2024-01-29

バアチャンが死んだ

父は無関心で母は過干渉。それが嫌で幼少期はいつも同居している祖母の部屋で過ごした。

結婚を機に家を出たが、近所なので毎週末に自分の子供達(祖母からだとひ孫 5歳と0歳)を見せに行っていた。

祖母難聴ではあるが認知症もなく、自分で買い物に行き、自分料理をするなど生活は自立していた。

夏の初めに脚がむくみ寝たきりではないが歩くのが困難になった。そんな中で第2子の100日祝いを祖母と両親でやった3日後、朝起きてこないので父親確認しに行くと、意識がないため救急車を呼んだ。

脳梗塞のためそのままSCUに緊急入院となり、さら発症から7時間以上経過したので半身麻痺となった。

かかりつけ医からはガン全身転移であり、今年の末まで持つかどうか、というとことを以前から聞かされていた。

入院当日の様子は両親から、唸り声をあげて目は僅かに開く程度だと聞いていた。

入院翌日に面会に行くと半身麻痺のせいか、顔が変わり過ぎていて思わずベッドの名前確認した。

祖母は閉眼しており難聴のため呼びかけにも反応がない。感染対策で面会時間が短く先日の100日祝いの時にみんなで撮った写真を置いて帰ろうとすると目が開いた。

顔面麻痺のため「あうあう」しか言えないが、幼い子供達の写真スマホで見せると嬉しそうに「あうあ」と名前を呼んだように聞こえた。

それを見てたら涙がでてきて、滲んだ目で祖母に目をやると心配そうにこちらを見ていた。

帰り際にこちらを見て「あうあうあ」と言ったが自分にはそれが普段から祖母がよく言ってた「ありがとな」に聞こえた。

意思疎通できたと思えるのはこれが最初最後であった。

以降も週に何度か面会したが開眼していても視線は合わず、唸りながら呼吸をしているだけでそれが無機的でありとても不安になった。

急性期病院から緩和病院に転院してから毎日病院に行った。転院後すぐに浮腫や呻吟は軽減してきて視線は合ったように思えるが、移動しても視線はそちらを見たままで、わかっていたのかよくわからない。

病院に行こうとすると5歳の長男が「僕も行きたい」と、子供は行けないと言うと「大きいばあばに会いたい」とか泣きながら言うもんで、なぜか病院に向かう車中で一人泣いた。

転院5日目から目が開かなくなり、7日目未明に死んだ。救急搬送から約1か月のことだった。

コロナで人数制限のため両親のみ病院に行き、朝方に両親が帰ってきたと妻と話していると、長男が駆け寄り「大きいばあば帰ってきたの!?」なんて聞いてくるもんで、「もう帰ってこないよ」と自分で言って泣きそうになったから顔洗って誤魔化した。

葬儀の際は辛く祖母の顔を見たくなくて、出棺前の花入も後ろからただ眺めていた。火葬場で骨上げして骨壷の蓋を閉めようとしたその時、長男が「バイバイ大きいばあば」とか言うもんで我慢してた涙がでてきた。

5歳の長男言葉が刺さるのは、体裁ばかり気にしてる自分が言えないことをド直球で叩き込んでくるからだと後から思った。代弁してくれてありがとう息子よ。そしてさよならバアちゃん

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん