はてなキーワード: 瀕死とは
「欠けた大地」の前半までのメモ
・僧侶のサモンエレメンタルが確実にエレメンタルのどれかを召喚してくれるので大いに頼りになる。逃げるのに失敗している間にエレメンタルが勝手に敵を打倒してくれたことも再三再四。
・最初の難関は3階。敵の強さは大したことないが、とにかく無言ワープが多過ぎて正しいルートが判らない。「道の端」「十字路」「扉を通る」のどれかをするたび、いつの間にかワープしてたり方向が変わってたりするので、ウィザードアイが何個あっても足りない。
・4階に行くには、一度3階に下りて、色々頑張って行きとは違う階段から2階→1階と戻る道を見つけなければならない。
・6個の鎧の取得方法は以下の通り
1:4階の回転床地帯の真ん中にある部屋からワープした先。(全然回転してなかったけど、もしかしてレビテーションかかってたからかな?)
3:2階のシュート連続地帯の真ん中辺で、レビテーションをクリアマジックで解除して真ん中辺のシュートに落ちる。
4:3階の水路のうち、なんか深くなってて潜っても息が続かない的なメッセージが出る場所でレビテーション解除した上で、僧侶がサモンエレメンタルでエアエレメンタルだかウォーターエレメンタルだかを召喚?(なんかその辺でゴチャゴチャやってたら行けた)
5:4階のダークゾーンの先にある、黄金の何とかというメッセージが出て入れない扉の先。(魔術師がコンジュレーションでホワイトタイガーを引き当てれば通れる)
6:4階から白い鍵で通れる扉の先。(白い鍵は2階のシュート連続地帯の先にある階段から行ける先で中ボスを倒して変なアイテムを手に入れて、1階で白い火みたいな祭壇に行けば入手)
・6個の鎧の装備順番は、アイテムボックスや持ち物の整理メニューを使えば正しい順に並ぶので特に迷わない。
・5階の呪文禁止地帯は、入り口から出ればまた呪文が使えるようになるのだが、途中の扉から出ると、ダンジョンから出るまでずっと呪文が使えない状態が続く(4階に戻っても1階に戻っても、とにかくダンジョンから出るまで元に戻らない。地味にきつい。)
・5階は10個のスイッチの場所を覚えて1から順番に踏まなければボス部屋にいけないため、さすがにマッピングしないと無理。(しかし一度正しく通過すれば、それ以降は別に踏まなくても誰でも通れる)
・スコトスはアンチマジックやマジックスクリーンで魔法対策を重ねがけして行けばだいたい行ける。
異界はイーストブルーからグランドラインに入ったような厳しさ。
3階まで来たけど、勝てる相手にエンカウントする方が少ない。首はねや状態異常攻撃が多過ぎて、何とか勝てても一戦ごとに誰かしら死んでしまう。
おまけに一匹一匹が頑丈な上に、物量で押してくる。
「旅人の財産」では終盤の強敵だったフェニックス4匹がここでは「死なずに勝てる相手が出てくれた」という位置づけである。2階でレベル上げと転職でもするしかないかな。
中ボスはブレイクスクリーンで魔法防御を削ってスティールライフで瀕死にして最後の一発を生き残った戦士が打ち込むという戦法でなんとか2階までは倒せた・・・
今から20年前、ブラウザゲームといえば設置型のCGIゲームだった時代があった。
箱庭諸島、SOLDOUT、FFA、罪と罰、商人物語、珍走記…名前を挙げればきりがない。
そしてこれらの特徴としてフリーソースであることがあげられる。エンドレスバトルのような例外もあるが基本的に再配布可能であり、大本のサイトが消えてもソースが再配布され長く親しまれることも度々あった。
当時はネット回線は貧弱であり、重量級のCGIゲームはレンタルサーバーから名指しで設置禁止を言い渡されることもあったが、それでも数多の個人サイトに原本や改変版が設置され、インターネットを賑わせていた。
しかし時は流れ現在、これらのCGIゲームは文字通り瀕死の状況である。
プログラムは陳腐化し、レンタルサーバは数を減らし、かつてのプログラマーたちは皆ネットを去っていった。配布サイトもジオシティーズ消滅で壊滅し、インターネットアーカイブにすら残っていない派生も多い。今やプレイどころか、入手・設置すら一苦労するレベルの代物である。
時代の流れから取り残されたものが淘汰されていくのは仕方がない。しかし、インターネット黎明期を賑わせたプログラムがこのまま霧散していってしまってもいいのだろうか。
箱庭諸島ですら現状ダウンロード方法が消滅してしまった派生作品は10を超えている。再配布が許可されていたとしても、一度消えたサイトのスクリプトが再び表舞台に出るケースはかなり少ない。無法地帯といわれる2chのフリーソフト保管スレですら、CGIゲームが再アップされた例は存在しなかった。
これを見ている増田の古いパソコンにも、すでに入手不能なCGIスクリプトが残っているかもしれない。だがそれが日の目を見ることは、現状ないのだ。
かつてのガラケー向けゲームですらswitchでプレイできるようにする動きはあるのに、こちらを保全しようとする動きは一切見られない。ネット考古学的にも、レトロゲーム趣味的にも、もう少しこちらに目を向けてはいいのではなかろうか。
ブルーピリオドという漫画がある。連載当初から芸大受験漫画というので少し話題になり、じわじわと人気が高まり、今では企業CMに起用されたり、アニメも放送中だ。
間違いなくめちゃくちゃ面白い漫画だ。連載当初から追っていたが、これは絶対売れると確信していたし今現在実際にめちゃくちゃ売れている。Twitterのトレンドに上がったり、本屋では大体平積みでコーナーが作られていたりするレベルだ。
今でも、絶対に面白いとは思ってはいる。だが読めなくなってしまった。自分の心の安寧を守るためにだ。
ブルーピリオドが読めない奴ら、というのは、藝大に落ちた奴らのことだ。
いや、別に落ちてなくても読めないやつは沢山いると思う。受かったやつでも読めないやつは読めないんじゃないかと思う。藝大に憧れたことが一回でもあれば、この呪いが生まれる可能性は十分にある。
藝大という場所が本当に選ばれた少数の人間しか入れない場所で、それに入れなかったという事実は、自分が特別な才能を持たないことを証明するように感じさせる。
別に藝大行ったら成功するわけでもないし、藝大出てなくてもすごい作家になるやつはなるのだが、そうやって割りきれない謎の魔力が藝大からは働いているのだ。
とにかく藝大コンプというものは根深く、人によって程度に差はあれど、藝大に落ちてきた無数の人々の誰もが抱えているものだと思う。
自分なんか藝大を受けたのは一回きりだし、浪人もせず他の大学に行ったレベルなので、何浪もして藝大を目指していた人と比べたら全然軽いものだろう。それでも、本屋でブルーピリオドが平積みされているのが目に入ると気持ちがざらつき、ブルーピリオドの新刊が出れば、謎の意地で買うものの本棚に速攻入れてページを開かない。まわりのガチで藝大を目指していた人なんかは、ブルーピリオドの話題が出た時点でなんとも歯切れが悪いし顔が曇る。東京まわりの予備校に通っていて、アニメ化か何かのタイミングで、東京で街にブルーピリオドの広告が大きく出されていた時はしんどかったと話していた気がする。
どうしてそんなことになるのかといえば、ブルーピリオドがいい漫画であるということに尽きる。読む人の感情に深く突き刺さり揺さぶるほどの漫画なのである。刺さりすぎるし、コンプレックスを刺激されすぎる。
その上、藝大を志す奴らなんて大体漏れなく感受性が強すぎて情緒がおかしい奴らばかりなので、そんな漫画をぶつけられたら間違いなく瀕死だ。
そして藝大コンプがつらいのだ。八虎が現役合格して藝大ライフを送っている様子を、なかなか直視することが出来ない。さらには作者の山口つばささんが現役で藝大に入っているということまでコンプレックスを刺激される。藝大に現役で入るやつはこんな作品を描けるし世間の人気もあってここまで成功するんだ……みたいな嫌な方向のコンプレックスが発動することさえある。
最後になるが、この文章は全くブルーピリオドを批判するみたいな意図はなく、ブルーピリオドは間違いなく面白いすごい漫画だということを言っておきたい。ブルーピリオドは、情緒がグチャグチャになるほどの人の心を揺さぶる漫画なのだ。藝大に何の遺恨もない人なら絶対に面白く読めるとお勧めしたい。
自分はたしか、八虎が藝大入って最初の講評でボロボロになった辺までは読んだが、それ以降がまだ読めていない。もっと歳を重ねて、成功者になれた時か、もしくは藝大への折り合いをちゃんとつけられた時、改めて読もうと思う。
なんだかんだ無双だしクソゲーっていってもそこまでないだろwと思ってなめてたらほんとにクソゲーだった
無双って名前ついてるのに無双じゃないの、ドラクエヒーローズ思い出すわ
もちろん悪い意味で
死ぬし
あっちいけこっちいけって言われるけど移動クソ遅いしダッシュも連続でできねーし
雑魚は棒立ちでクソ弱いくせにボスだけでクソ固くて攻撃力高くてゲームオーバーになるし
道中クソ楽でボスがクソ硬いバランスのくせに、1つのステージに30分くらいかかるから、めっちゃ時間かけてボスまでいってもボスであっさりやられて台無しとかもザラ
じゃあ勝てるようにレベル上げ、と思うけど、レベル上げもできない
(ジュドーの場合、ZとZZ乗り換えちゃうから、前のステージでくらがんばってもZZは強くならない)
もうどうしようもない
瀕死状態で逃げ回りながら無双ゲージためて技ぶっぱくらいしかやれることない
それでも振り向いたらウシロにいるから無双技当てる前に大体攻撃を食らうし
ビームサーベル近接と中距離の射撃あるけど射撃がゴミみたいな精度とダメーじだし
エリア制で各エリアを制圧してかないとイベント起きないのクソめんどいし
マジクソゴミ
家に一歳になる猫がいるのだが、この度、生後3週間くらいの子猫も飼うことになった。
初対面の時から喧嘩することもなく、先住猫は子猫を舐めてやったりして、子猫も先住猫にじゃれついたりして割と仲良くやってる。
先住猫はゴキブリを惨殺したり、瀕死の黄金虫をいたぶったり、人間の手を強めに甘噛みするのが好きな、割と凶暴な猫なのだが、子猫に暴力を振るったりはしない。
例えば、これがネズミなら多分即惨殺しているはずなので、ちゃんと同じ種族だとわかっているのだな。すごい。
そして、ねこの一歳と言えば人間の18歳くらいらしいので、男子高校生がいきなり見ず知らずの幼女の世話を押し付けられたみたいなシチュエーションのはずなのだが、特に怒ることもなく戸惑うこともなく接しているのが不思議である。
サイレント・トーキョーがNetflixに来ていたのでぼーっと眺めていた。
点数は甘め採点で、邦画では高めの2.5点くらいつけていいと思った。
ちなみに一個前に見た邦画は犬鳴村で高めにつけて1.5点くらいの作品だった。ゴミ。
エンタメとしての一番の見せ場である渋谷大爆破シーンは「日本のCG技術はハリウッドの30年前にすらまだ追いついてないのか」とがっかりさせられる出来ではあったが、それでも「渋谷でガチモンの爆破テロが起きてパリピのアホどもが吹き飛ぶ様を見せてやるぜ!」という意気込みは伝わった。
少々物足りなくはあるが「見どころ」がちゃんとある邦画はそれだけでえらい。
贅沢を言うなら、あそこだけディズニーのMCUのチームに金払って頼めんかったか。
