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はてなキーワード: 薄っぺらとは

2019-10-21

趣味読書が行きついた先として大学教科書を読み漁った時期もある

そして気づいたのだが、東大卒だろうと大学を出て一般仕事をはじめれば勉強したことも忘れてただの人になる

そのただの人間自分が知らないことを指摘されて発狂する場面に何度か遭遇している

あれはいったい何なのだろうと思い出して考えていたのだが、要は自己愛の化け物なのだ

中身のない薄っぺらな浅学の徒であることを認められないプライドけが肥大したキチガイ

勝ち馬にのっている自分が好きなだけの俗物

たったそれだけのちんけな存在だと気づけなかった過去自分の愚かさを思う

2019-10-19

ダメ人間結婚

相手が他に出来る気がしないし、親も兄弟も半ば自分たちを呆れて見ている節があるので、認めてくれる人が肉親より他にいる嬉しさもあって結婚した。

人付き合いが苦手だ。壊滅的に気が利かない。それではダメだと過剰適応した結果、仕事の後はどっと疲れるし、いらない仕事押し付けられる。それでもなんとか今までの経験を生かしながら投げ出さずに頑張ってきた。

世間で言うところの普通はこれかと勉強して時には演技して生きている。そして、こちらの綻びを付け入る人間も残念ながら僅かにいるので注意を払っている。

一番自分にとって気持ちが落ち着くのは、人付き合いを必要以上に持たないことだった。その分、注意を払わなくてすむ。子供さえ持たなければ、必死に周囲と関わる必要がない。家も賃貸でなんとかなる。車も持たなくても最小限で生きていける。

ここでわかるのは、子供を持てたからこそ、人間としての深みや度胸が出来るんだということだ。喜怒哀楽ぜんぶを注ぎ込んで、自分の愛するものを一から育て上げる。泣いた吐いた笑った立った喧嘩した。自分たち過去と重ね合わせ、涙した。親から貰った命を我々は全然輝かせていない。人間として薄っぺらだと。むしろ、生まれてきて後悔ばっかりだと。

ここで、子供を欲しがったら子供が出来たら子供を育てたら、幸せになれると思うところが浅はかだ。人として社会生活を営むのに、なんとかしがみついて必死で、家帰ってから感情リカバーに1時間かかる人間に、待ったなしの子育てなんて、すぐに詰む。自分時間がない、こんなはずじゃなかったと嘆き出す。生きている人間から投げ出すこともできない。自分たち社会に関わった時と同じく、子供世間に馴染めなかったら、無理やり矯正にかかるだろう。思い返せば、肉親にもなんとかやってる姿を見せて安心させていた。結婚でなんとか勘弁して、やはり子供は難しいと頭の中が堂々巡りして、子供を産むのが難しい年になり、母親を看取った。後、10年若かったら何かが違ったのだろうか。

数少ない友人にそれをいうと、みんな必死だよと言う。自分が生きてきたことを肯定しないとなりたたないと。

そうだろうな。残された人生、父や義両親、連れ合いのために生きるべきだ。子供を持って育てている人は本当に素晴らしい。こんな人間でも生きててごめんなさい。時々、申し訳なくなって、泣く。

2019-10-17

「ほどほどの被害」と言い地方を見捨てた政党があるらしい

コンクリートから人へ

2009年政権交代民主党が発表したスローガンだ。

そして、安倍2012年自民党与党復帰後、災害が起こるたびに批判している政策で有名だ。確かにダム新幹線建設が数年単位で遅れ、計画も縮小したものが多いので土建屋にとっては死活問題だったことは予想できよう。

しかし、今回の台風でそんな薄っぺら批判は数少ない野党叩きのネタを何年経っても言ってくる面倒くさい人間しか無かったことが明らかになった。

一番の問題は二階幹事長の「ほどほど」発言だ。そもそも台風にほどほどもクソも無く、一定の条件が揃えばどれも台風であり、台風以外でも条件によっては決壊するリスクは孕んでいる。そんなことは西日本豪雨災害復興に携わった自民党なら分かりきってるはずだ。

しかし、自民党は何も分かっていなかった。永田町自民党本部が何も被害が出なかっただけで全く日本を見ていない発言をしたのである

永田町だけで見れば地下鉄も止まっておらず、浸水土砂崩れも起きていなかったが、それは自民党東京一極集中政策により治水事業東京を始め都市に集中させたのが原因だ。

それこそ気圧だけ見れば東京神奈川で大きな被害が出るから普通永田町で「ほどほどの災害」にはならないはずだ。地方を切り捨てて東京を守る選択をした公共事業一極集中が今回の地方での大きな被害に繋がった。

そんな政党地方創生なんか語るな。とにかく自民党政治は終わらせるしかない

2019-10-13

ONE PIECEマジでさらなかった

最近仲良くなった友人のオタクワンピース大好きで、今ならギリギリ映画間に合うからって貸してもらって結構読んだ。全巻一気に渡されたのは流石に引いたけど、昨日台風で外出れなくて暇だったし。が、題名にも書いた通りマジでさらなかった。途中で読むの辞めてしまった。漫画全巻揃えてグッズも買い漁ってる大好きな人間に刺さりませんでしたとも言えないけど、死ぬほどモヤモヤしてるのでここに吐き出す。

まず、事あるごとに仲間仲間連呼するのが無理だった。ジャンプ漫画オタクもしてるし、仲間意識強かったり仲間の為に命賭けるって言うのは燃えるんだけど、いちいち言語化されるとマジで冷める。薄っぺらく感じてしまう。言わないとわかんないの?みたいな。これは私が陰キャなのも悪い。しょうがない。

二つ目エースニコニコmadたことあって死ぬのと白ひげ敗北者煽りに弱いのは知ってたんだけど、読んでみて経緯を知ると余りにバカすぎて引いてしまった。頂上戦争編が面白い!と友達ネット民も言ってたけど、結局このバカの為に周りが振り回されまくっただけの話なんじゃないだろうか。どこで感動したらいいのかわからない。普通に逃げてるとき船長煽られて挑発に乗っちゃった、ならまだ同情できる。だけど処刑されそうなコイツを助ける為に何人も命懸けで突っ込んできて大混乱になったわけで、しかも直前にその船長から最後船長命令だ、全員生還しろと言われた上で命懸けで逃がされてるのである。これで煽りに乗って死ぬのがマジで人の気持ちや周りのことを何一つ考えず一時の自分感情で動くバカすぎて一気に冷めてしまった。普通に読むの辞めた。友達の最推しコイツなのがマジでからない。私は二次元キャラで一番嫌いかもしれない。

今嬉々として感想を問うLINEが来てるのだが、クソでしたというべきか多少合わせておくべきかわからない。ただ私はこの作品映画に千円近く使いたくない。だったらジョーカー見たい。友達に勧められた作品で刺さらなかったどころか不快になったことがないのでどうするべきかめっちゃ悩んでいる。続き読まなきゃダメかなこれ。

2019-10-08

anond:20191008143227

君の言う薄っぺらいことは「起業したら逃れられるよ」みたいなことを言うが、

起業の方がよっぽどそれにはめ込まれるってこと。

まあ、成功バイアスのかかってる連中に踊らされるのも学も知性もない人間だな。

なんだかんだ、日本はその他大勢で居続けられば、飯だけは食っていけるのだから、そちらで割り切って楽しいことできる方が遥かに幸せだって

から、儲からない起業家は最下層国民

学も知性もないの定義に、儲かるかわからないことに突進するも入れたらまあ、君の定義でも最下層国民だな。

2019-10-02

YU-NO全話見たんだが……こんなのが伝説的傑作ってマジ?

問題点を3つに絞ろうか

1 絞りきれていない世界観

現代舞台にしていたら突然異世界に!

