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ゆたぼん、東大刺傷事件に「勉強だけがすべてじゃない」熱弁で「説得力ある」と好評価続々(スポーツ報知)
話題の中学1年生ユーチューバー「ゆたぼん」が17日までに自身のYouTubeを更新。大学入学共通テスト会場となった東京大学の前で受験生ら3人が切り付けられ、名古屋市の17歳の男子生徒が殺人未遂容疑で現行犯逮捕された事件に言及し、思いを語った。
「俺のアンチとかも『学校行かんかったらお前の将来終わり』とかコメントしてくるけど、小学校、中学校行かんでも、自分で勉強して高校行くっていう道もあるし、高卒認定試験受けて大学に行く道もあるやん」とし、「学校だけがすべてじゃないし、勉強だけがすべてでもないねん。
生き方なんて人それぞれやから自分のやりたいことをやって楽しく進んだらいいと俺は思ってる。
と繰り返し訴えた。
備忘録なんかの意味も込めて、10年近くお世話になったネットの海に青臭い駄文を放流させて頂きます。
俺が今まで歩んできた人生は、他人からしたら微妙な人生でしょう。
人並みに反抗期になって母に手を上げ、
ネットの友達が祝ってくれるから誕生日は起きて過ごしてたけど、今回は寝てたら20歳になってた。
20歳になっても自覚や実感はないし、きっと今日もいつも通りだと思う。
今日も相変わらず授業があるし、あと10日ほどで国家試験が待ち構えてる。
ここまで生きてこれたのは引きこもっても面倒見てくれた親のお陰だけど、面と向かって言うのは小っ恥ずかしいのでネットの海に流しておきます。
俺の人生を振り返ると、人間関係を作るのは得意でも、維持するのは苦手かもしれない。
維持するのが面倒になってくると、嫌になって全部投げ出してしまいそうになる。
現に何回も作ったグループを破壊しそうになったし、最近もそうだった。
自己中で、人の前に立って自分の都合が良いように意見を言うこともあれば、適当な指導や意見を言って周りを困惑させる時もあるし。
ストレスのせいなのか、会話が聞き取れない時もある。
それでもなんやかんやでここまで生きてきた。
ここまで面倒見てくれたネットの友達には、やっぱり面と向かって言うのが恥ずかしいので感謝の気持ちをネットの海に流させて頂きます。
社会人とうまくやっていけるだろうか。
でも、俺はそれなりの準備はした。
いつも思っているけど、人間なるようになるという気持ちで就活も挑むつもり。
さて。俺は正直、ここまで半分は惰性で生きてきた。
半分は希望的観測でも、希望を持って生きてきたと言い切れない人生。
でも、16歳になった頃に気付いた。
今、学校でいじめを受けてたりする人は、学校に行かない選択肢があることも忘れちゃいけない。
ちょっと考えてみれば、いじめてくるクソみたいな奴らのために自殺するなんてバカバカしいと思うはず。
今の学校の風潮じゃ「いじめはなかった」で終わりにされて当たり前。
どんな恨み辛みが籠もった遺書を書こうとも、
親が心配してくれないなら、目の前で心の内をさらけ出せば良い。
泣いたっていいし、叫んだっていい。
大学を卒業した方が給料が上がるから、仕事をする上で大学は行く方が良い。
バイトで培った社会経験だけど、学校で学んだ90%の知識は仕事に使わない。
それなら後々仕事に役立つことをしてもいい。
パソコンが好きならMOS Excelとかの資格を取ってもいいし、
資格にこだわらなくても、食い扶持を探すことなんていくらでもできる。
いじめられて学校に行ってない人は、その分だけ他人より時間がある。
その時間だけ将来のことを悩んだって良いし、自分が将来生きていけるように頑張ってもいい。
これだけは言っておくと、大人になってから勉強するのは死ぬほど辛い。
勉強した内容が頭に入ってこない。
だから親の小言のようで申し訳ないが、学生のうちに勉強はした方が良い。
惰性でこうやって生きてきた成人男性が、そこそこ希望的観測も持てるようなくらいまで回復しました。
なので、今学校でいじめられてる人は、一度逃げてみるのも手なんじゃないかな、って思います。
ただ休んでから自分が苦労しないように、出来るだけ自分で努力すること。
と言うことで、そろそろここらで締めさせて頂きます。
■五十嵐えり
中学時代にいじめに遭う→中卒で4tトラック運転手、牛乳配達、クリーニング配達など様々な職業を経験。
24歳で高卒認定→働きながら静岡大学夜間卒→名古屋大学院卒→30歳で司法試験合格→弁護士
■佐藤こと
静岡県立浜松北高校→ダブリン大学トリニティカレッジ心理学部へ進学。
卒業後、広告代理店にて5年間営業職。障害者雇用支援事業を展開するソーシャルベンチャー「株式会社ゼネラルパートナーズ」入社し、広報室長。選挙のため求職中。
一児の母。ADHDグレーゾーン。パリテアカデミー出身でフェミニストを自称。
夫は高卒で、北区の工場で三交代勤務。マンションの頭金を選挙につぎ込んだとのこと。
■広瀬まき
京都大学経済学部卒業→三菱UFJ銀行にて約12年勤務(営業・企画業務)→アクセンチュア(外資系コンサルティング会社)を経て、独立
「ドラクエ5の花嫁は、ビアンカ以外を選んだことがなくて。フローラ選ぶとイオナズン使えるからその方がいいという人もいるけど、幼馴染を裏切るのは保守の政治家として許せない。」
■池辺愛
「ヌーブラヤッホー」のギャグでブレイク?した元モエヤン(解散)。
大阪府豊中市出身→大阪教育大学附属池田小学校→同池田中学校、同高等学校池田校舎卒業→慶應義塾大学文学部
2度の流産、乳がんを経験し、現在4歳の娘と10ヶ月の息子の母。
■山名 かなこ(生年月日記載拒否、れいわ新選組、新人、杉並区)
同志社大卒。
すべての「生きづらさ」を感じる女性が、自分たちの権利を主張できるコミュニティを目指すNPO法人“The F-Word”の代表。
「選挙に出られる25歳以上ではあります。履歴書や経歴書に、性別、年齢だったり、写真を載せることによって、その人自身というよりも、うわべと申しますか、そういうもので(社会に)判断されることに疑問を感じます。経歴には生年月日を書かない選択をしました」
報道局記者を4年、その後社会部、外報部、政治部にて取材や中継を経験。
