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2018-03-03

天涯孤独になった。

母ひとり子ひとりの家庭で育ち、先日母が亡くなったため天涯孤独になった。

母方の祖父母は既に鬼籍

父親は生死も知らない。親戚というのもおそらくどこかに存在しているのではないかと思う。その気になれば調べられるのは知ってるけどその気はない。

母子家庭になったのも親戚と縁を切ったのも、父親暴力が原因なので。

幼い頃からいずれこういう状況になることはわかっていたので覚悟はしていたつもりだったのだけど

いざひとりになると、心もとなさがすごくて驚いている。

悲しさとか寂しさは想定してたんだけどな。

背中を預けられるものがない。足元がふわふわしている。

まさに根無し草になった気分だ。

病気がちで最後は寝たきりの母だったけど、思っていた以上に頼っていたのだと知った。

葬儀の時、母の友人に

あなたはこれで自由の身だ」

と言われてハッとした。

今まで母の介護のために上京も就きたい職種我慢していたけど、もう何でも好きにやっていいんだ、と。

でも、今は会社が私にとって社会との唯一の接点のように感じられる。

年齢的にも微妙から、もし転職なりの行動を起こすなら今しかないんだけどな。


結婚して子供を産んで家族を作れたらいいんだろうけど

これまでは要介護者付きの母子家庭の女なんて…と、そして今は身寄りのない女なんて…と尻込みしてしまう。

しかも進学費用や介護費用借金も残っている。ネットで言うところの地雷物件だよ。

ひとりになったら自由に動けるかと思ったけど、案外ままならない。

でもこうしてつらつら書いてみて気付いた。理由は全て私の内面にあるんだよね。

幸か不幸か、迷惑をかける人はもう自分以外いないので、やりたいようにやってだめだったらそれまでの精神で生きてみようかな。

(もちろん借金ちゃんと返します。)

元々一人になる恐怖から逃れるために「母が亡くなったら自分も後を追えばいい」と思って生きてきたので、ちょっと寄り道するくらいの気持ちで。

吐き出しのつもりだったのに、書いているうちにすこし前向きになってきた。不思議だ。

2018-02-22

つい数日前、親族葬儀に参列した。

火葬場で別のブースから泣き叫ぶ声が上がっていた。

と思ったら、姻戚が突如泣き崩れ立ち上がれなくなりご焼香に車椅子が持ってこられた。

小さい子が、それまで少しぐずっていたのにその直後から冷静になっていた。

待つ間の精進落としでは何事も無かったかのように過ごしていた。

自分も近しい人が亡くなったらああやって泣き崩れはしなくとも、泣いたりするのだろうか。

割と近しい親族葬儀では、親族間で問題が起きたりしているので、亡くなったことへ弔いの気持ちはあるけれど、行事としては何なんだろうなと思ってしまう。

あと、内外の人柄のちがいについては、気配だけを垣間見るに過ぎないが色々あるんだなと感じた。


そして俳優の急な訃報

直接の知り合いではないにせよ、残念な気持ち

これが特別ファンだったり知り合いで華々しく活躍されていた方だとしたら、どうなってしまうんだろう。


などを思いながら自分は早めに死ぬ準備をしている。

2018-02-21

昔の香典帳を集める仕事をしている

香典帳というのは、お葬式の時の香典を誰から何円もらったかを一冊の帳面に記したものだ。

古くは近世のものもあるが、私の仕事場北海道なので、近代以降の香典帳を主に集めている。

集めているのは、正確に言うと香典帳だけではない。

香典の他に、葬式必要ものを一式記してその代金をまとめた買物帳や、お布施を払った際の布施帳なども付随することが多い。

これらが一緒になった形式帳面もある。

どうしてこういうものを集めるのかというと、物価がよく解るからだ。

人の死というのは今も昔も絶え間なく続く。

からそれに際しての香典や、調達物資は、物価の移り変わりの物差しとして極めて優秀なのだ

昔は、コメ物価指標になっていた。高度経済成長期以降、食料の多様化により、コメという物差しはぐにゃぐにゃとあやふやものになってしまった。

他の、価値があると考えられてきた指標すらそうだった。貨幣で買える貨幣も横行した。

だが、未だ死ぬことは、医学が発展したとは言え平等だ。共同体があれほど変質したとしても、寺なり神社なり教会なりで、古墳時代とさして変わらない営みが続いている。


今日は、古い家の仏壇に入っていた香典帳を見た。昔ながらの折り紙状の和紙帳面だ。9才で死んだ男の子のものがあった。尋常小学校同級生一同で香典が出されていた。

親族(子孫)からいただいた付随データ網膜上にダウンロードする。昭和11年腸チフスで死んだのだという。

昨日は、古いHDDに保存されたpdf香典帳を見た。元々はエクセルというデータ形式らしい。94才で死んだ女に、101才の姉が香典を出していた。

これも親族からの付随データが功を奏して判明したもの平成29年香典帳。死因は老衰小学校教諭を長く務めた勉強熱心な女で、この時代にしては香典が多い。

姉はそれから4年生きた。その香典帳は時のなかで失われた。

研究の成果を学会で発表した際に批判される点は以下の通りだ。

香典システムから物価や人的ネットワークを構築するのはよい手法だが、そもそも香典を出さな葬式家族葬や新しい宗教観に基づく葬式)の形態が増えたことによる影響はどう考えているのか?

葬式必要な物品を葬儀会社の一元化して調達する影響はどう考えているのか? いずれも、鋭くも有り些末な指摘とも言える。

もっと明るい題材で社会の移り変わりを切り出せればいいのだが。

2018-02-14

anond:20180213235016

赤の他人葬儀で泣く人、それも必ず泣く人なんてかなり珍しい

しろ人前で泣くもんじゃないと言われたものだけど

他人にも「泣かないのかよ」と思ってるなんて恐い

2018-02-13

最近葬式ゆとり化が酷い

 今日会社の同僚の親戚の葬儀に出席した。血縁関係交流もまったくない赤の他人葬儀であったがやはり人の死というのは悲しい、喪主の別れの言葉に思わず大粒の涙を流してしまった。

私は赤の他人であろうが葬儀ときは毎回必ず泣く…。

しかし周りを見ると若い連中は涙を流さず早く葬儀終わってくんねーかなぁという表情。これがゆとりかと感じた。

 人を殺すゲームアニメ漫画が溢れ人の死というものに抵抗を感じなくなってるのか?それでも人の死に涙を流さな若者に異常を感じた。

 この葬儀神式で行われたが二礼二拍手一礼をしなさいという立て札が堂々とあった。

ご丁寧に玉串奉奠のやり方まで司会がアナウンスする始末。これもゆとりか…。

 普通物心がついたこからそういう冠婚葬祭礼儀作法は親から習うもの、立て札などいらぬ。

礼儀作法を間違えたら後で家でこっぴどく叱られたものだ。

中学生までに最低仏式神式キリスト形式は覚えるもの

 だが今のゆとり若者にはそれがない。立て札やアナウンスがなければ何もできないお猿さん。

anond:20180213203832

そういう忙しさの高揚感を殊更に生み出すことによって、喪失の痛みを和らげる作用が、葬儀にはあるのだと思う

よって増田おかしくないと思うし、葬儀はちゃんとその役割を果たしたということだ

「親しい人を亡くした絶望」が好きなのかもしれない

https://anond.hatelabo.jp/20180212233657

絶対人には言えない不謹慎性癖で思い出してしまった。


数年前、大学時代同じ部活だった友人が20代若さ事故で亡くなった。

ちょうど仲間内の1人と交際しており、婚約直後だったと聞いていた。

その婚約者の友人から知らせを受けた直後は、気が動転して意味のないことを口走りながら、友人として諸々の手続きを引き受けることにした。

母親にどうすればいいか聞いて葬儀社に電話をして、言われるがままに一番大きな供花を注文した。

葬式には大勢部活仲間と参列した。亡くなった友人は事故に遭ったのが嘘のような、まるで眠っているかのような顔で棺に収まっていたので、どうしようもないとは思いつつ「今までありがとう」と声をかけてみた。

