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はてなキーワード: 薄っぺらとは

2019-08-07

anond:20190807162223

武士道じゃなくて萌え道を死ぬこととみつけちゃったんでしょ

ストーリーで将来死ぬ予定のキャラ

死ぬまでの経緯がそれなりに詳しくえがかれる

(そうでないと無駄死ぬ批判をうけるような薄っぺらストーリーになる)から

その詳しい経緯や描写自分を引きつける独特な魅力なのだ

そういうものだとおもうしかない

 

オタシェア!!という漫画でそういうことを言われていたと思う(うろ覚え

そちらも読んでみて

2019-08-05

話題映画をふたつ見てきた

仮面ライダーのやつと、ドラゴンクエストのやつ。

仮面ライダーのやつは、今回は見に行くつもりはなかったんだけど、友人から「見とけ、笑えるから」と言われたので見に行ってみることにした。

twitterなどで若干否定的意見も目にしていたけど、つまりそれが「笑えるから」ってことなんだろうなと、ギャグ映画を見るつもりで見に行くことにした。

ドラクエの方は、シリーズ中5が一番思い入れが深くて、SFCからPS2、DS、アプリと、ハードが変わるごとにやっていて、半ば原理主義者化している自覚があり、また小説版も大好きなので、その辺のゴタゴタからも見に行くつもりはなかったのだけど、twitterで「5点満点中マイナス100点」等、あまり酷評されているから逆に気になった。

そんで、今日たまたま時間が空いて、ライダー映画の後にちょうど良い時間の上映があったこともあって、はしごで見てきた。

と、ライダー名前を出しておいて何だが、今回の話にライダーは余り関係無くて、バーターで付いてくる戦隊映画の方の話をしたい。

ライダー映画は、突っ込みどころの多さも含めていつも通りの、安定した面白さだったので、特に語ることはない)

で、その、ライダー戦隊映画を見た後でドラクエ映画を見たのだ、という話をしたいのだ。

で、当然ここから先はネタバレを含むのでその辺よろしく

まず、ドラクエの話をしたい。

結論から言うと、めっちゃ良かった。

散々な酷評が聞こえてきていたのと、後記する理由ハードルがガン下がりしていたのとで、期待値マイナスだった。二時間の苦行になるだろうと思っていた。

事実、始まって10分ほどの間は、心が10回くらい折れそうだった。

リメイク時に後付された設定がさもSFC時代からあったかのような改ざん!!

っていうかそこまでゲーム画面でやるのかよ!!そのまま最後までゲーム画面流せばいいじゃねーかもう!!

あれもこれもすっ飛ばすのかよ!!

ゲレゲレかよーーーーーーー!!!(ゲレゲレ派の皆様すまん、プックル派なんだ)

ドラゴンオーブはそこにはねーーーーーーーーーーーーえ!!!

ヘンリーそんな奴じゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!

ラインハットほったらかしか!!!!!!妖精の国すっ飛ばしたかサンタローズに春が来てねえじゃねえか!!!!!!等々。

いや分かってるよ2時間で話まとめるためには仕方ねぇよ、でもさーでもさーーーと心の中の原理主義者が泣いていた。

しかし、綺麗なグラフィック、迫力の戦闘、懐かしい音楽佐藤健の流石の演技(直前にライダー映画を見ていたとおり、特撮畑の人間でもあるので、特撮出身俳優アフレコに対する判定は甘々な自覚はあるが、「あ~電王だ~」と思う瞬間は一切なかったので、さすが佐藤健だと思う)に押し流されるように時間は過ぎていく。少なくとも(心の中で原理主義者が泣く以外の)時間経過に対する苦痛はない。

原作と違う点に突っ込みは入れたいと思うが、時間内に話をまとめるためには仕方が無い。

例えば、ヘンリーキャラが違うとは言っても、SFC時点で我々に許された解釈範疇ではあるように思う。

リメイク版には仲間会話があるが、SFC版でNPCとして交わした会話はわずかだ。ああい解釈をしていた人が、まあ、いなかった訳ではないかもしれない。ギリギリ

リュカキャラクターは全く小説版の「リュカ」ではないが、「どこかの誰かが操る主人公」としては、誰かの頭の中にはああい主人公もいただろう。

ビアンカフローラ選択。そんなに簡単に「自分の本当の心」なんて分かるか???とも思ったが、一応、フローラがいいならまあよしとしよう。

個人的に、特に回収もされず、一番残念だと思ったのは「娘ーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。

・・・まあ、これも仕方が無いだろう。大人世界には予算とかの問題がある。

普通に考えて5のストーリーを「正しく」映画化しようとすれば、5章仕立てくらいにしないと終わらないだろうから、「どう二時間にまとめるか」も見所だ。文句を言うより楽しんだ方が得だ。

後半のプサンの「今回はそういうことになっている」的なメタ発言も、嫌いな人は嫌いだろうが・・・と思いつつもクスリとした。

そして話題ミルドラースである

ここまで超好意的に受け止めていたが、流石に「えええええーーー」と思った。

ちょっとガッカリした。ここまで来てそれかよと。

ついでに、「あ~~~~~~~~~~~~~これオタク発狂するやつ~~~~~~~~~~~」と酷評理由理解した。

かにちょっとグサッときた。いい年してこんなところで仮面ライダー映画からドラクエ映画はしごして見てる自分の胸にグサッときた。大人にはなれてねぇわぷー。

しかし、その後の真実暴露により、前半で心の中の原理主義者を殺した、気になるポイントの数々が全て伏線として回収された。

幼年時代ゲーム画面でスキップしたことも、リメイク版の設定のはずなのにSFC版に存在していたかのような扱いだったことも、ヘンリーキャラクター解釈も、なんであんなに解釈が違うのに「リュカ」なのかも、ビアンカフローラ選択顛末あんなんだった理由も、プサンメタ発言の訳も。

もう、なんか、ここでぞわーっとした。

気に入らないと思ってたことの全てに理由があった(娘の存在のことは置いておく。少なくとも見ているときはそう思ったんだ)。

今まで「どこかの誰かの頭の中にあるドラクエ5の世界を見てるんだな」と思って我慢していた事が、ある意味それで正解であり、また、一気に「どこかの誰かの物語」が、「主人公物語」あるいは「自分物語」になった気がした。

