はてなキーワード: 凡庸とは
実名でやっているブログもツイッターもあるのだが、そこで書くと炎上しそうで怖いため、増田で書くチキン野郎です、どうもすいません。
さて、まずはこのまとめ。
https://togetter.com/li/1244367
ブコメでは江川さんを称賛する声が多い。だが、正直に言えば、麻原の処遇に関して江川さんはわりと冷静さを失う感じがする。
そもそも、精神鑑定に関していえば、「行われていない」というデマが流れているというよりも、「まともな精神鑑定が行われていない」という疑問を呈している人のほうが多いのではないだろうか。
麻原の精神鑑定については、西山詮医師による鑑定が行われ、「訴訟能力あり」ということになっている。しかし、その一方で、正式な鑑定ではないものの、複数の精神科医が面談の結果、訴訟能力なしと主張している事実はある。
(参考)
https://diamond.jp/articles/-/8876?page=2
https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/63db65c218a5ee890796ceededb22c87
上記以外で仄聞するエピソードと併せて考えると、麻原の精神が拘禁によって崩壊したのはたぶん事実なのだろうとは思う。「詐病」と判断するには無理がありすぎる。
だが、麻原の精神が崩壊したということになると、とても困る人がいる。それは特定の誰かというより、日本という国家そのものなのだろうと思う。
もし仮に、麻原が「心神喪失」状態に陥ったことを認めてしまうと、法律的に彼の裁判や処罰が難しくなってしまうからだ。
(参考)
刑事訴訟法314条
「被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。」
だが、言うまでもなく、麻原は戦後最大のテロ事件の首謀者だ(個人的にはその点に関して疑いはないし、これ以上の「真相解明」にも正直まったく興味はない)。その麻原を裁けないとなると、日本の法秩序に対する信頼が根幹から揺らいでしまう。いくら「法律的にできない」と言っても、世論はまず納得しないだろう。麻原およびオウムの幹部を処刑することは日本の国家意思だったと言えるのではないか。
「そんな法律は変えてしまえばよい」と言う人もいるだろうが、これは法律における根本的な思想(ルールを理解している者だけが責任や処罰の対象となる/理解できない者は対象とはならない)に関わっている問題なので、そう簡単にはいかないのではないかと愚考する。
ともあれ、上記の刑事訴訟法に抵触することなく、麻原を死刑にするためには、麻原に「訴訟能力」「責任能力」があるということにしておかねばならない。だからこそ、形式的な精神鑑定をやっただけで終わらせた。しかも病気でないことになっているので治療もしない、ということになったのではないか。
ここからは蛇足だが、小坂井敏晶『責任という虚構』(東京大学出版会)には、次のような一節がある(p.157)。
自由だから責任が発生するのではない。逆に我々は責任者を見つけなければならないから、つまり事件のけじめをつける必要があるから行為者を自由だと社会が宣言するのである。言い換えるならば自由は責任のための必要条件ではなく逆に、因果論的な発想で責任概念を定立する結果、論理的に要請される社会的虚構に他ならない。
要するに、こういうことだ。何か事件が起きたとき、社会には大きなストレスが発生する。誰かに責任をとらせ、「落とし前」をつけることで、そのストレスを軽減させなくてはならない。だから、その誰かには「その事件の原因となる行動をしない自由があった(=したがって責任がある)」ということにしておかねばならない。行動しない自由があったから責任が生じるのではなく、誰かに責任をとらせるために、そのような「自由」があったことにされる、というのが上記の指摘ということになる。
この指摘を今回の件に応用するなら、麻原に「訴訟能力」や「責任能力」があったから裁判で死刑になったという理解は必ずしも正しくない。そうではなく、死刑にしなくてはならないから「訴訟能力」や「責任能力」があったということにされた…という疑念が拭いきれない。
もっとも、その是非については、判断はしない。国家の存続にはそういうフィクションが必要だ、という考えも理解できないではないからだ。ただ、それでもモヤモヤした感は残る。
そういう気持ち悪さが、今回の一件には、ある。
(追記)2018/7/9
https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20180708-00088579/
江川さんのこの記事で、「詐病」とか言っている人がいるけど、この記事でもやっぱり2000年代初頭の話までしか書かれてない。これ以外の詐病を疑わせる記事も、逮捕当初から2000年代初頭までの時点での話しかない。そこから15年以上の期間があるなかで、麻原の精神状態に変化があったとしてもなんらおかしな話ではない。実際、上でリンクを貼っている加賀さんの面談は2006年のものだ。
上で述べられている刑事訴訟法の規定は、「犯行時点の精神状態」ではなく「裁判や死刑をする時点での精神状態」に関わるもの。したがって、犯行時点において麻原の精神状態に責任能力が認められるものであっても、関係ない。
個人的には日本の法制度がそうなっている以上、麻原の死刑もやむを得ないとは思うが(そうでないと他の死刑囚とのバランスが取れない)、「麻原を死刑にしなくてはならない」という発想から、多くの人の事実認識が若干おかしくなっているのではないか、ということが気にかかるだけの話。
https://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/c34aa02a0f1770deebaa5ceafe30c3b0
(さらに追加)http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/06/03/post-416/
id:blueboy 「詐病」だと言いたがる人は、たとえ命がかかっていようとも、糞尿垂れ流しの強烈な悪臭が漂う空間で、汚物まみれの布団で寝る生活に20年耐えられるかどうかを想像してみれば良い。無論、麻原の「宗教者」としての精神の強靭さがそれを可能にしたと考えることもできようが、それでは麻原を凡庸な俗人とみなす「詐病論」の人物描写との整合性がなくなる。むしろ、麻原が凡庸な俗人だからこそ、長期にわたる収監と死への恐怖によって精神に異常をきたした、というほうが説明としてはよほど合理的だと考える。
小並感は「小学生並みの感想」の略であるから本来「しょうなみかん」と読むべきであるが、初見で「こなみかん」と読んでしまう人間は多く、一部ではもうその読み方で定着している(←何を今さら)
これはなぜだろうか?
通例「小物」「小粒」「小柄」「小枝」「小技」などの熟語は「こ~~」と読む。その感覚に引きずられているのではないか。
――と書くと、「小学校」「小規模」「小所帯」などの熟語は「しょう~~」と読むではないか! とツッコミが入るだろう。当然だ
ここで気づくと思うが、漢字二文字で「小~」という熟語は「こ~」と読む場合が多く、漢字三文字の場合は「しょう~~」と読む場合が多い。
それを「こなみ」と読んでしまいそうになるのはなぜか?
世に「~~感」という語句はいろいろある、「充実感」「満足感」「挫折感」などだ。
そこで多くの人々は「小並感」という語句を、無意識に「小並・感」と区切っているのではないか?
「小並」という熟語は存在しない。しかし、「小並・感」で区切ると、「小粒」「小物」「小柄」などのイメージに引きずられて「こなみ」と読みそうになるのではないか。
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なお、小さいことを意味する「小」と、牛丼の並盛り・並サイズなど、普通・平凡・平均的を意味する「並」の字面から、なんとなく「小並=とるに足らない・凡庸な・ありふれた」というイメージを感じている人もいるのではないだろうか
そうすると結果的に「小並感=小学生並みの感想」という意味とあまり大差はない。
ひょっとすると、ここから転じていずれ、「小並=とるに足らない・平凡なこと」という新語が生まれ、22世紀の国語辞典に載る可能性も皆無ではないかも知れない
私は趣味がオナニーであり、ストレス解消のための遊びだったりする。
淫夢みたいにアンアン言うわけでもないのでがっかりするかもしれない。
普通にエロ動画見ながら妄想し、使い捨てオナホを使って快楽に浸る。
たまにネットや増田を見たりすることもあるけど、最後は動画と妄想が多い。
オナホを発明してくれた人のことは本当に尊敬してる。愛しいよ。
女性はガッカリしそうな凡庸なスタイルだけど、死ぬほど楽しい時間だ。
たまに女友達が彼氏のAVについて「私がいながら!!」と怒ることがあるけど、オナニーというのはファンタジーなのだ。自分の世界だけのものなので、セックスと一緒に並べる意味がわからない。
一人遊びは誰にも邪魔されたくないし、邪魔したら最悪振られるよ〜なんて熱弁してきた。
そんな私も結婚をした。
嫁には私はオナニーすると言ったことがあったし、嫁はふーんって感じだった。
ある日オナニー後に寝てしまい、嫁が帰ってきた。私はTENGAEGGがジャージから出たままだった。
嫁は私がいながら何でオナニーするの?と聞いてきた。
ここからが話し合いの内容↓
嫁 性欲を満たすのは一緒
嫁 そんなことはない
嫁 じゃあ付き合うよ
私 そうじゃない
私 お前もするでしょ?
私 私は無心だ(むしろオナニーぐらい私以外でしたらいいのに(NTR))
嫁 満たされてないの?わたしって下手?
私 別に満たされてるし下手でもないけど、オナニーとセックスは別なので。
嫁 もっとすればいい
私 ちがう
嫁 じゃあ一緒にしよう。見せ合おう。
こんなに嫁に理解してもらえないとは思わなかった。
最近増えてるフリーランス最高!!!とか、起業最高!!!とか言ってる人種が嫌いだ。差別化!!!独自性!!!自分だけの強み!!!と叫びながら、一部のインフルエンサーの言うことをクソ真面目に聞いて、俺も新しい時代の生き方をするんだと意気込んだ無が無を呟くのが気持ち悪くて仕方ない。これからは評価経済の時代でプロ奢ラレヤーは新しい生き方を体現しているんだと大真面目に信じ込んでる大脳皮質がないバカどもを見ていて気分が悪くなる。否定から入るコミュニケーションはよくないってつぶやきをリツイートしながら、自分たちは既存の文化と社会体制を否定することで連帯しようとしているのもクソ寒い。共通の敵を作って仲間内でぬるま湯に浸かるのが楽しいのか。そうかそうか。まぁそういうもんだよな。
俺たちは異常なんだ〜と対して異常でもない奴らが自分の凡庸さと無から目を背けてヘラヘラ笑ってるのも気持ち悪い。オタクが狭いコミュニティの中で自分の性癖がいかに歪んでいるかをアピールして、マウントとってポジショニングするのと構図が同じなんだよ。何も持っていない人間がせめて肩書きだけでもと自分の”個性”を演出しようとしているのもダセェ。自分に専門性がないヤツでも0から始められるアクションの代表が起業とかフリーライターだ。無が肩書きを持って有っぽく振る舞おうとしてる。その人自体に何か新しい価値が付随してるわけではない。もはや個性的な人材でも新しい生き方でもなんでもない。
プロ奢ラレヤーを過剰評価してる人類もうんざりだ。あれを新しい生き方だと褒め称えてる奴、頭おかしいよ。なんでtwitterで見ただけの人をそこまで尊敬できるのさ。だってどう考えても社会不適合者じゃん。会ったらわかると思うんですけど、ただの多動ですよ。新しい生き方なんじゃなくて、プロ奢ラレヤーの生き方。手放しで崇拝するなよ。他人は他人、お前はお前の人生を生きろよ。そりゃあプロ奢氏の無を惹きつける能力は素晴らしい。真似しようと思ってできることではない。すごいんだけど、盲目的に「俺もプロ奢になるんだ!!」ってうおーしようとしてるワナビは、虚無へまっしぐらだなぁと思って受け付けないです。twitterであそこらへんの界隈?に絡んでる奴のプロフィール見てたらあ〜〜〜なるほどね〜〜〜つまんないな〜〜〜って気持ちになった。フリーランス×ブロガーやりたいんだったらつまんないのはダメだよ。他人の言葉をコピーしても熱量はコピーされないんだからお前にしか言えないことを言って欲しい。
