説明してくれと言われても、それは無理です。
私の愚痴はだいたいそんなところです。前半の部分ですけど、別に教育の体制を問題にしたつもりは無いです。出会う教員によってアタリハズレ激しすぎるのは問題かもしれませんがそういう話はしてないです。あなたの求める「俯瞰的な視点」とかを授業に全面的に盛り込むには、線形代数の先にはあらゆるものが待っているから、ちょっと説明しきれないよねってだけです。さらに「何となく分かった気にさせる」のも不誠実だと思っています(多分この点があなたの考え方と根本的に違う点かもしれません)。
ただ、講義中に少しレベルの高い話題について、教師の趣味でいいから題材をいくつか選んで雑談しておくことには価値があると思う。
(トラバ先間違えました)
ごめんなさい。
回答の部分は誤魔化してるのではなくて、
それでも、反論してみてって言うのなら、
やっぱり私は、まともに回答しませんよ。
その過程で、もしその子にとって、
小学生向けの算数教本を読むでしょうね。
そこにヒントを求めると思います。
あるいは、労を惜しまなければ小学校の先生のところに話を聞きに行くでしょう。
ただ、これは私が大人だから出来ることで、
小学生同士で、考えたら、
「算数出来るほうがお金持ちになれるんだよ」
「証拠は?」
とか、たぶんそんな感じの会話になっていたでしょうね。
これらがあなたの求める答えでないとしたら、
それは仕方ありません。
「物事の意味をその人のレベルでわかるように説明することは難しい」
ということを説明するために使いましたが、
後半の数学の話は、雰囲気もわかりませんでした。
使われていた言葉が私にとって、
「聞いたことあるし、やったことあるけどどういう意味で使ってるんだ?」
あなたとしては、
「大学数学教育は、不均一で落ちこぼれを量産するような体制にあって、
そのような中で、ちゃんとわかるように説明してくれと言われても、それは無理です。
それは数学体系の中のごく一部を、ごく限られた視点から見た物にすぎません」
という意見を。
私としては、
「そうやって切り捨てないでください。やり方はあるんじゃないですか?」
同情するよ。俺も「習ってない漢字を使うな」とか「教えてない解き方で解くな」とか、だいぶ公立小学校には迫害されたからなあ。
自分が好きで色々勝手に本を読んだり暇があったら考えたりして知ってただけのことなのに、「親の詰め込み教育の犠牲者」みたいに扱われて、本当にひどい話だよ。
あなたに足りなかったものは「自分の方法と一般的な方法が同値だと証明するための知能」です。
確かに考える事は大切ですが、もう少し頑張れば良かったですね。
違う。相手は子供だぜ?そんなことを求めるのは無理。
「証明できるかどうか」なんてのは技術的な問題。大事なのは概念を体で理解していること。
概念が体になじんでいて当たり前のように使いこなせていれば、そのうちいつでも必要なときに証明はできるようになる。一番極端な例がラマヌジャン。
大学以降、厳密性に必要以上にこだわりすぎて勉強の進度が遅れてしまう奴ってのがたまにいるんだけど、あんたみたいに「証明できなければ先に進んではいけない」という教義を子供(当時の)にまで押しつけるような人には、はっきり言ってそういう危険性感じるね。
数学で鍛えた論理力、思考力が日常生活で役立つかどうかは肯定も否定もできないな
人生はリセットできないから同じ人間が数学を学ぶことと学ばないことが同時には出来ないので比較しようがない
学んだ人が役立たないと言っても無意識的に働いているかもしれないし
文系と理系を比較しても対照実験の要件を満たしているとも言いがたい
もし数学教育を擁護するとしたら進路の幅が狭まるって所かな
数学関わらないですむ大学は私立の法学部と文学部(心理と社会学は除く)ぐらいだし
別に就職でいればいいっていう人はどっちかに進めばいいけど
数学やらずに済むことと進路の可能性が小さくなることを比べたら数学やるだろ
更に言えば何処の学部を出てもほとんどの人は数学を使わないじゃないか
って言われたら社会制度上しょうがないって反論するしかないよね
基本的によりよい大学を出てる方が、数学が出来る方がいい人材が多いと企業が考えている以上
それに文句を言って企業の自由な活動を抑制するのも変な話だから
まとまりないな
あのさー、個人の得になるなんて誰も言ってないんだよね。日本の観光資源になると言ってるだけ。
経済学者じゃないんだからそんな具体的な数値を求められても困るんだけどさ。算出する方法なんてないと思うし。観光業者にとっては内需外需含めてそれなりの利益配分になると思うんだけど。
それに、ここでは敢えて金の話だけに絞ってるけど、「古典を理解できた方が人生が楽しい」というのは決して無視できない理由だぞ。というか普通に考えたらそっちの方が大きな理由だしね。そういうのは、本人が興味を持つ前に教え込んでおかないと勉強する機会がないというのもあるからね。
カネの話するなら、数学教育をもうちょっとまともにしたほうがいいと思うがね。昔みたく高校で行列教えるようにカリキュラム組みなおせと。相当広い分野で使うんだし。
いやー、理系人間として言わせてもらうと、以前高校で教えてた程度の行列教えたって役に立たないよ。行列というか線型代数は、固有値を理解できてなければなんの意味もないものだ。
シェイクスピアはともかく、モーツァルトがいなかったらオーストリア(特にザルツブルグ)の生活水準は間違いなく一段階落ちるよ。あそこは観光立国だからね。イギリスにしてもそうだけど、没落した帝国が過去の遺産で食べるための創意工夫として古典を普及するというのはよい手段だとおもうけどな。そして、日本も人口が減る、即ち国力は低下するわけだし。
古文と漢文に力を割くぐらいなら、その分を英語か中国語、もしくは数学教育にまわしたほうが良いと思う。古文や漢文解読は専門家に任せて、一般人は現代語訳された書物を読むほうが有意義じゃない?
それから、漢文を勉強させるなら、中国語を学ばせて、中国語で漢文を読めたほうが、音の響きまで味わえるから良い。かつ、これから勃興する国である中国の言語を日本人が使えるようになるのは、なにかと便利だろう。ただ、漢文の時間を中国語学習に割くだけだと、学習時間が圧倒的に足りないけど…