はてなキーワード: 2012年とは
月に4000円払って広告付きのニュースを手に入れようと思う人が減ったからだ。
年間48000円、年収から5万円減ることに耐えられない人たちが増えたからだ。
携帯やパソコンでヤフーにアクセスすれば刺激のある(アクセスを稼げる)ニュースがタダで(携帯代やプロバイダ代は見えていない)見られる。
月間4千円の新聞代はプロバイダか携帯に消える。だから新聞はそれに金を払える余裕のある人にしか読まれない。
消費税が上がり続けると共に新聞の売上は減り続けてる。2009年から徐々に減り始めている。
それはiPhone3gsの登場とも重なっている。
顕著なのは2012年頃からで、それはLTE対応のiPhone5と重なる。
実質賃金の減少に負けたんだ。
増税されても月収が増えないことに負けたんだ。
固定費だけじゃない、変動費についてもどんどん削らるサービスがウケていく。
服はユニクロやシマムラ、ファストファッション
外食は持ち帰り
オタを続けて30年以上になるが
***
レイアース(1994年の作品)に『おっさんホイホイ』のタグを
つけるべきか否かで論議があったらしい
現在、けいおんがすでに10年前の2009年、ハルヒの2度目のアニメ化も同年
さすがにその辺を「最近」と思うようでは
ボケていると言われても仕方あるまい
それは最低限自覚ある
10代20代にとって7、8年といえば相当に長い年月なのは体験上わかる
「本年度の前の4半期のアニメ」なんだろうけど
放送期間が1クールとか決まっているアニメはともかくゲームの場合、
渋や同人誌で見る二次創作は、発売から2、3年は引っ張る場合が少なくない
スマホ配信物ならスタートから何年か過ぎてもサービスは継続する
***
昨今は作品数が増えすぎてオタも最新を追いかけるのに疲れてきたためか
ラブライブはすでに9周年、艦これのスタートが2013年ですでに6年
FGOのスタートは2015年だから、ぎりぎり20代にも「最近」かも知れない
最初のFate/stay nightの発売が2004年(15年前だ)
もはやFGOの客の大部分は最初のFate/snなんか知らないとも言われる
(ウルトラマン80を見ていた世代にとっての初代マンみたいなものだ)
ところが、最新のヘブンズフィールの映画に大量に客が入ってるという
(その観客の大部分は30代以上のFate/snプレイ世代なのか?)
はたまた東方も細く長く廃れずに続いているように見える
一時期は艦これに客を取られてさんざんオワコン呼ばわりされたが
現在も秋葉原の同人扱い店に行けば大きなコーナーが存続している
最盛期はニコ動で盛んに取りあげられた2007~09年ごろだったのではないか
今の20代以下には、東方の新作も「懐古厨おっさん向けのコンテンツ」なのか?
(2000年ごろまでなら、たとえばファーストガンダムを観たことない世代でも
「基礎教養」だと思って遡って観るような空気があったと思うのだが…)
***
このようなことで悩む時点でもう致命的に感覚がオサーンなのだろうが
実際に今の20代以下オタの感覚で「最近の作品」の定義はどうなるのか気になる
20代以下のオタの中でも、「最近の作品」の定義を1年未満と考える者もいれば
2、3年と考える者、5、6年ぐらいと考える者などバラバラなのかも知れないが
【追記】
これ、ブコメで多くの人が指摘しているように、40代50代ぐらいになると
10年前がついこの前みたいに錯覚するようになる問題もさることながら
ことオタ分野に関しては、1クール3か月そこいらで消費されるコンテンツと
「アイカツ!」シリーズの「話数が多い」というハードルを越えて視聴してもらうためにはどう勧めれば良いか、という話が少し盛り上がっていた。
その中でよく出てきた話に、見てハマった人間にとってはその話数というのはむしろ少なく感じるほどである、というものがあった。
それについては私も大いに頷くものであるが、なぜ皆がこれだけ話数の多い物語をそろって「短い」と言うのであろうか。(単純に面白いからあっという間だよって意味かもしれないが)
それを少し考えてみたので書き連ねてみる。なお、シリーズ全部について書くと本当に長くなるので第1作の「アイカツ!」に絞って書く。
「アイカツ!」は2012年10月から2016年3月までの約3年半の期間に放映されたアニメである。総話数は178話。劇場版は長編の「劇場版アイカツ!」と、ステージを中心に構成した中編「アイカツ!ミュージックアワード みんなで賞をもらっちゃいまSHOW!」、最終回後に制作された短編「アイカツ!~ねらわれた魔法のアイカツ!カ―ド~」の計3つがある。他にもドラマCDが制作されている。
そして、「アイカツ!」は放映時期と作中の時間がリンクしている。つまり、季節が現実と同じように流れ、クリスマスやバレンタイン、卒業式・入学式や年末年始などの季節のイベントのエピソードが時期に合わせて放映されている。
劇場版も公開日と合わせてあり、たとえば2014年12月13日公開の「劇場版アイカツ!」は同年12月11日放映の第112話の後のお話となっている。
プリキュア等の年間を通して放映されるアニメを見ている人にとってはさほど驚くことではないかもしれないが、1〜2クールが基本の深夜アニメを中心に見ている人にとっては新鮮かもしれない。
さらに、いわゆる「サザエさん時空」ではなく、1年経つと実際にキャラクターが歳を取り、進級したり卒業したりする。
最初の主人公の星宮いちごは第1話時点では中学1年生だったのが、第178話時点では高校2年生になっている。(ある話数の間にだけきっちり1年間のブランクが存在するが詳細は省く)
つまりは、視聴者は画面を通して「アイカツ!」の世界での出来事をリアルタイムに感じとり、キャラクターの成長を見守っていくのである。
週に1回の放映内容だけでその1週間の出来事を知る、と単純化して考えてみると、それはあまりにも時間が足りないと言わざるを得ないであろう。
漫画「スラムダンク」は週刊連載で6年連載して作中で4ヶ月の出来事を描いたのであるから、単純計算でその18倍の短さと言えてしまう。(1/3年の出来事を6年間で伝える=1/18年の出来事を1年かけて伝える)
そして、年間を通して季節に合わせて放映されていると、視聴者にとって「アイカツ!」は生活の一部となっていく。生活が終わることなんて人は想像したくないものであるから、それが終わった時の寂しさは計り知れない。
後追いで視聴している者にとっては、話数と共に季節が移り変わっていくのを感じながら見ていると、キャラクターの人生を辿っているような感覚になる。そうすると、途中でそれが途切れてしまうとなると、それがどれだけ寂しいものであるか。
最終回後に制作された劇場版の短編は、そんな人たちに向けてキャラクターから届けられた久しぶりの近況報告・贈り物であると考えてみると、それがどれだけ嬉しいものであるか。
先述したように「アイカツ!」ではドラマCDがいくつか制作されているが、劇中のラジオ番組という形をとっており、まるで実際にラジオを聴いているかのように感じることができる。ファンにとって「アイカツ!」のキャラクターはどこか現実と地続きのところに存在しているような感覚がある。
「アイカツ!」のキャラクターの誕生日を祝う時、毎年そのキャラクターの年齢を数えるファンは少なくない。今年、星宮いちごは20歳になった。
いちごちゃんお誕生日おめでとう!
はたちだね〜。出会った頃に言ってた夢が叶っちゃうね。私は来月!一緒にお祝いしよう〜🍓— 諸星すみれ (@smileysuu) 2019年3月15日
アニメが終わってもキャラクターたちは消えることなく、生きてアイカツをし続けている。キャラクターの生きる姿を描くのにはいくら話数があっても足りない。
「アイカツ!」にはたくさんのアイドルが登場する。作中でCGで描かれたステージを披露したアイドルを数えてみると、総勢28人。披露されていないアイドルも多数おり、その中に人気のキャラクターもいる。
長期放映のアニメで俗に言われるものに「当番回」というものがある。
特定のキャラクターにスポットライトを当てたお話のことを指すが、「アイカツ!」にももちろん当番回と呼べる回が多くある。
しかし、28人を超えるキャラクターの全員に満遍なくスポットライトを当てるにはあまりにも話数が足りない。当然キャラクターによって登場の頻度の差は出るので、「あのキャラをもっと見たかった」という声は常にある。
それだけキャラクターが魅力的であったことの証左ではあるのだが、178話という話数をもってしても描き切れていないわけである。
ただ、そういった「スポットライトを当てる」ことについては、第146話「もういちど三人で」で星宮いちごが語った言葉がちょうどぴったりだったので引用する。
「私ね、世の中のアイドルとか、みんなを照らすスポットライトって、ずーっと動いてる気がするんだよね。ぐるぐるって。ずーっとぐるぐるぐるぐるね。だから、その時その時で、照らされる人数は少ない。でも、照らされなかった人がいなくなってるわけじゃない。だから、次のチャンスは誰にでも来るんだよ。その場所に立っている限りね」
スポットライトの当たってないところでもアイドルたちのアイカツは続いている。
物語の舞台であるスターライト学園はアイドル学校で、つまり通う生徒たちは全員アイドルである。メインで登場するアイドル以外も皆アイドル活動をしているわけである。実は、クラスメイトにも全員しっかり設定が付いている。何気ないシーンで映り込んでいるアイドルや、一瞬映った雑誌に載っているアイドルにも名前がちゃんとついていたりする。スポットライトが当たっていない彼女たちも、「アイカツ!」の世界で生き、活躍している1人であることが想像できて、それが「アイカツ!」という作品の世界に深みを与えている。
さらに、アイドル以外にも、家族や先生、デザイナー、ファン、仕事の関係者等のサブキャラクターもアイドルに負けず劣らず魅力的である。
特にブランドのデザイナーは重要な存在で、アイドルが、自分の好きなブランドのトップデザイナーが作る「プレミアムレアドレス」を手に入れるまでの物語は「アイカツ!」のひとつの見所でもある。
デザイナーのブランドに対する考え方だったり、アイドルとの向き合い方・関係性だったりにもその人の生き方のようなものを感じることができ、それは、いろんなアイドルのいろんなアイカツの形を見るのにも似ている。アイドルでないキャラクターにもその背景や物語があるのを感じさせる。
また、当初はただのモブでしかなかったアナウンサーが、節目節目でのイベントでいつも司会者として登場するうちにいつの間にか名前が付くまでになっていた、ということもある。
何が言いたいかというと、「アイカツ!」を見ていると、登場する全てのキャラクターが魅力的で愛おしく思えるようになり、もっといろんな話が見たいと思うようになるということである。
歴代シリーズのキャラクターが大集合する新シリーズ「アイカツオンパレード!」の放映に際し、シリーズのダイジェスト動画が公開されている。
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2012年10月~) ver.』
歴代シリーズプレイバック!『アイカツ!(2014年10月~) ver.』
だいたい5〜6分の動画でシリーズがおさらいできるようになっている。
やろうと思えばアニメの内容をあらすじでさらっと伝えることはできる。主人公が「輝きのエチュード」や「SHINING LINE*」や「START DASH SENSATION」等の楽曲に至るまでの物語を理解してもらうために最低限のエピソードをピックアップすることもできる。
「アイカツ!」は基本的に1話完結のストーリーになっており、途中から見てもわかるような配慮もされている。単話で見ても面白い回はたくさんあるので、つまみ食いでもきっと楽しんで見ることができるであろう。
この回が良い、この回が好き、といった話に花を咲かせることもよくある。
それでもやっぱりファンとしては全話見てほしい。全話が全部大事な話だ、と本気で思っている。
星宮いちごが歩んだ道のりを軸に、物語上の重要なエピソードだけをピックアップすることになったとしよう。
そうすると、例えばいちごたちがただオフタイムを過ごすだけという第24話「エンジョイ♪オフタイム」は、含めなかったとしても物語の説明は可能である。でも、ファンとしてはこの話は絶対に外したくない。
また、いちごがメインでない他のキャラの「当番回」、例えば藤堂ユリカがメインの第89話「あこがれは永遠に」も含めなくてよいだろうか。確かに、なくてもいちごの物語を語ることはできるであろう。だがこの回で描かれた藤堂ユリカのアイドルとしてのあり方やデザイナーとの関係、ファンとの向き合い方、そういったものが全くいちごと関係ないなんてことはなく、作品を通して描かれているテーマの根幹に通じているものがたくさんある。
例えば「SHINING LINE*」の歌詞を紐解くときに、ただ美月といちごとあかりにだけ注目して考えるのでは、やはりもったいない。いろんなアイドル、いや、アイドルでないキャラクターたちにもそれぞれの「SHINING LINE*」があるし、「最初の風」もある。
「アイカツ!」の楽曲は、キャラソンというわけではなく、「アイカツ!」の世界で歌われるポップスであり、普遍性を持った歌詞になっている。もちろん、これは誰々が歌っているという「持ち歌」の考え方はあるが、ある楽曲を別のアイドルが歌うことでまた別の新しい意味が生まれる、ということが「アイカツ!」にはよくある。
などといろいろ考えていると、どの話も外すことができなくなってくる。いろんな人のいろんな出会いが物語を紡いでいる。全ての話が全部つながっている。
「アイカツ!」を代表する曲のひとつに「カレンダーガール」がある。
この曲には「何てコトない毎日がかけがえないの」「何てコトない毎日がトクベツになる」という歌詞がある。
詳しい説明は第22話「アイドルオーラとカレンダーガール」に任せるが、彼女たちの今日をかたちづくっているのは日々のアイカツであり、そして今日のアイカツがその先の未来をつくっていく。
私たちが「START DASH SENSATION」で涙するのは、そうした彼女たちのアイカツをずっと見てきたからである。
超富裕層の皆さんからなら何か良いアドバイスが頂けると思い記載します。
資産運用、節税、信頼できる専門家の紹介などをどうかお教えください。
(単位は万円)
年(年齢) | 給与 | 貸株+配当 | 実現損益 | 金融資産(*1) |
---|---|---|---|---|
2011年(32歳) | 427 | ゼロ | -7 | 644 |
2012年(33歳) | 457 | 6 | -189 | 1186 |
2013年(34歳) | 352 | 20 | 732 | 3854 |
2014年(35歳) | 567 | 18 | 571 | 15102 |
2015年(36歳) | 663 | 732 | 344 | 9012 |
2016年(37歳) | 665 | 434 | 9 | 6162 |
2017年(38歳) | 682 | 83 | 181 | 6200 |
2018年(39歳) | 741 | 102 | 232 | 7500 |
2019年(40歳)予定 | 742 | 150 | 64 | 8700 |
-【損益】財務だけ見て空売りしていたシャープがアベノミクスで暴騰して大損失。
-【損益】リーマンショック直後に購入したApple株が利益に寄与。譲渡益の税率が10%から20%に上がる前に一旦売って買い戻し。
-【資産】主力株が上昇開始
2014年
-【損益】Apple株をすべて売却。億り人に。利益で初めて車(=250万円)購入。
2015年
-【貸株】貸株で709万円。給与収入+雑所得(貸株)で合計1400万円弱。ふるさと納税33万円、海外旅行150万円散財。
2016年
-【資産】主力株値下がりに伴い急減。優待株を70銘柄ほど購入。ジュニアNISAを始めた。
- 主力を小型株2銘柄(4500万円+3200万円)に資金集中させて値上がりを待つ日々。将来的には配当利回り高い銘柄に移行して配当生活を送りたい。
・住居
月12万円のアパート暮らし2023年までは会社補助が半額ほど出る。
・これまでの相談先
・・銀行
2015年ごろ資産1.5億のときに2か所に相談に行った。1億越えの富裕層は別室に案内されて特別な金利の預金でも紹介してくれるかと思いきや、信託報酬がなんと2%越えの投資信託の案内(しかもパンフレットのチャートはリーマンショック後が起点なのでみんな右肩上がり)やら生命保険の紹介しかしてくれなかった。マイナス金利時代に生き残るには銀行も大変なんだろうけど情弱向けサービスしか提供していない模様。というか資産運用の相談先としてよりによって銀行なんかに期待する自分が一番情弱。オフラインはケータイキャリアでも証券でも銀行でも手数料超絶ぼったくりなことは火を見るより明らかなわけでネット専業への信仰心が強まっただけだった。
・・税理士
区役所の無料相談。貸株700万円を超えた頃、法人設立した方が節税できるのではないかと相談にいったが、少なくとも年1000万円を超えないと手間と費用が掛かるだけとのことだった。
先月行ってきた。50分間の無料相談。ふるさと納税や確定拠出年金などの節税は極限まで徹底し、保険は会社の団体生命保険ぐらい、しかも住宅ローンもないのでFP的な典型的な突っ込み所が無かったと思う。ただ厚生年金と健康保険の労使折半の効果は大きく、まだまだ会社を辞めてリタイヤできないという点には気づかされた点が良かった。
そして、安倍が2012年の自民党与党復帰後、災害が起こるたびに批判している政策で有名だ。確かにダムや新幹線の建設が数年単位で遅れ、計画も縮小したものが多いので土建屋にとっては死活問題だったことは予想できよう。
しかし、今回の台風でそんな薄っぺらい批判は数少ない野党叩きのネタを何年経っても言ってくる面倒くさい人間でしか無かったことが明らかになった。
一番の問題は二階幹事長の「ほどほど」発言だ。そもそも台風にほどほどもクソも無く、一定の条件が揃えばどれも台風であり、台風以外でも条件によっては決壊するリスクは孕んでいる。そんなことは西日本豪雨災害の復興に携わった自民党なら分かりきってるはずだ。
しかし、自民党は何も分かっていなかった。永田町の自民党本部が何も被害が出なかっただけで全く日本を見ていない発言をしたのである。
永田町だけで見れば地下鉄も止まっておらず、浸水も土砂崩れも起きていなかったが、それは自民党が東京一極集中政策により治水事業を東京を始め都市に集中させたのが原因だ。
それこそ気圧だけ見れば東京神奈川で大きな被害が出るから、普通永田町で「ほどほどの災害」にはならないはずだ。地方を切り捨てて東京を守る選択をした公共事業の一極集中が今回の地方での大きな被害に繋がった。
なぜ米国はMITメディアラボ前所長 伊藤穣一氏だけ責めるのかと、日経ビジネス編集部 ニューヨーク支局長 池松 由香氏は書いたけれど、全然そんなことない。リード・ホフマン(LinkedIn創業者)は謝罪するまで責められたし、MIT学長も学内のミーティングなどで批判を受け続けている。
伊藤穣一氏も責められた理由の1つは、マスコミを完全に無視したことにある。学術機関の所長でありながら、科学雑誌サイエンスにすらコメント拒否を貫いた。社外取締役を務めていたニューヨークタイムズは、伊藤穣一氏への告発を握りつぶした。伊藤穣一氏が所長だったときのフードコンピュータの偽装隠蔽、環境汚染隠蔽が報道されても、日経ビジネス シリコンバレー支局長 市嶋 洋平氏が米国は犯罪歴がある人間、特に性犯罪者に対して厳しい社会だが、伊藤氏はそうした人々の更生を、公正かつオープンに進めていきたいという考えを持っていたという。と擁護記事を書いてくれる、強力な人脈は健在だ。ただ、「自分は性犯罪者じゃない。法律に触れただけ。殺人者とベーグル泥棒ぐらい違う」というエプスタインの発言が報道されており、彼に更生する(必要がある)という気持ちはなかった。
この記事では、伊藤穣一氏を擁護するために、次の事実を書き換えている。
かばってくれる人がいるのは、伊藤穣一氏に人徳があることに他ならない。
マスコミに狙われても、ビルゲイツのように無関係だとコメントを出しておけば責められることはなかった。そのコメントが嘘だとばれるまでは。
伊藤穣一氏への告発を握りつぶしたニューヨークタイムズがビルゲイツのコメントが嘘だったと詳細に報道している。
Bill Gates Met With Jeffrey Epstein Many Times, Despite His Past ビルゲイツ、エプスタイン有罪判決後に何度も会う
2011年1月31日 ビルゲイツ、エプスタインの別邸を訪問。後に、エプスタインは「ビルゲイツは素晴らしい」と友人に、ビルゲイツは「エプスタインは魅力的で知的」と称賛。
2011年2-3月 TED2011で2人がプライベートで会話するのを目撃されている。
2011年3月3日 ビルゲイツ、ニューヨークにあるエプスタインの邸宅に訪問。JP モルガン取締役や元アメリカ財務長官ローレンスサマーズも。
2011年 ビルゲイツとJPモルガンは Global Health Investment Fund (GHIF) の設立を準備。エプスタインは、JPモルガンの重要顧客だったコネで、設立の議論に関与。
エプスタインは、ゲイツ財団の資金で基金を設立。ゲイツ財団には秘密で、調達資金から手数料を取って稼いだ。
2011年末 ビルゲイツの指示で、ゲイツ財団はエプスタインの邸宅に慈善事業資金調達のチームを派遣。エプスタイン「少女売春強要はベーグル泥棒より悪くない」
2012年初 別のゲイツ財団のチームがエプスタインの邸宅を訪問。
2013年3月 ビルゲイツはエプスタインのジェット機でニュージャージーからパームビーチへ。
2013年9月 エプスタインとビルゲイツが夕食を共にする。ゲイツ財団と慈善事業について話す。
2014年末 「ビルゲイツに会えない」とエプスタインが友人に愚痴る。
シャフトの新作TVアニメ『アサルトリリィ Bouquet』が発表された。
【#アサルトリリィ交流会】
✨ビッグニュース!✨
シャフト制作による新作アニメーション『アサルトリリィ BOUQUET』制作決定!
▶アサルトリリィプロジェクト公式サイトOPEN→ https://t.co/DCydMWQpBv#アサルトリリィ #シャフト pic.twitter.com/1TR1bg4cRC— アサルトリリィ公式 (@assaultlily_pj) 2019年10月13日
今後追加スタッフの発表でも名前がなければ、シャフト制作でメインスタッフに彼がクレジットされていないTVアニメは2006年の『REC』以来十数年ぶりということになる。(ソースはウィキペディアなので情報の正確性に疑義あり)
シャフトは2004年の『月詠 -MOON PHASE-』以降、新房昭之が中心となってテレビシリーズを制作してきた。
多くの新房昭之監督作品では副監督やシリーズディレクターを別に立てることが多く、近年では彼が総監督としてクレジットされ、別に監督が立てられるパターンが多い。
2007年以降に制作されたTVアニメの全てにおいて何らかの形で彼が関わっている。
そんなシャフトのTVアニメから新房昭之の名前が消えるというのは、ちょっとしたニュースなのでは?と思った。
まあ、実際のところは……
シャフトは2001年〜2005年の間にGAINAXと共同で制作を請け負っていた時期があり、『アサルトリリィ Bouquet』の佐伯昭志監督はその時期に『この醜くも美しい世界』『これが私の御主人様』で監督をしていた人物である。
つまり、今回の制作はその頃のGAINAX×シャフトの座組みのようなものと考えるのが妥当であろう。
佐伯昭志はGAINAX所属であるが、ガイナはご存知の通り現在は制作部門がほぼ機能していない状態なので、元請けとしてはシャフトが単体となった、というのが素人目で見て考えた真相かと思われる。
「電子書籍元年」と喧伝された2010年に、iPadとあわせて入手した電子本の半数以上は、最新のOSで開くことができない。
標準フォーマットのEPUBから外れた独自規格が原因らしいが、10年経たずに朽ちてしまう本って、いったい…。 pic.twitter.com/jJHNB3uhPy— 桂川 潤 Katsuragawa, Jun (@jun_soutei) September 30, 2019
2010年はいくつかある「不発に終わった電子書籍元年」だよ。
7月楽天Kobo、9月Google Nexus 7とGoogle Playブックス、10月Apple iPad miniと日本語組版に正式対応したiBooks 3.0、同じく10月Amazon Kindle 4機種とKindleストア登場。ということで、正真正銘の「電子書籍元年」がやっと訪れた。Kobo、Google、Apple、AmazonそしてSONY、すべてEPUB 3が基本フォーマットになっているのは感無量。
つまりKindleの日本語版が登場した2012年が真の「電子書籍元年」だ。
「EPUBが基本フォーマットになっている」というのも重要で、
「電子書籍元年」になれなかったし「10年経たずに朽ちて」しまったんだよ。
当然のことをいまごろになって騒ぐほうがおかしい。
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インターネットの未来は,電話が携帯電話により,個人の物になったように,ネット端末が個人の物になっていくだろう.この過程の上で重要な端末がスマートデバイス,つまりスマートフォンやタブレット端末だ.これらはそれ自体でネットに接続することが出来,持ち運びが可能なため個人で所有できる.また通信技術も4Gというネットが家庭に普及したADSLと同等の速度を持つ規格が普及しつつある.この見地からもネットが個人の物になっていく傾向が伺える.
それでは,ネット端末が個人の物になった未来ではどうなっているだろうか,近い未来では,スマートフォンで動画を投稿しあうソーシャルサービスが出てくるのではないだろうか.現在は'Instagram'のような画像を投稿し共有しあうサービスが登場している.それが回線の高速化によりソレの動画版が出てもおかしくはない.その場合,大量の動画を画像のように消費する必要が出てくるので60秒以内などの制限がつくであろう.
また,個人の物になったということは,ネットは公の場という価値観も変わっていくだろう.つまり,現在でも問題になっている個人の問題発言などは更に増えていくのではないだろうか.それをシステム的に制御する必要性が出てくるだろう.必要な人には可視,そうでない人には不可視にする仕様がデフォルトになり,個人情報とともに個人のログもマスキングされていく.
それではその未来においてインフラ技術はどのように進化するだろうか.まず,要求されるデータ量や計算処理は増加していくだろう.ムーアの法則によりCPUやメモリやHDDは増加していくが,それらの間のI/O通信が処理時間のボトルネックになっていくのではないだろうか.それを解決するために,HDDはオンメモリのDBやSDDに変わっていき,HDDはそれほど速度を要求されない場所に使われることになるだろう.また,CPUも更にメニーコアになり,GPUコンピューティングもインフラ技術に組み込まれていく.
しかし,データ量や計算処理が増加して,要求されるスペックも大きくなるにつれて,消費電力も増加するという問題点も出てくる.それに対応するために,様々な対策が講じられるだろう.現在でもインテルが低電力が特徴のIvy Bridgeをリリースしたり,Facebookもサーバー運用の仕様をOpen Compute Projectとして公開している.これからはその傾向が加速し,消費電力を維持したまま,計算量は増えていくだろう.
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Ivy Bridgeとかなつかしー。Open Compute Projectはホワイトボックススイッチとかいい感じですね。
動画コンテンツが流行るには回線の速度が必要になるとか、インフラスペックがコンテンツの流行りを決めるというのは今でも自分のテーマにある。セガはいつも早すぎるんだよ!
「戦犯旗」の初出はハンギョレ新聞では2013年、中央日報では2012年。2011年以前は「戦犯旗」という単語はこの二紙には一度も登場していないとある。
「旭日旗」「旭日昇天旗」も、1995年以前はこの二紙には登場しない。
「戦犯旗」という造語が登場したのは2012~2013年だが、正式名称である「旭日昇天旗」「旭日旗」が2011年から増え始めており、その翌年2012年に急増、それにつられるように「戦犯旗」が出現している形。
2011年にキソンヨンがヘイトパフォーマンスを行い、それを正当化する過程で「戦犯旗」の発明が2011年~2013年頃にかけて起きたと考えるのが妥当だろう。
女性向けネットの特集記事とかでは見かけたりするけど、テレビではあんまり聞かないな
というか、2019年の今、「女子力」なんてジェンダーのなんやかんやで、すごく炎上しそうじゃない??
でもちょっと前の2012年くらいには、男女問わずみんな普通な顔で「女子力高い」とか「女子力低い」って言ってたよね。
つい最近のはずなのに、なんかすごい時代だったんじゃないかって今振り返るとそう思う。
私はいわゆる世間からすると女子力低い人間だったから、2012年くらいはちょっとだけ生きづらい思いをしたりした。
個人的にはジェンダーとかフェミニストとかそういった話には興味ないし、どちらかというとそういうのにうるさい人に対してニガテ意識があったけど、彼女(彼)らも「女子力」ブームの時は、私と同じく生きづらかったのかなと思うとちょっとだけ同情してしまう。まぁちょっとだけだけど。
一般的な旭日旗の光線が十六条なのは、菊の御紋(十六葉八重表菊)に由来する。
戦後、軍の解体に伴って「軍旗としての旭日旗」の歴史は途切れたが、
1954年、自衛隊が発足するにあたり、帝国軍旗を受け継ぐ形で自衛隊旗として採用された。
近年、「韓国の旭日旗批判は2011年以降に作られた新しいもの」との風説があるが、
韓国や中国の過去のニュースを見ても、それ以前から「日本の軍国主義を思い起こすもの」として、
ただし韓国における「戦犯旗」という蔑称は2012年頃につけられたものである。
鉤十字。
ヒンズー教や仏教など、古くからさまざまな宗教や民間信仰で「幸運の印」などとして用いられてきた。
1900年頃から、「アーリア人」がヨーロッパ人の共通の祖先であるという思想(アーリアン学説)のもと、
ドイツ国内でハーケンクロイツは「最も優秀なアーリア人であるドイツ人の象徴」とみなされるようになり、
1919年に設立されたナチスもそれを踏まえて1920年に党旗をハーケンクロイツとした。
1933年にナチスが政権を掌握するとハーケンクロイツは国旗に準ずるものとされ、
終戦後、ハーケンクロイツはナチズムの象徴とみなされ、ドイツでは公の場での使用を禁止された。
1990年の東西ドイツ統一以降、ネオナチの活動が顕在化するにつれて、
ハーケンクロイツへの警戒も強まっている。
イギリスのヘンリー王子がナチス風の軍服を着ていたという2005年の問題をきっかけに、
ハーケンクロイツの使用をEU全域で禁止する法案が提出されたが、
これはヒンズー教徒の反対などにより阻止されている。
こうして見ると旭日旗とハーケンクロイツに大きな差はないように思われる。
特に「元は平和的な図案だったが悪質な政治に利用された」といった話は双方に共通する。
ただ、ハーケンクロイツが直接的に「(悪である)ナチスのシンボル」とみなされるのに対し、
旭日旗は「(悪である)大日本帝国の軍隊のシンボル」であるため、やや間接的な関係に思われる。
このあたりの印象の差があり、ハーケンクロイツほどには規制されなかったのだろう。
また近年のインターネットの普及によって、各国のナショナリズム的行動が可視化されたことで、
より大きく反発が起きるようになった面もあるのではないかと思われる。
旭日旗について言えば、
明治になってから軍旗として採用され、菊の御紋と重ね合わされる「十六条旭日旗」が、
皇国史観や軍国主義と結び付けて見られるのは仕方ないのではないか。
仮に旭日旗の使用を擁護するならば、「元は平和的な〜」や「奇誠庸が〜」などではなく、
「十六条旭日旗のみ」に問題を限定したり(この場合は海上自衛隊の自衛艦旗は変更することになる)、
「思想的なシンボルではなく軍旗にすぎない」ことを強調する(この場合は自衛艦旗としての利用は擁護するが平和的な場では使用を控える)、
といった点を前面に出したほうが良いのではないかと考える。
なんなの?
Web魚拓は申請で消されるわ利用者が開示されるわでArchive.isと比べて全く良いところがない完全下位互換サービスだ。
Archive.isは2012年に登場してから数々の炎上事件を経て定着してきた感があるが、
未だWeb魚拓のURLをドヤ顔で持ってくる知恵遅れが後を絶たない。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674149750532912354/comment/daiki0910
https://b.hatena.ne.jp/entry/4674189272856780322/comment/mobile_neko
なんなんだ?
一つも具体的な誤りを指摘しないで雰囲気論破してるアホがいますね。こういう態度取る人間は論破できるところあったらそこ大げさに騒ぐのにそれをしないってことは、具体的に反論できるところがないんだなってわかって自身が付きました
ソース無し版。ソース付き版はこちら →https://anond.hatelabo.jp/20190909174742
①日本政府は、最初から徴用工に未払い金を払うつもりで1946年から供託金を積んでいた
②1965年に戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」と両国間で同意して当時の韓国の国家予算の倍=今でいえば47×2.3で110兆円規模の支払いをした
③韓国政府や韓国メディアは、戦後補償について「完全かつ最終的に解決した」とする1965年の日韓請求権協定を当時韓国国民に積極的に周知を行うことがなかった
④のちに戦後補償がこの協定により完全解決していることは、政府レベルでは韓国側議事録でも確認され、日本政府もこの協定により日韓間の請求権問題が解決したとしてきた。
⑥あげく韓国の議員がゴネだしたので言う通り当時の条約締結の過程を掘り返したら韓国側が墓穴を掘った。自分から事実確認を求めたくせに、事実が自分に都合が悪くなったらなかったことにした。
⑦2010年李明博大統領の時、「韓国政府は慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者については対象外だ」と後出しじゃんけんを始めた
⑨自国内の判決で過去の判決に手のひらクルーしただけでなく、他国の司法判断に干渉を始めた
⑩ルールが変わったので、2013年からは過払い金訴訟の感覚で日本を訴える人が続出
⑪最後の一線として「日韓請求権協定は違憲」という訴えを却下する程度の理性は残ってた
⑫パククネ政権では、徴用工問題について日本に厳しい判決を出さない司法が弾圧されるなど三権分立がさらに崩壊してしまう
⑬行政からの弾圧を受けた大法院がついに「日韓請求権協定」を無視した判決を確定させ、日韓の信頼関係に大きなひびがはいる
⑭日本から「補償金」という名目で多額の支援を受けてたのを国民に隠していた政府がその事実から目をそらすために三権分立を破壊してまで日本を執拗に攻撃していた
⑯ムンジェイミン、教科書を変えれば過去がなかったことにできると考え、司法だけでなく教育まで変えようとする
今ここ。
Wikipedia読んだ。
条約締結以前の1946年、日本政府は日本企業に対して朝鮮人に対する未払い額を供託所に供託するよう指示を行っている。2009年8月現在、日本に供託形態で保管されたままとなっている韓国・朝鮮人への不払い賃金額は、強制動員労務者2億1500万円、軍人・軍属9100万円などで総額3億600万円となっている
財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定 - Wikipedia
・第2条が日韓両国間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」規定
・この協定に基づき、日本は、韓国との正式国交開始と同時に、韓国に対し、合計5億米ドル(無償3億米ドル、有償2億米ドル)及び民間融資3億米ドルの経済協力支援を行った。当時の韓国の国家予算は3.5億米ドル程度、日本の外貨準備額は18億米ドルであった
2009年8月14日、ソウル行政裁判所は、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した1965年当時の書面に「日本に動員された被害者(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにした[2][3]。韓国政府は、日韓基本条約締結時からこの付随協定の内容を韓国民に伏せて
2005年の盧武鉉政権から、韓国政府は慰安婦、サハリン残留韓国人、韓国人原爆被害者の問題については日韓請求権協定の対象外だったと主張し始めた
韓国の与野党議員27人が、1965年の日韓基本条約が屈辱的であるとして破棄し、同時に日本統治下に被害を受けた個人への賠償などを義務付ける内容の新しい条約を改めて締結するよう求める決議案を韓国国会に提出するとともに、日韓両政府が日韓基本条約締結の過程を外交文書ですべて明らかにした上で韓国政府が日本に謝罪させるよう要求した。
2009年8月14日、ソウル行政裁判所は、大韓民国外交通商部が裁判所に提出した書面に「日本に動員された被害者のための(未払い賃金)供託金は請求権協定を通じ、日本から無償で受け取った3億ドルに含まれているとみるべきで、日本政府に請求権を行使するのは難しい」と記述されていることを明らかにした
韓国政府は元徴用工の対日補償請求はできないと表明していたが、韓国大法院は2012年5月23日、日韓併合時の日本企業による徴用者の賠償請求を初めて認めた。
韓国大法院は「1965年に締結された日韓請求権協定は日本の植民地支配の賠償を請求するための交渉ではないため、日帝が犯した反人道的不法行為に対する個人の損害賠償請求権は依然として有効」とし、「消滅時効が過ぎて賠償責任はないという被告の主張は信義誠実の原則に反して認められない」と主張した。
また、元徴用工が日本で起こした同趣の訴訟で敗訴確定判決が出たことに対しても、「日本の裁判所の判決は植民地支配が合法的だという認識を前提としたもので、強制動員自体を不法と見なす大韓民国憲法の核心的価値と正面から衝突するため、その効力を承認することはできない」と主張した
韓国の下級裁判所では元徴用工と元徴用工の遺族が日本企業3社(新日鉄住金、三菱重工業、不二越)に損害賠償を求める裁判を相次いで起こしている。
2015年12月24日現在、確認されただけで係争中の裁判が13件あり、このうち5件で日本企業側に損害賠償を命じる判決が出ており、3件が韓国大法院の判断を待つ状態になっている
2015年12月23日、1965年に締結された日韓請求権協定は違憲だとする元徴用工の遺族の訴えを審判の要件を満たしていないとして却下した。
韓国大法院は2018年までの約5年間徴用工訴訟について判決を出していなかったが、2018年に韓国の検察当局は朴槿恵政権期に大法院が大統領府や外交省と協議し故意に判決を先送りしてきた疑いがあるとし法院行政所の元幹部などを起訴[19][20]。2018年12月3日には職権乱用などの容疑で当時大法官(最高裁判事)だった朴炳大の逮捕状をソウル中央地裁に請求した
2018年10月30日、韓国の最高裁にあたる大法院は差し戻し審で新日本製鉄(現新日鉄住金)に対し韓国人4人へ1人あたり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。徴用工訴訟において大法院で結審したのは初めて。
2018年12月、戦時中に日本企業に徴用されたとする韓国人とその遺族が、1965年の日韓請求権協定で日本政府から3億ドルの無償支援を受け取った韓国政府に補償責任があるとして、韓国政府に対して1人当たり1億ウォン(約1千万円)の補償金の支払いを求める集団訴訟を提起することが明らかになった[23]。
小学校の教科書から「漢江の奇跡」を削除……韓国の歴史とは「道徳教育」である | 文春オンライン
韓国大統領、教科書から「黒歴史」消してさらなる親日潰し(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
でも8月15日時点ではここまでやばくなかったんだよな
そんな感情を抱いたのは小さい頃からだった。クラスで読み聞かせられる絵本や道徳の授業で、登場人物が困っていたり悲しんでいたりしても何も思わなかった。むしろ、なんで登場人物は感情を昂ぶらせることができるのだろうと不思議でなかった
けれども、それが普通でないことは直ぐに気づいた。それはそうだろう、自分が何も思わない時に周囲は頬に涙を垂らし、中には嗚咽を上げる人もいた。周りの人間の感じることなんて全く理解できなかった。でも、大半が同じような人ばかりだった。だから、自分の方が少数派であり、おかしいのだと分かった。
それからというもの、普通の人間のように振る舞った。学習材料は、家族や友人が見るドラマや漫画、アニメなどの物語からだった。自分には面白さが全く理解できなかったけれども、どのポイントで人が感動するか理解した。だから、日常会話や体育祭などのイベントごとでは困らなかった。
なんなら、皆の感情を高まめるためにワザと泣いたり、指揮を取ったりもした。その時の感覚はゲームのようなもので、ただただ感情のツボを探して押せば周りが笑顔になったり悲しんだりしていた。面白かった。人間は単純で、ある意味機械的な動物なんだなということを知った。
中学生の頃に見た映画が、生活を一変した。『悪の教典』と呼ばれる2012年に公開された伊藤英明主演のサイコホラー作品である。内容をざっくばらんに説明すると、教師が学校で生徒を無慈悲に殺しまくるというものだ。これを観た時、衝撃が走った。生徒を殺して楽しそうな教師を見て、「いいな」と思ったのだ。
それからというもの、「人を殺してみたい」という欲望で頭が一杯になった。何度も殺してみようと思ったことがあった。部活帰りの暗い夜道で、前を歩く体の細い子を気づかれないまま首を絞めてしまおうと思ったり、同級生の家の近くにある小池に誤ったフリして落とそうと思ったり。少年法では罪が重くならないから、未成年の内に一度殺しを行った方が後々の為になるのではと考えたりもした。
とにかく、毎日人を殺すことを考えた。そして、その度に決まって勃起した。僕は家や学校の臭いトイレでスッキリさせることで、殺人への欲も発散させることができた。はけ口があったから、僕は今まで人を殺さずに生きてこれた。
そして、今年の4月から放送開始された「あなたの番です」を視聴していた。見ていない人はググったりして欲しいが、ざっくり言うと連続殺人ものである。最終回は元乃木坂46の西野七瀬演じる黒島沙和が、黒幕であることを語り、人殺しを愛してるというサイコパスぶりを顕した。SNSではこの常軌を逸した行動に理解できない人が多かったが、僕はそうでなかった。大体のシーンを殺し側目線で楽しみ、共感した。そして、勃起した。
特にオチはないが、世の中にはこういう人間もいるのだと覚えていて欲しい。殺しを我慢して日常生活を送っている人がいるのだと。僕は人殺しの欲を別の方法で昇華させることができるが、中には上手く行かずに悶々としている人もいるかもしれない。もし、そういった人の相談を受けても否定しないで欲しい。欲望をコントロールすることは本人でも難しく、下手に矯正しようとすれば過剰なストレスを溜め込むことになるだろう。だから、下手に刺激せずにそっとして受けとめて欲しい。お願いだ。
アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を見て感動したので、その感想を書いてみます。(ネタバレありなので注意)
2012年に「魔法少女まどか☆マギカ」にハマってからアニメをよく見るようになりましたが、最近はほとんど見なくなってしまいました。他のことで忙しいというのも理由ですが、アニメの場合心情描写が少なく、表面的になってしまって面白いと感じることが少ないためです。
もちろん、まどマギやエヴァは例外ですが、それ以外ではやはり面白味を感じる作品は少なかったです。たまにドラマや映画を見るとその心情描写の深さに自分が人間ということを思い出させてくれるような気分でした。
そんな中での「おおかみこどもの雨と雪」でしたので、心情描写にドキドキさせられっぱなしでした。小学生の気持ち、特に高学年の淡い恋心にとても共感できました。
主人公(花)は二ホンオオカミの末裔のおおかみおとこ(名前は不明)と恋に落ちます。
姉(雪)と弟(雨)の2人の子宝に恵まれますが、雨が生まれた直後に夫は死にます。冒頭の見せ場であるはずの夫の死がほんとあっけない。。。花はおおかみの姿で川で死にゴミ収集車で処分されるところを発見します。
夫の死の理由は全く不明ですが、雪の予想では「赤ん坊のために狩をする本能がはたらいたのかもしれませんし、産後すぐの母に需要のあるものを食べさせたかったのかもしれない」とのこと。つまりは、おおかみの死に人間に非はないということ。捕まって殺されたわけでもなく、車とぶつかって事故死したわけでもなく、おそらく鳥を取ろうとして誤って川に転落して死んだということです。おおかみの死が人間と無関係に生じていることが、野生で生きるということの厳しさを物語っていると思われます。
また、その死んだおおかみを人間はあっさりとゴミとしてゴミ収集車で処分するという無機質さ。人間が動物を特別視していないということ、人間のみが尊いと考えられているというが分かります。愛する夫が目の前で死んでおり、ごみとして処分されても何もできない無残さが自然の世界を表しています。
その後は女手一つで2人の子供を育てることになりますが、2人ともおおかみの資質を持っていておおかみに変身できるため、その育て方に花は奮闘します。花の設定が、東京のはずれにある国立大学の社会学部社会学科の学生だったというのは、異文化を理解し、本などから知識を得る向学心があるということを端的に表しているためでしょう。普通の人なら異文化(おおかみおとこ)を受け入れるのは難しく、さらにはおおかみこどもを育てようとはならないでしょうから。
花は最終的に田舎に移住し、自然の多い中、子供たちに人間として生きるのがいいのか、おおかみとして生きるのがいいか、その道を考えさせるようになります。
田舎での自給自足の生活は不便で大変ですが、花は本で農業や動物について勉強したり、周りのお年寄りに支えられることを学びながら2人を育て上げます。
その後2人とも成長し小学生になりますが、雪は自分がおおかみであることを隠すようになり、人間としての生活を選ぶようになります。一方、雨は小学校に行っても馴染めず、「先生」と呼ぶアカギツネに師事し、おおかみとしての生活を選びたいと思うようになります。
まあ、花がバイトで自然観察指導員として雨を仕事場に連れていかなければ、他の動物と会うこともなく、雨が山でおおかみとして生きることを選ぶことはなかったかもしれないですが、それもまた人生ですよね。
最終的には、雪はクラスメートで恋心を抱く同級生の藤井草平に自分がおおかみであることを明かしますが、人間としての生活を選び全寮制の中学に進学します。一方で、雨は10歳のときに先生の死後役割を引き継ぐために山に入り、おおかみとしての生活を選ぶようになります。人間での10歳はまだまだ子供ですが、おおかみとしての10歳はかなりの大人なのでそのような選択ができたのでしょう。
以上の通り、2人は全く正反対の生活を選びますが、これは花が子供に好きな道を選んでほしいと考えたためです。花は決してどちらの方がいいと強制したわけではありません。雨に「山に行ってはいけない」と止めていたのは台風の中山に行くことは危険というためでおおかみの生活を選んではいけないということではなかったわけです。
誰かに何かを教えるときは自分の理想の姿になってほしいと考えてしまっていましたが、どのような姿になるかは人ぞれぞれであり、その人の気持ちや適性から自分で判断するのがよいと考えるようになりました。
2人の名前の雨と雪はそれぞれ生まれた日が雨の日・雪の日だったためですが、同じ水でも全く違う方向になるということのメタファーなのでしょう。このタイトルの深さが分かったときは本当に考えさせられましたよ。
ということで、いろいろと感じることが多い作品でした。みなさんも見てみていろいろ感想を感じてください。細田作品で特におすすめの作品となりました!!