トレンダーズ株式会社にてPRコンサルタントを勤めた後、夫の海外留学・勤務のため離職し、シンガポールにて子育て。
帰国後、「株式会社みんなのウェディング」広報や、女性のキャリアを支援する「株式会社LiB」法人営業。
2児の母。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 89 | 13258 | 149.0 | 43 |
01 | 61 | 6430 | 105.4 | 38 |
02 | 40 | 5354 | 133.9 | 63 |
03 | 18 | 3143 | 174.6 | 108 |
04 | 14 | 797 | 56.9 | 28 |
05 | 18 | 3928 | 218.2 | 66 |
06 | 43 | 4873 | 113.3 | 71 |
07 | 55 | 14859 | 270.2 | 54 |
08 | 82 | 10071 | 122.8 | 69 |
09 | 93 | 12097 | 130.1 | 69 |
10 | 171 | 15987 | 93.5 | 53 |
11 | 170 | 17404 | 102.4 | 48.5 |
12 | 151 | 12330 | 81.7 | 36 |
13 | 143 | 14453 | 101.1 | 44 |
14 | 196 | 19802 | 101.0 | 47 |
15 | 164 | 18279 | 111.5 | 45.5 |
16 | 143 | 16615 | 116.2 | 57 |
17 | 167 | 21763 | 130.3 | 58 |
18 | 165 | 16513 | 100.1 | 56 |
19 | 164 | 20604 | 125.6 | 35.5 |
20 | 162 | 14226 | 87.8 | 34.5 |
21 | 205 | 28955 | 141.2 | 45 |
22 | 167 | 14618 | 87.5 | 45 |
23 | 110 | 9878 | 89.8 | 34.5 |
1日 | 2791 | 316237 | 113.3 | 47 |
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ちなみにK-POPですが、とくに男子は高校くらいは出ていて、なんでかというと高卒以上じゃないと兵役に行けなくて、兵役行かないのは世間的にNGだからです。
大手事務所のSMEに昔いた男子アイドルが帰国子女でインターナショナルスクールか何かの卒業歴が高卒扱いにならずわざわざ高卒認定か何か受けて兵役に行った件は有名。
そろそろ時間も経ち、特定もされないと思うので書かせてもらう。
男性アイドルと女性アイドル、両方の舞台演出とかマネージャーとかをやっていた。
だが、俺が覚ましたいのは、お前達ファンの頭だ。しかと聞いて欲しい。頼む。
推しが頑張っていれば自分も頑張れる、推しが幸せなら、この世界が暗いものでも頑張って生きていける。
と、そんなところだろ?実に素晴らしいな。『推しがいれば世はこともなし』、なんだよな。
アイドルがライブをして、ちょっといいことを言って泣けばお前達は、日頃のストレスを忘れられるってわけだ。
そんなお前達を今回ぶん殴るテーマはこれだ。
アイドルの仕事ってのは、事実大変だ。歌って踊ってトークもしなきゃいけない。
最近は特に配信が大変だ。言っていい事悪い事を覚えて、ファンの顔も覚えてひたすらみんな食いつなごうと必死だ。
若い人間が、歌の練習をして、踊りの練習をして、配信をして、何が削れると思う?
なあ、掛け算もできないし、小学生レベルの漢字も書けないようなやつが本気でゴロゴロいるんだぜ?
これは真面目な話だ。
(勿論一部、勉強もできるアイドルはいるが、本当に一部だ。そこに噛みついてくるなよ)
どこかの小学生革命家が言っていたが、人間はコミュニケーション能力があれば、どうとでもなるってのも一面的な正解だ。
掛け算も漢字も、スマホがあればできるし、俺達高学歴の人間がいくらでもアイドルの代わりに書類だって処理する。
でも、それは周りに支えてくれる人がいればの話だ。学校行かない系で稼いでる小学生なんざ、家族ぐるみだから、かなりマシな方だ。
ごく一部だよ。残れるのは。ちなみに俺がよく見るパターンはアイドル→マネのルート。これも実は色々罠があるがテーマから逸れるから別の機会に書く。
なあ、芸能界を引退して、いい歳して、かけ算も出来ないような人間が急に世界に投げ出された時、面倒を見る人間がいるのか?
顔もそこそこ良くて芸能界に繋がりがある、学のない無職って、誰が利用したがると思う?
悪い大人達の最高のカモだよ。いくらでも騙せるよ。だって1人じゃ書類も読めねえんだからな。笑えるだろ。
必死に歌って、必死に踊って、アイドルの活動に対して努力している人間がお前達、好きだろう?
優れたパフォーマンスが好きだろう?
お前達が『頑張っている人間を推す』から、そういう学のないアイドルが量産されるんだよ。
こんな長い文章、真面目に全部読まなくていい。
以下の一文だけ覚えていけ。
多くの場合、お前達の推し活が作り上げるのは、かけ算もできない、自分の名前も漢字で書けない、歌って踊れる学習障害者だ。
性質が悪いことに、アイドル時代にチヤホヤされるものだから、やつら、承認欲求をこじらせる。
なあ、そんな人間が、この世界に放流されて、幸せに生きられると思うか?
「契約書の漢字が読めないから読んで!」「1.2倍の意味がわからないからちょっと見て!」とか真面目に相談してくる人間がどこに向かうと思う?
お前達が考えるよりも、ずっと悪い方向に向かっていくよ。
お前達が推した結果がそれだ。
お前達はアイドルの未来を自分のストレス発散のために消費しているということを強く自覚しろ。
アイドルの両親にクソみたいに怒鳴られた経験が俺はいくらでもあるよ。
なあ、首に縄の後が残った元アイドルの死体を見た時、俺はご両親になんて声をかけたら良かったと思う?
お前達には関係のない話か?お前達は、ただ商品を買っただけか?何でお前達は、推しの葬式にこなかったんだ?
なあ、誰が悪いんだ?
俺達が全て悪いと言うか?芸能界なんてなければいいと?体質を改善すればいいじゃんと簡単に言うつもりか?