いやーまあ確かに最初はおおすげえ!!こっからストーリーが大きく動くのか!ってなりましたよ。

でもその世界現代いまいち繋がってないっていうかね、やっぱこういうのは似てないようで似てるとか、あっちの世界で起きたことがそういえば現代でこんな影響を!とかいうのがないとね。

ただ単に2つステージがありますよってだけじゃあ、世界薄っぺらく引き伸ばされてるだけですよ。

それじゃ駄目。

2 結局主人公は流されているだけ

大いなる流れみたいのがあってそれに逆らえないんだ―って話なのかも知れないけどね。

でもそれならそれで巨大な流れに翻弄される感じを出してほしかったな。

セーブロードが出来る特別存在ではあるけど、でもまあ結局は既定路線に乗って世界を回すだけの歯車なんでっていうのはありきたりだなーって。

当時はね、画期的だったのかもね。

いやそうでもないな神話とかで結構ありがちだもんな。

3 セーブロードの使い方が安直

未来情報不思議な石を持ち帰って過去知識無双するだけなんですよね。

それによって未来を新たに分岐させる方向性安直というかね。

たとえば、シュタゲアキバオタクの街じゃなくなってしまうシーンみたいなね、過去を変えたことで未来が大きく変わってしまう事のアハ体験を見せてほしかったんだよなあ。

まりにも淡々としすぎている。

そうだね、時間が戻せたら色々先回りできるね、で? それをこういう見せ方されてもいまいち面白くないんすけど。

結局この作品の何が問題かって、折角の時間遡行っていうギミックが単なる未来視程度に過ぎないことなんですよ。

時間空間を移動できる状況でやってるのが占い師から未来が見える水晶貰った程度でも同じこと出来るレベルなんですよね。

時間旅行してるだけで当時は画期的だったんだぞって言うかも知れないですけど、その時代にもドラえもんとかあったわけですよ。

時間遡行という最高のカード主人公に握らせておいて、この程度っすかっていう感想がどうしても出ちゃいますねえ。

最後

「総当りADVセーブロードで今までにないプレイ感を生み出したのが凄いんだからアニメを見ただけの奴が文句言うな」

そうね。

そのとおりね。

ごめんなさいね

2019-09-26

退職の時のメッセージ色紙マジいらない

マジいらんこれ。

対して付き合いのない同僚が、自分のことを一瞬でも考えて、薄っぺらメッセージかいた寄せ集めとか、クソより無駄だと思うし、気持ち悪い。

下っ端がメンドくせーとか思いながらラッピングしてるのもかわいそう。

どうせ読まねーよ。個人てんこ盛りで、職場ゴミ捨て場にも捨てられない。

現代日本薄っぺら多様性多様性をむしろなう

多様性多様性毎日のように言葉が飛び交うけれど

から見えるの多様性ばかりもてはやされて外から見えない多様性には誰も見向きもしない

2019-09-24

anond:20190924125033

小沢一郎キング演説意識して「私には夢があります」と演説したのに対抗して「私にも夢があります」と応じた菅直人薄っぺらさがよく出て素晴らしいだろうが

2019-09-21

anond:20190920005329

このあい畠山選手がな、わざわざ味スタFC東京試合ゲストとして来てくれて「FC東京サッカー関係者ファンのみなさん味スタを開けてくれてありがとうラグビーに使わせてくれてありがとう」というようなことを言ってくれたんだよ。

なぜならFC東京(あと東京ヴェルディも)はラグビーワールドカップの開催期間だけでなくそ前後含めて合計3ヶ月の間(11月まで)ホーム味スタを使えなくなる。それも事後承諾FC東京にはロクに調整も相談もなく決められたというクソ対応でな。結局そのあいFC東京北関東から九州まで8戦連続アウェーロードだ。しかも今年は初の優勝争いまでやってるような状況でだ。

から気を遣ってわざわざサッカー試合挨拶にまで来てくれたわけだ、畠山選手は。あの振る舞いにはまさに品位情熱、そんで他競技に対しての尊重があった。それに比べたらあんたには口だけの薄っぺらしか感じないわ。畠山選手気遣いや行動に傷をつけるような一文だよ最後のは。偉そうに『ラグビーラグビーたらしめるキーワードは「品位情熱・結束・規律尊重」』とか書いた次の行でな。情けない。

2019-09-18

新作が発表された某ゲームが好きだった

私は新作発表されたSという某ゲームが好きだった

新作が発表されて、めちゃくちゃモヤモヤしたのでここに書き留めることにした。


物心ついた頃から、そのゲームは家にあった。

Sはハードも変わっているものの、1〜5までナンバリングされている。

他にもファンディスク的な立ち位置のものがあった。

OVAだったりドラマCDだったり舞台、Sのグッズが販売されている専門店だったりと、20年前の作品にしては多種多様ジャンル展開がされていたと思う。

私が通ったものとすれば、

ドリームキャストが1〜4

PS2が1(リメイク) 3(移植) 5

PSPが1,2(移植)

TVアニメ(リアタイ)、1〜2シリーズOVA二種

3シリーズOVA二種 、キャラOVA一種

劇場版(DVD,ブルーレイ)

シリーズサウンドトラックCD

漫画版

ゲームだけでは語られないOVAで、キャラたちの過去だったり、設定だったりが知れたりして、子どもの頃は本当にその作品に冠するものしか見ていなかったかもしれない。

気付けばずっとやりこんでいた。

誰が一番好きかと聞かれれば、1に出てくる主人公のお姉さん的立ち位置の人だ。

いろいろあって、敵の女になってしまう。所謂悪堕ちお姉さんなのだが。

その格好がめちゃくちゃエロい。闇堕ちお姉さんが性癖かと聞かれれば、そうかもしれない

でも、闇堕ちにもちゃん理由があるし、単純に敵の男が好きだったからなんていう理由だけじゃない。

Sと私の人生ほとんど一緒だったと言っても過言ではないと思う。

グッズ専門店には幼少期によく連れて行ってもらって、マスコットキャラネコぬいぐるみも買ってもらった。

閉店した時はめちゃくちゃ泣いた。大人になって一人で跡地に行った時もちょっと泣いた。

グッズ専門店に併設されていたコンセプトカフェノベルティも今でも持ってる。

劇場版映画館に連れて行ってもらって、パンフレット映画館限定グッズも家にある。

ゲームも、全シリーズ通してやった。

1〜2シリーズOVAも全て買え揃えた。

サウンドトラックを聞いてある程度のシーンまでも分かるぐらいにはやり込んだと思う。

Sとコラボした桜色のドリームキャストだって動かないけど、ずっと持ってる。

子どもの頃からずっと親しんできたSという作品

新作とまではいかないけれど、移植版が出て同じハードで遊べるようになればいいな、というのが願いだった。

そんなとき、S完全新作!という情報が流れてきた。

ちゃん情報を追ってみると、事実だったので仕事の昼休みに泣いた。

あれだけ待ちわびていた新作だ!!!!!

1が出てから20年が経っていたけど、新作が出るんだ!!!

ソシャゲじゃないといいな、なんて不安PS4となった瞬間に吹っ飛んだ。

とにかくSの作品をまた遊べる!!!

けれど、キャラデザもプロデューサー全然違う人。唯一同じなのは音楽の人だけ。

ティザーPVの絵も全然違う。

本当にSという作品なの?と思ったけど、完全新作なんだし、仕方ない。コンセプトは同じなんだし、何よりSというタイトルを背負ってる以上、やらないという選択肢はなかった。

でも、風向きが変わったのは最近情報開示から

絵柄の統一性のなさ

前作メインヒロインの闇堕ちの可能

Sの舞台なのに演者さんが中の人じゃないこと

シリーズ通しての設定がなかったことにされていること

え?なんで?どういうことなの?

本当に今までのシリーズを通して遊んだことがある人が作ったものなの?と疑わざるをえなかった。

絵柄の統一性のなさは昨今のソシャゲによくあるような流れだったから、まだ受け入れられた。

でも、前作メインヒロインの闇堕ちの可能性だけは信じたくなかった。

ゲームOVA劇場版と通して見てきたメインヒロインを裏切られたような気持ちだった。

そんな簡単に闇堕ちなんかしないし、父親も闇堕ちした設定だったから、連続で同じようなことする?

