はてなキーワード: シッチャカメッチャカとは
少なくとも1年目の角田にあの走りは出来なかった。
とはいえ、レッドブルでマックス・フェルスタッペンの横で走れるのか?
と問われたら、それはノーのような気がする。
結局、メンタルが保たないのだ。
あんなに安定して図太く、いい走りをするドライバーだったのが、
今や表彰台に乗るときでも、自分のミスでリタイアするレースでも、
同じくらいに「シッチャカメッチャカ」している。
まるで毎回F1デビューレースの新人のような浮つき方をしている。
もうすぐ母国メキシコでのレースがあるが、そこでも混乱が見られるようなら、いよいよシートを失うかもしれない。
ローソンに話を戻すが、多少角田より良いドライバーだったとしてフェルタッペンの横で走れるのか?
ということだ。
これは来年の角田残留がホンダの介入によって決定したことに対する意地だろう。
レッドブルへ選抜する人材を育成するためのポジションであるアルファタウリに4年目のシートはない。
3年やってレッドブルへの昇格の見込みがなく、かつ次の才能が現れているのなら交代の時期がやってきたということだ。
もしもレッドブルのPUがホンダ製でなくレッドブルパワートレインズが製造管理運用していたなら角田のシートはなかった。
つまり、ローソンからすれば俺は実力ではツノダより上なのだ、と証明したかった意地だろう。
それはドライバーと言うか人間としてごく自然の感情だし、勝負の世界に生きる人間にとって必要なものだろう。
しかし、だ。
そのドライバーの意地。
それがフェルタッペンの隣に乗ったときには、そのプライドが仇となるのだ。
見事に打ち砕かれる。
アルボンはやや違うかもしれない。
ペレスも色々なものが積み重なって、調律がとれていないピアノのようになってしまった。
リカルドはどうなるだろう?
彼は依然としてトップドライバーだが、再びフェルタッペンとともに、
フェルタッペンのためのチームに乗った時にどうなるだろう?
マクラーレンではノリスの才能に全く手が届かなくて調子を崩してしまった。
フェルタッペンと同じマシンに乗って、常にフェルタッペンより遅くても彼は失調しないだろうか?
それはわからない。
でもマクラーレンで起こったことと同じことが起こらないとは思えない。
彼は結局セカンドドライバーという立場には満足できない人間なのだ。
だからあのときルノーに移籍したのだし、セカンドでは満足できないからマクラーレンで失調した。
同じことが再び起こらない保証はない。
そして、ローソン。
彼がF1でレギュラーになってキャリアを積んでどういうドライバーになるのかはわからない。
でも、おそらくは良くてもガスリー程度だろう。
ガスリー程度というのは、
賢明に努力してベストを尽くしてフェルタッペンのセカンドドライバーとしてチームに貢献していくことを実行するなら、
辛うじてレッドブルのシートを確保することが出来るかもしれない、という程度の才能だ。
でも、彼のドライバーとしての意地がそれをヨシとするとは思えない。
それは必要不可欠な意地なのかもしれないけれど、同時にフェルタッペンの横になると、その身を滅ぼす。
だからね、結局何がいいたいのかというと、角田くらいがレッドブルで走るのがちょうどいいんじゃないか?ってことなんだ。
彼って、ちょっと変じゃない?
将来の夢はなに?と聞かれて、ドライバーなら必ずチャンピオンになること、って答えるところで
レストランのオーナーになることだ、って答えるような天然というか飄々としたところがあるじゃない?
ああいうちょっとだけ、ほんの少しいい意味でズレているほうがフェルタッペンの横に乗っていても平気な図太さになるんじゃないかな?
毎回、フェルタッペンに負けていても、まあそれはそれだ、って気にしないで前向きに生きていける才能の持ち主のような気がする。
なんかね、余裕があるんだよ、彼には。
そういう部分がないドライバーには、セカンドドライバーという役割はきついと思う。
①ネタとして言ってる
②直接不利益被らないのでシッチャカメッチャカになるのが楽しいので煽る
④界隈に対して商売をしており、売れるならなんでもいい
⑤陰謀論界隈を指摘することで食っているので、陰謀論界隈がなくなったら困るので煽る層
色々あると思うのだが、ファクトチェックと真面目に対応している側は区別出来てないと思うんだよな。
当の本人からしたら「ネタにマジレスかっこ悪い」と思っているだろう。
陰謀論に反論する側も、それで金を稼いでいる人からすると、陰謀論を本気で信じる人が居なくなるのが困る。
取材も必要ないし、世の中こんな陰謀論を唱えている人達がいて危ないと、本来スルーするべきでは?ってのも大きく扱ってないか。
むしろ自分の手を汚すことなく、ネタが収取出来て良いという構造になってないだろうか。(本人は正義感でやっていたとしても)
発達にいられて困るのはまず第一に職場の方で、発達本人は迷惑かけることで白い目で見られたりバカにされたりで困っているという二次的なものだから。
発達本人の話だけいくら聞いても正確なところを把握できない。
結局「発達が職場にいると職場がシッチャカメッチャカになる。ほんとに物凄く迷惑」という事実すら理解できずに「発達障害が社会に出ずに引きこもってるのは本人が繊細すぎるから。迷惑とか言ってるけどまあ最初のうちは誰でもそうでしょ。慣れるまで続けられるくらいタフになれば社会復帰できる」という誤った思い込みで薬やら出して支援しようとする。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/toyokeizai.net/articles/-/300321
これとかみてて思うんだが.... かつて御殿とかは確かに目に余る「ように見える」ものがあった。
でもあれって、ワザとやっていると思う。アレだけ毎回芸能人が入れ代わり立ち代わり来て高速でイジらないとだめ
なのであれば、いくら、さんまでも、自分の路線というのを明確にしておかなければ、なかなか毎週毎週辛いと思う。
それが故に編み出したのが、高速で弄り倒して、シッチャカメッチャカ感を出すという芸風。
軽く、薄く見えようが、最適解がそこ。
また、彼はエネルギーが無尽蔵にあるので、一度ノリ出したらそのまま突っ切ってしまうのが楽なのだと思う。
そのメリット・デメリットも承知していて、それも自分の使命だとおもって、芸風をあのまま固定していると思う。
なぜならホンマでっかTVでは相当傾聴しているから。キャラも少し違っている。
学者が一回分析結果を出した際に、驚くほど柔軟な人間であることが出ていた。実際あの番組では、否定はせず、
なので、あの番組の質は高い。
松本人志もそうで、やはりワイドナショーでは相当傾聴に回っているし、あえて批判をうけるという昔の芸風も持ち込み
ながら、結構調整役に回っている。だいたいネットニュースに出て、ハテブ民の目に触れるころには情報が落ちている。
かなり、TVで切り取られたセリフだけではなく、その前後の空気、間とか発言の声色とかでは悩みながらやっているし、
それを引き受けなければ自分はいけないんだという使命感もあると思う。
トップに君臨する人がそれを批判されて、聞こえてないことはない。
さんまは離婚し、戦友、紳助が逮捕され、、松本も結婚し、守るものができて、ふたりとも引退してもあまりある財産がある。
明石家さんま、松本人志の立場だと、こういういろんな番組でキャラを使い分けながら、もともとのキャラで太い収入をもらいつつ、新しい
ところで本当にやりたいことをやっているパターンが多い。むしろ5年前ぐらい彼らの老害(に見えるような芸風)が目立っているのが
が顕著で、今はもうかなり変更して柔軟さの方が目立っている
なのに、ここで5年遅れで批判してくるところが香ばしいなぁ。。。と思う。
また、あの二人はかなり海外に対しても柔軟に見ている。国内でしか活動していないのに、結構柔軟で、松本は右よりに見えて相当柔軟。
さんまが海外にゴルフでいったり、松本が海外にいったりしたエピソードを見ると相手をリスペクトしたり、すごく柔軟に対応している。
はためにはデキそうなイメージだが、、、
まず、基本的に平均的な社会人の振る舞いができない廃人だということ。
よくあるのは出社時間とか守れないやつだ。
困ったのが社内の会話や機密に関わることをTwitterに垂れ流しにする。
もうシッチャカメッチャカ。
当然、再就職も困難で、精神病になって病んでるTwitterを垂れ流す
しばらくすると実家に帰る。
このパターンを何人も見てきた。
自分以外の人間を基本的に見下しているので社会生活が営めない。
だが、この手の人間のほんの一握りは、凡人が考えつかないものを作る可能性がある。
こういう半狂乱のプログラマを某シェアハウスに集めて雇ってニコニコ動画とかも生まれた。
ちなみに、ニコニコ動画のエンジニアは3.11付近でサーバールームに閉じ込められて
死にそうだ!とTwitterで緊急救助で騒いだが、実は「嘘でした」という
常識的にはあり得ないことをやらかして大騒ぎになったヤツだったりする。
ちなみに、さすがの川上氏も守りきれず、このガイキチプログラマは解雇になった。
いまはもう川上氏も居なくなり、ドワンゴに自由奔放な彼らを遊ばせる寛容さはない。
結論:コミュニケーション能力が大事、っていうド定番の定義は
新紙幣のデザイン画が出たときに、自称デザイナーが「ここがダサい」を図にして出したらツイッターで袋叩きにあってたのを見た。
中には「通貨偽造防止の意味がわからないのは素人」みたいな上からマウンティング野郎がいたりして大変愉快だったのを覚えている。
それはそれとして、改めてみるとやっぱり新紙幣のデザインはダサい。
中央揃えができてないとか、フォントがおかしいとか無駄な空白があるとか色々あるけど、個人的にはそのダサさの根本にあるのは「日本的な決定までの過程」が如実に現れているからだと感じた。
というのも自分もかつてはデザイナーのはしくれのような仕事をしてきて、あの新紙幣のような最終的にキモくなったデザインを手がけたことがあるからだ。
ああいうシッチャカメッチャカなデザインができるのはきちんとした理由がある。
あれは致命的にセンスが悪い人がデザインを担当したからではなく、「デザインセンスがない決定権のある人間」が複数人数プロジェクトに絡んだ結果あのようになるのだ。
おそらく最初のたたき台になった案はそれほどでもなかったと予想する。
しかしその案に対して、偽造を防ぐためにこういうのを入れろ、この部分は伝統的に失礼になるからこの角度にしろ、やっぱりこことここの配置は逆にしろ、と細かいことをあれこれと口出ししてくるクソダサ上司やクソダサクライアントが指示をしていき、優秀なデザイナーがそのどの顔も立てようとした結果、あのような形になってしまうのだ。
もちろんこれは自分の勝手な印象なので内部の事情は本当にクソダサデザイナーがいるのかもしれないが、
あの致命的にまとまりのない新紙幣デザインを改めて眺めつつ、おそらくこういうこと言い出したやつがいたから苦心してこうしたんだろうなということを考えたりしている。
殴ってるけど。
意味不明。
まあ孤島から這い出てきた「孤島の鬼」が「普通の人」の考えや対話をシッチャカメッチャカにしてご満足ならそれも増田だけどね
まさに君のことだな
たとえ話だけの問題じゃないでしょ。
そもそも大元増田が「未来は常に良くなる」か「未来は常に悪くなる」の二択しか提示してないのが誤りで、
だから「未来はいつだって未来の人間からしたら過去よりもいい」も間違ってる。
「未来の人間が良いと思うものが、現代の人間にとっても良いとは限らない」は正しいけど、
それと「鎌倉武士は現代をより良いとは思わないに違いない」は論理が繋がってないからおかしい。
(「鎌倉武士が現代を見てもより良いと思わない可能性はある」なら正しい)
でもそこで「鎌倉武士はより良いと思うだろう」という変なチャチャが入って、
それに対して「鎌倉武士の内心を決めつけるなんておまえは鎌倉武士か?」という誤った反論をしたから、
(この増田も「鎌倉武士はより悪いと思うだろう」と決めつけている)
シッチャカメッチャカになっている。
2時間くらいやった
そろそろゴリ押しだと辛くなってきた
うまい立ち回りをしたいけど、設定でカメラを遠くに変更してても攻撃時にやたら敵の近くにカメラが寄るからすんげー見づらい&操作しづらい
一人ならまだしもNPCもいるし、モンスターの動きも激しいしでもうてんやわんや
立ち回りってやつが全然できてない
昔初代ゴッドイーターの体験版だけプレイしたことあるくらいで実質初ゴッドイーターなせいもある
ちまちまヒットアンドアウェイする感じなのかなあ
遠距離攻撃のゲージはすぐなくなっちゃうから実質的に近距離オンリーでやんないといけないけど、
近づくと敵も見方もシッチャカメッチャカになるからほんと見づらくてヤダ
爽快感がまったくない
レベル制じゃないからたぶん武器とか強化するんだろうけどまだ開放されてないっぽいし
うーん・・・とりあえずは近づいてダメージ食らっても殴りまくるのをやめることからかな
でも殴りまくらないとダメージ食らわせられなくて時間が無駄にかかるのも嫌なんだよなあ・・・
もうちょいぷれいしてうまくできなかったらいったんやめよ
まだ最序盤ってのもあるけどムービーの内容頑張って見てもあんま意味ないっぽいからもう飛ばすかな
気になったらつべとかで見ればいいし
とりあえずもうちょいやってみよ
なんつーか、コネとかでたまたま上に上がれたが知識も現場をわかろうとしないやつが、偉い俺様万能といって現場シッチャカメッチャカ引っ掻き回すのやめてくれないかね。
韓国って、可哀想だと思うんだよね。第二次大戦から朝鮮戦争で、
よその国の思惑にシッチャカメッチャカにかき回されて、
国家自体が分裂症的様相を呈している。
この辺りはもっとずっと昔から始まってると思う。大ざっぱだけど、高麗辺りから国家としての劣化が始まって李氏朝鮮を経てどんどんダメダメになっていったというか…。
南北朝鮮って、物心ついたころからずっと寄ってたかっていじめられ虐げられ続けたせいですっかり人格の歪んでしまったアダルトチルドレンのようだ。その辺りが、方向性は違えどネトウヨやはてサを引きつけてしまう要素なのかも。
いじめられたのも虐げられたのも当人だけの落ち度ではないし、断然いじめた側が悪いに決まっているんだけど、それでも自分の中の欠陥や歪みを改めて更生するには自分の自覚と努力しかないんだなあ、と、自戒も含めて思う。
道を歩いていても、知り合いに見つからないように、顔を手でかざしたり目を背けたりしている。
どこかで情けないなとは思いつつ、ニートになっていた。
働いていないし、将来の目標のための勉強をしているわけではないので、ニート確定だよね。
眠い時に寝て、食べたいときに食べて、散歩したいときに外に出る。
何かに属するって、規則正しい生活を送る上で必要なんだなって感じた。
たとえ院へ進んだとしても、ゼミの仲間にも指導教官にも迷惑をかけていた。
もう戻れないし、戻りたくない。
自分の選択が正しかったんだって、見返してやりたい。そんな気も起きたり起きなかったり。
社会人が輝いて見える。
もちろん結婚する予定の方もすごいなって。
公務員試験対策を始めてみる、
国家試験対策をする、
自宅で問題集開いて、解けないからって、ネットしてても意味ね~や。
逃げて逃げて逃げまくってもシャーね~や。と頭ではわかってい...。
この先どーしよ。
とりあえず、スマホ解約しようかな。
なんか、シッチャカメッチャカな文章になった。
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/1007/21/news010.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/bizmakoto.jp/bizid/articles/1007/21/news010.html
「知の効率的インプット、効率的アウトプット生成のためには新書がベスト」
ということのようだが、
ここでおさらいしておこう。
(幼児番組・幼児DVD再生専用機に成り下がっている)情けない状態です。
【何のため?】
★「面白い内容は自分のブログに載せる(=アウトプット)」という目的意識で
知を採取(=インプット)する。
【何を?】
★日経新聞をとにかく隅々まで読む。
自分がネタにするのは「日経夕刊」「日経地域面」「経済教室」「書評」「大機小機」あたり。
★会社においてある「日経産業新聞」なんかもネタの宝庫なので、
これも自宅に持ち帰って、電車内で読む。
1分立ち読みすれば、なんとなく「どういうジャンルの本なのか」がわかる。
★図書館を活用しまくる。
都区内なら、他館蔵書の取り寄せサービスがある。
場合によっては、他区の蔵書も取り寄せてくれる。
こうすれば自宅内書棚はゼロでいい。
家族4人で、1人10冊借りることができる。掛け算して40冊だ。
新書は確かに効率がいいが、逆に言えば「ポピュラーになる(であろう)知」しか載っていない。
「ポピュラーになっていない知」が存在している可能性がある訳であり、
価値を生むのはむしろ
「ポピュラーになっていない知」の方ではないか?
図書館の本は、2000年代の本ばかりじゃなく、1990年代とか1980年代の本とか結構あるのだが、
「1980年代には、こういう見方があったのか!」と新たな発見があるのが面白い。
たまに1970年代なんかの「お宝」もあります。
地球温暖化を叫ばれていますが、1970年代なんか、「地球寒冷化」が叫ばれていたりする。
そういうことも図書館にいかなきゃ判らない。
例えば「食品の偽装」なんて問題が、最近の話題と思い込んでいたら、
1970年代にも似たような話題が出てきているのです。
「お気に入り」に5人登録しており、その人のブックマークをナナメ読みすることで
相当程度効率よく情報収集できる。
言ってみれば「他人の褌」である。
(お気に入りを10人以上にしてしまうと、シッチャカメッチャカで混乱してしまう。
やはり5人程度に抑える方がいいのでは?)
「Dさんは自分の仕事の方面でいいブックマークをしてくれる」・・・のように、
分野毎に「キーパーソン」を見つければ、非常に効率的。
★ビジネス誌は車内中吊り広告だけでも「なんとなく」内容はわかる。
というか、各社ともウェブにほぼ同内容載せているし。
【いつ?どこで?】
★晴れている日には新聞を歩きながら読み、
★休日、子供の付き添いで公園やおもちゃ売り場とかに遊びに行くときなど、
その場で捨てられるから。