はてなキーワード: 駄々とは
淳さんがツイッターで唐突に「今から北海道の○○に行くので地元の皆さんは○○を持って集合してください」と呼び掛け、果たして平日の急な呼び出しに地元の人は集まってくれるのか?という番組である。
おれの地元で集合の呼び掛けがあり、それを知った友人から誘われ行くことにした。お互い平日休みでよかった。
身バレするのが嫌なので何を持って行ったかは言わないが、行くと100人はくだらない人数が集まっていた。全員がロケに参加すべく指定された物を持っているのだ。全員ロケに参加したら何時間かかるかわからない。淳さんも忙しいだろうし、テレビ局もある程度時間を決めているだろうし、その中から面白そうな人だけイジってある程度撮れ高OKになったらすぐ撤収するだろう、おそらく俺はイジってもらえないな、と期待をせず長蛇の列に並んだ。
そして淳さん到着。それまで静かだった集合場所が一気に沸いた。
テレビ局スタッフの「写真撮影はOKですが、ネットの生中継はやめてください」と呼び掛けるやいなや、その場の全員がスマホを向けてパシャパシャ。
あー、なんかスタッフ許可はあったけどみんな嫌な感じで撮ってるなー、と思ったけど淳さんは一切嫌な顔せず、「みんなどんどん撮って!」とサービス精神の駄々漏れ状態である。
さて、いざ撮影開始。「うわー!すごい人数いるねー!」と驚いていたが、この番組史上最大の人数だという。
「じゃあ、一番前の人から始めよっか!」と面白そうな人をランダムで選ばず、律儀に一人づつイジり始めたのである。
若い女性も、不審者っぽい様子のおかしいオッサンも、小学生も、分け隔てなく一人一人じっくり時間をかけて平等に接していくのである。
マジかよ!いつ終わるのかもわからない途方にくれるような作業、真面目にやるのかよ!
俺だったら最初の10人目くらいで言うことなくなるだろうし、帰りたくなるわ。
集まった一人一人を時間をかけて接し、相手を傷つけない程度にしっかり笑いをとる。このへんのバランス感覚はさすが。毎回新鮮なリアクションで接し、観ている者を飽きさせないのだ。
あれだけしっかり相手にしてもらったら本当に来てよかった!と思う。予想以上に大満足である。とにかくサービス精神旺盛の一言では片付けられない働きっぷりだ。
淳さんがこんなに働いてるのに、こっちは無料で体験できるのである。贅沢にもほどがある。
途中救急車が近くを通り撮影が一旦中断しても、カメラも回ってないのに淳さんは休憩せず喋り続け笑いをとり続けている。
最終的に、ロケが終わるまで6時間もかかった。その間、たまに水を飲むくらいで一切休憩せず立ちっぱなしでぶっ続けに集まった一人残らず全員の相手をしたのだ。しかもずっと笑いをとりつづけながら。
これがプロの仕事か。俺には到底できそうもない。ネットでは評判の悪い人だけど、いざ目の前にした時、誰もがファンになると思う。こんな人モテて当然だわ。
ちなみに、俺は身体を張るネタを披露し、集まった素人の中では一番の笑いをとることができたと自負している。スタッフの人からも後で「すごい良かったよ!」と声をかけていただき、放送でも一番の長尺で放送された。
ちなみに個人的に面白かったのは、テーマに沿ったものを一切用意せずとりあえずテレビに出たいだけで集まったノープラン男連中である。
「お前、よくそれで来れたな!」というノープランぶりで、何をやっても滑り続け、クイズタレント名鑑でコウメ太夫がイジられている時のような噛めば噛むほど味が出る面白さがあったが、そういった人たちは一切放送では紹介されてなかった。こういう時こそ芸人の本領発揮といった感じで、淳さんの芸人としての面白さが存分に発揮されてただけに、残念。
俺は録画機器を持っていないので、実家でHDDレコーダーで録画してもらい番組を保存してもらっていたのだが、俺が出ているということを忘れた親が消してしまった。再放送されないかな。
こんなオワコンの日本に生まれちまって、もう新元号を迎えちまった20歳の自分は何すりゃいいのかね
日本は2次元コンテンツの源流だし東京や東京近辺にいれば金以外に趣味で困ることはないし治安、衛生もいいとされてる先進国だ
なのに出生率は1.43(2018年)で駄々下がるばかりだし幼稚園の待機児童だの育児問題だのはなかなか解決されないからそのせいで今もこれからも年金はクソほど減ってくし
性差別は男女どちらにもまだ存在しているしLGBTQや身体・精神障害者にも同じく差別はあるしそのせいでフェミ(というよりミソジニスト)とオタク(というよりミサンドリスト)の言い争いは耐えないし
ブラック企業や○○ハラスメントという、問題にテンプレ的な呼称が与えられて問題視されるようになったけど全部の会社や仕事がクリーンになったわけでもないし
よく「クールジャパン」とか言われて称えられたアニメやCGも、最近はアメリカや中韓がこちらを後追いしつつある(例えばスパイダーマンスパイダーバースとか、アプリゲーの崩壊3rdや非人類学園の公式がうpってるアニメとか見たら「外国製www」って笑えんくなるぞ)
自分は一応今将来どこか外国で暮らせるように英語やフランス語勉強してるけど、やはりどうしても日本文化に染まりまくった俺は日本を離れるのが苦しい。数年前家族でハワイ旅行行ったけど、アプリゲーがログイン専になったりYouTubeが一部見られなかったりするのがきつくてきつくて地味に「早く帰りたい…」って思ってた
こういうこと言ってると親が「そんなに言うなら政治家にでもなって世間を変えなさいよ!」って言うけど、もしそうなろうと本気で思ってるならもっと昔から勉強してる。でも今の政治家をニュースなり国会中継なりで見ていて自分はむしろ「せっかく勉強して選挙に受かったところで、あんな誰かを蹴落すのが本性みたいな奴と同じになんてなりたくねえ!」って思ったよ
ペルソナの主人公みたいに、そう簡単に世界を変えるなんてやっぱ出来ない。出来ないからこそああいう作品に憧れや希望を抱くんだろうな
…なんか脱線したけど、やっぱ日本に生まれて日本のオタクコンテンツにズブズブになった日本パラサイトの自分は日本に骨を埋めるしかねえのかなぁ
私は元増田さんじゃないですが、
「お互いに合わないと判断すれば、離れる権利はある」という話です。
勝手に極論で言い換えないでください。
そんな状況になってる時点で終わってる。配慮というならそんな状況になってる時点で足りてない。
相手から自分へ配慮が足りない点や、追い詰めている点は無視ですか。
他者ののための自己犠牲はやって当たり前とでも言うのでしょうね。
「俺がやっているから、他の人も気にかけてほしい」ならまだ分かりますが
「俺がやっている(?)から、お前もやれ!」はおかしいということを理解してください。
孤立している人が「他者の人格を尊重する」という最低限のことすら出来ていないのでは?