あの時、流した涙ってなんだったの?

いろいろなキャラから託されたメインヒロインが闇堕ちの可能性で?しか中の人も同じで?

そんなのシャア・アズナブルフル・フロンタルみたいなものだとしても納得いかない。

キャラageのための要員だったとしたら、意味薄っぺらい闇堕ちだとしたら…。

ここで一気に不信感が増してきた。

設定も取ってつけたような設定だらけで、前作のこと知ってる?って聞きたくなるようなことばかりだ。

タイトルだけ間借りしてるんじゃないの?

私が待っていた新作ってこれだったんだ。

勝手に裏切られたような気持ちになった。

正直、こんなことなら完全新作なんていらなかったのかもしれない。

人生と一緒に見てきた作品がぶち壊された気分で、正直やる気が出ない。

でも割と周りは好意的意見から、こんなこと言えないけど、移植だけで良かったんじゃないのかな。

新しいメインテーマ薄っぺらく感じてきてしまった。

でも離れることは出来ない。

ナンバリングされている以上、どれだけモヤモヤしても、やってみないことにはなんとも言えない。

分かってはいるけど、闇堕ちの可能性があるメインヒロインを出してきた時点で、この作品に期待は全くなくなってしまったのだ。

それでもまだまだ私はSファンとは言い切れない。

新作を受け入れられない自分いるから。

12月に新作が発売される。

正直、メインヒロインの闇堕ちだったとしたら、私はディスクフリスビー代わりにしてぶん投げるかもしれない。

あるいは新作をなかったことにするかもしれない。

中の人も一緒で外見も似ているのに、ただの他人でしたは通用しませんよね。

私が好きだったSという作品を返してほしいという、ただの愚痴でした。

2019-09-17

はじめしゃちょーを女にしたらゆうこすの出来上がり

みんな結局やってることは同じ。

社会貢献の度合いは低い

薄っぺら

すぐに表舞台から姿を消すだろう

全ては顔

2019-09-16

anond:20190913201309

分かるクソウザい。信者キモければシナリオ稚拙評価出来るのはゲームシステム部分だけ。

初めてやったイべが正月レラジェで期待値駄々下がりだったのもあるが、

女子メギドを会話文で「キャッキャ」と言わせる激寒シナリオに、「大人が考えた純真子ども」の集約じみててボイスも台詞も不気味さしかないジズと、これに「不気味」じゃなく「かわいそーかわいいー」を感想送るユーザー

そして誘拐・逃走イベでウケたか二匹目のドジョウ感覚で連発されるイベ後のクソ歌…よくこれで持て囃されるよな。プランシィがいる時点で常人オススメできる代物じゃないだろ…

アイムも今までは好きだったがリジェネ時の行動が意味不明すぎて、最も苦手なキャラになった。

暴力表現ライターの「絵柄や雰囲気から想像も出来ない不快表現SNS沸かせる」っていう思惑が透けて見えていてそこから感じる感動も物語もなにもない。ただただ不快なだし、アドラレメクの暴力計画ありきではなくどう見ても理由は後付け。「幼女暴力振るえば話題になる」ってのが第一にあったのが見えて、うわー薄っぺら…と鳥肌立った。

2019-09-12

とあるイケハヤアンチ誇大妄想パラノイア

イケハヤアンチめっちゃイキってるアカウントがある。

えらてん氏やまっすう氏、ゆきママなどに寄生して

毎日イケハヤをDISってはイキり倒してる。

なぜかイケハヤDISってるだけのくせに

ものすごい全能感むき出しになっててすげえキモい

この人は何かにつけてフォロワー数自慢をする。

実際1500くらいまではすごいスピードで伸びていた。

最初はすげえなと思ったもんだが、2000を前に完全に伸びが止まった。

同じアンチでも、同タイミングで始めたいしかわ氏や他数名が

軽やかに3000、4000と着々と人気を得ていく中

この人だけは完全に頭打ちになってしまっている。

それもそのはず。

他の人はイケハヤアンチをやりながらも

それぞれ個性を出して人を楽しませているのだが

このキモい人だけ馬鹿の一つ覚えでイケハヤたたきしかしない。

それでもイケハヤだけに絞っていればまだいいのだが、

このキモイ人は常になんかの悪口を言ってる。

自ら敵を呼ぶような発言をしては嬉々としてそれにやり返して

自分はこんなにすごいんだぞってアピールする。

こういう人間フォローするのは

イケハヤがよほど嫌いな人間と同じように性格陰湿人間だけだ。

その数が止まったということはネットに2000程度しかいないということだ。

客観的に見ればこのイキリアンチには何の魅力もない。

イケハヤアンチとしてしか存在意義がない。

その需要を掘りつくした結果、

イケハヤアンチきっかけとしつつも自分の魅力で勝負してる人間と違い

このアンチだけフォロワー数の伸びが止まってしまった。

この人物限界はここまでだったということだ。

しかし、この人物はその残酷現実を認めようとしない。

今でもやたらとフォロワー数を自慢し

毎日イケハヤマウントし、それ以外には自分を見せようとしない。

しかネタほとんどがRTばかりで

このおばはん自身発言には目新しいものが何もない。

毎日痴呆にかかった老人のように同じようなことを繰り返すだけ。

イケハヤ危険性を指摘するという大義もすっかり忘れて

もはや自分のためにイケハヤを叩く言葉を垂れ流す壊れたラジオと化した。

最初は自慢だったフォロワーももうとっくに伸びが止まっていて

もう同じようなお仲間と変わり映えのしないトークを繰り広げてるだけなのに

自分が誰かに求められてると勘違いして毎日元気にイキりちらかしている。

最近自分を大物だと勘違いしているのか、

初対面の相手にもぶしつけに失礼な質問を投げつけ

相手が応じなければ逃げたなと言って勝ち誇る勘違いネット弁慶ぶりである

見ていて非常に醜い。

はてなで有名なメカ肉級らは、最初はこの人間好意的だったが最近は近づかなくなった。

もはやこいつとかかわるのはマイナスしかならない判断されている。

イケハヤ勉強不足を叩く一方で、

わずかに漏れ出る本人はろくに勉強をせずにFXトレードをやるくらいあほである

案の定全然勝てていない。

最初はいろいろ言い訳をしていたが最近発言しなくなってしまった。

だせえ。

イケハヤ叩きたいなら自分勉強してうまくなればいいのに

自分勉強しないでFXをやっているあたり

イケハヤイケハヤにはまる信者と大してレベルが変わらない。

レベルが変わらないからこそイケハヤに執着する。

そのことを認められないぶん、イケハヤ信者より哀れとすらいえる。

イケハヤアンチとしてイキってるこの人物

すごく薄っぺら人生を送っている人間

頑張って背伸びして強いキャラを演じているが透けて見える。

もともとが薄っぺら人間から最近限界が来ているようだ。

一部の人間以外には飽きられ、

自分から狂犬のようにいろんな人物に吠えまくった後

それでもネットでの反応が伸び悩み

からも求められなくなっていく現実にいよいよ耐えきれなくなって

ネットから姿を消すまでそう長くはないだろう。

半年後には消えてしまうであろうこの人物

最後にどういうあがきを見せるか、私はそれが見たい。

2019-09-11

anond:20190911120528

ケースつければそのぶん大きくなって持ちにくくなるし

手帳型なんかは熱がこもりやすいので本体ダメージがいく。

薄っぺらプラスチック感触しかないのもマイナス

2019-09-10

anond:20190909082821

その状態があることは人として理解できるが、奇誠庸はどうだったか

問題提起などと言えるような状況ではなく、出まかせの言い訳しかなかった。

なので、実際には旭日旗がなかった事が知られてくると全く違った言い訳へ二転三転としている。

これはある程度そういう共通認識があることを知っていて、世間の関心を自分への批判から目をそらさせるために利用しただけでしょう。

ちなみに私は奇誠庸以前から韓国旭日旗問題視する記事があったのは知ってる。

しかし同時に、大抵の韓国人に相手にされていなかった事も韓国自身カジュアル旭日旗を見ていた事も知ってるし、そんな記事2000年代以降でしか見当たらないのも知ってる。

