「教育現場」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 教育現場とは

2021-09-30

【雑な考察女子高生校長先生を「かわいい」と表現するのはなぜか

私の通う女子高では、校長先生が壇上に立つと生徒達からかわいい」と黄色い声があがる。

校長先生は60後半くらいのおじいさんで大学教授も務める偉い人だが、なぜ生徒達は校長先生を「かわいい」と表現するのだろうか。

考察1

校長先生にはゆるキャラ的な可愛さがあるから

理由を尋ねると私の友達の多くはこう答える。確かに校長先生には若者言葉を使ってみるなどお茶目な所があるが、私は考察2のニュアンスも若干含んでいるように感じる。

考察2

小馬鹿にしてるから

輝かしい未来がある高校生に対して校長先生というのは(こう言うのはなんだが)老い先短い、枯れた存在だ。格下に見てるからこそ「かわいい」と表現するのではないだろうか。

考察3

祖父を思い出すなど親愛の気持ちから

お年玉お小遣いをくれる祖父や親戚のおじさんを想起させる歳だから好きにならざるを得ない。

考察4

『歳故に人生経験豊富校長先生人間として魅力的であるが、語彙力が無くて「かわいい」以外に褒め言葉が出てこないから』

女子高生は他の語彙が出てこないととりあえず「かわいい」使いがち。

考察5

かわいいって言ってる自分が好きだから

校長先生に限らず高齢のおじいちゃん先生というものは総じて生徒達から好かれる。世の中には老害という言葉もあり、年寄りは忌み嫌われることもあるが、少なくとも私が見てきた教育現場では高齢の方が生徒達から好かれている。若い先生空気が読めないと厳しい目で見られるが、高齢先生は「かわいい」で許されがちだ。

2021-09-06

ワクチンスマートフォンを使ってはいけない

体調的な意味で打てない人はともかく、率先して反対したいタイプの反ワクチンの多くは下記の思想を持っている。

・中長期的な身体への影響が分からない

政府や団体が推進していることがどこか陰謀めいており、不信感を覚える

世界中でみんなが疑わず同じことをしているのが怖い

子供にまでやらせるのはどうかと思う

特定会社ばかりが儲かる

まり、反ワクチンスマートフォンタブレットをはじめとする電子端末を使用してはいけない。

・中長期的な身体への影響が分からない

人類スマートフォンを使い始めてまだ100年経っておらず、中長期的な影響が分からない。

 実際スマホが原因で体を害する事は多数ある。既にスマホ老眼・イヤホン難聴ストレートネック・脳疲労等が国民病化しはじめている。

政府や団体が推進していることがどこか陰謀めいており、不信感を覚える

デジタル庁もここで発足し、東京都若者向け接種会場の登録方法LINEであるなど、政府スマホ積極的活用している。

世界中でみんなが疑わず同じことをしているのが怖い

世界中の人がスマートフォンを持っている

子供にまでやらせるのはどうかと思う 

教育現場タブレット使用され始め、ほぼ本人の意思とかかわりなく電子機器を使用する。

特定会社ばかりが儲かる

AppleGoogleは大儲けだろうな


まりワクチンスマートフォン問題点はほぼ同じであり、スマートフォンを利用している反ワクチンがいるとすればそれは筋が通っていない。

何故スマホは良いのにワクチンダメなのかの理由が足りない。

体内に入るという違いはあるが、結局スマートフォンの光だって体内に入る事には変わりがない。

これでSNSを使っている反ワクチンはほぼ全員矛盾している事になる。パソコンからでも同じことだからだ。

逆にこれらを徹底している反ワクチンがいるとすれば、そいつは間違いなく本物である。素直に素晴らしい。

2021-08-24

竹田恒泰氏の裁判について思うこと

竹田恒泰さん、二審も敗訴 「差別主義者」ツイート名誉毀損にあらず「公正な論評」

https://news.yahoo.co.jp/articles/60913911deb09052f7ff16bf32a98d844fdc2524


このニュース記事について思うところがあったので投稿してみます

ざっと関連ニュースネット検索した程度の知識ですが、この裁判にかかる大まかな流れは、

2019年富山県朝日町教育委員会竹田恒泰氏を講師とした講演会計画

山崎雅弘氏が「(竹田氏は)教育現場に出してはいけない人権侵害常習犯差別主義者」などのツイート講演会は中止へ。

竹田恒泰氏「名誉毀損だ」と訴える

第一審、第二審とも竹田氏側の敗訴

…というもの


引っかかったのは、差別主義者だ>とのツイートを、裁判所が<公正な論評>としたところ。

竹田恒泰氏が、これまでに「差別的と捉えうる発言をしていた」ことは否めないかと思いますが、それをもって「氏は差別主義である」と断じること、そしてそれを裁判所が「公正である」と判断することは、果たして適切なのか。

今回の一連の流れは、「竹田氏は差別主義である裁判所が公式認定した」と捉えられかねず、実際ツイッターではそうした内容のツイート散見されます


裁判所が、個人がとった「言動」について、法律に照らして是か非かを言うのはわかりますが、その個人の「性質」について言及するのは、司法の取り扱う範疇を超えているのではと思い、とても引っかかったのですが、どうなんでしょう。

例えば、「人を殴って怪我させたか傷害罪」というのはわかりますしかし「だからこの人は危険人物」と裁判所が論じたとしたら、それは言い過ぎなのではないでしょうか。


ニュース記事からはそう読み取れるというだけで、実際の判決文ではそのあたりの妙もちゃんケアした内容で書かれているのかもしれませんが、どうにも気になったので投稿してみました。

2021-08-17

anond:20210817122426

いやでも、結局「仕事辞めろ」って言われたら素直にやめて、政府抵抗する事すらしていなかったんだろ?

