はてなキーワード: 瀕死とは
旅パとは、ポケットモンスターシリーズにおいて、ストーリーを攻略するためのパーティを指す通称である。
ポケモンの強さはタイプや種族値、特性、技など様々な要素によって決まる。
しかし旅パの場合はそれに加えて入手や育成の手間、何より己の好みが重要な判断基準になる。
目次
■概要~旅パってなんだ?~
■よくある旅パ
■よりよい旅パのために
・登場が早い/入手しやすい
・素早さが高い
・強力な技を覚えやすい
・交換で入手できる
・フィールド技を多く覚える
・捕獲要員として優秀
・便利な特性を持つ
■使いやすい技の例
■使いやすい道具の例
■レートやバトル施設について
■最後に
■概要~旅パってなんだ?~
つまり、他のRPGと同様ストーリーが用意されており、それをクリアする事が多くのプレイヤーの目的となる。
ポケモンのストーリーは、概ね「旅の仲間となるポケモンを集めて鍛え上げ、各地のツワモノに挑戦して勝利し、ついでに悪の組織の野望を打ち砕き、最後はポケモンリーグに挑戦して最強のポケモントレーナーとなる」というものなので、ストーリーを進めるにはまず旅の仲間となるポケモンを集めて鍛え上げなければならない。
これを「旅」に使う「パーティ(*1)」、略して「旅パ」と通称する。
高度な対戦に興味がない低年齢層やライトユーザーは、「旅パ=対戦でも使うパーティ」であり、「旅パ」の概念は基本的にない。
この項目を見ているそこのキミも小学生の時から「これは旅パです」とか考えていなかっただろう。俺だってそうだ。
これに対し、ある程度の年齢になってもポケモンを続けている人の多くは、ストーリーをクリアしたら次に通信対戦でより強くなる事を目指すため、ストーリーに使うパーティとは別に対戦用のパーティを組む。
このため、対戦用ではないパーティをあえて区別して「旅パ」と呼んでいるのだ。
■よくある旅パ
さて、画面の前の君たちは最初に「ポケモン」を遊んだ時、どんな旅パを組んでいただろうか?
リザードン Lv67 かえんほうしゃ あなをほる かいりき いあいぎり
コラッタ Lv2 たいあたり しっぽをふる
コクーン Lv5 かたくなる
ポケモンというゲームは、 『X・Y』まで長らく「バトルに出したポケモンしか経験値をもらえない」というシステムであった。
つまりバトルに出すポケモンを1匹に絞れば、そのポケモンに経験値を集中させ、強く育てる事ができる。
この最強エースは大概の場合ストーリー中に登場するあらゆる敵のレベルを凌駕するため、タイプ相性などを一切考慮せず、1匹で無双できる事も珍しくない。
それ以外の5匹が戦闘に出ることはない。出たとしてもバトル中に瀕死になったエースの復活のための生贄にされるだけである。
ただ、不利なタイプのジム戦で苦戦しやすい、タイプ相性を考慮した戦略が身に付かないなどの欠点もある。
初心者がよくやる浅はかなプレイスタイルであるが、実はもっとも効率的なプレイスタイルでもあり、RTA(*2)などでは基本的にこの方法が用いられる。
リザードンの「いあいぎり」と「かいりき」がとても邪魔そうだが突っ込んではいけない。(当時は忘れたくても忘れられない。非情。)
なお、近年はエース1匹だけだと非常に厳しい相手も出てきたので、うっかりしていると詰む。
更に「がくしゅうそうち」で戦っていないポケモンも育てられるようになったので、エース以外のレベルが1桁止まりのパーティは少なくなったことだろう。
しゅじんこう グリーン バッジ 8こ ポケモンずかん 80ひき
フシギバナ タネちゃん Lv45 はっぱカッター メガドレイン ねむりごな いあいぎり
ピジョット はとぽっぽ Lv45 そらをとぶ つばさでうつ でんこうせっか かぜおこし
ラッタ ミッキだよ Lv45 ひっさつまえば いかりのまえば でんこうせっか たいあたり
ライチュウ ピカ Lv45 10まんボルト かみなり フラッシュ でんこうせっか
ニドキング トゲトゲ Lv45 つのでつく なみのり かいりき あばれる
バタフリー あおむし Lv45 サイコキネシス サイケこうせん ねんりき ねむりごな
というようなアドバイスが行われる。
このアドバイスを素直に受け入れるタイプの子のプレイスタイル。
なにしろ素直なので序盤にこのアドバイスを意識してパーティを作り、
とても素直なのでそのポケモンに愛着が湧き、パーティを変更することができない。
その結果、ピジョット、ラッタ、バタフリーといった、後半にもっと強いやついくらでも出てくるよね系ポケモンがいつまでもレギュラーに居座ってしまうのだ。
ニックネームにも愛着があるので明らかに進化前の面影がありすぎる名前をしている。
補助技については、相手を眠らせて行動不能にできる「ねむりごな」は強いと思うので覚えさせており、それ以外は全て忘れさせている。
また結構ポケモン図鑑を集めている=ポケモンを捕獲する事が多いので、野生ポケモンを弱らせるために弱めの技を覚えさせているのが特徴。
ここではそれを全員にやらせる必要があるかはまだ気づいていない。
パターン3:最強と最強と最強が合わさればチョ
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
ここで暗転して、けたたましく医療機器が警報を鳴らす病室に舞台が変わる。
ワニがECMOに繋がれて瀕死になっている。
どうしてか?
100日前に仲間と会食して、それでワニは新型コロナに感染した。
「100日間生きたワニ」という改題は、コロナの闘病生活がここから100日に及んだことを表す。
物語は闘病生活を丁寧に追っていく・・最初は熱が続き発熱外来からPCR検査をして陽性。
ホテルでの隔離生活では仲間とスマホで連絡を取り合える余裕もある。ネズミも感染していた。
幸いお互い症状は軽い。軽い冗談を言い合いながら職場の先輩への恋心も語り合う。
ところが・・・ワニだけ症状が悪化。肺のレントゲンはマリモが増殖。入院となる。
なんやかんやあり、肺はついに真っ白。ECMOに繋がれる。面会謝絶の中、ワニは朦朧とした意識の中夢を見る。
ああ。どうせ死ぬんだったら、満開の桜の中好きなバイクで事故死したかった。
仲間に看取られながら死にたかった。
だいたいこんな感じの映画になるんでしょ?
昼食を食べ終わった頃、お義父さんが今日の夕食の材料を買ってきました。
今日の夕食は「ハト」です。今日の夕食は「ハト」です。大事なことなので2回言いました。
丸々と太ったハトが3匹。真っ白、茶色の斑点、グレーとまだら模様と3種類。1匹50,000VND(約250円)で買えるそうです。田舎の価格からすると結構高い食材なんじゃないかな。
鳩が3羽ビニール袋に入ってる
まだまだ生きていて、懸命に逃げ出そうとします。
逃げ出す鳩
足が縛られていて、ほとんど飛ぶことはできません。
足が結ばれている
ちょっとグロい画像が続くのでモザイクかけています。クリックしたらモザイクなしの写真がみられます。
逃げ出そうとするハトをお義母さんが押さえつけます。このあと壁に叩きつけて、瀕死状態にしていました。
瀕死状態でおとなしくなったハト。かわいそうですがしょうがないですね。
せっかくなんで羽毛をむしるのを手伝います。
ハトの羽毛って意外とかんたんにむしれるんですね。ぶちぶちと抜けていきます。
残酷な作業に恐怖の顔を浮かべ甥っ子。この子はわんぱくでいつも走り回ってるんですが、こういうのはショックだったようです。笑
時折無茶苦茶なことを言い始めますが、自分が怒りにとらわれていた時点での感情であって、日ごろから自分がそういった主張の人間というわけではありません。
ただ、そういう風な思考回路を辿ったよという事実が誰かの参考になるんじゃないかと思い記録しています。
また、タイトルの「理不尽な怒り」というのは、自分が勝手に理不尽に相手に怒りの感情を抱いたという意味です。
理不尽なのは私の考えがであって、叱責した側がではありません。
まずはどのような叱責であったかについて。
内容は、数日前の仕事においてある方にサポートしてもらったことについて、一言何かあってもいいんじゃないのかといった類のもの。
単純に私が忘れていたのが悪いので、叱責の内容自体はもっともなものだと思っています。
場所は職場の休憩所で、人が多く集まっている時間帯。非常に威圧的な態度での言葉で、言われている間私はすくみあがっていました。
いわゆる「人前で叱責する」というパワハラの一種みたいな感じです。上司ではなく先輩なのでパワハラとも少々異なる気がしますが。
申し訳ない気持ちと相手の威圧感に押されて頭が真っ白になった。
始業直後のことであったので、とりあえず仕事に取り掛かるもそのことが気になって頭が回らなくなる。この時点ではまだ叱責されたことを気にしている段階。
脳細胞の稼働率が普段と比較して70%ぐらいまで落ちているという感じがする。
思い返せば、あの日特に大きなミスを起こさなかった自分はよくやったと思う。
怒られたことを反芻しているうちに、言われた内容や場所、その時の相手の表情態度などパーツ分けをしてそれぞれに思いを巡らすようになる。
やはり仕事は片手間でやっている状態。脳細胞稼働率が70%で、30%ほどは常に怒られたことについて考えている。
「内容についてはわかるけど、何もあんな風に言わなくても」「そもそもあんな注目を集める場所で言うか」「挨拶を忘れていただけなのにあそこまで言われる必要はあったのか」「怒られたせいで仕事に手がつかない」
といった具合。思考が迷走を始め、相手自体への嫌悪感や怒りが混じり始める。
仕事が終わり余裕が出てきたことでさらに思考が迷走し、半ば個人攻撃、差別的思考のような内容が中心になっていく。
「そもそも日ごろから威圧感出しまくりで鬱陶しい」「前職が○○だって聞いたけど、研修で人間性を否定されたっていうんだったら人間のいるところに帰ってくるなよ」「普段から他の後輩も偉そうに見下してるしそんな態度で感謝してもらえると思ってるのか」等。
ベトナム帰還兵の悲哀を描いた名作で、母国に帰ってきても碌な仕事も貰えない青年、ランボーが感情を爆発させるシーンは映画史上屈指の名シーンだと思う。
私はそのシーンを見て帰還兵の苦しみに思いをはせた事があったが、ここで一つ実感した。
上下関係に異様に厳しく、威圧感があり、言葉はぶっきらぼうだが鋭く、暴力的で何をするか分からない。そのうえ何かあったときに物理的に制圧することも不可能。
前3つでも相当きつい。全部そろった帰還兵を自分が職場で受け入れられる自信はない。
考えてばかりで疲れたので、強めのアルコールを摂取し思考を吹っ飛ばす。
あまり気にならなくはなったがそれでも時折辛く感じる。
とりあず当日はここまで、明日は休日なので何とかなるだろうと考えて就寝。