近年作り上げられた歴史に変わりはないんでしょう。

そんな2000年代以降の薄っぺら歴史よりも、長年国際的に愛されてきた歴史に重きがあるのは当然のこと。

2019-09-09

父親鈍感力の高さ

私の父親はもうすぐ還暦なのに冷凍ごはん解凍の仕方もわからないアホである

家事母親に丸投げしてきた結果がこれだ。

今日は娘の私が餃子を作ったのだが、父親餃子を先に食べたあとポン酢冷蔵庫に入れたらいいのかどうかを私に聞いてきた。

共働き母親仕事から帰って来て、熱々の餃子を食べるときに使うポン酢冷蔵庫キンキンに冷えてたらかわいそう。

から餃子を食べる人のために常温で置いとくのが正解

考えればわかることなのになんで父親はこんなにバカなんだろうって思う

今、57歳でこんなレベルでこのまま家のことを母親に頼り続けてさらに歳を取っていったらもっとバカになっていくんだろうなって想像できる。

私が子供ときからバカ父親だった。いわゆる食べつくし系の男で自分さえ満腹になれば他の家族ことなんかどうでもいいっていうヤツだった。

食べ物の恨みは根深いのだが、子供ながらに「父親母親よりも子供よりも自分のことが一番大事で、自分自身が一番かわいい」という事実にショックを受けた。

家族がいて、食べ物があって、自分がたくさん食べてしまったら他の人が同じ量を食べられないという簡単なことにも気づけない鈍感さ

そもそも家族を思いやるという気持ち薄っぺらい。表面上娘の私に気を使おうとしているのはわかるんだけど上滑りしているというか、上部だけの気遣い根本的に大バカ野郎ってわかってるので気持ちが覚めるんだ。結局は父親父親自身が一番大事

うちの父親よりクソな父親は世の中にたくさん溢れてるけど

結婚して、パートナーができても、子供ができても、自分を最優先にしたいという人間は一生独り身でいてくれよ。

2019-09-08

さんま老害という薄っぺら記事ブコメ ~かつて老害で今は柔軟になっているので5年遅れの批判記事~

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/300321

これとかみてて思うんだが.... かつて御殿とかは確かに目に余る「ように見える」ものがあった。

でもあれって、ワザとやっていると思う。アレだけ毎回芸能人が入れ代わり立ち代わり来て高速でイジらないとだめ

なのであれば、いくらさんまでも、自分路線というのを明確にしておかなければ、なかなか毎週毎週辛いと思う。

それが故に編み出したのが、高速で弄り倒して、シッチャカメッチャカ感を出すという芸風。

軽く、薄く見えようが、最適解がそこ。

また、彼はエネルギー無尽蔵にあるので、一度ノリ出したらそのまま突っ切ってしまうのが楽なのだと思う。

そのメリットデメリット承知していて、それも自分の使命だとおもって、芸風をあのまま固定していると思う。


なぜならホンマでっかTVでは相当傾聴しているから。キャラも少し違っている。

学者が一回分析結果を出した際に、驚くほど柔軟な人間であることが出ていた。実際あの番組では、否定はせず、

学者理解しようという姿勢はすごく感じる。

なので、あの番組の質は高い。


松本人志もそうで、やはりワイドナショーでは相当傾聴に回っているし、あえて批判をうけるという昔の芸風も持ち込み

ながら、結構調整役に回っている。だいたいネットニュースに出て、ハテブ民の目に触れるころには情報が落ちている。

かなり、TVで切り取られたセリフだけではなく、その前後空気、間とか発言の声色とかでは悩みながらやっているし、

それを引き受けなければ自分はいけないんだという使命感もあると思う。

トップに君臨する人がそれを批判されて、聞こえてないことはない。

さんま離婚し、戦友、紳助逮捕され、、松本結婚し、守るものができて、ふたりとも引退してもあまりあ財産がある。

明石家さんま松本人志立場だと、こういういろんな番組キャラを使い分けながら、もともとのキャラで太い収入をもらいつつ、新しい

ところで本当にやりたいことをやっているパターンが多い。むしろ5年前ぐらい彼らの老害(に見えるような芸風)が目立っているのが

が顕著で、今はもうかなり変更して柔軟さの方が目立っている

なのに、ここで5年遅れで批判してくるところが香ばしいなぁ。。。と思う。

また、あの二人はかなり海外に対しても柔軟に見ている。国内しか活動していないのに、結構柔軟で、松本は右よりに見えて相当柔軟。

さんま海外ゴルフでいったり、松本海外にいったりしたエピソードを見ると相手リスペクトしたり、すごく柔軟に対応している。

あの二人の感覚結構貴重。

2019-09-02

叱られすぎると反省できないよね(叱り方戦略について)

昔、そこそこ仲の良かった男子結構くだらない事でめちゃくちゃ叱られてグレてしまった

グレたと言っても、自習時間に机をドンドコしたり、補習をサボってバッセンに行く程度だったけど、まあうちの学校ではグレてる部類だった

彼はそのうち課題を出さなくなり、その事で他の先生にもしょっちゅう叱られるようになり、余計態度を硬化させる負のスパイラルに陥って

もともと下がっていた成績もガタ落ち、結局3浪して消息不明になった。f欄に行ったという噂も聞いたが、謎だ。

彼を叱った先生とついこの間お話しした際に、彼についての話も出たのだが、「怒りすぎちゃったなあ」と後悔していた。他にも彼の没落の原因はあったのだろうが、アレがキッカケになったのは確かだった

宿題やったの!?」「今やろうと思ってたのに!」みたいなの、大人になってもずーっとあるよね。あんまり叱られすぎると反感や怒りが先行してしまって、なかなか自分省みることが出来なくなる

叱られて伸びないタイプの人は、やんわりと諭してあげるのが一番良いのだと思うが、叱る側に立つと結構難しい

「叱る」とはどうあるべきなのだろう

鬼の生活指導に叱られて、不登校になってしまった女の子中学時代いたが、彼女にとっての「叱られる」は、しょっちゅう叱られている剽軽男子にとっての「叱られる」とは同じ叱られ具合でも全く違うものだったろう

クラスメイトの前で「ちゃんとやれよ!」と一言言う事だっておとなしく真面目な子と活発で不真面目な子とでは受け取り方が全く違う

前者の場合先生にみんなの前で怒られた」という羞恥を引き起こす、精神的苦痛は絶大だ

本人のタイプに合わせて指導法をきめ細かく変えてやるのが一番人を伸ばす叱り方だと思うが、「人によって叱り方が違う」というのは集団不公平感を生む

教室のような閉じた、それでいて壁のないオープン集団の中で人によって態度を変えながら叱るのは難しい

そう考えると、何か悪いことをした子はそっと別室に連れて行き叱るのが適切なようにも思える

しかし、自分自身小学校のころよく知らない先生と二人きりの教室で隣に座って密着されながら委員会資料作成をさせられたのは軽くトラウマなのでそれはそれで問題があるように思う

一対一での指導、は多分ロリコン教師欲情させるシュチュエーションになってしまうし、閉鎖的な空間上下関係が残るのも監獄実験のような状態になって「叱りすぎ」を誘発しそうだ

職員室で叱るという手もあるが、他の先生の前で叱られるというのも精神的な負荷が大きいだろう(忘れ物が酷くて何度やられたことか)

保健室で「厳しい担任先生」と話をそばで聞くだけの「優しい保健室先生」という二対一のお説教が思いつく限り一番良いように思う

仕事量を考えると養護教諭ではなく、昼休みだけ来る外部カウンセラー数人で回すのが風通しが良く現実的な形になるだろう

これが家庭の場合「厳しいお母さん」と「優しいお父さん」のような役回りでの叱り方になるのだろう

しかし、甘やかすだけ甘やかす父(母)に子供がなつき、損な役回りをさせられる母(父)の言う事を子供がきかなくなる、というようなケースも聞くので、適宜「厳しい」と「優しい」は交換しながらやっていく必要がある筈だ

