相手が他に出来る気がしないし、親も兄弟も半ば自分たちを呆れて見ている節があるので、認めてくれる人が肉親より他にいる嬉しさもあって結婚した。
人付き合いが苦手だ。壊滅的に気が利かない。それではダメだと過剰適応した結果、仕事の後はどっと疲れるし、いらない仕事を押し付けられる。それでもなんとか今までの経験を生かしながら投げ出さずに頑張ってきた。
世間で言うところの普通はこれかと勉強して時には演技して生きている。そして、こちらの綻びを付け入る人間も残念ながら僅かにいるので注意を払っている。
一番自分にとって気持ちが落ち着くのは、人付き合いを必要以上に持たないことだった。その分、注意を払わなくてすむ。子供さえ持たなければ、必死に周囲と関わる必要がない。家も賃貸でなんとかなる。車も持たなくても最小限で生きていける。
ここでわかるのは、子供を持てたからこそ、人間としての深みや度胸が出来るんだということだ。喜怒哀楽ぜんぶを注ぎ込んで、自分の愛するものを一から育て上げる。泣いた吐いた笑った立った喧嘩した。自分たちの過去と重ね合わせ、涙した。親から貰った命を我々は全然輝かせていない。人間として薄っぺらだと。むしろ、生まれてきて後悔ばっかりだと。
ここで、子供を欲しがったら子供が出来たら子供を育てたら、幸せになれると思うところが浅はかだ。人として社会生活を営むのに、なんとかしがみついて必死で、家帰ってから感情のリカバーに1時間かかる人間に、待ったなしの子育てなんて、すぐに詰む。自分の時間がない、こんなはずじゃなかったと嘆き出す。生きている人間だから投げ出すこともできない。自分たちが社会に関わった時と同じく、子供が世間に馴染めなかったら、無理やり矯正にかかるだろう。思い返せば、肉親にもなんとかやってる姿を見せて安心させていた。結婚でなんとか勘弁して、やはり子供は難しいと頭の中が堂々巡りして、子供を産むのが難しい年になり、母親を看取った。後、10年若かったら何かが違ったのだろうか。
数少ない友人にそれをいうと、みんな必死だよと言う。自分が生きてきたことを肯定しないとなりたたないと。
そうだろうな。残された人生、父や義両親、連れ合いのために生きるべきだ。子供を持って育てている人は本当に素晴らしい。こんな人間でも生きててごめんなさい。時々、申し訳なくなって、泣く。
会社の前で大声で泣き続ければいい そうしたらみんなブラックだって思うから