はてなキーワード: 部会とは
過激フェミの小川たまかですら「選択的夫婦別姓」以外の問題で安倍さんを妄想や憶測でしか批判できないという現実といつになったら向き合うのか
aquatofana 七生養護学校事件で性教育をやり玉に挙げ、日本の性教育を後退させて暗黒の25年を作ったのは安倍氏が座長を務めた「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」。女性と全ての性的少数者の敵よ
https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/keikaku/siryo/pdf/12-1-2.pdf
なかみこれですけど?
これが暗黒の25年って、どんだけ大げさなんだよはてなフェミ。
不勉強なやつが、知った知識だけで大げさに騒ぐって小学生のやることだろ。精神年齢が低すぎる。
そんなだから「オオカミ少年」扱いされてみんなから馬鹿にされるんだよ
https://diamond.jp/articles/-/264604?page=3
第二次安倍内閣では、表向きは女性活躍。もちろんバックラッシュのリーダーだった当時の考え方は根底で変わっていないでしょうけれど、表向きにはバックラッシュをガンガンやっているように見えなかった。そうすると対抗もできない。
いちゃもんつけるやりかたしか知らないから対策されて悔しいぐぬぬって言ってるだけじゃん。
https://www.transtructure.com/hrdata/20210525/
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h29/zentai/html/honpen/b1_s00_02.html
こういう取り組みとその実績については無視するのずるくない?
「安倍のことだから裏があるに違いない」って疑い続けてたら最後までボロが出なかったわけだけど、アクアトファーナは自分の妄想以外でほかに安倍さんを具体的に批判できるの?
安心してください。1つだけは明確に安倍政権を批判できるところありますよ。
1995年に、法制審議会の民法部会が中間報告を発表し、翌1996年に同審議会が選択的夫婦別姓を盛り込んだ民法改正案を答申した頃から、右派は大規模な反対運動を行い始めました。さらに、1997年に日本会議ができると、本格的に反対運動を展開しました。
2001年には日本会議に女性組織(日本女性の会)ができましたが、それは男女共同参画に反対するために作られています。同会の主な議員のメンバーが山谷えり子議員や高市早苗議員です。
家制度・天皇制・戸籍制度が脅かされることに彼らは非常に敏感です。彼らの価値観から言うと、別姓は選択だろうと何だろうと、彼らが思うところの家族・国家観にほころびが生まれるというわけです。
選択的夫婦別姓を導入する動きを今まで何度も阻止してきて、特に民主党政権時でも上程すらさせなかったのは、彼らにとってすごく誇りになっていると思います。
でも、逆に言うとこれだけなんですよ。
首相になる前はともかく、首相になってから小川たまかが具体的に安倍政権を批判できるのはこれだけ。
だからフェミニストはひたすらこの問題だけをこすり続けてきたわけだけれど。
それで過激なフェミ以外の応援が得られると思ってるのだとしたら頭おかしいってなるで。
それこそ永久に熱海の居酒屋をたたき続けてる害オタとレベル変わらん。
この一点だけで安倍たたきをずっと続けてきたから、途中からカルトみたいに思われるようになったんだよ。
ようやく統一教会という二本めの矢が手に入ったところ。
もちろん、フェミの人たちはわざとやってるわけではないかもしれないけど
結果としては、小川たまか界隈の過激フェミってやってることがカルトの存在と同じ構図になってしまっている。
①是々非々の情報を扱わず、全面的に男社会やアンチ安倍の情報だけをメンバーで共有し合い
②外部者に対して攻撃的にふるまうことを称賛し、フェミの仲間以外から孤立させ、
③承認を得られるのは同じフェミ仲間だけにすることでフェミ活動に依存させる
私は過激フェミをカルトとは言わないけど、カルトと同じ沼にはまっているのは間違いない。
取り返しがつかなくなる前にやり方変えたほうがいいんじゃないか。
でも、北原みのりといい郡司真子といい、どんどん内輪向きになっていってどんどん過激になっていって外部からの批判を受け入れなくなってしまった。
私は男性だけどフェミニストのつもりだったから、いろいろと「もっとこういう風にやっていくべきだ」ってTwitterで言い続けてきたけど
最近はこころが折れ始めてる。一部の論客が飯を食っていくための活動になってる。理想なんかとうに失われていると感じてる。
持続可能な社会を訴えてるくせに、過激フェミの活動自体が全然持続可能じゃないってお話にならないじゃん。
本当に、今のようなフェミニストの姿が、あなたの理想だったの?絶対違うよね?
