はてなキーワード: ONEとは
授賞式の最後に、昨今の海外ゲーム業界を現在も揺るがしている状況について良い意見表明があったので書き出し&訳。
http://www.gamespot.com/videos/independent-games-festival-2015/2300-6423621/
プレゼンター:Nathan Vella (Capybara Games CEO)
This past year has exposed a lot of hatred and some significant unpleasantness in our industry. As of tonight, there continue to be women, people of color, lesbian, gay, bisexual, trans and queer artists who are being trolled, and spammed, and threatened, and doxxed, and hacked, and even driven from their homes. It's no longer possible for those of us in this room to ignore or minimise these issues with our industry or these issues with our art.
(Applause)
I know you all believe it. I know you do.
(Standing ovation)
But just as this year has exposed all that ugliness, it has also exposed a new generation of creators and activists who are fighting for video games and video game culture. They are fighting for us, the independent games community. I really don't think they want our gratitude at all. I think they need our support. I think they need us to work together as a community to show people a new way to engage with each other and play. So let's all fight back against this hate, the best way we know how: through our games, and through our teams, and through our collaborations. Let's make sure our games are not embodying any stereotypes or caricatures. Let's make sure as a community we are supportive of one another, and we are as welcoming as possible to any and all new voices. To me, it really gets to the core of what it's about to be an independent developer. We don't have any stock prices to fret over. We don't have any entrenched political dogmas. We own our art. This gives us a real opportunity to be the change that we all want see in the industry. And I think that we can change for the better, together.
(Applause)
この1年間、私たちの業界では多くの憎悪といくつかの非常に不快な出来事があらわになりました。今夜の時点でも、女性、有色人種、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランス、そしてクイアのアーティストたちが、荒らしに遭い、スパムを送られ、脅迫され、個人情報を暴露され、ハッキングを受け、中には住まいを追われる人さえいます。ここにいる私たちは、もはや私たちの業界、私たちの作品に関する問題を無視したり、軽視したりすることはできません。
(拍手)
みなさんそう思うでしょう。わかってますよ。
(大喝采)
そうした醜い部分が衆目に晒された一方で、今年はビデオゲームとビデオゲーム文化のために戦う、新世代のクリエイターや活動家が現れた年でもありました。彼らは私たち、インディペンデントゲームのコミュニティのために戦ってくれています。彼らは私たちの感謝などではなく、私たちの支持を求めていると思います。彼らに必要なのは、私たちがコミュニティとして一体となり、新しい関わり合い方、遊び方を人々に示すことです。だからみなさん、この憎悪に立ち向かいましょう。私たちが一番よくわかっているやり方で。私たちのゲーム、私たちのチーム、私たちの協調を通じて。私たちのゲームにステレオタイプや風刺を含めないようにしましょう。コミュニティとして互いに協力し合い、あらゆる新しい意見をできる限り歓迎しましょう。私にとっては、これがまさにインディペンデントなデベロッパーであることの核心です。株価に一喜一憂する必要もない。凝り固まった政治的なドグマもない。私たちの作品は私たちのものです。そのことが、この業界に私たちが望むような変化を起こすための、本物のチャンスを与えてくれるのです。私たちはともに、良い方向に変わることができると思っています。
(拍手)
IsNumeric Function (Visual Basic)
IsNumeric returns True if the data type of Expression is Boolean, Byte, Decimal, Double, Integer, Long, SByte, Short, Single, UInteger, ULong, or UShort, or an Object that contains one of those numeric types. It also returns True if Expression is a Char or String that can be successfully converted to a number.
ここは普通のことをいっている。 IsNumeric が True を返すのは以下のとき。
Indicates that no beginning value has been assigned to a Variant variable. An Empty variable is represented as 0 in a numeric context or a zero-length string ("") in a string context.
Empty は context にあわせて以下のように解釈される。
というわけで IsNumeric(Empty) は Empty が数値として解釈されて 0 になるので True を返す。
ドローンの由来は開発ストーリーから来てる。猛吹雪の夜に、ある女の子が交通事故で意識不明になった。全米で1、2をあらそうレベルの名外科医が治療にあたった。大量の輸血剤が必要になった。急いで手配したが、渋滞で残念ながら間に合わなかった。医師は嘆いた。「何が名医だ、技術があっても、必要なものが手配できなきゃ救えないじゃないか」
医師は、あるロボットの開発に乗り出す。しかし、その構想を聞かされた周囲の人はあざわらった。「そんなのできっこないよ」「高給をすててなにやってんだ、バカだなぁ」医師はひとりぼっちになった。それでも、諦めなかった。あの状況で、あの女の子を助けるためには、これを開発するしかない。同じ状況で、違う女の子を助けることが、彼女の生をより有意義にできるんだ。そう信じて、貯蓄を使い果たし、家や車を売り、資金に当てた。
そして医師はついに、一人でやり遂げた。医師に敬意を表して、ロボットは名づけられた。Dr.one。そう。これこそがDroneの由来なのさ。
フォーク・メタルの世界をご存知ですか。フォークってさだまさしでも、ゆずでもないです。民俗音楽です。
メタルとアイリッシュ、中東、サンバから果ては和琴までがマリアージュ。
邪道という人もいるでしょう。でも好きなんだからしょうがない。
シャウトとバスドラ高速ダブルとという共通性が、様々なご当地音楽を消費しやすくする。
まるで共通インタフェースでラップされた個別ライブラリのよう。
各地域の旋律や、楽器への回帰は、背後に政治的メッセージを持つものも多く、掘れば掘るほど奥が深い。
今日はヴァイキング・メタル入門編として、カバー曲含み、比較的キャッチーなものを中心にご紹介します。
「海賊王に俺はなる」よりだいぶ汗臭くて酒臭いですが、お付き合い下さい。
のってきました、どんどん行きましょう。
MADはさておき歌詞は、朝まで乱闘と歌で酒を飲み明かす、本能のままに生きる漢たちのこと。
当時のマーケティング戦略ゆえ、酒場で格闘ドンジャラホイという素敵な邦題がついてます。
原曲は、あのドイツのディスコ音楽グループ「ジンギスカン」がモデルとしたとも言われるボニーM「怪僧ラスプーチン」
ヴァイキングじゃなくちょっとわき道、東欧〜ロシアをイメージした旋律がメタルに映えます。
赤黒に顔を塗り戦士を奮い立たせるアンセム。こちらに個人の和訳があります。http://ameblo.jp/aoyuki1212/entry-11887199554.html
「友よ、悲惨な話しを告げよう」で始まる、裏切りものがなぶり殺される怖い唄。
キールホールは、縄で人を括って船底をくぐりらせるという船上の私刑。PVの結末が...ヨーホーホー。
http://anond.hatelabo.jp/20150216002609
正直有名な人をリストアップしても、JAZZの初心者は曲を知らないと何演奏してるのかもわからず、どこがおもしろいのかもわからないんじゃないかね。
まずはよく知られてる曲を各プレイヤーがどんなふうに料理しているか聴いてみると入りやすいだろう。
例えばディズニーの名曲とか映画音楽とかCMで使われてる曲とか。
ジャズボーカルでスタンダード曲を憶えて、そこから別のプレイヤーの演奏も聴くとか。
チェットベイカーなんかは歌も歌うし、ジャズボーカルのバックの演奏がよかったりするから間奏と思わない方がよい。
ビル・エバンス http://youtu.be/5Wd--YgSCfA
マイルス・デイビス http://youtu.be/fBq87dbKyHQ
ジョー・パス http://youtu.be/RJuY8fo_Wso
ビル・エバンス http://youtu.be/bSXRvgFea-0
デイブ・ブルーベック http://youtu.be/IJfzTgYWfPw
チック・コリア http://youtu.be/UWssmfYP59o
ジョン・コルトレーン http://youtu.be/qWG2dsXV5HI
デイブ・ブルーベック http://youtu.be/43T0HdVNOD8
アル・ジャロウ http://youtu.be/U5yMCEOSsNA
ナット・キング・コール http://youtu.be/DjU6ZjrQulc
ジャンゴ・ラインハルト http://youtu.be/sCJ5E8AnlWk
ライオネル・ハンプトン http://youtu.be/2lQFbhpOCB4
チェット・ベイカー http://youtu.be/jvXywhJpOKs
マイルス・デイビス http://youtu.be/s8skY3y4A0o
ビル・エヴァンス&ジム・ホール http://youtu.be/ReOms_FY7EU
ジョン・コルトレーン&ジョニー・ハートマン http://youtu.be/dRh7M9zQiIc
アート・テイタム&ベン・ウェブスター http://youtu.be/8pbVsk0Noec
チック・コリア http://youtu.be/i1cjveB1CNI
デューク・エリントン http://youtu.be/qDQpZT3GhDg
エラ・フィッツジェラルド http://youtu.be/MgUVxhQDeVI
トニーベネット&レディーガガ http://youtu.be/LYfF9VKMp4w
メモ代わり。カラオケにも入ってねーわ
David Devant And His Spirit Wife『This Is For Real』(http://www.youtube.com/watch?v=QdRBoQ6wWJw)
My Life Story『King Of Kissingdom』(http://www.youtube.com/watch?v=71j9CaAk3Ks)
geneva『no one speaks』( http://www.youtube.com/watch?v=8c0WyrD9nUI)
Rialto 『 Monday Morning 5.19 』(http://www.youtube.com/watch?v=9eyN2I-TlyA)
Out Of My Hair『 Mr. Jones』(http://www.youtube.com/watch?v=Bel0yCjYElE)
Grandaddy『A.M.180』(http://www.youtube.com/watch?v=ptPXxAds1Jc)
しょぼたま 『BWV1065 (4台のチェンバロのための協奏曲・イ短調)』(http://www.youtube.com/watch?v=-6y9HmrRKv4
klaus nomi『after the fall』(http://www.youtube.com/watch?v=sTLzQP9J-n8)
Sparks『Never Turn Your Back On Mother Earth』(http://www.youtube.com/watch?v=6Y4W9yVA00c)
Devo『Beautiful World』( http://www.youtube.com/watch?v=56u6g0POvo0)
S*M*A*S*H 『(I want to)kill somebody』(http://www.youtube.com/watch?v=cIshse2x6Cc)
Plastics『Top Secret Man』(http://www.youtube.com/watch?v=Gi5un_z6A9M)
The New Bloods『Doubles』(http://www.youtube.com/watch?v=hQIkQlHk8b8)
DNA『Not moving』(http://www.youtube.com/watch?v=zMSxsRBqsL8)
有頂天『君はGANなのだ』(http://www.youtube.com/watch?v=h_cbE6oc6Ys)
Gene『Haunted By You』( http://www.youtube.com/watch?v=FZnGKlx4UZU)
Menswear『Daydreamer』(http://www.youtube.com/watch?v=tmBoEUG4-aM)
一部普通にメジャーです
Kross, Ethan, et al. "Facebook use predicts declines in subjective well-being in young adults." PloS one 8.8 (2013): e69841.
Stevenson, Betsey, and Justin Wolfers. Subjective well-Being and income: Is there any evidence of satiation?. No. w18992. National Bureau of Economic Research, 2013.
北朝鮮から、自由を求めて - One Young World
https://www.youtube.com/watch?v=ApSMANpOI1Y
「北朝鮮は人権無視のひどい国です。世界のみなさん、北朝鮮の民衆を助けるために声を上げてください」
ところで、自分は世間の情報に踊らされないように心掛けていることがいくつかある。
たとえば、
・子供を前面に押し立てる政治的スピーチは逆バイアスをかける(例:大阪の芋掘り保育園)。
.
・女性を前面に出している政治的スピーチは逆バイアスをかける(例:アウン・サン・スーチー)。
ジャンヌダルクから樺美智子まで、勢力糾合とムード強化の広告塔に女性が使われることが多いから。
.
・美少女を前面に出している場合は、さらに逆バイアスをかける(例:中東のマララ・なんとか)。
子供×美人×女性で三役。庇護欲をかきたてることで印象操作をされる可能性があるから。
.
・美少女の涙ながらの訴えには、さらにさらにさらに逆バイアスをかける(例:湾岸戦争のナイラ)。
なんかがそうだ。
けれど、もともと内乱に外部勢力を呼びいれて利用するのに定評のある半島であるからして(隋とか日本とかアメリカとか)、半島発のあらゆる証言はいったん判断を保留することにしているうえに、こんなあからさまな印象操作のテクニックをフル装備したうったえを聞かされたら、「まずは、そのスピーチをセッティングした仕掛け人はだれよ?」とみっちり疑ってからじゃないと、耳を貸す気にはなれない。
こんな俺は、ゆがんでいるだろうか?
あとで直す(かもしれない)→ あきらめた 無理
あと下のほうにコメントつけた (こういうときはどうするのが普通なんだ?)
タイトルを補足しておく
・985を取ったのはもうずっと前なので公式にはもう私TOEIC985ですとは言えない
・まぐれで取れた点ってわけではない
そんな俺様がLet It Goを何度も繰り返し聴きながら書き取ってみた
・ほんとうに何度も何度も聞いた これ以上聞いてももうこれ以上直せない
・わからないところもとにかく何か書いた
これが985取れる人間の中でどれくらいのレベルなのかはよくわからん(あまり高いほうだとは思えないが)
何か考えるきっかけになれば、と思う
何度か受けてたらだんだん点数が上がってきた、ってだけ
前置きが長くなったがリスニング結果だ
本当の歌詞はググれば出てくるだろう
The snow grows white a mountain night
Not a footprint to be seen
A kingdom of isolation and it looks like I'm a queen
The wind is howling like this swirling storm inside
Can you keep it in heaven knows I'd lied
Don't let them in, don't let them see
Be the good girl, you always have to be
Don't let them know
Well, now they know
I don't care what they are going to stay
The cold never bother me any way
makes everything seem small
And that feel the one control me
To test the remen? then breaks rule
No right, No wrong
No rules for me
I'm free
Here I stand
My power flory? through the air into the ground
My soul this spiral ringing frozing fracteurs? all around
I one thought crystalizing like in rizy? blast
I'm never going back
The past is in my past
When I like the break of dawn
Here I stand
Men? my lie? of day
The cold never bother me any way
以下コメント
まあコレは異常なケースと思ったほうがいいかもしれん
> around my doorって何ぞwww
とは言え同意せざるを得ない 何ぞwww
> 「R」と「L」の違いが分からないのに
sとthもわかってないぞ あとbとvとかもな 発音はできてるらしい
ちょっと負けん気出してTOEFL受けてみたくなったが小遣いがもったいない
ちなみに妻子持ちのおっさんだ
Web漫画ってcomicoだのマンガボックスだのニコニコ静画だのいろいろあって面倒臭いじゃん
FC2ホームページとかにただ上げてる感じで1ページ読む毎にページ遷移が必要な奴とかだったらスマホで読むには本当最悪の操作感
出版社がやってるwebマンガ誌はUIはまともなの多いけど雑誌ごとにアプリが違っててこれまた面倒くさい
comicoやone版ワンパンマンみたいな有名なのだけで良いからこういうのを統括して検索できたり回線ショボいスマホ用にwifi環境中に画像データをキャッシュ保存できたりするアプリって需要ないっすかね
画像転載はダメだけど2ch専用ブラウザみたいにDOM解析?とかして画像引っ張れるようにすれば著作権的にも問題ないっしょ
作ってくれたら500円くらいまでなら出す
○朝食:焼うどん(天かす)、親子豆腐(納豆と豆腐を混ぜたもの)
○昼食:おうどん(天かす、梅干し、おかか、卵、卵、ショウガ)
○夕食:焼きそば
○調子
普通。
○テラバトル
その結果、
グレース LV44 JOB2
クスカ LV42 JOB3
アメリパクト LV41 JOB3
ダイアナ LV41 JOB3
シャンベルタン LV42 JOB2
ガッツ LV39 JOB2
という感じに強化できた。
ガッツ以外は、40台に突入したので、メタルゾーン3ともお別れだね。
明日日曜日は、シナリオを進めるのに、スタミナを分配していこうと思う。
クック救出後、街に戻るとガンガラと駄目王子の演説を聞く事に。
そして軍から追われることになったカイムたちは、ミン王女を利用して脱出。
セスが過去に乗っていた船のエンジンを使った船で脱出し、カイムたちが昔暮らしていた村へ。
ストーリー的に考えると、そろそろ最後の不死者である「サラ」が仲間に入る頃だろう。
サラが仲間に入ったら、このゲーム日記恒例となってる「ラジオを聞きながらレベル上げ」という至高の時間が過ごそうと思う。
実は、当時のネタバレ爆撃を今更思い出し、どうなるかとかを知ってしまっているんだけど、
まあ別にそういうネタが割れたからって楽しめなくなる作品ではないね。
むしろ、要約の中に出てこない、ちょっとした描写とかがとても楽しいゲームだ。
丸石がいっぱい
発射はこれで
看板を作ろう!
360版も実績フルコンプする程度には好きなゲームだったから、
それにしても、こんな楽しいゲームが実質ファーストタイトルなのに、独占しないなんて
本当にMicrosoft様の温情には涙がちょちょ切れますね。
僕が偉い人なら、PSWのマインクラフトは全部配信停止にしてたよ。
第三章までクリア。
そうえば年末に配信されてたのを思い出した。
Halo4のときはちょっと難易度が高かったのと、ゴールドメンバーじゃないこともあって未プレイだった。
なので、ステンバーイとフレンドの繋がりを利用して募集をかけてプレイ。
ムービーがHaloチャンネルという別アプリってのが少し難点だけど、やっぱりHaloはHaloなので楽しい。
特にCOOPでかつノーマルだと、もの凄いさくさくすすめられるので超楽しいよー。
第一章。
さらに本編でもちらりと登場したマスターチーフに「おっきいね(はあと)」と色目を使った女スパルタンのサラなんかも登場。
なんて言うか、お前らスパルタンの癖に軽いな。
マスターチーフとかノーブルチームとかと比べると、なんて言うかライトスタッフ、おっ軽い人々(ゆうきまさみ)みたいな感じだ。
クリムゾンチームの皆さんは特に個性とかはないのかな? まあプレイヤー=操作キャラのゲームだからそれはいいのか。
第二章。
クリムゾンチームが拾ってきたアーティファクトのせいでインフィニティが大変なことに!
なにげにレアな男の科学者キャラ「グラスマン博士」も登場。そうえば、インフィニティはAIも男なんだよね。
HaloWarsのアンダース教授とか、言うまでもなくハルゼイ博士とか、科学者はトチ狂ったキャラが多いイメージだわ。
第三章。
僕が勝手に「Haloシリーズの黒幕」として認定している、ハルゼイ博士が登場。
この人怪しいと思うんだよなあ。
不老不死のフォアランナーの一人だとか、コヴナントのエイリアンたちを遺伝子操作で作ったとか、みたいな無茶な設定がいつか出てこないかドキドキしている。
■本文。
最終回だというのに最初からくどい話になるのだけど、インターネットなどのメディアが、世界が一体化したかのような幻想を生み出す一方で、野放図に拡大される情報社会が、心の繋がりを裁断し続けている。断片的な情報を追いかけることに躍起になるあまり、多くの価値観=ジャンルは求心力を失った。例えば、メディアミックスにしても、それぞれがジャンルという枠による秩序を持っているからこそ、混淆することに意味があったし、一体化の幻想自体が、[かつての全能感]を取り戻すための侵略に他ならない。そして、互いの領域を侵略した結果、秩序という枠組みが曖昧になったことで、インターネット上では無制限に肥大した自意識が互いに衝突を起こしている。情報という麻薬に蝕まれた中毒患者は絶えず全能感と無力感を往復しているが、目の前にある荒んだ光景は認識することができない。
そんな現代において、旧来の世界観に回帰すること=思考停止による癒しが唯一の自己防衛手段となっているケースは多い。そして、箱庭のような偽物の原風景に引きこもることで、飽くなき侵略=拡大する欲望を抑えている。自己言及的な表現を頑なに拒むのも、居場所を自壊させてしまうことへの潜在的な恐怖があるからなのだろう。そして、マッチョイズムとフェミニズムの対立から零れ落ちた層を汲み取る為に、ポルノメディアの特異点……ポルノメディアから遠く離れたポルノとして、美少女ゲームは存在している。マッチョイズムにせよ、フェミニズムにせよ、その論理は自身のセクシャリティ=現実の恋愛やセックスを前提としているが故に、現実と虚構を対比し優劣を決定する方向性で結論を出してしまう傾向が否めない。例えば、フェミニズムの功績としては、男女の恋愛関係におげる規制緩和と自由化が挙げられるが、同時にそれは恋愛における自由競争を生み出したと言えるし、当然、自由競争から弾き出された恋愛弱者も多く生み出すことになった。ちなみに、この構造は、フェミニズムをインターネットに置き換えれば、情報弱者を生み出す構造と同じになるのだが……。
美少女ゲームはポルノグラフィの枠組みから発生したものだが、その論理基盤は[男と女]というセクシャリティを巡るものではなく、[自分と他人]という基準で駆動している傾向がある。言い換えれば、自身のセクシャリティに対する意識が希薄であるが故に、全くの異物としての他者(異性)を認識することが難しく、自己の延長としての他者という方向性で純化されているのだが、同時にコミュニケーションを崇高化し過ぎるという弊害も見られる。その弊害が悪化すると[引きこもり]に繋がっていくのだけども、ユーザーの大半は普通に社会生活を送っている。理由は色々とあるだろうが、スピリチュアリズムに似た信仰システムの機能を、美少女ゲームが持っていることも挙げられると思う。
そして、セクシャリティに対する意識が希薄である=前時代的であるために、恋愛至上主義的な表現が勃興した。例えば『ToHeart』や『ONE』で描かれるセックスはあくまで婚前交渉であって、娯楽としてのセックスではない。娼婦と素人娘が厳然と分かれていて、素人娘と付き合う時は必ず結婚が前提になる時代の価値観が無意識のうちに再現されているので、『Kanon』に至っては、名雪シナリオ以外ではセックスすることを選択しなくてもトゥルーエンドに到達できる。それは、セックスは結婚後に初めて行うものと考える人々が未だそれなりの割合で存在していたということだろう。だから、美少女ゲームの一部は厳密な意味でのポルノメディアから離れつつある。風俗産業の二次元版としてのポルノではなく、結婚相談所の二次元版としてのポルノメディアなのだと考えれば分かりやすいのかも知れない。
さて、現代の物語メディアの多くが単独で成立しにくい原因の一つに、経済やテクノロジーの発達に伴い、物語の消費スピードが飛躍的に加速しているという状況がある。または、物語がパーツ単位で解体された結果、秩序を維持できなくなっていることに起因する。物語がジャンルとしての秩序を失い、単なる情報の集合体として氾濫した結果、その多くは誰もが知っている[お約束]と呼ばれるものになってしまった。そして、[物語を読む]という行為の目的が、疑似体験を介して思索することではなく、氾濫する情報を収集し続け、酩酊状態に導いて思考停止することに変質してしまった。同時に、ゲームというプラットフォームから発信される物語が、作者の意志によって導かれる連続体としての表現ではなく、ユーザー自身が演じる舞台……遊戯空間としての情報集合体へスタイルを変化させつつある。
つまり、他人の波瀾万丈な人生を追体験するのではなく、原風景としての平穏な日常を演じる媒介として機能しているケースが増えているのだ。原風景=楽園志向が悪い訳ではないのだが、美少女ゲームが遊戯空間として完成するにつれ、文化的伝統に回帰するルートとしての側面は失われつつあるように思う。
例えば、他者との関わりは、現実世界の他人や社会といった抽象的な意味で捉えられがちだが、過去から連なる歴史的蓄積という視点も存在する。おそらく『ONE』が特徴的だったのは、『ToHeart』で確立された偽物の原風景=楽園を[かつての全能感]を補完するシステムとしての機能面だけではなく、過去の価値観のレプリカと捉えた上で、同時に時間的な意味での[他者]を再現しようとしていたことだ。一見『ToHeart』の二番煎じと思われるような構造に[過去との接続]という要素を加えたことによって、ノイズと判断される危険性を孕んでいながらも、過去と現在を繋ぐ連続体=物語として作られた『ONE』が成功を収めたことで、物語に対するニーズが未だ潜在的に存在していることを証明している。
また、『Kanon』や『鈴のうたう日』では、胎内回帰的であるために閉塞へ陥りがちだった楽園志向を[共生と循環]という方向へ発展させているし、『フロレアール』『とらいあんぐるハート2』『デアボリカ』といった作品も、それぞれの方法で物語表現としての美少女ゲームの可能性を拡げている。そして、そういった作品が予想外な場所から出現する限り、筆者は美少女ゲームのユーザーであり続けると思う。
■あとがき。
本当はこれから出るゲームを取り上げて、今後の展望を書くつもりだったんですが、本業以外の分野を未来予測するのは、やっぱり難しいので、普通に連載の総括という感じになりました。
とりあえずは療養しながら、積みゲーの数々をクリアしようかと思っております。そういう訳で、今後は体調と相談しながら、不定期で登場するかも知れません。どんな形になるかは今のところ、分かりません……って、別に打ち合わせもしてないので(笑)。あと、FAKEOFFICEのホームページに、このコラムのバックナンバーを順次再録していく予定です。こちらも体調次第ですけど……まあ、そういう訳で一年とちょっとの間、どうもありがとうございました。
■本文。
朝のワイドショーで[社会的ひきこもり]を特集するようになるとは、世の中、つくづくアレなんだなあ、と思う今日このごろですが、今月のお題は『ONE』です。本当は最終回まで取っておこうと思っていたのだけど、小倉さんとデーブ・スペクターと斉藤環が同じ画面に映っているのを見たら、辛抱たまらなくなったのですよ。しかし、『二時のホント』が終わったのは、ワイドショーマニアの筆者には痛い……。
―――さて、『ONE』をプレイして強く感じたのは、母性と父性の欠損に対して、援護射撃に頼らない直球勝負を挑んでいることだろう。ただ、同じ主題を扱っていても、手慣れたテキストの『Kanon』に比べると、まだ手探りの部分が多く、比喩などにあからさまな引用も多い。だから、必ずしも褒められたものではないのだが、BGMと画面演出の組み合わせを効果的に使う[音の魔法]に頼っていない分、言霊の比重が高くなっている印象を受けた。
重要なポイントは、この作品で描かれる世界には、超えるべき父性は最初から存在しないことだろう。同時にそれは、学習することもできないということでもある。[他者]は、主に母性を巡るものとして描かれているが、主人公である浩平の母親は、カルト系の新興宗教に盲従した結果、母親であることを放棄している。そして、浩平は、他人との関係性を肉親から学習しないまま=子供のままで妹に対し、父の代わりを演じたが、妹の死により、父性の獲得=男性としての自立にも失敗してしまう。そのため、主人公は二重の意味で心理的欠損を抱えているのだ。
更に、母親が発狂し、ウロボロス的な母性を発動させてしまった際に、母親を拒否している浩平は、壊れた母性に対する嫌悪感を潜在的に抱き続けている。由起子おばさんが、一度も浩平の視界には現れないことや、長森シナリオでトゥルーエンドに辿り着くためには、長森を嫌悪し続けなければならないことの理由でもある。いわば、母性と父性の欠損を巡る内面の問題こそが、『ONE』という物語の核になっている。また、宗教によって母親が発狂し、浩平の前から姿を消すシーンは、『ONE』の前作にあたる『MOON』の主題を継承しているとも言えるだろう。
だから、この作品の基本構造は、どのシナリオもアプローチの違いこそあれ、本質的には同じだ。他者との距離感を知らないまま成長していくことに、情緒的な病による死を予感した浩平自身の本能が、自然死を避けるために、偶然を装った出会いを起こし、浩平に欠損した部分を取り戻させようとしたことが、物語の動機になっている。そして、浩平自身の本能は、ゲームの作り手であり、浩平はプレイヤー自身である。
だからこそ、浩平の鏡像となる女の子たちは、それぞれが身体的なハンディキャップや心理的外傷を持つ者ばかりが選ばれたのだろう。同情という媒介を用いなければ、出会いという動機を持つことができないほどに、浩平の病状は悪化していたし、宝探しを始めるには、同じ宝を共有できる相棒が必要だったのだ。
本能の企てに乗せられた浩平は、達成されなかった父性の確立に再度挑戦する。ところが、達成寸前に壁が現れる。それが[えいえんのせかい]という、癒しの象徴でもある異界への願望だ。もっとも、異界が具体的に描かれることはない。まあ、具体的に描いたら、山上たつひこの『鬼面帝国』か、出口王仁三郎の『霊界物語』みたいになってしまうような気もするが(笑)。
―――いや、最初から浩平は異界に取り込まれていたのだろう。つまり、浩平が抱いていた、思春期独特の中途半端な世界認識が、そのまま、異界への潜在的な願望として、妄執のように内在していた。それが、絆の発生で、完全な鏡となった女の子を介して照らし出されたのだ。つまり、中途半端に終わった目的を今度こそ達成しようという意志(現在)と、中途半端のままで反復しようとしている記憶(過去)が衝突したことで、[えいえんのせかい]という、思考停止状態に陥ったのだろう。
さて、プレイヤーとしての浩平が一度、舞台から退場することで、今度は、選ばれた女の子が自身の母性=主題を自覚することになる。そして、父性と母性が相互補完的に成立することで、浩平は再び舞台に戻ることができる。つまり、互いを鏡像=他者と認識することによって、欠損を補填した訳だ。この構造自体はありふれたものだが、ありふれたものであるがゆえに、強い言霊を生み出すことができる。そして、この作品で特筆すべきことは、美少女ゲームで描かれる世界が失われたロマンティックであり、実際にはあり得ない世界だということを巧妙に描いていることだ。
何故なら、『ONE』の登場人物たちの多くは、自分たちの生きている世界に対し、無自覚な肯定をしない。強い否定もしない。約束された楽園が既に失われてしまっているということを、登場人物自身が自覚しているように見える。プレイヤーもまた、物語を介し、その完結に立ち会うことによって、楽園が失われたことを知りながら、ゲーム内の楽園に耽溺するという、二律背反的な認識を持つことになる。
例えば、『ToHeart』が、ゲーム内ではいったん完結しながら、アニメ化(メディアミックス)にあたって物語世界を再構築した際に、約束された楽園=主題を持たない真空状態を維持すること……終わらない物語であり続けることを選択し、ユーザーの楽園願望を全面的に肯定したことで、現在でも現役の商品として、人気を保っているのに対し、『ONE』の場合は、主題を巡る部分が『Kanon』と『鈴がうたう日』という二つの作品に分岐&移行してしまったことで、作品と商品の両面で、既に幕を閉じているのだ。
この辺の違いについて、最も分かりやすいのは、やはり、長森シナリオであろう。『ToHeart』のあかりシナリオに対するメタ的な構造を持っているからなのだが、筆者も鈍いので、気づくまでに何度かキレそうになったのは余談だ(苦笑)。
もっとも、『ONE』以降、恋愛描写を重視した[泣き系]の作品が氾濫したことで、相対的に主題の空洞化と、[お約束]としての普遍化が起こっているのは否めないが、この作品自体は、非日常と日常や、万能感と無力感の間で葛藤する思春期独特の世界認識と通過儀礼を描いた作品として評価できるだろう。
更に言えば、本来は『WhiteAlbum』や『デアボリカ』のような、ユーザーの価値観を揺さぶるタイプの物語が担っていた役割を、『ONE』の成功で、思考停止による癒しを主目的とするタイプの物語でも担えることを証明したのだ。
物語とは、社会と個人を繋ぐ媒介だと思う。いつの時代も、その本質は変わらないが、物語を伝達する手段は、時代の変化と共に変わっていくものだと、筆者は考えている。美少女ゲームを媒介として、社会と繋がり、社会を学習していくという構図も存在できると思うし、一見、楽園を肯定するような表現に重層的な含みを持たせることで、現実社会との距離感を認識させる手法の確立を、本格的に模索する時期に入っているのではないだろうか?
■あと一回のお知らせと総括。
ホームページでは既に告知済みだったのですが、本コラムは次号で最終回となります。次回は連載総括という形で、これから発売される作品について触れたいと思っていますので、作品ごとの論評としては、今回が最後です。
降板の理由は、今年に入り、筆者の健康状態が悪化して、月刊ペースでの連載が難しくなってしまったからです。無理に書いて、自己模倣に陥ってしまっては意味がありませんし……。
―――そういう訳で、読者とメーカーの方々には、一年と少々、筆者の回りくどい文章に付き合っていただき、本当にありがとうございました。連載はあと一回ありますが、この場を借りて御礼申し上げます。
■その1。
いやー、『ONE~輝く季節へ』を、やっとこオールクリアできたので、記念(?)に、『ばらえてぃたくちくす!』を買ってきました。
「ほう、『鈴がうたう日』番外編か……あ、そういえば、本編、途中で止まったままだよ!」(またか)
……という訳で、今月は『鈴がうたう日』(以下『すずうた』)です。つーか、新作より、目の前にある積みゲーの数々をクリアしないとな……おかげで、歴史の把握が、かなーりおかしいことになってて、頭の中で文脈が混乱しまくってるよ!
さて、前半、平凡な日常描写を積み重ね、後半で非日常的な描写へ一気に持っていく構成、その対比と高揚感から、特定の感情を生み出すという演出手法は、普遍的になりつつある。実際、効果的だけど、最近は、苦痛に感じることもある……。
そして、前半と後半を繋ぐために、ある種の情緒……ファンタジー要素や少女幻想的な描写を使う作品も多い。また、日常の崩壊を匂わせる、詩的な言動や描写を、前半で伏線的に配置しておくパターンもある。
しかし、『すずうた』の場合は、何故か両方とも欠如しているのだ。前半に配置されるのは、少女幻想を前提とした詩的なラブコメ描写ではなく、あくまで少年まんが的なノリで作られたギャグ描写だ。なので、ラブコメという感触は乏しい。むしろ、ノリとしては久世光彦の作るホームドラマだ(『ムー』とか)。
前半で配置されている非日常的な要素を強いて挙げるならば、物語の発端となる、すずの来訪(登場)なのだろうが、それすらも、簡単に日常へ取り込まれていく。そのことが、後半の展開との落差に、違和感を生み出す遠因となっているようだ。
ほとんどの美少女ゲームは、恋愛の予備段階と言える状態からスタートする。犬チックな幼なじみが起こしに来たり、変人な先輩と偶然にぶつかったりするが、それらの出会いには、主人公のモノローグなどで、恋愛の予兆があらかじめ内在する。
ところが、『すずうた』は、「恋人未満、友達以上」どころか、まるっきり友達感覚な描写ばかりが続くので、その予兆が内在しない。そして、恋愛の予兆が排除された状態から、後半、一気にハードな恋愛状態へ流れ込むが、恋愛描写や少女幻想がもたらす酩酊感が全くないので、関係性の変化という事態に対し、全くフィルタがかからないのだ。よって、急性アルコール中毒になったような感覚に陥り、あまりにも不条理な災厄が降りかかったような気分になってしまう。これが、先に述べた違和感の正体だと思う。
さて、その後半に目を向けると、提示されている仕掛けはことごとく、対立する視点が介在し(七海トゥルーにおける紫姉、など)、いわば、理性で言霊の暴走を抑えている格好になっている。なので、前半の軽快さとは一転して、重苦しい展開になっている……という対比はあれど、高揚感は生まれない。従って、プレイヤーもまた、流れに乗り切れないまま、物語は終わる。おまけに、どのラストも正直、爽快とは言い難い。しかし、シナリオの手法としては、これは決して悪くない、と思う。
同じように、イベントで盛り上げるという仕掛けを排除した作品としては、『いちょうの舞う頃』が挙げられる。しかし、『すずうた』の場合は、『いちょう~』ほど明確に排除している訳ではない。むしろ、仕掛け自体は積極的に使用しているのだが、問題は、そのほとんどに意図的な抑制が働いていることだ。早い話が、ラブコメの物語構成要素に対し、再検証が行われているのだ。
ラブコメというシステムは、その発生においては、過去の歴史から断絶しようとする意志によって成立したものだった。実際、袋小路に入っていた物語に対するカウンターとしては機能を果たしたが、システムの発展に伴い、【オブジェクト嗜好】という、形骸化に陥ってしまった。
だから、『すずうた』が目標とする場所に到達するためには、言霊を抑制し、感傷に流されることを避け、登場人物たちを自律的な選択に導いていく必要があったのだろう。
■その2。
【お約束】な停滞からの逸脱=ラブコメの定番パターンからの進化。しかし、それは物語システムを自壊させる行為でもある。その意味で、この問題に最も自覚的だったのは『WhiteAlbum』だったのだが、それ故に、一部のユーザーからは生理的嫌悪にも似た反発に遭った。
物語構成要素の再検証という行為は、作品の質は上げるが、その分、間口を狭くする。ちなみに、某誌によれば、『ア○マゲドン』のプロデューサーが「観客というのは、感動的な音楽さえ流せば満足する豚だ」と言い放ったことで物議を醸したらしいのだが、目標とする対象が多ければ多いほど、低いレベルでの記号化は強まる。水は低きに流れるものでして……。まあ、だからといって、エアロスミスの音楽は正解だとしても、出演女優をフェラチオの上手さだけで決めるのはどうかと思うがなあ……っと、話を戻そう(笑)。
つまり、【恋愛】というファンタジーをめぐる、物語システムとしての【ラブコメ】が直面している問題に対し、停滞からの逸脱を目指した上で、恋愛関係の可能性を描こうとした場合、必然的に、既存のパターンにはない微妙な感情を描いていくしかない。同時に、それは、類型化された方程式を否定していく作業になる。記号のイメージに頼ったテキスト作りは許されない上に、記号によるお約束に慣れた(眼鏡っ娘=内気、とか)ユーザーからは反感を買う……正直、茨の道ではある。
でも、逸脱の手段として、日常においての自律的選択(自力本願)という方向性を追求した作品群の中では、『すずうた』のテキストは、かなりの強度を持っていると思う。
例えば、『ONE~輝く季節へ』の場合は、日常から非日常、そして、日常へという流れを持っているが、『すずうた』の場合、日常から日常へと繋いでいく。しかし、前半で提示される日常は、後半で提示される現実の上に成り立った、虚構に限りなく近い日々なのだ。そして、その断層から、過去の幻影と現在を繋ぐという、もう一つのテーマが浮かび上がってくる。あと、女の子たちの物語への感情移入よりも、日常の脆さを提示されることが優先されているのが、筆者には新鮮だった。まあ、恋愛小説というよりは、教養小説っぽくなった感じもするが……。
それから、感心したのは、父性&母性の扱い方だ。すずシナリオでは、後半、唐突に父親との相克がテーマとして浮かび上がるのだが、過剰な行動には至らない。逆に、蛍トゥルーでは、負の母性との相克がテーマになるが、これまた、過剰な補完行動には至らない。類型的な受容と和解で解決してしまい、結局、依存から逃れられない作品が目立つ中で、『すずうた』の登場人物たちは、周囲の助けを借りながらも、あくまで自律的に運命を選択していく。
他人の犠牲も含めた上での自律的な選択は、『WhiteAlbum』の場合もそうだったが、必ずしも許容できるものではないだろう。しかし、偶然と選択の危うい積み重ねの結果である、平凡な日常が脆いように、全員が幸せに笑っていられる優しい世界もまた、脆さを内包しているのだ。
そして、わずかに残った非日常的な要素(すず)も、全てを無に帰すほどの力を持っている訳ではなく、奇跡=解決にならない。だから、コールタールのようにまとわりつく現実から救われることもないし、すずの存在もまた、過去の記憶として、日常的に失われていくものの一つとして、現実に組み込まれていく。
だからこそ、むしろ、哀惜という感情が静かに流れ込んでくるのだけど、美少女ゲームとしてのカタルシスは欠いているのかも知れない。
しかし、あくまで自律的な行動によって、過去の欠損を補填していこうとする、ささやかな意志の方が、ゲームを終了し、物語がプレイヤーの現実に取り込まれた際に、有効に機能するのではないだろうか?
過去の日常と現実の日常を再接続する物語に触れることで、個人の物語も再生する……それが、歴史を紡ぐのだと……筆者は思うのだが。
■ちっとも終わらない近況。
仕事がここに来て、がーっと集中してしまい、一日7時間ファミレスに籠もって、モバイルギアのキーボード叩いても、ちっとも終わる気配がないよ……(迷惑)。脈絡不明な仕事ばっかしているので、最近は「本業は編集者」とは言えなくなってきたですよ……。
あ、事務所のホームページに、このコラムのバックナンバー再録を始めました。とりあえず、昨年分はアップ済。つーか、次回で連載一周年なのか。エロゲーのテキスト解釈だけで一年も続けるんじゃないよ、俺。もっとも、結構辛いけど、それなりに面白くなってきたので、もう少し続ける予定です。最初は、もう少し普通(?)のゲームレビューにするつもりだったのに……脱線しすぎ。
■その1。
発端は、とあるまんが家と喫茶店で打ち合わせている時だった。お互い、ヘビーな美少女ゲーマーだったので、自然と最近のゲームの話になったのだけど、『Kanon』の話になった途端、そのまんが家は激昂し、強硬に『Kanon』を否定したのだ。激昂の理由は後述するけど、普段は温厚なそのまんが家を激昂させた、『Kanon』というゲームはどんなゲームなんだろうか……という興味が(本人には悪いが)沸いたし、何よりも、巷では大人気のはずなのに、筆者の周辺でプレイした人が、まるでいなかったのも気になっていた。
『Kanon』というゲームが、恋愛系ゲームに興味の薄い人間にとって、敷居が高いのは確かだ。コアなファンは多いのに、その面白さはプレイしていない人には、なかなか伝わって来ない。実際、雑誌の紹介記事を読んでも、「今泉伸二のまんがより泣ける!」程度しか分からないし(すまん、古いギャグで)、何より、雑誌ごとに扱いの大きさが極端に違っていた。しかも、筆者は『MOON.』も『ONE~輝く季節へ~』もプレイしていなかったので尚更だ。
……さて、ゲームをプレイしての印象だけども、音楽を含めた演出面は素晴らしいし、シナリオも読んでいて引き込まれる力は十分にある。そういう意味では良質の作品なのかも知れない。でも、正直言って、全体にバランスが悪すぎる……というか、凡庸な部分と突出した部分の落差が激しすぎるのだ。
まず、シナリオに関して、引き込まれつつも、違和感を感じていた。何故なら、どのシナリオも不条理が剥き出しの状態で、そこにあるからだ。この物語での不条理とは、主に[祈り]と[奇蹟]にまつわる部分で、物語の根幹を成す部分なのだけど、物語を形成する要素としての世界観や、恋愛に至る過程といった場所での論理がどれもこれも飛躍し過ぎている。それは、意図的なのかも知れないが、結果、説明不足に陥っている場所が大量に存在するのはどんなものか……と思っていた。
……更に本質的な問題として、エロゲーとしては全く成立していないのだ。これについてはもう論外としか言いようがないし、ゲームとして見た場合、『Kanon』は、整合性というものが全く欠けていた。
しかし……そんな欠点がゴロゴロしているにも関わらず、筆者の評価は悪くない。悪くないどころか、個人的には極めて面白かったのだ。じゃあ、何で面白かったのか……それが最大の問題だった。
話は逸れるが、物語を構築する要素というのは、ウラジミール・プロップの「26のカード」以降、現在では分析され、かなり法則化されている。更に、近代化に伴って、スピリチュアルで曖昧だった物語要素は、更に表層的な記号へ解体され、方程式を組むように商品を作ることができるようになったし、記号の選択と方程式の組み方さえ間違えなければ、ユーザーを「泣き」や「萌え」の状態に導くのも、割と簡単にできる。実際、ほとんどのおたく向けヒット商品&作品はそういう計算の上で作られている。逆に、ヒットしない商品のヒットしない理由とは、作り手の創作性……悪く言えば、偏執的なこだわりがノイズになってしまったケースが大半だったりする。
そして、全ての事象が表層的な記号へ分解されていくこの状況が、この連載で何度も書いてきた[オブジェクト嗜好]の正体で、別の場所では[ポストモダン]と呼ばれていた状況だったのだ。
■その2。
商品として成立させるために、計算によって整合性を高めると、計算できない要素はノイズとして排除されてしまう。例えば、スピリチュアルな物語要素の代表例である[奇蹟]は、近年は「陳腐なもの」として、扱うことを避ける傾向にある。
何故なら、ロボットならいざ知らず、人の生死に関する[奇蹟]は極めて不条理で、論理的な説明が困難だからだ。確かに、『To Heart』でも、いくつかの[奇蹟]は存在したが、論理的に説明できる程度に抑え、逸脱することを防いでいた。これは、日常性の維持=普遍性を、物語世界の根幹に据えていたからだろう。
ところが、『Kanon』の場合は、[奇蹟]を、物語世界の根幹に据えてしまった。作り手が日常から逸脱してしまうことを覚悟していたかどうかは分からない。しかし、『Kanon』は表層的な設定よりも、ドラマトゥルギー的な主義主張が先に立っている作品で、キャラクターの記号性で、その綻びを強引に追補していた。それでも、原初的な物語要素……スピリチュアルな展開、に対する思い入れが強すぎて、全体のバランスが崩れることは食い止められなかった。
これではどう見ても、物語として完結させるのは困難で、ああ、このまま破綻したまま終わるのかな……と思いきや、[奇蹟]によって力づくで完結させてしまったのだ。これはとても希有なことだと思う。
だけども、同時にこの作品は、表層的にも、「泣き」や「萌え」という要素を達成して、商品としても成立している。いわば、作品が二重構造になっており、そのことが先に述べた敷居の高さの原因になっているのだろう。しかし、記号の組み合わせにも、緻密な計算や、意図的なものが、いまいち感じられないのだ。
肝心の文章そのものにしてもそうだ。シナリオの構成自体は随所で破綻しているにも関わらず、文章が独特のリズム感と情念を持っていて、物語に引き込まれてしまう。キャラクター描写やストーリー展開で、同じパターンを反復している箇所も多く、もちろん、ある程度の計算は感じさせるのだけど、全体としては緻密な計算より、感覚を優先したように見える。こういう文章を昔、読んだことがあるな……と思ったら、思い出した。平井和正の小説……それも、『幻魔大戦』や『地球樹の女神』あたりの感覚に近い。
平井和正は、自身の紡ぐ物語を「言霊が降りてくる」と表現していたが、それが結果として、[天然の美]となっていた。単純に比べるには抵抗はあるが、『Kanon』についても同じことが言えるだろう。そして、計算だけでは超えられなかった、魔術めいた部分が、このゲームの最大の魅力なのだと思った。
更に、私見ではあるが、ファンの心性も似た傾向があるように思う。これは、どちらにも共通するのだが、作り手はいざ知らず、ユーザー側が全員、[ポストモダン]という状況を肯定している訳ではない。その状況に戸惑ったり、諦観していたりする人々も存在する。そして、そんな最先端から取り残された人々の存在に思いを馳せなければ見えないものも、また存在するのだ。
本誌(カラフルピュアガール)の若い読者は、最先端の絵柄で上手いという理由だけで美少女ゲームを買うかも知れないが、そういう人には、『Kanon』が売れる理由は多分、分からないだろう。
絵描きにしてもそうだけど、[作り手]と呼ばれる人々は、常に最先端を追い続ける義務感を持っている。そういう人々が、立ち止まることを肯定してしまうような作品を否定するのは、無理もない。冒頭の出来事の原因もまた、そういうことだったし、筆者も、順調に本業だけ続けていれば=最先端を追いかけていれば、こういう視点は持たなかったろう。けれども、筆者にとっては、最先端の行き着くところは[ポストモダン]という名の絶望だったのだ……。
しかし、今回のプレイでの教訓は、[真・善・美]が最先端の中にあるとは限らない、ということだ。問題は、突き進むにしても、立ち止まるにしても、そこで何を成すか、想像力の限界を拡げることができるかどうか、なのだと思う。
■複雑な気分の総括。
真琴シナリオをプレイしていたら、ネームに詰まったかかしあさひろが遊びに来た。そして、後半の反復する連鎖コンボのような展開を見ながら「ああ、こりゃルネッサンスだな」と言った。おそらく、タイトルから何か連想して言ったのだろう。
しかし、これは面白い発言だ。エヴァ以降、完結しない物語が当たり前になり、影響を受けた若い世代は、技術至上主義のビジュアル志向に走り、物語という概念すら放棄しかねないという状況……そんな、進化による閉塞から逃れるための、前近代への回帰として考えると、『Kanon』という、無謀極まりない物語は、微妙な可能性を秘めていると思う。まあ、それは別の閉塞なのかも知れないけど……。
Thomas Alva Edison
Genius is one percent inspiration, ninety-nine percent perspiration
Meaning
Genius is largely the result of hard work, rather than an inspired flash of insight.
それらはおそらく私の人生を貧しくする。
私は十年来ガラケーを使っている。web検索やSNSを見るには不便で、満足のいく解像度の写真は撮れず、もちろんLINEもSkypeも使えない。
それがいい。
私は迷いの多い人間だ。気弱で一人では何もできなくて、正解があるならそれにしがみつきたいと願っている。人と話すのも好きだ。
スマホがあれば、私はどんな状況にあっても最安値を、最善の策を探そうとするだろう。
デジカメみたいな解像度の写真がとれるとあれば、結婚式ではより良い構図を探して最良の瞬間を狙い続けるだろう。
いつでも人とコミュニケーションできるツールがあれば、人恋しさが減るかもしれない。
便利なのは分かっている。だがそれが嫌だ。
世界に繋がるツールがあることで、私の今・ここがそれだけのものでなくなってしまう。
私の今・ここは常に世界のいつか・どこかと比べられてしまう。開きっぱなしの窓からどんどん声が入ってくる、晒される。いくつもある正しさで足元がぐらぐらする。
私は弱い人間だ。
そんな便利なものがあれば、いつだってここではないどこかのことばかり見て、今・ここに向かい合うことができないだろう。逃げ道ばかり探してしまうだろう。
いつか・どこかの素敵なものばかり見て、今・ここにあるものを味わいきることをおろそかにするだろう。
誰かに何かを報告することばかり考えて、自分の中で揺れ動く感情を体験することを二の次にするだろう。
私はそんな、みかんをひと房食べながら、口の中のみかんのことではなく次のひと房のことを考えて生きるような生活は嫌だ。
結婚式では最適な構図と方法で写真を撮ることよりも、ハッピーな雰囲気を堪能し、その場のふたり祝福することに全力を注ぎたい。
最安値や最適な商品を探し求めていつまでも決めないというのではなく、買ったものへの愛着を育てたい。
上記の事柄は決して相反する事柄ではないし、上等な頭の持ち主なら容易に両立可能なのだろうけど、私では無理だ。
「最適を探せる環境がある」という状態のせいで、私の思考は「最適であるべき」に食われ、相対化に終始するだろう。
私はそうなった私に気づかないままそうなるだろうし、そんなことは許せない。
ひとつ便利なものをもたらすごとに、名前もなかった雑多なものが殺されてゆく。
あなたが光る画面を見ている間に、窓に移りこんだ白色の陽光は黄から茜に移ろい、あなたの息子は最初の言葉を口にする。
そうやって、今・ここにある私の時間を、手の中で氷を解かすみたいにしてなくしてしまうのは嫌だ。
私の最適は私が決めなくてはいけない。
スラドでAC書き込みした文章だけど、4gamerの記事が注目されてるようなので加筆修正して増田にも転記する次第。
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ゲーマーゲートに批判的な立場から解説を試みる。正直話が広がりすぎてて説明しきれないので、ごく部分的に。長いけどかんべんな。
■一言で
ゲーマーゲートを一言で言うと、FPSに代表されるメインストリームの洋ゲープレイヤーたちが「女は俺たちのゲームにケチをつけるな!」「ケチつける奴は荒らしまくって黙らせろ!」「殺害予告!」「レイープ脅迫!」「ケチつける奴に味方するやつも同罪!」「むしろ死ね!」などと吹き上がって無差別荒らしをしている状態のことである。
実際にリーダーがいるわけではなく、8chan(4chanを追い出されたために作られた専用掲示板)やIRC、redditが主な活動場所となっている。
統一された主張もなく、めいめい勝手に「俺の気に入らないこと」があると攻撃しに行くイナゴ集団である。なので議論が成立しない。
少なくないゲーム製作者・業界関係者が実際に荒らし行為で実生活にダメージを負い、被害が多方面に広がっている。NYTなど全国紙やNBC、BBCなどテレビにも取り上げられるほどである。
誤解が多いが、これを「またフェミニストがうるさいこと言ってる」という文脈でとらえるのは主客転倒もいいところなので、そこは強調したい。
Zoe Quinn氏の元彼が、Quinn氏がKotakuライターに対して枕営業をして自作インディーゲーム"Depression Quest"(鬱病を題材にしたアドベンチャーゲーム)に好意的レビューを書かせたという中傷を4chanに投稿。
(この指摘は事実無根と明らかになっている)
ついでに自宅住所などの個人情報やヌード写真等を開示し、4chan勢をたきつけてQuinn氏に差し向ける。
Quinn氏は自身と家族への殺害予告や電話凸等を受けて、現在も自宅を離れている状態。
というように、元は単なる私怨によるリベンジであった可能性が高い。
■ゲーマーゲート命名
Youtubeの有力動画レビュアーInternet Aristocratがこの疑惑を取り上げ、俳優アダム・ボールドウィンがGamerGateのハッシュタグをつけてこの動画をツイートした。かくしてGamerGateという命名が生まれた。
「ゲーム製作者とゲームジャーナリズムの癒着を許さない」という論点がQuinn氏批判およびゲーマーゲートの大義名分となった。
現実にはQuinn氏に対する批判は事実無根であった上、Depression Questもヒット作と言うほど売れるような作品ではない。ゲーム製作者とゲームニュースメディアの関係者がいかなる関係も持ってはならないという潔癖主義は非現実的だし、特にインディーゲーム開発者は食うにも困るような低所得者が少なくない。彼らとゲームメディアとの「癒着」という、存在するかどうかも明らかでない現象をあげつらっているに過ぎない。癒着云々を言うなら大手パブリッシャーとメディアの関係をただすのが先ではないのか。
一方で、AAAタイトルShadow Of MordorのパブリッシャーWarnerが、レビュー動画で批判をしないことを条件にYoutubeの動画レビュアーに金を出していた件について、ゲーマーゲートは一切問題にしていない。
自分たちが好むゲームを作る会社が「不正」を行っても批判をしないのはダブスタとの指摘を免れないだろう。
FEZの開発者Phil FishがQuinn氏擁護・荒らし批判を行ったところ、荒らし勢に報復として自社webサイトをクラックされ企業情報・個人情報暴露等の被害に遭う。Fish氏は荒らし勢への激しい批判を表明し、ネット上から姿を消す。
http://ja.wikipedia.org/wiki/FEZ_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
ゲーマーゲートに批判的な投稿記事を掲載したGamasutra(ニュースサイト)に対して、ゲーマーゲート勢がスポンサーであるIntelに凸行為を行い、広告出稿を引き上げさせるという事態に発展。
http://www.gamespark.jp/article/2014/10/04/52048.html
ゲーマーゲート批判の意見を業界関係者が表明すると、すぐさまtwitterや掲示板に罵倒や暴行予告、殺害予告、住所など個人情報暴露、電凸が多数飛んでくるという状況になっている。IGDAやDIGRAといった研究団体にまで抗議が及ぶに至っては驚きを禁じ得ない。
「ゲーマーゲートは荒らしとは関係ない」「荒らしをする奴はゲーマーゲートではない」という意味不明な擁護も多い。(本人はそう思っているのかもしれないが)
Quinn氏が女性であると言うことと、意見を表明するだけで攻撃対象となりかねないことから、特にゲーム業界で働く女性が身の危険を感じて業界を離れるケースもあり、事態が危惧されている。
銃社会のアメリカでは殺害予告やレイプ脅迫の脅威の度合いが日本とは桁違いであることはご理解いただけるかと思う。
各ゲームニュースサイトは直接の名指しの有無など温度差はありつつも、ゲーマーゲート的な動きを批判するコメントを掲載している。
ゲーム機メーカーやパブリッシャー、開発会社から同様なコメントが出たという話は今のところ聞いていない。
本来ならばゲームビジネスの最上流にあるこうした企業が一丸となって「差別と暴力を認めない。ゲーマーゲートには与しない」とメッセージを出すべき所ではなかろうか。
Anita Sarkeesian氏は2009年から、フェミニズムの視点からポップカルチャー(ゲーム含む)での女性の描写を研究し、「現代のメインストリームビデオゲームには女性をモノ扱いする描写が多すぎる」という批判的意見を展開している。具体的には以下の通り。
http://www.feministfrequency.com/2014/06/women-as-background-decoration-tropes-vs-women/
one very particular type of non-essential female NPC. Those specifically designed as a decorative virtual “sex class” who exist to service straight male desire.
「ゲームの本質と関係ないNPC、ストレートな男性の性的欲求を満たすためだけにデザインされたお飾りの仮想の『性労働者』」--実例としてはメジャーなオープンワールド作品に見られる売春婦、ヌードダンサーと言った描写が挙がっている。
So why does any of this matter? What’s the real harm in sexually objectifying women? Well, the negative impacts of sexual objectification have been studied extensively over the years and the effects on people of all genders are quite clear and very serious. Research has consistently found that exposure to these types of images negatively impacts perceptions and beliefs about real world women and reinforces harmful myths about sexual violence.
「そう言うものばかり消費していると、男女問わず現実世界の女性に対する認識が歪んでしまい、性的暴力に対する有害な誤解をいっそう強化する」というわけ。
(この指摘を是とするか否かはまた別の話だが)
Quinn氏の件を受けて、「俺たちのビデオゲームにケチをつける意見」として再着目され、バッシングがさらに強まり現在に至る。Sarkeesian氏も数々の脅迫を受けて自宅を離れている。
実際にユタ州大学での講演に対してゲーマーゲートを名乗り「銃を乱射する、大勢殺す」といった襲撃予告があり、Sarkeesian氏は講演をキャンセルしている。
ゲーマーゲートの主たる層は若い白人男性と考えられている。(FPSを好んでやるような層)
女性・有色人種・LGBTといった、いわゆるマイノリティのゲーム業界への参画を好ましく思っていない(してもいいが俺たちのゲームへの批判は一切許さない)という潜在的な差別意識がこうした破壊的荒らし行為の一因とも考えられる。
従来「ゲームにおけるマイノリティの描写に対する批判」に対し、ゲーマーたちの反応は「じゃあ自分でゲーム作れ」であった。
ところが実際にマイノリティ側がゲームを作ったら、その作者たちや、それを取り上げたジャーナリズムに対してソーシャルおよびリアル暴力で沈黙と撤退を強いている。
「現実世界の女性に対する認識が歪んでしまう」というSarkeesian氏の指摘がそのまま当てはまっている。
かつてマイノリティであったはずのゲーマーがマジョリティとなって、自分らに異を唱えるマイノリティを力で排除しているというのが今の構図である。そのくせ意識だけはマイノリティのままで被害者面をするので実にたちが悪い
twitterで回ってくるRTを見る限り荒らしが収まる様子はまったくなく、自浄作用が働くことは期待できそうにない。
30年、40年かけて培われたゲーム文化のレピュテーションを、当のゲーマーたちが自分の手で切り崩している状況を残念と言わずして何と言うべきか。
個人的には日本にあってあまり深追いすべき事象とは思わないが、この記事が事態の正確な理解に貢献できれば幸いに思う。
■参考リンク
http://knowyourmeme.com/memes/events/gamergate
http://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-taira/gamer-gate_b_6058692.html
フィギュアの総称は「Xboxファミリー」として、色々考えてみる。
基本となるソフト。
Xboxファミリーの3Dモデリングの観覧、内蔵データの読み書き、Xboxのアバターアイテム取得などを行う。
コルタナ
これはもうかざしたファミリーがキャンペーンで一緒に戦ってくれる機能でしょ!
HaloのCoopプレイは何故かフレンドでしか出来ない誓約があることが多いので、是非とも協力プレイする仲間が欲しいもんね。
コルタナが戦うわけにはいかないから、コルタナをかざしたときは別のことが起きる方がいいかなー。
その他のファミリーをかざすと、マルチプレイのアバターアイテムが出現。
対応したファミリーに応じたデザインが適応されて「マスターチーフ痛車」や「ステーブ痛車」で走れるってのはどうでしょ?
これもCoop的な要素かなー、過去の主人公達の力を借りる的な演出があうと思います。
そのファミリーに応じたテスクチャマップやスキンをアンロック。
○Gearsシリーズ
マーカス。
ドム。
これもCoopかなあ。
以外と面白い使い方が思いつかないな。