うちのは自己投影型の理想追求スタイルで、昔笑えないほど貧乏で可愛いお洋服とか買ってもらえなかった母親のピンクフリルスカートカワイイ♡を押し付ける感じ。
これも笑えないのは僕がFtMだってこと。物心ついた頃からショートカットを譲らず粗暴な言葉遣いを心がけていた(幼少期から色々あったけどここは割愛)けど、買ってこられる洋服は上記のようなフェムみ溢れるやつ。更に最悪なのは母親に騙されて(ここも割愛ね)私立の女子校に入学させられたこと。その頃はまだ性自認も曖昧だったから近所の学校に行く気の合う男友達たちと離れ離れになるのが心底嫌だった。年の近い女の子と友達として話すのが大変に苦痛だった。
地頭も良かった僕はクラス委員長やらクラブ活動の部長やらになって人望を集め、女の子を従えることで自分の中の違和感を払拭していた。男友達と馬鹿をやっていたかった。母親のアコガレに付き合って、大変な選択ミスをしてしまった。
現実と本当の精神とのギャップについていけずついになにかが壊れ、不登校になってしまった僕はネットに逃げ道を作り、長いこと引き篭もった。勿論精神科も通った。
母親の中でのギャップの方が大きかったらしく、自分が辛いうえに彼女も毎日ヒステリーを起こしていた。「そんな風に育てた覚えはない」「息子を産んだ覚えはない」何度言われたことだろうか。
書いていて過呼吸起こした。馬鹿みたいにフラッシュバックするよな。
父親は父親で、僕に就職の世話をするとか言って期待していたら反故にされたり、まぁ、他人に期待を寄せちゃいけないと教えてくれたのは両親だったな。そこは感謝しないといけない。ちなみに高校は中退して高卒認定を取った。勿論一発合格だった。
絶望に絶望を繰り返して、自立して実家を離れないとどんどん人間が腐っていくなと自覚したあとからもまた地獄だった。コントロールしたがりの親の目を盗んで生計を立てる目処をつけなきゃいけない。
幸いバイトをしろとは言われていたので何度も吐きながら過呼吸起こしながら少しずつ働いていった。最初は週に3時間とかからでもまず外に出るのがキツかった。段々増やしていって、貯金をして、引っ越し代がたまったらすぐに家を出た。それからもまた大変だったが、親の声を聞かずに1日を過ごせるというのがなにより、なによりも幸せだった。
話は変わるが父方は裕福で、母親はそれを利用している上で憎んでいた。最低だ。
祖父母が相続税がかかるものを少しずつ生前分与してくれていた物品を、僕のその引越しのドタバタの中、母親が盗んでいた。問い詰めたら換金した結果大した金にならなくて期待外れだったわとまで言った。
大切な祖父母が床に伏している中、頂いた大切なそれらがもう手元に戻ってこないことは彼らには言えていない。死ぬまで忘れない恥だと思う。一生呪っている。