はてなキーワード: 再現とは
根本的に間違ってるんだよね。
MTGは「トレカに能力値をつけてカード型ボードゲームみたいに遊べるようにしたもの」で、そこから派生した多くのTCGは「MTGっぽいゲーム」として存在してるっていう歴史がまずあるの。
んで遊戯王は漫画の中でまさにその「MTGっぽいゲーム」としてモロにMTGっぽいゲームであるマジックアンドウィザーズを登場させたんだが、そこには「漫画的に面白くないシーンをなくす」っていう調整が行われたわけ。
マナという概念の削除はまさにそれで、正直漫画で読むと今何マナ出てるのかって全然分からないの。
これはまさにMTGをそのまま漫画に使ったデュエルマスターズを読んでもらうと分かりやすい。
[第1話]デュエル・マスターズ - 松本しげのぶ | 週刊コロコロコミック
マナを削除した変わりに遊戯王が導入したのが「大型モンスターの召喚には生贄が必要」「一番強いモンスターを倒さないと相手を直接攻撃できない」というシステムなんだけど、これは漫画的にもかなり分かりやすい。
お互いが守りを固めれば「このあと出てくる大型モンスターで勝負が決まる」と分かるし、相手が生贄用のモンスターを大量展開すれば「このあと切り札が出てくる」と把握できる。
なによりこの状況を逆転するのにどれぐらいの手数がいるのかが「相手の一番強いモンスターの突破しにくさ」を見れば8割方把握できる。
MTGだとこれが「残りLP・お互いのクリーチャーの数・マナ・手札」とやたら大量の情報を処理する必要があるが、遊戯王はシンプルに「相手より強いモンスターをこっちが出せば良い」に集約されていて漫画的にとてもテンポがいい。
遊戯王OCGはそんな遊戯王の中のマジック・アンド・ウィザーズを「再現して遊ぶこと」に比重が置かれているゲームなわけ。
つまり商品価値は「遊戯王に登場したプレイヤーのようにデュエルが出来ること」なの。
「MTGよりシンプルなTCG」だとか「プレイヤー数の多いTCG」だとかはあとから生えてきた付加価値であって、本質的には「テレビや漫画のヒーローの真似をするグッズ」なんだよ。
つまりは遊戯王OCGもまた「相手より強いモンスターをこっちが出せるかどうか」を競い合うゲームなわけで、そこに細やかなリソース管理を求めるようなマナなんかは邪魔なの。
客が求めるのはアニメや漫画のキャラクターっぽい「ド派手な盤面の転換」「相手に絶望を与え愉悦で高笑いできるような展開」を引き起こせるカードなわけ。
それにOCG側が答えてきた結果、いつだってパワーバランスは崩壊しまくってるし、意味不明な強さのカードが多すぎてもう皆念仏みたいなことを唱えてソリティアしあうようになってるわけよ。
でもそれは「遊戯王がゲームバランスを取るのが下手なゲーム」だからじゃなくて、「アニメのキャラクターみたいに次々カードを出しまくって相手に超凶悪な盤面を押し付けられるゲーム」だとか「そんな最悪な盤面を跳ね返して逆にマウントを取ってねえねえどんな気持ち♫できるゲーム」を求めるユーザーの声に従ってきたという背景があるわけ。
いつの間にかアニメと比べてOCGでの展開が複雑奇怪なものになってるのは、ユーザーの中で「凄いデュエリストはこれぐらいの戦い方をする」のハードルが上がってきてるから。
でもそれが段々アニメでの描写とゲームでの描写にズレを起こしてるのは事実なんだが、そこにあるのは「世界トップランクのデュエリストみたいな超高レベルな頭脳戦を繰り広げてる缶を味わいたい」ってユーザーの思いが先鋭化したものなのよ。
MTGのプレイヤーが求めるのは「世界的な大会の優勝が確かな権威を持てるような緻密な作りのゲーム」だろうけど、遊戯王のプレイヤーが求めてるのは実際に緻密なゲームなのかではなくて「緻密な頭脳戦を繰り広げてるっぽさが味わえるか」なわけでそれはもう全くの別のものなのよ。
赤飯の元は雑穀米だから赤かったんよ雑穀米を再現するために赤に染めた
お祝いとして優先的に飯が食えるってのは何処の文化でも普遍的にある
それを現代でやるのはどうか?という議論があって良いと思うが、経血の赤と赤飯を紐づけちゃう人が稀に居てもうちょっと調べろよとも思う
今はどうか知らんけど、40年ぐらい前のオレの中学の修学旅行では、当時の少女漫画に良くある描写の「男女がベッドで抱き合ってキモチいいことしてる」ていうシーンを再現しようとする「クラスのお調子者男子」と「そのファン的な女子」がいたっけなーw
当然、男子と女子は別部屋で宿泊なんだけど、教師の監視の目をかいくぐって女子が男子部屋に忍んでくるわけw
「1メートルは一命取る」という標語が、安全衛生の世界にはある。1メートルという高さでも死亡事故につながるというもので、安全に対する意識付けを図るための標語である。そして私は、現実に「1メートルで一命取られてしまった事故」の事案に関わることがあった。
会社は金属部品の塗装加工を行っており、人数も10名未満の小規模なところだった。現場の状況把握のために、測量や写真撮影などを行う必要があったのだが、急に降りだした大粒の雨のなか実況見分を行うのは、正直苦痛でしかなかった。とりあえず、写真だけは撮ってしまいたいと考え、外に出ることにした。
事務室内から外階段に出ようとすると、雨が急に小ぶりになり、事故が起きたという道路前に着いた時には、完全にやんでしまった。普段は、霊とかそういうことには無頓着な私だったが、何か亡くなった方の意思を感じるような、非常に不思議な気持ちになってしまった。
実況見分を開始すると告げて、事故を再現させた。事故そのものは、塗装を終えた約200キロの金属製のフレームのような製品を、フォークリフトで4トントラックの荷台に積み込んだ後、固定する位置をずらすために、荷台の上で数名がかりで荷を回転させながら前方にずらしていたところ、被災者が荷の回転とともに荷台の端から後ろ向きに墜落し、アスファルトの地面に頭を強打したというものだった。荷台から地面までの高さが、ちょうど1メートル。たった1メートルであった。
これまで、何十メートルから落下して死亡したとか、十数メートルの高さから落ちたのになんとか助かったなど、墜落事故を数多く調査してきたが、この高さの死亡事故は初めてだった。