そもそも、「お互いに大嫌い」と言ったとして、貴方が「それでも一緒にいろ」って言う権利はないはずです。
もし、貴方がいう事が認められるのであれば、
「私は進んで孤立」します。そして「あんたが孤立させた!」と周囲の人間を批難しますよ。
貴方に何もかもを押し付けたり、貴方に嫌われるであろう行動を取り続けて「でも逃げないでね^^」ってやりますよ。
いいんですね?
なんですかねぇ。ズレてるんですよ、私が話をしたいとこと。
毎回ズラしていくのは何なんですかねぇ。ほんと。
君の話したいことって「人を排除するのは当然だ」っていいわけだろ。
ま、ずらしてる気もないが。
では、学校ではどうなるんでしょう。
「授業中の2人組のペアなどは普通にやる」でも「休み時間は他の人と一緒」その人は孤立。
私が最後の1人であり、自分自身で「あんたとは合わない!死ね!」とかいって避けた場合ですよ。
そんな状況になってる時点で終わってる。配慮というならそんな状況になってる時点で足りてない。
極論のケース、真面目に相手するのもあほらしいが、そんなこと言うって相当追い詰めてるだろそいつを。
「孤立させている」のは私以外の皆も含むじゃないですか。
「孤立している」側には、「孤立しないための努力」が必要であり
「他者の人格を尊重する」という人として最低限のことができていれば、そんなものは必要ない。
というか、「孤立させないための努力」とか言ってる時点で「他者を尊重したくない」本音が駄々洩れ
「君からは何もせず、孤立させるに任せてる」という意味。これでわかるか?
今その必要はないな。
極端すぎますね。
極端すぎることはみとめるが、同じことだ。
「他害する権利の主張」を君はしている。
前に「無視して低脳に殺されても文句言うなよ!」って言っていた増田さんが居たと思いますが
たぶん、あれ貴方ですよね。相変わらずなようで。
誰それ?
こんなことTwitterにも書けない。
叩いて欲しくて書く。
もともと自他ともに認めるヤリチンだったので、
不倫に抵抗は無かったし、付き合い始めた頃は別のオンナもいた。
徐々に他のセフレとは連絡を絶った。
でも嫁とは籍が入っているままだ。
不倫関係に悩んだ彼女から別れを切り出され、いったん彼女と別れた。
とにかく僕は彼女に夢中だった。手放したくなかった。
純粋に、一途に、真面目に僕を愛してくれた。
楽しかった。
駄々を捏ねればよかったのだろうか。
恋が始まってから終わるまで大人のオトコを演じていた僕はその場で承諾してしまった。
腑に落ちない、と言えば良いだろうか。
3ヶ月が経った。
両親はとうに鬼籍だ。
ついでに言うと転職に失敗して干され、
もう一度、彼女に会いたい。
追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄や石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。珍しくて高価なものではあるのですが、三河武士のあいだでやたらと流行っていて、十人いたら七・八人はヤクの毛をつけていたらしいです。というのも、ヤクの毛を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから、棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。
「本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。
三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。
治部少は石田三成(1560生)のこと。
「島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。
関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。
「佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。
「白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。
大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。
「津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。
火災のときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所七不思議」として知られている。
「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。
明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。
亀山とは、現在の三重県亀山市にあった、東海道の亀山宿のこと。
「伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠・伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。
「京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。
坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。
祖父が江島生島事件の江島の弟だったため甲斐に流罪となり、南柯は甲斐で生まれて岩槻藩士の養子となった。
儒学を学んだ南柯は、藩の要職を歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。
「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。
改鋳されたものが現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。
「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。
本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。
「原宿の山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。
「延寿太夫」とは、歌舞伎の伴奏音楽として発展した浄瑠璃「清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。
「鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。
一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在の岩手県一関市にあたる。
「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別に許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。
「建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。
これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。
八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの。地名から「松江城」とも言う。
熊本藩の本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である。
その気兼ねもあったのか、城は未完成で放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年に落雷で消失した。
「乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明。
保土ヶ谷とは、現在の神奈川県横浜市にあった、東海道の程ヶ谷宿のこと。
「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿の本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。
「花見寿司」は程ヶ谷宿の名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。
挙母城は、三河・尾張・美濃・信濃・遠江・伊勢・近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。
「海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名家当主の名跡で、落語家のことではない。
「だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。
「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣は1827年に焼失している。
松平定信に「昌平坂学問所で朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。
京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。
川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。
「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。
「茶壺」とは、二代目藩主・京極高豊が好んで収集した、陶工・野々村仁清の茶壺のこと。
「多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀家当主の名跡。
三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在の広島県三原市のこと。
その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。
三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用を許可された「葵の御紋」。
日光東照宮の工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。
「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。
第六代安中藩主・板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。
「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。
「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。
「更科の蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。
「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。
「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。
森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、
更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、
蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、
同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。
奈良生まれの儒学者・森田節斎の言葉であり、高取とは現在の奈良県高取町にあたる高取藩のこと。
「山のお城」は高取城のこと。
日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。
「谷の昌平」とは、幕末の儒学者・谷三山(1802生)のこと。
若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。
新城は、現在の愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主が安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。
「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在は存在しない。
「太田白雪」(1661生)は、地元の名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。
「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。
「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家は土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。
下総は下総国のことで、現在の千葉県北部と茨城県西部のあたりを指す。
「久保木蟠龍」とは、儒学者の久保木清淵(1762生)のこと。
伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。
「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。
そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。
しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。
悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎の演目になっている。
「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。
「佐野の桜」とは、旗本・佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。
「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。
秋元とは、現在の埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。
「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。
「岩田彦助」(1658生)は、川越藩の家老を務めた儒学者のこと。
「河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。
「千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。
「不動並木」とは、谷田部藩主・細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。
「広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物。
「飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学の知識を得ていたとも。
徳山は、長州藩の支藩で、現在の山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。
「藩主墓所」は、徳山藩毛利家の菩提寺である聚福山大成寺にある歴代当主の墓所のこと。
僕が小学生の時、その頃の僕はアレルギー性鼻炎と慢性鼻炎で鼻がよくつまっており耳鼻科に定期的に通っていたが然程改善されず、知らず知らずのうちに口呼吸が癖になっていた。
ある日、何かの拍子に、歳が5つ離れた兄に「呼吸音がうるさい」というようなことを言われて大泣きして喧嘩になった。
その時珍しく喧嘩の仲裁をしてくれたのが父で、僕から喧嘩の原因を聞いた時「人の身体的特徴をバカにするのは最低だ!」と兄を怒った。
もう詳しくは覚えていないが、実際には兄のニュアンスとしてはバカにするというよりは「うるさい」が焦点だったはずだが、ともかく、僕はこの時、父が言った言葉に対して「なんでそれが最低なんだろう?」と子供ながらにとても一生懸命考えて「自分がどうしようもないことを嫌がられると悲しい」という結論に至った。
父が怒る時は大体自分が執拗に駄々をこねて怒られるケースばかりだったが、自分が怒られたわけでもないのに父が怒った理由を真面目に考えたのはこのときが初めてだったと思う。
この時、僕は「本当にどうしようもないのか?」という疑問と、兄への反抗心から「どうにかして鼻で息したる!」と思いこの時から鼻が片方詰まっていたとしても、もう片方で少しでも呼吸できそうなら鼻呼吸をするようにした。
そうすると、不思議なもので意外と鼻呼吸ができてきて「あれ?なんで口呼吸していたんだろう?」と思ったのを覚えている。
多分、本当に鼻呼吸が出来ないときも多くて鼻呼吸という意識がそもそも抜け落ちてしまうと、鼻呼吸ができるような状態であったとしても癖で口呼吸をしていたのではないかと思う。
意識したからといって鼻炎が完全に消えるわけではないけれども、意識的に鼻呼吸をするようになってからは間違いなく口呼吸は消えた。
今でもたまに鼻炎らしき症状はたまに出るが、その度に自分が意識的に鼻呼吸をしていることを思い出す。
※追記:タイトルつけんの忘れてたな~と思って何の気なしに編集したら再投稿扱いされるの知らなかった…。内容変わってません。
なんかムカつく。。
私は本当にしんどい思いをしてきたのに、それを否定されているように感じる。
私が母に怒りを感じるのは当たり前で、それを許そうと私だってしんどい思いで乗り越えようとしてるのに。。
結局病気になるまで罪悪感なんて全く感じずに、好き勝手生きていて、自分が病気になったから、治すために自分の罪を許してもらって解放されるために呼んだってこと?それは私のためじゃない。自分のためだ。
私には献身的なサポートをしてくれる人なんて、中学の時から誰もいなくて、人格否定を常にされながら育って、そのおかげで相当に苦しくて人生に希望が見出せなかった。死にものぐるいで努力して、普通の人と同じ土俵に立ったと思ってもすぐに足元をすくわれた。
この精神病質は一生治らないんじゃないかって、思い悩んで、死んだ方がましで消えてしまいたいと何度も何度も繰り返しながら、原因と思われる事を恨んだ。
ずっと消えない、トラウマと変容してしまった脳と、心の歪みを抱えて、幸せを感じることができない。
そんな、人生を経てきている。何も知らないあなたが、それを否定しないでほしい。私だって病気と闘っている、幼い頃からずっと。サポートだって本当は欲しい。でも誰もいなかったから、1人で闘ってきている。本当はあったはずの青春も楽しい子供時代も奪われてコンプレックスの固まりで、出来損ないの心を持って、周りに迷惑をかけている事に罪悪感を感じながら、自立しようと、まともになろうと、認められようと努力をしている。
母のことばかり優先は出来ない。母に似てるだなんて、私にとっては侮辱と同じなんだよ。私はそうは思わない、嫌なんですって前にも言っているのに、なぜ繰り返し言うの?何故、私の気持ちや意見を伝えているのに、否定するようなこと、私の不幸なんて大したことじゃないみたいな風にいうの?
あなたに何が分かる。あなたに私の想いなんて分からない。母のことを本当に愛しているようだけれど、その為に私達を、利用したり、センシティブな話題に首を突っ込まないで欲しい。どんな思いで、私が病院に来ていると思っているの?
本当に腹がたつ。自分の病気よりも、子供の幸せを願うくらい利他的であったなら、わたしもこの感情を和らげることが出来るけど。
あんなひどいことをしておいて、一言くらいで簡単に許されると思わないで欲しい。。変なスピリチュアルカードで、どうやって病気が治りますかって聞いたら、"許し"というメッセージが出たから、だから謝ろうと思ったってそういう事なの?
罪悪感を抱えて、罪を背負いながら、生きて欲しい。それが贖罪であるから。解放されただなんて思わないです。事情がなんにせよ、あなたがしたことは、ひとり、ふたりの人生を大きく毀損してしまったんだから。
私は、人を傷つけることに凄く罪悪感があるよ。よくもあなたはあんなに酷いことが出来て、言えたよね、、まだ子供の私に。それを、癌になるまで悪いと思ってなかったってこと。。?病気になるまで、謝るつもりは全く無かったって、そういう事?
心から私のことが心配なら私の話をもっと聞いてくれるはずじゃない?私のことに興味を持ってくれるはずじゃ無い?応援してくれるはずじゃ無い?自分の考えの押し付けで、人の気持ちを考えていないんだよな。相手の立場を慮る余裕やキャパがないのか。。いつも結局自分勝手で結局自己中。自分が常に優遇されていて、贅と快楽を享受しないと気が済まない...結局そんな浅ましい人間の本質は変わっていない...
そんな母のことが、ずーーーーーっと嫌いだった。そんなにすぐには、この感情は変えられない。時間がかかる。私は、母を好きになることは出来そうにないや。過去を仕方がないと受け入れて許し、彼女の幸福を祈ることは出来るけれど。やっぱり、好きにはなれないよ。やっぱり近づきたくないと思ってしまったよ。死んでしまったら悲しいのかもしれないけれど、何を話していいか分からないよ。まだ怒りが残っているようだ。私は次の世代や、周りの大事な人を傷つけるような事をしたく無いから、自分の人生を強く幸せに生きて、周りを不幸にする愚かな選択をしたくないから。だから母の事を、少なくとも過去の母の言動や思考パターンは病的で否定しないといけない。そうしないと、同じ事を、私も連鎖してしまいそうで怖いんだよ。。。。
今は献身的な夫に見せてる旦那さんだって、家族が酷い状況の時に母をたぶらかして不倫して、一層家庭をかき回して、母は外泊三昧で父も子供達もみな傷ついて、私の思春期は楽しい思い出が殆ど無い。離婚した時なんて、はっきりと思い出せず記憶が飛んでいる。わたしはとっくに母からのサポートや愛情なんてものは諦めて、必要ない、自分で努力して立派になるんだって、理想の生活を手に入れるんだって、母の存在を否定して1人で頑張るしか無かった。誰にも辛さ、悲しさ、苦しさを話すことができなかった。
そんな風に奪われるべきじゃなかった。
そのことについて、罪悪感は感じない?謝ろうとは、思わないかな?
母は離婚して旅行や贅沢三昧で罪悪感もなく、手厚いサポートもあなたにしてもらえて、私は荒れた家庭でずっとひとりぼっちだった。
食事にだって困ってた。病気になっても、自分で対処するしか無かった。
兄や孫たちが来るのは良いけど、被害側の私や弟が来て話すのは、負担になるからもうやめた方が良い?もう来なくていい?
何なの?マジでムカつくわ....。もう2人で勝手にやってくれだなんて思うよ。私は一体何に巻き込まれていて、どうしてこんなにストレスを感じないといけないの?
せっかく過去に向き合って、母を許し、過去のことを水に流して今の母さんと、新しく絆を作ろうと思って、トラウマに苦しみながらも、体調崩して休職せざるを得なくなっても、今は母との時間を作って母のためにも自分の為にも向きあおうとしているのに....
