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2023-03-20

腐れ外道夢豚になって気付いたこ

私は限界お腐れであり限界夢民である

その理由は以下の通りだ。

・肉体が女性である

しか性自認現在曖昧である

・体が弱い(各種アレルギー肝臓の数多に異常あり)

精神的に不安定

ギリギリ知的障害にならないレベルIQである

そのような理由で、生き物としてのスペック純粋に低い。

だが幸運であったのは、私は比較若い両親のもとに生まれ現在なお子供部屋おじさんまたはおばさんでいられるということである

一応は定職につきなんとか働けている。

友人も数名だけだが居る。

両親も友人も良識があり優しく慈悲深く、たまにこちらの話をまともに聞いてくれない以外は親切だ。

私は頭の出来が良くないので、まともに取り合って貰えないのも仕方のないことだとは思う。

異常独身男性と名乗る人々に比べるときっと、恵まれている。

現状は、という言葉が頭につくが。

親は子より早く死ぬものだし、友人は人生に寄り添ってくれる訳ではない。

結婚だとかパートナーシップだとかに対しては正直に言うと、憧れはある。

しかし、まるで出来る気がしない。

私の恋愛対象は、過去に好きになった相手統計からすると、男女の比率としてちょうど半々ぐらいである。

頭が軽いので短絡的が故に、好きになったら無策のままに即告白を繰り返してきたのだが、残念ながら全ての恋は実らず片思いに終わってしまった。

愚かなので、高望みし過ぎているのだろう。

私は他人から好意を向けられたことはないが、性的な興味を向けられたことはある。

高校生の頃ぐらいからそれは顕著になった。

当時の私は男子学生として生活していた。髪をツンツン逆立つほど短くして学生服を着て通学していた。

だが、男子制服を着ていても見知らぬ男性サラリーマンと思しき人物ナンパされたり、仲良くなった筈の同級生男子から俺の女扱いをされたり、友達の友達ぐらいの浅い関係女子生徒によりトイレに連れ込まれズボンを脱がされそうになり死に物狂いで脱出したりしていた。見知らぬOLっぽい女性にいきなり家に来ないかと誘われたり、電車に乗っていたらキツいパーマのおばちゃん痴漢行為を働かれたりもした。

かに疲弊絶望していたが、私には慰めがあった。

それがBL二次創作である

当時は自覚などなかったが、何故周囲からそのように性的対象として一方的に扱われるのかという答えを無意識にわかっていたのだろう。

まり、肉体が女であるからいけないのだ。

己の肉体から逃れることは誰にも出来ない。

まさしく肉という牢獄である

故に、自分の、現状女である肉体から一時的に逃れて、憧れである恋愛無責任無我の境地で、荒唐無稽な美しい夢のエンタメを楽しむこと、その欲求を満たしてくれるのがBL二次創作だったのだ。

加えて、追加するのであれば私の身近に居る腐女子は軒並み常識人であり、善良で、精神的にも肉体的にも理由なく他人を加害しない人ばかりだったというのも大きいだろう。

さて、ここでまた話が逸れるが、よく小説漫画アニメなどで「精神的ショックから嘔吐する」という描写がある。

あれは誇張でもなんでもなく、実際に起こり得る現象なのだ

少なくとも2回、私は精神的ショックから嘔吐している。

1回目は二次性徴を迎えた時、風呂場の鏡に映った自分の姿が気持ち悪くて吐いた。

2回目は数年前にひとまわり年下の仲良しの従兄弟からセックスさせてくれと頼まれた時だ。

特に後者のものに関してはダメージが大きかった。

今でもまだ引きずっている。

私はそれまでずっと普通に暮らしていたし、従兄弟とはごく稀に顔を合わせる程度であり、会えばソシャゲの話をするぐらいの関係性だった。

呑気かつ平和に「殺生院キアラで爆死した俺を笑えよ」などと気安く話し「それよりメルトリリスが来ねえんだが?」というような返しをするような距離感である

青天の霹靂だった。

加えて、全く根拠がないというのに、当時三十路をやっと迎えた私は「これでやっと他人性愛対象ではなくなった」と考えていたし、老い若さを失うか醜くなるかすれば誰から路傍の石ころの如き扱いしか受けなくなると信じていた。

私は従兄弟に対して動揺しつつも「金ないならあげるからさっさとソープでもなんでも行きなさい」と凶悪なまでにクソなことを言ったのだが、従兄弟はそれでも引き下がらず途方に暮れた。のみならず、私が学生の頃から好きだったとかふざけたことを言った。

私が学生時代、短く髪を整えて学ランを纏い、ヤンキー男子生徒に喧嘩を売られれば嫌でもなんでもタイマンに持ち込んで殴ったり殴られたり時にはボディにいいのを喰らってゲロを吐いたりなどして頑張ってきた、男性として必要だと判断して払ってきたコストはまるで無駄だったのだ。

なんだかメンヘラの気配がしたのでそれなりに話は聞いていたのだが、精神的に削れてしまってギブアップした。その後、暫くの間従兄弟は半ばネットストーカーのようになってしまい、私は思った。

「男って気持ち悪いな」

「私の頑張りは無駄だったんだな」

「同じ生き物になりたくないから男になるのやめよう」

と。

そのような体験を経て、二次元であればどれだけえげつないエロだろうが大丈夫だが、現実性的接触に対して死ぬほど嫌悪感を覚える人間爆誕してしまった。

阿呆なので、極端から極端に走るが故に、髪を伸ばして赤い口紅を引き派手な化粧をして、ナベシャツを捨ててブラを付けた。

気の強そうな女の姿の方が残念ながら適性があったらしく、他人から面倒な絡まれ方をしなかったので、そのままそうやって暮らすことを覚えた。

驚くべきことに、そうしているだけで頼んでもいないのに見知らぬ若い男を紹介して来ようとする気持ちの悪いお節介既婚者女性もついでに激減した。

遺憾ながら便利なので、以来ド派手なアイシャドウを塗って出勤している。

もう絡まれなければなんでもいいの境地である

だが、特に生活などは変わらなかった。

毎日会社と家の往復をして給料を貰い、帰宅してはTwitterを眺めゲームをして漫画を読み、ごくたまに友人と交流するだけだ。

現実恋愛排除した生活は何も変わらない。

転機が訪れたのは昨年の秋だ。

突如として私は夢豚になってしまった。

何が起きたのか自分でもわからなかった。催眠術だとか超スピードだとか諸々ナントカそういったチャチな外的要因であればまだ納得して呑み込み受け入れられたのだろうが、自分の中にしか要因がないので余計に受け入れ難かった。

今でもまだ受け止め切れていない。

たまたまフォロワーの紹介で教わったジャンルの、とあるキャラクター夢豚に、なってしまったのだ。

動転しつつもpixiv夢小説用のアカウントを作り、人生初となる夢小説をン万文字書き、震えて怯えながら投稿した。

内容としてはその推しキャラ自己投影した理想自分ご飯を作って食べたり並んでお昼寝したりするだけのものなのだが、それは紛れもない疑似恋愛だった。

自分自身がどういった存在にどうやって何をして貰いたいのか、自分の欲しい愛情とは何かを探っていくのはとても新鮮な自己分析で、驚きの連続だった。

そして探ってゆくうちに、私は自分普通の枠に収まりたい、普通に求めたり求められたりしたい、即ち、セックスがもし自分に出来るのなら、やりたいのかも知れないと思い至り、成人向けを書き始めて、手を止めた。

書き始めたところで、決定的な過ちを犯したことに気が付いてしまった。

「私は好きなキャラクターを加害している」

「どうして私は自分がされたくないことを好きなキャラクターにしているんだろう」

非実在であることは分かっている。

しかし、自己投影した夢小説主人公推し性的に絡ませることに、喩えようもないおぞましさを感じた。

BLなら客体であるからと逃避できていた部分が、夢小説となると途端に襲ってきた。

世間現実存在するカップルや、仲の良い友人夫婦、加えて、他の夢小説を嗜む友人を見て話を聞いても何も嫌悪感などない。

なるほど、それは確かにさぞかし良いものなのだろうなぁと思うだけだ。

それが自分のこととなると途端に、嫌悪対象となる。

異常であるのは分かっている。

ただ、異常であることは嘆きの対象にはならない。私は基本的社会マジョリティになれないという意味において常に異常だったからだ。

何よりも私を打ちのめしたのは、理解できてしまたことだ。

「私は誰とも一緒には居られないし、最後は一人で死ぬんだ」

理解していた筈のことだが、空想の中ですら不可能であるという事実が、どのような形であれ伴侶を得ることの出来ない欠陥品であることを再認識させた。

自分の中には、

男の体で女を抱きたい願望と、

男の体で男を抱きたい願望と、

男の体で男に抱かれたい願望と、

女の体で男を抱きたい願望と、

女の体で女を抱きたい願望と、

女の体で女に抱かれたい願望、全てがあることを知った。

要するに性欲は厳然として存在しており、己のその性欲の全てが、気持ちの悪い加害行為しかないと認識している。

どん詰まりである

臆病な自尊心尊大羞恥心インストールされてしまった。

唯一の安息の地である二次元が失われて、もうきっと二度と戻ってはこないだろう。

いつになれば人生が終わるんだろうと考えている。

2023-03-18

飲尿療法

どう考えても体に不要な老廃物を体外に排出するのが尿なのに、それを飲んで健康になるはずがございませんわ。

思うにこれも世界公正仮説の一環ですわね。無意識のうちに、これほど辛いことをしたのだから健康になって然るべきと言うバイアスがかかると言うわけですわ。

それにしても喉が渇きましたわね。セバスチャンセバスチャン!尿を!