「叱る」一つの手前でも、どちらがどちらの役割をするのか話し合う必要があるのはやや面倒だが、子供の糧になる「叱る」のためにはそのぐらいの手間は必要ではないだろうか

職場で叱るケースでも、教育係を一人に一任せず「直属の厳しい教育係」と「見守る優しい先輩」というロールで叱ってみるのも一つの手なのではないだろうか

我々は普段から「叱る」と「怒る」を混同し、ただ感情を発露させるだけの行為を目下の相手にしてしまう事が多いが、効率的に人を成長させるためには「叱る戦略」をきちんと考えて叱るべきだ

個人的に、教育現場における「叱る=怒鳴る」は論外である。怒鳴る事によって相手を萎縮させ、内省させる間も与えない行動が反省を促すとは到底思えない。

生徒、部下の立場は怒鳴られても怒鳴り返すことの出来ない立場である。おずおずと返答をしても「言い訳をするな」と一蹴される恐れがある。怒鳴る行動は対話の機会を奪うのだ。

勿論、いじめや命を落としかねない悪ふざけには少なからず「怒鳴る」のコマンド必要かもしれない。事の重大さに気づかずヘラヘラ対話による説教を聞き流すような生徒もいる。なぜ「怒鳴る」が必要になるのだろうか。この場合「怒鳴る」はどのような効果を発揮しているのだろうか。

主観的かつブラッシュアップの足りない考えではあるが、一つの仮説がある。「怒鳴るとは上下関係をわからせる手段ではないか」という仮説だ。そもそも動物としての観点で見ると大声とは威嚇の手段の一つである動物のように大声を上げることで、相手を威嚇し、上下関係再確認させるのだ。プラスして、感情をあえて大袈裟表現することで「自分真剣だ」と伝える意味もあるだろう。(しか演者時点が自身の演技に呑まれ可能性はかの有名な監獄実験で示されている通りであるので、十分な精神力と慎重さが求められるだろう)

社会動物である我々は猿山の猿のように、狼の群れのように序列に弱い。だから不真面目な相手を前にした場合、この「怒鳴る」という行為はある程度有効なのだろう。怒鳴るは相手の「話を聞く真剣さ」を+5するというようなコマンドなのかもしれない。

人間感情は複雑なように見えて案外単純だ。悲しい時に怒る、傷ついた時に傷つける、というような行動も一見ブラックボックスを抜け出たものに見えるが、案外類型的なものである。それはピンボールの玉がピンに当たって跳ね返りながら、最終的にはいくつかの穴に収束していくのに似ている。無限可能性を持ちながらも、個々のピンでの跳ね返り方はある程度の予測がつく。我々の行動自体が、大したパターンを持たないからこそ、我々は相手気持ちを思いやり、共感できるのだ。

宿題やったの!?」という言葉子供時代私たちにもたらしてきた感情は「後ろめたさ」「反省」「反感」である。この感情パターン類型的だからこそ、私たちに「先に言われるとやる気なくすよね〜」という共感をもてる。

というように、人間感情がある程度パターンとして把握できる以上「叱る」のマニュアル化可能ではないだろうか。

「優しく諭す」というコマンド相手の「真剣さ」には効果が薄いかわりに「反感」の数値はあまりあげない。だが「真剣さ」の数値が低いと「反省」には至れない。

「怒鳴る」というコマンドは逆に「真剣さ」には絶大な効果を持つ、が、「反感」のポイントを高めてしまう。「反感」の数値が一定を超すと「反省」への道は閉ざされる。

前述の優しい医者と怖い医者戦略も、数値化で説明してみよう。怖い医者は「真剣さ」「内省を促す」方面に強いキャラクターであり、優しい医者は「反感」という感情共感し、怒りを和らげ「落ち着き」を取り戻させるヒーラーのような役割キャラクターである

「叱る方と叱られる方」という絶対的上下関係に、そのどちらでもない第三者を加える事で、叱り手の感情暴走を抑えるとともに、第三者による「共感」で叱られる側の精神負担を減らし、自分省みる余裕を与える。

無論、感情の数値の動き方には個人差があるので、叱り手は自分コマンド相手にどんな影響をどの程度与えるのかを考えながら叱り具合を調節していく必要がある。 と言っても、その個人差もある程度はパターンに当てはまるように思う。不真面目だが誠実な子、真面目だが反抗的な子、結局は要素の集合体である。実際に「元気な子(そして剽軽悪戯っ子)」「明るい子(そして優しくてポジティブな子)」「大人しい子(繊細で真面目な子)」という安易パターン化はあらゆる人間関係において常に行われている※。タイプに応じてコマンド駆使の仕方のマニュアルがあれば、どんなボンクラでも効果的な「叱る」ができるだろう。

※これには幾らか問題がある。私のように「大人しい子(割合図太く不真面目で陰険な子)」という相反するイメージの要素を持つ人間は取りこぼされる。そして不理解大人失望し私は余計陰険になった。教室のような大人数を把握すべき空間では、雑なラベリングが横行して、かえって正確な人格の把握の障害となるかもしれない。ここにもいくつかの心理検査を用いた人格パターン化による把握が必要かもしれない。

このように数値化して考える方法を主張すると必ず人の心が通っていない、愛がないという人が現れる、が、なんの考えもなしに相手の叱られた後の情動予測せずに感情をぶちまける事の方がよっぽど動物的で、「人の脳味噌」という回路を通わない非効率不合理なくだらぬ行動だと私は思うのだが。

(だいたい愛の鞭なんて言うが、恐怖政治よりインセンティブによる動機付けの方が効果がある事なんかもう数十年前から言われているのだからいい加減卒業してほしい。)

叱る、は上手くいけばとてもポジティブ効果を発揮する。しかし下手にやればかえって人から反省の機会を奪う。説教正論気持ちが良すぎるので、叱り手側は容易に権力を振りかざす楽しさに呑まれしまう。だから、叱る前に一呼吸置いて、叱る戦略を立ててみるのはどうだろう。戦略という言葉大袈裟かもしれない。叱る前に叱られた相手気持ちを考える、それだけの事だ。

人材育成教育現場、家庭での指導法においては、「叱り方マニュアル」の作成も試みとして楽しそうだ。心理テストで振り分けられた生徒や人材ごとに診断チャート作成し、それを参考に叱り方戦略を立てる。大規模に実験調査結果を取り続ければ有効性を立証できるかもしれない。最終的にはAIが掛けるべき言葉演算し、叱り手という演者がそれに従うようなディストピア教育が出来上がるかもしれない。AIの愛のない教育、は痛烈にこき下ろされそうだが、「データを集め、型に当てはめ、パターン化された指導をする」という一連の行動は学習行動として常日頃個々人が行なっている事であるし、そこに統計処理がより得意なAIを解すのはそれほど不自然でないように思う。

教育者には当たり外れが多すぎる。一生涯呪い殺したいようなクソもいれば、人生の節目のたびにあって感謝の意を述べたくなるような聖者もいる。マニュアルさえあればどんなクソにも一定ラインを超えた指導ができるようになる筈なのに……!と思うと悔しいばかりだ。しかし、こうなると今度は「マニュアル一辺倒の叱り方」という批判が生まれてくるだろうか。教師マニュアル依存、なんてニュース流れるようになるのも嫌な話である。優しい医者と怖い医者も何も知らずに信じ込めるとステキ装置ではあるが、そんなプログラムだと言われてしまうと薄っぺらさにがっかりしてしまう。マニュアル化した叱り方は叱られる側に不信感をもたらす逆効果となるかもしれない。うーん、難しい(そこまで進んだ未来だと生徒もプログラムが組まれたのをわかった上で乗れるほど慣れるかもしれない、AIカウンセリラーを利用したマインドセット人生の基本になるのだ!←楽しそう)

まあ、今のところは感情的に怒る前に、相手情動予測しながら諭してあげるというのがいいと提案してみることにします。つまるところは思い遣り。プラスして、叱るときは座って目線を合わせるっていうのも提唱してみる。叱り手側も怒りをセーブやすいし、叱られ側も対等な立場での対話であると感じやすい、と思うから。(座って足組んでる奴から立たされて叱られるのも、立った状態で目の合わない相手を見上げながら叱られるかもつまらないもの。)それと、誰かが厳しく叱られていたら、優しい第三者として「反感」や「落ち込み」に共感してあげたりね。まあ普通のことです。しか実践はクソムズイ。人生手強いね

(思い出話あるあるを書こうと思っていたのに、思いのほか筆が乗って長文増田になってしまった。noteにでも貼るべきだったかな、図解しながら書き直したくなってきた。ところで、25件を無限リロード中の増田様方には大変ご迷惑をおかけします、すまない。途中送信しちゃっただけなので再投稿の甘えではないんだよ!)