成功した人のやり方を真似ても、成功した人以上の存在にはなれないでしょう?その人はその人独自の居場所を確立したから成功しているのであって、成功法則はその人が作った評価時空なんじゃん?そういう人もいるんだなぁと思う以上にのめり込んでどっぷり浸かるのは思考停止で先に待ち構えてるのは穏やかな死か搾取される未来でしょ。成功者に会った人に対する普通の人の反応は、驚愕・尊敬・相対化の3ステージをたどると僕は考えている。これまでの自分の世界観とは異質な世界観に触れて驚く。これはかなりショックの大きいイベントで、受け入れられる人と拒絶する人にわかれる。ふるいにかけられて生き残った人、つまりすごい!!!と心の底から感動した人だけが次の尊敬のステージに移行する。プロ無職すげぇ!!だとか、イケダハヤトはすげぇ!!だとか、そういう精神状態だ。そして「まぁ、あの人はこういう考えだけど、自分は違うんだな」「私のスタンスとあの人のスタンスはここが違う。でもいいところは取り入れよう」と分析して相対化に至る。で、いわゆる信者というのは、尊敬のステージから盲信のステージに入り込んじゃった人のことで、相対化に行けなかった人なのだ。特定の思想が絶対的だと信じて疑わない人。信奉することは何も悪くないと思う。だが、わざと教えにカルト的要素を仕込んでいる教祖はずるいというか、悪徳だなぁと思う。
エホバの証人の教えには、「悪霊たちからいやがらせをされる場合は,み名を口にしてエホバを呼ぶとよいでしょう。そうすればエホバはあなたを守ってくださいます。(箴言 18:10)しかし神の保護を受けるには,心霊術や悪霊崇拝とかかわりのあるものからすべて完全に離れなければなりません。古代エフェソスにいた神の崇拝者たちはそれを実行しました。魔術の本を全部集めて燃やしたのです。(使徒 19:19,20)現代の神の僕たちも同じようにしなければなりません。あなたのお札や魔よけ,“お守り”のひも,呪物,魔術の本など,心霊術とかかわりのあるものすべてから離れてください」
というように書いてある。要は、「エホバの証人以外の人は悪魔サタンに支配されているから関わりを断て」ということだ。#起業しろの人とかはまさにそうで、自分の仲間を増やしたいがために、若者に後戻りさせないよう引き返せないよう迅速な決断を迫っているのである(ここら辺の決断を熟慮せず悩むことなくできるのが、ADHDで多動入ってる系なんだろうなという雑感想)。えいやっと割り切ることでしか手に入らないものもあるし見えてこない世界もあるのはわかるから、起業推進系VCとかエンジェル投資家を否定しようというわけではないのはわかってほしいな。
落合陽一周りをうろうろしてるNewspick張り付き意識高い系おじさんも嫌いだ。手を動かせっつってんだろ。落合陽一の文章のうまいところは、カタカナマシマシ学術用語マシマシで翻訳したら簡単なことしか言ってないというところだ。彼がAIを偏微分装置だなんだ生物は計算機だどうのこうの未来は自然(ネイチャー)に計算機が溶け込んでいくのだなどと冗長に表現するのを、専門外の意識高い理系が頑張って解釈して、「俺はわかってる側なんだ」と優越感・選民意識を持つ。さすがだ。これはまさに与沢翼が信者に買わせているメルマガで使っている手法だ。脳に負担を掛けさせるだけのガチガチに硬い文章を読ませて、単純な内容を苦労して理解させる。こうして得られた情報は、信者にとっては神託として作用し、自分は周りと違って「リテラシー」のある人材なのだと錯覚するのだ。うまい、うますぎる。
互いに褒めるのが一時期流行ってたけど、あれも最高にキモい。なんだよ構ってちゃんかよ。そんなに褒めてもらわないと死んでしまう病気にかかってんのか?一般社会に適合できなかった人が自分のいいところを見つけてもらって承認されようとしている光景が嫌だ。別に承認を求めるのは悪くない。だってみんな承認されないと生きていけないから。でもその承認の過程を、さも新しい運動だと喧伝して新しい活動だとアピールするのは、欲望を綺麗にパッケージングしているにすぎない。自分の居場所を、アイデンティティの固定を求めているのだと意識していないのを嫌悪している。
これがワールドスタンダードだから、とかアメリカでは〜だからと言って日本の文化風土が遅れていると批判している奴に、ここは世界じゃない日本だと言いたい。海外には海外の文化風土と国民性と歴史があって、これらに合致した制度が作られてるの。日本には日本の文脈があるの。そりゃあ日本の制度は非効率的でグダグダで今にも沈みゆく船かもしれないけど、そこにしがみついて生きるしかない人々もいるわけ。変えるなら場所を変えろ。ここにいるな。一人で逃げるのが寂しいからって他の人を巻き込んで行くんじゃない。まずはお前が一人で出て行け。そんで出ていった先で幸せそうにしておけ。本当にそこがよかったら自然に人は流出して行くから。いいか、一人でやれ。