それがどれだけ難しいことか、推しに救いを求めているお前達ならわかるんじゃないか?
逆に俺達が、歳をくったアイドルが高卒認定を取りたいって言って、勉強に付き合ってやらんような、血も涙もない人間の集いとでも?
輝かしい面もあるよ。普通の勉強だけしてる人間が稼げないような額を稼ぐ人間もいるよ。そりゃ。
お前達は現代のアイドルのシステムっていう大犯罪の、片棒を担いでいる人間なんだよ。
そんな業界が嫌だし、お前達ファンが嫌だし、それを「推し活です」なんて言ってる最近の風潮が嫌で、俺は芸能界から離れることにした。
一番頼りになったのは、芸能界に顔が効くことでも、マスコミの人間の名刺を持っていることでもなかったよ。
しっかりとした学歴で、しっかり働いていたこと。それが再就職で一番、役に立ったよ。要はまとも、普通の人間だと見てもらえたから、足を洗えた。
最後にもう一度書いてやる。
多くの場合、お前達の推し活が作り上げるのは、かけ算もできない、自分の名前も漢字で書けない、歌って踊れる学習障害者だ。
胸に刻んで生きていけ。
普段、文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。
解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。
今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。
かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢で独りよがりな子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。
少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。
・少し裕福な家庭で育った
・きょうだいの一番上
なお、家族の名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。
家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである。
ここについては語るとキリがないので割愛。
中学、高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。
学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。
朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康極まりない毎日を過ごしていた。
出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。
あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問の先生と友人には本当に感謝している。
同級生が引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。
この時期、何度か心療内科とカウンセリングに通っていた。親がドクターやカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。
心療内科のドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症で診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。
当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校の部活の顧問の先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。
教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。
高卒の資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。
その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験に合格する……といった算段だったのだが、志望校はセンター試験できわどいライン。
二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。
予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。
予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。
人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。
中学生の頃からの身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。
朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学や高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。
意識ははっきりしている。右手で携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。
痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。
起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。
呆れた顔をされたが、微妙な理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。
それから一週間ほど後、今度は予備校で自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来に直行した。
身体症状が出ていたので、最初に外科の検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査に時間がかかった)、最終的に精神科となった。
どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり。
入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。
退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。
入院中に、精神科の先生から小さいころの話を尋ねられた。心療内科やカウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。
それをふまえて、「一度別の病院で心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害のテストじゃない。
精神科の先生曰く、「まだ脳の病気の可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。
ここで診察をしてもらった精神科の先生が、その後7,8年の間お世話になる人である。
心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。
この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。
結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃から親からの風当たりが更に強くなった気がする。
心理テストは小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。
空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。
結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフがギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)
色々と話が逸れた。
・うつ病
脳の検査や心理テストやカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。
発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。
解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。
とりあえず受験が第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。
無理が祟ってうつが悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。
教育実習を控えた直前のことだったので、担当の教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。