[] ワイの『情動共感性』は死んで無いが、ワイの『認知共感性』は完全に死んでいる件

何を『認知共感性』と定義するかにもよるが、<相手言動や行動から相手気持ちを"推察する">を認知共感性と定義する場合

ワイの認知共感性は完全に死んでいる模様

 

ヤベー奴扱いされるので『自分他人は違う』を理解している"フリ"はするが、

経験による学習をもってそれらしく振る舞えるよう可能範囲で努めているだけであり、

自分他人は違うを理解する機能』がそもそも単純に最初から搭載されていない

それ故にだいたいみんな(自分と)似たような思考知識だろと素で思って生きている

 

もちろん、遺伝子成育環境がほぼ同じの双子ですら別個体になるのだから

『だいたいみんな(自分と)似たような思考知識だろ』が事実では無いことを"学習"はしているが、

微塵も腹落ちはしていない・・・・・・というか、そもそもそういう『自分他人は違うを理解する機能』が元から搭載されていないので、

過去経験して学習した事ならともかく、学習したパターンから少しでも外れると、

無意識にだいたいみんな(自分と)似たような思考知識だろ視点で考えてしまい、何度でも同じような失敗をする

どこまでいっても他者視点が無い

 

からさまに人より出来ないことが多かったのと、自分の年の平均よりも金を稼がないといけなかったのと、出生地ガチャ勝利した、

この欲張り三点セットのおかげで、強制的に出来ることだけすることになった結果、お財布面では特に困っていないが、

なんか色々アレである

 

どう考えてもワイの『情動共感性』は死んで無いが、思いやりがない人間だと言われること多いし、

じゃあクール思考を読み取りにくいヤツなんだな!と言えばそんなことは微塵もなく、むしろ逆で、

カードゲーム格闘ゲームで余裕でボロボロになる程度には読まれまくる模様

というか直球で何を考えているかわかりやすいとか言われる

 

じゃあ、お前ら仕事でもワイの意図読んで動いてくれや・・・となるが、そこは途端に『ワイくんが何考えてるかわからない』 をしてくるので非常にイラつく

どこまでいっても他者視点が無いので、プライベートを優先して省エネ横着してワカラナイデースしてるのか、単純に理解する能力がないのか、判断が付かない

まぁ判断が付かないことを考えても仕方がないし、エリートじゃない人の部下やチームメンバーはどのみちエリートじゃない凹凸のある方々なので、

どちらでも問題ないようにフローを組むで終わるが・・・ふぅ・・・

 

特にオチは無いです

2023-03-17

4人目さん

おでんが嫌いです」


レストラン街の案内パネルの前で、嫌いなものを尋ねたら君はそう言った。

「あ、でも材料の1つ1つは大丈夫で、合わさって"おでん"という料理になるとダメなだけです。だからよっぽど専門店とかじゃない限りどこでも大丈夫です」

そんな人もいるんだなと思いながら「そうですか」と僕は答えた。

食べ物好き嫌いなんて些細なことだし敢えて「おでん美味しいですよ」なんてわかりきったことを言うほど僕は無粋な人間じゃない。
だって「なんで焼き魚嫌いなんですか」とか言われたら困る。
嫌いなものは嫌い、好きなものは好きなのだ。そして目の前にいる人間の考えを変えようと思うほどそれらの感情に対して強いこだわりはない。
ただ、これまで一貫して「好きな人が聞いてたら申し訳ないけど」「苦手な人もいると思うけど」と言いながら自分の嗜好を語っていた君が、おでんにだけは配慮を怠ったのが印象的だった。

君が配慮をする必要が無いと判断したそれは、食に興味の無い僕にとって唯一と言っていいほどの好物だった。


コンテンツが溢れすぎているこの世の中では"嫌いじゃない"と思えるものすら貴重で、明確に"好き"だと言えるものはわりと得難いものだ。それが人付き合いならなおさら
長年一緒にいる家族友達にさえイライラすることはあるし、電車で隣に立っている人にさえ不快感を抱くこともある。
そんな世の中で、僕は"好き"と言えるものを探している。

顔も知らない同士だった僕らは、昨今流行りのマッチングアプリで知り合った。
きっかけはありきたりな、好きな映画が同じという共通点だった。

会話を重ねていくうちにそれ以外にも共通点が見つかり、これほどまでに同じ場所を通ってきている人に出会たことが無い僕は、非常に単純ながら「この人が良い」と思い始めていた。ちょうど婚活というものに疲れていたというのもあるかもしれない。
初対面の人間同士が今後長い時間を歩んでいくことを考えたとき、どう考えたってそれまでの道のりが似ている人の方が馴染みやすいのだ。
好きと明言できるほどではないが、嫌いじゃないと感じる相手にやっと出会えた思いだった。

テニスラリーのように、と表現するにはややゆったりした間隔でだったが僕らは途切れずボールを打ち合っていた。たまにラインぎりぎりに打たれたり打ったりもしたけれど、君は難易度の高いショットの方が好きなように思えたので何でもないような顔をして難しい言葉を使ってみた。
本当は必死に調べて返事をしていたんですよ。

そんなラリーを、1ヶ月以上ゆるやかに続けていた。

たぶん遠距離でもないのに1ヶ月も合わずメッセージを重ねているのは長い方なんだと思うけど(実際、この1ヶ月の間に他に知り合った3人の人と会っていたし中には3回くらい会った人もいた)一度僕から誘ったときに断られていたのでもう一度誘う勇気は無かった。
からこそ会わないかと言われたときは嬉しかった。そういえばいいねをしてきたのは君からだったし、通話提案したのも君だった。
思えば最初からいつだってイニシアチブは君にあった。

増田さん、ですよね?」

事前に顔写真服装を送られていたにも関わらず見つけることができていなかった僕に、君から声をかけてくれた。
テキストメッセージから得られる聡明な印象で勝手脳内身長を伸ばしていたけれど、思えばプロフィールに書かれていた身長は低くはないが高くもなかった。

無意識に、いや、嘘だ。意識的自分の背を低くしようとさりげなく膝を曲げたら、君が着けているマスクSHARPであることに気づいた。

ああ、僕もSHARP製のマスクをつけてきたら面白かったかもしれない。
君なのか君の家族なのかもしかしたら当時の恋人とかなのか、とにかく話題になったあのマスクを僕と同じように買った人が君にとっては当たり前なのだということがそこでわかって、それだけのことなのに自分が受け入れられたような気がして安心した。
これ、そのとき伝えておいた方がよかったですか?

普段自炊しますか?」

家庭的かどうかを見られているのかな、なんて思いつつ少し緊張した状態アイスブレイク的な会話を提供してもらってほっとする。

一人暮らしなので一応しますよ」

「偉いですね。しなきゃなあとは思うんですけど、けっこう惣菜買ってきて終わりみたいな感じでやってるんですよね」

「あ、それももちろんやりますご飯だけ炊くとか」

「ですよね」

わあ、生温い会話。なんて思いながら、初対面の男女の会話なんてこんなものかとも思う。凍った水道管に急に熱湯をかけたら破裂するしね。

生温かろうがなんだろうが、こちらはわりと楽しんでいた。
自分ではない存在から返ってくる想定外の答えは面白い。人と人との出会いはエンターテイメントだ。
ただ生憎自身エンターテイナーでも何でもないので君を楽しませることができていたかはわからない。
最近人気の漫画みたいに長い人生のうちの100分の1の時間自分が変わることもあるわけだけど、君が積み重ねてきた1576万8000分と何分かのうちのこの1分は、君を変えることができるだろうか。そんなことを考えていた。

惣菜を食べてるとき、これでいいのかなあって考えちゃうんです。いつ死ぬかわからないけど死ぬまでに食事する回数は限られているわけで、そのうちの1回がこの適当食事でいいのかなって」


そんな考え方したことなかったなあと思いながら、頭に浮かんだ台詞があったので考えをまとめる前に勢いで口から言葉が飛び出した。

「『明日死ぬとしたら生き方が変わるんですか?あなた生き方は何歳まで生きるつもりの生き方なんですか?』って言葉が好きで自分はいだって明日死ぬつもりで生きてるんですけど、明日死ぬって思ってると大体のこと受け入れられますよ」

言ってから、あ、間違えたなと思った。
これが恋愛シミュレーションゲームだったら好感度ゲージがぐんと下がるBAD選択肢だっただろう。

いつ死ぬかわからないんだから毎日最後の晩餐だし最後の晩餐からと言って豪華である必要は無いし、日々食べたいものや食べられるものを食べていればいいじゃないか
そんなケセラセラ生き方をしている僕の主張は几帳面な君には響かなかったみたいだ。

「いやあ、どうですかね」と曖昧な返答でこの会話は閉じられた。

お茶をしている間、このまま解散も名残惜しいし店を回るのが好きだと書いていたから誘ってみようかなあ。なんて、逡巡していたら君の口から同じ提案が出てきたので嬉しかった。

入った本屋で、世間話を続けながら君は平積みになっている本を何気なくぱらぱらと捲る。

「この前、高校時代日記帳が出てきたんですけど恥ずかしくてそのまま読まずに捨てました」

「えっ捨てちゃうんですか!?それも思い出じゃないですか?」

小学生時代手紙すら捨てずに持っている僕には信じられなくて強めに聞き返した。

「いやもう恥ずかしすぎて……」

高校時代だともう客観的に読めちゃいません?」

「まだそこまで大人になれなかったですねえ」

そうか、そうなのか。君は自分過去を捨てる人間なのか。
これまでの会話の中で歴史が好きなのだろうと推測される君は、15年前かそこらに自分の周りで起きた物事やその時の感情は気にならないのか。

僕はこうやって実体験に基づいたフィクションをつらつら書くくらいには自己を振り返るのが大好きな人間だ。
今日のこの時間だって、この後どんな結末を迎えようとも"この時楽しかった"という事実は変わらないし、僕が選んできたBAD選択肢も変わらないし、この増田をいつか消すことがあってもそれらは僕の人生のうちの1分として残り続ける。

「あ、この本面白いですよ」

近くにあった本を何気なく勧めてみたら君も好きなタイプの本だったようで、やっぱり好みは似ているんだなあと再実感した。

スマホタイトルメモする君を見ながら、君が次にその本を読むとき違う人と一緒にいたとしたら、果たして僕のことを思い出すんだろうかとふと思った。

少なくとも僕は思い出しますよ。
何回か同じ話をしてしまう君と違って僕はけっこう君に関心を寄せていたので。
大好きだったおでんを見ると、これを嫌いだと言った君を思い出すくらいには。



思えば、共通点の多い同士であると思って出会ってみたが差異確認し合うことの方が多かったかもしれない。
それでも僕にとっては些細な差異で、"嫌いじゃない"という思いに変わりはなかった。

ところがどうやらこの認識でも僕らは差異があったようで、君ともう一度会うことはなかった。



僕の記憶域も有限だし、できれば幸せな思い出を取り出しやすいところに置いておきたいので思い出をアウトプットすることもある。
どうせ人の目に触れるのなら面白く脚色したくもなる。それがまさにこの増田なんだけど。

Ctrl+XとCtrl+Vの繰り返しで思い出や感情や付随する諸々を外部媒体に書き出すまでが一連の儀式なので気にしないでほしい。
執着してこんな長文を書いてるわけじゃなくて、執着しないために書いているのだ。
アウトプットして領域が空いて初めて僕は次に進める。

anond:20230317032641

横だけど早稲田卒ってことは今でも首都圏在住の民かな?

せっかく吉原あるんだから行きなよ。

別に川崎でも千葉でもいいけど。

レベルでは吉原の生店は今梅毒がやべーという話あるけど。

そういや千葉なら友達が嬢やってるな。もうアラサーだけどすげー美人で天然美巨乳だぞ。流石にここでは紹介できないがw

ソープシステム不安があるなら僭越ながら教えられることもあるので聞いてくれ。

あとごめん、こんなアドバイス別に求めてないんだろうけど、

絶対にやりたくない仕事は嫌な順に介護製造土木物流営業

この辺がガチで働いたことない感じがして危ういなと思ったのでちょっとオッサンから説明するね。てか受かっても本当に弁護士にはならんの? まあ弁護士特に駆け出しの内はかなり営業職に近いと思うんだけど……。

介護

たぶんイメージどおりではあると思うけど辛いのは身体より心の方。特にグループホーム認知症の方が入るとこね)で、認知症が悪い方向に出ちゃう高齢の方相手だとマジで精神疲弊する。ただ基本的介護現場女性職場なので若手男は重宝されるし適切な資格を取っていけば施設長とかにほいほい出世していく可能性もある。しか介護業界高齢人口ピークアウトしたら一気に斜陽化する(ただし絶対に無くなりはしない)と言われているので30前の人が就職するのは個人的にはあんお勧めできない。

製造

製造一口に言っても色々あるんだが、どういうイメージをしているんだろうか。工場ラインに入る系のやつを想定してるんだろうか。業界と取り扱い製品によってはけっこう面白い製造業もあるんだけどね。伝統工芸品系のとこが跡取りいなくて困ってたりするのでそういうとことかはどうだろうか。稼げるかは知らんけど。まあ製造は一括りに考えない方が良いよマジで

土木

現場作業員の想定? 二十歳そこそことかならともかくアラサー就職してもなー、元増田高卒年下の先輩に頭下げるとかできなさそうだからあやめておく方が良い。ちなみに土木作業員はどっかで独立して自分親方社長にならないと収入頭打ちするが、逆説的には親方社長になりさえすれば普通に4桁万円年収かになれたりもするので生涯年収的な意味では実はそんなに悪い選択肢ではない。日本全体で作業員が超足りないので待遇は良くなってるしね。

物流

ドライバーの想定? 物流と言っても色々あるんだが。まあこれはぶっちゃけアラフォー無職からでも就職できる業種業界なのでまだ検討しなくてもいいだろう。

営業

営業認識は改めておくほうがいいよ本当に。多分、不動産とかの(新規訪問営業のことしかイメージしてないんじゃないの。既存の決まったお客さんのところを回るルート営業はそういうのとは全然違うぜ。まあ客が日本語通じるかどうかでストレスが大いに変わるだろうけど、今時そこまでめちゃくちゃな人は普通いない(というかまともな企業なら無茶苦茶な奴は社外の人間と接しない)。

纏める

元増田はなんかプライド高そうというか拗らせてんなーって感じがする。業種・業界無意識に見下すのはよくないから直そう。

てか30歳社会人経験から就職可能職場実態として限られているため、そんな大雑把な勝手イメージで嫌々言ってるとマジで人生詰むよ。

事情わからんけど受かって弁護士になるのは無理なん?

あいいやごめんね、余計なことを言ったと思う。とりあえずソープの事でわからないことがあるなら何でも聞いてくれ。

愚痴垢女ヲタちゃん達へ

伏字でもおすすめのところに出てきて無意識に目に入ってくることが多々あるから本当にやめてください。わざわざ伏字にするなら鍵垢にして本当に見たい人以外に見られないようにしませんか?お願いします。棲み分けって大事じゃないですか?

私より

2023-03-16

今日あった事

保育園に娘を送って行ったら娘の友達が2人すすーっと寄ってきて

「あのさあ、その服前も着てたから着ない方が良いよ」

「そうそう、汚れちゃうし辞めなよ」

もちろん毎日洗濯しているしその服だって頻繁に着ているわけでも無い

言われた娘は半泣き、子供の言う事だからと思っても胸糞悪いなと思って

「人の着ている服にケチをつけるなんてすごくイジワルだね」

と返したら「え、イジワルじゃないよ、そう思ったから言ったのに…」

とモゴモゴ

こんな子供の内から無意識で人を攻撃する能力を身につけてるの糞だなーと思ったが

もしかして自分の娘も普段は同じ事をやってるのかな

女性カーストはいだっていじめが上手い奴が上位に君臨するから

つうか娘をいじめてたお友達毛玉だらけでペラペラの服で他人の服より自分の服気にしなよ…

2023-03-15

「その脚、見られてますよ」おっさんによるJKへの警告

JKは脚を出し過ぎだ。

膝上まで上げたスカートはもちろん、ギリギリ見えない限界までスカートを上げているJKもいる。

そんな脚を誰が見ているかおっさんだ。

おっさんJKの脚を見る。前からジロジロ見るのではなく、後ろから見るのである

階段の後ろで。エスカレーターの後ろで。向かい合った車内の椅子で。

おっさんJKの脚を見ているのだ。

「やっぱり若い子は綺麗な脚してるな。ちょっと太いけど」

「焼けている脚だ。部活してるのかな」

「引き締まっててかつ白い脚。見てるだけで元気が出る」

そんなことを、言葉にはしないが無意識に品定めをしてしまっているのだ。

これは本能に近い思考で、内心の自由を考えれば表明しなければ許される範囲である

ただ、表明しないだけであって実際はJKの脚をおっさんは見ているのである

JKの脚を見て、仕事のやる気を回復させ、疲れを癒すのである

JKの脚は動く回復ポイントである

通勤・通学時間帯は特に回復ポイントが多く、回復ラッシュである

セーブすらしたくなるが、それはできない。

心にその脚のイメージを抱え、仕事中のふとした時に思い出し、ポーション代わりに体力を回復させるのだ。

からJKよ。

もう脚を出すな。

こんなふうにおっさんに君の脚を使われたくないだろう?

多くのおっさんが君たちの脚で気力体力を回復させてるなんて、そんな世界地獄だろう?

JKの脚が日本経済を支えてるなんて、嫌だろう?

から脚を隠しなさい。

せめて膝下までスカートを下すように。

スラックスもいいぞ。

おっさんとの約束だよ。

anond:20230314121439

もんのすごいグダグダっぷりがリアルだなと思った。

良い雰囲気になったら向こうが距離を詰めてくれるor距離を詰めていいよって意思表示してくれるという無意識の想定だったんだろうか。

まあ結局のところ、可能な限りOK貰える可能性を上げた上で、振られるかもしれないというリスクを許容して距離を詰められる奴しか先に進めないんだよね。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

論理的思考に操られているかもしれない

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

何年か前に読んだ雑誌コピーで、当時かなりの衝撃を受けたことを覚えている。

今でもたまにこのコピーを思い出してドキッとすることがある。

自分論理的に考えることが得意なほうだ。

エンジニアという職業では特に論理的に考えることが必須スキルとなる。

それは「正しさの判断」が必要な場面が多いからだ。

エンジニア仕事は、正しい方向へ向かうための判断を繰り返すことに他ならない。

ビジネスのためにどのようなシステムを作るべきか?アーキテクチャの選定はビジネス課題解決になっているかアプリケーション実装ビジネス意図した動作をするか?

こういった判断をする際には、常に論理的思考が役に立つ。

職業病かどうかわからないが、日常生活でも無意識論理的に考えることが増えたように思う。

脳が勝手論理的思考しているような、そんな感覚がある。

エンジニア仕事では論理的思考は役に立つが、日常生活ではむしろ邪魔になることがある。

それは、論理的思考が「正しさの判断」にしかならないからだ。

日常生活で正しさが求められるシーンは限られている。

正しいことが他の何よりも優先されるのかといえば、当然そんなことはない。

正しさがある程度証明されたからといって、それが何になるんだろうか?

共感を求めている人に正論を叩きつけたり、別のコンテキストに立つ人間同士が正論を言い合ったりすることは、ほとんど無価値だし、むしろ憎悪の原因にしかならない。

エンジニア仕事でさえも、論理的思考邪魔になる場面があると思う。

論理的に考えることは、ある程度の時間がかかる。正しさの判断をするために時間をかける必要がない場面は、無限にある気がする。

正しい判断が求められず、速攻で理由もなく決めてしまえばいいようなトピックに関しては、論理的思考コストしかなっていない。

まり合理的でないが論理的判断をしてしまうケースはよくある。

それでいても論理的に考えたくなってしまうのは、論理的思考がすべてを解決してくれるように見えるからだ。

しかしたら人は根源的に、自分が正しいことの保証を求めるのかもしれない。

夢の中でさえ論理的思考していることがある。もはや論理的思考に操られているのかもしれないと思う。

論理的思考に操られないためには、「正しさの判断必要か」を考えることだ。

論理的思考はすべてを解決するわけじゃなく、正しさの判断しかならない。

正しさの判断不要な場面では、むしろ毒になるかもしれない。

感覚で考えること」と「正しくないこと」の両方を肯定する必要がある。

まず、感覚で考えることは、論理的に考えることの真逆というわけでもない。

感覚で考えた結果が、論理的に正しいこともあるだろう。

それに、もし考えが論理的に正しくなかったとしても「別にそれでいいじゃん」と思える寛容さや「間違ってるけど面白いね」と思える柔軟さを大切にしたい。

この文章を書いている最中でさえ、正しさを常に思考している。

たぶん、もっと絵を見たり音楽を聴いたり、自然に触れたりしたほうがいい。

2023-03-14

トロッコ問題について毎回雑なブコメが集まるのでイライラしてしま

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2100273

以前にもあったが、トロッコ問題話題になると雑な難癖付けたり知った顔で無知コメントつける輩が多すぎる。

ブクマカにまともな意見を求めるのがおかしいといえばそれまでだが。

ちなみに手術の話は近い状況が現実に起きていて、

治療すれば助かる、健康な臓器を持つ新規入院患者」と「臓器の移植を待つ、すぐに臓器移植すれば生きられる複数患者」がいて、

新規入院患者治療を失敗したことにして見殺しにすれば移植をして5人を助けられるし、失敗したことについて書類等をそろえて責任を問われない状況にすることも現実的に可能」な場合に、

職業倫理意図的患者治療しないことは許されないが、とはいえ1人を活かすことは臓器移植で生きられる患者を見殺しにしていることになるのではないか」と悩んだ医師は実際に存在するし、

そのような状況は現在でも実際に存在しうる。

仮定問題」とか「そういう判断を迫ること自体おかしい」というような人は、たまたまそういう状況に直面せずに生きられているか、そういう状況に気づかず無意識選択して生きているに過ぎない。

その無意識の部分を考えるための「思考実験」という言葉意味理解できていない。

「家族」とか「それぞれの余命」とかっていう条件を出してくる人も思考実験という言葉意味理解できてない。

「その時、その場にいたらどうするか?」という状況で、じゃあそれぞれの家族構成資料確認して……ってならんやろ。

tomiyai トロッコ問題に例えるなら1人の臓器奪われる方もほっときゃすぐ死ぬ前提とか5人を犠牲にすれば生きられる前提とか必要やね。

まさにそこが手術の話のキモで、トロッコ問題は「自分の手を下さない」という逃げ道が用意されているが、「行動するかしないかで結果が変わる」という点は同じなのに「自分問題積極的に関わる」という状況になると答えが変わるという話をしているんだよ。

frothmouth “前者はどのみちどちらかは死ぬ状況だけど、後者健康な人はバラすって選択とばっちりから…”

トロッコの話でも手術の話でも、どちらの選択をした場合でも5人と1人のどちらかは死ぬ状況。

であるのにもかかわらず手術の場合は「とばっちりから」って発想になるのが「違う答え」になるということ。

gomisute44 「多数を生かしたい」のではなくて、「自分意思決定したくない」だけでしょ。多数のために健康な一人をバラして……なんて決断するくらいならそのまま自然に5人に死んでもらった方が精神的にはるかに楽

ngoakr そもそも多数を生かすのが間違い。レバー位置そいつらの運命から干渉しない。

hisa_ino 俺はそもそも元のトロッコ問題でも別に多数を生かすべきなんて思わないし「俺は何もしない。無関係」って回答だからこれも当然「そんなの駄目に決まってるだろアホか」で終了。

個人の考えだからそう思うこと自体否定しないけど、中二病こじらせてるなって感想で、「目の前の問題から目を背けることが正しい」って堂々と言ってて恥ずかしくないのかなと思う。

その人たちが知り合いだったらどうか、親兄弟親友でも同じように言えるんだよね?言えない?命に順位をつけても構わないの?

そもそもトロッコ問題自体功利主義と実際の感情とのジレンマについて考える問題であって、そういう文脈理解していない人がいるのは仕方がないが、

それをノータイム否定して俺かしけーで終わらせる姿勢は正直どうかと思う。

blueboy トロッコ問題の正解は「死者の多少で決めてはいけない。法律を遵守せよ」だ。 https://x.gd/KFAR5 その正解に従えば、今回も同様のことが成立するので、1人を殺さずに 5人を放置するのが正解だ。何ら疑問点は生じない。

この回答は個人的に最も醜悪だと思っていて、要するに「自分は決めたくないので他の人に決めてもらう。その決め方の正当性については特に検討しない」という宣言だよね?

犠牲がやむを得ない場合、なるべく多数を生かす努力をすべき」という法律を敷いた国であれば5人を助けるほうが正しいということ?