zozotownの平社員だかなんだかの、炎上商法で人の感情を煽り立てては「はい今お前俺の言ったことに反応した〜〜〜wwwww俺の勝ち〜〜〜〜〜wwwww」という姿勢がめちゃくちゃ嫌いだ。メッセージを伝える、少なくとも見てもらうための方法なのは理解できるけれど、他人を不快にさせてもいいという態度はさっさと死んでしまえと思う。伝えたいことは、相手が受け取りやすい形で伝えるべきだ。キンコンの西野もだぞ。あとこいつらのやり方をみて、フォロワーを獲得するのに繋がるから俺はいいと思うけどな〜ってしたり顔で語る意識高い系を装ったクソも嫌いだ。他人に迷惑をかけるのは仕方ない。誰もが迷惑をかけてかけられて生きていくしかないのだから。でも意識的に他人を不快にしてもいいわけじゃないだろ。さっさと熱狂的なファンに刺されてしまえ。腹が立つ。善意を利用して金をとる、愛につけ込んで時間を奪う、畜生だな。おい、秋元康、聞いてんのか?おまえもだ。ソシャゲのガチャを考案した奴もだからな。天国に行けると思うなよ。
フォロワー◯◯人集める方法教えます!!とかスポンサーつけて●●円稼ぐ方法noteで売ります!!っていうのに嫌悪感がある。あれじゃん、与沢翼とか情報商材と同じじゃん。「お金稼ぐ方法売ります」が「フォロワー稼ぐ方法売ります」に変わっただけじゃん。ごく少数のインフルエンサーが大多数の無から金を吸い上げるだけ。確かに、金よりはフォロワー稼ぐ方が実現のためのハードルは低いから、まだ優良なのかもしれないが、本質的に価値を生み出すような行動で金を稼いでいないのは気持ち悪いと思う。実労働が伴っていないのだ。あぁ、もし僕にお金があれば、インフルエンサーが売っている無の情報を買い集めて無料で公開できるのに。情報は広がっていく性質を持っている。その流れをせき止めて、価値があるように見せかけて利ざやを稼ぐ行為を私は好まない。価値を生み出せ価値を。お前にしかできないことかそれは?実質を伴っているのか?他人の劣化コピーに成り下がった人間は死ぬほどつまらないぞ。
あと何かにつけて海外に行こうとするのなんなの?トビタテなんとかプロジェクトをいろんな大学が推進してたけど、大学に教育する気力もリソースもないから外注するってバカなの?いつから大学は知の養成機関から二流旅行代理店になったわけ?海外留学がレールを外れることみたいな風潮あるけど、それめっちゃ他人にレール敷かれてるじゃん。ありきたりすぎる。海外にいくのが異常で独自性で新しくて自分らしさだとかマジで信じ込んでるの?短絡的すぎて脳みそショートするわ。わざわざ国の税金を浪費しなくても、日本にも新しい価値観に触れられる場所はいくらでもあるぞ。なんなら日本の国土の三分の二は森だからな、近くの山に行って森で一ヶ月暮らした方が圧倒的にブルーオーシャンでしょ。西成に行って日雇い労働してみた方が誰もやってないからレアでしょ。なんとなくみんなが行ってるから海外に行くっていうのはレッドオーシャンじゃない?あとたかが海外に行った程度で価値観変わった〜〜って思うくらいの経験しかしてないのってめちゃくちゃダサくない?wowwow
インフルエンサーはわりとまともなことを言っていたり、真理情報を握っているのだが、その周りでうろちょろしてる人間が大嫌いだ。ホリエモンが言った言葉を文字起こしする、図解する、本にする、ゴーストライトするなどの仕事をもらって日々口に糊する糧にするのは大いに結構だが、インフルエンサーが提示する価値観に染まりきって他の文化体系を取り込もうとしない態度は気持ち悪い。それ、ただの新興宗教やぞ。カルトやぞ。ロールモデルは大事だ。正しさなんて誰も保証してくれない世の中で、生きる指針・データセットとして有用だ。だが、特定の人、特定の集団に共鳴して絶対的だと信奉するのはあまりにも気持ち悪い。そこにお前という個人は存在しなくて、ただの情報の結節点に成り下がっている。いいのか、それで。つまらなくないか?みんながみんな、「ひととの繋がりってやっぱ大切だよね〜」と同じ表情で同調して笑う世界がそんなに面白いか?僕はそう思わない。ヘラヘラ馴れ合うな。お前は個性的なんじゃないぞ。ただの社会不適合者だとを手帳にでもMacBookのデスクトップにでも書いておけ。
どいつもこいつも多様性が大事だ大事だと言いつつも、多様性が死ぬコミュニティに飛び込んでいる。矛盾だ。クズも利口もエリートも筋肉もメンヘラもオタクも意識高い系も引きこもりニートも普通の会社員もおじいちゃんも赤ちゃんもヤクザもアルコール依存症も発達障害も健康優良児も腕がない人もある人もゲイもレズもポリアモリーもノンセクシャルもノーマルも自営業も高学歴も中卒も野蛮人も文明人も右翼も左翼もリベラルも宗教家もメンサ会員もいるのが多様性だろ。
「普通の社会」に生きづらさを感じて逃げてきたのは素晴らしいことだと僕は思う。だって辛いことをしてたらしんどいもの。しんどいことを続けてたら死んでしまうもの。死んでしまうと僕は悲しい。人はすぐに忘れる生き物だというこじらせメンヘラもいるかもしれないが、それは誤りだ。僕は死んだ父のことを一生忘れることはないだろう。虐待で死んだ女の子のことも、自殺したご当地アイドルも、メンヘラ.jpのライターの首をつった妹も、もしかしたらこの後自殺する予定のお前のことも、僕は一生死ぬまで抱えて生きていくからなバーカバーカ。忘れるんじゃなくて、心の中から血反吐をドバドバ垂れ流しながらとてつもない喪失感に慣れるんだからな、そこんとこ履き違えるなよ。死にたいと思うならいくらでも死にたいと言え。希死念慮なら僕も持ってる。いつもそばにいてさっさと消えちまえよと囁いてくる。俺も消えたいよ。この世には苦しみしかない。生きる意味なんてどこにもない。意味があると盲信して生きている人しかいない。だから僕より先に死んで勝手に救われようとしてんじゃねえよ。
取り乱した。申し訳ない。
つい数日前に、名刺を全部捨ててる発言のたかーぎとかいう奴がなかなかホットだったが、僕もあれは嫌いだ。嫌悪。上の世代の価値観を否定することで自分の立ち位置を確立し、賛同者を集めるという行為は、フォロワー集めと信頼稼ぎの手法として効率が最高に良いし実際にやろうとしてやれる人はいない。素晴らしいと思う。天才だ。だけど、この世界のほとんどは従来のパラダイムに乗っかっている人で動かされているわけで、彼のパフォーマンスは彼らに対するリスペクトを捨てているからこそ得られる効用なのだと認識しなくてはならない。新しいパラダイムを作り出す集団は、旧来の価値観の否定なしには動くことができない。これもまた事実だ。僕が言いたいのは、手放しに全てを賞賛するのは間違いだということだ。アリストテレスも孔子も中庸こそが目指すべき立ち位置だと言っている。
歴史的コンテクストと共感不可能な他者への尊重を失ったムーヴメントを、私は拒否する。
これが僕の基本的な生きる姿勢だ。好き・嫌いと関わりたい・関わりたくないは別方向のベクトルだと僕は考えている。正直起業家ワナビもプロなんたらもほにゃらら2.0を進めていくんだと意気込む虚無も、大嫌いだ。だとしても、嫌いなものから目を背けてしまっては学びがない。可能性を捨てている。共感不可能な他者と共感可能な自己を理解&比較して初めて知を獲得できる。範馬勇次郎はこう言っている。
「防腐剤...着色料...保存料...様々な化学物質、身体によかろうハズもない」
「しかしだからとて健康にいいものだけを採る、これも健全とは言い難い」
「毒も喰らう、栄養も喰らう」
「両方を共に美味いと感じ、血肉に変える度量こそが食には肝要だ」
これまで、人物は描けるけど他のものは不慣れというケースを何度も見てきたからか、自分は無意識に「人物以外の被写体が得意な人の方が上」だと思い込んでいたんだと、最近気付けた。
きっかけは、センスが良くて完成度も高い静物モデルのイラストと、素人目でもデッサン狂いが見える人物モデルのイラスト、どちらも同じ人が同時期に描いたもので驚いたこと。
これがもし、人物は綺麗なのに持ってる楽器は拙い、とかなら特段驚いたりしないのに、逆パターンだと結構意外に感じたっていうのは、自分のものの見方や観測範囲に偏りがあるのではと、ハッとしたのだ。
例えばゴッホの作品を前にして、自画像は簡単に描ける!ひまわりの方が名画!みたいな乱暴で馬鹿げた見方なんぞ絶対にしない。
なのに(右向き顔のバストアップ絵ばっかり量産していたというあるある経験もあってか)つい、イラストは人物を描くのがメインという偏った前提で、「普通、人物は手癖でもある程度描けるもの、それ以外はわざわざ練習しなきゃ描けない凄いもの」「人物しか描けないのは凡庸」だと、いつの間にか思い込んでいたようだ。
何を描くのが得意かって、ゲームでいうとパラメータの振り方や職業の違いみたいなものなんだよな、多分。
人物、生物、静物、風景とかは、攻撃力、防御力、素早さ、賢さみたいなもので、それぞれの優劣なんてなくて。
何をどう伸ばすべき!なんて万人にとっての絶対的な正解なんかもなくて。
鉄壁の守護神も、ソロのオールラウンダーもいて……まあ、多数派少数派はあるにしても、それぞれ違った輝き方が出来るみたいに、絵だって色んな道があるんだろう。
今後は「この人はこれは描けない」ではなく「この人はこのパラメータを伸ばしてきた」と捉えていこうと思う。
久しぶりに平穏な一日だった。今日くらいはビールを飲んでもいいだろう。残り少ない缶ビール。
絶望ではない。恐怖だ。絶望とは未来永劫のことで、恐怖とは今現在のことだ。これを書きながら手が震えているのは酔っているせいではない。酔えない。
明日からどうなるかはわからない。できるだけのことはするつもりだが、何の保証もない。
これは万が一私が死んだときのための手記ではない。こうでもしていないと気持ちが落ち着かないから書いているだけのことだ。
この建物は包囲されている。投擲の音で目が覚めた。今日も生きていた。
この街で生きているのは私たちだけなのだろうか。それさえもわからない。
妻は落ち着いているどころか時々私を笑わせようとさえする。しかしそれが恐怖心の裏返しであることはわかっている。強い女性だ。
窓に衝撃が走る。トビウオだ。運良くガラスは割れていないが、ハマチが投擲されたらと思うと時間の問題だ。
今夜は危ない。ビールはとっておこう。
「無駄な抵抗はやめろ」いや、私たちは抵抗などしていない。「抵抗はやめて今すぐ出てこい、さもなくば」
カタパルトにマグロがセッティングされているのが見える。あんなものを放り込まれたらひとたまりもない。
コウジとよく遊んだのを思い出す。「肉食おうぜ」が奴の口癖で、私たちはよく焼肉屋に行った。妻とはそこで知り合った。
コウジは転勤で今この場所のこの事態を知る由もない。全てはあいつのせいなのに。
「何を考えているの?」妻が囁いた。コウジのことを考えていたとは言えなかった。
鯖人間が議会を牛耳ったのはたった1週間前のことだった。だからどうした、と私は思っていた。楽観だった。
その後、まず鯖の缶詰が街から消えた。だからどうした。練り物が姿を消した。そんなものに関心がなかった私はそれに気づかなかった。だからどうしたっていうんだ。
スーパーの鮮魚担当が次々と行方不明になっていると聞いて事件はリアリティに彩られた。鯖の缶詰は鯖だが、スーパーの店員は人間だからだ。
やがて街から人々は姿を消し、この家が殆ど最後の砦となったようだ。妻がいないことに気づいた。
「ごめんなさい。あなたのことを嫌いになったわけじゃないの。だけど、残していくことを許してほしい。
あなたはよく食べる人だったわね。カルビ1枚でご飯1杯食べてた。そんな人は初めてだったから、とても印象的だった。いつの間にかあなたのことばかり考えるようになっていたわ。
絵に描いたような幸せ。凡庸な私の人生が輝いていたのがはっきりとわかったので私はサングラスを買ったわ。あなたは君は太陽だよと言いながら日焼け止めを塗っていた。今考えると馬鹿みたい。でも、幸福って馬鹿みたいなものよね。馬鹿みたいに幸せだった。
でも、私はこの家を出ていく。カルビを焼きながら白米を頬張るあなたが好きだった。でも、私は鯖を食べたいの。さよなら」
運命ってのは本当にあるのだろうか。これが運命? だとしたらあまりにも理不尽だ。量子物理学は土下座をすべきじゃないのか。
激しさを増す。クジラが投擲されるのも時間の問題だ。この家はもうすぐ蹂躙される。引き裂かれる。
最後のビールを飲みながら考える。たった一人で死んでいく悲しみは、果たして悲しみと呼べるのか。誰一人悲しまない。自分ひとりだけの悲しみは水素よりも軽い。
私は死ぬだろう。トビウオが激しい。鯖人間のシュプレヒコールが止まない。妻は今ごろ鯖缶を貪り食っているのだろうか。コウジは残業か。
最後にこれだけは言っておきたい。この手記を読んだ者がいたなら、これだけは覚えておいてくれ。
明日、めふぇ
ストレスで久々の休みに一日中寝てた。泥酔しているので勢いで書く。
新卒採用はクソ。
社内のジョブローテーションの関係でそうなっただけで、希望したわけではない。
とはいえ唯々諾々と何も考えないでそれを受け入れた。
今では後悔している。
しかし若手なのもあり、社内の評価のために唯々諾々と前の担当者の引継ぎ通りに業務をしている。
クソだ。
結局(全部とは言わない、自分で考える能のない多数の凡庸な)企業は、就活業界のビジネスに概ね踊らされているように見える。
といっても就活業界ビジネスを展開しているナントカナビとかそういうのが悪いかというとそうではないと思う。
何が悪いんだろうな。
たぶん自分の頭で考えて考えたことを実行しない(俺も含めた)全部が悪いんだろう。
まあそんなことはどうでもいい。
書きたかったのは、表題のとおり、就活生は祈られても何も思わないでほしいってことだ。
採用を担当するようになって、大量の学生を審査して、選ぶ作業をするようになった。
最終面接とかはもっと上の人間にやってもらうから、直接落としたり通したりするのは、
書類選考とか、一次面接とか、グループディスカッションとかそういう奴だ。
正直、クソ忙しい中で、書類を見るだけでは、または10分とか20分とか喋る(あるいは喋るのを眺める)だけでは、何も分からない。
書類だったら、もうまとめて学歴(など)で落としていくしか「統一的な基準」として自分と上司を納得させる方法がない。
なんか一生懸命に心を込めて考えたんだろうと感じられる自由記載みたいのを見かけることもあって、心を動かされることがあっても、
真摯に誠実に話せばわかってくる、とか嘯く奴もいるが、
こっちだって本当に誠実に話せているかと聞かれたら、首を縦には振れない。
言えないことだってあるし、落とさないといけない後ろめたさもある。そうだろ?
それは当然だし、化かす能力がある人間なら入社いただいて何の問題もない。
でも入社した後も社内を化かし続けられない人間が入社してしまったときには、
そんなもん判断つくか。つくわけない。
それに、特に嫌いなのがグループディスカッションで、あれは一緒に入るメンバーによって表出する人格に違いが出過ぎる。
しかも、積極的に発言する人を評価すると言いながら、明らかに無理して頑張ってる学生を「協調性がない」と評価したりする。
クソofクソだ。
社内で「わからんから顔の好みで選んでる」と公言してる面接官も知ってる。
公言してないだけでそういう面接官も一定数いるんじゃないかと思う。
当然、どの程度の割合の人間をこのタイミングで落とさないといけないかというのが決まっていたりもするので、
その日面接した中に落としたい学生がいなくても、落とす学生を選ばないといけない。
もちろん一応、こういう人間を落とす、通す、という基準はある。
「こういう基準で採用をしています」というのを社内の上の人間に納得してもらうためにあるだけだ。
ちなみに(就活ノウハウ本とかにもよく書いてあるが)その基準が知りたかったら、
その会社の採用webページに出てる「当社の求める人材」とかそういうのを見ればいい。
まあ大体どこも書いてること似たようなもんだけど。
正直、自分としては、とにかく(少なくとも普通以上に見える奴は)落としたくない。
そうじゃない余裕な奴もいるかもしれないけど、
多数の学生は自分が何したいかって言われても良く分からないまま一生懸命受けに来て、
そういう学生を、「よくわからんな」とか言いつつ、鉛筆を転がすみたいにして選別していく。
もうたくさんだ、と何回も思った。
社内にはそれを楽しそうに、「あの学生はこうだった、ああだった」と言いながら自信満々にやってる奴もいるから、
俺が向いてないだけなのかもしれない。
このストレスに耐えられそうにない。
だからせめて増田で、「祈られても何も思わないでほしい」と学生に懺悔する。
ここまで書いたことはあくまで自分の勤めてる会社の話で、どのくらい普遍性があるのかは分からない。
でも、企業がお祈りを出した場合でも、決してそれは学生個人の能力とか人格を否定してるわけではない、
