はてなキーワード: 描写とは
https://anond.hatelabo.jp/20240726143506
日本の創作なんか他国の信仰対象悪魔と合体させたりエロ少女にするレベルで、平気で踏みにじったりするのに、日本文化の描写が正確じゃないって発売停止署名までやるの明らかに頭おかしいって。
何度目のループか知らんけど、フィクションならどんな荒唐無稽な描写だろうがいいと大半の人は言ってるんよ
あたかも史実に忠実に作ってる、それを目指してるかのように取れるアナウンスだったからこうなってるんよ
15年以上前、アラサーだった自分は新人文学賞などを目指して小説を書いていた。
土日の大部分は小説を書く作業と、小説を書く人が集まる社会人講座の授業に費やしていた。
5年位は続けていたが、やめてしまった。
自分が書くべきことが次第に思いつかなくなってしまったことと、他の受講者の作品や本屋さんで売っている小説を読んでいるうちに、自分には向いていないしセンスがないことがだんだんわかってきたからだ。
ところが最近、自分のパソコンのフォルダを漁っていたらその頃の小説のpdfが出てきた。書くのをやめてばかりの頃は恥ずかしいし痛いから二度と読むまいと心に決めていたが、今の心情としては死ぬ前にあと1回位は読んでもいいかもしれない、小説の見え方も書いていた当時とは大分違うかもしれないと思い、斜め読みでもいいからとりあえず読んでみることにした。
登場人物やあらすじについては触れない。
A
小説を書いてみたいと思って社会人講座に通い始めて間もない頃に初めて書いた。原稿用紙350枚ぐらい。
登場人物の言葉遣いが汚い。直情的すぎる。登場人物の中でホモと疑われる教師がいたのだが、今の時代ではアウトすぎる表現だった。
物語の展開が都合良すぎる。
恋愛描写がくどい。多分これが、よく言われるところの、素人のおっさんが初めて書く小説にありがちな痛さかもしれない。
書いてる時には恐らく頭の中で見えていたはずのものが文字になっていないからなんのことだかわからない記述がある。
過去の知り合いを物語の中で過剰に美化している。つまり、自分の当時の人生観が未熟で甘いということだろう。
主人公がずっと目指していた目的地がいつの間にかすり替わっているのに物語中では一切理由がわからない。
親の心とかの描写が表面的すぎる。
内容をほとんど忘れていたので次の展開が読めないところは楽しみでもあった。
瑞々しい恋心みたいなのはちょっとよみがえった気がした。今よりも恋愛至上主義が強い世相の中で流されつつ抱いた渇望感みたいのを思い出した。
小説すばる新人賞に応募したが1次選考にも残らず。当時はなんで?なんで?って感じだったが(それも恐ろしいことだが)今読めば選考に残るわけないのは十分納得。
B
Aの2年後ぐらいに書いた。原稿用紙500枚。
主人公の思考、社会への目があまりにもすさんでいる。それは当時自分がそうだったことの裏返しだろう。
弱者を執拗に否定しようとする力の存在をことさら強調し絶大視しようとする描写がいくつかあって、それが自分の人間的未熟さというか卑屈さを浮き彫りにした。
犯罪のトリックが稚拙。USBメモリ紛失をでっち上げただけで大企業の情報漏えい事件発生というのは無理がある。
簡単に人が死ぬ。こんなに登場人物をたくさん殺しているのにその必然性も後片付けもないと、当時通っていた講座の講師にも指摘された。
書いた当時の10年後つまりここ最近の時代が舞台なのに、現代のキャッシュレス社会を予見できなかった。虹彩認証でコンビニで1000万円までの現金を下ろせてしまうという設定にはあまりにも無理があった。
刑事がすぐに暴言を吐き暴力を振るう設定が安直すぎる。下手をすれば職業蔑視とも受け取られかねない。
いい奴の主人公が最初のシーンだけめっちゃ嫌なやつ過ぎてその後のシーンでの性格とあまりにも整合性がつかなすぎる。
氷河期世代負け組アラサー男性の絶望感と人生をやり直しの希望みたいのは出たと思う。
当時の自分は成功したあっち側ではなく、だめなこっち側の人間なんでこっち側の怒りや絶望を描いたつもりだったのが、その描写に卑屈なところがあるため、かえってこっち側の怒りを買いそうでなおかつあっち側からは苦笑いか同情でもされそうな残念感が今も残る。
「このミス大賞」に応募して、もちろん1次選考には通過しない。当時はそんなもんか、という印象だったが、今だったら通るわけないと十分納得。
C
Bを書いた後に、今度は誰も死なない話を、なるべく心温まる話を書こうと奮起して書いた。原稿用紙350枚。
登場人物で、モデルとなる実在人物がそれまでで一番多い。そのためか痛さが際立っている。
物語の展開にAやBほどまでの唐突さはないが、それでも十分唐突。
今どき年寄りしか使わないような方言を若者世代にまで喋らせていてあまりにも無理がある。
難しい命題を掲げておいて導き出した答えがあまりにも安直で稚拙。主人公は大学生なのにこれじゃ中学生かよって感じがしてしまう。
書いている当時は見えていたものを本文に描写していない(書いた気になってる)のでなんのことかわからないシーンが一箇所あった。
主人公のイチャラブシーンがくどい。がそういうのがいい人はいるのかも知れない。ただし、人物描写に深みがないからやはり読む人が読めばつまらない。
もし登場人物のモデルとなる実在人物にこんなのを読まれたらと思うと恐ろしい。
縁あって知り合いの編集者の方に読んで頂いたところ「よいところは何一つない」と断言され、大沢在昌の小説入門のような書籍で勉強することを真剣に勧められた。(一通り読んでみたが実践にまで及ばず自分の血肉とはならなかった)
小説すばる新人賞に応募し、もちろん1次選考に通過しなかった。当時の印象としては、やっぱそうだよなって感じだった。
D
Cを書いてから2、3年後に、通っていた講座の課題として書いた。原稿用紙100枚。
書くことがなくて無理やりひねり出した感が強く出てしまっている。
既存の小説のシーンを堂々とパクっている(ある小説で、土砂を積んだダンプカーが横転して人が生き埋めになるのを見て笑う男のシーンがある)
書いている当時頭に思い浮かべていたシーンと実際に書かれた描写とでまだギャップがある。
(全体を通して…)
読み返す前は「小説家になろう」とかにupしてもいいかなーとか思ってたが、読んでみると、、やっぱり、、、無理だわ💦
(追記)
増田の反応が意外と生ぬるい称賛みたいのが多くて拍子抜けした。
きしょっ💦💦
クソワロタwwwwwww
みたいのを想像してた。
時間と労力をかけて書いたものでも、客観的に見るととても拙く、世に出るレベルに至ってないというのが、趣味としてやるにもなかなか難しいところであることを実感した。
しかもそうやって自分の作ったものをある程度客観視できるようになるのに10年以上も寝かせるというのもある意味めんどくさい。
よく、10000時間修練すればいろんな趣味や技術はモノになる、というようなことを言われるけど、自分の場合、多分10000時間には届いていないのでまだ努力を続ける余地はあったのかも知れない。
(今じゃほとんど)自分より若いデビュー小説家や芥川賞直木賞受賞者の方は努力もすごいがやっぱりセンスとか目指してるものとか見えてるものが自分とは全然違うんだろうなと改めて思う。
あと、時代の移り変わりが早いのを改めて実感した。
LGBT関係やセクハラパワハラ、キャッシュレス社会、スマホや携帯、若者の言動とか、書いてる当時は気にならなくてもたった10年程度で違和感ありありなのがすぐに浮き彫りになってしまう。
(追記2)
ブコメの中で、自分以外の人に読んでもらったほうがいいというアドバイスをされた方がいたので補足すると、当時通ってた講座の受講生の方にはABCDいずれも読んでいただいたし、一部は友人数名に読んでもらう機会があった。授業で頂いた色んな人の講評などがノートに書かれていたはずだから、後でそれも引っ張り出して読んでみようと思う。特に、通っていた講座の講師の先生には要所要所の指摘やアドバイスを頂き、温かい目で見守って頂けたので今でも感謝している。
つまんなそうとかこんな増田じゃものになるわけないみたいなブコメもあったが、まあその通りだと思っている。自分は、仮に誰もが有無を言わさず好きでも嫌いでもとにかく原稿用紙1000枚ぐらい書いてみればとにかく書きさえすれば100人中50人ぐらいは自分のより面白いのができると思っている。本当に違うのは、書くか書かないか、ただそれだけだと思ってる。
(追記3)
E
ABCDより少し後に読み直した。
Dを書いたよりも1年前ぐらいに書いた。原稿用紙360枚。小説すばる新人賞に応募して、1次選考に通過しなかった。
地元に古くからあったドライブインや商業施設などを舞台として、20代の男女の恋愛とか和解などを描いた。
時代設定を明確に2011年としていたので当時と今とでは大きく時代が変わってしまったことを改めて実感した。
ブログとか掲示板、当時のネットスラング、どれもみな、今ではほぼ絶滅してるようなものばかりだった。
登場人物の人間性に触れるような描写はそれまでの中では一番ましだったと思う。
一方で、あらゆる出来事や現象に理由や理屈をつけなければならない、本文に記述しなければならない、というような思い込みを感じるところがあって、それが読者に違和感を感じさせる要因になるのではないかと思った。理屈じゃない出来事を理屈で説明しようとしている感じ。
ファッションや料理に関する描写が出てくるシーンを書くのが難しかった。その方面の知識や経験の浅さ乏しさがどうしても浮き彫りになってしまう恥ずかしさがあった。
書き始めた頃よりは少なくなったが、登場人物の直情的で暴力的な部分への違和感が残った。自分の中で、世の中はそういうものだという固定観念がまだ残っているようだった。
ABCDに比べて、読むときにもっと気恥ずかしさが残っていて、主観的な視点が抜けきれてない感じがした。
物語のテーマが大きく2つに割れてしまっていて、片方は潔く捨てるべきだったのかも知れないが、どう捨てたらもっと面白くなるのかはちょっとよくわからない。
これは弥助問題の元ネタ論文でも何でもない可能性が高いので,論文をちゃんと読んでください。
っていうか,こういったテーマについては,藤田みどり『アフリカ「発見」――日本におけるアフリカ像の変遷』(岩波書店,2005年)っていう研究書がちゃんと出ているので,ネット上でかしましい皆様におかれてはまずはそういった文献もあたってみてください(ちなみに,この研究書のもとになった博士論文は国立国会図書館デジタルコレクションで読めます)。
注をよく見てみましょう。おや? 日本語の文献が引用されていませんね。日本語の文献を引用せずに日本史研究ができるんでしょうか? これは問題ではないのですか?
はい,問題ありません。なぜならこれは,タイトル「アジア人と黒人のあいだでの人種と人種観の利用――日系・アフリカ系アメリカ人の場合」からも分かるように,日本史の論文ではなくアフリカ系アメリカ人を主題にした論文だからです。
これはどう読んでも,アメリカの黒人の日本人観および日系人との関わりについてカリフォルニアを中心に調査した論文,つまりはアメリカ黒人の歴史に関する論文であって,ロックリー氏や岡氏がこれを読んでいないと断言することはできませんが(誰しも専門分野外の本や論文を読むことだってあるでしょう),わざわざこれを「元ネタ」にするなどということはとうていあり得そうもないことです。彼らがこの論文を参考にして立論しているのでは? などというのは,馬の心肺機能に関する研究が『ウマ娘 プリティーダービー』を参考にしているのでは? と言っているようなものです。ジャンル違いすぎるわ! あとドリームジャーニー引けなくて凹むわ! っていうか今回のLoHは千直だから荒れそうって言ったの誰だよ! ふつうに安定して英雄譚取れたから拍子抜けしたわ!
こういうときは注を見て,どんな文献に基づいてこの話をしてるのか? っていうのをチェックするんですよ。弥助が出てくる部分の出典は,第一にMichael Cooper, comp. They Came to Japan: An Anthology of European Reports on Japan, 1543-1640 (Berkeley: University of California Press, 1965)っていう本の66ページで,これはまあ当時のヨーロッパ人が日本について書いたものをまとめて英訳した,っていうやつですから,多分日本語でも同じコンセプトの本はあると思うのでそれを探せばいいでしょう。第二は,Gary P. Leupp, Images of Black People in Late Mediaeval and Early Modern Japan, 1543-1900, Japan Forum 7, no.1 (1995)っていう論文で,ペイウォールの向こうに行ければ読めます(https://doi.org/10.1080/09555809508721524)。要するに,著者のデイヴィド・ライス氏(カリフォルニア大学バークレー校所属)は日本語読めないので,英訳された史料や英語で書かれた論文を典拠にして,本題に入る前のマクラとして弥助についてちょろっと書いたということでしょう。
仮に彼が日本史の研究者なら日本語を読めないのは問題外ですが,論文の内容から察するにあくまでアメリカ黒人史の研究者なので,それならまあ日本語の論文読んでないのも仕方ないかなという感じ。なんだろう,アーサー王伝説そのものについて研究するなら,古い時代の英語とかウェールズ語とかの史料が読めないといけないけど,「日本人がどんなふうにアーサー王伝説を受容したか」という研究なら,『Fate/stay night』が読めれば十分で,アーサー王については日本語の本を参考にしてても構わないじゃないですか。この論文もそんな感じです。
なので,ふつうの日本中世史研究者が,この論文を典拠として用いることはまずないです。だって普通に考えて,こんなの典拠にならないっしょ? 中世ヨーロッパ史の研究者が論拠として『Fate』を参考にするなんてあり得ると思います? そりゃ絶対あり得ないとは言えないけど,そういう蓋然性が薄い推測をわざわざするならもっと直接的な証拠(本の中でこの論文を引用してるとか)を持ってきてもらわないと……
(もちろん,最近は中世ヨーロッパ史の研究者が日本におけるヨーロッパ表象の研究に手を出していたりするので,そういう研究で『Fate』を史料として用いるのは全然あり得るっていうかもうやってる人はいたはずなんですが。そのへんの研究動向は,たとえばhttps://doi.org/10.34382/00003197とかhttps://doi.org/10.34382/00003198とかの論文を読んでもろて……あ,話がズレた)
この論文,表象の研究としてはまあ手堅いので,弥助論争に巻き込まれて変な受け止められ方をするのは気の毒だと思いました。ただそれはそれとして,日系サイドの話もアフリカ系の新聞に基づいて書かれているきらいがあるので,論文のタイトルから「アジア人」「日系」を外して黒人についての論文だと明確化するか,あるいは日系人についてもちゃんと彼らの出してた新聞を読み込んで「日系から見たアフリカ系」を調査しないとダメなんじゃないかなぁ,とは思います。まあ,当時の日系人が出してた新聞って日本語で書かれたやつがいっぱいあるので,単純に読めないのかもしれませんが,だったらなおさら「これは2つのマイノリティについての話です(キリッ」と謳うんじゃなくて,「これはあくまで黒人史の話でっせ」という断りを入れた方がよいような。日系人の歴史は黒人史の添え物とちゃうねんで。
ちゃんと読むっていうのは,この論文のテーマは何で,どういう史料を使っていて,という,基本的なことを確かめながら読むことです。そうすれば,どれが話のマクラに過ぎず,どれが本題なのか,っていうのがわかって,「アメリカ黒人史の論文が日本中世史研究者の元ネタだったんだよ!」なんていうアホな主張をすることもなかったはずなので。
https://togetter.com/li/2189132
こいつら全員処刑もんよな
まさに奴隷の鎖自慢
元々アサクリは世界各地の現地人を主人公に歴史の教科書にできるレベルというのが売りのシリーズであるが、
長らく望まれていた日本を舞台にしたら何故か黒人と日本人くの一が主人公になり(日本人男性の排除)、
何故か弥助はゴリゴリの侍だったということにされ、
その弥助が日本人を殺しまくり、道を歩けば日本人にヘコヘコ頭を下げられる謎の差別的映像が公開、
ガードレールや軽トラが出てきたり何故か畳が琉球畳だったりとめちゃくちゃな日本描写、
史実に忠実とは何だったのか?と言う日本人に対しUBIは「黒人英雄を隠す日本人は差別主義者」と発言、大炎上
株価が下がり流石に分が悪いと察したのか最近「アサクリはフィクションです」と日本語で声明を発表(謝罪なし)、
しかし英語の文では「日本人が文句言ってきたので仕方なくフィクションですって言っとくわ」という内容、更なる大炎上へ…
↑これも追加して
対象者の遺伝子を読み取り、その先祖が生きていた時代をVR上で再現するというものだ
初代の主人公は著名なアサシンの子孫であり、彼は実験台にされて先祖であるアサシンの記憶を追体験することになった
現実のように生々しい光景のため、アニムス利用者もまたアサシンの如き殺人技能を取得することができる
アニムスはシリーズが進むうちに進化していき、古代人の遺体から遺伝子情報を読み取ることで、血縁者でなくても当時を再現できるようになった
しかしこれは情報から組み立てて作った仮想世界であり、完全に過去を再現できているわけではない
バグが発生し、当時には存在しないはずのものや、実際とは違うものは出てくることもある
大きなバグによって、現実にありえない神話に出てくるような巨大なクリーチャーが出現することもある
またこの世界はSFである一方でファンタジーでもあるので、実際にその当時にクリーチャーが存在していたよ設定の場合もある
エジプトの巨大アヌビスはバグで、ギリシャのメドゥーサは現実に存在した設定っぽい
遺体からVRする場合はその人物が特に強く関心を持っていたものがクローズアップされるのだろう、マップ内で場所によっては季節がバラバラで花も雪も見られることがある
これは「時代考証的におかしいだろ」という部分への言い訳のような設定でもある
話題となっているシャドウズ以前にも、うっかりミスによる変な描写や、ちゃんと調べたら地味すぎたので脚色して当時存在しない建造物を表現したことがあった
アサクリシャドウズにも現代編(過去世界をVRで見ている現代人の視点)はあるそうだ
弥助とナオエのW主人公ということは、一人の現代人が両方の遺体などから遺伝情報を読み取るパターンかもしれない
桜と柿と稲が同居するシーンは、異邦人である弥助が日本に来て見たそれらを印象深く思っていたからアニムス上では同時に再現されたのかもしれない
アサクリにはゲーム本編以外にもソシャゲや本などの外伝があり、それによれば2013年の現代日本ではアサシン教団は大阪のヤクザを乗っ取って隠れ蓑にして活動している
https://news.xbox.com/ja-jp/2024/05/16/assassins-creed-shadows-interview/
>> 『アサシン クリード』シリーズは、その歴史描写と緻密な世界再現で知られていますが、『アサシン クリード シャドウズ』でもそのこだわりを発揮できます。
本作は、織田信長のような実在した歴史上の人物や当時の出来事を忠実に描いているので、封建時代の日本を舞台にゲームを楽しみながら、この素晴らしい時代について学ぶことができます。<<
日本には大学教授や研究者を適切に評価するシステムが無いため、多くの人は下記のタイプと接する機会が多かった😭
あと、日本の平均賃金から見たら、大学教授や研究者の賃金は、べつに低いとは言えない。むしろ上位を占めている。
職業 | 年齢 | おおよそ の月収 | ボーナス 等 | おおよそ の年収 | 労働者数 |
---|---|---|---|---|---|
航空機操縦士 | 43.1 | 138 | 123 | 1,779 | 4,970 |
医師★ | 41.6 | 97 | 63 | 1,227 | 77,920 |
(男女合計)管理的職業従事者 | 50.2 | 47 | 522 | 1,086 | 6,720 |
大学教授(高専含む)★ | 58.0 | 66 | 275 | 1,067 | 59,530 |
法務従事者 | 49.9 | 68 | 176 | 992 | 21,150 |
大学准教授(高専含む)★ | 48.9 | 55 | 207 | 867 | 39,880 |
歯科医師★ | 40.5 | 60 | 42 | 762 | 15,090 |
その他の経営・金融・保険専門職業従事者 | 39.3 | 46 | 156 | 708 | 16,000 |
大学講師・助教(高専含む)★ | 41.6 | 49 | 108 | 696 | 56,890 |
高等学校教員 | 43.1 | 43 | 163 | 679 | 69,200 |
研究者★ | 39.8 | 42 | 156 | 660 | 118,450 |
輸送用機器技術者 | 40.1 | 41 | 159 | 651 | 191,480 |
小・中学校教員 | 40.3 | 42 | 146 | 650 | 31,200 |
システムコンサルタント・設計者 | 40.4 | 46 | 97 | 649 | 78,730 |
電気・電子・電気通信技術者 (通信ネットワーク技術者を除く) | 41.8 | 41 | 154 | 646 | 285,830 |
そのため、賃金を上げろと言われても、日々の生活や老後のことを考える我々的には、『いや、十分な額でしょ。ナメとんのか?』となってしまい、
ほとんどの人は、大学教授や研究者の賃金を上げることに賛成しなかった
(つか、上記の状況を見続けて、おけおけ!上げとこ上げとこ👌なんて感情にはまずならんでしょ😒)
高学報酬による競争で全体の質を担保するのではなく、個人の情熱と能力と使命感と倫理観だけに全てお任せしてしまった結果、もう本当にどうしようもないことになった
まずはこれ
"民" とか時代劇の殿様かな?っていうスゲー文章だが、2024年の東京大学准教授の投稿である(成りすましでなければ)
アサシン・クリード・シャドウズの問題、いつか鎮静化すれば良いと思っていたが、民が暴徒化しており、お気楽なパブリックヒストリアンたちは口を噤んでいるようなので、Xなるものを稼働させることにした。時々呟く。
そして、これもまさかの2024年の日本の大学教授(わざわざプロフィールで所属と身分を明かしている)の投稿である、うっへぇ~ありがてぇ~~~
PSA: It's not only "white racists" who are angry about the new Assassin's Creed game. A lot of Japanese internet users are angry too. Why?
Check this image for some examples of Japanese netizens expressing their views about Assassin's Creed Shadows.
(お知らせ:新しいアサシン・クリードゲームに怒っているのは「白人の人種差別主義者」だけではありません。多くの日本のインターネットユーザーも怒っています。なぜでしょうか?
アサシン・クリード・シャドウズについて日本のネットユーザーが意見を表明している例をこの画像で確認してください。)
↓
いわゆる "坂上田村麻呂黒人説" や "African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan" (←実話・真実の物語とされている) などは、
それに便乗する白人至上主義者によるアジア人の透明化と文化の盗用(ホワイトウォッシュしながらアフロセントリズムを押つけ、アジア人を透明化する糞ムーブ)、
上記に類するアクション(『日本人は怒ってない』とSNSでお気持ちを勝手に代弁するありがてぇ白人様たち)に対して懸念を持っています
これは、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います。
"坂上田村麻呂黒人説" の言い出しっぺは、今から100年以上前、カナダの人類学者、Alexander Francis Chamberlain 氏です。
米国の非営利団体 Internet Archive で原著を確認できると思うんですけど、
氏は『The Contribution of the Negro to Human Civilization』(1911年)という論文の中でこう書いてます。
484 ALEXANDER FRANCIS CHAMBERLAIN
[...]
And we can cross the whole of Asia and find the Negro again, for, when, in far-off Japan, the ancestors of the modern Japanese were making their way northward against the Ainu, the aborigines of that country.
(そして、我々はアジア全土を横断して再び黒人を見出すことができる。遠く離れた日本では、現代日本人の祖先がその国の先住民であるアイヌに対して北上を進めていた時に。)
THE CONTRIBUTION OF THE NEGRO 485
the leader of their armies was Sakanouye Tamuramaro,
(彼らの軍隊の指導者は 坂上田村麻呂 であり、有名な将軍であり、黒人であった。)
Full text of "The Contribution of the Negro to Human Civilization"
まぁこんなこんな感じで唐突に 『坂上田村麻呂 は黒人である』 と論文の中で言い出してるんですね。
そして、この論文の記述を 全米黒人地位向上協会(NAACP) の設立者の一人である W・E・B・デュボイス氏 が、『The Negro』(1915年)にもしたため、
As rulers and warriors we remember such Negroes as Queen Nefertari and Amenhotep III among many others in Egypt; Candace and Ergamenes in Ethiopia; Mansa Musa, Sonni Ali, and Mohammed Askai in the Sudan; Diaz in Brazil, Toussaint L'Ouverture in Hayti, Hannivalov in Russia, Sakanouye Tamuramaro in Japan, the elder Dumas in France, Cazembe and Chaka among the Bantu, and Menelik, of Abyssinia; the numberless black leaders of India, and the mulatto strain of Alexander Hamilton.
(統治者や戦士としては、エジプトの多くの中でもネフェルタリ女王とアメンホテプ3世、エチオピアのカンダケとエルガメネス、スーダンのマンサ・ムーサ、ソンニ・アリ、モハメド・アスカイ、ブラジルのディアス、ハイチのトゥサン・ルヴェルチュール、ロシアのハンニバロフ、日本の坂上田村麻呂、フランスの父デュマ、バントゥ族のカゼンベとチャカ、アビシニアのメネリク2世などの黒人を思い出します。また、インドの無数の黒人指導者たち、そしてアレクサンダー・ハミルトンの混血の血筋も挙げられます。)
The Negro
さらに後続の米国黒人公民権運動で活用されたり、歴史フィクションのアイデア元になった歴史があります。
そのため、一部の児童向けサイトや教師向けサイトでYASUKEと共に今も見掛けることが稀にあります。
For a Samurai to be brave, he must have a bit of black blood
日本人ならそんなことわざは無いこと知っていると思うんですけど、ググると色んなところで見掛けます
Why do Afro-centrists claim that the first samurai warrior was a black African? | Quora
https://www.quora.com/Why-do-Afro-centrists-claim-that-the-first-samurai-warrior-was-a-black-African
弥助(YASUKE)は、取得難易度が高い日本語を解する多言語話者の黒人の方で、しかも剛力で恵体、世が世なら・・・と言うとても優秀な方だったみたいです。
弥助はえらい人の覚えがめでたく、織田信長は彼を大変気に入って、連れて歩いていたようです。わざわざそのことが記録にも残っています。
頭が良くて体格もいいとかカッコイイし、本来であれば正当にその実力が報われて欲しかったし、彼がヒーローして描かれるフィクションが作られるのは共感できます。
というかフィクションであれば、もっとアフロサムライやキンバリーみたいな肌の色が濃い侍や忍者が増えて欲しいですね。
(最近のゲームでは Rise of the Ronin みたいに、主人公の人種を自由に設定できるオプションがデフォだけど)
ただ、史実では、さまざまなことが重なって、弥助は一般的に武士(侍)ではありませんでした。そもそも、有力武将や宣教師などでは無かった為、ほとんど記録には残っていません。
わずかに残される記録(ネットでも確認できる)からわかることは、下記くらいです。
『ゆうて、一部の歴史オタク が 弥助は武士(侍)って言ってるだけでしょ』『時代劇でもよくフィクション入るじゃん』って思うでしょ?🤔
それが、どういうわけか、YASUKE の 英語版の Wikipedia 見ると、日本のアカデミアのお墨付き貰ってるのとか、参考文献に引っ張ってきてるのよね。それも京都大学とかの
ZINBUN は査読付き学術誌と京大で紹介されてるんですけど、その中でこんな風に書かれてます。
Perhaps more extraordinary is that Yasuke’s story does not end here. Retained as an attendant by Nobunaga, he later accompanied him into battle against the rival lord Akechi Mitsuhide (1528? - 1582) who upon defeating Nobunaga at Horyuji, spared the African and subsequently released him.
(さらに驚くべきことに、弥助の話はここで終わりません。信長の従者として残された彼は、後に信長と共に、ライバルの大名(rival lord)である明智光秀(1528? -1582)との戦いに参加しました。光秀は法隆寺で信長を破った際、このアフリカ人の命を助け、その後解放しました。)
Excluded Presence : Shoguns, Minstrels, Bodyguards, and Japan's Encounters with the Black Other
https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/71097/1/40_15.pdf
Horyuji(法隆寺)かぁ。あと、さすが魔王ノッブ、1万を超えたとも言われる大軍勢を前に、自刃することなく弥助と共に立ち向かっちゃうぜ。諦めたらそこで試合終了だもんな(白目)
更にこれに加えて、日大の教授が、いろんなところで、弥助は日本で最も有名な外国生まれの武士(侍)となった、
弥助は本能寺にいて伝令の役割を担った、弥助の最後の使命は首を守ることだったとか、いろいろ言って回ってますからね
African samurai: The enduring legacy of a black warrior in feudal Japan |CNN
https://edition.cnn.com/2019/05/19/asia/black-samurai-yasuke-africa-japan-intl/index.html
そんなわけで、YASUKEの件も、司馬遼太郎氏やカジュアルな歴史小説家の作品、あるいは娯楽時代劇のフィクションを真に受けるのとは、ほんのちょっとだけ毛色が違います
文字数制限に引っ掛かったから続く → 日本のアカデミアは本当にどうしようもないところにまで来ている・2
戦国時代から現代まで、多くのアフリカの人々が、さまざまな理由で日本を訪れています。この章では、その一部を取り上げ、日本との関わりをたどります。
戦国時代、ポルトガルやスペインなどヨーロッパの船が日本を訪れた際に、黒人が従者や奴隷として連れられていたことが、アフリカの人々が日本を訪れた最初の事例であると考えられています。
織田信長の伝記である『信長公記』には、イエズス会司祭ヴァリニャーノが従者として連れており、その後信長に仕えることとなった「黒坊主」が登場します。
「彼男健やかに器量也爾も強力十之人に勝タリ」と描写されており、信長をはじめ、当時の人々に高く評価されたことがうかがえます。
日本では「弥助」と呼ばれたそうですが、アフリカでの本当の名前はどのようなものだったのでしょうか。
また、第一章の冒頭で触れた天正少年使節団も、『天正年間遣欧使節見聞対話録』【226-29】によれば、アフリカを訪れた際に「今迄にもあの黒い者らが我々の方へ渡つて来るのを沢山に見た事はあるが」と発言していることから、日本へと渡ってきた黒人を知っていたことが分かります。
しかも、使節団を派遣した大名のひとり、有馬晴信は、その軍がアフリカ人とマラバル(インド)人に助けられたという、次のような報告もあります。
フロイスの『日本史』【GB315-21】に、有馬・島津軍と竜造寺軍の戦いにおいて、日本人の砲手がいない中で大砲を「一人の(アフリカの)カフル人が弾丸を込め、一人のマラバル人が点火して」発射し、「千人の兵隊を有しているよりもそれらはより効果的に役立った」と書かれています。
アパートの階段で落っこちて、ころころ転がってトラックで撥ねられた人や遺族の人にとって、
何度も何度もアパートの階段で落っこちて、ころころ転がってトラックで撥ねられた描写を
半強制的に何度も何度もアパートの階段で落っこちて、ころころ転がってトラックで撥ね
られた描写を半ば強制的に何度も何度もアパートの階段で落っこちて、ころころ転がって
トラックで撥ねられて半ば強制的に何度も何度もアパートの階段で落っこちて、ころころ転
がってころころ転がってぼくハムスターが半強制的に何度も何度もアパートの階段で落っこち
て、ころころ転がってぼくハムスターころころ転がってぼくハムスターころころ転がってぼくハムスター
IGNの記者がアサクリ最新作の記事書くときにトマス・ロックリー引用しただけで、アサクリはとばっちりやん。
まぁ、扇動する側としてはIGNなんていうあまり知られてないWebメディアより日本支社もあるゲーム会社の最新作が生け贄として望ましかったんだろうな
畳が正方形という文句もゲームプレイトレイラー見たらちゃんとした畳だし、どっちかというと「Fukuchiyama Castle の Load Hayashi って誰だよ」とかそっちの方が気になったな。
弥助をサムライにしてる事に対する文句も「ダヴィンチを暗殺者武器職人にしたのは脇役だから良いけど、弥助をサムライにするのは主人公だからダメ」とか支離滅裂ないちゃもん書かれてて笑ったわ。
「弥助という黒人が信長の元にいた」って事しか確定してない弥助をサムライとして創作するのと、「ダヴィンチは暗殺者の武器職人」っていう明確に史実に反する創作してるのとで前者の方が罪深いってのは共感できないな。
博物館モードを売りにするゲームでそういう描写は許されん、みたいなみたいな寝言も視界に入ったけど、博物館モードでフィーチャーしたのは今となっては見ることの出来ない歴史上の建造物の本来の姿を3Dモデルでいろんな角度から見たり出来ることを売りにしていたし、そこでの解説にゲーム内の創作を混ぜ込んで誤解させるような見せ方してなかったよ。
批判の中に「歴史戦」とかきな臭いワードが混じってたからまぁこういうもんだろうなという気はするが、UBISOFTは大変だね。
新聞とかに取り上げられたので、今まで騒動を追ってない人まで、話題に入ってくるようになったみたいなので、なぜここまで炎上しているのか箇条書きで書いてみる。備忘兼ねて。
・ゲーム内容がフィクションでファンタジー色強めであるにもかかわらず、史実に忠実であることをインタビュー等で強調してしまったこと
→結果的にファンタジーを史実であると言った状態になってしまった
・リサーチをちゃんとしたと言ったにもかかわらず、杜撰な日本描写で文化に対する扱いが粗雑
→季節外れの農作物や、おかしな畳、変な屋敷や城、鎧兜のおかしな描写、神道と仏教の混同、家紋の上下反転 etc...
・コンセプトアートがGoogle画像をトレースしたかAIで作成したかのような奇妙な作りであること
→ガードレールや軽トラックを描写、中国の仏像を左右反転で使用、日本にいない尻尾の長い猿、江戸時代ではなく明治の写真のトレース etc...
・コンセプトアートが盗用をしていること
→実在の現代の団体の旗模様を使用しているなど著作権を侵害している
・ジャパンエキスポのアサクリブースでAmazonや中国ECサイトで買った適当なものを陳列
ttps://togetter.com/id/laymans8/t/%E3%82%A2%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%BA
ttps://www.youtube.com/watch?v=FnYyYDpC00Y
ttps://www.youtube.com/watch?v=IgK8UsSZQ9c
ロックリー氏の発言はとにかく誇張が多すぎる上に、ロックリー氏があちこちで情報をばらまいているため収拾がつかなくなっている。
Wikipediaは言うまでもなく、BBC、CNN、Time、スミソニアン、日本在住の黒人Youtuberの動画インタビュー、ブリタニカ百科事典(Web版) etc..
誤解されがちだがロックリー氏の誇張は上記のBBCやCNNなどのWeb版での影響が非常に大きい。
そのため日本版の書籍を見てもよくわからないことが多い(後追いで入ってきた人は日本版の書籍ばかり見ていることが多い。
例えばwikipediaが間違っていると言うと、BBCやCNNに元ネタがあるという突っ込みが来ることがあるが、そもそもCNNの元ネタもロックリーである。
■黒人陰謀論(黒人中心主義、アフロセントリズム)と日本文化の伸張
そもそもの問題点として昔から黒人が日本で活躍したという陰謀論は存在した。
坂上田村麻呂黒人説がそうだが、このデマは100年前から存在している。
また、こちらはあまり知られていないが「日本の諺に、侍が勇敢であるためには、黒人の血が少し入っている必要がある」というデマも存在する。
黒人蔑視やアジア人蔑視として始まったものだが、今では黒人中心主義者のネタに使われているようだ。
もともとこれらの陰謀論は小規模ながら連綿と続いてきたものだが近年の日本のポップカルチャーの欧米での急激な浸透により明らかに陰謀論が拡張している節がある。
特にディズニー+のドラマSHOGUNの大ヒットあたりから急激に増えている印象がありこちらも収拾がつかなくなりつつある。
■ポリティカルコレクトネスの矛盾とアジア人軽視への抵抗とアジア人の透明化
アサクリ騒動を日本だけおっていると気づかないが、周辺メディアの油の注ぎ方もすさまじい。
海外のゲーム界隈はもはや右翼と左翼の闘争の場と化しており過激な発言や争いばかり起きている。
実はそもそも以前に似たような炎上が発生している。それはバイオハザード5が発売された当初、白人キャラが黒人を殺しまくるのは非常に問題があるとい主張であった。
これはシェバという黒人女性キャラをパートナーとして追加することで一先ず炎上を沈下させた経緯がある(ただ言っておくとすでに10年以上前の話である)
それに対して最近IGNは5は黒人差別の文脈からリメイクできないと記事を作っていた。
ところが似たようなポジションのアサクリは問題ないとしており、これも炎上の要因であった。
欧米のメディアがこの手の人種問題を取り上げるとき、基本的にアジア人は白人と一括りにされマジョリティなのでお前たちも差別の責任を負うべきだという論調であることが多い。
しかし実態としては日本人ならわかるだろうが、アジア人は実際には差別されており事件が起こる。
アジア人はアメリカの人権擁護の隙間に入り込んでしまっており意見を無視されることがしばしばだ。
今回の件でもアサクリに文句をつけているのは"白人であり日本人ではない"という主張が大勢を占めておりほとんど無視されていた。
UBIが今回謝罪したことで初めて日本人が抗議していることを認めた人も多い(ちなみにまだそう主張してる人はいっぱいいる)
今回の炎上騒動はこれらの争点がひとまとめになった結果起きたもので一面的な情報を追いかけてもなぜ炎上しているのか把握できない(ていうか多分俺も全部把握できてない)
日本のポップカルチャーはまだまだ産業的に伸びる気配が強く、また弥助の件についてもハリウッド映画化やブロードウェイミュージカルが発表されており収まる気配はない。
アニメにおいてキリスト教描写が無茶苦茶なのも悪役になるのも今更誰も怒らないと思うけれど
/r/anime/comments/1ebkdrd/orb_on_the_movements_of_the_earth_teaser_visual/
現実寄りの絵柄や話にすればするほど舞台装置に見えるのはしょうがないんじゃないの?
バックグラウンドも個性も(比較的あっさりとしか)描かないから。
例えば少年漫画だとナルトやドラゴンボールみたいに個性の強いキャラ出してるから
舞台装置であっても機械としての役割が見えにくいからそう思わない。上にキャラの布切れをかぶせてるわけだ
逆に短編やシリアスな話だと個性がアクになって本編が入ってこないというのを避けるため、機械の部分が剥き出しに見える
舞台装置に見えるというのはある意味キャラとしては愛されにくくなるから(たまに例外もある)、そのキャラの描写に
著者がどれだけ紙面を割けるかという話になってくるので、均して雑に括るなら「著者に愛されているキャラ」と思っている
もうすぐ誕生日を迎えて33歳が終わるので、いい機会だと思って平成初期生まれである自分のロマンス観の奥底に眠る作品について、水面まで引っ張り上げて雑語りしてみた。なお性別は男。
BL:これ
男なのだが、BLについては、実はかなり小さい頃から存在・概念自体には触れていた。
ひとつ前で話題に出した図書館には、ティーンガール向けの(おそらく少女漫画を卒業した近所のお姉さんたちからの)寄付所蔵があり、その中には白泉社系の漫画が数多く存在していた。当時の自分は、文字と絵があるなら何でも噛まずに飲み込む悪食だったので、男が少女漫画を読むとか特に何も考えずに頭を空っぽにしていろんな作品を乱読していた。そのお姉様方が残した漫画では……まあ割と頻繁に男と男がベッド・インする描写がございまして。たぶん清水玲子さんの作品だと思うのだけど、フツーに女が男と、男が男となんやかんやベッドで一緒に寝ていた。
当時は臥所をともにする意味を知らなかったので、ふーんで流していたけど、たぶんこれが原因でボーイ同士のラブにはじめから拒否感が無かったような気がする。長じて、そこそこの男オタクがBLを〇〇という蔑称で呼んで弄ぶおもちゃにしたり嫌ったりしている(た)のを見て、そんなに嫌う?と思ったこともあった。
あと、漫画の中にラッキーなことに「ぼくの地球を守って」もあって、それを血とし肉とし、年の差カップルやらTSやらやおいやらを学習していった。当時は倫くんに精神年齢が近かったから、亜梨子のことをすっげー年上のお姉さんとしか思ってなかったけど、今思えば……いや、今思っても流石に年の差はあるわ。(ぼくたまは面白かったなあ……【懐古】。好きなキャラはキャーおよびJrです)。
しかしながら、BLにハマる、つまり男と男のカップリングに熱を上げることはなかった。あくまでも、そういう価値観もあるという認識を持った程度。そんな自分のカチコチに固まった頭をぶっとばしたのが、数年前の自分の誕生日近くに発売された某ゲームに出てくるLくんというキャラクターだった。ここまでが前置き。
タイトル | ? |
ジャンル | SRPG |
(とくにBのLを主題にした作品ではないし、勝手に自分が思っているだけなので作品名はぼかす)
このゲームは、とある学校の先生となって選んだクラスの生徒たちを戦乱の時代に生き残れるように育て導いてゆくというもので、作り込まれた世界観に加えて、複数ある学級にそれぞれ個性豊かなキャラクターが何人もいる(しかも完全フルボイス!?)ことで、いろんな育成を試したり、生徒との恋愛シムを楽しんだり、生徒間でカップリングを作ったりと、様々に遊べて大きくヒットしたのだ。例に漏れず自分のオキニのキャラがおり、それがLくんだった。
いや、はじめはまっとうに可愛い女子陣(LとかMとか)にエへエヘしていたんだけど、なんか気が付いたらLくんのことがすげー気になる存在になっていたのよ。そのゲームにはいわゆるコミュ的な、キャラ同士が交流するイベントがあるんだけど、Lくんは初っ端からエンジン全開で仲間に対して自分のことを「容姿端麗にして才気煥発」とナルシ発言カマして、空気の読めない高慢ちきナルシスト変な髪型貴族として高笑いしながら自分のフルネーム(しかもミドルネームあるから長い)を連呼していたんだ。それでおもしれーやつ〈ルビ:コメディリリーフ〉的にLくんが気に入っていたんだけど、ゲームが終盤に近づくにつれて、なんかLくんが覚醒して、おかっぱナルシストからアシメ耽美長髪美人ノブレスオブリージュグレート薔薇大貴族に大変身したのね。おもしれーやつだと思っていた可愛い生徒が、ウルトラスーパーデラックス紳士になってしまって困惑3割感動7割で、まあ端的に言うと「り゛っば゛に゛な゛っ゛た゛ね゛ぇ(泣)」だった。
それで一周目をクリアする頃にはLくんを含めた学級の全員を超大好きになっていたのだが……話はここから。そう「一周目をクリア」が意味するのは二周目があるということ。実はこのゲームは学級の数だけ、正確にはさらに隠し的なルート一つがあり、何周もしないとストーリーの全容が分からないという恐ろしい作品だったのだ。
そこで、ゲームをクリアして二周目を違う学級ではじめたのだけど……完全に元の学級ロスになっていた。新しいルートを進める傍ら、最初のルート(ファンの通称は「実家」)の思い出を反芻する日々。新ルートで元の学級の子達と交流すると、現学級のライバルなのにいい働きをしたら「うちの子立派!」と思わず叫んで親バカの如く他学級を褒めるというしまつ。ついには、日々彼らのファンアートやらキャラ語りを探し回るゾンビになっていた。
このゲームは発売当時にそこそこ話題になった作品だったので、ネットを検索すると、それはもうファンアートや感想の海……いや大海原の如く豊穣な熱情(しばしば劣情)にありつけた。そうすると、次は二次創作というグランドラインに正面から向き合うことになるのは必然だった。名支援と呼ばれるLくんとMちゃんを描いた漫画作品、平民と貴族の組み合わせのLくんとLちゃんの小説、声デカ貴族組のLくんとFくんファンアート、そして学級長のCとLくん、LくんとC、またCとLくん、LくんとC……そう、実はLくんは異性とのカップリングよりも、学級長であるC(男)とのカップリングが、多分最も人気があったのだ。
CというキャラはLくんの真逆とも言えるキャラクターであった。級長のくせして腹黒軍師系だし、すぐに策を弄してハメようとするし。だが、内心にとんでもなく大きな野望を抱えているという複雑なキャラクターでもあった。やや高慢だが優等生のLくんと人当たりはいいが腹の底を見せないC。二人はストーリーでもコミュでも犬猿の仲というべきであった。
二次創作という大海原には様々な島が浮かんでいた。デフォルメされた姿でうさ耳が生えて赤面しているLくんがいたと思えば、リアル等身でどシリアスな殺して殺されての戦場で汚泥に塗れている姿があり、Cを言葉攻めしていたり逆にされていたり、現代パロ、学パロ、性転換、敵対シチュ、モブ、死ネタ、etc... ニュービーだった自分には直接的な官能的な絡み合いこそ刺激が強かったが、ネットの海に放流される彼・彼女たちの漫画・イラスト・小説・イメソン・etc……そこには確かにキャラクターへの愛があった。
そんな調子で元の学級への未練(飢え)を同志達の供給で癒やしつつ、数百時間かけて全ルートを回りきり、ついに念願の最初のルートに戻って最高難易度でもう一度やり直すことに。そこにはかつてと変わらぬ愛すべき学級の生徒たちの姿があった。Lくんも相変わらずCに突っかかって、Cはそんな彼のことを面倒臭がって、変わらぬ犬猿の仲……いや、なにかおかしい。
それは衝撃が固体になった瞬間だった。
初見プレイ時にはまだBL筋が十分に発達していたかったため見逃していたのだが、チャクラが開かれた今となって見ると、それはもうコッテリとした男と男のクソデカ感情がこれでもかと描かれていたのだ。
先に少し述べたように、Lくんはナルシストの傾向があれど、基本的には名門貴族の跡取り息子としての教育を受けている礼節を持った男であった。先に紹介した他のキャラとの珍妙なコミュにしても、彼は彼なりに真面目に誠実な態度を取っていた、ただ空回りしていただけで。しかしどうだこれは! Cとのやりとりに彼がこれまで受けてきた教養のある態度は認められない。そう、それは嫉妬。内側に秘めていた激情。むき出しの激重感情がそこにあった。
名門貴族の跡取りとして生まれた彼は、諸侯が己が利益を優先し団結をしようとしないこの諸侯連盟の現状を憂え、この国を正しく導くのは自分の責務であると自負していた。学問を修め、領主としての振る舞いを学び、着々と目標に邁進していた。そんな彼の前に現れたのが出自不明でありながらも突如として諸侯長の跡取りとなったCだった。全く貴族らしさを感じさせず、あまつさえ貴族の位なんて屁とも思っていない異物。それがLくんにとってCだった。
自分が欲しくてたまらなかった立場にありながらも、それを歯牙にもかけず、貴族の責務にも無関心で、それでいて何かを企んでいるのに見せようとしない見通せない。だから「君など現れなければ……」と本心が溢れてしまう。悔しそうな声。それは俺先生や他のクラスメイトには見せない、彼の心からの嫉妬だった。しかし、その心は、先生とCの隣で彼が望む未来の片鱗に触れていくにつれて変わっていった。領内の、国内ことだけしか考えていなかった彼は、この世界の人種差別や身分のことまでも変えていこうとするCの考えに触れ、彼こそが皆を率いていく器だと内心は認めるようになる。そして、二人きりのとき「君のいない世界など味気ない」と告げ、自らにとって彼が大切な存在であると言外と認める。
このやりとりを再見した時、なぜ、自分はこの感情のドッヂボールに気が付けなかったのか、と唖然となった。「お前さえいなければ」からの「お前がいない世界など」という完璧な回収。こ、これがブロマンスなのか……と濡れた泥を投げつけられたような衝撃だった。これで完全にチャクラが開いた感覚があった。
昔の漫画もギャグシーンでカジュアルにクスリを使うシーンあったりするよね
正義感が強いとしてキャラ付けされているはずの主人公ヒロインでも飲酒喫煙はある程度やるのが当たり前だったり
〇〇の都とかなんとかタウンとかそういう異世界舞台じゃなくて現代日本を舞台にした漫画ほどしれっと法律違反してる
作中の描写だけじゃなくて漫画雑誌の巻末や単行本やアニメ雑誌に掲載されている作者インタビューでも掘られたらまずいものはたくさん存在していると思う
「あの頃はやばかったね」 「今はもうやめようね」 「当時から嫌で我慢していた、今は嫌だと言えるような世の中になってよかった」でいいじゃん
ホンマそれよね
アフロサムライかっこいいし、キンバリー好きだし、肌の色の濃いヒーローやヒロインが活躍する作品はもっと増えるべきだと思う
だから、肌の色の濃いヒーローが主人公なのはぜんぜん有りだと思うけど、史実だとか忠実に描いてるだとか言うなって話だわな
つか、日本には『異世界』とか『なろーっぱ』とかいう伝家の宝刀があるから、『なろーじゃぱん』だぞって言えば歴史考証する必要無かったのになぁ感
それをしないのは、映画でも伝統的にそうだったように、『ジャップランドはどんな風に書いてもOK』っていう白人様の意識がおそらく強過ぎるんだろうな
でもそれ以外の、アジア人蔑視それに付随する日本軽視の歴史改竄は一朝一夕にはどうにもできないので、長い長い時間かかるんじゃないの?
ありがとねー。
貴重な暇を使ってこんな熱量でしかも丁寧に感想を書いて貰えるなんて嬉しいぜ。
全面的に有り難いよー。
きみの言う通り、このゾンビは噛まないよ。
あと、起きてる間はずっと大声で叫んでいて、限界に達すると急に動かなくなる。
一応、こういう形にした言い訳をすると、増田的には基本的に人が死ななくて、ギリ意思疎通図れる個体がいるくらいの塩梅がいいなーと思ったんだよね。
新入社員の経理担当に領収書確認のために出勤する業務命令が出るくらいにしたかったし。
ワーキングメモリが常にゼロな状態を意図してたんだけど、描写によってはあどけない印象になっちゃう可能性あるね。
「急にウイスキーを一瓶飲んだ状態」のほうが近いのかな。まだ少し違う気がするけど。
ともあれ、人に見せるときは単語選択を楽しちゃいけないなって戒めました。
あとはこの設定だと、「元の判断力が高すぎてゾンビ化してたのに気づかれないプロジェクトマネージャー」とか、「主人公がウイルスに感染してパニック状態を経験した後、治療されてちょっとゾンビに優しくなるイベント」とか書けそうだと思ってて。
書いたら楽しそうだな〜。