その理屈だと宗教国家で「レイプされたほうを処罰する」とかも問題ないですって話になるんだが。

漠然とした。多分私の人生の話。

急に昔の話をしたくなったので衝動ではてぶに登録した。

多分春だからだと思う。これは花粉症の症状の一つ。

そもそも、真夜中にこのブログを開設するあたり、私はもう正気じゃない。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

漠然とした。多分私の人生の話。

5歳の頃、家族旅行アメリカへ行った。国外旅行へ行くのはこの20数年間でこの一度だけ。知らない言語に囲まれて、知らない文化に触れた、初めての経験

私はそれまで、父親よりも背の高い人間がこの地球にいるなんて知らなかった。

幼稚園キリスト教系だった。でも園の中に十字架とかそういう「偶像」がなかったので、私が日々の中に神の存在を感じる機会は非常に限られていた。お弁当を食べる時になると手を合わせて祈りを捧げた。「神よ、日々の糧に感謝いたします。アーメン」。この時間くらいじゃないだろうか。

先生たちは定期的に聖書の話をしてくれたけれど、当時の私には理解できなかった。そして多分先生たちも私たち理解することを求めていなかった。卒園式で綺麗に装丁された聖書記念品にもらった。字が読めるようになり、心に哲学概念が沸いた年齢になった時に初めて読み返した。そしてようやく何かしらは理解できたと思う。多分。…。時間差があるね。

でもこれだけは覚えているのがある。園長先生という方は非常に柔らかいお話の仕方をなさる方だった。わかるようなわからないような、でもそれはそれとして言葉がスーッと染み込んでいくようなお話をなさっていた。

先生はいつもこうおっしゃっていた。唇に歌を忘れずに。光の子として歩みなさい。

前半は知らない。でも後半は聖書の一節だ。「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。光から、あらゆる善意正義真実とが生じるのです」

小学校の頃は全く覚えてない。

中学時代勉強はできるような、できないような子供だった。

英語音楽国語だけできた。でも国語担当教師と年がら年中喧嘩してたので評定に定期テストの点数が反映された記憶がない。

英語は楽しかった。小さい頃漠然定型分だけ覚えて旅行に行ったあの「英語」が、形ある理論知識として目の前に再び現れた。いうなれば、旧友との再会のような。互いに少し成長していたけれど。

音楽は、心の拠り所を得るために気まぐれで合唱部に入ったら急に歌えるようになった経緯がある。何それって話なんだけど、私もよくわからない。ただ、ある日ある時急に突然「声の出し方、響かせ方」が分かった。2年生の時、ソプラノソロパート担当させてもらった。嬉しかった。あれは、私が自分の実力だけで勝ち得たもので、そして私にもできるものがあるのだという証明になったから。音楽先生卒業式の日私の母をとっ捕まえて手を握ってこう言ったそうな。

お嬢さん音大に行きたいと言ったら、どうか止めないで入れてあげてください」と。

周りの子供たちは「自由」が増え、レンタルショップビデオを借りた。麓の街に行って、友達同士で服を選び合った。私にもそんな自由が欲しかった。漫画の貸し借りをしてみたかった。アニメ情報を共有してみたかった。

ある日、一緒にピアノを習っていた友人から楽譜を借りた。

彼女は「あなたが弾きたい曲が入ってる楽譜、家にあるから貸してあげる。家まで来て」と言った。彼女の家は私の家とは少し離れていた。やや逆方向寄りなのだ。でも私は彼女について行った。そして楽譜を借りた。

家に帰ると母は非常に機嫌が悪かった。ただいま、という挨拶に対して返ってきたのは「どこほっつき歩いてたわけ?」だった。確かに帰宅時間は通常より20分ほど遅かった。

正直に話した。友人の家に寄って楽譜を借りてきた、と。楽譜没収された。

ちなみにその友人は時々漫画も貸してくれていた。しかし母はそれを目敏く見つけて隠した(母はよく私が学校にいる間に私の部屋に入って物を漁っていた)。そして3週間ほど経った頃にクロゼットから出してきて「あの子に返してきなさい、今すぐに」と言ったのだ。

少し考えればわかること。この家は、何かが少しずつ狂ってる。

私にも自由が欲しいとゴネた事がある。他の女の子みたいにガーリーな服(当時は少し露出があるのが流行っていた記憶がある)が着たい。髪を伸ばしたい。休日友達とお出かけをしたい。バレンタイン友達チョコレートの交換をしたい。

ことごとく跳ね除けられた。

おしゃれがしたいなら家でやらないで外で自己主張して頂戴。学校お菓子を持ち込むのは校則違反でしょ?(それをバレンタインの日だけは黙認されてるから私にもやらせてくれと言ったのだが。)お出かけして遊ぶ暇があるならピアノ練習して勉強したらどう?アンタは目の前の遊びを取って将来を失うつもり?それに私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ。

そんな言葉で私の心はポッキリだった。でもその時はまだ幼かったので「高校生になったらきっと変わる」と思っていた。

ちなみに上記言葉を言われた後で私は一度だけ地域お祭りに友人と行ったことがある。

一言で言えば、つまらなかった。目に映る何もかもがくだらなく見えて、そんなくだらないものにはしゃげる友人たちが寧ろ一周回って羨ましく思った。その日の私はピアノ練習もしなかったから、鍵盤が恋しかった。結局皆より一足早く帰宅したはずだ。

…そんな私の感想に、母は非常に満足げだった。こればかりは癪にさわる。

高校私立女子校入学した。良い大学に行くことだけが目標だった。それさえ達成できたなら、きっと私の人生は報われると思った。おしゃれらしいおしゃれをしなかったことも、友人と行ったお祭りを楽しめなかったのも、バレンタインの日にお菓子作りをしなかったのも、全部全部。

周りの友人は有名らしいアイドルにどっぷりとハマっていた。週末になれば電車に乗って遠くへ行き、グッズを買い、ブロマイドを買い、皆で見せ合って楽しんでいた。

街のお祭りを楽しめなかった女は、アイドルの良さもわからなかった。女の子たちが「ねえねえ、このひとカッコいいと思わない?」と見せてくるのを適当に「ほんとだ、カッコいいね」と返した。

ちなみにミュージカルをやる部活に入ったが、言わずもがな母は私がそこに入部するのを死ぬほど嫌がったし、門限は昔よりもシビアになった。当然遊べなくなったし、部活も毎回早退していた。それは舞台本番の1週間前でも変わらなかった。先輩も同期も私の家の事を理解してくれていたことだけがいである。あの人たちは皆優しかった。でもその優しさに永遠に甘えるわけにもいかなかった。当時私はスマホを持っていなかったから「今日だけは門限を伸ばして」と公衆電話から家に電話をかけた。「それなら家に入れてやらない」とだけ返されて電話を切られた。私は職員室の前で泣きながら「どうしろって言うんだよ!」と叫んだ。

その部活は1年生の冬に廃部になった。まあ色々あったのだ。晴れて私は本当に勉強しかすることの無い暇人になったのである

英語にのめり込んだ。きっと海の向こうの人たちが喋ってる言語は私の住む世界を広げてくれると思った。

音楽は私の心の拠り所だった。親には「私たちがアンタのピアノ習い事にどれだけの月謝を払ってると思ってるの?その分ちゃん練習してよ」と言われていて、それでよくピアノが嫌いにならなかったな、と思わないでもないが、それはひとえにピアノ先生の教え方が非常に上手かったからだ。あの先生は一生の恩師と言っても良いだろう。ピアノ技術だけでなく、音楽を体全体で楽しむことの大切さを教えて下さった。

必死勉強して、そこそこ良い大学に受かった。当時は大学入試の定員規定が厳しくなったばかりだったか絶対浪人すると思ってたけど、受かった。第0志望、希望希望通りの学科

高校生の頃(というか小学校中学から)ずっと母は私に「アンタみたいに頭の悪いやつは、私の時代なら商業高校に行ってたよ。今はいいね、アンタみたいなバカでも人並みに高校に入れて受験できるんだからさ」と言っていた。

何度も娘をバカだと言わなくて良い。言われなくても本人がちゃんと分かってる。

大学は色々な地域から色んな人たちが入学していた。

同じ地域に住み、同じ景色を見ていた小中、その延長線上にあった高校とはまるで違っていた。私のような実家住まいもいれば、一人暮らしで頑張る人もいた。

でもこれだけは断言したいが「明日屋根心配しなければならない人」は私以外あの空間には存在しなかった。

大学講義は遅くて6時に終わっていた。母は言った。

「7時半には返って来れるでしょ」

まり、7時半が門限だということだ。大学生の、門限が、7時半。

あんまりだよ、と泣いた。父を説得しようとし、父方の祖母を説得しようとした。大学生なんだよ、大人だよ?と。でも父は母のイエスマンだったし、祖母(と叔母)は如何せん価値観が若干古かった。「7時半は十分遅いよ、お母さんは譲歩してる方だと思う」と言って譲らなかった。

