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はてなキーワード: 70年代とは

2018-04-06

またオカルトブームがおきないか

宇宙人解剖フィルムとか人類は月に行ってないとか、大人がマジに議論するようなやつ。

70年代のような盛り上がりはもう無理としても。

2018-03-06

少し分かるくらいか

https://anond.hatelabo.jp/20180306151637

邦楽だと90年代っぽい音っぽいとか分かる

洋楽は60と70年代じゃそこまで違い分からないなあ。80年代は音作りで分かりやすいから分かる。

90年代80年代とがっつり音作り違うし、ギターと音からしてガッツリうから分かりやすいよね。

ただ増田みたいに一年違いとかは全く分からないなあ。それは特技と言っていいのでは。

2018-03-05

anond:20180303064407

一般知名度はともかくオタ内での人気は本放送当時から非常に高かった。

でもって、ガンダム放送時(1979年)と比較すると、エヴァ放送時(1995年)にはオタ人口自体が格段に増えてる。だからガンダムの時と比較して一般層にまで波及するタイムラグは大してなかった印象。

***

ちなネットとの関連性で言えば、Windows95日本語版発売が1995年11月23日日本の本格的なWWWの普及はエヴァの本放送終了直後に当たる96年春ごろからで、ずばり時期がシンクロしてた記憶が。

***

あと老人会の余計な証言をつけるとな、エヴァ放送以前はオタ業界で、本気で「70年代代表するアニメヤマト/80年代代表するアニメヤマト/90年代代表するアニメセーラームーン」て評価してる奴いっぱいいたんだぜ、マジな。

そんぐらいコミケでのセーラームーン人気は高かった。

公立中学部活動強制された理由

 名古屋の市立小学校部活動廃止されると聞いたが、

公立中学校はどうだろうか。

 廃止はなかなか一筋縄いかないんじゃないか

 全国的強制部活が始まったのは70年代半ばからだ。

  • 校舎の裏~煙草ふかして~見つかれば~
  • 盗んだバイクで走りだ~す
  • 夜の校舎~窓ガラス壊してまわった

って荒れた中学生が多発した時代になる。

 彼ら彼女らの放課後と土日を「強制管理」する手段として部活が強化される。

中学校当局教師PTA協調しながらの施策だった。

 教育委員会など体制側が主導していたが、

との意味合いもあったから、日教組など左派教師賛同する。

 強制的部活動悲喜こもごもはいろいろと聞いたことがあるだろう。

 自分学校は、全員が部活動強制された。

 しかも、運動系部活に参加しない人間は、まともな扱いをされなかった。

(ちなみに吹奏楽部だけは運動部扱いだった)

 中学1年生の春、歴史研究部に入ろうとすると、

担任教師に「おまえの将来のためにならない」と説教された。

せめて卓球部……とまで言われたが、初志を貫徹した。

 歴史研究部では遺跡の発掘調査に参加して話題になったりとそれなりに頑張ったつもりだ。

 それでも、(運動部じゃないから)「部活動に熱心ではない」と本当に内申点を下げられた。

 志望校公立高へ合格するには、本番の試験リカバリーするしかなかったのを思い出す

 おっさんになると、管理する中学当局教師PTA立場理解できるが、

現場空気が相も変わらずと聞くと、なにか遠い目をしたい気分になる。

 部活動リスクが大きくなり、学校教師本音ではやりたがらない。

 逆に、部活動縮小に反対しているのは、PTAの一部の連中だ。

 そんな話を生で聞いていると、

公立中学教諭にならなくてよかった……」と改めて思う今日この頃です

2018-02-20

anond:20180220222513

70年代まで戻らなくても30年前でも課税所得2000万から住民税と合わせれば76%とられてた

あと当時と違ってIT化も進みマイナンバーも導入されたので脱税がしにくくなった面もある

日本貧乏人たちも後進国含めてグローバルな格差縮小したい奴なんかほとんどおらんだろうし

金持ち国外に出てくのは日本国内格差縮小の面では意外とウェルカムなんじゃないか

2018-02-09

最近の若者って「しばらくお待ちください」ってわかるの?

https://pbs.twimg.com/media/CSLYCiHUYAANulU.jpg

↑このまえアニメを見てたらこういうのが出てきてたけど、最近の若者ってこういうの見たことあるの?

俺が子供のころの70年代くらいはテレビ放送がいきなり途切れて、何分か「しばらくおまちください」って静止画像がでるのってちょくちょくあったけど、最近はそういうのないよな。

2018-01-31

備忘録 男はみんなロリコンだ2 Lolirights

ロリコン差別者の生まれ

1. ロリコン不安を抱く

2. 被害者意識のせいで不安が「怒り」に変わる

3. 精神病質傾向が強い者は「相手自分に怒っている!」と思い込む

4.「対抗して攻撃してもOK!」と思い込む

5. ロリコン差別誕生

本当に治療必要なのはロリコン嫌悪

子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見もあるが、

その場合、無断で性交したり、強姦以外で中絶手術したりする子供は、保護観察して、もう性交しないようにする必要が有るのではないか

一律に18歳まで自己決定権制限するのは正しいのだろうか。

子供には自己決定権が無いから、大人との恋愛は認められないという意見

子供が「自分LGBTだ」と言った時に、「あなたまだ子供だからLGBTではなく異性愛者だよ」と言うのか?

一律に子供権利制限して良いのだろうか。

pic.twitter.com/Nw3c4uF7hZ

人間の性は、ひとりひとり個人のものです。まわりの誰かがLGBTだったり小児性愛者だったとしても、それはその人自身自由生き方であり、プライベートなことです。それをからかったり、干渉したりする権利はだれにもありません。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

小児性愛者は自分選択して小児性愛者になったのではありません。同性愛者が同性愛者になりたくてなったわけでないのと同じです。

異性愛者の方が多数派小児性愛者は少数派というだけのこと。子供に対して愛情を抱くことは、異常なことでも、いやらしいことでも、特別なことでもありません。

在日犯罪者が多いというデマがあるが、仮に本当だとしても、在日というだけで差別することは許されない。

ロリコン犯罪者が多いというデマがあるが、仮にそういうデータがあったとしても、そのデータには隠れロリコンが含まれていない。

13歳以上への性的嗜好病気ではない=精神医学的には正常

マンガで分かる心療内科精神科カウンセリング 第十五回「ロリコンはどこから病気なの?」 http://t.co/GMX19DbB1b http://t.co/Nb3eYACRBV

近代になるまでは、人生が短く生殖が優先されたので、女性子供を産める12~15歳になれば結婚適齢期とされ、結婚させられた。

本来、男の本能としてはそのくらいから性の対象になるが、

性の対象として良い範囲は、社会的文化的宗教的に、相対的に変わるものだ。

アメリカで、初体験が13歳以前と回答したのは、

1990年代前半に生まれは、5.6%

1970年代前半に生まれは、10.2%

「近頃の若者」は親世代よりもはるか模範的であることがデータで示される https://t.co/EU6Mesgzi0

イランサウジアラビアなどイスラームの一部の国では、古典イスラーム法の通り、9歳を結婚可能年齢としている。

多くのイスラーム教国の法律では女性結婚可能年齢や法的同意年齢は医学的な性的成熟を踏まえ、15歳から18歳程度とされる。

イスラーム預言者ムハンマドは、9歳の少女アーイシャ結婚した。このときムハンマドは50代であったとされる。

イスラーム法において、女子は9歳で一人前(判断力を持った存在)とされ、大人に準ずる扱いを受ける。

#ロリコン

ロミオとジュリエット物語の1日目で互いに一目惚れ、2日目にはもう人目を忍んで結婚、そして初夜わずか5日後に自殺している。

年齢設定は、ロミオは16歳、ジュリエット14歳

#ロリコン

後醍醐天皇中宮、西園寺禧子は満12歳で懽子内親王出産した。

後醍醐天皇が27歳の時である

後醍醐天皇は #小児性愛

#ロリコン

#小児性愛者は差別用語ではありません

マリー・アントワネット14歳ルイ16世は15歳のとき結婚した。

カトリックでは交接をもって結婚完了とするため、13~15歳あたりで結婚する事が多い。

王侯貴族にとって、結婚正式ものとなるのは非常に重要な事であるため、床入りの際に、神父や見届け人が見届けていた。

豊臣秀吉が数え25歳の時に、数え14歳寧々と、当時としては珍しい恋愛結婚をしている。

武田信玄は満12歳の時に、13歳くらいの上杉の姫と結婚した。翌年に上杉の姫は、難産がもとで子と共に亡くなった。

豊臣秀吉武田信玄も #ロリコン

戦国大名前田利家20歳で、いとこの満11歳の少女「まつ」と結婚し、まつが満12歳になる直前に長女 幸姫を産ませ、合計11人の子を産ませた。

(まつ 1547年7月25日まれ、幸姫 1559年7月11日まれ

前田利家は #小児性愛

#ロリコン

ヘイトじゃないよ

仏教世界では女体は修行している男を惑わす魔物で、肉体関係を持つと汚れると考えられた

ってことで出てきたのが「稚児(ちご)」、12から18歳くらいの少年のことで、僧の身の回りの世話をする役目の子供のこと

稚児との肉体関係清浄になるとされて僧の性欲のはけ口にされてしまっていた

生理は、女性お腹の中にある子宮大人のものへと育って赤ちゃんを産むことができる身体になったという印。

生理のある女性sexしたいという欲望は、子孫を残したいという男の本能

マンガで分かる心療内科ロリコンはどこから病気なの?」http://yucl.net/man/255.html

今では社会的配慮されるべきとされるLGBTですが、中世ヨーロッパ同性愛死刑でした。

イギリスでは1861年まで死刑が科されていました。

アメリカでは2003年まで同性愛犯罪とする州がありました。

#ロリコン

#LGBT

#セクマイ

兵庫県高校の30代女性教諭は、男子生徒から学校での悩み等を聞くうち恋愛感情を持ち、放課後自家用車内でキスをしたり、互いの体を触ったりし、懲戒免職された。

教諭は「生徒の成長を妨げる過ちを犯した」と話している

http://ur2.link/zXDc

被害者いないのにね…

大阪市東住吉区で1995年に火災が発生し、内縁の夫により性的虐待を受けていた 11歳女児が死亡し、保険金目的殺人で服役していた母親青木恵子と、内縁の夫の朴龍晧が約20年ぶりに釈放された事件

時効でも、性的虐待は許されない!

http://www.akb48matomemory.com/archives/1043666048.html

老若男女問わず合意の無い性行為強要凶悪犯罪で、処罰されるべきです!

お互いに心から合意があれば、個人自由だと思います

合意できるか否かを年齢で区切るのではなく、どんな場合に心から合意を得たと言えるのかを考えることが、皆が自由笑顔で暮らせる一歩となるのではないでしょうか

オランダでは、1991年に刑法247条が改正され、16歳以上でポルノ出演、性行為適法とされ、互いの同意があれば12歳以上でも性行為適法となりました。

「禁じるよりはオープンにしてコントロールしよう」という、麻薬売春と同じ系列での考え方です。

1970年代初頭にオランダデンマークポルノが解禁されると、そのサブジャンルとして児童ポルノもまた出現しました。

1970年代日本少女ヌード写真ブームの幕開けで、売上部数20万部を超えるヒット作も複数出版されました。

Santa Fe(サンタフェ) 」

宮沢りえ撮影17歳)ヘアヌード写真集 篠山紀信撮影朝日出版社1991年

神話少女

栗山千明撮影11歳)ヌード写真集 篠山紀信撮影新潮社1997年

ヌード写真トラウマになることなく、立派な女優に成長されました。

少女愛運動は、少女愛存在社会肯定的に受容させ、少女愛性的虐待犯罪に密接にリンクさせる社会的偏見を除去などを目的にした活動

体罰強姦誘拐性的搾取にも反対している。

オランダにおいて1970年代発祥70年代後半に英米にもいくつか存在するようになった。

時々パクツイをしていますゆうきゆう先生のとか色々。素晴らしい意見だと思ったからですが、botRTされると迷惑ではと思ったので…

女性が、年上の男と恋愛した方がいい心理学的な理由https://t.co/myYzNt5hbu https://t.co/zKi7hQCku3

2018-01-07

それでも、なんだかんだ成人式って行ったほうがよくない?という話

副題:イケてない人間成人式をどう迎えたらよいのか?

大学の同期が成人式をむかえる前に書こうと思っていたが、結局こんな時間になってしまった。

この時間になって成人式ねーうん・・・みたいに思ってネット見てる人間が見ればそれでいいや。

成人式に行かない人って、いったいどんな理由があるんでしょうかね」というのは、改めて考えてみるとこれがいまいちよく分からない。

あるいは自分がなんだかんだ言って結局行った方の人だからなのかもしれないが、行くのを結局決めたのは前日の夜になって「ああやっぱ行こうかな、一応準備だけしておいて寝坊したらあきらめるか」といった具合でいたら当日きっちり目が覚めたので、ええホントに行くの俺?みたいな思いを抱きながら行ったという有様だったので、その辺のところ行くまではかなり割れていたのだが、実際行った後になってああやっぱ行ってよかったなとなるような強い価値観の変化があったので、そのあたりのことがいまいちよく思い出せないし、結局行かない側の人ではなくなったので、行かない側の人としての物言いをしなくなったからだと思う。

というのも、その成人式人生三回目のセンター試験の一週間前だったし。

その頃の自分に何があったかというと、まあなんだかよくわからないことになっていた。少し本題とずれるので、結論だけ見たい人は読み飛ばして構わない。

単にシンプル物言いで表したり表されたりしたくないだけなのかもしれないが、一年目も二年目も、センター利用で受かった大学にそれぞれ親に入学金と半期の学費それから半期の休学費用をハタかせておきながら大学受験をおかわりしていたかである

結局一度目はもっと高いランク大学に行きてえと抜かす自己肯定感の欠如と、それでいて自分の有様をよくわかっていないが生きる上では大切な若者特有の貴重な熱意を、18,9年生きててそれだけしか身に付けなかったんかとばかりの崇高な偏差値という単線指標に振り向けて、それさえ達成できればこれまでも中高大と一度たりと第一志望というものに受かったことのない過去自分の救済になると信じて突っ走ったものの、大元問題が何一つ解決されてないがゆえに何一つ解決するはずもなく、終盤完全に行動の伴わない支離滅裂メンヘラという訳の分からない人になりながら本試は全て落とし、所属するが故の苦い部分から解放されもはや生きてるだけで自己肯定感補填できる依存先と化していた元の大学と、唯一受かった1ランク上の、しか受験が終わった後になってどうやら自分本来大学でやりたいと思っていたものと違うらしいということが分かった大学のどちらにすればいいか迷っていると口にし親父を激怒させて終わった。

二度目のほうはもはや凄惨と言う他はなく、元の問題、つまり自己肯定感の欠如であるとか偏差値以外の指標を実のところ持ち合わせておらず、大学受験というそういうことの最後の振り分けが終わった後でじゃあ自分が何をすればいいのかがわからない、自分に好きなことややりたいことがあるんだかないんだかわからない、ましてそいつを新しく見つけ出すこともできちゃいないし、前の大学の専門や多分野性は楽しかったし、自分のやりたいことのような気もしていたがそいつ自分でかなぐり捨ててしまった。そうこうしているうちに時間は過ぎ、周囲にいる一つ年下の人間はめいめいにそれを見出したり、あるいはそうでなくても仲間を見出していく。新しい人間を迎えるムードチャネルは閉じていき、ただ一人、コミュニケーションに長けているわけでもなく、まして19になって未だ携帯電話さえ持ったことのない現代人にあるまじき自分人間関係からも完全に弾かれたまま過ぎゆくただ時間に溺れ流されていた。前期の単位は夏前に再受験が決まって期末を受ける必要もなくなっていた前の大学のさえ下回り、初めてのバイトもクビになり、夏が終わるころには高校のころ深刻であった鬱状態が完全に再発状態となり、対人恐怖に加えて社会恐怖に陥り、狭いキャンパスの狭い学科で知っている人間と会うのも、知らない人間がそれぞれ彼らなりの為すべきことや適応見出しているさまを目にするのも耐えられず、大学は来てもまともに講義に出ることもなく普段人の来ない大学非常階段で横になりながら、人の話し声や足音におびえ、ただ一日中耐えぬ眠気と抗うつ薬副作用からくる体調不良でくたばっていた。

そのような状況を見かねてか、というより、自身家族学生相談室もお手上げ状態と化しており、少時に発達障害でかかっていた大学病院心理士やら全落ちした中学受験時代予備校先生にまで話に乗ってもらい、しまいに温情で元の大学に戻るなり、また別のところに入りなおすなり、リセットの機会を与えてもらったというのが11月、という有様であった。

というような具合だったので、高校を出てから二年間の間で、自分人生高校を出るまでは同期で同い年の(自分の周囲にいた)人間が辿っていたそれからは大いに逸脱していた。

二度目の大学の同い年の同期とも、ましてや歳の違う同期からも逸れていた。少なくとも、当時の自身にとってはそうだった。

もとは転勤族で住んでいる地元にそれほど愛着があるわけでもなく、昔から付き合いのある人間もいない。親類ですら、精神物理的に最も長い付き合いがあり、肉親としての付き合いらしさを覚えはじめていた爺さんは最初大学受験の途中で突然死した。ましてや住んでいるところの人間など、地理的なり関係性的になり分断が続いたので、初めて親しいらしき人間関係が三年を超えたのは、電車で一時間高校を出てからのことである

↑以上読み飛ばし

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↓読み飛ばし

そんなわけで当時の自分は、血縁地縁または精神的な人間関係という側面において、また学年や同期など社会的地位としての側面において、そして以前より自分が持っていたイメージ(と現状との乖離)という三つの面において、一般的な「20歳」という存在から離れていた。(すくなくとも、当時はそう自覚していた)

はい成人式ハガキというものは、本人のそうした事情自意識とは全く関係なく、ただいつ生まれてどこに住んでいたかということ以外何一つ問わず、だれの元にも届くものである

ハガキが届いた時点で、すでに自分人生が同年代の多くの人間が歩んでいるのと同じような人生など望むべくもないと思ってはいても(事実そうだとしても)、である

これは生まれ20年の1月を迎えるまでの経緯がどんなに平凡であろうが特殊であろうがおそらく同じことだが、成人式というものは、義務教育を終えた人間に来る、「ただ同じ年(度)に生まれたというだけで世間から全く同じ扱いを受ける」最後の機会だろう。ひょっとしたら最後ではないかもしれないが、少なくとも当分同い年というくくりではこれほどの等しさと無差別性を持った体験をする機会はないだろう。たとえ義務教育をどっかでドロップアウトしようが、義務教育後に社会に出ようが、小中高のどっから私立なり特殊学び舎に通っていようが、あるいはそういうことのなかろうがである

分かりやすいので義務教育を例にとってはいるが、それ以外であっても人間この国で20年も生きていれば意識しようがしまいがなんがしか本人なりの本人しか持たない(あるいは似たような人しか持たない)部分というものが出てくるものだし、そんなことはないと思っていてもそう思えること自体がそうである

これは多分行く前はあんまり分かりにくいことだと思うが、ともかく成人式というのはそういうもの可視化してくれるこの上ない機会だと思うんすよね。

自分が変わっていようが、あるいは変わっていなかろうが、それがどう変わっていて、どう変わっていないのか。会場に集まった普段どこに住んでたんだみたいな70年代珍走団の生き残りみたいな連中やら、無数にいるスーツトレンチコート羽織った黒い大群やら、量産型みたいな晴れ着の女やら、(ときキンキラキンの)紋付袴決めた男達やら、そこにいる連中すべてがまぎれもなく自分と同い年という光景は、少なくとも成人式以外にあるまいと。自分が前日にやっぱ行ってみようかなってなったのは、そういう風な光景って実際どんななんでしょってのを見てみたかったのが一つある。これ考えても実際に見てみないと絶対からないぞと。少なくとも、行ったことは何かの話のタネになるが、行かなかったら何にもならない。あとでやっぱ行けばよかった、がシミのように残ると思った。

成人式ハガキをなくしたのならなくしたと言えば現地で何とかなるし、着ていくものがないならまぁ少しでもちゃんとしてそうな格好をしていけばよいだろうし、そういう成人式だってあってもよいだろう。別に地元友達がいなかろうが、それはそれで自分にとっての成人式はそういうもので、そっから見える光景というものがあるだろう。ひょっとしたら、意外な出会いというものがあるかもしれない。俺の場合は誰一人知り合いとすれ違うこともなかったが、それはそれで面白かった。久しぶりにでも会いたくないやつがいたとしても、そいつと会うのはその日が最後だ。遅刻したって別に会場に入れてくれないということはないし、まあ既に終わってても贈答品くらいは貰えるだろう。

いずれにしても、成人式に行くことによっぽどの、それこそ生命危機が伴いでもしない限り、積極的に行かない理由をひりだすことはないんじゃないか

仮に生命危機があっても相手少年法適用外だ。別に贈答品目当てだってよかろう。地方によっては金券まであるらしいし。ぶっちゃけ、ほかの自治体のでも潜ってる人はいるし、そういう手もあるだろう。

成人式という上に述べたような場で何が起こるか、あるいは自分にとっての成人式がどういう場で、どういう体験をしたかってのは、これまでの自分を同じ年齢の違う人間という物差しで照らし合わせて改めて見直すことができるいい機会になりうると思うし、あるいはこれから自分がどうするかを決める上で一つの観点を得られる機会となることもあるだろう。

俺の成人式の話をすると、その日の朝は普段より早く起きて、普段予備校に行く格好のまま家を出て、最寄り駅のトイレカバンに忍ばせたスーツと革靴(最初大学入学祝い)に着替えて行った。

贈答品は会場に一番近いマクドナルドクーポンなのは事前情報で知っていたので、特に期待はない(要らねえけどなんかムカついたから二枚使った)。

日本で最も規模のでかい成人式ひとつなので、夥しい人間がいた。その中で明らかに事前の期待を裏切ってよかったこと・面白かったことが3つと、クソだったことについて書いて終わろう。

まず前座で良かった点、開式の国歌市歌斉唱。これは完全に盲点だった。いや、人生であれだけの人数で国歌市歌斉唱するという機会は以前もなく、おそらく今後もそうないだろう。規模は地元によって変わるところなので一般化はできないが、大勢国歌だとか市歌だとかをまともに歌ってみるというのは、歌というもの(または斉唱)が持つ効果について体感することができたし、本人の政治的スタンスによって様々に見方があるものだと思う。

クソだったのは、少しは面白い話するかとほんのちょっぴり期待していた林文子(市長)が死ぬほどつまらない話しかしなかったこと。マジで役に立たねえ話しねえ。1行で要約すると

携帯電話が普及して直接コミュニケーションをとれる機会が私たち世代より減ったと思うので密接な人間関係を築けるよう頑張りしょう。」

いやもっと役に立つ話しろとは期待が高すぎたかもしれんがせめてなんかそれについて掘り下げた話はできないのかよなんだそのお手本みたいなお年寄りのお手本トーク・・・というもの。これはこれで、ある種の貴重な機会かもしれない。毎年使いまわしてる可能性があるから横浜市民は要チェックだ。

輪をかけてクソだったのがその次の新成人スピーチ。まあ新成人代表なんぞに選ばれてスピーチを打つやつはまず間違いなく模範的成人みたいなやつかそれに類するものだと思っていたのだが(それ以前のスポーツ選手みたいなのの紹介とかもそうで)、そいつの語り口が聞いていて気に食わなかった。正直後のインパクトで話してた内容をあまり詳しく覚えてないのだが、まあ今はボランティアかいろいろやってます系の大学生自分人生を語るというものだったんだが、その途中で(当人人生実態としてどうであれ)妙に「こいつスピーチの話術として落としをやっているな?」というところがなんか聞いていてイラついてくるのである。「いじめられもしました」の言い方が湿っぽいんだよなんか。でもお前いい人に囲まれててよかったねいい人生だねと市長スピーチに続いて半ば来たことを後悔し始めたのだが、ここからがとてもよかった。

乱入である

これは行く前と行った後で最も価値観が変わったこである。かねてから成人式乱入というものはまぁおよそまともなものではないと思っていたが、しかしその場ばかり、その場の自分にとっては違った。

むかし怪獣特撮怪獣が町を破壊するシーンで喝采があがったとかいう話が少し分かった気がした。

成人式というのは、その主役は新成人である。そこにいる、会場に座っている全ての人間が主役である。彼らの社会的日向日陰此方彼方近郊遠方、全てを問わずしかし彼らのものであり、選ばれた新成人と、一世一代の晴れ舞台乱入を試み壇上へ駆け上がった名も知らぬ煌びやかな和装姿の彼と、私と、あるいはすれ違うこともないがしかしそこにいるはずの知人どもとの間に、いったい何の違いがあるというのか。誰が彼と彼らと分かちうる権利を持ちうるのかと。成人式とは、生きてきたこと、為してきたことの如何を問わず万人がそこにいる場ではないのかと。

ひとり私は拍手し、心の中で喝采をした。壱萬の大群と自ら選んだわけでもない代表者という構図の中に包まれていた会場を破戒し、否、そうではない、と示した彼の姿に。

そのように見出した彼の姿に心打たれ、ある種の感謝と、自らの肯定を覚えたからだ。彼の行動によって、万人の場としての当市成人式は成立をなしえたのだから

最後に。これは来ていちばんよかったと思えた光景なのだが、式が終わって駅に行くまでが死ぬほど混んでいたので見物感覚で大回りして駅の空いてるほうに向かっている途中、まあいかにもあまり中学休み時間窓際で話してそうな感じのイケていなさそうな感じの風貌のダウンジャケットの男二人が、しかし久しぶりに会ったと思わしき感じで、いかにも久しぶりにやるその頃の二人のやり取りという感じで楽しげに歩いている、その光景を後ろから見ているときだった。

こういう成人式も、あるのだと思った。

2018-01-06

anond:20180106142509

若者保守化と言うと盛りすぎだが、まあ若い子の中に保守化していく人らはいる。

その人たちは、政治とか思想がどうのという以前に、もっとカジュアル左派に反感、右派に好感や共感を持ってるように感じる。

それで考えたんだけど、若者がそう感じるのは経済とかの影響もあるけど、昔っから言われる「若い世代反体制になりやすい」っていう原則のまんまなんじゃないか

なんで反体制保守化なのかというと、この場合反体制は反教育からだ。

70年代後半~90年代まれくらいの世代だろうか、彼らを支配してきた「体制」は、「政権」ではなく「学校」や「親」や「テレビ」など「教育」だった。

そこで教えられるのは、人に優しく、思いやりと助け合い自己犠牲調和謙虚戦争への反省武力忌避、驕らない、政権批判などなど……

保守自民党政権でありながら、なぜか学校などでは現在左派が主張してるような内容が教育され、そして若者自分たち支配してきたそれに反発しているように見える。

一時期、日教組ネットでめちゃめちゃに叩かれていたが、あれは日教組若者にとっての「体制」だったのだろう。

なんせ地方によっては、現在存命の日教組OBが「わが県の教育歴史中央との戦いの歴史だった」というようなことを言ったりしている。

教育反体制だった。だからそれに逆らう若者は反反体制となり、それが結果として保守になっているという流れがあるのではないか

2017-12-20

80年代日本が輝いて見えるプロダクトを教えてください

80年代日本の文化は、70年代文化不思議な断絶を示していて、さまざまなものが一気に垢ぬけるというか、アメリカナイズされて、経済的な力を背景とした自信のようなものに満ち溢れて、輝いているような気がします。

もちろん、いまから見るとダサいものもあると思うのですが、さまざまな面で独特の格好良さがあるようにも思います

80年代に作られたさまざまなものを見て、それをいまの時代に取り入れたらどうだろうかと思っているのですが、いかんせん知識がありません

80年代青春時代を過ごした人でも、それ以降の世代の人でも、これはよいと思うものがあったら、教えてほしいです

私がこれまでに見つけたもの


などです



https://anond.hatelabo.jp/20171220010102

2017-12-11

月蝕歌劇団をまた観に行った記録

なんか、ひょんなことから月蝕歌劇団(という小劇団が都内にあると思ってほしい)の公演を見に行って、それ以来なんか芝居づいている。

これまで演劇なんてぜんぜん興味がなかったのに。

いくつか劇場に足を運んだところで、もう1回くらい観ればもっと色々と見えてくるものがあるかと思い、また月蝕歌劇団に足を運んでみた。

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演目は『ねじ式・紅い花』と『盲人書簡−上海篇』の2本立て連続公演

(前回の観劇の記録は

https://anond.hatelabo.jp/20170925212923 

 を参照のこと)

ということで、自分のログを兼ねて、また観劇記を残しておくことにする。

御用とお急ぎでない方は、しばしお付き合いを。

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ただし。

自分は舞台観劇についてはとことん素人なんで、これから書くのは、通りすがりの素人が見た印象批評くらいのつもりで、紹介文としての情報は期待しないでほしい。

(というか印象批評というワード小林秀雄みたいで偉そうだな。ほんとに感想文くらいの感じで、ひとつ

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■全体として

歴史の長い劇団というのは知っていたけれど、今回は公演100回記念とのこと。

で、旗揚げ時代からのライバル劇団その他のビッグネームが集結した大プレミアム公演だったらしい。

普段は若い女性主体の “少女歌劇団” っていう感じの劇団なんだけど、今回はキャストの年齢が大はばに高めだった。

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ちょっと変わった構成をしていて、1つのシーズンというか公演期間を前後に分けて、2種類の演目を上演する。

さらに各演目について前座というか露払いというか、出演キャストの歌唱ショー、寸劇、詩の朗読その他をまとめたパフォーマンスとして “詩劇ライブ” というのがある。

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なので、フルで鑑賞すると1シーズンで合計4演目。

これを多いと思うか、アリだと思うか。

いろんな作品世界が見られてオトクだとも言えるし。

リハーサルシナリオ練り込み等々のリソースは分散されるから内容的に落ちるものになるかもしれないし。

自分が見たところ、器用な高能力キャストと、まぁそうでもないキャストでうまく仕事を振り分けて、不満を感じさせない作りにしている感じだった。

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順番に見ていってみると。

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■前半の前座『詩劇ライブ メメクラゲ』(11月19日

先に不満点を言わせてもらうと。

演目『老人と子供のポルカ』の歌唱。

左卜前役のベテランキャストカンペ片手に左右のキャスト(岬花音菜、慶徳優菜)を振り回して大暴れ。

休みなく次の曲『本牧メルヘン』が始まり、そのまま岬花音菜がマイクを握るが、息の上がった彼女にはキーが低すぎた。

おかげで貴重な戦力(岬)を空費。

トリの白永歩美キッチリと『バフォメット(と、あとなにか悪魔がもう一柱)の歌』(詳細不明)で締めてくれたのが、せめてもの救い。

それにしても、あの大狼藉は、ハプニングプロットか。

ハプニングなら再発防止策を取ってほしいし、プロットなら、申し訳ない、あれに快哉を送るハイなセンスは自分は持ち合わせていない。

しかし。

詩劇ライブというのがファンミーティング同窓会だというのなら。

いとしの大スターがいつにないハジケっぷりを開陳したほうがファンサービスとしてのお値打ち感は高いのかもしれない。

と、思って周囲を見回してみると、自分と同じか、あるいはさらに年配の観客がホクホク顔で舞台を見守っている。

ハテ、招カレザル客ハ自分ノホウデアッタカ。

うん、わかった。

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■後半の前座『詩劇ライブ 暗黒少年探偵団』

詩劇三傑(←たったいま自分が決めた。はるのうらこ、岬花音菜、そして白永歩美の3人)のパフォーマンスたっぷり見られたので実に良し。

はるの嬢は前回と同じギター伴奏かと思ったら、ギターからキーだけもらって、ほぼ独唱。それでいてピッチは正確、ハイノートも申し分なく出ていたし、なんというか、 “このヒト、ひょっとして劇団の隠れた屋台骨なのではないか?” という予感がさらに強まる。

(↑それは本編でガツンと証明されるんだけど)

なぜ合唱のときは控え(それはもう、あからさまな控え)にまわるんだろう?

リハーサルの負荷をソロに集中させるためか。

岬花音菜はカッパの舞。そして小阪知子を舞台に引き出してカッパの相撲。

あいかわらず、この人は歌って動いてが実に良い。

そしてトリは白永歩美

朗読、歌唱と大活躍。

いつ見ても、この人は安定しているなぁ。

はかなげで、あやうげで、その状態のままガッチリ安定しているという不思議キャラクター

そういえば『Those ware the days』に日本語歌詞をつけたものを歌ってたんだけど、受付で立ち読みしたセットリストにそんなのなかったぞ、と思って調べてみたら、『悲しき天使』なんていう日本語版があったのね。

知らなかった。

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さて本編。

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■前半の本編『ねじ式・紅い花』

つげ義春の原作、『ねじ式』『紅い花』『女忍』『沼』『狂人屋敷の謎』をまとめて1つのストーリーにしてある。

実を言うと、前回の公演を見たあとに、某氏から、

「なに、月蝕歌劇団が面白かったって? それじゃアレだ。主催の高取英のアレ読んどけアレ」

といって勧められたのが、『聖ミカエラ学園漂流記』(小説版と戯曲版)。

前回の公演を観たときに、

「この人の持ち味は “奔放に見えて実は緻密な複数世界のマッシュアップ” だろうな」

と感じていたのが、この本で確信に変わったのだけど。

原作が2作品や3作品なら、例えば2つの世界の登場人物呉越同舟で共闘する、みたいな展開もあり得るけど、さすがに5作品同時となるとメドレー形式にならざるを得ない、という感じ。

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さて、もう1つ、高取氏の特長と思ったのが、ストーリーに必ずクライマックスを用意する、という点で。

(それが、エンターテイナーとしての氏の本性によるものか、それとも “客にはなんとしてもカタルシスを持ち帰ってもらわないと次につながらない” という興行師としての冷徹な計算によるものか、そこまではわからない)

それが、つげ義春の茫漠としたアンチクライマックスな世界とどう折り合いをつけるのか、そこに興味があったんだけど。

これが『紅い花』を中心に最小限の改変を加えただけで、見事に全ての原作が一斉に収束に向かうオチといえるオチになっているのは、さすが。

最後にはねじ式青年が『パーマー・エルドリッチの3つの聖痕』(P. K. ディック)みたいに無限増殖するあたりの幻想テイストが高取氏らしい。

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あと、前回公演みたいな「身捨つるほどの祖国はありや」的な大きな主題は今回は抑制されている。

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助成金云々の楽屋落ちは生臭いので忘れたことにする。

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そして、この劇団特有の時間がゆがむ感覚をまた味わう。

今回は、サヨコの祖父の楽屋オチ的な台詞。

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「最近、嵐山光三郎が書いたんですがね、松尾芭蕉は忍者だったんですよ」

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えーと、嵐山光三郎の “芭蕉忍者説” は2000年代なんですが。

高取氏の作品世界が戦前、戦後、昭和30年代、1960年代1980年代みたいに複数の時代を放浪するように、劇団自体も、60年代80年代、そして2000年代の全ての時代に存在しながら、どの時代にも存在しないような不思議立ち位置

それが、この劇団の持ち味でもあり。

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あ、あと、狐舞の意味がやっとわかった。

なんのことはない、 “ここから現実感見当識がゆるんで、心象風景と象徴劇が始まりますよ” という演出効果だ。

多色発光LEDを掲げた葬列も、夜光塗料の試験管をもった少女たちも、おそらく同じ。

少女漫画で「なんでクライマックスに花びらが飛び回ってるの?」とか訊かないでしょ? アレと同じだ。

そういえば、最近の子供は漫符(怒りの青筋とか緊張の汗とか)がわからないケースが多いらしい。

つまり自分は月蝕の鑑賞において子供だったわけだ。

というあたりで。

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そして、問題の↓

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■後半の本編『盲人書簡−上海篇−』

あー、うん。

むかし『草迷宮』(寺山修司)を観て途方に暮れたことを思い出した。

あるいは、さらにむかし『原始人』(チャーリー・ミンガス)を聴きながら、

「これは良い音楽なんだ、良い音楽なんだ、みんながそう言ってるから良い音楽なんだ」

と歯を食いしばっていたことを思い出した。

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はっきりしたこと。

自分に “前衛” を受け止める感受性はない。

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それでも、なんとか受容を試みてみる。

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(1)1930年代の第二次国共合作を背景にした不穏で混沌とした上海共同租界。

(2)明智小五郎小林少年という、戦前・戦後の言ってみれば “陽のヒーロー” をどす黒く改変したキャラクターと、堕落した母親としての小林少年の母。

(3)白痴の少年と娼窟の姉妹がからむ、不快にユーモラスな人物群。

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この3つの人物群を主なストーリーラインとして、失明した小林少年を中心に “目明きと盲(めしい)、世界が見えているのはどちらか” という問いを主題として話はすすむ(ように見える)んだけど。

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途中、影を喪失した少女、みたいな挿入話をはさみながら、ひたすらグロテスクストーリーとも言えないストーリーの断片が続く。

クライマックス小林少年と恋人(?)のマサ子の再開を中心にしながら、全てが虚構の中の虚構、悪夢の中の悪夢、という入れ子の構造をあからさまにするところで、唐突に終わる。

最後の最後には第四の壁も突破して現実のキャストの名前まで出てくる。

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うーむ、書いておいてなんだが、なんの説明にもなっていない。

ねぇ、寺山修司って、ホント70年代80年代青少年カリスマだったの?

(今度、『書を捨てよ云々』でも読んでみるか……)

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可能性としては、今どきの若者がP. K. ディックやら筒井康隆やら読み慣れてるせいで、 “崩壊する現実” やら “虚構の中の虚構” を普通においしく摂取しているのに対して、当時はその種の超現実的な幻想悪夢ワールドが知的にトガった青年だけの愉悦であったとか。

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ま、さておき。

これ以上はどうにも言いようがない。

自分にとって確かなことは。

高取氏オリジナルの作品、脚色作品のうほうがずっと面白い

ということ。

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さて。

キャスト、演出その他については、以下の通り。

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白永歩美

女忍コジカの息子、宗近と小林少年を好演。

このヒトが、登場するだけで舞台が猟奇的ビザールな空気になるような、言ってみれば “嶋田久作” 的な怪優でありながら、それでいて結構な美人サンである、というのは劇団にとって大きなアドバンテージなんじゃなかろうか。

劇団のカラーを一人で体現しているような。

ビジュアル、演技、歌唱、トップの名称は伊達じゃない、って感じ。

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というか。

実のところ、トップというネーミング自体はどうでもいい。

それがプリマドンナでもソリストでもエースでも四番でも同じことで。

その種の人に求められるのは才能でも鍛錬でも、ましてやプロデューサーディレクターの寵愛でもなく。

それは「いつ、いかなるときでも、自分が前に出ていってなんとかする」という思考形態だと思う。

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例えば才能、というか生まれつきの資質なら。

前回の公演には高畑亜美という彼女に負けず劣らずのビザール美人さんがいた。

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例えば技能なら。

前回の公演で、白川沙夜というキャストは、ストーリーテラーコメディリリーフ、仇役という3つの仕事を3本の腕で同時につかんでブンブン振り回して大暴れしていた。

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でも、彼女たちは今回はいない。事情は知らない。

いっぽうトップには「事情により今回は出演しません」という選択が無い。

脚光も浴びる、注目もされる、そのかわり劇団の出来が悪ければ矢オモテ、火ダルマ、槍ブスマと。

群像劇主体の劇団で、ある程度は負荷が分散するにせよ、あの細っそい体にかかっている重責を想像すると、なんというか、なんというか。

長くなった。

ともあれ、健康にお気をつけて。

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■川合瑞恵

前回までは “作りようによっては、いかめしく見える” ビジュアルを活かしたワンポイント役だったのが、今回は『女忍』パートのキーとなる女忍コジカに大抜擢。

これが大根だったら目もあてられないところを、実に器用に演じきってしまった。

本職はモデルさんだと思ってたんだけど。違うの?

芸能関係って器用な人が多いのよね。

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■岬花音菜

演技はさておき、まずは狐舞。

今見ているのがカラダのオモテなのかウラなのか、腕なのか脚なのか分からなくなってくる超絶変態空間機動がひっさびさに大炸裂!!

これだ! これが観たかった!

いや、じつは、このところモヤモヤしていた。

「いや、たしかに踊りも歌も演技も良いけど、ここまで追っかけるほどか?」

でも、たしかに思いちがいじゃなかった。

ほんのちょっと前のことなのに、忘れかけていた。

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そこには、たしかに岬花音菜がいた。

およそ2ヶ月前、片目の猫の舞で自分の脳味噌をブチ抜いた岬花音菜が。

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ちなみに。

あとから取材を試みたところ。

あの一連の動きは、ボランティアアルバイト?)のダンス教室で子供たちに最初のウケを取るために編み出した動物踊りがオリジナルだとのこと。

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するとなにか。

自分の鑑賞眼は子供レベルか。

まあいいけど。

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というか、彼女の狐舞に視線をもぎ取られ、ねじ式青年と女医のベッドシーンの大半を見逃していたことに、劇場を出てから気がついた。誠に申し訳ない。

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さて。

キャストとしては『紅い花』パートのシンデンのマサジ、『盲人書簡』で白痴の少年を担当。

この演技、周囲の評価はウナギ昇りだろう。

じっさいTwitterを中心にネットを見ると、彼女と慶徳優菜の評価はウナギ昇っている。

ただ。

自分としては評価は保留としたい。

なぜって?

あまりに、あまりにもハマり役すぎて、いま見ているのがキャラクターなのか、それともキャスト本人なのか、観劇素人の自分には判然としないから。

(これ、自分の中では笠智衆と同じ位置づけだ)

大竹しのぶアニーを演じたり、同じ劇団でいえば白永歩美ピーターパンを演るのとは、意味が違う。

『紅い花』ではプレ思春期の少年のいら立ちを、『盲人書簡』ではスケベなアホの子を、と、いろいろ打ち出しているのは分かる。

分かるけど、いずれも、まずは本人あっての効果であって。

このあと彼女は “月蝕きっての永遠の少年役” として存在感を増していくのだろうか。

それもアリだと思うけど。

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■慶徳優菜

『紅い花』キクチサヨコ役。

昭和の山村、思春期の少年の心に思い描くマドンナ

うん。もうずばり田舎のマドンナそのもの

だけど彼女の評価も保留。

理由は岬花音菜と同じで本人そのものだから。

その意味では、娼窟の妹と小林少年の想い人のほうが、本人のポテンシャルがよく分かる気がする。

そっちの方はというと、うん、悪くない。

ただ、これは自分の思い込みかもしれないけど。

なんというか彼女は “月蝕、次世代プリマドンナ育成枠” というのに完全に入っている気がする。

この直感が正しければ、それはおそらく本人の十分な資質と劇団の目算があってのことだろうけど。

なんかモヤっとする。ほかの新人も若手も、ひとしく頑張っている(ように見える)のに。

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はるのうらこ

なんというか、詩劇ライブのときは “ひかえめな、でもシャレのわかるおねーさん” というオモムキの彼女。

キーとなる配役のキャスティングが多いから、信頼の厚いキャストなんだろうな、という以上の認識はなかったんだけど。

(そしてそれは、ねじ式青年という大役を見ても動かなかったんだけど)

これが。

『盲人書簡』娼窟姉妹の姉役。実にすごい。

あのフワっとしたキャラが、女の嫌なところを全部集めて煮詰めたようなキャラクターに大変身。

慶徳優菜をサポートに娼窟パートカラーというか空気を完全に支配していた。

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あと、些細なことだけど。

キーアイテムとなるタバコチャイナドレスに入れ忘れたか、取り出せなくなったか。

取り出そうと悪戦苦闘して2秒。

見切りをつけてアタマの中でプロットを切り替えるのにコンマ2秒。

架空のタバコをふかして場面転換の決め台詞につなげるまでの時間の空費がわずか2.2秒。

はるの氏にとっては迷惑な賞賛かもしれないけど、ここの所作の切れ味に地味に鳥肌が立った。

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■宍倉暁子

彼女が登場すると、そこだけ別の照明があたってるようだった。

さらに今回の千本桜ホールより少し大きめの劇場向けにチューニングされた、よく通る発声。

今回集結した “夢のベテラン勢” の中では、彼女が出色だった。

彼女だけは気になって調べたら、舞台を中心にTV、映画と活躍の現役大ベテラン

たしかに分かる。

自分の外見と所作が人にどう見えるか、何十年にもわたって掘り下げていないと、ああは行かないと思う。

『紅い花』では漂泊の釣り人。すこし困り顔の茫漠とした旅客でありながら、マサジのカウンターパートとして要所を締める。

『盲人書簡』では軍人と密通する小林少年の母として、実に汚ならしい堕落した母親像を体現。

教科書的に言えば寺山修司の作品世界に通底するコンプレックスというかオブセッションというか、ともかく “その部分” を実に彼女一人で背負って担当していた。

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大久保千代太夫

今回最高の当たり役の一人。

犬丸は尾張織田と敵対している設定だけど、人物造形はおそらく美濃のマムシこと斎藤道三ベースだと思われ。

自分に襲いかかった刺客を手籠めにして側室にする一代の梟雄らしい悪太郎ぶりと、戦国武将の透徹した死生観が、もう全身からみなぎっていた。

『盲人書簡』の方は。

うーん、自分の中では “生ける舞台装置” としての黒い苦力(クーリー)の集団は、なんというか、全員が均質な筋肉質の没個性の集団だったんで、あの巨躯が逆にマイナスにはたらいた気がする。

こればっかりは、いたしかたなし。

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■小阪知子

影の殊勲者にして功労者

前説とカッパ相撲のときから(自分の見立てでは)この人は切れ者だろうな、と思ってたんだけど、今では確信に近い。

馬鹿をやる、それもビビッドに馬鹿をやれる人間は、なんというか、切れる。これは自分の持論。

自分が見るかぎりでは、月蝕歌劇団キャストベテラン高位職者(?)には2つのカテゴリがあって。

1つは白永歩美、岬花音菜のように “スタア” 役を仰せつかってスポットライトを浴びる職種。

もう1つは、前回公演の鈴乃月葉や今回の彼女のように “ひとり10役をこなしてストーリーラインを維持する” という重責の担当者

月蝕歌劇団は後者の高能力キャストがいないと成立しない。

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■若松真夢

薄い眉、暗く沈んだ眼。白永歩美が陽のビザールだとしたら、彼女は陰のビザール美人。

もっといろんなキャストで見てみたいと思った。できれば和装で。

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城之崎リアン

詩劇ライブのみに登場。OGか。

男装の貴公子然とした男装の貴公子。うん、貴公子

そりゃ、男女問わず固定ファンガッツリと付いたことは想像にかたくない。

問題は、貴公子以外にどんなキャストをやっていたのか、想像がしにくいことで。

もっと昔から見ていなかったことがくやまれる。

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■登利忌理生

前回の中村ナツ子に続き、今回の「なにものだ! このひと!」ワクに期待のダークホースが登場。

自分は茶髪に偏見があるようで、「えっとぉ、学校卒業の記念にぃ、オーディション受けちゃいましたー!」みたいなハスッパな外見と、そこから飛び出す恐ろしい長セリフと演技巧者ぶりのギャップに舌を巻いた。

本当に何者だ! と思って調べてみたけれど、月蝕以前の芸歴がまったく引っかからない。

あれか。学生演劇出身か。

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■音無ねむ

今は、まだ大部屋女優といった立ち位置

(たぶん。自分が調べた限りでは、まだ無名)

何者でもない。

何者にも、まだなっていない。

だけど、あの男に引けを取らない長身とキリっとしたマスクには、絶対に活きる使いみちがあるはず。

実際、『盲人書簡』の “新聞朗読笑い男” には何とも言えない味があった。

キャスティングの認識、間違ってないよね?)

陵南の田岡監督ふうにいえば、「体力や技術を身につけさせることはできる。だが、彼女をでかくすることはできない。立派な才能だ」ということ。

まずは、その長身を恥じるような猫背をやめて、胸郭を開いてまっすぐ立つところから、カンバレ!!

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J・A・シーザー(と音響)

ふむ。ふむふむ。

エンディング、こんな感じかにゃ? 間違ってるかもだけど。

(いま手元にGarage Bandしか無いんで大変)

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Bm....................BmM7(←Daugかも)

寺 の 坊 ん さ ん 根 性 が 悪 い

.

Bm.............Bm........F#m..GM7

守 り 子 い な し て 門 し め る

.

F#m.........Bm........F#m......Bm.E

ど し た い こ り ゃ き こ え た (か)

.

(間奏2+4小節)

E.................Bm.......Bm.......Bm.......Bm

+--------+--------+--------+--------+--------+--------+

.

Bm.......D/A...GM7..........Bm.D/A..E..

守 り が 憎 い と て 破 れ 傘 き せ て

.

Bm.......D.....GM7.......Fm#......GM7

か わ い が る 子 に 雨 や か か る

.

Fm#.........GM7.......Fm#......GM7

ど し た い こ り ゃ き こ え た か

.

(間奏4小節)(以下同じ)

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※各コーラスの7、8小節目のメロディが元の民謡と違う。

 メジャーセブンに合わせて変えたか。

※地味に1コーラス目と2コーラス目以降でコード進行が違う。

 採譜するまで気が付かなった。

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えー、日本のニロ抜き音階(いわゆる田舎節)で作られた民謡/童謡に、7th、9thがタップリ乗ったモダンコードをあわせて。

さらに、それを流行りのリズムパターンに乗せると、こう、実にカッコいいニューエイジワールドミュージックになるのは皆さんご存知のとおり。

(今回はハードロックリズムビート

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こういう音楽はみんな大好き。ボクも大好き!

この種の音楽の嚆矢は自分が知る限りYMO(実質、坂本龍一)で、80年代ではあるけど、このスタイルが「教授(坂本)のパクリじゃ〜ん!」と言われなくなったのはEnigmaやDeep Forrestが日本でワサワサ紹介されて一般化した90年代のような感じがしていて。

(“姫神せんせいしょん” や喜多郎については、当時ノーマークだった自分に語る資格はない)

問題は、J・A・シーザー氏が、何故この時期にこの種のスタイルをぶつけてきたか、だ。

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  • ここで急遽訂正!!-------

本公演エンディングの『竹田の子守歌』はJ・A・シーザー氏の手になるものではないとの指摘がありました。

お詫びして、訂正します。

以下、上記の誤りを前提にした言及をカットします。

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でも、今回のエンディングが実にイイ感じだったことは確かで、これからもこの路線はアリなんじゃないか、と思った次第。

うん、自分に言えるのはそれだけ。

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最後に音響について。

なんか、今回の殺陣は斬撃の効果音タイミングがやたらと良かった。

何か条件が変わったんだろうか。

ただ、いつもながら思うのは、客席一番奥にコントロールブースを置かないで、それでもあのレベルの音響を維持できているのは、それ自体が奇跡に近いことだ。

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プロップ大道具の印象は前回と同じ。

ただ、生きている動物の仕込みはさぞかし苦労しただろうな、と。

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んー、今回の月蝕歌劇団はこんな感じでした。

全体としてどうなのかって?

うん、良いところもあれば、首をかしげるところもある。

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まずは。

自分はもともと聖子ちゃんキョンキョンのころから、それほどアイドルが好きではないので、フレッシュキャストライブ感、というのにはそれほど重きをおかない。

なので、(おそらくは)キャストのものに入れ込んでほしい、という劇団の方針には同意しかねる。

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しかしながら。

高取英氏の作品世界。これにはどーしても、どーしても不思議な引力を感じでしまう。

結果として、スケジュールが合って演目の印象が良ければ、これからも足を運ぶような、そんな感じがしている。

というあたりで。

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また機会があれば。

2017-12-03

anond:20171203092454

70年代まではまだ正当性を保持してた左翼

80年代以降になって混沌の果てに生存戦略として

サヨクと呼ばれるような本来左翼思想とはズレたものが生まれ

それに違和感を持つ者が左翼サヨク批判をしてるだけ

ウヨなどと呼ばれてても左翼的心性を持つ者が多数

2017-12-01

引きこもり時間潰しの系譜

昔の引きこもりの人って、普段どうやって時間を潰していたのか気になっている。今の人だったら、ネットとかオンラインゲームとか色々暇潰し手段はあるだろうけど、昔の人はどうだったのかな。

とりあえず、00年代は今と同じと考えて90年代以前。90年代ゲームが多かったのかな。14型くらいのテレビを部屋に置いてスーパーファミコン他いろんなゲームハードがあったし。パソコンゲームの人もいただろうね。僕自身90年代引きこもり体験からいうと、CDラジカセも普及してきていたか音楽をひたすら聴いていた人もいると思う。音楽バブルだったしね。

80年代は、ファミコンが出てきていてやっぱりゲームだったというのは、少し早計か。この時代深夜ラジオの全盛といわれるから夜遅くまでラジオを聴いて昼夜逆転生活とかかな。ラジオ…この頃はFMも盛んだったようだから、昼間はFMを聴いてあるいはエアチェック(ラジオ流れる音楽等を録音して楽しむ)していた人もいだろう。

70年代以前は、読書かな。昔の家って、なぜか世界文学全集とかブリタニカの百科事典とかが本棚を占拠していて、それを紐解いといていたのかと思う。僕の家にも特に読書家でもない両親が昔通販で揃えたそういった類の本があるし、当時は流行っていたらしい。

ここまでつらつらと書いてきたが、僕自身体験CDラジカセ音楽を聴いていたというところ以外は全て想像である。とにかく、ありあまる時間収入のない引きこもりがどう潰していくのかというテーマでどんな遊びがあるか考えてみた。部屋の中でできて、お金がかからなく、時間を大量消費できる遊び。いろいろ挙げてみると、閉塞した田舎健全中高生がしていた遊びを延々と続けているのが引きこもりのような気がしてきた。中学高校生くらいはこういう遊びを見つける天才からね。ごく最近ちょっと事情が違うと感じるけど。

2017-11-29

日本社会が末期なのって政治とか経済とかじゃないんじゃねーの?

そら数値で見ても、払ってる税金に対してインフラ社会保障がぜい弱もいいところで、国連から直々に非難決議声明を食らうほどの、産業革命期のイギリスや、奴隷制があったアメリカヨーロッパ並みの労働人権後進国

IT系なんてうつ病職業病と呼ばれ、ここをみりゃわかるが、自殺志願者しか行かないレベルの滅茶苦茶な慣行文化かしてまかり通り

一度レールに外れれば、東大卒だろうがDr持ちだろうが、人非人の扱いを受けて実質奴婢と変わらない扱いに転落、エリートですらそんな感じだから汚職はなくとも致命的になるまで隠蔽しまくり

明日は我が身だろうに、ネットでも表社会でもそういうどん理由があって落ちたかも聞かずに、自己責任だの負け犬死ねだのと、水に堕ちた犬は棒で叩け精神国民性

努力至上主義の癖に、生きるために泥の中を這いずり回り不死鳥の如く復活した苦労人みたいなのは過去のアラ探して晒しものにしてつるし上げて潰そうとして

そんな奴等のいう勝ち組定義が、金持ちとして生まれるか金持ち婿養子や、玉の輿太鼓持ちになるか、(地方)公務員になること

これさ、射撃国体選手オリンピック選手ですら困窮したり自殺が多発したりさ

まりにも猟師弾圧しすぎて、都会にすらイノシシクマが出没して被害が出るレベルで銃規制とか弾圧とかそういう知識リテラシーが異様に低くしてるだけで

これが増田のいう「海外のような普通の国」なら今頃、アイルランド紛争時代北アイルランドや、70年代イタリアとかレバノンみたいになってるよね

いや税金に関してはしょうがないよ、もう普通に働いてただけで国民の9割が赤字になって経済崩壊するレベルで税負担かけなきゃ維持不可能ってくらい、俺だって大学出て馬鹿じゃないんだから統計政府資料見りゃわかるよ

そういう理由じゃないにしてもさぁ、経済とか政治とか以前に、陰湿国民性がこういう李氏朝鮮みたいな社会と末期を呼んだんじゃないのか?

普通に生きてたらダブルバインドどころの騒ぎじゃねーじゃん、なんだよ嫌なら海外に出ていけとかいってホントに出ていったエリート天才裏切り者売国奴呼ばわりって、頭おかしいんじゃねえの?

真面目に生きてうまくいかない奴等叩く癖に、最初から開き直って悪事全開の半グレとかはビビってたたかねえよな、むしろ野放しにしてる警察罵詈雑言投げてるしさ

頭のおかしネトウヨが「朝鮮人と化した」なんていう表現最近よく使ってるけど、まさにそんな感じだわなとニュアンスは伝わるよ

anond:20171129161248

そんな君のようなチンチンをパンパンにしたチンパンに向けて、

マルクス先生は、共産党宣言で『共産主義は、嫁共有』」って言うてまっせ!!」

ってアジった結果が70年代のアレよ

2017-11-17

anond:20171117143057

ネタマジレスはカッコワルイけど、ホントのこというと...

少子化ヤバイってなったのは、せいぜいこの30〜40年くらいで、'70年代あたりには人口爆発で食料ガー資源ガーって心配されてたから、人類繁殖形態(?)はべつに問題ない。

どっちかというと、フェミニズムだのジェンダーだのが重視されて来て、男が外で稼いで来て女が家で育児っていう性的役割分担が崩れたことが少子化の最大要因だと言われているよ。

anond:20171117220007

その理屈でいくとAIより70年代80年代オートメーション化のほうが職が減ったはずなのに人口も職も増えてるんだよなあ

2017-09-30

例の件

角川がクリエイターを宝とする、というのは歴史的経緯から言っても他のコンテンツベース出版業とは微妙に違くて。

まずコンテンツありきで展開していくのが角川のやり方で、当時の雑誌映画文化を上手い事使って

これがメディアミックスへの流れを生み、ハマって70年代以降のイニシアチブを取っていた。

まり良いコンテンツを展開できれば作家は問わないというのは歴史的ベースがあって今でもそれは変わらないのは、雑誌の布陣を見れば判るよね。

こういった発想、一方通行な昔は良かったが今のオタク文化には合わない気がする。今は作家キャラ作家から自由な発信まで含めて一つの作品とされる時代だよ。

また、合併や分裂を繰り返した結果角川内権力闘争はすさまじいものになっている。そういう都合で最近も終わった作品がいくつかあるのも聞いてる。

今は知らないが「聖域」とまではいかないが、かなり力関係部署ごとに違っていた。その辺の時代との齟齬権力争いが絡んでると邪推せざるをえないよ。

ただ、芸能は良く判らないか判断がつかないが、角川とはいえここまでヒットしたコンテンツでここまでやらかすとは思えない部分がある。

ま、どっちにしてもこの件もう手遅れだろうね。委員会としての都合もあって仕方ないけど公式でああいう報告をしてしまった時点で、

オタクたちはこのコンテンツ純粋に楽しむ目はもう戻らない。この作品じゃ致命傷じゃない?

2017-09-26

70年代漫画を読んでたら

電子書籍50円で売ってたから読んでみたら、悪の科学者ヒーローのことをやたらと低能と言っていてちょっとおもしろかった。

2017-09-23

70年代日本って本当に日本なの?

wikipediaで調べ物をしてるうちに何故か70年代事件のページに迷い込んでしまい、幾つか読んでしまったんだけど怖すぎる。

あさま山荘とかよど号ぐらいは知ってたけど、中隊規模の武装テロ集団機動隊がぶつかり合ったり爆破したりって西部警察じゃねーんだぞ。

朝霞自衛官殺害事件(1971)

幹部自衛官制服着ただけで侵入されたのもアホかと思うが、そもそも自衛官を襲って武器を奪うって発想がヤバい

連続企業爆破事件(1974)

神社本庁爆破事件(1977)

三菱三井帝人鹿島といった企業を爆破とかこれ本当にドラマじゃないの?と思ったが神社本庁まで標的とか本気すぎでしょ。

八鹿高校事件(1974)

政治的には社会党共産党対立があるようだけど、むしろ怖いのはこれだけの大事件を警察は見て見ぬ振り、マスコミは(すぐに)報じず。闇が深すぎる。

東京高裁長官乱入事件(1974)

東京高裁判事襲撃事件(1976)

いずれも狭山事件絡み。気に入らない判決が出たら襲撃って法治国家を何だと思ってるんだ。

東峰十字路事件(1971)

芝山町長宅前臨時派出所襲撃事件(1977)

成田空港管制塔占拠事件(1978)

成田関係東峰十字路事件とか完全に戦争だし、派出所襲撃とか文字通りテロだし、管制塔占拠とかなろう小説じゃねーんだぞ。



こんなのが終戦直後のドサクサでもなく、当時産まれた人がまだ生きてるぐらいに近い時代出来事って信じられる?

毎年のようにこんな事件が当たり前のように起きてたらそりゃ感覚は鈍ると思うが、当時の人はよく明日死ぬ不安を抱かずにいられたな。

こういうの、ちゃんと教科書に書いて近現代史として教えなきゃ駄目じゃないの?

右とか左とか興味なかったけど右傾化してるって言ってる人達が正しいのはよく分かった。

左寄り過ぎてこんな世紀末な状況なら、せめて中央寄りにしなきゃダメでしょ。

2017-09-19

anond:20170919143629

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E9%97%98%E7%94%A8%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88

1670年代以降、銃器類の性能向上によって防護能力が不足してくると廃れ始め、18世紀以降にライフル銃が登場すると防弾を目的としたもの歩兵の標準装備から外されるようになった。

第二次世界大戦時には、アメリカ軍においてM1ヘルメットが開発された。1940年採用されたM1ヘルメットはそれまでの戦闘ヘルメットとは素材や防御の概念が異なり

強い衝撃を受けた際にも大きな変形を起こすのみで、装着者の頭部に致死的な損傷をもたらす貫徹を起こす可能性は低い。

現代型のヘルメットの主流は、貫通力の大きい小銃弾(初速はマッハ1から2、直径は5ミリから大きい物では7ミリ半)の阻止は困難である

米軍は「ダイニーマ」や「スペクトラ」と同種の超高分子ポリエチレンを用いたECH(Enhanced Combat Helmet)を研究しており、

実用化されれば従来のヘルメットより軽量でありながら小銃弾の阻止が可能になるとされる。

時代によってヘルメット評価は異なるらしい。

2017-08-22

月面基地まだかな

まだかなまだかな。月面基地まだかな。

日本アメリカロシア等々色々発表はしているけど、

いつ実現するんだって話。

浪漫があるのだけど、当然それだけじゃ話は進まない。

死ぬまでに月面基地行きたいな。

2070年代まで後少し。

プラネテスみたいになるかな。

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