余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事なことなんだけどね。
いかんせんマイナーな例なので、免許センターの警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。
解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症、解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。
高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。
よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。
診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。
遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。
過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)
過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまうものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたことなのだろうなぁ。
うつも寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。
ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。
また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。
では、これにて。
ほぼタイトルがすべてなのだが、10年ちょっと前の日記を見つけたので書きたくなった。
年度初めに移動してきた教師の一人だった。
最初の授業は滞りなく進んだと思う(最初からヤバければ違う印象だっただろう)。
次の日、数学の時間初めに怒鳴られることには、「昨日の授業から誰も質問に来なかった。前の学校では放課後や朝方に生徒が並んでいた」のだそうだ。
母校は当時さほど質問が活発なところではなかった。特に放課後に関しては部活が強制な学校なこともあり、宿題なり自主学習は家に帰ってから、という認識だった。
朝といえば、4月初めは下手をすると雪寄せを終えてから登校する生徒もいた(*1)。
現在どうかはわからないが、バリバリ進学のため勉強する、という空気もない(*2)。
自分の周りだけがそうだったのかは知らないが、そんなわけで誰も質問に行かなかったのだろう(まあ年度始めの授業一発目でそれほどつまずく箇所があっても困る)。
クラスメイトは途方に暮れ、どうやって職員室から彼を連れ戻すかの相談後、説得を重ねどうにか第2回目の授業始めさせた。質問に行く生徒はいなかったが、授業の放棄までされると困るのである。
問題集の中で一つ質問に行く問題を決めて、朝の短い時間で解説を済ませてもらえるように最後の最後で躓いたような計算履歴を装うのだ。
これならいいんじゃないか、と思った問題を皆で解いてたら「解けちゃった…」となり何度か”間違え直し”をしたのを覚えている。今思えば無用な労力だった。
クラス担任や学年主任にも相談はしたはずで、しかしそれほど効果はなかった気がする。
数学教師は苛立つとまず3色ボールペンやチョークを黒板にぶつけ始め、やがて教室を出ていく。質問に行かないかもしれないが、義務教育の内容は全うしたい生徒が追いかける。嫌いな教科ではないはずなのに憂鬱な時間だった。
PTAの力が弱いせいで県内の問題教師の掃き溜めになっているのだ、という噂もある中学校だった。従順でない男子を糾弾するために女子に意見させるが、男子と距離が近い女子生徒は発言の順番を飛ばすような学年主任もいた(この件に関しては後に親に謝罪があったらしい)(当人への謝罪はなかったようだ)。
どうにか1年を耐えきり自分は卒業したが、あの数学教師は今も母校にいるのだろうか。
*1. 年初というと春の印象だが、雪国のど田舎だったためまだ冬の開けきらない頃だった。5月の運動会のため、陽の当たらない校舎裏の雪を溶かしに行った記憶がある
*2. 5科目の実力テストで大体何点ならこの高校、とほぼ受験期前に(教師の間で?)決まっていた。自分は偏差値という概念が実用されているのを高校で知った。それまでドラマやコミックでふんわり出てくる単語程度の認識だった。高校がほぼ決まっている、というのは楽でもあるが、進学させたい教師VS(家業のためもあり)農業科/商業科に行って早くから働き始めたい生徒、のような言い合いも起こる。自分は商業科に行きたかったがレスバに負けて田舎によくあるエセ進学校に行った。結局空気が合わず高卒認定→商業系大学のルートを辿ったのでもっと粘ればよかったなと思っている。
こないだまであれくらいの年齢だったな〜とJKをみて思ったら,溜まっていた鬱憤があふれちゃったので
だれにもいったことはなかったな。言ってもなんもならんし,可哀想ぶってるとかいわれたら死んじゃうし,悲しくなるから
義務教育にすら支障が出るほどのご家庭の事情があったため,もちろん中卒で
勉強が好きで高校はいかせてやりたいとおばあちゃんが言ってくれたので勉強を頑張り志望校に合格したのだが
きっと,世の中には私よりひどいひとがいて,そういう人でも上手く立ち回ったんだろうなっておもうけど
わたしはアホでビビりで,おかねがなくなって親みたいになりたくなかったし
親の子なのでわたしも上手く立ち回れないとおもい,安全策をとった。
まあそんなこんなでコロナもあり,今のままアパレルにいいても怖いので,事務職に転職したりいろいろしたのだが
(情強なので,PCスキルアピールしたら中卒でもふつうに派遣で入れた。情強でよかった。)
お金も溜まっていたし,コロナを機に掛け持ちバイトは一切やめて二ヶ月の自宅待機でいっきに勉強して高卒認定試験をうけた。
なにせ普通に朝から18時まで働く身なので,フルに勉強できない。
なんか,たぶん私がうまくやれてないだけで
もっと大変な人もいると思う,でも,わたしは無理,キッツって思ってる,
ふつうだったら,ふつうだったら,って呪いのように,言ってしまう。
スヌーピーも,配られたカードで勝負するっきゃないって言ってた。これは,変えられない事実だ。
私よりつらいひと,過酷な人はいる,そういう人でも成功している,ってわかってる
わかってるけど,うるせえ,普通に生きてえんだ,っておもう
無理なんだ,なんで人と違う努力を,人よりハンデが大きいんだよって思う。
きっと,その”私より過酷な環境にいたひとたち”も,そうおもっただろうな,
親はこどもの面倒をさいごまでみるべきであって 脛をかじらせるくらいが,ちょうどいい
っておもっている。
きょう,春季講習にいって,いつのまにか歳がずいぶん離れていたJKたちをみて,おもった。
HPがピンチになったら。行ったら回復してくれるマサラタウンの実家は,わたしにはない。
HP0になって,めのまえが まっくらになって おしまい!になるだけだ。
そもそも,中卒コンプを拗らせている理由だが,思い返してもつrrrっらってなる。
前期受験でうかったので一悶着する時間はあったのだがなにせ時すでに遅し,奨学金すら申し込めず
あ◯なが育英会等も「死亡したことが証明できないと無理です」とのことで
なんとか行かせてやりたいと頑張ってくれていた先生も諦め,合格を辞退して就職する方向になったな
おばあちゃんはひとりでは生きていけないんで(そりゃそうだ)叔母が,実家に来てくれた
クソ田舎の地元のハロワに,先生たちと一緒に連れられていったら
ハロワのひとに「そんな前例(中学卒業してすぐ働く)はないので,無理だと思います」と言われた。
まあそうだよな。今なら,まあしゃーないと思えるけど
卒業式当日,高校いかないということを隠して,それにひとりだけケータイ持ってなくて,「なんで?親にかってもらえばいいやん!」という
無邪気な返答に心砕かれていたじぶんは,とんでもないお先真っ暗感に打ちひしがれ,地元の湖を目の前に泣いていた。
しょうじき当時のじぶんはかなり可哀想である。神様,なんとかしてやってくれ。
地元のごはんやさんと学校とツテがあったらしく,「力になれないか」と言ってくださって
そこで無事働かせてもらえることになった。ほんとうに嬉しかった。
4月1日から働く。友達は,みんな制服だった。いっぽうわたしは黒いエプロンでおばちゃんたちに囲まれ働く。
時給は800円,それが高いのか安いのかすらわからなかったけど,1日8時間働かせていただけるし,社会保険も入れていただけた。
当時はなぜ保険だけに3万も引かれなければならないのかと怒っていたけど,今思うとすgggっごくありがたいことだなあとおもう
どうしても勉強がしたかった私は,通信制高校とか,定時制高校とかを探していた。
なんとか働きながらいけないかと,地元の定時制高校に見学に行ったりしていた。
それをみた叔母は,「行けるわけないだろ,一人で生きれるようになってからやってくれ」というのだ。
16歳目前のクソガキは,なぜ,とただ打ちひしがれていた。
