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はてなキーワード: 教育現場とは

2021-01-17

公立工業高校統合失調症

 高校時代の思い出。公立底辺工業高校で好き勝手やっていたら職員会議にかけられたらしく、担任精神科を勧められた。教育現場精神疾患疑惑をかけられる経験など早々ないことに違いない。

 面白そう! と思い親同伴で出発。長い待ち時間の末、そう長くない問診時間で「統合失調症」の破瓜型と結論された。まさか童貞卒業しない内に非処女認定されるとは、やはり精神医学界とは面白世界である。おそらく一連は精神攻撃一種なのだろう。

 結局続く第二診で異常ナシと判断されたものの、それで私の生活態度が改善するというわけもなく、やがて卒業するまで職員たちの監視の目が緩むことはなかった。別に悪いことをしていたわけでもなく、成績も決して低くはなかったというのに、なんとも労力の使い方が下手な組織である。私の青春疑惑を抱かせる私と様子見しかできない大人たちの一進一退の攻防でしかなかった。

 少し逸脱した個性精神病という型に押し込めて無理くり理解しようとする、その臆病な姿勢は敵ながら私も見習うべきだろう。高校時代の収穫と言えばその気構えくらいで、勉強の内容など既に記憶にもない。高校なんて大体そんなものである

2021-01-15

子供が通う塾と小学校で立て続けに感染者が出て、

塾講師と、おじいちゃんから子供感染した例)

うちの自治体ではまだ比較感染者抑えられているので

濃厚じゃなくても接触者は全員PCR検査してるんだけど、どちらも感染者はゼロだった

適切な対策が取られていれば教育現場での感染拡大は少なそうだ

2021-01-10

anond:20210110025327

ITに詳しい教員ほど、

今の教育現場のITへの不理解予算のなさに苦労してそう、

ということがよくわかるエントリだった

ギガスクールChromebookの配布など、政府も少しずつがんばってる感もあるから

徐々に期待ですね

2021-01-09

緊急事態宣言に対して教育現場の片隅からお気持ち表明

この期に及んでも教育業界は変われないのかもしれない。

休校要請はしない」

その是非はいろいろあろうが、個人的には英断だと認識している。これから始まる「受験シーズン」という全国一斉イベントを考えると、授業の場にしても受験会場の設営にしても、地域差学校ごとの差が最小限で済むからだ。

それはそれとして「休校要請はしない」以上のコメントが発せられないことに危機感を抱いている。

これは文部科学省に対する祈りであり呪詛だ。

ひとつの取り組みを紹介しておこう。5月緊急事態宣言が明けて以降、オンライン授業、45分授業と段階的に来て、いよいよ50分授業に戻そうかというのが12月末の見解

そして今回ふたたび宣言が出たわけだが、その対応は「50分授業に戻す・部活は無し」というものだ。

今まで部活をやっていた点にも苦言はあるがこの際置いておく。問題は、登校時間・出勤時間をずらしているのだから、退勤時間は当然遅くなる。世の中の多くの企業テレワークや時差出勤を進めるなか、教育業界はその逆を向いているように思えてならない。

文部科学省が、大臣が、あるいは教育委員会でもいい。「働く環境に気を遣え」と一言いってくれれば。

公立学校というのはお役所的に教育委員会の方針に従うし、それが「学校長の判断に任せる」など曖昧ものだと、往々にして現状維持だ。

ましてや古い体質の私学は「県の方針」や「ほかの私学」の顔色を見ながら決定を下す。それどころか「逆にノーガードで運営する」ことを美徳とする"ベテラン層"の発言力が強い始末だ。(もちろん「引き続き40分授業」という私学もあることを添えておく。)

とにかく、より上位の存在からトップダウン命令しないと動かない業界なのだ。その意味では、前回の「総理大臣から休校要請」は非常にインパクトがあった。

一斉休校ならば相当の事態だろうと、教育業界を問わず、そう感じた方々も多いのではないだろうか。

学びの場を少しずつ戻していく。そのことに異論はないし、そうありたいと思う。しかしそのペース配分はどうだろうか。

多くの企業テレワークを推進している。この1年間、飲食観光世界死活問題だろう。では教育業界はどう対応していくのが適切だろうか。

いつまで昭和を続けているのか。今こそ真の意味での働き方改革のチャンスではないのか。

2020-12-11

公立中学動物園だと言う人を差別的だとすることもまた差別

これな。

差別問題を語る上で、この違いを理解できてない人が多すぎ。

自分なりの解釈をがんばってできるだけわかりやすく論じてみる。


・はじめに

ここでいう差別は、差別問題とは異なり、あくま差別のものを指します。

問題にならなければ差別容認するというわけではなく、問題に至る前の差別のものの是非について論ずることが目的です。


差別とは何か

公立中学動物園だと言った人を差別主義だとする根拠は、自分経験だけでまるですべてがそうであるように表現したことにあります

それならば、その人の中にあるその一意見をもとにして、その人すべてを差別主義だと決めつけることも、やっぱりそれは差別的だと言わざるを得ません。

差別とは何かと聞かれたら、自分ならこう定義づけします。

「一つの(もしくはいくつかの)意見・側面をもとに、その人の全てを決定づけること」

白人全てが黒人差別をしていないのと同じ様に、一人の個人の中だけでも、差別主義的な意見とそうではない意見存在しえます

それを無視して、一つの(もしくはいくつかの)意見をもとに、その人を差別主義だと決めつける行為は、やはり差別的だと言わざるを得ないわけです。

残念ながら、日本ではまだこの違いを理解している人は少なく、結果的に、日本人はまだ差別意識に対して未熟だと言わざるを得ません。


差別を決定づけるもの

それではこの筆者も同じ様に差別主義ではないかと思うかもしれません。

しかしそれは違います

そうした意見を、それは差別的だと指摘・議論することは、差別主義ではありません。

しわたしがここで、だから日本人は差別主義だと結論づけたのであれば、筆者は差別主義だと言えるでしょう。

そうではなく、あくま問題の一点を指摘した上で、傾向を論ずることは差別主義でも何でもないのです。

それに対し、「あなた差別主義だ!けしからん!」と返していても、この議論が一生前に進むことはありません。

公立中学動物園と表明する自由はあり、そして、その意見が間違っていると指摘する自由もあります

からといって公立中学動物園だと表明した人を差別主義だと批判することは、自分自身差別的な行為をしているにすぎないというわけです。

しかし、このすれ違いこそが、差別問題解決を困難にする一番の要因であるとも言えます

なぜなら、差別主義批判している側からしてみれば、自分自身差別自覚がないからです。


ナイキ実例をもとに考える

ナイキCMに対して、ナイキが行ったことは、一部でそうした差別存在たかもしれないことの示唆です。(そしてそれには多くの経験者による賛同を得ました。)

この時点でナイキは、だから日本人は差別主義だとは決して結論づけていません。

それに対し、「日本人を差別主義だと決めつけるとは何事だ!」と反論しても、そもそも議論が噛み合うわけもありません。

紐解いてみれば、一部の日本人が、ナイキに対して「ナイキ日本人を差別主義だと決めつける企業だ」という差別意識を表明しているにすぎないわけです。

もしここで正しく抗議をするのであれば、ナイキという企業不買運動を働きかけるのではなく、CMで使われた映像事実確認を行い、問題があれば是正、なければ意見に対して抗議をするのが本来のあり方と言えます

その上で不買運動をするもしないも、それは個人自由です。

公立中学動物園だと決めつけた意見はたしか差別的です。

かと言って、そのコメントを残した人自身差別主義だと決めつけることは、やはり同じく差別主義行為だということに変わりはありません。


派生するいじめ発生のメカニズム

そしてこのロジックは、いじめ問題根本的原因であるいじめが発生するメカニズムにも共通しています

特定個人が何かしらのやらかしをしたとき、そのやらかしをもとにその個人のものに対する攻撃が始まるメカニズムです。

ここで最初に立ち返れば、本来であれば是非を問われるべきはその行為のものであり、その個人ではありません。

その行為に対し是非が問われ、それをもとに改善が行われるべきであって、行為の是非を個人の是非にするべきではないのです。

それを無視して、それが個人への攻撃正当化するための理由として用いられてしまえば、まさにいじめ発生のメカニズムのものと言えます

まりナイキに対してみんなで不買運動をしようと持ちかけることは、まさに、差別問題を棚上げにした消費者によるナイキという企業に対するいじめを持ちかけようとしていた状況に他ならないわけです。

こう考えれば、問題を問われるべきがどちらなのか、火を見るよりも明らかなのではないでしょうか。

しかし、悲しいかな、日本教育現場では、このいじめの芽を積極的に取り除く取り組みが行われていないのが現実です。


解決方法

差別とは何かを定義づけるとしたら、以下の通りである宣言しました。

「一つの(もしくはいくつかの)意見・側面をもとに、その人の全てを決定づけること」

ならば、差別問題をなくすために個人個人が取り組むべきことは、以下の通りです。

「一つの(もしくはいくつかの)意見・側面をもとに、その人の全てを「いつまでも」決定づけないこと」

例えば、大坂なおみを見た目で個人を決めつけようとすることも、国籍名前にしばりつけようとすることも、どちらも彼女個人無視した差別主義的な考え方でしかないのです。

そうした情報にとらわれず、彼女意見、一挙手一投足を見て、彼女がそういう存在なのだと受け入れることこそが、差別意識のない姿といえるのではないでしょうか。

ここで忘れてはいけないことは、個人好き嫌い最後まで個人自由であり権利であるということです。

彼女の様々な側面を見た上で、好きとも嫌いとも表明することは自由であり、誰が侵害してよいものでもありません。

しかし、それをもって彼女が正しいか間違っているかは別です。彼女存在のものの是非を問うなんてもってのほかです。

今後一層のグローバル化が進んでいく時代、もはやこれは義務教育レベル教育すべき内容であると、個人的には考えています

お互いがお互いのありのままの姿を受け入れあうこと。

それこそが差別意識のない世界といえるのではないでしょうか。


・淘汰と勝者

そうです。

お気付きの通り、差別意識をもって生きることも、自由であり当然許された権利でなくてはいけません。

いわばこれは反差別主義による差別主義に対する宣戦布告にすぎません。

そしてこれが、在日韓国人として日本に生まれ、数々の差別に身を持ってさらされてきた自分が、国籍境遇を越えて差別主義を滅ぼすべくたどり着いた結論です。

自覚なき差別主義の皆さん。

さぁ、生き残りをかけた戦争を始めようじゃありませんか。

2020-12-06

露出度が高いユニフォームを着ていないと、誰も見てくれないよ」 それでも女性アスリートが“撮影禁止”を求めない理由 | 文春オンライン

ttps://bunshun.jp/articles/-/41917

異性側の素朴な疑問として「なんでアンナ露出しているユニフォームを着ているの?」と疑問に思っていたけど

選手たちはセパレート(上下で分かれ、お腹の見えるタイプ)がかっこいいと思って、みんな着ていますからね。(ttps://bunshun.jp/articles/-/41917?page=3)」