その辺は上手く言語化できないが、体感としては「うおおおおスッキリーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。

最近予定調和的なハッピーエンド約束されているライダー映画ばかり見ていたので、ついぞこのところ体験していないカタルシス

その後に登場したキーアイテムロトの剣だというのももう、細かいことは抜きにしてたまんねぇわという感じ。

かにあの瞬間、主人公自分だった。子供の頃からドラクエと共に育った自分自身だった。あの一瞬、まさしく「YOUR STORY」だった。

(後で冷静に思うと「自分の」物語だと思うには物語解釈が違いすぎるが、あの一瞬はそんな細かいことはどうでも良かったのだ)

そして、「経験した冒険は、確かに本物だ」というメッセージこそが、本当に我々に向けられたものだったのだろう。

大人になれ、現実に帰れ、そんな風に言われることが多い社会だけれど、我々が「ドラクエから貰ったものはそんなありきたりで薄っぺら言葉で踏みにじれるようなものではないはずだ。

と、言われているはずなのに、一度発される「現実に戻れ」というメッセージの前に「そんなこと言われたかったんじゃない!!!!!!」って発狂するオタクが多いのはちょっとこう・・・オタクメンタル弱すぎじゃねえの・・・という気がするが、まあそれは現代社会では仕方の無いことでもあるし、今回の本題ではないんだ。

言いたいのは、一本の映画として見たときに、よく出来ていたじゃないか、ということなんだ。

かに、もう5の物語身体に染みついてしまっているから、全く5の物語に触れたことがない人にとって、提示されている情報が十分だったかについては冷静な判断ができない。

トロスの杖のあたりとかは説明不足だったようにも思うが、まあ、「息子が頑張って探した石化が解けるアイテムである」くらいは伝わっただろう。

ちょっと使い方それェ~~~?!!と思ったりしたが)

ルーラの辺りは怪しいかも知れないが、「ルーラ」といえばワープ魔法である、というのは有名だと思いたい)

時間でまとめる為にはどうしても大幅なカット必要である、そのためにカットされたり設定が変更された部分について「そこをカットするのかよ・・・!そこをそう変えるのかよ・・・!」という視点で気に入らない箇所を除くと、「え~~~~」と思った部分は大概、ラスト伏線として回収された。

その、ラストの展開それ自体が気に入るかどうかはともかくとして、5のストーリーを知っていればいるほど「あれっ?」と思う箇所には、大体理由けがされている。

長い話をカットした時にありがちな「えっその話いつしてた??」みたいなのも、多分、なかった、と、思う。(なにせ冷静な判断ができないのだ)

一人の男の一代記になってしまうので、ストーリー全体が駆け足感あったのはまあ、仕方が無いと思うが、それも設定を知った後なら逆にリアルだ。

もちろん、二時間に納める為にカットされた部分、変更された設定について、文句を言おうと思えばいくらでも言える。娘はどこへ消えた。

ラスト演出については、これは好き嫌いがはっきり分かれるだろうなとは思った。

ドラクエを見に来たつもりだったがSAOだったか」と思ったりもした。

「これをドラクエで、しかも5でやる意味はあるのか」みたいな批判もあるだろうと思う(これは、はっきり意味があると思うが)。

ただ、それは「好き嫌い」の範疇ではないか

「5のファンとして、納得できるかどうか」の話であって、「映画自体クオリティが極端に低い」ということではない。

それなのに、あたかも「映画自体クオリティがめちゃめちゃ低いから見に行かない方がいい」みたいな言説ばかり飛び交っているのは非常に残念だと思う。

CG徹頭徹尾圧倒的に綺麗である。(ドラクエ5らしいか、は置いといて。。。)鳥山明の絵とは遠いが、動いて居る彼らを見ていれば全く気にならなかった。

物語や設定が破綻しているということもない。もちろん重箱の隅を突けば色々出てくるだろうが、世間一般映画比較して特段トンデモ展開という訳でもないと思う。虚無でもない(後述)。

(ただ、主な比較対象ライダー映画であり、あれはトンデモ展開をやってナンボみたいなところがあるので、若干ふつうの人より「トンデモ展開」判定は緩いかも知れない・・・その辺りの自信はちょっとない)

とはいえ好き嫌いは分かれるな・・・」「文句の言いどころがいっぱいあるのは分かるな・・・」とも思ったので、薦める相手は慎重に選ぶ必要があるのはわかる。

たぶん、元からこの作品オタクの方を向いて作られた映画ではないんだろう。

(まず、オタクの方を向いているならちゃん声優を使うはずであるし、そもそも3DCGにしないだろう)

友人にこのクソ長ったらしい感想をもう少し縮めて伝えたところ、「子供の頃ドラクエやってたパパが、懐かしいっつって子連れで見に行って、そんで夏休みの間にソフト買って親子でやってね、ってことだろ」と言われたが正にターゲット層はそこなんだろう。30~40代の子持ち父親(あるいは母親)。ちょうど小中学生の頃ドラクエ5をスーファミでやっていた世代だ。(だからこそ、今「5」が選ばれたのだろうと睨んでいる。3以前だとリアルタイム世代がもう少し上になってしまうし、4は5章構成で話が長すぎる。6以降だとまだちょっと若い

現実と向き合え」って言われるのが何よりも嫌いなオタク(と、あとフローラガチ派)は見るべきではないと思うが、まさしく「子供の頃ドラクエが大好きだったが、今はまあ子供もいて、そこそこ大人やってます」って人には是非薦めたい・・・・・・いや、そう言うタイプの人は最後どんでん返しカタルシスを感じてくれなそうである・・・ある程度「ゆうしゃとしての自分」に思い入れがないと・・・だがそう言う人は得てして現実と向き合うのが嫌であり、あるいは原作からの改変が些細なことでも許せないタイプ・・・実にジレンマである

・・・と、そのようなジレンマを抱える構造になってしまたことが「失敗」といえば「失敗」かもしれない)

また、この流れをもって主人公を「リュカ」としたなら、確かに久美沙織に対して何かしらの仁義は通すべきだと感じた。その一点においてマイナス100点である

5の主人公リュカの図式を作ったのは間違いなく小説版であろう。(もし万一、「リュカ」あるいは「リュケイロム・エル・ケル・グランバニア」の名がエニックス(当時)サイドから提供されていたのだとしたらそれを明確にして欲しいし、作者があのような(慎重な)声明を出す以上、命名久美沙織側だったのだろうと思っている)

製作委員会におかれてはその辺は本当に仁義を通して貰いたい。この素晴らしい作品に、そんな事務的なことで味噌が付いて欲しくないと思う。

!!!!!!!!!!!!!!!!実はここまでの長ったらしい話は全部前段であるっていったら怒る???