なぜこの高さで死ななければいけなかったか、こんな事故は許せないという気持ちが、心の奥底から湧きあがってくる自分がわかった。雨がぴたりとやんだことで、そういう心理状態になってしまったのかもしれなかったが、とことん事故の原因と責任を追及してあげなければ......という思いを強くした。
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO2843400022032018000000
https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220723-211448/
これ見て思い出したけど、レースゲームの中でも首都高バトルって神ゲーだったな
東京・名古屋・大阪の首都高を夜な夜な走ってバトル相手見つけてぶっちぎったら勝ち
道路上には一般車も走ってて、その間をすり抜けながらバトルするのが醍醐味
こんなグレーな感じのゲームなのにメーカーからライセンス許可貰ってて実車で走れる
ゴリゴリに改造して首都高湾岸線で300km/hバトルとか胸熱すぎたし
300km/hで料金所突破の瞬間は玉ヒュンすぎて最高だった
既にメジャーなマッチングアプリやってみたことがある人にしてみたら今更感があると思うので、そういう人は回れ右。マッチングアプリといっても、Pairs、Omiai、With、タップル辺りの比較的大手(?)な奴限定なのでそこんとこ注意。
うだうだ書かれても……という人向けに先に結論だけ書くと、今どきのメジャーなマッチングアプリを一言で表すと「オンラインお見合いシステム(ただし、仲人はいないよ)」。それ以上でもそれ以下でもない。
タップルはメッセージの放置率が高いとかOmiaiは比較的律儀にメッセージする人が多い気がするとか、アプリごとの空気感はあるけど、その辺は多分にユーザー層の違い。
それと、俺は男性なので、女性から見るとヤリモクが~とか、すぐに会おうとする非常識な奴が~とか色々あるだろうけど、その辺は女性ユーザに聞いて欲しい。
以下、マッチングアプリに登録するとどういう作業をすることになるのかザクッと書いてみる。
も登録するように促される。性別や年齢は必須で、その他はオプショナルだったりするけど、多くの人が8~9割くらいは埋めてる感じ。あとは重要なのが自己紹介文だけど、こっちはやる気ない人(やあからさまに業者ぽい人)だと空欄なこともままある。お見合い(といってもリアルにやってた世代の肌感は知らないけど)における釣書ってところ?ただ、まともなアプリでも大抵はせいぜいが身分証明書提出くらいしか求めないので、性別と年齢、対応するリアル人物がいることくらいは保証されるけど、それ以外は無保証。ゼクシィ系の婚活アプリだと独身証明書の提出もできるので相手の未婚保証なんかもついてくるけど、相手に彼氏/彼女がいるかについても無保証。この辺りはリアルでの出会いでも保証があるかっつーと怪しいけど。
なお、まともなマッチングアプリは月額課金制を採用している。12か月契約だと1か月辺りの料金が安くなるとか、できるだけ長く続けさせようという目論見はあるだろうけど、基本的には月額2000~4000円(アプリによる)払えば追加料金なしに続けられるので、「これ以上続けようと思ったら追加課金が必要です」ということにはならない。そういう事情もあって、怪しげな女性が誘惑してきて、どんどん金を貢がせられる……なんていうのは、入り込んでる業者っぽい人さえ気を付ければ心配しなくていい。一方、従量課金制のところは運営側がメッセージを送ることに対して課金させるインセンティブがあるせいか、とにかくいきなり怪しいお誘いをしてくる実在するかも怪しい異性(いわゆるサクラ)が多数いる。
マッチングアプリは相互に「いいね」し合わないとマッチングが成立せず、マッチングが成立しないとメッセージのやり取りすら出来ないし、会うことも当然できない。なので、上記の情報を参考に「この人いいな」と感じた人に対して「いいね」ボタンを押すのだけど、当然ながら写真も含めた一見の印象で「いいな」と思った人が同じく「いいな」と思ってくれるかというと怪しい。女性はよっぽどやばくなければ基本的に「いいね」が殺到するけど、男性の場合はよっぽどイケメンであったり若いとかないと、そういう都合のいいことはまず起きない。
一日に運営側から付与される「いいね」数はせいぜい10くらいなので、数打ちゃ当たる戦法は使えない……と言いたいのだけど、運営側がピックアップした異性に対してはノーコストで「いいね」出来るというシステムが大抵のアプリにはある。なので、ピックアップされたメンバーに対しては悲しいことに「この人ないわあ」って人(年齢や容姿面で)以外は、とりあえず「いいね」しておくのが最善戦略になってしまう。
余談:通常の月額3000円くらいの課金と別に「プレミアムオプション」に課金(月額3000円くらい)すれば、最終ログイン日時が24時間以内とか今ログイン中の人であるとか、「いいね」数が一定以下とかでフィルターかけられるのでマッチング確率がいくらか上げられる。アプリ始めたはいいものの放置プレイっていう人も多いから、一か月ログインしてませんって人に「いいね」してもマッチングする確率は絶望的なわけだしね。まあ、「新規メンバー」とか「最近ログインした人」みたいな欄があるアプリもあって、そういう場合はプレミアムオプションに課金するまでもない。
AさんとBさんが相互に「いいね」しあうと「マッチング成立」とみなされる。自分に「いいね」してくれたユーザの一覧は見えるので、どっちかが先に「いいね」してそれに「ありがとう」とかいうボタンでお返しする感じになる。その後は晴れてメッセージ交換が解禁されるので、二人でじっくり話し合ってくださいということになる。言い換えると運営は何もしてくれないので、ここからは文字でのコミュニケーション力やプレゼン力、度胸勝負になる。さすがにメッセージ交換の初手で連絡先聞くとかしたら正気を疑われるので、最初は「はじめまして、マッチングありがとうございます。よろしくお願いします」みたいな定型文+αから入るのが定石。
ここで「〇〇さん、お散歩が好きなんですね~」とか話を広げることもありだけど、初手でやると馴れ馴れしいととられかねないので塩梅が難しいところ。
まあ、メッセージ交換が始まった後はアプリ特有の事情ってのは特になくて、強いて言うならLINE交換を申し出るタイミングを考えるくらい?
LINE交換より先に通話や会ってからという人も結構多いので、10往復くらいメッセージのやり取りしたら、それとなく「電話デートのお誘い」 or 「会ってみましょうのお誘い」をするのが無難。
メッセージ交換でうまいこと電話デートあるいはリアルデートに誘えたら次のステップ。
コロナ禍になってから大手アプリが次々に実装したものなんだけど、15~30分くらいでアプリ内で通話ができる「電話デート」なる機能がある。特別なことはなくて、メッセージ交換の中で「〇〇月××日△△時に通話しません?」みたいに約束を取り付けて、通話するだけ。メッセージだと話が弾んだと思った人が通話してみたらシーンとしたり、その逆もあるので、会う前に相手との相性を見極めたい場合は使える手段。
アプリ特有の事項は特になし。ただ、初対面の時点ではお互いに本名を明かさないことが多いので、当日落ちあうために服装とか伝えておくくらい?当然ながら、メッセージ交換をしてある程度の情報はお互いに知っている前提なので、会う前にお互いのプロフィールはできるだけ復習しておくのが吉。それと、マッチングアプリという場での出会い故からか「会いましょう」となったからといって、お互いに「凄い良い」と思ってるかは定かではない。昔のお見合いとかでもそうだったのかもしれないけど、無難な会話から話を広げることが多い。
もちろん、これも特別なことはなし。俺が結婚した人は、一回目にあったときに色々話し合えたこともあって即交際申し込みしたけど、嫁さんの友人からすると「騙されてるんじゃないかと気が気で仕方がなかった」そうな。まあ、一回デートしただけで交際決めるのはヤリモクとかヤバい人物と思われてもおかしくない。
ちなみに、二回目以降会うかどうかも当然雰囲気次第で、「なんか微妙な雰囲気だったなー」と思ったら「次また会ってください」と言われたこともあるし、その逆もある。
ここからはマッチングアプリ特有の注意事項とかシステムについて。
本当に悲しいことなんだけど、女性はたとえ顔写真すら登録してなくても、年齢が一定以下なら「いいね」がそれなりに来るけど、男性で同じことをして「いいね」が来る確率は非常に低い。顔写真を登録してても、写真写りにかなり気を遣ってようやく普通に勝負できるレベル。ぶっちゃけ、女性は選り好みさえしなければ男性が群がって来るけど、逆はないという非対称性がマッチングアプリでも再現されてしまう。加えて、多くのマッチングアプリは女性ユーザを集めるために女性は無課金で好きなだけ利用できるので、女性は途中でやり取りをやめる人が結構多い。男性でもいるのかもだけど、よっぽどモテモテの人とか「いいね」してきた人とことごとく話が合わないとかくらいだろう。たぶん。
せめて「お断り」ボタンでもあればいいのだけど、そういうのもないから、唐突に返信が途絶えることもあるし、唐突にブロックする人すら稀にいる。この辺はまあ割り切るしかない。
月額課金制というビジネスモデルゆえに、「ここでいう」マッチングアプリでは基本的に運営側が雇ったサクラはほとんどいないと思われるのだけど、明らかにプログラムで登録しただろみたいな綺麗過ぎる顔写真と出来過ぎたプロフィールの人がいる。アプリを利用してなんか誘導しようとする業者なんだろうけど、こういう人は最初の方でLINE交換しようと持ち掛けてくるので見分けるのは容易。あと、海外の人を使ってるのか基本的に日本語がたどたどしい。感覚的に日本語が変なユーザの9割以上は業者だと思う。
ただまあ、そういう人は「あれ?この人、日本語がおかしい?」とすぐわかるので引っ掛かることは少ないと思われる。ブロックするのが面倒くさいくらい?
アプリに特有の問題じゃないけど、俺とマッチングした人は結構メンタルヘルスに問題抱えてる人が多かった。アプリを積極的に使う層は内向的な人がたぶん多くて、熱心に利用してる人にそういう傾向が多いくらいの話じゃないかとは思うけど。
典型的なメンヘラタイプのやばい言動をする人はあんまりいなくて、鬱や不安障害などでしんどい思いをしてるとかそういうレベル。通常の出会いよりもそういうケースが多そうな気はするので、実際に会った人がそういうバックグラウンドを持っていたとしても向き合ってあげられるかというのは考えておいた方がいいかも。
たとえば、タップルは特に軽いユーザが多くて、ちょっとした遊び相手を求めてるレベルの人も結構いるっぽい。なので、30代以上がそういう場で恋活とか婚活をしてもうまく行かない……ことが多い。たぶん。最大手のPairや最近人気らしいWith、色々問題が発覚したけど続いてるOmiai辺りはそれなりに真面目に出会い求めてる人が多いぽい感じ。真剣に結婚を考えてる人だとゼクシィ縁結びを選ぶと安心かもしれないけど、使ったことがないのでよくわからない。
「まとも」の定義は難しいけど、月額課金制のところで金をむしり取られるなんてことは基本的に起きない。マッチングを有利に進めるための課金オプションとかはあるけど、あえて選ぶ必要もないしね。ただ、「マッチングアプリ」を名乗っていても、
のどちらかのところはやめといた方がいい。前者はちょいアプリ入れてみたことあるけど、生きてる世界が悪い意味で違う人とか別の怪しげなアプリに誘導してくる人とか、即LINE交換みたいな人がほとんど。後者のアプリだと魅力的な異性を演じて男性にがんがん課金してもらえばいいから、アプリ自体にサクラが跋扈しやすい感じ。月額課金のところは大抵身分証明書の提出を求めてるけど、それがないところも運営が治安維持するつもりがない証なのでやめとくべき。
マッチングアプリ使ってると結構可愛くて、趣味が合いそうで性格も(一見)良さそうな異性が色々見つかるわけだ。ただ、当然ながらそういう人には「いいね」が滅茶苦茶いっぱい付くわけだし、下手しなくても競争率100倍以上になるわけなので、容姿に自信ありという人でなければまず無理。
それと、マッチングアプリを使ってるのもリアルの異性なので、基本的には自分より凄く年下の異性から「いいね」が来るなんてことはほとんど起きない。たまにマッチングしても、メッセージのやり取りすら始まらない。たぶん返信で忙しいか、いいねが殺到し過ぎて「誰に返信しようか困る」みたいな状況が発生してると思われる。-5歳くらいまでの異性なら普通に出会える可能性は結構あって、年上ならもっと出会える可能性は高くなるけど、-10歳くらいの異性と出会えるとか期待しない方がいい。
増田を見ていて、時折マッチングアプリが何なのか知らずに偏見でコメントしてる人が時々いたので、どういう感じなのかを説明してみた。個々のアプリごとに機能は微妙に違うけど、まあ大体こんな感じで、偏見持ってる人が思うより「良くも悪くも普通」。同僚であるとか、知り合いの紹介であるとかより相手の人物像を見極める難易度は高いし、自分が値踏みされることも覚悟しなけりゃいけないけど、異性慣れしてない人はまずマッチングアプリでトレーニングしてみるとかいうのもありかもしれない。その過程で色々気が付くこともあるかもしれないし。つーか、俺も偉そうなこと書いてるけど、自分が思ってるより服装に無頓着なことや食事マナーが微妙なこととか気づかされたことが多々あったしね。