親御さんからのお願いを受けて、みんなで棺に花と思い出の品を入れて、最後霊柩車が式場を出て行くのを見送った。

今でもこうしたひとつひとつ出来事を鮮明に思い出せるし、「悲しい」以前に「受け入れがたい」という気持ちが消えない。


ただ、その時自分が持っていた感情理解できない。その時の自分は、行き場のない悲しみ以外に一種ドラマ感を味わっていた。

葬儀の前日、悲しみを通り越して感情が表せなくなった婚約者の友人の顔を見ながら、亡くなった彼との思い出話を聞いていた時。

婚約者の友人の代わりに花を手配し、初めて会った故人の親御さんからありがとうございます」と言われた時。

故人と親友だった友人が棺の前で泣き崩れ、背中をさするために座り込んだ時。

私は心のどこかで「非日常のわくわく」や「非日常ちょっと活躍できる自分」に興奮していた。


しかしたら、単に緊急事態アドレナリンが分泌されて、混乱した心が「高揚している」と勘違いしただけかもしれない。

でも、あの時の自分がもし親しい人との死別という悲劇エンタメとして消費していたなら、八つ裂きにされてもおかしくない程の残酷性癖に当たるだろう。

誰にも言えずにしまっていたけど、この機にそっと投げておく。この気持ち合理的説明できるならありがたいし、同志がもしいるならそれもありがたい。罵倒されたとしても、ようやく自分の罪を断罪してもらえるならそれでもいい。

ただ、仮にこれが何かの性癖だとしても、現実ではもう二度と起こって欲しくない。とは、今の所思っている。

2018-02-11

うちの中学校、芋い制服のくせにアルマーニより高くね?とニュース意図とは異なる飛び火をしてて、こうやって値段が周知されることには意味があるんだなと思った。今までタブーではないけど共有されなかった話題としては葬儀代と似た構図なのかな。

2018-02-10

カルトと呼ばれる宗教三世が考えること。

父はカルトと呼ばれる宗教の熱心な二世だ。つまり私は三世

お参りに行くたびに何万ものお金封筒に入れてお寺に持って行くことは当たり前で(お金を支払う額によって寺の中でのランクが変化するらしい)、

メリークリスマスも言えないし、神社で参拝することも、御守りを持つことも許されない。

でもそれが日常から、朝夕と仏壇の前に1時間座って暗記したお経を唱え続ける父の姿を見て、うちはちょっと厳しい仏教徒なんだなとずっと思っていた。

だがその認識が揺らいだのは母方の祖父葬式だった。母方は父が勧めてもその宗教信仰しなかった。父は葬儀の後父親を失い、疲れ果てた母に祖父はその宗教信仰していなかったか地獄に堕ちると言った。