遊ぶことはなかった。化粧もしなかった。ファンデーションだけだった。化粧なんてね、若いうちは要らないの。それが母がいつも言うことだった。

少し考えれば分かること。あの時の母は、私を完全にコントロールたかったのだ。

大学2年生の時、母に内緒彼氏を作った。

その年の秋、私はこれまた突然、手首を痛めた。関節炎だった。ピアノの弾きすぎ、PCの打ちすぎで利き手ではない左手に過度の負担がかかったらしい。もうピアノは弾かないでください。と言われた。

あの時の絶望といったら。私は身近な人を突然亡くした経験はないけど、多分親友がある朝突然死んだらこういう気分なんだろう、と思った。うまく使えない左手、もう弾けないピアノ。虚無感、なんて言葉じゃ補いきれないものだった。

私にとってピアノはそれほど大きな存在だった。嬉しい時も辛い時も一緒にいたのが、ピアノであり、音楽だったから。

その時急に現れたのが昔の知り合いだった「彼氏」だった。

少しずつお互いのことを話す中で私は小さな打ち明け話をした。休日が大嫌いなんだ、と。

当時母は土日のたびに癇癪を起こしていた。やれ私の歩き方が気に食わない、やれ私の話し声が気に入らない。どうしてアンタは私の気に入るように振る舞わないの?と。当時私は土日の早朝6時〜9時でコンビニアルバイトをしていたので、その早朝勤務の後に母の喚き声を聞くと言うのはどうにも「来る」ものがあった。

さて話を戻すと、私の打ち明け話を聞いた彼は私を週末のお出かけに誘った。電車の向こうの街でかれこれこういう催し物があるらしい、行ってみようよ。気分転換にさ。と。そういう具合に。そして私はその誘いに乗った。

母には「友達と出かけてくる」とだけ言った。情報は不足しているかもしれないが、嘘はついていない。少なくとも当時は彼はまだ「友達」だった。

そしてその友人は彼氏になった。

から告白された時、私は一種のチャンスを感じた。きっと私は自分証明できるとお思った。私の人生は私のもので、私の人生の決定権は私が握っているのだと。

しかも、当時の私が心から欲していたのは「絶対的な安全」だった。そして痛めた手首によって失われた「心の拠り所」だった。

きっと彼ならそれらをくれるだろうと思ったので、私は彼の告白同意した。

まりにも、身勝手


彼はそれ以来ちょくちょく私を外へ連れ出した。

その度に私はまるで世間一般に溶け込んだ気分になっていた。世間一般の「普通の子」になれたように思った。そしてその時私は心から喜んだ。「生きてる!」と無邪気に思えた。

私が勝手に出かけ、挙句彼氏まで作ったので、母は怒った。最初父は「別にいいんじゃないか?」と言っていたが、母があまりにも怒るので父も手のひらクルリと返した。

彼の名前学歴を言わされた。ひどく侮辱された。

母は私から家の鍵と財布の金、銀行カード没収した。お前に鍵と金を渡すと碌なことにならない、と言いながら。(ちなみにこの銀行カード、取り返したら今度は月に3万、家に入れる事を要求された。当然今度は私の生活費が足りなくなってバイトを増やしたら、要求される金額がまた増えた)

母は、アンタがどこへ行ったか全部わかってるんだからね!と怒鳴った。最初意味がわからなかったが、どうやらあの時の母は私をスマホGPS機能で追跡していたらしい。それが判明した時、私は泣いて彼氏に詫びた。どうしようもないものに巻き込んでしまったと思った。ざっくり言えば、母のやったことは犯罪に近いのだ。

彼は「気にしてないよ」と言った。

私は「いや、そこは気にしてくれ」と思った。というか、そう言った。

彼は「お前がかわいそうだ、どうにかして救いたい」と言った。

その心はありがたかったが、ありがたがると同時に私はそれを拒絶した。

「かわいそう」と軽々しく言えた彼はどこまでも温室育ちだった。4人家族ペット付き、平均的かそれよりも幾許か上の環境で、ぬくぬくと、二親に愛されて育ち我らが王子様のような扱いを受けてきた彼が言ったのは、永遠に「かわいそう」な立場にはならないであろう人間の、無意識傲慢だった。

「救いたい」と言った彼は、きっと人間人間を救えると信じていたのだろう。確かに信じるものは救われるとは言うけれども、彼氏とはいえ第三者立場人間他人を救えるのなら、今頃イエスキリスト聖母マリアもこの世から用済みだろうし、仏典聖典も要らない。でも世界にはそういうもの存在するのだ…。彼はそれをちゃんとは理解していなかった。

私の状況も、世界の状況も、「聞いて知ってはいる」けど「理解」はしていなかった。

彼氏母親という人は、息子から私の家の状況を聞いて、こうコメントした。

「あそこの大学の子だと聞いて安心していたのに。それじゃあ全く、訳アリのお嬢さんを拾ってきたってこと?」

…ってうちの母がいうんだ、面白いよな、訳アリだなんて。と彼は笑いながら言った。少なくとも彼の中で「訳アリ」という言葉一種ネタとして消費されたらしい。

私は彼氏ができた、とか勝手に出かけた、とかそういう「罪」で度々家を追い出された。そんな時私を匿ってくれたのは大学の友人たちだった。

追い出されるたびに顔色が悪くなる私を見て友人は私の目を閉じさせ耳を塞がせ、その間に家中刃物という刃物を知らない場所に隠した。彼女曰く「今のアンタに刃物を見せたらすぐさま死んでしまいそうで怖い」。当時の私は一体どんな顔をしていたのだろう。

結局、私は彼と別れた。

彼は普通の家で育った普通人間だった。そんな温室の彼を「私」という人間に巻き込み、異常なものを見せ、その一部だけでも経験させてしまたことは、私が負うべき「罪」のように思った。そして、そんな異常な場所から彼を一刻でも早く遠ざけようと思った。「かわいそう」という言葉も「訳アリ」という言葉も、ネタとして理解できる世界に戻そうとした。

それが正しいかどうかは本当にわからない。でも身勝手だったとは思えど、あの時の私にできた「最善」の判断は、それだった。

どうか彼には「普通」の彼女ができていてほしいと思う。そして、私の視界に入らないところで幸せになってほしい。

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大学3年生になり、2つの喪失、「普通」の概念について考える日々、加えてコロナ禍。最悪だった。それでも秋までは保った。そして秋になって体調を崩した。

感情がわからなくなった。楽しいとか、嬉しいとか、悲しいとか。

指先から血の気がひいた。四六時中まるで体全体が後ろから引っ張られているような感覚だった。

ほんの少し正気に戻ったその瞬間に病院に行き、うつの診断を貰った。ついでに精神安定剤も貰った。(本来抗うつ剤をもらう予定だったが、そういう精神に効くタイプの薬を飲んだことがなく不安だったため、安定剤からスタートになった)

家族はまるでお手本のような否定言葉をぶつけてきた。

仮病だ、とか、考えすぎだ、とか、甘えだ、とか。診断をした医者はヤブだ、とも言った。そして私から保険証現金没収した。よって私は途中で治療が止まっている。


正直、大学3年4年をどう過ごしたか記憶がない。

ちなみにかの「原神」を始めたのは4年の最初だったか、それくらいだったはずである。(タブレットデバイス様様で、こういうゲーム自分スマホに入っていれば「実体」が無いので、両親は私が流行りのゲームを始めただなんて夢にも思っていない)





うつの診断を受ける前だったか後だったか、とにかくその辺りの時期に私は数回手首を切った。そのうちの一つだけ、鮮明に覚えている。

衝動に任せて切って、うっすらと血を滲ませた。最悪だったのはそれが金曜日で翌日にはバイトがあったということだ。(※この時は体調の限界やらシフトの都合やら色々なものが重なって、私のシフトは早朝6時〜9時ではなく、9時〜12時に移っていた。そこには私の幼馴染の男の子も一緒に働いていたので、早朝から働いていた時よりは幾分気が楽ではあった)

さて左手首を切って血を見て1時間、なんとなく冷静になった時に気が付く「待てよ、明日バイトじゃん」は本当に最悪だ。急いで薬をぬり(強めのステロイドだった気がする)、ガーゼを乗せて包帯を巻いた。

翌朝幼馴染の彼は「それ、どうしたんです」と聞いてきたので、私は笑って言った。

「関節炎の湿布


この幼馴染、私が怪我をしたとなるとまるで問診か何かのように問い詰めるのである。どこで怪我をしたの、どうして怪我をしたの。その時何があったの、いつもと変わったことでもあったの。