だってまだ戦隊映画の話してないじゃん?????

何でここまでドラクエ映画を大絶賛するかっていうと、作品自体が(人は選ぶものの)素晴らしかった(のに世間評価がだいぶ偏ってるから、いっちょこっちは絶賛しとこう)っていうのは大いにあるんだけど、その直前に見た、見てしまった戦隊映画があまりに、あまりにも虚無だったからというのも大きい。

虚無映画ダメージがまだ残っているうちに見た為、通常時の1.5倍くらい面白く感じた...と言う可能性が否定しきれない。正直なところ。

ブースト効果がなくても十二分に面白かったと思っただろうが、ここまで熱狂的に、最高に面白かった!!!!と思ったかどうか、怪しい)

というわけで「虚無映画の後にドラクエ見たら予想以上に面白かった」って話がしたくてドラクエの話始めたら思ったより熱が入ってたらしくてすっげー長くなったごめん。

でもこの後また長々虚無映画の話をさせてくれ。誰かに聞いて欲しいんだ。

「5点満点中マイナス100点」の栄光はまさに今年の戦隊映画みたいなもののためにあるのではないか? ドラクエではなく。

いや、戦隊映画については多くの人々が「ライダー映画バーター」程度にしか見ていないのだろうと思う。

だって毎年バーターで、ライダーは一時間戦隊は30分と相場が決まっている。ライダー単体の映画大人1800円キッチリ取るが、戦隊単体の映画大人1200円だった時代もある。

最近戦隊単体の映画期間限定上映になってしまったほどだ。悲しい。

から、毎年大した期待は掛かっていないし、つまらなくてもその後のライダー映画面白ければ何の問題も無いのだろう。

現に、今年のライダー映画に関する評判は、良い物も悪いものも合わせて耳に入る。つまり、それだけの人数、戦隊映画も見ているはずなのだ

しかし、誰も話題にしない。あんなに虚無だったのに!!あんなに虚無だったということを誰も口にしていない!!!その程度の興味すら抱かれていないのだろうか・・・それとも虚無すぎて何も言えないのか・・・

その30分映画が名作になる年だってある。

あるいは、「名作」とまではいかずとも、通常のテレビ放送の二話分くらいの時間を使えるのだからちょっとしたスペシャル回くらいの話はできる。

テレビ放送を見ている時よりはちょっとわくわくした気分で楽しんで見られて、特撮映画のことだから突っ込みどころも多いが、概ね「楽しかった楽しかった」と思える作品ほとんどだ。

(折角の「劇場版」がそれでいいのか・・・という話は一旦横に置いておく。今は、多くは求めまい

少なくとも「早く終われ・・・」と祈ったことは、(毎年見ている訳ではないが、6~7本くらいは見ているはずだ)一度も無い。

それがだ。今回は半分より手前くらいのところから「早く・・・終わらないか・・・」と魂が吸われていたのだ。

かに、今年の戦隊はあまりちゃんと見ていない。が、それは過去戦隊においても同じ事が言える。

(おおよそキャラクターや敵が何者かくらいは知っているが、毎週毎週熱心に見ている訳ではない。これはライダーも同じだ。友人たちと話のネタにするために流し見しているくらい。そこまでガチ勢ではない)

から、「例年より話が分からない」「例年よりキャラクターに思い入れがない」という点で「面白くない」訳ではない。

特撮映画」というジャンルには独自文明があるので、割合トンデモ展開が許される。

(実際のところファンが「許して」いるかは知らないが、平成だけでも20作品にわたってトンデモ展開をやり続けながら絶対的コンテンツとして君臨しているのだから、許されていると思っていいだろう)

突然東京がひっくり返って江戸時代になろうが、突然信長が蘇ろうが、突然歌って踊ろうが、サーカスを始めようが、見た目は大人頭脳子供だろうが、侍もいるし天使もいるし忍者もいる。タイムスリップ日常茶飯事、作中における原理原則の多少の無視もよくあることだ。今更騒ぐようなことでもない。

「展開がトンデモすぎる」「作中の設定が無視されすぎて変」という話でも、ない。

とにかく設定がガバガバなのだ

六千五百万年からいきなりタイムスリップしてきた人類(的な生き物)が居たら、まずは文明の違いに腰を抜かすところからじゃないのか???とか

六千五百万年前の文明発達しすぎだな?いやそれは作中設定があるからいいとしても、こっちの部屋はロストテクノロジー仕様なのにあっちの部屋は

2019-08-04

今回の表現不自由問題から学んだこと

表現の自由」を盾にしてヘイト活動をしてる輩の薄っぺらさを、改めてこの世に知れ渡ったなと

2019-07-31

オタクを捨てると何もないのが怖い

「何が好きなの?」

と聞かれてアニメ漫画オタク趣味以外何も思いつかなくて固まってしまった。

オタク以外の興味がなさ過ぎて他の人から見ると薄っぺら人間なんだと思うと苦しくなった。

せめてふつう音楽が楽しめる人間になりたかった。

2019-07-27

中身のない本の著者

ビジネス書を読んでいると著者の経歴は立派なのに、本の内容が薄い場合ある。これはどういうことだろう。薄っぺらな考えを持つ人間でもレールに乗れば成功できるということなのか。彼らが成功した理由を知りたい。

2019-07-26

ゲーム・オブ・スローンズ何が面白いのかわからん

なんか田舎貴族みたいな人たちがしがらみにとらわれて死んだりセックスしてるだけの話だった

米国ドラマにありがちだけど、ストーリーを進行させるためなのか、いきなり変なテンションでキレる人続出で、君そんなことするキャラだっけ?みたいな事多すぎ見るのつらかった。