いつも優しくて人から尊敬されている大好きな父が、その瞬間異常なんだと気付いた。

それから私はお経を唱えるのを辞めた。

父は何かあるとすぐお寺に行く。

今日も行ってきた。

私と同い年の熱心な信者女の子は今度アメリカ留学するらしい。

私が熱心にお経を唱えないか英語が苦手だし、これから人生どんどん差がついて行くと今日も言われた。

普段は優しくて尊敬している父とこのことに関しては絶対に分かり合えることはなくて、宗教に関する時だけ他所の知らない頭のおかしい人になるように私には見える。

でもそれ以外のことに関しては愛情一杯で育ててくれた父のことは大好きだから、父と絶対に分かり合えないことがあるということが悲しい。

拝金主義で信じない者は全て地獄に堕ちるという排他的な考えを持つその宗教が憎いし、それを信じることに決めた私の生まれる前に亡くなった父方の祖母のことを許せない。

父が亡くなったら私は付き合いで何かあった時に寺に行くのも辞めるし、脱会届を出す。

世の中にはびこる変な宗教とかアムウェイってなくならないかなー

それを信じる人たちだけの国を作ってどっか行ってくれないかなー

2018-02-09

さよならけが人生なのか

30代中盤に差し掛かり、運動不足な肉体は1020代貯金を使い果たし

普通食事をしていても代謝より摂取カロリーが上回り始めるようになる。

酒が強い自負があったけれど、20代と同量の酒を飲むと翌日きつくなった。

年始に今年の計画や見通しを立てたりしても「やりたいこと」より「やめといた方が人生にとって有益なこと」が先に出てくるようになってきた。

20代の頃より、はるかエコな考え方ができるようになったものだと驚く。

金も時間も全部周りの人や今後のことに全額ベットしてきた人間としては、急に守りに回った保守的な考えになったのかなと気づく。

その頃は立場経済力がついても、ずっと全額ベットして行くものだと思っていた。

1020代はいろんなことがあって、必死こいて頑張ってきた自負はあるし、

その積み重ねで今の地位や結果が出ているのだろうと思うのだけれど、

いろんな事を諦められなかったし、もがいてばかりいて無駄が多かったことも事実だと思う。

徹夜してと仕事を頑張ったり、いろんなストレスをいたずらに酒で埋め合わせたり

今考えればそんなコストかけなくてもできたんだろうなと思う。

それでも、その頃に得たもの尊いし、大切な宝物だと思いたいのは過去の美化になってしまうのだろうか。

孔子曰く不惑になるのは40だというが、不惑になるというのは実はロスを削って行った結果、

やれることが限られて行くから惑わなくなるのかなとも思ってしまう。

変化し、改善し続けることを是とし、ひたむきにやってきた1020代

その頃見えていた、大人たちに対して「変化しないのはおかしい」くらいのことを思って

ひたすらにハングリーにやってた。その人たちの年齢に近づきつつある今、見え方が変わってきた。

残りの時間カウントしてみても、20代の頃ほど体力も時間もない。

体力の維持への工夫のために、いたずらに筋肥大させるために、ジムで体作るというより、

軽負荷で毎日続けられるようなジョギング散歩を選ぶようになった。

ゆったり寝るために瞑想することも増えた。

無駄のない大切なこと時間を振り分けたくなった。


情熱ややる気の定義自体も変化してきたっていう事なんだろうか。

なんとなくモヤモヤする日々の原因はこの辺の1020代の頃の不器用感覚のままの自分と、

経験を積んだ自分とのズレからくるのだろうか。

売り上げを追求するより、販管費をさげて、利益率をあげるような考え方自体間違いじゃないと思うし、

合理的だとは思うけれど、いろんなものの先が見えてしまった事にどこか寂しく諦めににた感情が込み上げてくる。

それとも、こう考える原因は、今まで10年以上息をつく間も無く必死に頑張ってきて

ふと息切れして止まってるような状況だから仕方がないのだろうか。

懇意にした方々の葬儀に参加する機会も次第に増え始め、

自分が遮二無二頑張ってたことも効率化という名目で、一つずつ諦める決断をして行く。

自分の中でさよならが増えて行く。

今の状況がつまらないわけじゃない。

自分の中での価値観の変化が起きていることがなにかモヤモヤしてしまう。

2018-02-08

ご受戒も戒名も要らん

私本人は、特定信仰を持たない。寧ろ持ちたくないし、嫌い。

夫は日蓮正宗信徒

再婚同士。

先月、姑の一周忌だった。法要正宗のお寺で行った。

私的には、夫の信仰尊重するけど、和して同ぜず。そんな感じ。夫もそれで良いと云っていた。……直前まで。

話は遡るけれど、義母の本葬のとき夫の息子(成人済み。私とは血縁も縁組もない)に、「正宗ですか?」って聞かれた。

普通、成人済みで家も出て行った息子が、父親再婚相手(の実家)の宗教なんか、いちいち確認しないと思う……。正直ドン引きだったけど、葬儀の忙しさで正直すぐにそんなことはすっかり忘れてた。

それを思い出したのが、姑一周忌の直前。数十分前。

なので、

「お義母さんの形見分けとか、お義姉さん(夫の姉。僧侶の妻)からいろいろお手紙が来てたみたいだけど、私は信徒ではないから、お数珠とかは宗教的ものは受け取れないし、生前の縁も薄かったから、何もいただく気はないよ」

って話した。ついでに、

「私は信徒じゃないし、入信する気もない。お弔いだから参列するし、お経も一緒にあげるけど、信徒さんかって誰かに聞かれたら否定するよ。それは解ってね」

とも話した。

そうしたら夫が、

「ご受戒だけ受けて、戒名は貰ってないって今回は誤魔化す。戒名ないとうちのお墓に入れないから」

とか云う。

ねえ、それおかしくない?

何で宗教とかで、嘘つかなきゃいけないのよ?

私、散骨希望って云ったよね? 戒名も年忌も要らないって。

別に妻が信徒じゃなくったっていいから、入籍したんじゃないの?

嘘ついて誤魔化さなきゃならない存在なの?

入籍して5年。ずっとそう思われてきたってことか?

なんかもうとにかく許せない。

もし今土下座で許しを請われても。頭蓋骨粉砕して【いとしきみこと】するまで、踵落としするレベル

姉が僧侶の妻だからって、自分再婚相手宗教まで日蓮正宗にしなきゃなんねーのかよ。冗談じゃねーよ。

結婚前にお互い尊重するって約束したのは嘘かこの野郎。騙してやがったのか糞野郎

だいたい、嘘で受戒だの戒名だのって、本当の信仰心を持って日蓮正宗信徒やってる方に対し、すっごく失礼だろ。

何の落ち度もない真面目な信徒さん(夫にしてみりゃお仲間さんだ)に対して、私が無礼な振る舞いをすることになると、何故気づかないんだよ!

一人の信徒が(しか僧侶の身内とか、信心の持ちようがかなりディープ人間)、非信徒に対しそれをやるってことは、日蓮正宗全体として、嘘OKってことと受け取るぞこのド腐れ野郎。例え方便ってやつでもな!

離婚を考える程ではないんだけど、信頼感がマイナスになってしまった。

この1か月、言葉にも態度にも出さないようにしてるけど、本当に辛い。

仏壇ブチ壊したくなる。

2018-02-06

anond:20180205141126

忌引きにならない、葬儀に参列しない、誰かと悼みを分かち合うこともできない。辛いなあ。苦しいし、寂しいし、やるせない。

増田の周囲、社会的には存在すらしていないことかもしれないが、ここに書くことで、スマホとバソコンの向こう側にその事実を知って、増田の想いを受け取ってる人間がいるぞ。親友にご冥福を。