手首は数回掠った。そしてもし、もう一度でも金曜日にそれをやった上で「どこで、どうして怪我をしたの」と問い詰められたら、私は誤魔化せる自信がなかった。

そもそもコンビニアルバイトなんて、いつヘルプ要請が入るかもわからないものなので、それが金曜日じゃなくても、手首を切るのは普通にアウトだった。いつか誤魔化せない日が来ると思ったし、その調子で切ってたら取り返しのつかない事になるのは目に見えていた。

それ以来、手首を切るのは自制している。少しばかり、褒めてほしい。

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先日、この幼馴染と少しばかりの遠出をした。

出かける予定を作ったことを正直に母親に白状し、許可を得た(これがまたハードルが高かった。)母は私たち電車で行ったと思っているが。

私は彼が運転する車に乗って遠出した。





帰りの移動だった。彼は、夜の暗闇が一番好きだと言った。

私も夜が好きだと返した。夜は良いなと思う。あの暗闇も、程よい明るさも好きだ。

その日すっかり疲れてしまっていた私はぼんやりと、彼に少しばかりの昔話をした。

まだ私が早朝6時のバイトシフトに入っていた頃、5時に起きて支度をしていたから冬の早朝は真夜中みたいに真っ暗だったのだと。そして少し季節が春に近づくにつれて日の出時間も早くなり、西の空は暗く、東の空は明るくて、私はその真ん中に立っているような錯覚を覚えたのだと。まるで、昨日と明日の境目にいるような気分だったと。

ある時私は親に家を追い出されて、月曜火曜ならまだしも金曜日に追い出されたのなら翌朝のバイトは始発電車に乗らないと間に合わなかった。まだ空が真っ暗な時間にそっと友人の家を出て、電車の窓の外がうっすらと明るくなるのを見ていた。

そう言った。話し終えてからようやく自分が一体なんの話をしたのか、一体彼に何を聞かせていたのか気がついた。

変な話してごめん。私の家の騒動を知ってて私を家に泊めてくれた友人くらいしか知らない話だ、多分他人に初めて話した、幼馴染の女の子ですら知らない話だ…。と途方に暮れながら謝罪したところ、彼は「そうだろうね」と言い、こう続けた。

「よく、怪我しませんでしたね。危ないでしょう、色々と」





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今も私は「普通ってなんだろう」と考えている。

家では相変わらず母がつまらないことで喚き散らしているし、私の髪の一本一本にすら執着し干渉している。そして相変わらず父は母のイエスマンだ。


幸せになりたいな、と思う。

でもまず私は「幸せってなんだろうな」から思考を巡らせなければならい

そもそもはいまだに感情の生成についての問題解決していない。

たぶん私という人間も私の家族も、私の家の一族も何かしらが「おかしい」のだ。皆が皆で、それぞれ違うベクトルで狂ってるから、その異常性に気がつきにくい。

でも気がついた人が気がついた時に「終わらせなければならない」。母は自分自分母親と絶縁した。もしかしたらそれはいつか来る自分未来だと思う。

それはそれとして、もし誰かが私の幸運をほんの少しでも願ってくれているのなら、多分、私はまだ幸せだ。

2023-03-13

anond:20230313092507

へーそうなんだ

意識して使ってんのかな

それとも無意識義務教育がしみこんでて使ってるのかなー

2023-03-12

AIに聞いてみた】「老いずに死ぬにはどうしたらいいですか?」

「ただし、自殺は除いてください」と質問が来たので、回答してみる。

できるだけ論理的に。できるだけ五臓六腑に染みわたるように。

 

老いる前の人間、つまり若人というものは往々にして『出逢いは無限にある』と勘違いしている。

『出逢いは無限にある』ということの具体的な行動事例でいえば、たとえば渋谷スクランブル交差点のまえで次々と女性に声をかける、という行為があげられよう。

 

路上での物理的なマッチングアプリだ。

web3.0ではなくて、webマイナス1.0。

声をかけたことがない? 

簡単だ。知らない他人に声をかけるのだから第一声はあいさつでOK

 

小学生でもご存知のとおり、昼間なら「こんにちは」、夜なら「こんばんは」、朝なら、朝は私は寝ているし、渋谷の街も眠っているので声はかけない。

まり、「こんにちは」と「こんばんは」だけが言えれば大丈夫

 

実演してみよう。

 

こんにちは無視こんにちは無視こんにちは」ガン無視こんにちは」ガンスルーこんにちは」一瞬だけチラッと頭部がこちらに向かって動く。チャンス!

「急に声かけてごめんね。あまりにも可愛いからわず声かけちゃったんだけど、モデルとかやってるんですか?」

 

ポイントは、最初質問は閉鎖的質問であることだ。YESかNOで答えられる質問

お仕事はなにされてるんですか?」だと開放型質問となり、選択肢があまりにも多くて、答える方はめちゃくちゃ面倒だから無視される。

 

最初質問YESかNOで答えられるならばなんでもいい。

ネコ飼ってますか?」「夜の仕事とか興味ありますか?」「スタンダール赤と黒は読んだことありますか?」

 

その後、ボディーランゲージもふくめて「YES」か「NO」の返答があれば、私と彼女の間には意識的にも無意識的にも精神交流と呼ばれる回路ができあがったといえよう。

回路という単語は「回廊」でも「認知領域の拡大」でも「ライフストリーム」でも呼び方は何でもいい。

まり彼女は私の存在彼女世界に加算してくれたのだ。これはでかい

 

さて、ここから先どう展開していくかは、有料版のAI解説したい。

上記あくまで私と彼女の間に微小な人間関係が生まれただけで、ここからどう発展していくかは、それこそ近所の散歩東京マラソンで完走するぐらいの差がある。

高尾山ケーブルカーで行くのとエベレスト単独登頂でもいい。水たまりマリアナ海溝でもいい。H2ロケット打ち上げ失敗と火星探査成功ぐらいの差があるといってもいい。

 

要するに。

 

出逢いは無限にあると勘違いできる性質と同様、老いずに死にたいとか夢のようなことを質問できるのが若人の性質というものである

 

ここで私は『肉体は老いても精神老いいか大丈夫』とかわかったようなことは言わない。

私が言いたいのは、出逢いは有限だから記憶に残るし、思い出にも残るし、大切にしたいと考えるのであって、

出会い寿命無限であれば、そもそも私はマッチングアプリなんぞに手は出さんぞ。

 

若人よ、大いに悩め。大いに出会え。大いに後悔しろ

 

そして、簡単AIなんかに聞いて、わかったような人生だけは歩むんじゃないぞ。

anond:20230311124803

「男と違って女はクソ」って言ってる奴って、男女のクソ比率はそんなに変わらないものから

から明確に嫌われるようなことを無意識にしてるのに自覚ないバカモンスターばかりなんだよな(観測範囲)

女性蔑視発言をめちゃくちゃ無意識にしてる

人間性カスな性欲モンスター

・対人関係甘えすぎ、不快他人に好印象を与えることがあらゆる側面でできてない

・表面的な友人になるぶんには良いけど家族レベルでは関わりたくない

みたいな奴なんよな


多分男からでも、ルームシェアする相手とか恋愛対象とか一歩踏み込んだ相手としての関係を望んでたら毛嫌いされてると思う

モンスターは女には親密さを求めるくせに男には親密さを求めないから、害がないから当たり障りなく男から接されてるだけ

横浜お土産とは

横浜出身で、今は都内に住んでいる

首都圏在住の、横浜出身・在住ではない知人に、「横浜お土産といえば」と問われ、真っ先に思い浮かんだのが鳩サブレー。でも鳩サブレー鎌倉横浜ではない。

次に思い浮かんだのは、横浜駅の予備校に通ってた時にたまに買ってたステラおばさんのクッキーだけど、調べてみたら本社白金横浜というわけではなかった。

もうちょっと考えると、大船軒の鯖の押し寿司とか、崎陽軒シュウマイとか、華正樓や重慶飯店の月餅くらいを思い浮かんだんだけど、押し寿司シュウマイは、日々の往来で通りかかって買う分にはいいけど、なんかお土産として不適切な気がする。

軽い話なんだけど、横浜駅周辺で買える条件で、そこまで足を伸ばしたならお勧めしたい、自分で買って帰っておうちで食べて美味しくて嬉しいというものはあるだろうか?