カウンセリングにだって言った。心療内科にもお世話になっている。
当たり前かもしれないけれど、現旦那は母のことしか、全く考えていない。私達がどう感じるか、どんなショックを受けるかなんか考えていない。
他のことなんてどうでも良いと思ってる。
私が昔つらかったことを話すのは母を傷つけて、体調を悪化させる、悪者扱いされている?初めに向こうから、過去の嫌だったこと全部話して、言いたいことはなんでもゆってって言うから、ゆったのに。ずっと蓋をして出来れば忘れてしまいたい感情で、向き合うのも思い出すのも辛かったのに。それなりに、自分なりに人生築き上げてたところだったのに。。思い出したらフラッシュバックで気持ち悪くなっちゃったよ。
どうして、それで母を悪くいう私が悪者扱いなの?
お金持ちをひけらかして、一体何なのか。ディズニーのホテルなんて私は泊まったことないよ。うちの家庭ではディズニーは私が行きたいといっても兄がいかないとゆって、私だけでは連れて行ってもらえなかったよ。
母が捨てて出てった家に今でも住んでいる私は、カビだらけのエアコンを20年以上未だに使っていて、母が壁に穴を開けて、嫌な思い出の詰まった部屋に住んでいるよ。一人暮らしが出来る気力も体力もないんだよ。努力してスキルを磨いて、職を手に入れ、鬱や体調不良に苦しみながら、精一杯稼げるお金が年収400万だよ。
あーー良いご身分ですねーー。なんでもやってもらって、なんでも買ってもらって、好きなことだけして働きもせず、金持ちに甘やかされて、離婚して良かったですねー。あれだけそんなんじゃお前は社会でやっていけないよって、私を否定していた癖に、自分はちゃっかり、お金持ち見つけて不倫して、愛されて自立もせずに余裕があるふりして、孫を甘やかして良い人ぶって、幸せを満喫ですかーそうですか。
私に贖罪したいなら、アパートの一棟くらい買って欲しいくらいだわ。言葉じゃなく、行動で示せ。利己的な動機が透けて見えるうちは、言葉は信用することが出来ない。
なんせ今までなんども裏切られてきたからねー簡単に信用したら、危ないって染み付いてるのよ。
病気が分かってから、自分の住む家の改築に、自分の趣味に2000万ものお金を使って、私の将来のことを心配してくれる事はないもんね。成人後何度か食事に言った時もいっつも自分の話ばかりして、良い家に住んでるから遊びに来てって、自慢していたなー。こんな生活が出来る私すごいでしょーって、何にも努力してないくせになー。
私の仕事に興味待って話を聞いてくれたり、思いやってくれたり応援してくれることはなかったな〜。
子供達や孫のために、お金を残したいとは思わなかった?おまけに連帯保証人にされそうになったんだ。あれは危なかった。こうして死にそうになっていて、あの時すでに病気の事分かっていたのにね...
嗚呼、ならなくて本当に良かった。信用しなくて良かった。はあ。こういう、落し穴とか罠みたいなのがちょこちょこ潜んでいるから母と対面すると気を抜けない。
現旦那は偉そうに、自分は何でも知ってるみたいな言い方しやがって、あなたに、私の気持ちや辛さは分からない。
一体母の何が良いのか。話を聞いているだけで気が滅入ってくる。論理的な話が出来ず、頓珍漢で意味不明。標準医療を拒み、代替医療に大金を注ぎ込み、挙句に癌がどんどん悪化して苦しんでいる。見てるだけで、話を聞いているだけで頭が痛くなってくる。
ちゃんと、彼等との間に防御壁を作っておかないと、医者なんてヤブ医者ばかりだとか、抗がん剤は毒だとか、検診なんて無駄だとか、あなたは病気じゃないから医者なんて行くなとか、そんな、将来の私に不利益になるような全く根拠のない価値観を押し付けられそうになる。
だから、自己をしっかりと保ち、それを受け入れず、ただそれを信じ込んで祈っている弱った母の事を傷つけないように配慮しなくてはならない。
私は、素人の意見よりも専門医の意見を、信じる。結局それが、一番当たっている可能性が高いから。医者だって、間違うこともあるだろう。分からないこともあるだろう。でも、素人のそれよりは、断然信用出来る。良い医者に当たれば本当に信頼してお任せしたくなる。
日々、研究の努力を惜しまない、優秀な医師の判断を聞かないだなんて、本当に頭が悪い。素人判断の思い込みが何故正しいと思うのか?愚かだ。。。実に愚かだ。。。
揃いも揃ってアホか!!
肯定出来ないのはね、私は母のようになりたくないし、母のように生きたくないし、まともな人になりたいから。。私と同じような思いを将来子供にさせたくないから。だから私は母と似ていたらいけないんだ。母のようになったら、虐待の連鎖をしてしまうことになるから。
---
まあでも、今は私だって父さんに支えてもらっているし、母さんだって本心から謝ってくれたのかもしれないし、母さんも辛い思いはしてきているし、職場の人にも状況理解してもらって配慮してもらっているし、、恵まれていて、皆から思われて心配されているんだよ。だからいつまでも被害者意識抱えなくていいんだよ。私のために。許せないと思い続けることが、私の負担でもあるんだよ。
私のことを愛していた、悪い事をしたと思っている、それが母さんの本心。受け入れてみよう。愛を受け取る努力をしよう。信じたい。本当は人の善意を、心から信じたい。
怒りなんて感じたくない。実の親を否定して悲しい気待ちになりたくない。昔のことは、ただのすれ違いで、今は仲直りができると思った。心から、私の事を愛している、心配してくれると思った。。
今は疑い深い、闘争本能が出ているだけなんだよ。臆病な警戒心の強い幼い私がでてるだけなんだよ。客観的に見つめて落ち着こう。
ふう。今は強く怒りの感情を感じている。
これは正当な怒り..?
この怒りの根っこは...?
これは認知のゆがみ?
被害妄想なの?
腹が立って、仕返ししてやりたい、傷つけること言ってやりたいだなんて思ってしまう。
ただ、反射的にそれをしたら私は母と同じになってしまう...
だから実際には言わないで、相手が喜ぶような事を言ったりするんだけど。それが"すべき"事で自分の本来の"ありたい姿"であるから。
でも現にこうして私の自動思考が怒りを反射的に感じてしまうことは事実で、これをうまく解放できないと、怒りや悲しみの感情が自分の中に、溜まってしまうんだと思う。そして一定以上溢れると、また抑うつや体の不調や感情の麻痺が起こるのかもしれない。
感情を無理やり押さえつけたり、見ないようにするんじゃなくて、怒り上手く操ってあげたい。怒りを必要以上に恐れないようにしたい。
普通の人はこういう場面で怒りを感じないのかもしれない。母に似てるって言われて凄く嫌で、怒るってたしかに一般的にみれば普通では無いよね。
なんだかもう会いたくなくなっちゃった。
私って本当愛情無いのかな。
信用してないんだな。
寂しいやつなのかな。
開きかけた扉が閉まっていく音.........
こうして、全人類に対する愛を失って、新たなトラウマになってしまうんだろうか....