自由になった女性」「権力を持った女性」なんて幻想で、結局男の作って守ってきた社会社会ごっこしてただけじゃないか

本当に自由になりたくて権力が欲しいなら、政府軍に入って今頃銃持ってタリバンに向けてぶっ放してるはずだけど

めそめそしながらPCシャットダウンして教育現場から去るって、大のおとながやる事じゃないだろ。自分の事しか考えてない

2021-08-05

段落した「GIGAスクール構想」、学校IT化は進んだ? 教育現場に残る課題

 2019年12月文部科学省が打ち出した「GIGAスクール構想」。これは教育IT化に向け、1人1台の端末環境を実現するという構想だ。当初は23年度までに整備を行う予定だったが、新型コロナウイルス感染症感染拡大による自宅学習需要から20年度中へ前倒しになった。

 21年度に入ってすでに4カ月たつが、教育現場はどう変わったのか。現職の教員から校長教育委員会、有識者などさまざまな視点から現状を探ってみた。

今まで目立たなかった“ITスキル持ち”が活躍

 GIGAスクール構想の中で子供学習用端末として配られたのは、Windows搭載PCChromebookiPadのいずれか。OSや機種の選定は各自治体の教育委員会が行った。学校ではそれらの端末を使ってさまざまな授業が行われている。

 東京都内Chromebookを使う小学校に勤務する鈴木教員仮名)は、画面に自由文字や図を書けるデジタルホワイトボード活用。「子供たちがホワイトボードに書いた意見を共有して、全員が同時に見られるようにしました」(鈴木教員)と話す。その結果、今までは授業で発言しなかった子が自分意見を出すようになるという効果が生まれた。

 鈴木教員は今後、デジタルホワイトボード経由で他校と交流する授業もやってみたいと期待を膨らませる。将来的には、遠方に住む人に授業してもらったり、他国の子供たちと交流したりできるだろう。

 ある小学校校長は「ITが得意な教員は今まではそんなに目立ちませんでした。でも今では子供にも他の教師にも頼られて大活躍しています」と話す。今まではITスキルが高くてもそれを生かせる場面がなかったのだ。

 子供の方でも同じことが起きている。「発表資料動画を使いたいという子が出てきたとき、もともとPCが得意だったインドアの子供が教えてあげる場面があります」という話を複数教員から耳にした。

「端末を持ち帰らせたくない」 教師本音とは?

 教育面ではメリットもあるが、困りごともたくさんある。学校が苦慮していることの一つに、家庭への端末の持ち帰り問題がある。持ち帰りが始まっている学校ではトラブルも続出している。よくあるのが「子供YouTubeを見るようになって困る」という保護者からの苦情だ。

 「アダルトサイトなどはフィルターがかかっていますが、YouTubeゲーム制限がなく、学校の方で閲覧を止められません。学校ではもちろん『必要以上に見てはいけない』と指導していますが、家の中のことは……。家庭のことは家庭で対応してほしいというのが正直なところです」と都内小学校教師はこぼす。

 端末の破損も課題だ。公立校教師経験もある情報通信総合研究所特別研究員平井聡一郎氏によると端末の保険料問題になっているという。

 自治体によっては、端末を家に持ち帰って故障させた場合は、過失・故意わず保護者負担とするところもある。

 「しかし、そもそも破損時のための保険を付けていなかった自治体の方に問題がありますリースなら保険が付いていますが、端末にかかる費用を安くするために買い取りにしたのではないでしょうか」(平井氏)

 子供の通う自治体保険料を払ったか否かで、家庭の負担が大きく変わるリスクが生じるというのは、保護者立場なら納得いかないのも無理はないだろう。

 また、自宅の通信環境問題になっている。家庭の通信状況は学校で把握できないため「通信できなかったか宿題ができなかった」といったことも起きる。

 夏休み明け以降に端末の持ち帰りが始まる学校も多く、教師は戦々恐々だ。端末の持ち帰りについては、まだまだ試行錯誤が続きそうだ。

教育予算の差が子供格差を生みかねない

 今回の取材教師から最も多く聞こえてきた困りごとは「学習のためのアプリ子供たちの端末に入っていないこと」だった。

 GIGAスクール構想で子供学習用端末の購入に充てられた補助金子供1人当たり4万5000円が上限だ。この金額があれば端末代は賄える。しかし、教師たちが使いたかった学習アプリなどが入れられなかった自治体も多くある。本格的に活用しようとなると現場では不足感が否めないようだ。

PCメーカー各社の多くは、GIGAスクール構想向けとして4万5000円程度のPCを展開している

 4万5000円を超える金額について自治体が追加で上乗せするのは自由だ。アプリサービス各自治体の教育委員会が一律に導入を決めるのだが、教育委員会が自治体財政部局に掛け合って予算を獲得しなければならない。

photo

四條畷市教育委員会の植田司教育長(四條畷市Webサイトより)

 大阪府四條畷市教育委員会はクラウド型の授業支援ツールを導入するため、予算獲得に奔走した。

 「国の示す標準仕様範囲でもIT活用した授業はできますが、ミドルウェア的な共通基盤となるツールを導入すれば、授業の生産性効果拡張性がより向上すると考えました」

そう指摘するのは、四條畷市教育委員会の植田司教育長だ。植田さんは日本IBM出身で、大阪府立の工業高校校長を務めたのちに四條畷市教育長に就任したという異色の経歴を持つ。

 IT活用スピード自治体によって大きく差がついている。同じ東京23区内でも、港区2012月時点で全員にiPadが行き渡ったが、足立区は21年7月の時点でも小学校で端末の配布が完了していない。