2019-09-01

青春の残り香

 私にはかつて、ある趣味があった。頭も身体も使う、青春を賭けた非常にマニアック趣味だった。趣味を通じて多くの知り合いも増え、ちょっとした小遣い稼ぎにもなっていた。私の承認欲求所属欲求競争心も満たしてくれ、アイデンティティでもあった。熱狂的なイベントがあり、仲間がいて挑戦すべき課題があった。あれは本当の「生きがい」であった。

 だが、結局あの趣味から遠ざかってしまった。言い訳としては就職きっかけにして、同好の士バラバラになってしまたこと。それから職場での不適応から鬱になってしまたこと。これはあくまでいい訳なんだ。バラバラになった人たちは、今でも熱心に趣味を続けてその道の第一人者となっている。私にはその熱意はなかった。ただ、自分を救ってくれるはずの趣味も捨ててふさぎ込んでしまたから、あの趣味は色あせていくばかりの青春の思い出になった。

 悲しいかな。今の私に趣味と言えるものはなく、楽しみはアニメを見て感想を書くことと、ボーナスのたびに風俗サイトを見てニヤニヤして計画を立てることくらいだ。あとは、晴れた軽い運動、たまにの外食喫茶店での黙想などという、ほんの薄っぺら幸せミルフィーユのように積み重ねた他愛のないものだ。いまは、こんな生き方もそれなりに悪くないと思っている。あえて言うなら、風俗通いはお金無駄なので辞めたい。もし10年前の私がこの姿を見たら、情熱を失った生き方軽蔑するだろうな。

 先日、数年ぶりに趣味イベントに行った。そこには私と同じように過去の思い出を求めてやってきた亡霊がいた。もう互いに語れる趣味はなく、かつての思い出を語るばかりで、互いの疾患(精神が多い)を心配しあうばかりだった。挙句の果てに、私はかつての仲間に名刺を配って、いい仕事あったら紹介してよって、無粋なことしかすることがなかった。

 久しぶりに仲間に会って楽しかったはずなのに、帰ってきた後ですごく悲しくなった。ああ、どうしたらいいのだろう。どうやって、過去を受け止めて、どうやって生きていったらいいんだろう。わからなくなった。

2019-08-29

二ノ国もユア・ストーリーも結局雑だからキレられてる

二ノ国の方は映画を見たわけではないのでキレてる人がどのあたりにキレてるのか感想を見た結果の判断にはなるけど

面白い、つまらないはおいといて腹を立ててる、怒ってる人の話ね

ユア・ストーリーはキレてる人はおおむねラスト10分にキレてるし、二ノ国でキレてる人は障害者車椅子)の人の扱いとそれに付随したもろもろあたりが大きな怒りポイントなんだと思う

ユア・ストーリーの雑

そもそも顧客が本当に必要だったものではないってところでキレる人を増やしてる。客が何が見たいかを考えずにギミックだけ仕込むのがもうその時点で雑

ドラクエV映画を見に行ったらそうではない何かを見せられた、って時点で楽しい楽しくないとかじゃなくてもう裏切られた感があるのよ

今日晩御飯カレーね!って言われて楽しみにしてたらハヤシライスが出てきたらさ、そのハヤシライスがおいしいかおいしくないかじゃなくて「カレーだって言ったじゃん!」ってなるじゃん

うまけりゃいいとかそういう話じゃないんですよ。今カレーの口なの。あんたがカレーの口にしたの。ハヤシライス出すならそう言えよ。百歩譲って驚かせたいならごちそうってぼかせばよかったんだよ

まあ広告詐欺な面については監督だけの問題じゃないからそこは百歩譲るとしてもまだ雑が残ってるんだよね

ラスト10分までの伏線ってか必然性がないんだよね。確かに主人公がやけにヘタレだったり唐突現代用語?とかあったりはしたけど、それがあるから何?

そうじゃなくて「なんでラスボスがどっかの天才ハカー()が作ったウイルスである必要があったわけ?

うんうん、ラスト主人公ゲーム肯定させたかったのね、ふーん。

でもさ、感情移入もできない自分とはかけ離れたチャラいどっかのニーサンに「ゲームは素晴らしいんだぞぅ!」って言われても心にひびかないの。おわかりですかね

そういうのはちゃん感情移入できてまともなヒーローが言うから心に響くんであってやることやってないヘタレに言われても薄っぺらいっていうか

そもそも別にそんなクソみたいな奴らに囲まれて育ったわけでもない普通若者からするとずれた肯定されたってはぁ?ってなるだけなんだよなあ

「そうだそうだ!」って気持ちになるためのキャラの作りこみができてない。感情移入できない、記号みたいな主人公なっちゃってんの

CGばっかり綺麗でキャラの作りこみがほんとできてない、そういう雑さがラストで突き放されっぱなしになって怒る人が増えた原因じゃないっすかね

二ノ国の雑

これはまあインタビュー感想から類推になるんだけど

要はメインキャラに障害を与えておきながらそこの意味がないってことみたいなんだよね

別に車椅子少年じゃなくても話が成立するよね?コンプレックス作るなら典型的スポーツ型と頭脳型にしておけばよかっただけで、運動音痴にすりゃいいだけで、障害とか天涯孤独意味ある?っていう

しかもそんな障害を抱えた少年が序盤で辛い思いをしつつ、最後はそういうの全部なくなって健康体になれる二ノ国に残りました、現実からさよならだ!ってことらしく

さら二ノ国現実世界の一ノ国とを行き来するには自殺、というか命の危機に陥る必要があると

子供向けの映画に「死んだら(死ぬような思いをしたら)二ノ国に行って障害がなくなるよ!幸せになれるよ!」って意味を持たせてしまったと

心の機微がまだ理解できない小さな子供障害者に向かって無邪気に「死ねば(二ノ国に行って)幸せになれるかもよ!」と言わせてしま可能性を作ったと

それに対して考えすぎだろと思うかそりゃヤバイと思うかは人それぞれかもしれないけどさ

実際主人公に対して羨ましいわーみたいな感想言ってる人もいたらしいし(伝聞だから確定じゃないけど)

そういうの最初から変な障害つけずに普通の体動かすの苦手なモヤシ少年にしときゃそんな批判は生まれなかったとか

あっちとこっちを行き来する方法を死にかけることにしなきゃそんな批判は生まれなかったとか

それそのものはぐうの音も出ない正論なんだよね

そういうほんの些細な配慮で誰もが幸せになれたのにそれをしてないんだからそりゃ雑と言わざるを得ない

車椅子少年である意味があったのならまだ表現として議論余地があっただろうけどみた人が「いや、車椅子じゃなくていいわこれ」って言ってるんだよね

あるいは単なる端役だったらそこまで言われなかったかもしれないけどこれ主人公なんだよ

メインのキャラのはずなのに抱えた障害に対して特に向き合ってなくてただ損だけして投げっぱなしジャーマンされてしか最後は「異世界行きゃ幸せになれるよ」て

まあ当事者にキレられても文句は言えないんじゃないすかね

もっと丁寧に時間をかけて作れる環境があればいいのに

監督自身が元からだっていうのもあるかもしれないけど、ユア・ストーリーアルキメデスの対戦と平行で作ったりとか、二ノ国脚本を一度最初から書き直したとか

スケジュールに余裕がなかったんじゃないかと思うんだよね

そうやってカッツカツにするからかいところが雑になるんじゃないのかって感じはする

キレられポイントって別に内容に影響を与えずに修正できる部分もあるはずで

たったそれだけでもっといい作品になったんじゃないのかっていう話で

そこは確かにセンスとか才能とかの問題もあるだろうけど、時間的余裕をつくるだけでもある程度は改善されるんじゃない?