映像は豪華だし金かけてるのはわかりますけど、私が物語に求めるのは人間同士の熱い心のぶつかり合いです。なんかキャラ薄っぺらく見えるんだよね。翻訳とかがうまくいってないとかかな。

2019-07-22

DJ社長が叩かれてるのが理解できない

フェイク後の曲発表で「自分批判する人=アンチ」って表現したのはおかしいと思う。間違っている。

パワハラした人を叩くってのは人間として当然の感情。それをアンチってしたら、嘘を嘘と見抜ける人間か、パワハラを許容する人しかファンになれない。

自分盲目的に信じる信者しかファンとして認定しないってただの宗教だし、そういう上に立つ人は自己批判できない矮小人間だ。

でも叩かれてるのは、パワハラネタしたこと。「パワハラネタにしたら、その後の告発ネタだと思われて信用されなくなる」って論理

おかしくないか。つまりパワハラがあったら完全にそれを信用して、真実はどうかは別に考えず、兎に角パワハラした人を叩こうって事だろ。

フェイクのテーマであろう「見たものをそのまま信じる大衆への批判」っていうものに対しての反論になってないと思うんだよな。というより、そもそも「目の前の事実を疑えよ」って事だから

DJ社長の周辺が即平謝りするのは凄くダサいというか、こいつら自分発言表現に対する理解責任も無いんだなって思う。

裁判は公平公正な判断を下す事を目標としている。たとえ自白があっても、周囲の状況や聞き取り、今まで積み重なった事実、そういったものを勘案して、

より正しい判断を下せるように努力してる。そうしてまでやっても冤罪が出てしまう、難しいもの

今回の騒動見る限り、ジャスミン告発が出た時点で叩き、謝罪動画が出たら叩き、そもそも二人がどういう関係性か、どういう経歴があるのか調べようともしてなかった。

公平公正な判断からほど遠いジャッジを、大衆暴力勝手に下してたわけだろ。良くない。間違ってる。

かに権力者に対しては個人というのは無力だ。だからこそフェミみたいな、ちょっと偏った団体必要なんだろうけど、大衆が加担して袋叩きにする必要はない。

あくま客観的監視すればいいだけの事。

かにあの商材屋みたいな薄っぺらサクセスストーリー宣伝法と、薄ら寒くて浅い歌詞小学生鼻歌みたいなメロディーには辟易するが、だからと言って叩くのは良くない。

この社会雰囲気が続いていけば、あなたが将来身に覚えの無い冤罪を着せられても、誰も救ってくれる人が居なくなる……と思うよ。

2019-07-21

京アニ事件以降ツイッターが鬱陶しくて見てられんようになった

どいつもこいつもしたり顔で上から薄っぺらいご意見くれやがってうるっせーわ

それで何かを表現した気になって何かが満たされてるんだろうなと思うとゾッとする

自分もずっと同じことやってきたかと思うと恥ずかしい

2019-07-20

『天気の子』を批判している人たちへの反論(1)

ネタバレあるので、まだ観ていない人は右上の×を押してください。

そもそも新海誠薄っぺらいじゃないか

 新海誠監督の最新作『天気の子』を観てきました。「ヤフー映画」の感想とかを見ていると、新海監督が公開前に言ってたように「賛否両論」の様子。……しかし、否定的評価をしている人たちの感想を見てみると、「賛否両論以前の問題」で、人物描写薄っぺらさを指摘している意見の多いのが印象的だった。

 だが、待って欲しい。「人物造形が甘い」とか「人物描写薄っぺらい」という批判新海誠にするのはいかがなものか。そもそも、新海作品にこれまで重厚人物描写などあっただろうか? 薄っぺらくない人物なんて一人としていただろうか?

 まず、大ヒット作『君の名は。』で考えてみよう。瀧君も三葉も奥寺先輩も、ラノベ並みの、いや、そういう言い方はラノベに失礼なくらい、ペラペラの薄さだったと思いますよ。三葉の悪口を言ってた同級生たちなんか、当社調べでは0.01mmの薄さで、わが日本が誇るコンドーム会社オカモトが対抗意識を覚えるくらいの薄さじゃないですか。

秒速5センチメートル』も同じ。主人公遠野君)は半年前に転校したメンヘラ気味の女の子に会うために、東京から栃木電車で向かう。しかし、大雪のために途中で電車は大幅に遅延する。その時の主人公遠野君)のモノローグを皆さん覚えていますか?

「たった一分がものすごく長く感じられ、時間ははっきりとした悪意を持って、僕の上をゆっくりと流れていった。」

 ごめん。最初『秒速5メンチメートル』を見た時、私はここで腹痛くなるほど笑い転げて、逆に何度もここを再生しましたよ。もうね、ほんとリアル中学二年生でもこんなポエムを呟かないですよ。時間は君に悪意を持つほど暇じゃないと思うんだよね。たんに大雪のために電車が遅延してるだけやん……

 未見の方いたら、すみません。この電車の遅延、単なる一つのエピソードじゃなくて、『秒速』のなかでは、物語の要となるようなエピソードなんです。

 意味不明自己満SF雲の向こう、約束の場所』、ジブリを真似た結果盛大にコケた『星を追うこども』。これらも、人物描写書道半紙なみの薄さです。

言の葉の庭』も、ストーリー人物描写の甘さについては微笑せずにはいられません。ユキノ先生いじめられてる理由とか、いじめてる生徒の描写とか、これ薄っぺらくないと思う人いるの……?

まあ、いるんだと思う。それはそれでいい。私が言いたかったのは、『天気の子』が「薄っぺらい」という理由批判されるのは不合理だということである。初めっから薄っぺらいし、中二病だし、セカイ系だし、自意識過剰のウィスパーヴォイスがうざいし。そんなこと、分かり切ったことじゃない。それを今更批判したってどうしようもなくない?