人を信頼することは怖い事で、愛は存在しないと、潜在意識に刷り込まれてしまうんだろうか。。。
とりあえず現旦那とは、話したく無い。うちの家庭の事情のことを理解していないのならば、悪意が無かったとしてもその余計な発言は私を苛立たせる。
疲れたな。
でも、怒りを感じる事は当然!今まであまり使っていなかった、吐き出していなかったから、ちょっと過剰反応で出ちゃってるかもしれないね。
そう、この怒りは受け止められる。
私が悪いわけじゃ無い。
もっと言い返しても良かったんだよ。
あいつ偉そうに。何なの?ムカつく。
でも、あの人も母の癌が良くなることだけを考えていて、精神的に余裕がないんだろう。
あー虐待加害者の母が愛されていることにも腹が立ってんだな。私はひとを傷つけることが怖くて、パートナーを作れないでいるのに。
私だって口論なんてしたら疲れる。余計に、分かり合えないしんどさを抱えて落胆してしまうかも。問題を起こす自分として、自己否定をしてしまうかも。
母の本音が聞きたいのよ。
私の幼少期のことが聞きたいのよ。
可愛いと思ってくれていた?
愛してくれていた時はあった?
私は本来はどんな性格で、小さい頃に何があったの?何が、私の心に今も引っかかっているの?
私はどんなトラウマを抱えさせられたの?
今も私の人生にしつこくしつこくついて回る暗い影の正体を知りたいの。
どんな事を、謝りたいと思っているの?
ちゃんと思い出して話して。
じゃないと、私はあなたを許すことは出来ない。
あなたはもう十分、人生楽しんだでしょう。子供にお金をかけるより、子供の希望を叶えたり、喜ばせることよりも、自分の欲求を満たすことには躊躇なくお金を使って。
かわいそう?そんな風には思わない。
あれはあの人の業。
人にねー、呪詛ばかり撒き散らしていたからねー、帰ってきているんだよー。
母さんとの楽しい思い出、いくら探してもなかなかなかなかなか出てこなかったよ。
それでもね、今日は本当は、母さんにハグをしてね、昔のことはもう気に病まないで、母さんは一生懸命だったの分かっているし、育ててくれてありがとう産んでくれてありがとうって感謝を伝えようと思っていたんだよ。
そうすれば彼女の心が明るくなって、病気に良い影響になるかなと思ってさ。喜ぶかなと思ってマッサージジェルも持っていったよ。
そんな、私の努力と決心を踏みにじられた気持ちだよ。苛々してしまって言えなかった。
あいつ、私が3才の頃にいつも駄々こねて母が置いていくよといって置いていっていくら離れても動こうとしないなんてことが何度もあったなんて話をして、なにが言いたいわけ?3才の私が悪いとでも言うの?私の性格がおかしいとでも言うの?
ああそう言う事柄があって、私のこころは少しずつ傷ついて壊れてしまったんだなって、怒りしか感じないんですが。
ムカつく。
加害者側の癖に。。。
私は誰かに加害したことなんてない。問題があると、怒りを感じても出さないようにして、うまく平和にやり過ごそうとして、そう感じる自分を責めて、全部負の感情背負ってきたんだよ。怒って口論になることが、トラウマなんだよ。イラっときても人に適切に怒りの感情を出すことが出来なくなってしまったよ。子供の頃に私が怒る=倍で帰ってきて、人格否定される =罰を受けるっていうパターンが染み付いていたからかもしれない。地獄だった。そうして怒る母を否定しているからかな。。。。
一度、この感情が全て放出されるまでキレてみたい。徹底的に相手をやり込めてやりたい。言い返せないようにズタズタに心を切り刻んでやりたい。私が正しいんだって、証明してみせたい。闘いたい。勝ちたい。
私が経験した、この辛さや苦しみを味あわせたい。後悔させて、泣いてすがって謝らせたい。
おっと、出てくる感情そのままに書き出していたら、まさかこんな言葉が自分から出てくるとは。
本能というか、潜在意識からのメッセージだろうか。気づかなかった。蓋をしていた頃は。こんな激しい強い怒りを抱えてたんだ私は。あの人の発言はキッカケで、過去の事、その時溜めてしまった事、今まで感じないように抑えていた事、ひっくるめて出てきたんだ。
今は随分穏やかになったと思っていたけど、やっぱり昔封じ込めた何かが開きかけている。何か、恐ろしいものが私の中に眠っている。
でも、こうして感情を感じられるのは良いこと。私はある時から、空虚と諦観を抱えた感情の無い人形のようだった。
人格は、普通のふりをしているだけで、中身が存在していなかった。楽しみも、嬉しさも感謝も幸せも、ポジティブなものを感じられなかった。まずは怒りを徹底的に吐き出す。そうして健全な心が帰ってくるかも!
あーーーーーーーーーむかつく!!!!!
ほんまに。神さまは見てる。
それがあなたが負うべき業なのかもしれないね。赦し、だなんて。
ぴったりじゃないか。
そうやっていつまでも利己的なままでいたら、きっと治らないだろうねー。
良い最後じゃん。いい気味だよ。
人を苦しめた分だけ、自分に返ってきてるんだろう。
叔母は、同じ家庭で育っても、あんなに優しく繊細で人の気持ちを思いやれる人に育った。努力して自分と向き合ったから。
あなたは何度も気づけるチャンスがあったのにも関わらず、他人に責任を押し付けては、自分の欲求を満たすことに夢中だった。ひとを傷つけることに躊躇が無く、非常に冷酷で、それを見せつけて楽しんでいるようにもみえた。
人格障害レベルやで。許されることじゃないで。これが許されたら世の中の頑張ってる本当に子供思いのお母さんが報われないで。
これ以上私みたいな思いをする子供が、居なくなりますように。子供達が愛情をたっぷりと受けてのびのびと育つことが出来ますように。
---
長い、要約編
・哀れに思う気持ち
・ここから学び、二の舞にはならないぞ、という決意
・この怒りは、嫉妬かもしれない
・本来私が欲しかったものを持っている人、それをわたしから奪った人。
・私は今のの自分を不幸だと感じ満たされていないんだろう
・母を許せていない
まず断っておくと、自分はめちゃくちゃVtuberという存在が嫌いだ。
中身おじさんなのを知りながら男が(同性愛としてではなく)ガチ恋だとかエロいだとかと言っているのを見ると身の毛もよだつ思いだったし、いわゆる普通の生身のYoutuberを小馬鹿にしてたくらいの層の人間が、Vtuberのことは嬉々として喋るようになったのを嫌と言うほど見てもやっとした気分になっていた。
いくつか有名どころの動画を見たことあるけど、結局普通のYoutuberと内容に大きく差があるわけでなし、むしろ内輪感みたいなのがより強いように感じて、中身がないだの信者が気持ち悪いだの生身のYoutuberに浴びせられていた批判は、こっちにも浴びせられてしかるべきなんじゃないかとずっと感じていた。言葉を選ばなければ、結局こいつら絵が付いてないとブヒれなくて、自分がブヒれないのに世間で話題になるコンテンツは無条件で叩くってだけだったんだな―と思ってた。