インフラ整備は途上 仕組みの問題も山積み

 教育委員会がやるのは端末やアプリの選定だけではない。学校インフラ整備も教育委員会の仕事だ。

 校内の通信環境が悪く、インターネット接続しづらい、通信速度が遅いこともある。これは必ずしも校内のアクセスポイント課題があるわけではない。自治体によっては教育委員会のサーバを経由してインターネット接続するようにしているケースがあり、通信速度の上がらない要因になっている場合もある。

 データの保管場所にも問題がある。ある自治体ではセキュリティ上の理由で、教師たちのデータ教育委員会のサーバ子供たちのデータ学校サーバに保管され、互いのデータが送り合えない仕組みになっているという。そのため教師の端末から子供たちの端末に課題を渡そうにも、職員室にある専用端末にデータを移し、そこから子供たちに送付するという手順を踏まねばならないという。

情報セキュリティには甘さも

 情報セキュリティには敏感な一方で、パスワード管理には甘い部分があるようだ。

 「子供パスワードを書いた紙を持って帰ってきました。パスワードを紙で管理するのは非常識。娘にパスワード重要性をしっかりと伝えて2人でパスワードを変えたのち、学校には『現状のパスワード管理体制には不備がある』と伝えました」

 そう語るのは、横浜市小学校に娘を通わせる前田さん(仮名)だ。IT企業エンジニアであるため、学校パスワード重要性を説明すらしていなかったことに驚いたという。

IT化で教師役割にも変化が必要

 こうしたさまざまな課題はあるが、GIGAスクール構想がもたらした変化の萌芽も確実に見られ始めている。これから現場はどのように変わっていくのだろうか。

 前述の平井氏は「教師ITスキルはまだ高くないが、それは彼らが悪いわけじゃない。授業で使ったことがないかイメージが湧かないだけでしょう。問題自治体ルールで縛ったことです。『iPadカメラ禁止』『クラウド禁止』『YouTube禁止』なんて縛り方を間違えている」と指摘する。

 「大切なのは『こういう授業をやりたい』というビジョンを持つことです。それがなければ、紙をタブレットに置き換えただけにすぎません」(平井氏)

 「ある学校美術の授業では生徒の自画像クラス全員で共有し、いいと思ったところにみんなで付箋を貼る。こういう工夫が簡単にできるようになっています現在の授業は、教師知識伝達が7割、子供情報取集をして自分で発信するのが3割という配分ですが、これを3対7に切り替え、子供活躍する授業にしていくべきです。端末や通信環境問題より、まずは教師意識を変えないといけない。それが最大の課題です」(平井氏)

 「教師ティーチングが主から、ファシリテートを主とする役割に変わっていく」――植田氏もそう断言するが、それはつまり教師存在意義の大転換である

 21年7月、まだ準備中デジタル庁がGIGAスクール構想に関して教育関係者へのアンケート募集を始めた。今現場で起こっている課題感をヒアリングするのが目的とみられるが、文科省へのプレッシャーという意味もあるだろう。過渡期の試行錯誤が続くが現場は全力で戦っている。「どこへ向かえばいいのか」を国や首長が明確に示すことがその支えになるだろう。

2021-07-24

anond:20210724182302

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

その解決策もどこかで限界がくるんじゃない。

王子様(おうじさま)」が嫌だからって「王子様(おうじよう)」で解決するかな?

二郎(おうじろう)と聞き間違えてもらえる効果はあるだろうけど。

18歳まで親の名の読み方を知らなった

90年代前半、自分が18歳の時に区役所住民票戸籍謄本を取りに行った際に父親名前を聞かれたので答えたところ、違うと言われて怒られた。「君、自分の親の名前なんで知らないの?おかしいでしょ」

父の名前音読みで通っていて、父の親、つまり祖父母音読みで呼んでいたし父自身もそれが本名だと言っており仕事で使う名刺振り仮名音読みだった。

しか本名訓読みだったのである

更にもっとおかしな事に気が付いた。父方の祖父母名前も違う。普段使っていて手紙や軽い法的文書学校に出す認書など)にも書き、預金通帳にも記され、付き合いのある人に呼ばれる名前通名だったのだ。本人が全く名乗った事もなく出てきた事もない本名別にあったのである

更に自分苗字も今まで使っていた当用漢字と違い、戸籍では旧字体だという事にも気が付いた。知らなかったので学校学生証も卒業証書銀行口座当用漢字で、それで通っていた。

 

何れも父方の関係である。何故こういう風になっているのか良く判らなかった。が、調べる方法を知らなかったしものを知る大人が近くに居なかったので説明を得られなかった。

その後10年以上が経過して図書館で調べる方法を知り、更にネットという道具を得た。その結果歴史的な背景がある事が判った。我々はほんの十数年前の事すら知らない。核家族化によって大文字伝統から外された風俗も伝授されない。

 

中華文明日本人名の扱い

日本中華文化圏の周縁にあった。独立した文化ではあったが風物の認識には漢籍中国で書かれた書物)が参照される。梅雨があるのにそれを無視して「四季」なんていうのもそうだ。漢詩での季題に倣って詩やうたを詠んだ事に由る。

昔の中国では親に貰った本名を親を除いて他人が呼んではいけない。本人も使ってはいけない。これは諱(忌み名)であり墓場まで持って行く。他人本名を呼ぶのは殺人に値する非礼である

この風習日本でも倣われ、江戸時代まではやはり出生時に親に貰った本名は親以外が使ってはいけなかった。幼少時には幼名を使い成長した後には仮名(けみょう)を使う。仮名というのは後世の歴史用語であって当時の人達本名絶対使わないのだから「名」といったらこれのみである