N国の立花をもちあげてるyoutube視聴者って

どうみても立花が自滅したら笑い飛ばして終わったことにする輩の集まりしか見えない。

自分がやれない事をやって暴れてるのを見たいだけのクソザルの集まりというのはわかった。

TVはな、つまんないよ。昔の事を例えにするのはいかんけど今はとてもつまらない。間違いない。

からyoutube面白いかっていうと、そうとも言えない。

ただ悪ノリしてる阿呆馬鹿騒ぎしているだけでTV放送できないレベルすらやってしまうのがYouTuberにいたりと

それを支持してるバカも多いだけで、あれが面白いってのはどこかに犯罪欲があるんじゃないのかって疑問を持ってしまう。

もちろんな、本当に大したこと無いことをなんだけど「おぉすげえ」と思わせることをしている配信者もいる。

そういう人の配信に人気があるのはわかる。悪ノリしないでも視聴者が増えるという典型的な例だ。

だが、目立つの悪ノリの方。ただ暴れているか屁理屈いちゃもんばかりのYouTuber。

何が面白いのかわからん

しかも、そういう輩を神のように崇めている視聴者もっとわからんバカなの?宗教とか即騙されちゃう人なの?

そんなのがN国の立花を支持してるから恐ろしい。薄っぺら信仰心のようなもの応援してるんだぜ。

立花がこけたら、さっさと退散する程度の信仰で。

ま、視聴者なんてこんなもんなんだろうけど。

2019-08-25

めしを食う日々(寿司)

飯を食うとうまい

わかる

日曜日の昼前、実家暮らしの俺は冷蔵庫にめぼしい食材が無い事を確認し、

服を着替え家から徒歩3分くら寿司へ向かった。

回転寿司くら寿司よりもスシローの方が好きだったが、家から一番近いスシローでも徒歩30分。

車の免許もない俺はくら寿司を選んだ。

店を訪れるのは久しぶりで、今回初一人回転寿司ということもあり、

普段通り過ぎるだけのカウンター席に座るドキドキ感はそれだけで寿司の美味さに加点される。

席に着くとまずお茶を淹れるルーティン。の前にメニューを見た。

「これは!!」

くら寿司メニューにとびこがあるではないか

実は俺はとびこブームの真っ最中なのである

スシローくら寿司の大きな違いはとびこの有無たったそれだけであり、寿司屋の善し悪しはそれで決まる。

俺は興奮気味にタッチパネルをねっとりとした指先でなぞり、とびこを2皿注文した。

カウンター席の一番端は休日の昼までも混雑を知らず、あとにやってきた父と娘の2人客も静かでとても快適だった。

そんなこんなで場の雰囲気を味わいながらお茶をすすっていると注文配達レーンにとびこと続いて注文していたえんがわフライドポテトが続々と到着した。

すこしとびこが皿に散らばっていたりしていたがそれも情緒

きょうのとびこ散らばり占いは絶好調だ。

口の中に放り込めばプチプチと元気な音が聞こえる。

少し多くつけすぎたワサビの行き場のない痛みが涙を誘う。

うまい

なんてうまいのだろう。

テンションがぶちあがり、隣に座った客の食べっぷりの良さも影響して1皿、また1皿と狭いカウンターに到着する。

7皿ほど食べ、最初に頼んだフライドポテトがよくも悪くも存在を主張してくるが、

この天ぷら盛りあわせ280円の(大葉つき)がどうしても食べたい…

でも、揚げ物をこんなに食べたら死んでしまう…

今年22の俺の胃は脆い。

天ぷらの盛り合わせが手元にあった。

正直これはよくばりだったとおもう。

最後デザートを食べくら寿司をあとにした。

いい店じゃないか

俺は満足げに腹を撫でまわしながら、原稿用にモンエナの500ml缶を買おうとローソンに寄った。

レジに並ぶと見覚えのある後ろ姿。

「お、おかん…?」

おかん家族アイスを買いに来ていた。

「俺のは…?」

あんたは爽」

わるくない。

そのまま一緒に帰ることにした。

あんたどこ行ってたの」

「そこのくら寿司

俺は最近食べるものに金をかけることの喜びに気付き、

休日はよく一人で外食をしている。

今日原稿が行き詰って心が折れそうになっていたこともあり、俺の大好きな寿司を食べに行ったというわけで。

「へえ、一人でくら寿司

「さすがに沢山は食べれなかったなあすぐお腹いっぱいになっちゃった

俺は満足げに腹をさすった。


「やっぱりおいしくなかったでしょ?」


「おいしくなかったでしょ?じゃないでしょ?」

飯を食べてきた人に向かって開口一番「おいしくないでしょ」と断言するなんてサイコパスか?

「なんでそんなこと言うの?わざわざ店へ行ってお腹いっぱい食べて帰ってきている人においしくないってどうしていうの?」

俺はさっきたべた寿司たちの為に反論した。

安価提供される寿司たちにはネタ薄っぺらい、少ない、美味しくないって暴言吐いてもいいのか?

(これらは全て俺の祖母回転寿司に行くと必ず言う言葉なのでなるべく一緒に飯を食べにいかないことにしている)

「お前はいつも細かいことに反応して!そうやっていつもいつも」

「ちがうだろ!言い方がおかしいだろ!」


言い合っている間に家についた

俺はそそくさと自室に戻り10分ほど泣いた。

くら寿司UX完璧だった。

またつらくなったら寿司を食べよう。そう思った。

1663円でこんな最高になれるなんて。

しかおかん一言で俺は

「まずい飯に1663円を払った馬鹿

になった。


数年前学生の頃、オープンキャンパスバイトをしていた時も同じようなことがあった。

バイトの日は学食をタダで食べることができた。

俺はうめうめと飯を食う。

学食の回転効率を突き詰めた飯は素朴な味わいで食べ盛りの学生の為に米は大盛りだ。

今日タダメシも美味かったぜ、と満足げに教室へ戻ると同じメニューを食べた教員がこう言うのだ。

あんまりおいしくなかったね」


俺は思う。

人は共感を得たいというのもわかる。

だがネガティブもの共感を得ようとするやつは何をやってもダメだ。

おいしくなかったならわざわざおいしくないと言葉にせず、黙っていてほしい。

そして仮にとんでもなく自分の口にあわないものを食べたとしても、違う言い方をするべきだと思う。

例えば、

このうどんは俺には味が薄すぎたとか

油が強すぎたねとか

兎に角なんにでもまずいと言うのはやめた方がいい。

独り言でも隣の客に聞こえたらそいつUXもたちまち下がってしまう。

その教員には言った。納得してくれた。

でも俺の家の人たちはそういう理屈通用しないタイプだ。

からまり家族外食もしなかったし、これからもしたくない。

きっとどんな店に行っても何かにかこつけてまずいまずいと言うのだろう。


結論

美味い飯は環境から

うまい飯を食える仲間、美味い飯が食える店。

大事にしてほしい。

2019-08-12

追記あり古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件

10日発売の『文藝春秋』に芥川賞の選評が載っていて、二回連続落選した古市さんがいろいろ言われている。

候補作は単行本出版されているが、まだ読んでない。だが、高学歴なのにビルの窓の清掃員をやってる主人公の話で、参考文献が詳細にあげられているらしいことは、なぜか知っている。

参考文献については、前回だったか候補作の剽窃問題があって、その辺の対策らしいと噂されていた。

で、選評である

まず山田詠美はこう書く。“(参考文献の)木村友祐作「天空絵描きたち」を読んでみた。

そして、びっくり! 極めてシンプルで、奇をてらわない正攻法候補作よりはるかおもしろい”