けど、今はすっかり下火とはいえ、Vtuberはアンチの自分から見ても相当流行りに流行った。評判がよろしくないらしいけどアニメが今やって(もうやってない?まだやってる?)たり、NHKのニュースにまで出るようになっているらしい。テレビで取り上げられたのは近未来感があって面白い試みだから…とかいろいろ理由があるにせよ、オタク趣味持ってる人間でVtuberのこと全く知らないというのは、深夜アニメを一切見ない人種と同じくらい少数派になっているように感じた。
自分は萌え系のコンテンツに積極的にハマりに行くタイプではなかったが、オタク趣味全般はある程度知識の「守備範囲」に入っているというつもりで、自分の気持ちと一致するかは別としてmその辺のジャンルの何が受けているのか、ファンはどういう気持ちでそれを見ているのかをある程度理解できるつもりだった。
だからこそ、ここまで自分にとって受け入れられない、楽しんでるヤツの神経がわからないコンテンツが自分の守備範囲から世の中に肯定的に取り上げられていくというのは個人的に初めての経験で、ハンドル含め名前の出るところでは「詳しくないけど面白そうと思っている」くらいのスタンスを演じつつ、匿名掲示板で死ぬほどくさしたりしていた。(増田には書いてなかった)
ただけっこう過激派アンチだと思う自分でも、Vtuberのみんながみんなを毛嫌いしているわけではなく、どうやら自分の中に「これはまあ許せる」という基準があるようだった。一言でいえば、「自分の知識や技能を発信するときに、生身とか解説動画でやるより多くの人に見てもらえそうだから」という感じでVtuber活動をしている人たちには、あまり嫌悪感がないのだ。○○〇〇学という素人にはちょっと気乗りしたい分野の知識をシリーズ動画で話しているVtuberを知っているが、この人は中身はおそらくおじさん(たぶん学者さん?)で、お嬢様風の萌え萌え女の子アバターを使って活動しているのだけれど、これは自分の勝手な基準の中で「許せる」。
逆に中身とアバターの性別や属性が一致している(若い女の子が中身の人とか、アバターが別にイケメンでもない男だったりとか)としても、自分は大半に対してさぶいぼが出るほどの嫌悪感を抱く。女体化だのおじさんがかわいい女の子の振りをすることだのに抵抗があるわけではないということだ。じゃあ自分はVtuberの何が嫌いなのかというのをこっから吐き出すとともに、「でも、お前らだってそうだったはずじゃん!」と駄々をこねたいというのがこの投稿の主な目的だ。
一言でいうと、つまり自分は、「キャラなりきり」というものをものすごく気持ち悪く感じるのだ。
基本的にVtuberは自作のキャラになりきって、そのキャラを演じて動画を作るから、ここが嫌いではそりゃ大半はどうしようもない。そもそも自分には絶望的に合わないコンテンツだったのだ、と自己分析としてはすんなり納得がいっているのだが、その中でも「許せる/許せない」が出るのはどういうわけか。
これは、「許せる」側の投稿者は、キャラなりきりをあくまで情報発信のための都合がいい手段としてとらえている(ように自分には見える)ということが要因なのだと思う。町おこしのためにゆるキャラが考えられ、中の人が着ぐるみになりきって活動していたとしても全く嫌悪感はないわけで、Vtuberの中でもそちら側のタイプっぽい人は全然許せる、という心情をどうも自分は持っているらしい。
反対に許せないタイプのVtuberは、どこからどう見てもキャラになりきることが目的の人たちだ。別に誰にも迷惑をかけていないのだから自分が許さない道理はないのだが、どんなに友人におすすめされても、こういう人たちは全く好きになれる気がしなかった。なまじ設定が凝っていたりすると余計ダメで、その設定を持ち出して動画の中で一笑い起こそうとしているのを見たりすると、もう半日くらいおなかを壊すくらいにどうしても受け入れられなかった。
この「なりきり」への嫌悪が自分の中で醸成された過程は正直定かではない。ぶっちゃけ、自分が人並外れてこのジャンルへの嫌悪感が強いとは全く考えていなかった。嫌悪感に今まで気づかなかったという意味ではなくて、みんなこれぐらい嫌っている(忌避している)ものだとばかり思っていたのだ。
SNSだのが登場する以前、ネット上のコミュニケーションがBBSやらチャットだった頃、普通に自分のハンドルで雑談するコミュニティのすぐそばに、「なりきりチャット」やら「夢BBS」やらがあるのは目にした覚えがある。なんなら覗いてみたこともあるかもしれない。でも、そこでやっていることが楽しそうだとはどうにも思えなかった。多分、初めてその存在を認識した時から、なんとなくそういう趣味は普通の雑談よりもキモチワルイものだと感じていたのだと思う。
SNSが、とりわけミニブログ系のやつが登場して以降、「キャラクターなりきり垢」みたいなものもたまに目にした覚えがある。テニスの上手い〇部とか不〇とかになりきって会話してるやつ。ああいうのも存在は知っていたが、やっぱり気持ち悪いやつらがやっていることだと認識していた。ジャニーズの夢メール画像だとかと同じジャンルのものとして。テーマに沿った、あるいは沿っていない雑談をする中でも、かなりヤバい奴が集まっているテーマというか、あまり直視したくない「ネットの闇」の方のコンテンツだと思っていた。
ましてや、オリキャラのそれなんて、もっと見たくないものというか、あけっぴろげに言えば思いっきり見下していたジャンルだった。
そもそも素人がオリキャラ作ってそれをみんなに見せて…という行動自体、メアリースーだの、オリジナルSSだので割と見下されることの多い趣味だったように思う。その上、それ自体も怖いコンテンツであるキャラなりきり。このような趣味は、もうネットの恥部と恥部の重なりの部分、見下す云々以前にどんな奴がやってるんだかむしろ怖いもの見たさで知りたいくらいの闇ではなかったか。
そして正直なところ、自分のここまでの認識がそこまで一般ライトオタクとずれていたというつもりはない。Vtuber流行以前なら、キャラなりきりに対するスタンスを聞いてみれば、結構な人が(程度の差はあれ)同じような答えだったのではないかと思う。
ぶっちゃけ、オリキャラ作って他人に見せて…のほうは、「その中でも認められて素人でなくなった人はいる」という所を指摘されるとどうにも反論できない。が、そういう風に羽ばたいていった人たちに備わっていた力量みたいなものが今流行っているVtuberにあるとは思えない。そもそもそういう人たちの創作は内輪ネタみたいなものと無縁な気がする。反論しきれていないというのは重々承知だが、「なりきりではあるがオリキャラだからVtuberは流行れた」ということにはならないのではないかと思う。
というかぶっちゃけ、「オリキャラなりきり動画投稿者」と呼んだ時、ほとんどの人は何かおぞましい、自分が上で言っているようなネットの闇っぽいものを連想しないだろうか?以前似たようなアンケートを匿名の場でとったことがあるが、大体のオタクはこれをVtuberのことだとは思わず、ゆっくりで茶番劇をやるようなのだとか、一人で必死に声色を使い分けてヴォイスドラマを録ってるようなヤバいの(そんなのがあるらしい)だとかを連想していた。
でもVtuberって要するに「オリキャラなりきり動画投稿者」だよね?これ以上の要素も特に含まず、過剰に誇張している部分も特にないと思う。意味を端的に表そうとすれば相違なくこうなるのではないだろうか。
だからこそ、自分にはなぜこのおぞましいジャンルが流行し、多くのオタクに受け入れられたのかが分からない。たとえ最盛期のVtuberファンの半分が「みんなが見てるから」でファンになったのだとしても、もう半分はこのネットの闇を好意的に捉えたということになる。一体それはどうしてなのだろうか。
Vtuber好きが集まるところでこんなことを言えば荒らし扱いで無視されるだろうし、同じアンチ同士で話しても「最初は工作でそれに流された奴がファンになった」だの「あいつらはシコれればなんでもいいだけだから」だのいまいちピリッとした答えをもらえないでいる。
多分自分の認識のどこかにずれがあるからこうなったのだと思う。それがどこなのか、誰かに教えてほしいのだ。
追伸
反応を見て、だいたい「Vtuberはオリキャラなりきり的なコンテンツではなくて、単に中身本人の人格のままアバターを被せただけのものである」や、「TRPGやPBWのように、素人のオリキャラなりきり自体言うほど忌避されるものではない」というあたりが自分の勘違いだったのかなと感じている。
前者の方はかなり納得していて、要するに自分の「許せる」基準に合わせて言えば、Youtuberとして自分自身を発信していきたい人間が、生身の自分よりも多くの人に親しみを持ってもらいやすいと考えてアバターを使ったということなのだろうと思った。アンチの中にはこういう捉え方をした上で「○○とか○○は単なるYoutuberワナビーが売れるためにアバター被ってるだけじゃん」みたいな嫌い方をする人もいるかもしれないが、自分自身としてはそうであってもいいんじゃないかと感じるし、ファンになれるかは別として、こういう方針で活動をしている人なら別にサブイボが出るほど嫌いにはならないと感じている。
後者の方は確かにオリキャラなりきり系コンテンツの中でもまあまあ高尚(というか多少カッコが付くくらいの意味)な趣味もあったなあ、と感じたのだけれど、TRPGやらPBWはあくまで本人が楽しいコンテンツであって、誰かが作ったオリキャラの情報発信をファンが楽しむ、みたいな構図はあまりなかったように思う。人生で数回やったことがある程度の知識しかないので、この辺の認識違いがあればまた指摘してもらいたい。
VNIに関しては、正直自分の頭からVtuberと同ジャンルのものだというイメージが全然抜けていて、指摘されて自分でびっくりした。構図的にはかなりそっくりなものなのに、なんで抜けていたのだろう。(これ自体広く受け入れられたかというか、ネットの闇扱いされていなかったかはこの際考えないでおく。)
多分、VNIはあくまで受け手側の気持ちとして見ていたので、「オリキャラなりきり」と自分は捉えていなかったのではないかと思う。Vtuberは、ネット上の知り合いが何人もなっていったりして、中身の人間、つまり発信する側が自分の視野の中に入っていたせいで、そういうものとして見ることになったのかもしれない。
流行った理由の考察としては、もともとゲーム実況が好きになる素養のあった人が、可愛い女の子のアバターに惹かれて見に行ってファンになったというのがとても自分でしっくりきた。というか以前から何となくそういう推測は自分の中にもぼんやりあった気がするのだけれど、「それでもあのオリキャラなりきりっていうコンテンツへの拒否感が普通は勝たないか!?」と考えてそれを流行った理由として捉えられていなかったのだと思う。その拒否感の方が自分の勘違いだったと分かってしまえば、すんなりと腑に落ちる。
自分としては、今挙げたような内容が自分の勘違いのせいで認識のずれが生じ、世間で受け入れられたものを自分は許せない、という状況が生まれたということである程度納得している。だからと言ってたぶん好きにはなれない(これは完全に個人的な好みとして嫌いなタイプの文化が界隈にあるから)のだけれど、多くの人に受け入れられて流行った理由も、ファンの心理もとりあえずは理解できたように感じている。
もしこれらの他にも自分の認識の違いがあったり、あるいはまったく的外れなことを言っていたりするようならば、また指摘してもらいたいと思う。よろしくおねがいします。
一応アドバイスな
月1だからその前日くらいに~だと捨てない
本も縛っておく
本当は良くないけど、大概忘れたり遅れたりする
それなら前日夜に置いておく。これで寝坊してもOK。雨降ってても気にしない
ごめんなさい回収員の人
あれは物が少ない人が捨てる時にやるもの
物が多い人は売れるまで置いておくと、その間に更に増える
自分で価値が分かるものは売ってもいいけど、「なんだろう?これ値段つくかな?」ってものは大概数百円レベルでたま~に売れるだけだから捨ててOK
いつか売る時に~とか知るか。ジャンク品で売れ
絶対に要らない。箱捨てるくらいなら死ぬ!って言う人は畳んで取っておこう
ミニマリストとか精神とか知らん。捨てろ。要らん。使ってないものは今後も使わないし、いざとなったら買い直せ
勢い大事。今日はここまでとかない。クローゼットの中整理なら、終わるまで寝ない覚悟で。家の中全部は無理かもしれないけど、毎日何処かをやり終えれば、1週間で家は綺麗に
論理攻めで泣かすか、駄々こねたら最悪殴れ。もちろん理由を言える物を殴って捨てるのは最低。「まだ使うかもしれないし~」ってレベルは捨てろ
ただ、これは自分が物を捨てていれば反論しにくいので、とりあえず自分の身の回りを綺麗にするのが第一
こんな感じ。どうしてもヤフオクやメルカリで売りたいなら価格付けや写真は適当でいいよ。発送も即時じゃなくて少し遅めで設定な。儲けじゃなくて捨てる前提だから
やりたくない。やることでプログラミングスキルが上がるというのはわかる。実際1年やって効果はあった。だが、この程度の効果なら1年かけずに身につく方法は多分もっとある。勉強に使っている自社システムも斜陽で、社長はこれ以上そのシステムを使った案件はとらないと言っている。そんなシステムで若手向けにわざわざドリルを作ってやらせているのは、ひとえに保守ができる人間を増やすためなのだろう。
どちらかというと、ドリルそのものというより研修の進め方の諸々が気にくわない。自由参加と言いつつ実質強制。参加しないと査定に響くと皆分かっている。実際参加せずに査定が下がったとして、それが不参加のせいだと判断する術が俺らにはない。締め切りはあるが、業務に差し障ってはいけない。少しなら業務時間を使ってもいいというが、終わるわけがないのでサビ残だ。家でやることがたくさんあるのでサービス残業が何よりも憎い。
表向きホワイトで通ってる会社だから、きつい言葉が飛び交うようなことはない。録音して何かの証拠になりそうな発言を、上司はきっちり避けるだろう。この場合「参加しないと査定に響く」のフレーズさえ引き出せればクロにできるけど難しそうだ。