 というわけで、『天気の子』もただひたすらに薄っぺらいわけです。ストーリー人物描写説得力かには期待したらダメリアル中学生でも、もう少し人間に対する洞察力をもった人は五万といる。そのレベルです。主人公はどうやら「神津島から家出をして「東京」フェリーでくるわけですが、家出理由、とくになし。至って普通の家庭で、酷いイジメにあっていたとかでもない。なんとなく嫌だったから、くらいのノリ。いわゆる反抗期? なんとなく盗んだバイクで走りだしたい気分? サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』を持っていたけど、まさかサリンジャーに感化されて?(笑) いや、笑いごとじゃなくて、マジで新海はそのレベルでなんとなく家出をさせてOKだと思っている人なんですよ。

じゃあ、なんでそんな薄っぺら新海作品はこれまで評価されてきたのか? とくに『君の名は。』の歴史的ヒットはなんだったのか? 問題はそこにいたる。

美しい背景描写

 第一に挙げなくてはならないのは、美しい背景描写だろう。カメラレンズを強く意識して、超広角レンズや逆光、望遠などが多用される。しかし、実際のカメラではあんなに綺麗に映ることはない。細かいファンタジック「嘘」がそこかしこに散りばめられている。ありえそうだけどありえない風景。新海が描き続け、そして観客を魅了しているのは、そうした風景にあるんじゃないのか。もっとも、この美しい風景も、セカイ系の、センチメンタル自意識過剰の、中二病ポエムではないのか、と反問されるだろうが、それについて私は次のように答えるしかない。「いかにも、その通り」

 で、そこから新海誠童貞」のような公式がでてくるわけだ。「たぶん新海さんは楽しい恋愛高校時代したことがないんじゃないですか」(石田衣良)という言葉が出て来る所以であろうが、これについては一言。たしか新海誠自意識過剰中二病ポエマーであるかもしれないが、全ての童貞自意識過剰中二病ポエマーであるわけではないし、またその逆もしかである童貞に対して失礼である石田衣良には猛省を促したい。

君の名は。』のカタルシス

 さて、『君の名は。』ヒットの理由について語るのは当然のことながら難しい。だが、これを見た人の多くが「東日本大震災」を想起したこと無視できるものではないだろう。『君の名は。』は、良くも悪くも「震災芸術」であり、『君の名は。』の賛否両論根底にあるのも、「震災をなかったことにしてもいいのか」というこの作品についての疑問から生じているだろう。

 『君の名は。』には、カタルシス浄化作用)がある。瀧君と三葉の恋物語以上に、この映画で「主役」となっているのは「彗星」であり「隕石である。突拍子もないことのように思われるかもしれないが、これは演出上も疑いを得ないことである。このことについては伊藤弘了という人が「恋する彗星──映画君の名は。』を「線の主題」で読み解く」という卓抜な評論を書いているので一読を勧めたい(http://ecrito.fever.jp/20170123213636)。

 少しだけ説明する。「糸守湖」が出来たのは劇中でも語られるように、1200年前にここに隕石が墜落したことにするものだ。瀧君と三葉は三年の時間差を越えて出会いを果たすわけだが、その奥には1200年という長大時間を経て、同じ彗星が墜落するわけで、あの惨劇を生み出した隕石は、それ自体隕石恋物語でもあったというわけだ。瀧君と三葉の悲恋は、その運命を受けいれて、むしろその「運命のもの」に同化するような形で、自己を超越した恍惚体験へと昇華する。これが、『君の名は。』のインパクトである伊藤は言う。

観客は人智はるかに超えたティアマ彗星の壮大な恋物語のうちに自らの似姿を見出し、同時に自己自身を超越する感覚を疑似体験する。これが本作の記録的大ヒットを支えた一因である

この伊藤の読みは、それ自身、私も正しいと思う。ちょうど隕石地球を目がけて猛烈ないきおいで突進してくる際に流れるRADWIMPSの「スパークル」の歌詞をここで引用しておこう。

運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を

伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする

 いわゆる「サビ」の部分がはじめて出て来るのは、隕石墜落のシーンなのである彗星隕石と化して「いまだかつてないスピードで君のもとへダイブを」するわけである。観客はかくして、瀧君でも三葉でもなく「隕石」に感情移入をすることになる。それによって、運命を超越した運命とでもいうべきものに同一化し、「自己自身を超越した感覚を疑似感覚」させるのが『君の名は。である。ちなみに言っておくと、これは何も新しい話ではなく、ギリシア悲劇古典的パターンであり、「悲劇」の快楽のものである。この点についてはニーチェの『悲劇の誕生』を参照して欲しい。

悲劇忘却

 要点のみを記す。1200年前に糸守町に落ちた彗星は偶然の産物である。劇中で墜落する彗星の《片割れ》もまた偶然の産物である。その偶然をしかしながら運命的なものにするのが『君の名は。』のドラマである隕石は、人間視点からはどうしようもない《偶然的=運命的》なものであり、それが世界に災厄をもたらす。それは《悲劇であるニーチェが述べるように、悲劇とは一方では自身運命翻弄され自身の非力さを痛切に認識した上で、他方ではそうした小さな自己を超越し運命のものに一体化する感覚のあるところに《悲劇》の快楽があるのだとすれば、『君の名は。』における悲劇とは、次のようなものである。(A)それは自己意志の無力と運命の強調という形で行われるのではなく、(B)確かに一方では自己意志の無力さを痛感させられるが、星の動きはたんに災厄をもたらす運命だけではなく、同時に強烈な人間的な意志でもあるのであって、運命から逃れていく偶然の力として描かれるのである。ここにおいて、まことに《運命=偶然》という奇跡的な場所での物語が描かれるのであって、その強烈さに私たちは感動をするのである

 震災を《運命=偶然=意志=恋》と化すことにより、現実震災美的昇華してしまうのが『君の名は。である。『君の名は。』は過去タイムトラベルすることで「震災をなかったこと」にするだけではなく、上に書いたように、情動レベル震災というトラウマを「昇華」させて、フロイト流にいうならば「喪の作業」を遂行することを促進するのである。「昇華」とは、「忘却」の別名である

 こうしたところが、『君の名は。』の慧眼な人々に批判される所以であるだろう。

 だが、どうだろう。《忘れない》ことが一つの倫理であることは疑わないが、《忘れる》ことも一つの生き方として否定されるものではないのではないか。また、《忘れさせる》ことを描いたものが《覚えられる》ということ自体が、完全な忘却からは救うはずだと私は考えるが、いかがだろうか。

──ライトな語り口で始めたのに、全然そうではなくなった。そして、肝心の『天気の子』にまだまだ辿りつけていない。次回、『天気の子』の内容に踏み込んでいきます

はじめての「再びの選挙

初めて、「二回目の選挙」を迎えた。その選挙戦も終りを迎えつつある。日付が変わればもうこういう記事も書いてはいけないのだろう。

3年前、18歳の時、選挙権を得て初めて投票をしに行った。比例区山田太郎に票を投じ、これで初めて政治を動かせるのかと思いきや、落選してしまった。

しかし、その票は無駄にはならず、これまでのロビイング活動に「活用」されていった。


薄っぺらいお説教のような投票に行けという言葉よりも、自分にとってはこの3年間の「30万近い得票の影響」こそが選挙に行こうと思える理由であった。

18歳のあの時から3年たち、衆議院議員やら、地元市議会議員選挙やら、様々なもの投票した。そして、今回の参議院選挙は、初めて「再びの選挙」なのである

ネットで見られる若者向けの政治家のアピールは、今まで投票をしてこなかった者相手が中心で、逆に言えば自分のような層の投票はのぞまれていないような気がする。

しかし、この初めて「再び」の選挙で、初めて「再び」同一人物投票して、この声を国政に向けてやろうとの気持ちはむしろ高まる

21歳になって、再び2枚目の投票用紙に山田太郎と書き、期日前投票を行った。再びこの票が、なんらかの力となることを願いながら。

どのような結果になるかはわからないが、また同じような気持ちで、希望を持って投票ができれば幸いである。

2019-07-18

anond:20190718212505

目立つ人が目立つ死に方しただけで感謝する薄っぺらさったらない。

2019-07-16

宣伝のために芸能人声優で使う←分かる

声優の媚びた声が嫌い←分かる

自然な声が欲しい←分かる

4歳男児キャラに18歳女優を使う、18歳少女に63歳の女優を使う←?why?????

自然な声を求めた結果不自然な配役にして「声が合ってない、棒読み」と自ら叩かれに行くとかおかしくね?本質的な部分以外の所で作品の質を落としてどうすんのよ。

そもそも本職の人間ですらきつく感じる事もある性別・年齢がかけ離れたキャラの声を素人やらせることが酷では?子供自然な声が欲しいなら子役を使えばいいじゃん。

あと色々理由をつけて俳優アイドル芸人歌手声優に使ってるけど、根底にあるのは実写映画ジブリに比べて劣っているというコンプレックスから来る俳優信仰声優嫌いなんじゃねーの?せめて声だけは変えてしょうもない深夜アニメとは違うぞアピールしたいように勘ぐっちゃうんだよなぁ

最後にだから言うけど、ストーリー薄っぺらさや疑問点の多さ、それら批判を跳ね除けて面白いと言わせるほどのパワーも無いどころか後味が悪くエンタメ作品としても評価できない。さらに声まで駄目な未来のミライって本当クソ映画だったって言いたいだけだぞ

2019-07-15

anond:20190715161029

そんな薄っぺら愛国心煽りに乗ってしまうくらい国民がアホだから政治家もそう言うんだよね

水掛け論ではあるけど

2019-07-14

anond:20190714124407

作られた自然好きな人には、それでいいんだろうけど・・・、作られた自然って薄っぺらいんだよなあ。

増田の文も薄っぺらい。 薄っぺらい人には薄っぺら都内公園が似合うのかもね。

2019-07-12

俺も婚活10年したけどさ

俺も婚活10年したけどさ、いやぁ、現金な女ばかりで辟易したよ、、

ニコニコしてたのに俺が実家住みと知った途端音沙汰なしになったり

女で一つで育ててくれた優しい母親ババアと吐き捨てたり

持ってる資格や勤続年数をあからさまに聞いてきたり

俺が着てる服を見てけなしてきたり

時間延々と愚痴をこぼしたり

人を物としか考えてないアホばかりで苦労したし傷ついたね

所詮女なんてただ条件しか見てなくて男の中身なんて二の次なんだよね

そんな薄っぺらい女ばかりでね、心も荒むわwww

金は大事かもしれないけど、喧嘩し合ってたらすぐ離婚じゃん?

協調性や優しさも見たほうがいいよ。

まーそんなこんなで婚期を逃し独りで死ぬんだろうなどうせあいつらwww

2019-07-10

anond:20190710133306

薄っぺらいのはお前。

から恩も知らない餓鬼に対して、一見綺麗な乞食理論を焚きつけていい気になってる。

お前みたいな忘恩の輩こそ、今回の件では黙ってるべき。

クズを増やすな。

anond:20190710131825

そんな薄っぺら思考他人攻撃してたんだ。

ごめんね、そりゃわたしが話してることわかんないよね…。

そして、なおさら、本件はあなたが首突っ込む話じゃないね

きっといつかいろんなことがあなたにもわかる日が来る。

いまは暗闇の中で辛い思いをしてばかりかもしれないけど、腐らず頑張るんだよ。

でも、他人を傷つけたり無闇矢鱈と攻撃的な物言いをしていてはダメだよ。自分にとって損になるし、傷つけられた人にとってもいい結果にはならないから。考えが及ばないとき謙虚になることが大切だよ。素直に愚直に生きていればいつか誰かが気づいてくれるから

2019-07-07

KKO差別なんてない

キモい奴への差別

金のない奴への差別

若くない奴へ差別

が重なっているだけだ。どれか一つでも秀でている場合差別されないこともある。金持ちおっさんブサイク権力者貧乏劇団員イケメン。だが、基本的に彼らも差別される属性を持っているわけだ。おじさんだけどお金はある、貧乏だけどカッコいい、という風に言われるように、KもKもOも「〜だけど」の対象なんだよ。

Kその1

キモい奴へ差別根深い。現実でもテレビの中でもブサイク・ブスは笑い者だ。俳優女優に言えば炎上必至のいじりを受ける。

ブスブサイクというだけで価値がないのだ。源氏物語きってのブサイクヒロイン末摘花は、あからさまに「ハズレ」として描写されている。逆に、美人はそれだけで高評価を受ける。白雪姫プラス評価殆どが生まれつきの容姿によるもので、彼女は働き者だったか幸せになれたのではなく、寝顔が可愛かったか幸せになれたのだ。この容姿依存した評価基準を、フェミルッキズムと呼び強く批判する。KKO差別反対増田はこの点においてだけはフェミ共闘できると思うのだが、そのルッキズムとやらはあまりに深く我々に根付いているので、これに抗うのはフェミだろうが弱者男性だろうが難しいだろう。

