はてなキーワード: 短編小説とは
夏目漱石の短編小説集『夢十夜』は、10の独立した物語からなる作品集です。以下に、それぞれの物語のストーリーを簡単にまとめます。
「虞美人草」
植物学者の主人公が、仕事で山中を訪れた際に、美しい花「虞美人草」に出会います。その花に惹かれた主人公は、その後も虞美人草を求めて、奇妙な体験をすることになります。
「トロッコ」
登山家の主人公が、山の中腹にあるトンネルで出会った男性と話をする中で、恐ろしい遭難事件の真相を知ることになります。
「杜子春」
芝居の役者を目指す主人公が、出会った女優との恋愛に悩む物語です。女優が演じる役柄が、主人公にとって思い出深い人物と重なることから、主人公は自分自身の過去と向き合うことになります。
「金色夜叉」
文学者の主人公が、ある夜、金色に輝く美しい女性に出会います。その女性は、主人公に夢中になるが、その正体は一体何なのか?という謎めいた物語です。
「竹取物語」
大正時代の日本に、突然竹取の翁が現れます。主人公が翁に会いに行くと、竹取物語に出てくるような不思議な体験をすることになります。
「蜘蛛の糸」
主人公が偶然出会った女性が、実は蜘蛛の妖怪だったことが明らかになります。その女性に導かれるままに、主人公は不思議な世界に足を踏み入れます。
「老年」
人生の終わりに向かう老人の回想を通して、自分自身や人生を見つめ直す物語です。
主人公が、道化師に扮した男と出会います。その男は、主人公に自分自身を見つめ直す機会を与えます。
「月下の一群」
夏目漱石の短編小説集『夢十夜』は、10の独立した物語からなる作品集です。以下に、それぞれの物語のストーリーを簡単にまとめます。
「虞美人草」
植物学者の主人公が、仕事で山中を訪れた際に、美しい花「虞美人草」に出会います。その花に惹かれた主人公は、その後も虞美人草を求めて、奇妙な体験をすることになります。
「トロッコ」
登山家の主人公が、山の中腹にあるトンネルで出会った男性と話をする中で、恐ろしい遭難事件の真相を知ることになります。
「杜子春」
芝居の役者を目指す主人公が、出会った女優との恋愛に悩む物語です。女優が演じる役柄が、主人公にとって思い出深い人物と重なることから、主人公は自分自身の過去と向き合うことになります。
「金色夜叉」
文学者の主人公が、ある夜、金色に輝く美しい女性に出会います。その女性は、主人公に夢中になるが、その正体は一体何なのか?という謎めいた物語です。
「竹取物語」
大正時代の日本に、突然竹取の翁が現れます。主人公が翁に会いに行くと、竹取物語に出てくるような不思議な体験をすることになります。
「蜘蛛の糸」
主人公が偶然出会った女性が、実は蜘蛛の妖怪だったことが明らかになります。その女性に導かれるままに、主人公は不思議な世界に足を踏み入れます。
「老年」
人生の終わりに向かう老人の回想を通して、自分自身や人生を見つめ直す物語です。
主人公が、道化師に扮した男と出会います。その男は、主人公に自分自身を見つめ直す機会を与えます。
「月下の一群」
設定↓
-------------------------
以下の設定に則って短編小説を書いてください
[登場人物の設定]
・一人称は僕
・内気な性格
・一人称はあたし
・明るいが少しトゲのある性格
・ツンデレ
ミサト
・29歳の女性
・一人称は私
・話し方は○○わよ
・明るい性格
[シチュエーション]
・3人のリビングでの会話
----------------------------
出力された文章↓
----------------------------
(3人がリビングに集まっています。シンジが笑顔で話し出します。)
シンジ: 昨日見た「シン仮面ライダー」面白かったよ。特に最後のバトルシーンが最高だった。
アスカ: ん〜、私は正直イマイチだったかな。特撮って、なんか古臭くない?
ミサト: うんうん、私もアスカと同じ意見だわ。もうちょっと洗練された作りだったら良かったのに。
シンジ: え?そんなことないよ。特にシン仮面ライダーは、今までの作品とは全然違う新しい要素がいっぱいあったし、それが面白かったんじゃないかな。
アスカ: でも、あのバトルシーンでのカメラワークとか、スローモーションとか、もうちょっとシンプルでいいと思うんだよね。
ミサト: そうそう、アクションシーンの演出が派手過ぎたし、昔の特撮ドラマみたいだったわ。
シンジ: でも、それが良かったんだよ。最新技術を使って、見応えのある作品に仕上がっていたと思うんだけど。
アスカ: そういうのって好みの問題だからね。私たちには、あんまり響かなかったってことだよ。
ミサト: でも、結局はシンジ君が楽しめたなら、それで良かったわね。私たちが否定的な意見を言ったからって、シンジ君の評価が下がるわけじゃないしね。
シンジ: そうだね、でも、もう一回見てみたいなと思ったくらい、僕には良かったんだよね。
(3人が笑いながら話し合いを続けます。)
----------------------------
シンジ君には刺さったみたいで良かったです
おれもやってみた。
あらすじは変なこと書いてるけど、要約の結果は正しいと思う。
「走れメロス」は、日本の作家太宰治によって書かれた短編小説で、古代ギリシャの伝説的な物語「デーモンとピュティア」に基づいています。
物語の主人公は、シラクサの暴君ディオニスという人物に反抗したメロスという青年です。メロスは、無実の罪で死刑を宣告され、死刑執行までわずか5日しかないことを知ります。彼は、故郷であるローマに助けを求めるために、遠い道のりを走って向かいます。
途中、メロスは、村に立ち寄ったときに、広場で語り物をする老人と出会います。老人は、村人たちに、権力者に対して勇気を持って立ち上がることの重要性を説いていました。メロスは、この老人の言葉に心を打たれ、自分が身を立てるべきだと決意します。
しかし、途中でメロスは逮捕されてしまいます。メロスは、ディオニスの側近であるセリヌンティウスという男に拷問を受け、自白を強要されます。メロスは、最後まで自分の無実を主張し続けますが、セリヌンティウスはそれを信じません。
最後に、メロスは、自分が逃げ出すと約束し、ディオニスとの面会の場で、友人のセリヌスを助けてほしいと頼みます。ディオニスは、メロスが逃げたときにセリヌスを処刑すると脅しますが、メロスは、友情と正義のために逃げ出す決意を固めます。最後に、メロスは、セリヌスを助けるためにディオニスに立ち向かい、自分自身を犠牲にします。この物語は、友情と正義のために命をかけることの価値を表現しています。
太宰治の「走れメロス」は、死刑を宣告された青年メロスが、故郷のローマへの助けを求めて走り抜け、友情と正義のために命をかける物語。
50文字以内にしてください。
3文字以内にしてください。
友情。
1文字にしてください。
情
つながり
き
なぜ「き」なのですか?
「き」は、「気」や「期待」、「希望」などを表すことができ、友情という関係性においても、お互いに期待や希望を抱くことがあります。また、「き」には、未来への希望や前向きな気持ちを表す意味もあるため、友情においても、お互いに励まし合い、共に前進していくことが大切であるというメッセージが含まれています。
「リコリス・リコイル」は、日本の小説家、東野圭吾の短編小説です。
物語は、独身で仕事に打ち込む主人公の男性が、ある日、大学時代の同級生である女性から突然の電話を受け、彼女からの誘いに乗って再会することから始まります。
彼女は、かつて男性と交際していた女性で、その関係に終止符を打ち、結婚して子供を持っていました。しかし、現在は夫とは別居し、再び男性と関係を持ちたいと考えていたのです。
男性は、彼女との再会を通じて、自分自身の人生や価値観を見つめ直すことになります。しかし、彼女との関係が進むにつれ、彼女の本当の目的や過去の秘密が明らかになり、物語は予期せぬ展開を見せます。
場合によっては精神障害特有の長話で短編小説のぐらいの分量はある患者の相談にも黙って聞いて応えてくれる精神科医に感謝しないとな。
自分の精神障害の特性かもしれないがある状況で誰々とこういうことで揉めたとき俺はこういうふうに答えた、俺がおかしいのか、おかしいならばどう対応するのがよかったみたいな相談とかが、自分が念頭に置いて回答してほしいことは全部はっきり言ってほしいからという感じで健常者には馬鹿見たいとしか思えないところに微に入り細を穿って状況説明とかで長くなったものをちゃんと傾聴してるんだよ彼らは
ちょっと言葉足らずでも言わなかった言葉が意味することについて念頭に置かれなかったことで自分にされる回答が変わるなら完璧を期したいということになって、全部言わないと気が済まないんだよねあの手の障害だと。
最近娘ができた。
ただ、子供ができないことを悩む妻を見て、治療を受けることを決断しただけである。
子供はどうでもいいが、妻の悩む姿は見たくなかっただけなのだ。
自分の父親は転勤が多く、仕事も忙しく、性格的にも多弁ではなかったので、社会人に上るまでほとんど喋ったことがない。
昭和の父親にはありがちな、子供のことは母親に全て任せるタイプだった。
20年以上の会話は、まとめてもどこぞの短編小説一編分にも満たないであろう。
社会人になった後に会話量は増えたが、残念ながら、そこまで変化はない。
沈黙も「...」で入れるならそこそこの長編小説の長さになるが。
そう言うわけで、子供との距離の感覚が掴めない親から生まれた自分が、
親と子のコミュニケーションが取れない、そんな家を作りたいとは思わなかった。
それなら妻と二人の方が幸せだと。
それもあってか「家族もの」と言われる親子関係を描いた小説、歌、映画にはほとんどはまれず、縁がなかった。
泣いている人を見て、「偽善者が」「注目を集めたいの?」とすぐに思ってしまう捻くれ者であった。
皮肉屋と言われるイギリス人でもびっくりなレベルの冷血漢である。
よく言われるのだが、感動のポイントはその人の人生経験によるのだ。
犬を飼っていなかった人に、ペットの死ぬ動画を見せても理解されない。
家族という物語がわかっていない人に、家族ものをみせても理解できないのだ。
そういうわけでやっとできた娘に関しても
「うるせぇなぁ」
「なんか猿みたい」
と思いながらも、そこは40年生きてきた社会スキルでなんどか表に出さず、世話をしていた。
なにより不妊で苦しんでいた妻が嬉しそうにしているのが本当に嬉しかった。
娘が7ヶ月になるころ、
娘は自分が歌うとご機嫌が良くなるので、自分一人の時はよく歌いながらあやしている。泣くと本当にめんどくさい。
ただ、童謡を歌っても自分が面白くないので、自分の趣味の曲をいくつか歌って、娘の好きな傾向を調べている。
最近で言うとKing-gnuは大好きなのだが、井口くんの技量が高すぎて自分には歌えない。
福山雅治は音域が狭いせいか、音痴の自分でも歌いやすく、好きな曲も多い。
気に入ってくれたら今後楽だなーと思い、歌詞を画面に表示させながら歌ってみた。
先ほども書いた通り、自分は家族もの嫌いなので、この歌をよく知らなかったのだ。
