「自覚」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 自覚とは

2024-08-07

オタクポルノ依存症治療必要なのを自覚しろ

余ったアクリルディスプレイに使いたくて参考になりそうな画像検索してたらアクリル板にスカート姿の美少女フィギュア乗せて下から撮影してる画像出てきてオェ…ってなった

キャラ下着見たいが為の撮影アングルキモ

SNS投稿写真だったみたいで「いい感じです(笑)」って投稿主のコメントキモさ倍増

リアルでも女の下着覗いたり盗撮したりする為にあの手この手犯罪する男多いけどその下着への執着はどこから来るんだ…

女は男の下着見るために覗き犯罪しないから男の異常な下着への執着がわからん

普通に病気だろ

もし女友達が男の下着見るのに執着してたら精神科受診を強く勧めると思うしそう考えたら男もスカートの中見たいのは男なら当たり前って都合よく思考停止してないで病気を疑った方がいい

ポルノ依存はれっきとした病気だよ

人形相手からと楽観視してるとリアル盗撮やる可能性もある

人殺しの前段階として猫殺したりするパターンあるし

anond:20240807025605

こういう極論でしか考えられない思考が凝り固まったおっさん出てくると思ったよ。

おっさんシャカリキ労働するか無職かの二択しか選択肢が無いと思ってるけど、

今の時代は楽に労働しつつ副業自由に働けるスタンスがある。

氷河期おっさん就職が全てで終身雇用神話を今だに信じてる。だからDX化に着いて来れず周りから疎ましく見られても必死会社にしがみついてる。電卓つのが早いとか、紙をホチキスでまとめるのが早いとか、取引先と飲みニケーション自分会社に貢献していると思い込んでる。

ハッキリ言って邪魔なんだよ。

今の時代必要最低限の仕事キッチリこなせば、無駄に頑張る必要無い。余った時間副業で稼げば良い。

おっさんにはその発想がないかシャカリキ残業時間もやって自分会社に貢献している!自分若者より使える人材だ!とか自己暗示して必死自分存在証明する。

俺はそういうおっさんにいち早く自分社会から必要とされていない事を自覚してもらい集団自殺してほしいと思っている。

anond:20240807020311

「まあ言っても無駄だろうけど…」

こうやって予防線張って反論擦る程度には、自分おかしなことを言っている自覚があるんだろうね

相手に受け入れてもらうことが前提の甘えた押しつけはそろそろ卒業しようね

お父さんかお母さんくらいにしか通じないんじゃないか

「生きてるだけで偉い」の欺瞞

生きてるだけの人達は現状の自分が偉くないことを自覚してる

そんな人達に「生きてるだけで偉い」と諭すのは

「かわいそうだからルールを変えてあげましょう。はい、もうあなたの勝ちでいいです。それと、あなたの考えは聴きたくないです」と言ってるに等しい

2024-08-06

anond:20240806230016

まあイジメで人殺すのは自覚のないアスペが多いからなー。

血液検査して失格したやつは金玉子宮を取っちまえばいいのに

anond:20240628160129

"エッチな絵"の定義何だか知らんけど献血ポスター宇崎なんかは女の身体的特徴を小馬鹿にした、エロとは別の極めて差別的な何かだとは思うが男のオタクはそういう自覚一切ないんだよな

そういうデリカシーの無さ、幼稚さが女をイラつかせる

2024-08-05

もう終わりです

投資をやらない奴は遅れてるみたいに煽った奴らを心底恨みます

そして、今になって投資自己責任などと口先ばかりの警句を並べる奴らも軽蔑します。

お前らの何気ない煽りが一人の人生を壊した事実自覚しろ

何だか知らんが精神的な乱れがやばい

精神的に落ち着かない。渋滞イライラしたり映画感傷的になってしまったり。

思い当たる原因としては

1. カップラを食った

2. チョコを食った

3. 運動不足

4. 睡眠不足

これらは自覚があるのだが、ほかに原因があるのだろうか。

酒は飲んでないんだけどなあ。

神様が「お前ちょっと餅つけ」と言ってくれているのかもしれない。

しばらく引きこもって何もしないでおこう。

映画劇場版 モノノ怪

・「まっ、世代だし?一応観ときます…か…!」というスタンスだったが鑑賞を決めた日の夜は楽しみ過ぎて脳が興奮してなかなか寝付けなかったし翌朝目茶苦茶早起きした

・ほんまにバキバキの色彩とカッコ良すぎる低音BGMとカッコ良すぎるモーションで脳みそ情報過多で何が起こってんのか分かんないけどハチャメチャカッコいいことだけは分かる〜〜ッタイムモノノ怪はこのために観てるまである

・ほんまにベスティアでみてよかった

モノノ怪劇場版視覚は勿論だけど音も超超超超超重要カッコ良すぎる作品だったので低音とか引っ掻くような音とか音響がいい環境で観れてよかった

早起きたかいがあったぜ

ハイパー薬売りさんターンで「この和風テイストでそんな感じのアフリカ民謡風の感じの音も使っちゃうんですか??!」ってなった最高

実家のような安心感

声優さん変わったけど俺は適応できるか…?と思ったけど中盤には目茶苦茶慣れた

元々の声優さんだと例のLINEのやり取りが過るから本当に変更してくれて助かった 「お役目のために大事もの感情抑制するのよくない」というテーマ声優そのままだとかなり矛盾生ずるからほんま作成側の誠実さを…とても…感じて良…でした

作成陣の「覚悟」も美しい…

アイドルもの予告編みるとトラペジウムがよぎる 最高

・惚れたもん負け

・社不が自己投影する枠の女の子自分が「できない」のを自覚してるんなら研修メモ…とれよ…!とはなったなんか「できる子ちゃんフォローしてくれる」って打算的なとこが垣間見えたとことか イノセント枠をなんやろなあと思いつつちょっとヘイト作成陣のコントロールしたい通りに受け取れてない感じがした 花澤香菜声帯を持ってもこのヘイトってなかなか厳しいやで!