候補作が真似や剽窃に当たる訳ではない。もちろん、オマージュでもない。ここにあるのは、もっとずっと巧妙な、何か。それについて考えると哀しくなって来る”


続いて川上弘美。“結論からいいますわたしは悲しかった。木村友祐さんの声がそのまま「百の夜は跳ねて」の中に、消化されず、ひどく生のまま、響いていると、強く感じてしまたからです”

古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持にかける行為であると、わたしは思います


吉田修一。“本作に対して、盗作とはまた別種のいやらしさを感じた”

あいにく『天空の…』の方は書籍化さえされておらず入手困難であり、まさにこの辺りに本作が持ついやらしさがあるように思う。”


堀江敏幸。“他者小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか”(原文では「かっぱいでも」に傍点あり)




要するに、古市さん、文芸誌掲載されたが出版されていない佳作を探してきて、うまいこと翻案して小説書いたようである

いや、具体的にどの程度の参考具合なのはかめてないので、なんとも言えないが、当代きっての作家先生方が、かなり憤っておられるようなので、相当なものなんだろう。

是非比較して見たいところだが、「参考文献」の方は、『文学界2012年10月号、だそうなので、確かめるには、図書館バックナンバーを出してもらうしかなさそう。

にしても、古市さん、お忙しそうなのに、純文学文芸誌まで必死にあさって「参考文献」集める努力は大したもんだが。

まあ「情報集め」は嫌いじゃなさそうだしな。

まさかとは思うが、担当編集者うまいこと見繕って選んだのを古市さんに読ませてるとか、そういうことじゃないよね?





参考文献問題に触れてない選評にしても、あまり芳しくない。

島田雅彦曰く“ナルシスト的私語りが中心で、リアリティ構築に必要な細部も情報パッチワークに終始しているのが気になった。”

宮本輝は“他の登場人物たちがみな類型の寄せ集めなのだ。”

どうやら評価したのは奥泉光だけで、“今回自分が一番押したのは、古市憲寿氏の「百の夜は跳ねて」だったが、選考会の場で評価する声はほとんど聞かれず、大分弱った”そうである

“外にあるさまざまな言葉コラージュして小説を作る作者の方向を、小説とは元来そういうものであると考える自分肯定的に捉えた”そうだ。

ここには、小説における“オリジナリティ”とは何か?という問いが含まれている。

ま、小説なんてそもそも「すでにある言葉」の組み合わせでしか書けないじゃん、というのはある。

で、ありものコラージュでも新しいものが生まれればいいけど、山田詠美は「参考文献」の方が「はるか面白い」って言ってるしなあ。

吉田修一は、「参考文献問題」以外にも手厳しくて、“凡庸差別的価値観主人公小説で書いてもいいのだが、作者もまた同じような価値観なのではないかと思えるふしもあり、とすれば、作家としては致命的ではないだろうか”なんて言っちゃってる。

これは、社会学者にして人気コメンテーター(タレント?)としての活動にも少なからず影響しそうな評価だと思うけど、ま、芥川賞の選評なんて、今時の世間に影響力なんかないのかな?




古市さんという人、本をちょっと読んだことがあるのと、時おりメディアでお見かけするだけで、どんな人か詳しくは知らない。

ただ、妙に芥川賞を取りたがっているらしいという噂は聞く。

なんでだろ?

“気鋭の若手社会学者”も“テレビ毒舌が人気の論客”も、実に空虚脆弱肩書きで在ることに、ご本人が一番気づいているということだろうか?

そこで、「学者として研究に力を入れる」ではなく、「いい感じの小説を見つけてきて、うまいこと翻案して芥川賞ねらう」って辺りが、実に薄っぺらいけど。

テレビ知名度得た人が芥川賞狙うって図式では、又吉直樹といつ成功例がある。

あの「火花」という作品が、そこまで傑作かどうかはともかく、この人は本当に、太宰治を筆頭に、文学というものが大好きで、おそらく文学に救われたという経験を持っていて、文学リスペクトしていることが端々から伝わってくる。

文学に対して真摯謙虚なんたろうな、と感じられるのである

片や古市さん、文学とか小説とか、本当にお好きなんだろうか?

あんまり文学とか語ってるのを聞いたり読んだりした印象がないのだが。

前回の選評では、「ナルシシズムが過ぎる」とか「自己肯定というより自己過信」とか、これまたかなり厳しい言葉が並んでいたと記憶する。

単なる自分語りの舞台として小説を選んでいるのだとしたら、ずいぶん旧い、日本文学における「私小説偏重文学観をうすっぺらくなぞっただけかもしれないが。

なんだろうなあ?

社会学者コメンテーターも、ありもの言葉を組み合わせつつ、持ち前の地頭センスと要領でなんとなく現在地位を掴めちまったっぽいだけに、「小説? これくらいなら、ボクでもかけるじゃん」とか思っちゃったんじゃないかなあ、という疑いを禁じ得ない。

で、今後も小説は書いていかれるんだろうか?

追記

えらくブクマついてる。文藝春秋なんて読んでないけど、中身は気になるって人は多いのかなあ、と思ったり。

「参考文献」の著者、木村友祐さんがtwitter発言されておられるので、追記しておく。

本件、「古市さんが窓拭きに興味をもち、取材依頼があり、応じました。窓拭きの達人を紹介しました。古市さんはその取材をもとに書いてます。」そうだ。

選評からの推測で「翻案」などと評したのは、勇み足だった。

お詫びしたい。

なお、「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品古市さんの作品は別のものです。そしてぼくは、〝知名度がないゆえに作品を利用されたかわいそうな小説家〟ではありません」とのこと。

にしても、選考委員先生方は、どの程度経緯をご存じの上で選評を書かれたのかは分からないけれど、えらく憤っておられるようで、なにがそんなに山田川上吉田各氏に火を着けたのか、検証してみたくはある。

二冊並べて売ったら、「出版ビジネス」としては面白いと思うけど、難しいのだろうか。

2019-08-11

ドラクエ映画の事

最初から全開で否定していくけど、この映画を見て欠点が一つもないようなそういう絶賛しかしない人は

きっと普段から全く内容の無い薄っぺら作品しか見てない読んでない聞いてない人だと感じる。

今回賛否両論話題になったドラクエ映画は絶賛できるレベルでは決して無かったと言える。

なんでかっていうと、尺が短すぎた点、主人公石像になり伴侶が石像になりという部分も表現が簡略化しすぎた。

その後の季節的な流れていくシーンは良かった。ここは評価する。

しかし、ドラクエ5を選んだのだからもっとドラマがあっても良かったんではないかと感じた。

挙句の果てには、ラスボスが○○○○という流れだ。全て台無しだ。

ファンタジーアドベンチャーなら、ずっとファンタジーで良かったんだよと。

自分主人公だという認識ストーリーが終わってスタッフロールが終わった後にでも、

自身の部屋とTVゲーム機を映すなりしてTV画面に「Fin.」とでも表示させておけばよかった。

それをなぜか作られた世界がどうたらこうたらとファンタジーをぶっ壊してどうする。

今回、担当した監督自体問題があったというのが一番の問題だったのだが、

ここまでドラクエ台無しにしているにも関わらず

絶賛している人たちはラストが熱かった、ラストの展開が面白いなどと分けのわからない絶賛をする。

挙げ句にどこにも欠点はない名作だと言う。

ぶっちゃけ欠点だらけだよ。

絶賛してる人らの中のドラクエって常にあんな展開なのか。

いきなり現実に引き戻されるような分けのわからない展開が面白いのか。

最初にも言ったが、一切の不満をもたないで名作と言い切っている人は

普段から中身のないものしか面白いと思えないレベルなんだろう。

絵本でも読んで、もう一度幼児期からやりなおしてみたらどうなんだ。

絵本の方がよっぽど内容が深いぞ。

あれを絶賛する人の頭の中は常にお花畑なんだろうな・・・

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