テレビを見て気を紛らわそうとするが、一定間隔で怒られた時の声音と顔がフラッシュバックし始める。
傷が熱を持ち始めた時のようにじんじんと痛みとフラッシュバックが繰り返し、まるで自分の視界上に怒り色のペンキをぶちまけられたみたいだとか考え始めた時点で察する。
「やばいこれトラウマか、トラウマになりかけなのかこれは」なってる。
余りに繰り返し続けるので、発覚しにくい方向での嫌がらせの方法について考え始める。
あれでもないこれでもないと考えた上で「まだ陽性出てないコロナ患者がいたら、体液でも貰ってあの人中心にクラスター発生させたいなぁ」とか考えだした時点で瀕死だった理性が復活する。
ものすごく不毛だこの思考は。不毛だとわかっているのに思考がコントロールできない。
そもそも相手の主張内容自体は間違っていないのに、相手の人格を否定するような考えや相手を貶めるにはどうすればいいかという想像が頭をめぐって止まらない。
ここでまた唐突にあることを思い出す。この展開、三国志で死ぬほど見たやつだ。
人前で叱責されたことを根に持ち謀反を計画するも、事前にバレて族滅されたり。
酔っぱらった状態でのパワハラを根に持ち、出陣前の上司を裏切り殺したり。
気に食わない上司に不満をもちそれを口にしたことを讒言され、庶民に落とされたり。
張飛と関羽の部下は悪者扱いされがちだが、その気持ちを不覚にも理解してしまった。
あの人も主君に酷い仕打ちを受けつつもその場は耐え、のちに謀反に手を貸し復讐を果たした人物だった。
よく耐えられるもんだと思った。自分ならその場で動揺して打ち首だ。マジリスペクト。
さらに「好きの反対は嫌いではなく無関心」という言葉を思い出し、そんなわけがあるかと叫びたくなる。
自分が忘れたくても関係なく興味を引き、頭の一部を支配して、マイナスの感情と心身への不調をもたらす感情。
完全に好きの反対だ。バフとデバフの関係であり、興味という原点から正反対のベクトルを描く感じだ。
「好きの反対は……」などといった小洒落た言葉に何の意味もない。好きの反対は嫌いだという事実を直視したほうがいい。
嫌いな対象に対してばかり思考が向いて建設的なことを考えられない状態というのはかなり堪えた。
とりあえずこの感情はろくでもないものだという自覚を持ったので何とかしようと思って、鬼滅の刃のアニメを見始める。
漫画は読んだけどアニメは見てなかった。今無限列車編の4dxが上映されてるらしいのでこの休暇中に全部見ようと思いマラソンをスタートする。
水の呼吸って映像化するとこんなに奇麗なのとかそういう今更感あふれることを想いつつ全話見てそのまま勢いで映画館に行ってみてきた。
前々から「こんなまっすぐな主人公が評価されるなんて凄い時代だ」と思っていたけれど、改めて炭治郎君凄いな。
相手のことを否定したり、食って掛かったりしない。伊之助との会話で特に顕著で、話の腰を折らずにうまく相手を動かす技術が突き抜けている。
これぐらい器用かつまっすぐに人付き合いができたら素晴らしいだろうなと思いつつ感動のまま映画視聴終了。
大迫力で素晴らしい体験ができたが、常に微振動が続くので、途中でトイレのために退室する客がいたのが印象に残った。
怒られた話? そんなものどうでもいいや。
あの××のために思考回路を割いたこの数日間は完全に無駄だった。
負の感情に思考のリソースを割くの本当に無駄でしかないよね。あー無駄無駄。
↑のような思考をするようになったらかなり精神的に楽になった。
それなりに落ち着いたうえで、休み明け、同僚に「この前のアレなんだったの?」と聞かれたので「仕事関係で気が利いてないってちょっと怒られてねー」と軽く話をして独り相撲終了。
独り相撲をさんざんやったけど、なんだかんだで人に話を聞いてもらうのも大事だよねという話であった。
・怒りは二次感情と言うが、困惑や恐怖が怒りに煮詰まっていく過程を確認できたのはよかった。
・ハラスメントが成立するにあたっての、内容以外の要素の影響の大きさを実感できた。
・嫌いという感情がいかに不毛なものかを理解できた。これからは嫌わず憎まず梯子を外すよう努力します。
・謀反ってこうやって起こるんだなというのを肌で体験し、スケールの大きい経験をした気になった。歴史は繰り返す。
怒りに囚われているときの自分の感情がまるで自分でないみたいに制御できないことが非常に厄介で印象深かったのでみんなにもっと知られてほしいなと思う。
自分は普段から、「嫌いな相手のためにエネルギーを使うのが勿体ない」という理由で他人を嫌わないことをモットーにしていたから、怒りを抱いている状態でもある程度理性が働いたが、本当に自分ではない何かを必死で抑え込んでるような感覚を覚えた。
「ごめん無理なのおおおおお必死でやってるけど無理なのおおおおおうおおおおお本来の俺はこんなのじゃないいいいいい俺の思考に侵入するなぁあ脳のリソースを奪うなぁぁぁぁぁ助けてぇぇぇぇマジ無理いいいいい」という具合で悲鳴をあげながら向き合いました。善逸かよ。
つらい思いしてる人には悪いけど潔癖陰キャコミュ障の俺にとってはコロナ福だよホント
人との接触を最低限にする、という普段なら社会不適合者の行動が全世界的に推奨されている
そこらじゅうに消毒用アルコールが設置されている
そして飲み会行かなくてもいい
サイコーーーーー!
家にいる時間と幸福度が正比例するタイプの人間だから外出自粛は頼まれなくてもしたいくらいなのに、国から十万円のお小遣いまで貰えた
悪いけど俺は「職場の飲み会行かなくてもいいが、世界中に感染したら1〜2%の確率で死ぬウイルスが蔓延するボタン」があったら迷わず押す人間だ
(しかも実際には30代で基礎疾患がない俺が重症化したり死んだりする可能性はコンマ数%以下だ)
医療崩壊?構わんよ?
仮に俺が瀕死の重症を負って、コロナのせいで病院に受け入れてもらえず死ぬリスクが上がる代わりに飲み会サボれるならそのほうがありがたいし
(ちなみに職場の飲み会が嫌いなだけで酒は嫌いじゃない。むしろかなり好きな方。飲み会サボって家で飲む酒は宇宙一美味い)
なので、コロナのリスクを把握したうえで、それ以上に恩恵がデカいと思ってるわけ
ワクチンの普及し始めは
「いやー、副作用が怖くて」
とか言ってればいいけれど、コロナがインフルエンザ並みの扱いになったらどうしよう
ご贔屓、いわゆる推しもいる。
私は地方民なので、観劇の際は兵庫県の大劇場か、若しくは東京日比谷の東京宝塚劇場のいずれか、若しくは別箱、と言われる梅田芸術劇場や東京フォーラムといったホールに「遠征」する。遠征、つまり、宿泊を伴う移動だ。いずれにせよ、新幹線や飛行機を使わずに行ける距離に私の現場はない。
2020年、世界を未曾有の脅威が襲い、私は一切の観劇遠征を諦めざるを得なくなった。もちろんそれは私だけではない、遠征民と呼ばれる地方在住のヅカファンの多く(全部とは言わない)がそれを余儀なくされた。(中止となった公演もあり、それについてはチケットを持っていた者全員が涙を飲んだ。もちろん、それは劇団側もそうだろう)
春ごろには、夏くらい、遅くとも秋くらいには落ち着いてくれるかな?と、コロナのせいで中止になった公演が、劇団の不断の努力で次々とリスケされていく中で、この公演には行けるだろうか、この公演には絶対行きたい…などと、頭の中で叶わぬ予定を立てたりしていた。
状況は決して好転してはいなかったが、なんとか、ぎりぎり、行けるか…?という兆しがあった2020年11月末。私は、年内は我慢しよう、ここまで我慢したのだから、とにかく今年は我慢だ、そうすれば、2月くらいなら、状況ももっと落ち着いて、ご贔屓様の舞台も見られるはず!そう考え、チケットと宿、交通機関の手配に勤しんだ。ワクワクしていた。1年半ぶりの観劇遠征だ。1月ならGOTOとやらいう恩恵(結局私は使えなかったが)があるが、そんなもん関係ない、2月の観劇遠征に向けて、心は既に関西へ飛んでいた。
私は、いわゆるエッセンシャルワーカーの一端であるため、長距離の移動を伴う遠征は避けねばならないと自重していた。私が感染するわけにはいかなし、無症状の感染でウイルスを媒介することなど絶対にあってはならない。もしそうなったら、私の職場は完全アウトだ。だから遠征をあきらめ、日々感染のリスクに怯えながらも出来る限りの予防策をこうじて仕事を続けていた。
友人とも会えない、外食もカラオケも映画も行けない(鬼滅のムビチケは公開前から買っていたけどもう使うことはできないまま公開終了しそうだ)、帰省もできない、ただただ職場とアパートを往復し、休みの日もスーパー以外は一歩も外に出ず、タカラヅカスカイステージという有料のタカラヅカ専門チャンネルを同居人に遠慮しながらも視聴し、オンラインで購入したブルーレイが届いて喜んだのもつかの間、同居人に「それ宝塚からの荷物でしょ、消毒して」と言われ自分でも驚くほどの心の痛手を負ったりしながらも、黙って、ただただ我慢の日々を過ごした。
夏、秋、と徐々に再開されてきた公演を、配信で視聴しながら、それを観劇してそのレポを嬉しそうにテンション高くあげているツイッターのタイムラインを妬ましく思いながら眺めつつ、もう少し、もう少し我慢だ、年内我慢すれば、きっと、と唇を噛んで耐えていた。
のに。
なんでこんなことに。
私、ものすごく我慢した。お医者さんも頑張ってる。看護師さんも保健師さんも、ものすごい数の人たちが、疲弊しながら頑張っている。
なのになんで。
なんでこんなことに。
ものすごい数の人たちが頑張って、私も含めてものすごい数の人たちが我慢を続けている。
のに。ねえなんで?
政治がどうの、ウイルスの性質がどうの、わかる。そこから目を逸らすつもりはない。正常性バイアスに陥らないように、注意深く、今も、感染予防に努めながら歯を食いしばり続けているよ、私は。そしてものすごい数の人が。
なのに。
ツイッターのタイムラインを眺めると、今日も楽しそうに観劇のレポツイしている人たちがたくさんいる。あのシーンのここがよかった、とか、ここのダンスが最高だった、とか、私のご贔屓様のことも、きれいだった、かっこよかった、etc…
私と同じ地方民であり感染拡大地域に住んでいるにも関わらず、「悩んだけどもう無理!行く!気をつけるし大丈夫だと思う」と観劇遠征している友人からも、「観るべき!贔屓ちゃん最高だよ、なんで行かないの?私あと二回観るわ」というメッセージが来る。
それが悪いとは思っていない。なぜなら、エンタメの世界は瀕死の状態だからだ。公演中止が続けば、利益が出ずに「劇団」などすぐに潰れる。現に潰れた劇団は既に枚挙にいとまがない。宝塚歌劇は、バックが大企業だからまだ持ちこたえているというだけで、106年の歴史が終了することも、この状況ではもしかしたらあるやも知れない。そうならないためには、劇団が存続し続けるためには、今、観劇してくれる人たちが必要なのだ。今観劇できない私のような者が、いつか観劇できる日まで、劇団を存続させてくれるのは、今観劇しているファンたちなのだ。
それは、そのことは、痛いほどに、分かりすぎるほどに、理解してる。
でも。
それでも、どうしても、思わないではいられない。
こんなに何回も何回も観劇できている人が、現にここに(SNSの中に)存在しているのに、どうして私はただの1回も観劇できないんだろう…、と。
確保した、1年半ぶりの、たった一枚だけのチケットを、手放した。
私は、泣いていいだろうか。
※あまりに不人気すぎてWikipediaよりこっちのほうが詳しいです。
帝政のヴァールハイトに新都が建設されようとしてた。この時期において帝国領内ではヘッドキーパーと呼ばれる武器密輸組織が暗躍しており、帝国兵は彼らの摘発に精力を注いでいた。帝国兵の新人、レオカディオ・ヴェーラーは着任して早々郊外でヘッドキーパーとの銃撃戦を経験し、その中で友人を失ってしまう。この友人を射ったのはヘッドキーパーではない一般人の配送業者、イヌマエル・グラウナーだった。イヌマエルはおかしな成り行きからヘッドキーパーの荷物を誤送してしまい、彼らに拉致された状態にあったのだ。指名手配犯となったイヌマエルは行きがかり上ヘッドキーパーメンバーに加入し、行動をともにする。
一方反政府組織の調査の一環としてヘッドキーパーになりすまして潜入した聖騎士の一人エルフリーデは、調査中にある研究施設の存在を嗅ぎつける。それは、帝都の議会派の一人、マリー・バルトが関わったとされる生体研究施設の存在だった。やがてヘッドキーパーの面々の中にいる支部長ジェイドが裏切り者であることが判明し、新都にてフリーレンの炎を制御する『ルミナスの種子』を利用しようとする反皇帝派の存在が判明する。上司ヘルマンの不正を見逃せず斬り殺してしまったレオカディオとヘッドキーパーは一時手を結ぶが、彼らの調査によってマリーバルトが反皇帝派であること、息子のヘンリー・ラドバウト・ヴァルコイネンが『ルミナスの種子』を使って人体実験を繰り返し、超人を作り上げようとしていたことが発覚した。全ての陰謀が解き明かされようとしていたその時、ラドバウトの凶行によって新都で制御されていたフリーレンの炎が全開放される。
帝都は炎の器『ゆりかご』の暴走により光に覆い尽くされ、街には超人未然の変異体が大量に跋扈することになった。やがて戦いの末に生き残り、人間の意識を取り戻した人造変異体イヌマエル。彼はレオカディオの身を案じる中、反皇帝派のクーデーターにより落ち延びた皇帝の息子、アーメントの身柄を身分を知らぬまま引き受けてしまう。
レオカディオはラドバウト曰くの覚醒者と呼ばれたが、ラドバウトは姿を消していた。そしてレオカディオたちはクーデーターに成功したマリー・バルトが待つ新都へと向かう決意をする。
●皇帝:ほとんど立憲王政状態で、現在は議会に政権が移行しつつある。ガーネットタブレットという先祖代々伝わる伝説が記された石版を重視しており、かねてより不審な匂いがしていたフリーレンの炎や『ゆりかご』について家臣に心象を吐露していた。
●シャルリーヌ:皇帝の后。マリー・バルトを首謀とするクーデターに遭遇し、母子ともども帝都から落ち延びるが、息を引き取った。
●アーメント:皇帝の子息。序盤では后の腹のなかにいるが、終盤の数分で生まれてのち母子ともども落ち延びている様子が映される。一期終盤でイヌマエルに引き取られる。
●ジェイド:ヘッドキーパーの支部長で、ゲイのような喋り方をする。好みの酒を土産にしないと機嫌を悪くするらしい。実はヘッドキーパー内に潜伏した帝国の間者であり、ヘッドキーパーメンバーに射殺された。
●シャアケ・グートハイル:ヘッドキーパーの実質的な隊長。赤髪のショートカット女。貴族の出身であり、現役の学生でもある。
●ミネルバ・グートハイル:牢の中にいた貴族の女。実はシャアケの母であり、反帝国派のヘッドキーパー、ジェイドに捕らえられて帝国側に売られていた。
●ロータス・グートハイル:シャアケの父。『ルミナスの種子』に関わり、実験に加担して村一つを吹き飛ばしたが、シャアケには内密にしていた。この秘密をシャアケが知ったのはゲオルグより伝えられてからである。
●レオカディオ・ヴェーラー:通称レオ。ダブルヒーローの一人。生真面目すぎる性格故に上司のヘルマンを討ち、心ならずもヘッドキーパーと同行することになる。
●コンラッド:レオ直属の上司であり、ガチガチの帝国兵というより明るく公平で善良な考え方をしている。レオとは大将的に、深刻な出来事を軽く受け流すような柔軟さを持ち合わせる。
●アルノルト・シュバルツ:黒人で髭の男。いつもハンチング帽をかぶっている。
●ベンジャミン・パヴァルド:密輸組織ヘッドキーパーの一員で、概ねアルノルトと一緒に行動している。ラテン系の浅黒い肌でまんまるの目が特徴。
●エルフリーデ:薄い金髪女。ヘッドキーパー所属で聖騎士団所属であり、ゲオルグの命でヘッドキーパーの草として潜り込むという二重スパイ活動をしていた。しかし探りを入れる中で帝国の変異体政策の場面に遭遇していしまい、ラドバウトに変異体化させられてしまう。彼女を仲間として認識できないヘッドキーパーらは彼女に攻撃を加えてしまい、彼女は瀕死の重傷をおいながらも帝国の秘密の断片を語って絶命した。
●イヌマエル・グラウナー:武器を配送させられた運転手。自らのみを守るために帝国兵を射殺してしまい、ヘッドキーパーと行動をともにすることになったばかりか、レオカディオの親友を撃ち殺したことでいらぬ恨みを買うことになった。レオカディオと合流した後はレオの認識も改まり、イヌマエルへの印象は和らいでいる。
●シセル:イヌマエルの妹だが、兄の不祥事によりヘルマンら帝国兵に連行される。
●イルマ:金髪ポニテのお調子者。運送と逃走ルート確保要因として控えていることが多い。
●ダミアン・サントス:ヘルマンに拷問を受けていたヘッドキーパーメンバーで、獄中にてレオと再開する。再三のレオへの協力を申し出るが見せかけであり、実際には裏切り行為を働いた。変異体となったヘルマンに追い詰められた際に自爆行動に出て死亡。
●ザイツ:ヴァールハイト帝国軍第零捌小隊に所属。一話のテロ戦闘に巻き込まれて死亡。この人物の死によってレオはイヌマエルを恨むようになる。
●ライカ病:重症化する流行り病。地理的条件によると一般には説明されている。フリーレンの炎によって病状は食い止められるが、変異体化が進行する。
●ギーゼラ:ヘッドキーパーメンバー。ライカ病を患っている娘がいる。
●ヘルマン:幼少期の頃、使用人の一家として奴隷のような生活を送っていたが、主人に母をレイプされた挙げ句殺されたことをきっかけに歪み、戦場で主人の息子を戦死にみせかけて殺した。更には憲兵となって主人までも逮捕するという復讐劇を遂げる。しかしこの件で彼は自己正当化を行うようになり、正義のためなら強引な手法もいとわない、という行動原理を不気味な心境とともに腹蔵するようになってしまった。このために無辜であるイヌマエルの妹シセルを手に掛けようとしたが、配下のレオカディオの手によって斬り殺されて絶命する。
●変異体ヘルマン:変異体化したヘルマンの成れの果て。その容姿は『バイオハザード1』のタイラントをオマージュしているものと思われる。
●聖騎士ゲオルグ・エステルハージ:エルフリーデに二重スパイの命令を下したが、ヘッドキーパーの中に造反者を見つけることはできなかった。やがて他のヘッドキーパーメンバーによって造反者を見つけ出すことに成功する。
●マリー・バルト上院議員:新都フィクシオンに着任した議員だが、造反の意思を持つ。
●ヘンリー・ラドバウト・ヴァルコイネン:マリー・バルトの息子で、『ルミナスの種子』実験施設に資金投入後に着任した。
■ガジェットなど
●ガーネットタブレット:伝説が記されたタブレットで、おとぎ話に過ぎないと思われていたが、記述にある滅びの炎、フリーレンの炎は実在した。
●フリーレンの炎:ライカ病のもととなるが、突然変異体の材料でもある。→覚醒遺伝子
●ゆりかご:フリーレンの炎を閉じ込める12本の塔だが、これだけでは機能しない。
●ルミナスの種子:フリーレンの炎を避雷針のように分散することで弱める性質を持つが、一方でこのルミナス種子の制御があまりに正確であるため、反皇帝派の一派がつけ狙うことになった。
●覚醒遺伝子:フリーレンの炎に適正を持つ遺伝子であり、ライカ病が発症するどころか各種能力が増強される体質を持つ。
●人工覚醒:フリーレンの炎に耐性のない人間にフリーレンの炎を浴びせると、特に女性の場合覚醒変異体とも人間ともつかぬ存在へと変貌する。
●人工覚醒による副産物:上記人工的な覚醒により発生した液体をライカ病患者に摂取させるとライカ病が一時的に停止する。つまりフリーレンワクチン=人造的に覚醒者を作り出すことに成功する。
端的に言うと『電池交換』でキャリアの修理に出したら、スマホ壊されて返って来たっていう話です。
●そもそもの経緯
酷使したandroidが1台。電池容量50%以下の表示。常に充電コードに刺してないとすぐに電源が落ちる有り様。
という事で、オンライン修理で『電池交換してくれや』と依頼、キャリアに送付
↓
『お前の端末、見積もり取ったで!申告の症状は認められんかったけど、あちこちズタボロやから全部修理したら代金40kや!どないする?』
↓
文 鎮 の お 帰 り 。
……………………いや、大激怒してる気持ちを抑えようと、軽いテイストを心掛けて書いたんですけど、やっぱり納得出来ませんわ。
預けた時は電源は入っていたんですよ。少なくとも。
何で返ってきたら、電源反応しないの?おかしくない?
【悪化】通り越して【ご臨終】じゃん、これ!
●救済措置を求めて3000秒
私『すみません。修理見積から返って来たスマホが、壊れてるんですけど……』
私『は!!?!』
・お預かりした端末は、修理箇所のチェックの為に一度基盤を開けたりした
・その上で見積もりを出したが、お客様から修理不可の回答を貰ったので『出来る限り』元に戻して返却した
・預かった状態でお返しする事を約束していないので、返却された端末が余計壊れていても、責任を取りません
この2つ目に出て来る『出来る限り』というのがミソ、なんだそうです。
まぁ確かに、一度箱の蓋を開けてしまったら、二度と蓋を開ける前の箱には戻りません。そこは納得する。
だからそういう意味合いにおいては『預かった状態でお返しする事を約束していない』という台詞は、納得します。そこに異論はない。
だけど。だけどね?
そちらから返って来た『修理すべき箇所』の欄には、一言も『電源断を確認しました』って書いてないんです。
要するに、預けた時は電源入ってたって、自ら認めてんじゃね―――――――――――ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
にも関わらず、返って来た端末は電源一切入らない訳です。再起動コマンド(因みにXperiaは【電源+音量↑ボタン】長押し)も一切受け付けない訳です。
どう考えたって!!!!壊したの!!!!君たちじゃん!!!!!!!!
なのに『でも規約なんで一切責任取りませーん!』って言われて、誰が『そっかー。規約だから仕方ないねー』って納得出来るか、って話なんですよ。
せめて『とりあえず電源入るかなー?』位は確認して返しません? えっ、そんな事もしない? 修理してないから動作保証もしないから? そっかぁ!
ふ ざ け ろ 。
とは言え、電話口のご担当の方に権限がある訳でないと知っていますし、責任を取るべき立場で無い方を怒鳴り散らす訳にもいかないんで、大人しく電話を切りました。
さようなら。Xperia。あと、実際の電話応対は大変スムーズで20分もかからなかったと思います。が、1200秒って書くとしっくり来ないんで盛りました。
●所感とただの愚痴
今まで、窓口のお姉さんとかに『修理代金、見積もりだけでも取りますか?』と気軽に聞かれた事はあったんですよ。
その時は、こんなリスク一度も説明された事はありませんでした。
とは言え、今回申し込んだ手段はオンラインなんで、『預かった状態でお返しする事を約束していない』という規約とか注意書きとか、あったんだと思います。
ただ、その『預かった状態でお返しする事を約束していない』が『場合によっては預けた状態よりも壊れて返って来る』状況を含むのであれば、そこはもうちょっと強調して欲しかった、というのが、1ユーザーとしての要望です。
先日歯医者で親知らず抜いた時も、物凄く丁寧にリスクをきちんと説明してくれました。その上で『抜いて良いですか? 良いなら同じ事此処に書いてるんで、読んでチェック入れた上で、署名お願いします』って。
そこまでされて『成程、そういうリスクを負った上で、自分は選択するんだ』って自覚する物じゃないですか。全然。キャリアのオンライン修理、全然そんな印象無かったですわ!
いやもう、今までケータイの契約に関しては一度も窓口のお姉さん困らせない様に、ちゃんと自分で勉強した上で機種変更してたし、契約とかもしてました。割と優良顧客だったと思います。
何なら『契約難しくて分かんない!』って文句言う層に『はぁ?テメェの不勉強を棚に上げてキャリア圧迫すな!』とか思ってましたけど、今日で宗旨替えしますわ。
キ ャ リ ア の 説 明 不 足 に 断 固 抗 議 す る 。
インフラを人質に取られてる気持ちってこういう感じなんだな、というのを、今更ながら体験しています。
●オチ
とりあえず、今まで全面的にドコモを信頼してたんですが、今後は一切信用しない、という方針転換が必要だと実感しました。
あと、今後お店で『良かったら修理見積もり取りますか?』って聞かれた方は『もしかしたら二度と電源入らなくなって返ってくるかもしれない』と覚悟をした上で送り出して下さい。
心構えあるのと無いので、ショックって全然違うので……。
あと、繰り返しになりますが『預かった状態でお返しする事を約束していない』が『場合によっては預けた状態よりも壊れて返って来る』状況を含むのであれば、そこはもうちょっと強調して欲しい、という要望は変わらないです。
ついでに、窓口のお姉さんに気軽に見積もり案内させるのもやめてあげて。見積もりキャンセルして返って来た端末が電源入らないとか、そのまま店頭で完全に揉めて店長謝罪コースじゃん。誰も幸せにならない。
そういう訳で、これを期に新古品をぼーっと眺めています。Xperia8をご利用中のユーザー様。是非、使用感教えて下さい。
以上。
とりあえず、沢山コメント貰ってしまって、今正直大変恐縮しております。
9割7分が『愚痴』、1割が『見積もり修理出す人は注意してね!』、1割が『注意書きもっと念押ししてくれ……』、1割が『Xperia8の使用感聞きたい』で書きなぐったチラシの裏だったので、皆様から沢山ご意見頂戴して、申し訳ない気持ちと有難い気持ちで一杯です。
(すいません。算数間違えました。素です。小学生から出直してきます。本来は9割7分と1分と1分と1分です。よ、読み流してくれ……)
OCNモバイルのご紹介下さった方と、XZsのご紹介下さった方、有難うございます。そちらもちょっと視野に入れてながら、今色々なサイトで端末を見比べている最中です。
交換補償の方。そういう手があったか……!と後で気付きました。次回以降、参考にしては駄目だと思いますが、参考にします。
こういう事もあるんです。覚えておいて下さい。願わくば、俺の屍を越えてゆけ……!
