はてなキーワード: 鄙びたとは
百合子は島嶼部に真っ先に演説に行ったり初日に間に合うようにポスター送ったのが流石だわ
よく言うじゃん「彼氏が私には優しくても、店員に失礼だとドン引きする」みたいなの
「田舎のカッペ弱者」を切り捨てないというのは都心に住んでる者からも好印象
実際に任期中の百合子が本当に田舎にも優しかったかは異論もあるだろうが、「優しいフリ」ぐらいはできる
他のやつはフリすらできないで最初から島なんかにポスター張りに行くつもりがなかったり、輸送の遅れを計算に入れられなかった
暇空とかは、奈良の田舎から上京して今は港区に住んで、都会人ぶりたくて仕方ない
「多摩格差はどうでもいい」と言い切るし、都内にも鄙びたところがあるという実感に欠けるので
「映画館が無料になる電子クーポン作れば票を稼げる」と勘違いして公約にしちゃう
島に映画館なんかねえんだわ、交通費かかるんだわ、恩恵受けられない事柄に税金そそぎこむ宣言されても票取れないんだわ
「弱者女性支援なんて俺と無関係なことに税金使われるのは嫌だ」で弱者男性の人気集めた奴なのに元が奈良カッペだから東京の地理関係疎そう
鎌倉、いいところですね。
関東に来たばかりの頃は、鎌倉にきて、こんな"古都"もあるんだなあと少しばかりびっくりしたけれど。
古都という色眼鏡を外せば、鎌倉の良さがすこしずつわかってきた、気がする。
鎌倉というと歴史都市と思われがちだけど、案外関西なら西宮から西側、須磨とか塩屋あたりまでくらいの雰囲気に近いのかもしれない。
あそこまでハイソな雰囲気はないけれど、東京の文化が入ってきていて、それなりに洒落た店も多い。
京都のように深い伝統の香りはしないけれど、まあ、いい感じの海沿いの街としては、ありなのではないかな。
春の晴れた日に海沿いの古い路地を歩くと、これが漱石の味わった鎌倉かもなあと、嬉しくなる。
関東風の中華そば(甘すぎず美味しい)とか、無骨な力もちとか、そういう、言ってみれば滋賀の片田舎で感じるような、素朴な良さが鎌倉にはただよっている。鎌倉野菜は京野菜のパクリみたいで笑ってしまうけれど。
最後に、寺社仏閣としては、見るべきものはそれほど多くないけれど、禅寺の荒々しい雰囲気はなかなかよい。京都の禅寺は洗練されすぎていて、貴族の宮殿みたいなのだ。ああいうのは、本来の修行の場としての寺ではないんだろうなと思っていたから、鎌倉くらい無骨な雰囲気の方が、らしくてよい。
鶴岡八幡宮は、廃仏毀釈で見る影(それは石清水八幡宮もそうだ)もないけれど、それでももう少し建築年代が古ければ良かったのに、と思う。石清水八幡宮だってこないだ国宝になったんだから。あれ、近世建築としても、洛中のものからすれば格落ちすると思うけれども。
サーフィンでも、はじめようかな。
首都圏在住の、横浜出身・在住ではない知人に、「横浜のお土産といえば」と問われ、真っ先に思い浮かんだのが鳩サブレー。でも鳩サブレーは鎌倉で横浜ではない。
次に思い浮かんだのは、横浜駅の予備校に通ってた時にたまに買ってたステラおばさんのクッキーだけど、調べてみたら本社は白金で横浜というわけではなかった。
もうちょっと考えると、大船軒の鯖の押し寿司とか、崎陽軒のシュウマイとか、華正樓や重慶飯店の月餅くらいを思い浮かんだんだけど、押し寿司やシュウマイは、日々の往来で通りかかって買う分にはいいけど、なんかお土産として不適切な気がする。
軽い話なんだけど、横浜駅周辺で買える条件で、そこまで足を伸ばしたならお勧めしたい、自分で買って帰っておうちで食べて美味しくて嬉しいというものはあるだろうか?