という意見を見て、教育現場での体育着としてのブルマ消滅したみたく、そのうち露出比率の高いユニフォームは消えて行く運命にあるのかも、と思ってみたり…

2020-10-28

anond:20201027195319

全員を拾い上げる意識必要もないよ

50人に1人くらい(1クラスに1人くらい、偏差値で言うと70以上)の理系秀才を拾い上げられれば社会的ニーズは満たされる

あとは反社会的勢力にさえならなければ、工場勤務だろうが飲食だろうが介護だろうが教育現場職業に貴賤をつけるわけにはいかない

2020-10-14

教育現場で生徒に暴行を働く人間ですら大手を振って元気に暮らしてるのに死にたいなんて軟弱者

2020-09-29

わいせつ教員は即クビで!免許再取得もできなくして!」←それで困るのはお前らだぞ?

わいせつ教員“免許再取得できなくして” 保護者が署名提出

児童や生徒へのわいせつ行為などで処分された教員過去最多となる中、保護者で作る団体子どもへのわいせつ行為教員免許を失効した場合は、免許を再取得できないよう求める5万4000人余りの署名を、28日、文部科学省に提出しました。


これ以上教員負担を増やしてなにがしたいのか

コロナ対応疲弊した教育現場さらに厳しいものにしたいらしいな

それで教師がいなくなったら困るのはお前らだぞ?いいのか?

厳罰主義にしたら嫌いな教員セクハラされました!って嘘or大げさに報告してクビにさせる女子生徒とか絶対出てくるだろ

実際、嘘のセクハラ報告した女がいたよな

そもそも性欲は人間原始的欲求なんだからそれを押さえつけようとするのは人権侵害

パヨクのいつもの被害者ごっこに騙されてはいけない

2020-09-17

学校パン給食推進協議会」の主張は謎だ。

学校パン給食推進協議会設立、週2回のパン給食目指す「子供達により美味しいパンを」

https://www.ssnp.co.jp/news/rice/2018/10/2018-1022-1004-14.html

社会的食育推進により学校給食ではパン食が激減しておりパン業者にとっては厳しい状況となっている。

それを受けてパン業者が集まり学校パン給食推進協議会設立パン食推進に向けて活動を始めたのだが。

主張がこじつけな印象が否めない。記事を何度読んでも謎である

一週間のうち「米飯2回、パン2回、麺1回」が良いという根拠は何か?

この学校パン給食推進協議会は「米飯2回、パン2回、麺1回」を目指しているという。【記事ではバランスの取れた給食と報じられている。】

食生活実態からすると、週2回程度のパン給食が良いのではないか

しかしこれでは理由にならないだろう。

現状の調査対策必要でも、あくまでも食育なのだから現状の実態に合わせるのは話が逆だと感じる。

伝統食振興の意味もあっての食育であり、米飯2回、パン2回では却ってバランスが悪いのではないか

まして和食ユネスコ登録されているので同じレベルの話では無いと思う。

国際化が進んだこともあり自国文化の振興は大事である

麺はともかくパンが多すぎる。

もしかして機械的に数だけを合わせたのかと思ったが、それだと麺が1回で良い理由が分からなくなる。

週一の主食が、一週目米、二週目パン、三週目麺と交代ならば、機械的に数だけを合わせたと言えるのだが。

ご飯給食推進は食育計画に含まれているがその中でどのような根拠パン食を推すのか?

ここは上記の項目に近くなるのだが。

政府による第3次食育推進基本計画では米飯給食伝統食保護が触れられているが、その中でパン食を強調するのはやはり苦しいと感じる。

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9929094/www8.cao.go.jp/syokuiku/about/plan/pdf/3kihonkeikaku.pdf

また、引き続き米飯給食を着実に実施するとともに、児童

生徒が多様な食に触れる機会にも配慮する。地場産物国産食材活用及び我が国

伝統的な食文化についての理解を深める給食の普及・定着等の取組を推進する。

このため、「和食日本人伝統的な食文化」が、「自然尊重」という日本人の精

神を体現した食に関する社会的慣習としてユネスコ無形文化遺産に登録平成 25 年

12 月)されたことも踏まえ、食育活動を通じて、郷土料理伝統食材、食事作法等、

伝統的な食文化に関する国民の関心と理解を深めるなどにより伝統的な食文化の保

護・継承を推進する。

そもそも食育基本法にこのように書かれているのである

伝統的な食文化環境調和した生産等への配意及び農山漁村活性化食料自給率の向上への貢献)

七条 食育は、我が国伝統のある優れた食文化地域特性を生かした食生活環境調和のとれた食料の生産とその消費等に配意し、我が国の食料の需要及び供給の状況についての国民理解を深めるとともに、食料の生産者と消費者との交流等を図ることにより、農山漁村活性化我が国食料自給率の向上に資するよう、推進されなければならない。

この辺りを読んでもご飯給食パン給食の回数が同じというのは却ってバランスが悪いという懸念を抱かせる。パンが週に2回では多すぎるのである

ここが解決できない限りは学校パン給食推進協議会の主張は通らないだろうし、通すべきではないだろうし、市民の賛成を得る事も厳しいのではないだろうか?実際市民がどうみるかはアンケートを取らないと厳密には分からないが。

しかし、あちこちコミュニティコメントを見ていると、市民のうち多数はご飯推進に賛成であり、パン激減を良しとしているように感じる。

仮に上記法律文が無かったとしても現状パンを増やす根拠にはならないのではないか

まして和食ユネスコ文化遺産に登録されているので事情が違うのではないか

国際化が進んだこともあり自国文化の振興は大事である。(繰り返しになるが)

学校パン給食推進協議会の主張に理屈が通っているとは考えにくく賛成しがたい。

戦後パンばかり給食について悪かったとは考えないのか?もしそうならばダブルスタンダードでは?

振り返ってみると、戦後パンによる学校給食が始まりパン食の普及にも大きな寄与をしてきた。

これだけだと判断が出来ないのだが、戦後パン食ばかり学校給食の状況を「あの時も食生活実態から言えば献立が悪かったのは事実だが」と考えて【いない】のならば(これは仮定の話。このニュースだけで断定する事は出来ない)、ダブルスタンダードに感じる。

主張が矛盾していると感じる。

パン食の普及に大きな寄与というが、食育食生活実態考慮すべきという話ではなかったのだろうか。

外部での食生活実態にあっていないパン殆どなし給食現代)は悪くて、外部での食生活実態にあっていなかったパン食ばかり給食(昔)は良いのか?給食が「パン食の普及にも大きな寄与をし」たというのは、当時のパン給食が外部での食生活実態に合っていなかったから影響力を持ったわけだ。

当時、家庭での食生活実態給食の方を合わせていたら(国内食糧事情アメリカの事などもあって、現実ではそうはいかなかったのだろうが)、給食パンは出なかったはずだし、給食パン食普及に大きな寄与なんて歴史は無かったはずである

これが学校給食学校外の食事寄与という話ならば、「現在和食中心給食和食の振興に大きな寄与をするのでオーケー学校給食パンを増やす必要は一切無し」で良いはずであるしかしこの団体はそのようには主張していない。ここに矛盾を感じる。

結局食生活実態論は建前であってパン業者仕事が増えたら教育現場のことはどうでも良いの?、良い悪いの評価パン業者だけの都合次第なのか?と思う。

学校パン給食推進協議会の方から「当時のパン給食食育食生活実態観点から言えば悪かったのは事実だ」というセリフは出ていないのだろうか?

当時パンばかりだったからという割合の話では無い、この団体使用する生活実態論で行けばそもそも当時はパン給食日常的に(例え週1回程度の割合であっても)出ていた事自体が【おかしかった】のではないだろうか?

それをパン食の普及にも大きな寄与と良い事のように言っているのには矛盾を感じるし、結果論としてはその部分に限定して良かったと評価できても、学校パン歴史時代の変遷とともに終わったと言って良いのではないだろうか。

こちらについてどのように思われるのだろうか。

学校パン給食推進協議会が主張するようにパンがこれほどまでに国民の間に浸透したのならば、学校給食で増やす必要性はどこにあるのか?

感覚パン国民食として根付いていることを感じる、パン日本人にとってなじみ深い食品になったと主張している。

かに家庭のパンへの支出金は増えているのは事実。ならば何故そこまでしてパンを増やさなければいけないのかが不明だ。

単にパン会社救済という側面が強いのではないかパン会社以外になにかメリットがあるのだろうか??

学校教育現場の事よりもパン製造企業金銭事情を優先する事は出来ないと感じる。

私などはいじわるなので、どうせパン会社を救済するならば学校パン給食推進協議会に加盟していない方のパン会社を救済したくなる。行政政府関係者じゃないから何もできないけど。

【一方、主張の中で評価するべき面として下記がある。】

給食パンの質を変えて子どもたちに美味しいパンを食べさせようとしている点は評価できる。

これはパン食の推進とは別の話であり、もちろん、パンからとかご飯からとかそういう話抜きにして、子どもたちにどうせ食べてもらうならば美味しいものが良いに決まっている。

学校パン給食推進協議会にとってここの優先順位がどうであれ、目的であれ手段であれ、良い面ではあると思う。

食料自給率問題に触れられている点は評価できる。

国産小麦で美味しいパンができるという事と、米粉パンという方法もあると、食料自給率問題について触れられている。

これは良い部分である

まとめとしてこの学校パン給食推進協議会に感じた事。

実際、会員企業製造するパンはおいしいのだろうとは思うが、それはご飯勢も同じだし、大体それとこれは別問題

記事を読めば読むほど、食育はどうあるべきかという立派な問いはここには無く、教育食育現場 対 営利企業営業活動という単純な図式にしか見えなくなってくる。ここに私は強い危機感を感じる。

団体としてはポジショントークをせざるを得ない問題もあるんだろう。そこも考慮すべきであり、単純に悪くだけ言うべき話でも無い。ただそのような仕方のない事情があるのも理解できるがやはりパン給食の回数を元に戻す(増やす)のは食育の後退にしかならず反対せざるを得ない。

話が変わるが

【余談】政府的には外国食文化に触れる事は必須とまでは見なしていない様子。

https://search.e-gov.go.jp/servlet/PcmFileDownload?seqNo=0000205592

パブリックコメント

② 食文化継承に向けた食育の推進について、外国食文化に触れる機会が大切。

回答

② 和食文化継承のために、多様な食文化に触れることは一つの手法であり、頂いた御意見については、今

計画検討する上で参考とさせていただきます

まり外国食文化に触れる機会が大切だとは見なされていない、あくま和食文化継承のため一つの手法であるレベルの話。

ただしパン国民食として根付いているという団体の主張だったので、実際にはこの団体に関わる議論としては関係してこない。あくまでも参考として紹介する。

外国食文化に触れる機会が大切という論であれば、日本人の口にあったパンの数は減るが、学校給食パン業者日本人普段食べないような外国の本場の味を作る事が出来るのだろうか。

そしてそもそも米飯・麺・パン以外の主食も増える事になる。

【余談】他にも記事はあるが疑問を解消するような記載は今のところ見つかっていない。

https://www.ssnp.co.jp/news/rice/2018/05/2018-0528-1821-14.html

、「自民党食育の話になると、10人集まっても米一色になってしまう。『とにかくお米にしよう』と、それでは間違っている部分もある。キチンとした理屈理解を求めていきたい」とした。

とにかくお米というのが具体的にどこがどう間違っているのか、キチンとした理屈というのが何なのかどの記事を読んでも分からない。

【参考】レントシーキングとは(引用)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0#:~:text=%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%88%E8%8B%B1%3A%20rent,%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%B4%BB%E5%8B%95%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E3%80%82

レントシーキング(英: rent seeking)とは、民間企業などが政府官僚組織へ働きかけを行い、法制度や政治政策の変更を行うことで、自らに都合よく規制を設定したり、または都合よく規制の緩和をさせるなどして、超過利潤(レント)を得るための活動を指す[1][要ページ番号]。またこれらの活動を行う人をレントシーカーやロビイストなどと呼ぶ。

これによる支出生産とは結びつかないため、社会的には資源の浪費とみなされる。

民間企業などが政府へ働きかけて自らに都合よく・・・というところはこの件では当てはまっている可能性が高いと思う。

ところが超過利潤ではないな?その面では当てはまっていない。

社会的利益に結び付いていない点については、その通りの可能性が高いと思う。

この匿名ダイアリー記事は何度も手直しをしている。

一方的非難をすることは悪いわけで

評価点も探しながら、バランスを欠いた視点にならないように学校パン給食推進協議会について書きたかったし、そう書いていたつもりだったが、

ここまで否定的記事になるとは自分でも思っていなかった。この団体発言を見る程、パン給食否定的な想いが強くなっていった。

パン企業営業活動以外にパン給食メリットがどこにあるのか、そこをこの団体がはっきりさせてくれないと、高評価するのは難しい。

まず企業活動があってこその学校給食なのではなく、教育現場学校給食必要からこその企業への発注である企業優先という前例になってしまっては困る。

とにかく、米飯給食を守ったうえで、パン業者仕事も守る、win-win的なアイデアが登場する事を願っている。

例えばパン業者和菓子とかそういう方面への参入は検討されないのだろうか?

社会学校給食時代に合った最新のやり方に変化するべきだ、企業も変化についていけないと大変だろう。

2020-09-14

デジタル化で自主努力による教育格差是正は夢だったのか

学歴と家庭収入の相関があるのが指摘されている。

東大に入る人の家庭収入が高いといった指摘だ。


ネットを多くの人が使えるようになって、普及期には教育格差是正も叫ばれていた。

今も教育現場デジタル化を進めようとしている。

1人1台のパソコンを配ろうとしたり、黒板の代わりにプロジェクターを使ったりだ。


貧乏な家庭も、裕福な家庭も、両方ネット使うのだから効果が等しければ変わらないという指摘はあると思う。

だがそれだけか。


もう大人になっている世代なんてパソコン普通に使えている。

大人の方がデジタル化で知識を増やせていない状況にあるのに、子供も増やせるものだろうか。

2020-08-26

News Up 子ども日傘学校ダメ熱中症 NHKニュース

News Up 子ども日傘学校ダメ? _ 熱中症 _ NHKニュース

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200825/k10012582871000.html

日傘は手がふさがる」「ケガにつながりかねない」

雨傘使用矛盾してるだろ.

「傘を使用しない子どもに傘がぶつかる」

同上.っていうかソーシャルディスタンスの確保につながるからむしろ推奨しろ

日傘は暗い色が多く」

無知乙.日傘でググってみろ.

「雨の日の雨傘は『お互い様』。 でも晴れの日の日傘は『お互い様』ではない」

意味不明大人日傘使ってるだろ.

使用禁止

そもそも学外で禁止にする権限教師は持たない.

以上よりすべての言い分について矛盾証明された.

自分の狭い主観無意味に反対している無能教師は,速やかに教育現場から退散するようお願い申し上げる.

2020-08-16

打ち上げ花⽕、下から⾒るか?横から⾒るか?』は本当に駄作なのか

 先⽇⾦曜ロードーショーで『打ち上げ花⽕、下から⾒るか?横から⾒るか?』を初めて観て、これがなぜ世間酷評されているのかが私にはわからなかった。この作品に与えらえた不当な評価を少しでも覆すことはできないだろうか、インターネットの⼤海の中に⼀艘でも肯定的感想を加えられないだろうか、と思いここに駄⽂を書こうと思う。

 誰かに伝えるメディアを持たない私が、おそらく一番⼈⽬に触れる場所、⽅法として本来の⽤途とは違う、この場所はてな匿名ダイアリーをお借りすることをご容赦いただきたい。

この作品の5つの⽋点

 私がインターネット上で⾒た感想、この作品の⽋点としてあげられるものは⼤きく5つに分類される。

原作からの改変への不満

セクハラ下ネタについての嫌悪感

・過剰な映像表現への不満

・主⼈公に対して都合の良すぎる物語

そもそも話が分からない

 1つ⽬、原作との⽐較についてはここでは無視させていただく。

 私は映画化された⼩説、ドラマ化されたアニメ現代化された古典作品、どれにおいても原作が最も優れた作品だと思っているからだ。また以下の考察はすべてアニメ映画を元にしている。

 2つ⽬のセクハラ下ネタに対して私は概ね同意である

 ⽣徒が先⽣同級⽣等に対してセクハラを行うことは、若いからと⾔って許されることではない。実際の教育現場現在⽣徒たちがどのような発⾔をしているのかは学徒でなくなった私にはわからないが、実態とは関係くそれを映画館という⼤衆の場で晒すということを、フィクションであるならばこそ考慮しなければならない。

 上記台詞による登場⼈物間で⾏われるセクハラである。そしてもう1つ、映像を通して⾏われる観客へのセクハラ問題だ。それは必要のないシーンでの性描写である。もちろん場合によってそれが必要とされるシーンも存在する。主⼈公である中学⽣男⼦が、ヒロインの揺れるスカートに⽬を奪われることはあるだろうし、後述する都合のいいヒロインは主⼈公の意のままに動くことも肯定される。

 しかし、ヒロインが部屋の中で着替えるために下着になるシーン。これは物語にとってこの作品にとって必要だろうか。ローアングルスカートの中をのぞくシーン、これを誰が求めているのだろうか。せっかく⼈格を与えられて動きだした登場⼈物を、お⼈形遊びによって再び創作物へと叩き落す⾏為は、この作品に限らず、こうした作品においてあまりにも散⾒される。これは私が多くのアニメを観るのが好きでない理由でもあり、⼤衆映画として成功するジブリなどのアニメ映画作品と、ただのアニメとの⼤きな境界でもあると私は考えている。

 3つ⽬の過剰表現についても私は同意する。

 これは主⼈公が新たなストーリーを始める、過去を巻き戻す、ようにみえる、際に起こる、映像の揺れ、歪みを指す。はっきり⾔って邪魔である。主⼈公の既視感整合表現しているのだが、この作品中都合3回も繰り返すのだから、いい加減主⼈公も慣れてくれ。初めの1回で観客は慣れている。この表現の過剰さ、強弱の無さがこの作品をやや分り⾟くしている要因であると私は思う。

 以上3点においてこの作品酷評し、つまらないと思っている⽅はもう少し我慢してこの駄⽂を読んでいただけないだろうか。これから4つ⽬について反論し、5つ⽬のわからなかったという⽅のために私なりにこの作品解説したいと思う。

都合の良すぎる物語理由

 好きな⼥の⼦が夏休みの間に転校することを知った、主⼈公はその最後の1⽇を⼀緒に過ごすために、うまくいかなかったこと、失敗したことを、もしあの時こうしていればと、何度もうまくいくまで繰り返す。

 確かにこの作品は都合の良すぎる物語である。主⼈公は意のままに時を戻すことができ、ヒロインはいつの間にか主⼈公を好きになる。この作品にはハラハラキドキという⼭場、⾼揚感が⼀切ない。壁にぶつかっても努⼒無しに乗り越えてしまえば、観客たちは何のカタルシスも得られない。感情移⼊も出来ない。

 しかしここに⼤きな誤解がある。この作品タイムリープものではない。主⼈公は好きなように時を戻すという能⼒は与えられていない。彼は主⼈公だからといって特別な能⼒を⼿にしたわけではない。私たち観客も皆持っている能⼒を使って物語を作っている。それは「もしも」である

 この作品はすべて主人公妄想である。実際に時を戻しているわけでも、本当のヒロインが主⼈公のことを好きになったわけでもない。ただ妄想世界で主⼈公が願った通りに物語が進⾏しているだけなのだ。すべてが都合良くいくのはこれが理由だ。

 ⼀般に妄想物語を終えることは、くだらない、夢オチかよ、などと⾔われるが、この作品においてはそれが許される。なぜならくだらない妄想への批判こそがこの作品の根幹であり、テーマであるからだ。

 単⼑直⼊にこの作品を述べると、

【好きな⼥の⼦が⾃分を好きになってくれない現実を受け⽌められずに、妄想の中で⾃分のことを好きな彼⼥を作り上げる、という思春期の愚⾏】

を丁寧に描いた作品である原作が、恋愛友情との天秤を主題に据え主⼈公に⼩学⽣を置いたのに対し、思春期の始まりである中学⽣を主⼈公としたのはここに意味がある。

妄想の始まり

 ではどこまでが現実でどこから妄想なのだろうか。いつからヒロインは主⼈公に都合良くなっていったのだろうか。この作品現実はこうである

 主⼈公を差し向けるという形でライバルに振られたヒロインは、親に無理やり⼿を引かれて引っ越す。それを⾒た主⼈公はライバルを殴る。新学期が始まり、先⽣が名簿を読み上げる。そこに転校したヒロイン名前はなく、主⼈公は学校に⾏っていない。

 つまり「もしライバルに⽔泳で勝っていたら」からラストシーン⼿前までがすべて妄想である

 妄想であるという根拠は後述するとして、この作品をわかりにくく、かつ魅⼒的にしている謎について先に解説していきたい。

 ヒロイン花畑で主⼈公に何を語ったのか。そして主⼈公はなぜライバルを殴ったのかである

 このシーンを境に妄想が始まっているので、妄想動機、この物語において最も⼤事な出来事であるといっても過⾔ではない。

 この物語の中で唯⼀、意図的に観客に隠されているシーンがある。それはライバルの代わりにヒロイン病院へと迎えに⾏った主⼈公と、ヒロインとの会話である

「なんで島⽥くん(主⼈公)が勝つと思ったかわかる?」

その後に続く台詞は省略され、次のシーンではヒロインは主⼈公から⾛り去ってしまう。これを聞いたことで主⼈公はライバルへと怒り、結果として殴ることになる。ではその内容はどのようなものであっただろうか。

 ヒロインライバルプールで告⽩をし、花⽕を⾒に⾏こうと誘ったこと。しかし振られてしまたこと。再婚で転校しなければならないこと。そのために「家出」をしたいこと。その後の妄想の種となる部分を聞いたのは間違いないだろう。ただそれだけではないのは明確である。それだけのことなら省略する意味がないからだ。

 ここで妄想前後ライバルの変化について注⽬したい。プールで勝ったライバルは、主⼈公がヒロインを好きなことを知っていて、それを応援している。主⼈公とヒロインが⼆⼈きりになるようくだらない理由をつけ、また逆に⾃分とヒロインが2⼈きりにならないよう振舞っている。しかし、プールで負けた彼の態度は⼀変する。主⼈公とヒロインが2⼈きりでいることに苛⽴ち、主⼈公への不満を露⾻に表す。後者は主⼈公の妄想をもとに作られているということは重要な点だ。妄想後にプールで負けたライバル妄想前にプールで負けた主⼈公と同⼀なのである

 ライバルは⾃分へと向けられているヒロイン好意に気付いていたのではないだろうか。しかし、⾃分はヒロインのことを、少なくとも主⼈公がヒロインを想うよりは、好きではなく、告⽩されても振ると決めていた。なぜならそれに対して主⼈公が苛⽴ち、ライバルへ不満を持つことをわかっていたから。そしてライバルがそのように思っていることを、ヒロインも察知していたのだろう。それが上述の発⾔「(主⼈公)が勝つと思った」につながっている。

 転校前に最後の思い出が欲しかったヒロインは、ライバルへの告⽩を決意する。その結果はライバルが⼿を抜くという形で、主⼈公の勝利という形で、実際に想いを伝えることなく、判明する予定だった。しかし、実際には主⼈公のアクシデントによってライバルが勝ち、主⼈公の⼝からヒロインは⾃分がライバルから振られたことを告げられる。

 そのことを聞いた主⼈公は、親に⼿を引かれるヒロインが「助けて」と⾔った相⼿が本当は⾃分ではなかったこと、ライバルヒロインへの適当な態度に対して怒り、ライバルに殴りかかったのだ。

 そして主⼈公の妄想が始まる。もしあの時⽔泳で勝っていたら、ヒロインライバルに振られることはなかったのではないかヒロインを助けるのは⾃分だったのではないだろうか。ヒロインは⾃分に対して告⽩してくれたのではないか

 妄想であり、ヒロインは⾃分のことが好きではないとわかっているから、花⽕⼤会へは誘われるものの、告⽩は⽔の⾳にかき消されて主⼈公の⽿へは届かない。

 この告白のシーンは主人公自身だけでなく、観客をもごまかし誤認識させている。プールで勝った方を誘うと言うヒロイン言葉をそのまま信じてしまえば、主人公が勝ったことをヒロインが喜んでいるかのように、まるで現実では主人公のことが好きだったのに負けてしまたから不機嫌になったかのように誤解してしまう。制作者は上述した会話の意図的な省略により、ここで主人公共謀して観客を妄想の中に引き摺り込んでいるのだ。

 妄想が進むにつれて、主人公ヒロイン自分の都合の良いものへと作り替えていく。「家出」であったはずのヒロインの⼩さな反抗は「駆け落ち」へと変わり、浴⾐から⽩いワンピースへと⾐装が変わる。

 主⼈公は⼀度は変な花⽕の形を⾒てこれが妄想であると気付くものの、妄想の中のヒロインに2⼈でいられるならどっちでもいいと⾔われ、世界を好きなように変え始める。海の上を⾛る電⾞、レンズに囲まれ世界

「これは典道くん(主⼈公)がつくった世界なんだね」

世界おかしさを気にする主⼈公に対し、同じおかし存在である妄想ヒロイン世界おかしいとは気にしない。その後主⼈公の望み通りにキスをしたヒロイン

「次会えるのはどんな世界かな?」

という⾔葉を残していなくなってしまう。

 そして主⼈公は妄想世界から抜け出せないまま、現実が始まる。主⼈公が今も妄想世界渡り歩いているのかは明らかにされずに物語は終わってしまう。

 上記の論の根拠となる、妄想の開始位置を示す手掛かりは3つある。

 1つ⽬は⾵⼒発電のプロペラの回転方向である現実では時計周りに対し、妄想が始まると反時計回りに回り始める。おかし世界になってからプロペラが回転を止め、妄想世界破綻すると再び時計回りに動き始める。

 2つ⽬は「茂下(もしも)」という駅名、町名である。駅舎や標識などで度々映り込むこの地名は、現実世界では⼀度も登場しない。

 そして3つ⽬、ヒロインの表情である。同じシーン、プールサイドでの告⽩で比較するとその差が顕著であるが、現実ヒロイン感情を顔に出さないのに対し、妄想ヒロインは常に笑顔で表情が豊かである。これこそがこの世界主人公妄想である明確な根拠と言える。今⽬をつむり、頭の中にあなたの好きな⼈を思い浮かべて欲しい、おそらく彼、彼⼥はあなたに対して微笑みかけているはずだ。

最後

 『打ち上げ花⽕、下から見るか?横から見るか?』は、誰しもが思春期の始め、クラスメイト芸能⼈、またはアイドル等々を相⼿に、通ってきた道、妄想という愚行を再体験させる、素晴らしい⻘春映画だ。もちろんこれは私なりの解釈であり、皆さん⼀⼈⼀⼈の考えを否定するものではない。ただ私のこの⽂章を読んでいただいた⽅が⼀⼈でも、もう⼀度この作品を観返そうという気持ちになって頂けたのなら、幸いである。

2020-08-15

小説評論から実用文にシフトする国語教育」というデマについて

 こういう内容の記事への反応ツイートされ続けている。

 「高校文学勉強をせずに、もっぱら実用文に重きを置いた教育をすることになった」という記事だ。

「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン

 あまりにも間違いが多いので、どこかでデマとして中和されるだろうと思っていたが、一向に中和されず、インフルエンサーまでツイートしはじめる始末なので、無駄かもしれないが、間違いを指摘しておきたい(一部については、心ある人の指摘によって途中で記事修正されている。ありがとうありがとう。)

 デマ対処するのは面倒だが、整理しつつ述べていきたい。なお、この文章は今回の改訂方針に賛成・反対という立場を採らずに書く。

大学入試で「実用文」だけが出題されるようになるわけではない

 「2021年から大学入学共通テスト」が実施され、それに合わせて高校国語改革も行われることになった。」と書いてある。これはその通り。そして、モデル問題として、「国語に関しては、生徒会規約自治体広報駐車場契約書が問題文として出題された」と書いてある。これもその通り。

 しかし、既存の「小説(詩)」や「評論」が出題されなくなるわけではない。このことを書いていないことが悪質だ。モデル問題は、記述式がなくなったため、参考になりにくくなっているが、ちゃんモデル問題のものを見てほしい。思ったものと違うはずだ。

https://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00035513.pdf&n=02-01_%E5%95%8F%E9%A1%8C%E5%86%8A%E5%AD%90_%E5%9B%BD%E8%AA%9E.pdf

 「実用文」は確かに出題されるようになる。だが、それだけを出題するわけではない。古文漢文も出る。

論理国語」は「実用文中心」ではない

必修科目と選択科目のこと

 ここからが少しややこしい。高校国語には「必修科目」と「選択科目」がある。

 必修科目は主に1年生で学ぶことになる科目だ。これには、「現代国語評論文や実用文)」「言語文化小説古典)」の2つがある。これはどちらも学ぶわけだ。科目を2つに割ることはどうなのか、という議論はあるが、「小説」が消えるわけじゃない。

 記事の中で書かれているのは、2年生以降で学ぶことになる選択科目だ。これには4科目ある。

 「論理国語」:実用文や評論文 論理的に書いたり話したり聞いたりすることも学ぶ

 「文学国語」:小説や詩 小説や詩を読んだり書いたりすることを学ぶ 創作楽しみだ

 「国語表現」:主にコミュニケーション中心の科目。レポートを書いたり、スピーチをしたり、ディスカッションしたりを学ぶ

 「古典探究」:古典 古典を読んだり、古典について探究的な学習を行ったりする。古典現代言葉比較して変遷を調べたりもする

 中身は大ざっぱに書いている。くわしくは学習指導要領を読んでくれ。

 で、この4科目から、おそらく「2科目」(多いところは「3科目」)選ばれるだろう、というのが今の目算だ。

 いわゆる進学校だと、入試を考えると外しにくいのが「論理国語」。これは記事にも書いてある通り。もうひとつは「古典探究」が確かに有力だろう。だが、「文学国語」が選ばれる可能性もそれなりにはある。

 そもそも元になっている記事は「古典」にまったく触れていない。「古典」にはかなりの部分文学が含まれるのだから、「文学勉強をしない」は嘘っぱちだ(古典文学よりも近代現代文学大事だ、という主張ならばできる)。

論理国語」は実用文だけを学ぶ科目じゃない

 さて、肝心の「論理国語」だが、記事ではあたかも「実用文」の科目であり、「駐車場契約書、レポート統計グラフ、取扱説明書」を学ぶかのように読めるが、これだけではない。

 対象になっているのは、「論理的な文章(論説文や解説文,社会生活に関する意見文や批評文等)」と「実用的な文章法令文・記録文・報告文,宣伝文等)」だ。記事では前者についてほとんど言及していない。そして、このどちらも単純に理解できるようにするんじゃなくて、散々言われてきたように「批判的に」読めるようにすることをねらっているものだ。

 記事に書いてある「実用しか読まない非教養人」を育てることになる、という指摘はミスリードだ。そして、こういう記事ミスリードされない人間を育てようとしているのが、今回の改訂だと言ってもいい。とはいえ、専門外の文章批判的に読むことが難しいことは、今回のことでもよくわかっただろう。

 今回の改訂には問題も色々ある。だが、不確かな情報議論したところで得るものは少ない。

 とりあえず、ダイヤモンドオンラインの書くことを真に受けて、「これでは日本崩壊する!」とか叫ぶのはやめてほしい。「本当かな?」と思って調べる一歩を大切にしよう。

追記

 ブックマーク数15は超えて安心したが、デマに対するワクチンにはなりそうになくて残念だ。

 とにかく、教育に関する議論は「自分が受けた教育」をベースに話す人が多いが、それには注意しよう。今のコンピューターのことを話すときに、WindowsXP経験をもとに話されても困るだろう(これは比喩)。教育も同じことで、少なくとも10単位教育はかなり変わる。教科書も変わる。確かに高校は変化がにぶい。だが、小学校中学校は大きく変わっている。もちろん、「変わる」ことがいいことだとは限らない。

 現状に問題がないわけでは全然ないが、自分が「いつの問題」のことを話しているか意識して話さないと、互いの話は食い違い続ける。

追記2

 こういうご指摘をはてなブックマークでいただいた。ありがとう

myogab

 反論の組み方が藁人形論法ぽくて、元記事の筆者もそんな極論だけを吹聴する気はないだろうよ…って感想。誤解が広まってるなら訂正は要るだろうが、論点逸らしをしてるなら逆効果だろな。

 藁人形論法のつもりはなかったのだけど、冗長になると思ってあまり引用しなかったせいかもしれない。できれば元の記事を読んでみてほしい。論点は色々あるが、この記事では論点を示すことが目的ではなかったので触れなかった。触れた方が盛り上がるのかもしれないけど。

 で、誤解なのだが、わりと広がりつつあって頭が痛い。Twitterでは、「#国語教科書小説廃止に抗議します」というハッシュタグがある。だから廃止しないんだって

 今日町山智浩さんが「国は国語教育から文学より実用文を重視する方針ということですが、それでいったい誰が国語教師になるというのでしょう?」と元の記事引用してツイートしてた。読書猿の人も(おそらく好意的に)次のツイートリツイートしてる。

hhasegawa

 文学中心ではない国語教育を、というのは実はわからぬでもないものの、そこで持ち出される「実用文」が「生徒会規約自治体広報駐車場契約書」なのがいかがわしい。文学以外の文章といえばそれしかないの?

 小説文芸評論ではないテクストがすなわち規約広報契約書ではないわけで、例えば論説記事でも歴史叙述でも新書のような学術的概説でもそれに該当し、どれも相応に「実用的」なのである。要するに、「論理国語」で真に排除されかかっているのは文学ではなく、「テーゼのある文章一般ではないか

 https://twitter.com/hhasegawa/status/1293668438880038912

 「論理的な文章」に「論説文」が入ってるんだから、「テーゼのある文章」が排除されるわけがない。これも、元の記事があたかも「実用文」だけを学ぶ科目であるかのように書いたことが原因だろう。このツイートをした人は、数日後に次のようにツイートしてる。

 一応、「論理国語」教材に「新書新聞社説などで取り上げられる様々な分野の学術的な学習の基礎的な課題に対して、論点が明確になるようなもの」も挙げられてはいた。が、ここまで「実用志向だと、この「論理的な文章」の内実もどうなることやら。

 その心配はたぶんないよ、と言いたい。これまでの傾向から完全に変える冒険教科書会社はできない。これは良くも悪くも歴史証明している(いや、悪いのだが)。冒険をする教科書は売れない。

 このあたりの人は、いわゆる「一般の人」よりはリテラシーがあると思う。が、それでも不確かな記事をもとに不確かなことを言ってしまう。これはまあそういうもんだよな、と思うんだけど、燃え広がりつつあると真顔で「それはちがうよ」と言うしかない。

2020-08-06

保育園から空気の読める子じゃないと村八分される日本

3歳の子供、半年くらい発達遅れてるんだけど通わせてる保育園露骨に困っててこっちも辛い

こういう話すると大半は保育園側に付いて「発達産んだお前が悪い」「発達は専門のとこ行け」言うけど、近所に無いし普通保育園の数倍カネがかかる。共働きでも辛いです

出羽守は好きじゃないけど、日本定型発達以外はヒトにあらずな保育・教育現場マジで嫌い

2020-08-02

ボッタクリじゃね?

最近小学校教育現場では授業のユニバーサルデザインがもてはやされてる。

学習が苦手な児童にはわかりやすく、学習が得意な児童には真理の追及があり、みんなが「わかった・できた」というものだ。

現場先生には人気で、かくいう自分も関連書籍を買ったり、自費で研修に参加したりしていた。

数年前、UD学会という任意団体ができ、カリキュラムに沿って研修に出れば、資格をとれるという。上級講座になれば、筑波大学附属小学校カリスマ教員と授業について考えられるという。カリキュラムを履修できるカレッジ東京関西の年2回。最近は人気で予約でいっぱいになる。

でもな、たけーんだよ!!なんで1講座5000円以上する?会員費も年にちょろっと冊子くるだけで何千円もぼったくる。しか上級講座は東京のみで副数日で開催。別途上級講座の受講を完了には試験があり、受からなければもう一度受け直し。

え、なめてるん?東京に行く費用、連泊の費用、受講料(40000!)を考えると意味わからんぐらい高い。薄給の中で少しでも良い授業したいと思ってる自腹切ってるけど、切りすぎて失血死するわ!!!!

しかも、コロナ禍でカレッジができなくなったら、1講座3000円以上でzoom講座をするらしい。

舐めてるん?場所代もとらず、ずっと同じ資料使いまわして3000円?稼ぎすぎやろ。社団法人でどんだけ儲けるん?講師はほぼ教員。そこまで売り上げる必要ある?

ふざけんなよUD学会。ふざけんなよ教師の知恵たうん!!!

ボッタクリじゃね?

最近小学校教育現場では授業のユニバーサルデザインがもてはやされてる。

学習が苦手な児童にはわかりやすく、学習が得意な児童には真理の追及があり、みんなが「わかった・できた」というものだ。

現場先生には人気で、かくいう自分も関連書籍を買ったり、自費で研修に参加したりしていた。

数年前、UD学会という任意団体ができ、カリキュラムに沿って研修に出れば、資格をとれるという。上級講座になれば、筑波大学附属小学校カリスマ教員と授業について考えられるという。カリキュラムを履修できるカレッジ東京関西の年2回。最近は人気で予約でいっぱいになる。

でもな、たけーんだよ!!なんで1講座5000円以上する?会員費も年にちょろっと冊子くるだけで何千円もぼったくる。しか上級講座は東京のみで副数日で開催。別途上級講座の受講を完了には試験があり、受からなければもう一度受け直し。

え、なめてるん?東京に行く費用、連泊の費用、受講料(40000!)を考えると意味わからんぐらい高い。薄給の中で少しでも良い授業したいと思ってる自腹切ってるけど、切りすぎて失血死するわ!!!!

しかも、コロナ禍でカレッジができなくなったら、1講座3000円以上でzoom講座をするらしい。

舐めてるん?場所代もとらず、ずっと同じ資料使いまわして3000円?稼ぎすぎやろ。社団法人でどんだけ儲けるん?講師はほぼ教員。そこまで売り上げる必要ある?

ふざけんなよUD学会。ふざけんなよ教師の知恵たうん!!!

2020-07-14

anond:20200714022057

途中で切れてたのでごめんなさい、続き。

ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。

意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま実家で今まで通り家族以外に会わずにそれなりのハッピーライフ☆を過ごしているかもしれない。

でもこれだけは言えるのはこれまで頑張ってきた分どっちの判断に転んでも痛くないこと、私はこの何ヶ月かで考え方やもの見方が良い方にも悪い方にも変わって、今日がもしかしたらその区切りだったのかもしれないこと。多分後悔はしない。

これまでいろいろ学んできて、先生にならなくても私が思う強い大人にはなれるはずだから

職業は世の中に沢山あって教育現場けが全てでないから。

から私はもっと考える。

最後に、知ってる人間に私が書いたと思われない状態客観的に状況を整理したいと思いよく2.5界隈で使われているこのサイトに行き着きましたが私が書いたせいでかなり主観的になってしまった。自分を援護する表現が多く出てきてしまったために読み手様を不快にさせていたら申し訳ないです。それだけ私はまだ弱い。

医療従事者の皆さんも教授も、みんな現状打破のために頑張っている。ホストだってキャバだって、多分それぞれの暮らしがある。Gotoキャンペーンだっけ?それについても「あちらを立てればこちらが立たず。」

これからどうなるのかなんてわからないけれど、何も考えずに遠征してたそれなりに平和な日々が戻ってきますように。

クソクソクソクソ長いひどい文章なのに最後まで読んでくださった皆さん。ありがとうございました。

もし同じ境遇の方がいましたら私みたいになりませんように、しくじり先生みたいなものだと思って頂ければ幸いです。

レポートに戻ります明日は描きたい二次創作ネタがあるので書ければ良いな。

どこにでもいる大学生がこの半年で変わった話

 先にいっとく!!!!ちょ~~~~~~~!!!クソ長くなる!!!

私怨私怨!!!!!悔恨!!!!!5箇条にまとめようとしたら失敗した5箇条の御誓文か?????

567で見えてきた色んな人の裏表に疲れてしまった大学生乙女ゲーと地下ドルオタクの話!!!!!!同じ大学に通う人から身バレ防止のためここから大学描写ボンヤリとしたものになりますコメントでの特定はおやめください。大学は生徒の多くが望んだであろうオンラインじゃない講義ができるようにどうにかこうにかがんばってるはず!それに私が対応できなかっただけで大学は悪くない。家に引きこもるのが社会的批判されることがない・堂々と引きこもって自分のやりたいことできる今をその時間が欲しかった人が心から楽しめますように!!!

誤字脱字はすいません。

いままで約20年間、数学物理化学の類いばかり熱心に取り組んできたので私には正しい日本語が使えているのか、日本人であるのに自信が無い。

大量のレポートに追われたまま、脳直で文章を打ち込んでいる状態なのでご了承願いたい。

 私は本当にどこにでもいる地方国立大学二年生だ。つい2時間前まで教師を目指していた。

もし同じような境遇にいる子がいたら私みたいにならないよう、こんな文章があったな、ぐらいの軽い感じで覚えておいてほしい。

いくらでも手段はあるので諦めないで欲しい。

読んでくださった皆さん、こんな考えの人間がいるんだ、へぇ笑ぐらいに思って頂いて結構です。ここまで打ち込んでおいて自分でも文章稚拙さが”マジで”やべぇ……とおもっていますが暇な方最後まで読んで頂ければ幸いです。

①去年~今年2月の話

 学部一年生だった去年は将来の夢のため、周りの友達よりは長い時間勉強していた方だと思う。

趣味だったイラストサークルにも加入し、高校が同じだった友達学部に一人もいないながらも他学部に進学した高校クラスメイトと協力しながら大学に慣れていった。

サークル友達とは週に1回は誰かの家に集まりピザを頼んだり、学食で何時間も話したり。大人数で端から見たらアホみたいなやりとりを繰り返すあの空気感が好きだった。

安心できるバイト先も決まって、サークル内の人間関係に多少の不満はあったが今思えば望んでいた大学生活そのものだったかもしれない。

 私の将来の夢が教師になったのは大学受験が終わってからである。もともと物理という科目が好きで将来は数学系の研究ができればと思っていた私は理系学部に進んだ。(身バレ防止のため明確な表記は避けさせて頂きたい)

私の大学受験サポートをしてくださった先生は、私が進学した大学の同じ学部出身の方だった。

有名な塾があるような都会ではないので、毎日高校の授業が終わってから校内に他の生徒が誰もいなくなるような時間まで、その先生担任先生大学理科を学んでいた購買のおばちゃん……色んな人に見守られながら勉強した。

私が受験合格し、心から喜んでくれた職員室の先生方を見て、先生達みたいな大人になりたい・この高校で同じように生徒を見守れるような先生になりたいと思った。

これが理由で、理系学部に進んだ私は自分学科の必修科目に加え教育学部の必修科目も履修するようになる。

もちろん授業が倍になるなら試験レポートも倍になるということで確かに大変だったが全然苦じゃなかった。

1年間やりきった。成績も上々でモチベーション入学当時と変わらず、今まで友達と呼べる友達が2~3人だった私の人間関係がどんどん広がっていくことに喜びを感じながら春休みを迎える。このころは人と連絡を取り合うのも一緒に出かけるのも大好きだった。

2020/02~04の話

 

 2月、実習も終わって大体の友達実家に帰った。私も電車で何時間もかけ実家へ。

電車の中では咳をした人がにらまれているのを何度か目撃した。

実家の周りは見渡す限り山!!!!!緑!!!!!!という空間が広がっていて私はそれが大好きだ。その頃、ニュースではコロナウイルス話題が取り上げられ始めていた。まだ大丈夫な感じはするけれど、実家のある高齢化の進んだ小さな村で広がったらとんでもないことになる…と危機感を持ち始めたのはその辺りだった。

 

 その後の展開はある意味予想通りだった。大学は次年度のガイダンスを予定通り行うと宣言していたがすぐに中止となった。4月からの授業はいつも通り行うということだったが私はそのメールが信用できなくて、下手に実家から動くことも不安で、結局大学へは移動しなかった。やはり、授業開始は5月からという一斉メールが届いた。教科書を買いに大学へ行くこともできなくてAmazon教科書を用意した。

 友達出身も都会のほうで、2/3月はよく連絡を取り合っていたものの、みんな地元友達ショッピングセンター居酒屋に遊びに行くようになったらしい。もうその頃にはみんな地元友達毎日のように遊んでいたらしくてラインzoomも使わなくなっていた。

私はというと同じように地元に帰っていた同級生はいたが、もし自分たちが感染していたらという恐怖から会うことをやめた。クラスターが進学先で発生していた子は自宅から一歩も出なかったという。その頃から私は人と会うことの必要性に疑問を感じていた。元からオタク気質だったことも原因かも知れないが、友達とのSNS上でのやりとりが少なくなっても特に私に影響はない。自分がひねくれた人間であるとは自負しているがまさかここまでとは、自分でも思っていなかった。どれだけニュース危惧されていても・どれだけの芸能人が亡くなっても、それぞれの地元で遊び続ける大学友達理解できなくなった。

ほとんどの大学友達とは連絡を取らなくなっていたが片思いしていた先輩とは毎日のようにラインした。毎日ライン来る度に小躍りしてた。

4月後半、家にこもり続けた私は全く暇を感じなかった。本を読んだりお菓子を作ったり、他にも筋トレメイク同人誌を作れるレベル二次創作もした。自担(地下)の過去映像を見て1ライブできるぐらいにはダンス練習した。(クソデカ過大評価

しろ今までよりも忙しくさえ感じていた。5月になれば今までのように勉強漬けの毎日が始まる。だからこの何かをしていても誰からも途中で遊びに誘われない、家に勝手ピザだのウーバーだの頼まれ友達勝手に上がってこない・勉強しなくても公的に、なんとなく自分感覚自分を許すことができるこの時間人生夏休みとして思いっきり使おうと毎日何かしらしていた。今までのみんなでワーワーする時間も大好きだったけれど、この過ごし方も最高だった。

大学近辺に借りたアパート電気・ガス・水道すべて止めた。

2020/05

5月になった。オンラインでの講義が始まった。大体の講義を受ける度に一つずつレポートが増えていく。

今はもう慣れたけれども最初は“マジで地獄だった。

連日徹夜は当たり前、朝8時までのレポートを7時に提出して1時間仮眠を取ると1コマ。またレポートが積まれていく。私の要領が悪いだけかも知れないと感じていたが、初日には同じクラスのほぼ全員でzoomでの会議しながらみんな半泣きでレポートをこなした。みんな同じだった。家から出るななんて言われていたがその日食べるものを買いに行くことすら厳しいレベル課題が出るのだからから出ることが本当に、絶対、多分無理。

オンライン講義が始まってまだ慣れなかった一週間、実家にいるのに私は一歩も自室から出ることができなかったのだから、それ+家事である帰省していない友達もっと大変だったと思う。私はその一週間スマホを触れなかった。そんな時間があるならレポートをやったし、私の性格だともし今暇そうで遊び歩いている人を見たら理不尽イライラしてしまいそうだったからだ。そんな自分性格は今でも嫌いだ。人はそれぞれなのに、SNSみえる部分はその人の日常におけるほんの一部分なのに。

 そのうちテンプレートを作ったり教科書を読み込んだりすることで余裕を持てるようになってきた。教育学部の授業も生徒との関わり方など、本当に学びたかたことを学べるのが嬉しくて真面目に受けた。苦手だった英語せっかくだから少し取り組んだ。友達と話していたりご飯に行っていた時間を全て勉強に充てた。目が回るほど忙しかったが一日を一秒も無駄にしていない感じがして、4ぬほど充実感があった。多分ランナーズハイみたいな状態になっていたと思う。この頃の私の思考、今考えると狂ってる。怖ッ

そうやって暮らしていたら、片思いしていた先輩に彼女ができた。友達から聞いた。3日泣いた。

なんでも4ぬ程忙しかったり課題が出ていたのは私の大学では理系教育学部医学部薬学部だけだったらしい。文系その他は相変わらず課題なんてない、流しておけば講義が終わるから余裕なんて状態だったらしい。悔しかった。先輩は地元で飲んでいたらその子出会ったとかなんとか、先輩と仲が良かったサークル男子が教えてくれた。マジで無理だった。

こんな世の中なのに先輩は毎日飲みに歩いていた事実も、もうちょっとで付き合えそうだったのに私はダメでその飲みの場にいた女の子は良かったことも。先輩は付き合ったら長く続くタイプらしいのでもう諦めた。悔しがっていることを知られたり、先輩に彼女ができた事実を知っているということを悟られたりするのが嫌でしばらくインスタをログアウトした。対面授業が再開して会ったら、知らなかった!よかったね!おめでとう!と言おうと決めた。

インスタをログアウトしたので特に仲の良い2人以外とは関わらなくなった。

正直、一旦距離を取りたい人間関係もあったためなんとも思わなかったが家族以外の人と言葉を交わさなくなってから他人に会うことに抵抗を覚え始めた。さすがにやばいと思った。

メンタルボロボロのまま毎日徹夜レポートを書いた。エクセル演算した。勉強しても充実感はなくて朝7時に起きて授業を受けて次の日の4時に課題を終わらせて寝る、余裕がある日は推し夢小説を読み漁った。オタクでいられたのでガチ夢女に戻ることでメンタル回復した。多分推しのグッズ、末代まで「捨てるな!」って書いた紙と一緒に保管。

2020/06

コロナ騒ぎも日常化して、実家のある村にも日常が戻ってきた。近所のおばあちゃん達にはまだ実家にいることがバレ、実は大学をやめたのではないかという噂がすぐに広まった。これはギャグ。もう私の家では笑い話。インターネットオンラインという言葉をおばあちゃん達に理解してもらえなかったのでもしかするとまだ大学やめたことになっているかもしれない。つらい。

リアル人間関係からほぼ身を引いていたため、ツイッターフォロワーと夜な夜なTLを巻き込んで会話しながらレポートを書く。それは変わらなかったし確か6月の中盤まで、私は靴を履いていない。つまりから一歩も出なかった。5月からミリも変わらない暮らしをしていた。

大学からある日アンケート回答のフォームが送られてきた。匿名フォームで、今帰省しているのか・そうならば実家は通学可能距離にあるのかという内容であった。正直に送った。

私の周りでは実家帰省したままだという人がほとんどだった。

しかし次の日の授業で衝撃を受けた。今回のレポート提出は手渡し以外認めないと教授は言った。とても口が悪いので書くこともためらわれるが、このご時世でそれって狂ってんじゃないのかと思った。事情メールして渋々だったが郵送させて頂いた。

その後も何人もの教授大学に行く用事を作った。全て郵送やらメールやらファイル共有やらで代わりに提出を認めてもらった。正直メールファイルを添付すればいいものばかりだったので助かったものの、もし私が他学部実験科目がある生徒だったら?サンプルを取りに行くために泣く泣く地元から大学へ向かった友達もいた。このまま実家講義を受けていたら落単するのではないかと、なんとなく恐怖心を持った。

もし町から町への移動がそのように咎められるものでなくなりつつあったとしても私の地元はどうだろうか。

教授気持ちはわかる。高校部活演劇部だった私は裏方としてであるけれど人対人でなければ伝わらないことがあるということを何度も学んできた。絶対こんなに課題を出すよりも対面で、お互いの表情や空気感を読み取りながら講義を受けた方が1000倍伝わる。教授達が沢山努力していることはわかっている。でも一つだけ、ちょっとだけ考慮してください。アンケートで回答したみたいに、今は大学に通学できない距離暮らしている子もいますWord文書気持ちが伝わりにくいなら、手書きどうでしょう。「今すぐ」や「今日中に」大学プリントを取りに来るように伝えるのではなくPDFを配布してみませんか。

この頃、一通のメールが地下ドル垢のDMに届いた。7月オープン予定でコンカフェを開く予定なのでキャストとして働いてみないか・お店で働く子達で地下アイドルグループを作ろうと思っている、ということだった。声をかけてくださったのは去年地下ドル現場でお会いしたことのある方で事務所経営してるとかなんとか…ということは知っていた。しかし怪しいと思い事務所名や名前鬼のよう検索した。本物だった。メイド服に憧れていたのでコンカフェには興味があった。どれだけいろいろな事情を抱えていてもステージに上がれば夢を見せてくれるきらきらした地下アイドルも大好きだ。かつて片思いしていた先輩も同じ地下の子が好きだったっけ。

しかし私に沸いてきたのは不信感だった。なぜこの時期なのか、私の推しでさえライブ自粛しているのに、都会でなければ成立しない「コンカフェ・地下」をなぜ今始動させようとしているのか、意味がわからなかった。

その頃だった。コンカフェ店舗を構える予定の歌舞伎クラスターが発生したのは。

もういつもなら暗示や占いの類いは良いものしか信じないご都合主義頭だが、こればかりは神様がやめろと言っている気がした。だから断った。

それでも何度もDMがきた、見学だけでもいいとかなんとか。

断った。挙げ句の果てにブロックした。

捨て垢から見に行ったが、コンカフェは無事にオープンしたらしい。地下ドルグループもできたみたいだ。某メイドカフェでも感染確認、こんな世の中なのにメイドが働いているのってどうかと思った。大人が信じられなくなった。あとグループの曲は普通に私の趣味雰囲気じゃなかった。(←これはお気持ち表明)

ということで先輩が好きなアイドルにはなれませんでした。前に現場に一緒に行ったことがある。

いつか地下で活動してそうだな、とか、そうなったらチェキ撮りにいくねとか言われたこと多分一生覚えてるけど、アイドルにはなりませんでした。(超怖いガチメンヘラコーナー)

2020/07と今日の話。

そんな感じで相変わらずレポートに追われる毎日実家で送っています最近は本当に仲の良い2人と連絡を取り合うくらいで、レポートにも慣れてきて二次創作を適度に楽しみながら暮らしています

私はこれでも勉強趣味に…ってそれなりに外に出なくても毎日充実してる。それぞれの生活もあるんだし、私みたいな生活しろなんて誰にも思わない。それでも東京毎日感染者出てたり、私の実家に近いところでもじわじわ感染確認されていたり、5月から世の中変わってないみたいだ。友達の住んでる市は勝手ロックダウンしたらしくもう当分大学には戻れないとか。

そしたら今日大学からメールが来た。私はちょうど課題をやっていた。

8月頭から対面での授業を再開するって、教育学部が中止と予定していた介護実習や高校での実習も開講する予定ですって。受講を希望するなら今すぐ登録を、また必要書類大学窓口で手渡し以外認めないって。期限は5日後。

実習も8月に開講する科目も、教育学部以外の学生教員免許を取るには必須で1科目でも落としたらもう4年間で卒業するチャンスはほぼないかもしれない。

から私はどうする?

教師は今後10年間で必要なくなるなんて記事ネットはいっぱいある。

多分これから教育ネットが主流になる。

メールが来てから時間、ずっと私はなけなしの脳みそフル稼働させて考えた。

県内感染者も増えているのに?移動中に感染する可能性は?土日ですら授業あるのにいつ動く?

介護施設も高校も、もし大学の誰かが感染していたら?大学のある場所感染者が増えたのは先週の後半。これが決定したのは先週の始めらしいか明日になれば対面での講義中止のメールが届くのでは?社会的にどう?教師になることを諦めたらいい?そんなに簡単に1年半の努力は捨てられる?距離を置いていた大学のみんなにいきなり会うの?

私今まで通り大学生活送れる?

もうどうでも良くなった。大学ですら信用できない気がしてしまった。

なんて、こんなことが頭によぎって考え込んでしまうし、しまいにはこんな文章を書いてしまうのでもしかすると私の本当の夢、なりたいもの教師じゃないのかも知れない。

私が弱いだけだと思う。本当になりたい!と思っている子ならこんなこと考えずに書類出しに行くだろうから。対面での講義にもどることを喜ぶはずだから

ということで、私は先生になる夢を諦めることを決めた。

意思が弱くどうしようもない救いようがない根性ひねくれた人間なのでもしかしたら、明後日には電車に乗って実習に必要書類を出しに行くかもしれない。8月はどこかで実習しているかもしれない。教師になることを諦めたまま Permalink | 記事への反応(1) | 02:20

2020-06-27

anond:20200524233706

この時書いたブコメに准じて、都知事選候補者公約確認中。

確認方法は、「都知事選 公約」などで出て来た候補者公式ページ公約から、「障」「発達」などのキーワード検索

いずれも、6/27(土)19:00現在

なお、探して見つかった物だけなので、見落としがある可能性はある。

公約内での比率が大きいのは山本太郎氏、公約が(少なくともホームページ上では)詳細なのは宇都宮健児氏かな・・・

ここで挙げてない候補者についてはまだ調べてないが、公約発信の媒体としてホームページに力を入れてない候補者もいるようなので、一律ホームページ判断するのはフェアじゃないかもしれない。

小池百合子

公約のページが全て箇条書きであり、項目数が多いため、どの程度具体性や力点を置いてるかが良く分からない。個人的には、成人障がい者障がい者スポーツの面からしか公約に掲げてない気がするのが気になる所。

とはいえ、「児童発達支援」と「重度心身障がい児への支援」の2項目で触れている以上、障がい児の子育てについて課題と考えてはいると思われる。

https://www.yuriko.or.jp/policy

※該当すると思われる項目のみ抜粋

障がい者を含めたeスポーツ振興

障がい者スポーツ支援強化・メジャー

児童発達支援センターの整備推進

・重度心身障がい児への支援強化

・「感染症バリアフリー」の検討マスクや消毒液等の優先提供体制・透明マスク接触必須障がい者への感染防止策・多様な申請手法情報発信最適化(手話字幕の追加、音声認識アプリ活用)など

デフリンピックなど障がい者スポーツ国際大会東京開催を推進

山本太郎

8つの公約の中の1つに挙げ、1ページ丸々使って以下の通り公約している。今回調べた候補者の中では一番「公約の中での割合」が大きく目標に具体性もある一方、個人的には、掲げる政策目標が具体的過ぎて範囲が狭い印象も受ける。

https://taro-yamamoto.tokyo/policy/7-2/

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がい者のことは障がい者で決める東京

都の障がい者政策部局責任者に障がい当事者を立て、審議会等の政策決定の場には必ず障がい当事者を半数以上とし、個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障する東京に。フルインクルーシブ教育の実現。

かつて米国教育特殊教育リハビリテーションサービス局次長クリントン政権)を経験し、オバマ政権では世界銀行顧問にもなったジュディ・ヒューマンさんは「当事者政策決定過程重要位置を占めることが重要です」(『季刊福祉労働』81 1998年12月25日号)との言葉を残しています

障がい者は、日頃の生活差別を受けたとしてもどこに相談したらいいのかもわからず、いつも困っています。都にも障がいを理由とした差別に対する相談の窓口はありますが、障がい者の多くは、そのような窓口があることすら知らず、また体制的にも内容的にも十分なものではありません。障がい者差別をなくすためこのような窓口の充実を行います

また、現在の多くの障がい者政策は、障がい者のことをわかっている風の有識者障がい者を「お世話」する施設運営者などが決めてきたとの批判もあります。このことにより障がい者が本当に求めていることに対応してきたとはいえないとも言われています

このような問題を解消するためにも障がい者関係する部署には必ず障がい者責任者として配置します。また、障がい者としても障がいの種類によって必要なことや、思いも違ったりするので、あらゆる障がい者政策決定の場に参加していただき、その数は必ず半数以上とします。

障がい児が普通学校に通うだけで、インクルーシブ教育を実現している!ということに表向きはなっていますが、実際には、普通学校の中で、特別支援学級普通学級に分けられているのが現状です。これはまだまだ本当の「インクルーシブ」ではありません。心のバリアフリーを実現するために、最終的には、障がい者と健常者が分けられることなく一緒に学べるフルインクルーシブ教育を目指します。

また、障がい者の住んでいる地域や年齢による格差や断絶をなくして、どこでも、生涯にわたって安心して暮せる地域生活支援を行います。加えて個々のニーズや障がいにあった十分な介護保障するために重度訪問介護の充実を国や自治体連携してはかります

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宇都宮 健児

※7つの重要政策の1番目、「重要政策01 だれもが働きやすく、くらしやす希望のまち東京をつくります」の中で、以下の通り公約している。

※ただし、障害者福祉はそのページ内でさら12個立てた項目の6番目であり、どの程度力を入れるのかはやや不透明な気もする(とはいえ公約は詳細に書かれており、やっつけな感じは受けない)

※なお、7つの重要政策の5番目、「重要政策05 教育現場への押しつけをなくし、すべての子どもたちが生き生きと学べる学校をつくります。」の中にも、「障がいのある子どもたちの教育を受ける権利」について触れた項目が立っている。

http://utsunomiyakenji.com/policy/important01

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障がいのある子どもを抱える学童保育室の人員体制民間学童保育も含めて強化します。

知的障がいや精神疾患など様々な困難を抱えた路上生活者地域生活できるようにサポート体制を作ります

障がいのある人もない人も、ともに生きる東京しま

障がいのある人の権利を確保する東京をつくります

日本政府批准をした国連障害者権利条約を実質的ものとするため、平成30年に施行された「東京障害者への理解促進及び差別解消の推進に関する条例」をより一層充実させ障がいのある人とない人が共生できる東京をつくります

東京都の障がいのある人にかかわる政策策定する会議等には、障がいのある当事者が必ず参加するようにルールします。

住宅相談介護支援医療システムの整備を行い、家族に頼らなくても障がいのある人が安心して暮らせる東京のまちをつくります

市区町村に対して財政補助を行います。重度障がい者地域での自立生活社会参加や見守りなど必要に応じたサービスが受けられるよう市区町村財政援助を行います

障がいのある人と家族が、安心して暮らせる東京しま

出前福祉制度を導入する~江東区兄弟餓死事件のような悲惨事件をなくし、福祉の行きとどかない死角地帯をなくす。

老老介護」も大きな課題ですが、高齢の親が障がいのある人を介護し続ける「老障介護」が、「老老介護」とならんでいま大きな問題になっています高齢家族に頼らなくても、障がいのある人が安心して暮らせるように在宅支援を拡充します。

障がいのある人が住むことができるバリアフリー都営住宅建設検討します。

視覚障がい者の転落防止のためのホームドアの設置、障がいのある人への差別のないバリアフリーまちづくりをすすめます

身近な地域相談できる場と、その人にあった療育教育保障しま

ADHDLD自閉症などの発達障がいなどの早期発見につとめながら、適切な支援が得られるように、身近な地域相談できる専門機関を増やします。

障がいのある子どもたちが地域普通に学べるような環境を充実させます。誰もが合理的配慮を受けて学べるよう教育の場を充実させます

障がいのある人の医療無償化を実現します。

憲法25条の暮らしを実現するために、障がいのある人に、都独自所得保障を拡充しま

多くの障がいのある人たちは、きわめて低い所得水準を強いられ、生活保護や障害年金基準引き下げによって、さら貧困なくらしや家族への依存が強められています生活保護基準の引き下げに反対し、障害年金の抜本的な改革を国に強く求めていきます

東京独自所得保障施策検討実施します。

障がいがあっても働ける仕事の確保に努めます障害者就労支援施設への「優先発注」の促進策を具体化します。

災害を想定し障がい者安心して避難生活を送れるような体制をつくります

避難所をバリアフリー化し、障がい者が参加した避難訓練を実施します。

医療介護保障視覚障がい者聴覚障がい者のための情報コミュニケーション保障を行います

制度の谷間のない障がい者施策実施しま

東京都は独自に、病名や障害種別障害者手帳の有無で福祉サービス対象判断せず、「その他の心身の機能障害」(長引く病気など)が認められる者も、支給決定過程におけるアセスメントが受けられる仕組みを検討します。

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http://utsunomiyakenji.com/policy/important04

↓↓↓↓ ここから ↓↓↓↓

障がいのある子どもたちの教育を受ける権利保障します。

障がいのある子もない子も共に学べるフルインクルーシブ教育の推進・整備をすすめます

学びの場における障がいを持つ子どもの、ハード面、ソフト面での支援体制の整備・充実をはかります

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小野 泰輔

4つ立てた主要項目?の4番目「4.誰もが安心安全で心やすかに暮らせる東京へ」の中で、16項目中の以下3項目で関連する公約を掲げている。うち育児に関わる2件は、無難にまとめすぎていてどこまで力を入れるのか読み取りにくいものの、2項目あるので「取り敢えず書いただけ」という印象は受けない。

https://ono-taisuke.info/policy/

手話言語条例を制定し、聴覚障害者の方とともに歩む東京都を実現します。また、障害者雇用の向上のため、分身ロボット等のテクノロジーを使った就労、超短時間労働制度などを公共事業から導入します。

●まだ多くの保育所対応が困難な病児・病後児保育を拡充するため、対応施設を設置する民間事業者基礎自治体さらなる財政支援を行います

医療ケア必要とする障害児に対して、縦割りになっている保育・療育の垣根を超えて対応できる施設事業者を増やし、そのための専門人材育成に努めます

2020-05-30

anond:20200529194101

日本教育現場ではすでに変わってるから20年後くらいには中国地名人名日本語読みはなくなるだろうな

2020-05-24

ネット中傷責任2000年代インターネット謳歌した大人にある

今の大人は誰かを批判するならヲチ板でやるか増田でやるかとか、まあとにかくインターネット深淵的な場所でやることを考えると思うし、

「それがルールだよね」みたいな感覚を持ってる人も多いと思う。

さらに今の大人ヲチとか粘着ゴミクズ行為だと自覚しながら深淵でやっていたと思うんだけど。今の10代~20代はおそらく

「目の前に対象者がいるんだから好きなことを言える」という感覚に陥ってると思うんだよね。

そういうゴミクズ行為相手の見えないところでやりましょうというゴミクズなりのルール世間に広まらなかった。

テラスハウス出演者Twitter誹謗中傷していた件は、テラスハウスターゲットである10代~20代と思われる人たちが

「お前早く消えろよ」みたいな感じで文句をそのまま出演者アカウントリプライ送る形で投げてた。つまりインターネットを使って対象者批判するならこう使え」的な知識が、

まあゴミクズ行為なもんだから知識として啓蒙されず、対象者インターネットに降りてきた今、最悪な感じになっていることを体現した一例となった。

ネット中傷責任2000年代インターネット謳歌していた大人にあると思う。ヲチ粘着といった行為がどのような行為なのか、そこにはどのようなルールがあるのかを

しっかりと明確化できず、そしてその知識教育現場で生かされなかった。「インターネット相手を傷つける行為は辞めましょう」という一言で全ての若者問題点理解できるという性善説

進めた結果が昨今のネット中傷だ。

タイトル対象には自分も含まれている。自分としては「ネット中傷は辞めましょう」ではなく、「中傷がしたくなったらこういう場所を使え、ただしゴミクズであることを自覚した上で」という形で啓蒙していくしかないと思う。

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