・できない子ちゃんは…そのラスト幸せや…向き不向きあるしフォローし続ける周囲もてえへんや…

・できる子ちゃん全盲なのかな?って思ったけどそこは特に触れずに進んだから気にしないぜ

OP、あえて華々しくせずメタリックマーブルBGMドムドムなのカッコ良すぎるやろ…

・あの物の怪がこんなに強そうに描かれた作品初めてみた

・クラファン名でツイッターアカ名大喜利みたいな雰囲気になったな…「薬売りを愛する者」様多ない?

ラファン勢に圧倒的感謝

あと声優変更に納得いかんクラファン勢には返金するという姿勢だった作成陣にも美しさを感じる

思春期モノノ怪が直撃したクリエイター大人になって作成する側になって愛込めまくってこの作品作ったんじゃろうな…と思うとひとしおですわ…

・一昨日はインサイド・ヘッド2で泣きまくったというのにまたこんな神作品出会ってしまって…アニメーション映画は最高だぜ!

8月は観たい映画目白押しすぎて幸せ

anond:20240805085840

田舎叩きって「移住したけど田舎陰湿すぎw」みたいな村八分系くらいしか見ないけどな

実際そういう閉鎖的なところがある自覚はあるからまあ……って思うし

API語源云々で盛り上がってるが

そもそもお前ら自分エンジニアって言ってるがそれ自体もすでに汚染しているってことを自覚しような

エンジニアengine+er(engineer)なので元々は機関、それも出始めは蒸気機関の整備とかやる人を指していたわけ。

なのにエンジニアって言ったらさも俺らのこと!って言わんばかりのIT系職種人間傲慢だよね

さらには「エンジニアは生涯勉強」って自らを特別視する思想が入ったやつもゴロゴロ

エンジニア名乗るなら蒸気機関作るところから始めてみろよ(笑)

自動車整備士の方が語源的にエンジニアに近いんだぞ

anond:20240805040825

休日に遊んで休めないのはお前の勝手だろ。お前が休日を取ることで少なくとも最低隣近所様に負担をかけていることを自覚しろ

男嫌いか、ただの喪女

34歳、独身女、性行為経験なし。急に気持ちを吐き出したくなり、とりあえずネットの海に文字を放流することにした。


同級生たちは半分ほどが結婚子どもを持つ人も多い。結婚式には何度も出席した。友人たちの嬉しそうな顔は美しかった。子どもと遊ばせてもらったこともある。小さくてもしっかりと自我を持つ子どもたちはとても愛らしく、そうやって育て上げた親たちを心から尊敬している。

そのような光景を見ても、結婚したいとか子どもを持ちたいとかい気持ちが湧いてこない。まあそういう人生もあるだろうと納得しているつもりだ。

でもたまに、恋愛結婚をすっ飛ばし人生ってもったいないのか?と考えてしまう。他人が羨ましいというよりは、なんだか損をしているような気持ちになる。今ちょうどそんな気分。


記事タイトルを『男嫌いか、ただの喪女か』にしたが、正直なところ若い頃はどちらの自覚もなかった。私は自身恋愛に興味がない人間だと思って生きてきた。彼氏が欲しいと思ったことがなかった。でも恋愛そっちのけで勉強ばかりしている女が珍しいのか周囲は放っておいてくれない。男性トラウマがあるのかとか奥手なのがいけないとか色々言われてきた。この歳になってそんなお節介を焼いてくれる人はだいぶ減ったけれど。

でもまあそうやって言われるうちに男嫌い恋愛下手(喪女)を自覚し始めてしまったのだ。そっとしておいてくれたらよかったのに!


以下は人生の振り返りと愚痴になるだろう。

暇で暇でしょうがない人は読んでいってね。


小学生時代

野山を駆け回る女児だったので女の子よりも男の子のほうが気が合った。いつも男の子集団に混じって(というより私が男を引き連れているように見えたらしいが)遊んでいた。だから男が嫌いだなんて思ったことがなかったが、ひとつだけトラウマ級の事件があった。

小学2か3年生の頃だったと思う。下校中、上級生(たぶん4、5年生の男)に呼び止められた。知り合いではなかったが同じ学校児童に警戒心などなく、素直に話を聞いた。「目をつぶって」と言われて従った。次に手のひらで目を覆われた。そして口にぬるぬるしたものが当たり、舐められているのだと分かった。でも訳が分からなくて動けなかった。恐怖というより困惑とただただ不快感。唇の隙間に舌をねじまれそうになり、とにかく侵入を許すまいと歯を食いしばった。かなり長い間舐められていたように思う。口と手のひらを離した見知らぬ上級生は「先生に言っちゃダメだよ」と言い残し走り去っていった。顔なんて覚えられなかった。でもランドセルの横にぶら下がるヒョウ柄体操着袋をはっきりと見た。

ベタベタした口が気持ち悪い。走って家に帰り、真っ先に歯を磨いた。レイプ被害にあったらシャワーを浴びてはいけないと言うけれど、小学生でもすぐに汚れを落としたいと思ったんだ、無理な話だよ。母親に言いつけ学校電話をしてもらった。ヒョウ柄体操着袋が犯人だと。