知らぬ間に少しずつ少しずつ、自分は家族という物語に共感できてきたのだ。
この年齢になっても自分が変化すると思ってなかった。
「いつも自分のことばかり精一杯で
親孝行なんて出来てないけど
それほど変われないとしても
一歩ずつ 与えられる人から
与える人へかわってゆけたなら」
少しだけ、親になれる気がしてきた。
物心ついた頃から絵を描いている、成人を過ぎた今でも描き続けている。仕事ではなく趣味として続けている、というか気付けば描いているのでもうライフワークのようなものだ。
しかしちっとも上手くならない、絵を描くときは必ず資料を用意するし、独学だがデッサンや解剖学・色彩等の勉強はしているので徐々に上達しているが、相変わらず下手だ。これは勘違いではなくSNSでの反応が自分のレベルを物語っていると思う。
成人以降、文字を書くようになった。
文字を書くモチベは絵に比べたら格段に低く、絵のように試行錯誤する努力も、アウトプットしたものを推敲するのも面倒なので、頭の中の思考を誰に向けてでもなくここに綴ることも多い。あと時々Twitterに壁打ち。
良く字書きが絵は文字より反応がないと言うが、私の場合逆だ。字の方がよほど反応があるし、絵よりずっと褒められることが多い。何故だろう。
亡き母には文才があった、プロとして活躍する程ではないが幼い頃は読書感想文で何度も取ったとかいう武勇伝を良く聞かされていた。
事実母は筆まめな人だったし、彼女の遺品の日記には彼女が見た私たち家族の姿や、病と戦う彼女の心の機微が繊細な筆致で綴られていた。あれは読む人の心を揺さぶるものだと思う。
恐らく私は絵より文字の方が上手い、これは勘違いではなく他者の反応がそれを如実に表していると思う。上手いと言っても自身の描く絵との相対評価で、別に自分に母のような文才があるとは言っていない。
『自分の描く絵に比べたら自分の描く文字の方がずっと上手い』という話だ。
つまり、私は子供の頃から描いてきた絵より、成人してからなんとなく書いてる文字の方が上手い。
要は才能のない人間が努力しても才能のあるやつはそれを短期間で軽々とやってのけ、超えていく。
文才は8割遺伝であるという話を聞いたが、あながち間違っていないと思う。現に私は特に苦労することなく自分の気持ちをこうやって綴っている、絵はあんなに努力しても自分の描きたいものの1割だって描けないのに。理不尽だと思う。
近年人の持つ気質や運動神経の良し悪しがかなりの割合で遺伝由来であることは常識となりつつあるが、その遺伝とか才能とかいう抽象的なものは、自分が想像しているよりずっと露骨だ。それはもう残酷なほどに顕著な差となって現れるのだと思う。
字を書く私が絵を描く私にそれを告げている、才能はあるのだと。
これは別に悲観しているわけではない。
肌感覚でその事実を理解する経験はけっして悪いことではないと思っている。まぁ世の中そんなもんだ。
自分1人のサンプル程度でこれなので、世の中には各界の神様に愛された天才の中の天才はいる。才能はある、確実に。
自分にできることは自分の努力をするだけだ、仕事にするなら天才の中で戦う戦略は必要だろう。ただ私の場合は趣味なので自分の描きたい絵に近付ける努力を淡々と行うだけなのだ。
幸い絵の上手さの遺伝割合は5割程度らしい、朗報だ、5割は自分の努力でどうにかなる、実に希望がある話なのだ。
多分、私は今日も1人絵を描くだろう。
(元)親友とは、もう十年以上さして交流がない。ちなみに親友の接頭語に「(元)」を着けたのは、単に中学を卒業して別々の高校に進学して以降、会う機会が数回しかなかった上に、(元)親友がいつの間にか数多の友達を持つ交遊関係のやたら広い奴になっていたからである。きっと、ぼくの事なんかミリも覚えていないと思う…………そう、それって単なる被害妄想。
中学の頃はヤバいくらいにべったりくっついて離れないくらいの勢いで互いに「親友」と称していたぼくらだが、現在の接点はというとTwitterのほぼ死んでるアカウントと実況アカウントとで相互フォローになっているくらいのものだ。