仕事もしていないしやりたい事も行きたいところも特にないから、ここ最近昼夜逆転が激しい。朝の6時ごろに寝て夕方近くになってようやく起きるといった、ダメダメな生活を送っている。こうなってしまったのは、最近の話ではない。
もともと子供の頃から寝つきが極端に悪かった私は、お泊まり会などでも友達が寝てしまったあと静けさの中ずっと知らない天井を眺めるタイプだった。修学旅行でも同室の者が全員寝静まってなお1時間ほどは目がぱっちりと冴えてしまい大変困った。そして、本当に朝に弱い。大学に入って下宿で暮らすようになってから、ますますこの傾向に拍車がかかった。夜更かししても講義に遅刻しても滅多なことでは怒られないから、調子に乗って夜アニメを見たりネトフリを見まくったりゲームをしたりということをするようになった。しかしいくら怒られないとはいえ、こういうことをしていると社会生活がままならなくなるし、人間的にどうなのかという気にもなってくる。どっちにしても、アルバイトは遅刻すると怒られる。あまり金のある方ではない私にとってこれは致命的だった。メンタルクリニックに通い出したのも、昼夜の逆転を治して社会生活を円滑に行いたいという狙いがあった。元来かなり根暗で鬱傾向なので、そこもどうにかならないかと思っていた。
ここまではまだ普通のことだ。問題は、睡眠薬で遊ぶようになってしまったことだ。処方されてから半年くらい経ったある日の夜、いつものようにマイスリーを飲んで布団に潜るも、なかなか眠くならない。しまったコーヒーを遅くに飲んだからかと思っていると、眠くならないどころか、目の裏側で不思議なイメージが踊り出した。その時はっきり覚えているのは、「友達が夜店でトンカツを買っているシーン」が唐突に脳内に浮かび上がってきたことだ。そして、そういった類の全く脈絡のない思考が始まり、閉眼幻覚を見、関係のない幻聴も聞こえ始めて大いに困惑した。気持ち悪くなってきたので便所でゲボを吐くと、興奮していた脳が若干落ち着いたのかその後はすんなり寝ることができた。
次の日、前日の異様な状態を再現したくて、マイスリーを飲んだあと眠ろうとせずにずっとイヤホンで音楽を聴きながらスマホを触っていた。しばらくすると、スマホの文字が踊り出し、音楽がやたら面白く聞こえるようになった。変換サジェストが、電車に見えた。ニヤニヤ笑いが収まらなくなり、光とかがやたら面白くて、子供の頃に戻ったような感じがした。この精神状態を記録しておかねばならないと思い、急いでメモ帳を開き、思いのままに筆を走らせた。その時のタイトルは、「グリーンうんちボール」だった。それから2年ほど、マイスリーを飲んで静かに狂う状態を楽しんだ。ラインのボイスメッセージで突然友人に歌を送った事もあるし、気持ち悪くなって床に大ゲボ吐いた事もある。散歩して、物陰が人に見えてやたら怖かった事もあるし、ハイになった勢いで作った曲がいくつもある。友達とも何度かやった。散歩して茂みの中で相撲をとったり、セブンで紅茶を買ってティーパーティーをやった。全裸になって「じゃがたら」のでも・デモ・DEMOに合わせて踊った。ハイの状態の健忘遊びをずっと楽しんでいた。
しかし、困ったことに今年に入ってからマイスリーがめっきり効かなくなってきた。遊びすぎた代償だと思う。それで、甲類焼酎で飲むようになった。言うまでもなく、こういった薬を酒で飲むのは危険だ。死なないにしても、体には当然ダメージがいく。そして、ハイになろうがなるまいが健忘は今までよりひどくなった。脳に来てるんだな、と思う。そして、効かなくて眠れないから、生来の鬱も悪化している。友人と喋るのもままならないレベルまで、元気がなくなっていた。
そして、昨日酒でマイスリーを飲んだあと、自○未遂をしたらしい。らしいというのは、その時のことを覚えていないということだ。8冊目にもなるメモ帳には何も書いていなかったが、昼過ぎに用事があったので起きてTシャツを脱ぐと左の腹部に明らかに人間がつけた切り傷が3本入っていた。これは自○とは関係なく、リストカットのようなものだと思う。ただ、驚いた。こんなことしたのか、と、自分が怖くなった。そして、ロフトベッドの横の骨に、ロープがかけられていた。高さ的には、吊ってもギリギリ死なない程度のものだが、明らかに首を吊ろうとした形で結ばれている。そして、体調が異様に悪かった。本当に、一度吊ったんだと思う。そして、ダメだったので寝た、という感じだろう。わざわざこんなことを匿名ダイアリーに書いたのは、眠剤遊びは危ないぞという啓発が目的ではなく、傷を見せびらかしたいわけでもない。ただ、誰にもこんなことは言えないし、自分の中で一回文章にして整理しないとまた同じことを繰り返しかねないからである。心配される、ということももちろん考えるが、ドン引きされることも怖い。眠剤飲んで自○未遂なんて全員がすることではないし間抜け極まりないから、気持ちをわかってもらえるとも思えない。とりあえず、今日は無理に眠剤で寝ようとせず、眠くなったタイミングで寝るようにしようと思う。いやはや、ロープを見た時は本当に死ぬかと思った。
今日アメトークでダチョウ倶楽部やっててふと気になったけど、いつから「リアクション芸」と言うようになったんだろう。
こういう「芸」が全盛だった1990年代のバラエティをよく覚えているけど、当時は「られっこ」キャラの芸人に危険なことをさせて、痛い、熱い、苦しいと泣き叫ぶ姿を、俺たち視聴者はただただ純粋に笑っていた。上島や出川は「芸」だと思ってやっていたのかもしれないけど、観ている側からすれば、学校の教室のいじめをバラエティでリアルに再現していた(ように見えた)からこそ面白かった。
「リアクション芸」などという言葉ができたのは、たぶん2000年代後半ぐらいで、おそらく「いじめを助長する」という指摘に配慮するようになったのだろう。「お約束」が見えていないからこそ面白かったのに、「お約束でやっている」ことを強調するようになって「リアクション芸」は急速につまらなくなり、令和になって消滅しつつある。そしてそれはいいことなんだろうと思う。
歌がうまいねとよく言われる
ガールズバーやキャバクラでのキャストをしてた時、なんか歌ってと言われて披露すると店中から拍手やら称賛やらチップを貰った、歌がうまいから指名するわと通ってくれる客もいた、紅蓮華と赤いスイートピー
昼の仕事でふざけて社長と取引先の接待について行き、カラオケで盛り上げろと言われ歌ったら紹介料200万値引きしてくれた、丸の内サディスティック、天城越え
サークルや合コンの二次会で歌声聞いて好きになったと告られたことが3度ほどある、みんな少し経つと思ってたのと違うと言って私のことを振るけど、GOGOマニアック、残酷な天使のテーゼ
でもね、私は音痴なんだよ
音階が分からない、特定の音が高いのか低いのかも分からない、ハモれないしキーを変更したら歌えない、楽器もからきし、リズム感が無いからラップとダンスは避けてる
そもそもあんまり音楽を聞かない、最近ビートルズを認識したくらい、洋楽はわからん
イヤホンとか持ってないから移動中とかも聞かない、1人で家にいる時も別に何も
母はめちゃくちゃ歌が上手い、惚れ惚れするほど上手い、そして私を指差して家族で一番下手だと嘆く、実際問題弟らは楽器もできるし歌も上手い
単純に母から褒めて欲しくて必死で訳もわからん状態から耳で聞いた音を喉で再現することに行き着いた
5種類くらい声を使い分けることも出来る、というか聞いた歌をそのまま再現するのでボカロはボカロみたいな歌い方になるし癖さえも再現してしまう状態でモノマネに近い
上手そうな声質を真似てるだけなので採点バトルは死ぬ
だから本当に歌の上手な人がその場にいた時、小手先の絡繰が一瞬でバレる、なんだこいつって顔される
でも大体の人は騙されて上手だねと感心してくれる、上記のことを説明するのは面倒なので曖昧に笑って感謝を述べ母が上手くて…と話題を変える
その後ろで本当に歌の上手な人の冷めた目が怖い、申し訳なく思うし早くあなたが歌って私が本質的に上手いわけではないことを叩きつけて欲しいと思う
歌は好きじゃない、褒められるのが好きなだけ、音楽は分からない、ヴィヴァルディの春は繰り返しが多くてしんどいなって思う
好きじゃないからお金をかけてボイトレとかに通うメリットも見出せない、なんとなく適当にうわべだけ取り繕ってチップ貰えたら御の字
だから多分元カレはバンドマンとかDJばかりなんだと思う、私には全然わからないものに熱量を注ぐ彼らを羨ましく思いつつ、音楽と同じ熱量で愛されたかったから
原作の画の雰囲気を上手い事再現してると思うので原作ファン俺は別に気にならないんだけど、もうちょい現代的なアレンジを入れた方が一般受けするのかねえ。
原作の名作度はかなり高いので、なんとか良い感じに盛り上がって欲しいと祈る。
やっと夜勤に人が増えた。女子フリーターアルバイトさんが、その人が面接にやって来たときに丁度シフトに入っていて、その人を見てたそうで「高校生くらいの男の子」だったと言っていたが、実際は高専の五年生だった。女子フリーターアルバイトさんにかかると35才以下の男はみんな「高校生くらいの若い男の子」になってしまう。自分とほぼ同くらい見分けてくれ……。
女子フリーターアルバイトさんは「高専」というものをそもそも知らなかったらしく、「それって高校と専門学校のどっちなんですか?」というから、「中学を卒業した後に入る、もっぱら理系ばっかりの専門的なことを勉強する学校」とざっくり説明したら、
「なんだぁー専門学校かぁー。よかったぁ」
と何がいいのかよくわかんないなと思いつつ、
「高専っていったら、理系のすごく頭がいい奴が行くところだよ、少なくとも私の地元では」
と言ったら、女子フリーターアルバイトさんはすごくショックをうけていた。
「えぇー。うちすごい馬鹿だから、そんなに頭のいい人とは話が合わないかもしれない。どうしよう……」
と深刻な顔で言う。まあ、大概の男は女子の頭の中身がいかほどであるかなんてきにしてないから大丈夫じゃね? しらんけど。
私の地元では高専=天才の行くところだが、こっちでもそうであるかは知らないと言った事により、女子フリーターアルバイトさんは初めて私が地元民ではないことを知ったらしい。あんまり気にした事がなかったが、私、女子フリーターアルバイトさんの前で自分の事を何一つ話した事がないんだそうだ。そういえば、以前に女子フリーターアルバイトさんから年齢と子供の数とその年齢を聞かれて答えたくらいしか話した事がなかったかもしれない。実家は何県のどこなのかとか、学生時代何部だったのかとか、事細かにプロフィールを聞かれた。
新人の高専五年生が出勤してくるのは20時30分で、女子フリーターアルバイトさんの上がりの時間は20時なので、女子フリーターアルバイトさんは残念がっていた。棲む世界の違ってそうな人でも、同い年の男なんて日常生活でお目にかかる機会が今や滅多にないから貴重で、やっぱり会えるもんなら会いたいんだとか。
高専五年生は火曜日が初出勤だったのだが、いつもは新人の初日には必ず居るオーナーがその日は休みだった。オーナーは新人教育をAさんに丸投げした。
新人はたいてい入って二週間はトレーニング期間で、その間の働きで本採用かどうかが決まる。だがオーナーは何を思ったのか、高専五年生を今週3日連続でシフトに入れて、来週に「見極める」とAさんに電話で言ったそうだ。雑用の類いを教えるのはAさん任せにして、重要な仕事はオーナーが自ら教えるのだが、来週はその仕事を教えて大丈夫かどうか「見極める」っぽい。
だがAさんはこの三日間で高専五年生を仕上げないと本採用にならないと頭から決めてかかっていて、短期決戦で全部完璧にするという。目の色が変わってるぜ。
とりあえず今週はレジ打ちは教えなくていいというオーナー命令により、Aさんが高専五年生を教えている間、私はレジ打ちや細々とした事をすることになった。そしたらAさんは本当に高専五年生につきっきりになってしまったので、夜ももうたいがい遅いというのに、レジに長蛇の列が出来てしまう。
やっとお客様がみんな帰っていった後、Aさんが高専五年生に教えているのを盗み聞きしたが、そんなに説明することってあるかというくらい延々と講釈を垂れており、高専五年生は真面目にメモを取り続けていた。大丈夫だろうか。メモを取らせるのはいいとして……、やってることは家事と変わらない。バットを食洗機にかけるとか、フライヤーから油を抜いて掃除するとか、大概の人間は見て実践すれば覚えるのではなかろうか。
米飯とサンドイッチとパンの検品・品出し作業は、私が米飯とパン(アイテム数がとても多いから)を担当し、高専五年生とAさんがサンドイッチを担当した。私は自分の作業に集中しているふりをして、二人の様子をチラ見していたのだが、Aさんはまたしてもずっと説明をしている。高専五年生はずっとメモを取っている。作業はAさんが説明をしながらやっていて、高専五年生はそれを立って見ている。検品作業は専用の機械の使い方を覚えなきゃいけないけれど、品出しは手を動かすだけの作業で、覚えることといったら古い商品を前に出して新しい商品を奥につめこむことくらいしかない。そこまで説明することってあるのだろうか。
私は仕事の合間にAさんに何度か言ったのだが、Aさんは、
「来週にオーナーの見極めがあるから、この三日間で全部の仕事を出来るようになってもらわないと」
と繰り返すばかりだ。ただでさえ募集しても人の来ない夜勤の貴重な新人なので、そう容易くクビは切られないだろうし、むしろ普通の新人よりもずっと大切にされると思うのだが。
そんな火曜日だった。
水曜日は私は休み。でも水曜はDさんもシフトに入るので、Aさんがなんかやり過ぎたりしていたら、私よりもよほど直球に文句を言うから大丈夫だったんじゃないかなと思いたい。
そして木曜日。高専五年生は初日のような生彩がなくてしかも猫背になっていた。Aさんは、
「昨日で全作業を教えて彼もよく覚えたように見えたから、今日で仕上がると思います」
と言いながら、なんでかフライヤー棚のバットを自分で片付けているので、
「……で、それで何でAさんがそれを全部やっちゃうんですか? 時間が許す限り彼にやらせて下さい。いくら頭に知識として入っていても、オーナーの前で再現できずにまごまごしたら、何も覚えていなかったのと同じですからね」
と私は言った。こんなに強い口調でAさんにものを言ったのは初めてだったが、Aさんも私がイラッと感を顕にするとこなんか見たことがないのでビビったらしく、「あ、はい」と反論してこなかった。
オーナーがどういうつもりで「見極める」という言葉を使ったのかは、本人に聞かない限り真意はわからないけれど、いつものパターンだと言うほど大した事じゃないので、この三日間で本採用にするかしないか決まるって事はないというか、よっぽど最悪のやらかしをしなければ、高専五年生はずるずるといつの間にか本採用になっているだろうなと思う。ので、オーナーのお気持ちなんかけっこうどうでもよくて、一方、どうでもよくないのは高専五年生当人の気持ちだ。この三日間で、難しいなとかやっていけなさそう、割に合わなさそう……なんて思われたら採用を辞退されてしまう。そうならないで欲しいんだけど、この三日間の詰め込み学習っぷりに高専五年生は何を思ったのだろうか。作業に手を出せば最後までやらせて貰えず、しかもやったそばから手直しをされることでフラストレーション溜まってないかなあ。
上がりの時に挨拶がてら高専五年生と話す。なんか女の子大好きそうなので、夕勤に高専五年生と同い年の女の子がいて、何れシフトが一緒になると思うよと言ったら案の定食いついてきたのだが、
そこなの? と思いつつ、
「うん? フリーターだよ」
と答えたら、「そうですか……」と高専五年生はあからさまテンションが下がった。大概の男は女子の頭の中身がいかほどであるかなんてきにしてないから大丈夫じゃね? と想ったらだいじょばなかったかもしれない。しらんけど。まあ、高専男子なんて今を逃したら一生付き合えないと思うので、女子フリーターアルバイトさんがんばれって思った。
定義1 サイエンスを扱ったフィクション→サイエンスがノンフィクションかフィクションかは問わない
定義2 フィクションのサイエンスを扱ったフィクション→サイエンスはフィクションで確定
いや、俺は知ってるよ。
定義2こそが正しいSFだなんて言ってるやつなんて見たことがない。
でも納得がいかねえんだよな。
俺がSFに求めてるのはいかにサイエンスにおいて嘘っぱちをかますかなんだよ。
既に現実の科学によって再現が可能であることが実証されたサイエンスをマクガフィンみてーに使うフィクションにSFを名乗られてもムカつくわけよ。
消防署の方(方角という意味で)から来ましたと言って消化器売りつける詐欺師にあったような気分になるわけだな。
つまんねーこだわりだろ?
実際にはSFなんて業界は無理くり言い張れればなんでもいいわけで、使い魔が宇宙人自称してれば魔法少女だってSFなんだもんな。
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
「〇〇だぞ!」「これで万全だっ!」「キミの物語がはじまる!」みたいな
(71) メガドライブミニ2ロム収録予想動画 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=P5A9fNDLRW4
10月に発売されるメガドライブミニ2。テレビにつなげると遊ぶことができるメガドライブのゲームが50タイトル以上収録されるけど、小出しにそのタイトルを発表されている。そのタイトルを予想してる動画。
みてもらえばわかるけど、こういうときに脊髄反射でバカのひとつ覚えのようにあちこちで余裕で遊べるゲームを挙げるやつやら、おもしろみの少いラインナップに毒舌をかましてるって段取りの動画です。
前置きで「懐古レトロゲーマーには2種類の人間がいます。当時の思い出が蘇ればいいというゲーム自体どうでもいい派と、令和の今でも通用する面白さが必要だという「ゲームの内容最重要派」です。
これに「ん?」と思ったのよね。懐古レトロゲーマーって意味が重複してないか?ってこと以外に。
当時の思い出を蘇らせるためにも、令和の今でも通用する面白さを出すためにも、前提として「実機」で遊ぶことが肝要なんじゃない?
すなわち、当時のハードで当時のソフトで遊ぶのが本筋のレトロゲーマーなんじゃないの?それこそ前記の動画でしきりに繰り返してた文言である「本物」ってやつじゃん。「アウトラン」なんかは@@版のほうがいいとかいうけどゲーセンにある動く赤いやつが「本物」だろ?そのほかのどんな移植であろうと偽物だろ。だけどその偽物でも当時の思い出は蘇るよね。そしてメガドライブミニで遊ぶことのできるアウトランはメガドライブで遊ぶことのできたアウトランとしては限りなく「本物」に近いと。それがゲームとしておもしろいおもしろくないということはありますし、それを言い出すと令和でも通用するおもしろさってなんだろう?ってことになるわけです。
収録発表1弾であった「ボナンザブラザーズ」。なんでこれを選んだのかというと、有野課長のゲームセンターCXで遊んでいてみんな「おもしろそう」と思ったけど、メガドライブミニの1には収録されてなくてお叱りを受けたから収録したんだって。
そうなんだよね、令和のいまでも通用するゲームってグラフィックやサウンドではどうやっても太刀打ちできないわけだからどうしたってワンアイディアのキャッチーなパズルとか、みんなで楽しむことのできるパーティーゲームに目が向きがちになるよな。対人戦のおもしろさは令和の今も変わらないですし。それならグラフィックやプログラム技術関係ないし。そもそもが縦スクロールのSTGなどのように死にかけてるジャンルってたくさんありますからね。そこらへんを懐古趣味抜きに評価したりするのは難しいです。江戸時代でも令和でもおはじきやお手玉のゲーム性は変わらないってのまで極論をふっても大丈夫? な話になっていくところです。
これらをふまえてメガドライブミニなどの「ミニ」ってなんだろう?って思ったのです。本来、昔のゲームがワンパッケージで入ってて遊ぶことができるっていわゆる「本物」志向ではないですよね。それこそセガが質の悪いものをおもに海外を中心にたくさん発売してますし。ハードでもソフトでも。なかにはいいものもありますが。でも基本ちがいのわかるレトロゲーマーは見向きもしないわけです。実機を揃えるほうが上等でしょうしね。さもなくば同じ方向で揃えるとか。STGモノばかりとか。
だからミニって音楽でいうとベスト盤みたいなものかなと思ったりするんですよね。適当に選んだものが収録されてる。ドラッグストアとかキオスクとか高速道路のSAの隅っこにちょーんってある。「本人歌唱」って表記ならまだマシって感じのもの。
ところが、ファミコンミニが流れを変えた。会社が本腰をいれてちゃんと「ベスト」を作ってみた。ソフトもハードも「本物」をできる限り模したもの。これが売れたことによっていきなり価値をもって、スーパーファミコンミニによって爆発した。懐古レトロゲーマーも納得のクオリティ(そして満足できないラインナップという図式)。
その頂点にあるのがメガドライブミニになるのではないかと思うのです。未発表の新作が2作もあったり、これまでその手のまとめ懐古ハードにはみたことない作品が収録されていたり、随所にゲームが遊びやすいような工夫があったり、当時の「本物」に似せた工夫や仕掛けがあったり。
なにより、大きいのは名前が出ていることだと思うんですよね。奥成洋輔氏。彼が収録「曲」を決めたっての。音楽CDでも同様の趣旨がありますよね。ザ・コレクターズがキンクスの曲をセレクトしたりとか。
つまり収録予想とか収録作品を愚痴るのってベスト盤の収録曲がNOT FOR MEってことをいってるんですね。まあ不粋な行為です。それを不粋と指摘するのも不粋ですがね。「本物」のレトロゲーマーなら黙って実機をプレイしてろよってわけです。黙って。そんなことに愚痴る時間は「本物」のレトロゲーマーにはないんです。
各種インタビューや発表の番組内でも奥成氏(のみならず、開発発売関係者は)「誰がどう選んでも不満がでるのはしょうがない」とおっしゃってました。それは逆に言うと、「気に入らないんならがんばって実機を揃えてそれぞれが思う最強ラインナップを心ゆくまで遊んでろよ」ってことでもあるし。
そいでもってメガドライブミニ2は1のときとはちがった要素として、メガドライブの「本物」ではなかった、サイバースティックというかつてX68000に対応していた周辺機器のメガドライブ用を発売してそれで遊ぶことができるという提案。「本物」では遊ぶことができない体験ができる。これを楽しまないのは「本物」のレトロゲーマーの失格ですよ(ま、いろいろなマニアがいるか)。少なくともこれに高いって冷水を浴びせてるのは「本物」ではないかな。
メガドライブミニ2の収録作品㈹2弾の発表の評判が悪かったのは、発表を仕切っていた女性ふたりがポンコツ&ポンコツだったからです。彼女らは本当にひどかった。ゲームに興味ないならないでもっとうまくやれよと思うけどなんだか上滑りのリアクションやとってつけたようなコメントとか、本当にゲーム好きなのあんたら?と思うんだけど。
本来、奥成氏の2回めの狙いはそこにあったんだと思う。ゲームに興味のない人種がメガドライブミニ2にどう興味を持ってもらえるか。とくに後半のパーティーゲームやパズルゲームの流れ。ゲームに興味を持たないライト勢の視点から、多人数プレイのできるパズルゲームやパーティーゲームはおもしろそうにみえるんじゃないか?って。ただ、彼女らがその思惑を大きく超えてポンコツでリアクション薄太郎だったから大空振りになったわけで。
ミニ系のハード買って全部遊び尽くしたひとっているの?ってことなんだよな。それらをかつてじゃなくて「今」きちんと遊んでクリアしてなおかつ令和の今も出ているゲームと比較できるひとが、令和の今でも通用する面白さがあるっていえるんですよね。そんなひと世の中に存在する? そして、していたとしても令和の今に令和の技術を集結したハードとソフトのゲームに対抗するのに懐かし補正抜きで勝負になるわけないんだよね。それは上記の動画のポンコツ女性2人のリアクションをみていても思う。世の中の「ゲーマー」で懐古趣味のないひとののメガドライブミニに対する率直なリアクションなんてあんなもんなんだよ。
だから、懐かし補正を抜きにした「ミニ」はありえない。それは体験してるしてないに関係ないんだよね。古いもの好きな若いひとって多い。「はじめて訪れたけど懐かしくて落ち着く場所」的なセリフはよくみかけるじゃない。
だからこそ、当時のハードを小さく再現したり飾りを足したりが大事。なぜならそれで10代も「懐かしさ」を感じることができるから。
かようにいくつもの購買層を想定したからメガドライブミニは売れた。もはや「本物」の懐古レトロゲーマーの購買力はそんなでもないからこその一般向けに媚びてるって図式(懐古レトロゲーマー側視点だと)になってるのは、懐古レトロゲーマーには恥ずべきことなのかもしれんよね。それこそサイバースティックもメガドラタワーも予約して必ず買えって話で、2万弱もよく出せますねえ~って薄っぺらい嫌味でマウントをとってる場合じゃないんですよ。本物の懐古レトロゲーマーは金銭感覚ほかの感覚がぶっ壊れてなければ務まりません。冷静に考えるとメガドライブミニ2とサイバースティックでSWITCH買えますからね。でも、サイバースティックにワクワクやときめきを考えるからの「本物」の懐古レトロゲーマーなわけですよ。誰も遊んだことのない当時のメガドライバーのIFを令和のいま遊ぶことができる。この価値、「本物」の懐古レトロゲーマーなら絶対に体験しないとね。
まあ、収録作品に文句を言い続けるのも懐古レトロゲーマーの姿なのかもしれませんが。(あとまあその文句も楽しい偽物の懐古レトロゲーマーのワタシです)anond:20220710162341
(71) メガドライブミニ2ロム収録予想動画 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=P5A9fNDLRW4
10月に発売されるメガドライブミニ2。テレビにつなげると遊ぶことができるメガドライブのゲームが50タイトル以上収録されるけど、小出しにそのタイトルを発表されている。そのタイトルを予想してる動画。
みてもらえばわかるけど、こういうときに脊髄反射でバカのひとつ覚えのようにあちこちで余裕で遊べるゲームを挙げるやつやら、おもしろみの少いラインナップに毒舌をかましてるって段取りの動画です。
前置きで「懐古レトロゲーマーには2種類の人間がいます。当時の思い出が蘇ればいいというゲーム自体どうでもいい派と、令和の今でも通用する面白さが必要だという「ゲームの内容最重要派」です。
これに「ん?」と思ったのよね。懐古レトロゲーマーって意味が重複してないか?ってこと以外に。
当時の思い出を蘇らせるためにも、令和の今でも通用する面白さを出すためにも、前提として「実機」で遊ぶことが肝要なんじゃない?
すなわち、当時のハードで当時のソフトで遊ぶのが本筋のレトロゲーマーなんじゃないの?それこそ前記の動画でしきりに繰り返してた文言である「本物」ってやつじゃん。「アウトラン」なんかは@@版のほうがいいとかいうけどゲーセンにある動く赤いやつが「本物」だろ?そのほかのどんな移植であろうと偽物だろ。だけどその偽物でも当時の思い出は蘇るよね。そしてメガドライブミニで遊ぶことのできるアウトランはメガドライブで遊ぶことのできたアウトランとしては限りなく「本物」に近いと。それがゲームとしておもしろいおもしろくないということはありますし、それを言い出すと令和でも通用するおもしろさってなんだろう?ってことになるわけです。
収録発表1弾であった「ボナンザブラザーズ」。なんでこれを選んだのかというと、有野課長のゲームセンターCXで遊んでいてみんな「おもしろそう」と思ったけど、メガドライブミニの1には収録されてなくてお叱りを受けたから収録したんだって。
そうなんだよね、令和のいまでも通用するゲームってグラフィックやサウンドではどうやっても太刀打ちできないわけだからどうしたってワンアイディアのキャッチーなパズルとか、みんなで楽しむことのできるパーティーゲームに目が向きがちになるよな。対人戦のおもしろさは令和の今も変わらないですし。それならグラフィックやプログラム技術関係ないし。そもそもが縦スクロールのSTGなどのように死にかけてるジャンルってたくさんありますからね。そこらへんを懐古趣味抜きに評価したりするのは難しいです。江戸時代でも令和でもおはじきやお手玉のゲーム性は変わらないってのまで極論をふっても大丈夫? な話になっていくところです。
これらをふまえてメガドライブミニなどの「ミニ」ってなんだろう?って思ったのです。本来、昔のゲームがワンパッケージで入ってて遊ぶことができるっていわゆる「本物」志向ではないですよね。それこそセガが質の悪いものをおもに海外を中心にたくさん発売してますし。ハードでもソフトでも。なかにはいいものもありますが。でも基本ちがいのわかるレトロゲーマーは見向きもしないわけです。実機を揃えるほうが上等でしょうしね。さもなくば同じ方向で揃えるとか。STGモノばかりとか。
だからミニって音楽でいうとベスト盤みたいなものかなと思ったりするんですよね。適当に選んだものが収録されてる。ドラッグストアとかキオスクとか高速道路のSAの隅っこにちょーんってある。「本人歌唱」って表記ならまだマシって感じのもの。
ところが、ファミコンミニが流れを変えた。会社が本腰をいれてちゃんと「ベスト」を作ってみた。ソフトもハードも「本物」をできる限り模したもの。これが売れたことによっていきなり価値をもって、スーパーファミコンミニによって爆発した。懐古レトロゲーマーも納得のクオリティ(そして満足できないラインナップという図式)。
その頂点にあるのがメガドライブミニになるのではないかと思うのです。未発表の新作が2作もあったり、これまでその手のまとめ懐古ハードにはみたことない作品が収録されていたり、随所にゲームが遊びやすいような工夫があったり、当時の「本物」に似せた工夫や仕掛けがあったり。
なにより、大きいのは名前が出ていることだと思うんですよね。奥成洋輔氏。彼が収録「曲」を決めたっての。音楽CDでも同様の趣旨がありますよね。ザ・コレクターズがキンクスの曲をセレクトしたりとか。
つまり収録予想とか収録作品を愚痴るのってベスト盤の収録曲がNOT FOR MEってことをいってるんですね。まあ不粋な行為です。それを不粋と指摘するのも不粋ですがね。「本物」のレトロゲーマーなら黙って実機をプレイしてろよってわけです。黙って。そんなことに愚痴る時間は「本物」のレトロゲーマーにはないんです。
各種インタビューや発表の番組内でも奥成氏(のみならず、開発発売関係者は)「誰がどう選んでも不満がでるのはしょうがない」とおっしゃってました。それは逆に言うと、「気に入らないんならがんばって実機を揃えてそれぞれが思う最強ラインナップを心ゆくまで遊んでろよ」ってことでもあるし。
そいでもってメガドライブミニ2は1のときとはちがった要素として、メガドライブの「本物」ではなかった、サイバースティックというかつてX68000に対応していた周辺機器のメガドライブ用を発売してそれで遊ぶことができるという提案。「本物」では遊ぶことができない体験ができる。これを楽しまないのは「本物」のレトロゲーマーの失格ですよ(ま、いろいろなマニアがいるか)。少なくともこれに高いって冷水を浴びせてるのは「本物」ではないかな。
メガドライブミニ2の収録作品㈹2弾の発表の評判が悪かったのは、発表を仕切っていた女性ふたりがポンコツ&ポンコツだったからです。彼女らは本当にひどかった。ゲームに興味ないならないでもっとうまくやれよと思うけどなんだか上滑りのリアクションやとってつけたようなコメントとか、本当にゲーム好きなのあんたら?と思うんだけど。
本来、奥成氏の2回めの狙いはそこにあったんだと思う。ゲームに興味のない人種がメガドライブミニ2にどう興味を持ってもらえるか。とくに後半のパーティーゲームやパズルゲームの流れ。ゲームに興味を持たないライト勢の視点から、多人数プレイのできるパズルゲームやパーティーゲームはおもしろそうにみえるんじゃないか?って。ただ、彼女らがその思惑を大きく超えてポンコツでリアクション薄太郎だったから大空振りになったわけで。
ミニ系のハード買って全部遊び尽くしたひとっているの?ってことなんだよな。それらをかつてじゃなくて「今」きちんと遊んでクリアしてなおかつ令和の今も出ているゲームと比較できるひとが、令和の今でも通用する面白さがあるっていえるんですよね。そんなひと世の中に存在する? そして、していたとしても令和の今に令和の技術を集結したハードとソフトのゲームに対抗するのに懐かし補正抜きで勝負になるわけないんだよね。それは上記の動画のポンコツ女性2人のリアクションをみていても思う。世の中の「ゲーマー」で懐古趣味のないひとののメガドライブミニに対する率直なリアクションなんてあんなもんなんだよ。
だから、懐かし補正を抜きにした「ミニ」はありえない。それは体験してるしてないに関係ないんだよね。古いもの好きな若いひとって多い。「はじめて訪れたけど懐かしくて落ち着く場所」的なセリフはよくみかけるじゃない。
だからこそ、当時のハードを小さく再現したり飾りを足したりが大事。なぜならそれで10代も「懐かしさ」を感じることができるから。
かようにいくつもの購買層を想定したからメガドライブミニは売れた。もはや「本物」の懐古レトロゲーマーの購買力はそんなでもないからこその一般向けに媚びてるって図式(懐古レトロゲーマー側視点だと)になってるのは、懐古レトロゲーマーには恥ずべきことなのかもしれんよね。それこそサイバースティックもメガドラタワーも予約して必ず買えって話で、2万弱もよく出せますねえ~って薄っぺらい嫌味でマウントをとってる場合じゃないんですよ。本物の懐古レトロゲーマーは金銭感覚ほかの感覚がぶっ壊れてなければ務まりません。冷静に考えるとメガドライブミニ2とサイバースティックでSWITCH買えますからね。でも、サイバースティックにワクワクやときめきを考えるからの「本物」の懐古レトロゲーマーなわけですよ。誰も遊んだことのない当時のメガドライバーのIFを令和のいま遊ぶことができる。この価値、「本物」の懐古レトロゲーマーなら絶対に体験しないとね。
まあ、収録作品に文句を言い続けるのも懐古レトロゲーマーの姿なのかもしれませんが。(あとまあその文句も楽しい偽物の懐古レトロゲーマーのワタシです)