2018-01-29

最後のお泊まり

今日祖母の家に、ほぼ10年ぶりに

そして最後のお泊まりに来ています

小学生から高校生あいだ、夏休み冬休み春休み祖母の家によく泊まりに行っていました。

社会人になる直前、高校卒業する頃にも祖母の家に泊まり

祖母祖母と仲良しのおじさんと3人でご飯を食べに行ったのを覚えています

社会人になってから仕事が忙しく泊まりに行けず

祖母と仲良しのおじさんも連絡が取れなくなり

数年後、そのおじさんの故郷のかたから連絡があって

おじさんが亡くなってしまたことを知らされました。

それから祖母は少しずつ認知症が進んでいきました。。。

6年前からデイサービスを週に数日間利用することになり落ち着いてきたと思っていましたが

ある日、少し離れたコンビニの方から連絡があり

夜遅くに一人で歩いていたので保護してくれたとのことでした。

いわゆる徘徊と呼ばれることだと思います

事態を重く見て、老人ホーム的なところで住み込みで面倒を見てもらうことになりました。

それが、3年近く前のお話です。

月に1~2回ほど顔を出して、少し会話をしたり

施設のなかの催し物に一緒に参加させてもらったりしました。

施設には他の入居者のかたもいて、仲良く話す祖母の姿を見て安心していました。

一昨年の夏のことです。

祖母体調不良を訴えて、入院することになったと連絡がありました。

検査の結果、ガンを患っていることがわかりました。

体調不良の原因はガンが悪さをして、ある器官の動きを妨げているというものです。

また、高齢であることもあり、ガンの治療はかなり難しいと先生から言われました。

そのためガンの治療ではなく、問題のある部分に対して暫定的処置をするという形をとりました。

それから現在まで何度も入退院を繰り返していました。

ガンの転移もあり、たくさん苦しい思いをしていたんだと思います

それでも祖母は見舞いに行けば必ず笑顔で接してくれて

私や家族名前を忘れてしまっても、自分の子供や孫が来たことを認識して、喜んでくれて

いつも窓から見える景色のことを嬉しそうに話してくれました。

また、昨年末退院して施設にいたのですが

施設で行われていたクリスマスパーティーにも参加して

皆と一緒に歌を歌ったり、ケーキを少し食べたり

信じられないくら回復していて

本当に嬉しかったです。

退院まえには先生から『ハッキリとは言えないが、年明けくらいまでの命となるかもしれません』と言われていましたが

そんなことを感じさせないくらい、祖母は元気でした。

病院としては、ガン治療はしない以上

それ以外で問題のある症状が落ち着いたら、施設に戻す流れをとっていました

やがて年が明けて、誕生日も迎えて…。

施設に行ったら、祖母は部屋でひとり、布団をかぶっていました。

あの日は寒かったので、布団を被っていたのかな?と思って聞いてみたら

『そんなことはないわよ~』と答えて

母が、じゃあ顔を見てもいい?と聞いたら

『どうぞ~』と言っていて

顔を見たらいつも通り元気そうでしたが、少し熱っぽかったのを覚えています

その翌週、施設から電話がありました。

祖母が体調を崩し、入院をしたとのことです。

症状としては前回と同じだけれど、もう体力がかなり衰退してしまっているとのこと。

お見舞いに何度か行ったけれど

いつも眠っているか、起きれても会話が交わせない状態でした。

ある日、お見舞いに来た直後に

一般の病室からICUに移動する旨を看護師さんから告げられて

その時点で私は涙が止まりませんでした。

その後、母や兄と交代して家に戻って、父の身の回りのことをしたり…。

夕方ごろ、病院にいる母から連絡があり、そろそろ危ないかもと 言われて父をつれて病院に行き…。

午前中は少し苦しそうだった祖母でしたが、夕方には眠っているかのごとく少しずつ呼吸をしていました。

そして、夜も遅くなり、皆で病院に泊まるわけにもいか

母のみ残り、家に戻って少ししてから祖母他界した旨の連絡をもらいました。

今思えば、最後に交わした会話がお布団にくるまってるときの会話なのですが

とても穏やかな語り口だったのが忘れられません。

祖母は、病院から祖母の家に戻りました。

ほぼ3年ぶりの帰宅です。

葬儀のために斎場に行ってしまうまでのあいだ、日替わりで家族が来て、お線香を絶やさないようにして過ごしています

今日は、私の番です。

祖母ゆっくり過ごせる最後時間です。

葬儀が終わったら、部屋の整理をして退去の手続きをしなければいせません。

そういう意味でも、祖母の家での最後のお泊まりです。

祖母の家のお手洗いにカレンダーがありましたが

施設に入ることになった3年前のままでした。

そして、家のいたるところに私やほかの人が贈った、旅行等々のお土産を大切に飾ってくれていることを知りました。

20年前、一緒に熱海に行った時におそろいで買った人形があったり。

また、私が祖母に送った手紙(運動会に来てね!というお知らせと、ポケモンたまごっちイラスト)も残っていました。

私も送っていたことをすっかり忘れてしまっていましたが

取っておいてくれた祖母の優しさが心にしみます

祖母からは、小さい頃からたくさん愛情を注いでもらいました。

私は何も恩返しできなくて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

祖母の棺のある部屋の隣の部屋で寝てもいいよーと言われましたが

同じ部屋で、隣で眠っていたいので、隣に布団を敷きました。

前に泊まったときだって祖母の隣に布団をしいて眠っていましたから。

この半年くらいは

ほぼ毎週祖母に会いに行ったり、郵便物代理で受取りに行ったりしていましたが

葬儀が終わったら、もうぱったり、そういうことも出来なくなる(する必要がなくなる)んだと考えると

虚無感というか、喪失感というか…。

とにかく寂しいです。

とは言え、祖母は今までたくさん苦しい思いをしながらも

精一杯頑張って毎日を過ごしていて

その苦しみから解放されたという解釈もできます

不慮の事故災害などによる突然のお別れではなかったことも

ある意味幸せひとつなのかもしれません。

天寿を全うできたのだと思います

これから祖母は、目の前には現れてくれませんが

天国からいつまでも見守ってくれて、心のなかで会話が出来るのだと考えることにします。

寂しい気持ちは、時間をかけて癒していきます

おばあちゃん、今まで本当にありがとう

今日は久しぶりに泊まりにきたから、二人でゆっくり過ごそうね。

おやすみなさい。

2018-01-25

女性しかいない街 女性市」

ちょっと書きなぐりですまないけどアウトプットしておく。当方男性。発端の案件揉め事には興味無し。妄想したいだけ。

望む事は、自分以外の人も勝手気ままに自由妄想ネットにアップすればいいのにと思うので、トラバに俺ならこうするみたいなの書いてくれたらウレションすると思う

●前提条件

プリキュアで言うならキュアロゼッタみたいな漫画金持ちが「女性だけの街を作って観察するのも楽しそうですわ」って新しいアントリウムでも買う感覚で人の少なくなった土地を購入。

女性のいない街というよりも、0から作る街や少数の意思決定者により方向性コントロールされた街作り社会作りのテスト案件としての側面を持ちつつ進行する事となる。(なんじゃそりゃとか言うな)

●準備

女性特区を作る事の承認を国、県が認める。認めたんだってば。内閣総理大臣親友キュアハートなんだよ。適当でいいんだよ。

工事開始。土地をならしてインフラの整備を行う。ここまでは男性もいる。

・街を維持する為に必要職業専門家等がどれぐらい要るか試算して、街の運営開始までの講師の育成を開始する。講師は街の運営を行う企業社員となる。

・1つの企業音頭を取ってデザインした、人口2万5千人ほどが暮らせる街のオープンまで計画開始から10年経過した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E9%A0%86%E4%BD%8D

によると、日本の814市で人口2万5千人は764位

●街の開始

工事と平行して終わらせた居住予定者の内インフラ担当教育も終わらせて、人口2万5千人の女性市がスタートした。

女性しか入れない特区との境にはデポ等が置かれており、特区内の商店配送する荷物はそのデポ仕分けされる。

・街の地下を縦横無尽に繋がってるコンベアICタグを使う事で、トラック不要荷物を家から店舗から届けられるようになっている。店舗で買ってタグつけて自宅に送る事すらできる。

電気水道各種インフラ問題があっても、講師とその弟子達によりなんとかなる状態になっている。特に地下を走るベルトコンベアメンテ重要

・優しさをモットーにした街作りになっており、どの店舗レジにも椅子があり、ほとんどの仕事が待機時間に座れるようになっており、悪しき風習をなくそうという取り組みが進められている。

・既婚者や子持ちも観光、入居可能だが、妊婦に関しては男児が産まれ場合だけ入居拒否となる。この事には住人全員が同意している。

男性トイレが無い。

コンビニにあるえっちな本も女性向け。女児の眼に毒だと話題になる。

住民登録する為には簡単テストがあり、犯罪目的とみなされるような居住者を極力弾いている。

●発生した事

男性の目を気にする必要が無いからこそ、自由ファッション流行する。スマホが普及してから撮影される事を嫌ってめっきり減ったゴスロリや、露出度の高い前衛的なファッションまで。女性だけの街だからでこそ、自由ファッションブームとなる。

・その一方で男性を一生気にしないからこそ、好きなものを食べて太る、お太り様文化も前向きに開花する。

ジャニーズ等の男性アイドルや、おそ松さんキンプリアイマスSideMなんかの男性主人公アニメ集団で楽しむ会合はいかがなものかという事が真剣議論される。議論されるが、街に男性がいない事には変わりがないか別にいいだろうという事で落ち着く。

あくまで住んでいるだけで市外への通勤用に電車も通っている。電車内には男性女性もいる。女性しか降りられないホームがあり、うっかり男性が降りるといたたまれない思いをする事になる。

迷惑撮り鉄がいない。(乗り鉄はいる)

・下着をベランダに干す事が当たり前となり、集合住宅ベランダカラフルに。

ゲームセンター女性交流場所の1つとなる。トモチケをボード経由交換ではなく、実際にパキる光景散見されるようになる。

・バーや居酒屋で同じ趣味の仲間を探す活動が盛んになる。同好の士を求める気風が高まっていく。

・新たに事務所を構える企業クリエイター業が増え、女性だけの街だからこその快適な側面を享受していく。

事件

特区境界線に好奇の目が多く寄せられる事となり、特区を囲む壁を建造する事となる。この壁を人はウォールマリアと呼んだ。特区の反対側の壁には何度もベルトルト君のグラフィティが描かれた。