# 崎陽軒のをシュウマイと書いてることにご批判多数。ごめんなさい😰 横浜市でも山中の鄙びたとこの出とはいえ、どの駅にも売店あるんで無意識的には認識してたと思うんですが、ぼんやり過ごしていたようです。すみません
安倍さんの訃報のニュースが飛び交っている。あまりみたくないニュースだ。酒でも飲んで忘れたいとも思う。でも生活をしていたら見ずにはいられないから、ある程度自分の中で安倍さんに対しての考えていることを文章にしておきたいと思う。これはメンタルを安定させたいがための行為である。
「グローバリズム」の最大の擁護者であったのが安倍晋三であったことは皆さんもご存じのことかと思う。グローバリズムは国内および国際的に格差を助長し、むしろ資本主義の健全な発展に資するものではないと批判されるものであった。国際的な自由ではなく、国内の国民を第一に守ろうというのが世界の潮流であった。とにもかくにも批判され、時代遅れの、周回遅れである「グローバリズム」を馬鹿の一つ覚えのように推し進めていたのが安倍さんであった。野党の時代にはTPPを反対していたのに与党になったらTPPを推進しまくってアメリカが離脱しても条約を成立させたのが安倍政権であった。FTAを各国と結ぶことは単純な善であるとして成果と喜んでいたのが安倍政権、乃至その路線を継承する自民党政権であった。この鄙びた、古く、異臭さえただようグローバリズムを無邪気にも支持していた。だがそんな打ち捨てられた、惨めな、正しくないグローバリズムにも、利点があった。脆弱な、強力でない、不安定な、ただ一つの利点があった。それは。
経済的結びつきが戦争を抑止するという話は第二次世界大戦後から注目された。古い話であった。WW2の反省をもとに生まれたのが現在のEUの前身であるECだった。この取り組みはある程度機能した。なにせ、ドイツとフランスとイギリスとスペインが何十年も戦争をしていない。こんなことはヨーロッパではありえなかった。民主主義国家であって、経済的結びつきがあり、適切な安全保障がなされていえば世界平和は実現できるのだと皆が夢想した。それは夢だった。どれだけ経済的結びつきがあろうと、独裁国家であれば個人の考えで戦争を起こせてしまうというのは当たり前のことだった。それでもWW2の敗戦国であるドイツと日本はグローバリズムを推し進めた。
戦争で負けたものにしか分からない教訓というものがあった。それは孤立してはならない、ということだった。自国の利益を差し出してもつながりは維持すべきものだと学んでいた。安倍さんは色々な人と「友達」になるのが得意だった。「友達」に利益誘導するのが得意だった。それは癒着、腐敗、法の軽視、人治主義であった。
その方向は世界平和をいつでも向いていた。
そうしたかったらそうしたのかは知らないが、安倍さんは世界平和に貢献していた。
日本の偉大なリーダーだったかは分からないが、世界の偉大なリーダーだった。
安らかに眠ってほしい。
蔵の街として知られる静かな町並み。
駅でもらえるマップを片手に、こんなところにもラーメン屋が!と街歩きするのが楽しい。
「ご当地ラーメン」を売る街は多いが、沢山の店舗が町並みに溶け込んでいるのはここが一番ではないか。
いくつか有名店とされる店はあるようだが、私は並ばずすぐに入れるお店へ何店か。
期待通りの太いちぢれ麺。どの店も旨い。
蕎麦を売りとする街。門前町に蕎麦屋が並ぶ街は多いが城下町では珍しいかも。
アクセスの便は良くもなく、周囲に人口の多い地域もない。関西圏以外で知名度はほとんどないのでは。
城下町として古い町並みも整備されているけど、それ単体で観光の売りにするのも他所の有名どころと比較すると厳しいかも。
それでも街にはにぎわいがあり、どのお店も絶え間なく客の出入りがある。
小皿に小分けされて提供される独特のスタイルで、しっかり打たれた蕎麦は間違いなく旨い。
周辺地域の方たちに愛されているのだな、と感じた。
「お好み村」が有名と聞き訪れたが、どのフロアも制服着た学生で大混雑。平日なのに。
期待していたのとちょっと違うかなと立ち退いて繁華街をふらっと歩くと、次々に目につくお好み焼き店。
それこそコンビニと同頻度で点在している。これなら有名店でなくても十分。
小さな店舗に入ると、カウンターが全面鉄板となった席に通される。