(元)親友はぼくの知らないオンラインゲームの戦況をひたすらツイートしている。ぼくはアカウントを放置し、他にいくつか所有する趣味垢で呟くのに忙しい。
ぼくは趣味で小説を書く。ただし投稿サイトに粛々と投稿し続けるだけで、本を出したりはしない。(元)親友もどうやら小説書きであるらしい。二次創作の小説を書きイベントで頒布しているようなのだが、具体的にどんな活動ぶりなのかを聞けば言葉を濁すばかりなので、よくわからない。
(元)親友にはぼくの知らない顔がある……時点で、すでに親友とは呼べないのではないか? という悲しい思いがなくもない。
ちなみに、(元)親友はといえば、ぼくのTwitterの放置垢だけでなく趣味垢も知っているから、その気になればぼくの書いた作品を読み放題だ。だが、(元)親友がぼくの書いたものに何かしらの反応を寄越したことは一度もないので、ちょっと読んでドン引きしたか、あるいはそもそも社交辞令でアカウントを聞いて繋がってみただけなのかもしれないな。なんていう非対称性もりもりで実のない関係性というか、関係の断絶なのだろうか。書いててちょっと涙が出てきた。
もはや「謎の元親友のような者」と呼んだ方がいいような気のする彼女のツイ垢を、昨日なんとなく久しぶりに覗いてみたところ、プロフィールにぷらいべったーへのリンクが貼ってあるではないか。ぼくはドキドキしながらそのリンクをクリックした。
中身はやはり何らかの二次創作であるようだ。いわゆるブロマンス。男同士の熱くて強固な関係性を描いたもの。色気とエロは一切書かれていないところが君らしいな、と思ったそばから、それはぼくが彼女に潔癖を求めているからそんな風に思っただけのことだと考えた。
へぇ、ゴリゴリの理系で国語は得意じゃないと昔は言っていたのに、小説はちゃんと書けるんだな。うん、ぼくほどではないと思うけど、上手いと思う。
だが軽い衝撃を覚えたのが、それらの短編小説達が一体何の二次創作なのか、さっぱりわからない事だった。登場人物の名前すら出て来ない。名前が入って然るべき部分は全て一人称か二人称か三人称があてられていた。君ってやつは、どこまでも秘密主義なんだな。
ふと、短編にいいね! とブクマをしてやろうかと魔が差したが、そんな事をしたらいよいよぼくらの関係性は断ち切られてしまいそうな気がして、ぼくはそっとブラウザを閉じた。
以下簡単に箇条書きで
触発されての自分語り。
学生時代に人生で初めて書いた短編小説が出てきて、ふと読み返したことがあった。
自分の記憶の中では、読んでもらった人からも酷評だったし本当に下手くそで黒歴史でしかないと思っていた。
だけど久しぶりに読み返してみると、もちろん拙いんだけど、当時の自分がどんなものが好きで、どんなものが作りたかったのかが詰まっていて、当時の自分が愛おしくなった。
わたしにはあんたの「好き」がよく分かるよ、尊敬してた先輩に酷評されて悲しかったね、他人を不快にしか出来ないなら二度と書くまいと筆を折ったけど、わたしはあんたが書きたかったこと、よーくわかるよ。
きっかけはあるゲームの誤情報をばら撒いていたこと。まあまあ炎上してそれからちょくちょくいじっているが、基本的には「会社員は縛られた生き方をしている」とか「無能は人間になるな」とか「自分の好きなように生きろ」ってどうでもいいことをただただループしているだけ。後はそのときにハマった筋トレやウマ娘や遊戯王などのゲームの話題。そしてそれらと同等なくらい「アンチコメントは無視します」とどこかしらで言っている。
ただ、継続は力なりとか言ってるわりに単なるコピペ記事を量産しているだけなので意味なんてあるんだろうか
以前は短編小説家になろうとしたらしいのだが、書いてるのは沈没船ジョークをほぼそのままパロっただけっていう小学生レベルの物。
そして本人が何よりも気にしているアンチコメントといえば、たまーに俺が書くどうでもいいコメントしかなくスパムさえあるか不明だ。
過去にははてぶで自演ブクマしたり、この増田に自演転載していたりもしたのだが、何を思ってそんなことをしたかはわからない。
よくもまあこんなことをしていれられるなと思いつつ、こんなブログを観察している俺もどうかしているなとしみじみ。
好きにはなれないが同級生のような感じになっている