強制の研修なら残業代を出せ。強制じゃないなら参加しない。どうせエンジニアは向いていないから、転職するまで窓際社員でも別にいい。
ー
俺の出来が悪いのは家で勉強をしないからだと皆が言う。まあそうだと思う。実際してない。他にやることがありすぎてそれどころじゃない。最近その作業に責任が生まれてきているから尚更おざなりに出来ない。この時間のやりくりの難しさ自体は、おそらくどんな仕事でもついてまわる宿命だ。いろいろ試せばもっとうまくやれるはずだと思う。「それどころじゃない」って言ったけど、プログラミングの勉強に関しては会社が気に食わないから優先順位が低いだけだ。ネットでググると「好きで勉強できるやつじゃなきゃ出来ない仕事だ」という話がゴロゴロ出てくる。それで需要と供給がつりあうならいたずらに文系から採用したりしないだろ。
ー
駄々こねてないで転職するまでは大人しく真面目に取り組めばいいのに。アスペ気味だから無理なんだ。上に書き散らしたようなことがずっと頭の中でぐるぐる回って、目の前のソースコードに集中できない。わかることもわからなくなる。間に合う課題も間に合わなくなる。上司に呼び出される。要約すれば「他の人達はみんな頑張っている。特に今年の新卒の子たちはすごく熱心だ。その中で君は頑張っていないように見える。頑張れるかい?大丈夫かい?」。
うるせーハゲ。口調が厳しかろうが優しかろうが、サビ残の時間数を努力値に置き換えるその考え方がのさばるから、若手はみんな脇目も振らずに自分の身をすりおろす。新卒なんて特にそうだ。すりおろしてボロボロになって辞めていった同僚がいる。生き残ったら生き残ったで「俺らがしてきた苦労をどうしてお前はしないんですか?」とか言うようになる。というか、上層部はこんな手弁当の教育させてないでちゃんとした研修に予算を使えよ。学園長の思いつきかよ。
齢30前にして真面目だと思っていた親父の浮気が発覚した。
最初に疑惑段階であった時は否定し、2度目に発覚した際は素直に謝罪したのだが、その後も浮気相手を上手に言いくるめて関係を継続していた。
さすがにこれはマズいと家族総出で決定的な証拠を抑え、親父を問い詰めることに。
……が、その際の親父の発言があまりにもアレだったので、怒りを込めてランキング形式で発表したい。
浮気相手用に用意していたガラケーについて問われ、神妙な顔で言い放った一言が10位にランクイン。
女とのやりとりを全残ししてのこの言い様に、「穏便に話しあおう」と言っていた母親を初手からキレさせた切れ味の鋭さを評価。
散々エロい会話履歴を母に見られているというのに、まさかの情に訴える作戦に出てきたこの発言が第9位。
もちろん「そんな相手と週3でホテルに通う必要はどこにあるのか」という母の質問の前に撃沈した。
預金通帳から消えた100万の使い道を問われた際、浮気相手の懐を守ろうとして放った男気溢れる嘘が堂々の第8位。
仮にそれが事実だとしても、親父が外でそんなことをしていたら普通に気持ち悪いと思うのだが……
埒が明かず「浮気相手を呼び出して話し合おう」と言うなり、床に大の字になった父なりの誠意を表したこの発言が7位に登場。
当然「じゃあ、浮気相手を呼び出すからそこで見ていてくれ」と返された。
ってか、親父はなぜ無理矢理いい話に持っていこうとするのだろう。
渾身のパフォーマンスに「浮気相手を呼び出すからそこで見ていろ」と返された際の魂の叫びがまさかの6位に。
60前のオッサンが床の上で駄々をこねる姿なんてそうやすやすと見られるものじゃなく「ほう、これが……」と少し感動した。
だんまりを決め込む親父に「辞めるのか辞めないのかどっちなんだ」と弟から問われて……の5位。
出がらしのブルース・リーの様なポーズを決めて挑発された弟の「どういうこと?」顔を引き出した手腕の見事さを評価。
相変わらずの『無茶な理屈でいい話にしてなあなあ作戦』に打って出た往生際の悪さを評価しての第4位。
見かねた弟が「頭イカれてんじゃねえのか」とビンタするなり「親に手を出すとは何事だ!!」とブチギレた。
まさかのタイミングで放った絵に描いたような悪手を取ってきたインパクトを評価し第3位。
当然寝かせてくれるわけもなく、落ち着きかけてきた母の怒りを余計に焚きつける結果となった。
開き直り続けてきた親父が落ち着いてきた所で「何故そこまで入れ込むのか」と尋ねた所、返ってきた言葉が涙の第2位。
頼んでもないのに彼女からもらったという父親の写真を見せてきたが、鞄を肩から斜めにかけてるおっさんが写っていた。
いや、普通おじさんの肩掛けカバンって大体こうじゃね……? タテかナナメしかなくね……?
っていうか、そんなこと言われて嬉しいもんなの?俺女性からにそんなこと言われたらどんな美人でも「は?(笑)」って言っちゃうんだけど。
もし親父を褒めるポイントがそこしかなかったのだとしたら、あまりにも悲しすぎる。
「俺は黙秘権を貫くぞ!証拠は何もないんだからな!俺が黙ってればどうにもできない!」と決定的な証拠の数々を前に言い出した親父。
埒が明かないので、親父が恐れる北海道の叔父さんに電話をかけることになった瞬間の意味不明発言が悲願の第1位。
全員「???」状態の中、目を閉じて座禅を組んだまま動かなくなってしまう親父。
叔父さんに叱られても無言を貫き、引き倒してもそのポーズを崩さず、横転した大仏姿のまま1時間以上も粘り続けた。
「俺にはこいつの血が流れてるのか……」と、ドン引きした弟の顔がいまだに忘れられない。
以上。
親父は会社や地域でそこそこ頼られるタイプの人間で昔から割としっかりしてるイメージだったため、ここまでのめちゃくちゃな態度には驚いたし、正直引いた。
この年になって親からクソみたいな人間性のカミングアウトをされると、かなりキツい。本当にこれが同一人物なのか?と思った。
弟も相当ショックを受けたのかなんなのか、しきり「なんかコジコジ読みてえな……」と呟いていた。コジコジ面白いけど。
なお、親父は今もバレバレの偽装工作をしながら、今度こそバレてないと思いこんだ浮気を続行中なので、
母は「別れるつもりはないが、妻としてさすがに限界。両者絞りカスになるまで潰す!」と、興信所や弁護士らのお世話になることに。
離婚しちゃえば?と言ってはみたが「それだけで終わっちゃうでしょ?」と微笑むばかり。怖いのでこれ以上聞かないことにした。
「母さん、俺のことめちゃくちゃ愛してるからな~w」と事あるごとに言っている親父よ。
もうすぐ慰謝料に加え、母親に出してもらった金で買った車も趣味のコレクションも全て取り上げられるだろう。
そして、今まで母親に甘え続けて何でも己の思うがままになっていたあの日々はもう帰ってこない。
「絶対に離婚したくないけど、これから先は浮気相手と同棲しつつ実家を行き来したい」なんて生ぬるい考えは、浮気相手とのLINEの中だけにしてもらおうじゃないか。
そうして大仏になっても絶対逃げられなくなった時、親父はようやく気づくことになるだろう。
「仏の顔も三度まで」と。