家には,月4万円払っていた。家のご飯は,まかないがあったので食べていなかったし,申し訳なくて食べなかった。
今ならわかる,「クソみたいな姉がのこしてった赤の他人のクソガキ」が,生活もままならないのに学校に行きたいと言い出したらどう思うだろう。
いや,まず出ていけやと思うと思う。
でもクソガキは,それがわからない。なので,なんとかできる,なんとかやるんやと思い込み,16になり自分で携帯が契約できるようになったので
だけど叔母は,認めてくれなかった。
当たり前である。
精神的にすり減っていく毎日,高卒認定試験のことも頭にはあったが,お金がないとなにも始まらないということを知ったわたしは
とにかく働いた。
18になる直前に,わたしはご飯屋さんを卒業し一人暮らしを始めた。
なぜその前から一人暮らしをしなかったかというと,保証人になってくれる人がいなかったので(嫌だと言われました,しかたないね)
保証人がいらない年齢まで待ちました。
学校に行けるぞ,と思っていたのだが
なんか,生命の危機を感じたので,これは学校なんていけねえぞと思った。
夢だったアパレル店員になり,掛け持ちバイトをしながら日々せこせこ働いたな。
色々あったけど,なにをいいたいのか忘れてしまった。
さっき帰宅して,大泣きして,よくわからずキーボードを叩いた。
自分可哀想やな,って思ったらちょっと楽になりました。強気で生きていきたい。
さいきん,自分の思想?に疑問を抱く,保身に走る表現が多い気がする。
もっと堂々と生きたいし がんばったらがんばった,褒められたい!って自己表現したいし
つらかったらつらい!!たすけて!っていいたいかも。自分のこと,大好きかよって思われても,いい
あ,また言ってしまいました 思われてもいいんじゃなく,いや私は私が何より一番大事です。
つらいの嫌いです。甘えだ!!とかうっせーぼけ うんちなめてろ。
スカートは履きたいなと思って書いたので意味を持ちません。さーせん。
追追記
落ちたら情報系の専門学校で2年やって就職か編入学を狙ってます。
コンピュータとインターネットが好きなのと、テクノロジーを勉強するだけで一生を過ごせると思ったからです。
自分は情強と豪語したのですが、情弱なので(どっち?)独学では学べない部分もあると思い、学問として数学や物理を1から全て教えてもらいたいと思い、大学を目指すことを決意しました。
大学で4年間教えて貰えさえすれば、あとは自分で発展させていく自信がまあほんの少しだけあるので、大学に行くことは有用だと思ってます
仕事はそんなに考えてないけど、生活出来ればいいかなぁ…仕事については高みを目指してはいないです。まあコンピュータに関われて、私生活がそれなりに楽しくなれればいいかなぁ ファッションも好きだし。
中卒で色々やってきて、半ば自暴自棄のように「ここまで来たなら好き勝手するぞ!!」という気持ちです。
独学でもできることは重々承知ですが、やるには時間がかかりすぎること、そして自己完結してしまうことがネックだと私の場合考えてしまいます。楽しいですが…
コンピュータは深くて本当に面白いです。とっても楽しい。今頑張れば、色んな人の刺激を受けられる場所にいけると思うと頑張ることも楽しくて仕方ないです。落ちたらつらいな…
研究室とか入ってみたいなぁ
クソド田舎なので、実務経験ある人しか雇ってくれないんすよね。なんかいも求人は探しましたが…
都会に出るのは、地元に恋人も居るので出たくないです。地元Love。
めちゃくちゃわかります。
自分は、やりたいことがやれない場面において
「大学が全てじゃない、学歴が全てじゃない」と自分に言い聞かせてきて色々を落ち込まないように、頑張れるようにやってきた時がありました
でも、実際わたしのやりたいこと、、?やりたいことというか、知りたいこと、知りたいことだな
知りたいことは無限で、まず学校で学びたいということで大学を選びました。
専門の名前を出したのは妥協しすぎってのは自覚してます、ほんとは嫌だ。まあ専門いくなら1年浪人するか独学で貫くかかなぁ
まずは落ちないように頑張ります
色々なアドバイス、ほんとうにありがとうございました。本当にほんとうに、心の支えになりました。
インターネットに愚痴をこぼしてしまって後悔してたけど、撤回します。こぼして良かった。
つぎインターネットで何かを公開するときは、生み出した成果を公開出来るといいな
追追追記
句読点、大泣きしながらmacをバチバチ叩いてたらカンマのままだしてしまいました。
頂きもののmacなので最初からカンマだったんだけど、治し方がわからないというかめんどくて治してないです
小さい頃から家にいたくなかったので、図書館に入り浸ってました。何でも読んでた。
あと人に質問するのが苦手なので(こわいから)自分でなんでも調べたりそっから余計なこと調べたり、雑学で雪だるまのようになった気がします
「通信制高校」に通ったのに「高卒認定試験」を受けたのか。通信制の大学入学サポート校を高校と勘違いした? 少し不自然な気がする。
「頭も要領も悪い」兄が、地元専門学校から関東の理容室に就職し独立するように親は支援したのか? それとも関東の専門学校に進学させたのか?
就職したての理容師は薄給だが、独立はできていたのか。親の支援は必要なかったのか。
その後、国立とは言え地元を離れて「私」も大学進学をしさらに現在は大学院にまで進学しているようだが、「田舎の何もない町で貧しい家で育った私と兄」という設定の割に、理解もありお金に余裕もある親に見えるがそれはどうなのか?
「田舎の何もない町で貧しい」親で「仕事柄精神疾患に理解がある」という設定もよく分からないのだが、一体何の仕事をしている設定なのか。そして、現在まだ職についているわけでもなく、これから就職活動をする身で、まだ現役で働いて養ってもらっている親の死後の兄の身の上を心配している、という設定もよく分からないのだが、まず自分がそれなりにしっかり稼げる職に就けるかどうかを心配する方が自然なのではないか?
私には発達障害を抱える兄がいる。
昔から頭も要領も悪い兄だったが、高校を中退した後、通信高校に入り直し、高卒認定試験に合格し、専門学校へ行き、資格も取り、関東で美容師になった。
元々仲が良い兄弟というわけでもなかったが、美容師になってからは薄給かつ多忙ながらも、自立した生活を送っている兄を私は少なからず尊敬していた。
田舎の何もない町で貧しい家で育った私も兄も、小中学校ともにイジメ抜かれていたが、私は兄のような人生を歩みたくなかったため、勉強だけはちゃんと取り組み、国立理系の大学に進学した。
兄の様子がおかしいことに気が付いたのは去年のこの時期のことだった。
どうも地元に戻ってきたらしいが、どうやら仕事をしている様子もない。
家族に兄のことを尋ねると、兄が発達障害と鬱になったと返事が返ってきた。
職場でのミスが度重なり、怒られてばかりの生活で精神的に参ってしまったらしい。
親は職業柄、精神疾患に理解がある人間であり、私も兄にとやかく言うような態度はずっと避けていたが、兄は発言も挙動も不自然であり、コミュニケーションを取りにくいため、この頃から兄との距離感が掴めなくなってしまった。
兄は兄で状況を改善したいようなのだが、部屋は自己啓発本で溢れており、ネットで聞きかじった知識を引っ提げて話しかけてくるため、そんな兄を情けなく思っていた。
そんな兄の鬱も春先には回復し、地元で働き口を見つけたが、職場の人間関係の悪化を理由に、数か月足らずで辞めてしまった。
夏に帰省した際は、千円カットの店で働き始めたと聞き、また美容師として働いていることに一安心したが、この年末年始に帰省した際は、また職場での人間関係の悪化により美容師を辞めてしまっていた。
現在、兄は朝五時から十時の早朝の間、スーパーの品出しの仕事をしているのだが、職場までの移動手段がないため、朝は親に送ってもらっている。暗い雪道を車で走らなければいけない親の苦労もなかなかのものである。それでいて、短時間しか働いていないため、当然稼ぎも少ない。それでも自己啓発本の数は去年よりもずっと増えたし独り言も多くなった。
大学院に進学した私は、研究活動と就職活動で忙しいことを言い訳に、兄と関わることを避け、遠巻きに兄の様子を見てきたが、とても複雑な心境になっている。
現状を抜け出せるほどの稼ぎは無く、これからさらに仕事や人間関係から逃げた先に何があるんだろうか。親が亡くなった後はどうするんだろうか。兄が生きるために必要な他者の負担はどこから発生するんだろうか。どうして兄のことでこんなに悩まないといけないんだろうか。いろいろなことを考えてしまう。
偉そうにつらつらと書き連ねたが、忙しさを理由に家族の問題を全て親任せにし、文句だけは一人前なのも幼稚な話である。
しかし、兄に自分の力で自立してほしい思いもあるため、自分から関わりに行くようなことはしたくないという気持ちもある。
ただ、むやみやたらに自己啓発本を買い漁るのだけは見過ごせなかったため、ショーペンハウアーの「読書について」を渡した。
今は渡した本を読んでいる途中らしい。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1548212
ポリコレ持ち出してる人までいて
子育てにも日本の義務教育にもポリティカル・コレクトネスは何も関係ないでしょうが、シアトルまで出向いたらポリコレ棒で頭でも殴られたのか?