ということを、上に書いたクソみたいな実情で少しでも実感してもらえたらと思う。
落とす時も「まあ落とすほどではないんだけどな」と思いながら落としている時もあるし(むしろそちらの方が多い)、
「この学生はうちには向いてなさそうだけど○○な会社なら向いてそうだな」と思いながら落とす時だってある
(またこのへんをフィードバックしないのがうちの会社のクソなところだ)。
それが伝わるようなやり方で採用活動ができていないのは、多分ひとえに企業の手落ちで、そんな会社には入らなくて正解なんだと思う。
そう思って、祈られてもなるべくがっかりしないでほしい。
「そうはいっても祈られ続けてサラリーマンになりたいのになれない」って人は、小手先のテクニックを磨いてください。
ド素人だし金を払ってるわけでもないが、これだけ時間を割いたら多少偉そうに感想を書き連ねてもいい気がしている。
あくまで1話の感想なんで、2話以降どうなってるかは関係なし。
何かと思ったら映画を前にしたスピンオフらしい。劇中劇というかドラマ中ゲームの話で最後までいくのだろうか。ゲームだからヒロインがいくら変な行動を取っても共感性羞恥心を煽られずに楽しめたりはする。
これも映画を前にしたスピンオフらしい。盗み聞きするヒロインという設定なら、いっそ彼氏を掌の上で転がすくらいの方が好み。
ターゲット層の娘がいるわけでもない大人として特に興味を引くところはないが、生活をどこまで覗き見られてるかわからないのは結構恐怖じゃなかろうか。
男子に雨の中一つしかない傘を貸されて感謝はしても申し訳なくは思わないヒロインってお姫様気質だな。
15分枠の中で時系列がごちゃごちゃしてるのはともかく、最初に学生になって登場してる……以前にそもそも主人公であるヒロインが無事に生まれるかを最後の引きにされても。母体が無事かならともかく。
真面目に見るにはB級臭いが、笑って見るにはノリが悪くて性暴力の描写が重い。
美形がキョドり主人公を演じるドラマは最近色々あったが、中村アンはそりゃ藤原竜也には並ばないにせよ意外と表面的でない良い演技。
目覚めたら松坂慶子になって……はないが時間が飛んでるという設定はそれなりに興味を引く。
ホモソーシャル感が苦手と思いつつ、池松壮亮の顔ってちょっと杉咲花っぽい可愛さがあるなと思ったりした。
5分枠という短さだから、15歳の娘に男子と2人暮らしさせる親も、いきなりキスする男子も、それに対する娘の反応もみんなおかしくたって仕方ないのだろう。
丁寧に人物を描いてる印象。ドラマで看護学生ものはそういえば初めて見るか。医学生ものも『輝く季節の中で』『ヴォイス』『動物のお医者さん』『向井荒太の動物日記』くらいしか思い出せないが、医療+青春ってドラマ向けの題材では。
学生の中に井森美幸じゃなかった酒井美紀がいるのはいいが、男子はいないのだな。
オタク向けに閉じたノリではなくオーソドックス(悪く言えばベタ)な新米お仕事ものとして、ちゃんと作られてる。戸松遥の演技くらいがツッコミどころ。
主人公の声優としての才能を感じさせるのに八百屋の営業という形で芝居に加えて歌とサービス精神も描いたのは、現代の声優業の幅広さに対応してるのか。アニメに疎そうなので、深夜のエロアニメとかどう思うのか気になったりはするが。
ところどころクスリとさせられるものの、コンゲームとしては巧妙というより力業。
『真田丸』で鬱陶しいイメージを逆手に取りながら一新した長澤まさみは、何となく自分の中のポジションが吉高由里子に近づいてる。
逮捕されたのは兄なのか? 指名手配犯かと思って混乱したのと、せめて「はんにん」じゃなく「ゆうかいはん」と書いてればと思わずにはいられなかったものの、映像がフィルムっぽい質感で雰囲気を盛り立ててる。
後味の良い勧善懲悪的な事件ものとしてこの先もいくのだろうか。手堅い作りだし、主人公の青臭さを周囲が諫めてもいるものの、もっと割り切れない事件にぶつかってくれる方が好みではある。
執事属性でない人間にとっては凡庸なミステリー。殺人の動機も弱かった。あと災害情報みたく他番組の宣伝をL字で入れるのは印象悪過ぎる。
ただキャスティングの工夫は『シグナル』との比較もあって評価したい。
中谷美紀は専業主婦が似合わない女優だが、おかげでホスピタリティに欠いた者同士がくっついてうまくいかない夫婦という設定が必要以上に表現されてる感。仮に妻が専業主婦にならなければ戦友的な関係が芽生えたりとか……いや、とっくに別れてるか。
怖いユースケ・サンタマリアといえば『火の粉』では怒鳴る演技が弱点だったが今回はどうか。
ささやかな人間ドラマに料理を絡めてほっこりという、あまり興味の湧かないジャンル。店名の由来を2度語る必要はあったのか。
足立梨花の使い方が凄い。彼女には失礼かもしれないが、これ以上正しい使い方はないんじゃないかと思える。さらに男たちの閉塞感と下衆さが生々しくて、嫌な気持ちになりつつ引き付けられた。
『家売るオンナ』……いや『女王の教室』の会社版か。死人が出かけた以上最終的にきちんとデビルを否定してくれないと倫理的に問題だし、会社にとってもリスキー過ぎるだろうとも思うが、リスクを描いただけ倫理的と言えなくもないか。面白い作品であることは否定できない。
無駄にエロが挟まると思ったら主演女優が蒼井そら。サスペンス性でそれなりに引き付けられはする。
とても捻りのないタイトルだが、立て直しものの王道っぷりは悪くない。駄目なところから始まることへの苛立ち防止にもう少し笑えても良かったかもしれないが。
くっきー演じる強面のフロントマンは配置転換しない解決案だと夢があると思う。
題材の目新しさとビターな味わいは良いが、意外と地味で淡々としてるので、今後の話にバリエーションがないと飽きるかも。
井上真央のはあまり憶えてないが面白い。漫画的に誇張された設定はベタな面もあるのだが、マイナスにマイナスを掛けてギリギリプラスにしたようなヒーロー造形の際どさとか、常識知らずを笑わないでくれて嬉しかったというエピソードの共感力とか、作り手の上手さが光る。杉咲花の演技も、コメディらしい誇張は少ない代わりに心情がよく伝わる。
しかしファミマはあの男性店員の描写をよく許したな。あと福士蒼汰と思いきや中川大志な本編の間に入る、中川大志と思いきや福士蒼汰なCM。
いきなり中山美穂を殺したのは良いとして、Wヒロインを霞めんばかりに中年男優陣が厚いのは良し悪しとして、密室作って貰っておいて今更母の愛を知って涙とか、「文字の神様が降りてきたわ」というふわふわした決め台詞とか、「文字に関する理論は番組のオリジナルです」って本当に空想かよとか、色々微妙。
切ない汗のアニメの記憶はぼんやりあるが原作は未読。復讐劇はこれからだが、前振りとしては申し分ない悲惨さ。ただ原作を読んで翻案っぷりを見る方が楽しそうな気がする。
冒頭に暴力描写の警告がありバイオレンスを覚悟したが、中森明菜の方の『ボーダー』1話ばりのスプラッターだとは聞いてない。痛そうなホラーが好きな人向け。……深夜じゃなくプライムタイムにあれをやった『ボーダー』凄いな。
引き裂かれた恋とか忍者とか拳銃とかおじゃる篠井英介とか色々見所はあるのかもしれないが、ごめん基本的に時代劇苦手(ということを乗り越えるに至らず)。
野々すみ花は好演だが、なんで辻斬り男にそこへ来いなんて言った?
とても普通なアラサー女性群像ドラマ。等身大という意味の普通でなくドラマとしての普通。
中川翔子がアニキと言うよりボクっ娘って感じなのは、夏菜とのキャラ分けにおいて計算通りなのだろうか。
「あれから色々ございましたが」って千の眼になった人のことか!とツッコんでたら『下町ロケット』に喧嘩売り始めて見上げた根性。
最後の救いは強引だったものの、辛口ホームドラマとして安定の出来。
タイトル、ラノベ感はいいとして弁護士で弁が立つのは普通では。
ネット民が好きそうな企画だが、学校という内輪のやり方を不合理と叩き斬ってスッキリという単純な話ではなく、弁護士は人間の機微を理解しないドライな人間というわけでもなく、安直な構図は避けられてる印象。
「なりたかった派、なんとなくなった派、それとも仕方なくなった派、どれですか?」という台詞やそれに台詞で回答しないあたり、上手い。
単発ドラマの続編ではなくリメイクか。設定やキャストの変更はあるし、尺が違うから単発よりも話が進むと思うが。
単発は随分偏見めいた内容だったが、連ドラになってもポリコレ度を上げることはなく相変わらずっぽい。
医療ものとしての緊張感に結構なダークさが加わって面白い。『振り返れば奴がいる』を彷彿して、千堂あきほは彼女で中村あずさは彼女で西村雅彦はトゥビコンだと退場が早すぎるからキンコメあたりかななどとも楽しんだり。
主人公が辞表を賭けて戦うのはメタ視点で相手の分が悪すぎて興醒めと思いかけたが、いっぺん相手の手術を成功に見せるのが一工夫だな。
願望充足ファンタジーとして特定のターゲット以外相手にするつもりはないのだろうし、あれだけスピーディにキスまで持ち込む男子はきっと血が止まるのもスピーディでシャツが汚れたりしないのだろう。
えっと、何の共通点も関わりもない4人のドラマを「末路」という言葉で無理矢理1つのドラマにしただけだったりする?
これがラストかと思って見たら1話じゃなく宣伝だった。5月以降スタートのは対象外とさせて頂く。
結局どれを特に気に入ったのかと言うと『花のち晴れ』『Missデビル』『ブラックペアン』『弁護士が学校でほえる』『噂の女』。あくまで1話でだが。
本当に些細なことで注意されて恥をかいたこと、多分誰にでもあると思うんだけど、そういう時に「うわーーーーーめちゃくちゃ恥ずかしいっていうか自分みじめだ!!つらい!消えたい!泣く!ごめんなさいいつも失敗してすいません」って反射的に思ってしまうのをやめたい。
誰でもそういうことってあるし、間違いなんて何歳でもすることだけど、一度の注意でいちいちそう思ってしまうので身が持たず、とてもしんどい。
原因は多分完璧主義者というか、プライドが高いくせに繊細だからなんだけど、自分でもすごくめんどくさいと思うし、変えられるのなら変えたい。要するにプライドが変に高いくせに繊細な自分が嫌いだ。
同い年でプライドがすごく高い人がいたけど、その人は天才で凡庸なミスなんか滅多にしなかったから傷つく頻度も少なかったと思う。記憶力もいいしものの受け答えもはきはきしてたから…
反対に私はうまくできないのにプライドだけが高い。ぼーっとしてることも多いし、言われたことを飲み込むのに時間がかかる。それで傷つきやすいのだから、生きづらさしかない。取り柄が全くないわけじゃないけど、できないことの方が多くて、何だか気が滅入る。
私にはいま追いかけようと思っている夢がある。夢のために、多少強引に自我を通すというか、批判を気にしない度胸も必要だと思っている。私の人生に責任を取らない他人の言葉に、心を折られたくない。だから失敗してもへこたれないというか、ふんばれる方法を教えてほしい。もう簡単にめげたくないんだ。