店員さんがすべて焼いてくれるのが新鮮だ。投入が前提となっている麺は、そば・うどんが選択できるのも良い。
気取らない普段着のカップル。会社帰りっぽいサラリーマン。カウンター奥の広島カープの野球中継。
ああ、ここではこれが日常なのだな。その土地の日常を体験させていただく贅沢よ。
鄙びた港町。最果て感漂うこじんまりとした街に、街の規模より気持ち多めな料理店・居酒屋が点在する。
鰹を名産として謳う街だがお店では名物!!と押し出される感もなく。定番メニューとして自然に鰹料理が並び、珍しい部位や調理の種類も豊富。
一般的に生ビールがあるようなドリンクメニューの先頭に、当たり前のように位置する「さつま白波」(枕崎に蔵がある焼酎)
鰹料理と手書きメニューの本日おすすめのお刺身を甘い醤油で味わいながら、1杯300円の焼酎を追加オーダーしつつゆったりと。
退店後周囲に目につく鰹節工場の看板眺めながら、こういうのがいいなとほろ酔いで小さな街を夜をのんびり歩く。
私の知らない魅力的な街はまだまだたくさんあるのだろう。
長引くコロナ禍でおそらく街も店も様子が変わってしまったはず。
いつかまたどこかへ訪れることが叶ったとき、その街の魅力が保たれていて欲しい。
【追記】
成人式に行かなかった。
田舎の鄙びた土地だったので、県外のそこそこの大学に行ったのはごく一握り。自分はその選ばれし一握りの人間なのだという謎の自負心があった。貧乏家庭だったので振袖代が勿体無いと思った。見知ったしみったれた公民館的なところで市長のジジイの話聞くために綺麗なおべべきて集合するのもなんか滑稽な気がした。
でも本当は、インキャで小中の友達が少なかったので、成人式の場でボッチになるのが怖かったのが一番の理由だったのだけど。
下宿先の市からも成人式の招待ハガキ来たけど、なんとなく、その市出身の人たちに遠慮して行かなかった。
でも今にして思えば、とりあえず行っておけば良かったかもしれない。しみったれた公民館に行くのも、小中の同級生と会うのも、あれが人生最後だった可能性が高いし。まあ行かなくてもよかったけど。
果名温泉の泉質は硫黄泉で酸性度は高く石膏分を含み、典型的には乳白色の湯を湧出し、皮膚疾患や自律神経不安定症、冷え性に効くとされる。現在の果名温泉にあたる場所で湯治が行われはじめた正確な時期はわかっていないが、戦国時代には国衆の松影氏と配下の武士が戦闘時に受けた傷を癒すために東屋を建て、熱した岩に湯をかけて出た蒸気を浴びる療法を行った記録が残っている。
旅館の立ち並ぶ温泉街が発展を始めるのは果名駅が完成し鉄道が停まるようになった大正初期以降で、大正年間には山形屋、鳳萊館、飛雲閣、梅風館、寶山閣が温泉旅館として営業を開始している。昭和初期には湯治客の増加に伴い、月風荘のように高層化した木造建築の旅館が現れた。昭和10年発行の果名温泉旅館協同組合名簿には27件の加盟旅館が記載されている。
温泉街は一大経済圏を形成し、湯治客のみならず温泉での働き手を引きつけた。特に昭和の恐慌時には各地の農村から子女が年季奉公で旅館に送り込まれ、仲居あるいは酌婦として住込みで働いた他、「即席御料理」の看板を掲げた曖昧屋も複数存在していた。
温泉街でありながら閑寂な山居の趣を味わいうる果名温泉は多くの芸術家たちを魅了した。志摩名護也の「果名にて」や葛西前後の「波浪」といった小説は果名温泉の旅館で執筆されており、当時の果名温泉での生活を垣間見ることができる。作曲家和賀英良の名曲「疑問」は、鳳萊館の露天風呂で着想を得たとされる。
戦時中には物資の統制や倹約の奨励で温泉旅館の営業は一定の影響を被った他、温泉街は疎開児童の集団受け入れの場となった。終戦直後の乏しい物資供給を乗り越え温泉街の旅館は営業を続けたが、高度経済成長期には急峻な地形に鉄筋コンクリートの高層ビルを建てにくかったことから果名温泉は団体旅行の受入地とはならず、鄙びた温泉地の形態を留めた。
今世紀に入って旅行者の嗜好が変わるにつれ、果名温泉街の伝統的な景観と旅館の木造建築が再び脚光を浴びている。経営者の高齢化、湧出量の維持といった課題を抱えながらも、温泉旅館協同組合が主な担い手となり、地域の産業振興策と一体となった新たな温泉街の魅力づくりに取り組んでいる。平成10年には青年会により温泉街で第1回オメガラーメンまつりが開催され、果名村が発祥とされるオメガラーメンを温泉とともに楽しんでもらう行事が現在に至るまで毎年秋に行われている。