いい加減一度立ち止まってこの先どうあるべきか考え直せよ。
陸上戦⾞・機動戦闘⾞(地上戦闘)
【 ウクライナの戦⾞・装甲⾞に対する戦い⽅ 】
○ 物量で勝るロシア軍に対し、ウクライナは⽶
国製の携帯型対戦⾞ミサイル「ジャベリン」等
を使⽤して激しく応戦。多くの戦⾞・装甲⾞の
破壊に成功。
○ 戦⾞や機動戦闘⾞と⽐較して、ジャベリン
は安価な装備品であり、コスト⾯において、両
者はコスト⾮対称。物量で勝る敵⽅に対抗す
るために、対戦⾞ミサイル等を活⽤することは
コストパフォーマンスを⾼める可能性。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/208/syuh/s208049.htm
三 令和四年資料十七ページにおいて、コスト面でジャベリンと戦車を比較している
ことに対し、「ジャベリン一発を敵の戦車に打ち込むのに歩兵が何人犠牲になると
思っているのか。ジャベリンと戦車の比較は意味がなく、ウクライナが戦車を要求
していることを都合よく無視している」という意見が一部国民から支持を得ていると
承知している。令和四年資料十七ページにおけるジャベリンと戦車を比較する記述は、
いざとなれば、財務省職員自ら前線に赴き敵の戦車にジャベリンを打ち込むという
決意の表れ若しくはジャベリンの使用訓練や前線に赴く義務の法制化に向けた立法府
へのメッセージと解釈してよいか。政府の見解如何。
https://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kousei/syuisyo/208/toup/t208049.pdf
三について
御指摘の資料は、御指摘のような決意等を念頭に置いて作成したものではない。
https://anond.hatelabo.jp/20220614121244
https://anond.hatelabo.jp/20220614235818
https://anond.hatelabo.jp/20220615054917
自分もこの手の記事が好きで読んでたので自分の体験を+1します。
金は基本全額出した。奢り奢られ論への基本姿勢は、自分が全額出す、1,2回押しても相手が出すと言ったら相手にも出してもらうという方針だったが、結果的に払ってもらったことはなかった。(あくまで本格交際前の段階では)
Bing キャッシュから拾ってきて deepl に突っ込んだだけ、多分名前とかに誤字がある
本家 https://www.mid.ru/ru/foreign_policy/news/1811646/
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04.05.2022 11:37
954-04-05-2022
岸田内閣は、ロシア連邦に対する誹謗中傷や直接的な脅迫などの容認しがたい暴言を用いて、前代未聞の反ロシアキャンペーンを展開している。彼女は、公人、専門家、日本のメディアのメンバーから、わが国に対する西洋的な態度にすっかり染まっていると言われる。この方針に沿って、東京は、善隣関係を解体し、ロシアの経済とわが国の国際的地位を損ねることを目的とした実際的な手段を講じているのである。
上記、日本政府による政府高官を含むロシア国民に対する個人的制裁措置に鑑み、以下の日本国民のロシア連邦への入国を無期限で禁止することを決定しました。
例のハフポスト記事で「見たくない表現に触れない権利」を主張した専門家の方.実は,昨年の東京都の男女平等参画推進総合計画では,委員として逆に批判的な発言をしていた.
(背景)東京都は「公共空間において不快な表現に接しない自由」を東京都男女平等参画推進総合計画に盛り込もうとしていたが,パブコメで表現の自由の観点からの反対意見が多く寄せされた.そのため,事務局はお詫びし文言を削除することになった.以下はその報告がなされた部会の議事録である.
東京都男女平等参画審議会 第5回男女平等参画部会 議事録より,以下抜粋(強調は筆者).
https://www.seikatubunka.metro.tokyo.lg.jp/danjo/shingikai/files/0000001567/5danjyobukai.pdf
○治部委員 ありがとうございます。
私も是枝委員と同じ趣旨だったんですけれども、ちょっと一番分からなかったのは、なぜこういう文言が入ってきたのかという、その背景ですね。それは、今、事務局からのご説明いただいたので何となく理解はできました。
それで、基本的に、行政なり国だったりの機関が表現に対して介入をするというのは憲法21条でやってはいけないということを言われていることなので、これが残っていたということ自体について、これまでの過程で憲法違反ではないかという議論がなかったのかなというのが、ちょっとすごく不思議に思います。それで、パブコメを拝見していても、その表現に対しての規制の仕方がすごく曖昧な形でなされているというところも問題で、憲法、これ学部で1年生で習えば、そういうことをしてはいけないということは習っているはずなので、別に法律家でなくても私も法学部出身なので常識として知っているようなことです。
行政が様々な公共の福祉に資するために私権の制限ということをするのですが、その中でも経済的な権利に関しては比較的制限する、徴税とかがその最たるものだと思いますけれども、一方で、表現に関しての介入というのは、できるだけ基本はやらない、やってはいけないということは割と叩き込まれることなので、そこは、多分、行政側としても結構強く認識を持っておいたほうが今後いいのではないかなと思います。
もう一つ、私のほうでちょっと懸念というのかな、議論の流れで気になったことは、もちろん性暴力的な表現ないしは過度に性的な表現というものが、目的に対して適切ではなさそうな形で使われている例というものは見受けられることがあります。それはケース・バイ・ケースで、広告主等々が判断することだと思うんですけれども、表現と現実に起きる被害・加害というものの因果関係というものが、エビデンスがあるのか。私が少なくとも様々な報道とかを見ている限り、あまり立証されていないかなというふうに思うんですけれども、その辺のところが、このような表現がなされているから、例えばDVであったり性暴力が増えるというようなエビデンスがあって、こういう表現規制のような文言があったのか、なかったのかということは、ちょっとちゃんと振り返って議論すべきことかなというふうに思います。
例えば、世の中にはサスペンスドラマとか殺人を描いたような小説とか、映画とかドラマがいっぱいあるわけですけども、それを見たから人が殺人を犯すということでは基本的にはないと思うので、そのフィクションと現実との関連等々は、これはきちんと研究もされているはずなので、そういったことを踏まえて議論をしていく必要があるのではないかなということを思いました。
私も、こういった表現があることはきちんと気づくべきであったなということを改めて反省するとともに、この文言を、たくさん反論が来たから単に修正しました、終わりですというよりも、なぜこれが入ってきてしまったのかということはきちんと検証すべきでありますし、そういうことを怠ると、男女平等政策ということそのものが市民社会からの信頼を得られなくなってしまうということを、むしろ危惧するものであります。
以上です。
行政として「見たくない表現に触れない権利」を市民に強制するのはダメだが,新聞広告など民間領域では当然に認められるべきという立場なのだろうか?
また,性犯罪と表現規制の間にエビデンスがないことも指摘しているようだが,これも行政が立法する際にはエビデンスが必要だが,民間ではエビデンスなしに規制してOKということなのだろうか?
しかも新聞って言論の自由的にかなり重要な主体だと思うのだが,それでも行政じゃないからガンガン規制すべきということなのか?
1998年2月14日、1998年度日本JC「地球市民づくり情報循環会議」、日本青年会議所建設部会、(社)旭川青年会議所(北海道、旭川JC)の幹部ら33人が、北海道旭川市駅前のホテル地下の居酒屋でハレンチな猥褻行為を目的とした「懇談会」を行なった。旭川JCメンバーと日本JC会議スタッフが「今日はバレンタインデーなので、旭川では女体盛りを用意しました」と幹部にコンパニオンを全裸にし刺身を盛り付けたパーティーを企画。その場にいた日本JC議長と副議長4人を含むメンバーらは、「一瞬「おおっ!」と驚きの声を上げ、次いで蜜にたかる蟻のように女体盛りに群がった」や「初め女の子はサングラスをかけていたが、乗ってくるとそれをはずし、脚も開いた。なかには刺身を股や乳首にくっつけてから食べる」JCメンバーもいたと週刊紙に書かれた。事件は6月になってコンパニオンしていた少女が補導され、パーティーを話したことで発覚。実はコンパニオンが未成年と判明したことで10月に議長らは旭川中央警察署で事情聴取を受けた。16歳の未成年に懇談会のために依頼した4人が逮捕された。そのうちの一人は不動産会社役員の東京JC会員(27)は売春防止法違反と北海道青少年保護育成条例違反で逮捕され、東京JCを除名処分となった。1998年11月3日と17日発売の写真週刊誌『FLASH』に「「女体盛り」逮捕犯」「あ!日本青年会議所(JC)議長のハシが乳首を!!刺身「女体盛り」ハレンチ写真」などの表紙見出しで、現場写真が2号連続で掲載された[5][6]。日本JCは「懇親会としては不適切で、反省すべきもの」という内容の見解表明をした。
1998年7月25日午後4時頃、日本青年会議所ファッション部会が神奈川県横浜市で開催された「日本JCサマーコンファレンス1998」会場で、客席100人ほどのステージにビキニ姿のコンパニオン2人が水着ショーの後、体にバスタオルを巻きつけてビキニを脱ぎオークションにかけていたとして市民団体などに苦情があった。神奈川人権センターはセクハラ問題として日本JCに対し事実調査と公表を求める申し入れ書を提出し、抗議した。後援した横浜市も事実関係の調査に乗り出し、日本JC側は事実を確認し、謝罪した[7]。
できれば2人紹介したかったが、1人に留める。
ここまでの6人は問題ない。何かあっても私が責任を取ろう。が、この2人は今でもK市で働いている。うち1人は男性で、接触当時は入庁4年目だった。
協調性がないとの評判であり、人事評価では直属の上司から「免職を促すことが相当である」とのコメントが入っていた。しかし、実際に本人と面談してみると……といったパターンの子だ。本質が見えていないのは上司の方だった。
残り1人は女性で、接触当時は入庁1年目。先に挙げたGさんと同じく直向きな職員だった。地元の新聞記事にも「期待の新人職員!」という記事が載るほどに期待されていたのだが、残念なことに、頑張りすぎてうつ病になってしまった。その後のじりじりとしたリハビリと、復活後の活躍には目を見張るものがあった。よって、この子を取り上げようと思っていた。
迷ったが、男性の方を選んだ。理由は私と同性で、気質も似ているところがあったので心の内部を覗きやすいと感じたからだ。登場人物の男女比の関係もある。仮に、E太さんとする。
私が特定任期付き職員として採用されて3年目のことだった。E太さんと話したのは。彼は入庁4年目だった。ある意味で先輩にあたる。
当時は20代後半で、福祉の部署で働いていた。といっても、ケースワーカーや自立支援、福祉事業者の審査といった類ではなく、裏方の仕事だった。直接福祉の仕事に携わることはなかったが、それでも部署全体を支えるポジションだったのは間違いない。
梅雨時のある日、彼について人事面談をしてほしいと福祉課長から依頼があった。このE太さんというのは、いわゆる問題職員という扱いだった。私は、彼のいったい何が問題だったのか、その時は理解していなかった。が、K市の問題職員リストにE太さんが名を連ねていたのは事実だ。
福祉課長によると、彼には以下のような問題点があり、人事で指導してほしいという。
・みんなと協調的な行動を取ることができない。自己中心的である。
今回は3点目で引っかかったようだ。