他もここまで極端でないにしろ勘違いしてる人が多いので書いた。
まず法令の話でいうと
ただし罰則を実行するかどうかは自治体に広範な裁量があるし、就学させる義務に違反することに刑事罰は無い。
就学させる義務は
「三大義務」と呼ばれる
でもだからといって勤労義務に違反しても刑罰ねえだろ?そういうことだよ。
頭からっぽのほうが夢は詰め込めるけど
憲法で定める「普通教育」の範囲は学校教育法で規定されており、一条校での教育に限る。
また学校教育法は憲法と違って今までに何回も改正されているから、今後改正されんじゃねーの?
なお余談だが、日本はICESCR第13条に留保をつけていて、高等教育を受ける機会均等と無償教育の漸進的導入がいまだ未実施。
ただし民主党がここに関しては留保撤回済みで 自民党でも国として一度留保撤回したものもとに戻せない(韓国ならやるかもしれんが)
だからといって出世払いという借金制度を「高等教育無償化」と言い出した自民党には呆れるばかりである。
一応注釈をつけておくとICESCRでいう高等教育は大学のことです。高校じゃないよ。
とほざいて子供に義務教育をさぼらせ、教育を施す場合に子供の学習権を保障できなくなるね、だから「全面的」な教育権を親には認めていない。
他方、国や地方団体、教師にも全面的な教育権は認めていない、それぞれに一定の権利がある、としている。
つまりは親に義務教育"相当"の教育で十分とする権限は認められていない。
なお日本語を読み慣れてない人が
「ナチス教育が義務教育相当なわけないww」とか言い出しそうだが
線引問題はこの話の本質じゃないから大多数がNGとするであろうレベルを例にしているんだぞ
どんな教育法であれ親の考える教育が子供の学習権を侵害しないとされるか、合理的な方法が立法されていない、18歳時に高等学校卒業程度認定試験に合格できりゃいいんじゃねえの?ならナチス万歳教育だって高卒認定取れるならOKになっちゃうだろ。いいのかそれで?そして繰り返すがこの点は話の肝じゃありません。
第十六条 保護者(子に対して親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。以下同じ。)は、次条に定めるところにより、子に九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
第十七条 保護者は、子の満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、満十二歳に達した日の属する学年の終わりまで、これを小学校、義務教育学校の前期課程又は特別支援学校の小学部に就学させる義務を負う
これは大事な指摘で
だが法の精神が唱えるところには足りていない
コメの中でこれが一番正しい。 子供には学習権を基にした国、教師、地方自治体、そしてなによりも親に対して自分の学習権の保障を要求する権利がある。
子供の学習権の保障は「第一義的に親」が行うことになっている、なのでまずは親に要求するのが子の通すべき筋であり、応えるのが親の義務でもある。
もちろん親からさらに地方自治体や国に要求するのも権利関係としては正しい、正しいだけで現実的な解は別だけどね
ついでに学習権の要求ができるまで学習権について深く理解し自己の尊厳を守るための意識発達が行われたならその子供は褒め上げてあげるべきだし、みんなに自慢して良いと思う。
しかしながら「子供には就学する義務は無い」程度の浅薄をほめれるやつがブクマカに多数いて、おつむが中学生と同レベルな事はかわいそうに思うが、義務教育は年齢で区切られているからもう手遅れなんで勤労と納税の義務をはたせよと思うばかりである。
http://yakanchugaku.enyujuku.com/shiryou/unescogakushuuken.pdf
この中でも謳っている通り
親の義務とは何か?就学義務なのか?と言われれば法令上はそうなる、あってる。
しかしながら、条約や法の精神が求めるところはそれでは足りていない
と謳った
第1条である。
その具体的な権利の一つとして「学習権」が子供に認められた、だからこそICESCR 第13条にはこう書かれる。
教育についての権利。教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し、人権と基本的自由の尊重を強化すること。
学習権とは人間的発達のために必要なものであり、自分が唯一無二の人であること、それと同じくらいに他者も唯一無二の人である、そのように世界を認識するために必要なものだ。
BLMもそうだし男女の殴り合いもそうだが、自らの人権と相手の人権を守ることができる人間を増やすことが今、世界の抱える病魔を解決するための道だろう?そのためにも必要なものの一つが学習権なわけだ。
そして「権利」とは「環境」があってこそ初めて実質的な意味をもつ。絵に書いた餅じゃなくなる。
例えばこの世に男子校しかないのに「子女には学習権がある」なんて謳って終わりにしてたら絵餅だろ?
他の権利も全てそう、
コロナ対策で君たちには10万円受け取る権利をあげよう!ただし実施がいつかは決めていない、私の気持ち次第でそれは明日かもしれないし100年後かもしれない
とか言い出したら、なるほどボケてんのか、ってなるだろ。
ただし国内での販売は禁止するし国内での譲渡も禁止、国内での栽培も禁止、海外から持ち込むことも禁止
ってなってたらそれは実質禁止とかわらんだろ?
自由権であろうと社会権であろうと、「権利」を行使できる「環境」を整える事が「権利の保障」であり、環境を奪っておきながら「お前にも権利はある」って言っちゃう人、自分が学習権の行使できなかったんだねーって思うわ、可哀想なので哀れんであげる。
さてそういうわけで
つまり「親の義務」として日本国憲法でも義務化されているものとは法令上は確かに就学させる義務だ、
しかしながら、人類普遍の法則である人権と日本国憲法が要求する義務とは「子供が学習権を十全に行使できる環境を整える事」であり
私は「ADHDの特性」と言われている多動やら衝動やら不注意やらをビンゴしてる人です 強弱はあるけど特性自体は全部あります
なので締切超過と遅刻と忘れ物とはお友達でした ついでに人の話も聞けないし活字も読めません
結果教師からの信頼が地に落ち会う度に小言を言われるようになりました
学校以外でも締切超過で失敗し続けました
親は引きこもりへの当たりがキツいので何も言い出せずただ保健室登校をして時々学校を休んで無理矢理登校させられてとんでもなく苦しかったです
結局言い出せて精神科行って療養期間に漕ぎ着けたものの何も楽しくなかったし自殺もしかけました
自殺しかけた時にその親が「生きてるだけでいい」って言った事と療養中に自分の趣味に生きがいを見いだせた事で辛うじて生きてます
でも友達が受験して進学してる姿を見るようになりました あとやっぱり生きてるだけでは何にもならない気がしてきました
焦ったので私も高卒認定取って受験勉強して…と考え始めたのですがやって大学入学した所で同じ事の繰り返しをしてしまう可能性を考えると鬱気が酷くなりました
でもよくよく考えると私の失敗はADHDが大きい要因である事が殆どだっためそれを治せばいいのでは?と考えました
小さい頃からADHDの特性がかなり強かったから多分自分は真性のADHDなんだと思います
と考えて気づきました
私は初診の時にADHDだと自己申告してテストでもADHDと判断されたのですが、貰った薬を調べてみたらADHDの薬は一つもありませんでした
ADHDの話ははぐらかされるので言えませんでした
その病院は去年くらいに「もう来なくていいよ」と言われた境に行ってないです
ADHDは対応してる病院が少ないとは聞いてたけどここまでとは知らず
であれば他の病院にもないのでは?こんな田舎町に最近発見された病気を扱うところなんてないのでは?と思うと何も信じられなくなりました
何より治療もままならないような病院にお金を払おうとすると親が怒ります
行動取れません
物忘れが激しいのも締切守れないのも毎日遅刻するのも三日坊主なのも世間では一般なのでは?みんな努力で解決しているのでは?
もうどうしたらいいか分からなさ過ぎて毎日鬱です 助けてください
どうしたらいいんですか ADHDってなんですか
うちのは自己投影型の理想追求スタイルで、昔笑えないほど貧乏で可愛いお洋服とか買ってもらえなかった母親のピンクフリルスカートカワイイ♡を押し付ける感じ。
これも笑えないのは僕がFtMだってこと。物心ついた頃からショートカットを譲らず粗暴な言葉遣いを心がけていた(幼少期から色々あったけどここは割愛)けど、買ってこられる洋服は上記のようなフェムみ溢れるやつ。更に最悪なのは母親に騙されて(ここも割愛ね)私立の女子校に入学させられたこと。その頃はまだ性自認も曖昧だったから近所の学校に行く気の合う男友達たちと離れ離れになるのが心底嫌だった。年の近い女の子と友達として話すのが大変に苦痛だった。
地頭も良かった僕はクラス委員長やらクラブ活動の部長やらになって人望を集め、女の子を従えることで自分の中の違和感を払拭していた。男友達と馬鹿をやっていたかった。母親のアコガレに付き合って、大変な選択ミスをしてしまった。
現実と本当の精神とのギャップについていけずついになにかが壊れ、不登校になってしまった僕はネットに逃げ道を作り、長いこと引き篭もった。勿論精神科も通った。
母親の中でのギャップの方が大きかったらしく、自分が辛いうえに彼女も毎日ヒステリーを起こしていた。「そんな風に育てた覚えはない」「息子を産んだ覚えはない」何度言われたことだろうか。
書いていて過呼吸起こした。馬鹿みたいにフラッシュバックするよな。
父親は父親で、僕に就職の世話をするとか言って期待していたら反故にされたり、まぁ、他人に期待を寄せちゃいけないと教えてくれたのは両親だったな。そこは感謝しないといけない。ちなみに高校は中退して高卒認定を取った。勿論一発合格だった。
絶望に絶望を繰り返して、自立して実家を離れないとどんどん人間が腐っていくなと自覚したあとからもまた地獄だった。コントロールしたがりの親の目を盗んで生計を立てる目処をつけなきゃいけない。
幸いバイトをしろとは言われていたので何度も吐きながら過呼吸起こしながら少しずつ働いていった。最初は週に3時間とかからでもまず外に出るのがキツかった。段々増やしていって、貯金をして、引っ越し代がたまったらすぐに家を出た。それからもまた大変だったが、親の声を聞かずに1日を過ごせるというのがなにより、なによりも幸せだった。
話は変わるが父方は裕福で、母親はそれを利用している上で憎んでいた。最低だ。
祖父母が相続税がかかるものを少しずつ生前分与してくれていた物品を、僕のその引越しのドタバタの中、母親が盗んでいた。問い詰めたら換金した結果大した金にならなくて期待外れだったわとまで言った。
大切な祖父母が床に伏している中、頂いた大切なそれらがもう手元に戻ってこないことは彼らには言えていない。死ぬまで忘れない恥だと思う。一生呪っている。
私は高校を中退した人間だ。その理由というのが、勉強ができなかったからだ。
進学校に進んだものの、レベルがものすごく高くてついていけなくなった。そして鬱になった。
ここまでならよくある話だと思う。
ただ、私の場合はなんだかおかしかった。勉強に集中しようしても、全く記憶力が続かず何も頭に入らないのだ。
一時的なものでいつか治るはずだと思っていたが、高校を辞めてもぜんぜんよくならない。
高校一年の時点の単位はあり、それが使えたので、どうにか高卒認定を取った(進学校に通っていた身からすると、高卒認定のレベルは信じられないくらい低かった)。
将来に対して不安だったし、高校中退というのは学歴として心細すぎる。
ダメ元で私立の三流大学を受けた。国語だけは自信があったが、それ以外は高校受験レベルなので落ちるだろうと思っていたら、なんと受かって驚いてしまった。
もともと文学が好きで、文学について学びたかったので、大学に行けること自体はすごくうれしかった。
どうにか出席するも、ほとんど頭に入らず、その場に座っているだけでもつらい。
苦手な授業を受けたあとは、ふらふらになって保健室に寝に行った。それだけでも相当な気力を要した。
特に外国語がぜんぜんダメで、あまりに頭に入らないので教授に相談に行ったところ、感情が堰を切ってあふれだし、泣き出してしまった。
結果的に泣きつく形になったが、やはりだめなものはだめ。授業には真面目に出たが、この科目は落とした。
授業であまりにも体力を使ってしまうため、バイトなんてできなかった。
両親に対して、私立の、しかも三流の大学に行くことが申し訳なかったし、病院の精神科を受診するためにお金をもらうのも申し訳なかった。
そんなわけで、いつもお金がなかった。
大学生としてありえないくらいダサかった。女子大だったので、なおさら容姿がコンプレックスだった。
ゼミの発表会で一人目の発表を聞いて、あまりに内容がなっていないので、この人大丈夫かな……と思っていたら、次の人もその次の人も、そして最後までみんなそんな調子だったので戸惑った。みんな卒論が苦痛でしょうがないようなのも驚きだった。私は就職活動をほとんどせずに、卒論にばかり時間をかけていた。
大学を卒業したらどうすればいいのか、まったくわからなかった。バイトでさえクタクタになって続かないので、気力体力が持たないのがわかりきっていたからだ。
しかし、親戚の紹介で9時-16時まででいいという職が見つかった。もちろん恐ろしく薄給(手取り月10万くらい)だったが、やってみることにした。
すぐに、この仕事は無理だということがわかった。仕事がまるで覚えられないのである。私はこれまでの経験から、当然のように「仕事はサボるしかないな」と考えた。
これまでも、真面目に授業を受けようとしても苦痛でしょうがなくなくなってしまう時は、寝てしまうようにしていた。とにかくその場にいれば出席数だけは取れるが、退出してはそれさえ取れないからだ。
そんなわけで、いつまで経っても仕事は覚えないままだった。けれど、それが私には当たり前だったのだ。学校ではつらくてその場にいられなくなった時は保健室に行って寝ればよかったが、社会人でそれは許されないことはさすがにわかったので、自分ではそうしないように努めたつもりだった。
完全に給料泥棒だったのだが、当時の私はそんなことはぜんぜん思い当たらなかった。
ひとつには、どうしても家を出たいという目的があったのもある。
両親は私の状態に理解がなかったので、本当につらかった。どうしても家を出たかったのだ。
それには何よりお金が必要だった。会社でどれだけ無能とののしられても、お金をもらうためと思って耐えるしかなかった。
でも、それで完全にさぼり癖がついてしまった。大学ではまだ自分が勉強をしたいという意欲があったけれど、会社では私は何もできなかった。
しかし当然それでは仕事は続かず、半年勤めてその仕事はやめてしまった。その後も職を転々とするが、どこも続かない。最短では一週間で馘首になってしまった。ドラマみたいに、「来週からはもう来なくていいです」と言われたのだ。
それでもどうにかお金を貯めて、一人暮らしを始めることができた。自由は素晴らしかった。しかし、仕事は相変わらず続かない。一人の生活を続けるために、給料泥棒をし続ける日々が続いた。
転機が訪れたのは28歳の時である。友達ができたのだ。読書が縁で知り合った人と、休日に会ってランチしながら話すようになった。
それと前後して、職場で部署が異動になった。あまりにも仕事ができないので、どうしようもなく他の部署に回されたのである。
回された先の部署はたった二人、つまり私と上司しかいなかった。私はこれまでのように仕事から逃げるわけにはいかず、それと向き合うこととなる。
異動してすぐに、仕事があまりに覚えられないつらさから不眠症になってしまった。昼もひたすら眠くてしょうがなく、意識を保っているだけで精一杯である。
特につらかったのは生理の時で、たえず吐き気がするので席に座っていられない。貧血で出社するのもやっとで、正直、よくあの時期会社を辞めなかったなと思う。おそらく、そのころに友人ができていなかったら辞めていただろう。
しかし、上司はそんな私に根気強く指導してくれた。私の体調不良もほうっておいて、やれそうな仕事を振ってくれた。
その上司のおかげで、どうにか仕事は続いた。しかし、仕事ができるようになったかというとまったくそうではない。
今でも私は、自分の仕事をすべて上司に管理してもらっている。彼が急に仕事を休んだら、私は仕事ができないレベルだ。すべての仕事を上司に依存しているのである。
そんな状態は嫌だと思うのだが、しょうがないと思いながら働いている。
いちおう自分のやれることがわかってきたので、やれることは自分からやるように気を付けるようになった。わからないことは何度でも聞き、ノートにまとめた。
とにかく、自分が本当に本当に仕事ができないと認められるまでが長かった。周りに自分ほど何もわかっていない人間がいないので、わからなくてもいつかは周りの人のようにわかるようになるだろうと思ってしまうのだ。
私は今の職種が大嫌いだ。平日、朝目覚めるたびに「こんなことは間違っている」と思う。出社するたびに「どうせなら気を失いたい」と思う。
上司にはものすごく感謝している。しかし、人間的にはあまり好きになれない。
お金の心配がなくなったことは、本当にすばらしい。けれど、今も月15万以下の薄給なので、十分とは言えないのが本音だ。
仕事をサボるしかない、という罪悪感からは逃れられたが、まだまだ私の生活には理想の自立からは遠い。