こういう話になったときに「俺はうまく親を丸め込んでやったぜ」っていう武勇伝が入ってきたりして、
そういうのみて
「ただ打ちひしがれるだけの自分ってなんだったんだろう。
子ども時代に肩身の狭い思いをしたのは結局自分の器量の小ささが全ての原因なんじゃないか?…」
って傷口に塩擦り込むようなこと考えたりしちゃうんだよなあ…
ちょっと前に「ゲームしてる友だちを見てるだけでも楽しかったよね?」みたいなネット記事がちょっとバズって
(これ→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1909/02/news023.html)
どうしても自分は、
下手さゆえにコントローラを絶対に握らせてもらえない屈辱感や、
そうしてデグの棒のように画面を見つめることしか出来ない私を疎んじる級友の視線、
やがて遊びに誘われなくなっていく寂しさを思い出して、
ただ、トラウマのフラッシュバックも嫌だったけど、それ以上にショックを受けたことがあって、
それは「見ているだけ」というスタンスを示しつつも友だちの輪の中に居続けられた人の存在がぽつぽつと可視化されたことだった。
「あれ?自分がここにいる意味なくない?誰も自分の存在になんて意識向いてないよね?今ここからいなくなってもみんな気がつかないんじゃ?…」
なんて不安になることもなく、
直接的に「鬱陶しいから画面覗かないで」とか「邪魔だからテレビの近く来ないでもっと隅に寄って」と拒絶されることもなかった人たち。
「その原因は養育環境なんかには決してなくて、私自身が元々他の子と比べて劣等だったからなんじゃないの?」
かつての記憶を呼び起こしながら自己を非難し続ける堂々巡りがその日からしばらく続いた。
なんでそんなに自分が憎いのか?
いい歳してこんな心境に陥るとは思っても見なかったからすごく驚いた。
それでもやっぱり他の子と同じようにゲームに親しんでいればそれなりに周りと調子を合わせられたと思う。
【基本スペック】
・年収550〜600万(休日はカレンダー通り、残業月40〜50時間)
・175cm65kg普通体型
・TOEIC850程度(海外経験ありだが、今後はおそらくずっと本社勤務になる)
【趣味】
・野良猫の写真を撮る(カメラはソニーα7R2、フジX100F)
・食べ歩き(インド料理、本格中華、スペイン料理など、1人5000円までが目安。男女問わず食べ歩き仲間募集中)
・写真投稿サイト(ガンレフ)での高画質女性ポートレートの等倍鑑賞
・Twitter(在日コリアン女性のフェミニストとして、ネトウヨから卑猥な中傷を受ける)
・窓際の席での人間観察
・27歳頃までの皆藤愛子
・2017年東京女子大ミスコンのentry02の子(素人さんなので名前は出しません)
・首都圏在住
・趣味の近い人
【悩み】
・婚活パーティーや婚活サイト以外で自然な出会いがしたい。仕事での出会いは今のところない
・Twitterやブログで趣味を介してつながりを求めるのは現実的か?
・女性が多いが、30代独身男性が入ってもおかしくない習い事はあるか?
結局どっちやねん?
元々の疑問は小説投稿サイトに投稿する際について、2chに書かれたアドバイス。
7~8時、通勤通学で読者が多い
22時以降も読者が多い
だからこの時間帯に投稿するのが狙い目、ただし投稿数も多いから目につきにくくなる、と。
お店でもそう。
人が多い地域に出店すればお客の多さの恩恵は受けられるがライバル店が多い中自分の店が選ばれる率は減っていく。
じゃあ人の少ないところに……てなると今度はそもそもの客が少ない。
ほどほどの鄙びた駅まえにコンビニが1軒だけとかなら儲かりそうだけれど、
服屋とか飲食だとそもそもわざわざ人が寄りつかないこともありそう(沢山店があるところで買うから)
いろんな人がいろんな研究してそこそこの知見は溜まってるんだろうけど、高いコンサル料とか払ってアドバイス受ける人も少なそうでもったいない。
事実、うちの近所に新しくオープンした店(飲食系)なんてなんのリサーチもせずに