いろいろと調べていったが、やはり机上のデータでは見えてこない。他の福祉課の職員から聞き取った情報も総合すると、先週あった課全体の飲み会でひと悶着あったらしい。
うす暗い飲み屋の片隅に座っていたE太さんが、近くにいた福祉課長やその他先輩がいた席まで呼ばれた。「この間のことで話がある。ちょっとこっちに座れ」と言われたE太さんは、ダイレクトに断った。「行きません」と突っぱねたとのこと。それで先輩職員らと口論になって、そのうち優しめの先輩職員が彼の席に移ってきて、まあ飲みなよとお酒を注ごうとしたところ、これもまた「帰りがバイクなので」(※真偽はわからない。E太さんの嘘かもしれない)と断った。
そんな態度に憤ったほかの上司や先輩が、E太さんに詰め寄り、お酒を吞ませようとした。それでも断固とした態度のE太さんに、先輩は次第に声を荒げ、ついに係長級の職員がE太さんの首根っこを掴んだところで、「やめてください!」と彼が拒否して……市役所職員の宴席から大声が響いたものだから、近くに座っていた別のお客のグループが店員に静かにさせるよう苦情を入れるも、店側も注意ができず……翌日になって、その居酒屋で飲んでいた人が市役所に直接クレームを入れたというのが顛末になる。
福祉課長の言うことは明らかに自分寄りである。ここまでのハラスメント行為があったとは聞いていない。私がほかの係員に聞き取りをしなかったら、あやうくE太さんだけを悪者にするところだった。
彼にしても、飲み会に参加したなら、もっと仲間意識を持つ必要があった。飲み会は、「供食」の場だ。供食は仲間同士でしかしない。古今東西、自分達の敵と一緒に食事を取るなんて文化はない。一緒に食事を取るということが仲間であることの証なのだ。昔の人間というのは、そんな儀式を神聖視せざるを得ないほどには、人間や組織の生き死にが間近にある生活をしていた。
ある日の午前、窓ガラスに雨粒が叩きつける中、面談室に入ってきたE太さんはソファの前で立ち止まった。「座ってください」と私が言うと、彼はゆっくりと腰かけた。
初めに言ってしまうと、私はE太さんがそこまで悪い人間ではないとわかっていた(後述)。それで、リラックスしながら、今日は何を話すんだっけ? とバインダーに挟んだ聞取票を手に取った私は、簡単な挨拶の後、E太さんとのやり取りを始めた。
「朝ご飯は食べた?」
「はい。食べました」
「どんなものを?」
「どんなカップ麺が好き?」
「特に好みはないです」
「そうか。私も毎日そんな感じだ。おにぎりとカップ麺は合うよね」
「そうですね」
「E太さんは、バイクだっけ?」
「私は……バイクではありません」
「バイクじゃないの?」
「自転車です」
「そういう意味じゃありません」
※重ねて言うが、これまで私が記してきた会話の記録には不自然さが否めない。方言や言葉の癖など、個人情報に関わる内容を編集していることによる。
指導を目的とした人事面談というと厳しいイメージが漂うだろうが、相手が筋金入りの問題職員でなければ概ねこんなスタートを切ることが多い。信頼関係を築くためだ。
雑談が続いた後、いよいよ問題の核心のフチに触れる問いかけをしてみる。
「それで、福祉課長から聞いた件なんだけど。今回の面談のきっかけ」
「……はい」
「周りの職員のこと、どう思ってる? この人は好きとか、嫌な人とかいる?」
「特にいません」
「E太さんの態度や行動が、同じ課の職員を傷つけることがあるみたいだ。私も調べてみたけど、そう思ってる人も確かにいる。どうしてこの結果になってしまうのか、考えていることを教えてほしい」
「普通に、とは」
「正しいと思うことを言ったりやったりして、でもほかの職員からするとそうでないみたいです。嫌われるのはわかっても、でも自分がやるべきだと思うのでやっています」
思ったより早く本音を出してくれている。チャンスだ。私は、聞取票が挟んであるバインダーを机の端に裏返しに置いた。ここからのやり取りはうろ覚えだ。
「E太さん。せっかくの機会だから、腹を割って話そう。公文書には残さないから、もうこのバインダーはいらない。一対一でE太さんと話したいと思ってる。ところで、私のことは知ってるよね。ここのプロパー職員じゃないって」
「知っています。2年前にK新聞(※地元情報誌)で読みました。〇〇社の出身で、人事領域のプロだと書いてありました」
「知ってるんだね。ありがとう。でも、プロと言えるほど経験は積んでない。社会人を20年以上やっているけど、人事は6年くらいしか経験がない。ほとんど営業だった。大人の事情というやつで、プロにはほど遠くてもプロなんだと――そうアピールしないといけないことがあるんだ(ここで両者の笑い声があった)。で、話を戻すけど、E太さんはどうして今の状態を保ってるのかな。変えてみたいとは思わない?」
「キツイと感じることはありますが、これでいいと思っています」
「どういう理由で、キツくてもいいと思ってる?」
「自分のやりたいことがあります。社会人として、こういう生き方がいいって。それで、その目的から逆算して考えると、今は人間関係よりも実力がほしいんです」
申し訳ないがここまでだ。これ以上は、私の記憶からE太さんの口述を曝け出すことはしない。
簡潔に言うと、彼は仕事が一番ではないタイプだった。E太さんの人生の優先順位の中で、仕事は3番目ということだった。だから、民間から公務員に転職しようと思ったし、だから、どれだけみんなに嫌われようがどこ吹く風でやってこれたのだ。
肝心なことを述べていなかった。E太さんの仕事ぶりだ。毎年、人事課に提出される査定表で、彼は3年連続で5段階中の2を取っていた。もちろん低い数字だ。実務能力は平均3.5だったが、礼儀やマナー、人格、職務遂行姿勢などで大幅に減点を受けていた。
私が再調査したところだと、彼の査定は控えめに見ても3はあったように思える。福祉課で彼と同じくらい「人柄が悪い」と評価を受けている人間も、その多くが3を取っていた。それに彼は、年は若いが福祉課の裏方として3年以上も職場を支えてきた実績がある。
ちなみに調査方法だが、①人事権限で福祉課の共有フォルダに入ってE太さんの成果物を確認する、②E太さんの同僚を面談室に呼んで印象に残った行為や実績を聞き出す、③過去のE太さん関係の始末書を読み解く――という3通りの方法で行った。確認できた事実は以下のとおりだ。
・オフィスソフトの腕前は一流である。パワポもExcelもAccessも使いこなせる。文も読みやすい。
・プレゼンテーションの能力が高い。普段は物静かだが、かつて大都市の商工会議所で行われた各市町合同での新人職員研修会の折、K市の未来について数分間のスピーチを行い、拍手喝采をもらったとのこと。
・事業計画立案。E太さんは広告会社の出身だった。その経験を活かし、福祉課の裏方としてケースワーカーなど福祉職を支えるための各種設備・インフラを整えるための計画書を作り、それがそのまま課の予算要求に使われていた → ということは、彼の上司はその仕事振りだけは認めていたということだ。
・福祉課の職員からの苦情はあるが、市民や取引業者とのトラブルの記録はない。
・年下の職員には人気があるらしい。例えば、彼が選挙のスタッフとして従事した際、開票作業の前に事務吏員の腕章をみんな装着するらしいのだが、「安全ピンが刺さりそうなので、私の腕に腕章をつけてください」という体で、何人かの女子職員がE太さんの前に並んでいたという。尾ひれが付いているとは思うが、そういうこともあったのだろう。
私が退職するまでの数年間で、E太さんと呑みに行くことが何度かあった。まさしく意気投合であり、今回ここまで赤裸々に彼のことを書いてきたのも、彼なら笑って許してくれるだろうという甘えから来ている。
私は、彼が悪い奴ではないとわかっていた。上の面談の1年前のことだ。かなり広めの川べりで行われたK市の音楽イベントに、私と彼もスタッフとして動員されていた。ステージ発表が始まると、スタッフはみな暇そうに周辺警備をしていた。
さて。一級河川にかかる橋の袂だった。カートを押している高齢のおばあさんがE太さんに声を掛けた。私は、高いところから偶然それを眺めていた。
E太さんは、話しかけてきた老婆としばらくにこやかに話をしていた。その老婆は、さっきはE太さんの上司や、ほかの若手職員にも声をかけていた。誰もが皆、迷惑そうに会話を切り上げてどこかに去ったというのに、彼だけは、その老婆の話し相手をしていた――貴重な体験だった。こういうところに人格が滲み出るのだ。
とはいえ、このままではE太さんの株は落ち続ける一方だ。それに、職員を傷つけるような冷たい態度もよくない。社会人には、絶えず相手を不快にさせないよう振る舞う義務がある。会話をしたくなくても、そうした態度をおくびにも出さず、明るく振る舞わねばならないことだってある。わかっているのといないのとでは、社会生活に大きな差が出てしまう。
E太さんに何度も伝えた。「こんなのはもったいない。もっと仕事に打ち込んで、本気をアピールして、みんなの信頼を集めてみたら?」と伝えてみたが、なしのつぶてだった。こちらとしても、今の状態でE太さんを問題職員リストから外すことはできない。どこかの部署で重大な人間関係トラブルを起こす可能性があるからだ。私はE太さんのことが好きだけれども、それとこれとは別問題だ。