武士場合朝廷官名を名乗った。大岡越前守の越前守は律令制時代越前国の長官だ。それを名乗っている。水戸黄門変則的で黄門は中国での中納言の事である漢籍知的であるので漢語で名乗ったものだ。~~左衛門~~右衛門というのは宮廷の衛兵の事だ。だから家光公なんて言い方は後世のもので当時の人は絶対に言わない。言ったら死刑だ。

歴史学校で教える際にこの辺を省いているのはマズイと思う。

外国報道では天皇の名にemperorを付けるが日本語の報道では絶対に名を呼ばないのはその名残である

明治廃止されたが…

明治になるとこの風習は廃され、どこでも本名を使う事が定められ、諱の併称も禁止された。だから明治以後は本名一本主義である

…のだが実際は人々は従わなかった。相変わらず通名も使われ続け、更に一般化したのが有職読みだ。

有職読み

有職(ゆうそく)読みは訓読みする語を音読みする事である特に名前での使用が顕著であった。

例えば名付けする時に音読みも訓読みも出来る名にする。本名訓読みとして戸籍に記す。だが一般に使うのは音読みの名前とした。

一般と言っても法的な行動含めほぼ一生の生活の全部である不動産を買ったり婚姻届け出す以外ではそれで問題は起きなかった。現在常識化している正しい本名をどこでも使うのを求められるようになったのはバブル以後の30年位でしかいからだ。

から歴史伊藤博文(ひろぶみ)と習っても、当時の人はひろぶみなんて呼ぶ人は恐らく一人も居ない。呼び方は「はくぶん」だ。

例えばこの質問で貼られている選挙ポスターを見て欲しい。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120057343

イヌカイ キ」とフリガナを振っている。日本人の名に「き」はちょっと変だが、訓読みの本名音読みするのが当たり前なのでそう書いてあるのである。当然本人の名乗りだけでなく世間の通りも「き」なので当然の事だ。

戦前新聞を見れば歴史で習うのと違い、政治家名前はほぼ全て音読みのフリガナが振られている。原敬なら「ハラ ケイである

戦後

戦後になると流石にこの風習は廃れた。特に戦後まれ団塊世代はこの倣いに従わなかったし、その親である戦中派の多数派有職読みで子を呼ぶ事をしなかった。

しか保守的な家庭ではこの倣いを続ける所もあった。それが私の父方だったのだ。祖父は旧職業軍人戦後神社右翼人士と付き合いがある右翼シンパであった。

 

こんな感じで段々とこの倣いは細くなって行ったのだがバブル期~90年代前半にトドメがさされた。

銀行口座はそれまでハンコと通帳だけを参照するもので、本人確認もろくに行っていなかった。だから仮名での口座開設も簡単であり、銀行自体がそれを止めていなった。日本人で外国人名の口座をもっている人もいるし、法人格獲得していない社名でも口座が開設出来た。

だが当時日本ストックの急拡大により急激に国際的地位を獲得しつつあり、マネーロンダリングへの対策を求められる事になった。これで仮名での口座開設は不可能になり、本人確認書類必要になった。口座の文字本名の字と一致させる必要がある。

更にIDカードが常に参照される社会になって行った。90年代初頭では「欧米では何するにもIDカード提示させられるのでID携行必須なんだよ」というのが珍しい事として語られていたのだが、90年代後半の日本はその欧米と同じ状態になっていた。

こうして本名との完全一致は常に求められうようになったので有職読みとか通称使用とかは完全に無くなって行ったのであった。

 

から私が区役所で怒られる数年前までは細々と続いていた風習であったが、現代っ子であった私は自分の周囲がそういう古い倣いに従っていた事に気づかずに居たのである

そして私を叱った区役所役人自分が生まれた頃にはまだかなり現役の風習に気づかず40年以上生きてきたのである。更に戸籍住民票を扱う部署に配属されてなお知らなかったのである常識とは視野を狭くする事の一例だ。常識があるが故に保守的風習認識できないというのは寓話的だ。

 

こういう事が判ってから母型の家系を調べると、やはり曾祖父母として認識されていた名前戸籍に出てこないケースがあった。認識されていた名前本名が違うのだろう。

 

現代っ子自分時代常識に則り祖父母の名を本人に代わり書く時も本名を使うようになったが、この辺の知識が無かったのでその時バツが悪い思いをしているだろうという事に気が付かなかった。直接聞いた訳ではないが生まれから数十年それが名前であったのだから言うまでもない。

キラキラネームも昔なら問題にならなかった

親にキラキラネーム付けられて成人してから変名するケースが増えているが、この問題も昔の知恵なら問題にならない。

そもそも親がまともかバカかというのは子がベット出来ないギャンブルだ。そしてやたらとおかし名前をつける親というのは戦前には結構いた。ダジャレで付けたり有名芸者の名前付けたり、バカ親は戦前でもバカである

でも通名別につける方法が残されているか問題が無い。「親に貰った名前を変えていいのですか?だって?親に貰った名前を名乗れるかよ!」と言えたのだ。

更に変な読みを付けられても有職読みすればいいのだから問題ない。「今鹿」で「なうしか」と付けられても「こんろく」と名乗ればいい。これは今でも教育現場でも会社でも本来の読みに固執しているのが問題であってそんな例外なきルールなんて精々30位の歴史しか無い。困った問題が続出しているなら破棄すればいいだけの問題だ。

なので硬いルールと思っているものが実は30年程度の風習しかない事に気が付くべきだし、柔軟にしたら解決する問題もあるという事に気づくべきだ。伝統というもの伝統と思っているものの外側にある事がある。そしてその伝統問題解決する術を持っている事もあるという事に気づくべきだ。