カラフルな下着がたなびく集合住宅ベランダ撮影してインスタにアップしたバカが街の追放第一号となる。この事件から流石に下着をベランダに干すのやめる人が増える。

・仲間を探す事をシャイでできなくて女性市住人なのに休日1人の事に対する怨嗟の声が増田にアップされて独特な文面から個人特定されて、彼女自主的に街を去った。

・初の交通事故死が発生。何ぶん住人少ないか加害者は街を自主的に去った。葬儀被害者地元で行われたが、女性市でも行われ、仲間を失った事への追悼式典が行われる。

未来

女性プロゲーマーチームが結成される。

女性だけの老人ホーム複数できあがる。趣味ごとに入る老人ホームを変えて、世代ごとに建物が違うようになっている。館内には彼女らが持ち込んだiTunesアカウント楽曲ランダムエンドレス再生され、彼女らが好きだった映像作品が共同スペースでエンドレス再生され、共同スペースでは何度繰り返したかからない萌えトークが繰り広げられる。

女性同士で子供を作れるようになる。

女性市の人口100万人を突破拡張を続けた特区ウォールは3枚目に突入

女性市をアルコロジー化して宇宙へ。新たな太陽系を目指して外宇宙人類の新たな惑星アルファケンタウリを探して旅立つ事となった。

眠いからここまで

10年経過したり20年経過したり、世代交代したり。事件とかもっとたくさんあるハズ。あってほしい。

太陽が膨張して太陽系人類が住めなくなるまでに人類選択すべき新天地へのプランとして、第三の性を導入して3人の同意による性行為が無いと子供を作れなくすればいいのでは?とか思ってたけど

女性だけで外科手術で繁殖できるようにして産み分けすれば男性要らないじゃんって

そして跳んだアルコロジーの中で100年ぶりに産まれ男児が後に魔王と呼ばれる事になるんすよ

・追記:2018年1月26日(金)9時16分

ブコメいっぱいついて驚いた。

そして、そのブコメの内容がだいたい

「お前のシムシティプレイっぷり見てらんねえんだよ。俺にもコントローラー貸せよ。俺ならこんな感じにするからよ」

って風に読めた。

わかる。超わかる。

ゲームって他人プレイ観るより自分プレイした方が億倍楽しいもんね。

から自分なりの世界観妄想とかみんな垂れ流したりトラバ勝手に続きから始めたり、初めからやりなおしたりしてほしい。

妄想って自由から、この論争?についても、「俺ならこんな風にするよー」って発起人の発想に影響されたエントリがたくさん出てほしかった。

俺は影響されたから出した。

楽しいよね、もしもボックス系の話題ギャグ同人みたいな妄想するの。

2018-01-17

おじいちゃんの葬式

通夜の式の前にお線香あげて顔を見た。すごい綺麗だった。血の気がなくて真っ白で安らかに目を瞑ってた。

私がおじいちゃんの顔見てたら横で母が、今にも起きてきそうだよねって言った。でもおじいちゃんの眠ってる時の顔はもっと眉間にシワが寄ってるし、これはなんか違う。それで、この人は本当に死んだんだなって感じた。

棺桶にはおじいちゃんが出かける時にいつも被っていたハンチング帽が入っていた。ここ数年は透析をしていて、遠出もできなかったから被っている姿を見たことはあまりなかったけれど、おじいちゃんのトレードマークのようなもので、とても懐かしいものだ。

おじいちゃんに最後に会ったのは、おじいちゃんが死ぬ2日前だった。おじいちゃんの体調が急に悪くなり、父の表情や会話が険しくなって、家族内にそろそろダメかもって空気も漂い始めていた。

病院に行ったらおじいちゃんは、私をしっかりと見て、私の進学先の話をしてくれた。細々としてはいたがちゃんと会話をしてくれた。でも、ご飯はほとんど食べれず、腕は骨だった。もう少しでおじいちゃんの誕生日だったけれど、正直これは間に合わないかもなって思った。

別れる時はまた来週来るから、って言って別れた。本当に来週なにがあってもまた来るつもりだった。でもおじいちゃんは2日後の深夜に亡くなった。

死んだと聞いても、涙も出なかったし、二度と会えない悲しさなんて湧いてこなかった。葬儀までずっといつもと同じように過ごしていた。

昔おじいちゃんが死んだなんて聞いたら悲しくて泣いちゃうだろうなと思っていたけれど、いざその時がきてみても泣かなかった。そんな自分になんだか大人になったなと思ったりもしたし、でも死んだおじいちゃんの姿みたら泣くかもなって思ったりもした。

けれど実際におじいちゃんの顔を見ても涙は出てこなかった。

式が始まると、仏教の式はひたすら聞くばかりでつまらないなと思い始めた(キリスト教みたいに参列者が歌を歌ったりしないので)。初めて聞いたお経と木魚リズム感も面白くて悲しみに浸るどころではなかった。

そのまま式は終わって、兄弟と先に帰宅した。帰りの電車の中でも、ぼんやりスマホを見てて、いつもの日常と変わらなかった。

家に帰って翌日の朝のお米を研いでいる時、ふと、おじいちゃんが買ってくれた卓上クリーナーのお礼を言っていなかったことを思い出した。

電動式で、消しゴムカスとか吸ってくれるただの卓上クリーナー。

おじいちゃんがこれをくれたのは1年程前という割と最近の話だ。けれど私がこれを欲しがったのはもう15年以上も前の小学一年生の時である夏休みの宿題をやっている時におじいちゃんが自分の卓上クリーナーを貸してくれて、自分もこれが欲しいと、なんとなく言ったような気がする。けれどその後15年以上の間、おじいちゃんの卓上クリーナーを見ることはあっても、そんなこと言ったのはすっかり忘れていた。それで、ついこの間父親を通してクリーナーを貰った時に初めて思い出したのだ。

それを貰った時、私はとても嬉しかった。物よりもなによりも、私が忘れていた発言を私より忘れっぽいはずのおじいちゃんが覚えていて、果たしてくれたことが。

父は、「これは親父の気まぐれで、それを覚えていたわけじゃないと思うけどな」と言っていたけれど、私は覚えていてくれたのだと思った。父が今度お礼言うときに確かめてみればいいと言ってくれたので私もそうしようと思っていた。

でもその後、私はおじいちゃんになかなか会うことができず、結局お礼は言えなかった。おじいちゃんが覚えていたかも確かめることはできなかった。

卓上クリーナーのことを思い出すと、それまでなんともなかったのに、急に泣けてきた。泣いているうちに、おじいちゃんがいつもあの帽子を被って私に会いに来てくれたことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。私のピアノの発表会をおじいちゃんが新品のビデオレコーダーで録画して、テレビで一緒に見たことも思い出した。一人で泊まりにきた私がおじいちゃんとおばあちゃんの間で寝るために、ベッドに渡す板を作ってくれたことも思い出した。

葬式では誰一人泣いていなかった。みんな悲しんでいるのだろうけど、おじいちゃんは長生きだったし、死んだとしても泣くほど悲しいことではないんだなと思った。だから私も泣かなくてもおかしくないと思っていた。

でも、やっぱり、本当はすごく悲しかったんだな。一人でぼろぼろ泣いてしまった。

これも打ちながら思い出したらまた涙が出てきた。

しばらく経てばまた悲しみを忘れて、普通に生きていくのだろう。でもまた一回忌とかで思い出して、泣いてしまうのだろうか。悲しいな。

おじいちゃん、お礼言えなくてごめんね。

2018-01-09

都会に行くほどコミュ力が要らなくなる

もちろんコミュ力はあった方がいいんだけど、都会なら大抵は金で解決できるので必須ではない

田舎度が高まるほどコミュ力重要になる

当たり前っちゃ当たり前なんだよね

だって田舎は人が少ないもん

人が少ないとサービス業仕事として成り立たない

金を払う事でお客様っていう立場になることができない

個人個人の対等な立場で物なり労力なりをやり取りするならコミュ力必須

都会なら極力人付き合いを断って生きていくってこともある程度は可能だけど、田舎じゃそうはいかないよね

多分だけど田舎で人付き合いを断つってセルフ村八分みたいなもんだと思うんだよ

自分ひとりでなんでもできる様な人ならともかく、普通は何かと誰かの手を借りないと生活できない訳じゃん

都会ならお金を払うことで他の人にやって貰える事も田舎度が高まるほど隣近所の人の手を借りることになる

近所付き合いなくて面識すらない状態ではそういう時に助けてもらうの難しいと思うんだよ

もちろん大金を払えば別だろうけど、毎度毎度そういう訳にもいかないでしょ

こういう風に考える切っ掛けになったのは去年母方の祖母が亡くなった事

母の実家離島にある

一応葬儀場はあるんだけど、こっち(地方都市)なら葬儀屋さんにやって貰えることも自分達でやらないといけない

で、仕切りはそっちに住んでる伯母がやってくれたんだけど、料理作ったり葬儀から火葬場までの足を用意したりってのを伯母の友人や隣近所の人達がやってくれてた

それ見て断片的だけど実感できた

こういうのは普段の人付き合いが物を言うんだなって

祖母や伯母が普段から近所付き合いを絶やさずにやってきたからこれだけ世話をして貰えたんだなって思った

で、一度そういう視点を得ると自分普段生活にもそういう面があることにも気付く様になる

両親の友人や親戚、隣近所との付き合いにも大事意味があるんだって気付く様になった

翻って自分の交友関係を考えるとこれはアカンって思うようになった

極めて打算的な理由ではあるけど近所付き合い大事にしようと思うようになった

で、最近は時々近所のお寺の集まりかに顔を出すようにしてる

若手(といっても俺ももう30過ぎのおっさんなんだけど)が少ないから色々と重宝がられることも多い

行ってみて初めて知ったけど、ああいう集まりってそれなりに力仕事あったりするのね

完全に無償労働だけど、話に聞く消防団の大変さに比べればそこまでキツイ訳じゃない

それに人から感謝されるのって悪い気はしないしね

こういう人付き合いが嫌で田舎から都会に移り住んだ人って結構いると思う

どうしても人に関わりたくない、あいさつするのすら苦痛って人もいるのかもしれない

そういう人達の中には田舎の事を悪く言う人もいると思う

でも田舎には人付き合いを断って生きる人が生きていくだけの余裕が無いんだ

田舎であればあるほど生活していくのに人付き合いが必須になっていく

人付き合いを嫌悪する人が生活できる環境って人が余っててサービス業が発展してる都会にしかない

人付き合いの無さをお金で補う際のコストが安い都会じゃないとそういう生活を維持できない(石油王は除く)

都会から田舎移住した人のトラブルにもそういう面があると思う

それを田舎の閉鎖性や住民の質にだけ問題があると捉えると大きく見誤ることになると思う

2018-01-02

人生は上々だ

正月になると皆家族の元へと帰る。

自分独身で、家族とも疎遠なので年末年始になると一人になる。

ついつい自分家族のことを考えてしまう。

毎年母から「今年の年末どうする?帰ってくる?」とメールが来る。

「帰らない」と返すと「分かった。また暇が出来たら帰ってきてね。健康だけは気をつけてね」と返ってくる。

何気ないやりとりだけれど、このやりとりがもう20年近く続いている。

20年近く帰っていないのに、内容もまったく一緒の同じメールが毎年くる。

最近絵文字を覚えたようで絵文字満載になっている。

祖父が亡くなった時も絵文字付きで送ってきたときはさすがに窘めたが返信はなかった。

自分の都合の悪いことは一切見向きもしない。

子供の頃から家族に不満を持っていたけれど、当時は毒親なんて言葉もなかったし

「親を憎むなんて最低だ」「親子なら分かり合える」「子を思わない親などいない」という

社会からメッセージ田舎の子供の自分にも届いていたので

自分のどこが悪いのか、常に自分の悪いところを探していてばかりいた。

ネットのおかげで色々と情報を手にいれることが出来て、毒親アダルトチルドレンなどを知った。

アスペ発達障害を知った時点でうちの家族はもう救いがないなと思い

そこからは悩んでもしょうがないと思えるようになった。

そもそも話が通じる相手ではないと思う。

家族に寄り付かない自分に対して

家族大事にしない人は最低、恩知らず、社会不適合者と罵っていた義姉が

先日の祖父葬儀10年ぶりに会った時は死んだ目をしていたのが印象的だった。

葬儀中ニタニタしてつまらない冗談を繰り返す両親を見てどう思っているのだろうか。

こんな義理の両親を将来介護できるのだろうか。

両親の遺伝自分も気づかないうちに変な部分があるのだろうと思う。

人に迷惑をかけないように、結婚して大好きな人と大嫌いな両親が接触することがないように

極力他人関係を持たずに生きてきた。

年末年始も一人ながら、美味しく料理も出来るようになったし、

ゲームをしたり、手帳を書いたり、読書をしたり、映画を見たり、勉強をしたり

年明けから仕事の準備をしたり、買い物をしたり

無職で不摂生生活をするでもなくしっかりと自立して

一人の時間を充実させることが出来ている。

そんなに稼いでもいないし、人との出会いもなく、これから人生も飛躍することもないだろうが

自分の生い立ちからしたら上出来じゃないかと思う。

後はこの生活を働けなくなるまで続けて、最後ひっそりと迷惑かけずに死ねたらおしまい

2017-12-31

大好きなアイドルが突然いなくなった話

 この気持ちが消えていけば一番いいし、こんなの二度と味わいたくない気持ちでもあるのですが溜めておくより吐き出したいので吐かせてください。

 あれから13日経ちました。

ネットを開いて目に入ってきたのはジョンヒョンの名前と、後に続く信じられない文字。見た瞬間から震えだす手と身体と、状況を飲み込めない脳、「はっ?え?」と勝手に動く口。

あの全ての瞬間をまだまだ3日前のことかのように身体がしっかり記憶してしまっています

本当にいなくなってしまったのかどうかまだ定かじゃありませんでしたが、何かが起こったのは確かなんだなと。

 ペン友達に連絡を入れて、とりあえずその子バイトが終わった後日付が変わる頃に会うことを約束しました。それからは本当に祈ってばかり、こんな時だけ神様を信じてごめんなさい、でもそれしか頼れませんでした。

 「生きてて」と誰かに対して切に願う日が来るだなんて。

 遥か何十年も先に来ると思い込んでいたことに「今」向き合わなければならないなんて。

 もうニュースの数や報道リアルさなんかを全部無視してとにかくSMから言葉を待とうと決めました。それまで何にも手につきませんでしたが頑張ってお風呂だけは入りましたけど止まらない吐き気と震えであまりそこらへんのことを覚えていません。

 私は23:44に、見たくなかった文字を、向き合いたくなかった現実を、SMから突き付けられました。なんで時間を鮮明に覚えてるんだろう。

 とにかく早く友達に会いたくて、会いに行きました。お互い呆然というか、出て来る言葉は「信じられない」ばかりで…特に会話した覚えはないんですけどあの時は本当になぐさめとかではなく、気持ちを共有できる子に会ったのは正解でした。またすぐ会おうと約束して、帰りの自転車に乗りましたが考えすぎてしんどかったです。一人になると考えますよね。

 それから21日まで、学校バイトも頑張って行きましたがずっとずっと彼と4人のことだけしか考えていませんでした。

 辛くて苦しくて泣きたくて、でもメンバーやご家族もっとそんな気持ちだし、そしてジョンヒョン自身が誰よりどん底気持ちでいたのかと思うと余計に、今も悲しくて仕方がありません。

 公開される遺影、弔問客の映像、画面に映る故人という表記喪主として並ぶ名前たち、無情にフラッシュたかれ撮られ続ける出棺の映像。これらには本当に現実を突き付けられましたが同時に意味がわかりませんでした。今も消化できてないです、この全てが作られた話で、観ているのは映画なんではないかと。今もニュースなどで嫌でも目に入るたびに「ん?」と首を傾げたくなります

 

 ジョンヒョンの死を現実で起こったこととして受け入れるには相当時間がかかりそうです。現実とはわかっていても、脳が勝手に疑問を持って信じられないと否定しているような、そんな感じです。みなさんもきっと信じられないですよね。

 

 ここでちょっと私自身の経験を記します。私は物心つく前に父を亡くしています。彼はとある環境で周囲や家族からプレッシャーを受け続けたせいでお酒睡眠薬などの薬に逃げ、赤ちゃんだった私にまで手をあげ、頭はおかしくそしてガンになって人生を終えました。

 そして物心ついたとき一番近くにいた血縁関係にある男の人は、祖父と二人の叔父でした。そのうち一人の叔父には息子が二人いて、一人は私と年齢が近く、家も近くに住んでいたのでいとこだけど兄弟のように過ごしてました。よく遊びに連れて行ってもらいましたし、外食もして、世間でお父さんがしてくれることは全て叔父がやってくれてました。

 そんな叔父が、ある日うつ病にかかりました。突然というより、徐々にだったんだと思います。私と長男のいとこは10歳とかになっていたので(次男はまだ3歳ぐらい)、かつ叔父の姿は衝撃的だったのでかなり鮮明に覚えています

 叔父うつに侵されている時間が長くなるにつれて、お酒や処方された薬にたくさん頼って、泣いて泡を吹いたり、時には何もしたくないと動かず泣いているだけの時や、だんだん人生希望をなくして祖母や私の母に「死にたい」「今から死ぬ」と言い出すようにもなりました。いつ本当に命を断ってしまうのか毎日毎日怖くて仕方がありませんでしたが、そんな時でも私といとこが叔父の姿を見ないようにと、家族がたくさん気をつかってくれていたのを今も覚えていますほとんど覚えてるんですけどね。

 そして、時間はかかりましたが、家族サポート真摯に話を聞いてくれるお医者さん、適量の薬のおかげでうつ病は少しずつですがよくなっていってる風に見えていました。

仕事も再開して、病院通いは続けながらもまた日常を取り戻そうとしていたとき、4年前の夏、叔父他界しました。

原因などは書きませんが、一つだけ言えるのは叔父はまだうつと闘っていたということと、薬に頼っていたということ。

父の時は物心ついておらず覚えてないのですが、叔父場合はお父さんがわりのような人だったので本当に悲しくて悲しくて仕方がありませんでした。

 何より胸が痛くなったのは、叔父の苦しんでいる姿以上に、元気で明るく、優しい姿をたくさん見てきたというところです。もうあの愛に溢れた姿を目にすることができないんだと実感した時の辛さは果てし無かったです。

 あれから四年経った今年の夏、ついに納骨しました。叔父は亡くなる前に離婚していたので(といってもずっと支えてくれましたし今でも関係は続いています)私の祖父母がいろいろと取り仕切り、骨壷も実家にありました。そばにいてあげたいという思いが強くあったようですが、二人とも前を向きたいと納骨に踏み切りました。

毎日お墓に行ってます。お参りするたびに「もういないんだね」と実感させられるし、どうしても小さい頃の姿とか思い出してしまって寂しくなると言っています

でも、私の目から見て確実にみんなまた前を向いているし、最近私の祖父母や母は、叔父が生きられなかった分の楽しいことを今からでもたくさんやると決めました。

 

 人の死って簡単に乗り越えられるものではないし、何年かかってもいいと思います

 特に、若くて前の日まで元気だった人とか、まさか逝ってしまうと思ってもみなかった人がいなくなると残される方の衝撃というものが大きすぎて心に傷が残ります。私は人との別れが極端に苦手になりました。

 大事な人の死より大きい悲しみはないです。悲しんで悲しんでたくさん泣いて、それでいいと思います。なぐさめてくれるのはありがたいし元気出さなきゃいけないのはわかってても、悲しみに蓋をせず、共有できる人がいれば共有してたくさん思い出話もして、そしたら何年かかるか分からないけどいつか前を向こうと思える日がくるはずです。私はそう信じています

 私は、身近な人の死を経験して、以前以上に周りの人を大事にするようになりましたし、1日1日を大事に、周りの人を本当に愛して過ごしてます。そして時に叔父のことを思い出して、笑顔になる記憶を辿ったりします。

 風邪から元気になるペースは人それぞれ違うように、悲しみから回復するペースも人それぞれ違います。「あの人はもう前を向いてるにに私は泣いてばかり」と思わず自分感情に素直に、正直に過ごすのが一番いいと思います

 今回ファンとして大好きな人の死に直面して、正直あまりの向き合えなさに驚いています葬儀などに出席できないし、画面越しでしか現実で起こっていることを見ていないということも大きいと思います

 もうひとつは、忘れてしまえるほどたくさんの映像音楽が残っていることも理由だと思います。ここ数日でやっとジョンヒョンの歌声や5人の姿を少しずつ観られるようになってきました。それらを観ているとき自然と笑ったりしていると当然のようにジョンヒョンはまだ生きているんだと脳が思い込んでるんですよね。そしてふと我に帰った時に「あ、もういないんだ」と気分は奈落の底に落とされます愕然します。

 その繰り返しではありますが、なんども言いますが私のペースでいいかなと。KPOPを全く知らない友達と出かけて他愛もたい話をしたり、美味しいものを食べに行ったり。どうせ考えてしまうから、無理やり考えない時間を作る。私は結構これが効いています

 ドーム公演もどうなるかわかりませんし、いずれにせよSHINee公式的に4人で私たちの前に姿を表す日はきます。その時にまた、シャヲルは改めて、ついに、現実を目の当たりにすることになりますが、その時はまた一緒に泣いて悲しみましょう。時間解決してくれます

(でも4人の気持ちが最優先であってほしいので無理はして欲しくないです。どんな結論を出そうと、絶対にみんなを応援します。)

ジョンヒョンがいなくなってしまった悲しみは今年の記憶として置いていくにはあまりのも大きすぎます来年に持っていきます、連れて行ってたくさんたくさんジョンヒョンと、SHINeeと、これから自分アイドルへの向き合い方を考えようと思います

 思いを馳せて、忘れないでいます絶対に忘れることはないんですけどね。

 最高のアーティストで、最高のグループSHINeeに属するアイドルであるジョンヒョン。

 すごく優しいからこそ繊細で、世間の嫌なところも人よりたくさん見てしまっただろうし、真剣に向き合ってきただろうし、全部背負ってしまったんではないかなと思います。だから彼が言ってほしいと残していった言葉、言わないとね。

  ジョンヒョン、本当にお疲れ様でした。たくさん苦労して耐えて頑張ったんだよね。ずっとずっと大好きです。これからもたくさん、ジョンヒョンが残していったもの大事に愛します。

では、みなさん、良いお年を

2017-12-27

葬式お笑いネタにするのが嫌いだ

年末も近づいたこの季節、TVではM-1を始めとしたお笑い番組が大量に流される。

漫才コント、色んな形態芸人たちのネタ披露されるわけだが、

自分葬式ネタにした漫才コントが大嫌いだ。


母親を亡くしたのは四年前で、自分でもずいぶん長いこと引きずっているとは思う。

また、自分科学の徒であることを自認しているので、死後の世界だの霊魂だのが現実にあるとは思っていない。

ただ、自分を育ててくれた母親が、死とともに完全に消滅したと思うのも辛い。

生前まり親孝行できたとも思っていない。ようやく孫の顔を見せてやることができ、

これからやっと親孝行ができるかと思った矢先に、母は病で亡くなった。

からその母のためになることを何かしたい、母を喜ばせたいと強く思った。

もう死んでるのに。

肉体は完全に死んで、脳も活動を止めてしまい、客観的には母の人格は完全に失われてしまったというのに。


葬式というのは本当に優れたシステムで、一定ルールに従った服を着て、決められた儀式を開催し、

決められた受け答えをこなしていけば、死者のために尽くしたことにしてくれる。

それなりに信心深かった母のことだ、母が祖父母にそうしていたように、自分が母に対して正しく儀式を執り行えば、

母はきっと喜んでくれるだろう。

そう信じて、その場にしゃがみ込みたい気持ちを抑えながら、とにかく正しく、つつがなく儀式を終えるように努力した。

列席者もおそらく同じ思いで、ひたすら正しく、何事も起きないように儀式を進めてくれた。

その無言の一体感が、少なからず悲しみを和らげてくれた。


ところが、お笑いネタとして葬式を消費する場合、そうはいかない。

奴ら芸人は、ひたすら「正しくない」葬式舞台で演じ、それを観客が嘲笑う。

例えば無神経な葬儀会社人間を演じ、遺族の神経を逆撫でするような発言を連発する。

自分が母を送った時に、もしそうやって葬式台無しにされたら、と思うと恐怖しか感じない。

亡くなった母のために何かしてやれる唯一の機会を、一人(あるいは二人)の馬鹿のために奪われてしまうのだ。

さら恐ろしいことに、その状況はどうやら、他人から見たら面白いらしい。

死者を悼む無言の一体感など全くなく、喪主が何とか儀式を正常に戻そうと無駄にあがく様は、

どうにも笑えて仕方がないらしい。


恐怖だ。

そう遠くない将来、父も送ることになるだろう。

自分はその時も、信心深い父のために、正しく、つつがなく儀式を進めようと努めるだろう。

そのときTVでうまくいかない葬式を見て嘲笑っていた人々は、どう思うだろうか。

どこかで「喪主セリフが飛んだら面白いのに」「焼香の時に誰かが祭壇をひっくり返したら面白いのに」

とか思ってるんじゃないだろうか。

もしそうなった時、場を収めようとする自分は、やっぱり笑えて仕方がないんだろうか。

その時が怖い。

2017-12-15

言霊って本当にあるんだな


高校の時、同級生に皆から嘘つきだと言われて嫌われていた子がいた。(一応、私の友達ではあった。と思いたい。)

というのも、その子普段から些細な事で嘘をついていたのはいたらしいが、一つ大きな嘘をついていたといわれていて、それが原因で嫌われていたようだった。

心臓が昔から弱い』

『もってあと1年』

だけど、その事を皆に言う割に、その子は元気に生きながらえた。だから嘘つきだと皆から言われていた。

実際、私もその子から「こんなに飲まないといけないんだ」と言われながら大量の薬を見せつけられた事もある。

そんなとある日の日曜日、出かけていたら一通のメールが届いた。

「○○ちゃんが心臓発作で亡くなりました。葬儀が行われますので、来れる人は来てあげて」

彼女心臓発作で突然亡くなった。私が彼女から心臓が弱い、余命もあと少し、と聞いて、多分一年後くらいだったと思う。

通夜に出向くと「あの子嘘つきだよね」と影では言いながら彼女友達然と接していた女子たちが集まって、彼女遺影の前でおいおいと泣く姿があった。

嘘つきというレッテルは全くの間違いだったんだって思った。やっぱり、彼女は嘘つきではなかったんだ。

私は何故か根拠もなく、彼女言葉を信じていたし、嘘つきだと言っていた子達もきっとそう思ったんじゃないかと思った。



そしてその後日、亡くなった彼女特別仲の良かった友達が、彼女の家へ行って手を合わせたらしい。

その時に彼女母親

「残念でしたね、心臓が弱かったんですよね」

と悔やみの言葉をかけた彼女の友人に、母親が怪訝な顔をしながら、こういったらしい。

「あの子心臓なんて悪くなかったけど……」



この話を聞いた時はぞっとしてしまった。

結局、彼女は嘘つきだったのか、そうじゃなかったのか、曖昧なままになってしまったけど

一つ言えるのは言霊って本当にあるのかもしれないなって子供ながらに思った、という事。

2017-12-03

家系ラーメン

  • よく葬儀看板で「○○家」ってのがあるけど、
    うちのガキがそれを「○○や」って読みやがった・・・
    いやいや、それじゃあ家系ラーメンじゃね〜か

2017-11-24

anond:20171123192939

結婚式に限らず、お葬式で「ご愁傷様です」も、死んだときの報告時でいいやんと思う人かな?

まぁ葬式じゃなくても、大きなランドマークビル竣工式なんかでも芸能人が来て「おめでとうございます~」っていう合図でテープカットするよね。

逆に、新郎新婦側も「ありがとう」「来てくれてありがとう」と何度も言ったり、葬儀喪主親族は「いらしてくださりありがとうございます」はよく言う。

おめでとうございます、ご愁傷様です、ありがとうございますなど、相手のことに対する賛意、敬意、労い、感謝など、人に寄り添った言葉を発するとき場所や状況などそんなに左右されず何回でも言ってあげることのほうがいいから、みんないっぱい言うんじゃないかな?

もちろん、今後の生活を見据えた「がんばって」という煽情も相応しいと思う。

ちなみに、「あけましておめでとう」だけは、「あけまして」と「おめでとう」で分かれているのではなく、「あけましておめでとう」と言う一つの慣用句に近い気がする。

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