結局、私が辞める時まで、E太さんを理解する人は少なかった。孤高で、人とは交わらない。でも仕事ができて、市民や業者からの受けがいい。いろいろと惜しい職員だった。今でも彼を思い出すことがある。今度K市に遊びに行った時は、また彼を呑みに誘うつもりだ。
この章の最後に。なぜ、私は彼を好きになったのか。
『渇き』を感じたからだ。E太さんは人生に飢えている。自分がやりたいこと、どんな人間になりたいのかはっきりしているのに、叶えられずにいる。叶えられる保障もない。
でも、足掻き続けている。まるで昔の私自身を思い出すようであり、懐かしい感じが脳内からビンビンと込み上げてくる――ビールは、渇いているからおいしいのだ。いつかE太さんが大成して、そんな美味を楽しめる未来があることを祈っている。
第9回BL小説大賞に出品したせいで先月は自分の創作(出品作の直し作業)が忙し過ぎて、本を読むとかいう気分ではなく、読みかけて積んでしまったものが多かった……。
馳星周先生の作品って、少年漫画や青年漫画の二次創作でBLを覚えた人間にはヒャッホー! な、ヒリヒリとした男同士の関係性を描いたものがちらほらある。私は『生誕祭』が好きだなぁー。けどここしばらく馳作品を読んでなかったなと思い、バディものだというし面白そうだなと思って本書を手に取ったのだが……。
冒頭がすごくダルい。今まで読んだ馳作品の中でここまでダルいと思ったものはなかった。うぅ……なんだこれ。でも作者あとがきには楽しんで書いたって書いてあるんだなぁ。作者が楽しんで書いた作品駄作の法則発動か、それとも中盤から急に面白くなるのか。わからないけど、十分の一くらい読んで脱落した。
BL字書き仲間から、「柴田よしき作品はBLだよ!」と教えられて、どの作品がBLなのかわからないまま、とりあえず目に留まった本作を読み始めた。しかし、最近の私にはBL貧乏神でも憑いているのか、これもいきなりダルくてくじけそう。某BLレビューサイトのマンスリーくじも外したし、散々な気分だ。
中華BLにかぶれて中国に興味を持った私、感染症がどうかというよりかは、中国の市井の人々の暮らしぶりを知りたくて、本書を読み出した。これは興味深い。封鎖下の武漢の人々の暮らしぶりもよくわかるが、中国の一般市民の暮らしや考え方も見えてくる。ステイホームするしかないので、著者のだしてくる話題がネットの話多めなんだけれど、中国流ブラックジョークとか、漢詩のパロディーとかが興味深い。
中国といえば言論の自由のない国というイメージだけれども、それでも人々は完全に右へ倣え(いや左へ倣えかな。)している訳でもなく、動画で血気盛んに行政批判(地方自治体disくらいなら意外と大丈夫だったりするの?)や罵倒をしていたり、ユーモアを交えて上手く規制を交わしつつ本音を吐露しているようだ。
ちょっと意外だなと思ったのは、中国の人達、プライバシーを大事にしている。自由と感染症対策を天秤にかけてどっちを取るかっていう議論が出てきたりとか。また、感染症対策も大事だけれども経済を回すのも大事でしょう、とかいう意見も出たりして、完全に共産主義なのではなく、資本主義的な考えも取りれているようだった。いや、資本主義というよりは現実主義なのかな。
著者の方方先生は基本的に当局を支持し信頼していると繰り返し述べつつ、極端な思想(極左)は人々の暮らしに悪影響をおよぼすとも主張している。そしてよくネトサヨから攻撃されたりブログサイトからアカウントをブロックされている。
思い切った都市封鎖で徹底的に感染症対策をしたにも関わらず、なかなか感染者数が減らなかった武漢。本書は日記なので、リアルタイムにその状況を体験して書いている方方先生や、一般の武漢市民にはどうしてこんなに長く閉じ込められなければならないのか、分からなかったようだけれども、この翌年に俯瞰で見れる読者の私には、さもありなんと思える記述が所々にある。一般市民の多くはステイホームをしていたものの、当時の武漢にはホームレスもいれば貧民街も一部にあったらしく、それらの困窮生活者は生きる為にいつも通りの暮らしをしていたようだ。また、物資の配給に従事していた人々……多くは市の職員とボランティアだ……の感染症対策も情報不足や物資不足から万全とはいかなかったようで、それが感染拡大に影響していたのではないかと私には思える。
日本でも他山の石とすべき所は、役所というのは日常の仕事様式から、どうしてもフレキシブル対応が苦手となってしまう、という点かなと思った。こればかりは国の主義とか関係ない感じがする。全体主義・強権主義的なところのある国は感染症のような問題には強いと、外の我々には見えたけれども、現実にはそれでもかなりの苦労があったことが本書にはありありと書かれている。
……とまあ長々と書いたけれども、まだ半分ちょっとしか読んでないので、頑張って続きを読む。
BL関係ないけど。読んでみれば、一般社会から顧みられることのない、普通から脱落した女性たちの暮らしやものの考え方、世界の捉え方が書かれていて、興味深い。のばらあいこ先生の『秋山くん』『寄越す犬、めくる夜』の登場人物(こっちは主に男性だけれども、所属階層はほぼ同じだろうな)の日常とかを思い浮かべつつ読んだりとか。
性的逸脱行為を繰り返す少女が、自らの価値を「需要」のある無しで語るくだりとか、衝撃を受けた。しかし、そこまで荒れた生活を敷いられているわけでなくても、自他を使える使えないで見ている人というのは世の中にはとても多いというか、ただそこに存在することさえ許されない、役に立つのは義務であるかのような圧が社会全体にのしかかっている気はするよなあ。そういう圧が、社会の中の一番弱い人々を押し潰してしまうんだろうね。
非行や犯罪で少年院に入れられた少女達が、更生教育を受ける中でやっと自分の存在を肯定することを覚えるということ。世間的には少年院に入るなんて罰だとしか思われていないけれど、そこが人生の根幹の部分を学ぶ唯一の場所であるという人も世の中にはいて、必要な場所なんだなあ。しかし、女子少年院を出てから数年後に悲惨な姿でまた戻ってきた女性の話しは重く辛かった。せっかく自分を大切にすることを覚えても、彼女をゴミのようにしか扱わない人しかいない世界に戻っていくんだね。ネンショー出だということで……。
唐突に、紙の同人誌なんか家に一人で居られる昼間しか読む暇ないじゃん! と思って宝箱から発掘してきた。幽遊白書の同人誌、なんだけど、表紙からして誰おま。これが野火ノビタクオリティ。だが読めばなるほど蔵飛……そしてエモい。
実を言うと蔵✕飛は特に好きではないが嫌いでもなく、しかし野火ノビタ先生の作品に限っては超好きなので本を買ったという。私自身は幽白の最推しカプは男女カプなので、表向きには蔵飛読むなんて言えない。腐に媚びてんじゃねぇと陰口を言われるので。BLのカプでは仙水✕樹が好きだな。推しても誰とも喧嘩にならないし。
リアルな現場の声を吸い上げるには、全国の地方議会議員にまで党員がいることが必要じゃないかって思う。
自民党なら、どんな案件も、そういう党員が現場の声を聞いて、どこかしらの自民党〇〇部会に吸い上げられ、利害調整がなされる。
立憲民主党も国民民主党も、庶民の味方を標榜する割には、草の根での活動が圧倒的に足りない。
歴史が浅いせいなので、あと10年頑張れば違うかもしれないけど、とにかく足りない。
あと10年、一枚岩で分裂せずに地道に頑張ればなんとかなると思う。
そして、そういう組織は下部組織で頑張ればご褒美がもらえる信賞必罰がないと、下部組織は頑張らない。
しかし、そういう仕組みを作ると腐敗を生む。
そもそも、利害が対立するところで調整役、調停役として政治家が必要とされるのに、鉈をふるって利害を消滅させていくやり方だと、自ら存在意義を消滅させているのと同じ。
小さな政府志向というのは大局的には正しいところはあるので否定しない。
理解の助けになるといいけど。
接種後に死亡した人のうち因果関係が認められた人の数は 3人・・・(B)
7340万が8月末までに新型コロナワクチンを1回以上接種した人数。
接種後に死亡した人の数が 1093人・・・(C)期間:2021/2/17~2021/8/22
接種後に死亡した人の数のうち因果関係が認められた人の数は 0人・・・(D)
お前が比較しているのはBとCだ。
接種の有無にかかわらず、高齢者は若年層より死亡リスクは高いからな。Cの接種後の死者を年齢別にみると、90%が65歳以上だからな。あたりまえだけど。
Dはないと厚労省の「副反応検討部会」が言っている。疑いの強い8人を精査して、「認められない」と結論付けてる。
Cと比べたいならAのデータを持ってこい。
コミナティ筋注及びCOVID-19ワクチンモデルナ筋注 添付文書の改訂について 令和3年7月7日改訂
本剤との因果関係は不明であるが、本剤接種後に、心筋炎、心膜炎が報告されている。被接種者又はその保護者に対しては、心筋炎、心膜炎が疑われる症状(胸痛、動悸、むくみ、呼吸困難、頻呼吸等)が認められた場合には、速やかに医師の診察を受けるよう事前に知らせること。
15. その他の注意
15.1.1海外において、因果関係は不明であるが、コロナウイルス修飾ウリジンRNAワクチン(SARS-CoV-2)接種後に心筋炎、心膜炎が報告されている。報告された症例の多くは若年男性であり、特に2回目接種後数日以内に発現している。また、大多数の症例で、入院による安静臥床により症状が改善している。
https://www.mhlw.go.jp/content/10601000/000802381.pdf
新コロナワクチン接種時に渡される注意書きパンフの内容を差し替えて配布せよとの通達だが、あのパンフは何度かバージョンアップされている。
原因不明なれど接種後に心筋炎、心膜炎が発生するケースがあり、若年男子に特に集中しているからその旨説明せよとの達しだ。
この2か月前にファイザーワクチンの接種年齢が16歳から12歳に引き下げられたがその年齢域で報告されている副反応事象があるので急遽注意喚起したもんである。
ところがはてブを見ていると副反応報告の報道を見つけてはその報道機関を攻撃するような人がいる。更に所謂医クラの意見を聞きに行って「人間は一定の死亡率があるので関連性が無い」との意見を貰って安心している人もいる。これは危険な行為だ。
と言うのも、心筋炎は突然死に至る事があるが、通達中にあるとおりこれらの心筋炎は点滴を受けながらバイタルをモニタして安静にしておけば急死は免れるのが殆どなのだ。高度医療を必要としないで済む。
もう一つは心臓疾病の判り難さだ。TV等で「うっ!」と胸を抑えて倒れる描写が多いが、実際の軽微な心臓発作はそうじゃない。「心臓が痛い」という感触は無いのだ。代わりにどこだか判らないが胸が痛い、背中が痛い、胃酸過多のような喉の痛み、げっぷが出る、肩が痛い、歯が痛い、後頭部が痛い、耳が痛いなどの症状が出る事も多く、胸痛が出ないので狭心症発作などに気づかない人もいる。
だから心臓病を患った事が無い人は心筋炎などに気づかない可能性が高いのだ。故にこういう変な症状が出たら念の為に病院に、とアナウンスしておけばば突然死の可能性はほぼ回避できる。ちゃんとした情報を仕入れるべきだ。
そもそも厚労省も副反応疑い報告を偶然とか言って無視するようなポリシーで動いてはいない。全例収集してこうやって注意もバージョンアップさせているし、補償のスキームも作っている。
それは日本が過去に薬害などの間違いをしそれを認めて克服してきたのでそうやって行政規範に組み込まれている。
もう一つ、ワクチン推進派のつもりの人の関心が高いだろうHPVワクチンについて。
HPVワクチンは今でも保険適用で無料接種が出来るが、第二次安倍政権発足直後の2013年6月に積極的推奨を停止した。積極的推奨とは単純に適正年齢になったら接種クーポンと案内を送りつける事だ。これにより接種率が1%までに低下している。
この再開について厚労省は次のように条件を付けている。
同副反応の発生頻度等がより明らかになり、国民に適切な情報提供ができるまでの間、定期接種を積極的に勧奨すべきではないとされたところである。
副反応症例について、可能な限り調査を実施した時点で、速やかに専門家による評価を行い、積極的な勧奨の再開の是非を改めて判断する予定
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou28/pdf/kankoku_h25_6_01.pdf
こっちも
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou28/qa_shikyukeigan_vaccine.html
再開には副反応の症例を集めて頻度が明らかになってそれが国民に周知される必要があると言っている。つまり副反応の報道をした報道機関を反ワクチンと詰って攻撃して副反応報道をさせないというのはこの条件に反するのだ。
現在ネットでされているHPVワクチン啓蒙の効果というのは高く見積もっても精々接種率を1%上昇させるに満たないだろう。だが接種クーポンを送りつける方式ならそれだけで70%以上の接種率になる。
だとしたら今必要なのは積極的推奨を再開させることであり、その条件である副反応と有効性のバランスを報道することだろう。「副反応リスクを考えても有効性は否定されない」とされているので副反応報道によりワクチンが否定される事はない。
だから副反応報道を攻撃してHPVワクチン自体の扱いを減らさせると再開の条件が何時までも満たされない。
こういう現在の情況、提示されている条件を認識しない行動は不合理だ。そしてその情況、条件を説明啓蒙せず、直情的フォロワーが己の意のままに泳いでいるのでヨシとする医療人インフルエンサーには疑問を持たなければならない。
我々は社会を営むうちに間違いを犯すがそれを認めて経験を蓄積するから次の間違いを極小化できるんである。2bitサンプリングでは何も蓄積されない。間違いを極小化する知恵は間違い側の方にある。解像度の高い眼を持つようにしたい。