飯を食うとうまい。
わかる
日曜日の昼前、実家暮らしの俺は冷蔵庫にめぼしい食材が無い事を確認し、
回転寿司はくら寿司よりもスシローの方が好きだったが、家から一番近いスシローでも徒歩30分。
店を訪れるのは久しぶりで、今回初一人回転寿司ということもあり、
普段通り過ぎるだけのカウンター席に座るドキドキ感はそれだけで寿司の美味さに加点される。
席に着くとまずお茶を淹れるルーティン。の前にメニューを見た。
「これは!!」
スシローとくら寿司の大きな違いはとびこの有無たったそれだけであり、寿司屋の善し悪しはそれで決まる。
俺は興奮気味にタッチパネルをねっとりとした指先でなぞり、とびこを2皿注文した。
カウンター席の一番端は休日の昼までも混雑を知らず、あとにやってきた父と娘の2人客も静かでとても快適だった。
そんなこんなで場の雰囲気を味わいながらお茶をすすっていると注文配達レーンにとびこと続いて注文していたえんがわ、フライドポテトが続々と到着した。
すこしとびこが皿に散らばっていたりしていたがそれも情緒。
口の中に放り込めばプチプチと元気な音が聞こえる。
少し多くつけすぎたワサビの行き場のない痛みが涙を誘う。
うまい…
なんてうまいのだろう。
テンションがぶちあがり、隣に座った客の食べっぷりの良さも影響して1皿、また1皿と狭いカウンターに到着する。
7皿ほど食べ、最初に頼んだフライドポテトがよくも悪くも存在を主張してくるが、
この天ぷら盛りあわせ280円の(大葉つき)がどうしても食べたい…
でも、揚げ物をこんなに食べたら死んでしまう…
今年22の俺の胃は脆い。
天ぷらの盛り合わせが手元にあった。
正直これはよくばりだったとおもう。
いい店じゃないか…
俺は満足げに腹を撫でまわしながら、原稿用にモンエナの500ml缶を買おうとローソンに寄った。
レジに並ぶと見覚えのある後ろ姿。
「お、おかん…?」
「俺のは…?」
「あんたは爽」
わるくない。
そのまま一緒に帰ることにした。
「あんたどこ行ってたの」
「そこのくら寿司」
今日は原稿が行き詰って心が折れそうになっていたこともあり、俺の大好きな寿司を食べに行ったというわけで。
「へえ、一人でくら寿司」
「さすがに沢山は食べれなかったなあすぐお腹いっぱいになっちゃった」
俺は満足げに腹をさすった。
「やっぱりおいしくなかったでしょ?」
?
「おいしくなかったでしょ?じゃないでしょ?」
飯を食べてきた人に向かって開口一番「おいしくないでしょ」と断言するなんてサイコパスか?
「なんでそんなこと言うの?わざわざ店へ行ってお腹いっぱい食べて帰ってきている人においしくないってどうしていうの?」
安価で提供される寿司たちにはネタが薄っぺらい、少ない、美味しくないって暴言吐いてもいいのか?
(これらは全て俺の祖母が回転寿司に行くと必ず言う言葉なのでなるべく一緒に飯を食べにいかないことにしている)
「お前はいつも細かいことに反応して!そうやっていつもいつも」
「ちがうだろ!言い方がおかしいだろ!」
言い合っている間に家についた
俺はそそくさと自室に戻り10分ほど泣いた。
またつらくなったら寿司を食べよう。そう思った。
1663円でこんな最高になれるなんて。
「まずい飯に1663円を払った馬鹿」
になった。
数年前学生の頃、オープンキャンパスのバイトをしていた時も同じようなことがあった。
俺はうめうめと飯を食う。
学食の回転効率を突き詰めた飯は素朴な味わいで食べ盛りの学生の為に米は大盛りだ。
今日のタダメシも美味かったぜ、と満足げに教室へ戻ると同じメニューを食べた教員がこう言うのだ。
俺は思う。
人は共感を得たいというのもわかる。
だがネガティブなもので共感を得ようとするやつは何をやってもダメだ。
おいしくなかったならわざわざおいしくないと言葉にせず、黙っていてほしい。
そして仮にとんでもなく自分の口にあわないものを食べたとしても、違う言い方をするべきだと思う。
例えば、
このうどんは俺には味が薄すぎたとか
油が強すぎたねとか
兎に角なんにでもまずいと言うのはやめた方がいい。
独り言でも隣の客に聞こえたらそいつのUXもたちまち下がってしまう。
その教員には言った。納得してくれた。
昔からあまり家族で外食もしなかったし、これからもしたくない。
きっとどんな店に行っても何かにかこつけてまずいまずいと言うのだろう。
うまい飯を食える仲間、美味い飯が食える店。
大事にしてほしい。
くら寿司おいしーよね。大好き。