はてなキーワード: 天辺とは
そもそも男性のほうが女性よりもリスクを好むから、新規探索性が高いんだよ。新規探索性が高いというのは、即ち「発明家に向いている」という話で、革新的な発明を男性がしているのは当たり前の話。新規探索性の高い人は、農耕などの地道で退屈な作業には向いてない(そういうのは、安定志向の強い人が好む仕事。)故に発明家は農耕に向いていない。だから、「発明した数」を能力の指標とするのは、偏りが大きすぎる。故に、これは性質の話であって、能力の話ではない。
そもそも、文化的に女性蔑視が強かった時代には、女性が活躍できる条件が揃ってなかったりとか、その時代に話を限定するなら、女性の偉人は少なくて、むしろ居なくて当たり前。
もし世の中が転覆して女尊男卑が当たり前の世の中になったとしたら、男性の偉人なんて現われっこない。そういう条件がイーブンになって、初めて能力差の話をしようぜ。
それから、男性のほうが新規探索性が高いと言ったけど、新規探索性の高い人ほど、安定志向は低いから、例えば新規探索性の高い人が事業を起こしてそれがヒットしたとして、軌道に乗った後はまともな経営にならない。そういう人には安定志向の強いパートナーが必要。ちなみに、女性は男性より、安定志向が強い。これはあくまで傾向の話であって、新規探索性の強い女性も、安定志向の強い男性も、もちろん存在する(そもそも、新規探索性の高い人自体が、世の中的に少数派。)
ちなみに男女の能力差については、統計的な結論が出ていて、男性は天辺から最下層までの能力差が激しく開いているのに対して、女性は天辺から最下層の能力差がそれほど大きくない。
故に、トッププロ同士で争わせたら、男性が勝つのは当たり前だけれども、最下層同士で争わせると、当たり前に女性が勝つ。平均すると、どっちも大して変わらない。
正直、男性と女性とどっちが優れているか?なんて、コンプレックス丸出しの、ナンセンスな論議だと思うがね。性差なんかどうでもいいから「人類全体で何ができるか」を考えようぜ。
おっぱいへの愛を、内在的に持たず、説明して欲しいと抜かす輩が居るようなので、けしからんと思う。
大きくても、小さくても、多少陥没した乳首でも、魅力がある。
はっきり言えば、まずこれ。
プリンだって口当たりがいいから食べたくなるだろう?それと同じ。
当然、触りたくなる。しかも、触ると、そこに血液が凝集してきて硬くなり、大きくなることさえある。
そう、硬くなるし、大きくなる以上に、女性がまず身を強張らせる。
執拗に攻めれば、感じることもある。しかも、恥ずかしがるのだ。これが、反動的にさらに欲望を高める。
口唇領域に快感を得る時期は終わっていても、やっぱりオッパイへの思い出は捨てがたいものがある。
その乳房にむしゃぶりつくと、女性は身をもだえるのだから、より興奮が再生産されてしまう。
普段は隠されている。しかし、レースで縁どられていたりして、飾られているのだ。
隠されているのに、心を許した者には、むしろ解放され待ち構えている。
そんな、ブラジャーを、取りたいと思うのだ。
ちなみに、ホックをはずすテクニックなんてどうでもいい。両手で取ればいい。
なんなら、先にカップをずらして、いじっても良い(AVみたいに、無理やりズリ上げるのは宜しくない。喜ばれない。乳首がひっかかる。)。
その時は、ある意味で食欲を満たすためにしゃぶっていて、母親への愛を涵養していた。でも、そのうちに離乳食に引き離されてしまう。
僕「先生、僕はくまみこのアニメに激怒している原作ファンの気持がわかりません。同じ話ではありませんか?」
物理学者を辞めてアニメオタクになったガリレオ・ガリレイ「ふむ。では私がこのタカミメロンを見てくれ」
僕「まだ食べごろではなさそうですね」
ガリレオ「このメロンを私の胸の高さから地面に落としたら、どうなるかな?」
僕「跳ねますね」
ガリレオ「そうだな。そしてメロンは無傷だろう。では、あのピサの斜塔の天辺から落としたら?」
僕「粉々になります」
ガリレオ「そういうことだよ。おなじ落下という痛みでも、一メートルの高さから落ちるのと五十五メートルの高さから落ちるのでは強さが違うものだ」
ガリレオ「アニオタの高みは一歩ずつたゆまぬ歩みによってのみ到達できるのだ……ところでここにわしが編集した『カバネリの無名ちゃんの萌え萌えシーンだけを編集した最強無名ちゃんビデオ』があるのでいっしょに観よう」
僕「いまどき『萌え萌え』もキツいですが、VHSというのもアナクロすぎてステキですね」
ガリレオ「十六世紀生まれだからパソコンオンチでのう……ん? 誰かこっちにきよるぞい」
僕「すごい形相ですね。警察かな?」
ガリレオ「ほんとだ。すげえなお前」
警官B「貴様はガリレオ・ガリレイ教授だな? 署まで同行してもらおうか」
ガリレオ「え、なんでですか」
警官A「余罪は署で聞こう。目下の罪状は窃盗だ。このタカミメロン。千葉県旭市の農場から盗んだものだと認めるな?」
ガリレオ「ううっ……(ガクリと膝をつく)。そのとおりじゃ……私がやった……。私は……どうしても許せなかったんじゃ……子供の頃に母に対してあんなことをしたあいつを……」
警官A「おい、立たせてしょっぴけ」
警官B「さっさとこい!」
名探偵「悲しい事件でしたね……くまみこがキチンと終わっていれば彼もこんなことをしなくて済んだはずだ……」
僕「まあ嘆いててもしょうがないし、形見のメロンでも食べましょう」
なんでこう、自己評価を低く抑える癖が付いたかなあって最近考えたりする。
まあ幼い頃の成功体験が少ないとか、うまい具合にこなせてないとか、そういうことでおおまかには説明されるのかもしれないけども。
とにかく確かなのは、自分に対しての評価がひどく低いために、他人から受け取る評価が大概自己評価の基準より上になってしまって、それが身に余るものとしか思えなくてバランスが取れなくて、その溝を埋めるためになんとなく引き気味に動いてしまう自分がいることで。
これを謙遜として受け取ってくれる優しい人はもちろんいるけど、この自分の態度を「お前のプライドが高いからだよ」と親切に説明しやがりくださる人もやっぱりいて、その好戦的な感じに妙に頭の天辺がじんわり痺れそうになったりもして。
でも自己評価が低いのをプライドが高いって見なされてしまうのはもしかしたら仕方ないのかなと同時に感じたりもするから、なんというか、モヤモヤとして、たちが悪い。
そういう人たちにとっては、例えば「自分のできることなんかこんなもんです」という態度が、自己評価の低さから出ているのではなくて、絶対解けるパズルしかやらないみたいな意思表示をしているように見えるんだろうと思う。意識的ではなくても、どこかで意図的に自分を小さくみせていると感じるんだと思う。もっと言えば、そっちの方が万能感感じられるよなーって。