 

最後に、あの区役所おっさんにこの「自分の親の名前の読み方を知らない理由」を言って聞かせたいもんだが、もう鬼籍に入っちゃってるだろうなぁ。あんたの叱責のおかげで日本伝統について知ることが出来たぜ。

2021-07-20

小山田圭吾のいとこ謝罪 辞任発表に「正義を振りかざす皆さん、良か

表題に対するブコメ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3440718/

この中の

id:ustam いとこがこれだと、息子の意見も聞いてみたくなってきますね。クズ家系である可能性が否定できないので。

スターつけた人記録(2021.7.20 9:30現在

この一族クズ、これがいじめ抑止力になると考える などといった傾向があるようだ。

id:ak1024 2021/07/20 背後から撃たれる感がすごい

id:frizzante パラに小山田が関わらないなら、あとは当事者同士で。または個々人で好き嫌いを決めればいいいと思うよ。

id:eryo

id:ashigaru

id:lilymama

id:sigwyg

id:reskini

id:tmayuko312

id:osugi3y 小山田圭吾のいとこの音楽プロデューサー #田辺晋太郎 辞任発表に「正義を振りかざす皆さん、良かったですねー!」とツイートツイ消し謝罪&垢消し逃亡 オリンピック開会式に向けて一族クズっぷりを見せつける

id:anony_x

id:iimodedo 燃え盛る火にガソリン撒いてる。これぞ無能な味方 / いじめが原因で人生狂うって世間への宣伝効果は大きい。倫理的私刑は間違ってるのは承知だけど

id:togusa5 やまゆり園で聖火マラソンやる連中だから

id:ottyanko イジメをすると大人になって成功した時に、アキレス腱になって全てを失うよ。と子供向けの教材としてすごく優秀な事例だと思う(・∀・)

id:heNULLPO 本人のみならず一族も底無しのクズ。お前も正義を振りかざされて死ねしか言いようがない

id:nekochiyo

id:ftq これを擁護できる奴は同罪。

id:mk16 小山田圭吾を解任しないなら五輪相IOCJOCスポンサーを「人道に対する罪」で裁いてほしい。

id:baronhorse この話が広く知られるようになっていじめが減るといいな

id:fishma そりゃ、間違いなく「無視」が風化させるのに最も正解な選択肢からだよ。今回はどうかな。今までとは毛色が違うからなあ

id:gesyo いじめ警察少年院断罪されず、被害者への救済もないなら、加害者社会から徹底的に排除していくことで抑止力とするしかありません。教育現場が変わるまで、加害者が救われることはないです。

id:matsuedon

2021-06-18

はてなやめるので10000ブクマ見返した+ブクマカの名(迷)言まとめた(4)

anond:20210618205509

組織

多様性を認められない組織は瓦解しますよ - id:motinoyaketru3

ブコメページ - 木原みのる(木原稔) on Twitter: "残念ながら教育現場中立性を逸脱した先生がいます。18歳の高校生特定イデオロギーに染まった結論に導かれる事を危惧してます。そこで、学校教育における政治的中立性についての実態調査実施します。皆さまのご協力をお願いいたします。https://t.co/NZH1bOXCOR"

経営陣のミスを、社員の懐で埋め合わせようとする日本的経営。美しすぎて涙が出るな。 - id:FUKAMACHI

ブコメページ - 東芝が自社株購入呼び掛け 上場廃止の恐れ、社員反発 - 共同通信

逆。本来上司が部下を守る。ヤクザもそう、最後に体を張るのは組長。日本労働者奴隷根性が染み着きすぎてる。 - id:akikonian

ブコメページ - 財務官僚「親分奥さん、部下は守る」 改ざんの背景は:朝日新聞デジタル

責任が取れるというのは問題が生じた時に被害者にきちんと補償ができるということであって,担当者がクビになることではないよ。大手メディアほどの資金力が個人にはないという意味でなら正しいかもね。 - id:nakex1

ブコメページ - カンニング竹山規制ないネット生放送警鐘 - 芸能 : 日刊スポーツ

日本組織にあるのは、信念ではなく世間体。そう思わせるような教育委員会ディフェンスであった。 - id:santo

ブコメページ - 金銭授受も「いじめ」一転認定 原発避難、市教委が謝罪朝日新聞デジタル

誰かが休んだら回らない会社無能の集まりというのは本当のようだな。 - id:molytack

ブコメページ - 控えめに言って早くあいつクビにして

日本は人を育成しない。ふるいにかけているだけ。それを育成だと勘違いしている。そして自分指導法が正しいと思い込みたいがために、出来ない子達を強く責め否定する。 - id:punkgame

ブコメページ - 朝練、球拾い、応援団… 元スペイン代表GK唖然日本の育成年代に抱いた疑問 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト



続きます: anond:20210618210204

2021-06-14

デジタル教育コストを下げることはできないのか

対象としては、子供だけでなく、大人も含める。


現状、教育コストは下がっていないのではないだろうか。

学校パソコンタブレット活用という話は出てくるわけだが、どちらかというとコストが上がっているだろう。

家庭側から見えるコスト感と、教育現場から見えるコスト感も違っている。

多くの意見は家庭からみたもので、高いと感じる。

本当に無駄なのもあるのだろうが、事業としてやっていくためのコスト必要だろう。

その上で、教育コストは本当に下がるものなのだろうか。


子供だけでなく、大人に対しての教育必要だ。

普通に大学に通うのも昔に比べて高くなり、パソコン教室Udemy社会人向け大学といったのも高いままだ。

ネットで話題になっているのを追いかけていれば大人学習するかというと、そうではない。

次第に道を外すようなバランスの悪い状態が今のネットだろう。

若いうちに失敗しておけというが、年取った初心者が失敗する場は用意できていない。

2021-05-26

anond:20210526111518

こっちのほうが安全って話をするなら、tiktokになど何一つ発信させないよう、子供側を規制するのが最も安全だぞ。

 

実際そうしてる家庭や教育現場多いだろ

2021-05-14

立命館大NICT 日々感謝を記録することで学習モチベーションが向上

情報通信研究機構立命館大学は共同で、日常生活の中で起こる様々な出来事や、その対象となる人々に感謝したことを記録することにより、学習モチベーションが向上することを、クラウドシステムを使って実験的に明らかにしたことを発表した。

学習モチベーションに、感謝感情が影響を与えるという本研究の結果は、「感謝日記」のような感謝する機会を提供することで、学習モチベーションを向上させることができることを示唆している。

教育現場で、既存モチベーション改善プログラムに加えて、感謝することを活用した、数週間程度の比較的短い期間で、数か月に及ぶ効果のある、モチベーション向上プログラムの開発に役立てられることが期待されている。

https://edtech-media.com/archives/44806

まじめな研究なんだろうけど、ブラック企業にいいように利用されそうですね。

2021-05-01

なぜいじめ発見を加点要素にしないのか

どう考えてもいじめがあったら減点って制度だといじめ隠蔽する方に力使うようになるだろ

いじめ発見したら教師学校にとって加点要素

経過観察を義務付けて解決に至らないようなら加害者被害者隔離する措置をとる

ここまでのプロセスを実行したら明確な学校教師側の加点

いじめへの取り組みのしっかりした学校だという認定を与える

最低限こういう方向性システムを作るべきだろ

いじめがないなんてあり得ないというのは、ほとんどの日本人学校生活を経験してるんだからみんな知ってることのは

教育現場バレバレな嘘ついてどうするんだよw

馬鹿教育やっとるんか

2021-04-26

教育現場からお気持ち

文科省はいい加減休校要請を出してほしい。

緊急事態宣言が出たけど特に措置はありません。

連休には部活大会も控えているので練習させます

・時差通学や短縮授業もしません。平常運転です。

・世の中は自粛してるから人が少なくなっていいんじゃない

月曜は緊急の教員会議だってうから期待したけどこれだよ。

現場からは以上です。

2021-04-23

Googleはいつの間にか「Googleのネット内に留まって欲しい」となった

検索エンジンとしてGoogleでは、いかに「Google以外のネットに移動してもらうか」が重要だった。

いかに早く検索結果を出し、有益サイトに飛んでもらうのが良い検索サイトだったわけだ。


だがいつの間にか、いかに「Googleの中にとどまらせるか」に変わった。

検索エンジン以外に幅広く手掛けるようになって、どれかのサービスを切り替えながら居続けてもらう方がGoogleにとって良くなった。


アドレスバーをなくしてURL確認できないようになれば、人々は知らないサイト危険からGoogleなら安心か」ということでGoogleの中にとどまる。

自社で持っているサービスを上位に表示させ、類似サービスを下位に表示するのも出来る。

ネット情報解決しないようになり、どこかで書籍に戻るとなったらGoogle Playブックスで購入してもらったらいい。


Googleはもう既得権益なのだ

そして並大抵の事では次の検索エンジンは現れない。

膨大なサーバーを持たないといけないので天才が数人現れた所で太刀打ち出来ない。

Googleを打倒するような天才が現れようとするのも、教育現場から拾ってきたデータでつかめGoogle社員ハイリングのために声をかけると

多くは了承してGoogleに入るだろう。

GoogleからしてもGoogle社内内部の方が確かな情報があるのであり、Googleの外のネットがどうなっていようと構わないという状況になりつつある。


そしてもっと広告お金を出せば流入量増やせますよとささやくのだ

2021-04-16

大阪府コロナ資料ダメ出し&感染爆発を防げなかった理由 その4

その1 https://anond.hatelabo.jp/20210416100355

その2 https://anond.hatelabo.jp/20210416172732

その3 https://anond.hatelabo.jp/20210416233400

★★★注意★★★

正直随分と長いので、最後エントリ結論(未投稿投稿したらリンク追加します)から読む事を推奨します。

4/7会議資料医療非常事態宣言発令日。重症者が158名に達し、中軽症で入院している患者重症化しても、重症用病床へ移れなくなりつつあった時期

想定が前週比2倍、参考として3/26に試算した前週比1.5倍。

想定によれば一週間後の4/14時点で1426、参考で573。実際は1130で、参考はベースラインが低いので全く無意味。過剰な想定になってはいものの、現実問題として、感染拡大に対し、検査数が追い付いていない可能性も否定できないように思う。

先ほどと同じく、4/14時点の予想が想定で166、参考で99。実際の数字が239。

前日4/6の149からの増分でみると、想定が17増。

実際は90増。予実比実に5.29倍である

これは前にも述べた、変異株の重症リスク(60未満での重症化率上昇、発症から重症化までの日数減の2要素)が高まった事に由来するものと考えられる。

何故か4/7資料では今まで言及されていた箇所での言及が無い。

■朝野座長

4/7なので、その1で示した国立感染症研究所の、変異株の感染力が1.32倍と推測されるという記事は世に出ている。まん防の内容については当然把握しているだろうから、年明けの宣言と同じ自粛をしても、実効再生産数が当時の1.32倍にしかならない事を想定すべきだったように思う。海外分析では1.5倍以上という話もあったので、これは後日目線でもオーバーリアクションではないと思われる。

■掛屋副座長

相当な危機感が伝わってくる内容で、まったくもって正しい認識だったと思われる。

佐々木委員

意見自体はごもっとなのだが、海外事例や国立感染症研究所の報告を元に、もう少し踏み込んだ意見が出せなかったのかな、と少し残念に思う。

■茂松委員

急激に危機感を募らせては居るが、変異株の感染力の強さを考えると、不十分な対策なのではないか

■白野委員

非常に強い危機感を募らせておられるが、前回の宣言とほぼ同じ内容であるまん防では患者減少に至らない可能性を軽んじておられるように見受けられる。

■倭委員

3/26でも圧倒的な危機感を募らせていた倭委員、4/16日現在みても全く持って正しいご意見と思われる。変異リスクについてはもう少し前の時点で強く訴える事も出来たのではないか、とも思われるが。


一気に専門家諸氏の間で緊張感が高まるが、朝野座長だけはどこか他人事というか、浮世離れしている印象がぬぐえないのだがいかがだろうか?



まとめ 結論部へ続く

2021-04-02

anond:20210402222612

MMTケインジアンを一緒にするのはいかがなものかな

不景気ときには財政出動せよというのは同じだな。

高度成長期日本(岸・池田佐藤内閣)で行われていたのは開発独裁に近いと思うけど、解釈の違いか

独裁じゃないわな。

起業内部留保解雇できない終身雇用従業員人件費ファイナンスするため(バブル以前はメインバンクが面倒見てくれていた)

内部留保は現預金内部留保設備内部留保をわけんとならん。だいたい、非正規労働をどんどん緩和したが現預金内部留保は膨れ上がって景気は低迷する一方だろ。

教育に金を出すのはいいけど、反日活動家教育現場を侵食している現状では限界がある(政府転覆資金援助する為政者バカ

どこの陰謀論だ。馬鹿か。

anond:20210402211641

MMTケインジアンを一緒にするのはいかがなものかな

高度成長期日本(岸・池田佐藤内閣)で行われていたのは開発独裁に近いと思うけど、解釈の違いか

起業内部留保解雇できない終身雇用従業員人件費ファイナンスするため(バブル以前はメインバンクが面倒見てくれていた)

教育に金を出すのはいいけど、反日活動家教育現場を侵食している現状では限界がある(政府転覆資金援助する為政者バカ

2021-03-16

anond:20210316023110

教育現場でもかなり秘密にされていることだが、文系試験のうち主観式(文で書く奴)は、出題者の期待を読み取るのがすべてと思ってよい。ぶっちゃけて言うと、先生が読んで気持ちいかどうか。私は体制従順でなく、上の期待に沿うのが嫌なので、主観式はすべて不得手。点数が取れた試験は、答えが一つに定まる理系科目か、文系でも語句だけを記せば良い客観式だった。文章で書く奴はたいていだめ。上を怒らせるような独特なことを書いてしまうためである。あるいは上の期待を外してしまう。だから加点がされない。小論文試験はうまくいったことがない。このブログを読めば分かるように、独特すぎるから不愉快まりないのだろう。だがこちらとしては、今でも小論文試験思想チェック試験から憲法違反だと思っている。東大前期のときは、節を屈して、何ヶ月か、完全に上が期待するような頭にした。あれは相当苦痛だった。出題趣旨をつかみ、気持ちのよいキーワードを思い出すように努める。文系試験は、何を書こうが、体制に都合の良いことを書かなければ点が出ない。あんもの試験として通っているのは誰が見てもおかしい。

http://web.archive.org/web/20070328081129/http://d.hatena.ne.jp/leibniz0/

これはなかなかいいことを書いている。だからって殺害予告していい理由にはならんが。

2021-03-10

anond:20210310212154

仕事は好きです。

頑張っても報われないのに責任は大きいし、正直今回のコロナ教育現場の変化のしなさに絶望しているところがあります

ICT教育だとかGIGAスク―ル構想のしわ寄せが来てて、言ってることは素晴らしいけど実際に教育委員会あたりからの「指導」「通達」で縛られて現場サイドの裁量でできることが小さすぎて。。。。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-04

ネトウヨの国

日本はすでに嫌中嫌韓が強固にインストールされてしまっている。大半のマスメディアもそれを前提に報道している。ここ20年を日本で過ごした日本人にもそれが当然だと思っている人が多い。何もなければ自然にそのように育つ。特にその傾向の強い書き手が多いライトノベル漫画を愛好して育つ層では顕著だ。インターネット言論環境でも嫌中嫌韓がほぼ押し勝ったとみていいだろう。むしろマスメディアより先行していた。中高年ではネットで真実を知ったと思っている人々が多くいる。その人たちは社会要職についていたりする。例えばマスメディアで。例えば教育現場で。等々。しかし皆そろそろ中国韓国の話ではなく足元の日本ボロボロになっていることに気が付き始めた頃だ。けれども先程言ったようにマスメディア要職にいる人たちはネトウヨから日本ボロボロなことは直視できない。記者クラブという鉄壁のガードもあって日本問題が追求されることはない。いつまでも中国韓国些細な失点を追求し続ける。今では新型コロナウイルス対応に手間取っている欧米諸国槍玉に上がる。もはや日本語で語られるものを追っていては日本の実情を把握できないようになっている。日本という国がなくなるまで「文句があるなら日本から出て行け」の大合唱が続く。未来は無い。

2021-02-03

消しゴム3.5時間教員に思うこと

消しゴムを忘れた児童を3.5時間立たせた神戸市北区の25歳教員ニュースになっている。

はてブの中で「年寄りかと思ったら25かよ」などの意見があるが、個人的感覚としては、「この時代がいよいよ来たな…」という感じだ。

これから変な教師若い世代の中からもどんどん出てくる(昔にも居たは居たが、それより規格外のやつだ)。でもそれは教育のせいではない。政府と、それを容認してる“民意”のせいだ。なぜなら、この人1人で済む話ではなく、またこの数ヶ月や1年の「成果」でモンスターみたいな教師が出てくる訳では無いと肌感で思っているからだ。

前提として、この教師がやったことは体罰だし罪と罰バランスが取れていないし、コメントを見てもうわぁ…と思う。でも、じゃあブコメにあるようにこの人1人を辞めさせたら解決かというとそういう問題じゃなく、点では無く面でというか、塊で発生してるのではないだろうかと前々から思っていたからだ。

まずは小学校採用倍率。今年は過去最低の2.7倍。2.7倍だ。約5人中2人受かる。かなり低い。初任給20万円程度で、手取り17万くらい。これで定額働かせ放題だ。中年になれば世の中のサラリーマンの平均より高いというが、やることは1年目から変わらないし、若い世代のほど課外の活動はあり、親にナメられ削られる。生徒は20人〜40人(今はこんないないのかな?)を、1,2年で中身が総とっかえされながら気を配り親とも付き合っていく。小学校でも受験相談とか最近あるだろうから、高学年だったら進路相談もありそうだ。バイトみたいな月収でこれをやりたい、と考えるだろうか。志がある人はもちろんこの条件でも受けるだろうが、そうではない学歴能力も徳も備わった、いわゆる「親の皆さんがこれで良しと認める」ような人が、職業選択候補の一つとして教員を選ぶのは、難しいかもしれない。(ちなみに大学で取る授業数は教員免許を取るには通常にプラスしてかなりの単位を取る必要がある。余分に授業を受けたり実技をしたり教育実習に行く余裕を捻出するのはかなり大変だ)

2つ目に実体から自分は29歳で教員免許もち。教育実習は高校に行った。偏差値70前後公立高校。規模もそこそこあるために、自分の代で12人くらいの教育実習生を受け入れてた。そこそこ良い公立なので、実習生たちも有名大学ぞろい。そんな中で、偏りがあるのだが、同じ社会系教科で来てるのは6人いた。その中で教員志望は2人。しかし、超個人的意見だが、「一般企業無理そうだな〜」というコミュ力が無く性格微妙な2人が、よりによって教員志望だった。他の4人は自分も含め内定貰い済みで、他の人の内定先は官公庁外資大手製造などだった。

残る教員志望の2人は①某T大院、授業が早口独りよがりで下手。コールアンドレスポンスというか、人と絡もうとする意思が見受けられない人。コミュ力12/100くらいしかない。

②某K大、真面目キャラに見えるが負けず嫌いプライドが高く、幼い。何か言うとすぐ上から目線で返してくる高圧的な人。自分が「かしこい」と思っているタイプ日常会話でもマウント取ってくるので次第に周囲からしかけられなくなっていた。授業も下手。

といった具合。数学家庭科古文など、他の教科で教員志望の子ちゃんとしてたので、教科的な性格もあるかもしれないし、2例だけで全体を語るのは全く的外れだし、2人も将来立派な教師になる可能性がないこともないが、その時点で「こんな先生いたら良いのにな」という好青年・明るくぐいぐいくる女子・授業がうまいやつは先生にはならなかった。何でか聞くと「内定もらったから・そっちのが安定してそうだし」と。この安定とは何か。教員は鬱パワハラ身体を壊す危険性があり、国歌を拒めば罰せられる可能性のある「安定した職業ではない」ものなのだ。(国歌は左右の話ではなく、思想的な強要を受けるという意味思想に、理不尽強要を受けるのヤバい

マイナス面ばかり語ってしまったが、だから何かというと、教員給料を上げ、勤務制度を整え、有料人材もっともっと憧れて入る、競争率が高い職業になるように政府教育お金をかけて欲しい。大袈裟かもしれないが、国の未来教育で作られる。尊敬する先生に会えることは子供に大きな影響を与えるだろうし、余裕が無ければ子供は育めない。親の皆さんは先生は値踏みするものではなく、自分が相対していない間子供を育てる相方だと思って協力しながら接してあげて欲しい。世間の皆さんは揚げ足を取る対象ではなく、頑張れ!いいぞ!疲れたら休め!と応援する気持ちで見てあげてほしい。そしてそんな相方に足る人材応援したくなる人材教員を志望してくれる世の中になるように、国の教育へのなりふりをしっかり監視してほしい。

言及最後にしたが、小学校での児童に対する性的ないたずら・暴行事件は、皆さんが認識している以上にある。教師の質を上げることは本当に、人間を守ることにつながる。それは学歴だのではなく、志と人としての倫理観が高い、成熟した心を持つ学生教師に向かわせる社会的な環境だ。

今も教育現場で頑張っているみなさんにはエールを送りたい。その中には自分大学で一緒に大量の単位取得を頑張っていた友人たちもいる。教育綺麗事だけ言えば、20年後の未来を作る崇高な職業であると思う。今日もおつかれさまです!

2021-01-31

anond:20210131052926

漫画アニメゲームと違い、スポーツには女子エンパワーメントする社会的役割がある。

から漫画などが教育現場などでも支持されにくいのに対し、女子スポーツは望ましいものとして奨励されている。

ポリティカルコレクトネス主唱者立場でも、不適切作品は容易に規制是正要求できる。

しか女子スポーツは貴重なエンパワーメント手段としてなくすわけにはいかないし、女子不利益をもたらしてはならない。

女子競技の線引きをどうするかでコレクトネス派の歯切れが悪くなり、あれだけ揉めに揉めているのにも事情がある。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん