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はてなキーワード: 60年代とは

2022-07-18

anond:20220718132547

検討始めた時の与党がどうであれ社民党でも賛成できる制度(その後民主党政権になろうが廃止の動きすらなかった)を国に頼らず家族介護押し付け制度とみなすのは無理があると思うが廃止した方が家族負担は減るんか?

あと60年代から老人福祉やってた党を「国に頼るな」と言ってたことにするんか?

2022-07-08

1947年から1980年までは参議院選挙全国区というのがあって、作家など著名な文系議員になっていた

60年代までは鬼丸義斎(娘は最高裁判事になった)や、石原慎太郎など強力な右翼当選していたが

70年代社会党系が盛り上がって中山千夏無所属青島幸男などが当選するようになった

するとなぜか社会党割れ選挙制度も改変され、自分選挙権持った頃には全国区はもうなかった

2000年代は著名な作家議員田中康夫ぐらいか

80年代には文系コピーライターという亜種が現れ、企業支援しはじめ、フワフワ景気感を演出し、バブル崩壊を招いた

以来、経済は衰退

ということで、人が苦しんでいる原因は社会的に何なのかを描いて見せる作家には、社会的重要役割があるように思うが、今や洞察力のあるような著名作家そもそも少なく(幻想文学コピペ判決文はあるが)

ドキュメンタリー作家週刊誌記事書き手はいるが、だいたい一つの事件を追う作品になるので物語作家とはやや異なる

現代文化では、漫画アニメゲームラノベ絶対的主流というわけでもないと思うが、情報は日々ネットに溢れてライン投資取引に忙しく、本はあまりまれてないのか?

個人的には世界の中の日本史全般に注目していて面白い本いかなーと思っているが、その分野の作品は、これもまたほぼ論文形式

一方、大河ドラマなどは偏りすぎていたり端折りすぎていて、ただの神話のようだ

国際関係論文英語(なお英語文献は、途上国に対する欧米企業の影響は書かれているが、欧米政治の影響はあまり書かれない)

最近ロシア問題武器市場が活発だというので、そのあたりの金融ドキュメンタリードラマがあったら、不謹慎だが興味あるかも

ついでに

英米や独日の親露中派が、どんな活動をしてきたか

ドイツナチス過去があるから何が起きてもロシア敵対しないようノルドストリームを推進した

変わりにドイツ系の多いアメリカや、英国と元英国カナダ紛争を煽っている

島国は大きくても国境防衛が楽で海軍損害保険優遇されるだろうし、国民も抑えやすいのだろう

そして直接の被害住民存在しない海上と金融の戦闘は、ほぼ報告書のみのブラックボックス取材しにくい

サンジが追われるほど

と思ったところだった

2022-07-01

anond:20220630155807

今は天気が良くて空気が澄んでいても見えないのかい? 大気汚染は年々改善されて来ていると思ったが…。(ひどかったのは60年代70年代高度成長期のころ)

2022-06-30

anond:20220630011025

60年代あたりからの各時代代表カウントしてくと入らない可能性も

それ以前に単純な発行部数で入るのかな?

2022-06-15

anond:20220613094136

LGBコミュニティでは、昔っからそういう形で同性婚批判する議論はありますぶっちゃけ50年以上前からあったし、今も同じ事を言ってる人たちはいます

まずゲイ男性同性婚批判について。ハッテン場とかをイメージしてもらうとわかるけど、ゲイ男性界隈というのはだいたい性的交流交渉に対してオープンで(享楽的ともいう)、短期間に多くのパートナーを持ったり、ワンナイトだけと割り切ってたりと、特定相手との排他的関係(モノガミーシップ)に拘束されたがらない人達が多かった(今でも多い)です。アクティヴィストも、基本的にはこういう行動パターン自分たちが創り上げた独自ライフスタイルゲイライフ)、異性愛主義から解き放たれたゲイ男性独自文化的資産とみなし、肯定的に捉えてました。

もちろんそれは、同性との持続的関係を公にしつつ生きることが難しい時代背景ゆえの事情でもあったし、一方で60年代ヒッピー文化でもフラワーパワーとかと並んで性の解放が訴えられてたという事情もあったんですけど、まあ時代の空気だったんですね。で、そういうライフスタイルが主流だったゲイ男性の多くにとっては、「同性婚」というのはあんまりピンと来ないテーマだったんですよ。俺たちがヘテロの真似してどうすんの、という。米国でも欧州でも日本でもこういう言説は根強くありましたし、当事者自身がそう書いている書き物も多く残っています

もう一方のレズビアン界隈での同性婚批判について。こっちはこっちで、結婚制度を「男女の性役割分業を究極的に固定化する差別的制度」という風に見る人たちが多かったんです。今よりもレズビアンフェミニスト的な立場人達の影響も強かったし。家父長制と結婚制度こそが世の女性たちを抑圧しているシステムなんだから、それを自分たち模倣するなんて…という抵抗感もありました。

そもそも当時は、「同性同士が結婚する」というアイディア自体、多くの当事者にとっても突飛な、想像を超える、およそ現実的でない絵空事だったんですよね。大半のゲイレズビアンは、そんなことが本当に実現するとは思ってもいなかったから、それを目指して社会運動したりもしなかった。そもそも「昼間の世界」でカムアウトすること自体自殺行為みたいな時代です。同性愛という性的指向を詳らかにして堂々と同性パートナーと暮らすことすら難しかったわけですからさらにそこに法律婚の仕組みを適用するだなんて発想を持つ人はほとんどいなかったんですね。もちろん「同性のこの人と結婚できたらいいなあ」と夢想する人達は当時もいましたけど、それは多くの場合ロマンティックなファンタジーとして語られていた。結婚制度を同性間に拡張することで、異性カップルに認められているさまざまな社会的権利自分たちも獲得しよう、という発想はまだ乏しかったんです。

こういう流れを一変させたのが、80年代AIDSパニックです。若い人は知らないと思いますけど、日本でも当時はプライバシー侵害なんかガン無視した、壮絶なパニック報道がありました(参考: https://www.janpplus.jp/topic/433 )。今でこそHIVAIDSは、発症抑制も症状の緩和も可能な、生活態度次第では余命を全うできる病気になりましたが、発見当初は本当に不治の病だったんです。震源地ひとつとなった米国ゲイ界隈はもう本当に凄惨な状況で、各都市コミュニティ自体が壊滅し消え去ってしまうほどのパンデミックになりました。バスハウス(ハッテン場)で活動的だった人達を中心にゲイシーン全体に感染が広がり、次々に病み、衰え、死んでいったんです。その中にはもちろん、互いに大切に思っているパートナーと長期的関係を築いていたカップルもいました。その経緯を通して、パートナーの病と死に伴う課題、つまりパートナー医療・看取り・相続などについて、同性愛者は全く権利がなく、法的にとても脆弱立場にある」ということがコミュニティに深く認識されることになりました。

結婚というのは、恋・愛から始まる親密な関係に確固とした法的枠組を与えてくれるものであると同時に、人が生きていればいずれ来る病・苦・死のリスクに対して、信頼できるパートナーと共に備え、支え合うことを可能にしてくれる枠組でもありますAIDSという歴史的な苦難は、そのことへの経験想像ゲイレズビアンコミュニティ全体に与える決定的な機会になりました。「ゲイの老後」という、それまであまり語られなかったトピック海外でも日本でも注目され始めたのこがこの頃です。多くのゲイ男性が「自由享楽的ゲイライフ」という夢の先にある、生活者としての現実シリアスに捉えるようになった…といってもいいかもしれません。これを保守化と取るか、成熟と取るかは人によって違うでしょうが自分後者だと思います

AIDSパニック以後、ゲイレズビアンアクティヴィズムが一気に同性婚推進路線に舵を切ったわけではありませんが、パートナーシップに対する法的保護ニーズを求める声はじわじわと広がっていきました。そして、米国各州で一部当事者法曹支援者同性婚訴訟を起こして、そのうちいくつかで良い結果が出続けたことで、同性婚に対して微妙葛藤を持っていたアクティヴィズム界隈でも「これは行けるかもしれない」という手応えがでてきて、徐々に同性婚をめぐる権利運動が主流化していきました。このあたりの経緯は、ぜひジョージチョーンシーの『同性婚 ゲイ権利をめぐるアメリカ現代史』をお読みください。




というわけで、実は元増田意見は割と真っ当というか、問題の芯をとらえてます。というのは、元増田が書いてることは、かつてのレズビアンゲイコミュニティでの典型的同性婚批判ロジックとしっかり符合してるからです。

自分同性愛者だったら絶対結婚とか目指さんけどな

だって結婚って異性であることを前提とした文化制度法律じゃん

そんなもん同性パートナーとのルールとして採用したくないわ


これは上でも書いた「異性愛前提の制度模倣従属すべきでない」という声。

それよりも新しく同性パートナーと生きていくのに必要なことを自分たちで決めてそれを法律に落とし込んでいく方がいい

それが多様性だろ


これは「既存結婚制度に縛られない、よりフラット意味合い法律関係シビルユニオンPACSパートナーシップ制度など)」を求める声。これについては、保護される権利が同等でない「まがいもの」で満足すべきではない、という批判もあったりして、結局それぞれにニーズのある人達がそれぞれの路線運動して、結果的に両方が実現していくという流れがあります

よく話聞いてると同性婚目指してる人たちって、結婚恋愛のゴールだと思ってる節あるんだよな

から同性愛者にも恋愛のゴールとして結婚させろと言ってるみたいでアホっぽい


恋愛のゴールとしての結婚」も、やはり異性愛主義ロマンティック・ラブ・イデオロギー模倣とみなす批判はあります。一方で、先のチョーンシーはゲイ歴史学者で「自分同性婚法律化されても利用しないと思う」という立場ですが、それでも同性婚をめぐる運動当事者を強くエンパワーしていることははっきり認めています。やっぱり法律婚って、そのパートナー関係に対する社会的承認象徴なんですよね。その関係行政公的に認め、社会も追認する。そういう承認を得ることが当事者にとってどれほど心強く、報われる、喜ばしいことなのかは、想像していただければわかるのではないかと思います

元増田のような問いを受け止めつつ、それでも諸々の紆余曲折を経て、同性婚の実現による法的権利社会的承認の獲得に向かって前進してきたのが、今のレズビアンゲイコミュニティだと思います

2022-06-07

80年代には海外では見直されていた「生活習慣病」という考え方』

https://news.yahoo.co.jp/articles/5015da26607a03ab2fd804f94bd39019607c12f9?page=3

ーー先生が立て続けに、「生活習慣病」について書いた論文を読んで驚いたのは、当初、アメリカでは真逆の発想で導入されたという事実です。1950年代から60年代にかけて公民権運動が活発になった時に、自由主義思想の広がりと共に広がったと書かれていますね。

生活習慣病概念自由主義自己決定権意識と結びつくことで、自らの将来を自らの力で変えることができるという「健康アメリカンドリーム」として米国市民政府科学者の間で広く受け入れられたのである。(『糖尿病プラクティス』38巻2号)》

元々は、「生活習慣病」は、「専門家に縛られず、自分自分未来を切り開く」というアメリカンドリームだったんです。当時の発想としてはすごく良かったし、その考え自体は今後も活かすべきだと思います


これ凄く重要な指摘だな

なるほど、「生活習慣病」という発想も、元々はそこまで悪いものではなかったんだね

パターナリズム(父権主義)に対する反抗の趣旨を含む概念だったと。

でも今は寧ろ逆だよなあ

医師という権威に縋って、医師の言う通りに糖質制限をし好きなものも食べられず、寧ろパターナリズムに全力で屈している

2022-05-30

若者プログレなんて聞くな(追記あり

プログレッシブロックというジャンルをご存じだろうか。いつぞやかのジョジョEDTo be Continuedのアレである。まあこれだけだといくら何でも説明不足が過ぎるのでもう少し一般化して言うと「60年代後半~70年代前半に出てきた当時のロックから逸脱しているバンド及びそのフォロワー達がやる音楽である。具体的なバンド名はググればいくらでも転がり出てくるので割愛させて頂くが、もう数年前とはいえアニメED(かつネットミーム)になったり、様々なバンドが影響を公言していたりと割と触れる機会がぽつぽつある上、最近ではSpotifyYoutubeで気軽に聴ける環境が整っているので、なんとなく手を出してみようかしらん、なぞと思う人間ももしかしたら居るのかもしれない(多分そうそう居ない)。しかし、率直に言って若者はこのジャンルを聞かない方が良い。

以下、何故プログレを聞かない方が良いか書きなぐっていく。

1.若者が聞いてない

ぶっちゃけこれに尽きる。若者は誰も聞いていない。本当に聞いていない。たとえ聞いてても本当に少数の痛い奴しか居ない。試しに周りの友人に「King Crimsonが~」なんて話かけてみよう。殆ど相手は「何それ?」となるかジョジョスタンドの事だと思うだろう。

若人が集う音楽の祭典である夏フェスラインナップを見てみよう。プログレバンドが一つでもあるだろうか?それが全てだ。他のジャンルと比べコミュニティもないしイベントもない。あってもジジイしかいない。プログレばかり聞いてると普通友達音楽の話は一切できなくなる。

2.ジジイはむっちゃ聞いてる

しか若者が聞いてない分ジジイはよく聴いていることが多い。プログレの話をすると嬉しそうにすり寄ってきてこちらが聞いても居ないことを延々語りだすおじさんが場所を問わずごまんといる。そういうジジイはなまじプログレが今よりもう少し盛り上がってた時期を知ってる分こちらの知らない情報体験しえない事でマウントを取ってくるのであるプログレハラスメントプロハラだ。○○の初来日を見に行きましたとか、知らんわ。だからなんだよ。自慢か?お前に××の何が分かる!うるせえよ、好きで悪いかよ。多少自分知識で話をしただけなのになんで説教されねえといけねえんだよ。

ライブに行っても凄まじい加齢臭プログレ専門のCDレコードショップに行っても後頭部が寂しい方々しかお目にかかれない。その上一人で店内BGMの拍子取ってるような連中だ。想像しただけでも嫌になるだろう。

3.演者ジジイしかいない

ジジイしかいない。海外アーティスト来日公演は高齢者ステージ上でポックリ行かないか見守る会となる。日本バンドでも若者殆ど居ない(大概近しい音楽性があったりするマスロック界隈に流れる)。間違ってもアーティストイケメン美女を期待してはいけない。演者ジジイ、客もジジイ演歌の方がもう少し新陳代謝あるぞ。

4.ジャンルとして死んでる

先進的」と冠するジャンルのクセにぶっちゃけ活動してるバンド殆ど大御所という名のやたら豪華なコピバン既存の焼き直し(ミックス等の音作りの方向性を変えただけで内容的には昔の何らかのバンド殆ど同じ)ばかりだ。全てではないとはいえ8割そうと言い切ってもよい。完璧名前負けしてる。

たまにプログレ自称しない若手アーティストの複雑な曲をプログレ的と形容したりするが、ぶっちゃけやめて欲しい。下手にプログレなとどいうラベリングをしたが最後ジジイジジイを呼ぶ界隈に取り込まれ、ついぞ日の目を見ることが無くなる可能性もある。

5.長い

長い。展開がキモイ。曲の長さは6分くらいが普通世界1020分30分40分平気であったりする。出だしから数十秒が勝負とか言ってるストリーミング社会で平気で5分イントロに使う。延々と不穏なノイズ流れる最近ギターソロを飛ばす若者の話取り上げられていたがこのジャンル場合飛ばすと半分くらい消え失せるしそれでもまだ5分残ってたりする。隙間時間ちょっと聞こうとしても歌にたどり着かないなんてことも平気である。(そもそも歌が無かったりもする)

若いうちにこんなジャンルに身を委ねたら最後休日CDめぐりネット上のデータベース漁りに消えるし、およそプログレしか聞かないようなシンセの音に興奮したりすることになる。仲間が居ない故の痛々しい選民意識が芽生えたりする。会話の種はどんどん消え失せる。ジジイにはプロハラを受ける。

俺はもう駄目だから、せめてこっちには来ない方が良い。

追記

初めてここに文章投げてみたら思いの他ウケてるようでビビった。なんだかんだみんなプログレ好きなんだな。(スペルミスは許してほしい)

人間椅子はプログレッシブ要素があるというだけであくまハードロックバンドとして活動しているのでちょっと違うかな…ここでいうプログレバンドって百景だのエレアスだのKensoだの新月Novella一派の残党だの「プログレです」と活動してる面々の事で、そのへんのバンドって同じ界隈で集まる事はあれどいわゆるジャンル横断系のフェスには全く出てこないよな…という

偏見が過ぎるというのはその通りだし、少しでも変な文章にしようと誇張したところは多々ある。(しかし某連盟BGMの拍子をとっていたオジサンは紛れもない事実だし、なんなら俺も取る)多少の間違いを無視して何事も言い切ってしまった方がウケが良いという嫌な目論見もある。近年出てるバンドにも素晴らしい物は数多くある。とはいえそのバンド群は所謂プログレメタルだのポストプログなどの方向だったりすることが多く(偏見)、「プログレ」の語りを始めるとどうしても70年代UKの話ばかり出てきてしまうというのが現状な気がする。するとおのずと聞き始めもそのへんになり、ある程度掘ってもそのへんにずるずると居続け…って俺の経験一般化しても、って話かもしれないが、「プログレ」でググってKing crimsonの前にAnimals as LeadersとかThank you scientistの記事が出てくることがそうそう無いって事実もある。

というか一切の偏見を持たずに音楽聴くジャンル認識する事って異常に難しいよな。音楽ジャンルを定める事それこそが偏見の始まりのような気もする。

2022-04-24

音楽をおしえろ」のブクマは伸びるな

90年代以降はみんなバラバラになって聴いてるもの全部違うようになって共通体験がなくなったもんね。

60年代フォーク70年代ロックディスコニューミュージック歌謡曲80年代テクノユーロビートフュージョンくらいまでみんな共通体験あったものね。

還暦位の世代の人たちはめちゃくちゃ音楽にこだわってたしお金も使っていた。

2022-04-17

2022ウッドショックはなぜ起こったのか?2つの構造転換とグローバル化の瑕瑾

業界中の人です。

去年は大変でした。今年も大変になっていますが、マスコミが客寄せに使う分かりやすい「ショック」とは言えない、構造転換といえる変化が起きています

昨年は、施主が得られるはずだった、住宅ローン減税での還付分を木材を筆頭に値上(2.5倍程度)したコストで吹き飛ばされた方を複数見てきました。

相場を舐めていた建設会社設計事務所が、適切な積算ができない、材料調達が間に合わない。その失敗を費用増や工期延長という結果から、施主から時間資金を奪っていく様を見てきました。

施主はローン上限一杯借りるのに、「住宅価格の中で木材価格は1割内だからそこが上がっても問題ない」みたいな報道が昨年あって、実際にそう話すメーカーがいたのであっけに取られたのを覚えています

北米SDG's

「2つの」とタイトルにあるように、注目を浴びている北洋材(ロシア)より先に、北米にて2021年晩秋に一つの法案が通りました。この法案は150年生以上の立木伐採規制するものです。日本国内で建てられる住宅特に注文住宅では、窓枠やドア枠に良質な無垢材を使用します。この部分に使用される無垢材は、米栂、スプルース、米松、米ヒバ、Wオーク等、北米原産材を使用しますが、昨今の居室空間の大型化、サッシの大型化から要求される木材に、150年生以上の天然木(オールグロス材)を使ってきました。しか2021年規制により、現地大手製材会社Mが法案に合わせ生産を停止し、日本の輸入量が昨年対比50~80%減になりました。そして底が抜けた円安

この法案SDG'sによる持続可能森林資源保護していく理念で制定されました。が、ソロバン勘定をする先進国なので、良質天然木の売却益<CO2排出権の売買益、になったと思います。この状況は、カナダ政府政策転換しない限り持続していく状況です。

ロシア

2021年材料争奪戦は、無尽蔵の購買力がある北米北米産材だけでなく、欧州材にも手を出し、各国のロックダウンにより輸出入港が制限され、検疫により迅速な荷役が出来ずコンテナ船渋滞が混乱に拍車をかけました。翌年(2022)の材料調達計画は各社、それぞれの考え方で、西欧既存仕入先との関係強化をした所、内地材調達を強化した所、ロシアに多額の投資を行った所がありました。昨年の記事では、末尾で素敵なパートナーと茶化しましたが、契約主義民主主義西欧文化圏から外れた、力を信奉する権威主義の国との貿易いかに難しいか通商の途絶という最悪の形で現れました。主な貿易樹種は、赤松、カラ松、タモ、ナラカバ、既にカラ松を使用した合板ラー合板)が国内需要に対して供給が足りず国内産丸太価格が上昇。仕上材であるタモは夏以降欠品や高騰による仕様変更を迫られると思います。今秋のプレカット市況は昨年と同じ状態になるかもしれません。

国産材

64年の木材自由化以降、石炭と同じように良質な海外産材が出材コストの安さと共に日本に普及していきました。より「適材適所」になった材料選択の自由さに、日本の杉と桧は平成不況の中で製造コストも押さえつけられ、信じられないかもしれませんが、直近まで構造木材価格60年代相場より10%程度高い程度の金額取引されていました。この環境不自由貿易環境の中で改善されるかもしれません。カラ松や杉の丸太価格が上がっており、より適切な利益国内森林組合や製材会社に回る形になりなりそうです。2021年は無くなった海外産材の需要を何とかカバーしようと増産を行っています。まだ「ショック」と形容される内容でしたので、設備投資に踏み切れる訳もなく、需要から色々言われながら各設備残業をしたと考えると、黙々と増産に励んでいた方々には頭が下がります2010年代、各地域に50億前後の中規模製材工場建設され、改善された生産設備が上手く稼働できたのがショックで済んだ一翼を担っていますが、自給率30~40%の現状で仮に30%の増産をしたとしても、50%台にしか届かないので、足りない海外材の代替には設備投資必要な状況です。また、杉は加工性が高く構造から仕上材に幅広く使える利点があり、昔から建築用材として使われた歴史がありました。杉の学名は「日本の隠された宝」という名前もついていますが、昔の長屋のような間取や平屋建てならともかく、洋化された生活空間による住宅においては、広い空間を保つ梁の強度が足りず、仕上材も柔軟な加工性が仇となり、非常に傷つきやすく正確に内部造作に加工するのが難しい、水に弱い、和風内装の不人気という側面もあります世界中木材から使用用途に応じた強度や耐久性、質感の選択をしている適材適所かつ現代ノックダウン方式住宅製造では、杉単体で立ち向かうには難しく、集成材でのコスト革新が待たれるところです。

2022-03-28

ウィンブルドンと見せパンアンスコ)、あるいは国会での見せパン論争

テニスアンスコといえばフリフリ白パンツか、紺ブルマーイメージだ。純白のスカートから躍動する脚、チラチラのぞきブルマー。実物は見たことないのに、なぜかドキドキしてしまう。この偽装された記憶はどこから来たのだろう。

ウィンブルドン小史

ウィキペディアによれば、第1回大会センターコートに置いてあった芝生の手入れ用のローラーを新しくする資金集めを目的に、1877年7月9日から始まったそうだ。種目は男子シングルスのみのアマチュア大会だった。

1884年女子シングルスと、それまでオックスフォードで開催されていた全英男子ダブルスウィンブルドンで開催されるようになった。1913年には女子ダブルスミックスダブルスが加えられ、1968年にはプロ選手の参加が認められた。

世界中から強豪選手が参加するようになったため、地元イギリス出身者は長らく優勝できなかった。男子シングルスでは1936年のFrederick John Perryから2013年のSir Andrew Barron "Andy" Murrayまでの77年間、優勝がなかった。また、女子シングルスでは1977年のVirginia Wadeの優勝を最後に40年以上イギリス人の優勝者は出ていない。

ちなみに、このように海外勢いに門戸を開いた結果、地元勢が淘汰され消沈することを「ウィンブルドン効果」という。

開催時期は原則として6月最終月曜日から2週間で、ちょうど英国の社交の季節だ。競馬ロイヤルアスコット(「マイ・フェア・レディ」に出てくるあれ)、競艇ロイヤルヘンリーレガッタもこの時期だ。

ドレスコードが厳しいのでも有名で、原則身に着けるのは白一色である汗じみが見苦しくないようにともいわれる。ブリタニカのページなので確かだろう。

https://www.britannica.com/story/why-do-tennis-players-wear-white-at-wimbledon

女性テニスプレイヤーファッションドレスから見せパンまで

https://www.messynessychic.com/2017/07/07/from-corsets-to-culottes-the-women-who-dared-to-change-wimbledon/

元々、ウィンブルドンでは女性はロングスカートや分厚いシャツそれから帽子かぶることが要請されていた。こちらではコルセット付きだったとも(ただし白い衣装について異説を紹介していることに注意)。20世紀初頭のテニスプレイヤーは道行く女性の姿と大して変わらなかったのである。だから本気で優勝を目指すことはおろか、ちょっと大きな球を返すのさえ大変だった。当時の男性がずっと軽装だったのと対照的である

流れを変えたのはDorothea Douglass Lambert Chambersという選手で、1900年により簡素シャツネクタイ姿で登場した。7度シングルで優勝し、1908年には夏のオリンピック金メダルを取っている。彼女1910年ドレスコードやエチケットについての本を著している。

その後フランスのSuzanne Lenglenがテニス界のフラッパー(新しい女)として知られるようになった。飲み物ブランデーと入れ替えたり、強めのメイクをしたりといたずらも好きだった。負けると感情的になったことでも知られる。彼女は白のみのファッションを許容していたウィンブルドンに立ったが、エキセントリックファッションセンスでも知られていた。ミンクオコジョコートをまとい、当時としては短いスカートプレイしたのである彼女が次の世代女性たちに道を切り開いた。

そして戦後1949年、Gertrude Moran(Gorgeous Gussie)がスキャンダル引き起こした。というのも、ウィンブルドン意匠は白一色だと規定されていたのだが、そのあまりにも「明らさまな」白い衣装に観客はショックを受けた。どういうことか。試合の前にMoranは公式開催主のTed Tinlingに衣装デザインしてくれと依頼していた。一見すると規定に従った衣装に見えるのだが、実際にプレイするとフリル付きの下着が丸見えになったのだ。

これに関し、All England Club’sの委員会は「ウィンブルドンに野卑と罪を持ち込んだ」と猛烈に批判し、国会でさえ適切な衣装についての議論が起こった。Tinlingは33年のキャリアにもかかわらずウィンブルドンホスト追放された。にもかかわらず、Moranは魅力的な姿から彼女は人気だった。彼女は後に「自分はただの女の子だったが、メディアが大げさに書き立てたのだ」という趣旨発言を残している。彼女60年代まで活躍した。

見せパンの定着以降

https://www.thecut.com/2018/08/womens-tennis-outfits-convtroversy-history.html

衣装に関する議論は定期的に起きている。全ての内容を翻訳していてはページが長くなるので、見せパン関係するいくつかのみをピックアップする。

1958年アメリカのKarol Fagerousは金のラメ入りの見せパン全仏オープン披露したが、すぐさまウィンブルドン大会への参加を禁止された。「対戦相手不快にさせる」のがその理由だ。しかし、金のラメを白いレースで覆うことで参加を許可されている。

あるいは2016年ナイキデザインしたベビードール風のテニスウエアがある。しかし、選手身体を隠すのに苦労したし、ひらひらして浮いてくる。実際写真検索するとしょっちゅうパンというか見せパンが丸見えになる。なので、ナイキはすぐにその衣装改善したそうだ。

https://www.slideshare.net/guimera/wimbledon-2014-fashion-through-history

見せパンについてはこちらも参照。たとえば6番目の写真のChris Evert、1976年ピンクの見せパンや、41番のTracy Austin、1981年黄色の見せパン確認できる。50番はTatiana Golovinは赤の見せパン(短パン)で、このときウィンブルドン衣装がすべて白という規定抵触するかどうかでもめたらしい。一応、下着の色は自由だということでおとがめなしだったそうだ。56によるとMaria SharapovaSerena Williamsの赤の短パンが、そして色付きのネイル問題になったらしい。

https://www.dailystar.co.uk/news/latest-news/bbc-bosses-blasted-focus-female-17086364

なお、大衆紙によると2016年BBCの偉い人がテニス選手の見せパンやお尻ばかり撮影したと批判されたようだ。以前にビーチバレー記事でも書いたが、カメラ性的にならないようにする工夫というのは必要である

じゃあパンツの歴史は?

記事が長くなるのでこちらの週刊誌記事を貼っておく。

https://www.news-postseven.com/archives/20190904_1444086.html?DETAIL

エラリー・クイーンを読んでいた時に、確か「Zの悲劇」だったと思うが(いや、「レーン最後事件」だったかな?)、ペインシェンスという娘が恋人スキャンティパンティー、ショーツの別名)を買いに行く場面があった。同時代小説での証言として興味深いのでメモしておく。

https://www.elle.com/jp/fashion/fashion-column/a35747586/history-of-pantslooks2021/

また、パンツでヒットしたのでここに記す。死文化していたが、フランスでは女性スカートでないパンスタイルをはくことが法で禁じられていたとのこと。女性の権利に関して非常に進歩的である地域に見えても、案外不平等システム残滓が残っていたりするのもので、ときおり愕然とさせられる。たとえばスイス女性参政権が得られたのは驚くなかれ1991年である女性への制限男性への制限、どっちでもない人への制限、みんなで少しずつなくしていきたい。

ところで……

よくドレスコードなんかでもめる話で、ハイヒールを必ずはくよう要請される場所というのがある。なんかの映画祭でも話題になっていたことを記憶している。伝統に敬意を払うのは大事だが、はいていないと入場できないのはやりすぎのように思う。ドレスコードってのはみんなが居心地悪くならないようにするためのもので、人を縛るものとはちょっと違う。

例えば、足を怪我していたらどうするのか。もっと極端な話、脚が生まれつきない人はどうするのだ。茶化しているのではない。様々な疾患や障害があろうが困らないようにするほうが、誰にとっても生きやす社会になるはずだ。

結論

余談1

「Tennis Girl」というスカートからお尻丸出しの歴史的に有名な写真がなんと英語版ウィキペディアには掲載されている。ウィキメディアコモンズにはときおりとんでもない画像があるから驚かされる。

余談2

自分投稿ブルマ増田としてまとめてくださる方がいる。あるいは、いつも応援コメントをつけてくださる方がいる。ありがたいことだ。けれども、どうやって拾い上げているのだろう。一日に何千件も投稿されるはてな匿名ダイアリーの中から見つけるというのは大変な作業だ。すべてが注目エントリに入るわけではない。いったいどうやっているのかちょっとうかがってみたい。ブルマーというキーワードで定期的に検索をかけているのだろうか? それともそういうスクリプトが組めるのだろうか?

次回は?

気になっているテーマ複数ある。

例えば女性ショーツ(そして見せパン)の形の変遷、チアの見せパン歴史。また、古代エジプトクレオパトラカエサルと会ったときにどういう服装をしていたのか(絵画のようにトップレスになることがあったのか)、それからトップレスが許容されていていた地域時代的変遷だ。これは身分にもよるだろうし、少し複雑になるだろう。あるいは、どうしてギリシアローマの流れを引き継いだ西洋絵画では、長らく女性器と陰毛があまり表現されていなかったのか。多くの古代文明では時に具象的に、時に抽象的に表現されているのに。謎は多い。

インターネットだけでの調査にはおのずと限界もあるだろう。仕事家事時間がとれるとも限らない。

相変わらず次回はいつになるかはわからない。またいつか会いましょう。

2022-03-26

anond:20220326162400

60年代後半からアメリカ風マーケティングが入ってきた可能性が高いな。

IBMとかでデータアナリストみたいなIT職が輸入されたのもそのころ。

2022-02-28

フランス映画と青ブルマースウェーデンエロ本

寝ぼけた頭とブルマー

朝5時に目が覚め、することもないのでスマホをいじっていると、以前言及したブルマー情報局というサイトで、フランス映画「Peppermint Soda」でブルマーが見られると書いてあった。しばらくはブルマーについて調べるのはよそうと思っていたのだが、目覚めた直後には自制心があまり働いていないせいだろうか。ついつい時間を費やしてしまった。たばこを吸ったことはないのだが、禁煙をしていてつらいのは目ざめの一服我慢することじゃないか、とあてずっぽうで考えた。

映画「Peppermint Soda」の概要

原題は「Diabolo menthe」で、1977年に公開された青春映画だ。監督はDiane Kurysで、女優でもある。ウィキペディアによれば半自伝的な作品が多い。以下、英語版ウィキペディアから抜粋する。

舞台1963年、13歳のアンヌと15歳のフレデリックは両親が離婚したユダヤ系姉妹である。二人は母とパリに住み、夏休み海辺で父と過ごすが気まずく感じている。二人の通う学校規律が厳しい。

妹のアンヌは思春期入り口にいるがあまり社交的ではなく、成績もよくない。周囲で何が起きているかを母や姉から盗み聞きして知ろうとする。成績は良くなく標準以下で、不公平教師対処しないといけない。あるときは姉の一年前に書いた小論文剽窃したのが見つかっている。また、初めての生理男の子と話すことや、問題を起こした後で母と問題対処しなければならない。

対照的に姉のフレデリックはより外向的で政治的意識も高い。特にアルジェリア問題反核運動に関心を持っている。自分よりずっと年上の人に片思いをして、初めて本格的な恋の痛みを感じ始めている。また、初めて逃げだした友人や、価値観の違いによる友情喪失経験する。

で、どこにブルマーが出てくるの?

例えばyoutube予告編に出てくる。大体0:38頃である

https://www.youtube.com/watch?v=lGpU3y8RAFM&ab_channel=DulacDistribution

他にももう少し鮮明な画像があるページもあったが、「映画無料ダウンロード!」と書いてある危険そうなサイトだったり、映画での性的なシーンをつなぎ合わせた違法アップロードだったりするので、リンクは張らない。どうしても気になる方は英語フランス語タイトル検索してほしい。

で、肝心のブルマーを見てみると、ブルマーというよりは極端な短パンに見える。前列右から2番目の子を除いて、他の国のようなショーツブルマーではないようだ。さらに、生徒によって短パンシャツの色が違っている。フランスではブルマー制服として採用されたのではないらしい。

しかし、逆にそこが興味深い。この仮定が正しければ、制服ほどの強制はなかったにもかかわらず、1960年代フランスではブルマーに近い短パンを生徒が自主的に着ていた可能性があるからだ。もちろん何の証拠もないし、強制ではないにせよブルマをはく雰囲気があっただけでも強要されたように感じた人もいるだろう。ただ、当時のファッションの傾向としてブルマ的短パンが許容される風土があったのやもしれない。奇しくも60年代ミニスカートが初めて流行した時代である。当時の青ブルマーはおしゃれの先端だったのだろうか。

少女の体と芸術

この映画ちょっとだけ年端もいかない少女下着姿や乳房が映っている(該当シーンがアップらされていたのも、リンクを貼らなかった理由の一つだ)。昔の芸術系の映画にはたまにあるが、やっぱりショックだ。ショックなのはそのためらいのなさと、どうしても一瞬は美しいと感じてしま自分感覚だ。

ここでは表現の自由検閲の是非については議論しない。専門外なので解像度の低い議論はしたくない。

ただ断っておくと、今は少女の裸体を(少なくとも実在する児童写真映像なら)禁じるのは当然だと思う。悪の定義が「なにも知らぬ無知なる者を……自分利益だけのために利用する」ことならば、まさにその定義に該当するからだ。性についてまだ知らない相手同意なく性的に扱うのは間違っている。

一方で、グーグルで「少女 ヌード」と画像検索すると一件も引っかからない。正しい処置だと思う。けど、大企業によるあからさまな検閲は正しくてもなんだか怖い。

映画配信とかも怖いと感じるのがそれで、どのような理由であれ、いつ同意なく内容を差し替えられてしまうか、それが怖い。

余談

ところで、表現の自由に調べてみると興味深い事実に行きあたることがある。

たとえば英語版wikipediaの「Pornography_in_Europe」を読んでいると、「Like Denmark and the Netherlands, Sweden does not regulate pornography and the country has no age laws for the possession or viewing of pornography.」つまりスウェーデンでは18歳未満であってもエロ本を見ることは違法ではないのだ。「Some shops follow a voluntary limit and do not sell to minors.」ともあり、実際には売らない店もあるらしいのだが、売るなと法で定めているわけではない。

またフィンランドでは「It is legal to sell pornography in any store, but magazines may not be sold to buyers less than 15 years of age, and hardcore is restricted to buyers aged at least 18.」つまりソフトコアなら15禁、ハードコアなら18禁とわかれているらしい。

ただし、どちらの国でも18歳以下のモデルは禁じられている。

以上、全くの余談だ。

まとめ

次回は?

一応、初めてテニスの見せパンはい選手について書こうとは思っている。ただし、いつになるかはわからない。数ヶ月後くらいかな。

こっそり追記

ブクマは一時期43まで行った。現在42。

ドイツに一歩及ばず。

2022-02-27

から自衛隊のもの憲法違反なんだってリベラル曰く。

anond:20220227115027

自衛隊憲法違反。だから自衛隊解散せねばならない」「自衛隊の前提を当然とする日本国民ネトウヨ」とする必要がある。ところが、今やリベラル自身が「自衛隊いるか改憲不要」とか言い出す。

憲法の条文が1文字も変わってないのに、なんで日本護憲派は、半世紀もたたないうちに、意見が180度変化するんだよ。頭いかれてるんじゃないか

かつては、暴力を奮ってでも、住民票の受取拒否など、それこそ憲法違反行為をしてでも、自衛隊員を自分たちそばから追い出そうとするほど嫌っておいて、今困ったら「助けてください」だって? 馬鹿休み休み言えよ。

社民党党首 福島瑞穂

http://www.asahi.com/2004senkyo/news/TKY200406300351.html

憲法の明文の規定と照らし合わせれば、違憲であると言わざるを得ない」と述べ、旧社会党時代の94年に「自衛隊合憲」とした党の見解を変更する考えを示した。福島氏の個人的な考えであり、党として見解を変更するかどうかは、中期的な指針である社会民主主義宣言2005」を採択する来年秋の党大会正式検討される見通しだ。

日本共産党 志位委員長

https://www.jcp.or.jp/seisaku/006-0609/kenpou9jyo_yougo.html

そして私は、自衛隊憲法違反といわれるのがいやなら、憲法九条を取り払うことでこの矛盾解決するのではなくて、世界に誇る憲法九条の完全実施に向けて、憲法違反自衛隊現実を一歩、一歩変えていくことこそ政治のつとめだ(拍手、「そのとおり」の声)、こう考えるものであります。(拍手

早稲田大学 水島朝穂憲法学)

http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/1117.html

日本憲法9 条の観点からすれば、文民統制が徹底した「理想的」な自衛隊であっても、違憲性の問題はなお解消されない。

防衛協会会報141号

https://ajda.jp/publics/index/124/

憲法学者の7割が「違憲」の存在と語り、又、小学校教科書では《自衛隊については憲法と照らし合わせて様々な意見が交わされている》とされ、中学校高校では《政府合憲解釈し学界や判例には憲法違反もある》と記されています

この様に憲法根拠が無い事から日陰者扱いをされ、支える家族もつらい思いをしているのが現状です。我々は24時間365日、命をかけて日本平和安全を守ってくれる自衛隊の皆様に「自衛隊さんありがとう」の感謝気持ちを込めて『自衛隊』を憲法に明記し自衛隊に誇りと名誉回復する活動青年部会の輪を広げ、47都道府県組織するべく邁進致します。

沖縄タイムス

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/703510

入学書類は受け取らない、帰れ」と怒鳴ったという。当時20歳の海上自衛隊士長、大旗清さんの経験だ。仕事に生かそうと選んだ電気工学科。自衛官からという理由で一度も受講できないまま1年後に退学した。

大学側は一時、入学を保留した。当時の本紙に「事実上の不許可」と書かれた対応は、反戦運動をする学生たちが学内封鎖や授業ボイコットに及び、本人にも危害が加わりかねないため-とされた。一転して入学を認めた後、予測は当たった。

首里城跡にあったキャンパスに通う大旗さんを見つけると、追い出す学生たちがいた。時に竹ざおや棒、拳で突き、蹴り、石を投げた。教室に連れ込んで2、3時間、150人ほどで詰問した末に「帰れ」「入学認めないぞ」などと怒号を浴びせた日もあった。

https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/687565

日本復帰前後自衛隊県民の激しい反発を受けた。配備が本格化すると、自治体自衛隊員の転居手続き拒否成人式への参加を拒まれるなど、地元の「反自衛隊感情」は、一層高まった。

「樹々の緑」通信京大学生運動史研究会

http://w01.tp1.jp/~sr10697360/kiginomidori.html

https://archive.is/XB02W

66年12月に同学会委員長に選出され~67年12月まで2期つとめましたが、思い出深いのが全学で闘われた自衛官入学反対闘争です。工学部院生協議会を中心に60年代に入って取り組まれてきたこの闘いはついに全学学生大会・全学ストにいたり、奥田総長との大衆団交で「京大

自衛官は入れない」という趣旨確認を勝ち取り、その成果は全国の大学に波及してゆきました。

2022-02-06

https://www.youtube.com/watch?v=hDWPNgRNdHI&t=9s

60年代前半ELVISつえー

インストの曲が入ってるのがすげー

大方の曲がミッドセンチュリー風味まだ強めだけど、70年代に引き継がれそうな空気感がある曲もちらちらある

やっぱりBEATLES以前以後でだいぶと違うかな?

BEATLES以降の有名曲って日本でも沢山聴かれる様になった感じか?

60年代ELVISBEATLESが席捲したんすなー

2022-01-28

子供の頃に読んだ/聴いたコンテンツ

子供の頃に読んだ/聴いたコンテンツで、大人になってから気になっても、調べきれないものって、多いと思う。

自分場合は、まあ色々あるけど、音楽漫画にそれはある。

音楽

音楽は、以前NHKで、「ステージ101」という番組があって、たしか日曜の夕方くらいに放映されていたと思ったけど、その番組では、オリジナル曲も多かったけど、ヤング101というメンバー海外の曲の、今で言うカバーをよくやっていた。ビートルズのヘイ・ジュードとか、エルトン・ジョンクロコダイルロックとかね。

その中で、メロディというか雰囲気が今でも気になっている曲で、こんなのがあった。

歌詞はごくごく一部しか思い出せないのだが、一つは

サビの歌詞和訳)が

「それでもクリケット未来のことばかり思うのは

ぼくの魂でありました」

という曲。わりと軽快な感じ?

もう一つは、ちょっと暗めの曲調で、

サーカス団、~のピエロの~

空中ブランコ、やめろ!」

という曲。曲の雰囲気子供心に不気味で、本当にこの程度しか思い出せないのだが、いまだに気になっている。

※曲は、歌詞和訳だしメロディくらい分からないと何のことか分からんね。適当メロディ録ってみるかな。

漫画

当時は家の環境もあってあまり漫画を読む機会もなかったのだが、一つだけ今でも気になっている作品がある。

おそらく少年誌系のおそらく漫画雑誌に掲載されていた(と思う)作品で、おそらく宇宙空間を旅する系のストーリー

おそらく60年代末あるいは70年代ごく初期。

主人公は、宇宙空間に漂う巨大な生物のようなもの(巨大な平べったいナマズのような姿)の内部を探検している。

その内部には、岩っぽいものがあったり小川や池のようなものがあるのだが、主人公が池の畔に辿り着いたときに、おそらく小川の上流の方から、人っぽい生物が何体か現れる。

彼らは、細長い容姿をしていて、頭髪はなく眼は単なる白抜きの楕円、一様に片手を上げて「やあ」と言ってくる。

それだけしか覚えていないけど、その場面は妙に記憶にある。

年代的にはおそらく70年代初期、手塚治虫ぽい絵柄で、手塚治虫作品から探してみたけど、自分の調べた範囲では、それらしい作品は見当たらなかった。

また、当時の漫画に詳しい知人に聞いても、よくわからない、とのこと。

それにしても、70年代ってもう50年前なんだな、おそろしい。

2022-01-11

anond:20220111162244

アメリカで、60年代後半〜70年代前半生まれ若者のことを、掴みどころのない未知の世代=「X世代」と呼んだのが始まりで、だからそのX世代次世代Y世代、その次の世代がZ世代なんやで。ちなみにZ世代の次はα世代やで。

2022-01-10

anond:20220110090109

80年代-90年代はすげーとか言いつつ馬鹿にしているようだが

今の人が過去を見てあいつらばかっていうのは意味のない話

70年代60年代もそれこそ西暦1000年とか

今の価値観と比べればキチガイ集団しかない

そんなことを言う意味すらない

こういうやつは思考価値が低いんだろうな

2021-12-28

anond:20211228133030

マトリックスパシリムも本来日本で作られるべき作品だった。

60年代後半からテレビに負けて弱体化してった邦画が、

失われた20年で完全に死に体になったのが運の尽き。

2021-12-15

ネタバレラストナイト・イン・ソーホー

現代女性60年代女性を救おうとしたら?」エドガー・ライトが描きたかった、ロンドンの“闇の底”

https://bunshun.jp/articles/-/50279

この記事に思いっきりつられて見に行ってきた。

ネタバレを見ると集中出来ないタチなのでこれ以外の情報は一切いれていない。

見に行った目的記事現在女性過去女性を救おうとしたらどうなるか、の結果を知りたかったのと、

60年代音楽ミュージカル風味を見たかたから。

【ここからネタバレ


記事では4ページ目冒頭にある

現代女性エロイーズは、56年の時を超えて、1965年エロイーズを救おうとする。”

主題のように見えるけど実際の映画はそうでもない。

かに台本としてのセリフと動きは全部そう。

ヒロイン過去追体験しつつ現代ヒーロー交流最後には過去彼女に起こった事実を見届け自分成功を得る。

けど場面のほとんどがサスペンスホラー。やりたいことがビックリさせて恐怖を与えよう!物語は後!の風情。

かに最初ホラー映画って書いてるんだけど…勝手心理ホラーだと思ってただけで驚かせ系ホラーだった。

全体的にホラーMとかミステリーボニータとか朝日ソノラマとかあのあたりの女性向けホラーコミックみたいだったなと。

血まみれグロ割合とか助けに来てくれるヒーローとの交流とかひたすら悪意だけの級友とか炎上する館にたたずむ敵とかファッションショー成功する結末とか。

少なくともあの監督インタビューから受ける「思考実験をやったのでそのアンサーとして真面目に見てください」、という印象とは違うかなと思う。

まあこれはこれで面白い映画だったとは思う。ホラーとしてはかなり良かった。

ただちょっとインタビューでそっち方面フェミ?)を期待しすぎたかなあ。

あとはもうちょっとミュージカルぽさがあればなお良かった。衣装や当時の雰囲気はかなり良かっただけに。

はてブで知った映画なのでここに感想を書いておく。

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