犯人は翌日かその次の日には見つかり教師立ち会いのもと謝罪された。今考えるとこれ良くないよな。被害者加害者とを会わせるなんて。そのせいだろうか、私は相手の顔と名前をはっきり覚えてしまったし相手もそうだったのだろう。この後数年に渡って嫌がらせを受けることになる。


口を舐められただけでかなりの不快感だった。これが性器を触られたり挿入されたり、また加害者大人だったらと思うと可哀想で仕方がない。全ての被害者の心が救われてほしい。

私はまだ性的に未熟な頃の被害だったのと男友達が多かったためか、男性が怖いとはならず加害者個人を恨んだ。だから男嫌いではないと思っていた。


中学生時代

ちょうど進学のタイミングで隣の学区に引っ越した。そのためヒョウ柄体操着袋とは違う学校になり安心した。

しかし運悪く再会してしまった。私は小学生ときから同じピアノ教室に通っていた。当時あまり気にしていなかったが、その教室の目の前は口舐め事件現場で、犯人はその近所に住んでいたのだ。

レッスンが終わりドアを開けるとヒョウ柄体操着袋がいた。気づかぬふりをして自転車で帰ろうとしていると背後から「もう一回する?」と声をかけられギョッとした。確実に覚えていやがる。気持ち悪い。すぐピアノ教室に逃げ込んだ。先生に何と話したかはよく覚えていないが、優しいお婆ちゃん先生は私をしばらく匿ってくれた。30分くらいだったろうか、奴がいないことを確認して自転車に跨がろうとしたときサドルに唾が吐かれていることに気がつき再び先生に泣きついた。先生は箱ティッシュを丸ごと持ってきて片付けてくれた。私には片付けをさせてくれなかったのをよく覚えている。あのとき先生の様子を思い出すと、もしかするとあれは唾ではない別の体液だったかもしれないと今では思う。

その後もピアノ教室には通い続けた。奴と鉢合わせすることはなかったがサドルは汚され続けウェットティッシュを常備するようになった。


市か何かの俳句コンクール入賞者の中に奴の名前を見つけたことがある。


夏祭り

手と手をつないで

デートがはじまる


気持ち悪い。

名前も顔も俳句も、34になった今でも忘れられない。

こういう犯罪者予備軍が賞をもらい、普通に恋愛を楽しみ、そのうち結婚して子どもが生まれて良いパパだねって言われていると思うと許せない。


高校時代

特に理由があった訳ではないけれど女子校に進学した。通える範囲で、自分レベルに合っていて、校風が気に入っただけ。男を避ける意図はなかった。

女子校生活はとても快適だった。進学校だったので治安が良く、学校行事も活発。女子校っていじめがひどいでしょ?なんて良く言われるけれど、勉強に忙しくいじめている暇なんてない学校だった(たとえ暇でもいじめはなかっただろうと思える良い学校だったよ)。


女子校性別概念がない空間だった。女ではなくただの人間でいられる場所。進学したり就職したり色々な環境経験したが、女子校以上に過ごしやす場所は今のところない。

ただ、学校の「マニア」と呼ばれる人たちが存在した。待ち伏せ盗撮、校舎に侵入など、不審者(全て男だった)がしょっちゅう出現した。文化祭体育祭撮影家族のみの許可制にするなど対策は取られていたが、登下校時の付きまといなどが酷く生徒は不審者に慣れきってしまっていたように思う。


大学時代

勉強が好きな私にとって大学天国だった。定額講義履修仕放題、今でいうサブスクだね。成績が優秀だったため授業料が半額になった。それでも履修仕放題!なんてお得なの!

学部面白そうな講義にも顔を出し、スポーツ系のサークル活動もして充実していた。

ただサークル内での恋愛のいざこざってほんとに面倒くさい。勝手に揉めていてくれたらいいのに何故か巻き込まれる。カップルの女側に呼び出されたことがある。

女「私、〇〇くんと付き合い始めたんだ」

私「そうなんだ!おめでとう!」

女「だから〇〇くんとはもう遊ばないでほしいんだ」

私「そうだね、わかった」

女「〇〇くんと一夜を共にしたことがあるって聞いたよ」

私「(なにそれ知らんこわ……オールでトリキいったときのこと?)そんな関係じゃないよ」

女「もう私のだから。取っちゃってごめんね」


怖すぎる。恋愛経験のない私はただビビリ散らすことしかできない。

この「取っちゃってごめんね」は他の人にも何度か言われたことがある。男を狙っていたことなんて一度もないのに。

これに関しては自分で考えて反省した。たぶん、子どもの頃に男友達と遊んでいたような距離感のまま接していたのが悪いのだ。あまり男の人と仲良くしないよう意識するようになった。


そういえば、このカップルの男側〇〇とは就職後に誘われて一緒に飲んだことがある。そのとき周りがみんな結婚してさびしい結婚したいと嘆いていた。そんなことがあったが、後日FBを見ると入籍報告をしていた。良かったじゃん!と思ったけれどよく見たら入籍日が一緒に飲んだ日より前だった。


怖すぎる。


【番外編-自分容姿について-】

たぶん私はそんなに不細工ではないのだと思う。正直そこそこモテた。絶世の美女ではないがブスでもない、ちょうど良いレベルの顔。男性から告白されることもはっきり言って多かった。しかしそれを全て断ってきた。故に自分からアプローチする方法を知らない。その結果の喪女である

悲しいことにモテる一番の要因はおそらく体型なのだ。アンダー65のFカップ、平均身長くらいのややぽちゃと言われるくらいの肉付き。小5くらいには私の体型は完成されていたため、不審者によく遭遇したし中学生以降は常に身体目当てでモテていた。痴漢被害にもよくあった。大学生になるとますます声をかけられるようになった。もう多すぎてうんざりした。こっちは勉強しにきているのに邪魔をするなとさえ思っていた。同級生も先輩も後輩もバイト先の店長取引先のよく知らんおじもみんなワンチャン狙ってくる。いつか信頼できる人が現れると信じたかったが、体型を褒める言葉視線を浴び続けているうちに身体を曝け出せる人になんてこの先出会えないと思った。

こういう話は誰にもできない。モテ自慢と言われてしまうから身体だけを気に入られることのなにがモテなのだろうか。理解できない。

ひとつ付け足すが私は私の体型が結構好き。筋トレも頑張っている。私の身体は私だけのものだ。


大学時代

博士課程まで進むつもりで進学した。結婚出産タイミングを逃すから女性にはおすすめしないと言われたがそんなことに興味はなかった。

しか院生(男)たちはそうではなかった。ここで相手を見つけなければ一生独身だと焦っているようで、数少ない女性院生だった私は標的になった。また院生だけでなく教授からセクハラ(の自覚はないだろうが)を受けた。密室での指導や2人きりの出張(酒を飲みながら身体に触ったり混浴に行きたがったりひどかった)など、これがあと数年続くのには耐えられないと判断博士課程への進学は諦めた。ただ勉強たかっただけなのに。


就職後】

セクハラ教授から逃れるため離れた土地一般企業研究職として働くことにしたが、就職後も教授からの連絡は続いた。郵便物を送りたいからと住所を探られることもあった。全無視したけど。

就職後、しばらくは楽しかった。博士課程には進めなかったけれど研究所でバリバリ働けると思うと嬉しかった。しか就職から半年ほど経ったこから飲み会やら何やらで独身男性を紹介されるようになってきたのだ。同じ大学出身研究員がいたのだが、付き合ってもいないのに2人の子どもは頭が良いだろうなぁ可愛いだろうなぁと勝手想像されたり独身男性社員と無理矢理電話番号を交換させられたりもした。


絶望した。どこに行っても同じような扱いを受ける。

数年は研究職にしがみついてみたがある日ぷつっと糸が切れたように諦めの境地に至り、結局仕事を辞めた。現在研究から離れて他の仕事をしながら比較的穏やかに暮らしている。





長々と書き殴ってみたが、これが私の半生だ。同じことの繰り返しで薄っぺらくて悲しくなる。結婚出産経験した友人たちは異なるステージで悩んでいることだろう。それなのに私はずっと同じところで同じことを悩んでいる。


こうやって振り返ってみてもまだ、自分男嫌いだとは断言できない。仲の良い男友達がまだいるし(しかし彼らも結婚すると会えなくなるのだ。奥さんに恨まれたくない)。

喪女なのは確かだろう。私は身体しかモテたことがない。性格を気に入ってもらえるほど他人と深く関わることができないのだ。人付き合いが下手な、明らかな喪女だ。


ひとりでいるのは嫌いじゃない。むしろ好き。孤独死問題クリアできれば上手くひとりで生きて死んでいけるはずだ。

ただやっぱり、同級生たちを見ていると自分が損をしているようなもったいないような感情になるのだ。こんなにナイスバディ()に生まれたのに性行為の機会もない!キスもできない!子どもに好かれやすいのに自分の子どもは持つ機会がない!そうだ、身体時間もったいないのだ。


毎日毎日老けていく。卵子の数が減り白髪が増える。自分身体自分のもの。己が満足できるように整えておけたらそれでいいと自分に言い聞かせる。

60歳になってからでもいいから、いつか心から信頼できる人が現れないだろうかとまだ希望を捨てられない。いつか白馬王子様が迎えに来てくれるの!と夢見る子どもと同じステージにいる34歳。

気色悪いな。

2024-08-04

昨日今日ツイッター話題の、彼氏見下し系風俗通いおばさんの漫画とか顕著なんだけど

女が書いてるツイッター漫画ってなんであそこまで底辺なんだ…?

なろう系の主人公より更に幼稚な精神なのに、その自覚が無いのが一番キツい

悪人なのに善人ヅラしてるのが本当に耐えられないくらい醜い

当事者の親から見た、Qiita顔写真から自閉症判別してみたやつ

自閉症の子がいるので一言書きたくなった。

第一に、単なる実験の一つとしてやってみましたってことだったら別にこれ自体不快ではない。それ以外の部分で気に障ったことが多い。

まず、

保育士として児童発達支援に関わってきた。大変ではあるが非常に楽しい仕事だった

というくだり。支援級の担任もこういうこと言う人いるんだけど、これ言われるとね、当事者親としては(健常児より)楽しかったっていうのがもう健常児より下に見てるんだなって思うのよ。よくいるでしょ、知的障碍者天使だとかいうようなやつ。あれと一緒。本人には自覚がないのが厄介なんだよね。

あと、目的として挙げているコスト削減だとか誤診リスクの低減だとかがおかしい。医者しか診断できないって、明確な診断基準があるんだから当たり前だし、誤診リスクの低減も、「70%程度の正解率で御の字」ではお話にならない。診断の重さを全く理解していない。

全体的に、自分が関わったことがあるといえば文句は出ないだろうという打算が透けて見えるし、自閉症児に全く寄り添っていない。技術的な部分以外からあふれ出る偽善臭も非常に不快。繰り返すけどこれ本人には自覚ないんだよ。はてな民ならこの辺のモヤモヤを分かってくれると思う。

あとブコメな、

他人顔写真勝手に食わせて「こいつやっぱり自閉症だって」と言いふらすといった差別的な使われ方

うん、分かるんだけどさ、未だに自閉症だって言われるのはそんなに屈辱なんだというのは率直にショックだった。うちの子はそんな屈辱的な属性を持っているのかと。割とたくさんいるんだけどね。

東浩紀伝2

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂」(2021年教育雑誌 (57) 31-43)というレビュー論文がある。ロスジェネ論壇も盛り上がった印象はない。氷河期世代はそれどころではなかったのだろうか。雑誌ロスジェネ」は迷走してしまい、第3号は「エロスジェネ」で、第4号で終刊した。

東のゼロ年代ゼロアカ道場で幕を閉じる。東チルドレンを競わせるという企画であり、ゼロアカとは「アカデミズムゼロになる」という意味らしい(「現代日本批評2001-2016」、講談社、101頁)。彼らは東浩紀しか参照していないので、アカデミズムとしてはゼロなのかもしれない。ここで台頭したのが藤田直哉であり、ザクティ革命と称して、飲み会動画を無編集でアップした。ゲンロンのプロトタイプかもしれない。藤田はwokeしたが、東チルドレンでそちらに行ったのは彼くらいではないか

3 ゲンロン

ニコニコ動画に「動ポノムコウ」(2020)というMADがあるが、ゼロ年代の東は輝いていたものの、震災後は落ちぶれてしまったという史観編集されていた。落ちぶれたかどうかはともかく、震災前後に断絶があることは疑いない。東は移動を躊躇わないところがあり、90年代末に批評空間を離れたように、震災後に自らが立ち上げた動ポモ論壇からも離れてしまう。

ゲンロンの前身である合同会社コンテクチュアズ2010年4月6日創業された。2009年の秋の飲み会アイデアが出たそうである宇野常寛濱野智史、浅子佳英(建築家)、李明喜空間デザイナー)との飲み会であった。「ゲンロン戦記」(2020年)では李はXとされているが、ウィキペディアには実名で出てきている。李はコンテクチュアズ代表就任したものの、使い込みを起こして、2011年1月末日付で解任されている。代わって東が代表就任し、李から使い込んだ金を回収した。ちょうど震災前のことで、震災後だと回収は難しかたかもしれないらしい(「ゲンロン戦記」、42頁)。この頃には、宇野や濱野は去っており、浅子が右腕だったが、その浅子も2012年には退任する。

一般意志2.0」は震災前に雑誌「本」に連載されていた。2009年12月から2011年4月号まで連載されていて、4月号は3月頭に出るものなので、ちょうど震災が起こる直前に終わったことになる。「ゲンロン戦記」には「その原稿2010年代に書かれたのですが、出版震災後の2011年11月になりました」(22頁)とあるが、ゼロ年代に連載が始まっているし、出版されたのも2010年代なので、おかしな文である。「震災前に書かれた」と直すべきところであろう。「一般意志2.0」はゼロ年代パラダイムに属している。デジタル民主主義の本であるが、ちょっとひねって、ニコニコ動画のようなもの民意をくみ上げようというものであるゲンロンもニコニコ動画でやられているので、その所信表明でもあるのであろう。ゼロ年代ゲンロンをつなぐ蝶番的な書物ではあった。

サイバースペース」「情報自由論」は一冊の本として刊行されることはなかったのであるが、「一般意志2.0」は刊行された。すっきりとした構想だったからだろうか。東はネット草創期のアングラさのようなものを後光にして輝いていたのであるが、この本を最後に、アーキテクチャを本格的に論じることを止める。ニコニコ動画2ちゃんねる動画版のようなところがあったが、ツイッターをはじめとするSNSネットの中心が移り、ネットはもはや2ちゃん的ではなくなり、東の想定していたアーキテクチャではなくなってきたのかもしれない。東はツイッターも使いこなしているが、かつてほどの存在感はない。

一般意志2.0」の次の主著は「観光客哲学」(2017年であるが、サブカルチャー批評することで「ひとり勝ち」した東が観光客を論じるのは意外性がある。娘が生まれからアニメゲームに関心を失い、その代わり観光が好きになったとのことで、東の関心の移動を反映しているようである。「観光客哲学 増補版」第2章によると、観光客二次創作するオタクに似ている。二次創作するオタク原作の好きなところだけつまみ食いするように、観光客住民暮らしなどお構いなしに無責任観光地をつまみ食いしていく。このように観光客現実二次創作しているそうである

福島第一原発観光地化計画思想地図β vol.4-2)」(2013年)は、一万部も売れなかったそうである。ふざけていると思われたのだろうか。観光に関心を持っていたところに、福島第一原発事故があり、ダークツーリズム対象にできないかと閃いたのであろう。もともと観光に関心がなければ、なかなか出てこないアイデアではないかと思われる。東によると、ダークツーリズム二次創作への抵抗である(「観光客哲学 増補版」第2章)。それなりの歴史のある土地であっても、しょせんは無名なので、原発事故のような惨事が起こると、そのイメージだけで覆い尽くされることになる(二次創作)。しかし、そういう土地観光に出かけると、普通場所であることが分かり、にもかかわらず起こった突然の惨事について思いをはせる機会にもなるそうである二次創作への抵抗)。

社会学者開沼博福島第一原発観光地化計画に参加して、前掲書に寄稿しているのにもかかわらず、これに抗議した。東と開沼は毎日新聞ウェブ版で往復書簡を交わしているが、開沼の主張は「福島イコール原発事故イメージを強化する試みはやめろ」というものであった(「観光客哲学 増補版」第2章)。原発事故を語りにくくすることで忘却を促すというのが政府戦略のようであるが、これは成功した。開沼は2021年東京大学大学院情報学環准教授就任している。原発事故への応答としては、佐藤嘉幸・田口卓臣脱原発哲学」(2016年)もあるが、こちらはほとんど読まれなかった。ジュディス・バトラー佐藤博論(「権力抵抗」)の審査委員の一人であり、佐藤バトラーに近い(竹村和子亡き後、バトラー著作邦訳を担っている)。「脱原発哲学」にもそれっぽい論法が出てくるのが、こちらは功を奏しなかった。資本主義と真っ向から対立するような場面では効かないのだろう。ちなみに佐藤博論には東も登場しており、バトラーも東の名前は知っているものと思われる。

観光客哲学」はネグリハート帝国」を下敷きにしているが、そこでのマルチチュードは、共通性がなくても集まればいいという発想で集められているものであり、否定神学であるとして、郵便マルチチュードとしての観光客対置する。東は原発事故後の市民運動に対して否定的であり、SEALDsなどを毛嫌いしていた。第二次安倍政権は次々と「戦後レジーム」を否定する法案を提出しており、それに対抗する市民運動は盛り上がっていたが、負け続けていた。しかし、Me too運動が始まってからというものリベラルマイノリティ運動に乗り換え、勝ち続けるようになる。「観光客哲学」は市民運動が負け続ける状況に応答しているが、「訂正可能性の哲学」(2023年)はマイノリティ運動が勝ち続ける状況に応答している。小熊英二こたつぬこ木下ちがや)はSEALDsの同伴者であったが、マイノリティ運動に与した共産党には批判である。小熊の「1968」(2009年)は絓秀実革命的なあまり革命的な」(2003年)のマイノリティ運動に対する評価をひっくり返したものなので、こういう対応は分からなくはない。東も「革あ革」を評価していない。「絓さんの本は、ぼくにはよくわからなかった。六八年の革命は失敗ではなく成功だというのだけれど、その理由が明確に示されないまま細かい話が続いていく。どうして六八年革命成功していることになるのか」(「現代日本批評2001-2016」、講談社、71頁)。論旨そのものは分かりやすい本なので、かなりの無理解であろう。

東はアベノミクスには何も言っていない。政治には入れ込んでいるが、経済は分からないので口を出さないという姿勢である経済について分かっていないのに口を出そうとしてリフレ派に行ってしまった人は多い。宮﨑哲弥が典型であろうが、北田もそうであるブレイディみかこ松尾匡と「そろそろ左派は<経済>を語ろう――レフト3.0の政治経済学」(2018年)という対談本を出している。リベラルが負け続けているのは、文化左翼路線だけでは大衆に支持されることはなく、経済についても考える必要があるという主張であるが、リベラルマイノリティ運動で勝ちだしてからはこういうことは言わなくなった。北田2023年から刊行されている「岩波講座 社会学」の編集委員代表を務めている。

観光客哲学」の次の主著は「訂正可能性の哲学であるこちらも郵便本の続編といっていいのであろうが、そこに出てきた訂正可能性(コレクタビリティ)という概念がフィーチャーされている。政治的な正しさ(ポリティカル・コレクトネス)を奉じている者がそうしているように、理想を固定したものとして考えるのではなく、誤りをコレクトするという姿勢大事であるということらしい。駄洒落のようであると言われることもある。森脇によると、東は状況に合わせてありきたりの概念意味を変えるという「再発明」の戦略を採っているが、この「再発明」の戦略を言い換えたものが訂正可能なのだという(森脇「東浩紀批評アクティヴィズムについて」)。そうだとすると、訂正可能性は郵便本では脇役であったが、これが四半世紀後に主役になることには必然性があったということであろうか。

こうして現在2024年7月)まで辿りついたのであるが、東は多くの人と関係を断ってきたため、周りに人がいなくなっている。東も自身気質自覚している。「ぼくはいつも自分で始めた仕事自分で壊してしまう。親しい友人も自罰的に切ってしまう。「自己解体境界侵犯欲望」が制御できなくなってしまう。だからぼくには五年以上付き合っている友人がいない。本当にいないのだ」(東浩紀桜坂洋キャラクターズ」、2008年、73頁)。一人称小説の語り手の言葉であるものの、現実の東と遠からものと見ていいであろう。ここからは東の決裂を振り返る。

宇野常寛は東を批判して「ゼロ年代の想像力」(2008年)でデビューしたのであるが、東に接近してきた。ゲンロンは宇野のような東に近い若手論客結集する場として企画されたそうである。東によると、宇野を切ったのは、映画「AZM48」の権利宇野要求してきたかららしい。「東浩紀氏の告白・・・AZM48をめぐるトラブルの裏側」というtogetterに東のツイートが集められている。2011年3月10日から11日を跨ぐ時間帯に投稿されたものであり、まさに震災直前である。「AZM48」は「コンテクチュアズ友の会」の会報「しそちず!」に宇野が連載した小説である映画原作なのだろう)が、宇野ウィキペディアには書かれていない(2024年7月27日閲覧)。円堂都司昭は「ゼロ年代論点」(2011年)の終章で「AZM48」を論じようと企画していたが、止めておいたそうである。「ゼロ年代批評をふり返った本の終章なのだから2010年代を多少なりとも展望してみましょうというパートなわけだ。批評家たちのホモパロディを熱く語ってどうする。そこに未来はあるのか?」(「『ゼロ年代論点』に書かなかった幻の「AZM48」論」)。

濱野智史は「アーキテクチャ生態系」(2008年)でデビューしているが、アーキテクチャ論こそ「「ゼロ年代批評」の可能性の中心」(森脇、前掲論文)であった。東の右腕的存在だったこともあり、「ised情報社会倫理設計」を東と共編している。濱野は東と決裂したというより、壊れてしまった。その頃、AKB48などのアイドル流行りつつあり、宇野は、東をレイプファンタジーなどと批判していたのにもかかわらず、アイドル評論を始めたのであるが、濱野もそちらに付いていってしまった。「前田敦子はキリストを超えた 宗教としてのAKB48」(2012年)を刊行する。これだけならよかったものの、アーキテクチャ論を実践すべく、2014年アイドルグループPlatonics Idol Platform (PIP)をプロデュースするも大失敗してしまい、精神を病んでしまった。行方が分からなくなっていたが、「『豪の部屋』濱野智史社会学者)が経験したアイドルプロデュース真相」(2022年)に出演して、東に「ぐうパワハラされた」ことを明かした。

千葉雅也の博論本「動きすぎてはいけない」(2013年)には、浅田彰東浩紀が帯を書いていて、「構造と力」や「存在論的、郵便的」を承継する構えを見せていた。郵便本をきちんと咀嚼した希な例ということらしい。東がイベント千葉ゲイであることをアウティングしたのであるが、その場では千葉は黙っていたものの、「怒っている。」などとツイートする(2019年3月7日、「男性性に疲れた東浩紀何をいまさらと怒る千葉雅也」)。これに反応して、東は「千葉との本は出さないことにした。仕事も二度としない。彼は僕の人生全否定した」などと生放送で二時間ほど怒涛の千葉批判を行った。こうして縁が切れたわけであるが、千葉くらいは残しておいても良かったのではないかと思われる。國分は数年に一度ゲンロンに登壇するようであるが、このくらいの関係でないと続かないということだろうか。

大澤聡も切ったらしいのであるが、「東浩紀突発#110 大澤聡さんが5年ぶりにキタ!」(2023年10月16日)で再会している。どうして切ったのかはもはやよく分からないが、それほどの遺恨はなかったのだろう。

福嶋亮大は向こうから去って行ったらしい。鼎談現代日本批評」の第1回、第2回に参加しながら、第3回に参加することを拒んだらしい。東も理由はよく分からないようである。珍しいケースといえよう。

津田大介とは「あずまんのつだっち大好き・2018年猛暑の巻」(2018年8月17日)というイベントが開催されるほど仲が良かった。津田2017年7月17日にアイチトリエンナーレ2019の芸術監督就任し、東は2017年10月企画アドバイザー就任する。しかし、企画展「表現不自由展・その後」に政治的圧力が加えられ、2019年8月14日、東は企画アドバイザーを辞任する。この辞任はリベラルから顰蹙を買い、東はますますリベラル嫌いになっていく。批評家は大衆に寄り添わざるを得ないので、こういう判断もあり得るのだろうか。

東は2018年12月18日にツイッターゲンロン解散を発表するが、上田洋子らに説得されて、

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

anond:20240803163629

トラバにもあるけど、入院して強制的になおさないと無理だと思うよ

悠長なこといってないで恥ずかしがらずに入院すべき。

今なんとかなってるからって思ってるのかもだけどそれは外面だけで実際そうじゃないじゃん

それはなんとかなってるとは言わない。

大人自分自分の面倒をみないといけない

自分でどうにかできないときは素直に専門家に頼るのが大人生き方なの

一人でひいひいいいながら崖っぷちあるくような生活するのは、生き方として成り立ってないの

マジで入院しろ

自分でどうにかできるならとっくにできてるはずなのにそれができてねえんだから

お前は自分一人でどうにかできるレベルを超えてるんだよ

それを自覚しろ

自分だけでどうにかしよとするのをやめろ

隠すな

医者に話せ

それを見破れない今の医者はヤブだからかえろ

メンクリは当たりはずれがあるから、お前が気軽に本音をはなせるとこを探せ

自分流、明晰夢見方

から明晰夢がはっきりとコントロールできて、最近その話を人にしたところ「やり方をまとめて教えてくれ」と言われた。

自分なりに「明晰夢を見て、コントロールする方法」をまとめたので、それをここに記す。

完全に自己流だが、一時期2ちゃんねる幽体離脱スレを見ていて、そこから影響を受けていたりするので、一部出典があるものもある。

明晰夢を見たいと思っている人は参考になるかも…?

①夢の中で夢だと気づく。

これが一番ハードルが高い。訓練に近いと思う。

方法がふたつあって、やりやす方法で試してほしい。

パターンA.普段から夢じゃないか?と疑うクセをつける。

生活をしている上でなにか違和感があったとき、変だなと思ったとき(たとえば外がクソ暑いのに長袖の人がいた、とか)

絶対夢じゃないと分かっているときも、折に触れてこれは夢じゃないか?と頭の中で一度疑問に思うクセをつける。

その時に「自分の手を見る」「自分の体の部位を触る」など決まった行動を伴うとよりよいと思う。

本当に夢の時は感覚が伴わなかったり、見えるもののディティールがどこかふわふわしてたりするから気付きやすい。

自分10代のときからこれが癖になっていて、夢だと手相がなくて手のひらがつるつるなのでよく手を見る。

あ、夢だ!って分かったとき、緊張したら覚醒やすいので、夢だな〜ってぼんやりしとくのがポイント

パターンB.入眠時に意識的に夢を見る

眠るときに、うとうとして考え事なのか夢なのかはっきりしない、あ、今夢見てたかも、みたいなタイミングがないだろうか?

その状態を長くキープして、最初から「夢を見ていることを自覚している状態」のまま眠ってしま方法

ベッドの上で一番リラックスできる体制で、まず一人称ぼんやり景色想像する。

バスとか電車とか、普段乗り慣れていてなんとなくずっと景色が思い出せて、その景色が動くような記憶があれば一番良い。

ぼーっとその景色を見ながら考え事をする。覚醒しないレベルの、そこまで難しくないことがいい。明日のメシ何くおうかなとか。

景色を見ながら、そういやあの工事中建物ってどうなったのかなとか。

景色の中に、自分意識的想像していないものが映り込んできたら成功で、それを「夢が来たなー」と思いながらぼーっと見れたら最高。

②夢をコントロールする

夢で夢に気付いても、コントロールできないというのも聞く。

これは自分にもコントロールが難しいもの簡単ものがあって、

たとえば「翼が生えて飛ぶ」とか、体感として経験がないことはかなり難しい。結局夢は記憶想像しかいからかな。

「会いたい人を登場させる」とか「見たいもの(※見たことあるもの想像できるものに限る!)を見る」とかが結構簡単で、

それが出てくるきっかけを作ってあげるとコントロールやすい。

たとえば、夢の中で扉がある景色を作る。

扉は、「今、振り返ったら自分の部屋のドアの前にいる」と思いながら振り返ったりすると簡単に作れる。

自分の部屋が一番記憶に定着しているので唐突に出しやすいと思う。なんなら夢の最初自分の部屋なことが多い。

ドアの前で「このドアを開けたらあそこにいる」と想像しながら扉を開けると思ったところに行けるし、

「このドアからあの人が出てくる」と思うと、想像した人を召喚できることが多い。

物であれば大きなダンボールや箱を出して、「これを開くとあれがある」と思いながら開けると出しやすい。

物や人が唐突に目の前に現れるということは普段無いので、たぶんこういうきっかけがあると想像やすいのだろう。

他に明晰夢コントロールできる人はどんな方法で見てるんだろうか。

anond:20240803163629

悩んでいるから色々とっくに試しているとは思うからソバイスの自覚はあるんだが

過食嘔吐以外に夢中になるもの、ならざるを得ないモノを探すのはどうか

たぶんヒマだから食事のことや嘔吐のことばかり考えてしまうと思うんだよな…

視野が狭まってるから自分の事しか考えられないんじゃないか

夢中になるものを見つけるとかそんな簡単ものではないとは思うんだが

自虐順張りして問題になる風潮

テレビ初老ジャパンの紹介、頭に絶対自称」をつけて紹介される

予防線張って責任逃れするの嫌いだわ

つーかそんな自称とか付けないと呼べない呼称地上波で呼ぶなよ

そしてそういう自虐的名前を名乗る初老ジャパン側が一番責任がある

「私ブスだよね?」と自虐したやつを自称ブスが~とは呼ばんでしょ?

で、呼ばんように気を遣わす側が一番悪い

広告なんかでいい広告キャッチフレーズは真似されたらwin-winなのにネガティブキャンペーンはおうむ返ししたらダメってアホなのかと

自虐的なこと言うなら最初から慎めよ

ブスの自覚あるなら整形するまで引っ込め!

自分クズなことを自覚した

初めに付き合った彼氏は私を振った。キッパリと振って、その後何の接触もしてこなかった。私もプライドなのか自制心なのか、ここで連絡してはいけないと思って連絡はしなかった。結果、綺麗に別れることができた。いや、未練はめちゃくちゃある。あるけど、事実として別れることはできた。

で、今。二人目の彼氏と別れた。今度は私が振った。振ったら、振られた方は連絡してこないだろうというのが私の見立てだった。ところが相手は一週間くらいで連絡をよこしてきた。恥とか外聞とかプライドとか、あるいは冷たくされたらどうしようって恐れはなかったのか。ない奴だった。

連絡が来て、ハッキリと、私は嬉しかった。行き場をなくしていた愛情が胸の奥から溢れてくるのを感じた。そしてまんまと返信してしまった。そこからズルズルと連絡を取り合う日々が続いている。

これはいけない。これはクズのやることだ。分かっていて、でもスッパリ切れない自分がいる。タイミングを逃したというか、初めからそんなタイミングなんてなかったみたいに思える。逃れられない問題に直面して、初めて私は自分クズと呼ばれる性質人間だということを知った。それから、昔私をスッパリと振ってくれた人の高潔さと誠実さも。

決着をつけないままで連絡を取り合っている。会おうと約束している。見ている未来はきっと違うのに、たまたま重なり合った今を手放せないでいる。不幸になることが見えていて、どうして離れられないのか。蜘蛛の糸があったら縋りたいくらい、私はクズだ。

anond:20240804025417

キモオタにもキモさを自覚して性的レコメンドをしない奴と、自覚なくてやらかす奴がいて、やらかす奴は当然キモいし止めてほしいって話やぞ

いかなる属性であろうと一枚岩なわけないだろ、人間多種多様なんだよ

キモオタにも友人になりたいキモオタと友人にするにはキツいキモオタがいるんだよ

2024-08-03

非モテイケメンを何人か見て分かったことがある

イケメンでも男なら普通に非モテになるらしい。

これは友人を観察した結果の感想である

彼らにはいくらかの共通点がある。


まず、コミュニケーション力。彼らはまず自分から喋らない。そして返答も会話をピシャリと終わらせる才能に満ちているものばかりである

そして、動き。彼らは何かしら慌ただしくコメディカルな動きをすることが多く、顔は良くてもカッコよく見えない何かがある。

最後に、自覚のなさ。彼らは自分イケメンとは露とも思っていない。故に容姿を磨くことにあまり興味がなく、女性との関わりを持とうとしない。

彼らにイケメンであることを自覚させれば、これらの課題解決できるのかもしれない。

これから壮大な実験を始めるとしようか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん