はてなキーワード: 短編小説とは
きっかけはあるゲームの誤情報をばら撒いていたこと。まあまあ炎上してそれからちょくちょくいじっているが、基本的には「会社員は縛られた生き方をしている」とか「無能は人間になるな」とか「自分の好きなように生きろ」ってどうでもいいことをただただループしているだけ。後はそのときにハマった筋トレやウマ娘や遊戯王などのゲームの話題。そしてそれらと同等なくらい「アンチコメントは無視します」とどこかしらで言っている。
ただ、継続は力なりとか言ってるわりに単なるコピペ記事を量産しているだけなので意味なんてあるんだろうか
以前は短編小説家になろうとしたらしいのだが、書いてるのは沈没船ジョークをほぼそのままパロっただけっていう小学生レベルの物。
そして本人が何よりも気にしているアンチコメントといえば、たまーに俺が書くどうでもいいコメントしかなくスパムさえあるか不明だ。
過去にははてぶで自演ブクマしたり、この増田に自演転載していたりもしたのだが、何を思ってそんなことをしたかはわからない。
よくもまあこんなことをしていれられるなと思いつつ、こんなブログを観察している俺もどうかしているなとしみじみ。
好きにはなれないが同級生のような感じになっている
事件記者のパーカーは、連続殺人犯のリッキーを正義感から助けたが、恩を仇で返され殺されかけた。
再び収監されたリッキーだったが、ある日刑務所を脱走して行方不明となる。リッキーからの報復を恐れ、警察に付き添われつつ逃避行したパーカーだったが、護衛に着いてくれたスッタッグ警部補に好感を持ちはじめ……。
すごく面白い訳じゃないけど、つまらなくもない。終盤、もしリッキーが復讐に訪れたら、その時パーカーはスタッグ警部補に何をしてもらいたいと願っていたのか、その胸の内を白状するところが、人間臭くてよかった。
柴からのプロポーズを受けて、結婚するのもいいかなと思った、秋山くん。だが、自分と柴がふわっふわしていて地に足が着いていない有り様を仲間達に指摘され、自分がしっかりしないと、と決意したのだった。
進路選択を機に我に返って現実を見る、というのはあるあるだけれども、世間に歩調を合わせて妥協するのではなく、「結婚する」という目標はブレないまま、それぞれ成長していくところがよかった。
柴と秋山くんだけでなく、柴の友人のじおんくんやちえちゃん、秋山くんの悪友達も彼らなりに考えて成長し、互いに影響を与え合っている様もいい。
そして、地方のヤンキーや底辺高校生達の人生を回すスピード感がリアル。彼らは都会の大卒がアラサーで悩むような事に、高校在学中に悩み決断するんだよなぁ。
BL漫画を描くような人が、こんな感じの市井の人々にスポットを当て、「ヤンキー」という形だけでなく彼らの暮らしぶりのリアルを肯定的に描くのは意外な感じがした。
第1巻の、かなり酷すぎる性的虐めからのまさかの展開の時点では想像もつかなかった、大団円。よかったわねぇ、皆……と近所のおばちゃんの気分でほろりとしてしまった。
記念すべき第80号。飛ぶ鳥落とす勢いの人気小説家、凪良ゆう先生の作品をコミカライズ! というスペシャルな感じがあるんだけど、寄稿者の人数が今月も少なく、大丈夫なの……? と一読者の私は若干心配になるのだった。朝田ねむい先生の『スリーピングデッド』が2話分一挙公開! さもなければ雑誌がもっと薄くなってしまったよね。私は電子派だから、リアルに本の厚みに一喜一憂は出来ないのだけれども。
ちなみに、『Canna』のテイストはエロ大人しめで、青年漫画に近い感じかな。変わった作風のものが多いと思う。じっくりストーリーを楽しみたい人向け。
ではでは、作品ごとに感想を書いていくぞ。順番は掲載順。文章量があからさまに思い入れに比例してて御免。
昨今はあまりにも小説が売れないが、ストーリーを作れるのはやっぱり小説家、ということで、小説のコミカライズがお盛ん。しかし小説のコミカライズを読む度に、大体原作の方が面白いなって思う。やっぱ、漫画には漫画の、小説には小説のやり方があるんじゃないかな。
という訳で、この作品もやっぱり原作読んだ方がいいんじゃないかなという感想。私自身は凪良ゆう先生の作風が好きだけど、『積み木の恋』は未読。原作の方が好きになれそうと思った。
凪良先生の良いところは感情表現とユーモアで、ユーモアの方は台詞に出がちなのでいいとして、感情表現は地の文に出がち。しかも行間を読ませるというよりは分析的な文章なので、漫画の余白とか空気感で表現はしづらいんじゃないかなと思う。
コミカライズ担当者がまずいという訳ではない。漫画化との相性がいい原作を選んだの? と疑問に思うだけ。
現在、他誌でも凪良ゆう先生の作品が漫画化されているんだけど、そちらは近々ドラマ化される『美しい彼』で、コミカルな台詞回しが多く、少女漫画のセオリーを綺麗に踏襲しつつたまに強烈な逸脱を見せる作風で、より漫画向きな感じがする。
すごく評判のいい作品なのだが、私はつい最近(4、5号前かな)から読み出したせいで、話がさっぱりわけわかめ。最近までは悪魔Jの過去話で、現在は主人公のマコトちゃんがなんか生首持ってJの家に来たところ。
まあ、よくわかんないけど、マコトとJのどろどろの愛を楽しむ漫画なの? 今回はやばやばエロ回。Cannaの漫画っておかしな性癖のエロはあまりない感じなんだけど、本作の今回は若干アブノーマルかなぁ。最中の台詞を読んで、それ奴隷商人痴皇(@『幽遊白書』)が言ってた台詞のやつじゃん、とツッコミを入れたりなど。
ストーカー?×恋愛の美味しい所だけ味わいたいグラスハート のおっさんずラブみたいな感じ。画風がサラリーマン向け雑誌みたいだが、エロはがっつり腐女子好み。エロシーン多め。「×」というよりは「VS」が似合う関係性のようにも思ったが、受けの人は粘着されて嬉しそう。まじかよ。
第1話を掲載した後数回休むってすごいな! と、これまで読んできた漫画雑誌といえば有名少年漫画・少女漫画雑誌くらいの私は思うのだが、Cannaにはよくあることなのかもしれない。
別にBLでなくてもよくないか? と思った。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
相変わらずタイトルの響きが最高だなあ、ベルガモットアンドサニーデイ! 声に出して読みたいタイトル。
働く大人女子向け漫画っぽいもだもだした恋愛もの。別にBLでなくてもよくないかという気がしないでもない。
オメガバースって、二次創作においては行きつく所まで行ったニッチな性癖感あるけど、オリジナルBLにおいてはネタの範疇に妊娠と出産も一応入る為に社会派の側面もあるよねー。ということで、これもうっすら社会派っぽい雰囲気のある作品。
とはいえ、大概のオメガバースはαとΩのやり過ぎエロとかΩの業の深さを楽しむものだとも思う。本作も社会派っぽい面はあくまでおまけかな。
イエーイ今回一番楽しみにしていましたイエーイ!! 2話ぶん一挙掲載にしても凄い分量がある。全部で80ページ越えだもんな。
ネタバレをしながら書くので、ネタバレ無しで読みたい人は読み飛ばしてください。
今年の8月末日に刊行された第一巻の続き。殺人事件に巻き込まれて理不尽な死を遂げた佐田が、マッドサイエンティスト間宮に拾われ理不尽にもゾンビにされ、これまた理不尽にも食人をして生きることになったのが、第一巻までのストーリー。
巻末辺りで、間宮が実は顔見知りだったことを佐田は思い出す、という謎めいた展開に。
今回は、佐田の記憶に結構ぼこぼこに抜けがあるのが判明しつつ、視点は佐田から間宮に移る。
これまでもっぱら佐田視点で物語が進み、佐田の人となりを読者は佐田の自己認識という形で知ってきた。ところが! 間宮の記憶に残っている佐田の人物像がとても意外。いや、表向きは佐田は昔から非の打ち所のない、ほどほど善良な人物だった。それを間宮はスクカー最底辺のひがみ根性から「偽善者」と決めつけていたのだけれど、あることがきっかけで、佐田の邪悪な一面を垣間見たのだ。
一巻までは、クレイジーな科学者間宮に翻弄されるごく普通の善良なスパダリ佐田、という構図だった。けれども一皮剥けば、間宮は科学的探求心に突き動かされていない時には案外まともな感性を持っているのに対し、佐田は無意識ながら自身の暴力性を発揮する隙を窺っているようにも見える。
理由も無しに暴力を振るわない間宮と、理由さえあれば嬉々として暴力を振る佐田。彼らは似ているようで根の部分は真逆。
佐田の仮面を剥がすと現れるのは、過去に間宮を虐めた奴らと同じような気性で、間宮が佐田に惹かれるのはストックホルム症候群のようなものに思える。お、これって同作者の『マイリトルインフェルノ』じゃん? 『マイリトルインフェルノ』のあとがきに、最初はいじめられっ子が悪魔の力を借りていじめっ子に復讐する話だったが暗くなりそうだからやめた、と書いてあったと記憶しているが、今回はそのテーマに再挑戦するということなのだろうか?
間宮と佐田の過去編にはBLなのに若干百合みを感じる。陰湿×陰湿だからかな。
感情を表情や言葉で表すのが大の苦手な間宮の、一巻までの言動の伏線は全部一巻内で回収(あーこいつ実は佐田のことかなり好きだな、と。)されたものだと思っていたが、そのなかでの特に重要な台詞や表情の一つ一つが、実は二人の過去(しかも佐田には綺麗さっぱり忘れられている)に掛かっていた、というのにはやられた。なんてすごい構成力なの……。
ここまで見てくると、間宮の佐田に対する一方的な想いが実にエモーショナルに感じられ、間宮の佐田に対する言動の一つ一つが愛らしく思えてくる。間宮が佐田の死顔を見、「……あまり変わってないな、キミは」と呟き佐田の頬を撫でるシーンにはちょっと涙が出てしまうな。一巻収録ぶんを未読な人には、変な人の変な行動にしか見えないかもしれないけど。いまだ紆余曲折の真っ最中にあり見た目にまで苦労の滲み出ている間宮が、昔のまま歪みなく順風満帆に大人になり夢も叶えた佐田に対し、羨望と嫉妬以上の眼差しを向ける、名シーンだ。
ところで、佐田が肝心の所をまるで覚えていなかったのは、何かの影響による障害にも読めるし、加害者と被害者の記憶のギャップにも読める。佐田は間宮を虐めた人ではないけれど、佐田の心根にはいじめっ子的な所があるというか。間宮が佐田のことで強烈に記憶している部分というのが、佐田にとっては他人に対する悪意を解放した部分である(佐田本人はスカッといい気分)であるから、そりゃ覚えている訳はないか。
間宮と佐田の過去と二人の関係性、そして間宮の佐田に対する想いは明らかとなった。だが、ゾンビ化が佐田に与えた影響という伏線はいまだ回収去れていない。これが今後どのようにストーリーに関係していくのか。ゾンビものの定石として佐田が人格を喪い人食いモンスター化し暴れ出すとかいう展開も予想出来る流れだし。
次回が待ち遠し過ぎる。
えっ、この漫画もう第5話なの? あらまあ! 時の経つのは早いなあぁ。そういえば、私が初めてCannaを買ったとき、ちょうどこの漫画が新連載として載っていたような記憶がある。
ハードっぽい作風と画風で、日本の漫画という由りは海外の、フランスとかの漫画っぽい雰囲気なのだが、やっぱりBLはBL。急速に恋が始まり、油液が飛んだ。(←何かの隠喩ではない。)ここまで一応事件はあったものの凄い急展開が起こった感はないのだけど、もう5話。一巻以降も続く感じかな。次号とかで終わったら、何だったのかよく分からない漫画になってしまうし。
娼館ものでかつ猫耳獣人ものという欲張りセット。連載が長く続いているのもあり、私にはさっぱりストーリーがわけわかめ。
この間まではなんか過去の話をしていなかったか? 攻めの人がどっか遠い所に行っちゃうような話では? と、前回までの話を把握していないまま今回を読んでも理解出来るはずもなく……。絵が綺麗。しかし、何故レディコミではなくBLなのだろう? という疑問もなくはなく。まあ、こういうBLが好きな人もいるさ。
イエーイ、これもすごく楽しみにしていましたイエーイ!! だが、ストーリーはそんなに進まなかったので、ネタバレのしようがない。
前回までの色々が解決も進展も後退もせず。フィーは子供時代に犯した過ちがシャングリラに及ぶことを恐れて怯え続けれており、一方アポロといえば、輝く白さのホワイト労働のはずがまさかの自身の性質によって馴染むことが出来ずに進退を考える局面に差し掛かっていた。
アポロが試情夫として正規雇用されて依頼、なかなか接点を持てないふたりは、それぞれの悩みを一人で抱え込んだまま、ひたすら悶々とし続ける。
精神的に詰みそうになったタイミングで、運良く二人きりになれたとこまでで次回を待て!
なんとも言いようがない。ただ、座裏屋蘭丸先生の描く、男子達がより集まってあーだこーだ言い合うシーンは最高だなあ、ということくらい。
絵柄がすごく綺麗なのに、背景を真っ裸で歩くフィーの超遠目に映ったおちんが白抜き修正されてしまうのが、地味に悲しい。全身クローズアップ絵では脚とかで隠し切っているのになぁ。
別にBLでなくてもいい気がするのだが、BLじゃなかったらこのモフモフが観れなかったので、BLでよかった。
つむぎの狐Ver.の口元のふにゃふにゃさと狐らしいお手々の感じが癒し。だが今回は人間姿でこってりエロ回。モフモフしっぽガードがよかった。
この作品はかなり人気があるようで、Cannaの代表作といえばこれ、みたいな扱いをされているけど、私はあんまり好きじゃないんだよなぁ。BLなんだけど、少女漫画特有のねっちりさがあるところが、あまり好みではない。そういうのが良ければ少女漫画を読むよ。しかし世間ではこれが王道綺麗めBLなのかもしれない。知らんけど。
***
個人的に、「BLなのに百合みがある」は正直な感想でありつつ褒め言葉でもある(と言いながら、私はあまり百合は好き好んでは読まないのだが)のだけど、「BLでなくてもよくないか?」は明確にdisりとして使っている。
せっかくの増田。何もしがらみのない場所なので、そりゃ忌憚のない感想をかくさ。
では今日はこの辺で。
説明困難。とにかくこの絵を見て。なるべく大画面で。『岸辺の夢』 http://www.moae.jp/comic/kishibenoyume/1
あまり知られていないけれど、藤子不二雄のSFは無理に救いを作ろうとしない傾向だからひどい話が多い。
そしてもちろん手塚治虫も。
↑ここまで漫画
意味がわからないのに何故か目が離せず引き込まれてしまうアニメ『serial experiments lain』
惨めな人間の尊厳と悲惨がこれでもかと言うほど詰まった短編小説『外套』 https://www.aozora.gr.jp/cards/000207/card357.html
O.HENROって短編小説が有名ですよね?
読んだことのある、観たことのある、漫画・小説・映画・アニメで百合だなあと思ったものの感想まとめてみた。
敬称略。
■漫画
・ポプテピピック/大川ぶくぶ →誰がなんといおうと百合なんだよ!!文句言うな!
・うさぎのふらふら/隈井 →とてもお気に入り。雰囲気最高。なぜ2巻しかないのか?
・CCさくら/CLAMP →知世ちゃんが神。わたしの永遠のアイドル。
・ハクメイとミコチ/樫木祐人 →うーん百合なのか?作者の今後の展開次第。別に百合方面に展開しなくても大好きだよ!
・はなにあらし/古鉢るか →他の百合漫画をすごく研究してるように見受けられる。技巧的な印象
・少女革命ウテナ(最近でた続きの巻)/さいとうちほ →川上とも子の不在が漫画にまで影響している…悲しい
・シャドーハウス/ソウマトウ →百合って括りの読者もいるらしいがピンとこない
・陽だまりに寄り道/嶋水えけ →短くまとまっている。まあまあ
・乙女ケーキ/タカハシマコ →超好き。本で持ってたの手放したけど買い直したやつ
・シメジシュミレーション/つくみず →うーん悩むけど少女終末旅行より好きかも?そもそも四コマって形式が好き
・コレクターズ/西UKO →百合はまあまあだが本好きという設定の人物、本屋で写真を撮るのはやめましょう
・新米姉妹のふたりごはん/柊ゆたか →わりと真剣に面白いし登場した料理を作ってみたくなる
・ゆりこん/久川はる →明るくて好き!時々読み返す
・ユリ熊嵐/森島明子 →ふつうに面白い。アニメ全部観てないです…
・NKJK/吉沢緑時 →お気に入り。お笑い×シリアス×百合。時々読み返す
・ムルシエラゴ/よしむらかな →ぶっとんでて良い。さわやかさすら感じる
・人でなしの恋(画集だけど)/沙村広明 →捉え方次第では百合
■映画
・アデル、ブルーは熱い色 →レア・セドゥ最高最高最高最高
・キャロル →途中盗聴されるあたりつらいけど好き
・オーシャンズ11 →まあまあ
・攻殻機動隊(実写) →ファンの作った同人映画って感じが半端ないけどあのシーンは悪くなかった
・アンモナイトの目覚め →エンディングの後、どうなるんだろう気になる。想像しちゃう
■アニメ
・少女革命ウテナ →アンシーが飛び降りようとするところ泣いてしまう本当に
・少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録 →人生で一番観た映画。台詞含めてもはや美しい音楽
・シムーン →「アーエール!!!」のシーンが好き。アングラス……
・THE IDOLM@STER →運動会の回とかいおまこ
・THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ! →最初から皆売れっ子で強めで素晴らしい
■小説
・茨の城/サラ・ウォーターズ →なかなかに面白い。読み返すかは不明
・わたしを離さないで/カズオ・イシグロ →ルースのキャシーへの粘着は百合みある
・キャロル/パトリシア・ハイスミス →映画とまた違う良さ
・白い薔薇の淵まで/中山可穂 →ちょいちょいある男サゲはどうかと思うけどなんだかんだ好き
・アステリズムに花束を(百合SFアンソロジー) →手放したけど色のない緑がまた読みたくて買い直した
・レズビアン短編小説集 →『マーサの愛しい女主人』、『しなやかな愛』が特に良い
・フラニーとゾーイー/サリンジャー の中の『フラニー』 →男女のカップルの会話中心だけど、なんだろう百合を感じる(フラニーの中に)
タイトルを失念したし細部は間違えているかもしれないが、アメリカのSF作家ロバート・シェクリイの短編小説で、こんな話があった。
= = = = =
ある日、主人公は、街中の交差点で歩行者信号が青色になったので横断歩道を渡ろうとしたところ、背後の誰かから「危ない!」と声を掛けられたお陰で、信号無視の車に撥ねられずに済む。
声を掛けて助けてくれた誰かにお礼を言おうと、主人公は背後を振り返ったが、それらしき人間は見当たらない。
その代わり、目に見えない何者かの声がして、主人公との会話が始まる。
その声の主は、謂わば異次元の存在だから、大多数の人間は、見ることも声を聞くこともできない。しかし、稀に主人公のように声を聞くことが出来る人間がいる。
そして、声の主は災難に遭う可能性が有る運命の人間を見分けることができるので、今回のように忠告の声を掛けて時折り助けているのだと言う。
声の主が「君さえ良ければ私がアドバイスをすることで、君が将来的に遭うかもしれない危険な目を避けられる。別に見返りを求めたりもしない」と言うので、主人公は謎の声の主をアドバイザーとして受け入れ、二人の関係が始まることになる。
声の主が予め危険を忠告してくれるので、主人公は危険を避けることができるようになる。例えば「明日の出勤は違うルートにしろ。いつものルートではガス爆発が起こるから」と言われて従ったところ、翌日の新聞にガス爆発事故の記事が載り、普段の通勤に使っているバスが巻き込まれたことを知るといった具合いである。
最初は主人公も「これは助かる」と重宝するが、二人の関係が続くうちに、危険を避けるために与えられる忠告の頻度がどんどん多くなる。
不思議に感じた主人公が、声の主に質問すると、次のような答えが返ってくる。「人間の運は、全体的にバランスが取れるようになっている。自力で未来の危険を察知したり避けたりすることができない人間は、大きな危険に遭遇する可能性が小さくなるようになっている。しかし、君は私の忠告によって危険を避ける能力が普通の人間よりも上がっているので、その分のバランスを取るために大きな危険に遭遇する可能性も上がっている」と。ちょうど、ヤジロベエの片腕を押し下げているようなものである。ヤジロベエが落ちないようにするには、反対側の腕も押し下げねばならない。
「冗談じゃない!」と思った主人公は、声の主との関係を解消しようと「私のところから立ち去ってくれ」と言う。しかし、声の主は言う。「君の傍から私が居なくなっても、運のバランスが直ぐに回復するわけではなくタイムラグがある。私の忠告は受けられなくなるが、君が危険に遭遇する可能性は暫くの間は高いままになる。私の忠告も無しに、それらの危険を君は避けることが出来るのか?」と。ヤジロベエの両腕を押し下げている力の片方が、急に消えるようなものである。声の主が消えれば、反対の腕を押し下げる力だけが残る。もし、そうなると……。
声の主は、主人公に対して「心配はいらない。私の忠告さえ守れば、君は安全だから」と言う。実際にその言葉どおり、主人公は様々な事故や事件を未然に避け続ける日々を送る。
やがて月日が経つと、声の主による忠告に変化が生じ始める。「主人公の住居であるアパートの玄関に✕✕を掛けておけ」とか「✕✕を肌見離さず持ち歩け」という具合いに。
まるで魔除けじゃないかと思った主人公が、声の主に尋ねると、やはり運のバランスの問題であることが判明する。声の主は言う。「異次元の存在にも、私のように人間を助けるのが好きな者もいれば、逆に人間に危害を加えるのが好きな者もいる。私からの忠告を受けられることで、君の運は相対的に良くなったから、その代わりに人間に危害を加えるのが好きな存在にも目を付けられるようになった。これらの新しいタイプの忠告は、それらの危険な存在を避けるためのものである」と。もちろん、声の主が居なくなったとしても、主人公が異次元の危険な存在に狙われる可能性は暫く高いままである。したがって、主人公に拒否権は無い。
声の主は言う。「心配はいらない。私の忠告さえ守れば、君は安全だから」と。ここに来て、ようやく主人公は悟る。声の主は、善意から主人公を助けていたのではない。単に、主人公を駒にしてゲームを楽しんでいるだけなのだと。しかし、関係を絶とうにも既に手遅れである。声の主が居なくなれば、主人公を待つのは破滅だけなのだから。
そんな或る日、またも声の主が忠告をしてくる。
この頃になると主人公も慣れてきていたので「今度は何だ?墓場の土を掘ってくるか?それともヒイラギやニンニクを玄関のドアにぶら下げておくか?」と、声の主にジョークを返す。しかし、声の主は言う。「いや、今回の戦術は『何かしろ』ではなく『ある禁止事項をしないようにしろ』という形になる。何しろ今度の敵は手強い。獲物にしようと狙いを定めた人間をずっと見張り続けて、そいつがミスを犯したところを餌食にするんだ。だから長期戦になるのを覚悟しろ。根比べで敵が音を上げて、君の傍を立ち去るのを待つしかない」と。
「いいか。絶対に『レスネライズ』するなよ」と声の主は言うが、主人公は理解できない。声の主が「あ、そうか。これは人間の言葉で言えば……」と説明しようとしたその時、突如として、アパートの部屋の中に獣臭い匂いが立ち込め、凶暴な唸り声が聞こえ始める。
「くそ!予想よりも早く現れた!」と声の主が言うのが聞こえると、目に見えない存在同士が格闘していると思しき物音が主人公にも聞こえ始めるが、その末に声の主の断末魔の悲鳴が響き渡る。
「おい!大丈夫か?」と安否を尋ねる主人公に対して、声の主は弱々しい声で「いいか……絶対に……するんじゃないぞ……」と言い残し、それっきり声も聞こえなくなる。
主人公は恐怖に震えながら、部屋の片隅にうずくまり、まんじりともせずに一夜を過ごす。
眠気に負けた主人公は少し居眠りして目を覚ますが、何事も無かった。だから、睡眠をとることはレスネライズではない。
催した主人公はトイレに行って用を足したが、何事も無かった。だから、これもレスネライズではない。
主人公は、喉が乾いたから水道の水を飲んだし、腹が減ったから冷蔵庫の中に有るものを食べたが、何事も無かった。だから、これらもレスネライズではない。
脅威の元である異次元の存在は、人間の目には見えないから、それが立ち去ったかどうかを主人公が確かめる術は無い。しかし、用心深く過ごしていれば、いずれ敵も根負けして立ち去ることだろう。それまでは気をつけるしかない。
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パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
この前話題になってた本垢では4桁フォロワーがいる絵師だけど、ROM垢で新人だかを育てるのが楽しいってやつ。いやマシュマロで自己肯定感を高めて〜とかやってないで本垢でrtとか繋がるとかでよかったんじゃね?と思って後日Twitterしてたらまぁまぁ燃えてた。まぁそうだよね、高圧的だったし“俺が育てました”みたいなノリだし。
話は変わるけど、俺は二次創作垢はあるがいかんせん文章力が壊滅、イラストもそこそこ見れるレベルでどうにも妄想が出力できないオタクである。いいなと思う場面が言語化できない。擬音で乗り切ろうとする。一回書いて見直すと羞恥心で爆発する。だから書けない。難しいなこれ。
だけど、神絵師とか神字書きとか仲良しのフォロワーとかの匿名質問箱とかましゅまろにはそこそこな短編小説やら妄想やらが送れる。その時だけはなんか知らんが書ける。その時だけは。
この前、一回マシュマロで送った妄想を神字書きが大層喜んで一本小説を書いてpixivにアップしてくれた。俺が育てましたとか俺のおかげとかは思わなかった、読みたい文章を神が実体化してくれたと思った。そこに俺がどうとかそういうのはない。ネタを一滴差し出しただけで、そこから完全体へと昇華したのは神自身の能力である。優越感などはない。ありがとう神、自ジャンルにいてくれて。もちろん原作絶対主義だけども、それとこれとは別問題である。だって推しの日常とか見たいじゃんね。
とりあえず、自分で文章が書けるようになりたいがいかんせん苦手である。800文字小説で練習中だけども、言い回しがド下手くそであるので長いし分かりにくい。創作ネタ提供botにでも転生した方が自分のためにもいいような気がしてきた。
諸君は巨乳と聞いたとき大体どのくらいの大きさを想像するだろうか。EカップやFカップ?それともGカップだろうか。世の中には巨乳の最頻値がHカップであり中にはQカップなどという存在が出てくる分野が存在する。それはユーザ投稿サイトの男性向けエロ小説である。
本稿ではノクターンノベルズ*1に投稿された短編を解析することで男性向けジャンルで好まれるバストサイズの変遷を調べる。特に読者・作者に巨大と認識されるカップサイズが年を重ねる毎に増大していることを明らかにする。(なぜそんなこと調べたのかというと、小説漁りしてる時になんか最近極端に大きなバストサイズが多いなーって感じたから。以上!)本文章は男のアホさをご了承の上、特に女性の方々におかれましてはリアリティの欠如や空想すぎる産物への指摘を留めて頂き、男ってバカだなぁと笑って読んで下さい。
*1 株式会社ナイトランタンの提供する男性向け18禁版小説家になろう
2006年から2020年までの各年(2020年のみ12月29日まで)に投稿された短編を総合ポイントの高い順に百本抽出した。そして各小説の調査フィールド(タイトル、概要、タグ、本文)に対して、MeCab+mecab-ipadic-NEologd(およびAからZまでのカップ数を羅列したユーザ辞書)による形態素解析を実行し、キーワードの出現回数を数えた。検証対象を短編に制限した理由は、キャラクター内面の作り込める長編小説と異なり、R18短編小説は表面上の属性(巨乳とか巨乳とか)が市場の潜在的な需要を反映する傾向にあると考えたからである。すべてのコードは Python 3 で実装した(実装としては年齢認証を突破するため適当に Selenium 叩いているだけ。コードとデータが欲しいという物好きがいたら github にでも上げるので言って下さい)。注意点として、小説ポイントは積み上げ式であるため、当時は人気がなかったが後年に人気が出てポイントが上がった可能性は排除できない。よって当時の人気を厳密に反映しているわけではなく、現時点での総合人気ということでご容赦を。
はじめに検証対象となる短編の総投稿本数を示す。各年の短編投稿本数は以下の表1の通り年々上昇している。
2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
26 | 117 | 238 | 218 | 163 | 387 | 342 | 488 | 651 | 834 | 911 | 1103 | 1668 | 1165 | 2470 |
表2は本研究のメインデータとなる、調査フィールド(小説のタイトル、概要、タグそして本文)にバストサイズに関連するキーワードを含む短編の数である。ヘッダーのAからRはカップ数を表している。なおOカップ、Pカップ、およびSカップ以降は出現しなかったため省いている。表3は表2の均していないデータ、つまり調査フィールドでのキーワードの出現合算(連呼頻度)である。
表2 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | M | Q | R | # | 貧乳 | 巨乳 | 爆乳 | 表3 | A | B | C | D | E | F | G | H | I | J | K | L | M | Q | R | # | 貧乳 | 巨乳 | 爆乳 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 1 | 3 | 0 | 2006 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 2 | 11 | 0 | |
2007 | 1 | 0 | 1 | 3 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 6 | 1 | 2007 | 2 | 0 | 3 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 16 | 3 | |
2008 | 1 | 4 | 3 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 7 | 0 | 2008 | 2 | 7 | 7 | 5 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 10 | 0 | |
2009 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 2 | 7 | 2 | 2009 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 4 | 29 | 4 | |
2010 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 2 | 5 | 0 | 2010 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 2 | 11 | 0 | |
2011 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 3 | 16 | 8 | 2011 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 7 | 48 | 21 | |
2012 | 0 | 2 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 1 | 15 | 3 | 2012 | 0 | 7 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 1 | 29 | 3 | |
2013 | 1 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 1 | 9 | 3 | 2013 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 1 | 12 | 4 | |
2014 | 2 | 2 | 5 | 0 | 2 | 2 | 3 | 3 | 5 | 2 | 1 | 2 | 2 | 0 | 0 | # | 4 | 24 | 10 | 2014 | 4 | 2 | 5 | 0 | 7 | 2 | 4 | 5 | 18 | 3 | 1 | 4 | 2 | 0 | 0 | # | 9 | 54 | 27 | |
2015 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 4 | 23 | 5 | 2015 | 0 | 0 | 1 | 7 | 1 | 6 | 2 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 4 | 54 | 36 | |
2016 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | # | 4 | 22 | 9 | 2016 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | 4 | 3 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | # | 12 | 48 | 30 | |
2017 | 0 | 2 | 1 | 0 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | # | 9 | 32 | 10 | 2017 | 0 | 2 | 2 | 0 | 4 | 1 | 0 | 16 | 1 | 6 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | # | 15 | 101 | 33 | |
2018 | 1 | 1 | 2 | 0 | 2 | 2 | 2 | 4 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 7 | 34 | 8 | 2018 | 1 | 3 | 2 | 0 | 4 | 2 | 9 | 6 | 6 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 8 | 134 | 53 | |
2019 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 4 | 4 | 4 | 4 | 5 | 1 | 1 | 0 | 0 | # | 3 | 37 | 22 | 2019 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 9 | 8 | 17 | 19 | 9 | 2 | 3 | 0 | 0 | # | 11 | 95 | 120 | |
2020 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | 8 | 10 | 1 | 3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | # | 5 | 43 | 18 | 2020 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 6 | 13 | 13 | 2 | 5 | 10 | 1 | 0 | 10 | 0 | # | 8 | 116 | 216 | |
合計 | 9 | 18 | 17 | 14 | 18 | 24 | 25 | 30 | 17 | 11 | 11 | 4 | 4 | 1 | 1 | # | 46 | 283 | 99 | 合計 | 15 | 30 | 24 | 25 | 31 | 34 | 50 | 60 | 49 | 34 | 24 | 7 | 10 | 10 | 1 | # | 84 | 768 | 550 |
これらの表よりノクターンノベルズにおいて次のような傾向が存在することが分かる。
以上よりノクターンの短編部門においてカップ数のインフレ傾向が存在することは立証できた。しかしここまで読んできて次のような疑問を抱かなかっただろうか。カップ数の増大は確かだがそれと物理的な乳房のサイズ増大(概ねトップサイズと対応)との相関は直ちに結びつかないのではないか。そう「ロリ巨乳」の存在である。すなわち巨乳と判定されるトップサイズ(90cmとか)は高止まりしており、アンダーサイズの方が減少しているのではないか。
この推測に対し同データを利用して、身長を表す120cmから199cmまでの語を含む短編数を調べた(表4)。下限を120cmに限定した理由は100cm付近だとバストサイズが引っかかる可能性(実際あるのよ…)があるからである。また低身長、ロリ、ロリ巨乳、巨乳についてのデータも右列に併記する(160cmやロリ、ロリ巨乳、巨乳を正しく分類できる NEologd は凄いぞ)。身長の分布に顕著な差が見られないことおよび巨乳の増大率に対してロリ巨乳の増大率が低いことから、低身長の増加を加味しても2014年以降のカップ数のインフレを吸収しているとは考えにくい。したがって近年のカップサイズインフレ傾向はトップサイズの増大によるものだと推測できる。
表4 | 120cm-129cm | 130cm- | 140cm- | 150cm- | 160cm- | 170cm- | 180cm- | 190cm-199cm | # | 低身長 | ロリ | ロリ巨乳 | 巨乳 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 5 | 0 | 3 |
2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 17 | 0 | 6 |
2008 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 19 | 0 | 7 |
2009 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 20 | 0 | 7 |
2010 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | # | 0 | 9 | 0 | 5 |
2011 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 12 | 1 | 16 |
2012 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | # | 0 | 8 | 1 | 15 |
2013 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 8 | 0 | 9 |
2014 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 0 | # | 0 | 9 | 1 | 23 |
2015 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | # | 0 | 19 | 2 | 23 |
2016 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | # | 0 | 23 | 2 | 22 |
2017 | 0 | 1 | 4 | 7 | 4 | 4 | 1 | 0 | # | 0 | 20 | 1 | 32 |
2018 | 0 | 0 | 6 | 3 | 3 | 4 | 4 | 3 | # | 0 | 25 | 9 | 34 |
2019 | 0 | 1 | 5 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | # | 1 | 15 | 8 | 37 |
2020 | 0 | 2 | 4 | 4 | 2 | 2 | 3 | 0 | # | 6 | 15 | 8 | 43 |
合計 | 0 | 4 | 25 | 19 | 14 | 17 | 9 | 5 | # | 10 | 224 | 33 | 282 |
作品名は挙げないが、一つの作品のタイトル、概要、タグ、本文全て含め、最も連呼されたいたのは、IカップとJカップである。それぞれ2万とちょっと文字数の中に8回出現していた。なお、爆乳は2万文字で21回、巨乳については8千文字で29回であった。後者については理由があり、作中で「巨乳ちゃん」が連呼されるからである(25回)。前者は全てそのままの意味で出現する。
本分析より、ノクターンノベルズの短編小説において巨乳の定義がインフレ傾向があることが分かった。これは小説描写においてはビジュアルを描写するコストが低いこと、すなわちデザイン面で人体のバランスを取る必要がないため、(本人の常識の範囲内で)自由にバストサイズを設定できるからであるためと思われる。小説描写においてバストサイズは大中小のどこかのカテゴリに入れば十分であり、また前述のように小と中は既に共通認識が固定化されているため、その範囲はどこまでが大か(かつ著者が興奮できるか)により決定されるからである。
真面目なのはここまで。インフレしている理由は単純に男は大きい数字が好きだからだと思う。DよりEのが強い、いやEよりF、FよりHだ!という少年漫画方式で盛っているのではないかな。ぶっちゃけエロ小説において大きいおっぱいの役割は、たっぷり揉める、なんか挟める、アレした時よく揺れるくらいしかないのでそれらを満たせるサイズであればなんでもいいのじゃないかな。(特殊性癖として妊娠していないのに母乳が出るとかあるけどそれは取り上げない)。
また、あくまでもこの分析はカップ数や「巨乳」という直接的に豊満さを表す言葉に注目したものであり、それらを使わない作者も大勢いることを主張しておく。間接的に豊満さを表す手法としては隠喩的な外見描写やキャラの立ち振る舞いでの表現が存在する。これらは古き良き読者の想像に任せる書き方になるので、描写が上手い人には割と手練れの作者が多い気がする。
個人的には大きすぎるのは現実味ないのでノットフォーミー。大きさより体のラインの綺麗さや形の良さの方がリアリティあると思うのだけど…調査楽しかったです。
武蔵大学北村紗衣先生のディストピア文学の読み方が話題になっている。「ディストピア文学を自分の住んでいる日本に結び付けないのは問題」が話題になるのも当然で、数多くの専門家が北村紗衣先生の教えに反しているためである。
フィクションに限っては、人はユートピアよりもディストピアが好きだ。その心理は、ホラー小説や絶叫マシンを楽しむ心理に似ているのかもしれない。エンタテイメントとして「死」を疑似体験することで、私たちは命の価値を噛みしめ、平凡な日常の輝きを見つめ直すことができる。それと同じメカニズムで、「お話」としてのディストピアに浸ることによって、自分が身を置いている現実の良いところを再確認し、フィクションのディストピアが未来の現実にならないようにするには何を心がけるべきなのかと考える機会を得る。(書評 ディストピア・フィクション論…円堂都司昭著)
自分が今いる良いところの再確認(「日本はディストピア作品みたいになってない(これからもならないようにしよう)」)は、ディストピア作品が自分のいる場所を描いているとして読むことの真逆である。
「こうなったら嫌だな」とは思いつつも、現実感はありませんでした。ただヒトラーやスターリン下の世界では、こういうことが起こり得るのかなとは思いましたが。(社会人になって1984年を読んだ感想)
フランスの作家による新たなディストピア小説の出現だ。(略)終盤で一度ならぬ“どんでん返し”がある。本作はある種、現在のアメリカ、あるいはアメリカに象徴される利潤追求第一の物質的競争社会に対する、シビアな警告と挑戦状ともいえるだろう。(『透明性』/マルク・デュガン 書評)
(小川洋子著)『密やかな結晶』(英題The Memory Police、スティーブン・スナイダーさん訳)も「神話のような響きがあり、寓話(ぐうわ)でも、ディストピアでもある」と評された。帽子、リボン、小鳥、様々なものが消滅していく島で、秘密警察が消滅が滞りなく進むよう監視の目を光らせる物語だ。
日本では1994年に刊行された作品だが、選考委員は「何年も前に書かれていながら、あまりにも現代的で目を見張らされた」と驚きを口にした。米トランプ政権下などでフェイクニュースが横行して真実が失われ、コロナ禍で人々が集まる様々な活動が控えられる現実が作品世界に重なった。(興野優平)=朝日新聞2020年9月2日掲載(ブッカー国際賞、「ディストピア」がキーワード 小川洋子「密やかな結晶」も最終候補)
イギリスの文学賞選考委員であるが、ディストピア作品をアメリカと関連付けている。
身も蓋(ふた)もない本音で支持を集めるトランプを見て個人的に想起したのは<3>庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫・497円)だった。(略)「感性」がつぶしにかかる戦後民主主義ひいては人間の文明という「知的フィクション」を守るために薫くんは戦っているのである。だが勝ち目は見えず、敗北すなわちディストピアの到来が覚悟されて終わる。「知的フィクション」に、たとえば「ポリティカル・コレクトネス」(差別や偏見を含まない言葉遣い)などを代入すれば、トランプ危機との近しさが見えるだろう。 (ディストピアの予感)
日本を舞台としたディストピア作品をアメリカと結び付けている。
果たして今後、世界はどうなっていくのか。世界情勢とともにディストピア小説の動向を追ってみると、新たな発見があるのではないでしょうか。(【ディストピアとは?】「監視社会」や「行動の制限」などの“あるある”から徹底解説。)
ディストピア作品を世界情勢に結び付ければ発見があると書いている。
トランプ氏は、メキシコ国境の壁、難民やイスラム圏からの入国制限など過激な政策を進めているが、「独裁者を彷彿(ほうふつ)とさせる姿がこうした小説を連想させるのかもしれません」と山口さんは推測する。(好調ディストピア小説 トランプ政権誕生で脚光!? 小松左京さん「アメリカの壁」も電子書籍で)
文芸春秋では「小松さんはSF作家であると同時に優れた文明史家でもある。小松さんの鋭い洞察に触れることで、米国でいま何が起きているのか考える契機になるのでは」と話す。(同上)
批評家の佐々木敦さんは「トランプ氏の存在自体が戯画的。以前は考えられなかったようなことが起こっている」と指摘。「現実がフィクションを超えてしまった。今を知るための手がかりとしてディストピア小説が読まれているのでないか」とみている。(同上)
(北村紗衣先生の教えでは、間違った解釈や浅薄な解釈となる)日本以外に結び付けるというディストピア作品の解釈は、学生だけではなく、書評の専門家にも多く蔓延していることが実例で明らかになった。「アメリカはディストピアだ」と言っておけばよいといった間違いで浅薄な解釈が、日本のみならず、イギリスの文学賞選考委員にまで広がっていることは、驚愕すべき事実である。数々の専門家も間違えている、「ディストピア作品を新しく、深く解釈するために、自国に結び付けることを常にしなければならない」というディストピア作品解釈の素晴らしい方法を公にされた武蔵大学と北村紗衣先生に感謝し、世界中の人にぜひとも広めてほしい。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 79 | 7652 | 96.9 | 36 |
01 | 857 | 340024 | 396.8 | 128 |
02 | 1454 | 565228 | 388.7 | 200 |
03 | 367 | 74824 | 203.9 | 132 |
04 | 548 | 82091 | 149.8 | 132 |
05 | 245 | 80363 | 328.0 | 132 |
06 | 268 | 65915 | 246.0 | 132 |
07 | 214 | 30919 | 144.5 | 132 |
08 | 145 | 22413 | 154.6 | 132 |
09 | 209 | 24318 | 116.4 | 132 |
10 | 173 | 20534 | 118.7 | 132 |
11 | 163 | 23554 | 144.5 | 132 |
12 | 153 | 19445 | 127.1 | 132 |
13 | 243 | 29896 | 123.0 | 132 |
14 | 161 | 20644 | 128.2 | 87 |
15 | 114 | 17202 | 150.9 | 38 |
16 | 117 | 8703 | 74.4 | 44 |
17 | 107 | 6592 | 61.6 | 38 |
18 | 158 | 14097 | 89.2 | 41 |
19 | 161 | 10093 | 62.7 | 32 |
20 | 186 | 13765 | 74.0 | 36 |
21 | 176 | 9958 | 56.6 | 31.5 |
22 | 91 | 9236 | 101.5 | 46 |
23 | 72 | 9000 | 125.0 | 33.5 |
1日 | 6461 | 1506466 | 233.2 | 132 |
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短編小説、って、知らないの?