ハチ公がレゴブロックみたいに粉砕したシーンは大爆笑してしまった。
原作を読んでいないのでそことの違いは比較できないが、脚本面では粗が目立った。
スポットライトが当たる登場人物が多く、それぞれの描写が不十分であるため誰にも感情移入ができない展開が続く。
特に、いちおうメインヒロインということにされている広瀬アリスが「友人がやめておこうと言っているのに爆破テロ予告現場に引っ張っていく」「離れようと何度言われても無視してどんどん近づいていく」「結果的に爆破テロに巻き込まれて友人が瀕死の重傷を負う」「病院ではぐれた友人をほっぽり出して容疑者に会いに行って激しく糾弾する」という、なんやこの女舐めてんのか死ねとしか言いようがない行動を取っていてホンマにヘタクソやなとため息が出た。
他にも邦画特有の回想シーンの使い方がヘタクソ問題も各所にちりばめられている。
が、そんなことがどうでもよくなるくらいウンコなシーンがある。
「意外な真犯人」が「実行犯」と二人で車で逃亡する。書いてある通り二人はグルで「意外な真犯人」が実はすべての絵を描いて裏で糸を引いていましたという展開になる。
そして、車で逃亡中に真犯人が実行犯に対して「今回の動機」を熱弁する。
その内容が「渋谷吹っ飛ばしてめちゃくちゃ死傷者出すほどのもんかなぁ」ってなるのは、まぁ、作品自体が渋谷を吹っ飛ばすというところからスタートしているからしょうがないのかなと1000歩譲って納得するとして。
ちょっと考えてほしい。
真犯人と実行犯はグルなのだ。当然、実行犯は真犯人の思想を理解したうえで犯行を行っているし、それがうかがえるシーンもちゃんとある。つまり、実行犯は真犯人の動機なんてとっくのとうに知っているし、共感もしているはずなのだ。
その実行犯に対して真犯人がさも「決意してお話しいたします」みたいな感じで動機を熱弁するのは明らかにおかしいのだが、脚本家はそれに気づかなかったのだろうか。
もちろん、その「熱弁された動機」こそが「この作品で最も伝えたかった事」であろうことは容易に推察できる。「作品で最も伝えたかった事」を登場人物にペラペラペラペラ熱弁させること自体がウンコオブウンコなのは言うまでもないが、それでも、もうちょっと自然にやれなかったのか。
こういう「ドラマとして一番大事なシーン」でこんなしょうもないヘマをやらかすからいつまで経っても「邦画はレベルが低い」と言われるんじゃないか。「作品のテーマペラペラお喋りウンコ」と「なんでそこで喋るねんウンコ」のダブルウンコでクラクラしてしまった。
5年前のリオオリンピックで忘れられないシーンがある。
金メダルを取った萩野公介選手がインタビューを受けている。後ろから銅メダルを取った瀬戸大也選手がヘラヘラ笑いながら近づいて来るシーンだ。
目があった二人はガシッと腕を組んでお互いの健闘を称える。その後しっかりと抱き合って喜び合うのだ。
俺はとても羨ましいと思った。
テレビの感動ポルノにさんざん使われてるので知ってる人も多いかもしれないが、二人はライバルなのだ。
はずだったのに、一人、瀬戸大也は食いついてきた。
瀬戸は強靭なメンタルの持ち主で、萩野に何度破れても心が折れることはなく、挑戦を繰り返すのだった。
萩野と瀬戸は何度も戦った。天才だが心の弱さが垣間見える萩野と実力で遅れをとるものの鋼メンタルな瀬戸は相性もよく、やがて実力差もいい感じに埋まり、オリンピックの表彰台の一番高いところを競い合うところまで成長した。そして冒頭のシーンに繋がる。
…みたいな解説がなくても「仲良しなんだな」ということが伝わる一瞬だった。
俺にはそんな関係の人はいなかったので、世界の頂点を極めた上で友達同士ではしゃぐ、その笑顔がかっこよくて羨ましくて仕方がなかったのだ。
金メダルと同じくらい輝いて見えた。4年後また同じことが起きるだろうと信じて疑わなかった。
瀬戸選手はスキャンダルをすっぱ抜かれ…まあ具体的な話はあまりしたくないのだが、とにかく残念なことになった(奥さんにはあと1万回謝れと思う)。
二人ともなんとか復帰して、二人揃って東京オリンピックの代表に選ばれた。
二人とも、まだ決勝の舞台に立てていない。
特に瀬戸の初戦、400m個人メドレーの予選敗退は、見ていた人には衝撃だったろう。
今日(日付超えたな。もう昨日のことだ)は二人にとって最後の一種目、200m個人メドレーの予選があった。
瀬戸は曇った表情で「大会を楽しめてない、と言われた」と答えた。
萩野は落ち着いた表情で「この舞台で、もう一本泳げることに感謝したい」と答えた。
5年前のこと、この5年で起きたことを思い出した。
そうだ、二人はもう二度とオリンピックには出ないんだろうと思った時期があったんだ。
いま二人が同じ種目に出ている、これ自体が俺が諦めかけていた夢の景色だ。
でも本当に見たいのは、楽しそうな二人だ。
まあいちファンの夢は勝手に託してるだけだから置いておいて、絶不調の瀬戸選手の復活には試合を楽しむ心が必要なのは確かだと思う。
だから明日(今日だな)の準決勝、願わくば決勝まで楽しく泳いで、最後は満面の笑みで終われるといい。
俺は正直いって気持ちがぐちゃぐちゃだ。やりたいことがやれてない、やりたいことってなんだっけ。
ようつべで仔猫動画を観た。その動画の内容はというと、拾われた元気一杯の仔猫が、ある朝急に元気をなくして瀕死状態になってしまったというものだった。
その後、仔猫は無事一命をとりとめるのだが、経緯からして仔猫が元気をなくし体調不良になるのもむべなるかなって感じだった。
仔猫はずっと鳴き続けていたのだ。飼い主は仔猫にエサと適切な環境を用意し丁寧に世話をしたが、鳴いている仔猫を鳴かせたままそっとしておいた。
壊れそうなほどに小さな仔猫。しかも怪我を負っていた。それでは触らずにそっとしておくのが善意というもの。だが、赤ちゃんにとってただの「鳴く」という行為は、実は大変な重労働だということを、飼い主は知らなかったのだと思う。
赤ちゃんがお腹が空いている訳でも寒くもなく便秘でもないのに鳴き続けるとき、それはおおかた親を恋しがってのことだ。だが、しばらくすれば赤ちゃんは鳴き疲れて静かになる。おとなしく、従順に見えるかもしれない。ところがその時、赤ちゃんは疲労状態にある。そして疲れて眠るうちにお腹を空かせて低栄養状態になる。実はこの時、赤ちゃんは寝ているというよりは失神している。
鳴かせ過ぎというのは良くないのだ。保育者としては手がかからず楽な気がしてしまうけど、赤ちゃんは疲労と栄養失調で消耗し、やがて発育不良に、あるいは最悪死んでしまう。
だから、過干渉に見えても、鳴いている赤ちゃんは抱き上げてあやした方がいい。人間の腕の中は母親猫のお腹ほど温かくないけど、それでも抱っこによる安心感は、仔猫には必要だ。
衰弱し、回復した仔猫の動画を見て、昔、私の家にもその仔猫と同じくらい小さくてヨチヨチな赤ちゃん猫が迷い込んできたことがあったのを思い出した。
その仔猫はあまりにも小さな孤児だったけれど、人間が特別介入しないまま、大きく育った。というのも、うちで飼っていたオス猫に面倒を見られていたからだ。
オス猫は所詮オス猫で、母親猫のように乳も出せないし仔猫のためにエサを捕ってくるようなことも出来なかったが、仔猫を抱いて眠ることは出来た。仔猫はいつもオス猫にくっついていた。寒い夜は、二匹は狭い段ボールの中に一緒に入り、オス猫が仔猫を抱えて丸くなって寝ていた。
そんな感じだったので、オス猫は特別面倒見が良かった訳ではないのだけど、仔猫は無駄鳴きで体力を消耗することなく、すくすくと育った。
瀕死なのでそれどころじゃない