# 崎陽軒のをシュウマイと書いてることにご批判多数。ごめんなさい😰 横浜市でも山中鄙びたとこの出とはいえ、どの駅にも売店あるんで無意識的には認識してたと思うんですが、ぼんやり過ごしていたようです。すみません

2023-03-11

リベラルフェミ方面の、他人不作為意識的のもの無意識的なものも全部責任を追及して当然だけど、ジャニーズ問題とかの自分(もしくは自分に近い人間)の矛盾は「複雑な感情があるんだよね」で済ますのほんとキチガイじみた甘えだよな。

どんな教育受けたらあんモンスターが生まれるんだろう。

本当に親の顔が見てみたいと思う。

春眠暁を覚えず

正確な意味理解していないが、

要は春になると眠りが心地よくて、

なかなか起きれなくなってしまう。

くらいの感じで捉えている。

 

かに春になると冬と比べて、

眠気がなかなかとれない感覚がある。

ただそれは春の眠りが深いという意味ではない。

しろ眠りの質で言えば冬のほうがより濃密だ。

これは環境にも左右されると思う。

私の場合、冬寝るときには部屋を暖かくして寝る。

外の身体が冷え切る寒さと、

スファンヒーターから吹き出る風により温められた部屋の暖かさ。

そのふたつのコントラストが生み出す、

まるで意識を失うかのような不思議な入眠作用

そこから始まる、冬特有の深奥な睡眠からもたらされる摩訶不思議な夢たち。

 

私には冬にしか見ることが出来ない夢というものがある。

意識の底に溜まった無意識の深層に潜り込むことでしか見ることが出来ない夢がある。

そこに到達できるには条件がある。

寒いであること。

その寒気に抗うべく強い熱風が勢いよく吹き出て部屋を温めてくれていること。

そのときに私は深く深く奥へ奥へと沈降しそのときに見るべき夢を見るのだ。

 

そんな眠りを終えた日の朝。

もちろん起きるのは難しい。

でも一度、起きてしまえば、

頭はひどくスッキリとしている。

春にはそういう風にはならない。

いつまでも眠い

多分、眠りが冬に比べて浅いのが原因だと思っている。

anond:20230311044618

人生イージーモードのやつはそうやって無意識他人から恨み買っていつか大失敗するから面白いよ。「なんで私がこんな目に」とかいうし。いやいやwって思うけど。

※再追記編集※30歳女、初めて痴漢にあって、無意識の悪意に触れた。

30歳女、生まれて初めて痴漢にあった。

電車が大幅に遅延していて、0時を回った頃に最寄りに着いて、ホームから改札階に行く階段で左尻をぬるっと触られた。

時間がたった今でもそこが痺れているような不快感がして胸糞悪い。

さらに胸糞悪いのは、目撃者たちの「見て見ぬふり」

ここ最近毎日帰宅が日付が変わる頃、みたいな残業生活を強いられていて殺気立っていたわたし

「あ、触られたな」

と感じるよりも先に後ろのおじさんの腕を掴んでいた。

「今触った?」

と尋ねると、おじさんは違うと言い張る。

なんなら、触った人を見ていて、触った人は階段を登ったすぐ横のトイレに駆け込んで行ったという。

はいはい言い訳ね、嘘乙。と思っていたら、先ほど私たちの横を通り過ぎたお兄さんが戻ってきて

「その人じゃないですよ。見てましたんで。」

と教えてくれた。

更に、おじさんと同様に「トイレに逃げて行きましたよ」と教えてくれた。

おじさんは本当のことを言ってたということがわかって、非常に申し訳ないことをしてしまたことをお詫びして、お兄さんには教えてくれたことへのお礼をした。

おじさんは

「勘弁してくださいよね」

と、吐き捨てるように言って去って行った。

いくら疲れていたとはいえ無罪の人を疑ってしまたことの申し訳なさやら情けなさやら恥ずかしさやらで一瞬落ち込んだが、

時間が経つにつれ、違和感を感じた。


おじさんもお兄さんも『見ていた』のだ。

目の前で女性が尻を触られる瞬間を目撃していたのだ。

止めてくれよ。助けてくれよ。


見て見ぬふりをされたことを非常に悲しく感じた。

痴漢はされた側が泣き寝入りするしかないとはよく聞いていたが、なるほど、そういうことかと理解してしまい、やるせ無い気持ちだ。

痴漢は、する人間が1番悪いのは当たり前だとして、それを見て見ぬふりをする人間ばかりだから一生いなくならないのではないか

おじさんとお兄さんは「悪意はなかったんですけど」という枕詞とともに「見て見ぬふりをしました」と、続けて言っているようなものだった。

見て見ぬふりという無意識の悪意に触れて、恐ろしさと憤りで心臓バクバクする。

世の中の女性たちはこんな無意識の悪意にずっと触れ続けているのか。胸糞悪い。

どこかの誰かに聞いてもらわないと辛くて眠れそうになかったから、ROM専だったはてブロに思わず投稿してしまった。

知らない人の悪意に触れて最悪な気持ちだったけど、ここで吐き出して知らない人に聞いてもらえて少しこころが軽くなった。

聞いてくれてありがとう





ていうか、なんで見ず知らずの人間の体に触るんだよ。

ちょっと触っちゃうだけ、じゃないんだよ、性犯罪なんだよ、今日触ってきた痴漢かい性犯罪者と、見て見ぬふりをしたあの二人が社会的に早く終わってくれますようにと願ってしまう。

追記

反応してくれてありがとう

ごめん、たまたま会話に参加していた登場人物がおじさんとお兄さんという男性2人とわたしだっただけで、たとえそれがおばさんとお姉さんとわたしになろうと

見て見ぬふりをされたことへの悲しさだったり怖さだったりは変わらないと思うよ。

男だから、女だからという論点で話を聞いてほしかったわけではないんだ。

男だろうと女だろうと痴漢の見て見ぬふりは犯罪容認だと思うよ。

本当に今回その場にいた人がたまたま男性しかいなかっただけ。

不快に思わせちゃってごめん。



友達や彼に「痴漢された」って恥ずかしくて言えないから見ず知らずのあなたたちに代わりに聞いてもらいたかったんだ。

たくさん考えてくれてありがとうね。



人を助けるのにはリスクがある世の中なの、悲しいね

どうしたら変わっていくかね。

幸いにもわたしはまだ痴漢という現場に(今回以外)出会たことがないけど、もしも今後出会ったときには、動画撮ったり、写真撮ったり、できることはやっていきたいと思った。胸糞は悪かったけど、そう考える良いきっかけになったなと思う。

さら追記

朝起きたらめっちゃレスついてて驚いた〜

いろんな人の目に留まるもんだね。

実際痴漢されてめちゃ気持ち悪いし怖かったなって知れたよ。

悪意って言っちゃってごめんて。

いろんな人のいろんな意見があるな〜と思って見たよ。

「助けられない」

って人に対して

「オメーには期待してねーからwww

みたいなことを言ってる人もいたけど

個人に期待するというよりか、世間的に助けることへのリスクデメリットが減っていくことに期待したいなと思ったよ。

これ以降の更新も反応ももうしないよ。

海外のことはよくわかんないしそれでもわたし日本で暮らすのが好きだなと思うから、そこについてはほっといてくれ〜w

2023-03-10

いい年こいてエアガンに手を出してしまった。

40代未婚でこれから先も宛てが無いしっていうんで、職場若い連中に誘われて電動ガンを買った。

元々ゲームで実銃の見た目や名前は知ってたから、M4タイプカスタムがしたいなぁと言ったら食いついてくるのなんの。

マルイM4A1 リスバージョンをベースに好きな見た目に変えて見たりした。

総額10万も行かない程度で好みの見た目になって大満足。

マルイ製なので性能も落ち着いててとても良い。

上司釣りをやれと言ってきたけど、それこそ竿で凄い高額なモノとか買わされそうだったし、そもそもやりたくもない物にお金もかけたくなかった。

若い連中と絡んで銃の話をしているとガキっぽいと言われるが、それでも好きな物は好きだし、一緒にFPSゲーム遊んだりするようになった。

それがきっかけで仕事も気さくに相談に乗れる感じになってめっちゃスムーズになったし、エアガンに手を出して本当に良かった。

来月はサバゲーにも行くし、結構楽しみ。

ただ、無意識のうちに年上マウントというか、パワハラみたいな事をしない様にする事だけは気を付けないとな。

釣りをさせようとする上司みたいな、相手が本位に思わない事は絶対にしない様にしないと。

2023-03-07

anond:20230305115951

気管に入らないのかな

汁気の多いどんぶりとか、無意識に吸ってて気管に入って鼻からご飯粒を出さざるを得なくなる状況が1カ月に一回くらいある

anond:20230306231719

買い出しのついでに美術館に寄ったのがそもそもの間違いだった

他人に見られたくないものを運搬している時点で、気分はもう犯罪者

しか場所ルックス・財力に恵まれ強者がうようよいる美術館と言う腐海

無意識アウェイ感に苛まれ呼吸困難で脳が酸欠状態になっていたことだろう

これが秋葉原コインロッカーだったらこんな疑心暗鬼に陥ることはなかったはずだ

やはり美術館デートで行くべき場所なのだ

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