Kその2

金のない奴への差別…というよりは社会的地位のないものへの差別といった方が正しいだろう。猿山序列があるように、人間社会にも序列がある。男は特に社会的地位を求め、求めれる傾向があるので、地位が低いことは女性よりも男性の方が評価に響きやすい。結婚においても、共働きが増えたと言っても、同条件の年収300万と600万の男がいれば後者が選ばれる。そして、600万と比べて300万と比べて「はずれ」扱いされる。貧乏なこと自体が辛いのに、その上蔑まれるのである。二重苦である

O

若さは強さだ。若者は威張れる。おじさん・おばさんは威張れない。本質としておじさん差別もおばさん差別特に違いはないと俺は思う。ただおばさんの方が群れを作る能力に長けているので、被差別者側に回りにくいだけだろう。気の弱そうなおじさんおばさんが、不良に「とろいジジイ」「クソババア」呼ばわりされているのを見たことがあるだろう。

結論

若さ容姿権力も力である。力のないものは虐げて良いというのが現代社会差別のやり方だ。KKO差別という言葉はむしろ問題薄っぺらにしているのではなかろうか。途中で力尽きたが大体俺の主張は以上だ。

アラサー女に初めての彼氏ができた

まれてこの方彼氏ができたことがなかった私が30歳を目前にして婚活を始めたのが2019年1月

これから時代が変わるんだというワクワク感を含んだ風を肌で感じることが多くなってきて、平成の苦い思い出をすべて置き去りにして新しい時代を迎えたいと考えていた。

結果、平成のうちに成果をあげることはできなかったが令和最初食事に行くことになった男性とお付き合いをすることになった。

相手は2つ年上の大手企業会社員で、いわゆる良い大学卒業していた。

かたや私は高卒薄給家事特別できるわけでもないしもちろん美人ではない。実家は安アパート、年老い母親パート生計をたてているし父親はどこで何をしているのかも分からない。今まで恋愛ができなかった経験からこじれにこじらせている。

今の私の苦しみは彼氏さえ出来れば解決すると信じていたが、私の思い込みだったようだ。

デートを重ねる度に彼が漏らす暮らしぶり、生い立ち、人生経験が私のコンプレックスをチクチクと刺してくる。私は何も持たざる人間なんだと自覚させられる。

この胸の痛みは恋の痛みではないのだろう。

結局私はどういう状況にあっても私のままなのだ

卑屈で、気弱で、向上心のないアラサー女だ。

きっと彼は私の心の内を知ったら離れていくだろうし、そうならなくても近い将来薄っぺらい私に嫌気が差すかもしれない。

その前に私が限界を迎えるかもしれない。

せっかく掴んだこの縁を自分から切る勇気もなく、彼と逢瀬を重ねるのはただの自傷行為なのではないか

映画版『Diner』を過激派原作厨が見てみたよ

私は平山夢明さんのファンです。

15年くらいファンをやっています

今作のDiner、見てきました。

いわば『原作厨』の視点でお送りする感想であり、ハッキリと申し上げますがここから下は酷評しかありません。死ぬほど長いので暇な人しか読んではいけない。ネタバレもかなりあります












私がボンベロだったらこんなオオバカナコは3秒で殺しています

なんだこの役立たずっぷりは。お人形さんの方がまだ仕事をしてくれる気がしますね。玉城ティナ個人的に好きでも嫌いでもありませんが今作においては蜷川実花の私情1000%のキャストしかありません。心中なら2人だけでしてくださいよ、原作も他の俳優も巻き込むな。演技も下手くそ表情のパターンも少ない声の出し方もひ弱という女優自体資質もさることながら、こんなにも格を落とされた主人公は初めてです。

原作重要視されているオオバカナコの、極限状況下で研ぎ澄まされていくタフさや狡猾さが映画版からはまったく感じ取れません。最初から最後まで彼女はただの役立たずのバカしかなく、そんな彼女をダラダラと生かしておくボンベロもその程度の人でしかない、まったく凄みのない人物になってしまます

役立たずなうえ数々の失態を犯し人の命まで犠牲にしておきながら、偉そうに「最後まで面倒みろ、バカァ〜!」って、意味がわかりません。は?って感じです。ボンベロ早くそいつを殺せとばかり考えてました。

そもそも逃げ道と死を用意するあのくだりは「死」=スキンを殺したことへの償い、「逃げ道」=菊千代を救ったことへの恩、という相反する条件の中で生まれものだったはずが、菊千代を救っていないので(なぜならウォッカの隠し場所という前提条件が崩れているからです)、いやなんで裏の社会を知った女に簡単に出て行けとか言うの?目障りだ!なら殺せばいいのでは?と疑問しか湧きません。

原作での菊千代を救う、機転を効かせて危機回避するなどファインプレーの一切がカットされているため彼女への視聴者から好感度も上がりませんし成長も感じず、ボンベロがなぜ彼女を認めるのかもわかりません。全体的に動機付けが不十分で薄っぺらいです。

そもそも彼女命綱となるディーヴァウォッカは「化粧水ほどの小さなボトルであるからこそ「見つからないように隠す」ことができるのであって、映画版ちょっとした彫像くらいある代物を隠そう!と思いつくことがいささか理解不能でありますし、何よりあんな隠し方がまかり通るなら「灯台下暗し☆」なんかではなく「ボンベロがただのクソ間抜け」ということになります。「彫像じみたボトル」をただ使いたいがために登場人物知能指数を全体的に下げており、この時点で監督の「映像映え>ストーリー性」であることが見えてしまますリスペクトが何もありません。だいたい、どーんと彫像みたいなボトルを使って、すごいやつですよ!っていうのがもう。そういうのは少年ジャンプ武器とかでやってください。巨大な生クリームしか見えないし。

キャラクターなどの点でダメなのは、よくある「映画オリジナルキャラが良くない」ということなのですが、この「良くなさ」というのは「いてもいなくてもいいのにわざわざ出して、何をしたかったのか?」というところです。

具体的に言うと土屋アンナさん演じるマリアです。原作にはよく似たセクシーキャラの「炎眉」という殺し屋がいて、ちょっとアレンジ加えた感じなのかな?と思いましたがまったくの別物。ただのヒャッハーイカレ女で北斗の拳の下っ端でもここまであからさまじゃないだろうという感じです。しかもこいつがマフィアボス……???そんな器は微塵も感じません。バーサーカーじみた言動しかしないくせにすぐ後ろ取られて死ぬし。マジでなんのために出したの?東西南北の数合わせかな?本当に土屋アンナさんに謝れよと製作陣に言いたくなります。つかなんで炎眉出さないの?

