2019-05-09

2.5次元舞台階段の謎

この度、刀ミュを見てあらためて、見るたびに許せない、舞台奥に大きく階段を敷いただけの、ほぼ他に何も舞台装置を使わない演出上下に動きをつけたいのはわかる。でも、碌な大道具もない照明も最低限のだだっ広い空間役者上下右往左往するだけの絵面には面白みの欠片もない。どんな場面でも、なんの変化もつけられず、身体ひとつで動き回りながら台詞をこなさなきゃならないの、役者だって酷じゃないの。舞台上に景色を描こうという意識がまるで感じられない。舞台装置美術脚本役者の演技と、どれも欠かせない芝居の要素でしょう。なんなの。

例えば、歌舞伎の話をしますけど、役者を生かすのが大道具技術だという。役者が死んでしまったら何にもならない、役者が立った舞台面が美しくなければ、芝居にはならないと。このあたりがピリッとするというところが役者役者にあると。

框にこう腰掛けた時の形、これが大事、合わないと芝居が決まらない。足先でちょっと格子を開けておもてを見る、この寸法、なんでもないようだけれど役の形にかかわる。((参考:釘町久磨次著『歌舞伎大道具師』))

鬘の位置の1ミリにまで、気を配り創意工夫を凝らして最高に役者の姿が、芝居が映える、格好良い、美しい場面を作り出すことに切磋琢磨してる。

そういうふうな仕事をしようという気はないの?もちろん、伝芸とは資本が違う。けれども、新しい演目コンスタントにかけられ、毎回客入りも良く、全国規模で催すライブビューイングはどこもチケットを売り切ることの出来るコンテンツをして舞台装置お金をかけられない訳がない。

例え話を出すまでもなく、演出家なんて職業古今東西舞台手法を学び、同業者仕事を観に行く機会も多く、いろいろと新しい演出を考えているものなのだと思う。

それでいて、ここまで階段固執するということは、企画からそうしてくれ・こうするから指定があるのかと勘繰る程。それとも、私が知らないだけで、真逆いまやこの手法スタンダードだったりするのだろうか。

この疑問に答えをお持ちの方は、是非ご教授下さい。

  • 本当に。あんなに売れてるのもあるのにねえ。 でもわからないけど、演出家の一存で美術装置に大金をかけられるわけではないんだろう。演出家がなんでも好きにやれるのなら、きっと...

    • お付き合いありがとう。 おっしゃるとおり、かなり演出に制限があるのだろうなとは感じます。 興行に決定権のある向きが、役者に対する所作指導ががっつり入ってる風で殺陣も脚本...

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