バックアップ、というかデータの心配して下さった方、有難うございます。自宅から預けたという事もあり、そこは完全抜かりなく取ってあります。優しい気持ちを有難うございます。
修理している側の方でしょうか?ご教示頂き大変助かりました。正直メーカーで開けて閉めるだけならそんなダメージ貰わないだろ、と完全に過信と誤解してました。自分の認識は修正しておきます。
減価償却の方。ちょっと図星でした。とは言えまだ電池変えればどうにかなるのでは、と下心を出したらこのざまです。とりあえずその認識の甘さを指さして笑ってやって下さい。
数年前働いてた方と、関連会社の方。仰る通り、本当に運だったんだと思います。とは言え、そこの予告なく『御臨終です』と言われたら『えっ、送り出した時は生きてましたやん!?』ってなるので、そういう重大な火種はもうちょっと説明して欲しかった…と……。
ヨドバシカメラの体験版御寄せ頂いた方。意図を汲んで下さって有難うございます。そういう説明があれば、此方も文鎮で帰って来ても『まぁ、仕方ないよね。よく頑張ったね、Xperia……』と言えたので、過剰でもそういう注意書きの同意をしてくれる方向になれば良いな、と思います。
革靴の方。辛い事を思い出させてしまったようですみません。少なくとも『現状よりも良くしよう』と思ってメーカーにお預けをした物が悪化して返って来た時の心中、お察しいたします。国産メーカーなら、大手キャリアなら、と自分もどこかで甘く考えていました。貧すれば鈍する、という言葉、自覚したいと思います。
シュレディンガーの方。分かって下さって有難うございます。とは言え、当方の箱は死亡で未来が確定してしまったので、瀕死には戻りませんでした……。
メーカーが、の方。大変鋭いですね。実はその趣旨の事を電話窓口の方に確認したのですが、回答は『申し訳ございません』でイエスともノーとも取れない上手な逃げ方をされました。そして、今度修理に出したら見積もり時よりも値段上がるかもしれない事に関しても『申し訳ございません』なので、見積もり修理のリスキーさを初めて実感致しました。
Sonyの他デバイスの情報下さった方。有難うございます。今回その『元には戻せないという説明』が若干足りないのでは……?という疑念が発端でありしこりなので、その説明の大切さを改めて実感しております。尚、事前説明があるなら別に嫌いにはならないです。PS5テンバイヤーは飢えろ。
お名前の方。安直ですが、今回ご臨終したのは『ぺリアちゃん(4代目)』ですが、回答として趣旨合ってますか?これは蛇足ですが、デスクトップパソコンには『本妻』(※常に家にいるから)、ノートパソコンには『愛人』(※外でしか遊ばないから)という名前を付けています。
なお、幾つかお声頂戴しておりますが、本件に関して『少額告訴』も『消費者センター』も考えておりません。
(『元には戻せないという説明』が『預けた状況よりも破損・破壊が進んだ状況』を含めるのかという疑義は残りますが、そこも包括出来る様に注意書きとして書かれている以上、完全に負けるんだろうなー、という所感です)
皆様のご期待に沿う事が出来ず、お詫び申し上げます。
とりあえず、当方のこの失敗(※失笑)により、300人以上の方に『預かり修理に出したら、場合によっては余計壊れて返ってくる事があるよ』という事が周知出来ただけで満足です。
あと、何回か述べましたが、結構今日まで『大手キャリア/メーカーだから大丈夫だろう』と甘く考えてた所が、完全に落ち度だと思っています。
そして百万遍でも同じ事言うけど、事前にリスクの提示してくれてたら、別にこんなにインターネットの片隅で手足ばたばたさせて野生動物の様に大暴れするつもりは無かったので、将来的にこの説明箇所がちゃんと分かり易く、記憶に残り易く、という手法に変わってくれることを願います。
とりあえず、これからは今まで以上に規約やら注意事項やら読む様に気を付けます。そういう意味では、先代Xperiaちゃんは自らを犠牲にして、今後の私の人生において有意義な置き土産を残して逝ってくれたのだと思います。
という訳で、皆も規約やら注意書きやら、読み飛ばさないように気を付けてな!俺の屍を越えてゆけ!!
(今度こそ)以上。