小栗旬さんも斎藤工さんも無駄遣いに次ぐ無駄遣いで最悪でした。代わりに九十九九やボイルなど原作内の他の重要ポストを与えればよかったのになぜそれをしなかったのか。監督の力量が伴わなかったんでしょうね。残念です。

写真人物が動くのはハリーポッターすぎます。他の演出無かったんですか?歴代ウエイトレスのみなさん、ずいぶん小綺麗ですね。泥と糞の見分けもつかないようなジャンキーかいなさそう。なんのためにクスリはやってないな?って確認させたんだか(それだって「腕見せろ」だけでよかったよね。一から十まで説明してくれてとーっても親切ですこと)。いらない演出でしたね。

窪田正孝さんは額に入れたママ写真を持ち歩いてること以外はおおむねよかったです。それ、持ち歩きづらくない?ペンダントとかじゃダメ殺し屋だし荷物増やしたくなくない?ママ自体に関しては漫画版よりこっちの方が合ってる気がしました。木村佳乃マジで抑圧型の母親が似合いすぎるな……。窪田さんの豹変ぶりとかも鳥肌ものでしたし、彼に関しては文句ないです。

本郷奏多さん、衣装が似合っておらず多少違和感はあったものの演技は怖くてよかったです。本当に無理矢理子供になる全身整形が可能だとしたらああやって変なプロポーションになりそうですし上手い撮り方したなと思いました。口の中に爆弾をぶち込むシーンとかはかなりうまい。あれなら全年齢だけどグロ、という矛盾が解消されて良いですね。視聴者想像による補完が可能です。

原作キッドは「なぜこんな怪物が生まれたのか?」という背景ありきだったのですが、映画版最後までただのキ○ガイだったのでそこがやはり薄っぺらくて残念でした。なんのために頭食わせたんだよ……でも本郷さんの演技は良かったです。

アクションシーンもクソみたいな出来でしたね。「キッチン」という身近な凶器の宝庫という特性が生かしきれず普通に銃撃戦って……。空中では防御が難しいのでプロが2人もいてわざわざ横っ飛びなんてしねえだろって冷めてしまいました。

何重にもなった頑丈な扉で時間稼ぎして、やることがお料理教室って。今やるなよ。何やってんだよ。仕込みのシーンを通して徐々にやることが変わっていくとかそういうやり方、素人でも思いつくのになぜしないの?あの仕込みのシーンなんだったの?

酒で火炎瓶とかガス爆発は誰でも思いつくけどそれ以外の武器いっぱいあんじゃん!レンジライター爆発させるとかは真似されたら困るからしないのはいいけど、感電させたり潜り戸に包丁突き刺したりとかそういう殺戮ピタゴラスイッチ映像で見たかったんだよ!映像に起こす箇所が全体通して間違いすぎです!本当に原作読みましたか?あっ監督の力量が……(察し)

彫刻家雇ってる暇があったら物理学教授とか雇ってそういうトリッキーなシーンを充実させてほしかったです。てか菊千代殺すなよ!!!!!

キスシーンは最悪です。最悪としか言いようがありません。男女のバディもの(に近い)を安易恋愛展開にするのは本当に最悪オブ最悪。胸くそが悪すぎます陳腐まりない。恥を知れ。

しかも何よりダメなのはここまででボンベロとカナコの間に生まれる信頼や絆を示唆するシーンが全面カットされているので、余計に唐突な印象です。一瞬、あれかな?お別れの挨拶キスでする風習地域から来た人ですか?って思うレベル

原作の「楽しかったぜ!オオバカナコ」が台無しです。本当に踏み躙られた……

ここまでギリギリ耐え忍んできましたが完全に心を折られました。憎悪がすごい。

ラストもあーはいはいしか思えなかったです。色気出すんじゃねえよ。あと、カナコさん何も成長しないままお店開いてますよね。あんな壮絶な体験したとは思えないかわいらしいお店で何よりです。インスタ映え〜☆

あとこれみなさん突っ込みませんけど「いらっしゃいませダイナーへようこそ」って謎ですよね。原作では「キャンティーン」って店名があるんですけど、ダイナーそのままじゃ定食屋って意味なので、ファミレスに入って「ファミレスへようこそ」って言われるのと一緒ですよね。変なの。

映画を見ていないのにここまで憎悪の記録を読んでしまったみなさんは、是非最初映画を見て、そこから原作を読んでいただけるとイメージが壊れたり私のように余計な憎悪を抱かなくて済みます原作面白いですし、漫画オリジナル要素多めですが全体的な「解釈」としては映画より100億倍合っているので映画漫画小説の順で鑑賞するのがかなりオススメです。

吐き出してスッキリしました!蜷川実花さんは写真家だけやっていただいて、映画からはどうぞ足を洗ってくださいませ。

平山夢明という才能の盛大な宣伝に一役買っていただいたことのみ、感謝します。

2019-07-06

anond:20190706171756

夫婦別姓に賛成してるやつらは銀行免許の更新がメンドウっていう薄っぺら理由が大半だよ

2019-07-01

いい年してそんな薄っぺらいことしか言えないなんて、今までの人生何やってたんだよ

2019-06-24

anond:20190624222950

収拾なんてつかなくていいじゃん。閉じたコミュニティと違って、最後までいる必要がないし。拾える情報があればいい。

オープンコミュニティ場合はそれに興味がある人間が集まってくるから詳しい話にもなる場合があるけど、クローズドコミュニティは人の集団話題の方を合わせないといけないか薄っぺらい話にしかならない。

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